友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

6月19日(日)「池田修さん」

3月に突然倒れてそのまま亡くなったBankART1929の主宰、池田修さんの追悼イベントに行きました。イベントは19日までだったので、
仙台から18日に横浜に帰って来ました。
会場はみなとみらい線新高島駅のBankART Station、たくさんのアーティストが池田さんを偲んで制作した作品がどれもすばらしい。
ぼくとユミが池田さんと出会ったのは、2004年にBankART1929がスタートした頃だったので、それ以前の池田さんのしてきたことや、
若いときの写真をこの会場で初めて見ました。まるまる太ってにこやかなぼくらの知っている池田さんは、若いときからずっと続けて
きた活動の総集編みたいなものだったんだな。「過激なことをするときはきちんとやらなければ続かない」という池田さんのモットーの
ような言葉が展示されていて、この人はすごい人だったんだなあ、と改めて感心しました。様々なライブやイベントをBankARTで
やらせてもらったこと、思い出は尽きないです。池田さん、ありがとう。

6月17日(金)「山つなみ、雨間の語らい」

宮城県丸森町の齋理屋敷に、小森はるかさんと瀬尾夏美さんの展示作品を見に行きました。
火星の庭の前野久美子さんが車を運転して、同乗者はぼくとユミとホルンの工藤夏海さんです。
阿武隈川の流れる丸森は昔から水害の多いところだそうです。それでも2019年10月の台風19号による被害はとりわけ大きかった。
阿武隈川の支流の十何か所が決壊して山からの土砂が民家を押し流した。丸森の水害を、民話、自然の乱開発、大規模太陽光発電
などに焦点を当てて、資料や映像作品を展示していました。
山から土砂が流れてきた場所で暮らしていて被害にあった人たちにも会わせてくれて、瀬尾さん、小森さんと地元の人たちの
交流の深さを感じました。

ロバを飼っている山奥のスローバ書店にも行きました。ロバの名前はジャム、詩人のフランシス・ジャムからとったそうです。
人間の年齢なら70歳のおばあさん、顔の大きなかわいいロバです。座布団に寝転がって一日いたいような本屋でした。
そこの佐藤さん夫婦と瀬尾さんに誘われて、大規模太陽光発電の現場を見に行きました。土の地肌がむき出しの山頂を覆うように
設置された一面のソーラーパネルが不気味でした。これが山崩れの原因にもなるそうです。
得るものの多い丸森でしたがお腹の方は得るものがなく、全部見終わって夜になるころには全員とてつもない空腹に襲われ、
瀬尾さん行きつけの角田の中華料理屋までの道のりは遠かったけど助かりました。

6月16日(木)「句会」

歌もだけど、俳句も朝目覚めた時が勝負。だけどそれまでの、何も思いつかない午後などに準備はできていなくては
ならない。歌と違うのは何か季節が必要なこと。句会があるとぼくが今どんな季節にいるかを思い出します。
句会にはみんなが食べ物や飲み物を用意して集まります。食べ物もぼくがどんな季節にいるかを思い出させてくれます。

6月15日(水)「額」

ユミが火星の庭で買った春夏秋冬4枚セットのフェデレンコの版画の額装をFRAMEの卓くんに頼んでいたのですが、
今日受け取りに行きました。一枚の額の中に4枚が横に並ぶ素敵な作りです。さっそく大きな白い壁に掛けてみました。

6月13日(月)「仙台」

函館から新幹線で仙台へ。11日から仙台に来ていたユミと仙台駅で待ち合わせ。
ユミは11日に仙台に来て、チネ・ラヴィータで10日から上映が始まった伊勢監督の「いまはむかし」
を見に行きました。11日は上映の後、伊勢監督が舞台挨拶をすることになっていたので。
仙台のぼくたちの友だちも何人かかけつけてくれたみたいです。

 
駅からの帰り道、書店「ボタン」は月曜日は休みのはずなのに入口のガラス戸が少し開いていて、
声をかけてみると店主の薄田くんが中から出てきてくれました。
昨日個展が終わったミシシッピさんの絵がまだ壁に架けたままになっていて、個展の前日に
見せてもらったときにユミが欲しかった小さな鳥の絵が残っていたので、寄り道ついでの衝動買い。
それからずっとその絵の中の鳥は仙台の家の壁を飛び続けています。

6月12日(日)「函館市 港の庵」

港の庵はイベントがあるときだけオープンするお店です。ぼくがここでライブをするのは2回目。
中華料理のハンバーグなどが全員に用意されました。
函館のライブにもデビュー50周年のような文句がチラシにあって、主催の太田さんからは
「一本道」をぜひ、とリクエストされました。
どんな人が聞きに来てくれているのか最初はわからなくても、歌っているうちにその場の感じが
わかってきます。今夜もみんな熱心に歌を聞いてくれました。

6月11日(土)「小樽市 ぐるぐる」

松竹谷清くんと二人のライブ。清くんがぐるぐるでライブをするのは今回が初めてです。
前から清くんは手塚くんのお店でやりたかったそうです。
札幌から清くんのファンも来てくれて小さなぐるぐるはギュンギュンになりました。
ぐるぐるの手塚くんは昔ポンポン船という民宿でバイトをしていて、ポンポン船の船長松岡くんと
手塚くんと一緒に小樽から釧路湿原まで車で行ったことがあります。湿原の水門のそばで夕日を見ながら
作ったのが「水門」という歌でした。だから今夜は亡くなった松岡くんを思いながら、「水門」と
「船長坂」を歌いました。

6月10日(金)「札幌市 くう」

今日から始まる今回の3日間のツアー、札幌は「よさこい」の真っ最中でした。
くうには小さな楽屋があって、出演者はみんな使うところなのに自分の部屋のように思える。
楽屋って不思議なものです。
デビューアルバム「大阪へやって来た」から50年、チラシにはそんな文句がありました。
なるほどな、と今夜は古い歌から歌い始めたのですが、途中から最近の歌ばかりになって、
やはり自分には新しい歌が普通に歌いたい歌なんだと思いました。
ライブの後、主催の木下さんと松竹谷清くんの店バイーアに行ったら、グルーヴァーズのベースの
ボブに会いました。「遠い国の日時計」を一緒に作った頃のことを何度も懐かしがっていました。

6月8日(水)「テイラーのこと」

3Kingsのライブなどでいつも使っていたピックアップ付のギター、テイラーが
1か月ぶりに戻ってきました。元の持ち主の丸山さんがしばらく弾きたいというので、
里帰りしていました。手にしたとたん、今度の北海道は松竹谷清と一緒にやるので、
テイラーを持っていこうと決めました。

