友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

3月30日(日)「すばらしいさよなら BankART 1929」

3月31日で一旦20年間の横浜市での活動を休止する現代アートプロジェクトBankART 1929のイベントの
最後をぼくのライブで締めくくりました。
クラウドファンディングやアートフェアでBankARTの撤去移転費用を支援した人たちを対象にした無料ライブで、さしずめぼくは返礼品、という立場です。
テーブルや本棚や壁などゆったりとくつろげるようなものはすでに撤去されていて、がらんとしたコンクリートの大きな倉庫に小さなステージを作り、ぼくはその上から生音で170人の人たちに向かって歌いました。
最初にぼくがBankART1929を応援するつもりで書いた文章を朗読し、2008年9月の大岡川「川下りライブ」の
時の写真(撮影:小野由美子)をスライド上映しました。
このころのぼくの髪はまだ黒く、「若いですね」と何人もの人から言われました。
生音でやることにしたのは、床も壁面も天井もコンクリートの音がよく響く広い場所でマイクを使って歌うと、
歌詞が聞き取りにくくなるので。27日には会場で実際にギターを弾いて歌ってみて音の響きのテストもやりました。
大勢の人が来るらしく、ライブ中の客席のザワつきなども細淵さんは心配していましたが、実際には心配は無用で、170人が一つになって聞くことに集中してくれました。

これで20年間のBankARTの活動は一旦休止、新しい門出を願って全員で乾杯をしました。

泣いている人なんかいなかったと思う。終わらなければ始まらないのだから。
そのことをみんながよくわかっているみたいな夜でした。本当に「すばらしいさよなら」でした。
BankART代表の細淵さんと津澤くん、ほんとにどうもありがとう。これからも面白いことをやっていきましょう。

3月22日(土)23日(日)「高島 BankART Station アライブ!」

みなとみらい線高島駅のギャラリーBankART Stationで、横浜市で20年間活動してきたBankART1929の
今後を応援するアートフェアがあって、DVD「Live! no media 2006」を持ってぼくとユミも参加しました。
BankARTとは2004年の始まりの頃からつながりがありますが、今日集まった多くの人たちにぼくたちの知り合いは
少なく、ぼくたちとBankARTのつながりは亡くなった主宰の池田さんとの関係だったんだなあと思いました。
それでもこの横浜でたくさんの面白い出来事を体験させてくれたBankARTにはとても感謝していて、
なにもなくなった空っぽの空間で最後を締めくくって欲しい、とBankARTのメンバーに言ってもらったので、
3月30日夜6時半から生音でライブをすることになりました。池田さんの亡くなったこの場所が、池田さんが
好きだったぼくの歌で満たされますように。
ライブの詳細はこちら(PDF)

3月20日(木)「横浜市 サムズアップ」

「銀座線を探して」発売記念バンドライブの最終日は横浜でした。
1月19日のスターパインズの曲目を少しずつ変えながらの名古屋、大阪、京都、横浜のライブでしたが、
バンドだと同じ曲でも毎回ちょっとした変化があって曲目を変える必要がないかもしれないと思いました。
今夜のサムズアップは関西ではやらなかった「声」や「眠り姫」をやりました。
大勢来てくれたお客さんたち、徐々にほどけて自由になって行くのが演奏しながらわかります。
ぼくたちがステージでほどけて行くのと同じです。
今夜は「すばらしいさよなら」など何曲か久しぶりに12弦ギターを使いましたが、糸巻の調子が悪くて
サムズアップの三好さんやライブを見に来てくれていた(普段はPAの)小俣くんにいろいろ助けてもらいました。
バンドでの最終日でステージの上のメンバーもみんないい顔で演奏してしたのが心に残りました。
メンバーと次に一緒にやるのは5月の春一番です。

