友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

12月31日(土)「サムズアップのカウントダウン」

今年もストーブスとサムズアップのカウントダウン・ライブに、東京ローカル・ホンクの飛び入りゲストとして参加。ストーブスでは「雨の向こう」、サムズでは「生きていることを見ているよ」をやりました。
「クレーン」の発売ツアー以来1年以上も彼らと一緒にやっていないのに、何も練習しないでできてしまうのはさすがです。もう少し頻繁にホンクと一緒にライブをやりたいものですが、とりあえずは来年2月の盛岡と仙台が楽しみです。

年が明けてから、ライブを聞きに来ていた息子の一穂も一緒に、BankART NYKの大晦日煉瓦キッチンに行きました。
運河の対岸に赤レンガ倉庫を見ながら、焚火にあたってワインを飲んで。

一穂とは1月9日にサムズアップでライブをします。ぼくもとても楽しみです。
そしてそのあとすぐにニューヨークへ行きます。

友部正人
12月28日(水)「グレン・グールド」

またまたジャック&ベティにドキュメンタリー映画を見に行きました。
今日はグレン・グールドの1957年の「オフ・ザ・レコード/オン・ザ・レコード」と2009年の「天才ピアニストの愛と孤独」の2本。
2009年のほうに1957年からの映像がだいぶ使われているのに、字幕の日本語訳が全然違っていてちょっと混乱させられましたが、グレン・グールドはハンサムでかっこいい。
ユミはグールドのCDをたくさん持っているので、演奏シーンの音楽はどれも、
聞きなれたものばかりでした。
生涯独身だったといわれていたけど、一緒に暮らしていた女性がいたことは初めて知りました。

友部正人
12月27日(火)「時々自動忘年会」

下北沢ラ・カーニャで時々自動の忘年会がありました。メンバーで練習しておくから歌いにおいでよ、と誘われてユミと行きました。
忘年会というとお酒が主のような気がしますが、時々の場合はいろんな人のパフォーマンスがメイン。学芸会みたいなものか。ぼくは時々自動の人たちと「愛について」「7月の王様」「生きていることを見ているよ」を歌い、その後ぶっつけでバイオリンの向島ゆりこさんと「日本に地震があったのに」を歌って、両方ともとても良かったと思いました。

友部正人
12月24日(土)「茅野 くるみ」

去年に続き、茅野の山小屋風レストラン「くるみ」でクリスマスコンサート。
薪ストーブががんがんに燃えているにもかかわらず寒い夜。外は-7度まで下がるとか。
夜空ではオリオン座がカシオベヤがピカピカに光っていました。

今年のコンサートはこれで全部終わりです。ぼくは一年のうち半分くらいしか日本にいないのですが、日本にいるときは実によく歌い歩きました。
東北の人たちは毎月11日の2時46分には黙祷をささげるのだそうです。
今月の塩竈のコンサートのときがちょうど11日でした。その話を火星の庭の前野さんから聞いて、ぼくはとてもしんみりした気持ちになりました。11日という日は特別な日になってしまったのですね。

友部正人
12月23日(金)「トーキョー・ドリフター」

またまた横浜のジャック&ベティにドキュメンタリー映画を見に行きました。
前野健太がオートバイに乗って東京のあちこちの街頭を夜から朝にかけて歌い歩くという、「トーキョー・ドリフター」です。
雨が降っていて、街の明かりが暗く渋谷なんかも人通りが少ないのは、震災2か月後の5月の撮影だからだそうです。前野くんの歌が妙にしみました。

友部正人
12月19日(日)「大阪府立大学〜Fuzz」

夕方は大阪府立大学の教室で講義のようなことを、夜は堺のライブハウスFuzzでライブという企画でした。こんなめったにはないことを企画したのは府立大学の西田先生。

最初に酒井先生の春一番など、関西の音楽状況に関する短い話があり、
詩人で府立大の先生でもある細見和之さんがぼくに質問する形で二人で話をしました。
内容は関西フォークやぼくの歌のこと。
学生の質問への細見さんの答えがとても情熱的なのでぼくは感心して聞き入っていました。

そのままライブに流れた人もいれば、ライブだけ参加した人もいました。細見さんたち先生方もお客さんになって聞いてくれました。こんな企画もおもしろいと思いました。

友部正人
12月18日(土)「大阪 サンホール」

今年7月の東京での小谷さんとのライブがとても楽しかったので、大阪でもやることになりました。
サンホールは小谷さんがデビューする前に、デモテープを録音したライブハウスだそうです。
タイトルは「願いは叶う」。いつかぼくといっしょにライブをしたいという小谷さんの願いが叶ったという意味ですが、彼女のことをデビュー前からよく知っていたサンホールの足立くんの気持ちでもあります。
小谷さんと4曲、「明日からではなく」「奇跡の果実」「あなたはやって来る」「夕日は昇る」をやりました。ぼくの歌のキーは小谷さんには低すぎて、小谷さんのキーはぼくには低すぎるという声の問題もありましたが、キーは変えずにやりました。よかったと思います。
「あなたはやって来る」は小谷さんのクリスマスソング。サンタだけはどんな人にも平等でいて欲しいという、男女の愛を超えたラブソング。
またまた楽しかったので、いつかまた3回目をやろうということに決めました。

友部正人
12月17日(金)「京都 ソール・カフェ」

京都駅からは結構遠いけど、着いたらかなりくつろげる、居心地のいい喫茶店。
ぼくがライブをするのは2年ぶりの2回目です。
今回は午後2時からのライブなので、ユミと横浜を早く出発しました。

実は15日の朝、目が覚めたら喉がはれてしゃべれなくなっていて、16日に耳鼻咽喉科に行ったら、3、4日は声を使わないようにと言われていました。
でも、歌ってみたらなんとかちゃんと声も出たし、歌というのはどんな体調でも歌うと気持ちのいいものだと思いました。ライブの後は、すぐに大阪に移動でしたが、次回はソールカフェでのんびりとおいしいコーヒーを飲みたいと思いました。

友部正人
12月14日(水)「小谷美紗子さんとリハーサル」

誰かの家の居間のような目黒区のスタジオで、12月18日のコンサートのリハーサルをしました。
今年の7月に初めて小谷さんと南青山のマンダラでライブをして、今回はその2回目です。ぼくは小谷さんの歌はデビュー前に聞いたことがあって、日本人の女性歌手にはめずらしく、言葉にひりひりと痛いところがあって、そこがいいなあと思っていました。今回改めて初期の歌に耳をすまし、小谷さんのあまりにもまっすぐな言葉に、ぼくの心がひりひりしたことがわかりました。

友部正人
12月12日(月)「火星の庭句会」

月に一回の仙台の火星の庭句会、今年の最終回は食べ物持ち寄りで忘年会も兼ねていました。
17人もの人が食べ物や飲み物を持ち寄るとなんと豪華な忘年会になることか。
ぼくもツアーが昨日で終わり、今日は飲めるぞと思っていたから、選句が始まる前から食べ物をつまみ、日本酒を飲みました。
主催の渡辺さんが選んだ優秀句には短冊やバッヂがプレゼントされたのですが、ぼくはなにももらえなくて、ユミがバッヂをもらいました。

友部正人
12月11日(日)「塩竈 ビルド・スペース」

ビルド・スペースは塩竈の海の近くにあるギャラリーで、震災で被害に合いました。
ギャラリーの中にも泥が入り込んだそうです。比較的早くギャラリーを再開できたのは、ビルドというのがエスペラント語で鳥という意味だったからかもしれません。
いつまでも立ち止まっていないで、空に飛び立とうよ、という意味で。
歌いながら、ギャラリーの白い空間は、音楽に耳を澄ますのにもぴったりだと感じました。

友部正人
12月10日(土)「弘前 アサイラム」

前回のアサイラムは12月というのに大雪でしたが、今回は雪はなし。
代わりに夜空では皆既月食の豪華なショーが見られました。
めずらしい月食のパワーのせいか、今夜は何を歌っても気持ちよく楽に歌えました。

友部正人
12月9日(金)「盛岡 クラムボン」

小さなコーヒー屋ですが、ライブで人がぎっしりになっても気持ちはゆったりとしている、騒がしい世間のあまり入って来ないお店です。
でも、壁を使って美術の展示をする人はいても、ライブをする人は少ないでしょう。
そういう意味では、クラムボンはぼくだけの特別な場所だと
思っています。昼間クラムボンで働いている女性から、3月の震災の後、ぼくの「クレーン」を毎日聞いていたと聞いてとてもうれしかった。

友部正人
12月8日(木)「エンディングノート」

横浜の映画館ジャック&ベティにドキュメンタリー映画「エンディングノート」をユミと見に行きました。定年退職した後、末期がんが見つかり、自分のお葬式までのだんどりを自分でするという主人公を末娘が撮影しています。
90歳近い両親のいるぼくとしてはとても気になる映画でしたが、見た直後、とてもさっぱりとした気分になりました。さて、自分のこととなると、こんなにてきぱきとできるのかしら。

友部正人
12月4日(日)「西宮 フレンテホール」

西宮に住む身体障害者の中川くんが、介助の若者たちと共に企画してくれたコンサートです。
中川くんの言葉は慣れない人にはちょっと聞き取りにくく、最初はほかの人に開演の挨拶をしてもらおうと考えていたようですが、ユミに、そういうのは自分でやった方がいいよ、と言われて、介助の若者にときどき通訳されながら中川くんが挨拶をして、コンサートは始まりました。
小ホールに40人のお客さんは少なすぎるけど、いざ始まってしまうと、40人でも十分なのでした。
西宮でぼくが歌ったのはこれが初めてかも。普段コンサートが全然ない町らしいので、来年から毎年やろう、とぼくは、中川くんを激励して帰ってきました。

友部正人
12月3日(土)「瑞浪市 待夢」

待夢のオーナー、今井さんはとてもおだやかな笑顔の方なのに、コーヒーの話になるととたんに迫力が出ます。34年も喫茶店をやってきて、コーヒー一筋に生きてきた人なのだと思います。そんな今井さんが5年前から、陶芸家の大泉讃さんと一緒に、瑞浪でぼくのライブを企画してくれています。
そして毎回お客さんもたくさん集めてくれます。毎年家族で聞きに来てくれる人の顔もわかるようになりました。

友部正人
12月2日(金)「伊勢 カップジュビー」

伊勢神宮、内宮のおはらい町通りにある喫茶店「カップジュビー」。
今年の春にセカンドアルバムを出した店主の外村くんがまず歌いました。
アルバムが出てたくさん歌っているのか、歌と声の調子がよさそうでした。

ぼくは休憩を入れずに1時間半ぐらい歌いました。最後に外村くんとのセッションの準備のとき、休憩を入れなかったことを思い出して、喉の乾いた人は今このときが注文のチャンス、とあわてて勧めたのでした。
外村くんとのセッションはアンコールも入れて4曲。
「地球の一番はげた場所」「ライク・ア・ローリングストーン」もやりました。

友部正人
11月30日(水)「ラキタ、奇妙礼太郎、小野一穂」

青山の「月見ル、君想フ」で、ラキタと一穂が一緒にライブをすると聞いてユミと聞きに行きました。
二人の演奏はもちろんとても良かったし、最後に歌った奇妙礼太郎くんも、ぼくは初めてだったけど、とても面白い歌でした。
小野一穂がトップバッターで、「綿帽子」の中の曲を中心に50分ぐらい。ぼくの息子ではあるのですが、しゃべりのうまいところは全然ぼくに似ていない。
ラキタは先日沖縄でソロを何曲か聞いたばかりだけど、やっと今夜ちゃんと聞いたことになります。
魂の深いところから声が聞こえてきて、それが聞き手にもちゃんと伝わっているようなのです。
奇妙くんはオリジナル曲というよりも、自由自在な演奏とおしゃべりで観客を魅了していました。
三人三様のライブが楽しめてぼくたちは二人とも大満足。

友部正人
11月29日(火)「東京中低域」

横浜サムズアップで、すっかりメンバーの入れ替わった東京中低域のライブを見ました。
ゲストはムーンライダーズの鈴木博文さん。
東京中低域は水谷紹を中心にした世界でも珍しいバリトンサックスのみのバンド。
一部の3曲目ぐらいで早々とゲストの鈴木博文さん登場。
代表曲の「大寒町」をバリトンサックスの伴奏で歌いました。
二部では12人のメンバー全員が客席に繰り出して演奏。全員黒ずくめの衣装なので、ステージから降りて客席を大きなバリトンサックスを吹きながら歩く様は、たとえは悪いけど墓場から出てきた生霊たちのよう。

本当に久しぶりに聞いた東京中低域、紹くんのブラックなユーモアは相変わらずだったし、東北の被災地に向けたかのような歌、「届けよう」は明るい中にも切実なものを感じさせてとても良かったです。

友部正人
11月27日(日)「吉祥寺 スターパインズカフェ」

久し振りのスターパインズカフェでのライブはソロでした。4月はリクエスト大会だったので、今回はぼくが歌いたい歌を思いっきり歌うつもりでした。
「老人の時間 若者の時間」から始まって、1時間15分歌った後に休憩。
「水門」や「ダンスホール」で少し歌詞を間違えました。
後半は新曲を中心にやって、全体で3時間のライブでした。
アンコールでは水谷紹くんに久々に来てもらい、「こわれてしまった一日」と「6月の雨の夜、チルチルミチルは」を、2回目のアンコールではサム・クックのカバー、「Bring It On Home To Me」を二人でやりました。
紹くんは16日に会ったときに、「こわれてしまった一日」を演奏しに来てよ、と突然頼んだのですが、仕事の帰りに吉祥寺まで駆けつけてくれました。
リハーサルもなしのぶっつけ本番でしたが、予想外の紹くんの登場にお客さんもとても喜んでいました。
ぼくは一人でのんびりと歌えたことが今日の収穫でした。

友部正人
11月26日(土)「監督失格」

横浜の映画館ジャック&ベティにドキュメンタリー映画「監督失格」を見に行きました。
AV女優だった元彼女が酒と睡眠薬で事故死して、その後残された映画監督が自分の気持ちにたどり着くまでの心のロードムービーです。
ぼくもユミも、死んだ娘を発見した夜のお母さんの慟哭にまだとりつかれています。

友部正人
11月24日(木)「加古川 チャッツワース」

ホテルをチェックアウトして「風羅堂」へ。「風羅堂」にはコーヒーの飲めるちいさなカウンターもあって、いわゆるブックカフェなのです。
ユミが探している本はなかったけれど、ぼくは前から欲しかったアラン・ローマックス選集をみつけたので、買いました。

昼下がりの電車で加古川に移動。「チャッツワース」でお昼をごちそうになりました。デザートのフルーツパウンドケーキがおいしかったので、ユミは自宅用に一本買っていました。
ライブが始まる7時まで、そんな風にゆっくり過ごしました。
毎年ぼくを呼んでくれる岸本さんは、今年のライブは平日だったからか、お客さんがいつもより少なくて、とちょっと悔しそうにしていましたが、ぼくはのびのび歌いました。

友部正人
11月23日(水)「姫路 書肆風羅堂」

ぼくの古くからの友人で姫路の詩人大西隆志さんが、今年の春に開店した古書店「書肆風羅堂」でライブをしました。本屋でのライブは本棚を移動させたりしなくてはならなくて準備が大変そうですが、大西さんは自分も音楽をやっていることもあり、ライブにはとても意欲的です。
限定30人という狭いスペースに35人ぐらいの人がつめかけ、熱心に聞いてくれました。
姫路は久しぶりだったので、うれしかった。

友部正人
11月22日(火)「リクオくん、おおはたくん」

リクオ、バンバンバザールの福島くん、梅津和時さんとお昼を食べながら座談会をしました。それぞれの昔話や近況が聞けて楽しかった。
何のための座談会だったのかは来年のお楽しみ。

夜は横浜のサムズアップに、おおはた雄一くんのライブに行きました。
おおはたくん単独のライブを聞くのは今回が2回目。オリジナルもカバーもなんでもござれ、という感じで、のびのびとギターを弾き歌っていました。見ているだけで楽しく、うらやましくもありました。
ぼくとユミが来ているのを知らずに「水門」を歌ってくれて、それがうれしかった。
声もギターも、音色の美しい人です。

友部正人
11月20日(日)「甲府 桜座」

三宅伸治くんと二人で、「ロックンロール、やってます」のライブをしました。
会場の桜座は初めてでしたが、古い芝居小屋のような雰囲気があってすてきでした。
久しぶりなのに大きなミスもなく、お互いに新鮮さをかみしめながらできたような気がします。
「やっぱりたまにはやらなくちゃね」とぼくは思いました。
一部の最後のソロのところでは三宅くんもぼくも、今年3月の地震の後にできた新しい歌を歌いました。三宅くんの新しい歌、意識的にとても生々しく作ったような気がしました。
ユミは楽屋で三宅くんに「JUMP」をリクエストして、歌ってくれたので喜んでいました。
内緒にしていましたが、今日はユミの誕生日でした。

