友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

5月20日(土)「秩父皆野町 ホンキートンク」

年末になるといつもホンキートンクの鈴木さんから電話がかかる。
今まで数えきれないくらい歌いに来たホンキートンク、毎回不思議なくらい多くの人が
聞きに来てくれます、こんな田舎町に。これは鈴木さんの早くからの準備のおかげかも。
ここ何年か楽屋に置いてあった加川良の遺品のマーチンギター、今日で持ち主が持ち帰るというので、
加川良のギターで最初に2曲古い歌を歌わせてもらいました。マーチンのD28は小柄なぼくが持つと
とても大きく見えるとユミが毎回言います。
前半にまだレコーディングしていない曲をかためて歌い、後半は歌いなれた曲を厳選して歌いました。
今日の曲順は自分的には楽しかった。

打ち上げは、昔はここがライブハウスだったホンキートンクの1階で。

鈴木さんがホンキートンクの昔のライヴビデオを大きな画面で見せてくれたのですが、もはや自分だとは
思えないほど若々しい1985年のぼくにびっくりしたり、みんなで騒いだりしていて夜も遅くなり、
今夜オープニングアクトで歌った斉藤航くんに秩父駅前のホテルまで車で送ってもらいました。

5月19日(金) 「北海道新聞」

先日取材されたぼくのランニングについてのインタビュー記事が北海道新聞デジタルに出てます。
北海道新聞のホームページでだれでも読むことができます。
〈ディープに語ろう 北海道マラソン〉というシリーズのところなので、ぜひ読んでください。
www.hokkaido-np.co.jp

5月15日(月)「火星の庭句会」

月例の火星の庭句会に2か月ぶりに参加しました。主宰の渡辺さんだけいつもたくさん選句します。
この日は13句も選んでいました。主宰の持ってきてくれたお酒が非常においしかった。

ぼくは今回久しぶりに中古レコードを火星の庭に納品しましたが、さっそくデイブ・ヴァン・ロンク

とか売れていてうれしかった。中古CDの補充もしましたので見に行ってください。

5月14日(日)「定禅寺通り西から東へ」

原くんと稲田さんとメディアテークの向かいの「ホルン」で待ち合わせ。昨日のライブに
名古屋から車で来てくれた井上糧くんたちや、大阪の「音凪」の夫妻も来ていました。
「ホルン」名物の2種盛り南インド風カレーを食べてから、「ホルン」と同じ定禅寺通り沿いの
「火星の庭」に移動。定禅寺通りの美しい欅並木を西から東へ1キロぐらい歩きました。
それからうちのすぐそばにある「ボタン」という新刊書店へ。6人でいっぱいの小さなお店です。
「音凪」の二人と別れたあと、原くんたちはぼくたちのうちに来ました。
ユミの作ったパスタサラダで夜の10時ごろまでワインを飲みながらおしゃべり。
でも何をおしゃべりしたのかぼくは全然覚えていません。

5月13日(土)「仙台 アジアントライブ」

原マスミとの仙台ライブ、場所は仙台駅前エデンにあるアジアントライブ。
今まではyumboの澁谷さんが原くんの仙台ライブを企画していたのですが、澁谷さんも
いろいろ忙しくなってきたし、今回はユミが企画担当でぼくと二人のライブをやりました。

原くんとぼくがそれぞれソロで50分ずつやって、その後二人で3曲一緒に演奏するという構成。

買ったばかりのフェンダーのエレキを指で弾きながら歌う原くんは歌も伴奏も自由自在な感じです。
「クライクライベイビー」は未来型の原くんにしてはめずらしく過去を振り返った歌で、
それが新鮮でした。
ぼくは「日暮れの子供たちの手を引いて」「弟の墓」などを歌って、「6月の雨の夜、チルチルミチルは」
で終わりました。ステージの天井から空の鳥かごが下がっていたので。
その後二人で「朝は詩人」「ピアノ」「夕日は昇る」の3曲を。リハーサルではうまくできなくて
心配した「朝は詩人」のハモリの部分、本番では奇跡的にできました。
満員のお客さんからアンコールがありましたが、二人であいさつして終了しました。
ぼくたちと同じくらいお客さんたちも楽しそうな夜でした。

5月7日(日)「神戸 James Blues Land」

「まっちゃんライブ」の316回目、主宰のまっちゃんは毎月のようにコンサートを企画しているそうです。ぼくは初参加。
会場は3KINGSでやったことのある神戸の古い倉庫の3階のJames Blues Land。大きさがまちまちの古いソファが客席です。
昨日は材木の倉庫、今日は中古家具の倉庫、二日続けての倉庫ライブでした。
今日も最初に大塚まさじが歌い後半にぼくが歌って、最後に二人で4曲一緒にやりました。まさじの「天王寺思い出通り」は
ぼくには久しぶりでとても良かった。Jamesで軽く乾杯をして元町のBarに歩いて移動しました。雨が強くなり始めて
タクシーがつかまらない。そのまま雨のピークの11時ごろまでBarにいて、まさじとマリちゃんとユミとで三宮のホテルに
帰ろうとしたけど、タクシーどころか一台の車も走っていません。映画にでもしたいくらいのどしゃぶりの雨の街。
今夜のライブを聞きに来てくれた光玄がアーケードの出口でずぶぬれになって、タクシーをやっと捕まえてくれて感謝感謝。