5月29日(日)「前橋ポエトリーフェスティバル2022」

2020年にこのフェスティバルで歌うよう誘われていたのですがコロナで2年延期。もうないのかな、と心配していたら、
主催の芽部の新井さんから連絡があって実現することになりました。ぼくにとっては初めての前橋市です。
会場は前橋文学館(萩原朔太郎記念館)で、オープニングアクトを務めてくれたのは「てあしくちびる」という30代の
カップルで、思い切った演奏をする人たちでした。もっと歌が聞きたくて、ライブ後にCDを買いました。
文学館のホールで50人限定のライブ。「てあしくちびる」の30分のステージの後ぼくが1時間半歌いました。
何を歌うかは考えておいたはずなのに、途中からいつのまにか新曲中心の選曲になり、アンコールで新井さんから
「ぜひ『一本道』を」と言われて歌いました。来てくれたお客さんの中にはこの『一本道』しか知らなかった人も
いたはずなので、新井さんにリクエストされて歌ってよかったと思います。たいていは新曲中心のライブになって
しまうのですが、そうするとコンサートが一方通行になる可能性があります。初めて歌いに行った街で、しかも
「ポエトリーフェスティバル」という特別な機会に、コンサートの内容について改めて考えさせられました。

前橋文学館はCDや書籍の物販は不可だったので、主催者が用意してくれた会場から徒歩10分ぐらいの会館で

「てあしくちびる」と一緒に物販しました。お客さんにとってはかなりハードルの高いことでしたが、
何もライブ会場でライブの直後に物販をやることはないという、未来へのヒントになりました。
リハーサルの後1時間ぐらいユミと川沿いの遊歩道や古いアーケード街を散歩しました。前橋はとても美しい街です。
水の流れる音がまたすぐに聞きたくなると思います。

5月26日(木)「おおはた雄一バンドと」

下北沢440の20周年企画「おおはた雄一5 Days」の4日目におおはた雄一バンドと一緒に演奏しました。
ドラムが芳垣安洋、ベースが伊賀航、そしてギターと歌がおおはた雄一です。
全17曲のうちの大半をぼくの曲が占めるという偏った構成にもかかわらず、おおはたくんは「Prayer」
など自分の歌で存在感を発揮していました。
今回のぼくの見どころは全曲をバンドで演奏したことです。『あの橋を渡る』からの曲に加えて、初めて一緒にやる
「朝は詩人」「愛について」「遠来」「水門」も良かった。新曲の「銀座線を探して」は年内に考えている録音の
参考にもなりました。
一緒に演奏していると、おおはたくんが分身のように感じることがあるのは誕生日が近いからかもしれないな。
5月25日がぼくの誕生日で5月27日がおおはたくんの誕生日です。間の26日をライブの日にしたのも、二人の
誕生日の間だからでした。ワインとケーキを用意してくれていて、ライブの後二人のハッピーバースディを
みんなで祝いました。

5月21日(土)「秩父 ホンキートンク」

ちょっとした旅行気分になれる町、秩父。そのまたはずれの奥深く、皆野という町にホンキートンクという
ライブハウスがあります。オーナーの鈴木さんはこつこつと長い間この町でライブを主催してきました。
集まるお客さんたちも普段はホンキートンクで歌っている人たちが多いようです。
今年はコロナも収まりつつあるせいなのかソールドアウトで、大勢のお客さんが聞きに来てくれました。
亡くなった加川良が残したマーチンD28を今年も弾かせてもらいました。バランスの良さはさすがマーチン。
今夜はこれで「夢のカリフォルニア」(鈴木さんからのリクエスト)を歌いました。
10年ほど高松の友人が使っていたピックアップ付のギブソンが戻ってきたので今夜は久しぶりにライブで
使いましたが、以前よりなめらかな音になっていました。ギターにも、長く続けてきたホンキートンクにも
おかえりなさい、という気持ちがする夜でした。

5月19日(木)「リハーサル」

来週の下北沢440でのおおはた雄一バンドとのリハーサルをしました。
おおはたくんとドラムスの芳垣さん、ベースの伊賀くんで「あの橋を渡る」のメンバーです。
アルバムで一緒にやっている曲やそれ以外にもいくつか、それから新曲もやります。
おおはたくんのライブなのに、おおはたくんの曲が少ないのではという意見がユミからありました。
すべての曲をみんなで一緒にやるというのが今回のライブのコンセプトなので、それでいいのだと
おおはたくんは言ってたけれど、でも一曲おおはたくんの歌を増やしました。

5月13日(金)「ミシシッピさん」

14日から始まるミシシッピさんの個展の準備をすると「ボタン」の薄田くんに聞いていたので、夕方うちからすぐの
書店「ボタン」に行きました。
絵の展示はもう終わっていて夜の予定はないらしく、ユミが突然ボタンの二人とミシシッピさんに「今からうちに
来て飲もうよ」と誘いました。予定になかったオープニングパーティになって、ミシシッピさんもうれしそうでした。
ミシシッピさんは京都在住のイラストレーター。ふちがみとふなととも仲が良く、LDK(友部正人+ふちがみとふなと)の
ミニアルバム「二つの午後」のジャケットの絵を描いてもらいましたが、飲みながら夜遅くまでゆっくりと話すのは
初めてのことでした。初めて出した画集を買いましたがとてもいいです。仙台の皆さん、見に行ってくださいね。

5月12日(木)「句会」

映画会に引き続き、句会も我が家でやることに。火星の庭が展示会の片づけでまだ立て込んでいるため。
我が家のリビングに8人のメンバーが集まりました。食べ物と飲み物は持ち寄りで、おいしいものたくさん。
句会は月に一度の飲み会でもあります。

5月10日(火)「映画会」

いつもは火星の庭でやる映画会を、急遽我が家でやることになりました。
澁谷さん、夏海さん、前野さん、そしてぼくとユミといういつものメンバーです。
今夜は澁谷さんの選んだ作品とぼくとユミの選んだ作品の2本立てで、
1935年のアメリカ映画「人生は42から」とアニエス・ヴァルダの「アニエスの浜辺」。
「人生は42から」はアメリカ人をコミカルに描いたアメリカ映画。
代々貴族の召使を務めてきたイギリス人の主人公が、42歳で初めてアメリカで自分の人生を始める
という話。ヨーロッパとアメリカの誇張された比較が見どころ。
「アニエスの浜辺」はアニエス・ヴァルダの回想録。アニエス・ヴァルダの人生と映画が年代順に
語られていく。その語りの自然さがアニエス・ヴァルダの魅力でもあります。
エイズで亡くなった夫ジャック・ドゥミのことも、本人が聞かれたくないことは聞かない、夫婦といえども
一定の距離を大切にしているのがとてもいいです。仙台の映画会はぼくにとって映画の学校みたいです。