3月18日(火)「switch」

西麻布にある「switch」へインタビューのために行きました。
何か大切にしているものを一つ持って来てほしいという依頼があったので、この日のインタビューにたまたま
参加することになっていた仙台在住の及川くんに、仙台のぼくのアパートに置いてあるギブソンB25を急遽
持って来て欲しいと、前日なのに及川くんにユミが電話しました。ぼくの仙台のアパートはオートロック式のため、
大家さんに鍵を開けてもらったり、となんだか大ごとになってしまいましたが、仙台からわざわざギターを
運んでくれた及川くんには本当に感謝しています。
戌井昭人さんによるインタビューはぼくの生い立ちについてが主でした。東京で生まれ、札幌、名古屋、岐阜で
少年時代を過ごしたたわいもない話です。写真家の浅田政志さんによる撮影もありました。
記事が雑誌に載るのはまだ先になりそうなので、決まったらまたここでお知らせしようと思います。

3月15日(土)「ホホホ座」

ホテルをチェックアウトしてから京都に来たら大体寄っていく「ホホホ座」へ。昨日ライブに来てくれた
座長の山下くんが待っててくれました。しゃべったり本を選んだり結構長居して、ぼくもユミも一緒に
行ったおおはたくんもたくさん本やレコードを買いました。
小雨の中、寒い京都の住宅街を歩いて「おめん」まで。三人で熱燗で温まって、おいしいうどんを食べて
それから夕方の新幹線でそれぞれ家へ帰りました。
 
なんだかんだと楽しいバンドツアーですが、残るは横浜一か所です。
そう思うと今からいろんな曲をやりたいという欲が出てきます。

3月14日(金)「京都市 磔磔」

ホテルから三々五々京都へ。ぼくとユミとおおはたくんは一緒に阪急電車で向かいました。
阪急電車の有料指定席をぼくは試したかったけど、普通車両も空いていて却下。
早めに京都に着き、ホテルに荷物を置いて、いつもの蕎麦屋に3人で行きました。

磔磔は午後9時に演奏を終了しなくてはならないので今夜は休憩は入れずに17曲ぶっ通しでした。

前半の「はじめぼくはひとりだった」を今日は「愛について」と差し替え。亡くなった高田富美子さん
を偲んで。富美子さんは京都の人だったので、たまに実家に寄せてもらったこともあります。
アンコールの「ぼくは君を探しに来たんだ」を終えたとき、時間はちょうど9時で、ぼくたちはそのことに
妙な達成感、楽屋で誰かが「プロだね」と言っていました。

3月13日(木)「大阪市 JANUS」

「銀座線を探して」発売記念バンドツアーもあと3か所となりました。
今日は久しぶりの大阪JANUSでした。
1月の得三から一か月以上空いたのでまずは全曲当日リハーサル。
忘れているところもいくらかあったから、やりながら思い出していくという感じです。
だいじょうぶだと思ってた曲も、やっておくとやはり安心。絵の具の厚塗りです。
休憩を挟んで、前半8曲後半8曲、アンコールで2曲という構成でした。
休憩の時に楽屋の外に出たら丸い月が出ていて、ほぼ満月。こんなときは「月がボタンをかけた夜」
が盛り上がります。みんな狼なのかな。和やかな雰囲気で関西ツアー一日目が終了しました。

3月8日(土)「青森市 もぐらや」

古書らせん堂のオープンを記念してはじまったらせん堂主催の青森ライブも10回目となりました。
毎年やっているので、らせん堂も10周年ということです。
もぐらやのライブは毎回ノーマイクです。40人も入ればいっぱいの店ですが、声もギターも最後部まではっきりと
届くそうです。でも曲と曲間のぼくのおしゃべりはよく耳を澄まさないと聞こえないみたい。いつも注意されますが。

さていよいよ次は大阪と京都のバンドツアーです。

3月7日(金)「弘前市 弘前れんが倉庫美術館スタジオB」

去年に続き今年も弘前のれんが倉庫美術館でライブができました。美術館のスタッフはコンサートの準備から音響までとても
丁寧な仕事をしてくれます。翌日の「アサイラム」イベントに出演するタテタカコさんや奈良美智さんもかけつけてくれました。
奈良くんも主催の斉藤ヒロシさんも映画「名もなき者」のことを楽屋で興奮気味に話していて、奈良くんはニール・ヤング派
だったけど今やディランに目覚めたそうです。
終演後はヒロシさんの店「アサイラム」で乾杯。タテさんのPAの村松くんがピザを届けてくれました。
奈良くんはひたすらDJ担当です。いつからか野良猫のアサイラム(シェルター)と化しているバー「アサイラム」ですが、
ミュージシャンやアーティストのアサイラムでもあります。今回は時間の都合でヒロシさんのレコード屋ジョイポップで
買い物ができなかったのが心残り。

