友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

1月6日(水)「ドルフィー」

 板橋文夫さんのユニットFIT(板橋文夫、瀬尾高志、竹村一哲)と横浜のドルフィーでライブをしました。
板橋さんとのセッションは毎年一回ドルフィーでやってきましたが、バンドでの演奏は今夜が初めて。
めずらしく3時間前に会場入りして一通りリハーサルしました。
ソロで2曲ぼくが歌った後に、板橋さんと二人で2曲、その後はバンドで4曲やって一部終了。
ベースの瀬尾さんとドラムスの竹村さんが札幌出身だったからか、豊平川が出てくる「弟の墓」は特に良かったような気がします。
後半はFITが新譜「みるくゆ」から2曲演奏。瀬尾さんのベースソロと竹村さんのドラムソロ、すごかった。
詩の朗読に合わせて演奏したいと板橋さんが言うので、詩集「バス停に立ち宇宙船を待つ」の中の「トゥーシューズをはいた老婆」を朗読しました。
それからアンコールまでぼくとFITで全部で6曲演奏しました。「From Brooklyn」は今日初めてバンドで演奏しましたが、とてもおもしろかった。
というわけで今夜は思ってもみなかったようないい演奏ができました。FITの3人のおかげです。ぜひまたやりましょう。

1月7日(木)「絵描きさんたちの絵付け展」

 ギャラリーアークでの「絵付け展」が今日から始まったので、ユミと二人で午後に行ってみました。
昨日ドルフィーのライブを聞きに来てくれた広田稔さん夫妻も来ていました。
広田さんたちはぼくたちより先に来て、ぼくとユミの作品を購入していました。ぼくとユミも広田さん夫妻の描いた食器をいくつか買いました。食器なので、飾ることよりも使った場合のことを考えて選びました。
見ているうちにいろんな作品の面白いところが見えてきてぼくはなかなか決められませんでした。
この展覧会は買った人がその場で持ち帰ってもいいので、作品がだんだん残り少なくなっていきます。
会期は16日まで。

1月9日(土)「福島くん送別会」

 ギターの佐藤克彦さんの呼びかけで、バンバンバザールの福島くんの送別会を関内の中華料理屋でやりました。
福島くんは家族で福岡に引っ越します。サムズアップの佐布さんやバンバンのスタッフだった柘植さんらも来ました。
食事の後はすぐ近くの不二家に行き、みんなでパフェを食べました。
パフェなんてぼくは子供のとき以来です。
ちょうど柘植さんがお誕生日月だったので、お店からお祝いしてもらいました。
なんかよく笑ったなあ。とても楽しい夜でした。

1月11日(月)「雲遊天下」

 遅れていた「雲遊天下」の原稿をようやく送りました。毎回自分の歌のことについて書いています。
今回は「大阪へやって来た」について。

1月15日(金)「ニューヨークからの荷物」

 ニューヨークからの船便が到着しました。全部で21箱で本やレコードとCDが主な荷物です。
向こうにあったものが横浜の部屋にあるのが不思議な感じです。

1月17日(日)「伊勢チーム」

 ドキュメンタリー映画監督の伊勢真一さん、カメラの朋矢くん、音響の世良さんがうちに遊びに来ました。
シューティングの機材を持って来たので、また何か撮影かと思いましたが、結局はほとんど何も撮らずに、我が家の鴨鍋を食べて帰りました。
ニューヨークでの思い出話などしたりして、楽しい夜でした。

1月29日(金)「高知」

 明日のライブのために、ユミと二人で今日から高知に来ています。
高知空港で七尾旅人くんと一緒になりました。キャラバンサライの山崎さんの車で一緒に高知市のホテルまで。
夜はもう一人の出演者の大野くんも一緒に、旅人くんのおすすめのお店に土佐料理を食べに行きました。
鰹をはじめいろんな魚を食べたけど、おいしかったというだけで、名前を覚えられないのがとても残念。
今度高知に行っても同じものがたのめないから。そういえば40年ぶりにうつぼも食べました。
そのあとは屋台で餃子とラーメンを食べてお開き。ぜいたくな打ち合わせになりました。

1月30日(土)「はじめぼくはひとりだった」

 3人のコンサートを高知でやることになったのは、プロデュースしてくれた七尾旅人くんの高知への強い思いがあったから。たくさんのお客さんが来てくれるように、正月に骨折した右手首でギターを弾き「一本道」を歌ってそれをyoutubeにあげたそうです。それでみんな、これは行かなくちゃと思ったみたい。満員でした。

最初に旅人くんがやりました。旅人くんの歌のテンポは独特で、深い思考の海を漂っているような感じ。
ユニークな視点で物事を見極めていく歌の力に感心させられました。
大野悠紀くんの歌は生では初めて聞きました。CDで聞いたときはとても線の細い感じがしたのに、生はとっても力強かった。旅人くんとは正反対のミニマリズム的アプローチが新鮮でした。
二人が1時間ずつ歌ったのでぼくも1時間歌いました。ベスト盤から「銀の汽笛」「ぼくらは同時に存在している」など、詩集から「彼女はストーリーを育てるあたたかい木」などをやり、アンコールでは3人での即興セッションの後、今夜のライブタイトルの「はじめぼくはひとりだった」を1番ごとに順番に歌いました。
ぼくは歌詞を忘れて最後の1番分まるまるとばしてしまったけど、お供えにしてとっておきたいような「はじめぼくはひとりだった」になりました。

それから大野くんの親友で、ぼくの最新詩集『バス停に立ち宇宙船を待つ』にコメントをよせてくれた小説家の滝口悠生さんも東京から聞きに来てくれました。初めてお会いした滝口さん、芥川賞おめでとう。

1月31日(日)「日曜市」

 翌日みんなで行くこの日曜市がぼくはとても楽しみでした。今回のツアーの日程にこれが入っていて良かった。
11時に待ち合わせて、みんなで買い物や買い食いをしながら歩きました。前にも本に書いたことがあるけど、日曜市はなかなか前に進めません。ひろめ市場に着いたときには、みんなそれぞれ手に買い物をしたビニール袋をいくつも下げていた。ひろめ市場でまた土佐料理などを食べ、今夜も高知でライブがあるという大野くんに別れの手を振ってぼくらは空港に。
空港のお店でも旅人くんお勧めのお土産を買い、夕方の飛行機でぼくもユミも全身高知まみれになって帰って来ました。

2月4日(木) 「仙台」

  ひょんなことから仙台駅から歩いて4分のところに部屋を借りることになり、今日から入居しました。
 今日はまずユミと二人で家電や家具を買いに行ったりしていました。
 火星の庭の前野さんに布団などの必需品を運んでもらったので、今夜からこの家で眠れます。

2月5日(金)「肘折温泉」

 山形県の肘折温泉に今日から来ています。
主催の佐藤さんの運転する車で仙台から来たのですが、途中は車道には雪がなかったのに、
ここではいきなりの雪の中です。全国で二番目の豪雪地帯だそうで、雪は当たり前のように降り続いています。
今日は温泉につかってずっと浴衣で過ごし、やはり今日から来ている七尾旅人くんとお酒を飲みました。

2月6日(土)「肘折国際音楽祭」

 午後1時から始まったコンサートのほとんどを、CDなどの売り場にいて聞きました。
出演者それぞれの表現方法が違っていて、飽きないといういうか、とてもおもしろい。
全国から200人近い人が泊りがけで参加したそうですが、はるばる来た人にもうれしい内容のコンサートだったのでは。
ステージの後ろが全面ガラス張りで、演奏を聞きながら次第に降り積もる雪が見られました。
温泉と食事付きのコンサート、来年もやってほしいです。

2月8日(月) 「パーティ」

 昨日仙台に戻ってきました。駅のそばに家があるので、ほんとに便利です。
今夜は火星の庭俳句会のメンバーが、火星の庭でぼくとユミのウェルカムパーティを開いてくれました。
みんなが持ち寄ってくれたおいしいものを食べて楽しい夜でした。
俳句を書かないでみんなが集まったのは今夜が初めてで、新鮮でした。

2月9日(火)  「ファシュタ」

 今夜はKUDANZのゲンくんに誘われて彼の働いている「ファシュタ」でておいしい食事とワインを。
ぼくが肘折に出かけている間も毎日仙台での暮らしを整えていたユミは疲れがたまっていたのか、
9時過ぎには眠たそうになったので、早めに帰りました。

2月10日(水) 「かまくらパン」

 注文していたテーブルとイスが部屋に到着するのを待ってから、横浜に帰りました。
帰ったら「港の人」から刊行された「かまくらパン」という薄い本が届いていました。
鎌倉にある24軒のパン屋を紹介しつつ、パンに関係のある詩や短歌をはさみこんだ本で、
ぼくの「パンの悲劇」という詩(『ぼくの星の声』より)も入っています。
それにしても鎌倉にはなぜパン屋が多いのでしょう。
http://www.minatonohito.jp/products/179_01.html

 2月16日(火)「ラ・ママ wordplay」

  渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で奇妙礼太郎くんとライブしました。
ラ・ママでは不定期にこのイベントを企画しているみたいで、声がかかりました。
奇妙くんとは前に神戸や名古屋で一緒になりましたが、二人だけでというのは初めて。
それぞれ1時間ずつ歌い、アンコールはぼくひとりで「ぼくは君を探しに来たんだ」を歌いました。
奇妙くんの歌も素晴らしかったし、ぼくもとても気持ちよく歌えたんだけど、後でユミから聞いて腑に落ちないことが一つありました。
それはライブハウスのシステムとしては常識(?)らしいのですが、普段ぼくの出るライブでは初めてのことだったので、ちょっとびっくり。
それはお客さんに、誰を聞きに来たのかを入り口で確認するシステムです。
たぶんその割合でチャージバックするためでしょう。
これだとただ単に別々のステージを同じ日にこなしたことになります。
こちらとしてはそんなつもりでやるつもりはなかったので、ものすごい違和感でした。
こういうシステムの場所ではこれからはやらないようにします。

2月20日(土)「BankART」 

 嵐が来るかもと言われていた今日ですが、雨の中BankARTの池田さんに会いに行きました。
 いつものように、お茶やワインを飲みながらの打ち合わせ。
 5月にBankARTでコンサートをすることを確認して、雨と風がひどくなる前に帰りました。

2月24日(水)「仙台」

 しばらく来れそうもないので、21日から仙台の家に来ています。朝のうちなんとなく雪が
ちらついているのは、ここが東北だというしるしかもしれません。今日はけっこう寒かったのに、手袋をしている人はあまりいませんでした。