友部正人
11月16日(水)「クレーの天使」
渋谷クアトロで、矢野誠、ひらたよーこのコンサートがありました。
ゲストは谷川俊太郎と水谷紹。
一部は谷川さんの詩集「クレーの天使」から18篇、矢野さんとひらたさんが曲をつけたものを二人で歌い、演奏しました。そこに谷川さんが朗読で参加したり、水谷くんがギターを弾いたりするのです。
二部はやはり谷川さんの詩に曲をつけたものを集めたアルバム「少年」から5曲やりました。
一部がかなり長く、二部が短い、変わった構成でした。
「クレーの天使」は名古屋クアトロでぼくがゲストに呼ばれたときに聞いたけど、今夜は谷川さんがいて朗読したこともあり、詩が情景としてより強く伝わってきました。

友部正人
11月13日(日)「那覇市桜坂劇場 アサイラム2011」

11月11日から始まっている「アサイラム2011」の最終日です。ぼくは4時ごろから50分ぐらい歌いました。
後半に地元のブルーグラスのバンド「宜野湾カントリーズ」と一緒に、「地獄のレストラン」「朝は詩人」「夢がかなう10月」を演奏しました。
選曲は彼らがしてくれて、普段ぼくはこういった地元のバンドとのセッションをしないけど、彼らの選曲がうれしかったのでやりました。
とてもいいバンドで、今度は別の曲もやってみたいです。

「アサイラム2011」は沖縄と弘前の交流から生まれたイベントで、コンサートだけではなく、東北大震災のレクチャーや奈良美智さんのスライド上映などがありました。沖縄と弘前は離れているけど、「言葉つきがなんだか似ている」とユミは言うのでした。 
打ち上げではタテタカコさんや奈良さん、バンバンバザールや地元のミュージシャンたちと話ができてうれしかった。

友部正人
11月12日(土)「東村高江 やまがめ」

米軍のヘリパット基地建設に反対する住民がゲート前を占拠しているすぐ近くの、「やまがめ」というカフェの駐車場でライブをしました。
カフェといっても山の中にあり、国道からはハブのいる山道を歩かなくてはなりません。夜になって照明が当たると、見慣れない南国の木々は魔力を持っているかのようです。

今日も最初に片岡くんが歌い、その後ぼくが歌いました。会場には食べ物の店もできて、子供たちも大勢走り回っていました。
ヘリパットで座り込みをしている人たちも来てくれたし、歌手のUAさんも家族全員で来てくれました。 
終演後の打ち上げで、「やまがめ」のご夫婦、げんさんと雪音さんがライブに感動してくれたことがわかり、ぼくもうれしくなりました。
ユミは酔っ払いげんさんの人柄がとても気に入ったようです。

友部正人
11月11日(金)「今帰仁村 結家」

いきなり沖縄から書いています。今日から3日間、沖縄ツアーです。今日はその一日目。
本島北部の今帰仁村(なきじんそん)にある海辺のゲストハウス「結家(むすびや)」でライブをしました。
今日と明日の会場を準備して呼んでくれたのは、高知出身のシンガーソングライターの片岡まさのりくんです。
彼は高知と沖縄で半分ずつ生活しているそうです。
ライブは片岡くんのソロから始まり、途中で高知からやって来た高須賀満さんが1曲歌いました。
お客さんはみんなくつろいだ様子で、床に寝そべって聞いている人もいました。
9月22日以来ライブをしていなかったぼくは、久しぶりのせいか、どの歌も新鮮に思えました。
休憩をはさんで2時間ぐらい歌いました。

ライブの後、宿のオーナーのゆいさんに誘われ、ユミや片岡くんとすぐ裏の海辺に行きました。
満月が明るく、砂の上にはくっきりと人影が映り、もしかしたら本だって読めたかもしれません。
その荒涼とした風景に、ユミはアイルランドの景色を想像したみたいでした。

友部正人
11月9日(水)「帰りました。」

日本に戻りました。YCATから乗ったタクシーの運転手に「横浜は寒いでしょう」と言われましたが、
気温も高いし、それほど寒くは感じませんでした。が、次第に冷気を感じるようになったのは、全身にまとわりつく湿度のせいでしょう。「横浜は寒いよ」と、すぐにストーブをつけました。

友部正人
11月6日(日)「ニューヨークシティマラソン」

一年ぶりにフルマラソンを走りました。ニューヨークマラソンは10回目です。
今日は例年より少し暖かく風もなくて走りやすかった。
結果は、去年よりほんの少しだけ速い3時間14分40秒で、自己更新記録でした。
ハーフまでちょっと飛ばしすぎたけれど、結果的にそれがよかったのかもしれません。

先日倒れていたユミも、すっかり元気になって、今日はたくさんの友だちと一緒に、ファーストアベニューとセントラルパークの二ヶ所で応援してくれました。
朝3時半起きなので、長い一日でした。まだ午後10時ですが、もう寝ます。

友部正人
11月2日(水)「少し回復」

ユミはまだジュースとヨーグルトぐらいしか口にしないけど、徐々に回復しつつあります。
熱もなくて風邪でもないようだし、病気の原因はわかりません。
ユミは消化不良かな、と言ってますが、今まで吐くことなんてなかったので、
本人が一番びっくりしています。

来週には帰国します。戻ってすぐに沖縄でライブがあるので、そろそろ歌っておかないと声が出ないため、毎日部屋で歌っています。
今日は階下の声楽の先生の部屋から聞こえてくる素晴らしいオペラのレッスンに
対抗して一時間ほど歌いました。

友部正人
11月1日(火)「ユミの体調不良」

セントラルパークを半周したところで、ユミが走れなくなり、ぼくだけ一人で一周したんだけど、その後待っても待っても来ないので、探しに行こうとしたら、胃のあたりを押さえ、凍えそうになってとぼとぼ歩いていました。時々ベンチにへたり込んでいたそうです。
抱きかかえるようにしてなんとか歩いて家まで戻りましたが、ソファに倒れこんで、吐いて、そのまま眠ってしまいました。原因はわからないけど、なんだかひどい様子です。

友部正人
10月30日(日)「Mic Check」

今朝のセントラルパークの5マイルレースが、昨日の雪嵐の影響で中止になりました。
公園に行ってみると、あちこちで木の枝が折れて道をふさいでいたりして、
けっこう大変な被害だったようです。
セントラルパークには24000本もの木があって、そのうちの1000本ぐらいがダメージを受けたそうです。20メートル級の大きな木も多く、枝が折れたりすると危険です。

ユミが、昨日の雪でオキュパイ・ウォールストリートの人たちはどうしてるかな、というので、午後から見に行きました。相変わらずすごい人。
みんなが本を持ち寄って作ったPeople's Libraryに置いてある本ばかりぼくは見ていました。
ライブラリーの反対側のコーナーでは、「マイク・チェック」といって、何人かの人が壇上に立ちスピーチしていました。生声でしゃべるのを、聞いている人たちが一言一句そのままなぞるので、人間拡声器などといわれていましたが、正確には「マイク・チェック」というそうです。
オキュパイに参加している息子を探している親の電話番号もそのまま「マイク・チェック」するのでおかしかった。

帰り道、ぼくはMoMAに、ジャック・プレベールが脚本を書き、マルセル・カルネが監督した映画「Port of Shadow」を見に行きました。街のチンピラに銃で撃たれたジャン・ギャバンが、恋人に抱かれて死ぬ間際、「早く、時間がないよ」と別れのキスをするのでした。

友部正人
10月29日(土)「雪になりました。」

ニューヨークシティマラソンまであと一週間です。今日はぼくが参加しているランニングクラブの練習で、マラソンコースの最後の16キロを走りました。
今日は朝から1℃ぐらいで寒く、おまけに雨まで降っていました。
その雨は途中から雪に変わり、セントラルパークのゴールに着く頃にはぼくの帽子にも雪が積もっていました。
まだサマータイムだし、セントラルパークの紅葉もピークじゃないのに。
10月に雪が降るのはニューヨークでも59年ぶりだそうです。

雪は午後になっても止まず、ユミはカメラを持って買い物に、ぼくはWFMUというラジオ局が年に一度やっている中古レコードフェアにチェルシーまで出かけました。
毎年ここでは、他では見たことのないような珍しいレコードにたくさんでくわします。
でも、欲しいなあ、と思うレコードはやっぱり高い。明日もう一度行ってみるつもり。

友部正人
10月27日(木)「寒くなりました。」

今日は一日中雨。雨が止んで夜には気温は4℃ぐらいまで下がりました。
なぜか、毎年ハロウィンのパレードがある10月末になると必ず寒くなります。

リンカーンセンター・チケッツのフリースペースで「Poets out Loud」という詩の朗読会がありました。約300席の会場は満席、日本の詩の朗読会とは大違いです。
最後にJ.D.McClatchyという詩人が、日本の東北地震をテーマにした短歌を詠みました。
英語で書くと、短歌も長くなってしまうようですが。

友部正人
10月24日(月)「再び、アンナ・ボレーナ」

主役がアンナ・ネトレプコからアンジェラ・ミードに替わるというので、再びラッシュ・チケットで「アンナ・ボレーナ」を見に行きました。でも今日は前回ほど長時間並ばなくても余裕で買えました。
何も同じ演目を3回も見なくてもいいと思うけど、どうやらユミがこのドニゼッティの音楽にはまったようなのです。何回聞いてもいいらしい。それに、同じものを見ると、いろいろ新鮮な発見もあったりします。映画もそうだけど、一回見ただけでは実は半分ぐらいしか見ていないのかもしれません。
アンジェラ・ミードはまだ新しい人だそうですが、歌はうまく声もきれい。だけどずいぶん太っていて、動きがほとんどないのが残念でした。

友部正人10月23日(日)「新聞や本から」
トム・ウエイツの7年ぶりの新作が出るそうです。マーク・リボーやキース・リチャーズ、いろんな人がゲストで入っているみたい。今日のニューヨークタイムズ日曜版に載っていました。
80年代に入ってサウンドが大きく変化したのは、結婚したキャスリーン・ブレナンの影響といわれていますが、キャプテンビーフハートなんかも参考にしたみたい。
そういえばよく似ているなあと思ったことがあります。

ニューヨークタイムズマガジンの表紙とインタビュー記事は村上春樹でした。
「1Q84」を書くときに、ジョージ・オーウェルの「1984」を再読したけど退屈だったそうです。
まだざっと読んだだけですが、「人々はアメリカをもう理想のモデルだとは思っていない。
ぼくたちには今どんな理想のモデルもない。今度はぼくたちが新しいモデルを打ち立てる番なのだ」という発言が印象に残りました。

ニューヨークに来る前に、細川周平さんが送ってくれた、ブラジル移民作家、松井太郎の「うつろ舟」を読みました。松井太郎は19歳のときに家族とブラジルに移住して、60歳から小説を書き出した小説家で、94歳になった現在も作品を執筆中だそうです。
「うつろ舟」という長編は、新しい女性が登場するたびに物語がころころと前に進んでいって、なんだか映画を見ているような気がしました。映画化したらいいのにとも思いました。

友部正人
10月22日(土)「ジリアン・ウェルチ」

ぼくのアパートのはす向かいのビーコン・シアターで、ジリアン・ウェルチのコンサートがありました。7月にチケットを買ってから、ぼくもユミもずっと楽しみにしていました。
久しぶりのNYコンサートで、チケットはすぐに売り切れた模様。
友だちのメグも夕方からうちにやってきて、軽くご飯を食べてから3人で会場に向かいました。

ステージにはマイクが二本立っているだけ。誰もいないとのど自慢大会みたいだけど、ジリアンとギターリストのデイビッドがその前に立つとちゃんと絵になるから不思議。
マイクのコードなどは絨毯のふちに隠し、妙にすっきりとした舞台に、カウボーイハットのデイビッドとウエスタンブーツのジリアンが立つと、なぜかぼくは「ツイン・ピークス」を思い出したのでした。

コンサートは二部になるとリラックスしてきて、ジリアンがブーツを鳴らして踊ったり、ジリアンが3才のころ、風の強い日にビーコン・シアターのすぐ近くのウエスト・エンドを、母親と歩いたときのことを話したり、デイビッドはウッディ・ガスリーの「わが祖国」を歌い、客席から「occupy!」と声援が飛んだり。
ぼくは夢中になって見ていたのか、コンサートはあっという合間に終わってしまいました。
アンコールで意外だったのは、ジェファーソン・エアプレーンの「ホワイト・ラビット」をやったこと。古さと新しさが融合したジリアンの音楽の秘密に触れた気がしました。

友部正人
10月21日(金)「アニマ・クローディング・マイヤー」

まさかこの人の演奏が生で聞けるとは思っていなかったので、びっくり。
新聞で見つけて、会場のコミュニティ・チャーチに向かいました。
ゴスペルとジャズを融合したような自作曲をピアノソロで演奏しました。
鍵盤を連打する瞑想的な曲調のものにはちょっと退屈したところもあったけど、リズムのがっしりとしたスケールの大きな演奏は、とても素敵でした。
日本でも何枚かのアルバムを見つけたことはあったけど、本人の生演奏に出会えるのは、やっぱりニューヨークだからです。ラッキーでした。

友部正人10月20日(木)「明日の友」

「明日の友」194号、が日本から届きました。婦人之友社から隔月で出ています。
巻頭に書きおろしの「歌は歌えば詩になって行く」というぼくの詩が載っていて、歌と詩の接点について、谷川俊太郎さんの短いコメントもあります。
この詩を書いたのは7月の終わりごろでした。雑誌が発売になる前に、詩に曲をつけたので、時々人前で歌ったりもしました。今はレコーディングのことを考えています。
特集が「身辺整理」。ちょっとぐさっとくるタイトルですね。
ぼくぐらいの年代を対象にした雑誌なのでしょう。読めば役に立つ雑誌です。

友部正人10月18日(火)「アンナ・ボレーナ」

もう一度アンナ・ネトレプコを見ておこうと、オペラ「アンナ・ボレーナ」のラッシュチケットに12時半から並びました。だいたい50番目ぐらいでした。
今年最後のアンナの舞台です。普通のチケットはもうとっくにソールドアウト。
ラッシュチケットというのは当日の開演2時間前に20ドルで150枚だけ販売されるチケットです。
一人2枚まで買えるのですが、今夜のような人気のある演目には午前中から人が並んでいます。
持って行った折り畳み椅子に座って、ユミと本を読みながら待つこと5時間。
(ぼくは隣の市立図書館で時間をつぶしたりもしましたが。)
友だちの分も入れて3枚買いました。おかげで本が一冊読めました。
少し前に一度見ているので、ストーリー展開もよくわかっていて、演技や歌い方のちょっとした違いを発見する余裕までありました。
オペラのおもしろさが少しわかってきたのかな。
次は来週からのアンジェラ・ミード(ソプラノ)の「アンナ・ボレーナ」にも行ってみようか、
とユミと話しています。

友部正人
10月17日(月)「ファビアン・アルマザン」

近くのアップルストアの前を通ったら、キューバ出身の若いピアニスト、ファビアン・アルマザンのインストア・ライブがあるのを見つけました。
もうすぐ発売になるというアルバムを視聴したら良かったので、ライブを聞きに行きたいなと思っていたところだったから、とてもラッキーでした。
演奏はトリオで40分ぐらいでした。インストアなので音はそんなによくなかったけど、一番前で聞けたし、演奏はとてもよかった。

友部正人
10月15日(土)「Occupy Wallstreet」

ズコッティ公園の持ち主の不動産会社が、公園の清掃を理由に、占拠している人たちを排除しようとしたけど、結局それは回避されたみたい。占拠している人たちは、徹底抗戦するつもりだったから、もし実行すれば大変なことになっていたかも。

ウォール街からのデモ隊と、Occupy Wallstreetに賛同する人たちがワシントン・スクエアで合流するというので、12時ごろユミと行ってみました。
デモ隊は2時近くまで到着しなかったけど、待っている間、学生や労働組合の人たちの自己紹介や運動の紹介の輪に入って話を聞いていたら、おもしろかった。
スピーチしたい人は一人ずつ前に出て行って、二分間ぐらい話します。
台の上で話す人はマイクは使わないけど、ワンセンテンスごとに、聞いている大勢の人がそのまま唱和するので、後ろの方にいる人たちもよくわかります。
日本では見たことのない、とてもいい方法。
やがて2000人ぐらいのデモ隊がちゃんと凱旋門をくぐって到着しました。

帰り道、家の近所のスリフトショップに寄ったら、子供の本をたくさん売っていて、持っていなかったセンダックやウンゲラーの絵本を買いました。

友部正人
10月13日(木)「The Low Anthem」

Iron and Wine のライブのオープニングアクトに、The Low Anthemが出るので、友だちに誘われて行きました。会場はターミナル5。
スタンディングでぎっしり1000人は入っているライブハウスで、おとなしいLow Anthemの音楽を聞くのはつらかった。ぼくとユミは後ろのバーカウンターの方にいたので、周りのおしゃべりがうるさくて、ほとんど聞こえない状態。いい感じのバンドだったので残念です。
メインのIron and Wineは、期待していたけど、すぐに飽きてしまった。
ステージの演奏と、満員の客席があまり結びつかない感じ。
ライブに行って途中で帰るのは本当に珍しいことだけど、帰りました。