5月7日(土)「仙台」

3,4日ぎっくり腰で動けなかったユミがようやく回復してきたので、今日は仙台に移動しました。
心配したけど無事仙台に到着。

5月4日(水)「丹沢」

横浜のランニングチームで知り合った人たちと、丹沢に行きました。ランニングの格好で出かけたけど、
登りはとてもじゃないけど走れません。途中絶壁と呼んでもいいような岩場もあって、山登りというものは
思った以上に大変なのだと知りました。(今回は2回目で、前回も同じことを感じた)。
登りも下りも約2時間ずつ。下りでは太ももの内側がつりました。
ゴールデンウィーク中なので、険しい部分では人の渋滞が起きるほどの人出。
ぼくたちはグループでしたが一人で来ている人もいて、若い人たちが多かったけど杖に頼る年寄りもいた。
みんな黙々とただ歩いていて、それがとても感じよかった。

4月29日(金)「パスカルズの二日目」

今夜の演目は三木さんに捧げられたものばかり。三木さんの妻、浅野優子さん作のアニメーション上映、三木さんの息子さんたちによる
「アメイジング・グレイス」やバッハの演奏、パスカルズのメンバー一人ひとりによる三木さんへのオマージュ的な演奏の数々、
どれもたっぷりと楽しめて緊張感のあるものばかり。
飛び入りで原マスミくんはチェロの坂本さんと二人で「夜の幸」を、ぼくはパスカルズと「こわれてしまった一日」を歌いました。
ロケット・マツはソロでラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調第二楽章」を。クラシック曲を演奏するのは初めてで、生前に三木さんが
この曲をパスカルズのレパートリーに入れたいと言っていたそうです。
映像も三木さんのすごく若いときや、最近のヨーロッパツアーなどの映像をたっぷりと見られて、ぼく個人としては三木さんには
パスカルズのライブの時とぼく自身のレコーディングでしか出会えなかったので、もっと早い時期から会えていたらよかったのに、
と思うのでした。

4月28日(木)「パスカルズ」

吉祥寺のスターパインズカフェでパスカルズの二日間のライブ、2年前の4月に突然亡くなったパスカルズのチェロ奏者、
三木黄太さんに捧げられたコンサートです。
今夜は通常のパスカルズの演奏会。最近はテレビドラマの音楽の仕事も多い彼らのこの頃をじっくり聞くことができました。
後半でぼくも飛び入りしました。「シャンソン」と「夕暮れ」です。シャンソンはパスカルズと一緒にやるときの定番の曲。
ロケット・マツのアレンジが生き生きとしていて素晴らしい。でも譜面台が遠すぎて歌詞がよく見えなくて、途中何か所も
歌詞をラララで歌ってしまいました。ああ、情けない。
パスカルズのあかねさんが何度も「リベンジしましょうよ」と終演後になぐさめてくれました。

4月24日(日)「高知市 SPOON」

朝から本格的に雨が降っていました。今日はお昼ごろのJRで高知まで行きました。
徳島から阿波池田まで行ってそこから高知行きに乗り換えです。線路はどこまでも吉野川に沿って走っています。
四国を旅するなら、高速道路を走るバスではなく、山の中を走る電車が正解。
SPOONは広くて古い喫茶店で、2階がライブ会場になっていました。帯屋町の突き当りで、その辺りは昔は市場が
あったのかもしれません。お惣菜屋や観物の店がいろいろありました。
ライブ中は気がつかなかったけど、終わってみたらお客さんの多くが今までライブに来てくれていた人たちで、
ああ、みんな元気だったんだなあ、とうれしくなりました。

4月23日(土)「徳島市 寅家」

徳島は雨の予報、瀬戸内海も黒々と凪いでいました。
駅近くのホテルから繁華街の寅家まで歩いて5分ほど、途中にいくつもの小さな食堂やワイン屋さんがありました。
街の感じが横浜や仙台とは違っていておもしろい。
ただライブの前にいつも入る寅家の前の餃子屋がコロナで4時に閉めてしまっていたのが残念でした。
この時期にしてはたくさんお客さんが来てくれたね、と寅家の主人は言っていました。

4月22日(金)「バンバンバザール・デラックス」

横浜のサムズアップでバンバンバザールDXのライブ。これは見逃せないとユミと二人で聴きに行きました。
デラックスにはトランペットの下田さんのほかにトロンボーン、バリトン&アルトサックス、テナーサックスが加わります。
この人たちがかっこいい。ブラスが入るとバンドの音はしっかりとします。全体がうきうきと感じられ、楽しさも倍加され、
お客さんも大喜び。楽しさは命の体とばかりの、生き生きと歌を感じられた夜でした。
ぼくも一曲、飛び入りで「待ちあわせ」をみんなと歌いました。ああ、楽しかった。

4月17日(日)「送別会」

4月末に仙台から引っ越すことになった瀬尾夏美さん、小森はるかさん、磯崎未菜さん3人の送別会が火星の庭で
ありユミと参加しました。瀬尾さんたちと同世代の仙台アートシーンを担う男性3人と澁谷浩次さん&工藤夏海さん、
火星の前野久美子さん&健一さんで総勢12人。ぼくと年齢の離れた人たちとの出会いと別れは思いのほか楽しく、
火星からすぐ近くのぼくの家までギターを取りに行って歌ったり、澁谷さんもピアノで自作を歌ったり、
それから圧巻だったのは普段はもの静かな健一くんがTVアニメの前口上を立ち上がって披露してくれたことでした。
気がついたら午前2時のお開きとなり、ひとつもお別れという感じがないままバラバラと未来に向かって歩きだしました。

4月15日(金)「句会」

東北新幹線が全線再開された昨日、仙台にやって来ました。
まずは3月16日の福島沖の地震で被害にあったまま放置されていた台所の片づけと掃除。
床に落ちたものが元々どこにあったのかをユミが思い出しながらのジグソーパズル。1時間ぐらいで
元通りになりました。実際の被害はグラスが一つとカップが一つ割れただけで済みました。
でも今回の地震はほんとに揺れがひどかったようで、家がぐちゃぐちゃになった友だちの話をいろいろ聞いて、
あらためて地震は怖いと思いました。

