友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

12月4日(日)「名古屋 得三」

朝、那覇からスカイマーク航空で名古屋へ。初めての中部国際空港はやたらに広く、預け荷物のターンテーブルは
JFKと同じでした。
今夜の得三は「One Mic Stand」という題で、主に漫才用のマイク1本だけで歌うという企画です。声もギターもその1本だけ。
前回のライブで得三の森田さんに「1度マイクを使わないで生でやってみたいな」と言ったら、「いいマイクがあるから
それでやらない?」と勧められたのです。リハーサルをしてみて、ユミも「とてもいいよ」と言っています。モニターを使わない
のでステージ上では生で歌っているのと同じです。客席で聞いた感じはわからないけど、ステージと客席の隔たりは全く
感じられず、自分が自然に歌えていることだけがわかりました。古い歌から未発表の歌までどの歌も今の歌として歌えました。
また来年の3月にはこのマイクでライブが予定されています。お楽しみに。

12月3日(土)「バンバンバザール、桜坂劇場」

1時半に桜坂の野田さんがホテルに迎えに来てくれました。雨と強風の中、会場についてしばらくしたらバンバンの
一行も到着。昨日は宮古島だったそうです。
最初にヨシムラタカシさんが15分歌いました。初めて聞く人でしたがおもしろい歌でした。
それからバンバン+下田卓、松井朝敬のユニットで1時間ほど。
バンバンバザールほど安心して聞いていられるバンドはないな、と客席で聞きながら感心していました。
後半はぼくがソロで2曲、バンバンのユニットと4曲、その後はビギンの島袋優さんがオリジナルを2曲歌いました。
どちらもいい曲で感心していたら、沖縄ではとても知られた2曲だったそうです。
ライブの後に行ったお店では「島唄」や「花」と一緒に、聞いたばかりの島袋さんの歌が有線から流れていました。
いい歌に囲まれて泡盛を飲みながら、今夜バンバンと歌った「夕暮れ」も良かったなあ、と思い出していました。

12月2日(金)「沖縄へ」

初めてのスカイマーク航空で5年ぶりの那覇に。夜着いてバンバンバザールの福島くんがとってくれたホテルにチェックイン。
コンビニでワインとバナナを買って、ジャッキーというステーキ屋へ。30分は待ちましたがステーキはおいしかった。

11月28日(月)「晴れ豆」

今回で3回目になるマヒトゥ・ザ・ピーポーとの二人のコンサートは、初めての共作曲もあって内容豊かなライブになりました。
二人で作った曲の題は「少年」、先にぼくが詞を送っておいてライブの前日の夜になってやっと曲が送られてきました。
歌いやすそうなメロディの、二人で掛け合いのように歌うのがすてきな歌です。

ライブの前半はマヒトくんの弾き語りで、変化に富んだメロディを泳ぐように歌いこなしていました。

ぼくは一曲目を「公園のD51」にすることと、この時期にしか歌えない内容の「さわがしい季節」を歌うことぐらいしか
決めてなかった。
「あの橋を渡る」発売から2年、今夜初めてマヒトくんとライブで、彼がレコーディングでギターを弾いてくれた「空の鰯」と
「あの声を聞いて振り返る」をやることができました。「あの声~」のマヒトくんのエレキギターは天井を突き抜けるようでした。
アンコールでは共作の新曲「少年」、マヒトくんの名曲「Wonderful world」ぼくの「朝は詩人」を二人でやりました。
清水ミチコさんが旦那さんと聞きに来ていて、終演後に楽屋に会いに来てくれました。「久しぶりですね」とあいさつされ、
昔どんとと「eZ a Go! Go!」というテレビ番組に出たときにお会いしたことを思い出しました。
気がついたら東横線の終電間際、これからも二人で曲作りをしようとマヒトくんと話をして、ユミと満員の終電で帰りました。

11月24日(木)「善光寺」

ホテルをチェックアウトしてユミとナノグラフィカに行ってのんびり過ごした後、ネオンホールの清水くんや
ナノグラフィカのたまちゃんと善光寺にそばを食べに行きました。職場の昼休み中の櫻井くん、奈良からライブの
手伝いに来ていたケンゴくん夫婦も合流。「そばが緑色がかっているのは新そばのしるし」と櫻井くんはうれしそう。
平日でも善光寺はにぎわっていて、つられてぼくの気持ちもざわざわしてきます。みんながまだ学生のころから知っているので、
しばらくぶりの出会いは別れがたいのですが、午後遅い新幹線で横浜に戻りました。

11月23日(水)「長野市 ネオンホール」

お互いのタイミングが合わなくて2年越しにやっと決まったThe Endとのネオンホールライブ、
結局The Endは急遽欠席になり、3年ぶりのソロライブとなりました。
ユミの音感の良さに助けられ、昨日The Endの「ニセモノのギブソン」のコードをコピーして、
以前カバーしたことのある「ロックンロール」との2曲をThe Endの代わりに歌うことにしました。
ライブの最後「ニセモノのギブソン」をなんとかやり終えてコンサートが終わり、なんとなくみんなでゆっくり
かたずけをしていたらまさかのThe Endこと櫻井くんの登場。お父さんの葬儀の喪主としていろいろ用事をしてきた
帰りでした。なんとか顔だけでも出そうと喪服姿でかけつけてくれたのですね。
この日はカタールでサッカーの日本とドイツの対戦があり、櫻井くんも参加した打ち上げの後スポーツバーの
前を通ると中で大騒ぎしていて、通りがかりのぼくたちに日本のチームがドイツに勝ったことを教えてくれました。

11月20日(日)「バースデイ」

今日はユミの誕生日、つい3日前に誕生日だった息子の一穂と妻のひかりさん、ぼくの4人でランドマークビルの
レストランでお祝いをしました。
日曜日の桜木町は雨でもすごい人出で、レストランやカフェはどこも長蛇の列でした。

11月19日(土)「DOMANI・明日展」

近藤聡乃さんから案内状をいただいて、国立新美術館に「文化庁新進芸術家研修制度の作家たち」の
展覧会をユミと見に行きました。聡乃さんとはニューヨークで出会ったのですがもう何年も本人には会えていません。
最初の部屋には聡乃さんの「ニューヨークで考え中」の原画が展示されていて、一度は本で見ているはずの作品なのに、
どれもやっぱりおもしろかった。海外で暮らすのは発見の連続で、ましてや海外の人と結婚して暮らすことは
さらに思わぬ発見が待っている。特に「英語が嫌いということは、ぼくが嫌いということなの?」とアメリカ人の夫から
たずねられるシーンには深いどんでん返しがありました。
10人の作家たちの海外在住経験を経た作品を見ていて、文化庁のこの制度を使って一度だけでも日本から自由になるのは、
誰にとってもすごくいいことなのではないかと思います。

11月15日(火)「ボブ・ディランのエッセイ集・The philosophy of MODERN SONG」

ニューヨークに行く前にアマゾンで注文していた本が、11月8日横浜の家に届けたけれど不在でした、と
UPSからメールが来て、もっとずっと後に届く予定だったのに、えー、と思いました。
ニューヨークの本屋でもこの本を見かけたけれど、もうネットで注文しているからと買わないでいたのに。
アマゾンにメールをして日本のデリバリーを調べてもらい、佐川急便だと教えてもらって、なんとか再配達の
連絡をメールですることができました。UPSは3回は配達されても不在だと、荷物が戻ってしまうので焦った。
本は重いので日本に持って帰りたくなくて、つい日本から注文してしまう。LPやCDは買って帰るのにね。
ということでボブ・ディランの新刊は14日に無事横浜で受け取ることができました。(家の郵便受けには
三枚の不在配達票が入っていましたが。)

11月14日(月) 「月食のこと」

13日の夕方、無事羽田に到着しました。帰りのフライトは14時間半もかかってさすがに疲れましたが、
羽田からのタクシーは家までたった30分で助かりました。

11月8日の明け方に月食があったのを書き忘れていました。

ニューヨークでは明け方の4時ごろ、月食がありました。昨日マドレンに時間を教えてもらっていて、
ちょうど二人とも3時半ごろ起きたので外に出てみました。時差ぼけに感謝です。
さすがにこの時間は誰も歩いていなくて、車も走っていなくて、空を見上げている人もいない。
高いビルの間を探しながらアムステルダムの79丁目の大きな交差点で月を発見しました。
左の上から欠けていって、ほとんど月がなくなったころに寒くてギブアップ。
赤くなるのを見届けることはできませんでした。
ニューヨークとは思えないあったかい毎日なのに、この日だけ寒くて手袋をしていなかったぼくらはつらかった。

マンハッタン内の大きな通り沿いには結構wifiが完備されていて、日常の不便は全然感じないのですが、

この夜はなぜか繋がらず、インターネットなどなかった頃のニューヨークの街みたいで懐かしい気持ちに
なりました。24時間やっているデリの明かりに誘われて入ったり、帰り道にかわいいタコス屋も見つけたので
後日食べに行きました。

11月12日(土)「いよいよ日本に戻ります。」

朝8時にホテルをチェックアウトして、タクシーでJFK空港に。雨が止んだ青空にバレリーナのような白い雲。
連休中で車の少ない高速道路をタクシーもバレリーナのように走ります。空と道路の共演はたった30分で終わりました。
空港には栄子さんが見送りに来てくれました。
今回のニューヨークは滞在が短かく、時差ぼけが取れないのでオペラには行かれませんでした。
見に行きたいライブもなくてのんびり過ごしましたが、でもマラソンを走っただけで来たかいがあったなあ。

11月11日(金)「韓国料理」

季節外れの台風ニコルが来るというので、雨がひどくならないうちにユミと二人で32丁目のコリアンタウンに
韓国料理を食べに行きました。5th Avenueの退役軍人たちのパレードをしばらく眺めたあとで。
ぼくは好物の豆腐チゲスープ、ユミは牛肉と野菜のソテーと冷麺、それから二人でカルビの焼き肉を食べました。
よく食べられたと思うくらいの嬉しい量でした。

11月10日(木)「Alex Katz 展」

グッゲンハイム美術館にAlex Katzの回顧展を見に行きました。今日もキリコさんと一緒です。
回顧展といってもこの人はまだ現役の96歳、最上階にあった2022年9月の「Ocean」という大きな作品が最新作。
ニューヨークで生まれニューヨークで暮らし、ニューヨークの画家や詩人、ダンサー、妻のAda、さまざまな人間を
明るく淡い色彩で描いています。
この展覧会で何よりも印象的だったのは、見に来ている人たちの表情がとても柔らかいことです。あの膨大な数
の絵をほとんどの人が笑顔で最後まで見たのではないでしょうか。ぼくもその一人です。

11月8日(火)「Wolfgang Tillmans」

キリコさんと夫のドミニク、ぼくとユミの4人でMoMAに行きました。
キリコさんはMoMAの会員なのでぼくたちを無料で入れてくれました。
Wolfgang Tillmans展をやっていて面白かった。写真、ビデオ、自作の曲、新聞の切り抜き、紙を曲げた作品、
なんでもかんでも好きなことをしていて、そのタイトルが「To Look Without Fear」というのが非常に良かった。
ぼくもこれからこの言葉を体に貼り付けて歌っていきたいです。

11月7日(月)「ヨシとマドレン」

コインランドリーで洗濯。洗濯は4ドル、乾燥は4分ごとに25セント。レースの翌日は忙しい。
セントラルパークのマラソンパビリオンで、完走メダルの裏に名前とタイムを刻印してもらいました。
 
夜はヨシとマドレンのうちで夕食をご馳走になりました。
ヨシもマドレンも芸術家で二人ともランナーでもあり、毎年NYCマラソン直前の金曜日には50人ものランナーを
招待して自宅でパスタパーティを催したものでしたが、コロナの流行と二人の病気のため4年ぐらい中断しています。
今夜はぼくとユミとランナーの桶谷さんと女性ランナーの四人でヨシとマドレンの用意してくれたロブスターを
食べました。ユミは甲殻類アレルギーなのでラビオリを作ってもらっていました。

11月6日(日)「マラソン」

マラソンの朝に食べようとホームベーカリーで作って持ってきた餅だけど、ホテルの部屋には電子レンジもトースター
もなく、持ってきた電気ポットで沸かした熱湯でユミが餅を柔らかくしてくれて、インスタントの味噌汁に入れて
食べました。誰が言い出したのかわからないけど昔から日本人のニューヨークマラソンの朝は餅です。
42丁目の図書館の前からバスでスタテンアイランドのスタート地点まで。沿道のボランティアが「もう引き返せないよ」
とおもしろい励まし方をしていました。
毎年のこの時期の気温は大体5℃から10℃ぐらいなのに、今年は23℃と8月の北海道マラソン並みの暑さ。
そのせいかスタートしても足が前に進みません。
16キロ地点でボランティアしていたキリコさんから梅干しを、26キロ地点と最後のセントラルパークではユミと
栄子さんから塩やメロンをもらってリフレッシュ、今までで一番遅いタイムの4時間17分でフィニッシュしました。
今回は動きながらの撮影でも映像がぶれないDJIという極小のビデオカメラを片手に走ったのですが、モニター画面に
注意を払えなくて、後で見たら足元ばかりが写っていました。これが今回の1番残念だったことです。

11月5日(土)「セントラルパーク」

マラソンの本番を翌日に控えたセントラルパークはセキュリティが物々しく、でも走る人も歩いている人もみんな
明るくエキサイトしています。ユミと公園を4キロぐらい走って、帰り道スリフトショップでピーター・ポール&
メアリーのデビューLPを見つけました。かなりボロボロでしたが。