友部正人
10月12日(水)「冷蔵庫とアンナ・ネトレプコ」

15年使ったGEの冷蔵庫が今にも壊れそうだったので、せっぱつまって月曜日に買った冷蔵庫がお昼頃アパートに到着しました。アメリカで家具や電化製品を買って、時間通りに配達されるのは初めてです。ベッドのマットレスのときは結局予定日の翌日になり、配達料を無料にしてもらったこともありました。

冷蔵庫が予定通りに来たので、ユミがとても行きたがっていた、アンナ・ネトレプコのサイン会にリンカーン・センターへ行きました。
アンナは2時間ぐらい遅刻して到着。ぼくはサインをしてもらったとき、アンナと一緒に写真を撮ってもらいました。ユミが撮ってくれたのですが、ちょっとした宝物です。

友部正人
10月11日(火)「アンディ・アーバイン」

アイルランドのフォークシンガー、アンディ・アーバインと久美子さんがニューヨークに来ました。
アンディと久美子さんはこの9月に日本で結婚式をあげたばかり。
ニューヨークではマンハッタンで2回、ブロンクスで1回ライブがあります。
ライブの前に我が家に遊びに来たので、一緒に日本そばを食べました。

夜にはユミと、ロワーイーストサイドにあるライブハウスにアンディのライブを聞きに行きました。アンディはブズーキーで細かくフレーズを弾きながら、アイルランド特有のメロディを朗々と歌い、とてもいい感じでした。
ウッディ・ガスリーが好きだと言い、物語のような長い歌を歌います。
英語の歌詞がもっと理解できればもっと楽しめるのに、と思いました。

ライブ後にアンディと久美子さんと食事をして、地下鉄でアップタウンに一緒に帰る途中、
ぼくはたまらなくトイレに行きたくなり、ひとりロックフェラーセンターで途中下車。
セントラルパークの木影で立小便をして、公園を抜けて歩いて帰ろうとしたら、パトカーが来て呼び止められ、深夜1時〜朝6時までは公園内は立ち入り禁止と
注意されました。以前はそんな規則はなかったのでびっくり。

友部正人
10月9日(日)「ハーフマラソンとジョン・レノン」

スタテン・アイランドのハーフマラソンに出ました。結果は1時間34分07秒で、
年代別では1位でした。朝まだ暗いうちにスタテン・アイランドにフェリーで渡り、
レースが終わって、まばゆい光の中をマンハッタンに帰る。
フェリーの短い旅は、そのまま時間が止まればいいのにと思うぐらいきれいでした。

午後はクイーンズからメグが遊びに来たので、セントラルパークでのんびりしました。
今日はジョンの誕生日なので、ストロベリーフィールズに行ってみました。
イマジンのモザイクのまわりではぎっしりの人たちがいくつかのグループに分かれて、ビートルズソングを歌いまくっていました。ジョンにそっくりの人もいて、楽しそうでした。

友部正人
10月6日(木)「メトロポリタンオペラ」

今話題のオペラ「アンナ・ボレーナ」の当日立ち見券を買いに、朝からユミとリンカーンセンターのメトロポリタンオペラへ行って並びました。3時間半の作品なので本当は席で座って見たいけど、チケットはもうすでに全公演ほとんどソールドアウトなので仕方ありません。
ユミ念願のアンナ・ネトレプコ、やっと生の歌声が聴けるので、朝からもう盛り上がってました。

午後2時にMoMAで直太朗くんたちと待ち合わせ。MoMAを2時間ぐらいかけて見て、その後その近くの画廊でやっているニキ・ド・サンファールの回顧展に行きました。
ニキの制作した椅子に座って一休み。 
セントラルパークを横切り、リンカーンセンターの近くの中華料理屋で腹ごしらえ。
隣のアップルストアの前には、前日に亡くなったスティーブ・ジョブズさんへの花束の山。

「アンナ・ボレーナ」はマリア・カラスで有名なドニゼッティの作品で、今一番人気のソプラノ歌手、アンナ・ネトレプコがアンナを演じます。
イギリスのヘンリー8世のお妃、アンナのかわいそうな話。前半は満腹だったこともあり、ぼくは立って見ているのがつらかった。でも二部になると、物語が緊迫してきたこともあり、立っていることも忘れて夢中になって見ていました。
ユミはラッキーなことに、一部が終わって帰るという通りすがりのご婦人から前から8列目のチケットをもらい、二部は座って見ることができました。
長い髪を手で束ねて持ち上げて、自ら断頭台に向かうアンナの後ろ姿、かわいそうだけどとても勇ましかった。
そして何よりも主役のアンナ・ネトレプコの歌が素晴らしく、最高のオペラでした。
直太朗くん、御徒町くんも大興奮、大感激していました。

友部正人
10月5日(水)「リチャード・セラとジャック・エリオット」

今朝も直太朗くんたちと4人でラン。今日はハドソン河に沿って72丁目から往復1時間のメニュー。
復路の最後はぼくと直太朗くんで全速力でした。
また我が家で朝食の後、午後4時に待ち合わせて、地下鉄でチェルシーのギャラリー街へ。
リチャード・セラとニック・ケイブ(歌手ではない人です)、マシュー・バーニー、アンディ・ウォーホールを見ました。セラの巨大なる新作、すばらしかった。
ハイラインパークを歩いて15丁目のチェルシー・マーケットでタイフードを食べました。

夜8時からは、ハイラインボールルームでランブリング・ジャック・エリオットのライブ。
4月の日本公演をキャンセルしたことを、ジャックはぼくに謝っていました。
あんな大惨事の直後にとても歌いには行けないと思ったのだそうです。
久し振りにジャックと話ができました。カリフォルニアに遊びにおいでと言われたので、来年こそは遊びに行こう、と思いました。

御徒町くんが詩の朗読をしているようなカフェに行きたいというので、タクシーでバワリー・ポエトリー・カフェに。この夜の出し物は詩ではなく、ミュージカル仕立てのコメディだそうで、ぼくとユミは帰りましたが、二人は残って最後まで見たそうです。

友部正人
10月4日(火)「セントラルパーク・ラン」
昨日からニューヨークに来ている森山直太朗くん、御徒町凧くんと朝の8時にコロンバスサークルで待ち合わせて、ぼくとユミと4人でセントラルパークを一周走りました。
その後ぼくの家で朝ごはん。
直太朗くんたちと5月に会った時に、今度一緒にセントラルパークを走ろう、と話したのですが、ほんとに二人はニューヨークにやってきたのでした。

午後再び彼らと、メトロポリタン美術館で待ち合わせ。
まずは近くの画廊でやっている、ボブ・ディランの絵の新作展を見に行きました。
「アジアン・シリーズ」と名付けられた絵の数々、最近のアジア・ツアーの最中に描いたそうです。
メトロポリタン美術館に2時間ぐらいいて、その近所のカフェで一服。
ぼくとユミはそのままうちへ帰り、彼らはブルーノートへと出かけて行きました。元気!

友部正人10月2日(日)「公園占拠」

ウォール街の近くの公園を、アメリカのさまざまなところから集まった若者たちがもう2週間も占拠しているニュースを読んでユミと二人で行ってみました。
ズッコッティ公園は小さな公園で、まわりを高層ビルに囲まれそこだけ井戸の底のようです。
すぐ近くのウォール街は侵入できなくなっていて、警官が監視していました。

公園に寝泊まりしているのは100人〜200人らしいですが、ぼくたちが行った夕方は、2000人近い人たちでそれこそ足の踏み場もないほどでした。
「オバマは社会主義者ではない。社会主義者はこのおれだ」とか、資本主義を否定するようなさまざまなメッセージボードが公園を取り巻いています。
ほんの一握りの金持ちがほとんどの富を独占していて、若者には仕事も未来もない社会にみんな怒りをぶつけているのです。
その中央では若者たちがサンドイッチを準備し、食べたい人は誰でも食べられるようでした。
輪になってギターやバンジョーで歌う人たち。ガスマスクをして、生物の危機を訴える人たち。
色紙で鶴を折る人たちのテーブルでは、ユミも鶴を折っていました。 

昨日から急に寒くなり、僕のアパートのビルもセントラルヒーティングが入って暖房しています。今日も夕方から雨が降り、今夜も摂氏10度になる予報ですが、雨が降ろうが雪が降ろうが、若者たちはこの占拠を無期限に続けるようです。
そうなればきっと、ここでこのまま、全員がホームレス化していくに違いありません。

先週のニューヨークタイムズには、大恐慌時代のアメリカの左翼運動や労働運動のことが記事になっていて、そこにはジョー・ヒルの名前もありました。今にも誰かがウッディ・ガスリーを歌いだしそうな雰囲気です。

友部正人10月1日(土)「ハーフマラソンと宮沢章夫さんの小説」

朝9時から、セントラルパークでハーフマラソンがありました。6時ごろに起きて、準備をして、時間があまったので、宮沢章夫さんが送ってくれた新しい小説「ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集」を読んで、出だしからおもしろく、テーブルの上に用意してあった、レースのタイムを記録するD-Tagというものをうっかり靴に着けるのを忘れてしまい、気が付いたのがスタートしたときで、「ああ、今日は走っても記録が残らないんだ」と思いながらも完走しました。
タイムは良かったのだけど、がっかりです。応援に来てくれたユミもぼく以上にがっかりしていました。

昨夜からずっと雨で、レースの間だけ奇跡的にやみ、お日様も見えたのに、午後からまた激しく雨。ビールを飲み、ベッドに入って、「ボブ・ディラン・ グレーテスト・ヒット第三集」の続きを最後まで読みました。
昔ぼくとユミが住んでいたことがある西新宿の小滝橋通りが舞台で、よく買い物に行っていた丸正というスーパーも出てきて、なつかしいやらうれしいやら。
宮沢さんは人物のまわりの情景を克明に描く人で、やっぱり舞台の人なんだなあ、と思いました。
ぼくが今日D-Tagを忘れたのは、宮沢さんの小説がおもしろかったせいでもあります。

友部正人9月28日(水)「蒸し蒸し」

今にも雨が降りそうなのに、降らない状態が何日も続いています。
湿度は今日も90パーセント。
日曜日にファーマーズマーケットで買ったパン、冷蔵庫に入れておかなかったので、カビが生えて糸まで引いていました。悲しい。おいしかったのに。

友部正人
9月27日(火)「ニューヨーク」

24日の夕方にNYに着きました。よく眠れないまま、25日の朝は、セントラルパークの18マイル(約30km)レースに出て、年代別では2位でした。でも頭がおかしくなっていたのか、にやにや笑いながら走っていたような気がします。

やっと時間ができたので、聞きたかったCDや読みたかった本を読んでいます。
遠藤ミチロウトリビュートCD「赤鬼、青鬼」、おもしろかった。
「雲遊天下」に黒田征太郎さんのことを書こうと、何冊かの本を読み直しました。
大江健三郎の「ヒロシマノート」を読み直しています。
原爆を原発に置き換えて読めます。

友部正人
9月23日(金)「明日からニューヨークへ」

今日の横浜はどこもすごい人出でした。馬車道駅からBankArt NYKに向かう海岸道路は
横浜トリエンナーレのパンフレットを持った人たちでいっぱいでした。
そんな活気に満ちた街を後に、明日、ぼくとユミはニューヨークに向かいます。
今回はニューヨークシティマラソンの終わる11月の第二週まで戻らない予定です。

p.s.
11月9日までの約1か月半、CDや書籍の通信販売もストップしますので、毎回のことですが、ご迷惑をおかけします。 (友部正人オフィス)

友部正人
9月22日(木)「ダージリンの日」

kyOnと佐橋佳幸さん二人のユニット、ダージリンのコンサート・シリーズの第5弾で、ぼくが今回のゲストでした。
一部はまるまるダージリンのオリジナル曲の演奏。二人が交互に伴奏やリードにまわり、楽器だけのアコースティックな演奏が堪能できました。
二人のくだけた会話もおもしろかった。
二部はぼくも加わって三人で、本編で8曲、アンコールで1曲演奏しました。
ゲストにしては曲数が多い。「日本に地震があったのに」など新曲もやれたし、佐橋さんのリクエストで「ぼくは海になんてなりたくはない」のようにめずらしい曲もできました。ボ・ガンボスとレコーディングした「夜よ、明けるな」や「朝は詩人」などもkyOnと久しぶりに演奏できて、なつかしかった。
今回の演奏、けっこう良かったので、このままの形でまたどこかでできたらと思います。

友部正人
9月20日(火)「書評」

「アート・スピリット」という本の書評を書きました。
800字ほどの短い書評ですが本の内容が濃く、削りに削って最後まで文字数とのたたかいでした。
おかげでシンプルになったかもしれませんが。
9月29日発売の週刊文春(10月6日号)です。

友部正人
9月19日(月)「リハーサル」

22日のライブのリハーサルをダージリンと、六本木の「新世界」でしました。7曲も一緒にやるので、リハーサルはしっかりやりました。
ダージリンは元ボ・ガンボスのKYONとギタリストの佐橋佳幸さんの二人ユニット。
KYONのピアノやギターは前々からぼくは好きで、レコーディングに参加してもらったりしています。
そして今日初めて一緒に演奏した佐橋さんのギターやペダルスチールもすてきでした。
普段のソロとはまたちがう感じですが、これからのぼくのライブのヒントになるかもしれません。
22日の本番のときは仕事で来られないという佐橋さんの奥さんの松たかこさんも来て、ずっとリハーサルを聞いていてくれました。

友部正人
9月18日(日)「勝手にウッドストック 2011」

バンバンバザールの勝手にウッドストック、今年で連続10年目になるそうです。
何から何までバンバンの手作りイベント、よく続けてこられたものです。
そして今年はチケットも発売と同時にほぼソールドアウトだったとか。
ぼくは二日目の今日、午後3時ごろから40分ほど歌いました。
2曲はソロで、その後バンバンバザールと5曲。演奏も楽しかったけど、
ステージでの福島くんとのおしゃべりも楽しかった。バンバンって人を楽しくさせる人たちです。
雰囲気に酔い、ぼくもユミも泡盛をたくさん飲みました。そしてコンサートを最後まで聞いて、おおはた雄一くんやイノトモさんと一緒に相模湖駅から電車で帰りました。

友部正人
9月10日(土)「東京ポエトリー・フェスティバルと世界俳句協会大会」

10日、11日の二日間にわたる詩と俳句と短歌の国際フェスティバル、ぼくはその一日目の一部の最初に出演しました。持ち時間は一人15分。まず「弟の墓」の英訳(翻訳、八木純子)を自分で朗読して、その後ギターを弾きながら歌いました。教室のようなよく響く会場だったので、生で十分でした。
時間があったのでもう一曲「日本に地震があったのに」を歌いました。これは英訳はなし。

英語、中国語、台湾語、韓国語、フィンランド語、イスラエル語、モンゴル語など、いろんな言葉の人たちが集まっているので、翻訳や通訳は大変みたいでした。たくさんの種類の言葉をまとめて聞くのは初めての体験なので、ぼくには万華鏡のようでおもしろい経験でした。
パフォーマンスとしては、俳句の今井聖さんのが一番おもしろかった。ぼくは書評サイトBook Japanで今井さんの自伝の書評をしたことがあったけど、本人にお会いするのは今日が初めてでした。
このフェスティバルに世界から集まった人たちの日本の詩への関心は俳句や短歌に集中していて、日本の現代詩はいささか影が薄く思えました。

友部正人9月7日(水)「松本 ヌー・セカンド」

浜松から一緒だったユミが用事で横浜に戻るので、名古屋駅で別れました。ぼくはひとり松本へ。
西の山からまっすぐ降りて来た西日が、松本のメインストリートを一直線に貫いてとてもきれいでした。
空気が澄んでいるのか、日が暮れてもなかなか夜になりません。リハーサルの後入った喫茶店の壁は、6月の震度5強の地震のせいで崩れかかっていました。
さて、はじめての「ヌー」というお店で松本久しぶりのライブ。前半1時間、後半1時間半と、いつもより長めになりました。
しかもアンコールが3曲。もう少しで三部構成になるところでした。

友部正人
9月6日(火)「名古屋 クアトロ」

谷川俊太郎さんの詩集「クレーの天使」に矢野誠さんとひらたよーこさんが曲をつけて、二人で演奏をするというコンサート。
ゲストとして、ぼくと水谷紹くんが呼ばれました。
一部は「クレーの天使」からまるまる18曲。ひらたさんのボーカルとキーボート、矢野さんのピアノとコーラス、紹くんのギター、コーラスで、静かだけど熱いステージでした。
二部の4曲目からぼくが参加して、まずは「こわれてしまった一日」を4人でやり、その後ぼくと矢野さんのアルバム『雲のタクシー』
から「夕日の町から」「花」、最後に『雲のタクシー』発売後にできた「愛の列車」というゴスペル風の曲で締めくくりました。
アンコールはあえてなし。一音一音に気持ちをこめなくては歌えない矢野さんの曲に久しぶりに直面してぼくはとても緊張したけど、その分達成感もあったコンサートでした。