今日は月例句会がありました。榴ケ岡公園での花見句会は雨のために中止になり、

いつものように火星の庭でやることになりました。一昨日まで東京に出かけていたという主宰の渡辺さんもかけつけてくれ、
とても楽しい会でした。

4月8日(金)「リクオとホーボーハウスバンド」

リクオのサムズアップ2 Daysの二日目のゲストとして出演しました。
曲目は「こわれてしまった一日」「マオリの女」「カルバドスのりんご」「ブルース」「ぼくは君を探しに来たんだ」
そしてアンコールの最後に「I Shall Be Released」の6曲。
ホーボーハウスバンドはリクオのボーカルとピアノ、ボーカルの真城めぐみ、ギターの高木克、スティールギターの宮下広輔、
ドラムスは小宮山純平、そしてベースが寺岡信芳。楽器と楽器が糸を引くようにつながっていて、そこにぼくが入っても
「一緒に糸を引き合いましょう」と誘われているような楽しさ。いいバンドを体験しました。
リクオは、ぼくがホームページの日記に書いたリハーサルの感想に刺激を受けてできたという新曲や、忌野清志郎による
日本語詞の「イマジン」など、常に新しい曲を前向きに演奏する態度は今までと変わらず、中でもぼくは今夜は「リアル」
という曲が生きていると感じました。
今夜は森山直太朗くんも聞きに来てくれていて、ライブを自分のもののように楽しんで聞いてくれたし、ステージにも
客席にもうれしいもののあるいい夜でした。

4月6日(水)「リクオバンドとのリハーサル」

1月下旬にやるはずで急きょ延期になってしまったリクオバンドとのリハーサルをしました。
ライブは4月8日横浜サムズアップで、配信もあります。ぼくはリクオたちと6曲演奏します。
最初のリハーサルから2か月以上がたってしまい、前回練習したことで忘れていることも多く、
今日のリハーサルは有意義でした。とてもいいバンドです。遠くの人はぜひ配信で見て欲しいです。

4月2日(土)「名古屋市 得三」

年に2回の得三ソロライブ、今日は前から試してみたかったノーマイクでの演奏を2部の前半に
やってみました。前にユミが、得三ぐらいの大きさで音の良いライブハウスなら全くの生でもできそう、
と言っていたのを本番前に思い出したので。はじめてのことは何でもおもしろい。
モニターを使わなくても声もギターもちゃんと自分の耳に届いたし、お客さんにもちゃんと伝わって
いるみたいなので、二部の前半をノーマイクでやりました。得三のPAの人も良かったと言ってくれました。
得三の店主森田さんも次回のライブはめずらしいマイクでやりませんか、と乗り気でした。

3月30日(水)「ベルファスト」

アカデミー賞の脚本賞を受賞した今話題の映画「ベルファスト」をユミと見に行きました。
1969年の北アイルランドのベルファストで暮らす家族の話。
イギリスとアイルランドはプロテスタントとカトリックという宗教の違いで、もう長い間問題が絶えません。とくに両方の人たちが共存する北アイルランド地方は紛争が起こったりしました。
この映画は子供を主人公にした家族の話にすることで、より政治のことが浮き上がってきます。
全編に流れるヴァン・モリソンの歌が良くて、深刻な内容にもかかわらずおもしろく見てしまいました。
モノクロの映画なのも美しかった。メキシコの映画「ローマ」を思い出しました。

3月26日(土)「仙台」

「はやて」「やまびこ」「臨時快速列車」と乗り継いで青森から仙台へ。3月16日の地震で仙台に借りている部屋が
どうなったかを見に行きました。10日ぶりにこの部屋に入りましたが玄関の傘立てが倒れていて、「ああ、こんなものかな」
と安心したのにリビングに入ってびっくり。キッチンの冷蔵庫のドアが開いていて、中のものが床に飛び出していました。
もちろん冷蔵庫の上にあったものも下に落ちて、棚の調味料や砂糖なども全部床にちらばっていました。
食器はいくつか割れただけでしたが、地震の衝撃の大きさが手に取るようにわかる惨状でした。
ちなみに部屋は4階です。キッチン以外の部屋はどの部屋も被害はありませんでした。
スマートフォンでキッチンの写真を撮って横浜にいるユミに送り、相談しながら片づけをしました。
ユミがいないとわからないことも多くぼく一人では無理なので、できる範囲で片づけをして仙台駅に向かいました。

最終の「臨時快速列車」(車両は今はなき懐かしの特急はつかり号)で新幹線「なすの」に乗り継ぐために郡山へ向かいましたが、

強風のために福島の一つ手前の駅で2時間40分停車。郡山からの乗り継ぎはもうなく、急きょJREから手配された高速バスで
東京駅に向かうことになりました。(高速バスが手配される前は、列車をホテルとして使ってくださいとアナウンスされていた。)
真夜中過ぎの郡山駅でバスの到着を待っていたらどこか海外にいるような気がしてきて、自分が外国旅行者のような
懐かしい気分になりました。
早朝5時に東京駅丸の内側に到着。人けのない東京駅は幻想的でしかもとても美しかった。(東京はとても美しい街なのかも
しれない、人間がいなければ)。いろいろ事務手続きなどして横浜の家に着いたのは午前7時。仙台から12時間の旅でした。

3月25日(金)「青森市 もぐらや」

去年の3月にぼくがライブをしたのが最後で、その後一度ももぐらやはライブができなくて、1年ぶりのライブがまた
ぼくのライブでした。ぼくがこの一年をつないだことになります。
マイクを使わない完全生ライブ。それなのに不思議な響きがあって生とは思えない。前からこれは気づいていたことですが。
アンコールで「月の光」を歌うと、ロシアによるウクライナ侵攻と重ねて聞いてしまったという人もいました。それを聞いて
「歌は生きている」んだなあとぼくは思いました。

3月24日(木)「弘前市 Keep The Beat」

3月16日の福島県沖の地震のせいで東北新幹線が一部運転を中止しているため、羽田から大館能代空港まで飛び、
奥羽本線を使って弘前入り。アサイラムのひろしさんが迎えに来てくれて、一緒に食事の後去年の春に再開した
ひろしさんのレコード屋Joy Popsへ行きました。Joy Popsは金土日しか営業していないのに「ああ、いいよ」と
店を開けてくれました。他に客のいない広い店内で、一人黙々とレコードを見ることができました。
ライブハウス「Keep The Beat」はJoy Popsの1階にあって、バンドにもソロにも適しているちょうどいい大きさ。
初めての会場で一番心配なのは音響ですが、PAの人がとてもしっかりしていて、ぼくがやりやすいような音作りを
してくれました。

3月19日(土)「松竹谷清」

サムズアップで松竹谷清くんのライブがありました。札幌から一緒にやってきたトロンボーンのしゅうへいくんが
全曲一緒に演奏していました。聞きどころの多い二人の演奏がとてもおもしろく、終演後に聞いてみたらかなり
練習したということ、なるほどなあ、と思いました。
札幌のぼくのライブではよく清くんにゲストで来てもらっています。今日はそのお返しでぼくが飛び入りして
三人で3曲一緒に演奏しました。