3月3日(月)「名もなき者」

桜木町の映画館に「名もなき者」をユミと見に行きました。ぼくは試写会を見ているので2回目、ユミはこれが初めて。
ちょうどアカデミー賞の発表の日で、この映画もノミネートされていたので混むかなと思ったけどガラガラだった。
見終わった感想は試写会で初めて見たのと変わらなくて、時代の高圧線に触れて感電するような映画でした。
ユミは、もし当時自分がニューヨークでボブディランを体験していたなら(実際にはまだ子供だったし、年齢的にも間に合わな
かったけど)、それはそれは圧倒されただろうと言ってました。ティモシー・̪シャラメはすごいねとも言ってた。
「one too many morning」がどこで流れたのかエンドロールの曲目を見て聞き逃したと思い、もう一度見て確かめたくなりました。

3月2日(日)「フーテンのノリ」

どんとが歌う「フーテンのノリ」がYoutubeに今日アップされました。どんとが亡くなってはや25年。
ぼくはどんとが住んでいた沖縄に行ってきたばかりですが、今この歌をどんとの声で聞けるのはとてもうれしい。
フーテンのノリ 友部 正人【どんとの唄ってみた】

3月1日(土)「大阪、京都のバンドライブに向けて」

大阪と京都のバンドでのライブまであと2週間です。前回バンドで関西に行ったのは東京ローカル・ホンクとの
「クレーン」の時だったから、本当に久しぶりの関西バンドライブ。「銀座線を探して」の中の歌をアルバムと同じ
メンバーでやります。そのあと最後に横浜でバンドでやって、ひとまず一区切りです。

2月28日(金)「小室等de音楽祭」

小室等さんの80歳を祝う二日間のコンサートが千代田区の一ツ橋ホールでありました。
二日ともチケットはソールドアウト。満員のお客さんと一緒にぼくも一番うしろでコンサートを楽しみました。
もうすでに81歳になった小室さんのテンポに合わせたようなゆったりとしたコンサートでした。
ぼくは後半に出て、小室さんと二人で「夕日は昇る」「空の下の海」の2曲と、
高田漣、坂田学、伊賀航という3人のハウスバンドと一緒に「銀座線を探して」を歌いました。
「空の下の海」はぼくと小室さんとの唯一の合作の歌。最近ぼくの頭ではこの歌ばかりが鳴り響いていました。
コンサートのフィナーレは出演者全員で「出発の歌」を。
二部の最初に小室さんがマイクを使わずに全くの生で歌った歌がとても心に残りました。
大きな会場なのに力むこともなく、小さく歌うところはちゃんと小さな声で歌う小室さんの歌唱に歌の心を感じました。
人間の声というものは不思議なものだと思います。大勢のスタッフやミュージシャンが長い時間をかけて準備してきた
コンサートにぼくも参加できて本当に良かった。
バンマスの漣くんはリハーサルの日に突然お母さんの訃報が届き、とても慌ただしい日々のなかよく頑張りました。

2月24日(月)「那覇市 Sound M's」

国際通りのビルにあるライブハウスでソロのライブをしました。グランドピアノのあるアコースティックな
音楽向きの店です。那覇での2日続けてのライブなのにちょうど満席ぐらいの人が来てくれたので安心しました。
アンコールでは「愛について」を。先日亡くなった高田富美子さんへのレクイエム。(あの歌は富美子さんと
漣くんがモデルです)

2月23日(日)「那覇市 桜坂劇場」

桜坂劇場で七尾旅人くんと二人でライブをしました。タイトルは「音の先にある静けさに」。
沖縄というと久高島の静けさを思い出してしまいます。
旅人くんが先に演奏しました。開演直前に劇場の近くで右翼の街宣車が反戦集会の邪魔をしに来ていて、
旅人くんも以前に沖縄の右翼から同じような妨害を受けたことがあると言っていました。
小規模な集会なのになぜあんなに大騒ぎをするのかわかりません。パレスチナの人が沖縄のことをガザと
似ていると語ったそうです。
後半はぼくがソロで1時間演奏して、アンコールは二人で「すばらしいさよなら」「圏内の歌」「はじめぼくはひとりだった」
を歌いました。「圏内の歌」をリクエストしたのはぼくで「はじめぼくはひとりだった」は旅人くんからのリクエスト。
そういえば旅人くんが買ったばかりの三線を自分流に演奏していたのが印象的でした。

