友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

12月27日(土) 「リクエストタイムズ 148号」
風邪が治ったらクリスマスも終わっていました。
昨日からユミが「リクエストタイムズ」の制作に取り掛かり、今日完成して印刷&発送も夜までにすませ、ホームページの管理人さんにもデータを送りました。
その後管理人のケチャから、発行日の年号が間違っているというメールが来て、ユミはびっくり。2009年12月となっていました。
すでに発送してしまった定期購読者の方には、各自2009の9を8に直していただけるとうれしいです。どうぞよろしくお願いします。

それではみなさんもよいお年を。

友部正人
12月21日(日)「高松 ビートルズ」
昨日聞きに来てくれた徳島のランニングチームの人と、朝、10キロほど公園を走りました。
それからバスで高松に。今日の「ビートルズ」ははじめてのお店です。
風邪の症状がすでに出かかっていたけど、なんとか鼻声で歌いました。こういうときはいつも「ニレはELM」を最初に歌います。聞きに来てくれた人たちの中にも、風邪をひいている人が多かった。「ニレはELM」を歌えば元気になるよ、言いました。
今年最後のライブが鼻声なんてね。

友部正人
12月20日(土)「徳島 寅家」
店内を改装して新たにオープンした寅家、ステージもちゃんとあって、こんなに広かったんだと感心しました。前はごちゃごちゃして隠れ家のようだった。
徳島はお客さんの年齢が高いのが特徴。しかもほぼ全員が男性でし た。 
こういうのはぼくのライブではめずらしいです。
アンコールで「けらいの一人もいない王様」のリクエストがあって、久しぶりに歌いました。
忘年会のシーズンで今日はたくさんのキャンセルが出た、と主催の寅さんはしょげてましたが、聞きに来てくれた人はしっかり楽しんでいました。

友部正人
12月19日(金)「神戸 ボ・タンバリン・カフェ」
今年の8月にオープンしたばかりのお店に呼んでいただきました。
「ボ・タンバリン・カフェ」はトア・ロードを少し入ったところにあります。
天井が高くて響きのいいお店でした。ドアの取っ手がタンバリンになっていたりして、なかなか気がきいています。ユミは店内をいろいろ写真に撮っていました。
お客さんは若い人が多く、しかもとても熱心でした。その分自然にぼくも楽しめました。
また近いうちにぜひやりたいと思いました。

友部正人
12月18日(木)「京都にて」
ふちがみとふなとの二人と打ち合わせのため、ユミと京都に来ました。
打ち合わせはふちがみさんたちの家で。
去年の6月にニューヨークのぼくのアパートで録音した4曲と、去年10月に京都のふちがみさんたちの家で録音した2曲を合わせてミニアルバムにしようという自主企画です。
ユミとふちがみさんの積極的な発言でみるみるとタイトルなどが決まり、打ち合わせが終わったところに京都に滞在中の浜田真理子さんもやって来て、5人で豚鍋を囲みました。

友部正人
12月14日(日)「水戸 ガールトーク」
水戸に早く着いたので、水戸芸術館に「日常の喜び」を見に行きました。最近目覚しい活躍を見せている浅井裕介くんのどこまでも続く果てしのない絵にここでも遭遇。
もしかしたらいろんな展覧会場を絵で繋いでいるのかしら。
ユミが好きな梅佳代の写真とか、イスラエル生まれの作家の家具の木や家具店でのホームドラマなど、日常はどこまでもおもしろくなることを証明するようないい企画でした。

「ガールトーク」に来たのは久しぶりです。ここは音が良くて感心しました。
音響はやっぱり大事です。それによって歌が大きく変わるから。
ライブの最中に地震がありました。演奏中に地震を体験するのは初めてでした。
でも今日はそんなこと話題にするのも面倒なくらい歌に没頭していました。
これから歌う歌詞がぼくの5歩ぐらい前で導いてくれているみたいでした。

友部正人
12月13日(土)「いわき ソニック」
前から楽しみにしていたイベントがいわきのソニックでありました。
最初にマーガレットズロースが演奏しました。ベースを新調して岡野くんの音がさらに大きくなっていました。大勢のお客さんを前にしてテンションはかなり高め。
激しい曲とそうでない曲との落差が心地よかった。
次に登場したのはイースタン・ユース。3人バンドですが、めちゃくちゃうまかったです。
歌詞は辛口のようでしたが、はっきりと聞き取れなかったのが残念です。
その次がぼくで、今日唯一のソロです。「なんでもない日には」や「びっこのポーの最後」、ユミのリクエストで「もうずっと長い間」「朝は詩人」などを歌いました。
はじめて聞く人にもいい選曲だったかも。
最後は銀杏BOYZ。峯田くんは髪が短くなっていました。その代わりベースの我孫子くんの髪が長くなっていた。お客さんたちは大興奮だけど、満員バスのような状態で、楽屋のモニターで見ました。「銀河鉄道の夜」はやっぱりいい曲だな。
最近はあまりこんな感じのイベントに出なかったので、いい刺激になりました。

友部正人
12月12日(金)「岡田昌」
4年間の癌との闘いを終えて、岡田昌くんが亡くなりました。47歳。
今日1時から三重県亀山のお寺で告別式がありました。
30分ぐらい前に着いたのに境内はもう人でいっぱいでした。癌を告知され、歌舞伎昌三という舞踏家に変身したマサル、奥さんの佳織さんもあいさつで言っていましたが、いつの間にかこんなにも大勢の人の輪を築き上げたのでした。
後ろを見ると、ソウルフラワーの中川くんの姿が。昨夜のライブの後車を飛ばして来て朝着いたとか。
告別式の最後にマサルの息子のミッキーが三線で「満月の夕」を歌いました。
途中歌声が涙で途切れて、ぼくもユミももらい泣きしました。

お葬式の後は「月の庭」の庭に三々五々いろんな顔見知りが集合して、いつのまにかライブになりました。ぼくも「夕日は昇る」と「ぼくは君を探しにきたんだ」を歌いました。
暮れ始めた空には満月が昇り、「あれはきっとマサルが参加したくて満月になってやって来たんだ」と誰かが言い、そのまままた「満月の夕」の大合唱になりました。
本当に、なんて楽しいお葬式だったことか。

友部正人
12月11日(木)「ソウルフラワーとフラワーカンパニーズ」
ソウルフラワーユニオンとフラワーカンパニーズのライブが横浜でありました。
場所はドラゴンクラブというライブハウス。ぼくもユミも初めてで場所がわかりにくかった。
最初にフラワーカンパニーズが1時間ぐらい演奏しました。「大人の子守唄」「この胸の中だけ」「深夜高速」の三連発は圧巻でした。最後に「東京タワー」をやってくれたのもうれしかった。それにしてもよくあんなに声をしぼりだせるものだと思いました。

後半はソウルフラワーユニオンでした。今までモノノケサミットはよく聞いたけど、ソウルフラワーユニオンはライブでは2度目ぐらいなのを思い出しました。
というのは、中川くんが三線ではなくエレキギターを弾いていたから。
ソウルフラワーのステージはポジティブなエナジーにあふれていて、見ているだけでも楽しかった。これぞライブバンドです。演奏がうまいのも感心しました。