3月14日(月)「大分市 アトホール」

佐伯市でジャズ喫茶をする高司さんが車で大分まで送ってくれました。
佐伯から海岸線をずっと北上して大分まで、途中臼杵という古い町を散歩しました。古い建物をきれいに保存したすてきな
街並みにうれしくなって歩いていると、肉屋の入り口に猫がとうせんぼして眠っていました。猫の多い町。
大分市も25年ぶりだとか。月日の経つのは早い。「アトホール」は若い人たちの運営するライブハウスで、近所で音楽酒場を
41年続けているという後藤さんが企画してくれました。お客さんがたくさん来てくれたのは25年ぶりということもあるでしょう。
ライブにはいつもその場にしかない時間があって、25年という時間は消し飛んでしまいます。

今回の大分県の二か所のライブは、佐伯市の井伊さんがライブをしたいと熱心に連絡をしてくれて実現しました。

九州にはほとんど知り合いがいないので、ライブをすることができてうれしかったです。

3月13日(日)「佐伯市 やあ。」

大分県の佐伯市「やあ。」というステーキのお店でライブをしました。
ぼくが佐伯市でライブをするのはおよそ50年ぶりだとか。そのときのイベントに来たという人も今回来てくれたので、
確かなことなのでしょう。50年前のライブははたしてどうだったのかな。
せまい店にぎっしりのお客さん、大分は感染者が少ないそうですが、2回ワクチンを受けたとはいえ、歌う時のぼくの
つばが最初は気になりました。「やあ。」の井伊さんは以前仕事で東北にいたことがあり、震災直後の陸前高田や仙台のこともよく知っていました。
お店を始めて4年、ずっとぼくのライブを企画したいと思っていたそうです。
開演前、すぐ近くの飲み屋街で火事がありました。夕暮れの町にもくもくと上がる煙、印象的な出来事でした。

3月10日(木)「震災の記憶をめくる」「Loose Colony」

仙台の河北新報とニューヨークのNew York Timesの震災後約1か月間の新聞紙面を展示した「震災の記憶をめくる」展。
日本とアメリカの震災報道を比較しながら振り返ることができます。日本とアメリカの新聞の写真のトリミングの違い、
原発事故の報道の違い、どちらも同じ震災を報道しているのにその違いがよくわかります。3月21日までです。

火星の庭の前野さんの車で、ぼくとユミと3人で利府町文化交流センターに、佐竹真紀子さんの展覧会「Loose Colony」

を見に行きました。佐竹さんの絵は、何層にも塗ったいろんな色のアクリル絵の具を彫刻刀で削って描かれています。
削るという行為はもしかしたら、気持ちに合った言葉を探すのに似ているのかもしれません。絵に刻まれた彫刻刀の跡は、
記憶に刻まれた足跡なのかもしれないと思いました。
利府町から仙台に戻り、夜の新幹線で横浜に戻りました。今回の仙台滞在も盛りだくさんでした。

3月9日(水)「super good」

エンジニアの佐藤ヒロユキさんと仙台の花京院にあるミュージックバー「Super Good」に行きました。
前から入ってみたかった店でした。カウンターに6人ぐらい座ればほぼ満席の小さな店です。お店のご夫婦も
佐藤さんという名前。仙台は佐藤さんがたくさん。
大きな音で聞くソウルミュージック、こういう場所で聞くとどれもよく聞こえる。時々はマスターがかけている
曲について解説してくれたりして、音楽の学校のようでもありました。それがまた楽しかった。

3月8日(火)「インタビューズーズー」

「インタビューズーズー」にゲストで出演しました。
この番組に出演することが決まって、パーソナリティの瀬尾夏美さんと撮影の小森はるかさん、ぼくとユミの4人で
この間陸前高田まで行ったのでした。瀬尾さんが物語にした「二重のまち」を見るために。ところが吹雪と大雪で
命がけのドライブになったことは前にこの日記に書きました。
ファッションビル「フォーラス」の7階に準備された特設スタジオでの生番組。今夜が最終回だそうです。
ぼくと瀬尾さんのトーク、瀬尾さんの「二重のまち」の朗読、実際に二重のまちに行ってみてぼくが書いた詩の朗読、
そしてぼくのミニライブという1時間半の内容でした。番組の枠組みはしっかりしているのに、ぼくのトークは行き当たり
ばったりで、はたして内容としてはどうだったのかなあと少し心配になります。ぜひズーズーのyoutubeチャンネルで
見てください。
インタビューズーズー第十回 
https://www.youtube.com/watch?v=t4KVy134ULY
(これは後日仙台メディアテークのyoutubeチャンネルでもアーカイブとしてアップされるそうです。)

3月7日(月)「石巻市 ラ・ストラーダ」

石巻の「ラ・ストラーダ」で初めてのライブをしました。共演者のおおはた雄一くんは初めての石巻で、
PAの佐藤さんの車で仙台からみんなで石巻へ。
ぼくは津波の被害にあった最初のラ・ストラーダも知らないし、震災後に別の場所で再開した今のラ・ストラーダも
初めてでした。でもお店のオーナーのお二人が郡山やいわきのぼくのライブに来てくれたりして話をするようになり、
いつかラ・ストラーダでライブがしたいなあと思っていたのでした。その思いがようやく実現した夜でした。
月曜日だというのにたくさんの人が来てくれたことも忘れられません。ありがとうございました。

3月6日(日)「仙台アジアントライブ」

昨日リクエスト大会に飛び入りしてくれたおおはた雄一くんのソロライブが仙台のアジアントライブでありました。
夕方横浜の家を出たぼくとユミはライブの時間には間に合わなかったけど、終演後の打ち上げには間に合って、
おおはたくんやエンジニアの佐藤さんたちと夜遅くまで飲んだり食べたりしました。
久しぶりのアジアントライブの食べ物、おいしかった。

3月5日(土)「リクエスト大会」

吉祥寺のスターパインズカフェで久しぶりの「リクエスト大会」、たくさんの歌をリクエストしてもらいました。
入場時に箱に入れてもらったリクエスト曲の書かれた紙を、ステージ上でくじ引きみたいに一枚ずつ引いて、
それを歌うわけだけど、どの曲もとても新鮮な気持ちになります。なぜならそれはぼくの曲であってぼくの曲では
ないような気がするから。お客さんからの思いもしないリクエストに感動してしまいます。
飛び入りで何曲もギターを弾いてくれたおおはた雄一くんもそれは同じ気持ちのようで、楽屋で何度も
「おもしろいですね」を繰り返していました。約3時間のライブで21曲歌いました。年に一度はやりたい企画です。