2月22日(土)「高田富美子さん」

ぼくの古い友人で、高田漣くんのお母さんの高田富美子さんが亡くなり、今日斎場でお別れ会がありました。
骨になる前に富美子さんのきれいな顔を見られてよかった。心に残る寝顔でした。
富美子さんは1月19日のぼくのスターパインズカフェのライブに聞きに来てくれたばかりだったので、亡くなったのが
まるでぴんと来ないまま、喪主の漣くんをはじめ、ぼくとユミの吉祥寺、久我山時代の親しかった友達とともに
富美子さんとお別れして、帰りました。

2月19日(火)「小室等さんのコンサートのリハーサル」

2月27日28日の二日間一ツ橋ホールで開かれる小室等さんの80歳を祝うコンサートのリハーサルが
ありました。ぼくは小室さんと二人で2曲、高田漣くん率いるバンドと1曲やります。伊賀くんも坂田学くんも
知っている人なので、うれしいセッションでした。
漣くんのギターを一緒に演奏しながら間近で聞くのはたぶん初めてで(本人は昔どこかでやったことが
あると言っていましたが。)ぼくにはとても新鮮でした。 
リハーサルスタジオはカナダ大使館の近くで、ぼくもユミもまだ若かったとき、小室さんに誘ってもらって
カナダ大使館でレナード・コーエンに会ったときのことを思い出しました。小室さんはそんな風にいつでも
出会いを作る人だとぼくは思います。

2月17日(月)「カフェラビリンスでお昼を」

句会の仲間でもある板垣夫妻とぼくとユミで、五橋にあるカフェラビリンスでお昼ご飯をたべました。
オーナーの間瀬くんは先週の札幌ライブに妻のみかこさんと来てくれて、会ったばかりです。
ラビリンスのランチはスープやサラダもついてどれもとてもおいしい。いつも満席なのもわかるな。
ぼくとユミと板垣さんはビールやワインもどんどん飲んで長居してしまいました。
仙台は風があって雨が降ったりやんだりで、寒波襲来で寒くなりそうでしたが、ぼくとユミは夕方の新幹線で
横浜に戻りました。

2月14日(金)「建築ダウナーズ」

仙台の六丁の目の建築ダウナーズの仕事場に、今日から始まった椅子と林業の展示会を見に行きました。
3人のダウナーズから椅子作品の意図を聞き、吹きさらしの仕事場の寒さに耐えながら、ぼくもユミも火星の庭の
前野さんも、脱線ダウナーズとなって雑談に花を咲かせました。
帰り道、前から行ってみたかった卸町の青葉画荘に寄り、絵を壁に掛けるためのフックやセールしていた額などを
買い込みました。

2月13日(木)「句会」

火星の庭で句会がありました。
午後になると吹雪になってきたので心配しましたが、塩竃在住の主宰渡辺誠一郎さんはJR仙石線が
強風で運休のために欠席でした。1月の句会も大雪でJRが運休になって来られなかったので、渡辺さんは
2か月連続のお休みでした。火星の庭句会はこの2月で満19年、よくもこんなに続いたね、と乾杯しました。

2月12日(水)「レコード市」

Ebeansの9階でやっているレコード市に行きました。会場ではずっと三上寛や高田渡がかかっていて、
ぼくもよく知っている歌を聞きながらのレコード探し。欲しかったものが何枚か見つかり、
レジで支払いをしようとしたら、「応援してます」とレジの若者から握手を求められました。
少し照れました。そういえば今月もぼくの中古レコード&CDコーナーに少し補充したので火星の庭に見に行ってくださいね。

2月11日(火)「仙台へ」

昨日札幌から飛行機で横浜に戻ったばかりですが、今夜の新幹線で仙台へ移動。休日なのですいていると思ったけど、
かなり混んでいました。仙台は雪もなく思ったより寒くもなし。ユミと焼酎のお湯割りを飲みました。