終演後、9日の夜についにこの世を去った岡田昌くんのことを中川くんと話しました。
ぼくたちは明日の告別式に行くつもりです。

友部正人
12月7日(日)「犬山市 ふう」
犬山の町並み保存地区にある喫茶店「ふう」でライブをしました。「ふう」は8年前からあったそうだけど、ぼくは今日が初めて。
オーナーの小川さんは今回のために、10月の岐阜市でのライブを聞きに来てくれました。
そうやって、歌う人との関係が生まれてからライブをしたいのだそうです。
喫茶店の部分だけではなく、普段は使っていない畳の部屋二部屋をぶちぬいてのライブです。後で気がついたけど、一番奥の部屋には仏壇がありました。
とにかく大勢の人が来てくれて楽しいライブになりました。この町には散歩するような時間が流れています。

友部正人
12月6日(土)「名古屋市 空色曲玉」
千種区にある自然食レストラン「空色曲玉」は天井の高い心地よいお店でした。
漆喰と木造の建物はギターを弾くと心地よく、リハーサルだけでもいい気持ちでした。
今日は讃くんの陶展のオープニングの日でもあります。
讃くんの器は使ってみるとその気持ちよさがわかります。特にお茶碗は最高。

オーナーの谷さんの要望で、前半は一つの詩を朗読と歌で聞かせるという内容でした。
歌になっている詩をまず読んで、それからギターで歌うのです。これはぼくにとっても初めての試みで、非常におもしろいと思いました。自分にとっても詩を確認するきっかけができるからです。またどこかでやってみたい。

友部正人
12月5日(金)「瑞浪市 待夢珈琲店」
今日から3日間のライブは、瑞浪市の陶芸家、大泉讃さん企画によるものです。

1日目のライブは、瑞浪市の「待夢珈琲店」でありました。「待夢珈琲店」のオーナー、今井さんご夫婦は学生の頃にぼくの歌をよく聞いていたそうです。
今井さんのぜひにというリクエスト曲は「乾杯」。今でも自分で歌えるそうです。
毎年珈琲豆を求めて中近東に旅するという今井さんの、コーヒーへの情熱と同じぐらいの歌への情熱を感じました。おかげで今日は早くからソウルドアウトだったそうです。

友部正人
11月29日(土)「ブギ・ナイト」
香川県高瀬町の「ブギ・ナイト」というお店でライブ。
お店の名前でもわかるように、「ブギ・ナイト」の湯口さんは昔からの三宅伸治ファンで、三宅くんに来てもらうためにライブのできるお店にしたそうです。
郊外にぽつんと建っているお店ですから、みんな車でやって来ます。
またたくまに駐車場は満杯。そんな様子がものめずらしかった。
リハーサル中の突然の雷鳴と集中豪雨で、今年のフジ・ロックのときのことを思い出し、天候まで三宅伸治ファンなのかな、と思いました。
湯口さんはまだ32歳、これから毎年ライブに呼んでくれるそうです。

友部正人
11月28日(金)「リング」
昨日に続いて、今夜は高知の「リング」というお店でライブをしました。
はじめに高須賀満さんと浜田裕介くんが歌いました。高須賀さんはめずらしくボトルネックを披露し、浜田くんは今録音中の曲を聞かせてくれました。
ぼくは昨日朗読をたっぷりとやったので、今日は歌に専念することにしました。
そしてぼくの歌の単純なメロディは限りなく朗読に近いなあ、感心したのでした。

友部正人
11月27日(木)「ひとりno media」
高知市の「東風」というインド料理店で、詩の朗読の集まりがありました。
以前その場所で「たんぽぽ書店」という古本屋を長い間やっていた片岡千歳さんをしのぶ朗読会でした。前半は千歳さんと親しかった高知の詩人たちや、千歳さんの二人の息子さんたちが千歳さんの詩を朗読しました。ぼくも千歳さんに3回お会いしたことがあります。年をとってもじっとしていない、強いエネルギーを感じさせる人でした。

後半はぼくが自作の詩を朗読しました。今日はあえて歌にして歌ってきた詩を中心に朗読してみました。やはり何度も声にしてきた言葉には生命が宿っている気がします。おもしろい発見でした。ぼくも最後に片岡さんの「最上川」という詩集から一編を朗読しました。

友部正人
11月24日(月)「リクエスト大会」
吉祥寺スターパインズカフェでの恒例のリクエスト大会、前回までは一人3曲でしたが、今回からは1曲にしました。ステージでの選曲もバケツからくじのように引いて、それを演奏するという形です。
トレイシー・チャップマンがニューヨークでのコンサートで、ロビーにリクエスト曲の投票箱を置いていたのを思い出して真似たのです。
このやり方はお客さんにも好評でした。たった一票の曲でも演奏する可能性が高いからです。実際、演奏した20曲のうちのほとんどが一票の曲でした。

今回リクエストが一番多かったのは「ぼくは君を探しに来たんだ」、二番目が「水門」と「なんでもない日には」、三番目が「アイ・シャル・ビー・リリースト」「はじめぼくは一人だった」「夕暮れ」でした。
リクエスト大会はぼく自身も演奏曲目がわからず、お客さんとの対等感が高くて楽しいです。リクエストを集計したりする作業は、今年から一人一曲にしたので楽だったそうです。

友部正人
11月23日(日)「タダツタケシ」
銀座の画廊にタダツくんの個展を見に行きました。PLATFORM STUDIOという画廊は古いビルの一室で、元アパートだったというそのビルの中は小さなギャラリーでいっぱいでした。
タダツくんはぼくの「ジュークボックスに住む詩人2」のカバーの絵を描いた人で、ニューヨークで友だちになりました。線の太いぶっきらぼうな絵には少年時代への郷愁とぬくもりが感じられます。個展は11月29日まで開かれています。

同じビルの中のギャラリー403では、パスカルズのメンバーの永畑風人くんの個展も開かれています。

友部正人
11月17日(月)「句会」
今朝は4時に起きて、仙台の火星の庭の句会に参加しました。日本時間の午後7時からの句会なので、ニューヨークでは朝の5時になります。
なんとかぼくもユミも、昨日の夜のうちに三句ずつメールで提出して、そして今朝、集まった俳句の中から五句ずつ選句。
まだ結果は届きませんが、一番わくわくする瞬間です。

なんだか走ってばかりの今回のニューヨークでしたが、明日やっと日本に戻ります。
そして11月24日は吉祥寺のスターパインズカフェで久々のリクエスト大会。
リクエスト方法はいつもと同じで、当日にならないとわからないのがぼくにはつらいのですが、それがこのライブの楽しみでもあります。
一ヶ月も歌を歌っていないので、今から待ち遠しいです。
ではライブでお会いしましょう。

友部正人
11月16日(日)「4マイルレースの応援」
セントラルパークで4マイルのレースがあって、友人が何人も出るので、ユミと応援に行きました。参加者は8000人近く、全員がスタートするのに15分以上かかっていました。最後の走者がスタートして5分もしないうちに1位の人がゴールして、空から見たらきっと切れ目のない円に見えたでしょう。
ユミは一人でいつものように走っていたのですが、途中でレースの人たちと合流してしまい、巻き込まれて焦ったようです。
ぼくは自分が走るのもいいけど、応援するのもおもしろいなと思いました。
マドレンもレースに出ていたので、作ったクッキーを持って行って食べてもらいましたが、おいしいと言ってくれました。
レースの後はうちでみんなとまったりと過ごしました。