5月6日(土)「丹波篠山市 材木倉庫ライブ」

この日ユミは実家で用事があって、ぼくだけ篠山に向かいました。今にも雨が降り出しそうな空。材木の倉庫なので
半分野外のような場所が会場です。歌っているステージの後ろを車や人が行きかうのが見えます。
「ここはぼくの町だから」と最初に大塚まさじが50分歌いました。
休憩の後にぼくが50分。その後に大塚まさじと「港のはなし」「シャバダバ・ベイビー」「男らしいってわかるかい」を
演奏して、アンコールは「プカプカ」でした。「港のはなし」と「シャバダバ・ベイビー」はぼくの歌詞ですが、
ぼくはおもにハーモニカを吹きました。
コンサートは雨が本降りになる前に終わってよかった。倉庫の屋根に降る雨の音も聞きたかったけど、その前に終わりました。
主催の小谷さんの奥さんは「ことり」という岩茶茶房をしていて、打ち上げではたくさんの料理とお酒、
そして久しぶりに岩茶を飲めたのがぼくはうれしかった。

5月5日(金)「第三日目」

今日は一番最後のアンコールで少し歌うだけだったので、1時間ぐらい緑地公園内をランニングしました。
そんなに広い公園ではないけれど乗馬場があったり、バーベキューをする広場があったり、水辺にテントを張って
過ごす家族がいたり、高低差もかなりあったりして、一人でランニングを楽しみました。
金森幸介が20年ぶりに春一番に帰って来て、「もう引き返せない」をピアノの澁谷毅さんとやっていました。
「もう引き返さない」ということは来年も出るということ。みんな聞き入っていました。
一番最後はハンバートハンバートで、アンコールでは「春一番」を西岡恭蔵の古い友人たちと歌いました。
ぼくは割り当てられた部分の音程がうまくとれなかった。気にしていませんが。

こうして久しぶりの「春一番」は大盛り上がりのうちに終わりました。

入院中にもかかわらず、毎日会場に車いすでやって来た福岡風太に聞きたかったことは、
来年もまたやるよね、ということでした。

5月4日(木)「第二日目」

ぼくの出演日なので早めに会場入りして、楽屋に行ってみるとぼくの出演順は一番最後になっていました。
ああ、今日はコンサート終了までお酒が飲めないな。
だいたい歌う曲は決めてあったのでのんびりしていたら、ユミのアイデアで「ぼくは君を探しに来たんだ」を
三宅くんのスプーンフルとハンバートの佐藤良成くんとやることになり、急遽リハーサル室でリハーサル。
最後をバンドで盛り上げてスケールを大きくしたのは成功でした。
三宅くんと二人で、鮎川くんをしのんで3KINGSの「りんご畑は永遠なのさ」も。もう三人では歌えないんだなあ。
アンコールの「ブルース」を一人でやって終わりの予定でしたが、嵐くんのリクエストで「一本道」をバンドで。
良成くんのバイオリンの音色が日暮れの空に溶けていきました。

5月3日(水)「春一番 第一日目」

コロナでずっと中断していた「大阪春一番コンサート」が4年ぶりに服部緑地公園音楽堂で開かれました。
ゴールデンウィークで午前中の新幹線の席がとれなかったぼくとユミは、午後4時ごろに会場に到着。
ちょうど大塚まさじが歌っているときでした。
椅子席も芝生席も会場は人でいっぱいで、みんながこの日を楽しみに待っていたのがわかりました。
天気も良くて、最後のアーリータイムズストリングバンドがのどかで良かった。

5月1日(月)「北海道新聞」

北海道新聞の恵本さんから、北海道マラソンのことで取材を受けました。
8月27日の北海道マラソンに向けての連載記事の一つだそうです。
ニューヨーク以外ではこのところ北海道マラソンにも出ていて、今年ぼくは7回目になります。

4月23日(日)「友部正人なんて知らない 2」

ライブの前に、鮎川誠さんやJUKEレコードの松本さんのことでRKB放送の取材を受けました。
松本さんのドキュメンタリーは6月18日に九州沖縄ブロックドキュメンタリー「ムーブ」で放送されるそうです。

2日目の今日は1970年代から1980年代の歌のリクエスト曲です。

いっぱい飲み屋の唄/大阪へやって来た/長崎慕情/一本道/夕暮れ/誰もぼくの絵を描けないだろう/ぼくは海になんてなりたくはない/
はじめぼくはひとりだった/どうして旅に出なかったんだ/シャンソン/遠来/サンディさんの髭の歌/ロックンロール/
6月の雨の夜、チルチルミチルは/顔/古い切符/夕日は昇る//ぼくは君を探しに来たんだ/ブルース
途中ぼくが歌い忘れた「ぼくは君を探しに来たんだ」をライブ終了後にユミが教えてくれて、アンコールで歌いましたが、
みんなも一緒に歌ってくれて、すごく盛り上がりました。
今夜のライブには「ポカラ」の人たち以前にぼくのライブを主催してくれた懐かしい人たちも勢ぞろいしました。
でも一時期ずっと主催してくれたBEAの森くんが2月に病気で亡くなって、会えなかったのが残念です。

4月22日(土)「友部正人なんて知らない」

福岡の「ポカラ」というグループの2日連続の企画で、1日目の今日は1990年以降のリクエスト曲で
構成したライブでした。
主催の「ポカラ」は20年前、福岡の住吉神社の能舞台でのぼくのライブを企画したときに生まれました。
そのときの共演者はバイオリンの武川雅寛さん。
今回の会場は、田中くん、のりちゃん夫妻の古着屋「モノグリム」があったビルの2階のギャラリー。
部屋の響きがけっこうあるので、ボーカルだけマイクで拾い、ギターは生でやりました。
歌った曲のリストです。
大道芸人/こわれてしまった一日/すばらしいさよなら/銀の汽笛/朝は詩人/夜よ、明けるな/月の光/言葉の森/
横顔/朝の電話/悲しみの紙/サンテグジュペリはもういない/老人の時間、若者の時間/マリーナとウーライ/
弟の墓/マオリの女/隣の学校の野球部/一月一日午後一時(高橋さん)//陸前高田のアベマリア/りんご畑は永遠なのさ