2月9日(日)「札幌市 キノカフェ」

キノカフェは狸小路にある映画館シアターキノにあるこじんまりとしたカフェです。
普段は映画の時間待ちの人たちがコーヒーを飲んだり本を読んだりする店。
映画館ではぼくも横浜で見た「どうすればよかったか?」や「キノ・ライカ」を上映していました。
今日のライブはマイクを使わない生音ライブで、お客さんは40人ぐらい。歌うとき背景にしている窓の外には
美しく雪が降りしきっていました。そんな特別な雰囲気の中、ぼくはのんびりとした気分で約2時間、
たっぷりと歌うことができました。お茶をたっぷりとたたえたポットになった気分。

2月8日(土)「旭川市 アーリータイムズ」

旭川駅前のホテルにチェックインしたあと、タクシーはなかなか捕まらなかったし雪はそんなになかったので
1キロぐらい離れたアーリータイムズまで歩いてみました。
適当に歩いているうちにアーリータイムズを通り越していて、かなり大回りしてたどり着きました。
たくさん歩いて元気が出て、この夜のライブはなかなか良かった気がします。
アーリータイムズの野澤さんが亡くなって、今日は野澤さんのお兄さんがライブを仕切ってくれました。
たくさんの人が聞きに来てくれたのは、亡くなった野澤さんの気持ちなのかもしれません。
ライブが終わって外に出てみると、まあるい月がアーリータイムズの屋根の上にあって魔法使いの夜のようでした。

2月2日(日)「長野 ネオンホール」

横浜から来るユミと長野駅で待ち合わせしました。金沢からの新幹線を下りると、長野駅全体がものすごい混雑で
改札口から全然出られない状態です。ほとんどが外国からのスキー客。

今回のネオンホールは、ゲストのジ・エンドこと櫻井トモマルくんとお互いの曲を2曲ずつアンコールで一緒に

やることになりました。ぼくの「ロックン・ロール」と「水門」、櫻井くんの「ロックンロール」と「ニセモノのギブソン」。
主催をしてくれた清水くん、カウンターで飲み物係りのたまちゃん、櫻井くんの三人はネオンホール創設時の
オリジナルメンバーで、まだ信州大学の学生だったかも。今はもうみんな五十代になってます。
あれから長い時間が過ぎたけれど、今夜は3人が勢ぞろいした懐かしいネオンライブになりました。

2月1日(土)「金沢 ジョーの箱」

能登半島の地震災害から1年、ジョーハウスの人たちはどうしてるだろうと連絡をしてみたら、
快くライブを引き受けてくれることになりました。最後に金沢に歌いに行ったのは2020年3月だったから
ちょうど4年ぶりです。
「銀座線を探して」の発売記念ライブでしたが、ジョーハウスの本池くんには能登半島の地震から1年という
気持ちもあったようです。今まで毎回能登から聞きに来てくれていた人たちが、今夜も来てくれていました。
ジョーハウスのライブはいろんな人にとって帰って来る場所なのかもしれないと思いました。

1月28日(火)「初期のバンバンバザール」

神戸から戻り家に荷物を置いてそのままサムズアップに「初期のバンバンバザール」のライブを見に行きました。
初期のバンバンバザールは路上から始まった彼らの一番最初の頃のメンバーで、ぼくとユミが彼らと知り合った頃
バンバンバザールはシェイキーズで生演奏のバイトをしていました。
それからリーダーの福島くんはメンバーを何度も変えて今に至っています。
今夜はバンジョーの安達くんの骨髄移植からの快気祝い。
現在と過去を行き来しながらの長年の彼らの活動には常に「初期のバンバンバザール」が根底にある気がします。
演奏している彼らも楽しそうだし、見ているぼくらもそれ以上に楽しくなれた夜でした。