友部正人
11月15日(土)「60K」
セントラルパークの4マイルコースを9周半する60キロのレースにでました。
みんなから苦行以外の何物でもないと聞いていましたが、マラソン以上の距離をまだ一度も走ったことがなくて出てみたかったのです。
今日は気温がとても高く大雨、という悪天候の予想のせいか、参加者は200人ぐらい。
制限時間の9時間以内に完走したのは78人でした。
ぼくは後半は4マイルごとに立ち止まり、給水をしたりバナナを食べたりして、5時間46分40秒でようやくゴール。19位でした。
それにしてもきつかった。途中大雨が降り、全身びしょぬれになったのですが、ユミが着替えのシャツを用意して応援に来てくれたので、レース中に着替えることができてしあわせでした。

夜はボストンに留学中の、チェロ奏者の橋本歩さんがニューヨークに遊びに来て、3人でうちの近所のビッグ・ニックにハンバーガーを食べに行きました。

友部正人
11月14日(金)「オートミールレーズンクッキー、ホイットニー」
ニューヨークのアパートには必ずついている大きなガスオーブン、それをぼくたちは今までちゃんと使ったことはありませんでした。たまにピザをあっためるぐらい。
そこで今日はオートミルレーズンクッキーに挑戦してみました。
ヨシの奥さんのマドレンのレシピです。
最初はぼくが作る予定でしたが、なぜかすぐに断念。ユミが作ることになり、ぼくはただバターと砂糖をこねただけです。
1回分の材料を2回に分けて焼きました。2回目はとてもうまく焼けて、ちゃんとオートミールレーズンになっているのでぼくもユミも大感激。

夜はまたホイットニーにウィリアム・エグルストンを見に行きました。先週はフィルムまで見る時間がなかったので。
1973年に手に入れたSonyのビデオカメラで撮った約1時間の映像です。
グロテスクなくらい人の顔を間近から撮ったり、カメラがひっきりなしに動いたりと、ビデオはいかにも初心者という映像でしたが、ファリー・ルイスというブルース・シンガーの映像が見られたのはうれしかった。パワフルなエンタテイナーで、南部では人気があったみたいです。

友部正人
11月12日(水)「ヨシ、黒田征太郎さんの個展」
ヨシとマドレンの家に行きました。
お昼をチャイナタウンで食べよう、と言っていたのですが、ぼくとユミがだいぶ遅くなったために、急遽ヨシの手料理に変更。
でも、ニューヨークでエイのスープなんてなかなか食べられないから、うれしかった。

結局夕方までヨシのところにいて、その後は大型古書店「ストランド」に買い物に行きました。画集を2冊と写真集を1冊買って、そのまま黒田征太郎さんの個展「マッド・フラワー・ショウ」のオープニングに行きました。
黒田さんは中国に行っているとかで会えませんでしたが、黒田さんの描いたたくさんの犬と花の絵に会えた。
会場で待ち合わせていた久下さん、みかさんとぼくたちの4人で、その後スペイン料理を食べに行きました。

友部正人
11月11日(火)「フランク」
先日の約束どおり、フランク・クリスチャンのアパートにユミと遊びに行きました。
フランクが今のところに引っ越して3年になるそうです。ということは、それぐらいの間ちゃんと会っていなかったことになります。
しばらくフランクの部屋でギターを弾いたり歌ったりしてくつろいだ後、近所のタバーンに行きました。ぼくとユミはビールとワイン、フランクはバーボン。
来年はまたフランクとライブができたらなあ、と思いました。

友部正人
11月10日(月)「ミロ、ジミー・ホワイト」
MoMAにミロを見に行きました。前からミロはすてきだなあ、と思っていたのですが、実は何を描いてあるのかはわかりませんでした。今回の展覧会では、ミロが抽象画の下絵にした自分のコラージュも一緒に展示されていて、ああ、これがあんな風になったんだ、ということがわかるようになっています。
あのぐにゃぐにゃした女性のような形が、実は工具や乗り物だったことがわかってとても新鮮でした。

駆け足でミロを見た後は、イースト・ビレッジまでジム・ホワイトのライブを聞きに行きました。前に友人が貸してくれた「Searching For Wrong-Eyed Jesus」というドキュメンタリービデオに出ていて、すごく変な人だなあ、と思ったことを思い出して、ただそれだけで聞きに行ってみたくなったのです。そういうぼくもかなり変な人かも。
でも、聞きに行ってよかった。確かにすごく変なところがあるけど、詩をていねいに伝えようとしていて、はっきりとはわからなくても、いつのまにか映像を見ているようでした。もう少しいろいろ聞いてみようかな、と思いました。

友部正人
11月9日(日)「バン・コートランド」
ブロンクスにある広大なバン・コートランド公園で、3マイルのクロスカントリーレースがありました。去年はユミが年齢別で3位に入賞してアクリルのたてをもらったのですが、今年は見学。ぼくと良平くんと栄子さんが走りました。
起伏の激しい山道を走るレースですが、2回目で慣れてみるとたいしたことはない。
それでもぼくは入賞はできませんでした。
応援に来た人たちも含めて、レースのあとはその近所のピザ屋で2時間ぐらい無駄話をして楽しく過ごしました。

友部正人
11月8日(土)「フランク・クリスチャン」
ぼくらの長年の友、フランク・クリスチャンがめずらしくライブをするというのでユミと聞きにいきました。場所は東35丁目にある教会の集会室。
相変わらず長髪のフランクですが、久しぶりに会うとちょっと老けたようです。
ミシシッピー・ジョン・ハートらのブルースをメインに、自作も何曲か披露してくれました。ナンシー・グリフィスもカヴァーしている「スリー・フライツ・アップ」を歌って終わり。
自分の曲の自信にあふれた演奏に比べると、トラディショナルなどは弱く思えました。来週また3人で会う約束をして帰りました。
会場で久しぶりにデイブ・ヴァン・ロンクの奥さんのアンドレアに会えたのもうれしかった。

友部正人
11月7日(金)「カルダー、ウィリアム・エグルストン」
ホイットニー美術館に行きました。
アレキサンダー・カルダーの「The Paris Years」を見るのが目的でしたが、同時に開催されている「William Eggleston」の写真とビデオと映画の回顧展もおもしろかった。彼はニューカラーといわれるカラー写真のパイオニアだそうです。人間を撮る代わりに、人間を感じさせるもの、場所や風景を撮っています。ユミはすっかりこの人の写真にはまっていました。

カルダーの作品をこんなにたくさんまとめて見たことはありませんでした。
画家になりたくてパリに行き、そこで針金を使う3次元のアートを編み出します。
その比類ない表現力にはいつも感心させられます。
今回は彼のパリ時代がテーマで、その当時の彼のサーカスのおもちゃが大量に見られたのもよかった。何度でも足を運びたくなる展覧会です。

友部正人
11月6日(木)「チェルシー、チャーリー・ヘイデン」

「歯車とスモークド・サーモン」のジャケットに写っている料理を作ってくれた栄子さんがスタッフをしている写真家、杉本博司さんの「7 Days/7 Nights」という個展のオープニングにユミと行きました。
会場をまん中で昼と夜に区切り、同じ海の写真が7枚ずつ展示されていました。その展示方法自体画期的でおもしろいのですが、しーんとした水平線だけがわかる海の写真がすばらしく、こんな写真を自分の家にかけておけたらいいなあ、と思ったのですが、後で栄子さんに聞いたらオリジナルプリントは1枚4500万円以上するとか。杉本さんは11月下旬から金沢の21世紀美術館でも展覧会をするそうです。