2月28日(日)「つくば食堂 花」

 つくば市の和食の店「花」の5周年記念のライブをしました。
店主の植田くん考案の「宇宙船弁当」が500円で付きました。宇宙船をイメージした銀色のパッケージにご飯といろいろなおかずがつまっていました。写真を撮ればよかったな。
 満員のお客さんの中にはぼくの歌は初めてという人もいて、植田くんの料理とお店が好きな人も来てくれたんだとわかりました。休憩を入れずにやったのに、アンコールが2回もありました。
 ここに歌いに来たのは二度目ですが、前回ライブの前に寄った「people」という古本屋に今日もまた寄り道しました。「花」の植田くんの仲間の植田くんという人のお店ですが、面白いお店が何軒か集まっている建物で行くと楽しいです。

3月2日(水)「大阪 ジャニス」

 ちょうど一年ぶりの大阪のソロライブでした。
ジャニスはステージが広く、ソロだと使わない部分が多いのですが、そのステージの広さを感じさせないようないいライブができたらな、と思いました。
今日は休憩を入れないでやりましたが、開演前にそのことをお客さんにも伝えたら良かったですね。
終演後にCDを買ってくれた人にサインをしていたら、今日は若い男性のお客さんが多かったとわかりました。

3月3日(木)「京都 磔磔」

 昨日のジャニスに比べるとのんびりとした磔磔、慣れていることもあってとてもやりやすいです。お客さんもくつろいだ感じで。
大阪で歌いたい歌、京都で歌いたい歌、微妙に違います。大阪では思いつかなかったような歌を、京都で歌いたくなったりするのです。
毎日ライブをしていたら、そんなところもおもしろいところかもしれません。
去年は極端にライブの数が少なかったぼくですが、今年からはいろいろたくさんやってみたくなりました。明日いったん横浜に戻って、日曜日金沢、月曜日名古屋でライブがあり、そのあとはちょっとNYに出かけてきます。

3月6日(日)「金沢 JO-HOUSE」

 普段は地元大学生の学食と化しているというJO-HOUSEで今年も年に一度のライブをしました。
アルバイトもみんな大学生です。今年で卒業という人たちにとっては最後の思い出のライブになります。
そうなればいいなと思いつつ歌いました。何か客席に熱いものが感じられる店です。
終演後にCDや本を販売するとほとんど売り切れてしまいます。
今回はタイミングが悪くて食べられなかったけど、JO-HOUSEのカレーはスパイスを調合するところから
作っているそうです。たまたま金沢に上映で来ていた伊勢真一監督もおいしそうに食べていました。

3月7日(月)「名古屋 得三」

 
得三は酒樽の中で歌っているような気分になる店です。音楽が樽の中から直接飲める原酒なのでしょう。
昨日から鼻づまりがひどく、風邪なのか花粉なのかわからないまま、休憩をとるのをやめて最後まで歌い切りました。それでも2時間以上になりましたが。
お客さんはたっぷりと歌の原酒で酔っぱらうことができたでしょうか。気になります。

 3月9日(水)「BankART Studio NYK」

 七尾旅人くん、大野悠紀くん、ぼくとユミの4人で、BankART NYKの会場の下見に行きました。
5月に3人でここでコンサートをします。詳細の発表を待ってください。
下見の後、BankART1階のカフェでけっこう遅くまでワインを飲んで打ち合わせをしました。
今夜からコンサートがもう始まっていたのかもしれません。

それではNYに行ってきます。

3月13日(日)「ニューヨーク」

 11日からニューヨークに来ています。
もうぼくたちのアパートは空っぽで泊まることができないから、近くのホテルに滞在しています。
今夜、日本から伊勢さんたち撮影チームも到着。
前からみんなで行きたかったお店で明日からの撮影の打ち合わせ。

3月14日(月)「アンソニアアパートメント」

 今日は雨でしたが、家具が何もなくなってがらーんとしたぼくのアパートで撮影。
11月にユミが台所で高いところから落下して救急車で病院に運ばれて中断したままになっていたインタビューの続きをしました。
そのあとはニューヨークの友人宅に預かってもらっていたCHAKIのギターで何曲か歌いました。
天井が高くよく響く部屋では、CHAKIのようなあまり鳴らないギターはとても良かったです。
5月のBankARTでのライブでも使えるね、とユミも言っていました。

3月15日(火)「セントラルパーク」 

 今日は朝からセントラルパークやビレッジのワシントンスクエアパークで歌や詩の朗読を撮影しました。
 お昼を食べてから、イーストビレッジのセントマークス教会の墓地でも詩の朗読を撮影。この教会は詩のプロジェクトがあるところで、ビートニクの詩人達が始めた詩の朗読会が今も続いています。
 庭には木を寄付したギンズバーグやオーデンの名前の入ったパネルもありました。
 日が暮れて最後にアッパーウエストサイドのぼくたちのアパートの周辺で撮影をして終了。12時間かかりました。
 映画の撮影に慣れていないぼくとユミには長い長い一日でした。

3月16日(水)「時差ぼけ」

 お昼の飛行機で伊勢さんたちが日本に帰ってほっとしたら、それまでなんとか我慢していた時差ぼけが強力に戻ってきて、今日はぼくもユミもホテルの部屋で寝たり起きたりぼんやりしてました。

3月17日(木)「ヨシの晩御飯」

 ぼくとユミがニューヨークに来るのに合わせてアリゾナから戻ってきたヨシの家で晩御飯をごちそうになりました。
ヨシはぼくたちを誘ってくれるとき、ほかにも何人か誘ってニューヨークで暮らしている人たちに合わせてくれます。
今夜も二人の女性が参加しました。
ヨシの晩御飯はいつもおいしい。

3月18日(金)「In The Wake」

 Japan Societyに、日本の写真家たちの写真展を見に行きました。
5年前の東北の震災に呼応する内容の作品展でした。
1階のロビーにはオノヨーコさんの七夕のような作品「Wishing Tree」が展示されていて、短冊がおいてあったので、ぼくも太い字で「歌いたい」と書いてきました。

3月19日(土)「エチオピア料理

 しげみさんとカクのうちで、ぼくたちやキリコさん家族が集まってみんなで出前のエチオピア料理を食べました。キリコさんの誕生日がつい最近だったので、しげみさんの用意したケーキでお祝い。
6週間前に生まれたしげみさんの次女にも初めて会いました。

3月20日(日)「アンソニア」

 たぶんこれが最後になると思うけど、ユミとアンソニアのアパートに行きました。
がらんとした部屋で写真を撮り、長年使ってきた鍵を部屋に置いてきました。
夕方ぼくはMoMAに行きました。3階の写真ギャラリーでの企画展は今日までなのでものすごく混んでいて活気がありました。
日本の建築家の企画展もよかった。エコでピュアな建築というのが共通していました。
ジャクソン・ポロックの初期の作品展もやっていて、これがとてもよくて、2階のイベントスペースでは数人の男女がダンスもしていて、MoMAはいつ来てもおもしろいです。
夜にちょっと買い物に出たら、雪が降ってきました。積もらないような重たい雪だけれど、きれいでした。

3月25日(金)「短歌」

 飯田橋の角川本社で、歌人の米川千賀子さんとの対談がありました。
月刊誌「短歌」の企画で、短歌と感覚というのがテーマです。
米川さんはぼくの「バス停に立ち宇宙船を待つ」を読んで、感覚を乗り物としてとらえているところが面白かったそうです。
編集部の方たちも交えての2時間の対談は、来月号の「短歌」に掲載されます。
もう一つお知らせです。今月4月号の「現代詩手帖」に、ぼくの詩が4つ掲載されました。そのうち二つは気に入ってすでに歌っています。読んでみてください。

3月26日(土)「BankART」

 5月21日の「はじめぼくはひとりだった アンコール!」の準備で、ユミが作った手作り感の
高いチケットをBankART Studio NYKに届けました。4月1日から発売します。
チケットの販売は今のところ横浜のBankARTだけなので、遠方の方にはご迷惑をおかけします。
でもバンカートは面白い場所なのでぜひ行ってみてください。

3月29日(火)「句会」

 火星の庭の句会で仙台に来ています。その場の勢いだけで10年前に突然始まった句会ですが、とにかく楽しむことにしています。長くやっているので本当は上達もしたいけど。

3月30日(水)「パーティ」

 仙台に借りたアパートで句会のメンバーたちと引っ越しパーティをしました。
前日の句会の疲れが残る中、持ち寄りの料理とお酒でお祝いをしました。
10人ぐらい楽々座れるので、次の句会はここでと盛り上がりました。

4月1日(金)「盛岡 クラムボン」

 仙台からだと盛岡はとても近い。盛岡は好きな町なのでとてもうれしいこと。
クラムボンで1年ぶりのライブをしました。
思えば七十年代からずっと、盛岡ではクラムボンの店主の高橋さんのお店でライブをしてきました。今の紺屋町になってからのクラムボンが一番長いのかな。
そんなに長いつきあいなのに、今回初めて知ったこと。
お店のガラス戸の「クラムボン」という文字は、宮沢賢治の直筆からとったそうです。

4月2日(土)「青森 らせん堂」

 店主の三浦さんは最近まで青森市最大の成田本店に勤めていました。
でも古本屋をやることはずっと前からの夢だったそうです。
いつか古本屋をやることになったらぼくの歌のタイトルからとった「遠来堂」にしてもいいか、と相談されたことがあるそうですが、ぼくは覚えてはいません。
欲しくなるような本がたくさんあって一冊買いましたが、近くに住んでいれば、しょっちゅう行きたくなるような本屋でした。
ライブはマイクを使わずに生音でやりました。
昨日のクラムボンといい、生演奏はギターと歌のバランスを体で感じられておもしろくなってきました。

4月3日(日)「函館 The Beats」

 去年は函館までは来られなくて、2年ぶりでした。
2年来ないうちに、お店のしずかさんはランニングを始めたそうです。
美しい五稜郭公園を走っているとか。まだ桜の咲かない五稜郭公園を、明日は早く起きて走ってみようとぼくも思いました。
ツアー3日目ともなると声もだんだんくたびれてくるものですが、今日はちゃんと歌えていたような気がします。

4月4日(月)「北海道新幹線」

 新幹線ができて在来線が廃止されましたが、線路がまだ3本あるのは、在来線の名残なのでしょうか。
青函トンネルでは新幹線が海の底深く沈んで行って、また浮上していくのがおだやかなジェットコースターのようでした。

4月11日(月)「お別れの会」

 土曜日に死んだ母の「お別れの会」が愛知県春日井市の葬儀会館でありました。
ぼくと春日井市の施設に入所中の父とユミと、もうずっと前に死んだぼくの弟の子供たちだけの小さな会でした。
母は90歳、心不全でしたがほとんど自然な死で、だから死に顔もおだやかでした。
「お別れの会」の後火葬場に行き、午後の新幹線で横浜にもどりました。
ぼくは葬儀会館で二泊したけど、何もしなかった割には疲れた。