友部正人
9月5日(月)「リハーサル」

名古屋のクアトロで、明日のライブのリハーサル。
ぼくはゲストで、『雲のタクシー』(1994)の頃の矢野さんとの共作を3曲やる予定です。

友部正人
9月4日(日)「豊橋 ハウス・オブ・クレージー」

1年9か月ぶりの豊橋、今回は遠藤ミチロウとのジョイントでした。
最初にミチロウが歌いました。客席でぼくも聞いていたのですが、ミチロウを信頼しきったような一人の青年の表情が印象的でした。
ミチロウの後ぼくが1時間歌って、アンコールでは二人で「一本道」と「カノン」を歌いました。久しぶりのミチロウとのライブ、だけどいつから久しぶりなのかぼくは覚えていなくて、ミチロウから「だいじょうぶ?」と言われましたが、実は3年ぶりでした。

友部正人
9月3日(土)「浜松 エスケリータ68」

以前「ポルカ・ドット・スリム」をやっていた後藤さんが10年前に始めた「エスケリータ68」で初めてライブをしました。
「エスカリータ」も「ポルカ」同様にぎやかで楽しげな雰囲気のお店です。浜松駅からはちょっと遠く、車で20分ぐらいの小さな湖のほとりにあります。
場所は不便なのに、大勢の人が聞きに来てくれました。

友部正人
9月1日(木)「毎日新聞」

毎日新聞関西版の31日の夕刊に、細川周平さんがぼくの8月の「酒遊館」と「TACT/FEST」でのライブについて書いてくれました。
「日本に地震があったのに」についてもとてもていねいに書かれていて、自分のことなのに、何度も読み直してしまいました。

友部正人
8月31日(水)「水戸 ガールトーク」

雨は上がりそうだったので、小雨の中、朝、福島駅周辺をランニングしました。
ちょうど通勤通学時間でした。雨に濡れたまま通学する高校生たちがいて、えっ、大丈夫かな、と思いました。

バスでいわきまで出て、そこからJRで水戸に。
ガールトークのある水戸駅南側は昔は沼だったそうで、3月の地震のときは大変だったようです。
ガールトークの店内もだいぶ破壊されたということでした。
店内を暗くしていて、間近のお客さんの顔も見えないのがガールトークの特徴です。
音はいいし、歌の世界にひたれる感じがしました。

昨日も今日も、以前よりお客さんが少なかったけれど、また歌いに行きますからね。

友部正人
8月30日(火)「福島市 マッチボックス」

駅前に新しい道ができたりして、マッチボックスを探すのに少し苦労しました。
今回はぼく一人で福島に来ています。5年ぶりです。
でもお店に入ったら5年とほぼ同じ、そんなに時間がたったようには思えなかった。
5年前と違うのは地震と原発の事故です。
どんな歌を歌ってもここでは災害や放射能汚染に結びついていくような気がしました。
そんなつもりはなくても、福島の歌として聞こえてしまうのです。

友部正人
8月21日(日)「勝手にEXNE 音楽配信」

バンバンバザールからの呼びかけでぼくも参加した東北大震災チャリティ音楽配信の三回目が、昨日から始まっています。
ぼくの「日本に地震があったのに」もここでダウンロードできます。手順が複雑だという声もありますが、ぼくのホームページのトップから入って、Majixのダウンロードサイトへたどり着いてください。
http://www.majix.jp/artist_detail/57
ギターだけの一発録りで演奏は多少ラフではありますが、この新曲の音源は今これだけなので、ぜひダウンロードして聞いてもらえればと思います。
他にも小野一穂、イノトモなどたくさんの人が参加しています。

友部正人8月20日(土)「新・港村 Cafe LIVE」

音楽家の野村誠さんとライブをしました。会場は「BankART Life Ⅲ」が開かれている新港ピアの一番奥の広い広いカフェ空間。
最初に野村さんが、ついこの間まで半年間滞在したというインドネシアでの体験を話しながら、自作の曲、インドネシアの作曲家の曲、などをピアノと鍵盤ハーモニカで演奏しました。彼の場合、話も演奏のような力の入れようでおもしろかった。

ぼくは「クレーン」とそれ以降の新曲を中心にソロで歌い、最後に野村さんと二人で「夜は言葉」「生きていることを見ているよ」を演奏しました。野村さんの鍵盤の響きは、彼がはいていたげたのように乾いた響きで、ぼくの歌ともよく合いました。
野村さんの音はメロディやコードよりも、歌詞により近づこうとしているようで、音楽家でそういう人はめずらしいので、とてもおもしろい体験でした。機会があればぜひまた一緒にやりたいです。

友部正人8月17日(水)「花火大会」

横浜のみなとみらい海上で神奈川新聞社主催の花火大会がありました。
ぼくとユミはたまたま20日にライブをする新港ピアに行っていて、そのままそこで花火を見ました。
約1時間にわたって、次々と打ち上げられたカラフルな花火に見とれながら、
July 4thで見たニューヨークの花火と、きらびやかな日本の花火の違いをユミと話し合いました。

友部正人
8月14日(日)「大阪 TACT/FEST」
今年で5回目のこのフェスティバルに毎年参加しているのは、主催の劇団キオをのぞけば、ぼくだけのようです。
今年は震災と放射能の影響で、予定されていたヨーロッパからの参加が何組もキャンセルになり、一時は開催も危ぶまれたとか。その分、劇団キオとカナダからの「コープス」という集団が奮闘して、フェスティバルを盛り上げました。今日はその最終日。
ぼくは阿倍野区民センターの小ホールで、午後1時からと夜7時から、2回公演をしました。
この小ホールは音楽ように造られたとかで、自然な響きが心地よく、演奏しながら「やっぱりホールは気持ちがいいなあ」と思いました。

打ち上げは天下茶屋のお寺の境内でバーベキュー。出演者と主催のキオの人たちと、大勢で楽しい時間でした。
キオの劇場ロクソドンタでのぼくのライブ以来長い付き合いのキオのメンバーたちとは、ユミももはや親戚のようになっています。ということで、また来年。

友部正人
8月13日(土)「近江八幡 酒遊館」
このところ毎年夏になると酒遊館に歌いに来ています。でも今年はちょうどお盆に重なって、例年よりはお客さんは少な目でした。そんなことには全然関係なく、酒遊館はいい音でした。
ステージ脇から扇風機を緩めに当ててもらい、あまり暑さも苦にせずに歌うことができました。
でも次回は夏ではなく、寒い時期に来てみようかな。あの何もない景色の冬も見てみたいから。

友部正人
8月12日(金)「君たちといつまでも」

京都「磔磔」での三宅伸治ライブにゲストで出ました。もう一人のゲストは木村充揮。
三宅くんは「磔磔」で5日間の連続ライブをしています。今日はその中日。
木村くんとぼくがふたりで一緒に歌うのは初めてです。
前半のそれぞれのソロの後、ぼくは木村くんと「君といつまでも」「夕日は昇る」を、そのあと三宅くんと二人で「雨の降る日には」「大阪へやって来た」「はじめぼくは一人だった」を歌いました。
木村くんと二人で歌った「君といつまでも」は、ユミにもお客さんにも大うけでした。
ぼくも楽しかった。そして誰よりも首謀者の三宅くんがぼくと木村くんの共演を楽しんでいました。

友部正人
8月11日(木)「勝手にイースト・バイ・ノースイースト」

渋谷のクラブクアトロで、バンバンバザールが呼びかけ人となって、震災復興支援のチャリティコンサートが開かれました。
ライブ自体は無料ですが、入り口には募金箱が二つ、神聖な感じで並んでいました。
ぼくは最後のほうで3曲歌ったのですが、急遽「夕日は昇る」をバンバンと一緒にやりました。
福島県いわき市から来たサカモトトシユキくんの、少しやせた日に焼けた顔が心に残りました。
元々農業をしながら歌っていたのですが、震災で農業はできなくなったそうです。
彼の日に焼けた顔は、震災から5か月間の苦労を物語っていました。

友部正人
8月8日(月)「銀座」
ニューヨークの友人で画家の久下貴史さんの個展に行きました。Manhattanersという名前で、ずっと前から食器やいろんなグッズに猫の絵を描き続けている人です。
ユミは本人を知る前から彼の描く猫のファンでした。ニューヨークで知り合って、最近では久下さんは必ずぼくのニューヨーク・シティ・マラソンの応援にも来てくれます。
今回は去年死んだ愛猫のフェデリコの絵を中心に銀座の伊東屋で展覧会をしています。

その後、同じ銀座の「一枚の繪」というギャラリーに、ぼくの古くからの友人、野津手重隆さんの水彩画展を見に行きました。
野津手くんは8年前に喉の癌にかかり声帯を取ってしまったので、現在は器具を使ってしか話すことができませんが、久しぶりに会ってみて、とても元気なので安心しました。
ユミは初めて見るその器具にとても興味を持ったらしく、自分も欲しいと何度も言っていました。

野津手くんは水彩で植物や古い建物を見たとおりに描く稀有な絵描きです。対象に同化するように自分を消して、写生に没頭するそうです。油絵ならもっとリアルに迫れるのに、それを水彩で描こうとするのが彼のこだわりであり、彼の絵を生き生きと見せているところだと思います。

短いオフでしたが、12日から関西ツアーに出発します。12日は京都「磔磔」の三宅くんのイベントに、13日は近江八幡の「酒遊館」、14日は大阪阿倍野の国際パフォーマンスフェスティバルで2回公演。関西は久しぶりなので歌うのが楽しみです。

友部正人
8月7日(日)「葉山 UMIGOYA」

誘われれば絶対やりたい、海の家「UMIGOYA」のライブ、今年はクラリネットの安藤健二郎くんと二人で演奏することにしました。
といっても、演奏の決め事はないに等しく、本番でお互いの音を聞きながら、曲の雰囲気を頼りに進んでいく感じ。これが今夜はとてもおもしろく、ぼくとしては、ちょっとした進化だったように思えました。

アンコールは波の音を聞きながら「夕日は昇る」。歌いながら、ぼくは今度いつこの一色海岸の波と会えるのだろう、と思ったのでした。

友部正人
 
8月6日(土)「APIA 40」

ぼくの息子の小野一穂との初めての一緒のライブ。
渋谷から東横線学芸大学駅に移転して2年目になるというAPIAでライブをするのも初めてでした。
ぼくが渋谷アピアでよくライブをした70年代後半、一穂はまだ1歳とか3歳ぐらいで、当時我が家に出入りしていた若者たちがよく一穂の子守をしてくれたものでした。
そんな一穂とのかかわりのあった人たちも来てくれてAPIAは大入り満員。
一穂の友だちも大勢来てくれて、なんかみんながお祝いに来てくれたような雰囲気でした。
一穂とぼくが1時間ずつソロをした後は、アンコールで3曲、お互いの歌を一緒に歌いました。
ファーストアルバム「綿帽子」を録音してから1年半たって、ようやく一穂の声は歌うたいになってきました。これからが楽しみです。

友部正人
 
 
8月5日(金)「横浜トリエンナーレ2011 内覧会」

6日から始まる横浜トリエンナーレの内覧会に行きました。
横浜美術館の一階にオノ・ヨーコさんの電話の作品があって、そこに設置してある電話にヨーコさんから直接本人から電話がかかってくれば話ができる、というもの。
20秒ぐらいそこにいたけど、ぼくにはかかってこなかった。
横浜美術館を一通り見て、ユミと自転車で次の会場、BankART NYKへ。
内覧会だというのに、美術館同様ここもなかなかのにぎわいでした。
それから新港パークのBankART Life の会場へ。ここはまだ準備があまりできていなかった。
横浜のB.B STREETのブースがあって、元希くんがドラムをたたいていました。
8月20日にぼくはこのBankART Lifeの会場内でライブをします。「100パーセントの横浜、100パーセントのニューヨーク」、ぜひ聞きに来てください。

友部正人
 
 
 
8月2日(火)「アピアのリハーサル」

8月6日のアピアのライブの練習を一穂とやりました。一穂と二人でライブをするのは初めてのこと。
一穂のファーストアルバム「綿帽子」はぼくのまわりではとても好評で、ライブもたくさんやっているようです。
今回のチケットはすでにソールドアウトみたいですが、キャンセルも出るかもしれませんね。
いずれにしてもこれからも一緒にやることがあると思うので、そのときはぜひ聞きに来てください。

友部正人
8月1日(月)「オノ・ヨーコさん」

広島で楽しみなのは太田川の土手を走ること。今朝も7時ごろから1時間ぐらい走りました。
そしたら帰り道、原爆ドームのあたりを散歩するオノ・ヨーコさんを追い抜きました。
ヨーコさんは広島現代美術館で新作を含めた展覧会をしています。
ぼくは日程の都合で見に行けなくて残念に思っていたところだったので、
本人が歩いていてびっくりしました。
ニューヨークでは、ヨーコさんの住んでいるダコタアパートのすぐ近くにぼくも住んでいるのに、一度も会ったことがなかったのに、広島で見かけるなんてね。

友部正人
7月31日(日)「広島 オーティス」

毎年広島に来ると、外国人の観光客の多さに驚きます。みんな原爆記念館を見に来るのでしょうか。
その多さは京都に匹敵します。

広島のお客さんたちの歌に対する熱心な態度も心に残ります。こういうお店では、以前に何を歌ったか、
というようなことを覚えているものです。そして今年も新しい歌があって良かったな、と思ったりします。
PAの微妙な薄いリバーブがぼくの声に影響して、今夜はとても気持ちよく歌えました。

友部正人
7月30日(土)「浜田市 パサール満月海岸」
湯田温泉駅からJR特急「おき」で三保三隅まで。パサールのアキさんが迎えに来てくれました。
パサールは夏の間だけ営業している、宿泊もできる海の家です。アキさんとパートナーのナツさんは
インドネシアや沖縄に暮らしていたことがあって、そのせいかここには日本とは思えない南国の風情が
あります。食堂、居酒屋、バンガロー、イベントホール兼宿泊所などは全部手作り。毎年7月の開業まで、
準備に3か月以上かかるそうです。

浜田市は伝統的な神楽の町でもあるそうで、この日も夕方から近所の浜で神楽が始まっていました。
ぼくもアキさんたちと、ライブの後に隣町まで神楽を見にいきました。
ぼくは夜中の2時半ごろまで見てしぶしぶ帰ったけれど、神楽はそのまま明け方まで続いたそうです。

友部正人
7月29日(金)「山口市 DADA」

湯田温泉のカフェ、DADAに歌いに行きました。前はRAGという名前だったけど、それがDADAになったのは、
中也記念館ができたことにも関係があるかもしれません。音楽だけではなく、最近は詩にも力を入れている
ライブハウスです。アンコールで「石がふくらむ町」のリクエストがありました。めずらしいリクエストなので
うれしくなりました。

友部正人
7月25日(月)「ナノグラフィカ」

ホテルをチェックアウトしたぼくとユミは、ネオンホールの小川くんや、タマちゃんや清水くんのいるナノグラフィカでのんびり過ごしました。
バス通りに面しているけど、窓を開けていても通りは遠い感じがする、古い民家を利用したお店です。
売り物の風鈴が何個も同時に鳴っていて、会話の邪魔をしたり。
ナノグラフィカのある善光寺の周りには新しいお店が急激に増えたりして、トレンドだそうです。
清水くんやタマちゃんがまだ大学生のころから知っているぼくとユミは、へえー、もう40才、とかびっくりしたりながら、そば屋でおそばを食べてから別れました。

友部正人7月24日(日)「長野 ネオンホール」

2年ぶりのネオンホール。
休憩を間にはさんで2時間ぐらい歌いました。日暮れのセントラルパークを相手に歌っていた気分がまだ抜けない。
今夜のお客さんは、歌に気持ちを集中してくれているのをとても強く感じました。
ギターのどんな単音も聞き逃さない、という感じ。おかげでとても演奏しやすかった。
懐かしい友人たちも来てくれて、お店はいっぱいでした。

友部正人7月21日(木)「渋谷 伝承ホール」

19日の夜に帰国しました。台風の影響なのか、関東はひどい湿度で参りました。

戻ってからすぐにコンサートがありました。去年の秋にできたという新しいホールで、遠藤賢司さん、春風亭昇太さんとのライブです。
ステージ中央には昇太さんの高座、ここは聖域だそうです。その前でぼくと遠藤賢司が歌いました。
ぼくの出番は一番最初で、主催者からのリクエスト「一本道」も入れて35分ぐらい。
帰国前にセントラルパークで3日間歌ったせいで、いい調子でした。
昇太さんは高校時代の男子ソフトボール部の話と新作落語、自分が何で泣いていたか忘れてしまったおじいさんの話。噺家ってはっきりとものを言うんですね。新鮮でした。
最後は遠藤賢司、「満足できるかな」は今聞いても名作です。「カレーライス」のハーモニカが良かった。
最後は3人で長めのフリートーク。昇太さんの落語のおじいさんが3人集まったみたいでした。
そのまま3人で「寝図美よこれが太平洋だ」を歌っておしまいでした。
濃くて、なかなかいいコンサートでした。

友部正人7月15日(金)「歌」

もうすぐ帰国です。
帰ってすぐにコンサートがあるので、今日から気持ちを歌に向けることにします。
気温もそう高くなく風が涼しいので夕方ユミとセントラルパークに行きました。
ぼくはギターを持っていって歌ってました。ユミは写真を撮っていました。
明日の夕方も、あさっても、セントラルパークに歌いに行くつもりです。