11月4日(金)「ニューヨークへ」

久しぶりの国際線、三年ぶりのニューヨーク。
長年過ごしたアッパーウエストに今年もホテルを取りました。海外に来た緊張感もなくリラックスモードの
ユミは一人部屋に残り、ぼくは地下鉄でマラソンのExpoに出かけました。ニューヨークシティマラソンは
もう20回目ぐらい参加してますが、コロナで過去二年はバーチャルで走りました。
ナンバーカードをもらい、明後日のニューヨークシティマラソンに向けてすぐにホテルに戻り休みました。

11月2日(水)「旅行の準備」

3年ぶりのニューヨークを前にして、その準備に追われています。
3年も海外に行っていないと忘れていることばかり。
11月6日のマラソンの後はオペラに行ったり美術館に行ったりしたいな。
戻ったらまたライブが待っていますので、聞きに来てくださいね。

10月30日(日)「籏野さんと阿賀ツアー」

今回の新潟ライブには今日の阿賀ツアーも入っています。というのは、小森はるかさんが映画「阿賀に生きる」で
知った籏野さんという人を撮影しているそうなので。ぼくもユミも今日の阿賀ツアーを楽しみにしていました。
子供を含めて9人のツアー、語り部の籏野さんと一緒に「新潟水俣病」の長い歴史を阿賀野川に沿ってさかのぼる旅です。
途中のマーケットでワンカップを買い、飲みながらの籏野さんの名調子(酩調子)はなかなかで、ぼくと同じ年齢
だそうですが、記憶力の良さに感銘を受けました。

雨は降ったり止んだりの繰り返し。でも映画監督の佐藤真さんら撮影隊7人が3年間暮らしていたという「阿賀の家」や、

水俣や足尾の石と阿賀の石を組み合わせて建てたお地蔵様のところで車から出たときは晴たりするのが不思議でした。
阿賀を一通り案内してもらい、小森さんに新潟駅まで送ってもらって、ぼくとユミは夕方遅めの新幹線で帰りました。

10月29日(土)新発田市「吉原写真館」

映画監督の小森はるかさんが新潟でぼくのライブを企画してくれました。
場所は140年の歴史ある吉原写真館、ぼくより10歳年下の吉原さんは19年前までニューヨークにいたそうです。
ライブ会場は写真館の2階の広々としたスタジオでした。撮影の小道具として使うものなのか、あちこちに
古い鏡や照明器具のあるおもしろい場所です。最初に古田はるかさんという20歳のシンガーソングライターが自作の歌を歌いました。
震えるような声、思いを伝える強い声、若さとふり幅のあるいい唄でした。

ユミと新潟から白新線で新発田までくるときに途中で渡った阿賀野川の大きいことにぼくはとても驚きました。

河口に近かったので、映画「阿賀に生きる」の阿賀野川とは感じが違ったのです。でもその川のイメージは
鮮烈で、今日は川の歌を歌いたいとぼくは思いました。
それから、小森さんが今年の3月に、瀬尾夏美さんと一緒にぼくとユミを陸前高田に連れて行ってくれたときの歌
「陸前高田のアベマリア」も小森さんに聞いてもらいたくて歌いました。

新潟はとても雨の多いところだと聞いていたけど、新発田の空は晴れていて、「友部は雨男なのにおかしい、おかしい」

とユミはしきりに話していました。

10月26日(水)「副反応」

昨日のワクチンのせいで微熱があり、寒気がするので今日は一日寝ていることにしました。去年のワクチンでは
かなりつらい副反応のあったユミはなぜか今回は全く平気みたいで、一人で桜木町へ出かけてました。
去年は二回ともモデルナだったけれど今年はファイザーだからかなあ、とユミは言ってましたが、去年も今年も
ファイザーだったぼくにはよくわかりません。まあこれでニューヨーク行きは面倒がなくなるかな。

10月25日(火)「ブースターワクチン」

3回目のワクチンはもう打たないでおきたかったのですが、来週から出かけるニューヨーク、帰国時の羽田での
入国が面倒だとわかり、横浜のみなとみらいでユミと二人でワクチンを受けました。
去年の夏と比べて、みなとみらいの接種会場は人がまばらでした。
帰り道、BankART KAIKOの「シュウゾウ・アヅチ・ガリバー、消息の将来」展を見ました。文字をばらばらに
してみたり、声にする文字の一つを誰かへのプレゼントにするという奇抜なアイデアがおもしろい。
奇抜なアイデアのためのアート、なのかな。

10月23日(日)「小平町 セブンイレブン」

27日に新築オープンするセブンイレブンでライブをしました。
店内の棚には商品がまだ半分ぐらいしか並んでいません。レジのカウンターの前にパイプ椅子を並べ、ぼくは
カウンターの中で歌いました。
オーナーの松村さんはまだ40代で、ぼくのライブをするのは3回目。セブンイレブンの本社から何を言われようとも、
今回は自分の店でライブを実現したいと思ったそうです。「これが最初で最後になりそうですが」と言っていました。
アンコールでは松村さんの思いつきで、セブンイレブンの制服を着て歌いました。制服は誰が着ても似合うように
できているのかもしれません。こんなことも二度とないでしょうね。

10月22日(土)「旭川市 じゃずそば放哉」

そばやのイメージからはかけ離れたお店です。だから「じゃずそば」なのかな。
奥にはグランドピアノのあるイベントのための部屋があり、バーには洋酒が並んでいました。
主催の岡崎くんは木工家具の職人で、ライブを企画するといつもたくさんのお客さんを集めてくれます。
コンサートを満員にするのはミュージシャンではなくて主催者なのだなと思います。
ぼくの歌は初めてという人も多かったと思うけど、お客さんの反応はとても素早い。会話が弾んだときのような感じ。
岡崎くんから聞いたのですが、「映画芸術」という季刊雑誌で、森達也さんが文章の中でぼくの「乾杯」を
引用しているそうです。ぼくはまだその記事を読んでないけど、今夜は「乾杯」も歌うことにしました。

10月21日(金)「札幌 やぎや」

句会の翌日に横浜に戻り、今日から北海道3か所ツアーです。ハイエースで同行してくれるのは札幌の木下さん。
今日は札幌の里山と呼ばれている小別沢のレストラン「やぎや」のライブラリーでライブ。札幌駅から5キロ
ぐらいなのに、そこは別世界。やぎがいて牛がいて黒ブドウがたわわ。「やぎや」の永田勝之さんはそこでの暮らしを
里山プロジェクトと呼んでいて、ライブの前半に永田さんの詩を少女二人が掛け合いで読むパフォーマンスがありました。
永田さんはオートハープを弾いていた。
ライブのあとの食事会では、永田温子さんの作った小麦のだんごのようなものや、かぼちゃとヨーグルトのお菓子、
北海道の「おぼろづき」というお米を使った焼き飯。もち米みたいでとてもおいしいお米。
夜になるとあたりは山の生き物たちの世界。車で来たお客さんたちも暗闇の中をこわごわ帰って行きました。

10月18日(火)「句会」

月例の火星の庭句会。いい句がたくさんそろいました。それにしても長く続いている。16年も。
今夜はめずらしいことにぼくの俳句が最高得点でした。もしかしたら初めても。

10月17日(月)「ギター」

先月のいわきのライブの後、ぼくとユミは仙台に戻らずに常磐線で横浜に帰ったので、
仙台に車で戻る佐藤ヒロユキさんにぼくのマーチンを預かってもらいましたが、今日それを届けてもらいました。
近所のコンビニの駐車場。こういう会い方って地元っぽくていいなと思いました。

10月14日(金)「古書展」

金港堂という新刊書店の2階で開催中の古書展に行きました。
仙台は頻繁に古書展やレコード市が開かれる街です。いつ訪れても何かをやっている。
古書店にはそれぞれ特色があるから、たくさんの書店が集まると思わぬ本に出合うことができ、
思わぬ値段で買えたりします。

10月13日(木)「川っぺりムコリッタ」

昨日仙台にやって来ました。
パスカルズが音楽をやったという「川っぺりムコリッタ」、横浜の映画館は上映時間が朝8時半と
早かったので、仙台で見ることにしました。仙台も朝9時半からと早く、がんばって早起きをして
ユミと見に行きました。映画館は長町というところにある巨大なモールの中。施設自体はまだ営業前の時間で入口は閉まっていて、
建物の中の映画館までの行き方がわからず、ちょっと途方に暮れました。
映画はとてもていねいに作られていて、歩調を合わせるようにパスカルズの音楽も良かった。
特に知久くんの作曲したテーマ曲は心に残ります。出演者として映画の中でも大切な役割でした。
満島ひかりさんも良かった。バタバタとしたこの人の歩き方が好きです。
「ここ以外に帰るところなんてありませんよ」と松山ケンイチが言うハイツムコリッタ。
そこで暮らす人たちの行き止まりからのささやかな出発。一緒に歩きたくなりました。

10月8日(土)「高松市 オリーブホール」

3年ぶりの高松オリーブホール、今回は飛行機ではなく新幹線や特急を乗り継いで四国に来ました。
リハーサルの前にさっそく讃岐うどんを食べました。
長かったコロナの自粛が明けて全国のライブハウスはどこもライブラッシュ。
なのにコロナ以前のお客さんはまだ戻らない、とオーナーの佐藤さんは言っていました。
供給過多状態のデフレです。
でも来てくれたお客さんは楽しんでくれたみたいで、大きな声で一緒に歌っていた人も
いたそうです。

10月7日(金)「浜松市 エスケリータ68」

エスケリータに歌いに行くのは今年2回目。エスケリータの後藤さんがいつも誘ってくれるので、
ぼくもつい何回も歌いに行ってしまいます。こじんまりとしたとてもいいお店。食べ物もおいしく、
ユミはライブの前も終わってからも注文するので、色々食べられてうれしいです。
お客さんもすごく近いところにいて、歌を聞くというよりも話を聞きに来ているような感じ。
ぼくの歌と話の境目がなくなります。

10月3日(月)「パスカルズ」

半年ぶりのパスカルズを横浜のサムズアップで聞きました。
知らないうちにたくさんの映画やテレビドラマの音楽をやっていてびっくり。
今日はそんな映画やドラマで使われた曲をおもにやる日でした。
公開中の映画「川っぺりムコリッタ」でもパスカルズは音楽をやっていて、知久くんは
出演者でもあります。
映画の監督さんと出演者の満島ひかりさんも聞きに来ていました。
満島さんとはミュージカル「100万回生きたねこ」でぼくが作詞を担当したので一緒に仕事を
したのですが、そのあと突然神戸のライブに聞きに来てくれたときが最後だったかな。
あれからどれくらいたったのか、会って話をしてうれしかった。
これは映画も見に行かなくては、と思いました。

9月30日(日)「横浜 サムズアップ」

今日はサムズアップでの久々のソロでした。いつもならソロでも誰か親しいミュージシャンと何曲か一緒に
演奏したりするのに、今日は最後まで一人。お客さんにはつまらないかな、と心配になったけど、
アンコールの前の力強い拍手は、決してそうではなかったということを物語っていたように思いました。
アンコールでは急激な空腹を感じて、普段はライブ中にアルコールは飲まないのですが、つい赤ワインを注文して
ステージで一口飲みました。ワインを飲めば声が良くなるかと思ったけど、そうでもなかったな。

9月27日(火)「スパパーン」

安部元首相の国葬に反対する音楽とシンポジウムの集まり。ぼくの予想に反して会場のBuddyはびっしり満席でした。
初めて聞く「太陽肛門スパパーン」、ぼくを誘ってくれたのはこのバンドの花咲さんです。
男子メンバーは白のブリーフ一丁がステージ衣装らしくて、みんなその格好で演奏していました。
花咲さんがボーカルで、演奏はきちんと編曲されたジャズでした。
シンポジウムでは5人が国葬への疑問点を語っていきます。それぞれがそれぞれの視点を披露しておもしろかった。
シンポジウムの後に歌うことになっていた曽我部恵一くんは、安部元首相が殺されたときの娘たちの反応と
自分の気持ちの違いを体験談として話していて、ぼくには歌を聞いているようでした。
曽我部くんはリハーサルでは思いっきり叫んでいたのに、本番はとてもコントロールされた歌い方で、
表現者としての豊かな持ち味を感じました。
ぼくは「銀座線を探して」など最近の歌の合間に、花咲さんからリクエストされていた「乾杯」を歌いました。
花咲さんは今回の事件の直後、ぼくのこの歌をとても聞きたくなったのだそうです。
盛りだくさんで熱い熱いコンサートでした。参加できてよかったと思います。遠方からの友達や普段あまり
会えない友だちにもたくさん会えました。

9月23日(金)「京都 磔磔」

今日はまったくのソロライブでした。でもグリーンズの鏡さんの提案で、磔磔の配信の機材を使ってライブ映像を
収録することになっていたので、普段のソロの気楽さとはちょっと違う感じ。
もしかしたら昨日のシャングリラのように気楽に歌えていなかったかも。これからも磔磔でやるときは毎回映像を
残そうということになりました。次の磔磔は来年の2月23日。このときはなんとぼくが磔磔の厨房でポテトサラダを作らなくてはなりません。
ライブタイトルは「ポテトサラダを食べに来ませんか」になりました。

9月22日(木)「大阪 シャングリラ」

前半をソロで、後半をパーカッションの高木太郎くんと二人で演奏しました。
ギターとパーカッションだけなんて、ジョナサン・リッチマンみたいだけど、これがおもしろいのです。
簡単なパーカッションのセットで、と言っていた太郎くん、当日にはドラムセットとジャンベとカホーンを
舞台に組んで、曲に合わせたやり方でセッションしてくれました。それが予想以上に素晴らしかったとユミから
聞いて、ぼくも客席で聞いてみたかったと思いました。