4月15日(金)「リクエスト大会」

 吉祥寺のスターパインズカフェで「リクエスト大会」ライブをしました。
歌詞のファイルの束から歌詞カードを出し入れするのが毎回大変だったので、今回は歌詞を五台の譜面台に分けて後ろに置き、取りやすいよう工夫をしました。
見た目にも楽しい感じになった。
7時10分開始のライブは、間に15分の休憩をはさみ、10時15分ごろまで。
長時間のソロライブをじっと聞いてくれたお客さん、ありがとう。
リクエスト曲の入った箱から一枚ずつ引いて歌ったのは古い曲に集中したけど、後から箱の中の残りのリクエスト曲を見たら、最近の曲もたくさんリクエストされて
いたことがわかりました。
リクエストが一番多かったのは「朝は詩人」と「反復」でした。
「リクエスト大会」はお客さんからも好評で、きっとまたやると思います。

今夜歌った歌です。
朝の電話/日本に地震があったのに/こわれてしまった一日/ボスニア・ヘルツェゴビナ/
熱くならない魂を持つ人はかわいそうだ/アイシャルビーリリースト/古い切符/大阪へやって来た/くつあとのある話/奇跡の果実/待ちあわせ/誰もぼくの絵を描けないだろう/空が落ちてくる/どうして旅に出なかったんだ/君が欲しい/6月の雨の夜、チルチルミチルは/地球の一番はげた場所/にんじん/ドント・シンク・トゥワイス/私の踊り子/中道商店街/すばらしいさよなら/一本道/朝は詩人/
(おまけで)ピアノ弾きさん/ 以上順不同です。

4月16日(土)「広田隆子展」

 広田隆子さんの水彩画展を関内にユミと見に行きました。
ありのままの風景が隆子さんのタッチで描かれていました。
ギャラリーの閉まる時刻だったので隆子さんも一緒に伊勢佐木町の中華料理屋で食事をしました。またここに紹興酒を飲みに来たいです。

4月17日(日)「よこはま月例」

 毎月第三日曜日に新横浜の鶴見川で開かれているランニングのレース。
ぼくが参加するのは3回目です。
今日は風が強く雨も降りそうで天気は良くなかったのですが、開催されるというので走りに行きました。
ぼくが走ったのは20キロのレースで、参加者は普段の三分の一ぐらい。
向かい風で進まないのが今から思えばおもしろかった。

4月21日(木)「new recording」

 5月からゆっくり新曲の録音をしたいと考えています。
今回手伝ってもらう山川ノリオくんが家に来て、 その相談をしました。
山川くんは岡山から横浜まで車で やって来ました。
 

4月22日(金)「wonder basement」

 名古屋の井上糧くん企画のライブ。矢場町にあるSpazio Ritaという ギャラリーのようなライブスペースで。
Go Fish Trio も Alkdoも初めてでしたが、 みんなまさにWonderousな人たちでした。
ぼくも調子に乗って1時間ぐらい歌いました。

4月24日(日)「月刊短歌」

 今日夕方の新幹線で仙台に来ました。しばらく仙台にいる予定です。
「短歌」5月号に、歌人の米川千賀子さんとぼくの対談が載っています。
この日ぼくは風邪で、米川さんと写っている写真はさえない感じですが、対談の内容はおもしろいと思いました。本屋で売っています。

 4月26日(火) 横浜のライブについてのお知らせ

 5月21日の横浜BankARTでの「はじめぼくはひとりだった アンコール!」のメール予約を
始めました。
メール予約は簡単にできる反面、こちらにはキャンセルの連絡もなしに来ない人もいるため、なかなか踏み切れないでいましたが、県外にお住まいのかたから横浜までチケットを買いに行けないので予約したいという声もあり、メールで予約できるようにしました。
詳しくはスケジュール欄を見てください。
(友部正人オフィス 小野由美子)

4月27日(水)「句会」

 普段はブックカフェ「火星の庭」で月に一回開かれている「火星の庭句会」を、4月はぼくの仙台のアパートで開きました。
大きめのテーブルには椅子が8脚しかないのに、12人も集まったので、椅子に座れない人は
横の和室に座ってもらいました。
持ち寄りの食べ物や飲み物もたくさんあって、7時に集合しても実際に始まったのは8時、
終了したのは11時でした。
今日は「火星の庭句集」ができあがった日でもあります。
制作を引き受けてくれた主宰の渡辺誠一郎さんが運んで来てくれました。
一人20句ずつ、2年分の、薄いけれどぼくたちには重みのある句集です。

5月3日(火)「祝春一番2016、一日目」

 今年は3日間まるまる見るつもりで、ユミと早起きをして大阪にやって来ました。
ぼくたちより1時間ぐらい早い新幹線に乗った武川雅寛夫妻と緑地公園駅で合流。
11時に始まった一日目は後半雨になり、ハンバートハンバートで6時ごろ終演。
ぼくはほとんど入り口近くのビレッジプレスの売り場にいて、働かない販売員のようにしてずっと音楽を聞いていました。

5月4日(水)「春一番、二日目」

 お客さんの入場とともに押尾コータローの演奏で始まった二日目。朝からいい天気で、お客さんも生き生きした感じ。ぼくと武川くんの出番は6番目の2時ごろ。
アイシャルビーリリースト、ニレはELM、朝は詩人、銀の汽笛、わたしのねこ、の5曲を二人で演奏しました。
武川くんはトランペットとバイオリンの他にコーラスまでやってくれましたが、声がまだ不安定なのは手術の後遺症だそうです。
「わたしのねこ」はロケット・マツとの共作で、ミュージカル「100万回生きたねこ」の挿入歌です。
人前で初めて歌ったのですが、出だしの音を間違えてしまい少々はずかしい結果に。
三宅伸治バンドで「たたえる歌」を一緒に歌ったり、大塚まさじの「男らしいってわかるかい」でハーモニカを吹いたり、めずらしく出番の多い一日でもありました。

5月5日(木)「春一番、三日目」

 今日も朝から乾燥したとてもいい天気でした。今年の最終日は福岡の平田達彦で始まりました。
今日は誰かのステージに飛び入りするような話もなかったので、始めから終わりまでビレッジプレスの売り場にいて演奏を聞いていました。
こんなにたくさんの人たちの音楽を聞いていると、景色がぐるぐる変わって、車酔いに似たような感覚になります。
今日はずっとワインを飲んでいましたが、音楽や人に酔ったんだと思います。
ぼくの息子の小野一穂も、「へそ」と呼ばれる客席の中のステージで歌いました。太いけれどどこかさびしさのある声が特徴です。
最後に中川五郎がバンドで演奏して、そこにパンタや三宅伸治など大勢が飛び入りで参加しました。
言いたいことを言い切って、力を出し切ったところで今年の春一番もおしまい。
春一番に来るといつも、音楽に新しい古いはないと思います。
歌いたい歌が歌われていけばいいのだと。

5月11日(水)「レコーディング」

 大塚のスタジオで、ソロで5曲レコーディングをしました。このスタジオが6月いっぱいで
なくなるので、そのために7月だった予定をずいぶん早めてのレコーディングでした。
このスタジオの音が気に入っているので。

5月12日(木)「レコーディング2」

 今日も大塚のスタジオでレコーディング。山川ノリオくんとドラムの新井田さんも参加してくれました。

5月14日(土)「横浜BankART」

 今月21日の「はじめぼくはひとりだった アンコール!」のための最終的な打ち合わせに行きました。
当日券も少し用意しました。川俣正の作品の中で歌います。皆さんぶらっと横浜にお越しください。

 5月15日(日)「マチアワセ2016」

 香川県観音寺の川鶴酒造の古い建物で、「マチアワセ2016」というイベントがありました。
全部で6組の出演者のうちの半分がピアノの弾き語りの人たちで、こういうのも珍しいなあ、と思っていたら、主催の和泉さんの好みなのだそうです。
ぼくは一番最後に歌ったのですが、いろんなタイプの歌や演奏が聞けたので楽しかったです。最後に出演者全員で「愛はぼくのとっておきの色」「月の光」「待ちあわせ」「アイシャルビーリリースト」をやりました。

5月16日(月)「クラインガルテン四万十」

 高知市から電車で一時間、四万十町にある「クラインガルテン四万十」という農園でライブをしました。
主催はここを運営している鳩'sの島岡くん。
大雨注意報が発令されていて、開演時間までものすごい雨でしたが、ライブが終了する頃には止んでいました。
この農園に家を借りて野菜を作っているマツケン、ホーボー、主催の鳩'sが演奏して、それからぼくが歌いました。
予定ではバーベーキューをしながらの野外コンサートでしたが、室内に会場を移して、バーベキューはライブが終わってから。室内でも野外と変わらない解放感があるのは大自然の中だったからかも。

5月17日(火)「読み聞かせ」

 四万十町の小学校で鳩'sの直子さんが週に一回やっているという本の読み聞かせの見学に行きました。
今日は特別に、昨日出演したマツケンさんが高知弁でジョン・レノンの「イマジン」を歌いました。
そのあと直子さんに空港まで送ってもらい、夕方の便で帰りました。

 5月20日(金)「ふちがみとふなと」

 横浜のエアジンにふちがみとふなとのライブをユミと聞きに行きました。
二人がずっと前滞在していたというケニアの話がおもしろかった。

5月21日(土)「はじめぼくはひとりだった アンコール!」

 横浜のBankARTで七尾旅人くん、大野悠紀くんとライブをしました。
これは1月に旅人くんの呼びかけで高知市でやった3人のコンサートのアンコール公演で、
横浜編はぼくとユミが主催しました。
チケットをユミが手作りしたり、PAの小俣くんや照明の橋本さんと午前中から会場の設営を
したりと、やりがいのある楽しい仕事でした。おかげで180人ぐらいの人が見に来てくれました。
会場のKAWAMATA HALLは雰囲気だけではなく、音も良かった。

5月22日(日)「ホンキートンク」

 秩父のホンキートンクでライブをしました。ホンキートンクは今年で40周年だそうです。
去年、ホンキートンクの鈴木さんとチャキのギターの話になったので、ニューヨークのアパートに長年おいていたチャキのギターを持って行って、今年はそれで歌いました。
チャキは独特の音がするギターで、音響の人は音を拾うのがむずかしかったようです。