3月1日(火)「震災の記憶をめくる」

仙台のギャラリーカフェ「frame」で今日から『震災の記憶をめくる』という展示が始まりました。震災直後の「河北新報」と
「New York Times」を展示しています。「New York Times」はぼくがニューヨークにいるときに震災の記事の部分を
切り抜いて保管していたものです。11年もたって少し新聞紙が黄ばんできています。
「河北新報」はmariさんの作品です。当時の新聞を束ねた作品で、mariさんの日記と一緒に展示されます。
「frame」の伊東卓さんからこの展示のチラシ原案がメールで送られてきて、そこにあったQRコードでNew York Timesに
アーカイブされている東日本大震災に関する写真約250枚が見られます。新聞には載らなかった写真が多く、何時間も
かけて全部見てしまいました。
 

喫茶「frame」(SARP仙台アーティストランプレイス内) 仙台市青葉区錦町1-12-7 門脇ビル1F 070-6510-5023

2月26日(土)「映画会」

火星の庭で映画会をしました。火星の前野さん、ホルンの澁谷さん、夏海さん、ぼくとユミ、といういつものメンバー。
ケン・ローチの映画を2本見ました。
「レディバード・レディバード」は社会福祉国家イギリスの実態をこれでもかというほど執拗に描きます。福祉課の担当者に
一度子育て失格だと見なされたら、産んだ子を次々に「保護します」と言って養子にされてしまう。まるで犬や猫の子みたいに
持って行くんだな、とユミは言ってました。
「レイニング・ストーン」は失業中の父親が娘が教会の堅信礼で着るドレスを買うため借金をしてしまい、札付きの取り立て屋
から脅され、借用書を取り戻そうとして取立人を事故で死なせてしまう。自首しようとする父親に「あなたが殺したわけではない。
だからこのことは誰にも言わずに、ただ神に懺悔しなさい」と思いとどまらせる神父。生きるために必死の人たちの
なんとなく救いのある話でした。

2月24日(木)「11年前のニューヨークタイムズ」

2011年3月11日、ぼくとユミはニューヨークの家にいました。日本がどんなことになっているのかを知ろうと、
昼も夜もパソコンから離れられなかったユミは完全に寝不足状態。毎日24時間ストリーミングでTBSとNHKが
ニュースを流し続けてていました。ぼくはニューヨークタイムズを毎日買い、新聞の記事から震災のことを
知ろうとしていました。
その1か月間のニューヨークタイムズを、仙台のフレームという画廊が3月から展示してくれることになりました。
何かをするためではなくただ保存してあった新聞に興味を持ってくれたフレームのあいさんと卓くんに感謝。
震災の日に合わせて、3月に展示するそうです。詳細が分かったらまたお知らせしますね。

2月23日(水)「及川くん」

ぼくのジャパンレコード時代のアルバム「ポカラ」(83年)で、芹沢のえさんとともにディレクターだった
及川くんと14年ぶりに再会しました。FM802の古賀さんが取り持ってくれたのですが、なんと及川くんは
今仙台に住んでいて、音楽関係の専門学校の講師をしているそうです。
ジャパンレコードで及川くんは芹沢のえさんと一緒にラフトレードのレコードも出していて、ぼくはそのころ
のえさんからラフトレードのレコードをたくさんもらいましたが、今でも大切に持っています。
自称ラフトレードおたくのyumboの澁谷さんが及川くんに会いたがっていたのでユミが電話して誘ったら、
及川くんがライナーノートを書いたというバンドのLPレコードを持ってうちに遊びに来ました。
澁谷さんは80年代の話を及川くんにいろいろ質問していました。ほくもあの頃がとても懐かしかった。
及川くんとの再会は、仙台でのぼくの新しい出会いでした。

2月22日(火)「句会」

2月の火星句会は12月に引っ越したばかりのぼくたちの部屋でやりました。
集まったのはぼくとユミを入れて8人。椅子の数が8つなのでぴったりでした。
みんなぼくたちの新しい部屋が見たかったみたいで、句会の前にあっちこっちを探検していました。
テーブルには持ち寄りの食べ物とお酒、火星の庭の健ちゃんが作ってくれた句稿を前に、場所は変われど
いつも通りの楽しい句会でした。

2月21日(月)「陸前高田へ」

小森はるかさん、瀬尾夏美さんと一緒に陸前高田へ行きました。
運転は小森さんで助手席に瀬尾さん、後部席にぼくとユミ。吹雪や事故渋滞で高速道路が閉鎖になり、
陸前高田まで5時間(予定の倍の時間)かかりました。気仙沼をすぎると猛吹雪で、到着前にすでに
帰り道の心配。小森さんのドキュメンタリー映画「空に聞く」に出てくる阿部裕美さんの食堂「味彩」で
遅い昼食。ぼくたちを待っていてくれた地元の小野文浩さんにもそこで会いました。
小野さんとは、昔ぼくが陸前高田でライブをしたことのあるお店のこと、ぼくのライブを何度も主催
してくれて、津波で亡くなった菅野さんのことなどを話しました。町のほぼ全域は10メートル嵩上げされて、
新しい町は今その上にあります。嵩上げされた広大な土地は想像以上の広さでした。そこに新しい町が
できつつあり、「味彩」もジャズ喫茶「ジョニー」も市役所も新しい土の上に立っています。そしてその下には
記憶の中の町が今もあり、瀬尾夏美さんはその二つの町を「二重のまち」と呼んで物語にしました。
今回はその「二重のまち」を二人に案内してもらう目的でやって来たのでした。
それにしても雪は激しく降り、町を見て回ることは不可能で、2年前に完成したばかりだという市役所の展望台から
町を眺め、5階建ての集合住宅の屋上からまた眺め、嵩上げのはじまで行ってその向こうの遺構の建物を眺め、
同行してくれた小野さんに再会を約束して大至急仙台に戻ることにしました。滞在時間は食事も含めわずか2時間。
瀬尾さんと小森さんが陸前高田で3年間暮らした間もそのあとも一度も体験したことのなかった猛烈な吹雪を、
ぼくたちは初めての訪問で体験することとなりました。

2月20日(日)「仙台へ」

昨日から仙台に来ています。
火星の庭の中古CDとレコードを若干補充しました。

2月19日(土)「磔磔」

「『磔磔』ライブハウスとコロナの500日」がBSフジで再放送されます。
地上波では東京と大阪でしか見られなかった番組を、今回は全国で見られます。
ぼくも3KINGSで歌っている映像が見られますよ。3月5日(土)25:00~27:00放送。