9月20日(火)「宮沢章夫さん」

宮沢章夫さんが亡くなりました。亡くなったことは出版社の人から知らせを受けていたのですが、仙台に滞在中のため
16日のお葬式にも行けず、公けにされるまで気持ちの中だけのお別れをしていました。ぼくは宮沢さんの作品をすべて
見たわけではなく、彼の前半の活動についてはほとんど何も知りません。知り合って遊園地再生事業団の芝居を見に行くように
なり、カルチャーセンターで対談をしたり、ぼくの企画の詩の朗読会に誘ったり(DVD「LIVE! no media 2006」に収録)、
彼の本を読んだりしていました。ちょっとはずした言葉遣いがおもしろく、彼の特徴になっていたと思います。
会う機会は多くはなかったけど、ぼくの部屋には彼が残した本がたくさんあって、それはこれからも彼と過ごす時間が
残っているということなのだと思います。
最後に見たのは2018年の「14歳の国」でした。せめてあと一作、新作を見たかった。

9月19日(月)「いわきSONIC」

前日水戸でライブのあったリクオとPAの佐藤ヒロユキさんの二人といわきの「クラブ・ソニック」で合流。
ぼくとユミは仙台から常磐線の各駅列車で行きました。駅名をたどりながら宮城から福島へと徐々に
移動して行くのが楽しい。
今日はいわきのシンガーソングライター、三ヶ田圭三くんも参加。三ヶ田くんとリクオが二人でやった
ミチロウの「浪江」と、リクオの原子力発電所の歌がすごくよかった。
台風の影響でお客さんは多くなかったのに、来てくれた人たちはぼくたちの歌にノリノリで、それだけで
とても満ち足りた気持ちになりました。
今年はひょんなことからリクオとのライブが多かったけど、今日のいわきで一応今年の予定は終了です。
今までぼくのライブはソロが好きだという人が多かったけど、今回はリクオとのセッションがよかったという
お客さんが多く、これからも誰かとのセッションも大切にしようと思いました。

9月17日(土)「リクオと待ち合わせライブ」

リクオとぼくのライブを仙台のアジアントライブでやりました。
それぞれ45分ずつのソロと、アンコールを合わせると7曲の二人のセッションという構成でした。
前日京都でソロのライブがあったにもかかわらず今日のリクオは初々しく、58歳の誕生日にふさわしい演奏でした。
ぼくは2週間ぶりのライブで、普段はしょぼしょぼの声が水を得た魚のように生き返りました。
リクオは東北でのライブということでか、遠藤ミチロウの「ジャスト・ライク・ア・ボーイ」を歌いましたがとてもきれいでした。
ライブ終了後にはバースデイケーキにろうそくを灯してお祝い。

9月11日(日)「武藤良子 百椿図」

昨日から仙台に来ています。
イラストレーターの武藤良子さんが石巻の「まちの本棚」と仙台の「火星の庭」の2か所で「百椿図」という
個展をやっていて、石巻から東京に帰る途中1時間ぐらい火星の庭に立ち寄るというのでユミと一緒に
会いに行きました。火星の庭に展示された武藤さんの絵を見ながら、武藤さん、往来座の瀬戸さん、火星の前野さん、
ぼくとユミの5人で時間の許す限りにぎやかに飲んだり食べたりしました。
もともとはユミが好きだった武藤さんの絵ですが一回見ただけでぼくも好きになり、部屋にかけておきたいな、
と思った絵は残念ながら非売品でした。
武藤さんの全開の笑顔に隠れた繊細な部分がどの椿の絵にも見てとれます。
2か所とも10月17日までやっていますよ。

9月8日(木)「BankART 1929」

今年3月に突然亡くなったBankART1929の池田修さんが生前企画していた二つの展覧会を、
横浜みなとみらいの馬車道にあるBankART KAIKOと新高島駅にあるBankART Stationに見に行きました。
最初に鷲見和紀郎「brilliant corner」を。ブロンズやワックスなど様々な素材の彫刻はどこか遊んでいるような、
いたずらっぽさのある作品でした。鷲見さんとは会場で初めてお会いしましたが、1950年生まれでぼくと同じ。
ひょろっとした人懐っこい人で、池田さんと同じ横浜のBゼミの出身だそうです。
そのとき鷲見さんから紹介された杉浦さんという人は、ぼくの「誰もぼくの絵を描けないだろう」のアルバム
ジャケットを撮影した人でした。杉浦さんに会うのは1974年の年末の撮影のとき以来で、本当にびっくりしました。
その後新高島まで歩いて、BankART Stationの北島敬三「UNTITLED RECORDS」を見に行きました。
色のないカラー写真の世界が寒々としてとても美しかった。津波で残ったという陸前高田の駅前の建物の写真に、
今年の2月に陸前高田に行って実際にこの建物を見てきたぼくとユミはうれしくなりました。

9月6日(火)「胃と大腸の内視鏡検査」

横浜の病院で大腸と胃の検査を受けました。内視鏡の検査は生まれて初めてです。
前の晩の夜9時に飲んだ下剤でお腹が痛くなり、いやだなあと思いつつ、翌朝は8時から
2リットルの下剤を飲みました。
検査は麻酔で完全に眠ってしまい、気が付いたら両方とも終了していました。
結果、腸には何の問題もなく胃に小さな潰瘍がみつかりました。
これで毎朝飲む薬が二つ増えました。

9月4日(日)「3KINGS 代官山」

3KINGSのこの夏の最後のライブは代官山の「晴れたら空に豆まいて」でした。
今日は鮎川くんが「ライク・ア・ローリング・ストーン」をやろうよ、と
リハーサルで言ってくれました。55年以上たってもこの歌の生々しさは年をとらない。
おもしろかったのは、アンコールの「夕日は昇る」の最後のところ。
いつもなら3人の生の歌声だけになって終わるところが、もう一度ギターで盛り上げて終わったのが
良かった。こういうのが演奏のおもしろさだと思います。初めて磔磔で3人でライブをしてからいつのまにか6年がたちました。
とてもおもしろいバンドになってきた気がします。

8月28日(日)「北海道マラソン」

オリンピック関係で2年連続開催されなかった北海道マラソン。今年は過去最大の参加者2万人だそうです。
仙台Buddy Buddyの店長の間瀬くんや小樽のつかさくんという若者は今日初めてフルマラソンを走ります。
応援はユミと小樽「ぐるぐる」の手塚くん、札幌のマチ子さんと絵理さん。3年ぶりに集合した強力な応援仲間。
スタート時の気温は23度。予想より少し高い。湿度は78パーセントで空はどんよりとしています。
スタートしてからの10キロはいつも通りの快走です。先のことが心配になってくるのが15キロを過ぎたあたり。
そこで折り返してきた先頭グループとすれ違いました。すでに30キロ以上走ってきたとはとても思えないような
すごいスピード。あの人たちには距離なんて関係ないのかも。
復路の29キロあたりにユミたちがいて、腹ペコのぼくは塩のかかった西瓜とコカ・コーラとアミノバイタルゼリーをもらい、
気分も体もかなり回復して大通公園でフィニッシュ。20年もマラソンを走っているけれど初めて4時間を超えてしまいました。
夕方札幌のBuddy Buddyで、完走した間瀬くんやつかさくん、応援してくれたみんなと楽しかった北海道マラソンに乾杯しました。

8月27日(土)「北海道マラソンの前日」

ユミと午後の便で千歳に向かいました。札幌のホテルにチェックインして大通公園のEXPO会場へ。そこでナンバーカードと
Tシャツをもらいます。
それから狸小路の餃子屋に行きました。ユミは生ビールを頼んだけど
ぼくは一週間禁酒しているのでノンアルコールビール。
水餃子も焼き餃子もおいしかった。苦しいくらいお腹がいっぱいです。そのままホテルに戻り明日は5時半起きなので寝ました。

8月23日(火)「エイコさんとうまいもん屋」

先日チキンジョージのライブに来てくれたエイコさんと東京の築地で会うことになりました。
エイコさんは娘と一緒に3年ぶりの日本で、友達に会ったり実家に戻ったりニューヨークの職場の用事をしたりと
忙しくしています。今日はニューヨークで知り合った友達が集まりましたが、いつもセントラルパークや
ニューヨークシティマラソンを走っていたランニング仲間です。
日比谷線築地駅そばの「うまいもん屋」という定食屋に8人で行きましたが、まだ時間が早かったので座れました。
ぼくはなかおち丼、ユミはシラス丼、他の人たちは煮魚定食や焼き魚定食、マグロかつ定食などを頼んでましたが
どれもすごいボリュームで、聞けば店のご主人はトライアスリートだとか。真っ黒に日焼けしていました。
ぼくたちがみんなランナーだってこと分かったのか知らないけれど、ぼくたちが外に出るとご主人も一緒に出て来て、
「今度の日曜は支笏湖のトライアスロンなんだ」と言うので、「ぼくは札幌で北海道マラソンですよ」と言ったら、
「千歳は混むだろうな」と本当に元気な人でした。食べ物だけではなくうれしい出会い。

8月19日(金)「3KINGS、京都磔磔」

今日も若干の曲の入れ替えがありました。久しぶりだったのは鮎川くんのサンハウス時代の「ぬすっと」。
初めてこの曲を3KINGSでやったのは6年前の磔磔でした。3人が初めて一緒に演奏したライブで、鮎川くんのギターの
音量の大きさにまだ慣れていなくて、「ぬすっと」で吹いたぼくのハーモニカが自分でまったく聞こえなかったのを
覚えています。今日はハーモニカもアコースティックギターも歌もとてもよく聞こえました。
今日のライブは配信もあります。遠くにいてなかなかライブに来られない人にも便利なシステムだと思います。
特に今日のようないいライブはぜひ見てほしいです。

8月18日(木)「神戸チキンジョージの3KINGS」

3KINGSでは初めての、ぼくにとっても久しぶりのチキンジョージ。休憩のないぶっ通しの2時間ライブでした。
今日はいつものレパートリーから演奏する曲を1曲入れ替えました。
売り場面積の小さい本屋みたいです。
「旅は終わり」をやめて、三宅くんとぼくの共作「雨の降る日には」をやることにしました。
始まって6年目になる3KINGSは普段ライブの数が少ないので、まだまだ初々しい気持ちになれます。
目下帰国中でライブを聞きに来てくれたニューヨークの友だちも、大いに楽しんだみたいです。

8月13日(土)「四日市 veejay」

リクオとぼくと、伊勢でコーヒー店を営む外村くんの3人のライブ。
だいぶ前のことだけど、この3人で伊勢の外村くんのお店「カップジュビー」でもライブをしたことがあります。
veejayはぼくは初めてのお店。グランドピアノがあって雰囲気はいかにもジャズのライブハウスという感じです。
でもスケジュールにはジャズだけではなくいろんなタイプのミュージシャンの名前が。スタンドアップコメディアンの
ナオユキも来ているみたいです。
席数の限られた狭いお店で、できるだけたくさん座って聞けるようにお客さんを配置するマスターの動きに
目を奪われました。開演前にはきっちり満員になりました。
久しぶりの外村くんのしぶい声とストーリーのある映画のような歌がよかった。自分を全開に持っていくリクオの
演奏もどこかかわいらしくてよかったな。

アンディ・アーバインと結婚してアイルランドに住んでいる、四日市出身の平田久美子さんが弟の雅士も一緒に

来てくれたのもうれしかった。ぼくとユミはアンディと久美子さんと、ニューヨークや京都や東京で
会ったことがあります。

8月12日(金)「3KINGS、名古屋得三」

なんだか久しぶりの3KINGS、そして1年ぶりの名古屋得三です。
三宅くんの5日間のイベントの3日目。やる曲は開場ぎりぎりまで全部リハーサルしました。
鮎川くんはマーシャルが不調なので得三にあった小さめのアンプを使っていました。ギターのフレーズがよくわかり、
霧が晴れて隠れていた山の全容が見れた感じ。鮎川くんのギターの魅力は音量ではないのだと思いました。
得三のお客さんの拍手は受け身の拍手ではなく、積極的な参加型の拍手です。
予想以上のお客さんの数にも、得三のお客さんの積極性を感じました。

8月8日(月)「僕は歌う 、青空とコーラと君のために」

佐賀から福岡のホテルに戻って、ユミが何気なくつけたBSのテレビにくぎ付けになってしまった。
バンバンの黒川くんから別れる前にもらった麦焼酎の小瓶を水割りで飲みながら途中から見たのだけれど、
どんなお芝居なのかはわからないまま、ぼくとユミはテレビの前で観客となって最後まで見てしまいました。
タイトルは「僕は歌う、青空とコーラと君のために」。劇団「ヒトハダ」の旗揚げ公演だそうです。
最初から見られなかったのでストーリーはよくわからないのですが、アメリカ国籍を持つハワイ生まれの日系人が、
アメリカ兵として朝鮮戦争に行くことになり、彼がいたFour Heartsというコーラスグループは空中分解。
メンバーには在日韓国人もいて、僕の同胞を殺しに行くのかというつらいシーンでユミはもらい泣きしていました。
やがて片腕を失って戻ってきた彼は、現地で体験した信じられないような残酷な出来事に歌う心まで失ってしまっていた。
主人公を演じるのは大鶴佐助、この人の演技が胸に迫り、一夜明けた福岡空港のロビーで搭乗時刻を待っていても、
頭から離れないのです。こういう身をよじるような葛藤は、舞台で生身の人が演じないと伝わらないものなのかもしれない、
ということに気づかされました。

8月7日(日)「佐賀市 Rag.g」

Livlaboの興奮をそのままハイエースに積み込んで佐賀のRag.gに乗り込みました。黒川くんは佐賀の人たちにとっては
サプライズのゲスト出演、のりのりの演奏でした。
最近、歌はレコードで聞いたことがあるけど生は初めてというお客さんにライブ会場でよく出会います。何気なく記憶の
片隅に残っていた歌を、生で聞きたくなったのかもしれません。
福岡への帰り道、福島くんとユミとぼくとでうどん屋さんに寄ったら、別の車で帰った黒川くんファミリーが店内にいて、
最後まで楽しいバンバンツアーでした。