少し早めにチェルシーに着いたので、近くの画廊をうろうろしていたら、11thアベニューでユミがへんてこな空間を見つけ、二人で入ってみました。
中には化粧をした、へんてこな若者がいて、ぼくたちに「ようこそ、ここはグリンゴランディアですよ」と言いました。なんとなく、アリスのワンダーランドに迷い込んだ感じ。中はひどく雑然としていて、ディランやらギンズバーグやらケルアックやらの似顔絵も壁に貼ってあります。たいていの人はわけがわからず、中に足を踏み入れもしないのですが、ぼくたちがしばらくぐずぐずしているので、若者はぼくに「ギターは弾くか」と聞いてきました。
「たまにね」と答えると、彼はどこからか小ぶりのギターを持ってきて、自分の歌を歌い出しました。ぼくにも歌わないかというので、「ドント・シンク・トゥワイス」を日本語で歌いました。彼は気に入ったようで、帰り際にぼくたちに彼の自主制作CDをくれました。
彼の名前はミッキー・ウェスターンで、CDにはなかなか気持ちのいい歌が何曲も入っていました。

チェルシーから、ぼくはヴィレッジの「ブルーノート」へチャーリー・ヘイデンのリベレーション・ミュージック・オーケストラを聞きに行きました。
彼らの1枚目のアルバムが出たときから、ずっとこのバンドが聞きたかったのです。
ちょうど大統領選挙に合わせたライブがあってラッキーでした。
彼らの音楽に歌はないけど、音とハーモニーに言葉を感じます。
その言葉が言わんとしていることも、その泥臭い音色の中から聞こえてくるような気がしました。

友部正人
11月5日(水)「大統領選」
朝目が覚めたらユミが、「大統領はオバマになったよ」というので、テレビのないぼくたちは、ニューヨークタイムズのインターネット・ビデオで、オバマの勝利演説を何回も繰り返し見ました。昨夜のうちに勝利は決定していたそうです。
奴隷時代を経験したことのある106歳のアン・ニクソン・クーパーという黒人の目にアメリカの長い歴史を重ね合わせ、アメリカの未来を自分の娘の目に重ねるあたりの演説にとても感動しました。なんとなく窓の向こうに明るい未来が訪れているような気がしました。
お昼ごろニューヨークタイムズを買いに外に出たけど、すでに街中のニューズスタンドから新聞は売り切れてなくなっていました。

夜はクイーンズのマサのアパートで、ランニング仲間が集まって、マサのおでんでポスト・レース・パーティをしました。味がよく染み込んでいておいしいおでんでした。

友部正人
11月3日(月)「マラソン翌日」
マラソンの翌日は、セントラルパークのゴールのあたりに、痛そうに足をひきずった人たちが、三々五々やって来て、まだタイムが作動したままのフィニッシュの前で、記念撮影をしたり、タバーン・オン・ザ・グリーンのテントの中でTシャツやキャップなどのおみやげの買い物をしたりしています。
ぼくとユミは12時ごろ、今年初めてマラソンに出場して完走したマサと待ち合わせて、メダルの裏に名前とタイムを彫ってもらいました。
テントの中では、5時間以内の完走者(約3万人)の名前とタイムが載った今日のニューヨークタイムズを売っていて、記念に一人何部も買っていきます。
今日一日は街中によろよろ歩く人を見かける、そんなニューヨークです。

友部正人
11月2日(日)「ニューヨークシティマラソン」
1年に一度だけマラソンに出るとしたら、ぼくはやはりニューヨークシティマラソンがいいです。今年で7回目になります。
もう目をつむっても走れるくらいコースは頭に入っています。今年は今までで一番寒かったかもしれない。ニューヨークの朝は摂氏4度ぐらいかな。
マンハッタンよりも気温の低いスタテンアイランド(スタート地点)での長い長い待ち時間がつらかった。

今年からウエイブ・スタートという方式がとられることになりました。
スタートのときの混雑を解消するために、第一波、第二波というように、速い人から順に時間差でスタートするのです。そのおかげで今年は最初から自分のペースで走れて、そのせいがどうか結果的に3時間17分13秒の自己新記録でした。
今年はユミのまわりに、一緒に応援したいという若い人たちが何人も集まってきて、いつになく華やかでした。
ぼくは癌とたたかっている、三重県「月の庭」の岡田昌くんを応援したくて、シャツの背中に「RUN for MASARU」と書いた布をつけて走りました。

友部正人
11月1日(土)「ボブ・ディランのジーザス・イヤーズ」
「Inside Bob Dylan's Jesus Years」という映画の初上映会に行きました。
ユダヤ人のディランがキリスト教に改宗したころの話です。
本人はいっさい出てこなく、周りの人たちへのインタビューだけでまとめられています。インタビューをされる人がほんの数人に限られていて、見続けるのにかなり忍耐を要しました。
ぼくは明日がニューヨークシティマラソンなので、結局最後までは見ないで帰りました。ごく少数の人にだけ興味のあることにとことんこだわって、ものすごい低予算で作ったような映画でした。

友部正人
10月31日(金)「パスタパーティー」
沖縄から戻ったばかりなのに、ヨシがニューヨークシティマラソンを走るランナーたちのために、パスタパーティーを開いてくれました。
写真家で絵描きでマラソンランナーで料理人もあるヨシの食事会は、ぼくたちの間ではとても有名です。
広いロフトにランナーや応援の人たちや、大勢が集まりました。
沖縄からNYに戻るときに成田空港で偶然知り合ったという、エリートランナーの方山さんという人にも会いました。優勝をねらえるような記録を持つ人です。

友部正人
10月30日(木)「チェルシー」
今日からニューヨークシティマラソンのEXPOが始まって、ミッドタウンを通るEXPOのシャトルバスを利用して、ユミと行ってきました。

その後徒歩でチェルシーに行き、久しぶりに友だちのメグに会い、3人でチェルシーのギャラリーの個展のオープニング巡り。チェルシーは木曜日のオープニングが多いのだそうです。
全然知らない作家のオープニングに紛れ込み、ただ酒を飲むのは気が引けたけど、こちらではみんなやっていること。
いくつかのギャラリーを回ってみて、美術館よりもおもしろいなあ、と思いました。
美術館に入る前のまだ生まれたての新鮮なアートの匂いがしました。

その足で3人でマディソンスクエアパークに。ラファエル・ロザーノという人の光の作品と、川俣正さんのトゥリーハウスを見ました。
トゥリーハウスは木の高いところにあり、とても登れそうもないけど、ロザーノさんの、芝生を照らす漣のような光の海にはどっぷりとつかることができました。

友部正人
10月26日(日)「レコードフェア」
8時半からセントラルパークで5マイル(8キロ)のレースがあったのに、目が覚めたらもう7時半、コーヒーを飲んで顔も洗わずに出かけました。さいわいお酒はもう体に残っていなくて、走るのはつらくはなかったけど。

