友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

11月28日(日)「いわき SONIC」

常磐線各駅停車で仙台からいわきまで。昨日PAのお手伝いをしてくれた湯原さんがユミに教えてくれたという、
ずっと左に見えていた海が突然一瞬右に見える地点を確認しました。富岡の手前、線路が左に直角に曲がるところです。
SONICではいつものスタッフみんなが待ち構えてくれていました。
平凡ズの演奏の後、ソロで2時間歌いました。昨日今日と、久しぶりにステージの実感が戻って来たみたいです。
コロナの時代でもぼくのライブをやり続けてくれているお店に感謝してます。

11月27日(土)「アジアン・トライブ」

仙台の駅前にある「アジアン・トライブ」で、札幌の松竹谷清くんと二人でライブをしました。
清くんは雪で飛行機の到着が2時間ほど遅れたけどリハーサルには支障がなかった。PAはいつもの佐藤ヒロユキさん。
仙台の松竹谷清ファンも来てくれて、お店は50人近い人でいっぱい。コール・アンド・レスポンスもあったりして、
開放感に満ちていました。

11月23日(祝・火)「句会」

日常的に俳句を書いているわけではないので、ぼくとユミは投句がいつもぎりぎりになってしまいます。
火星の庭俳句会に参加してからもう長いのに、このゆるゆるな感じは何なのでしょう。
持ち寄りの食べ物とお酒といつものメンバー、これ以上結束の固い集まりは他にはなく、ぼくたちには
そのうえでの俳句なのかもしれません。
文字でいうなら十七文字、でもそれに使う体力は歌の何倍も必要です。なぜなら俳句はまっさらなところ
からしか始まらないから。
ぼくとユミが驚いたのは句会の後のユミのための誕生日ケーキです。句会のメンバーがサプライズで
お祝いしてくれました。手に抱いた赤ん坊のように重く、生クリームが大雪のように降り積もったケーキは、
今夜のぼくたちの句会を特別なものにしました。

11月22日(月)「中古CD」

昨夜から仙台に来ています。今日は「火星の庭」の友部正人中古CDコーナーに17枚補充しました。
試聴用のウォークマンと使い捨てのイヤホンを置いたので、火星でCDを聴いてみて気に入ったら
買ってくださいね。

11月19日(金)「名古屋 得三ライブ」

年2回の名古屋得三ソロライブその2回目でした。緊急事態が解除されぼくものびのびと歌えたし来てくれた
お客さんからもようやくという感じが伝わってきた夜でした。
それにしても得三は魔窟です。店主の森田さんは床にすわってじっくり聞いてくれているし、
お客さんは新しい歌古い歌の区別なく聞いてくれるし、終わった後はいつもよりたくさんワインを
飲みました。日付が変わるとユミの誕生日なので、みんなが乾杯してくれました。
そういえば今夜は月蝕でした。開演前に森田さんが教えてくれたのでぼくとユミが外へ見に行ったら、
開演時間を5分遅らせてくれました。

11月7日(日)「ジャズ・ロフト」

ユージン・スミスが借りていたロフトに集まって演奏するジャズ・ミュージシャンたちを記録した大量の写真や
録音テープがアリゾナのユージン・スミスのアーカイブから見つかって、それを元に編集された記録映画です。
記録写真が多かったのに音楽とたくさんの証言で動画を見ているような気分になる映画。見終わってまず
「おもしろかったね!」と隣で見ていたユミが言いました。もちろんぼくもです。
このロフトのある通りは、一学期間だけぼくが語学留学していた学校のそばにあり、毎朝歩いたところでした。
でもユージン・スミスがいたのは1950年代のことなので、ぼくの耳にはジャズの演奏は聞こえなかったけれど。

11月4日(木)「ニューヨークシティマラソン」

11月7日にニューヨークではニューヨークシティマラソンが2年ぶりに実施されます。
通常は5万人以上が参加する大会ですが、今回は2万5千人ぐらいがリアルで走るようです。
ぼくも行くことになっていたのですが、日本へ帰国後の自主隔離14日間のことを知ってあきらめたことは
前にも書きました。
それでぼくは今日バーチャルのニューヨークシティマラソンを横浜で一人で走りました。近所の公園の
できるだけ平らなところを22周しました。年末にはニューヨークから完走メダルが送られてくるはずです。

10月31日(日)「横浜ストーブス」

バンバンバザールが初期のメンバーだけでライブをするというので、横浜のストーブスにユミと見に行きました。ゲストはムーニーさん。
2日続けてライブを見たので、ぼくの頭はバンバンバザールの曲でいっぱいです。特に昔の曲は覚えやすく何回も繰り返し頭の中で歌ってしまう。
12月27日にバンバンバザール継続30年を祝うライブのファイナルを福岡の市民会館大ホールでやるそうです。それを聞いてぼくが「市民会館は
昔ぼくが『夕暮れ』を作った場所だよ」と福島くんに言ったら、そのことに感動したのかその場でぼくも当日ゲスト出演することになりました。
キャパ1700人の大ホール、たくさんの人が来てくれるよう知り合いに声をかけようと思います。
ストーブスでバンバンバザールを見ている同じころ、上のサムズアップでは三宅伸治バンドのライブがありました。途中でストーブスを抜け出して、
そちらのライブも見に行ったりと忙しい夜でした。
バンバンバザールの終演後、みんながサムズアップに集合して合同の打ち上げになってしまいましたが、懐かしいメンバーの大集合に
オーナーの佐布さんの今夜のうれしさは格別だったみたいです。

10月30日(土)「バンバンバザール継続30周年」

渋谷のクアトロで、古い仲間でもあるバンバンバザールの30年を祝うライブがありました。初期のメンバーから最近のメンバーまで、
この30年間にバンバンバザールにかかわった大勢のミュージシャンが出演、ぼくも有山じゅんじや吾妻光良さんとゲストで歌いました。
ぼくは今までのバンバンバザールのほとんどの時期のメンバーと一緒にライブをしたことがあり、いろいろ思い出すことも多いけれど、
特に昔のバンバンバザールには強い思い入れがありました。だから今夜久しぶりに彼らと会えてとてもうれしい夜でした。

10月29日(金)「通院」

5月に入院してから、2か月ごとに血液などの検査をしています。
今回は初めて検便もやりました。ヘモグロビン値もコレステロールも大腸も何も問題はないみたいです。これからも血圧の
薬はずっと飲まなくてはいけないのかな。
ということでこれから横浜に戻ります。

10月28日(木)「MINAMATA」

仙台の映画館FORUMに「MINAMATA」を見に行きました。
ユージン・スミスの写真はぼくも見たことがあったけど、ユージン・スミス個人のことは何も知らなかった。
ひどく酒を飲むしかなり口が悪い。気分が変わりやすく、何度もアメリカに帰ろうとする。だけどようやく水俣の人たちと
生活を共にしながら写真を撮り始め、そしてライフ誌に掲載された水俣病の娘をお風呂に入れている母子の美しい写真。
ぼくはこの辺でどうしても涙が出てしまった。この一枚の写真が水俣病患者のチッソとの闘いの流れを変えたと映画は語るけど、
実際のところはどうだったのだろう。

10月27日(水)「アパートの契約」

仙台の住居が最近夜になると近所の居酒屋の客などがうるさいので仙台市内で引っ越しをすることになりました。
仙台駅のすぐそばなので、住宅街並みの静けさを求める方が無理があるともいえるのですが。
その契約が今日済みました。集団サラリーマンの酔っ払いの馬鹿笑い、これからは聞かなくてすむと思うとうれしい。

10月26日(火)「双葉双一トリビュート」

双葉双一くんのトリビュートアルバムに参加することになって、仙台のスタジオで「体は食卓、頭は雲の上」を
録音しました。録音エンジニアは仙台の佐藤ヒロユキさん。
弾き語りで歌った歌に自分でギターのアルペジオをかぶせてみました。スタジオの方に簡単なコードを
教えてもらい、オルガンもダビングしてみました。(ちなみ彼はジャズピアニストです。)
伴奏に厚みが出たところで録音は終了。久しぶりに録音の楽しみを味わいました。
双葉くんのトリビュートアルバムは来年の1月の発売だそうです。

10月22日(金)「淺井裕介さん」

10月25日からみなとみらいのBankART KAIKOで始まるマスキングテープを素材としたアート展の準備をしている
淺井くんにぼくとユミは今日も会いに行きました。
淺井くんは最近出版した土の焼き物の作品集と2018年の半年間のヨーロッパ旅行中に描いた絵やコラージュの作品集を
プレゼントしてくれたのですが、滞在先のホテルなどで制作されたコラージュがとても新鮮でした。
年の若い淺井くんと知り合ったのは15年以上も前、北仲ホワイトと呼ばれていたビルをBankARTが一棟まるまる
いろんなアーティストに安く貸し出していた頃でした。淺井くんもぼくもそこの部屋を借りていて友達になったのです。
ぼくの借りていた部屋はユミが撮影して「Speak Japanese, American」のジャケットにもなっています。
淺井くんと別れたあと、ぼくたちは新幹線で仙台に向いました。

10月21日(木)「馬車道駅マスキングテープアート」

淺井裕介くんが馬車道駅でマスキングテープを使ったワークショップをすると知って、ユミと見に行きました。
場所はみなとみらい線馬車道駅の改札口の中で、ぼくたちが行くと警備の腕章をつけた淺井くんが改札口横の柵を開けて
中に入れてくれました。タイル張りの床に何色ものマスキングテープを放射線状に張り付けて行く作業は楽しそうで、
最初はただ見ているだけだったのに、淺井くんがぼくたちに「やりませんか」と誘ってくれて、急きょこのアート作業に
参加することになりました。ボランティアの人たちは淺井くんの指示通りにひたすらテープを放射線状に引き伸ばして
行きますが、淺井くんは自由にテープをどこまでも伸ばし、丸い柱やレンガの壁まで絵は発展し続けます。
テープが改札の内側の広い空間を埋め尽くしたころ、ぼくたちは一足先に会場を去りました。
淺井くんたちの作業はそのまま夕方まで続いたそうです。

10月19日(火)「Our Friend」

16日に伊勢監督とのトークでジャック&ベティに行ったときに上映していた「Our Friend」を見に行きました。
ユミがケイシー・アフレックのファン(「マンチェスター・バイ・ザ・シー」はDVDも持ってる)なので。
映画は時系列がひんぱんに行ったり来たりしたのと、癖の強いケイシー・アフレックの演技に馴染めなくて、ぼくは
なかなか映画に入り込めなかった。話はとてもシンプルなのに何か宿題のようなものをもらった気持ちになりました。