友部正人
7月14日(木)「ZARKANA」

ラジオ・シティ・ミュージックホールで音楽劇とサーカスを組み合わせたシルク・ド・ソレイユの「ZARKANA」をユミと見に行きました。
半分はサーカス、半分はロック・オペラです。物語の中に10種類ぐらいのアクロバットが組み込まれています。
大がかりな舞台装置と大音量の生演奏が、サーカスの演技者の邪魔にならないのかしらとぼくは心配になりました。
今まではサーカスのテントがファンタジーの世界への入り口だったけど、手描きの絵をそのまま拡大したような舞台装置と映像で、劇場をテント化していました。そのスケールの大きさに、終わってもしばらくはぼうっとしたままでした。

友部正人
7月11日(月)「サマーステージ」

セントラルパークのサマーステージで、メトロポリタン・オペラのコンサートがありました。
歌手はソプラノ、メゾソプラノ、テノールの3人、ピアニストが1人です。
ソロの曲や二人で歌う曲など、選曲には工夫を凝らしていました。
最後はプッチーニの「ラ・ボエーム」、やっぱり一番良かった。
ユミはベリーニの「ノルマ」が生で聞けて感動していました。

友部正人
7月9日(土)「10キロレース」

セントラルパークで10キロのレースがありました。涼しくて気持ちのいい朝でした。
Cystic Fibrosisという難病を支援する目的のレースでした。
NYロードランナーズ主催のレースは一年中セントラルパークでやっていますが、毎回テーマがあって、病気の支援のレースが多いのです。
7000人ぐらいが参加して、ぼくは44分27秒で、年代別3位でした。

友部正人
7月8日(金)「写真展」

雨の日の「東日本大震災報道写真展」はとてもひっそりとしていました。
ぼくたちの他にはおばあさんが一人、時間をかけて写真を見ていました。
いろんな人が木の葉の形の色紙に書いた励ましのメッセージが、
ギャラリーの中央で生い茂っていました。

それからマディソン62丁目のエルメス4階のギャラリーに、川内倫子写真展を見に行きました。
閉店間際で、見に来ているのはぼくとユミだけ。
川内倫子さんの世界は、水滴や光や生き物の持つ小さなささやきに守られているそうです。
ガラス張りの丸天井を流れる雨粒も、川内さんの写真の一部のようでした。

友部正人
7月7日(木「ラウドン・ウエインライト三世」

「 40 Odd Years」というBox Setが出たのを記念して、サイン会を兼ねたミニライブがユニオン・スクエアのバーンズ・アンド・ノーブルでありました。
One Man Guyと司会の女性に紹介されていたけど、これは息子のルーファスもカバーしているラウドンの曲。どの曲もおかしみがあって、みんなつい笑ってしまうので、本当はちゃんと歌詞がわかって聞いた方がいいのだけど、ぼくとユミは外国人だと思って許してね、という感じです。
4月にニューヨークでのラウドンのライブに来ていた人を何人か見かけました。本当に彼を大好きな人だけが聞きに来るシンガーなんだな、と思います。

友部正人
7月4日(月)「花火」

独立記念日恒例の、メイシーズの花火大会を、ぼくのアパートのビルの屋上から眺めました。
ワイングラスを片手に見れて、映画みたい、と遊びに来た友だちも言っていました。
ハドソン川の6ケ所(20丁目から50丁目の間)に浮かべた船から、同じ種類の花火を同時に打ち上げていくのです。
細長いマンハッタンの地形に配慮しているんだなあと思いました。

友部正人7月3日(日)「Feelies」

ホーボーケンのマックスウエルズというライブハウスまでフィーリーズの三日目のライブを聞きに行きました。開場は狭く、立ち見の人でぎっしりでしたが、ぼくは少し早めに行ったので、壁際のベンチの上に立ってみることができました。特等席でした。

演奏には勢いがあって、ボーカルの人の声量もたいしたもの。国民の休日にしかライブをやらないバンドとは思えません。
前半にボブ・ディランの「セブンデイズ」を、後半にベルベットアンダーグラウンドのカバーをしていました。ギターのトラブルで後半の開始が遅れベースの女性があやまっていましたが、
お客さんからは「明日になってもいいよ」とか「三部も期待しているよ」とか言われ、愛されている感じのするバンドでした。

友部正人7月2日(土)「Summer Stage」

ユミとセントラルパークのサマーステージに、ロイ・エアーズとジャズ・マフィア・シンフォニーを聞きに行きました。
ロイ・エアーズは70歳のビブラフォン奏者。シャズ・マフィアは25人ぐらいの、チェロやホルンなんかもいる大編成のバンドです。
ラップの人やハーレムの音楽学校の子供たちもゲストで参加、最大60人ぐらいにふくれ上がりました。広いステージが人と楽器でぎっしり。
最後はジャズマフィアのメンバーが客席に降りてきて演奏を始め、観客はその周りで踊っていました。

友部正人7月1日(金)「ICP(国際写真センター)」
Elliott Erwittの「Personal Best」という回顧展をやっていました。ぼくが気に入って部屋に飾っているマリリン・モンローが本を読んでいる写真、この人のだったことを知りました。ぼくのはポストカードですが。

「Hiroshima Ground Zero 1945」は原爆投下の2か月後に、トルーマン大統領によって派遣されたカメラマンたちが撮った広島の街の60枚の写真と解説。アメリカによる絶滅行為を世界に知られないよう、ずっと機密にされていた資料だそうです。
写真は破壊された建物、道路、橋ばかりで、人間については全く対象にされていません。
不自然なまでの無感情な解説も、人には一切触れていません。
すべては将来爆撃にも耐えられる建物を作る際の資料にするための調査だったようです。
広島を選んだのも、ニューヨークと比較してちょうどいい人口の街だったからとか。
カタログには10倍の数の写真が載っているそうで、そちらを見たくなりました。

友部正人6月29日(水)「MoMA」

ユミとMoMAに行きました。ベルギー生まれのFrancis Alysというアーティストの展覧会がおもしろかった。
すごく個人的な関心ごとを実際にやってみて、それをフィルムや写真に残した作品です。
たとえば、大勢の人が一列になってスコップで砂をすくったら、砂漠の砂山は移動するか、とか、
拳銃をあからさまに手に持って街の繁華街を歩いたらどうなるか、とか。これは9分ぐらいで逮捕されていました。

そのままぼくは、Les Blankの映画を見ました。
「The Blues Accordin' to Lightnin' Hopkins」と「A Well Spent Life」の2本のドキュメンタリー。
ライトニングもマンス・リプスカムもテキサスのブルースシンガー。
普段の生活から話すことまで、みんなブルースみたいでした。

友部正人6月28日(火)「ルーファス・ウエインライト」

ファイナンシャルセンターのウインターガーデンでルーファス・ウエインライトとニューヨーク・シティ・オペラのフリーコンサートがありました。
次のシーズンで上演される予定のルーファス作の「プリマドンナ」というオペラから2曲と、プッチーニ、ビゼー、ワーグナーなどのアリアが、ニューヨーク・シティ・オペラの歌手たちによって歌われました。ルーファスも弾き語りで何曲か歌いました。
このごろどんなコンサートの途中で必ず眠くなるぼくも、今日はおもしろくて、ぜんぜん眠くはなりませんでした。ルーファスはジャケットに蝶ネクタイでしたが下は半ズボンで、ユミは、さすがルーファス君、と言ってました。

友部正人
6月26日(日)「ヒュー・マセケラ」

セントラルパーク・サマーステージに、南アフリカのジャズトランぺッター、ヒュー・マセケラを聞きに行きました。
会場に着いたときはもう2番目の出演者のフレッシュリイグラウンドが終わるころ。ボーカルの小柄な黒人女性はアンジェリク・キジョーのようにパワフルでした。

ヒュー・マセケラはトランペットを吹くより、たくさん歌いました。アフリカのたくさんの国の名をあげるたびに、観客が声援で答えていました。ニューヨークにはアフリカ中の人が暮らしているのがわかりました。最後に彼の代表曲「ネルソン・マンデラ」を大合唱。
今年72歳のヒュー・マセケラはとても元気でテカテカに輝いていました。

友部正人
6月25日(土)「Pride Run」

セントラルパークで、毎年恒例の「Lesbian and Gay Pride Run」5マイルレースがありました。
このレースは翌日も別の5マイルのレースがあり、参加者は普段より少し少なく、5000人ぐらい。
そのせいもあってぼくが年代別で3位以内に入れる可能性があり、入れば25ドルの賞金も出るのです。
ぼくは普段より遅いペースでしたが3位になり、25ドルの商品券をもらいました。もらうのは三回目です。
でもしばらく左足がつって動けなかった。賞金に目がくらんで張り切ったせいでしょうか。

前日の夕方、ニューヨーク州でも同性婚を認める法案が可決されたこともあって、タイミングのいいレースでした。
参加者はとてもうれしそうでした。みんながゲイというわけではないのだけれど。

友部正人
6月24日(金)「Lee Blank」

フィルム作家、Lee Blankの回顧展がMoMAで今日から始まりました。といってもぼくはこの人の映画は見たことがなかった。ただ、ジャズのトランペット奏者、Dizzy Gillespie や、ブルースのLightnin' Hopkinsのドキュメンタリーを撮っている人と知って、できるだけたくさんこの機会に見ておこうと思っています。

今日は短編ばかり7本の上映で、特におもしろかったのは、アリゾナ州の移民規制法案に反対するメキシコ人たちのミュージックフィルムと、自動車などの廃材でユーモラスな立体作品を作るアラバマの芸術家Butch Anthonyを紹介する映画でした。
上映後、監督による舞台挨拶と質疑応答がありました。

友部正人
6月19日(日)「5マイルレース」「ファスビンダー」

セントラルパークで5マイルのレースがありました。暑さのせいか、いつもよりきつかった。
ユミも途中から73歳のヨシの伴走をしていました。

MoMAにファスビンダーの映画「Fear eats the soul」を見に行きました。
移民に偏見を持つドイツ人社会と、モロッコからの若い移民の男性に恋をして結婚する60才の元ナチス党員の女性の話。おもしろかった。

友部正人
6月14日(火)「The Decemberists」

3、4か月の間に2回も見るチャンスがあるなんて。今回はブルックリンのプロスペクトパーク。
天気予報では雨で、気温も相当低くなる予定だったので、ぼくもユミもそれなりの服装と傘を用意して出かけました。
いつもなら前の方にベンチシートがあるのに、今日は全部取っ払ってオールスタンディング。
チケットはソールドアウトだったけど、友だちのメグがぼくたちの分も買っておいてくれました。

オープニングアクトが終わって、ザ・ディセンバリスツが始まった頃はだいぶ強く降っていた雨もしばらくすると止んでコンサートが終わるころにはまあるい月まで出てきました。
「20分以内には止むよ」というボーカルのコリン・メロイのおまじないがきいたのかな。
アコーディオンのジェニイがいないので、どうしたのかなと思っていたら、乳癌で闘病中なのだそうです。

ザ・ディセンバリスツは調和のとれたバンドで、音楽は映画のよう。ちょっとサイモンとガーファンクルやR.E.M.に似ていて、メロディは口ずさみやすく、歌詞はぼくにはところどころしかわからないけど、とても知的だといわれています。
くたびれたところが一つもなく、聞いていると次第に彼ら寄りのはつらつとした気持ちになります。
そしていつか西海岸の彼らの街のあるオレゴンやその上のワシントン州まで行ってみたくなりました。

友部正人
6月12日(日)「HIROMI」

ユミとブルーノートにHIROMIトリオを聞きに行きました。8時からの回。アンコールもしてくれてずいぶんたくさん聞けました。
なめらかな演奏を聴いているうちにピアノまで柔らかくなってぐにゃっとしてきました。
ぼくはなんだか船酔いしたみたいで、ピアノの演奏を聞いていてこんな気持ちになるのは初めて。
おもしろい人だなあと思いました。

友部正人
6月11日(土)「セントラルパーク」

7日からニューヨークに来ています。昨日までものすごい暑さと湿度でしたが、今日は急に涼しくなりました。 
朝のセントラルパークに、ユミと女子10キロレースを見に行きました。一位はアフリカの女性で、全身が足みたいな人。
二位以下を大きく引き離していました。 
応援の後はユミとセントラルパークを一周走りました。途中で友達とばったり会って、3人でしゃべりながらのランでした。 
午後は時差ボケで強烈な眠気に襲われ、行く予定でいたミリキタニ氏の誕生日パーティにも行けませんでした。

友部正人
6月5日(日)「横浜 視聴室」

三輪二郎、伴瀬朝彦、小野一穂の3人のライブが横浜黄金町の視聴室というところであって、ユミと聞きに行きました。小野一穂はぼくたちの一人息子です。

三輪二郎くんのしっかりとしたギターのテクニックにはちょっと驚きました。歌もおもしろかった。
伴瀬くんは初めて聞くけど、やっぱりギターが上手で、不自然な詞が自然に思える感じの人でした。
小野一穂は新曲と「風に吹かれて」のカバーとアルバム「綿帽子」の中から数曲。歩くようにして歌うのが特徴かな。ゆっくりと前へ前へ、振り向かずにどこまでも歩いていく。彼が元々持っている性質のようなものを言葉にした詞。飛び入りの夏樹くんのハーモニカもすごく良かった。

終演後、映画館ジャック&ベティの隣の中華料理屋へみんなで行きました。
取り残されていたような町におもしろいものが首を出しつつあるような感じの夜でした。

それではNYへ行ってきます。
7月下旬までぼくのライブはしばしの間お休みです。

友部正人
6月3日(金)「レコーディング」

バンバンバザールの福島くんからのお誘いで、音楽配信で東日本大震災被災者を支援するための録音をしました。曲は「日本に地震があったのに」です。生ギター一本で歌いました。
6月末には配信サイトが発表されるようですが、ぼくの声が東北の空にも届くといいです。

6月7日から7月18日までニューヨークです。この2か月間、たくさんのライブで歌いました。
特に5月の半ば、仙台と郡山といわきに行ったことは心に残りました。
7月後半に戻って来たら、この夏もう一度東北に行くチャンスがあればいいなと思っています。

では。

友部正人6月1日(水)「高山 ピースランド」

移転して1年になる絵本屋さん。本屋の奥が蔵になっていて、そこがライブ会場です。
木造100年以上の建物なのに、蔵なので音はそれほど外にはもれません。
高山で歌っている泰蔵くんが迫力のある歌を歌い、その後ぼくが2時間ぐらい歌いました。
後ろの方の人は椅子でしたが、前の方のお客さんはみんな床に腰をおろして聞いてくれました。

ライブ前、そば屋で国会中継を見ていて、日本の政治家の姿に悲しくなりました。
そんな憂鬱を吹き飛ばそうと歌いました。

友部正人5月31日(火)「名古屋 k.d.japon」

8月にフランスに旅立つまいちゃんとりょうくんの二人が企画したイベントにゲストとして呼ばれました。
ゲストといっても一番多く歌いましたが。

最初にJaajaというバンドがやって、次にEttという二人組がやりました。どちらも名古屋で人気の人たちです。
ぼくは1時間ぐらいの予定で、もう少し長く歌いました。最後にEttと「地獄のレストラン」を、
Jaajaと「空が落ちてくる」を一緒に演奏しました。 
ガード下のお店なので、演奏中、電車の音もたっぷり聞きました。なんだかにぎやかで楽しいコンサートでした。

友部正人5月28日(土)「東川町」

家具職人の岡崎くんと、英語を教えている熊さんのカップルが自分たちで建てた家のお披露目コンサート。
二人ともぼくの古い友だちです。
コンサートは二階が吹き抜けの広いリビングでやりました。

岡崎くんたちは、自分たちの家の広い敷地を100年後に森にするために、広葉樹を植林するプロジェクトを立ち上げました。木を使ってものを作る家具職人の務めだそうです。そのプロジェクトには「地球の一番はげた場所」という名前がついています。ぼくの歌からとったそうです。一口3000円で賛同者を募っています。
ゆくゆくは野外音楽堂を作って、自宅も開放し、敷地を公園のようなものにしたいそうです。

友部正人5月27日(金)「岩見沢 琥珀」

一日中日が当たらないから、日中もひんやりとしているけど、
夜になってライブが始まると、お客さんの熱気で暖かくなります。
琥珀はそんな古い喫茶店。初め来た人も落ち着くそうです。
1年半前に歌いに来たときにはまだなかった歌も歌いました。
歌は古いままだと死んじゃいます。

友部正人5月26日(木)「札幌 やぎや」

円山公園からずっと上がってトンネルを抜けたところにやぎをたくさん飼っているレストランがあります。
やっている永田さん夫婦はぼくの古い友だち。最近建てたばかりという図書室でコンサートをしました。
素焼きのタイルの床で響きがとても気持ちがいい。静かなたくさんの本に囲まれて歌いました。
パンもチーズもソーセージも蜂蜜も野菜も全部自家製です。もしも別世界というものが都会にもあるとしたらここのことだと思います。