8月6日(土)「福岡市 LIVLABO」

福岡のバンバンバザールの拠点、Livlaboでライブをしました。ゲストはバンバンバザールの福島くんと黒川くんです。
前半は1時間ぐらい一人でやりました。「ジェリー・ガルシアの死んだ日」がこのところとても気持ちがいい。
後半はバンバンの二人と。「ニューオーリンズにて」や「風呂屋」など、ぼくが福島くんと知り合ったころのバンバンの
歌も3人でやりました。
好みの自分たちの音を曲に合わせて演奏するこういうかたちのセッションがとてもすてきです。お手本があるわけではなく、
気持ちを素直に表に出せるような演奏。バンバンと一緒だとこれが自然にできてしまうのがうれしい。
この宝物をハイエースに積んでいつか旅をしたいものです。

8月5日(金)「どんと祭」

恵比寿のリキッドルームで、2000年に37歳で亡くなったどんとの、生きていれば60歳を祝うコンサートが
ありました。生きていても死んでいても時間のたつのは同じなのですが。
元ボ・ガンボスのkyon、永井くん、岡地くん、ローザ・ルクセンブルグの玉城くん、シンガーのうつみようこさんを
中心としたメンバーに、いろんなゲストが歌で参加しました。
リハーサルの段階では何も具体的なものが見えなかったのに、本番が終わってみるとちゃんと形になっていたのは
音楽監督のkyonの力なのだと思います。
出演者は全員どんとの歌を歌ったけど、ぼくはさちほさんにリクエストされてどんとが好きだったぼくの歌を歌いました。
小山田荘平くんという若いシンガーと二人で「どうして旅に出なかったんだ」を、それからボ・ガンボスや玉城くん、うつみさん
と「朝は詩人」を歌いました。94年にボ・ガンボスと一緒にレコーディングしたこの歌はずっと色あせることなく、
今でもずっとぼくは歌っています。
全体が4時間半という長丁場でしたがぼくの想像を絶するとても生き生きとしたコンサートになりました。
すでにこの世にはいないどんとが、あんなに多くのお客さんとミュージシャンを一つにした稀有な体験でした。

7月30日(土)「大阪・ムジカジャポニカ」

毎年7月はムジカジャポニカの周年月間、16周年の今年もせい子さんから声をかけてもらってソロで歌いました。
暑い暑い大阪なので、今日は「ジェリー・ガルシアの死んだ日」など夏にちなんだ歌でライブをはじめ、休憩のあとは
せい子さんもカバーしてくれた「こわれてしまった一日」など歌詞カード不要な歌を中心に歌いました。
そしてつくづく、歌詞を見ないで歌いたいものだと思いました。それにはライブで何回も歌う必要があるけれど。
(今日の「朝は詩人」のように、何百回も歌ったのに突発的に間違える場合もありますが)
大阪では9月もシャングリラでソロのライブが決まっています。今日お客さんで聞きに来てくれた高木太郎くんや
ムジカのせい子さんも飛び入りするよ、と言ってくれています。

7月28日(木)「京都・拾得」

リクオと二人での拾得はコロナ感染者が急増しているさなかでしたが盛況でした。予定の曲を終えたときには午後9時で、
急きょアンコールの「アイ・シャル・ビー・リリースト」は二人で生音でやることにしました。
お店側はあと1曲ぐらいいいよと言ってくれたのですが、生音がおもしろかった。映画を見て映画館から外の通りに出た感じ。
拾得はお客さんが個性的だねとぼくが言うと、「京都でも地方色が色濃くあるお店」とリクオが言っていました。

7月23日(土)「名古屋・得三」

リクオの3日間のイベントの2日目にぼくとおおはた雄一くんがゲストで出ました。
前半35分のリクオのソロは良かった。喋りのような歌と歌のような喋りにリクオの成長を感じました。
後半はおおはたくん、ぼくとのセッション。それから3人全員でのセッション。
いつからかぼくは一緒に演奏する人の楽器を聞きながら歌うのが気持ち良く、今日は「はじめぼくはひとりだった」
をリクオのピアノだけで歌いました。(これはユミのアイデアです)
リクオはおおはたくんのギターが繊細なので、ピアノの弾き方に気を使うそうです。3人それぞれのいいところが、
コツンコツンと乾杯しているような夜でした。

7月20日(水)「リクオとのライブ」

4月のリクオバンドとの横浜サムズアップライブがかなり面白かったこともあって、この夏はぼくとリクオの
ライブが目白押しです。まずは今月23日の名古屋得三、おおはた雄一くんもやって来ます。
28日は京都の拾得、これはぼくとリクオの二人で、8月13日は四日市。伊勢で喫茶店を営むリクオの学生時代の
歌仲間外村くんも歌います。9月は仙台、いわきとリクオと一緒にやります。
どれも違う内容なので、どこかに見に来てくれたらうれしいです。

7月18日(月)「ミサキドーナツ」

古さが新しい町三浦半島三崎にある「ミサキドーナツ」でライブをしました。
3年前は七尾旅人くんと一緒でしたが今回はソロ。「まちは裸ですわりこんでいる」から「銀座線を探して」
まで、ぼくの歌ってきた50年を振り返るような内容の曲を歌いました。
歌う前の腹ごしらえはドーナツとソフトクリーム。ライブの休憩では外に出て海風を清涼飲料のように浴びました。
終演後は主催の藤沢くんのお店「ミサキプレッソ」で食事会。夜の海のようにカラフルで新鮮なものを食べました。
仙台にいても思うけど、新鮮な食べ物の近くで暮らせたらしあわせだと思います。

7月15日(金)「夕日よ昇れ」

代官山の「晴れたら空に豆まいて」で有山じゅんじとのライブ。有山くんと二人のライブはほぼ20年ぶりです。
過去に一緒にライブでやった曲を探したらかなりの曲数になりましたが、今夜はその中からわざわざやらなくても
いいか、というのを除いて7曲ぐらい一緒にやりました。
最初に「気持ち」「涙」を二人でやって、そのあとは有山くんのソロ、2部はぼくのソロの後、有山くんと二人で3曲、
アンコールでさらに2曲という構成でした。
会場は満席でコロナによるキャンセルもほとんど影響なかったそうです。二人でのライブは久しぶりなので、
リハーサルのような本番になるのではとぼくは予測していたけれど、その通りになって面白かった。完成品はいつか
またの機会に聞いてもらえると思います。それまでは練習が何回あってもいい。ライブの一番いい部分をお客さんと
共有できたのでは、と思います。
久しぶりの共演で久しぶりの友だちにも会いました。うれしかったな。

7月13日(水)~14日(木)「シャンタル・アケルマン特集」

この特集の5作品すべてを見ることができました。13日にジャック&ベティで見た「ジャンヌ・ディエルマン」は
淡々とした暮らしの描写だけでも十分におもしろいのに、結末には「なんで?」とつい声にしてしまいそうな
ぐらい驚かされました。淡々とした主婦であり母でもある女性の日常は、日本で暮らすぼくたちのものとほぼ同じで、
映画の中の現実を見ながら現実の中の虚構を見せられている感じ。
14日に見た「囚われの女」はプルーストの小説が原作だそうですが、ぼくはこの監督は自作の作品の方がほかに
比べるものがなくて好きでした。5作品すべてをユミと見て、ぼくのつけた順位とユミのとでは違うだろうな、
とそれが知りたくなりました。

7月13日(水)

森山直太朗くんから誘われて、二人で歌った「こわれてしまった一日」がYOUTUBEで公開されています。
収録場所は早稲田大学の村上春樹ライブラリー。両端に書架がある、天国から降りて来るような階段で歌っています。
イタリアの教会みたい(行ったことはないけど)。直太朗くんは路地裏の子供のように座って歌い、ぼくは旅行者のように
立って歌っています。
にっぽん百歌 https://youtu.be/MzdGC0gxAuI

7月12日(火)「アンナの友だち」

エアコンの水漏れ問題があって横浜に戻りました。電気屋さんに来てもらったけどどうもエアコンの故障ではなく、
部屋の気密性が高すぎることによる問題のようです。レンジフードを使うときは気を付けるようにしなくては。
 
夜はジャック&ベティにアケルマンの「アンナの出会い」を見に行きました。
主役の女性がとてもすてきでした。あと、ドイツからパリまでの夜行列車の旅で、昔ぼくがパリからベルリンまで
列車で行ったときのことを思い出しました。ヨーロッパの鉄道の旅はとても深い夜のようです。その中で人は今でも
覚めない夢を見ているんだと思います。
ジャック&ベティの周辺も夜になると外国のようで、それはたぶんタイや韓国など外国の人たちのお店が多いから
かもしれないけど、やはり夢を見ているような気になります。ユミが言うにはウクライナ料理のお店もあるそうです。

7月10日(日)「句会」

月に一度の火星の庭句会。今夜は持ち寄りの食べ物の数が多くてお腹がいっぱいになりました。
主宰の渡辺誠一郎さんの、ぼくたちの俳句への指摘もいつものように的確で、まあこれはそれぞれの人の
持ち味なんだろうなと最近は考えるようになりました。

7月9日(土)「オルメイヤーの阿房宮」「レコードを聞きながら」

アケルマンの映画二作目です。先日の「私、あなた、彼、彼女」に比べると物語性の強い映画です。
なのにセリフはやはりつぶやきに近い。映画としてはかなり無口だし、ストーリーには
説明がないので見ながら戸惑いを覚える場面が多い。
こんなアジアの熱帯まではるばるやってきて、地元のアジア人との間に混血の娘までつくっても、
白人はあくまでも白人であろうとして自分たちの価値観を押し付けるだけなんだなあ、と
思わせる映画でした。たぶんこれがこの監督の言いたかったことなのでは。
植民地化とはいったいどういうものだったんだろうか。

夜はSuper Goodという8人ぐらい入ればいっぱいのお店に及川くんと佐藤さんと3人で行きました。

かけているのは60年代、70年代のアメリカのブラックミュージック。LPから1曲ずつ
いろいろかけてくれます。選曲にはストーリーがあるのか、迷いが生じると
「何かリクエストは」とたずねられます。小さな店なのでそんなやりとりも可能です。

7月7日(木)「病院」「映画会」

1年前に入院した仙台の病院で半年ぶりに診察を受けました。血液検査をしてその数値で現在の体調を
みてもらう。若干赤血球が足りないそうです。
診察が終わると雨でした。入院時に窓から眺めた雨を思い出しました。

ホルンの澁谷さん、夏海さん、火星の庭の前野さんたちとうちで映画会。3日のライブにも来てくれた及川くんも参加。

澁谷さんがもってきた「風」という無声映画はおもしろかった。「今年見た中では一番」と澁谷さんが
言っていました。
もう一本はやはりアメリカ映画で「Be Kind Rewind」。VHSがDVDに代わる頃の、ニュージャージー州の
小さな町のビデオ屋の話。ファッツ・ワーラーにゆかりのあるあたりだそうです。ぼくとユミはこの映画を
ニューヨークのレンタルビデオ屋で借りて見てすごくおもしろかった、という記憶があったにもかかわらず、
最高に素敵な最後の場面をぼくはすっかり忘れていて、初めて見る及川くんと同じくらい感動しました。

7月6日(水)「シャンタル・アケルマン」

ぼくはまったく知らない映画監督でしたが、ユミがとても見たがっていて一緒に行くことにしました。
ベルギーの女性監督で、本人が主演している最初期の作品「私、あなた、彼、彼女」です。
映画は本を読むように進んでいきます。登場する人たち全員がほとんど無口なのに、物語はセリフが
中心なのがおもしろい。心のなかのひとり言を聞くみたい。誰かに話しかけているシーンもあるけど
音はほとんど聞こえない。自分の中の窓を探し、その窓から世界を眺める。
女同士のベッドシーンもなめらかでとてもきれいでした。静かな静かな映画。

7月3日(日)「仙台 Mix Up and Blend」

ボーズカフェとグルーブカウンシルの共同制作のライブイベント、今回が6回目だそうです。
出演は山形から少太、東京からBABA(真城めぐみ、うつみようこ)、そして友部正人でした。
会場のジャンクボックスは2年前に3KINGSを企画してコロナで中止になったので、ぼくは今日が初めてです。
少太、BABA、友部正人という順で進んでいきます。BABAはABAのもじりだそうで、ABAの曲のSEから
始まりました。途中からベースの金戸覚と山口洋(シークレットゲスト)も入って4人バンド。
「満月の夕べ」もやりました。
ぼくの83年のアルバム「ボカラ」のディレクターだった及川くんが聞きに来てくれたので、今日はその中の
「遠来」から始めることにしました。知らなかったけど、及川くんは真城さんのロッテンハッツのマネージャー
だったこともあるそうです。そのままソロで5、6曲やって最後に真城さんと2人で「こわれてしまった一日」。
アンコールは全員で「ブルース」をやりました。
原画のないジグソーパズルのようなコンサートでしたが、だからこそ意外なものができた気がします。