4月16日(日)「高知市 Spoon」

今日も矢野絢子さんとのライブでした。今夜は最初に会話形式に相手の歌を引き継ぐように自分の歌を歌う、というのを2曲ずつやりました。
歌と歌が会話をしているみたいでおもしろかった。
それからはそれぞれのソロがあって、本編ラストは矢野さんと一緒に「ブルース」をやり
アンコールは「夕日は昇る」をやりました。

日曜日の高知は日曜市があり、何を買うわけでもなくぶらぶらと歩くのがいいです。

別の通りではクラフト市やフリーマーケットもやっていて、喫茶店や古本屋さん、うなぎを焼いている
お惣菜屋さん、歩いているだけで日が暮れそうな、のんびりしたいい街です。
そんな高知に、去年ニューヨークから帰国して来た友だちもライブを聞きに来てくれました。

4月15日(土)「三豊市 古木里庫」

建築会社の資材置き場のような大きな倉庫の一角に薪ストーブの展示場があって、そこが今夜の
ライブ会場でした。共演は久しぶりの矢野絢子さん。高知の主催者の町田さんと一緒に車でやってきました。
会場のすぐ前が遠浅の海で、水面に空が映るので写真撮影の観光名所になっているそうです。
浜では係りのおじさんたちが、観光客のスマートフォンで写真を撮ってあげていました。パラソルなんかの
小道具もあった。
ライブは最初に矢野さんが1時間歌い、後半にぼくが歌ってアンコールは一緒に「ブルース」をやりました。
会場の社長さんから友部のライブをやりたいと、今夜の主催の湯口さんに話があって実現したそうです。
解体された木造建築の柱など、おもしろそうなものがいっぱいの倉庫は、昔父の勤めていた建築会社の
資材置き場に似ていて、ぼくは中学の頃を思い出してじーんとするものがありました。

4月14日(金)「徳島市 寅家」

空を覆っているのは黄砂だそうです。だけどそれが雨雲に代わり、雨が降り出しました。
ホテルのすぐ裏に中古レコード屋があったので、そこで雨宿り。お腹がすいていたので、
割とすぐに切り上げて、会場の寅家まで歩きました。
寅家の岡本くんは、会うなりまず「今夜はほかのイベントとぶつかってお客さんが少ないかも」
という謝りのことば。「しょうがないね」としか言いようがありません。
何年も前の朝に徳島中央公園を一緒にランニングしたことのある人が、ランナー仲間を大勢連れて
聞きに来てくれました。ライブ終了後には、いつものように寅さん特製のカレーライスを食べました。
パイナップルの甘さがいいです。

4月13日(木)「ロストケア」

森山直太朗くんが主題歌を担当した映画「ロストケア」をユミと見に行きました。
行政から見放された認知症の老人たちを次々と殺した介護士の話。
「殺したのではなく、救ったのだ」という介護士の言葉は、深く胸に突き刺さります。
介護士の父親役の柄本明の演技がものすごくて、圧倒されました。
死は介護士が暴れる父親にあげられる唯一のやさしさだったのかもしれません。
そのうち自分にも死というやさしさが必要になるときが遠からず来るのだろうか、
ということを考えてしまいました。

4月11日(火)「Bob Dylan」

今回のボブ・ディラン日本公演、かなり余韻がきついです。たぶん何日も続くことでしょう。
初めは今回は行かないつもりでいましたが、ソニー・ミュージックの栗原さんからのお誘いで見に行けることに。
アリーナの前のほうのとてもいい席で、ボブ・ディランがよく見えて感激しました。

今回のように生き生きとしたボブ・ディランは初めて見ました。音楽全体が

のびのびとしていて、それがそのまま聞く人の幸せな気持ちに繋がっていく。
コンサートは1時間40分で終わってしまったけど、ぼくの中ではずっと続いています。
この気持ちは、今回の彼の公演を聞いた人ならきっと共通の思いでしょう。
ようやくぼくは生のボブ・ディランに会えた、今はそんな気持ちです。
今回のようにハキハキと歌詞を歌うボブ・ディランは見たことがありません。
過去にニューヨークでも10回ほど彼のコンサートに行きましたが、アメリカ人も何を歌っているのか
よくわからないと言っていた。どこも大きな会場だったので音響のせいもあるのかな。それだけではなく、
すでに観客が知っている歌詞を正確に歌わなくてもいいと思っているかのように、ぼくには
思えました。「rough and rowdy ways」という今回のアルバムはまだ観客のものとはなっていなくて、
どの歌もボブ・ディランの歌としてまっさらです。歌詞がまっさらに飛び込んでくるのは
そのせいなのかなと思いました。とてもうれしい変化でした。
今最も旬なボブ・ディランの歌に出会えて幸せでした。

4月8日(土)「宇都宮 悠日」

2017年に宇都宮でぼくのライブを主催してくれた埴田さんが、6年ぶりに再びぼくを
宇都宮に呼んでくれました。ユミと二人で、「やまびこ」で行きました。
会場も前回と同じ「悠日」で、6年前と同じようにリハーサルの前に手打ちそばを
食べました。ぼくのはブータン風で辛く、ユミは大きなカモ肉の入った温かいつけそば。
小学校の先生をしている伊藤尚毅(なおき)さんが最初に30分歌ってくれました。
しっかりした声で歌うギターのうまい人。アルバムは2枚出しています。
ぼくは「銀座線を探して」から歌い始めました。それから「小鳥谷」。
クロマニヨンズの名前の入ったピックでギターを弾いていたら、
今日ちょうど同じ時間に彼らも宇都宮でコンサートをしていることを思い出しました。
「ブルース」の最後をお客さんが一緒に歌ってくれたり、手拍子をしてくれたり、
今日のライブにはコロナ後の開放感のようなものがありました。
夜の「やまびこ」で日帰りの旅でした。