2月15日(火)「小原流挿花」

生け花の小原流の月刊誌の4月号(4月1日発行)にエッセイを書きました。生け花の雑誌なので植物の話です。
コロナの世界になったからなのか草木に興味がいく最近のぼくの話を書きました。

2月13日(日)「ドライブ・マイ・カー」

ようやく「ドライブ・マイ・カー」を見ることができました。今まで横浜も仙台も上映のタイミングが合わず。
アカデミー賞候補のおかげかな。
少し早めに家を出て、ユミとストーブスにごはんを食べに行きました。オーナーの佐布さんとも話せたし、
急きょ今夜ライブをすることになったというリトルキヨシとゲンキくんにもサムズアップで会うことができた。
ライブ、見たかったけど、映画のチケットを予約してあったので少しだけリハーサルを見てから映画館に。

この映画の予備知識はなかったけれど、先日見た同じ監督の「偶然と想像」が良かったので楽しみにしていました。
物語が道をそれるようにぐいぐいと変わって行くおもしろさがあって、次の角を曲がったら何があるのかわからない、
そんなお話でした。そして最後は広島から北海道まで車でまっしぐら。このまっしぐらがとても大事なんだろうな。
運転手役の娘の「一部分だけでその人を見ると捉えられなくなるけど、その人を丸ごと一人の人間としてみれば
謎もなくなる」、というような意味のセリフにまっすぐたどり着く。ちゃんとセリフを覚えておけばよかったけど、
娘のこの言葉が、今の世の中で起きている様々なことにとても役立つような気がしました。

2月11日(金)「夢の涯てまでも」

ジャック&ベティでの1回だけの上映、ヴィム・ベンダース監督の5時間の映画を見に行きました。
途中に短い休憩がありました。
1991年の作品で、物語は1999年の架空の世界。予備知識なしに見たけどおもしろかった。監督の力量を感じました。
パリ、ベルリン、リスボン、モスクワ、北京、東京、サンフランシスコと主人公のクレアと共に地球の上を
移動し続ける登場人物たち。アボリジニの暮らすオーストラリアの砂漠で出会ったのは、見た人の脳の波動を
使って盲目の人にも映像を見せられる夢の機械。その機械で見た自分の夢に夢中になって自分を忘れる人たち。
このあたりはスマートフォンに見入る今の人たちの姿に似ています。
最終的に自分の手で描く絵や言葉が紡ぐ物語がリアルを取り戻す、という内容でした。睡眠中に見る夢は
夢としてそっとしておくのがいいのかもしれません。

2月10日(木)「ライブの延期」

2月25日弘前と26日青森のライブが1か月延期になりました。
コロナウィルスの感染拡大と大雪のため。
1か月の延期で状況が大きく変わってほしいものです。

2月6日(日)「豊橋 ハウスオブクレージー」

 粉雪の舞う浜松、豊橋、どちらの駅の周辺にも行き場のないホームレスの人たちがうずくまっていました。
浜松と豊橋は在来線でも30分という近い距離でぼくとユミも時間を持て余し、駅前のビルの中で時間を
つぶしたりしていました。
ハウスオブクレージーの松崎さんとの電話で、キャンセルが多くて予約してくれた人で残っているのは数人、
と聞いていました。でも年に一度の豊橋ライブを中止にはできません。それにふたを開けてみなければ、
わからない。結果11人が聞きにきてくれてちょっとほっとしました。
終演後は来てくれた友人と30分ぐらい打ち上げをして、昨日会った中川くんをまねして豊橋には泊まらずに、
最終のひかりで横浜に戻りました。

2月5日(土)「浜松 エスケリータ68」

28日のリクオバンドとのリハーサルの後にメンバーのコロナ陽性者が出たため、ぼくとユミは
自宅で一週間自主隔離しましたが、何の症状も出なくて一安心。
 
逃げ場のない寒さが襲ってきました。ぼくとユミは午後の新幹線で浜松へ。
エスケリータで久しぶりのライブです。去年はコロナ騒ぎで一度も歌いに来られなかった。
達磨ストーブを囲むようにお客さんはぼくの歌を聞いてくれました。ぼくはストーブの火を
絶やさないように歌いました。エスケリータはコロナ禍でも休業せずにライブをやっていて、
ライブの火種はお客さんに守られています。この場所が育てたファミリーのような関係を大切に。
 
そういえば新横浜の駅で新幹線に乗る前、ソウルフラワーの中川くんとばったり会いました。
今日はサムズアップでライブがあって、開演時間が早いのでホテルに泊まらずに大阪に帰ると言ってました。

1月29日(土)「サムズアップのライブ・延期」

昨日リハーサルしたばかりなのに、今日リクオから連絡がありライブが延期になりました。
バンドメンバーのコロナ感染疑いという理由です。とても残念だけれどなるべく早い時期にやる、とのことなので、
次回開催日の連絡を待ちましょう。みんなが元気でライブができる日を楽しみにしています。

1月28日(金)「リクオのリハーサル」

今日は1月30日のリクオのサムズアップライブのためのリハーサルをしました。
ピアノ、ドラム、ベース、ギター、ペダルスチールギター、女性ボーカル、という編成で、静かな曲もロックな曲も
豊かに感じさせる人たちです。久しぶりにリクオのピアノを聞きながら歌っていたら、彼のピアノで演奏が
とても盛り上がったことがあるのを思い出しました。
ぼくはゲストですが、今回何曲も一緒にできることになってうれしい。
バンドはいくつもの音が一つになるのではなく、いくつもの音がいくつものまま一つの曲になることなんだと、
改めてわかりました。だから普段は一人で演奏している曲も、バンドで演奏することはぼくにとって大切です。

1月26日(水)「映画会」

ホルンの澁谷さん、夏海さんと、火星の庭の前野さんとぼくたちとで映画会。
澁谷さんが「れいこいるか」というすてきな映画を持ってきてぼくたちに見せてくれました。
れいこというのは神戸の地震で家屋の下敷きになって死んだ女の子。その両親の物語です。
関西出身のユミは、全編ギンギンの関西弁なので映画と現実の境目があいまいになってきて、ああもうヤバい、
と見終わった後に心が彷徨っていました。
映画の最後の方で、主人公のいちこが年頃の女の子に思わず「れいこ」と呼びかけるところではどうしても
涙がでてしまいました。