10月17日(日)「20キロ走」

毎月第三日曜日に横浜で開かれているランニングのレースに行ってきました。
おととしの11月のニューヨークシティマラソン以来、実際に人と人が競い合いながら走るレースは2年ぶりでした。
後ろから来る人たちに抜かれる、前にいる人たちを抜く、このおもしろさは実際に人と人が集まって走らないとわからない。
今日は朝から雨と風の嵐のような天気でしたが、そんなこと気にしないことに決めて走りに行って良かった。

10月16日(土)「伊勢真一監督 いまはむかし」

横浜のジャック&ベティで今日から伊勢真一監督の新作ドキュメンタリー映画「いまはむかし」の上映が始まりました。
いつも伊勢監督の新作がジャック&ベティにかかるときはぼくが伊勢さんのトークの相手として呼ばれます。ここでもう何回ぐらい
伊勢さんと話しただろう?伊勢さんと話すことは今ではぼくの楽しみでもあります。
「いまはむかし」はぜひ見て欲しい映画です。というのはドキュメンタリー映画の名編集者と呼ばれていた伊勢長之介(伊勢さんのお父さん)の、
戦時中にジャカルタで制作された国策映画をたどりながら、伊勢さんの心の中にある父親へのいとおしさに追いつこうとした映画だからです。
ぼくは試写会と今日の上映で2回見て、今回のこの新作は今までの伊勢さんの作品とは一味ちがうなとぼくは思いました。
元々伊勢さんの映画には結論がなくて、見た人が自分のものとして持ち帰る邪魔をしないように作られてきたと思いますが、
今回は今までに増して、伊勢さんのドキュメンタリー作品にかける思いの強さに触れることができたように感じました。
(6月16日の日記でもこの映画のことを書いてるのでよかったら読んでみてください)

10月10日(日)「ニューヨークシティマラソンをキャンセル」

ぼくもユミも7月に2回目のワクチン接種を終え、横浜市が発行するワクチン接種の証明書も取得してあとは飛行機チケットの予約だけ、
というときに、帰国後2週間の自主隔離という難問にぶつかってしまい今年のニューヨークはあきらめざるを得なくなりました。
今のところ日本での隔離期間は短縮されず、取得した日本のワクチン接種証明書もニューヨークでは何の効力もないとわかりました。
厚生労働省に電話で質問しても、「遊びで行くのならやめたらどうですか」という答え。いずれは短縮か廃止になる自主隔離、
いつごろになるのかはわからないの一点張りでした。2年ぶりのニューヨーク、今年は行きたかったな。 

10月6日(水)「ニューヨークタイムズの震災の記事」

今日は横浜に戻る日でしたが、その前にギャラリーSARPまで、2011年3月11日から約1か月間のニューヨークタイムズの日本の
大地震に関する記事の切り抜きを届けに行きました。というのは、前回SARPに来たときに見た「アンデパンダン展」で、
東北の地震と原発事故の新聞報道をまとめた作品があるのを見て、ユミが「その頃ニューヨークにいた私たちもニューヨークタイムズの
地震と原発事故の記事を毎日切り抜いて集めていたよ」、と言ったらSARPのほんだあいさんがとても見たがったからです。
ぼくも仙台のいろんな人に見てもらいたいので、記事の切り抜きを彼女に託すことにしました。

10月1日(金)「サマー・オブ・ソウル」

1969年の夏にニューヨークのハーレムの公園で開かれた黒人のミュージシャンたちによるフェスティバルの
ドキュメンタリー映画です。フィルムで記録されたにも係わらず長い間未発表のままだったそうです。
ちょうど仙台のチネラヴィータでやっているので見に行きました。
このコンサートがあったのはウッドストックコンサートのあった1969年の夏、6月から8月の終わりにかけて6回にわたって開かれ、のべ30
万人の観客を動員したこのコンサートのことはなぜかその後忘れられました。
コンサートのあったマウント・モリス公園はぼくも行ったことがあるけど、そんなに大きな公園ではなかった。
だからそこに5万人もの人が集まったらどんな状態になるのかは想像できます。
映画はとてもすばらしく、当時大活躍していたミュージシャンたちの音楽にぐいぐい引きこまれます。
「アクエリアス」に涙ぐみそうになったのは、やはりこの音楽の背景にある時代への郷愁なのかもしれません。
1969年は音楽と時代がぴたりと重なり合った稀有な瞬間なのかもしれませんね。

9月29日(水)「今日のまさこ」

仙台のギャラリーSARPに桃生和成さんの「今日のまさこ」をユミと見に行きました。
桃生くんが一緒に住んでいる祖母のまさこさんの、毎日撮影してインスタグラムに発表された写真の
最近6年間の一部が展示されています。
毎日毎日のまさこさん、新聞を読んでいるところ、文芸誌を読んでいるところ、食事をしているところ、
お出かけの支度をしているところ、どれもまさこさんなのにたくさんの人の姿を見ることができます。
シンプルだけど素敵な発想だと思いました。
今年93歳のまさこさんは現在は病院でリハビリ中だということです。写真という桃生くんの目を通してだけど、
まさこさんに会えてよかったなと思える内容でした。

9月28日(火)「句会」「中古レコード」

昨日から仙台に来ています。
今夜は火星の庭で句会がありました。緊急事態宣言が続いてたので実際に集まって句会をするのは久しぶり。
こうして集まってみると、句会は素敵な勉強会だなと思いました。今回は、長い間のびのびになっていた
合同句集がやっと出来上がった日でもありました。みんなで製本もやって楽しかった。
ぼくは火星の庭の中古レコードの補充に20枚ほど持ってきたのですが、句会が終わったあと句会のメンバーが
さっそく何枚も買ってくれました。

9月25日(土)「ライト」

我が家のうす暗い廊下にはユミの集めた絵がたくさんかかっています。
最近は、今月横浜のギャラリーで個展をした広田隆子さんの水彩画を買ったばかり。
雀が3羽のかわいらしい絵です。
そこで家にあった磁石で取り付けられる球体のセンサー付きライトを付けてみました。
(これは何年も前にたまたま秩父のホンキートンクでもらったものです。)
もう少し明るければな、という長年の不満がこれで解消されました。
その後このライトをいくつか買い足してほかの場所も明るくしました。

9月24日(金) 磔磔のドキュメンタリー番組のお知らせ

28日の深夜、フジテレビで京都「磔磔」のドキュメンタリーが放送されます。
ぼくも3KINGSの演奏場面で出てきます。とりあえず関東の放送ですが、
見られる人はぜひ見てください。どんな番組になったのかぼくも楽しみです。
 
『磔磔(たくたく) ライブハウスとコロナの500日』
◉フジテレビ(※関東ローカル)
2021年9月28日(火)25時35分~27時35分
◉関西テレビ(※関西ローカル)
2021年10月9日(土)26時15分~28時13分

9月17日(金)「横浜 ドルフィ」

久しぶりに板橋文夫さんと横浜のドルフィでライブをしました。
「あの橋を渡る」の中の曲を板橋さんと演奏したらどうなるかなと準備したけど、今回一緒にできたのは
「あの声を聞いて振り返る」と「ブルース」の2曲。それ以外にもいくつか一緒にやりましたが、
板橋さんから「私の踊り子」や「夕日は昇る」のリクエストがあり、久しぶりに一緒にできてうれしかった。
板橋さんの譜面のファイルの中には、今まで一緒に演奏したぼくの曲が山のようにあって、せいぜい年に一度の
セッションなのに、その量に驚いてしまいました。いつも新しい曲を一緒にやりたがるぼくですが、今まで
やってきた曲をもう一度やってみるのもいいなと思いました。

9月10日(金)「スケジュールの変更」

今月予定されていたぼくのライブスケジュールが変更になりました。
9月17日(金)の横浜ドルフィは開場時間、開演時間が早くなりました。
9月26日(日)いわきSONICは日時が変更になりました。
新しいスケジュールは、11月28日(日)です。詳しくはスケジュール欄を見てください。
変更にもめげずにライブは生きています。
友部正人

9月8日(水)「芸術家・今井次郎」

時々自動の今井次郎さんが映画になりました。
時々自動の前身である自動座のころから今井次郎さんのことは知っていましたが、今までは舞台上の
次郎さんしか知らなかったから、映画というパッケージのおかげで次郎さんを総合的に見ることができます。
音楽とアートで満杯の人生を生きた今井次郎という人を今更ながら素敵だと思いました。

9月4日(土)「吉祥寺 スターパインズカフェ」

半年ぶりのスターパインズのソロライブ、半年たっても依然緊急事態宣言の最中でのライブでした。
そんな中でもお客さんは来てくれました。瀬戸際に立たされた者たちがやさしく対峙し合っている
ような感じですね。
今日はたった一人でのライブだったので、新しい歌をいろいろと聞いてもらいたかった。
聞いてもらっても感想を聞く手段はないのだけれど、会場の空気を感じながらライブを進めました。
終わってサインをするとき、本やCD買ってくれたお客さんたちがとても若いのに気づきました。
振り返ってみれば、いつも時代の変わり目には会場に若い人たちがいたことを思い出します。

9月1日(水)「リハーサル」

9月4日のスターパインズのライブのためのリハーサルに、火星の庭を使わせてもらいました。
いつも使っているパルシティの音楽室は宮城県の緊急事態宣言のために休業しています。
火星の庭は今日は定休日なので、前野さん夫妻はお店で本の整理をしていました。
ギターを弾きながらの声のための準備体操です。ライブの前にこれをやっておくと当日のライブがなんとなく安心。
1時間ほど声を出しそのあとワインを飲んで、雨が降っているからと健一さんの運転する車で自宅のあるパルシティ
まで送ってもらいました。さあこれで、明日は横浜に戻ります。

8月28日(土)「カフェで聞くレコード」

今日は仙台の古い友人夫妻も火星の庭にやって来て、持参した自分のレコードを何枚も聞いていました。
ラジオみたいな音がいいなあ、とうれしそうでした。
仙台のぼくの自宅にはLPレコードがないので、ターンテーブルは火星の庭に置かせてもらうことにしました。
そうすれば店で販売しているLPレコードの視聴もできるわけで、これはユミのアイデアです。
何よりも店主の前野さんが毎日レコードが聞ける、と言って喜んでいます。ぼくも仙台にいるときにレコードを
聞きたくなったら、火星に行ってコーヒーを飲みながら聞けばいいわけで、何気なく買ったターンテーブルが
これから大勢の人で楽しめそうです。

8月27日(金)「レコード追加」

二か月の一度の通院のために仙台に来ました。
火星の庭での月例句会は緊急事態宣言のため中止になり、インターネットで投句をすることになりました。
火星の庭に委託している中古レコードの補充をしましたが、7月に納品してからだいぶ売れていました。
ぼくのレコードはニューヨークにいたときに買ったものが多いので、ジャケットがぼろぼろのものも多いけど、
盤面は注意深く点検しています。外見はぼろでも捨てがたいものばかりですよ。
そして今日は注文していたOnkyoの持ち運びのできるおもちゃみたいなターンテーブルが届いたので、これを
火星の庭に持って行き、お店で売らせてもらっているLPレコードを聞いてみました。
ぼくが10代の頃に聞いていた懐かしいレコードプレーヤーの音がしました。