4月5日(水)「週刊朝日」

3月28日になくなった坂本龍一さんのことで週刊朝日から取材を受けました。
ぼくは彼の短い期間のことしか直接には知らないのですが、
彼がピアノを弾いてくれた「誰もぼくの絵を描けないだろう」という4枚目の
ぼくのアルバムが今でもとても好きなので、そういったことを話しました。
コメントのような形で11日に発売される週刊朝日に載るそうです。

3月26日(日)「リクエスト大会」

久しぶりのリクエスト大会は、ぼくの23枚のオリジナルアルバムから1曲ずつ歌いました。
今までのリクエスト大会では、リクエストが「大阪へやって来た」から「奇跡の果実」あたりまでに
かたまってしまうので、「夢がかなう10月」以降から最近までの曲をなかなか聞いてもらうことが
できませんでした。そこで今回はステージ裏に集められたリクエスト用紙を、アルバムごとに用意した小さな紙袋に
スタッフが入れていって、本番は順番に一枚ずつリクエスト用紙を引いて歌っていくことにしたのです。
この方式はユミのアイデアでした。ユミがたくさん持っていた、洋菓子などの
紙袋が役に立ちました。当然空っぽの袋もあるだろうと予測していたのですが、幸いどの袋にも最低1曲のリクエストがありました。
お客さん98人のうち、リクエストしてくれたのは89人で、ほとんどの人が書いてくれてうれしかった。
歌った順に曲目を上げておきます。

大阪へやって来た (大阪へやって来た)

乾杯 (にんじん)
反復 (また見つけたよ)
おしゃべりなカラス (誰もぼくの絵を描けないだろう)
ユミはねているよ (どうして旅に出なかったんだ/1976)
けらいのひとりもいない王様 (なんでもない日には)
Our Friend Shoko  (POKHARA)
ロックンロール  (CANTE GRANDE)
ふあ先生 (6月の雨の夜、チルチルミチルは)
待ちあわせ (夕日は昇る)
こわれてしまった一日 (ライオンのいる場所)
銀の汽笛 (遠い国の日時計)
奇跡の果実 (奇跡の果実)
ぼくが心に思っていたことは (夢がかなう10月)
月の光 (読みかけの本)
眠り姫 (休みの日)
夜になると (何かを思いつくのを待っている)
ニレはELM (Speak Japanese,American)
わからない言葉で歌ってください (歯車とスモークド・サーモン)
廃品回収業者 (クレーン)
昨日までの明日 (ぼくの田舎)
マオリの女 (ブルックリンからの帰り道)
船長坂 (あの橋を渡る)

 
デビューアルバム「大阪へやって来た」(1972)から「あの橋を渡る」(2020)までの23枚から23曲、
間に休憩をはさみ、3時間半のライブになりました。
最後のリクエスト曲「船長坂」とアンコールの「小鳥谷」は、今日突然来てくれたおおはた雄一くん
と演奏しました。「小鳥谷」はメロディをおおはたくんがつけてくれた新曲です。
一番リクエスト数の多かったアルバムは「どうして旅に出なかったんだ/1976」と「奇跡の果実」のアルバムで
共に12票でした。そして一番リクエストの多かった曲は「朝は詩人」で6票でした。
ステージでは正確に歌えなかったせいか、横浜までの帰り道、頭の中で何度も「夜になると」を
ぼくはつぶやいていました。

3月21日(火)「LDK 拾得」

拾得50周年イベントにLDKで参加しました。今日は立ち見も出る満員でうれしかった。
新曲もさらに1曲増やして、LDKのレパートリーのほぼ全曲を演奏しました。
「言葉がぼくに運んでくるものは」は渕上さんのハーモニーも加わってゴスペルのような
ものになりました。新曲の「未来」では渕上さんがジャンプとダンスで振付をして、
「スカートにしようかと思ったけど、この曲があることを思い出してやめた」とステージで言ってました。
今夜は原マスミくんやタテタカコさんも聞きに来てくれて、打ち上げも楽しかった。

拾得の50年はぼくの50年でもあります。まだ日本にライブハウスのようなものがほとんどない頃から
京都には拾得があって、現在と同じスタイルで営業していました。拾得に行けばテリーさんがいて
PAをしてくれて、拾得でかかっているアメリカの音楽も今とおなじように特別でした。
拾得には長く歌ってきた人たちのいろんな節目が刻まれている太い柱が何本もあります。
その柱のおかげでぼくも歌ってこられたのかもしれません。

3月20日(月)「LDK 得三」

LDKは「ふちがみとふなと」と友部正人の3人のユニット。2009年に「二つの午後」というミニアルバム
を出して以来、時々コンサートをしてきましたが、コロナのパンデミックで3年という長い空白が。
だから得三は久しぶりのライブでした。
2部の始まりにそれぞれのソロが2曲ずつあった以外は全曲LDKとして3人で歌い、演奏しました。
今回は新曲も2曲あり、アンコールでは渕上さんのリクエストで「ラブ・ミー・テンダー」もやりました。
サンパチマイク1本を3人で囲んで歌うコンサートはなんとなく60年代のフォークグループのようです。
LDKとしてできる歌の種類も増えてきています。ニューアルバムも視野に入ってきました。

3月15日(水)「チャールズ清水」

1978年にビクターから発売された当時19歳だったチャールズ清水の「Minor Blues」が、今月
「Minor Blues,Major Dues」というタイトルで2枚組のCDとなって発売されました。
2枚組のDisc 1はオリジナルの「Minor Blues」でDisc 2はチャールズの様々な活動からのライブ音源集。
そこにはぼくのライブ盤「はじめぼくはひとりだった」からチャールズのピアノと二人だけで歌った
「西の空に陽が落ちて」も入っています。
この2枚組アルバムの発売を記念して、横浜の「試聴室その3」でチャールズのソロライブがあり、
チャールズに会いにユミと行ってみました。
チャールズはぼくの1980年のアルバム「なんでもない日には」のサウンドアレンジをしてくれました。
ライブの前にちょっとだけその頃の思い出話。ちょうどその当時のSLYのアルバムが店で流れていました。
ライブは前半がチャールズのソロ、後半は藤井康一とのセッションという構成で、ソロもセッションも
良かった。チャールズのブルースを下敷きにした音楽にぼくはしたたかな魂を感じました。
長い空白の後なので、これからはいつでも聞ける歌手でいてほしいと思います。