5月24日(火)「レコーディング」

 ピアノとギターのダビング、歌の入れ直しなどをしました。
ピアノは吉森さん。タイミングをわざとずらして弾いたりする、おもしろい弾き方でした。

5月25日(水)「誕生日、レコーディング」

 今日もレコーディングでした。ピアノの吉森さんは今日は普通に弾きました。
いろんなことができるみたいです。
 録音の後、エンジニアの永見くん、ギターの山川くん、ユミとぼくの四人で、
ピザとワインでぼくの誕生日のささやかなお祝いをしました。
仕事終わりにコンソールルームでパーティなんてちょっといかしてる。

5月29日(日)「土カフェ」

 福岡の小郡市に日帰りで歌いに行きました。
土カフェは陶芸作家の前田尚子さんの作品のショールームでもあり、仕事場でもあるような雰囲気のあるカフェです。
日帰りができたのは、ライブの開始が午後2時からだったから。
2時間はたっぷりと歌うことができました。
この日PAをしてくれたギターリストの鬼塚さんが、1、2曲やわらかく伴奏をつけてくれました。
ニューヨークのグランドセントラルステーションで10年間ギターを弾いていたそうです。

5月31日(火)「レコーディング」

 栗コーダーの川口くんが来て、3曲にサックスやリコーダーを入れてくれました。
あらかじめアレンジは山川くんから伝えられていたそうです。
川口くんは二度ほどニューヨークのうちに遊びに来てくれたり、日本で栗コーダーのライブに呼んでくれたり、と交流はありましたが、レコーディングに来てもらうのは初めて。
録音の様子をユミが大阪にいる山川くんに携帯電話で中継して聞いてもらったり、演奏の感じを相談をしたり、と、今日も楽しい現場でした。
飛び飛びのスケジュールのレコーディングでしたが、今日でほぼ形は整ってきました。

 6月4日(土)「寅家」

 徳島の寅家に歌いに行きました。
市内で大きなコンサートがあるとかで、飛行場でなかなかバスに乗ることができませんでした。
東京から大勢やって来た人たちで混雑していて、何台もバスをやり過ごしました。
徳島は雨だけど、街は若い人たちでにぎわっていました。でもゆっくりできる喫茶店がない。
お店といえば居酒屋や洋風のビストロのようなところばかり。
今まで徳島の街をあまり知らなかったので、ぶらぶら歩きながらの発見は楽しかった。

6月5日(日)「チャッツワース」

 加古川のチャッツワースでライブ。徳島からバスで舞子まで行き、そこからJRに乗り換えました。
明石大橋から見た舞子の景色が、どこか外国の街のようでした。夜景はきっとすばらしいでしょう。
早く着いたのでチャッツワースでカレーをごちそうになりました。日本はどこの喫茶店にも
カレーがあります。チャッツワースのは野菜が上品な感じでお皿の淵に並んでいました。
ライブが終わってから、チャッツワースの一階で遅くまで打ち上げをしました。

6月8日(水)「Every Wednesday」

 三宅伸治が毎年6月の毎水曜日にやっているイベントに出ました。
三宅くんと二人きりでライブをするのは久しぶり。「ロックンロール、やってます」からの曲を中心に、「中道商店街」「遠来」「銀の汽笛」なども新しく一緒に演奏しました。
やっていて、二人のギターの音色の溶け具合が気持ちよく、今夜は自分でもバランス良く演奏できたと思います。三宅くんとは8月に京都の磔磔でも一緒にやります。

 6月12日(日)「日本の詩祭2016」

 日本現代詩人会による詩祭で自作の歌を歌いました。
場所は飯田橋のメトロポリタンホテルエドモンド。
二つの賞の授賞式の後、講演がありその後で 30分歌いました。比較的高齢な方たちが、
あまりなじみのないぼくの歌にも熱心に耳傾けてくれたのが印象的でした。

6月13日(月)「レコーディング」 

 大塚のスタジオで水谷紹くんにコーラスダビングをやってもらいました。ある曲では何層にも紹くんの声を重ね、一人で合唱団のようなことを頼んでみました。高音も低音も張りのあるいい声でした。

6月14日(火)「北海道ツアーのリハーサル」

 ウッドベースの瀬尾高志くん、アコーディオンの熊坂路得子さんと横浜のスタジオで
リハーサルをしました。熊坂さんはぼくもユミも会うのは初めて。
「この3人で北海道に演奏に来て」と東川町の岡崎くんに言われ、やることになりました。
3時間の練習の後、スタジオのカフェでビールとワインで打ち合わせ。

6月17日(金) 「札幌 くう」

 瀬尾くん、熊坂さんとの北海道ツアー。 一日目は札幌の「くう」でした。
最初にソロでぼくが演奏して、それから3人で練習してあった曲を全部やりました。
アンコールがあったので、ぶっつけで「こわれてしまった一日」をやってみたらうまくいったので、ライブごとに曲目を増やしていくことにしました。

6月18日(土) 「東川町 木工駄々」

 今回のツアーの言い出しっペ「木工駄々」の岡崎くんは家具職人で、彼の広い工房で
ライブをしました。
遠くからもはるばるお客さんが来てくれて、工房は80人ほどの人でいっぱいでした。
演奏の最中に瀬尾くんのベースの弦が一本切れて、替えがなかったので切れたところを紐みたいに結んで演奏を続けました。非常に珍しいことだそうです。
今夜はぶっつけで「ジャージーガール」や「夕暮れ」もやってみました。

6月19日(日) 「帯広 キッチンノート」

 池田町のお寺の住職の長井見くんが主催してくれたコンサート。
長井くんのバンドもぼくたちの前に40分演奏しました。
3夜連続のライブで3人の演奏がとても良くなってきました。
ぼくの歌に合った演奏に変わってきているような気がします。
瀬尾くんは帯広市内のライブハウスからベースの弦を借りてきてそれに張り替えていました。
使ったらまたその弦を送り返すのだそうです。ベースの弦はとても高いので。

6月20日(月) 「釧路湿原」

 今日はライブはお休み。厚岸までの移動の途中に釧路湿原の岩保木水門にみんなで
寄り道をしました。ちょうど降っていた雨も止んでついている感じ。
何年ぶりかで見る水門はもうだいぶ傷んできていて、やっと立っているような感じでした。
また雨が降り出したので厚岸に向かって出発。水門を出たところで二頭の鹿に出くわしました。
厚岸で明日の主催のきんちゃんから、たくさんの牡蠣やとき知らずというサーモンやエビを
ごちそうになりました。きんちゃんは牡蠣の漁師で、 厚岸の町おこしのヒーローです。

6月21日(火) 「厚岸 コンキリエ」

 厚岸の観光施設、コンキリエでライブをしました。
お客さんには厚岸特産のカキエモンという牡蠣がついたそうです。
観光施設なのでライブに関係のない人たちもいて、最初は少し戸惑いましたが、日が暮れて
海の景色が見えなくなると、演奏に集中することができました。昨日3人で水門に行ったせいか、今夜は「水門」が一番よかったと 何人もの人に言われました。

6月22日(水) 「釧路 喫茶ラルゴ」

 豊文堂書店の二階の「喫茶ラルゴ」でベースの瀬尾くんと二人でライブをしました。
アコーディオンの熊坂さんは朝早く一人東京に戻りました。
ラルゴに行く前に、古くから知り合いの須藤さんの鍼灸院で診察を受けました。
ぼくは針治療は初めてだったので妙に体がだるくなり、リハーサルの 前にホテルで40分ほど寝てしまいました。
瀬尾くんと二人だけの演奏は初めてでしたが、ベースがあるだけで 演奏にずいぶん幅が出るのがわかりました。去年聞きに来てくれた 人からも、去年より演奏がやわらかかったという感想をもらいました。
回を重ねるごとに余分なものが削ぎ落とされていき、旅の成果が現れたような気がします。

 6月25日(土)「納骨」

 朝5時に起きて支度して、名古屋市にある龍泉寺のお墓に、四月に亡くなったぼくの母の納骨をしてきました。立ち会ったのはぼくとユミの二人。
夜中からの激しい雨も名古屋に着いたときは止んでほっとしていたのですが、お墓の前で御住職にお経をあげてもらっていると、急にぽつりぽつりと大粒の雨が降りかかり、「あっ、達夫が来たんだ」とユミは声に出さないでぼくに合図をしました。
(そのわけは「弟の墓」という歌を聴いてください)
達夫はぼくの弟で、もう23年も前に亡くなってこのお墓に入っています。
お経をあげてくれた住職さんは気さくで陽気な方で、いいお寺でよかったと思いました。
横浜に帰る前に名古屋駅近くの、昔からある商店街にある小さなレストランで、ワインとピザで納骨のお疲れさんをしました。

6月26日(日)「地酒処叶屋ライブ」

 毎年この時期に歌いに行っている長野県の酒屋さんでライブ。今年で九回目です。
お店の横の大きな沙羅双樹に白い花が咲いていました。
道路沿いにぽつんとあるお店なのに、毎年遠くから聞きに来てくれる人が多いです。
来年はお店の五十周年で、ぼくのライブも十回目なので、何か特別なことをしたいなあ、と店主は言っていました。

 7月3日(日)「鎌倉 モルン」

 鎌倉にある装飾品や雑貨のお店、モルンで去年に続き二回目のライブをしました。
ここのライブはどの人もお気に入りの本をお客さんに紹介するというのが決まりになっていて、ぼくもそれが楽しみの一つです。
今年は佐野洋子「100万回生きたねこ」、永田和宏、河野裕子「京都うた紀行ー近現代の歌枕を訪ねて」、金井雄二「朝起きてぼくは」、JacobLawrence「TheMigration Series」の四冊を紹介しました。
線路沿いの小さなお店は、三時間ぐらいの間、歌と言葉の空間になりました。
そんな変身ぶりが楽しい企画でした。

7月5日(火)「仙台」

 最終間際のやまびこで仙台に二か月ぶりにやって来ました。横浜よりずいぶん低い気温がうれしいです。
仙台の住まいは今のところほとんど家具もなく、こちらの友人には旅館みたいだと言われました。
同じ建物の中に市立図書館があって、すごく重宝しています。

7月8日(金)「薬師堂」

 仙台の薬師堂で毎月8日に開かれているクラフトと食品の青空市。
火星の庭の前野さんとぼくとユミとで行きました。
普段はバラバラに孤軍奮闘している食品やクラフトの作家たちが一堂に集まっての楽しい市です。
今日は焼き物の酒器セットや、ローズマリー、にんにく、ジャム、パンやおこわなどを買いました。
とてもいい市なのに、月に一回では少ないとぼくは思います。