8月26日(木)「ブルース」

シンガーソングライターの豊田道倫さんからメールで、ぼくの「ブルース」という歌を彼の大阪のライブで、
ゲストの坂口恭平さんと一緒に歌ったというお知らせがきました。豊田さんがタワーレコード系の音楽サイト
Mikikiで「コロナ時代の一曲」というエッセイでこの曲を取り上げてくれました。ライブの動画付きで。
豊田さんは7月31日のぼくの大阪ムジカジャポニカのライブを聞きに来てくれて初めてお会いしました。
その日「キッチンにて2」という小冊子とCDをいただいたのですが、小冊子は豊田さんと息子の二人暮らしの日記で、
音楽と子育ての毎日が描かれています。その子育ての様子からぼくは自分の経験を振り返ったりしました。
坂口さんとの「ブルース」、とても良かった。そして自作の歌が誰かに歌われることの幸せを感じました。
「ブルース」はコロナ以前に作られた曲で、コロナ禍に発表された「あの橋を渡る」というぼくの最新アルバムに
入っています。これをコロナ時代の曲として豊田さんが取り上げてくれたことはとてもうれしいことです。
ぼくたちはコロナをきっかけとして、新しい一歩を踏み出しつつあるのだと感じています。

8月25日(水)「陰性」

PCR検査は二人とも陰性でした。
そういえば期日前投票した横浜市長選挙、ユミとぼくが投票した田中康夫氏は落選しましたね。残念。
でもとにかく自民党以外の人が当選したので今後に期待したいと思います。

8月23日(月)「PCR検査」

羽田空港に着いたら出口でPCRのモニタリングテストをしていたので、前にも仙台で受けたことがあるけど受けてみました。
ぼくもユミもワクチンはすでに2回接種しているので心配はないと思いつつも一応。

8月22日(日)「福岡市 LIV LABO」

福島くんのホーム、LIV LABOでライブをしました。構成は佐賀とほぼ一緒。二人でやる曲は佐賀より何曲か多かった。
まだまだ何曲もできそうでしたが緊急事態宣言でライブは8時ぎりぎりまで。非合法ではないのにこういう事態でのライブは緊張感があります。
街中の飲食店が8時には閉めてしまうのでライブが終わっても行くところがなく、福島くんが事前に予約しておいてくれたスペアリブとキムチで打ち上げをしました。
そういえば福島くんと二人だけのライブって今までなかったような気がします。おもしろかったのでまたやりたいと思う。

8月21日(土)「佐賀市 417」

バンバンバザールの福島くんと福岡空港で待ち合わせて、そのまま福島くんの運転するハイエースで佐賀まで。
予定していたRag・Gが豪雨の水害で使えなくなり、姉妹店の417でライブをすることになりました。
2年前の水害ではRag・Gは機材まで水没する被害にあったそうです。
今回は福島くんがゲストということなので、ぼくがソロでたくさん歌い、福島くんが何曲かソロでやって、
あとは二人で5曲ぐらい一緒に演奏するという構成でした。リハーサルではうまくいかなかった曲も、本番では
何事もないかのようにうまくいって、ユミから「さすが長い付き合い。」と言われました。

8月19日(木)「エリック・ロメール4」

「コレクションする女」という1967年の作品。倫理観はなくても生き方に筋の通っている魅力的な女性を前に、
二人の男が道徳観で対応して負けるという映画。男はどうして垣根を作るんだろう、女にはどうしてそれがないのだろう。

8月18日(水)「エリック・ロメール3」

今夜は「愛の昼下がり」という「六つの教訓話」シリーズの最後の作品です。
ちょっとストーカーっぽいクロエという女性に少しイライラとさせられたのは、見ているぼくが主人公の
フレデリックになりきっていたからかも。

8月15日(日)「エリック・ロメール2」

今夜もエリック・ロメールを見にユミとジャック&ベティに。今夜は「獅子座」というロメールの最初の長編映画。
作曲家のピエールが叔母からの遺産が全額彼のいとこに行くことがわかって無一文となり、みるみる落ちぶれて行く話。
いったいこれはどうやって終わるのだろうかとぼくは自分のことのようにはらはらしました。
パリの街をたださまようホームレスのピエール、何度もたどり着くのはセーヌ川の辺で、そんなところがこの監督は
よくわかっているなあと感心しました。夏になるとパリの住人はみんなバカンスにでかけてパリからいなくなるという
話も以前パリの友だちから聞いたことがあります。主人公は体格もよくて、人をあてにして生きている人のようで、
自殺の心配はありません。ただこのまま行き倒れて映画が終わったらいやだな、とずっと心配しながら見ていました。

8月14日(土)「エリック・ロメール」

5月に仙台でロメール特集をやっていて、うれしくて毎日行く予定だったのだけれど、ぼくが突然体調を崩して
入院してしまい続きが見られなかったのですが、今月横浜でロメールの特集が始まりすごくうれしかった。
今夜はジャック&ベティにエリック・ロメールの「クレールの膝」をユミと見に行きました。
エリック・ロメールの映画の特徴は誰も映画にしないようなことを映画にしているところだと思います。会話ともいえないような会話が独り言のように続き、それが退屈とおもしろいの分かれ道。ちなみにユミは
エリック・ロメールの映画は嫌いです。
ぼくはその「おもしろい」方の道をたどってエリック・ロメールを見に行きます。

8月12日(木)「期日前投票」

図書館に行ったついでに、横浜市長選挙の期日前投票をユミとしました。投票日の22日には横浜にいないので。

8月10日(火)「スズキコージ展」

3つあるギャラリーを全部使ってぼくの古い友だちのスズキコージが三宮で展覧会をやっていました。
昨日のライブの後にたまたま知ったのですが、コージくんに会いにユミといってみることにしました。
コージくんはコージくんの描く絵そのもののような人ですが、その人柄には絵にはない懐かしさがあります。
10年ぶりの再会に、ぼくはコージくんの不思議を思いっきり呼吸することができました。
ウラジオストックに行って来たけどよかったよ、と言っていました。関空から飛行機で2時間もかからないそうです。
「ウラジオストック」というタイトルの絵があって、ユミがそれを見つけて今日の記念に買って帰ることにしました。
展覧会の最終日だったのでそのまま絵を持ち帰ることができて、今はもう家の廊下に架けてあります。
そういえばこれはコージくんから聞いた話ですが、長く絶版になっていたぼくとコージくんの絵本「絵の中のどろぼう」
が架空社から再発売されることになりそうです。

8月9日(月)「神戸 ジェイムズ・ブルース・ランド」

今日も開演は京都と同じ5時半でした。
広い床にはアメリカの中古家具のソファがぎっしりと並べられています。ソファで聞く3KINGSはどうだったのでしょう。
台風の影響で雨が降っていて窓からの景色がぴったりだったので、特別に「雨の降る日には」をやりました。
3KINGSのツアーはよく台風にたたられますが、今日の台風は味方してくれたみたいで大勢聞きに来てくれました。
たぶん台風に背中を押されたのでしょう。倉庫街の海風は同じでも横浜から来たぼくにも神戸は異国を感じさせます。

8月8日(日)「磔磔 3KINGS」

三宅くんの磔磔3日間のイベントの最終日、3KINGSで出演しました。
京都もライブハウスの営業時間や酒類の販売に規制があってお客さんに酒類の販売はなく、開演は5時半、
休憩なしのライブが終わったのは7時半でした。それでもお客さんはたくさん来てくれて楽しんでくれました。
3KINGSの2日後に磔磔でライブをすることになっているフラワーカンパーズのメンバーが全員で聞きに来てくれて
びっくり。後で圭介くんに感想を聞いたら、全然合っていないのにすごく合っていた、と興奮気味に言っていました。
計算が不可能な数式のようなものかもしれません。
今夜は配信もあったので、その映像を見ながら磔磔名物のだし巻き卵などを食べました。
ホテルに戻ってもまだ11時前で、早く終われるのはツアーバンドにとってはいいことかも、と思いました。

8月4日(水)「徐勇 This Face」

みなとみらいのBankART KAIKOに中国の写真家、徐勇の写真展をユミと見に行きました。
一人の若い娼婦の顔だけの写真500枚で構成された展覧会。素顔、化粧した顔、濡れた顔、疲れた顔、
はじめましての顔、眠そうな顔、一人の人の見せる表情が、一人の人の一日分の人生を見せていました。

8月3日(火)「下北沢 440」

去年の8月の得三以来1年ぶりの3KINGSのライブが440でありました。
三宅くんとは3月の彼の還暦ライブ以来、そして鮎川くんとは1年ぶりの再会でした。
東京の緊急事態宣言にもかかわらず開演時間は7時、休憩もとらずに9時まで一気に演奏して、
久々なのに息の合った演奏をすることができた。やはりおもしろいバンドですね、3KINGSは。

7月31日(土)「大阪 ムジカジャポニカ」

毎年7月はムジカジャポニカのアニバーサリー月間で、今年もソロで歌いに行きました。
満員のお客さんも、お店のせい子さんたちも含めて一曲ごとに拍手や声で反応してくれます。
ドリンクのラストオーダーが7時なので、ユミも早い時間からワインをたくさん飲んでました。
普段はムジカジャポニカでも演奏しているミュージシャンたちが今日はお客さんで来てくれて、
終わった後はいろいろライブの話などで盛り上がりました。

7月29日(木)「ジョン・セイルズの映画」

先月「ブラザー・フロム・アナザー・プラネット」を35年ぶりぐらいに見て、監督のジョン・セイルズの映画を
他にも見たくなり、知人にお願いして3作送ってもらいました。「Baby It's You」「Casa De Los Babys」
「Eight Men Out」です。ユミは野球が嫌いで「Eight Men」は見なかったけど、他の二つは二人で見ました。
ぼくは3作ともおもしろかった。
フランク・シナトラにあこがれるイタリア系の若者、赤ちゃんを養子に欲しくてメキシコのホテルに滞在している
アメリカ人の女たち、八百長試合をしてしまったプロ野球の選手たちと、どの作品もテーマがまちまちで
同じ監督とは思えないところがおもしろかった。

7月25日(日)「真夏の夜のジャズ」

1958年のニューポートジャズフェスティバルの映画だけど、ヨットレースの映像も交互に出てきます。
水の表面を境にして、水上ではヨットレースが、水中ではジャズのフェスティバルが同時に行われている感じ。
二つの場面を水の光がつないでいます。
前回この映画を見たのは相当前のこと、セロニアス・モンクとチャック・ベリーとアニタ・オデイの帽子が
印象的でした。今回はチコ・ハミルトン・クインテットも良かった。音楽と映像だけで見せるドキュメンタリー
とは思えない美しい映画でした。