3月12日(日)「七尾旅人」

旅人くんの新作アルバム「Long Vayage」のレコーディングメンバーでの発表会。元渋谷公会堂です。
ステージにはアルバムのジャケット写真にあったような帆が真ん中にあって、ステージ全体が
船のような作り。そこにバンドのメンバーがクルーのように立ち演奏しました。
深いリバーブのかかったボーカルは言葉が聞きづらいこともあったけど、バンド全体の音は良く、
「今日はあまりしゃべらないので」と初めに旅人くんがことわったように、淡々とニューアルバムの
曲順で演奏しました。全体の構成は世界と人類の年代記のようです。
象徴的な出来事を歌詞として並べていくやり方は、最近のボブ・ディランの歌のようでもあります。
アンコールで旅人くんがマイクを使わずに生で歌った「ミーファ」、その後、客席にハミングが
自然に生まれたのは奇跡のようでした。とても美しいコンサートでした。

3月10日(金)「句会」

火星の庭句会がありました。ぼくは今年はなかなか北に帰らない白鳥を俳句にしようとしたけどうまくいかなかった。
それに比べて、主宰の渡辺誠一郎さんが選者をしている塩竃市のジュニア俳句コンクールに入選した子供たちの俳句の
素晴らしいこと。俳句が先のとがった凶器のようなものにもなりうる感性があります。俳句だからとまったりしすぎては
いけないなあ、と思いました。

3月7日(火)「建築ダウナーズ」「映画会」

建築ダウナーズは仙台の3人の若者たちの、木材を使って作業をする建築家たちのグループです。彼らが期間限定で
公開している工房を、火星の庭の前野さん、ホルンの夏海さん、ぼくとユミの4人で見学に行きました。
仕事として扱う木材のことをよく知りたくて訪ねた宮城県内の製材業者や、山林の保護に立ち上がったグループなどの
話や映像を展示していました。一本の木がホームセンターなどで売られている建材になるまでの工程が、
実際に製材してもらったりしてその流れもよくわかったそうです。
ぼくは実際に手に持ってみて、欅が杉の倍ぐらい重くしかも堅そうなことに感心しました。そして雑然と置かれた
木材の様子が、ぼくが中学の頃に暮らしていた父の建築会社の社宅の敷地を思い出しました。

夜は我が家で映画会。ぼくのアルバム「ポカラ」でディレクターをしてくれた、及川くんも参加。

みんなで澁谷さんの持ってきたビットリオ・デ・シーカ監督の「ミラノの奇跡」と、去年ユミが国際線の飛行機で
見てよかったという「ラストサムライ」を見ました。「ミラノの奇跡」の後半のまさに奇跡としかいいようのない、
自由な思い切った表現手法に唖然。「自転車泥棒」や「ひまわり」の暗いイメージが吹き飛びました。
「ラストサムライ」は以前ぼくがひとりで見たときには戦闘シーンばかりの印象だったのに、今回改めて見て、
日本の最後の侍たちの無念を描いているんだと思いました。

3月6日(月)「ぼくの中古CD」

火星の庭の「ぼくの中古CD」を12枚補充しました。スティーブ・フォーバートの若いときのライブ音源も2枚ありますが、
聞き直してみるととても懐かしかった。仙台の人にはなじみのないアルバムも多いかと思い、視聴できるように
CDウォークマンも準備してあります。ぜひ利用してください。

3月4日(土)「青森市 もぐらや」

電車で青森へ移動する前に、去年のクリスマスになくなったぼくの父の出身校、弘前工業高校を見に行きました。
設備の整った大きな学校で、県立高校なのに食堂も別棟でありました。

「もぐらや」はうきぐもというバンドの熊谷さんのやっている居酒屋です。熊谷さんの手作りの食べ物がおいしい。

古書「らせん堂」の三浦さんが「もぐらや」を借りてぼくのライブをしてくれるようになって7年がたちます。
コロナの3年間は集客に苦労していましたが、今年は予約も多いのか明るい感じ。客席もなんとなく明るくて、
ぼくも歌うのが楽でした。ここのライブはマイクを一切使わない生音ライブなので、結構緊張します。
東京と青森を行き来しながら暮らしているという能町みね子さんも聞きに来てくれました。横浜と仙台を行き来する
ぼくと同じような暮らし方。

3月3日(金)「弘前市 キープ・ザ・ビート」

去年に続き、今年も弘前のライブハウス「キープ・ザ・ビート」でソロライブ。
建物の1階がキープ・ザ・ビートで、2階が楽屋、3階がアサイラムの斎藤ひろしさんのレコード屋「ジョイ・ポップ」
です。リハーサルの前に30分ぐらいひろしさんのレコード屋へ行きました。弘前へは仙台の家からマーチンD18をもって行きました。
最近よく使っているギブソンL140よりボディが分厚いので、
最初のうち弾きにくい感じでした。でも音の響きはよく、持参したDPAマイクで拾う音もとてもいい。
キープ・ザ・ビートのPAの人も「いい音ですね、DPA」と言ってくれました。
客席が静かなので、休憩時間にお店のご主人に聞いたら、「そんなことないですよ。聞き入っています。」とのこと。
マヒトくんと作った「少年」を一人で歌ってみました。本来はマヒトくんと掛け合いで歌うのですが、今月出る
ユリイカの「マヒトゥー・ザ・ピーポー特集号」の宣伝もかねて。