6月27日(月)「丹波篠山」

気遊のゲストハウスに泊まった大塚まさじ、まり夫妻とぼくとユミで、大塚ちゃんたちの暮らす丹波篠山の一会庵に
そばを食べに行きました。ぼくも大塚まさじもライブをしたことのあるお店です。お店とはいっても外観は茅葺の古民家、
すっかり明け放した縁側で風鈴が鳴っています。
そんな一会庵の店主藤田さんの打ったそばとそばがきのぜんざいを食べて、風鈴の音を聞いていたら、手の空いた藤田さんが
来て満面の笑顔で話してくれます。「黒豆が届く12月下旬は必ず家にいるようにしています。」とユミが言うと、「今年の
黒豆の種まきはちょうど終わったばかりです。」と藤田さん。藤田さんの笑顔は藤田さんの畑でとれた最良の野菜かもしれません。
大塚ちゃんたちに篠山の市街地を案内してもらいました。気遊までライブを聞きに来てくれた小谷さんの材木屋にも行きました。
30分に1本という帰りの電車がずるずると後になっていきます。
そのまま篠山にもう一泊、なんてことにはならないよう、青木百貨店という地元では有名な金物屋でざるを買って、
ぼくとユミは篠山口から新大阪に向かいました。

6月26日(日)「能勢町 気遊」

オーナーの井上さんが五黄の寅年で、出演者のぼくも大塚まさじも五黄の寅年、めでたいのかどうかわからないけど、
お祭りのような雰囲気に誘われて大勢の人が聞きに来てくれました。
最初に大塚ちゃんがソロで1時間ばかり演奏して、後半は大塚ちゃんの「港のはなし」(作詞:友部)を二人でやってから
ぼくのソロ。大塚ちゃんがプロデュースしてくれた1976年のぼくのアルバム「どうして旅に出なかったんだ」(今のタイトルは
「1976」)から「はじめぼくはひとりだった」と「君のからだはまるで」を歌い、最後に大塚まさじの曲にぼくが詞をつけた
「シャバダバBaby」を一緒に演奏。アンコールは二人で「男らしいってわかるかい」「プカプカ」をやりました。
大塚まさじと二人だけでライブをするのは多分3回目。長い付き合いの割には極端に数が少ない。これはライブが入り込む
余地のないほど違和感のない友人同士だったからなのかも。なにせ二人が19歳の時からの付き合いだから。
でもやってみると楽しかったので、次は12月に二人で神戸でやろう、ということになりました。

6月25日(土)「加古川市 チャッツワース」

新幹線を西明石で在来線に乗り換えて加古川に。ぼくは3年ぶり、ユミにとっては5年ぶりのチャッツワースです。
水出しの冷たいダージリン茶で喉をうるおしてからリハーサル。客のいない客席が耳をすましています。
ライブが始まると、お店の人も岸本さん家族も全員が出口のあたりに椅子を置いて聞いてくれています。
毎回ライブのたびに全員がきちんと歌に向き合ってくれる、これがチャッツワースのライブの特徴です。
そして休憩時間には何か感想を言ってくれる。それがとても自然なのでうれしい。
ライブのあとの食事と語らいの時間、それぞれの近況報告、打ち上げというにはあまりにもなごやかな夜でした。

6月19日(日)「池田修さん」

3月に突然倒れてそのまま亡くなったBankART1929の主宰、池田修さんの追悼イベントに行きました。イベントは19日までだったので、
仙台から18日に横浜に帰って来ました。
会場はみなとみらい線新高島駅のBankART Station、たくさんのアーティストが池田さんを偲んで制作した作品がどれもすばらしい。
ぼくとユミが池田さんと出会ったのは、2004年にBankART1929がスタートした頃だったので、それ以前の池田さんのしてきたことや、
若いときの写真をこの会場で初めて見ました。まるまる太ってにこやかなぼくらの知っている池田さんは、若いときからずっと続けて
きた活動の総集編みたいなものだったんだな。「過激なことをするときはきちんとやらなければ続かない」という池田さんのモットーの
ような言葉が展示されていて、この人はすごい人だったんだなあ、と改めて感心しました。様々なライブやイベントをBankARTで
やらせてもらったこと、思い出は尽きないです。池田さん、ありがとう。

6月17日(金)「山つなみ、雨間の語らい」

宮城県丸森町の齋理屋敷に、小森はるかさんと瀬尾夏美さんの展示作品を見に行きました。
火星の庭の前野久美子さんが車を運転して、同乗者はぼくとユミとホルンの工藤夏海さんです。
阿武隈川の流れる丸森は昔から水害の多いところだそうです。それでも2019年10月の台風19号による被害はとりわけ大きかった。
阿武隈川の支流の十何か所が決壊して山からの土砂が民家を押し流した。丸森の水害を、民話、自然の乱開発、大規模太陽光発電
などに焦点を当てて、資料や映像作品を展示していました。
山から土砂が流れてきた場所で暮らしていて被害にあった人たちにも会わせてくれて、瀬尾さん、小森さんと地元の人たちの
交流の深さを感じました。

ロバを飼っている山奥のスローバ書店にも行きました。ロバの名前はジャム、詩人のフランシス・ジャムからとったそうです。
人間の年齢なら70歳のおばあさん、顔の大きなかわいいロバです。座布団に寝転がって一日いたいような本屋でした。
そこの佐藤さん夫婦と瀬尾さんに誘われて、大規模太陽光発電の現場を見に行きました。土の地肌がむき出しの山頂を覆うように
設置された一面のソーラーパネルが不気味でした。これが山崩れの原因にもなるそうです。
得るものの多い丸森でしたがお腹の方は得るものがなく、全部見終わって夜になるころには全員とてつもない空腹に襲われ、
瀬尾さん行きつけの角田の中華料理屋までの道のりは遠かったけど助かりました。

6月16日(木)「句会」

歌もだけど、俳句も朝目覚めた時が勝負。だけどそれまでの、何も思いつかない午後などに準備はできていなくては
ならない。歌と違うのは何か季節が必要なこと。句会があるとぼくが今どんな季節にいるかを思い出します。
句会にはみんなが食べ物や飲み物を用意して集まります。食べ物もぼくがどんな季節にいるかを思い出させてくれます。

6月15日(水)「額」

ユミが火星の庭で買った春夏秋冬4枚セットのフェデレンコの版画の額装をFRAMEの卓くんに頼んでいたのですが、
今日受け取りに行きました。一枚の額の中に4枚が横に並ぶ素敵な作りです。さっそく大きな白い壁に掛けてみました。

6月13日(月)「仙台」

函館から新幹線で仙台へ。11日から仙台に来ていたユミと仙台駅で待ち合わせ。
ユミは11日に仙台に来て、チネ・ラヴィータで10日から上映が始まった伊勢監督の「いまはむかし」
を見に行きました。11日は上映の後、伊勢監督が舞台挨拶をすることになっていたので。
仙台のぼくたちの友だちも何人かかけつけてくれたみたいです。

 
駅からの帰り道、書店「ボタン」は月曜日は休みのはずなのに入口のガラス戸が少し開いていて、
声をかけてみると店主の薄田くんが中から出てきてくれました。
昨日個展が終わったミシシッピさんの絵がまだ壁に架けたままになっていて、個展の前日に
見せてもらったときにユミが欲しかった小さな鳥の絵が残っていたので、寄り道ついでの衝動買い。
それからずっとその絵の中の鳥は仙台の家の壁を飛び続けています。

6月12日(日)「函館市 港の庵」

港の庵はイベントがあるときだけオープンするお店です。ぼくがここでライブをするのは2回目。
中華料理のハンバーグなどが全員に用意されました。
函館のライブにもデビュー50周年のような文句がチラシにあって、主催の太田さんからは
「一本道」をぜひ、とリクエストされました。
どんな人が聞きに来てくれているのか最初はわからなくても、歌っているうちにその場の感じが
わかってきます。今夜もみんな熱心に歌を聞いてくれました。

6月11日(土)「小樽市 ぐるぐる」

松竹谷清くんと二人のライブ。清くんがぐるぐるでライブをするのは今回が初めてです。
前から清くんは手塚くんのお店でやりたかったそうです。
札幌から清くんのファンも来てくれて小さなぐるぐるはギュンギュンになりました。
ぐるぐるの手塚くんは昔ポンポン船という民宿でバイトをしていて、ポンポン船の船長松岡くんと
手塚くんと一緒に小樽から釧路湿原まで車で行ったことがあります。湿原の水門のそばで夕日を見ながら
作ったのが「水門」という歌でした。だから今夜は亡くなった松岡くんを思いながら、「水門」と
「船長坂」を歌いました。

6月10日(金)「札幌市 くう」

今日から始まる今回の3日間のツアー、札幌は「よさこい」の真っ最中でした。
くうには小さな楽屋があって、出演者はみんな使うところなのに自分の部屋のように思える。
楽屋って不思議なものです。
デビューアルバム「大阪へやって来た」から50年、チラシにはそんな文句がありました。
なるほどな、と今夜は古い歌から歌い始めたのですが、途中から最近の歌ばかりになって、
やはり自分には新しい歌が普通に歌いたい歌なんだと思いました。
ライブの後、主催の木下さんと松竹谷清くんの店バイーアに行ったら、グルーヴァーズのベースの
ボブに会いました。「遠い国の日時計」を一緒に作った頃のことを何度も懐かしがっていました。

6月8日(水)「テイラーのこと」

3Kingsのライブなどでいつも使っていたピックアップ付のギター、テイラーが
1か月ぶりに戻ってきました。元の持ち主の丸山さんがしばらく弾きたいというので、
里帰りしていました。手にしたとたん、今度の北海道は松竹谷清と一緒にやるので、
テイラーを持っていこうと決めました。

5月29日(日)「前橋ポエトリーフェスティバル2022」

2020年にこのフェスティバルで歌うよう誘われていたのですがコロナで2年延期。もうないのかな、と心配していたら、
主催の芽部の新井さんから連絡があって実現することになりました。ぼくにとっては初めての前橋市です。
会場は前橋文学館(萩原朔太郎記念館)で、オープニングアクトを務めてくれたのは「てあしくちびる」という30代の
カップルで、思い切った演奏をする人たちでした。もっと歌が聞きたくて、ライブ後にCDを買いました。
文学館のホールで50人限定のライブ。「てあしくちびる」の30分のステージの後ぼくが1時間半歌いました。
何を歌うかは考えておいたはずなのに、途中からいつのまにか新曲中心の選曲になり、アンコールで新井さんから
「ぜひ『一本道』を」と言われて歌いました。来てくれたお客さんの中にはこの『一本道』しか知らなかった人も
いたはずなので、新井さんにリクエストされて歌ってよかったと思います。たいていは新曲中心のライブになって
しまうのですが、そうするとコンサートが一方通行になる可能性があります。初めて歌いに行った街で、しかも
「ポエトリーフェスティバル」という特別な機会に、コンサートの内容について改めて考えさせられました。

前橋文学館はCDや書籍の物販は不可だったので、主催者が用意してくれた会場から徒歩10分ぐらいの会館で

「てあしくちびる」と一緒に物販しました。お客さんにとってはかなりハードルの高いことでしたが、
何もライブ会場でライブの直後に物販をやることはないという、未来へのヒントになりました。
リハーサルの後1時間ぐらいユミと川沿いの遊歩道や古いアーケード街を散歩しました。前橋はとても美しい街です。
水の流れる音がまたすぐに聞きたくなると思います。

5月26日(木)「おおはた雄一バンドと」

下北沢440の20周年企画「おおはた雄一5 Days」の4日目におおはた雄一バンドと一緒に演奏しました。
ドラムが芳垣安洋、ベースが伊賀航、そしてギターと歌がおおはた雄一です。
全17曲のうちの大半をぼくの曲が占めるという偏った構成にもかかわらず、おおはたくんは「Prayer」
など自分の歌で存在感を発揮していました。
今回のぼくの見どころは全曲をバンドで演奏したことです。『あの橋を渡る』からの曲に加えて、初めて一緒にやる
「朝は詩人」「愛について」「遠来」「水門」も良かった。新曲の「銀座線を探して」は年内に考えている録音の
参考にもなりました。
一緒に演奏していると、おおはたくんが分身のように感じることがあるのは誕生日が近いからかもしれないな。
5月25日がぼくの誕生日で5月27日がおおはたくんの誕生日です。間の26日をライブの日にしたのも、二人の
誕生日の間だからでした。ワインとケーキを用意してくれていて、ライブの後二人のハッピーバースディを
みんなで祝いました。

5月21日(土)「秩父 ホンキートンク」

ちょっとした旅行気分になれる町、秩父。そのまたはずれの奥深く、皆野という町にホンキートンクという
ライブハウスがあります。オーナーの鈴木さんはこつこつと長い間この町でライブを主催してきました。
集まるお客さんたちも普段はホンキートンクで歌っている人たちが多いようです。
今年はコロナも収まりつつあるせいなのかソールドアウトで、大勢のお客さんが聞きに来てくれました。
亡くなった加川良が残したマーチンD28を今年も弾かせてもらいました。バランスの良さはさすがマーチン。
今夜はこれで「夢のカリフォルニア」(鈴木さんからのリクエスト)を歌いました。
10年ほど高松の友人が使っていたピックアップ付のギブソンが戻ってきたので今夜は久しぶりにライブで
使いましたが、以前よりなめらかな音になっていました。ギターにも、長く続けてきたホンキートンクにも
おかえりなさい、という気持ちがする夜でした。

5月19日(木)「リハーサル」

来週の下北沢440でのおおはた雄一バンドとのリハーサルをしました。
おおはたくんとドラムスの芳垣さん、ベースの伊賀くんで「あの橋を渡る」のメンバーです。
アルバムで一緒にやっている曲やそれ以外にもいくつか、それから新曲もやります。
おおはたくんのライブなのに、おおはたくんの曲が少ないのではという意見がユミからありました。
すべての曲をみんなで一緒にやるというのが今回のライブのコンセプトなので、それでいいのだと
おおはたくんは言ってたけれど、でも一曲おおはたくんの歌を増やしました。