 7月15日(金)「石巻」

 火星の庭の前野久美子さんが、ぼくとユミとテリーさんを、七ヶ浜や石巻に車で案内してくれました。
途中、松島の眺めのいいカフェでぼくはソフトクリームを食べました。
七ヶ浜の防潮堤は海を隠してしまっていました。新聞によると、地震で地盤沈下した東北の海岸がまた隆起を始めているらしく、それによって防潮堤もさらに高くなったりするそうです。
石巻では、最初に牡鹿半島のはまぐり堂というカフェに行きました。ランチを食べてヒツジと海岸を眺め、日和山に寄ってから石巻の町の中に。
観慶丸という器のお店でぼくは風鈴を買いました。店主の須田さんがおいしいコーヒーをごちそうしてくれました。
勝さんという若い人が、石巻で始まっているいろんな活動を紹介してくれました。
日暮れの町をぶらぶらと歩きながらの見学はとても楽しかった。
野良猫が空き店舗を勝手に素通りしたりして、町には自由な空気がありました。
最後は、せっかく石巻に来たのだから、と四人でお寿司を食べてから、また仙台に帰りました。

 7月17日(日)「ホルン」

 仙台のメディアテークの向かいの「ホルン」というカフェに閉店間際に行ったら、これからプロジェクターでDVDを見ようかと思っていた、と店主の澁谷夫妻がいうので、ぼくとユミもそこに混ぜてもらいました。
ビールを飲んだりコーヒーを飲んだりしながら映画の後も話をして、思わぬ長居をしてしまいました。
ビデオプロジェクターがあると、壁に映像を大きく映せるのでいいなと思います。

7月18日(月)「Kudanz」

 仙台に住むシンガーソングライター、Kudanzの玄くんから誘われて、彼の出演するイベントに聞きに行きました。
ぼくは彼の力を抜いた歌い方が好きです。彼の『風の輪郭』という歌は脳裏に残ります。
今日はぼくの『朝は詩人』も歌ってくれました。これも彼の歌になっていてすごくよかった。

7月19日(火)「句会」

 月一回の句会が、今日は仙台のぼくたちのアパートで開かれました。
主宰の渡辺さんは残念なことに足のねん挫で欠席でしたが、10人が集まりました。
お酒と食べ物は持ち寄りで、ぼくたちの句会はとかく宴会に力が入りがち。
主宰がメールで句の講評をしてくれて、一通りのことはしてなんとか句会の形は保ち、集計をするとユミの句が二つも最高得点でした。
さて明日は横浜に帰ります。
仙台はずっと涼しくて過ごしやすかった。夏の間はできるだけこっちにいたいなあ。

7月23日(土)「ラ・カーニャ」

 下北沢のラ・カーニャで、長野のシンガーソングライター、Th End(櫻井智丸くん)の初アルバムを
記念するライブがありました。アルバムは去年の6月に出たのですが、東京ではまだ一度も
発売記念ライブをしていませんでした。
それぞれがソロで歌った後、アンコールでは、櫻井くんが選曲したぼくの歌2曲と、ぼくがその3枚組アルバムの
トリビュート盤でカバーしたThe Endの「ロックンロール」を二人でやりました。
長野市以外ではめったにライブをしないThe Endのライブを聞きつけてか、今夜は各地から聞きに来た人も
いたようです。ぼくが知っているだけでも、北海道、沖縄、奈良から来た人がいました。
The Endの歌は、最初は変な歌詞だなあ、と自分のことを棚に上げて思うんだけど、どの曲も聞くうちに
知らず知らずに自分の中の名曲になっている、そんな不思議な魅力があります。

7月29日(金)「ニューアルバム」

 9月17日に、友部正人オフィスから新譜「ブルックリンからの帰り道」が発売されます。
ジャケットや音のミックスなどの作業が今日ほぼ終了したみたいで、ユミは大変お疲れ様でした。
この調子だと、9月初めにはCDが出来上がってきます。うれしいな。

8月6日(土) 「大阪 ムジカジャポニカ」

 LDK(友部正人+ふちがみとふなと)でライブをしました。彼らと一緒に演奏するのは久しぶりでした。
7月にふちがみさんから送られてきた「世界のかたち」という新しい歌詞にぼくがメロディをつけ、初めて歌いました。
それから、「100万回生きたねこ」から「女の子なんて」という曲を新しく演奏しました。LDKのほとんどのレパートリーをやり、アンコールではETTとふちがみさんの共作の「ワルツ」もやりました。
ムジカジャポニカという場所の雰囲気もあって、リラックスしてLDKの持ち味を出し切ったという感じ。
ムジカの10周年、おめでとう。

 8月7日(日) 「京都 西院ミュージックフェス」

 ぼくにとっては初めての西院フェスに、LDKとして出演しました。
ふちがみさんが言うには、気温は38℃まで上がったそうで、ぼくとユミは出番まで会場に近いふちふなさんたちのいえで過ごしました。
会場の春日神社には屋台もたくさん出ていて、楽しそうな雰囲気がいっぱい。でもLDKの出番が終わるまでは我慢。
夕方になって少しだけ涼しくなって、LDKの出番となりました。
元々神社やお寺の境内は音楽がやりやすい場所。アコースティックなLDKにとっても居心地のいい場所で、お客さんの顔と日暮れの風がうまく混ざって、LDKの音になりました。

8月9日(火) 「本谷有希子さん」

 原宿のVACANTというフリースペースで上演された、本谷有希子さん、飴屋法水さんらによる題名のないお芝居をユミと見に行きました。本谷さんの夫の御徒町凧くんから誘われたのですが、御徒町くんは入り口で切符のもぎりをやってこの公演を手伝っていました。本谷さんは今までぼくの詩の朗読やトークライブや、5月にやった横浜のコンサートにも来てくれていましたが、ぼくが本谷さんのお芝居を観たのは初めてのことでした。
テキストは本谷有希子となっていますが、これは本谷有希子自身がテキストのようなお芝居で、本谷有希子本人でなきゃ、絶対に書けないような内容のお話です。御徒町くんの役の人も出てきて、お芝居の中では地底人でした。
終演後会場前の路上で御徒町くん、本谷さん、それから見に来ていた小説家の滝口悠生さんも一緒にビールを飲みながら、観客としての打ち上げをしました。いい一日だなあと思いました。

8月12日(金)「京都 磔磔」

 三宅伸治くんの5日連続イベントの3日目に出るために、ユミとまた京都に行きました。
もう一人の共演者は有山じゅんじ。
ぼくは三宅くんとも有山くんとも何回も一緒にライブをしたことがあり、有山くんと三宅くんも何回もやっているので、その3人の今までのレパートリーを上手に組み合わせた内容になっていました。
ぼくは有山くんとは久しぶりだったので、一緒に「のんき」や「気持ち」や「涙」をやれたのはうれしかった。
有山くんがいるとステージはなごやかになります。彼が何かしゃべったり、歌う場所を間違えたりするたびに、客席は楽し気な笑いに包まれていたし、ステージ上の三人も笑ってばかりいました。
最後の「夕日は昇る」ではお客さんもみんな歌ってくれました。

 8月19日(金) 「横浜ドルフィー」

 FIT【板橋文夫(P)、瀬尾高志(B)、竹村一哲(D)】とドルフィーで半年ぶりにライブをしました。
いつも通りぼくのソロで始まって、ベースの瀬尾くんと1曲、それから14曲近くをFITと演奏しました、元々板橋さんは歌に寄り添ったとてもきれいなピアノを弾きますが、瀬尾くんと竹村くんも前回よりもかなり歌に近づいた演奏でした。一体化してぼくもFITの一員のようでした。

 8月22日(月)「句会」

 20日の夜から仙台に来ています。
今夜は火星の庭句会でした。
台風9号の接近でJRが不通になっていて、塩釜チームが来られず、
仙台の人も台風で見合わせた人も多くて、結局ぼくとユミを含めて参加者は5人。
来られなくても投句や選句はメールでできるので、いつも通りの句会になりました。
結局仙台は大したことがなかったけど、横浜の友人からのメールでは、関東はものすごい風と雨だったそうです。

8月24日(水)「ニューアルバムの先行発売」

 「ブルックリンからの帰り道」の先行発売を、9月3日の豊橋と9月4日の大阪のライブでやることになりました。
前野健太くんとのライブですが、特別にこの二日間だけ。

それから、これは販売元からの情報ですが、ディスクユニオンで予約をして買うと今回のアルバムに使われた写真を表と裏に使用したキーホルダーがもらえるそうです。
先行発売で早く手に入れるか、発売日まで待ってキーホルダーをもらうか。さて。

 8月25日(木)「水族館」

 仙台のうみの杜水族館にユミと行きました。仙台駅から仙石線で20分くらい。
イルカのショーを見ました。ショーが終わっても、ずっとイルカを眺めている男性がいました。
それから、水槽の中の前で、中の生き物といつまでも遊んでいる人たち。
水族館は癒しの場なのか。年間フリーパスのチケットを買って通っているのかもしれません。
ぼくもフリーパスを買いそうになりました。

 8月28日(日)「北海道マラソン」

 27日に仙台から札幌へ行きました。仙台空港は初めて利用しましたが、仙台駅から近くてとても便利。
真夏ではめずらしいフルマラソンの大会。去年に続いて2回目だったので、コースの感じはだいたい頭に入っていました。気温も低く、去年より楽に走れたのに、去年より遅い3時間40分45秒でフィニッシュ。
今年はユミが一緒に来られなかったけど、札幌や小樽の友人たちが応援してくれました。
翌日は札幌から横浜に戻り、一足先に横浜に戻っていたユミと完走祝いのおいしいワインを飲みました。 

 9月3日(土)「豊橋 ハウスオブクレージー」

 前野健太くんとの二日間だけのライブツアーの一日目。
ぼくとユミと前野くんと同じひかり号で豊橋入り。
豊橋は小さいのに妙に騒がしいムードの街です。前野くんは豊橋でライブをするのは初めてだと言っていました。
前野くんとぼくとで1時間ずつ演奏をして、アンコールで二人で「もうずっと長い間」「ファックミー」「どうして旅に出なかったんだ」を歌う。
ぼくと前野くんには年齢差はあっても溝はない、客席もまさにそんな感じでリラックスしていました。

9月4日(日)「大阪 Ganz toi, toi, toi」

 前野くんとのツアー二日目は、ぼくも初めての大阪梅田近辺のライブハウス。
床も天井も壁も全部木のお店で、きれいで音も非常にいいです。
昨日と同じように前野くんとぼくが1時間ずつ歌った後に、二人でアンコール。
今日のアンコールは「もうずっと長い間」「ファックミー」「朝は詩人」、2回目のアンコールで「一本道」をやりました。
休憩時間に写真家の糸川耀史さんがぼくを訪ねてくれて、糸川さんに関係のある「どうして旅に出なかったんだ」を今日は一曲目にソロで歌いました。糸川さんはこのアルバムの写真を撮っていて、お会いするのは久しぶりでうれしかった。