2月28日(火)「広南病院」

昨日仙台にやってきました。
2年前の5月、仙台滞在中に一過性脳虚血発作で緊急入院以来続いていた通院が今日で終了しました。
MRIの検査は異常ありませんでしたが、でも薬はこれからもずっと飲み続けてね、ということです。
年をとると病気には終わりがありません。でもひとまず安心。

2月25日(土)「自由学園明日館」

ラッキーオールドサンから誘われて、一緒にライブをしました。
浜松のエスケリータ68の後藤さんが去年、こんないいバンドがあるよとお店で曲をかけてくれたので、
名前は知っていたけど本人たちに会うのはコンサート当日の今日が初めて。何年か前にユミと見に行った
「街の上で」という映画にも彼らの歌が使われていたこともyoutubeで知りました。
コンサートはシンプルにそれぞれが1時間ずつ歌うという構成。
ぼくは行き当たりばったりの選曲でしたが、静かな場の雰囲気に合わないような曲のときにはユミはちょっと
心配したそうです。事前にアンコールの打ち合わせもなかったので、ぼくが「ぼくはきみを探しに来たんだ」
を歌い、コンサートは終了しました。
年齢差が40歳という若い人たちとのコンサートはそんなにないことなのですが、お互いの曲に向き合った
とてもいい内容だったと思いました。「またやりましょう」と言ってもらってうれしかった。
次回は一緒に歌いたいな。

彼らと別れた後、せっかく池袋にいるので知り合いの瀬戸さんのやっている「往来座」に寄って、絵描きの

武藤さんもいたので、四人でちょっと飲みに行ってから横浜に帰りました。

2月23日(木)「磔磔」

22日にふちがみさんたちに手伝ってもらって作ったポテトサラダは、この日のライブのお客さんに出すためのもの。
ライブのタイトルは「ポテトサラダを食べに来ませんか」。なんと予想を上回る大勢の人たちが食べに来てくれました。
たぶん100人ぐらいで一人100グラムぐらいになったと思います。酢と少しのマヨネーズ以外の調味料は使っていない薄味のポテトサラダはどうだったでしょうか。
ポテトサラダは1部と2部の間の休憩時間に出すことになっていたので、1部の歌はまず前菜というところ。
歌を食べるみたいに聞いてくれました。
休憩時間にはポテトサラダが配られ、渕上さん宅での画像や磔磔の調理場で盛り付けをしている映像が流されました。

もとはといえば去年9月のぼくの磔磔ライブの打ち上げで、「ポテトサラダ」というぼくの歌の反応がよかったので、

「いっそライブで友部の作ったポテトサラダをお客さんに食べてもらったら」、というユミの提案で実現しました。
思いついたことは実現するのが最高におもしろいこと。誰かのちょっとした言葉が、みんなが楽しめる素敵な場を
生み出すということがわかったし、磔磔のスタッフも宣伝のyoutubeを作ってくれたりと、全面的に協力してくれて
うれしかった。イベンターのグリーンズ鏡さんもノリノリでした。こんな盛り上がることはめったにないと思います。

2月22日(水)「ポテトサラダ」

ふちがみとふなとの二人が住む部屋の台所を借りて、お昼から23日のポテトサラダの準備。
メリーゴーランドの鈴木潤さんも手伝いに駆けつけてくれた。
ポテトサラダのジャガイモは、横浜の八百屋で北海道の今金のじゃがいもを10キロ買って、ふちがみさんたちの
アパートに前もって郵送ましたが、今金のジャガイモは一個がとても重いので10キロでLサイズ70個でした。
ふちがみさんが大きな鍋を友だちから借りて準備してくれて、それ以外にじゃがいもが8個入る小さめの鍋を二つ。
ジャガイモをゆっくりと皮ごと茹で、ニンジンや卵を茹でたりして、玉ねぎ、キュウリを薄切りに。
船戸くんが入れてくれたおいしいコーヒーを飲んでいると、ポテトサラダ運搬役のホホホ座の山下くんも到着。
山下くんはそのまま本屋に戻りましたが、あとの5人で白ワイン、ピザ、ステーキなどでだらだらとお疲れ様をしました。
ここ数か月、ぼくの心の中での心配事がみんなのおかげで一挙に完成した感じがしてとてもうれしかった。

2月21日(火)「今日から京都」 

23日の磔磔ライブに合わせて今日からユミと京都にやって来ました。夕方に着いてふちがみとふなとと、
西院のスタジオで3時間リハーサルをしました。
スタジオ近くのイタリア料理のお店で上等な晩御飯。船戸くん、ごちそうさまでした。

2月10日(金)「得三」

名古屋の得三でリクオの3日にわたるイベントがあって、その2日目にぼくと山崎まさよしくんが参加。
入れ替わりでソロで歌ったり、3人でセッションしたりの楽しい夜でした。
リクオが一人で歌った「You May Dream」、鮎川誠へのオマージュです。それでは、とぼくも「一本道」を。
これは3KINGSの定番曲でした。3KINGSは鮎川誠、三宅伸治、友部正人の3人のユニットで、鮎川くんは
「一本道」ではいつも4番を歌っていました。
今夜のライブには宿題があって、それはフィッシュマンズの「いかれたBaby」を歌えるようにしておくこと。
そしてちゃんとギターを弾けるようにすること。
山崎くんはこの「いかれたBaby」をずっと前から歌っていて、歌うたびに毎回涙がこぼれるそうです。
アンコールの「月の光」では山崎くんのパンデイロのおかげでサンバっぽさが出ました。
ぼくたちも楽しかったけど、一番楽しんでいたのはリクオかもしれません。

2月7日(火)「たまたま入ったレコード屋で・・・」

たまたま入ったレコード屋で、Lou Reedの1975年発売の2枚組アルバム「Metal Machine Music」を
見つけました。一続きの電気サウンドを16:01ずつ4分割しているアルバム。トイレットペーパーを4つに
ちぎった感じ。