1月27日(月)「BBプラザ美術館」

神戸のBBプラザ美術館で開催されている「WAKKUNのもらった種とまいた種」展でソロのライブをしました。
メインの展示場に椅子を並べて、WAKKUNの作品に囲まれてのライブでした。
神戸の震災から30年ということだったので、震災後にニューヨークで地元のミュージシャンたちと録音した
「夢がかなう10月」から久々に「月の船」も歌いました。
今は神戸在住のスズキコージ夫妻も聞きに来てくれました。コージくんとぼくの絵本「絵の中のどろぼう」が
40年ぶりぐらいに復刻されたばかりで、終演後は「絵の中のどろぼう」にコージくんも一緒にサインをしました。
美術館という場所、WAKKUNの作品、コージくんの存在とたくさんのお客さんのおかげで、神戸という場所に
また新しい絵本が生まれた感じです。

そういえば1月25日の朝日新聞朝刊で「絵の中のどろぼう」が紹介されていましたが、丸善の書店員さんによる
とてもいい紹介文でした。

1月26日(日)「名古屋 得三」

「銀座線を探して」のレコーディングメンバー(ベースの伊賀くんは欠場)で、名古屋の得三でライブをしました。
満員のお客さんがステージの演奏を盛り上げてくれます。
ベースなしでどうなるか少し心配でしたが、その分隙間があって、その隙間でみんなが自由に遊べたみたいで、
今までとは違う広がりが生まれました。みんなが鳥になったみたいに。
これはこれでおもしろいとぼくは思ったし、ユミは今後いろんなセットで歌ってみてもいいね、とわくわくしてます。

1月25日(土)「アコースティック・ギター・マガジン」

季刊アコースティック・ギター・マガジン冬の号(vol.103)で、おおはた雄一くんと対談しています。
新譜の「銀座線を探して」のライブ録音のことなどを質問されていて、それに二人で答えていますが、
その感じがステージで一緒に演奏しているときのようで、紙面でもセッションしているかのようです。

1月24日(金)「キノ・ライカ」

ジャック&ベティにキノ・ライカというドキュメンタリー映画をユミと見に行きました。
フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキが自分の住む人口9000人の村に映画館を自分たちで作るという話。
同じ村に住んでいる日本人の日本語の歌が何度も流れます。
自分たちの暮らしに映画館が加わることにとてもウキウキしている地元の人たちがとてもいい。
言葉は違っているかもしれないけど、「映画館は、自分がいずれはおさらばするこの最低な世界への
私からのお礼なんだ」というようなアキの最後の言葉が素敵でした。

1月23日(木)「原マスミ」「ソフィ・カル」

21日は青山のギャラリーMAYAに原マスミ展をユミと見に行きました。
原くんの展覧会は2007年の目黒美術館以来だったので、ぼくも楽しみでした。
猫と女の子の目はまっすぐ前を見ていて、見ているのはぼくなのに絵の中から見られているようで、
そんな楽しみも原くんの絵にはあります。絵と鑑賞者の心のサーカス。
MAYA2では過去の作品も展示されていて、ぼくは毛糸でぐるぐる巻きの女の子の絵が良かった。

今日は東京駅丸の内のソフィ・カルの展覧会に行きました。たくさんあるロートレックはすっ飛ばして、

ソフィ・カルだけじっくりの見て帰って来ました。原くんもソフィ・カルもユミが見ようと言った展覧会で、
ぼくはソフィ・カルのことは何も知らなかったので、何か手掛かりになるものを買いたかったけど、
本もカタログもラップされていて中が見られなくて買わなかった。それが残念でした。

1月22日(水)「ミュージックマガジン」

「ミュージックマガジン」2月号にぼくのインタビュー記事が載りました。
インタビューは主に「シングル・コレクション」についてですが、MIDIレコード在籍時代のことや
鮎川くんの話などもしました。小野由美子も少し参加してこの取材は楽しかったです。新譜のレビューも
書いてもらっています。音楽雑誌などは普段読まないのですが、こうして送ってもらったりすると
結構あれこれ読んじゃうな。やっぱり紙の本はいいですね。

1月21日(火)「月刊ちくま」

PR誌「ちくま」2月号に谷川俊太郎さんへの追悼文を書いたのですが、それが今日届きました。
追悼文は他に二人の詩人が書いています。
書店には1月下旬に配布されるそうです。探してみてください。