前野くんのへんてこな歌は、へんてこだと思っていたぼくの歌を普通に感じさせました。
二日間では物足りないからまたどこかへライブツアーしよう、と言い合って別れました。

9月2日(金)「Paco と Amy」

 横浜の映画館シネマリンに「パコ・デ・ルシア」と「エイミィ」を見に行きました。
どちらもドキュメンタリーで、「パコ」はフラメンコギターに新しい風を取り入れた人。
「エイミイ」は本物のジャズシンガーと言われながら、酒とドラッグで若くして命を落としたイギリスのシンガーの話。
晩年のパコの風貌が最近の有山じゅんじに重なって見えました。
「エイミィ」のとてつもない歌の力と、それに見合わない精神の弱さは彼女が持って生まれたもので、
生きている限りその両方に苦しめられたんだろうなあ、と思いました。
シネマリンは初めて入った映画館。スクリーンは一つだけだけど、ニューヨークの映画館のIFCやFilm Forumにとてもよく似ていました。

 9月7日(水)「風のあしもと」

 同じ建物に住む画家の広田稔さんの家で、11月17日からの「風のあしもと」という
ぼくと広田さんの詩画展に合わせて作られる詩画集の打ち合わせでした。
展覧会は11月26日まで、2年前と同じ、横浜のGallery Arkで行われます。

 9月10日(土)「二つの写真展」

 浜松町にある鈴江倉庫の二階の広々としたギャラリーで、川内倫子さんの写真展が開かれていて、ユミが見に行くというのでぼくも一緒に行きました。
ギャラリーもそうだけど、そのあたりはニューヨークのギャラリー街チェルシーのようで、
写真も環境も相当に気持ちよかった。

ニューヨークで杉本博司さんのアシスタントをしている栄子さんからチケットが送られて来たので、恵比寿の写真美術館に杉本博司さんの展覧会を見に行きました。
展覧会は美術館の2階と3階を使った大規模なもの。単に写真を見せるだけの展覧会とは大きく違い、博物館に足を踏み入れたような気分。手書きの遺書のようなメッセージも楽しかった。
でももう一度見に行くとしたら、見捨てられた劇場と映画館を撮った2階の展示を見るでしょう。
これも一筋縄ではいかない多面的な作品なのです。

9月11日(日)「ヤング・アダルト・ニューヨーク」

 ジャック・アンド・ベティに、「ヤング・アダルト・ニューヨーク」という映画を見に行きました。
原題は「While we're young」、若くて才能のあるドキュメンタリーの作家に、中年の生真面目すぎる映画作家が翻弄される話。ユミもぼくも、ボブ・ディランに翻弄される60年代のフォークシンガーたちを
思い出したのでした。

 9月16日(金)「スターパインズカフェのリハーサル」

 横浜のスタジオで、22日のスターパインズのライブのリハーサルを、水谷紹くんとやりました。
「ブルックリンからの帰り道」の発売記念ライブですが、録音に参加してくれた人たちは予定が入っていてみんな参加できず、紹くん一人だけが出てくれることになりました。
せっかくの紹くんとのライブなので、彼が係った以前のアルバムからも何曲かやることにしました。
なんかいいライブになりそうです。ぜひ聞きに来てください。

9月17日(土)「ブルックリンからの帰り道」の発売日

 いよいよニューアルバムの発売日です。
ほくは豊橋と大阪のライブで先行発売してしまいましたが、やっと発売日がやってきました。
その発売に合わせて、MIDIから発売されているぼくのオリジナルアルバムのすべてが、
今日からデジタルで音楽配信されることになりました。一曲だと200円ぐらいらしいです。
iTunes、Google Play Music、amazonなどで配信されているので、見てみてください。

9月22日(木)「スターパインズカフェ」 

 「ブルックリンからの帰り道」の発売記念ライブを吉祥寺のスターパインズカフェでやりました。レコーディングではコーラスを担当してくれた水谷紹くんにお願いしました。
アルバムの中からは9曲全部をやり、そのほかに、今まで紹くんと一緒に演奏したりレコーディングしたりしてきた90年前後の曲をたくさんやりました。(紹くんとは30年来の音楽仲間です。)
今日は紹くん以外のレコーディングメンバーは全員仕事が入っていて来られなくて、マルチプレーヤーの紹くんに、エレキギター、バリトンサックス、ピアノそしてコーラスをお願いしました。紹くんのおかげで、アルバムのイメージはだいたい表現できたと思いました。何よりも「さわがしい季節」「From Brooklyn」などでバッキングボーカルの力が発揮されました。
この日ビデオの撮影に来ていた木村さんから、13年前の鎌倉芸術館での30周年記念コンサートの仮編集のDVDをもらってユミと家で見たのですが、今見るとすごく新鮮でおもしろかった。これもなんとか形になればいいなあと思いました。

9月25日(日)「水戸 ガールトーク」

 「ブルックリンからの帰り道」発売記念東北ツアーの一日目は水戸の ガールトーク。
お客さんは多くはないけど、お店のマスターが いつも電話をかけてきてくれて、毎年のように歌いに行っています。 ガールトークは水戸駅の南側にあるので、水戸芸術館のある駅の北側にはほとんど行かなくなりました。

9月26日(月)「郡山 ラストワルツ」

 1年半ぶりのラストワルツ。予想以上にお客さんが来てくれました。
「少年とライオン」を歌うときに、街にシネラマ方式の映画館が 初めてできたぼくの中学生の頃の話をしました。そういえばその頃は 学校帰りにたくさん映画を見たなあ。

9月28日(水)「句会」

 仙台のぼくの家で「火星の庭句会」。主宰の渡辺誠一郎さん始め11人が集まりました。
相変わらずぼくは低調、ユミはなんだかんだと 言いながらもまずまずでした。

9月29日(木)「酒田 ブルースヒロ」

 3年ぶりの酒田。過去2回は地吹雪の冬だったので、秋のおだやかな 酒田は初めて。
だいぶ印象が変わりました。
森山直太朗くんが好きだという背の高い若者が最初に少し歌い、 その後ぼくが9時過ぎまで歌いました。
近所への配慮で、9時までしか 音は出せません。
打ち上げでブルースヒロ名物の焼きそばを食べました。焼きそばって ぱさぱさしていておいしいです。

10月1日(土)「仙台 Sendai Koffee」

 いろんな大きさのイスが並べられたモダンな感じの喫茶店。
椅子がまちまちだとそこに座る人もまちまちに見えておもしろい。 ここも建物の上が住居なので、
ライブは9時で終了です。 ぎりぎりの9時まで演奏しました。
今夜は久しぶりにギターの弦が切れた。お店の人が、湿気のせいかなあ と言っていました。

10月2日(日) 「怒り」

 初めて仙台の映画館で映画を見ました。見たのは「怒り」。ぼくは「シン・ゴジラ」が見たかったけど、ユミが「怒り」を見たいと言ったので譲歩。でもとても良かった。いい映画に出会うと、ほかにも何か見たくなります。今ぼくはそんな気持ちです。

10月3日(月)「弘前 アサイラム」

 仙台からバスで弘前まで。到着と同時にものすごい雨が降り始めて、 しばらくバスセンターから動けませんでした。
ライブ中も雨はちょうどいい音で聞こえていました。 今夜のアサイラムは雨とセッションした感じです。

10月4日「盛岡 クラムボン」

 今年2回目のクラムボン。店が狭いのでここでは毎回生音です。
その生音が今回ほど美しく聞こえたことは今までありませんでした。 昨夜の豪雨のおかげでしょうか。
それとも喫茶店の湿り気のせい?
もしかしたら今回のアルバムで使用したマーチン18の やわらかい音のせいだったかもしれません。

10月9日(日)「墓前礼拝」

 ユミのお父さんが亡くなって3年がたちました。キリスト教徒だったお父さんがメンバーだった教会の、年に一度の墓前礼拝が兵庫県の墓地でありました。
讃美歌を歌って牧師のお話を聞くのです。
武庫川のほとりの景色のきれいな場所でした。
お墓って川のそばが多いのかな。僕の弟と母のお墓も川のそばです。

 10月10日(月)「ぬりえと髭剃り」

 ユミと横浜に帰る途中にぼくだけ名古屋で途中下車して、春日井市の施設にいる父に会いに行きました。頼まれていた電気カミソリとぬりえを渡しました。

10月13日(木)「ボブ・ディラン」

 夜、朝日新聞のニューヨーク支局の記者からの電話で、ボブ・ディランがノーベル文学賞を
受賞したことを知りました。その真鍋さんという記者に4年前にインタビューされたときのコメントを今回使いたいという内容の電話でした。
真鍋さんたちはボブ・ディランがノーベル賞を取った時のために何年も前から記事の準備をしていたのです。
そのあとほかの新聞社や共同通信からも連絡があってコメントや原稿を頼まれました。
「ともくんが賞を取ったわけでもないのにね」とユミは笑っていました。

10月14日(金)「福岡ライブ」

 福岡のLiv Laboでライブをしました。
ソロのライブでしたが、Liv Laboはバンバンバザールの本拠地なので、
バンバンの福島くんと黒川くんに4曲手伝ってもらって一緒に演奏しました。
音響も福島くんがやってくれて、タブレットを片手にプロみたいでした。

10月15日(土)「ロケット・マツ」

 パスカルズのリーダーで、ぼくの古い音楽仲間のロケット・マツのソロライブが
下北沢のラカーニャでありました。PAの小俣くんからの電話で、聞きに来ないかと誘われたのですが、福岡から直接下北沢に行くのでギターを持っているから、何か一緒にやろうかとユミが言ったら、マツも快くOKしてくれました。
本編はマツが一人でやりました。ピアノとピアニカのインストルメンタルですが、
一曲だけミュージカル「100万回生きたねこ」の挿入歌をマツが歌いました。
マツのピアノのタッチは体内の深くまで届く感じがして、指圧ピアノだとぼくは思いました。とても心地がいいのです。
アンコールで「あの頃」(作詞:友部/作曲:マツ)「風邪ひき男のララバイ」、それからミュージカル「100万回~」の中の「おんなのこなんて」(作詞:友部/作曲:マツ)を二人で一緒に演奏しました。
ぼくは声ががらがらでしたが、気持ちのいい夜でした。

10月20日(木)「北海道新聞」

 ボブディランについての原稿を北海道新聞に書きました。
10月24日の朝刊に掲載されます。
特に北海道の人には読んでほしいです。

10月21日(金)「京都 拾得」

 京都の拾得でソロライブ。久しぶりの拾得。
今日はお客さんに顔見知りの人が多いライブでした。
前の晩に拾得でライブをした石垣島のこうちゃんがぼくとユミのために置いていってくれた泡盛「白百合」を飲みながら、ライブ後は真夜中近くまで拾得にいました。