お昼を食べてから、今日もまたレコードフェアに。
今日は昨日とは逆周りにお店を見ていきました。4時間もいると疲れてしまって、結局まん中のあたりのお店は見られなかった。最終日は半額になっていたりするのでうれしいです。今日は9枚買いました。

友部正人
10月25日(土)「レコードフェア」
ニューヨークシティマラソンのコースの最後の10マイル(16キロ)を、ぼくも加入しているランニングチームGNYのメンバー40人で、今朝試走しました。
よく知っているコースでも、こうしてレースの直前に一度走っておくと、これでだいじょうぶ、という気持ちになります。

WFMUというラジオ局が毎年開くレコードフェアが、今年は1週間早まりました。
おかげでニューヨークシティマラソンと重ならず、3日間のうちの2日行けます。
何百という中古レコード店がひしめく会場に足を踏み入れても、しばらくはどこから手をつけていいのかわからない。とりあえずざっと見て、買うのは翌日にしようと思っていると、目当ての店はもう帰ってしまっていたりする。1日しか出店しない店も多いのです。それにあまりにもたくさんのレコードを見るので、
後で買おうと思っていても、覚えていられません。
そんなこんなで、今日は2時間ほどいて3枚だけ。

マンハッタナーズの猫の絵を描いている久下さんのアパートでパーティがありました。
絵のモデルの猫が5匹久下さんと暮らしています。アパートは元修道院だったそうで、とてもめずらしい造りです。
飲み物も食べ物も持ち寄りだったので、どれもおいしそうなものばかりでしたが、大勢いたのにたくさん余っていました。ぼくとユミは最後までいて、家に帰ったらもう3時半でした。

友部正人
10月22日(水)「寒波」
早朝ユミとセントラルパークに走りに行きました。長ズボンに長袖、もう冬の気温です。
こちらは10月末までは夏時間を使っているので、7時ぐらいまで暗いです。
本当ならまだ6時なので、日本でもまだ薄暗い時刻ですが。

本屋に行ったら、村上春樹の「走ることについて語るときに僕が語ること」がもうすでに英訳されていました。小説だけではなく、こういったエッセイまで訳されて読まれていることに感心してしまいました。

友部正人
10月20日(月)「ニューヨークへ」
夕方の飛行機でニューヨークへ。同じ日のほぼ同じ時刻に到着しました。実際には12時間近く飛行機に乗っていたのに。
さっそく隣のマーケットに買出しに。ニューヨークの人たちはもうすでに冬のようなかっこうです。ぼくたちはそんなには寒く感じなかったけど。
今回は飛行機の中でぐっすり眠ったせいか、いつもほど眠気におそわれずにすんでいます。

友部正人
10月19日(日)「動物たち」
横浜そごうの屋上で、彫刻家三沢厚彦さんの木彫りの実演がありました。
友だちに勧められて、ぼくとユミは前に、平塚美術館の「アニマルズ プラス」という展覧会に行ったことがあって、今回のそごうの「アニマルズ 08」にも行きました。
新作の巨大なライオンは700キロも重さがあるそうです。

この日の屋上は風が強く、大勢の人が木屑を全身に浴びながら、チェーンソウで熊を制作する三沢さんを取り囲んで見学しました。高さ1メートル50センチぐらいの楠を、丸太の状態から制作を始めました。約1時間でなんとか熊かな、というあたりまで制作して、ノミで犬の木彫りに入りました。熊は完成させるのに1ヶ月ほどかかるそうです。

あたりに散乱した木っ端を拾って、みんなそれにサインをしてもらいました。楠は香りが
強く、消臭剤の役目もするそうです。ユミもひとかけら拾い、サインしてもらいました。

友部正人
10月18日(土) 「詩のボクシング」、「フツーの仕事がしたい」
審査員としてですが、はじめての「詩のボクシング」体験。
午前10時半からのリハーサルに間に合うように、横浜を朝7時半に出ました。
ぼくは歌も少し歌うことになっていたからです。
横浜よりはかなりひんやりとした山梨県都留市、会場はその山の上にありました。
今日の決勝大会出場者は16人。審査員は7人です。
持ち時間は3分、中には最後までいかないうちに終わらなくてはならない人もいました。
みんな真剣ですから、こちらも真剣になります。真剣と真剣だと言葉がびしびし入ってきます。そういうところがおもしろい大会でした。
優勝は20代の女性。東京の全国決勝大会に進みます。体の中からゆっくりと言葉をつむぎだす様子が伝わってきて、感心しました。

「詩のボクシング」が夕方6時半に終わって、そのままユミと横浜の映画館「ジャック&ベティ」に向かいました。土屋トカチさんのドキュメンタリー映画「フツーの仕事がしたい」の最終上映の後、夜10時20分からライブをすることになっていたからです。
「フツーの仕事がしたい」は、殺人的な長時間労働を低賃金で続けたトラックの運転手が、ユニオンに加入して、フツーの労働環境を勝ち取るまでの話。
途中には、ユニオンからの脱退を会社側の男たちが暴力で迫るシーンもあって、カメラをかまえる土屋さんも暴行を受けています。何から何まで生々しい映画です。
予告編を見たユミが応援したくなって決めた、今日のライブでした。

ぼくにしては珍しい長い一日が終わって気がゆるみ、ジャック&ベティのスタッフも加わって、3時ごろまで映画館の事務所で飲んでしまいました。

友部正人
10月13日(月)「大阪 martha」
今回のカフェ・ツアーの締めくくりは、大阪の阿波座にある「martha」です。
前に一度下見をかねて来たことはあるけど、ライブをするのははじめて。
店はビルの1階で、通りに面した部分は全面ガラス。ぼくはその前で、夜の街を背景にして歌いました。
最初のうちは曲順を決めておくのですが、途中からは思いつくままです。
今日はめずらしい曲では「ショウマン」をやりました。これは歌詞を見ながらですが、新しい曲も古い曲も歌詞がしみついている曲を歌いました。
アンコールでリクエストがあった「フーテンのノリ」は、後半がちょっとぐちゃぐちゃになったけど。

今日のためのライブメニューに絵を描いたのですが、ぼくも記念にもらいました。
出演者がライブ用メニューに何か書くようになって、メニューを持ち帰るお客さんが増えたそうです。本日は「歯車とスモークド・サーモン」というパスタがありました。
ライブが終わってから、ぼくとユミもそのパスタを食べました。

友部正人
10月12日(日)「京都市 SOLE CAFE」
仏教大学のそばの白っぽいお店です。村田さん夫妻が7年前に建てたそうです。
パンがおいしいらしいけど、今日はライブの日なのでメニューに食べ物はありません。
(でもユミが、ここのパン食べたかったなあ、としゃべっていたら、ライブのあと、丸いパンを出してくれました。もちっとしておいしいパンでした。)

カーテンがないので、通りが丸見えです。当然、通りを行きかう人たちからも、中にいるぼくたちがよく見えたはずです。でも、近所の人たちはなれているのか、足を止める人はいません。
めずらしく京都にいたふちがみとふなとの渕上純子さんが、自転車で聞きに来てくれました。ぼくにステージに呼ばれないようにと、さっそくビールを飲み、お客さんになりきっていました。でも、アンコールで「ドント・シンク・トゥワイス」のリクエストがあって、誘ったらステージで一緒に歌ってくれました。