5月13日(金)「ミシシッピさん」

14日から始まるミシシッピさんの個展の準備をすると「ボタン」の薄田くんに聞いていたので、夕方うちからすぐの
書店「ボタン」に行きました。
絵の展示はもう終わっていて夜の予定はないらしく、ユミが突然ボタンの二人とミシシッピさんに「今からうちに
来て飲もうよ」と誘いました。予定になかったオープニングパーティになって、ミシシッピさんもうれしそうでした。
ミシシッピさんは京都在住のイラストレーター。ふちがみとふなととも仲が良く、LDK(友部正人+ふちがみとふなと)の
ミニアルバム「二つの午後」のジャケットの絵を描いてもらいましたが、飲みながら夜遅くまでゆっくりと話すのは
初めてのことでした。初めて出した画集を買いましたがとてもいいです。仙台の皆さん、見に行ってくださいね。

5月12日(木)「句会」

映画会に引き続き、句会も我が家でやることに。火星の庭が展示会の片づけでまだ立て込んでいるため。
我が家のリビングに8人のメンバーが集まりました。食べ物と飲み物は持ち寄りで、おいしいものたくさん。
句会は月に一度の飲み会でもあります。

5月10日(火)「映画会」

いつもは火星の庭でやる映画会を、急遽我が家でやることになりました。
澁谷さん、夏海さん、前野さん、そしてぼくとユミといういつものメンバーです。
今夜は澁谷さんの選んだ作品とぼくとユミの選んだ作品の2本立てで、
1935年のアメリカ映画「人生は42から」とアニエス・ヴァルダの「アニエスの浜辺」。
「人生は42から」はアメリカ人をコミカルに描いたアメリカ映画。
代々貴族の召使を務めてきたイギリス人の主人公が、42歳で初めてアメリカで自分の人生を始める
という話。ヨーロッパとアメリカの誇張された比較が見どころ。
「アニエスの浜辺」はアニエス・ヴァルダの回想録。アニエス・ヴァルダの人生と映画が年代順に
語られていく。その語りの自然さがアニエス・ヴァルダの魅力でもあります。
エイズで亡くなった夫ジャック・ドゥミのことも、本人が聞かれたくないことは聞かない、夫婦といえども
一定の距離を大切にしているのがとてもいいです。仙台の映画会はぼくにとって映画の学校みたいです。

5月7日(土)「仙台」

3,4日ぎっくり腰で動けなかったユミがようやく回復してきたので、今日は仙台に移動しました。
心配したけど無事仙台に到着。

5月4日(水)「丹沢」

横浜のランニングチームで知り合った人たちと、丹沢に行きました。ランニングの格好で出かけたけど、
登りはとてもじゃないけど走れません。途中絶壁と呼んでもいいような岩場もあって、山登りというものは
思った以上に大変なのだと知りました。(今回は2回目で、前回も同じことを感じた)。
登りも下りも約2時間ずつ。下りでは太ももの内側がつりました。
ゴールデンウィーク中なので、険しい部分では人の渋滞が起きるほどの人出。
ぼくたちはグループでしたが一人で来ている人もいて、若い人たちが多かったけど杖に頼る年寄りもいた。
みんな黙々とただ歩いていて、それがとても感じよかった。

4月29日(金)「パスカルズの二日目」

今夜の演目は三木さんに捧げられたものばかり。三木さんの妻、浅野優子さん作のアニメーション上映、三木さんの息子さんたちによる
「アメイジング・グレイス」やバッハの演奏、パスカルズのメンバー一人ひとりによる三木さんへのオマージュ的な演奏の数々、
どれもたっぷりと楽しめて緊張感のあるものばかり。
飛び入りで原マスミくんはチェロの坂本さんと二人で「夜の幸」を、ぼくはパスカルズと「こわれてしまった一日」を歌いました。
ロケット・マツはソロでラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調第二楽章」を。クラシック曲を演奏するのは初めてで、生前に三木さんが
この曲をパスカルズのレパートリーに入れたいと言っていたそうです。
映像も三木さんのすごく若いときや、最近のヨーロッパツアーなどの映像をたっぷりと見られて、ぼく個人としては三木さんには
パスカルズのライブの時とぼく自身のレコーディングでしか出会えなかったので、もっと早い時期から会えていたらよかったのに、
と思うのでした。

4月28日(木)「パスカルズ」

吉祥寺のスターパインズカフェでパスカルズの二日間のライブ、2年前の4月に突然亡くなったパスカルズのチェロ奏者、
三木黄太さんに捧げられたコンサートです。
今夜は通常のパスカルズの演奏会。最近はテレビドラマの音楽の仕事も多い彼らのこの頃をじっくり聞くことができました。
後半でぼくも飛び入りしました。「シャンソン」と「夕暮れ」です。シャンソンはパスカルズと一緒にやるときの定番の曲。
ロケット・マツのアレンジが生き生きとしていて素晴らしい。でも譜面台が遠すぎて歌詞がよく見えなくて、途中何か所も
歌詞をラララで歌ってしまいました。ああ、情けない。
パスカルズのあかねさんが何度も「リベンジしましょうよ」と終演後になぐさめてくれました。

4月24日(日)「高知市 SPOON」

朝から本格的に雨が降っていました。今日はお昼ごろのJRで高知まで行きました。
徳島から阿波池田まで行ってそこから高知行きに乗り換えです。線路はどこまでも吉野川に沿って走っています。
四国を旅するなら、高速道路を走るバスではなく、山の中を走る電車が正解。
SPOONは広くて古い喫茶店で、2階がライブ会場になっていました。帯屋町の突き当りで、その辺りは昔は市場が
あったのかもしれません。お惣菜屋や観物の店がいろいろありました。
ライブ中は気がつかなかったけど、終わってみたらお客さんの多くが今までライブに来てくれていた人たちで、
ああ、みんな元気だったんだなあ、とうれしくなりました。

4月23日(土)「徳島市 寅家」

徳島は雨の予報、瀬戸内海も黒々と凪いでいました。
駅近くのホテルから繁華街の寅家まで歩いて5分ほど、途中にいくつもの小さな食堂やワイン屋さんがありました。
街の感じが横浜や仙台とは違っていておもしろい。
ただライブの前にいつも入る寅家の前の餃子屋がコロナで4時に閉めてしまっていたのが残念でした。
この時期にしてはたくさんお客さんが来てくれたね、と寅家の主人は言っていました。

4月22日(金)「バンバンバザール・デラックス」

横浜のサムズアップでバンバンバザールDXのライブ。これは見逃せないとユミと二人で聴きに行きました。
デラックスにはトランペットの下田さんのほかにトロンボーン、バリトン&アルトサックス、テナーサックスが加わります。
この人たちがかっこいい。ブラスが入るとバンドの音はしっかりとします。全体がうきうきと感じられ、楽しさも倍加され、
お客さんも大喜び。楽しさは命の体とばかりの、生き生きと歌を感じられた夜でした。
ぼくも一曲、飛び入りで「待ちあわせ」をみんなと歌いました。ああ、楽しかった。

4月17日(日)「送別会」

4月末に仙台から引っ越すことになった瀬尾夏美さん、小森はるかさん、磯崎未菜さん3人の送別会が火星の庭で
ありユミと参加しました。瀬尾さんたちと同世代の仙台アートシーンを担う男性3人と澁谷浩次さん&工藤夏海さん、
火星の前野久美子さん&健一さんで総勢12人。ぼくと年齢の離れた人たちとの出会いと別れは思いのほか楽しく、
火星からすぐ近くのぼくの家までギターを取りに行って歌ったり、澁谷さんもピアノで自作を歌ったり、
それから圧巻だったのは普段はもの静かな健一くんがTVアニメの前口上を立ち上がって披露してくれたことでした。
気がついたら午前2時のお開きとなり、ひとつもお別れという感じがないままバラバラと未来に向かって歩きだしました。

4月15日(金)「句会」

東北新幹線が全線再開された昨日、仙台にやって来ました。
まずは3月16日の福島沖の地震で被害にあったまま放置されていた台所の片づけと掃除。
床に落ちたものが元々どこにあったのかをユミが思い出しながらのジグソーパズル。1時間ぐらいで
元通りになりました。実際の被害はグラスが一つとカップが一つ割れただけで済みました。
でも今回の地震はほんとに揺れがひどかったようで、家がぐちゃぐちゃになった友だちの話をいろいろ聞いて、
あらためて地震は怖いと思いました。

今日は月例句会がありました。榴ケ岡公園での花見句会は雨のために中止になり、

いつものように火星の庭でやることになりました。一昨日まで東京に出かけていたという主宰の渡辺さんもかけつけてくれ、
とても楽しい会でした。

4月8日(金)「リクオとホーボーハウスバンド」

リクオのサムズアップ2 Daysの二日目のゲストとして出演しました。
曲目は「こわれてしまった一日」「マオリの女」「カルバドスのりんご」「ブルース」「ぼくは君を探しに来たんだ」
そしてアンコールの最後に「I Shall Be Released」の6曲。
ホーボーハウスバンドはリクオのボーカルとピアノ、ボーカルの真城めぐみ、ギターの高木克、スティールギターの宮下広輔、
ドラムスは小宮山純平、そしてベースが寺岡信芳。楽器と楽器が糸を引くようにつながっていて、そこにぼくが入っても
「一緒に糸を引き合いましょう」と誘われているような楽しさ。いいバンドを体験しました。
リクオは、ぼくがホームページの日記に書いたリハーサルの感想に刺激を受けてできたという新曲や、忌野清志郎による
日本語詞の「イマジン」など、常に新しい曲を前向きに演奏する態度は今までと変わらず、中でもぼくは今夜は「リアル」
という曲が生きていると感じました。
今夜は森山直太朗くんも聞きに来てくれていて、ライブを自分のもののように楽しんで聞いてくれたし、ステージにも
客席にもうれしいもののあるいい夜でした。

4月6日(水)「リクオバンドとのリハーサル」

1月下旬にやるはずで急きょ延期になってしまったリクオバンドとのリハーサルをしました。
ライブは4月8日横浜サムズアップで、配信もあります。ぼくはリクオたちと6曲演奏します。
最初のリハーサルから2か月以上がたってしまい、前回練習したことで忘れていることも多く、
今日のリハーサルは有意義でした。とてもいいバンドです。遠くの人はぜひ配信で見て欲しいです。

4月2日(土)「名古屋市 得三」

年に2回の得三ソロライブ、今日は前から試してみたかったノーマイクでの演奏を2部の前半に
やってみました。前にユミが、得三ぐらいの大きさで音の良いライブハウスなら全くの生でもできそう、
と言っていたのを本番前に思い出したので。はじめてのことは何でもおもしろい。
モニターを使わなくても声もギターもちゃんと自分の耳に届いたし、お客さんにもちゃんと伝わって
いるみたいなので、二部の前半をノーマイクでやりました。得三のPAの人も良かったと言ってくれました。
得三の店主森田さんも次回のライブはめずらしいマイクでやりませんか、と乗り気でした。

3月30日(水)「ベルファスト」

アカデミー賞の脚本賞を受賞した今話題の映画「ベルファスト」をユミと見に行きました。
1969年の北アイルランドのベルファストで暮らす家族の話。
イギリスとアイルランドはプロテスタントとカトリックという宗教の違いで、もう長い間問題が絶えません。とくに両方の人たちが共存する北アイルランド地方は紛争が起こったりしました。
この映画は子供を主人公にした家族の話にすることで、より政治のことが浮き上がってきます。
全編に流れるヴァン・モリソンの歌が良くて、深刻な内容にもかかわらずおもしろく見てしまいました。
モノクロの映画なのも美しかった。メキシコの映画「ローマ」を思い出しました。

3月26日(土)「仙台」

「はやて」「やまびこ」「臨時快速列車」と乗り継いで青森から仙台へ。3月16日の地震で仙台に借りている部屋が
どうなったかを見に行きました。10日ぶりにこの部屋に入りましたが玄関の傘立てが倒れていて、「ああ、こんなものかな」
と安心したのにリビングに入ってびっくり。キッチンの冷蔵庫のドアが開いていて、中のものが床に飛び出していました。
もちろん冷蔵庫の上にあったものも下に落ちて、棚の調味料や砂糖なども全部床にちらばっていました。
食器はいくつか割れただけでしたが、地震の衝撃の大きさが手に取るようにわかる惨状でした。
ちなみに部屋は4階です。キッチン以外の部屋はどの部屋も被害はありませんでした。
スマートフォンでキッチンの写真を撮って横浜にいるユミに送り、相談しながら片づけをしました。
ユミがいないとわからないことも多くぼく一人では無理なので、できる範囲で片づけをして仙台駅に向かいました。

最終の「臨時快速列車」(車両は今はなき懐かしの特急はつかり号)で新幹線「なすの」に乗り継ぐために郡山へ向かいましたが、

強風のために福島の一つ手前の駅で2時間40分停車。郡山からの乗り継ぎはもうなく、急きょJREから手配された高速バスで
東京駅に向かうことになりました。(高速バスが手配される前は、列車をホテルとして使ってくださいとアナウンスされていた。)
真夜中過ぎの郡山駅でバスの到着を待っていたらどこか海外にいるような気がしてきて、自分が外国旅行者のような
懐かしい気分になりました。
早朝5時に東京駅丸の内側に到着。人けのない東京駅は幻想的でしかもとても美しかった。(東京はとても美しい街なのかも
しれない、人間がいなければ)。いろいろ事務手続きなどして横浜の家に着いたのは午前7時。仙台から12時間の旅でした。

3月25日(金)「青森市 もぐらや」

去年の3月にぼくがライブをしたのが最後で、その後一度ももぐらやはライブができなくて、1年ぶりのライブがまた
ぼくのライブでした。ぼくがこの一年をつないだことになります。
マイクを使わない完全生ライブ。それなのに不思議な響きがあって生とは思えない。前からこれは気づいていたことですが。
アンコールで「月の光」を歌うと、ロシアによるウクライナ侵攻と重ねて聞いてしまったという人もいました。それを聞いて
「歌は生きている」んだなあとぼくは思いました。