10月22日(土)「時代祭」

 ユミと何気なく河原町通りを歩いていたら、なんとなく普段と様子が違うので、
警備の人に聞いてみたらあと一時間ほどで時代祭の行列が通るとのこと。
時代祭はユミが以前からものすごく見たかったものらしく、にわかに興奮して御池通に場所を確保。
明治から平安までの1300年の行列を始めから終わりまで見ました。
御池通の進々堂で遅いお昼を食べて、夕方の新幹線で浜松に。

10月23日(日)「浜松 エスケリータ68」

 毎年歌いに来ていますが、今年は特に自然に盛り上がりました。
ライブが終わった後は、その余韻を楽しむように、遅くまでエスケリータの夫婦と時間を過ごしました。
そういえば浜松は、去年ぼくはタブレットを落として割ってしまったのですが、今年もぼくのタブレットが故障してしまい、浜松パワー恐るべし、と思いました。

10月24日(月)「名古屋 得三」

 月曜日なのに結構たくさんの人が聞きに来てくれました。休憩を入れずに2時間歌ったけれど、本当にあっという間でした。
アンコールで「夜は言葉」をリクエストされたけど、ぼくは勘違いをして「夜よ、明けるな」を歌ってしまいましたが、ユミが言うには、リクエストした人はその曲でも満足してくれたみたいです。

10月25日(火)「豊田市 ジョアン」

 ぼくの古い友達の竹内くんから突然連絡があって、つい2週間ぐらい前に告知されたライブ。
「如庵(ジョアン)」という和食のお店がこれからライブもやっていくから、そのオープニングに、ということでした。
準備期間があまりなかったにもかかわらず満席で、しかもとても自然に盛り上がりました。
昨日ライブを聞きに来てくれた井上糧くんが車で豊田までぼくたちを運んでくれて、夜中にまた名古屋のホテルまで送ってくれて助かりました。

10月27日(木)「対談とインタビュー」

 「週刊金曜日」で中川五郎さんとボブ・ディランについての対談をしました。
五郎とこんな風に対談をするのは初めて。
そのあと毎日新聞でインタビューを受けました。ぼくの今までの歌のことや、ボブ・ディランのことなどを聞かれました。掲載予定は11月1日(火)夕刊「特集ワイド面」だそうです。
 (追伸)
30日からニューヨークに出かけてきます。帰国予定は11月17日です。
その間の通信販売については、CDなどの発送が帰国後になりますのでご了承ください。
(友部正人オフィス・小野)

10月30日(日)「ニューヨーク」

 夕方ニューアーク空港着の予定でしたが、悪天候で着陸できなくて、いったん近くのスチュアート空港に着陸したあと、ニューアークの発着が再開するのを待機。
マンハッタンのホテルに着いたらもう8時になっていました。
ニューアーク空港って全然使うことなかったのですが、ケネディ空港に比べてこじんまりしていて、いい感じでした。帰国便はケネディから羽田ですが。

まずは晩御飯を食べに出て、近くのFairwayでお買い物。
長く暮らしていたアッパーウエストに今回も滞在しています。

27日に取材を受けた毎日新聞の記事は、11月1日(火)ではなく、11月7日(月)の夕刊に掲載されることになりました。
取材の目的をよく理解しないままに、たずねられるままに答えていたのですが、どうやら年をとってからの男の生き方、みたいなことのようでした。
それでも興味のある方は読んでみてください。

11月1日(火)「amazon」

 今までアメリカではamazonでよく買い物をしていたのですが、自分の住所がもうないので、ニューヨークの友人の住所を借りて買い物をしました。
今日はそれをシゲミさんとカクの家に取りに行きました。
受け取りのサインもないので、荷物はビルの一階のメールボックスの下の床に他の住民あての小包と一緒くたになって置かれているだけです。
友だちがなくならないように気を使ってくれたので、注文したものは5個無事に受け取ることができました。夕飯までごちそうになって帰ってきました。

11月2日(水)「ウィリアムズバーグ」

 CD『ブルックリンからの帰り道』ジャケットの、トレーの下のユミが撮った写真が、ブルックリンのどの地点から撮ったのか本人ももうわからなくなっていて、それを確認するために二人でウィリアムズバーグまで行ってみました。
対岸にマンハッタンを見ながら、イーストリバー沿いを行ったり来たりして、ようやくその場所を見つけたのでした。N5 stのフェリー乗り場のところでした。
撮影したときは夜だったので、昼間だとまた違う感じでした。
ついでに本屋に寄ったりしてウィリアムズバーグを観光してから帰りました。

11月3日(木)「ダイアン・アーバス」

 メトロポリタン美術館にダイアン・アーバスの初期の写真展を見に行きました。
以前ホイットニー美術館だったところがメトロポリタンの別館になってました。
ダイアン・アーバスは70年代にぼくが大変ショックを受けた写真家です。
ギャラリー全体に幅のせまい衝立が立てられていて、そこに写真が一枚ずつ展示されていました。観客は衝立の隙間をぬうようにして作品を見て回るのでなんだかかくれんぼをしているみたい。

11月4日(金)「パスタパーティ」

 マラソンのエキスポに行ってナンバーとTシャツを受け取った後、グランドストリートに住むヨシとマドレン夫妻の毎年恒例のプレ・マラソン・パスタパーティに行きました。
今年はヨシたちが沖縄から戻った直後だったので、規模を小さくして日本から走りに来た人たちをメイン招待したみたいでした。
パスタ以外にもイクラご飯やサケのソテーなどおいしいものだらけでした。

11月6日(日)「ニューヨークシティマラソン」

 ぼくにとっては今年で14回目になるニューヨークシティマラソン、今年は例年になく暖かで、乾燥していて絶好のマラソン日和でした。
バスでスタートビレッジに着くと、住み慣れた町に帰って来たような気分。
バナナやベーグルで腹ごしらえをして(ホテルで日本から持参したおもちを食べたのですが、それから4時間たっているのでまた空腹になっている。)スタート。
自分でも気持ちが悪いくらい疲労がこなくて、結局そのままの状態でフィニッシュ。
タイムは3時間23分でした。

11月9日(水)「大統領選挙」

 夜中にテレビをつけてみると、大統領選挙の開票が進んでいて、すでにトランプが優勢という状態。前日までの予想とはまったく異なる結果にびっくりして、そのままクリントンにはほぼ勝ち目なしと判明した明け方まで見ていました。
 
ユミとお昼を食べに外に出ると雨。選挙の大騒ぎが雨に洗い流されたみたいに街は静かでした。
夜は友人のヨシとマドレンの家に。カリフォルニアに住むアサコさんも来ていて、マドレンの作った鹿肉の料理をごちそうになりました。
ユミの体調がよくなくて、タクシーでアッパーウエストのホテルまで帰る途中、コロンバスサークルのトランプタワーの周辺でデモに遭遇。
渋滞して全然動けないタクシーを降りてかけつけてみると、若者たちがトランプタワーを
取り囲み、声を合わせて大統領に当選したトランプを非難していました。
ぼくたちもその中に紛れ込んでしばらく参加しました。
この国にいれば日本人はまぎれもなくマイノリティです。これからどうなるのでしょう。

11月10日(木)「ポストイット」

 14丁目の地下鉄の通路の壁にトランプ批判のメッセージがポストイットされているというので、ユミとわざわざ見に行きましたが、すでに撤去されていました。
ついでに「大戸屋」に、和食を食べに行きました。
日本の3倍ぐらいの値段でしたが、満足。昼間なのにお酒も飲んじゃいました。

11月11日(金)「レナード・コーエン」「ナン・ゴールディン」

 レナード・コーエンが昨日亡くなりました。
ぼくとユミは一度だけ、小室等さんに誘われて日本のカナダ大使館でレナード・コーエンに
会ったことがありますが、コンサートでは一度も日本に来なかったのでは。
ぼくとユミは数年前ニューヨークで2回、コンサートを見ました。
 
レナード・コーエンのことを知ったのは高校生の頃です。ボブ・ディランに夢中になっていた時で、レナード・コーエンのことは何も知らずに、ジャケットに引かれて買ったのでした。「Songs From A Room」でした。
それから新譜が出るたびに買い揃えていきました。最新作も買ったばかりでした。
一番好きな歌は「Famous Blue Rain Coat」。人生には深い意味があるんだと思わせてくれます。ときどきとても見たくなるのが「I Am A Hotel」という短い映像作品。何よりもこのタイトルが好きです。
 
夕方MoMAにナン・ゴールディンのスライドショーをユミと見に行きました。
今までに何回も見た写真と同じような内容でしたが、あの時代の若者たちの人生のひと時だけをとらえた写真は物悲しくてよかった。
写真に写っている彼らのどのくらいの人たちが今も生き残っているのかなと思いました。

 11月12日(土)「ジャクソンハイツ」

 クイーンズのジャクソンハイツには150以上の言語を使う民族が暮らしているそうです。
その近くにあるカトリックとジューイッシュの墓地に行きました。クイーンズに住むメグが
誘ってくれました。道に迷ったこともあったけど、2時間は墓地を歩きまわって、街に戻ったら自分がゆうれいになった気分。吹きっさらしで寒かったからかな。
駅のそばのチベット料理のレストランでモモを食べてビールを飲みました。
夜はシゲミさんとカクのうちに行き、アマゾンから届いたばかりのボブ・ディランの36枚組のライブ盤を受け取り、夜遅くまで飲んだり食べたりしました。
シゲミさんたちは毎日のように『ブルックリンからの帰り道』を聞いているそうです。
「ニューヨークシティマラソンに捧げる」が人気。

11月14日(月)「マノン・レスコー」

 プッチーニの「マノン・レスコー」をメトロポリタンオペラに見に行きました。
マスネの「マノン」も以前見たのですが、それはあまりピンとこなかった。
今回もソプラノがアンナ・ネトレプコなのでそれだけで見に行きました。
ストーリーはシンプルだけど、音楽はとてもドラマチックでした。

11月18日(金)「風のあしもと」

 17日の夜遅くニューヨークから戻りました。行きの便は成田からでしたが、帰りは羽田に着いたので、横浜までが近くて助かりました。
ケネディ空港でぼくのスーツケースが壊れてしまい、スーツケースの中身を出してANAの箱に詰め替えて帰国したので、タクシーを使うしかない状況だったので。