2月5日(日)「共同通信」

鮎川誠さんのお葬式があった4日、共同通信社からの依頼で鮎川さんへの追悼の記事を書きました。
共同通信の記事は全国の新聞社に配信されているので、もしかしたらこの日記を読んでいる人の住む
地域でも読めるかもしれません。どの地方紙に載るかはわからないのですが、もし見つけたら
読んでみてください。

1月29日(日)「鮎川誠さん」「パスカルズ」

鮎川くんがなくなったと電話で三宅伸治くんから連絡がありました。お正月の大阪のライブをキャンセルしたあとの
鮎川くんのことは心配でしょうがなかったけど、具体的なことはわからないまま、死の報告はぼくとユミにはかなりの
衝撃でした。「心配かけたくない」と誰にも知らせなかったそうですが、5年間の3KINGSの舞台上でずっとぼくの横で
鮎川くんを見ていられて今思えば幸せでした。そんな風にみんなを幸せにする人だったような気がしています。

 
伊勢真一監督の新しいドキュメンタリー映画「パスカルズ/しあわせのようなもの」のお披露目上映会が日比谷図書館で
ありました。毎年のように新作を発表している伊勢監督、だけど音楽ものは初めてなのでは。
主だった映像は2022年春の、パスカルズのチェロ奏者三木黄太さんをしのぶコンサートから。パスカルズの14人の
メンバーを通して三木さんを知らない人にも三木さんの人柄が伝わる内容になっていてよかった。
上映を見に来ていた約半分のパスカルズのメンバーが舞台挨拶として2曲演奏しました。映像の後に生で彼らの
演奏が聞けたのは生々しくてよかった。伊勢監督の新しい分野への挑戦です。

1月21日(土)「LIVE! no media 2006」

仙台の書店「ボタン」で宮沢章夫さんの本の話をしていたら、宮沢さんが自分のエッセイを朗読をしている
「LIVE! no media 2006」をユミが思い出して、「ボタン」の薄田くんと佐藤ジュンコさんを誘って「うちで
そのDVDを見ようよ」ということになりました。
久しぶりの「LIVE! no media 2006 草原編」はとてもおもしろかった。場所は横浜の今はなきBankART NYK。
みなとみらいの海に面した倉庫です。
宮沢さんは「演劇界から代表でやってまいりました」と挨拶をして、『牛への道』から「スポーツドリンク」という
エッセイを朗読しています。内容を知っているのに笑ってしまう。ああ、来てもらってよかったなと思いました。
銀杏BOYZの峯田くんの即興朗読、女性でただ一人の参加者、ぱくきょんみさんのおだやかな朗読、遠藤ミチロウの
毅然とした言葉と声、谷川俊太郎さんの堂々たる「詩人の墓」、その谷川さんに向けて読まれた田口犬男さんの自作詩。
ああ、なつかしい。本当にこのイベントをやって良かった。そしてDVDとして残しておいて良かった。
他にも平井正也、知久寿焼、石川浩司、オグラ、尾上文、そしてぼくという朗読者たち、そして5時間もの長い朗読会を
楽しんでくれた400人のお客さん。そのうちどこかでこのDVDの上映会もありえるなと思いました。

1月19日(木)「映画会」

ホルンの澁谷さん、火星の庭の前野さんと一緒に4人で映画会をしました。
澁谷さんは山田洋次監督の「息子」を「絶対にこれはおもしろい」と言って、まずこれから上映。
父親の三国連太郎と二人の息子たちの3人家族、父親を東京に引き取ろうとする長男、下町の工場で働く
聾唖の女性に恋する独身の次男、「家で一人で死んで、2、3日発見されなくてもかまわない」と頑固に
田舎暮らしを選択する父親は、自分の思い出とともにこれからも生きていく。
もう一本は横浜から持ってきた「日の名残り」というカズオ・イシグロ原作の、イギリス貴族の執事を
主人公にしたお話。執事を主人公にしたことで時代や恋愛の語られない部分が浮き彫りになって、映画を
見終わってもこの物語は心の中で続きます。まるで執事を真ん中にした世界地図を見るようです。

1月18日(水)「原画」

きのう発売になった直太朗くんの「原画1、2」を部屋でユミと聞きました。
CDが入っているノートブックにはボールペンで書かれた手書きの歌詞。それからイラストも。
一人旅に出た青年が部屋に残した書置きのようです。歌もまたそうでした。

午後は仙台駅前のビルでやっているレコード市にいきました。これもまた楽しい時間。

買いすぎないようにと悩む時間。

1月17日(火)「森山直太朗」

仙台の旭丘駅にある日立ホールに、直太朗くんのソロを聞きにユミと二人で行きました。
一つ手前の台原駅で降りて公園の中を1キロぐらい徒歩で会場に。
ぼくはこの辺りまでランニングで走りに来ることがあります。
開演前に楽屋をたずねたら、直太朗くんも朝仙台の街をランニングをしたそうです。
相変わらず走っているんだね、そういえばがっしりとした足。


ステージには何本ものアコースティックギターが音もたてずに並び、自分の部屋に帰って来たように
直太朗くんが登場して、暗い中でコンサートは始まりました。
どの歌もゆっくりと歌われ、旅に疲れた蝶が蘇生していくかのよう。
グランドピアノでの演奏は林の中の散歩のように一歩一歩考え事をしながら。
そうやって今で聞いたことのある歌が、好きだったいくつもの歌が、直太朗くんの手の中でささやき、
言葉となってほとばしり出るのでした。

1月16日(月)「盛岡で句会」

昨日のコンサートに来てくれた仙台の「火星の庭句会」のメンバーで、「紅茶の店しゅん」の2階を借りて
句会をしました。主宰の渡辺誠一郎さんもコンサートに来てくれるということで、いつもの月例句会を
盛岡ですることになったのです。みんなホテルに泊まってやる気満々でした。