3月24日(木)「弘前市 Keep The Beat」

3月16日の福島県沖の地震のせいで東北新幹線が一部運転を中止しているため、羽田から大館能代空港まで飛び、
奥羽本線を使って弘前入り。アサイラムのひろしさんが迎えに来てくれて、一緒に食事の後去年の春に再開した
ひろしさんのレコード屋Joy Popsへ行きました。Joy Popsは金土日しか営業していないのに「ああ、いいよ」と
店を開けてくれました。他に客のいない広い店内で、一人黙々とレコードを見ることができました。
ライブハウス「Keep The Beat」はJoy Popsの1階にあって、バンドにもソロにも適しているちょうどいい大きさ。
初めての会場で一番心配なのは音響ですが、PAの人がとてもしっかりしていて、ぼくがやりやすいような音作りを
してくれました。

3月19日(土)「松竹谷清」

サムズアップで松竹谷清くんのライブがありました。札幌から一緒にやってきたトロンボーンのしゅうへいくんが
全曲一緒に演奏していました。聞きどころの多い二人の演奏がとてもおもしろく、終演後に聞いてみたらかなり
練習したということ、なるほどなあ、と思いました。
札幌のぼくのライブではよく清くんにゲストで来てもらっています。今日はそのお返しでぼくが飛び入りして
三人で3曲一緒に演奏しました。

3月14日(月)「大分市 アトホール」

佐伯市でジャズ喫茶をする高司さんが車で大分まで送ってくれました。
佐伯から海岸線をずっと北上して大分まで、途中臼杵という古い町を散歩しました。古い建物をきれいに保存したすてきな
街並みにうれしくなって歩いていると、肉屋の入り口に猫がとうせんぼして眠っていました。猫の多い町。
大分市も25年ぶりだとか。月日の経つのは早い。「アトホール」は若い人たちの運営するライブハウスで、近所で音楽酒場を
41年続けているという後藤さんが企画してくれました。お客さんがたくさん来てくれたのは25年ぶりということもあるでしょう。
ライブにはいつもその場にしかない時間があって、25年という時間は消し飛んでしまいます。

今回の大分県の二か所のライブは、佐伯市の井伊さんがライブをしたいと熱心に連絡をしてくれて実現しました。

九州にはほとんど知り合いがいないので、ライブをすることができてうれしかったです。

3月13日(日)「佐伯市 やあ。」

大分県の佐伯市「やあ。」というステーキのお店でライブをしました。
ぼくが佐伯市でライブをするのはおよそ50年ぶりだとか。そのときのイベントに来たという人も今回来てくれたので、
確かなことなのでしょう。50年前のライブははたしてどうだったのかな。
せまい店にぎっしりのお客さん、大分は感染者が少ないそうですが、2回ワクチンを受けたとはいえ、歌う時のぼくの
つばが最初は気になりました。「やあ。」の井伊さんは以前仕事で東北にいたことがあり、震災直後の陸前高田や仙台のこともよく知っていました。
お店を始めて4年、ずっとぼくのライブを企画したいと思っていたそうです。
開演前、すぐ近くの飲み屋街で火事がありました。夕暮れの町にもくもくと上がる煙、印象的な出来事でした。

3月10日(木)「震災の記憶をめくる」「Loose Colony」

仙台の河北新報とニューヨークのNew York Timesの震災後約1か月間の新聞紙面を展示した「震災の記憶をめくる」展。
日本とアメリカの震災報道を比較しながら振り返ることができます。日本とアメリカの新聞の写真のトリミングの違い、
原発事故の報道の違い、どちらも同じ震災を報道しているのにその違いがよくわかります。3月21日までです。

火星の庭の前野さんの車で、ぼくとユミと3人で利府町文化交流センターに、佐竹真紀子さんの展覧会「Loose Colony」

を見に行きました。佐竹さんの絵は、何層にも塗ったいろんな色のアクリル絵の具を彫刻刀で削って描かれています。
削るという行為はもしかしたら、気持ちに合った言葉を探すのに似ているのかもしれません。絵に刻まれた彫刻刀の跡は、
記憶に刻まれた足跡なのかもしれないと思いました。
利府町から仙台に戻り、夜の新幹線で横浜に戻りました。今回の仙台滞在も盛りだくさんでした。

3月9日(水)「super good」

エンジニアの佐藤ヒロユキさんと仙台の花京院にあるミュージックバー「Super Good」に行きました。
前から入ってみたかった店でした。カウンターに6人ぐらい座ればほぼ満席の小さな店です。お店のご夫婦も
佐藤さんという名前。仙台は佐藤さんがたくさん。
大きな音で聞くソウルミュージック、こういう場所で聞くとどれもよく聞こえる。時々はマスターがかけている
曲について解説してくれたりして、音楽の学校のようでもありました。それがまた楽しかった。

3月8日(火)「インタビューズーズー」

「インタビューズーズー」にゲストで出演しました。
この番組に出演することが決まって、パーソナリティの瀬尾夏美さんと撮影の小森はるかさん、ぼくとユミの4人で
この間陸前高田まで行ったのでした。瀬尾さんが物語にした「二重のまち」を見るために。ところが吹雪と大雪で
命がけのドライブになったことは前にこの日記に書きました。
ファッションビル「フォーラス」の7階に準備された特設スタジオでの生番組。今夜が最終回だそうです。
ぼくと瀬尾さんのトーク、瀬尾さんの「二重のまち」の朗読、実際に二重のまちに行ってみてぼくが書いた詩の朗読、
そしてぼくのミニライブという1時間半の内容でした。番組の枠組みはしっかりしているのに、ぼくのトークは行き当たり
ばったりで、はたして内容としてはどうだったのかなあと少し心配になります。ぜひズーズーのyoutubeチャンネルで
見てください。
インタビューズーズー第十回 
https://www.youtube.com/watch?v=t4KVy134ULY
(これは後日仙台メディアテークのyoutubeチャンネルでもアーカイブとしてアップされるそうです。)

3月7日(月)「石巻市 ラ・ストラーダ」

石巻の「ラ・ストラーダ」で初めてのライブをしました。共演者のおおはた雄一くんは初めての石巻で、
PAの佐藤さんの車で仙台からみんなで石巻へ。
ぼくは津波の被害にあった最初のラ・ストラーダも知らないし、震災後に別の場所で再開した今のラ・ストラーダも
初めてでした。でもお店のオーナーのお二人が郡山やいわきのぼくのライブに来てくれたりして話をするようになり、
いつかラ・ストラーダでライブがしたいなあと思っていたのでした。その思いがようやく実現した夜でした。
月曜日だというのにたくさんの人が来てくれたことも忘れられません。ありがとうございました。

3月6日(日)「仙台アジアントライブ」

昨日リクエスト大会に飛び入りしてくれたおおはた雄一くんのソロライブが仙台のアジアントライブでありました。
夕方横浜の家を出たぼくとユミはライブの時間には間に合わなかったけど、終演後の打ち上げには間に合って、
おおはたくんやエンジニアの佐藤さんたちと夜遅くまで飲んだり食べたりしました。
久しぶりのアジアントライブの食べ物、おいしかった。

3月5日(土)「リクエスト大会」

吉祥寺のスターパインズカフェで久しぶりの「リクエスト大会」、たくさんの歌をリクエストしてもらいました。
入場時に箱に入れてもらったリクエスト曲の書かれた紙を、ステージ上でくじ引きみたいに一枚ずつ引いて、
それを歌うわけだけど、どの曲もとても新鮮な気持ちになります。なぜならそれはぼくの曲であってぼくの曲では
ないような気がするから。お客さんからの思いもしないリクエストに感動してしまいます。
飛び入りで何曲もギターを弾いてくれたおおはた雄一くんもそれは同じ気持ちのようで、楽屋で何度も
「おもしろいですね」を繰り返していました。約3時間のライブで21曲歌いました。年に一度はやりたい企画です。

3月1日(火)「震災の記憶をめくる」

仙台のギャラリーカフェ「frame」で今日から『震災の記憶をめくる』という展示が始まりました。震災直後の「河北新報」と
「New York Times」を展示しています。「New York Times」はぼくがニューヨークにいるときに震災の記事の部分を
切り抜いて保管していたものです。11年もたって少し新聞紙が黄ばんできています。
「河北新報」はmariさんの作品です。当時の新聞を束ねた作品で、mariさんの日記と一緒に展示されます。
「frame」の伊東卓さんからこの展示のチラシ原案がメールで送られてきて、そこにあったQRコードでNew York Timesに
アーカイブされている東日本大震災に関する写真約250枚が見られます。新聞には載らなかった写真が多く、何時間も
かけて全部見てしまいました。
 

喫茶「frame」(SARP仙台アーティストランプレイス内) 仙台市青葉区錦町1-12-7 門脇ビル1F 070-6510-5023

2月26日(土)「映画会」

火星の庭で映画会をしました。火星の前野さん、ホルンの澁谷さん、夏海さん、ぼくとユミ、といういつものメンバー。
ケン・ローチの映画を2本見ました。
「レディバード・レディバード」は社会福祉国家イギリスの実態をこれでもかというほど執拗に描きます。福祉課の担当者に
一度子育て失格だと見なされたら、産んだ子を次々に「保護します」と言って養子にされてしまう。まるで犬や猫の子みたいに
持って行くんだな、とユミは言ってました。
「レイニング・ストーン」は失業中の父親が娘が教会の堅信礼で着るドレスを買うため借金をしてしまい、札付きの取り立て屋
から脅され、借用書を取り戻そうとして取立人を事故で死なせてしまう。自首しようとする父親に「あなたが殺したわけではない。
だからこのことは誰にも言わずに、ただ神に懺悔しなさい」と思いとどまらせる神父。生きるために必死の人たちの
なんとなく救いのある話でした。

2月24日(木)「11年前のニューヨークタイムズ」

2011年3月11日、ぼくとユミはニューヨークの家にいました。日本がどんなことになっているのかを知ろうと、
昼も夜もパソコンから離れられなかったユミは完全に寝不足状態。毎日24時間ストリーミングでTBSとNHKが
ニュースを流し続けてていました。ぼくはニューヨークタイムズを毎日買い、新聞の記事から震災のことを
知ろうとしていました。
その1か月間のニューヨークタイムズを、仙台のフレームという画廊が3月から展示してくれることになりました。
何かをするためではなくただ保存してあった新聞に興味を持ってくれたフレームのあいさんと卓くんに感謝。
震災の日に合わせて、3月に展示するそうです。詳細が分かったらまたお知らせしますね。

2月23日(水)「及川くん」

ぼくのジャパンレコード時代のアルバム「ポカラ」(83年)で、芹沢のえさんとともにディレクターだった
及川くんと14年ぶりに再会しました。FM802の古賀さんが取り持ってくれたのですが、なんと及川くんは
今仙台に住んでいて、音楽関係の専門学校の講師をしているそうです。
ジャパンレコードで及川くんは芹沢のえさんと一緒にラフトレードのレコードも出していて、ぼくはそのころ
のえさんからラフトレードのレコードをたくさんもらいましたが、今でも大切に持っています。
自称ラフトレードおたくのyumboの澁谷さんが及川くんに会いたがっていたのでユミが電話して誘ったら、
及川くんがライナーノートを書いたというバンドのLPレコードを持ってうちに遊びに来ました。
澁谷さんは80年代の話を及川くんにいろいろ質問していました。ほくもあの頃がとても懐かしかった。
及川くんとの再会は、仙台でのぼくの新しい出会いでした。

2月22日(火)「句会」

2月の火星句会は12月に引っ越したばかりのぼくたちの部屋でやりました。
集まったのはぼくとユミを入れて8人。椅子の数が8つなのでぴったりでした。
みんなぼくたちの新しい部屋が見たかったみたいで、句会の前にあっちこっちを探検していました。
テーブルには持ち寄りの食べ物とお酒、火星の庭の健ちゃんが作ってくれた句稿を前に、場所は変われど
いつも通りの楽しい句会でした。

2月21日(月)「陸前高田へ」

小森はるかさん、瀬尾夏美さんと一緒に陸前高田へ行きました。
運転は小森さんで助手席に瀬尾さん、後部席にぼくとユミ。吹雪や事故渋滞で高速道路が閉鎖になり、
陸前高田まで5時間(予定の倍の時間)かかりました。気仙沼をすぎると猛吹雪で、到着前にすでに
帰り道の心配。小森さんのドキュメンタリー映画「空に聞く」に出てくる阿部裕美さんの食堂「味彩」で
遅い昼食。ぼくたちを待っていてくれた地元の小野文浩さんにもそこで会いました。
小野さんとは、昔ぼくが陸前高田でライブをしたことのあるお店のこと、ぼくのライブを何度も主催
してくれて、津波で亡くなった菅野さんのことなどを話しました。町のほぼ全域は10メートル嵩上げされて、
新しい町は今その上にあります。嵩上げされた広大な土地は想像以上の広さでした。そこに新しい町が
できつつあり、「味彩」もジャズ喫茶「ジョニー」も市役所も新しい土の上に立っています。そしてその下には
記憶の中の町が今もあり、瀬尾夏美さんはその二つの町を「二重のまち」と呼んで物語にしました。
今回はその「二重のまち」を二人に案内してもらう目的でやって来たのでした。
それにしても雪は激しく降り、町を見て回ることは不可能で、2年前に完成したばかりだという市役所の展望台から
町を眺め、5階建ての集合住宅の屋上からまた眺め、嵩上げのはじまで行ってその向こうの遺構の建物を眺め、
同行してくれた小野さんに再会を約束して大至急仙台に戻ることにしました。滞在時間は食事も含めわずか2時間。
瀬尾さんと小森さんが陸前高田で3年間暮らした間もそのあとも一度も体験したことのなかった猛烈な吹雪を、
ぼくたちは初めての訪問で体験することとなりました。