友部正人5月25日(水)「誕生日」

今日はぼくの61歳の誕生日です。去年の5月に60歳のお祝いのライブをしたばかりなのに、1年なんて本当にあっという間です。
今日はオフで、秋山くんも休みなので、二人でサロマ湖や摩周湖をドライブしました。
サロマ湖は100キロマラソンのコースを車で走りました。いつかレースに出てみようと思いました。

友部正人5月24日(火)「留辺蘂」

羽田から女満別に飛んで、今日は留辺蘂の図書館でライブをしました。
主催してくれた秋山くんはぼくの古い友だち。お父さんの代からの写真屋です。
ライブの前にスタッフの方が煙草を吸いに表に出て、虹を発見しました。
「煙草を吸うといいこともある」と喜んでました。大きな大きな美しい虹でした。

ライブの後半はリクエスト大会になりました。 
留辺蘂は東北の大船度からやって来た人たちが多い町なので、入場料の一部は大船渡に寄付されるそうです。

友部正人5月22日(日)「秩父 ホンキートンク」

久しぶりに会うと、地震の話から始まります。ホンキートンクの鈴木さんは職場のコンサートホールで被災。
山の上にあるホールなので、地盤沈下して建物の内部も壊れたりして、震度は6ぐらいかな、と言っていました。

皆野という小さな町で30年もライブハウスを続けてきた鈴木さん、必ずお客さんを集めてくれて、それがライブハウスのオーナーの使命、と胸を張ります。
その鈴木さんが「乾杯」をリクエストしたので、久しぶりにやりました。「どうして旅に出なかったんだ」「手袋と外国コイン」など、お客さんの反応のいい歌が多くてうれしくなりました。

友部正人5月21日(土)「横浜 シネマジャック&ベティ」

今日から「ジャック&ベティ」で伊勢真一監督のドキュメンタリー映画「大丈夫。」の上映が始まりました。
上映の後、伊勢監督とぼくとで短い舞台トーク、そしてぼくが一曲「生きていることを見ているよ」を歌いました。

その後映画館1階の「パラダイス会館」で、トークと歌の続き。映画のこと、歌のこと、東北大震災のこと、福島の原発事故のこと、たくさん話したらいつのまにか1時間半になり、映画館の梶原さんから「映画より長いトーク」と言われました。
トークの合間に3曲、ぼくは自作の歌を、その背景を話たりしながら歌いました。

友部正人5月19日(木)「いわき ソニック」

早めにいわきに到着したぼくたちは、小名浜カトリック教会礼拝堂を訪問しました。以前ここで2回コンサートで歌ったことがあり、「歯車とスモークド・サーモン」のレコーディングにも使わせてもらったことがあります。
入らせてもらった礼拝堂でちょっとぼくが歌っていたら、教会の幼稚園の園児たちが聞きに来てくれました。
子供たちの大きな目に見つめられて、「ふあ先生」や「ぼくは君を探しに来たんだ」を歌いました。
教会の建物は被害もなく、支援物資の集積所になっています。ユミは帰り際に献金していました。

ソニックでのライブは高いステージの上ではなく、客席で歌いました。
最初にソニック店長の三ヶ田くんが歌いました。2歳の子供のいる三ヶ田くん、放射能は心配だけど、いわきから離れないよ、という歌がよかったな。

亘町と飯館村を撮影してきた、映画監督伊勢真一さんの撮影隊がぼくたちに合流して、伊勢朋矢くんとともに今夜のコンサートを撮影しました。
ぼくはといえば、カメラのことも忘れて、リクエストされた曲を次々と歌いました。
新曲の「日本で地震があったのに」は原発から近いいわき市で歌うとより切実な気がしました。
本当は同じ気持ちになりたいんだよ、という歌です。

仙台、郡山、いわきと、ぼくはそこにいる友達に会いたくて、歌いに行きました。
でも実際には、初めてぼくのライブに来た、という人たちもいたりして、どこの会場もお客さんがいっぱいでした。うれしかったです。
投げ銭でもらったお金は、友人たちのお店にカンパしてきました。みんな頑張って店を続けてね。

友部正人
5月18日(水)「郡山 ラストワルツ」

午前中、火星の庭の前野久美子さんたちと塩竈に行きました。昨夜のライブにも来てくれた、ぼくたちの火星の庭句会の主宰の渡辺誠一郎さんに会うためです。塩竈神社から、被害にあったという松島の海を眺めました。
仙台への帰り道、津波の被害を受けた七ヶ浜と多賀城を通りました。海はもう穏やかでしたが、陸地は爪痕が今もそのままでした。黙々と家を建て直す人たちもいました。

それから郡山へ向かいました。
ラストワルツはいつもライブに来てくれる人たち全員が再会したような華やいだ雰囲気でした。
店長の和泉さんまで張り切ってリクエストしていました。
最初今回のライブをやろうか、と相談していたオールドシェップの伊藤さんも来てくれました。
リクエストボックスの中のリクエスト曲にはみんなの今の気持ちがこめられているような気がしました。

友部正人
5月17日(火)「仙台 火星の庭」

ニューヨークにいたときから会いたいと思っていた仙台の友人たちにやっと今日、火星の庭で会えました。
お客さんからのリクエスト曲を投げ銭で歌うというこの「あの美しい町では」ツアーは、ユミの企画です。
「歯車とスモークド・サーモン」で特典DVDを撮影した伊勢朋矢さんも撮影で参加しました。
朋矢くんの車にぼくとユミも乗せてもらい、今日から3人の旅が始まりました。

リクエスト曲の書かれたメモ用紙には簡単なメッセージも書いてもらいました。そしてそれを歌う前にぼくが読み上げるのです。みんなライブを楽しみにしていてくれたみたいでぼくもうれしかった。

友部正人
5月15日(日)「地酒処 叶屋」

長野県南箕輪村の酒屋さん、叶屋の入り口には大きな沙羅双樹の木があって、その木の下でおいしい地酒を飲みながら歌を聞く、そんなイメージのコンサートがもう4年も続いています。実際にはコンサートは店の中でやるのですが、長野の地酒の入ったグラスを手に、今年もたくさんの人がぼくの歌を楽しんでくれました。

打ち上げでは近所のお蕎麦屋さんが奥さんとやって来て、目の前でそばを打ってくれました。

友部正人
5月12日(木) 「南青山マンダラ」

小谷美沙子さんとの二人のライブ。
今日の企画はマンダラの津山くんで、タイトルの「あさって、笑う」も彼が考えたそうです。
最初に1時間小谷さんが歌いました。
彼女はまだ高校生の頃にぼくと会い、とても緊張したと言っていましたが、その時の小谷さんはぼくにはとても堂々として見えました。今夜の彼女もとても堂々としていて、歌うときは気持ちを集中し、しゃべるときはじっくりと言葉を選び、とにかくまっすぐに前に踏み出そうとする気持ちが伝わってきます。早川義夫さんのカバーもすてきでした。
休憩の後、今度はぼくが1時間。今日はどの歌もちゃんと伝わっているような気がしたのは、もしかしたら、ぼくと小谷さんという組み合わせで聞きに来てくれたお客さんが良かったからかもしれません。
アンコールとして最後に「奇跡の果実」を二人で歌って終わりました。
御徒町凧くんと一緒に聞きに来てくれた森山直太朗くんが打ち上げで、席がステージに近かったので、PAを通さない生音がよく聞こえてよかったと言っていました。
あさってまで笑うのを待てないぐらいいいライブだったと思いますよ。

友部正人
5月8日(日)「高知 リング」

主催の町田さんとぼくの都合がなかなか合わず、約2年ぶの高知でした。
聞いてもらいたい曲をただ順番に歌っていくうちに、いつのまにか2時間半たっていました。
いい感じで歌えたので、自分ではそんなに長い感じはしませんでしたが。

今日の高知は日中25度ぐらいありました。口から何度も暑い、暑いという言葉が出ました。
ぼくの高知のライブは日曜日が多いのか、いつも日曜市に出くわします。
高知名産のしょうがをたくさん買いました。

友部正人
5月7日(土)「徳島 寅家」

商店街の外れにあるライブハウス「寅家」でライブをするようになって何年になるのだろう。
最初の頃は喫茶店も本屋も何もない街に途方に暮れたものですが、最近はそんな徳島にも馴染んできました。普通の都会にはないものがここにはあるにちがいありません。
電飾された橋のかかった近くの川に出ると、遥かなる異国にいるような気がするから不思議です。
何もないからつい夢を見てしまうのかもしれません。

友部正人
5月6日(金)「松山 スタジオOWL」

スタジオOWLはライブハウスというよりはギャラリーのようなきれいな場所でした。
クリコーダーカルテットもお気に入りだそうです。(ずっとクリコーダーのCDがかかっていました。)
客席は一階と中二階に分かれていて、ステージから見るととても演奏がしやすいのです。
松山の人は、気に入るとその人のCDを全部集める、とオーナーの高橋さんが言っていましたが、ライブが終わってサインをしながら、みんながとても熱心なのがわかりました。

友部正人
5月4日(水)「静岡 フリーキーショウ」

前回はソロで歌いに来て、二回目のフリーキーショウです。今回は東京ローカル・ホンクと「クレーン」の中の曲を中心にライブをしました。
途中でローカル・ホンクも自分たちの曲を2曲演奏しました。
半年ぶりのローカル・ホンクとのライブ、去年の秋のツアーに里帰りしたみたいでした。
フリーキーショウは音がいいし、お店も好きなのでまた歌いに行きます。

友部正人
5月3日(火)「祝春一番コンサート2011」

午前11時の開場と同時に、東京ローカル・ホンクの演奏が始まりました。
お客さんの入場を見ながらの演奏は意外にも心地よかったそうです。
ぼくの出番は一番最後で夕方6時15分ごろでした。
歌う前に去年の11月に亡くなった阿部ちゃんのことを書いた詩の朗読をしました。
ソロで一曲歌った後、ローカル・ホンクと3曲歌い、アンコールがあったので、客席の真ん中にある筏のようなステージでローカル・ホンクと一緒にノーマイクで歌いました。
会場の隅のほうまで声は届いたかな。
演奏曲目は次の通り。

日本で地震があったのに(ソロ)
ぼくは君を探しに来たんだ
ダンスホール
生きていることを見ているよ
ロックンロール(アンコール)

友部正人
4月30日(土)「鎌倉宮」

今日は少し早めに鎌倉宮に着いて、すぐ近くの瑞泉寺に永島慎二さんのお墓詣りをしました。
ライブは、最初に知久くんが50分、休憩の後ぼくが50分、そしてアンコールで一緒に2曲演奏しました。
おなじみの曲なのにいつも新しい知久くんの歌に、一人の人の一生の間にできる曲なんてみんな新曲なんだと思いました。ぼくも少し前から、「これは古い曲なんですけど・・・」と自分の曲を言うのは変だなと思うようになりました。どうせ何十年かの短い間に生まれた歌なのだから。

アンコールで一緒にやる曲を相談していて、「さよなら人類」をやることになりました。
知久くんの歌にぼくが参加するのはむずかしいし、知久くんがぼくの歌で演奏するだけなら、いつもと同じだったから。

「さよなら人類」、練習では忘れている部分もあったけど、本番はうまくいきました。
クラリネットの安藤くんが来てくれたので、参加してもらいました。

友部正人
4月27日(水)「佐賀 Rock Ride」

60歳前後のフォークファンがここでは元気です。ぼくのライブではめずらしいことです。
人数で20代、30代のロックファンを圧倒していました。
「空が落ちて来る」「私の踊り子」「夜よ、明けるな」をリクエストされました。
どれもしばらく歌わなかった歌なので歌いました。リクエストに応えると、予定していた曲をやめるので、ライブが思わぬ展開になっておもしろくなります。

友部正人
4月26日(火)「人吉 ベアーズカフェ」

二年前に初めて来たとき、ぼくは風邪をひいていて普段の声で歌えなかったので、今回は万全を期してベアーズカフェに臨みました。
小さな町なので、ホテルで借りた自転車で行き来しました。
休憩を入れて3時間ぐらいやりました。お客さんは疲れなかったかな。
ぼくはツアー中お酒は飲まなくなったので意外に疲れません。
ベアーズカフェ名物のガンボスープがおいしかった。

友部正人
4月24日(日)「柳川 Let Hot」

主催の大橋さんらが運営しているフリースペースでライブ。
ぼくは2時間ぐらい歌いました。
「ロックンロール」や「イタリアの月」のリクエストがありました。
またスタッフの人が「仲のいい二人」と「弟の墓」の感想をメモに書いてくれました。
歌は声だけで伝えるものなのに、それを細かいところまで聞きとってくれたようでした。 

友部正人
4月23日(土)「福岡 Charmin'」

福岡の天神にある古着と輸入雑貨のお店でライブをしました。
洋服やミシンに囲まれて歌うのは初めてかな。
大きなクローゼットの中に紛れ込んだみたい。
お客さんもそんな異空間を楽しんでいるようでした。

4月初めに突然宗像市のライブが中止ということになり、困ったぼくが福岡の田中くん(ポカラ)に電話してみたら、歌える場所をすぐに見つけてくれて、急に決まったライブだったのにたくさんのお客さんも来てくれました。
主催のポカラやお店を貸してくれたCharmin'のおかげです。どうもありがとう。

友部正人
4月16日(土) 「リクエスト大会」

吉祥寺のスターパインズカフェで、2年ぶりに「リクエスト大会」をしました。
今回は震災を意識したリクエストが多かったような気がします。
たとえば「あの美しい町では」「歌ってもしかたのない歌ばかり」など。
「生きていることを見ているよ」なんかもそうかもしれません。
何を歌っても、震災につながっていく現在なのかもしれませんが。
高田渡の命日だということで「朝の電話」をリクエストしてくれた人もいました。 
お店で用意してくれたぼくの似顔絵つき「リクエストボックス」の中には、普段リクエストの多い曲もちゃんとあったのですが、ぼくがそこからくじ引きみたいにして選ぶと、人の死や悲しみに関するようなものが多かったのです。

箱から選んだ曲を一曲ずつ演奏していくというシンプルな形です。
105人のお客さんが来てくれて、リクエストされた曲目は63ありました。
得票数一位(4票)の曲は「愛について」「朝は詩人」「反復」「どうして旅に出なかったんだ」「夜は言葉」の5曲でした。
3時間でそのうちの20曲を歌い、ぼく自身が歌いたい歌を2曲やりました。
何が出てくるかわからないので、演奏するぼくもわくわくします。
「ゆうれいなんていかしてる」や「女は男である」のように、その場ですぐに歌えなかった曲も、
休憩時間に楽屋でメロディやコードを確認して、後半にやりました。
リクエストは一人一曲ですが、短いメッセージを書いてくれた人もいて、お客さんとのやりとりのある楽しい夜でした。

曲順表

(オープニング)
あの美しい町では

朝はこのビルの中に住んでいる
生きていることを見ているよ
朝の電話
あれは忘れもの
歌ってもしかたのない歌ばかり
がーディナーさん
公園のベンチで
もう春だね
夕暮れ
君が欲しい

ゆうれいなんていかしてる
女は男である
おしゃべりなカラス
つばめ
朝は詩人
大道芸人
どうして旅に出なかったんだ
ある日ぼくらはおいしそうなお菓子を見つけた
愛について

(アンコール)
反復
新曲


友部正人
4月14日(木)「帰って来ました。」

月曜日に日本に帰って来ました。日本に向かう飛行機は、噂ほどガラガラではありませんでした。
横浜は平穏でした。そう思っていたら、夕方に大きな余震。びっくりしました。
新聞はまだ全面的に地震と原発の報道なのですね。次第に扱いが小さくなってきたニューヨークタイムズとは大違い。
ニューヨークにいると放射能は数値ばかり報道されて、妄想ばかり広がるけど、日本に帰って来てみるとそれほど実感がない、というのがぼくの実感です。
放射能は花粉とは違って目もかゆくならないし、くしゃみも出ないし。

地震の影響でみなとみらいの臨港パークがまだ立ち入り禁止になっています。
人があまりいないので、ギターを持って行って、今度のスターパインズの練習をしました。
この間セントラルパークにギターを持って行って歌ったら気持ちよかったから、横浜でもやってみようかな、と思ったのでした。外で歌うのはやっぱりいいいな。

友部正人4月8日(金)「Loudon Wainwright Ⅲ」

前からなんだかすごい名前の人(3世だなんて)だと思っていたけど、ルービン美術館でコンサートがありました。
ぼくは何枚かアルバムを持っていますが、ルーファス・ウエインライトのお父さんです。
全くのノーマイク、観客は140人もいるのに、ギターも声もよく聞こえます。
彼の歌は歌詞で笑わせるのが多く、ぼくとユミにはきついだろうなあ、と思いながら行ったのですが、
全部はわからないながらもところどころわかったりして、最後まで楽しめました。本当、行って良かった。

終演後に知ったのですが、5月13日にはここでランブリング・ジャック・エリオットがソロでやるそうです。
ジャックの来日が中止になった後だけに、それを知ってちょっと悔しくなりました。