7月24日(土)「盆踊りンピック 2日目」

今日は開演時間の12時ごろに会場入り。しばらくすると友だちのPULTATAの演奏が始まりました。
演奏者よりもダンスや龍の人形使いたちの数の方が多く、音楽に合わせて踊るお客さんたちもメンバーなのでは
と思えてくる。会場全体が一体となる奇妙なバンドです。
「選手村」と書かれたステージ裏の楽屋でぼうっとしていたら、愛樹くんから「一本道」を歌って、とリクエストされました。
「選手村」から川に入って遊ぶ子供たちを見ていたら「夕暮れ」が歌いたくなって、本番前のリハーサルで歌いました。
盆踊りとコンサートが一体となったイベントなので、今日は「1月1日午後1時(高橋さん)」など、死んだ友だちのことを
歌った歌を歌おうと思っていました。このイベントに誘われたのは遠藤ミチロウのおかげでもあるから、ミチロウの
ことを書いた「理由」という詩も朗読しました。
40分はあっという間だったけれど、今日のぼくにはそれで十分でした。ステージから遠くの景色を見ながら歌っていると、
ぼくには永遠の「あっという間」に感じられたから。
新幹線の時間もあって、最後の愛樹くんたちの亀島楽隊の演奏の前にぼくとユミは会場を去りました。イベントの最後の
大盛り上がりは今度また来られたときの楽しみとしておきます。それにしてもいいフェスだったなあ。

7月23日(金)「橋の下盆踊りンピック2021」

「橋の下世界音楽祭」のことはいろんな人から聞いていて、ぼくも誘われていた去年は中止になってしまったし、
今年は「盆踊りンピック」と名前を変えて、東京オリンピックの開催に合わせて開かれました。ぼくの出演日は
24日でしたが、今日の出演者にタテタカコさんやT字路s、ナオユキら知り合いもいるので今日来ました。
でも会場に着いたらもう夕方で、ぼくを呼んでくれた主催の永山愛樹くんのバンドALKDOと羊歯明神だけ見る
ことができました。矢作川にかかる大きな橋の下がこの祭りの会場で、橋が日差しからも雨からも守ってくれる。
風が吹いていて本当に気持ちのいい場所でした。

7月21日(火)「ワクチン」

昨日打った2回目のワクチンの副反応で、ユミは昼から38.5度の熱が出て今日はずっと寝ていました。
でも1回目のときのような身体の痛みとかはなく、腕が赤く腫れているだけです。
あさっての豊田市の「盆踊りンピック」に行けるのか心配ですが、多分明日は熱も下がることでしょう。
副反応は大体三日間で終わるらしいから。

7月18日(日)「苫小牧 JAM」

初めてぼくのライブをしてくれることになったジャムのマスターによれば、ぼくの苫小牧のライブは
なんと24年ぶりだそうです。今日は満員になりますよ、というマスターの言葉通り、苫小牧の熱い人たちが熱心に歌を聞いてくれました。
今回のツアーコーディネーターの札幌の木下さんと開演前に街を散歩したのですが、ほとんど休業状態の店や
テナント募集中の店舗が多い中で、別のライブハウスにも活気が感じられたのはうれしいことでした。

7月17日(土)「旭川 アーリータイムズ」

今日は一人でしたが昨日と同じようにテイラーをアンプにつないで音を出しました。
アーリータイムズは時間の制限がなかったので、新しい歌、古い歌、ずっと歌ってきた歌を
自分の歌として歌えた気がしました。
いつものおなじみの人たちと新しいお客さんが、一緒になってぼくの歌を聞いてくれました。

7月16日(金)「札幌 ベッシーホール」

松竹谷清くんをゲストにしての札幌ライブ、今回は札幌で最も歴史のあるベッシーホールでした。
最初にぼくがソロで3曲歌い、清くんがその後に20分ソロで、それから二人でアンコールも
含めて9曲演奏しました。
清くんとの9曲が楽しかった。彼がエレキなのでぼくもテイラーをギターアンプにつなぎ
ちょっと金属的な音でやってみました。アンプを使うと一音一音が表現となって現れてくるので
おもしろい。
今日は午後9時までという制限がありましたが、その中でめいっぱい楽しく演奏できました。

7月11日(日)「映画会」

仙台の友人たちと時々やっているDVDの上映会。今回はぼくとユミがこの間横浜の家で見たばかりの
「デイビッド・バーンのアメリカン・ユートピア」。「アメリカン・ユートピア」は仙台の映画館での上映が
終わったばかりで、火星の庭の前野さんはなんと3回も見に行ったそうです。ホルンの澁谷さんは2回とか。
もう一本の「ハイジ」は澁谷さんのお勧めで1930年ごろのアメリカ映画でした。
ハイジ役の子役シャーリー・テンプルが大人たちより大きく見えるぐらい頼もしかった。ぼくはハイジの
物語を本で読んだことはなかったけれど、一緒に見た他の人たちはみんなよく知っていて、この映画は
ストーリーもキャラクターも変えてあるそうです。

7月10日(土)「レコーディング」

特に発表のあてのないレコーディングの2回目を前回と同じスタジオSONIQSでやりました。
エンジニアの佐藤ヒロユキさんに教えてもらったこのスタジオはとても音がいいです。
のんびりとしたこのやり方をしばらく続けようと思っています。

7月9日(金)「定期健診」

5月に入院した仙台の広南病院に2か月ごとの定期健診に行きました。
採血の結果を待つ1時間、待合室で高階杞一さんが送ってくれた新しい詩集「ひらがなの朝」を読みました。
いつも受け皿の大きい高階さんの詩ですが、病院という場所のせいなのかすっかりひたってしまいました。

病院から戻り、ユミと火星の庭にぼくの中古レコードの補充に行きました。前回補充してからそんなに
減っていませんでしたが、新たに20枚ぐらいのLPやシングルを置いてきました。

7月5日(月)「かもめ児童合唱団」

かもめ児童合唱団の新譜が届きました。今回のアルバムではぼくの「ある日ぼくらはおいしそうなおかしを見つけた」
が歌われているので完成を楽しみにしていました。過去3枚のアルバムに引き続きいろんな歌がとりあげられています。
「ある日ぼくらはおいしそうなおかしを見つけた」はすてきな合唱曲になっていました。「満月の夕」もとてもよかった。
このCDは来週発売になります。

7月4日(日)「ワクチン2回目」

今日ぼくは2回目のワクチンを接種しました。左腕の肩のあたり、1回目と同じ場所です。
これで11月にアメリカに行けるのかとたずねましたが、看護師の返事は「そうですね」とあいまいな感じでした。
半月後のユミの2回目の接種を待って、飛行機の予約をしようと思います。
今のところこれといった副反応はありません。

7月1日(木)「アメイジング・グレイス」

今夜はアレサ・フランクリンの映画「アメイジング・グレイス」を見ました。
ユミはクリスチャンの家で育ったので、黒人の歌うソウルっぽいアレンジの讃美歌には以前から違和感を
訴えていたのですが、今夜はアレサの歌声に圧倒されていました。
1972年、LAのバプティスト教会でのゴスペルコンサートの実況中継。まだ20代のアレサ・フランクリンが
ゴスペルを巫女のように歌います。ただひたすら歌う子供のような彼女がとても印象に残りました。

6月30日(水)「デイビッド・バーンなど」

このところ毎晩ユミと二人で家で音楽に関するビデオを見ています。ラジオ局の知り合いが送ってくれたので。
最初にザ・バンドのドキュメンタリーを見ました。映画館で見逃したので見られてうれしかった。
世界中に影響を与えたザ・バンドの小さな世界の出来事は、他のどんなバンドにも起こりうること。
ともくんはずっとソロでやってきて良かったね、とユミは言っていました。
一番最初になくなったリチャード・マニュエルの歌声は今もなお素晴らしい。

翌日はアメリカン・インディアンのルーツを持つミュージシャンに光を当てている「ランブル」でした。
これはぼくは映画館で見ましたが、最近見たばかりなのに忘れている部分が多かった。
ここにもザ・バンドのロビー・ロバートソンが出てきます。彼の母親はアメリカン・インディアンで、
父親が亡くなったあと彼は母親と保留地で育ったそうです。
ジミ・ヘンドリックスやミルドレッド・ベイリー、バフィ・セントメアリー、ジェシー・エド・デイビス、
ジョン・トルーデルなど大好きな音楽をまた聞き直したくなりました。

そして今夜は元トーキングヘッズのデイビッド・バーンの「アメリカン・ユートピア」というライブ映画を見ました。
彼はぼくより2歳年下ですが、生き生きとした歌やダンスには圧倒されました。
11人編成のバンドの楽器が全くコードでつながれていなくて、自由に動き回り踊りながら演奏しています。
歌詞の内容もすばらしい。自分は家にいるのが大好きだというのに世の中をちゃんと見ていて、家にいることが
世の中に無関心ではないということがわかる。家にいても人間を見ているんだな、と思いました。
これは2019年にデイビッド・バーンがニューヨークの劇場でやった4か月間にわたるライブの記録なのですが、
なんと今年の9月から来年の3月までの半年間、またブロードウェイの劇場でこのライブを再演するそうなので、
11月にマラソンでニューヨークに行ったときには絶対に見てこようと思っていて、今から楽しみです。

6月22日(火)「ワクチン」

今日はユミがワクチンの1回目を打つ日でした。会場は横浜みなとみらいのハンマーヘッドでの大規模接種です。
待ち時間のあいだは余裕のユミでしたがいざ接種となると緊張したみたいで、接種の後ふらふらめまいがして
会場からしばらく出られませんでした。医師や看護師がパルスオキシメーターや血圧計を持ってきて
ずっとユミのそばに付き添ってくれていました。
もともと子供のころからアレルギー体質で、予防接種やワクチンは今まで接種したことがありません。
そんなユミがなぜ今回ワクチンを打つ一大決心をしたかというと、11月にニューヨークに行くからです。
家に帰ってからはすぐに寝てしまいましたが、微熱や腰痛や全身の筋肉痛などの副反応もでて、しんどそうです。
二回目の接種が危ぶまれるなあ。

6月19日(土)「秩父 ホンキートンク」

5月の入院で1か月延期してもらったホンキートンクのライブです。
ホンキートンクの鈴木さんが知り合いから預かっていた加川良の形見のマーチン28が楽屋にあって、
とてもいい音なのでしばらく弾いていたらユミが、1曲目にノーマイクで「にんじん」とか歌えば、
というのでステージで使わせてもらいました。マーチン28の低音はマイルドで、ノーマイクでも生声との
バランスはとても良かった。そのあとは自分のテイラーで今日は2時間近く歌いました。最初の1曲ではずみがついたみたいで、
いいライブができました。