友部正人
10月11日(日)「岐阜市 カフェクローバーサボウ」
今回のツアーは3箇所ともはじめてのカフェばかりです。

クローバーサボウは県立美術館の近くにあります。中国茶の専門店といっても、若い女性がやっているので、堅苦しさや権威的なところは微塵もありません。
そういったところは、最近はやりの「女子の古本屋」的です。

主催は7年前にも岐阜でライブをしてくれた杉江さん夫妻。前回同様、今回も記念のパンフレットを作り、ぼくも子供の頃に住んだことのある岐阜の思い出を書きました。
こじんまりした店内はお客さんでぎっしり、休憩時間はお店の外でギターの弦を替えました。弦を替えたら、ギターの音が急によくなったみたいです。
「夢がかなう10月」や「少年とライオン」など、最近はあまりやらなかった曲もやりました。

友部正人
10月9日(木)「横浜トリエンナーレ」
夕方からユミと、2時間ぐらいでトリエンナーレ2会場をまわりました。
「タイム・クレバス」という今回のテーマがどれほどアーティストに意識されているかはよくわかりません。ただ、盛りが過ぎた後の、始まりの手前という感じの今回のトリエンナーレ、あまりお祭り気分はありません。
BankART NYKの会場では、15歳未満は入場制限されている映像作品が3つもありました。会場ではただあっけにとられて見ているだけでしたが、時間がたつと、どうしてああいうことをするのだろう、と考えるようになります。
行き詰まりを打破しようとしているのかもしれないけど、力ずくという感じが気になりました。
それに比べて勅使河原三郎さんの硝子の破片と光を使った作品は、時間が止まったように美しかったです。

友部正人
10月8日(水)「双葉双一くんと」
双葉双一くん主催のライブに呼ばれて、代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」に初めて行きました。
双葉くんのことはぼくのエッセイ集「ジュークボックスに住む詩人・2」でも紹介していますが、とても繊細でありきたりじゃない詩を書いて歌う人です。
双葉くんの歌は本当に久しぶりに聞いたので、ぼくの知らない歌ばかりでした。
日常会話も詩になるくらい、日常が詩になっている感じです。
最初に歌った双葉くんも、後で歌ったぼくもソロでした。
若いお客さんが多かったけど、みんな真剣に聞いていました。
ライブ中ずっと、浅井裕介くんがステージの後ろの壁にマスキングテープと黒いマジックで生き物や木々の絵を描いていました。ぼくは浅井君とは何年か前に横浜のBankARTで知り合いました。
10月13日まで赤坂で開催されている「Akasaka Art Flower 08」でも、浅井くんの泥絵が見られます。部屋一面の巨大な絵です。ぼくとユミも7日に見てきました。
この展覧会は、会場がいくつにも分かれていてかなり歩かされますが、その分楽しみも多い、ある意味では参加型の展覧会です。

友部正人
10月5日(日)「今金町 サウンドアレイ」
5年ぶりの今金です。今回は札幌の主催者、木下さんと車でやって来ました。
サウンドアレイはベーシストで歯科医の鈴木さんのプライベイトホールです。
音響システムも知り尽くしているので、リハーサルの最初から鈴木さんはぼくの好みの音にしてくれました。主催はその鈴木さんと、フォークシンガーでお寺の住職の阿知波さんです。

お客さんは若い人もいますが、小さな子供を連れたお母さんたちもいました。ぼくが「ユニコーン」を歌ったら、とても感動してくれました。鈴木さんや阿知波さんの影響で、今金には音楽やライブの好きな大人がたくさんいるようでした。

友部正人
10月4日(土)「札幌 ウッドストック」
今年2回目の札幌です。前回は「くう」でしたが、今回は街の真ん中にある「ウッドストック」、ガラス張りの森の中のような店です。
そこで店長をしているギターリストの金安くんが今日のゲストでした。
金安くんは元スカイドッグブルースバンドのメンバーなので、ぼくとは昔何回も一緒にライブをしたことがあり、たいていの曲は今でも覚えていてリハーサルなしでもだいじょうぶなくらいです。
今日は一緒にレコーディングをした「1976」の中の曲から、ぼくの最近の曲まで8曲ぐらいセッションしました。ツアーでは一人で演奏しているので、反応する相手がいるのは新鮮でとても楽しいです。たまにはバンドもやりたくなります。

友部正人
10月3日(金)「留萌 ニューポート」
はじめての町、留萌に歌いに来ました。
今回のツアー・コーディネイターの木下さんと札幌駅で会って、留萌までは車で4時間の旅。ずっと雨で、北海道は今日から寒くなったそうです。
ニューポートは紳士服のお店ですが、その奥にちょっとしたライブスペースがあります。ステージにはグランドピアノがあって、普段はおもにジャズのライブをやるそうです。ニューポートのご主人が音響をしてくれました。

主催は留萌でセブンイレブンを営む松村さんや、彼の友人たちです。ぼくの歌を聞くのははじめての人が多いようでした。意外だったのは、朗読に興味をもってくれた人が何人もいたことです。LIVE! no mediaのDVDを買ってくれました。
後半になるにつれて音がやわらかくなっていって、ぼくの歌も調子にのってきました。
お客さんたちは上品で、ちょっとした話にも反応してくれます。そうするとぼくも安心して、いろいろな歌を歌いました。雨はまだ降り続いていました。

友部正人
10月2日(木)「三渓園」
横浜の本牧にある三渓園まで、ユミとランニングで行って、トリエンナーレの作品を見てきました。往復で17キロぐらいで、ちょっとした長距離走でした。5組のアーティストが作品を展示したりパフォーマンスをしていましたが、霧の作品が会場にもぴったりで、うっとりするくらい美しかった。

友部正人
9月26日(金)「栗コーダー・カルテット」
栗コーダー・カルテットと加藤千晶さんと知久寿焼くんのライブが横浜のサムズアップでありました。栗コーダーは知久くんの発案で生まれたそうです。加藤さんも知久くんとは古い友だちのようでした。
栗コーダー・カルテットは、リコーダーやギターや小さな打楽器の4人編成のバンド。
リコーダーといっても、小さなものから人間の背丈より大きいものまであることを知りました。歌のない音楽なのに歌が聞こえる、古いみたいで新しい音楽でした。
加藤さんは普段はバンドらしいけど、今日はピアノで弾き語り。ぼくもユミもはじめて聞きました。ベランダに干した洗濯物のように気にかかる人。
それから最後に小さなギターやウクレレで歌う今日の知久くんを聞いて、雄大な悲しみは喜びに似ている、と思いました。

友部正人
9月23日(火)「BankART Life 」
横浜トリエンナーレと平行して、「BankART Life 」という催しがBankART 1929やNYKなどで開かれています。先日のぼくの川くだりライブも、この中の企画でした。
昨日はぼくもユミも時間があったので、BankART 1929とNYKに行ってきました。
BankART 1929には動く機械の作品が展示されています。川瀬浩介さんのベアリング・グロッケンという、金属の玉で鉄琴を自動演奏する装置には感動しました。たまにこぼれるベアリングの玉をユミと拾ったりしながら、機械の正確な演奏を繰り返し聞きました。