句会の後はみんなでクラムボンに行きました。たまたま盛岡在住の小説家の木村紅美さんがコーヒーを飲んでいて、

火星の庭の前野さんがぼくたちに木村さんを紹介してくれました。昨日のコンサートにも来てくれたそうです。
(ユミは木村さんの本を読んだことがあり、作家との思わぬ出会いに驚いていました。)
そのまま紅美さんもまた腰を下ろしてぼくたちの会話に入り、なんとなく気が合ってクラムボンの近くの
Book Nerdという本屋さんに案内してもらいました。洋書もいろいろあって、LPレコードを小さくかけている
楽しい異空間でした。
前野さんが紹介したい店があるというので、ユミと3人でシルクスクリーンの店「6Jumbopins」に行きました。
ちょうど店を閉めたばかりの店主がぼくたちのためにまた開けてくれて、記念撮影をしてお菓子パンをくれました。
盛岡は小さなお店が街の魅力になっていて、どこへも歩いて行けるのがいいですね。仙台から近いし、
また来なくてはと思いました。

1月15日(日)「クラムボンがわらったよ」

仙台から昼前の新幹線でユミと盛岡に向かいました。会場のおでってプラザではちょうど佐藤さんが
機材の搬入をしていて、すぐにおおはた雄一くんもやってきて、楽屋でリンゴを食べながら新曲の練習。
ぼくが書いた歌詞におおはたくんがメロディを付けた「小鳥谷」という歌です。
コンサートは5時半からで、ぼくがソロで6曲歌い、その後おおはたくんがソロで40分ぐらい歌いました。
休憩ははさまずにそのまま後半に突入。「あの橋を渡る」の中から4曲と「こわれてしまった一日」を
二人でやって、その後新曲の「小鳥谷」を歌いました。
最後は「あの橋・・・」から「ブルース」、このときめずらしくぼくのギターの弦が切れて、
弦を代える間おおはたくんに歌ってもらって、そのままアンコールに。「火のそばに」「水門」を一緒に
演奏して8時きっかりに終演。
 
何か月も前からコンサートの準備をしてくれた盛岡の米山さんを筆頭に、盛岡や仙台の友人たちが
いろんな人たちに声をかけてくれたおかげで、なんと当日はほぼ満席になりました。
コンサートを楽しみにしていてくれた人、手伝ってくれた人、クラムボンの高橋さん母娘、そして米山さん、
どうもありがとうございました。

1月13日(金)「仙台」

一か月ぶりに昨日の夜、仙台にやって来ました。寒くはなく横浜とほぼ同じような気温です。
今日はPAの佐藤ヒロユキさんに盛岡のコンサートで使うギターを託しました。
佐藤さんはぼくたちより1日早く盛岡入りするので、機材を積んだ車にぼくのギターもついでに
運んでもらうことにしたのです。
クラムボンの高橋さんがなくなり、盛岡でライブをしなくなってもう5年になります。
このままではだめだと思い「おでってホール」という小ホールを借りて、おおはた雄一くんをゲストに
盛岡でライブをしようと決心しました。準備期間が長かったので、当日が近づくにつれ終わったような
気分もしています。

1月8日(日)「山口くん」

サムズアップと山口くんとぼくの空き日を調整すると最速で6月だったので振り替えライブは6月になりましたが、
お詫びのしるしとして6月は2Daysやります。
ワクチン接種を3回していてもコロナになった山口くんの症状はだいぶきついようで、この日もベッドから
出られないというメールがきました。
まだコロナにかかったことのないぼくとユミは、山口くんからのメールを読んで、絶対にコロナにはかかりたくないね、
と思うのでした。

大阪からの帰りの新幹線で、1994年に山口くんとやった「待ちあわせ」コンサートの音源を聞いてました。
二人で作った曲が3曲あって、今回はそれを再現する予定だったのだけれど、6月に延期になったので練習する時間が
たっぷりできました。

1月5日(木)「山口洋」

夜、山口くんからユミに「コロナにかかった」と電話がありました。
11日までは自主隔離ということで、9日のサムズアップのぼくとのライブは延期することに。
この後夜中まで、山口くん、サムズアップの佐布さん、ユミの三人の緊急のやり取りが延々と続くことになりました。

1月4日(水)「有山じゅんじ」

この日70歳になった有山じゅんじの古稀を祝うライブが大阪のライブハウスBIG CATでありました。
プロデュースしたのは三宅伸治。
ぼくと金森幸介と三宅くんでお祝いのライブをするのかなと思っていたら、木村充揮、上田正樹、近藤房之介
というシークレットゲストも。
ぼくは有山くんと作った「いつかあの娘がもどって来たら」「涙」の2曲とぼくの「夜は言葉」を有山くんと
二人で演奏して、アンコールは幸介、有山、三宅、ぼくの4人で「悲しい日々」「一本道」「Baby,おまえが好きだよ」
をやりました。その後上田正樹が有山くんのギターで何曲か。すっかり酔っぱらいの様子の有山くんだけど、
ギターはしっかりしているのが印象的。
ぼくにしてはめずらしいお正月のライブでしたが、参加できて良かった。

1月1日(日)「新春の富士」

息子の一穂は妻のひかりさんと平塚に住んでいて、ユミと平塚まで二人に会いに行きました。
お正月には毎年みんなで会って平塚八幡宮に初詣をするのですが、今年は喪中ということもあるし、
一穂のアイデアで4人でランニングをすることに。
郊外の金目川沿いを、富士山を見ながらの30分ほどランです。平塚まで行くと富士山があんなに大きく見える
ことは知らなかったな。快晴の青空につられて富士山がそばまでやって来たみたいでした。
こんな元旦の過ごし方は最高です。