6月16日(水)「いまはむかし」

伊勢真一監督のほやほやの新作「いまはむかし」の試写を田端のシネマ・チュプキ・タバタにユミと見に行きました。
「いまはむかし」で伊勢さんは、太平洋戦争中にインドネシアで国策映画を作っていた父、伊勢長之助の姿を追い求めます。
3年間で130本のプロバガンダ映画が作られたそうです。作品のすべては今はオランダのアーカイブで眠っているのですが、
そのアーカイブを訪ねて映像を見せてもらうシーンも出てきます。
インドネシアの人たちに伊勢さんが日本人の印象を聞くと、全員が「日本人はすぐに殴る蹴るで、若くきれいな女はすぐに
連れて行かれた」と語っていました。とにかく日本人は海外ではとても暴力的だったみたい。だからいくら日本人が白人から
アジアを解放すると主張しても、現地の人たちにはとてもそうは思えなかった。
今まで「ヒューマン」というキーワードで心温まる映画を作ってきた伊勢さんの、今までとは少し違う相当の決意で完成させた手ごたえのある作品になっています。
東京裁判のシーンではもう一度確認するように憲法第9条が浮かび上がり、それを見てぼくは、誰が作った憲法でもいいではないか、
それが正しいと思うのならそれを自分たちのものにすればいいと改めて感じたのでした。
完成記念上映会は7月10日(土)東京日比谷図書文化館地下、日比谷コンベンションホールにて。

6月13日(日)「ワクチン」

ワクチンの1回目を今日打ちました。今のところだるいとか手が上がらないというような症状はありません。
打ったところをこすらないようにと言われて、他にしてはいけないことはと聞くと、お酒は今日は飲まないように
と言われました。大事なことなのにそういうことは向こうからは言わないんだなあと思いました。
打った後30分じっとしていて、それから付き添いのユミと帰りました。

6月10日(木)「持ち寄りで映画を見る会」

ホルンの澁谷さん、夏海さん、火星の庭の前野さん、ぼくとユミといういつものメンバーがホルンに集まって
映画を見ました。澁谷さんはロビン・ウィリアムズ主演のアメリカ映画「モスクワ・オン・ザ・ハドソン」を、
ぼくとユミはジョン・セイルズ監督の「ブラザー・フロム・アナザー・プラネット」を持ち寄り、食べ物と飲み物
を持ち寄って夜遅くまで映画を楽しみました。
ぼくたちが持って行くのはたいてい澁谷さんは何回も見ていて、澁谷さんが持ってくるのはぼくもユミもいつも
見たことのない作品ばかりで、なんとなくバランスが悪いのですが、澁谷さんは同じ映画を何回見ても苦にならない
みたいで、一緒に楽しんでくれます。今夜の映画はどちらも舞台はニューヨークで制作年度も近く、どちらの主人公も亡命者、または逃亡者です。
偶然にもそんな共通点があったのもおもしろかった。

6月9日(水)「録音」

仙台のスタジオで新曲を5曲録音しました。歌がまだ新鮮に感じられるうちにソロで録音して残しておこうと
いう試みです。「あの橋を渡る」で録音してもらった佐藤ヒロユキさんにまたお願いしました。

6月8日(火)「句会」

出かける前に家でユミの作ったパスタサラダを味見していたら、強く舌を噛んでしまいました。
食べ物と飲み物は持ち寄りの句会なので、ぼくはポテトサラダを作ったりと準備をしていたのですが、
お腹がすいていて舌まで噛んでしまった。
血をさらさらにする薬を飲んでいるからかしばらく血が止まらず、痛みもあって楽しいはずの句会も
どうも上の空に。句会は俳句の集まる場所。様々な句に出会うのが楽しい場です。
それをお酒やおしゃべりでかきまわしながら、もう十何年も続けてきました。夏ごろには恒例の合同句集も
やっとできるみたいです。

6月6日「仙台ライブ」

仙台のアジアントライブで9か月ぶりにライブをしました。飲食店への時短要請でお店はまだ休業中だった
みたいですが、店長の間瀬くんがぼくのライブのために一日だけ開けてくれたようです。
立ち見も出た去年の9月に比べればお客さんは半数ぐらいでしたが、この時期なのでちょうどよかったのかも。
今日は「銀座線を探して」など新しいいくつかの歌を歌いたかったのと、「にんじん」など昔の歌を歌ってみよう
と思いました。『あの橋を渡る』からは「1月1日午後1時、高橋さん」「ブルース」など4曲歌いました。
新しい歌でも古い歌でも、ライブはいつでも実験の場なのだと思いました。
 
昔、岩手大学の学生だった桃生和成くんが仲間たちと卒業記念でぼくのコンサートを大学の講堂でやってくれた
ことがありました。
その桃生くんがちょうど今日39歳になったので、ライブの後に友人たちとお店でささやかにお祝いをしました。
ぼくは5月24日に仙台の病院を退院して仙台では初めてのライブだったので、そのお祝いもしてもらいました。
休業中なのに若い店員たちもボランティアでかけつけて、料理を作ったり飲み物をサーブしたりしてくれて、
みんなありがとう。

6月5日(土)「小野哲平×早川ユミ 二人展」

一昨日から仙台に来ています。
石巻のギャラリー、カンケイマルラボで、陶芸の小野哲平さんと手縫い服の作家の早川ユミさんと
ぼくと3人でトークをしました。
昨日から始まった哲平くんユミさんの二人展のオープニングイベントです。
進行司会はカンケイマルの須田さんで、「つくること/問いつづけること」というテーマで哲平くんと
ユミさんの足取りをたどりながら、社会とものづくりについて語り合いました。
ぼくは哲平くんとユミさんが結婚する前からの知り合いで、なつかしかったこともたくさんあったけど、
知らなかったこともたくさんあって、筋道をたてて話してみるのもいいことだと思いました。
最後にぼくは自分の詩とエッセイを朗読し、持って行ったギターで「あの声を聞いて振り返る」を歌って
おしまいの予定でしたが、早川ユミさんが大好きな「遠来」などもあとでちょっと歌いました。

6月1日(火)「月間フラカン」

新代田のFEVERでフラワーカンパニーズと一緒にライブをしました。
15年前に鈴木圭介くんと二人で作った曲(「サンテグジュペリはもういない」「人間をはるか遠く離れて」)
やフラカンの曲、それからフラカンが一緒にやりたいと選んでくれたぼくの曲などをやりました。
ぼくがソロで20分(実際には少しのびた)の後にフラカンがやって、その後は圭介くんと二人で2曲、
それからフラカンとぼくとで5曲という内容でした。
フラカンと知り合ってもう長いのにバンドメンバー全員と一緒に演奏するのは初めてで、
これがきっかけとなって、今後ぼくもフラカンのハイエースに乗って一緒に旅をすることもあるかもね、
という終演後のみんなの感想。
5月14日の知久くんとのライブから、下津くん、フラカンと若い人たちとのライブが続きましたが、
誰と一緒にやっても別れがたい気持ちになるのはライブの基本が常に生身だからこそ。
ライブという表現形態をこれからも大切にしたいです。

5月28日(金)「440」

下北沢の440で踊ってばかりの国の下津くんとライブをしました。下津くんと会うのはまだ二回目、
下津くんのライブを見るのは今日初めてなので、この日を楽しみにしていました。
ソロの部分は50分50分で、アンコールで一緒に「Weight」と「夕日は昇る」をやりました。
「Weight」は石田長生の日本語バージョンです。意外にむずかしい歌でした。
まだ31歳の下津くんのせいか客席の年齢はいつもより若いようでしたが、ぼくは退院後最初のライブで、
歌詞を間違えたりコードをとちったりとそれどころではありませんでした。でも今まで通りにライブができて
良かった、とうれしかった。誘ってくれた440の平林さんと下津くん、ありがとう。

5月27日(木)「リハーサル」

6月1日に一緒にライブをするフラワーカンパニーズとリハーサルをしました。
歌を歌ったのは5月14日の知久くんとのライブ以来でしたが、歌うとちゃんと声が出てうれしかった。
入院中はほとんど声を発しなかったということもあって心配してたけれど、これで今までの日常と
これからがつながった感じです。フラカンのメンバーとも何年かぶりに会ったけれど、全然ブランクを感じなかったです。

5月25日(火)「誕生日」

今日はぼくの71歳の誕生日でしたが、退院して横浜に帰って来たばかりで、バタバタしていて、
なにも特別なことはしませんでした。が、お祝いの物やメールなんかも届いてうれしかった。

5月24日(月)「退院」

予定より早く今日退院しました。今日中に横浜に帰ります。
入院生活は最初は不便に感じましたが、大したことのないぼくよりもっと深刻な病状の人たちが、ひょうひょうとして治療に専念している
のを見て、逆にものすごくはげまされました。
病院の1日はとても長いけど、治療には長い時間が必要だからだと思いました。
5月22日の秩父は6月に延期してもらいましたが、今月28日からはまたライブを再開します。

5月21日(金)

入院生活にもなれてきました。検査はいきなりやって来ます。予告があることもあれば、まったくないこともある。
担当は若い男の先生です。検査以上に予告もなくやって来ていつの間にか横に立っている。ずっといたんだけど
ぼくに見えなかっただけ、というように。そして、退屈ですか、と話しかけます。
今日は24時間心電図検査で、次の検査は24時間血圧測定で、月曜日にすべての結果を聞くことになりました。

5月19日(水)

モニタリング検査によるPCRの結果はぼくもユミも陰性でした。なんとなくほっとする。
22日の秩父のライブは、ホンキートンクの鈴木さんに事情を話して延期してもらうことになりました。
今までのところ、発作の原因となるような病気は高血圧だけでした。

5月18日(火)

生まれて初めての入院生活です。集中治療室は午前中で終わり。午後から一般病棟に移されました。
ユミが下着や本などを届けてくれました。コロナの時期なので面会はできません。
今日から日曜日まで、血液や血管の検査が続きます。20年以上健康診断なども受けたことがなかったので、
この入院はぼくにはいい機会だったのかもしれません。そう思うことにしました。

5月17日(月)

横浜市の高齢者対象のワクチン接種の予約をしました。受付開始の9時からパソコンで30分ぐらいで
予約ができたので、今日は無理かなと思っていた10時からのエリック・ロメールの映画を見に行きました。
うちのすぐそばのチネ・ラヴィータで毎日エリック・ロメール特集をやっているので。