2月20日(日)「仙台へ」

昨日から仙台に来ています。
火星の庭の中古CDとレコードを若干補充しました。

2月19日(土)「磔磔」

「『磔磔』ライブハウスとコロナの500日」がBSフジで再放送されます。
地上波では東京と大阪でしか見られなかった番組を、今回は全国で見られます。
ぼくも3KINGSで歌っている映像が見られますよ。3月5日(土)25:00~27:00放送。

2月15日(火)「小原流挿花」

生け花の小原流の月刊誌の4月号(4月1日発行)にエッセイを書きました。生け花の雑誌なので植物の話です。
コロナの世界になったからなのか草木に興味がいく最近のぼくの話を書きました。

2月13日(日)「ドライブ・マイ・カー」

ようやく「ドライブ・マイ・カー」を見ることができました。今まで横浜も仙台も上映のタイミングが合わず。
アカデミー賞候補のおかげかな。
少し早めに家を出て、ユミとストーブスにごはんを食べに行きました。オーナーの佐布さんとも話せたし、
急きょ今夜ライブをすることになったというリトルキヨシとゲンキくんにもサムズアップで会うことができた。
ライブ、見たかったけど、映画のチケットを予約してあったので少しだけリハーサルを見てから映画館に。

この映画の予備知識はなかったけれど、先日見た同じ監督の「偶然と想像」が良かったので楽しみにしていました。
物語が道をそれるようにぐいぐいと変わって行くおもしろさがあって、次の角を曲がったら何があるのかわからない、
そんなお話でした。そして最後は広島から北海道まで車でまっしぐら。このまっしぐらがとても大事なんだろうな。
運転手役の娘の「一部分だけでその人を見ると捉えられなくなるけど、その人を丸ごと一人の人間としてみれば
謎もなくなる」、というような意味のセリフにまっすぐたどり着く。ちゃんとセリフを覚えておけばよかったけど、
娘のこの言葉が、今の世の中で起きている様々なことにとても役立つような気がしました。

2月11日(金)「夢の涯てまでも」

ジャック&ベティでの1回だけの上映、ヴィム・ベンダース監督の5時間の映画を見に行きました。
途中に短い休憩がありました。
1991年の作品で、物語は1999年の架空の世界。予備知識なしに見たけどおもしろかった。監督の力量を感じました。
パリ、ベルリン、リスボン、モスクワ、北京、東京、サンフランシスコと主人公のクレアと共に地球の上を
移動し続ける登場人物たち。アボリジニの暮らすオーストラリアの砂漠で出会ったのは、見た人の脳の波動を
使って盲目の人にも映像を見せられる夢の機械。その機械で見た自分の夢に夢中になって自分を忘れる人たち。
このあたりはスマートフォンに見入る今の人たちの姿に似ています。
最終的に自分の手で描く絵や言葉が紡ぐ物語がリアルを取り戻す、という内容でした。睡眠中に見る夢は
夢としてそっとしておくのがいいのかもしれません。

2月10日(木)「ライブの延期」

2月25日弘前と26日青森のライブが1か月延期になりました。
コロナウィルスの感染拡大と大雪のため。
1か月の延期で状況が大きく変わってほしいものです。

2月6日(日)「豊橋 ハウスオブクレージー」

 粉雪の舞う浜松、豊橋、どちらの駅の周辺にも行き場のないホームレスの人たちがうずくまっていました。
浜松と豊橋は在来線でも30分という近い距離でぼくとユミも時間を持て余し、駅前のビルの中で時間を
つぶしたりしていました。
ハウスオブクレージーの松崎さんとの電話で、キャンセルが多くて予約してくれた人で残っているのは数人、
と聞いていました。でも年に一度の豊橋ライブを中止にはできません。それにふたを開けてみなければ、
わからない。結果11人が聞きにきてくれてちょっとほっとしました。
終演後は来てくれた友人と30分ぐらい打ち上げをして、昨日会った中川くんをまねして豊橋には泊まらずに、
最終のひかりで横浜に戻りました。

2月5日(土)「浜松 エスケリータ68」

28日のリクオバンドとのリハーサルの後にメンバーのコロナ陽性者が出たため、ぼくとユミは
自宅で一週間自主隔離しましたが、何の症状も出なくて一安心。
 
逃げ場のない寒さが襲ってきました。ぼくとユミは午後の新幹線で浜松へ。
エスケリータで久しぶりのライブです。去年はコロナ騒ぎで一度も歌いに来られなかった。
達磨ストーブを囲むようにお客さんはぼくの歌を聞いてくれました。ぼくはストーブの火を
絶やさないように歌いました。エスケリータはコロナ禍でも休業せずにライブをやっていて、
ライブの火種はお客さんに守られています。この場所が育てたファミリーのような関係を大切に。
 
そういえば新横浜の駅で新幹線に乗る前、ソウルフラワーの中川くんとばったり会いました。
今日はサムズアップでライブがあって、開演時間が早いのでホテルに泊まらずに大阪に帰ると言ってました。

1月29日(土)「サムズアップのライブ・延期」

昨日リハーサルしたばかりなのに、今日リクオから連絡がありライブが延期になりました。
バンドメンバーのコロナ感染疑いという理由です。とても残念だけれどなるべく早い時期にやる、とのことなので、
次回開催日の連絡を待ちましょう。みんなが元気でライブができる日を楽しみにしています。

1月28日(金)「リクオのリハーサル」

今日は1月30日のリクオのサムズアップライブのためのリハーサルをしました。
ピアノ、ドラム、ベース、ギター、ペダルスチールギター、女性ボーカル、という編成で、静かな曲もロックな曲も
豊かに感じさせる人たちです。久しぶりにリクオのピアノを聞きながら歌っていたら、彼のピアノで演奏が
とても盛り上がったことがあるのを思い出しました。
ぼくはゲストですが、今回何曲も一緒にできることになってうれしい。
バンドはいくつもの音が一つになるのではなく、いくつもの音がいくつものまま一つの曲になることなんだと、
改めてわかりました。だから普段は一人で演奏している曲も、バンドで演奏することはぼくにとって大切です。

1月26日(水)「映画会」

ホルンの澁谷さん、夏海さんと、火星の庭の前野さんとぼくたちとで映画会。
澁谷さんが「れいこいるか」というすてきな映画を持ってきてぼくたちに見せてくれました。
れいこというのは神戸の地震で家屋の下敷きになって死んだ女の子。その両親の物語です。
関西出身のユミは、全編ギンギンの関西弁なので映画と現実の境目があいまいになってきて、ああもうヤバい、
と見終わった後に心が彷徨っていました。
映画の最後の方で、主人公のいちこが年頃の女の子に思わず「れいこ」と呼びかけるところではどうしても
涙がでてしまいました。

1月25日(火)「偶然と想像」

仙台の映画館フォーラムにユミと映画を見に行きました。3つの短編集です。3つは1つの音楽でつながっている
ような気がしました。セリフは演技を生き生きとさせます。セリフではらはらさせられる映画はめずらしい。
動きのない演技に動きを見つけられます。見終わった後、「ああ、今年はもうこれ一本でいいなあ」というような
満足感がありました。ただ残念なのは3話の冒頭に出てくる細馬宏通さんを見逃したこと。後でユミに言われて
ショックでした。そのシーンだけのためにもう一度見てもいいかな。

1月24日(月)「佐藤さん」

仙台には佐藤さんがたくさんいて、これは「あの橋を渡る」のレコーディングからずっとお世話になっている
佐藤ヒロユキさん。ユミと3人で新年会をしました。今年もどうぞよろしく、という意味で。
そしたら石巻でのおおはた雄一くんとのライブが決まってしまった。別に仕事の話をするために会った
わけでもないのに。人と会うって大切なことなんですね。

1月23日(日)「句会」

火星の庭で今年はじめての句会。
主宰の渡辺誠一郎さんも入れて9人が参加しました。句会の後は1月生まれのメンバーの誕生会。
持ち寄りの食べ物もおいしかった。渡辺さんの「句会やろうよ」という一言で始まった句会ですが、
気が付けばもう10年以上になります。始めたらやめられないのは野菜作りにもどこか似ている。

1月21日(金)「病院」「打合せ」

去年の5月に仙台の病院に入院して以来、通院が続いています。最初は一か月ごとだったのが3か月に一度になり、
通院の間隔は徐々に空いて行くようです。今日の検査はMRIなどでしたが、問題はありませんでした。
今飲んでいる薬は飲み続けなくてはいけないそうです。

夕方は、3月のインターネットテレビのための打ち合わせをアーティストの瀬尾夏美さんと火星の庭で。
そのまま瀬尾さんと火星の庭の前野さんがぼくのアパートに来て、4人でユミの作った肉そばを食べたり
お酒を飲んだり。深夜までずっと音楽をかけたりして盛り上がってました。
瀬尾さんもなんとかなると思っているのか、内容についてはほとんど何も決めなかった。

1月18日(火)「仙台 雪道」

今年はじめての仙台です。吹雪だったようで歩道には雪が積もりそれが凍っていました。
12月に引っ越した新しい部屋までは徒歩で7、8分。ぼくはタクシーを主張しましたが、ユミは今回初めて
駅から新しい家に行くのだから歩きたいと言い、スーツケースを引いて歩き始めたはいいけど滑ります。
仙台に来る前にユミが横浜のデパートで買った雪道用のスパイクを信号待ちで靴に装着。スパイクが
凍った路面に有効なことは、以前3KINGSで冬の北海道に行ったときに体験済み。たぶん地元の人は誰も
そんなものはつけていないけど、雪に不慣れなぼくたちにはとても頼りになりました。

1月17日(月)「夜空に星のあるように」

ケン・ローチ監督の1967年の映画をユミと横浜のジャック&ベティに見に行きました。
原題はpoor cowで同名のドノバンの歌が主題歌に使われています。
労働者階級の若者たちがみんな貧しくて、泥棒や売春も犯罪というよりは生きる手段。
そんな60年代のイギリス、ロンドンの話です。でも今も世界はそんなに変わらないかもしれない。
とにかく若いということは生きることに必死だということ。世の中のことなど気にしていられない。
出演している役者には映画の中と同じような人生を歩んだ人もいて、ドキュメンタリーとフィクションが
せめぎ合うようなリアリティーがありました。
監督の第一作だそうですが、最近の作品「わたしは、ダニエル・ブレイク」に通じるものがありました。

1月15日(土)「サムズアップ」

今年初めての、そして久々の横浜でのソロライブ。
前半は最近のぼくの歌いた新曲を中心に、後半は新春プチリクエスト大会という構成でした。
お客さんで来てくれていた安藤ケンジロウくんと知久寿焼くんが、二人ともたまたま楽器を持って
きていたので、リクエストされた曲の中から一緒にできそうな「夕暮れ」や「ガーディナーさん」を
演奏してもらいました。
リクエスト大会はお客さんがライブに参加できるとてもいい方法だと思いますが、客席にいた友だちが
突然楽器を持ってステージに上がり一緒に演奏するのもとても楽しい。
次のリクエスト大会は3月5日のスターパインズカフェで、この日はまるまるリクエスト大会です。

今月は1月30日にもサムズアップでリクオバンドのライブにゲストで、バンドで何曲も歌う予定です。
まん延防止等重点措置にめげず元気で聞きに来てください。

1月12日(水)「北海道新聞」

北海道新聞に書いた書評が1月16日(日)の新聞に掲載されます。中部博さんが書いた「プカプカ 西岡恭蔵伝」(小学館)の書評です。
ぼくの書評は短いけど、400ページ以上ある「西岡恭蔵伝」は読みごたえがありました。

1月11日(火)「ボストン市庁舎」

フレデリック・ワイズマン監督の新作をジャック&ベティにユミと見に行きました。4時間半の記録映画です。
途中の休憩時間に食べようとユミが作ったコーンブレッドやサンドイッチ、りんごなどを用意して。
ぼくがボストンに行ったのは2回だけで白人ばかりが目立つ印象でしたが、150カ国からの移民がいて昔から
人種差別などもある移民の街なのだそうです。
ぼくの暮らす横浜中区も160の言語の人たちが暮らしているそうで、結構似ているのかもしれない。
親がアイルランドからの移民だという市長が、あらゆる市民からの話を聞いて問題を一つ一つ改善していこうとがんばっていました。
市役所の仕事はとても細かい。そして住民にとても近い。すべてがほとんど住民との直接的なやり取りで進められていく。
それには住民がタフでなければ、と納得させられました。

1月10日(月)「新年」

近所の公園に晴れ着の女性たちが富士山を見に来ていました。成人式の後なんだろうけど、お正月みたいでした。
2日に息子夫婦とみなとみらいで会いました。ランニングを始めるというので、二人にランニングシューズをプレゼント。
ぼくがランニングを始めたきっかけは、もとはといえば息子が小学生のときに友だちと走っていたのを思い出したから。

8日にはユミの妹家族とぼくたちの5人で、三崎に住む友人を訪ねました。ユミの甥の岳くんがサラリーマンをやめて農業を
したいというので、東京から三崎に移住していろいろ事業展開している藤沢くんに相談に行ったのです。
魚屋の「まる一」、藤沢くんの「ミサキプレッソ」「ミサキドーナツ」と素敵なお正月の三崎巡り。細い路地から
海が見える時間の孤島のような町で、ぼくたちのささやかで静かな2022年が始まりました。
「ミサキプレッソ」では延々と藤沢くんがプロデュースをしているかもめ児童合唱団が流れていました。