さて日曜日の朝にNYを発って、日本時間の月曜日の午前中には日本です。
地震以前の日本しか知らないぼくたちに今の日本は一体どう感じるのでしょう。

友部正人
4月5日(火)「五嶋みどり」

五嶋みどりのバイオリンを聞きに、ユミとカーネギーホールに行きました。
開演前に、東北地方の地震の被害者への長い黙祷。
ハイドンとシューベルトをピアノ、チェロ、バイオリンの三人で、休憩の後ヴィオラが入り、
四人でドヴォルザークを演奏しました。
ぼくたちの席がバルコニーの最前列だったせいか、バイオリンの音が細く聞こえたのは
少し気になりましたが、全身でバイオリンを弾く五嶋みどりには圧倒されました。

友部正人
4月2日(土)「BILL CUNNINGHAM」

家でぼんやり過ごしていたら、お昼から友だちとダウンタウンに出かけていたユミから電話。
今からみんなで映画を見るので、出ておいでよ、と誘われて出かけました。
フィルムフォーラムは長蛇の列で、あっという間にソールドアウトでした。
映画は「ビル・カニングハム」、ニューヨークタイムズのファッション・カメラマンのドキュメンタリーです。
ユミはこの人に心当たりがあるみたいで、いつどこで見かけたのかを思い出そうとしていました。
ぼくは映画を見ながら、日曜日のニューヨークタイムズの「サンディ・スタイルズ」というセクションで、「On The Street」というページを担当しているカメラマンだと思い出しました。
もうおじいさんなのに、テンポの速いマンハッタンの人の流れをちゃんとカメラでとらえてしまいます。
年は取ってもまだファッションに夢中です。
自分は路上清掃員のユニフォームのようなジャンパーを着ているのに、女優やモデルに囲まれても全然ものおじしない。
会話の受け答えは素早いし、笑顔が純粋でとてもかわいい。子供の頃にこんな友だちがクラスにいたような気がする。
趣味でランニングをしている人たちにこういう人がいるけど、ビルさんは趣味ではなく、ひたすらファッションの世界で生きてきてプロ中のプロなのに、どうしてこんなに天使みたいなのでしょう。
後半にプライベートな部分に触れる質問が監督からあったけど、ビルさんは黙ってしまった。
それで余計この人が好きになりました。

友部正人
4月1日(金)「ライブスケジュールの変更」

こんにちは。
4月23日に予定されていた、福岡県宗像市「サロンはてぃくば」でのライブが突然中止になったので、その代わりに急遽福岡市内でライブをします。
新しい会場は天神にある小さな古着屋さんだそうです。
ぼくからの突然のお願いを張り切って引き受けてくれたポカラの田中くん、ありがとう。
というわけで福岡のみなさん、ぜひお越しください。

友部正人
3月31日 「ジャック・エリオット」

ニューヨークから日本に行く人が極端に少なくなったためか、ぼくたちの帰国日のフライトが変更になりました。
アメリカン航空からの勧めもあって、今回は成田ではなく羽田に戻る予定でしたが、羽田便がしばらくなくなるそうで、やっぱりまた成田になりました。残念。

ジャック・エリオットの来日も中止になりました。
すごく楽しみにしていたサムズアップでの37年ぶりの共演もなくなりました。
もう一度こんな機会がいつかあればいいのですが。

ぼくたちは予定通り4月11日に戻ります。
戻ったらすぐにスターパインズでのライブです。
ぼくはいまニューヨークにいて、「イタリアの月」を口ずさんでいます。
では4月16日に。

友部正人より。
3月29日(火)「Concert for Japan」

ポイズン・ルージュというライブハウスで、地震や津波や原発でひどい目に合っている日本のためのコンサートがありました。
開演が夜10時半で、ちょっと遅かったけど行ってきました。
チボマット、パティ・スミス、オノ・ヨーコ、アントニー、ルー・リード、ショーン・レノンといった人たちが出ました。
パティ・スミスの歌にはものすごく強い祈りを感じました。
たぶん今回の災害を映すような歌詞がどの歌にも部分的にあるからだと思います。
オノ・ヨーコはとてつもなくはつらつとしたバンドの演奏にのせて、思いっきりつらく悲しい声を上げていました。でも表情はにこにことしているのがよかった。
アントニーはオノ・ヨーコの「I Love You, Earth」を歌いました。
やっと生でアントニーの歌声を聞くことができてユミとぼくは大感激。彼がステージを去ろうとすると、そばにいた女性が小声で「Don't go!」と言っていたけど、ぼくたちの気持ちと同じでした。

出口で、青空の模様のアクリル製のジグソーパズルの一片を配っていました。
中に同封されていた、「これは地震でくだけた日本の空のかけらです」、というヨーコさんのメッセージがすてきでした。

友部正人
3月28日(月)「咳風邪」

ぼくは咳の出る風邪をひきました。昨日は走る予定だった15キロレースを棄権しました。
夜もよく眠れません。
ユミは一人でセントラルパークを走ってきました。
みんながビッグヒルと呼んでいる一番北側には、真冬を思い出すような氷柱が下がっていたそうです。
朝晩はまだ毎日零下2、3度のニューヨークです。

友部正人
3月24日(木)「毎日新聞」

今週の月曜日に掲載されるはずだったエッセイの最終回ですが、来週火曜日、3月29日の夕刊に掲載されるということです。
また変更があったらお知らせします。
もうこれ以上なにも大事件が起こらず、新聞の紙面が徐々に平常になっていくよう願っています。

「6月の雨の夜、チルチルミチルは」、「夜よ、明けるな」、「夢のカリフォルニア」と書いてきて、最終回は「生きていることを見ているよ」を取り上げました。
この歌を最後にするのは以前から決めていましたが、今回の震災で大勢の方が亡くなり、なんだかわざわざこの歌を選んだようになってしまいました。

友部正人
3月21日(月)「NHKシンフォニーオーケストラ」

NHK交響楽団がカーネギーホールで、ソプラノのキリ・テ・カナワとR・ストラウスの「Four Last Songs」を演奏するというので、聞きに行きました。
NHK交響楽団のメンバーは、震災の翌日、成田を発ってアメリカに来たそうです。
演奏の前にN響の人のスピーチがあって、そう話していました。
交通機関がストップしている中、空港に全員が集まれたなんて、とユミは言っていました。

ぼくはオーケストラの人たちが大勢で、いろんな楽器を演奏するのが見ていてとてもおもしろかった。トライアングルのような小さな打楽器がピアノと同じくらい大きな音がしたりとか、大きなコントラバスを抱えた人が8人もいたりとか、見慣れないものがいっぱいでとても新鮮でした。
この「JapanNYC」という企画はニューヨークのいろんな会場で4月上旬まで続くらしく、見ておきたいな、というものがたくさんあります。楽しみです。

友部正人
3月20日(日)「NYC ハーフマラソン」

ニューヨークシティマラソンの姉妹編のようなハーフマラソン。マラソンは世界のお祭りです。
ぼくは走っていたのでわかなかったけど、日の丸を手に持った人や、鉢巻をした日本人、シャツに日の丸を張り付けてそこにメッセージを書き込んだ外国から来た人たちを応援に来ていたユミは何人も見かけたそうです。
沿道にも大きな日の丸を振って応援している女性がいました。
日の丸という旗を通じて、離れている心が一つになろうとしているみたいでした。
レースの後半は放射能のことなんか考えていてぼくは頭がいっぱいになり、そのせいか1時間33分を切り、去年より少し速くなりました。

友部正人
3月19日(土)「月」

日本から来た大きな月、スーパームーンをユミと見にでかけました。時刻はもうだいふ遅かったので、月も高く上がっていましたが、木の多いセントラルパークで見るには、良かったみたい。
あれやこれやと垂れ流しのようなニュース、そこにやって来た大きな月が、何かをびしりと決めてくれたようでした。
ぼくたちを日本まで運んでくれそうなくらい大きかったな。

友部正人
3月19日(土)「毎日新聞」

毎日新聞の夕刊に3月の間連載しているエッセイの4回目は、地震と原発事故の影響で紙面が変更になり延期になりました。
4月になってから掲載されるそうですが、日にちはまだ未定です。

日本の新聞をちゃんと読んでいないので比べられないけど、ニューヨークタイムズには福島原発の事故の状況がかなわかりやすく説明されていました。
アメリカのと同じ型なのでいろいろと予測はつくのだそうです。

友部正人
3月18日(金)「レボン・ヘルム」

元ザ・バンドのレボン・ヘルムがライブをやるから行こうよ、とメグに誘われて、ユミとそれから日本からオールマンブラザーズを聞きに来ていた人と4人で行きました。
会場はグランドセントラル駅から電車で30分ぐらいのテリータウンという町にあるミュージックホール。坂の多い小さな町で、ホールは125年の歴史があるとか。

レボン・ヘルム・バンドはホーンセクションが5人いて、ヘルプのドラマーも入れると全部で13人。レボンはあまり歌わないでドラムに専念していました。
数曲歌ったけど、声は出ていなかった。喉の癌は治ったと聞いていたので,風邪をひいていたのかも。

たくさんの人がステージで歌ったり演奏したりして、見ているだけでも楽しかったけど、
まだ時差ボケが残っているのか、途中でどうしようもなく眠くなったときに、ボブ・ディランの歌「ブラインド・ウィリー・マクテル」が始まったら、突然しゃっきりするから不思議。「ゴーイング・トゥ・アカプルコ」や「アイ・シャル・ビー・リリースト」もやりました。

ゴスペルっぽい歌詞の歌を聞くと日本の大震災のことを思い出してしまうけど、きっと本人たちは意識していないんだろうな。
そういえばライブ前、みんなでご飯を食べていたら、そばのテーブルにいたカップルにお悔やみを言われました。

友部正人
3月16日(水)「ランニング」
繰り返しになるけど、昨日のポーグズのコンサートは本当に良かった。
福島県のいわき市にソニックというライブハウスがあって、ぼくも何回か行っているんだけど、あそこにポーグズが行って演奏したらいいだろうな。
彼らはきっと放射能なんて全然怖がらないだろう、とユミ。
まあ彼らじゃなくても、ぼくや三宅くんとかでもいいと思います。
ぼくは今日本から遠くにいて、何にもできないのでもどかしいです。

アパートにいると地震のニュースばかりなので、もう日が暮れかけていたけど、ユミとセントラルパークに走りに行きました。
ぼくは二周して、ユミは一周半。
晴れない気持ちを吹き飛ばそうと、ユミは覚えている限りの被災地の名前を連呼しながら走っていました。

友部正人
3月15日(火)「ポーグズ」
ポーグズのライブに行きました。どの曲もよく知っていて、大好きな曲ばかり。
ボーカルのシェインはサングラスをかけ、わざとのたのたと歩きます。腰の悪いおじいさんのよう。でも歌うときはしゃんとしているし、踊ったりもします。
声は衰えてはいません。

満員の観客は熱狂的でした。「ウォルチング・マチルダ」「ダーティ・オールド・タウン」など、全員腕を振り上げての大合唱です。モッシュやサーフィンしたり、二階から一階のお客さんたちに水(ビール?)をかける人もいる。この間、ぼくもユミも一瞬だけど地震の災害のことを忘れました。

アメリカでは放射能に関心が高まっています。大衆紙には「Are we safe?」と大きな見出し。
でもニューヨークタイムズには、風で運ばれてきても微量だろうと書かれていました。
タイムワーナーの前のテレビでは避難所の様子が流れていて、その前で男の人が「放射能はだいじょうぶなのか」とパニックに陥ったように絶叫していました。
10日の夜にニューヨークに来て、その深夜に日本での大地震。翌朝からはずっとUstreamで日本のTVニュースを見続けて、心がへとへとになっていました。ライブに出かけて少し心が軽くなりました。

友部正人
3月9日(水) 「ニューヨーク」

昨日のライブでぼくの2月から3月にかけてのライブはおしまいです。
明日からまたぼくとユミはニューヨーク。4月11日まで帰って来ません。
この日記を読んでいる人たちにまたライブで会えるのが楽しみです。
それではまた4月に。

それから、友部正人オフィスからのお知らせです。

留守中に通信販売でCDや本を申し込まれた方は、申し訳ありませんが
発送が4月11日以降になります。ご了承ください。
(友部正人オフィス)

友部正人
3月8日(火)「三宅伸治50歳バースデー」

渋谷のプレジャープレジャーというライブハウス。元は映画館だったそうで、椅子はそのときのままです。肘かけにはポップコーン用ホルダーがついています。

三宅くんが今日50歳になりました。三宅くんのお祝いのコンサートなのに、ぼくたち出演者がお祝いされているようでした。それが三宅くんの人柄なのだと思います。

そういうところが大好きです。
ぼくは三宅くんと二人で「50歳になってから歌うラブソング」を歌い、「はじめぼくは一人だった」を三宅くん、リクオ、石田長生とやりました。
2部のバンド編では「ライク・ア・ローリングストーン」をやりました。
パワフルな三宅くんにファンの人たちは大満足、みんな幸せそうで、まるでみんなが三宅くんにお祝いされているようでした。
三宅くんの誕生日なのに。

友部正人
3月6日(日)「金沢 ジョーハウス」

横浜に戻るユミと新大阪駅で別れて、ひとりで金沢に向かいました。 
意外に温かい金沢です。お客さんの九割は学生なのか、若い人たち。
学生だから、毎年来てくれる人は少ないかも。でも、みんなジョーハウスでぼくのライブを体験して旅立って行くのかなあ、と思います。
そういう意味では特殊な街なのかも。そんな街で毎年ライブができてうれしいです。

友部正人
3月5日(土)「大阪 ムジカジャポニカ」

大好きなお店です。すぐ目の前が中学校で、繁華街からは少し外れているのがいいです。
そしてお店の脇にはいつも右翼の外宣車が止まっています。
すぐ近所にジャズ専門の中古レコード屋がありました。
ライブは今回もお客さんがいっぱいでした。自然にやる気が起こります。
そして終演後には風太が春一番コンサートの打ち合わせに来ました。

友部正人
3月4日(金)「京都 拾得」

拾得のドアを入るとなんだかほっとします。オーナーのテリーさんがギターを弾いて待っています。ぼくとユミの到着が遅れたからでした。
ぼくの拾得のライブが独特なノリになるのは、ステージの高さに原因がある
のかもしれません。ちょうどお客さんの頭ぐらいにステージがあります。
お客さんの顔は見えるけど、広々とした空間を邪魔しない。

ステージの高さって意外に重要なのかもしれません。

友部正人
2月28日(月)「岡山 モグラ」

車で倉吉から岡山までラ・キューの美樹さんたちに送ってもらいました。
岡山は晴れ。ホテルに荷物を置いてさっそくモグラでリハーサル。
PAは何もいうことなし。前回のときのことを覚えていてくれたようです。
店内が暑かったのか、ライブの初めのころにもうシャツが汗でビショビショになったけど、そのまま休憩を入れずに2時間歌いました。

友部正人
2月27日(日)「倉吉 ラ・キュー」

小さな店ですが、たくさん人が来てくれます。テーブルの上に椅子を置いたりして、
まるでお客さんが積み上げられているようですが。
今夜はボーカルだけマイクを使いました。バランスはよかったみたいです。
狭い場所だと、ギターが鳴りすぎるので。
ライブ後は、カニをたくさんごちそうになりました。

友部正人
2月26日(土)「米子 ワンメイク」

久しぶりの米子。
昔の光をたたえたような店の中は同じですが、オーナーと店名が変わっていました。
気持ちのいいPAだと、ライブもつい長くなってしまいます。
でも、そんなに長いとは感じなかったよ、と主催の山根さんに言われました。

友部正人
2月27日(日)  「毎日新聞」

友部正人オフィスからのお知らせです。
3月から毎日新聞の夕刊で、毎週火曜日、友部が自分の歌についてのエッセイを書きます。3月1日から22日までの4回連載です。
毎日新聞を購読している方は楽しみにしていてください。
(私は毎日新聞の販売所で買うことにします。)
それでは。2月25日(金)「大丈夫。」

伊勢真一監督の新作「大丈夫。」の試写会にユミと行きました。「大丈夫。」は前作「風のかたち」と同様、小児がんの治療にあたる細谷亮太先生の日常に目を向けたドキュメンタリー映画ですが、「風のかたち」が「小児がんは不治の病ではありません」と力説したのに比べて、「大丈夫。」は生き延びることのできなかった小児がんの子供たちの存在に目を向けています。
映画は細谷さんの作った俳句を軸に進められていきます。生き死にの現場の日々の中で作られた細谷さんの俳句は、細谷さん自身を支えるだけではなく、それを読むぼくたちをも支える強さがあります。
日常の中で語られる細谷さんの言葉もすばらしい。「大丈夫も、お祈りですね」というように。
死んでしまった人のことは、生きている人が語り続けなくてはいけない、とそう思いました。
そういえば、このホームページの管理人のケチャとハナオの息子楽人くんが、去年急性骨髄性白血病で闘病していましたが、骨髄移植が成功して無事退院しました。
今は2歳でとても元気です。