映画のあと家に帰り、昼ごはんを食べてパソコンでメールを打とうとしたら、左手が思うように動かなくなり、
左足もしびれています。こんなことは初めてで、しばらく横になり手足の回復を待ちました。
ユミはすぐに脳関係の異変だと思い、慌てて火星の庭の前野さんに電話をして、ぼくが前にみてもらったことの
ある小児科の寺沢先生に相談してもらったら、すぐに救急車で病院に行きなさい、とのことでした。

30分ほどでもとに戻ったので救急車は呼ばずに、タクシーで何軒かの病院を回ったけど、予約や紹介状が
なければどこも診察してくれません。ようやく見つけた脳神経外科でMRIを受け、画像には何も映っては
いなくても何か危険な病気らしく、その場で書いてくれた紹介状を待って、脳神経外科専門の大きな病院に
そのままタクシーで向かいました。一過性脳虚血発作という病名らしいです。
すぐに帰れると思っていたのに、即刻入院と言われてしまった。実際ぼくもユミもびっくりでした。
雨の中ユミは一人で帰り、ぼくは集中治療室のベッドで眠ることに。

5月16日(日)

昨日から仙台に来ています。

仙台のデパート、藤崎の前で、政府のやっているPCRモニタリング検査が無料で受けられると聞いて、
ユミと行ってみました。
その場でスマートフォンで登録をして検査のセット一式を受けとり、家で唾液を容器に入れて、
郵便局から発送しました。3日後の結果待ち。 
火星の庭にぼくの販売用の中古LPレコードとCDの補充をしましたので、見に行ってくださいね。
夜はエリック・ロメールの映画を見に行きました。

5月14日(金)「 横浜thumbs up」

一度延期になった知久くんとの二人のライブ、楽しかった。
最初に知久くんがソロで歌い、次にぼくがソロで歌って、後半はぼくの曲をアンコールも含めて5曲、
二人で演奏しました。これは配信されているのでぜひ見てください。とてもいいです。
一緒にやった曲で初めてだったのが「あの声を聞いて振り返る」です。知久くんからこの新曲をリクエスト
されてぼくはうれしかった。レパートリーが一つ増えました。
知久くんも相当気合いを入れて自分の曲も演奏したそうです。
元々好きな歌だったのですが知久くんの歌、「くだもの」が今もずっと聞こえています。

5月6日(木)「仙台」

本当はもうとっくに仙台にいるはずだったのに、ずっと横浜にいます。5/9の仙台のライブが6月に延期になり、県外への
移動は控えるようにという世間のムードもあって、家で本を読んだり、Netflixで映画を見たり、ランニングしたりの毎日です。
14日の横浜サムズアップの知久くんとのライブは中止はせずに時間を早めてやることになりました。
いつまでコロナに翻弄される日々が続くかな。今だにほとんどの人が検査もワクチンもできない国に住んでいるのが
悪い冗談のようです。

5月5日(水)「横浜 Hammer Head」

ここでBankArt1929の「新・港村」という横浜トリエンナーレ関連の展覧会があって、音楽家の野村誠さんと二人で
ライブをしたことがあります。2011年8月のことです。そこがいつのまにかきれいな商業施設になっていました。
三崎町のミサキドーナッツがここに出店したとオーナーの藤沢くんに聞いて、ユミと行ってみました。
2階の片隅の小さな店で、ドーナッツを3つ買うと小さなトートバッグがおまけについてきました。
建物を抜けると海で、野外映画会のできるスペースもありました。いつかここでミサキドーナッツが海風のようなコンサートを
企画すればいいのにな、と思いました。
なぜかというと、藤沢くんは「かもめ児童合唱団」のプロデュースもやっているからです。もうすぐ新しいアルバムが
出るそうで、それも楽しみです。

5月1日(土)「昼咲月見草」

家のすぐ前にある空き地に昼咲月見草が咲いていました。去年の春の緊急事態宣言のときに見つけて、ぼくの家のテーブルには
いつもこの花がありました。あれから1年がたったんだなあ、と去年を振り返りつつ、今もまた緊急事態宣言中です。

4月29日(木)「Book Sellers」

今日もジャック&ベティに。ニューヨークで希少本を扱う古書のDealerたちの話です。古書店は大好きだけど、ニューヨークなどでRare Booksという
看板に出会うと敬遠してしまうぼくにはほとんど縁のない世界。だけどドキュメンタリー映画として、話として見るなら
おもしろい世界です。その世界では知られた本のハンターたちがたくさん登場します。そのほとんどが老人で、
それはこの仕事には先がないことを意味しているみたいです。
ヒップホップの歴史を保存するために、まだインターネットがなかったころの雑誌を集めまくっている女性も出てきて、
いくらか若いその人たちが、別の形でこれから希少本の世界を受け継いでいくのかもしれないなと思いました。
名うてのBook sellerたちも初めは本を読むことが好きな人たちだったと思います。それがいつの間にか骨董屋みたいに
珍しいもの、古いものに突き進んでいってしまう。でも本に触れていることが最高に幸せ、と思える人たちなのだな。

4月28日(水)「SNS少女たちの10日間」

ジャック&ベティに「SNS」を見に行きました。繰り返される緊急事態宣言に映画館の窮状を
訴える記事を読んだユミの提案で行くことになりました。
今大切なのは映画よりまず映画館です。「SNS」はチェコの監督が、Skypeなどのインターネットを通じて出会った少女たちと主に中年の男たちの
実態を探るべく、12歳ぐらいに見える若い女優たちからオーディションで3人を選んで、その性的なやりとりを
とらえたドキュメンタリー映画で、どこか警察のおとり捜査みたいなところもあります。
男たちに性的なことを要求される少女たちの緊張感は相当で、いくらスタッフに守られているとわかっていても、
見ているぼくもかなり緊張しました。

4月18日(日)「吉祥寺 スターパインズカフェ」

東京では久しぶりのソロライブでした。水谷紹くんからギターを持って行ってもいいか、
というメールがきて、紹くんなら大歓迎ですから一緒に何曲かやることになり、リハーサルもやりました。
その後知久くんがお客さんで来るということをユミが開場前に知って、知久くんとも何かやることになりました。
営業時間の短縮でラストオーダーが7時、でも5時スタートだったので7時半までたくさん歌うことができました。
紹くんと二人でやったのは「こわれてしまった一日」と「愛について」。飛び入りの知久くんからの提案で急きょ
二人でやったのは「夜は言葉」。でもぼくが歌詞を覚えていなくて、半分ぐらいがハミングでした。
それから3人で「ぼくは君を探しに来たんだ」を歌って終了。
こんな風に友だちがぼくの歌に加わってくれたらとてもしあわせです。
人数制限した客席もほぼ満席で、結構大変な状況の東京なのにみんな来てくれてうれしかった。

4月17日(土)「高田渡の視線の先に」

高田渡が1972~79年に撮った写真集が、4月16日の命日に合わせてリットーミュージックより発売されました。
息子の漣くんがキャプションをつけ監修もやっていますが、写真の量が多いので大変だったと思います。
渡の周辺にいたミュージシャンの写真が多く、その中にはぼくが撮られているのもたくさんあります。
いつのまに撮っていたのかぼくは覚えていませんが。
他にはヨーロッパの旅の写真、ピラミッドの前に立つ渡はめずらしいです。
非常にかさばる大きさの本だけど、一家に一冊あってもいいような気がします。

4月16日(金)「ボブ・ディラン特集」

カード会社の月間雑誌「てんとう虫」「express」のボブ・ディラン特集号に原稿を書きました。
とはいってもこれは書店で買える雑誌ではないようで、UCゴールドかセゾンゴールドの会員なら
無料で読めます。残念ながらぼくはどちらの会員でもありませんが。

4月14日(水)「街の上で」

ジャック&ベティで「街の上で」という映画を見ました。ユミが見に行くというから、ぼくは何も知らずに
一緒に見に行ったけど、すごくおもしろかった。若い俳優がたくさん出ていて、土砂降りの雨のあとの
レイトショーには結構な人が来ていました。
ジム・ジャームッシュのような会話の間とエリック・ロメールのような人間関係、最近の日本映画にはない、
怒鳴る人の一人も出て来ない映画でした。

4月12日(月)「サドヤワイナリー」

ワイナリーの酒蔵で以前落語会を催したことのある馬場さんがワイナリーの見学を予約してくれて、
サドヤの顧問という方が案内係りでした。旧工場は地下にあってとてもひんやりしていて、
真っ暗で何も見えませんが、すぐに目がなれてきました。
ブドウからワインを作る製作過程に沿って使われてきた古い機械が展示されていました。
ワインは樽からまず一升壜に移されて最低2年は寝かされ、出荷されるときに普通のワインの壜に詰められるそうです。
牢獄のような柵の奥には一升壜の1962年のワインが厚い埃をかぶって寝かされていました。
暗闇から出たときのまぶしさがなんだか懐かしかった。子供の頃にこんなことがあったなあと思い出しました。
見学の後はサドヤのいろんなワインを試飲、おみやげにそれぞれ気に入ったワインを買って帰りました。

4月11日(日)「甲府 ハーパーズミル」

朝日新聞に甲府のワイナリーSADOYAのことが出ていて甲府でライブがしたくなり、ハーパーズミルの坂田くんに
連絡をしてみたら、2年ぶりにぜひやりましょう、ということになりました。
ライブ開始前から真澄さんたち女性3人が打ち上げの料理を楽しそうに準備していて、ライブというよりは
華やいだパーティの雰囲気。
今日のライブは坂田くん製作の3台のギターの共演でもありました。坂田くんと坂田くんのサポートギターの人、
それからぼくの3台のサカタギターはどれもいい音でした。
ずっと歌い続けている人、歌い始めたばかりの人、ハーパーズミルのライブにはいろんな人たちが集まって来ます。
雰囲気がパーティのようになるのは自然なことだと思いました。

4月10日(土)「ピザ」

ゆっくりホテルをチェックアウトして、「正文館」で本を買って、お昼は矢場町の「solo pizza」で
おいしいピザを食べて、「ミュージックファースト」でCDを買って、夕方の新幹線で横浜に戻る、という
理想のコースで今日は終わりました。

4月9日(金)「名古屋 得三」

去年の4月4日の得三ライブのことはよく覚えています。緊急事態宣言でお客さんは少なく、雰囲気は暗く、
でも熱かった。その熱さでこの一年を乗り切った得三は明るさを取り戻していました。音楽の力かな。
お店の営業自体が短縮されているので、休憩時間を入れて2時間のライブでしたが内容は曲数ではないようで、
いくらでもおもしろくできるような気がしました。
食事をしてホテルに戻ってもまだ12時前っていうのがなんだか得三らしくはなかったけれど。