NYKでは今日から松田直樹さんの展示がはじまっています。そのオープニングパーティがありました。松田さんはまだ25歳です。お米の粒をびっしり貼り付けて作ったエプロンやテントのような作品、掃除機にたまった埃をかためて作った巨大な猫の顔など、おもしろくてぎょっとするものばかりです。250箱分の納豆を頭から全身にかぶっている本人の写真もありました。まだ誰もやっていないことで、どうしてもやってみたくなるようなこと、それをただ想像させるのではなく、実際にやって完成させているところがすごいです。

友部正人 
9月20日(土)「大岡川 川くだりライブ」
台風13号が予報よりはやく通り過ぎたおかげで、危ぶまれていた大岡川ライブを実現できました。

午後5時半、京急黄金町駅付近の桜桟橋になんとなく人が集まりはじめて、ライブははじまりました。船長は永井さん、船は14人乗りの第一橘丸です。BankARTの渡邉くんの挨拶の後3曲歌い、いよいよ出航です。乗組員は渡邉くん、PAの小俣くん、ビデオの遠藤くん、永井さんの操縦の手伝いをする鈴木さん夫妻、それから写真撮影その他のユミです。

歩く人の速度に合わせて船はゆっくり進みます。一曲終わるごとに拍手をしてくれるので、岸まで声が届いているのがわかりました。すべてが動きながらのめずらしいライブです。
途中の日の出橋の上は通りがかりの人も足を止めてかなりの人だかり。橋の上の人たちの顔が間近なのが意外でした。船長はここで船を一度バックさせてお客さんにサービス。

低い橋をくぐるときは船の屋根がこすれるので、乗組員全員が橋を下から押し上げて、船を少し沈めながら通過しました。満潮時だったので、水面と橋の間がせまくなっていたのです。甲板で立って歌っていたぼくは橋をくぐるたびにしゃがんだりひれ伏したりしました。

川沿いの飲み屋街では、音が聞こえたのか、何人もの人が2階のバルコニーに出てきて手を振ってくれました。子供たちもみんな手を振っていました。夢のようでした。

弁天橋では、BankART代表の池田さんはじめ、何人ものスタッフがプリントしたての大きな旗を振って応援してくれました。みんな暖かいなあ、と思いました。
弁天橋では「一本道」を歌いました。たまたまそこで練習をしていた人が、歌に合わせてトランペットを吹いてくれました。とても美しい場面になりました。
ここでいったん聞き手の人たちにお別れをして、ぼくたちはそのまま船ですぐ近くのBankART NYKに向かいました。

NYKでのライブは7時ごろからはじまりました。だから船の上では1時間ぐらい歌ったことに
なります。NYKのライブもまた屋外でした。運河に面したところに階段状の客席が設置され、
ぼくは見上げながら歌いました。約1時間のライブは、横浜に関係のある歌や、「歯車とスモークド・サーモン」の中の歌、最近よく歌っている「ユニコーン」などを歌いました。
川くだりライブだけを聞くつもりだった人も、なんとなくそのままNYKのライブにも参加してしまったそうです。関わった人たちもみんなとても興奮していて、気持ちのいいライブになりました。

友部正人
9月17日(水)「大岡川 川くだりライブのリハーサル」
今月20日にやる横浜の「大岡川 川くだりライブ」のリハーサルをしました。音響や照明のことなどを打ち合わせするためです。
実際に当日乗る船で、桜木町の弁天橋からBankART studio NYKまで、ゆっくりと川下りをしながら大声で歌ってみました。本番はもう少し上から下りますが、ちょうど満潮の時刻で、途中低い橋があったので今夜は途中から始めました。

ゆっくりと川を下る船の上でぼくが歌い、それをお客さんが川岸で聞く、というライブです。
みなとみらいの夜景を背に、なかなか美しいライブになるはずです、が、当日の天気予報は雨、台風が来ているようです。雨天の場合はNYKの1階のカフェがライブ会場になります。船のライブが30分ぐらい、その後のNYKが1時間の予定です。気持ちのいい横浜の空気を嗅ぎに来てください。

友部正人
9月16日(火)「スカンク兄弟と原田郁子とグッドラックヘイワ」
今日もまた近所のコンサートに行きました。会場は横浜公園近くの開港記念館。
会場の入り口でばったりハンバートハンバートの佐藤良成くんに会いました。
スカンク兄弟と原田さんが最初に出て、自分たちの歌や、ボ・ガンボスの「夢の中」などをやっていました。原田さんのためにぼくが詞を書いた「ユニコーン」もみんなでやっていました。原田さんの歌が、レコーディングのときよりもなめらかで、この歌をあれからたくさん歌ったんだなあ、とわかりました。スカンク兄弟は初めて生で聴きましたが、とてもよかった。
グッドラックヘイワはまったくの初めてでした。ピアノとドラムの二人だけのインスト・デュオ。リズム主体の演奏の中、とても変わった旋律の2曲が心に残りました。

そのあとユミと自転車を飛ばしてサムズアップへ。勝手にウッドストックで再会した山村誠一
率いるラスティック・パンズと水谷紹率いる東京中低域のライブがあったのです。なんとかラスティック・パンズの後半だけ聴くことができました。
変な楽器を弾きこなす人や、それを楽しむ人が日本にも増えてきました。何でも楽しんでしまう姿勢、今やぼくたちの美点といえるかも。

友部正人
9月15日(月)「ブラジルと日本」
横浜のみなとみらいにある赤レンガ倉庫広場で、日本人がブラジルに移住して100年記念のフリーコンサートがありました。出演は宮沢和史率いるザ・ブームとガンガズンバ、そしてジルベルト・ジルです。
ぼくとユミは家から近いので、自転車でふらりと見に行きました。大勢の人が立ったままうきうきと聞いていました。外国の人も多かった。たぶんブラジルの人たちでしょう。宮沢くんがポルトガル語を話すたびに大きな声援を送っていました。
ジルベルト・ジルは前から一度見たかった人。こんな家の近所まで来て歌ってくれるなんてうれしい限りでした。

友部正人
9月14日(日)「相模湖 勝手にウッドストック」
今年で7年目になるという勝手にウッドストック、ぼくは5年ぶり、3回目の出演でした。なつかしい「みの石滝キャンプ場」、雰囲気はまるで5年前と一緒だけど、発電機などの設備や食堂などははるかに向上していました。
ぼくは5時ごろからバンバンバザールと一緒に50分ぐらい演奏しました。真正面の山の向こうに観覧車のイリュミネーションが見えていて、ちょっと自由の女神の王冠みたいでした。
途中でぼくのギターの3弦が切れたけど全然おかまいなしにそのまま最後まで突っ走りました。おとなっぽいバンバンの演奏はときに暖かく、ときに繊細で心地よかった。

ぼくとユミは泊まらずに、9時ごろ最後のバンバンの演奏を聞きながら、キャンプ場の管理人の奥さんの操縦する船でキャンプ場を後にしたのですが、ちょうどこの日は中秋の名月、湖上に影を落とす周囲の山々の陰影がたまらなく美しい夜でした。