友部正人2月20日(日)「横浜 ドルフィー」

年に一度のデュオ、ピアニストの板橋文夫さんとのドルフィーは今年もおもしろかった。

リハーサルの時間はほんの少ししかないのに、板橋さんはそれぞれの曲をいつのまにかふくらませていて、ステージではそれがより新鮮に響いてくるのです。
板橋さんが二部の始めにソロでやった「渡良瀬」もよかった。
激しさの中に静けさがあり、澄んだ水の中を泳ぐ鯉を見ているようでした。
今年はもう一回ぐらいドルフィーでやりたいね、という話も出ていました。

友部正人2月17日(木)「下北沢 440」

曽我部恵一くんが下北沢のライブハウス440で毎月やっているライブイベントに出ました。
出演は曽我部くん、T.V.not January、友部の3組。
曽我部くんはいつも新曲をステージで試しているみたいで、そういうところがぼくは好きです。
T.V. not January は20代の4人バンド。物語っぽい歌詞がおもしろい。
ぼくは「夢のカリフォルニア」を久しぶりにやったけど、だいぶ忘れているところもありました。

アンコールでは曽我部くんと二人でサニーデイの「コーヒーと恋愛」を。去年の神戸のライブではあまりうまく歌えなかったけど、今日はうまくいったかな。
最後に全員で「Speak Japanese, American」をやりました。
それぞれ40分ぐらいのステージでしたが、ほかの人たちのステージも含めて、とても楽しめたライブでした。

友部正人2月14日(月)「北谷 モッズ」

モッズが新しく大きなお店になっていてびっくり。コザから数えて3軒目だそうです。
このホームページの管理人のケチャとハナオの家族がライブ前に会いに来てくれました。
外は雨ふりで、海辺なので風が強く寒かった。
そんなにたくさんのお客さんが来てくれたわけではないけど、盛り上がり、PAの音もよく、結局11時半近くまで演奏しました。
帰り道、那覇のジャッキーで桜坂劇場の野田さんとニューヨークステーキを食べました。

友部正人
2月13日(日)「石垣島」

今日はオフです。
毎年1月に開かれている石垣島マラソンのコースを走ってみようと出発したけど、ハーフを過ぎたあたりで足がつり、結局30キロぐらいで挫折しました。今日は最初から不調だったので、中止してよかった。

白百合酒造のコウちゃんと島をドライブした後、すけあくろの今村さんと3人で、シティジャックというライブハウスに佐渡山豊のライブを聞きに行きました。アンコールで歌った「第三ゲート」という
歌を聞きながら、そこで生まれた人にしか歌えない歌ってあるんだなあ、と感心しました。

友部正人
2月12日(土)「石垣市 すけあくろ」

3年ぶりの石垣島、なんだかとても肌寒いです。
昨日の那覇は11度で、新聞の記事になるほどの寒さだったそうです。桜坂劇場の入り口の桜は満開でしたが。

8時半から始めたライブ、途中に休憩を入れたら、終わったら11時半でした。
でも石垣島の人たちには普通みたいで、あわてて帰る人もいません。終電もないし。
ライブ二日目でぼくの喉や体調はすっかり普段に戻りました。

今回ぼくはめずらしく一人で来たのですが、昨日も今日も友人たちに、ユミはなんで来なかったのかと聞かれました。
そのわけは、まだ時差ボケでしんどいのと確定申告の書類作りのためです。

友部正人2月11日(金)「那覇市 桜坂劇場ふくら舎」

那覇で単独でライブをするのは2年ぶりです。
今回は桜坂劇場の2階のギャラリー兼本屋「ふくら舎」でした。
あえて照明を準備せずに、いかにもロビーでのコンサートという感じで、満員のお客さんの顔がよく見えました。
飲み物の売り場は用意されていたけど、2時間半ぶっ続けで歌ったので、途中で席を立つ人はほとんどいなかった。
ぼくは去年の大みそか以来久しぶりのライブなので、最初ちょっと変な感じがしたのですが、そのライブ慣れしていない感じが自分で面白くもありました。
沖縄は日本の南の果てのようなイメージですが、日本各地からやって来た人たちが、住み着いていろんなことをしていて、新しい文化交流の場になっているようです。

友部正人
2月5日(土)「マルキータ・ラザロバ」

今日は朝から雨で、比較的暖かい一日でした。
夜8時からリンカーンセンターにチェコの「マルキータ・ラザロバ」という映画を見に行きました。
Frantisek Vlacilという監督の作品なのですが、読み方がわからない。マルキータというのは主人公の女性の名前です。中世のヨーロッパが舞台で、まだキリスト教がいきわたっていない頃の話。最初は物語に入りにくかったのですが、3時間という長さのせいでいつのまにかすっかり夢中になって見ていました。

さてぼくたちは月曜日に帰国します。
2月8日に戻って、11日からは沖縄でライブです。久しぶりに歌を歌うのが楽しみです。

友部正人
2月3日(木)「ジョージ・コンド」

3日間かかった寝室の角のところの壁塗り、今日やっと終わりました。どこか上の方の階で水漏れがあったらしく、壁の一部分がふくらんできたので、ビルの工事の人に来てもらい、壁を薄くはがして半月ほど乾燥させ、それから元通りに漆喰を塗るということをしてもらっていたのです。天井の高さが3メートル以上もあるので、作業も大変そうでした。

夕方からバワリーのニューミュージアムにジョージ・コンドの展覧会を見に行きました。
1957年生まれの人。描かれた人物画はみんな耳が大きくて自我丸出しで、まるで気が違った人たちのようです。
そんなところがおもしろくて見に行ったのですが、たくさんの人物を織り込んだ抽象画はどれも比較的まともで、線はちゃんとしていてうまいなあ、と感じるのでした。

友部正人
2月2日(水)「MoMA」

今日は朝からの雨が止んだので、歩いてMoMAに行きました。
アンディ・ウォーホールの映画が主な目的だったけど、その隣でやっていた「オン・ライン」という企画展がおもしろかった。線画を主題にした作品が集められていて、立体や映像も含まれているのがよかった。

それにしてもこの一か月、最高気温すらマイナスの日々で、何度も雪が積もり、ほんとに寒い。
もう雪はいいよ、歩道脇に積み上げてある雪が凍ってちっとも融けないし、少し融けるとぐちゃぐちゃだし、とあんなに雪の好きなユミもぶつぶつ言っています。
家の中はスチーム暖房で一日中30度近くあって、暑いほどなのですが。

友部正人
1月29日(土)「雪だるま」

気温が低かったときには見かけなかった雪だるまが、気温が少し高くなってきたら、セントラルパークのあちこちに出現しています。雪だるまがなかったのは、雪がさらさらすぎて塊にならなかったからだとわかりました。
セントラルパークの真ん中あたりに、「顔の林」がありました。誰かが木の幹に雪をはりつけて人の顔を描いたのです。
顔だけではなく、コーヒーカップやミッキーマウスや鳩などもありました。魔法の森に来たみたいでした。
ぼくたちも真似をして、ぼくはギターを、ユミは猫を描きました。
が、翌日行ってみたら半分ぐらいの絵がはがれ落ちてなくなっていました。

友部正人
1月28日(金)「スティーブ・フォーバート」

シティ・ワイナリーというお店にスティーブ・フォーバートを聞きに行きました。
名前の通りワインが豊富で、ユミが直感で注文したアルジェリアの赤ワイン、
とてもいい香りで、香りだけでも酔っぱらいそう。ボトルで頼んだのに一緒に行った
メグと三人で飲んで、ライブ中にもうからっぽになりました。

スティブ・フォーバートはもう何年も前にボトムラインで見たときと同じようにソロ。
以前と同じように、客のリクエストに応えながら進めていきます。スティーブ・フォーバートとしても、古い曲はお客さんの要望に応える形にした方が演奏しやすいのかもしれません。
長いキャリアのあるシンガーが、自分から古い曲ばかりやるのも変だし。
新譜を出したばかりだというのに、当然古い曲が多くなります。中にはボブ・ディランの曲ばかりリクエストする失礼な奴もいた。
終演後も休むことなくCDを買った人にサインをして記念撮影をするスティーブ・フォーバート。
間近で見ると確かに年をとったけど、笑った顔は若いときのままでした。

友部正人
1月26日(水)「マーク・リボー、大雪のニューヨークを歩くには」

夕方一時雨に変わった雪が、夜になってまた激しくなり、たちまちのうちに街中が深い雪の中に。
夜なので雪かきをする人もほとんどなく、歩道にも車道にも雪は積もり放題の状態です。
そんな中、ブリーカーストリートにあるライブハウスにマーク・リボーを聞きに行きました。
ぼくとユミが会場に着くと10時半からのライブはもう始まっていて、予想とはまったく違った
大音量にまずはびっくり。今月だけ毎週水曜日にテーマを変えてやっていて、今日はたまたま
ハードロックの日だったようです。歌を歌ったり、汗を飛ばしながらひたすらギターに
没頭したり、毎回のことですが、いつも全く違う演奏を聞かせてくれる素敵な音楽家です。

真夜中近くになってライブが終わり、外に出ると通りは大変なことになっていました。
数十センチ降り積もった雪で地下鉄の駅まで歩くのも大変。でも、こんなことも
めずらしいので、ぼくたちは一度アパートまで帰ってから、もう一度写真を撮りに外に出かけたのでした。降りしきる雪の中さんざん歩きまわって部屋に戻ったら2時でした。

友部正人
1月24日(月)「The Decemberists」

The Decemberistsのコンサートに行きました。
ぼくのアパートのあるビルの斜め向かいのビーコンシアターで今夜から水曜日までやっています。
ぼくとユミの席はステージから5列目ぐらいでした。周りは若い人たちでいっぱいですが、ぼくたちのような年齢の人もぽつんぽつんといます。
それにしても彼らがアメリカでこんなに人気があるとは思わなかった。ぼくが日本で知った時には西海岸オレゴン州のインデーズバンドだと思っていました。
森からやって来た妖精のような人たち。醜いものを美しいものに、美しいものを醜いものに変える魔法の歌。
使っている楽器も演奏もとりたてて目新しくはないのに、彼らの音楽はダントツに新しく感じます。
シェイクスピアのような語り口とおまじないのようなメロディ。

友部正人
1月22日(土)「ハーフマラソン」

マイナス11度という寒さの中、セントラルパークで朝8時からマンハッタンハーフマラソンがありました。
下はハーフパンツとハイソックス、上は長袖シャツにパーカーを重ね着して走りました。
出がけに「こんな日は棄権したら」と言っていたユミも、応援に来てくれていてうれしかった。
ゴール後に、髪の毛の汗が凍っているのに平気な若者をユミが写真に撮っていました。
記録は1時間33分台で、自己ベストは出せなかったけど60才〜64才の年代別では1位でした。
ユミは準備してきた熱々の蜂蜜入りミルクティーを周囲の人たちにもふるまってものすごく喜ばれていました。

友部正人


1月21日(金)「フィル・オクス」

IFCという映画館でフィル・オクスのドキュメンタリーをやっています。今までぼくは彼のことをよく知らなかったけど、そういえば1974年にぼくがニューヨークにいたとき、クーデターで倒れたチリのアジェンデ政権を支持するコンサートにボブ・ディランも参加するというニュースを新聞で読んだことを思い出しました。このコンサートはフィル・オクスが親友のチリのフォークシンガー、ビクトル・ハラがクーデターで拷問を受け殺されたことに激怒して企画したのでした。
ベトナム反戦運動や学生運動に積極的にかかわり歌い続けたわりには歌手として名声が得られず、次第に意気消沈していく中でアルコールやドラックに頼るようになり、やがて精神のバランスを崩して、1976年に自殺してしまいます。
映画の中で見るフィル・オクスは、はつらつとしていてとても魅力的な人でした。その声は美しい分だけ物悲しく聞こえます。

友部正人
1月19日(水)「World on a Wire」

去年の4月に満員で入れなかったファスビンダーの映画「World on a Wire」をMoMAでようやく見られました。
今回はちゃんと前売り券を予約しました。(今回もキャンセル待ちの人たちが長い列を作っていました。)
3時間半の長い映画だとは知らず、2時間ぐらいのところでエンドロールみたいなものが出てきたので、席を立って帰ろうとしたけど、誰一人立たないので変だなと思っていたら、後半が始まりました。
現実だと思っていた世界が実はもう一つの世界にあるコンピューターで作られた幻想だったというお話。
幻想だからか、実に大勢登場する女性たちがみんなどこか不自然でした。幻想の世界にいる自分が射殺された瞬間、現実の世界に移行できて救われたという話なのかなあ。1973年にテレビ用に作られたものだそうです。

友部正人1月17日(月)「マーサ・ウエインライト」

ロワーイーストサイドの小さなライブハウスにマーサ・ウエインライトのソロを聞きに行きました。
小さい場所だということは知っていたけど、ユミと会場に着いたら場内はもう満杯で、外に長い列ができていました。(キャパは70だそうです。)
ライブが始まってもあきらめきれずに残った何人かの人と一緒に並んでいたら、しばらくしてぼくたちも順番に入場できました。一人帰ると一人入れる、というNYらしからぬ厳密なシステムで、外で待つのは寒かったけれど(体感気温マイナス8度)、40分のステージの半分ほど聞くことができました。

そんなに小さな場所で毎週ライブをするのは、新曲を作ってそれをレコーディングするため。
自分に負荷をかけるためだそうです。作りかけの曲なのか途中で歌詞とメロディがわからなくなったり、代表曲なのに歌詞を忘れてしまい、お客さんに教えてもらったり、そんなところも他人事とは思えず、楽しめました。

友部正人1月16日(日)「アリ・アップ」

去年の10月に癌でなくなった元スリッツのアリ・アップのバースデイライブに行きました。
キャプテン・ビーフハートやピッグバッグのギターリスト、PILやポップグループのドラマー、スリッツのオリジナルメンバーのベーシスト、ネナ・チェリーなどがゲストで、とりとめがないんだけどおもしろかった。後半にスピーチをした女性も言っていたけど、「トラップト・アニマル」という曲、よかったな。最後まではいられなかったけど、それでも会場を出たら12時近かった。

友部正人1月12日(水)「雪のセントラルパーク」

ぼくたちが到着した日に積もった雪がまだあちこちに残っているのに、昨夜から降り出した雪がマンハッタンで30センチぐらい積もりました。
普段は一日のスタートの遅いユミも、こんな日だけはさっさと支度をして、写真を撮りながらセントラルパークに向かいます。
カメラを持った人も大勢いたけど、乳母車に子供を乗せて散歩する女性も多かった。
スキーをはいた人、橇すべりをする子供たち、犬を連れて散歩する人。
まだ午前中のせいか、雪だるまはまだぜんぜん見かけませんでした。
気温はそんなに低くなく、みんな都会に積もった雪を楽しんでいました。

友部正人



1月11日(火)「ルネ・フレミング」
7日からニューヨークに来ています。
今夜はカーネギーホールでソプラノのルネ・フレミングのリサイタル。
ピアノ伴奏だけのシンプルなステージ。マイクは使わないのに声はよく通ります。
前半は20世紀前半の作曲家の難解なメロディの歌が中心でした。
後半に入り、リヒャルト・シュトラウスの曲がなんと古く美しく聞こえたか。
それにしても前半30分、後半はアンコールも入れれば45分。休憩は30分近くありました。
ソプラノはよほど声と体力を消耗するものなのかもしれません。
演奏時間の短さは疾走するパンクバンドなみ。
体の力を抜いて、ピアノにもたれるようにして歌うフレミングの、息をするような歌声がすてきでした。
終演後通りに出たら、雪が降っていました。今夜の雪は積もるようです。

友部正人
1月4日(火)「海炭市叙景」
横浜の映画館ジャック&ベティに「海炭市叙景」をユミと見に行きました。これは終わらない映画です。
ぼくの中でも終わらないし、映画も終わったとはいえない。だからぼくは今もまだ映画を見ている気分です。
役者とかストーリーとは関係なく、ぼくもまた海炭市にいて自分を見ているのです。
友だちの竹原ピストルくんが出ていて、ちょっと照れくさかったけど、よく考えたら映画なので相手はそこにいない。
そう持ったら冷静に見れて、いい笑顔だな、なんて思ったりしました。

ぼくとユミは7日からニューヨークに行きます。戻って来るのは2月8日。二人ともしばらく留守にするので、その間CDの申し込みがあっても、発送は2月8日以降になります。
戻ってきたらまたたくさんライブをします。

明るくなくてもいいから、よいお年を。

友部正人1月2日(日)「あけましておめでとうございます。」

あけましておめでとうございます。
今年も方々から年賀状をいただきました。毎年来る友人からの年賀状やホリデイカードが今年も届くのはとてもうれしいものです。世の中暗いようですが、少なくとも年賀状の中は温かい。

そういえば去年の暮れから、「たまの映画」が始まっています。ぼくはパンフレットに文章を書くのを頼まれたので、DVDで見ていたのですが、たまの知久くん、滝本くん、石川くんのたまのその後を追いかけていて、決してたまを回顧する映画ではないのです。たまから出てしまった3人の映画なのです。
だから「たまの映画」という題とは違うような気もするけど、でもこの3人は永遠にたまなのかも、と思えました。
みなさんはどう思うか、ぜひ見てみてください。

友部正人