4月3日(土)「仙台本屋時間」

句会の有志と榴岡公園で花見をしました。榴岡公園の枝垂桜はそれはそれは見事でした。
仙台は緊急事態宣言中なので敷物を敷いてお酒を飲むのは憚れますが、7人で静かにワインを飲みました。
武田泰淳が何かで、お酒を飲むと景色がきれいに見える、と言っていたけど、花見にお酒が
つきものなのはそんな理由があったのか、と思いました。

火星の庭の前野久美子さんが中心になって、仙台の本屋さんを紹介する単行本ができました。
タイトルは「仙台本屋時間」。この本は売っているお店が限られているようですが、がんばって
見付けてください。ぼくもニューヨークの本屋についての文章を寄せています。
仙台には本屋が少ないと思っていたけど、これを読むとぼくの知らないおもしろそうな本屋が
あるのがわかります。

3月30日(火)「句会」「中古CDの追加」

参加者の少ない句会でした。主宰の渡辺さんも欠席。それでもやるだけのことをやって11時ごろに解散。
実際の参加者は少なくてもみんな投句はしていて、いい句が多かった。
今夜のお弁当はホルンのカレーセットです。ホルンは今カフェ営業はやめていて、テイクアウトのみに
しているそうです。早く感染者が少なくなるといいのにね。

火星の庭に委託させてもらっているぼくの中古CDが減っていたので20枚追加しました。
最初はダブっているCDとかもう聞かなくなったのとかを置いていたのですが、それも減ってきたので、
今はぼくが大好きで他の人にも聞いてもらいたいものも売っています。
それから、中古LPレコードも少し持ってきたので置いてもらうことにしました。ぜひ見に行ってください。

3月29日(月)「仙台へ」

夕方の新幹線で仙台に来ました。いくらかひんやりしていても、寒くはありません。
仙台はコロナの感染者が急増しているそうですが、街の様子はいつも通り。

3月27日(土)「ホホホ座」

桜が満開の京都、ホテルのある四条烏丸からバスで浄土寺の書店「ホホホ座」に行きました。
道が混んでいて、大変時間がかかりました。
ユミはホホホ座の山下くんの日記を応援していて京都に来ると必ず買いに来ますが、今回で一年分
コンプリートしました。ぼくはオランダの写真家の写真集を買いました。
京大農学部の正門脇の「ムギマル」まで、桜並木の白川疎水に沿って歩きました。銀閣寺あたりは
観光客でにぎわっていました。
初めて来た京都「ムギマル」はそんな観光客の喧騒とは無縁の静けさ。バッハのギター音楽を
LPレコードで聞きながら、すごくいい時間を過ごしました。本当にいいところ。
どうしても慌ただしくなってしまう京都ですが、予定通り夕方の新幹線で横浜に戻りました。

3月26日(金)「京都 磔磔」

心斎橋のホテルから堺筋線で淡路に出て、そこから阪急で京都へというルートが気に入っています。
阪急電車は結構混んでいて、人々のお喋りも普通です。
早めに着いたので、東急ハンズで開催中の中古レコードフェアに行きました。めずらしいのは
なかったけど、値段が手ごろで3枚買いました。
磔磔には、ふちがみとふなとがまたまた聞きに来てくれたので、渕上純子さんにアンコールで
ステージに上がってもらい、一緒に「ブルース」を歌いました。
打ち上げでは磔磔のだし巻きを今年も食べられて良かった。

3月25日(木)「大阪 Janus」

毎年一回この季節にJanusでソロのライブをしていますが、今年もできてうれしいです。
コロナ感染拡大の影響はありますが、ドアを開けっぱなして広々とした会場は気持ちよかった。
制限時間ぎりぎりの9時までやって、アンコールはできなかったけど、休憩時間も入れて
2時間半、たっぷりとやれたと思います。
CDや本を買ってくれた人とも握手しました。「また大阪でぜひ」と若い人から言われて
うれしかった。
今年も5月の春一番コンサートはやらないので、大阪は寂しいですね。

3月22日(月)「帰り道」

横浜に帰る途中、仙台で途中下車して仙台駅のそばにある部屋を見に行きました。もしかして一昨日の地震で何かあったらと思って。
でも家のなかはいつも通りでした。
2月の大きな地震のときも全然被害はなかったので、この建物はほんとに頑丈なんだなとあらためて安心しました。
それからまた新幹線で横浜に戻りました。

3月21日(日)「もぐらや」

雨でしたが、午前中アスパムで開催中の古書展に行きました。
今日のライブの主催の「古書らせん堂」が出店していたからです。
誰かが本を見ていると、それにつられて人だかりができます。
立ち読みをしながら、ぼくも少しは役に立っているのかなと思いました。
 
夜は「もぐらや」でライブをしました。青森でもコロナのクラスターが続いていて、お客さんを集めるのに気を使ったと主催の三浦さんは言っていました。
でも予約してくれた人たちは全員聞きに来てくれました。
配信なしの生ライブ、小さな店なのでマイクも使いません。
自分の声がとてもよく聞こえて、いい演奏ができました。
今年ほど、ライブを実現できて良かったと思ったことはなかったと 
三浦さんは終演時にお客さんに挨拶をしていました。

3月20日(土)「移動日」

太田さんに函館を案内してもらって、午後の新幹線で青森に移動しました。この日はオフでした。
青森についてしばらくして、大きな地震がありました。ホテルの床がななめに2分間ぐらい揺れていました。
震源地は宮城県沖で津波注意報も出ていました。
横浜にいるユミにすぐに電話しましたが、横浜も揺れたそうです。

3月19日(金)「函館市 公民館」

去年のライブが中止になって、2年ぶりの函館でした。公民館は
今回が2度目でぼくのとても好きな会場です。
コロナの関係で会場が8時半までしか使えず、しかも平日だったのでどうしようかと主催の太田さんから相談はされていたのですが、
1時間半あればいいコンサートができるはず、と思ってやりましょうよ、とぼくが言ったのでした。
実際やってみて、休憩なしの1時間半はぼくには十分に思えました。

3月17日(水)「知久寿焼」

横浜のサムズアップで知久くんのソロライブがありました。
元々はぼくと二人のライブの予定でしたが、緊急事態宣言の延長の
せいでサムズアップの終演時間が早まり、5月に延期してもらうことになったのでした。
でも知久くんのライブは見たかったのでユミと一緒に見に行きました。
知久くんのライブは洗練されていて、同じ曲を何度聞いても
やはり初めて聞くみたいに新鮮です。
ライブ中に、アンコールでぼくも飛び入りして何か一曲やることになりました。
それで、アンコールの2曲目に二人で「あいてるドアから失礼しますよ」を歌いました。
一曲だけだったのにぼくはとても楽しくて、もしかしたら聞いてくれたお客さんも5月14日のライブが楽しみになったかもしれません。

3月11日(木)「震災から10年」

東北に大震災が起きたとき、ぼくとユミはニューヨークにいました。息子の一穂は横浜にいて、メールで
あたりの様子を知らせてくれたのですが、実感できないもどかしさがありました。
ニューヨークの家のパソコンで日本のテレビを見ていたときにとても強烈に残ったのが、南三陸の防災庁舎で
最後まで住民に非難を呼びかけていた職員の女性の声でした。
その声はずっとぼくの中にあって、やがて「あの声を聞いて振り返る」という詩になりました。
去年その詩の朗読の入った『あの橋を渡る』というアルバムを発売するとき、仙台に住んでいるアーティストの
瀬尾夏美さんが南三陸の現在の防災庁舎を絵にしてくれて、それをジャケットの表紙にしました。
広々とした今の自然に抱かれてあり続ける防災庁舎の絵は、ニューヨークでしか体験できなかった震災との
奇跡的な出会いとなりました。

3月9日(火)「三宅伸治還暦ライブ」

スターパインズカフェで日曜日からやっている三宅伸治の還暦を祝うライブの最終日に参加しました。
本来なら大勢のお客さんでぎっしりになるはずのところを、緊急事態宣言で観客数を少人数に制限され、
多くの人は配信で楽しむしかなかったみたいです。
それでも会場に来た人たちは普段のコンサートのように立ち上がり、一緒に歌い、三宅くんの長い
音楽家生活をせいいっぱい祝っていました。ぼくは三宅くんのリクエストで「一本道」と「ぼくは君を探しに来たんだ」を三宅くんの今夜のための
スペシャルバンドRed Rocksの人たちと歌い、ぼくにとっても忘れられないライブになりました。

ライブのことでもう一つ。3月17日に決まっていた知久寿焼くんとのサムズアップのライブは、国からの時短要請延長のため
5月14日に延期になりました。

3月4日(木)「横浜へ移動」

夕方の新幹線で横浜に戻りました。新幹線は福島県あたりはまだ徐行運転で、仙台と郡山の間だけ満員でした。
朝晩はまだ0℃の仙台に比べ、横浜は暖かくて二人ともコートは鞄の中。

3月3日(水)「buddy buddy」

一か月以上も休業していたEDENのBuddy Buddyに行って、ぼくとユミと常連の山家さんと3人で飲みました。
店長の間瀬くんもしばらくしてやって来て、頼みもしないのにぼくが大好きな紹興酒の熱燗をお向かいの
姉妹店Asian Tribeから運んで来てくれました。みんな元気でよかった、とお祝いみたいな夜でした。
Asian Tribeでは5月9日にぼくのライブがあります。

3月1日(月)「映画会」

持ち寄りのDVDをプロジェクターでスクリーンに映して少人数で楽しむ。もう何回目でしょう。
元はといえば澁谷さんと夏海さんが二人の喫茶店「ホルン」で、日曜日の営業後に少人数でやっている
上映会にたまたま参加したのがきっかけ。
今夜もぼくとユミと澁谷さんと夏海さんと火星の庭の前野さんだけの小さな会でした。
3月はホルン開店10周年と聞いて、ユミは駅ビルでいちごのタルトを買って持って行き、ローソクを
点してみんなでお祝いをしました。
持ち寄りの食べ物でお腹を満たして、それからじっくりと最低2本は見るので、終わるのがいつも
12時を過ぎてしまいます。ぼくが用意したのは70年代のメルヘンっぽい「フレンズ」、澁谷さんのはアニエス・ヴァルダの
「冬の旅」でした。「冬の旅」の無銭旅行者モナの、死から生まれて死を生きるようなそんな激しい
生き方に衝撃を受けてすっかり眠気もさめてしまい、朝に近い夜の街をユミと歩いて帰りました。

2月27日(土)「近藤聡乃さん特集号」

ぼくも原稿を書いたので掲載誌は横浜の家に送られているはずだけど、先週から仙台にいるので、
駅前の丸善に今日発売になったユリイカ3月号「近藤聡乃特集号」を見に行きました。
土曜日の丸善はかなり混みあっていて、書架の間でユミと二人で立ち読みをするには迷惑な状況
でしたが、かなり読み応えのある内容だと感じました。早く横浜に帰ってゆっくり読みたいです。