1月25日(火)「偶然と想像」

仙台の映画館フォーラムにユミと映画を見に行きました。3つの短編集です。3つは1つの音楽でつながっている
ような気がしました。セリフは演技を生き生きとさせます。セリフではらはらさせられる映画はめずらしい。
動きのない演技に動きを見つけられます。見終わった後、「ああ、今年はもうこれ一本でいいなあ」というような
満足感がありました。ただ残念なのは3話の冒頭に出てくる細馬宏通さんを見逃したこと。後でユミに言われて
ショックでした。そのシーンだけのためにもう一度見てもいいかな。

1月24日(月)「佐藤さん」

仙台には佐藤さんがたくさんいて、これは「あの橋を渡る」のレコーディングからずっとお世話になっている
佐藤ヒロユキさん。ユミと3人で新年会をしました。今年もどうぞよろしく、という意味で。
そしたら石巻でのおおはた雄一くんとのライブが決まってしまった。別に仕事の話をするために会った
わけでもないのに。人と会うって大切なことなんですね。

1月23日(日)「句会」

火星の庭で今年はじめての句会。
主宰の渡辺誠一郎さんも入れて9人が参加しました。句会の後は1月生まれのメンバーの誕生会。
持ち寄りの食べ物もおいしかった。渡辺さんの「句会やろうよ」という一言で始まった句会ですが、
気が付けばもう10年以上になります。始めたらやめられないのは野菜作りにもどこか似ている。

1月21日(金)「病院」「打合せ」

去年の5月に仙台の病院に入院して以来、通院が続いています。最初は一か月ごとだったのが3か月に一度になり、
通院の間隔は徐々に空いて行くようです。今日の検査はMRIなどでしたが、問題はありませんでした。
今飲んでいる薬は飲み続けなくてはいけないそうです。

夕方は、3月のインターネットテレビのための打ち合わせをアーティストの瀬尾夏美さんと火星の庭で。
そのまま瀬尾さんと火星の庭の前野さんがぼくのアパートに来て、4人でユミの作った肉そばを食べたり
お酒を飲んだり。深夜までずっと音楽をかけたりして盛り上がってました。
瀬尾さんもなんとかなると思っているのか、内容についてはほとんど何も決めなかった。

1月18日(火)「仙台 雪道」

今年はじめての仙台です。吹雪だったようで歩道には雪が積もりそれが凍っていました。
12月に引っ越した新しい部屋までは徒歩で7、8分。ぼくはタクシーを主張しましたが、ユミは今回初めて
駅から新しい家に行くのだから歩きたいと言い、スーツケースを引いて歩き始めたはいいけど滑ります。
仙台に来る前にユミが横浜のデパートで買った雪道用のスパイクを信号待ちで靴に装着。スパイクが
凍った路面に有効なことは、以前3KINGSで冬の北海道に行ったときに体験済み。たぶん地元の人は誰も
そんなものはつけていないけど、雪に不慣れなぼくたちにはとても頼りになりました。

1月17日(月)「夜空に星のあるように」

ケン・ローチ監督の1967年の映画をユミと横浜のジャック&ベティに見に行きました。
原題はpoor cowで同名のドノバンの歌が主題歌に使われています。
労働者階級の若者たちがみんな貧しくて、泥棒や売春も犯罪というよりは生きる手段。
そんな60年代のイギリス、ロンドンの話です。でも今も世界はそんなに変わらないかもしれない。
とにかく若いということは生きることに必死だということ。世の中のことなど気にしていられない。
出演している役者には映画の中と同じような人生を歩んだ人もいて、ドキュメンタリーとフィクションが
せめぎ合うようなリアリティーがありました。
監督の第一作だそうですが、最近の作品「わたしは、ダニエル・ブレイク」に通じるものがありました。

1月15日(土)「サムズアップ」

今年初めての、そして久々の横浜でのソロライブ。
前半は最近のぼくの歌いた新曲を中心に、後半は新春プチリクエスト大会という構成でした。
お客さんで来てくれていた安藤ケンジロウくんと知久寿焼くんが、二人ともたまたま楽器を持って
きていたので、リクエストされた曲の中から一緒にできそうな「夕暮れ」や「ガーディナーさん」を
演奏してもらいました。
リクエスト大会はお客さんがライブに参加できるとてもいい方法だと思いますが、客席にいた友だちが
突然楽器を持ってステージに上がり一緒に演奏するのもとても楽しい。
次のリクエスト大会は3月5日のスターパインズカフェで、この日はまるまるリクエスト大会です。

今月は1月30日にもサムズアップでリクオバンドのライブにゲストで、バンドで何曲も歌う予定です。
まん延防止等重点措置にめげず元気で聞きに来てください。

1月12日(水)「北海道新聞」

北海道新聞に書いた書評が1月16日(日)の新聞に掲載されます。中部博さんが書いた「プカプカ 西岡恭蔵伝」(小学館)の書評です。
ぼくの書評は短いけど、400ページ以上ある「西岡恭蔵伝」は読みごたえがありました。

1月11日(火)「ボストン市庁舎」

フレデリック・ワイズマン監督の新作をジャック&ベティにユミと見に行きました。4時間半の記録映画です。
途中の休憩時間に食べようとユミが作ったコーンブレッドやサンドイッチ、りんごなどを用意して。
ぼくがボストンに行ったのは2回だけで白人ばかりが目立つ印象でしたが、150カ国からの移民がいて昔から
人種差別などもある移民の街なのだそうです。
ぼくの暮らす横浜中区も160の言語の人たちが暮らしているそうで、結構似ているのかもしれない。
親がアイルランドからの移民だという市長が、あらゆる市民からの話を聞いて問題を一つ一つ改善していこうとがんばっていました。
市役所の仕事はとても細かい。そして住民にとても近い。すべてがほとんど住民との直接的なやり取りで進められていく。
それには住民がタフでなければ、と納得させられました。

1月10日(月)「新年」

近所の公園に晴れ着の女性たちが富士山を見に来ていました。成人式の後なんだろうけど、お正月みたいでした。
2日に息子夫婦とみなとみらいで会いました。ランニングを始めるというので、二人にランニングシューズをプレゼント。
ぼくがランニングを始めたきっかけは、もとはといえば息子が小学生のときに友だちと走っていたのを思い出したから。

8日にはユミの妹家族とぼくたちの5人で、三崎に住む友人を訪ねました。ユミの甥の岳くんがサラリーマンをやめて農業を
したいというので、東京から三崎に移住していろいろ事業展開している藤沢くんに相談に行ったのです。
魚屋の「まる一」、藤沢くんの「ミサキプレッソ」「ミサキドーナツ」と素敵なお正月の三崎巡り。細い路地から
海が見える時間の孤島のような町で、ぼくたちのささやかで静かな2022年が始まりました。
「ミサキプレッソ」では延々と藤沢くんがプロデュースをしているかもめ児童合唱団が流れていました。