1月19日(日)「スターパインズカフェ」

昨年11月20日発売の「銀座線を探して」の発売記念ライブをレコーディングメンバーでやりました。
セットリストは、陸前高田のアベマリア/銀座線を探して/クミタテール/小林ケンタロウのいえ中華/声/ポテトサラダ/
はじめぼくはひとりだった/一枚のレコード/眠り姫/月がボタンをかけた夜/水上アパート/ぼくの宝石/
風がこんなにも/小鳥谷/水門/アンコール・もうずっと長い間/すばらしいさよなら/ブルース でした。
今回も全部録音しました。「銀座線を探して」には収録されなかった前回の演奏曲目と合わせて、そのうちにまた
アルバムとして発表する予定です。

1月26日の名古屋「得三」での発売記念ライブは、ベースの伊賀さんが都合で参加できません。

初めてベースなしのバンドになりますが、おおはたくん、芳垣さん、吉森さんの腕の見せ所となるでしょう。
そんな楽しみもあります。

1月11日(土)「横浜へ」

今回の仙台滞在は短かったけど、19日のスターパインズのライブのリハーサルも始まるので横浜に戻ります。
スターパインズは売り切れになっていましたが、新たに前売が追加されて、当日券立ち見も出るそうです。

それから、PR誌「ちくま」に谷川俊太郎さんへの追悼文を書いたことを12月の日記に書きましたが、

掲載されるのは1月号ではなく2月号で、1月末ごろに書店で配布されるということです。
「ちくま」は人気があってなかなか手に入れるのが難しい、とユミが言ってますが、ぜひ本屋チェックをしてみてください。

1月10日(金)「レコード市」「臨時の句会」

Ebeans9階で今日から始まったレコード市に行きました。今日も外は雪なのにたくさんの人が来ていました。
初日は掘り出し物が多いのかな。
そういえばぼくも火星の庭の中古レコード&CDのコーナーに補充しました。新入荷を見に行ってくださいね。

昨日中止になった句会を急遽今夜火星の庭でやることになりました。

昨日の新年会を兼ねた句会が雪で中止になり、みんな残念な気持ちだったので、集まれる人はどうぞ、
と呼びかけて。主宰の渡辺さんは来られなかったけど、7人が集まって自主句会というより飲み会か。
楽しくできました。今日も雪が降ってましたが、東北の人たちによると、今日の雪は危険な雪ではない、
という判断だそうです。昨日の雪は危険な雪だった、との違いが分からないのはほくとユミだけでした。

1月9日(木)「大雪」

仙台の人には大したことのない雪でも、ぼくとユミには大雪。気温も低く、路面は早くから凍結しました。
今夜は火星の庭で句会のある日でしたが、降りやまぬ雪や交通事情の心配があって急遽中止に。
ぼくとユミと火星の庭の前野さんの3人で、前野さんの作ったお雑煮やユミのパスタやホットワインなどで
こじんまりと新年会をしました。

1月8日(水)「青野文昭個展」

ギャラリー・ターンアラウンドに青野文昭個展に行きました。ユミが去年から見たいと言ってました。
拾ったものなどを使って絵にしたり立体にしたり、近寄って見なくては見逃してしまうものもあります。
驚きと発見が隠れている。ギャラリーなので、平面の作品が主でしたが、以前メディアテークで大々的な
展覧会をやったときは大きな箪笥などの迫力満点の作品がたくさんあって、圧倒されました。

1月7日(火)「仙台へ」

お昼ごろの新幹線で仙台へ。
まず部屋に荷物を置いて、駅ビルやアーケード街にユミと買い物に出かけました。
仙台はどこへ行くにも徒歩の街です。1万歩なんてすぐに超えてしまう。

2025年1月6日(月)「a complete unknown」

ティモシー・シャラメ演じるボブ・ディラン、彼自身が歌うボブ・ディランの曲。
どこかで「ボブ・ディランってこんな人だったのかな」と納得する演技力がありました。
スーズ・ロトロ役の女優さんが良かった。スーズさんは、デイブ・バン・ロンクが亡くなったあと
デイブの名前がシェリダンスクエアの通りの名前になったときの記念式典で見かけたことがあるけど、
「こんな人だったなあ」と思いました。映画ではデイブのことは完全にオミットされてましたが。