現代詩手帖の3月号では、瀬尾夏美さんの絵が表紙になっていました。
東北の震災10年を振り返る内容の特集で、この号のために書かれた瀬尾さんの詩もすばらしいと思いました。
瀬尾さんはぼくのアルバム「あの橋を渡る」のCDジャケットに南三陸町の絵を描いてくれています。
現代詩手帖も横浜に送られてきているので、帰ってからゆっくり読みます。

2月26日(金)「ランニングシューズの問題」

1月に買ったばかりのランニングシューズが足に合わなくて困っています。
同じものを2足買ったのですが、どちらも右足の親指の付け根が痛くなる。
今日は仙台でユミと一緒に走ったので、ユミの意見を聞いてテーピングをしてもらったり、
痛むところに布を巻いてみたりとかなりしんどい思いをしています。長くアディダスの
シューズを履いているけれど、今まで一度も問題がなかったので、ショック。
明日は試しにインソールを変えて走ってみようかと思います。

2月25日(木)「中古CD」

「火星の庭」に委託させてもらっているぼくの中古CDの棚、今日また新たに補充しました。
横浜の家の増えすぎたCDを減らそうと始めたのですが、1年たってもそんなに減らないなあ。
古本屋さんの本が売れるよりも在庫が増えて行くのに似ているかも。

2月24日(水)「句会」

火星の庭で句会がありぼくもユミも参加。
昨日上野から仙台に来る車内で書いた俳句を投句したのですが、書いているときはいいと思った句が、
投句したとたんにすっかり色あせてしまうのはなぜでしょうか。まだまだ人に見せるほどのものでは
ないのかもしれません。

2月23日(火)「常磐線で仙台へ」

13日の地震で運転を取りやめていた東北新幹線ですが、ようやく24日から再開するようです。
それでも運行される列車の本数などが未定だったので、今日常磐線で仙台にやって来ました。
しばらくぶりの旅行で勘が狂ったのか、ユミが上野駅のホームにスーツケースを置き忘れる事件が。
すぐに気が付いて車内の車掌さんに相談したら、スーツケースは上野駅にあったようなので、
途中駅の水戸で降りて上野に引き返さずそのまま特急「ひたち」で仙台に。
スーツケースは着払いで仙台の家に送ってもらうことになりました。

2月13日(土)「豊洲シビックホール」

去年から準備していて楽しみにしていたコンサートが無事に終了しました。
東京都は依然として緊急事態宣言中だったので、入場者数を制限したり終演時刻を早めたりと注意しなくては
ならないことはたくさんありましたがこうして無事に終わってみると、いろいろと手を尽くせばどんな状況でも
ライブはやれると思いました。ここは小さなホールで、音響がとてもよかったです。
前半はぼくとおおはたくん、伊賀さん、芳垣さんとで「あの橋を渡る」からの5曲と「水門」をやりました。
後半の一曲目はぼくと原田郁子さんで「ユニコーン」を歌いました。この曲は2008年にぼくたち二人で作って、
原田さんのソロアルバム「ケモノと魔法」に収録されたのですが、今回初めての共演でした。
それから原田さんの演奏やおおはたバンドの演奏が続き、最後にライブのタイトル曲「歌は歌えば詩になって行く」
を全員でやっておしまい。でも本当はまだおしまいにしたくなかったので、しつこく即興で演奏の続きをしたら
アンコールで来て、時間的にもギリギリOKだったので、全員で「ブルース」を演奏して終わりました。
アンコールの時にはステージの背後のカーテンが開けられて、ガラスの壁の向こうに豊洲の夜景が見られる
という仕掛けでしたが、ぼくは見逃してしまった。たぶん見逃すぐらいに演奏に満足していたんだと思います。
原田さんは久しぶりのバンド演奏にしきりに喜びを表現していました。

そして、なんだか別れがたく楽屋で10時までみんなと歓談。そのあと電車で帰ったのですが、電車から降りて
タクシーに乗って家に着いたら、ちょっとしたものが一つ落ちていて、あれ、地震でもあったのかな、と
ユミが言ってたら、東北で大きな地震だったのでした。ぼくもユミも全く気が付かなかった。

2月7日(日)「休日の公園」

週末の公園は人でいっぱい、初めて来た人や遠くから来た人が多いようで、平日には見かけないようなことを
する人たちに出会います。
今日はそれがランナーでした。30人ぐらいのランナーたちが競い合うように、園内を歩く人たちをかき分けるように
爆走していました。マスクは外しているし大粒のつばを飛ばしまくっています。
ちょっとこれはまずいのではと思い、リーダーらしき人に話しかけてしまいました。
彼らは鎌倉から来たランニングチームで、根岸森林公園は初めてだということ。コロナの緊急事態宣言から1年近く、
この公園の使用を自粛してやめているチームのことも話しました。ランナーというのは公園の利用者にとっては
迷惑なんだなあということがとてもよくわかりました。

2月5日(金)「チチカット・フォーリーズ」

「阿賀に生きる」と同じ「現代アートハウス入門」という企画の最終日で、フレデリック・ワイズマンの
監督第一作という「チチカット・フォーリーズ」を今日もユミと見に行きました。
「現代アートハウス入門」のチラシにワイズマンの名前を見つけて、これは見なくてはと急きょ行くことに
しました。ぼくたちは今までに「ニューヨーク公共図書館」や「ジャクソンハイツ」などを見ています。
上映後のリモート生中継による想田和弘さんのレクチャーはわかりやすく、映画作家の情熱が伝わって来て
とても良かった。想田監督の作品も見たくなります。
それにしてもフレデリック・ワイズマン、すごい。こんな人はどこにもいないだろうな。
ドキュメンタリー映画は人が対等に向き合う方法を教えてくれているような気がします。間にカメラが
あるからでしょうか。二日間続けてドキュメンタリー映画を見てそんなことを考えました。

2月4日(木)「阿賀に生きる」

ジャック&ベティに「阿賀に生きる」をユミと見に行きました。
ずっと前から見たいと思っていて、やっと見られたという感じ。
新潟水俣病のことに関係のある映画ですが、とても心に残るのは食べて行くには過酷な土地で、
生き抜いて来た人たちの明るい表情。
大変だということと生きる楽しさはどうやら別のところにあるものらしいと思いました。
上映の後の小森はるかさんのリモート生中継によるトークも50分あって、現在の若い監督たちによる
ドキュメンタリー映画の源流がこの「阿賀に生きる」という映画にあったんだということがわかりました。

2月1日(月)「2月13日のリハーサル」

2月13日の豊洲シビックホールのリハーサルを出演者全員でしました。
今回はぼくとおおはた雄一くんの二人のライブで、ドラムスの芳垣さんとベースの伊賀さんがバンドメンバーとして
参加してくれます。そこにクラムボンの原田郁子さんがゲストとして加わるという、2時間の枠には収まりきらない
くらいの厚みのある内容です。
原田さんとは彼女のソロアルバムの時に「ユニコーン」という曲を共作して、ぼくも時々自分のライブで歌っていました。
でも原田さんとライブで共演するのは今回が初めて。「ユニコーン」はもちろん一緒にやります。
おおはたくんは現在ニューアルバムのレコーディング中で、当日はその中からも演奏するみたいです。
そしてぼくは『あの橋を渡る』からの曲を中心に歌う予定です。
あいまいな今の日本の状況にくっきりとした風穴を残すライブにしたいです。

1月25日(月)

注文していたレコードプレイヤーが届いた、とヨドバシカメラから電話があったので今日横浜に戻ります。
これからは自分の部屋でもレコードが聞けるのでうれしいです。
この間「火星の庭」のぼくの中古CDコーナー、少し補充してきたので興味ある人は見に行ってくださいね。
うれしいことに中古CDはコンスタントに売れています。そのうちLPレコードも持って行こうかな。

1月23日(土)「伊東卓」

火星の庭の句会メンバーの伊東卓さんの写真作品が宮城県芸術選奨新人賞を受賞して、その展示会をユミと見に行きました。
いつもならモノクロの卓さんのカラー作品がとても良かった。
ホルンは5時で閉店していたけどまだ夏海さんがいて、持ち帰りのカレー弁当を用意してくれました。
家に帰ってから温めて食べたけど、おいしかった。

1月22日(金)「映画会」

ホルンの澁谷さん、夏海さんと火星の庭で恒例の映画会。
澁谷さんの持って来た「女っ気なし」というのが最高でした。映画のワンシーンを待ち受け画面にして毎日眺めています。

1月21日(木)「空に聞く」「buddy Buddy」

そういえば数日前に小森はるかさんの新作ドキュメンタリー映画『空に聞く』をフォーラムに見に行きました。
小森さんの映画でまずはっとさせられるのは映像がきれいなことです。
今回の映画はかさ上げの進む岩手県の陸前高田で震災後からずっと放送を続けて来たラジオのパーソナリティの
話でした。新しい町はまだ見慣れない町だけど、いつか自分たちの街になって行くかもしれない、という
予感を抱かせる内容になっています。
 
この二日間はbuddy buddyで久しぶりにテリーさんに会ったり、常連の山家さんと会ったり、Buddy Buddyの
姉妹店アジアン・トライブでブルームーンカルテットのライブがあって、久しぶりに富永くんとも会いました。
北海道から車でライブをしながら下って来て、仙台が最後のライブだと言っていました。

1月19日(火)「NHK俳句2月号」

1月号と2月号のNHK俳句にエッセイを書きました。リレーエッセイのページで、その2月号が20日に
発売になります。2月号は塩釜の俳人、渡辺誠一郎さんの俳句のことを書きました。
今夜は火星の庭で句会がありました。主宰の渡辺さんは残念ながら欠席でしたが、
集まった9人でお弁当を食べたりお酒を飲んだりしながら、自分たちの俳句を楽しみました。

1月17日(日)「仙台」

昨日の夜から仙台に来ています。気温は3℃、歩道には少しまだ雪が残っています。
これからぐっと寒くなり、火曜日あたりは終日マイナスの気温になりそうだとか、それも楽しみです。

1月15日(金)「退屈」 

横浜にいるときは基本ずっと家にいて、まるで積極的に自粛生活をしているみたいです。
お正月に一穂とひかりさんに会っただけで、一か月間じっとしているとさすがに退屈です。
今月唯一やるはずだった横浜でのイベントも中止になったし。
毎日普通に仕事に行ってる人がいっそうらやましい、と思うときも。
明日から仙台に行くのでちょっと息継ぎになります。

1月6日(水)「明けましておめでとうございます。」

年が明けてからずっと川上未映子の「夏物語」を読んでいました。たった今読み終えたところ。
500ページ以上ある本なのに、読んだところ、だいたい覚えています。
好きな言い回しもたくさんありました。もう一度読みたいけれど、
今はまだ覚えておくことに専念します。