昨日から始まった「風のあしもと 広田稔 友部正人 コラボレーション展」にユミと行きました。石川町にあるギャラリーアークが会場です。
2年前の「色鉛筆のどんでん返し」の続編の展覧会で、そのときはぼくが先に詩を書いて、それに広田さんが色鉛筆で絵を描いたのですが、今回はその反対に広田さんが描いた絵にぼくが詩をつけていくという作業でした。
前回と同様、今回もハードカバーの詩画集を作りました。栞のおまけつきです。
11月26日(土)まで開催されていますのでぜひ横浜までお越しください。
11月25日の午後6時からは、友部正人の短いライブもあります。
今回の作品を歌ったり朗読したりする予定です。

11月22日(火)「柳幸典 ワンダリング・ポジション」

 ギャラリーアークの「風のあしもと」展に名古屋から糧くんが見に来てくれたので、ユミと糧くんと一緒にBankART Studio NYKに柳幸典の展覧会を見に行きました。
前回横浜トリエンナーレで見た蟻と国旗の作品はとても強烈でしたが、今回はその蟻の作品の全貌が見られるのと、三島由紀夫の「太陽と鉄」を題材にした迷路のような「IcarusCell」、自転車や椅子、車の残骸などを体に持つなんでも映し出す目の作品「Project God-zilla」など、そばまで行って見て体験できる作品の数々でした。NYKの大きな空間を堪能できる展示の仕方もいい。
バンカートの池田さんや細淵さんと久しぶりにカフェで飲んで話ができたのも楽しかった。

11月23日(水)「高畠ワイナリー」

 山形県の高畠ワイナリーの収穫祭が下北沢であって、ぼくとユミは初めて参加しました。
ワインが飲み放題なので喜んで参加したのですが、小室等さんや元ベルウッドレコードの三浦さん、評論家の佐高さん、それからあがた森魚くんや南佳孝さんとも会いました。
いろいろ楽しい話ができて、みんな一曲ずつ歌ったりして、参加してよかった。

11月25日(金)「風のあしもと展ライブ」

 「風のあしもと」の会場で夕方6時からぼくの短いライブをしました。
今回のコラボレーションから生まれた「クジャクのジャック」「モスラ」の2曲の他にも、最近の歌を少し歌いました。
展覧会はあと一日残っていましたが、知り合いの人たちも来てくれていたので、ライブのあとはそのまま展覧会の打ち上げみたいになりました。
主に広田さんの絵の仲間たちでしたが、とにかく陽気で楽しかった。

11月27日(日)「いわきソニック15周年記念ライブ」

 いわきのソニックの記念イベントに誘われました。
タテタカコさん、銀杏Boyzの峯田くん、そしてぼくでした。
それぞれがだいたい50分ずつぐらい歌い、最後にアンコールで3人で、「ぼくは君を探しに来たんだ」をやりました。
タテさんは女性なので音域が下の方になってしまい、ちょっと歌いづらそうでしたが、ぼくと峯田くんがギターの音量を下げたので、そこがクライマックスのようでした。
女性の声が入ると、とてもきれいな感じになります。

 11月30日(水)「ボルタンスキー」

 目黒の庭園美術館にユミとボルタンスキーを見に行きました。
庭園美術館に行くのは初めて。きれいなところなのにきちんとしすぎていて、ちょっと窮屈な感じもしました。
ボルタンスキーの心臓の音の作品は部屋が小さすぎました。
前に妻有の大地の芸術祭で、廃校になった小学校の建物全体が生き物の心臓の音で大反響するのを見たことがあるので。
森と海辺の短冊の静かな作品はとてもきれいでした。

 12月1日(木)「松本竣介」

 鎌倉の県立近代美術館の別館に、松本竣介の展覧会を見に行きました。
ユミが見に行くというので附いて行ったのですが、おもしろかった。
仙台や盛岡の美術館にも作品があるので、今度見に行こうと思いました。
日が暮れると鎌倉の小町通りも人通りが減り、ようやく歩きやすくなったので、すぐには電車に乗らずに、ぶらぶら散歩してから横浜に戻りました。

12月4日(日)「畠山直哉 まっぷたつの風景」

 3日から仙台にいます。
今日は火星の庭の前野さんに誘われて、メディアテークで畠山直哉さんの写真展を見ました。
今までの作品プラス震災後の陸前高田などの膨大な数の写真が展示されていました。
表現されていることは違っていても、張り詰めたものがどの作品にもありました。最初は俯瞰して見ていたものを、最後の陸前高田では同じ地平に立っているという感じでした。

12月6日(火)「この世界の片隅に」

 今日はユミと前野さんと3人で「この世界の片隅に」という映画を見に行きました。
その前に原作の漫画も前野さんから借りて読んでいたのですが、やはり動画の力に引き込まれました。
日常が淡々と描かれているので、登場人物たちと親しくなってしまい、その分だけ後半の戦争の悲劇が実感となって押し寄せて来ます。

夜は、1961年の作品「モスラ」を見ました。
最近のぼくの歌「モスラ」にちなんでユミが「モスラ」のブルーレイを買ったのです。
友達も誘ってみんなで見ました。

 12月8日(木)「アニサキス」

 昨夜食べたしめさばのせいで、朝から吐いてばかりいたのですが、だんだん心配になって、前野さんの紹介で、寺沢さんという小児科医に診てもらいました。
診断はさばにいたアニサキスという虫のせいだということでした。
ステロイドで退治することになったのですが、今ノロウィルスがすごく流行っているので、虫でよかったと言われました。

12月9日(金)「不調」

 吐き気が収まってほっとしたら、今度は下痢が始まりました。
下痢はどんどんひどくなるみたいです。

12月10日(土)「Hello Indie」

 お昼前にようやく下痢が収まりました。
今日は午後から「Hello Indie」というライブイベントで歌うことになっていました。下痢が収まって一安心。
Retro Back Pageというお店で40分ぐらい歌いました。
ぼくの前に歌ったKudanzの佐々木玄くんと、一番最後に「朝は詩人」を一緒に歌いました。彼の澄んだ声はこの歌にぴったりです。
別の会場で、大野悠紀くんと長谷川健一くんのライブも見ました。
「Hello Indie」はこんな風にあっちこっちの会場で同時にライブコンサートをするという企画で、少しずついろんな人のライブが聞けます。
今度の17日(土)には長野県の松本市で開催されます。

12月11日(日)「塩釜句会」

 塩釜にある「ゑいふく」という料亭で今年最後の火星の庭句会。
築90年という古い木造の料亭で、トイレに立ったときの水の冷たさが建物の古さを感じさせました。
牡蠣や天ぷらなどのコース料理を食べながらの贅沢な句会は、当然ですが盛り上がります。
まもなく66歳の誕生日を迎える主宰の渡辺誠一郎さんのお祝いをして会はお開き。
渡辺さんの俳句が書かれたデコレーションケーキをみんなで食べました。
帰り道、街にはうっすら雪が積もっていました。

12月17日(土)「Hello Indie 2016 Matsumoto」

 松本でのHello Indieに参加するためにユミと松本に行きました。
いくつかの会場に分かれて何組ものバンドやミュージシャンがライブをする企画です。
ぼくは前にもソロでライブをしたことのあるGive Me Little Moreで、Kudanzの佐々木玄くんとライブをしました。
打ち上げは松本の古い友人たちに連れられて行った「東家」というゲストハウスで、家庭的な雰囲気につい打ち解けてしまいました。ぼくや玄くんや長谷川健一くんも順番に歌ったりしてなんか楽しかった。

12月18日(日)「高山 ピースランド」

 ユミとは松本で別れてぼくはひとりで高山へ。まだ雪はありませんでした。
ピースランドは児童書の専門店ですが、店の奥にお堂があって、そこでライブをしました。
床の上にぺたっと座って聞くようなライブです。
もしかしたら聞き手にはきつかったかもしれませんが、今日は間に休憩を入れずに
やってしまいました。その方がぼくにはいい感じでした。

12月23日(金)「近江八幡 酒游館」

 何年か続けて年末にここでライブをしています。お客さんにも定着したみたいで、「今年はいつですか」という問い合わせもあるそうです。
いつもならエアコンをつけていてもまだ寒い会場ですが、今年は石油ストーブ一台でしのげるぐらいの暖かさでした。
アンコールで「おやすみ12月」のリクエストがありましたが、残念ことに歌詞を
用意していませんでした。何よりも、12月なのにこの歌のことを忘れていたのが悔しい。

12月24日(土)「Hello Indie 2016 広島」

 ぼくは4.14というライブハウスで、長谷川健一くんやKudanzと同じ会場でした。
「クジャクのジャック」と「朝は詩人」で玄くんがコーラスをつけてくれました。
PAの人が、タイの詩人で友人のポチャナに似ていて、なんだか懐かしくなりました。
とても丁寧な仕事だったこともうれしかった。
音楽食堂Ondoではラップのようなことをやっていて、しっちゃかめっちゃかな
ステージの雰囲気が楽しかった。

12月25日(日)  「倉吉市 吉祥院」

 倉吉の喫茶店「ラ・キュー」主催のコンサート。市内のお寺が会場でした。「ラ・キュー」の杉原さんたちが自分たちで食べ物やお酒を準備してお客さんに販売していたので、豚汁のおいしそうな匂いが立ち込めていました。
ぼくの今年の最後のライブだったので、時間もたっぷりあったし、久しぶりにたくさん歌いました。

倉吉は10月の地震で屋根が壊れて、ブルーシートで覆われている家もありましたが、
大きな地震の割には被害は小さくてすんだみたいで、みんなとても元気でした。

12月28日(水)「いのちのかたち」

 画家いせひでこさんを追いかけた、伊勢真一監督の新作ドキュメンタリー映画「いのちのかたち」の特別試写会を四谷の編集室で。
東北の震災の後に、いせひでこさんが宮城県亘理町で出会ったという一本の黒松と画家の物語。
映像の中から聞こえてくる監督のつぶやきのようなナレーションが、今回の作品にはほとんどなかったのが特徴でした。
1月25日に横浜「ジャック&ベティ」での上映後、伊勢監督とぼくのトークが予定されています。
 

 12月31日(土)「ビデオ観賞会」

 30日の夜から仙台に来ていて、今年は仙台で初めての年越しです。
夜は火星の庭で、こちらの友人たちとビデオの上映会をしました。
ぼくが持参したのはレナード・コーエンのライブ「ソングズ・フロム・ザ・ロード」と何年か前にBSTVで放映されたミュージカル「100万回生きたねこ」、それからテリーさんが持ってきた「おおかみこどもの雨と雪」というアニメーション映画の3本でした。
今までは横浜のサムズアップでライブをしながら年越しをしてきたのですが、こんな風に静かに年を越すのもいいものです。
ぼくは合鴨の年越しそばを作ってみんなに食べてもらいました。
それにしても、久しぶりに見た「100万回~」、感動しました。