友部正人
9月11日(木)「マサルくんのお見舞い、そして豊橋ハウスオブクレージー」
ホテルを早めにチェックアウトして、鈴鹿市の病院に入院している月の庭の岡田マサルくんのお見舞いにユミと行きました。4年前に癌にかかっていることがわかり、なんとか自力で克服しようとがんばってきたマサルくんですが、ついに痛みに耐え切れなくなって、8月の終わりに再入院したとソウルフラワーの中川くんから聞いて、ぼくもユミも気になっていたのです。
体は痩せ細っていたけど、容態はとてもよさそうでした。1時間ごとにお医者さんも病室に顔を見せます。とても親密な医者と患者の関係でした。マサルくんが少し元気になったのもそのおかげでしょう。豊橋に行く途中のぼくはギターを持ってたので、マサルくんのために病室で歌を歌ったりして、お昼すぎに病院をあとにしました。

ハウスオブクレージーという名前に感化されたのか、ぼくのライブにはめずらしく、よく騒ぐお客さんが来ていました。
ステージの上はモニターの音が大きいので、演奏のさまたげにはなりませんでしたが、静かに聞きたい人には悪夢のようだったみたいです。。
でも久しぶりの豊橋ライブは、いつもより盛り上がりました。「歯車とスモークド・サーモン」を出してから、ライブが楽しくなったような気がします。マスターの松崎さんによれば、そんなぼくの楽しさが今日の演奏にも表れていたそうです。

友部正人
9月10日(水)「名古屋 K.D Japon」
名古屋のJaajaというバンドのアルバム発売記念ライブに呼ばれました。
会場は中央線の高架下のK.D Japonというライブハウス。
まず、K.D Japonについて。
前からおもしろい場所だと聞いていたのですが、実際に行ってみるのは初めてで、芝居の稽古場のような雰囲気でした。二階にも席があって、空間も有効に使っているのがおもしろいな、と思いました。

Jaajaはお面をかぶったり、めずらしい楽器を使ったりして、自分たちが発明した架空の民族音楽を演奏するバンドです。名古屋の覚王山を拠点に旅するジプシーたち。
音楽だけではなく、自分たちの世界も大切にする人たちです。

最初にJaajaが30分やり、その後ぼくが1時間ソロで、そしてまたJaajaが30分やって、最後に「ガーディナーさん」を全員で演奏する、という盛りだくさんの楽しい構成でした。
ライブの後半で、メンバーの井上糧くんが高いところから身を乗り出して、シャボン玉を吹いたり、紙ふぶきを飛ばしたりしたので、見ているぼくたちをはらはらさせて、後でお店の人に、もうやらないでね、と言われていました。

友部正人

9月8日(月)「火星の庭 句会」
毎月第三月曜にやっている句会ですが、今月はぼくの仙台ライブに合わせてくれたので、ぼくとユミも参加することができました。普段ぼくたちは横浜やニューヨークからFAXやE mailで参加しています。

ひょんなことから始まったこの句会も今年で3年目。メンバーも少しずつ増えてきました。今夜の参加者は主宰の渡辺さんを入れて12人。
火星の庭の前野久美子さんが作ってくれた何種類もの料理を食べ、ワインや日本酒を飲みながら、みんなの顔が見えるリアルな句会を楽しみました。

友部正人
9月7日(日)「仙台 カフェ・モーツァルト・アトリエ」
小名浜から仙台へテリーさんの車で移動中、東北自動車道でものすごく激しい雨に遭遇しました。フロント・グラスにたたきつける雨で前が見えません。
カフェ・モーツァルトでリハーサルをしていたら、その雨が仙台にもやって来ました。
でも本番前には止んだので、きっと雨は途中でいくつかに分散したのでしょう。

カフェ・モーツアルト・アトリエはきれいなお店でした。前は画廊だったそうです。
中庭からは広瀬川が真下に見下ろせました。いいところだなあ、こんなところに家があったらな、と思いました。

久しぶりのソロコンサートで、たっぷり汗をかきました。声もたくさん使いました。
終わった後に、オーナーの善積さんが「ワインはいかがですか」とすすめてくれて飲んだ白ワインがおいしかった。気持ちのいい夜でした。

友部正人
9月6日(土)「小名浜カトリック教会」
「歯車とスモークド・サーモン」のレコーディングにも使った小名浜カトリック教会で、「アート・ポート・小名浜」というアート・フェスティバルのオープニング記念コンサートがあって、ぼくはシークレット・ゲストで5曲歌いました。メインはバンバンバザールで、その最後のところで、バンバンと一緒に演奏したのです。
今日のバンバンはギターの富永くんがウクレレを弾く、ウクレレ・バンバンでした。
ウクレレの乾いた音がとても心地良かった。
バンバンとはもうすぐ、相模湖でも一緒にやることになっています。

アート・ポート・小名浜に出演するのは去年に続いて2回目でしたが、今年はとても暑かったので、冷房のない教会はサウナのようでした。

友部正人
9月5日(金)「郡山 ラストワルツ」
移転のため、9月いっぱいで一時閉店するラストワルツで、三宅伸治くんと二人で最後のライブをしました。
前半はそれぞれ30分ずつのソロ。後半はラストワルツからのリクエストで、フジロックの再現をしました。ほぼ同じ曲順で、1時間のステージを再現しましたが、あのときの強烈な雨と雷は無理でした。たとえ雨が降っても、ラストワルツは地下なのでお客さんは絶対に濡れないのですが。
今日のライブは急に決まったのに大勢の人が聞きに来てくれて、ちょっとびっくりしました。移転先が決まって、ラストワルツの泉さんもスタッフのまりちゃんもみんなとてもはりきっていました。

友部正人
8月30日(土)「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット 盆祭り」
吉祥寺の新しいライブハウス、Rock Joint GBでモノノケ・サミットのライブがあって、ぼくはゲストで40分ほど歌いました。7曲はソロで、その後奥野さんのアコーディオンと大熊さんのクラリネットと一緒に「遠来」をやりました。二人の自由自在な楽器の旋律には歌いながら聞きほれました。

その後モノノケがおなじみのレパートリーを1時間以上やりました。
ぼくとユミはステージ横の客席で聞いていたのですが、モノノケと一緒に歌ったり踊ったりする客席の若い人たちが、大正演歌や労働歌をロックと同じように楽しんでいるのがおもしろかった。チンドンや三線などの演奏も本格的で、モノノケが本気なのはよくわかるけど、聞きに来ているお客さんたちも本気で楽しんでいました。
アンコールではぼくも出て行って、全員で「Speak Japanese,American」をやりました。

友部正人
8月29日(金)「Peace Works」
横浜のZAIMで開かれている写真展を見てきました。
ZAIMは本館、別館がビルごとアーティストの発表の場として提供されているおもしろいビルです。
「Peace Works」というこの写真展には38人が参加していて、その中に伊与田茂美さんというニューヨーク在住の写真家がいました。この人は今年7月のニューヨークでのぼくのライブに来てくれた人で、ぼくとユミを見かけると、声をかけてくれて、彼女の展示室で8時ごろまで話をしました。伊与田さんの作品はニューヨークに住む移民の家族写真です。ビルマ人やインド人たちの部屋の中は、ニューヨークにいてもアジアのようでした。どこにいても暮らし方は変わらないのだと思いました。

目に見えるものばかりが優先される現代にあって、人にはわからない自分の心の中を表現しようとした、静かな作品がこの展覧会では多かったのですが、伊与田さんのようにあえて人間の暮らしを正面からとらえた作品はやはりすてきでした。

友部正人
8月27日(水)「原美術館とフラワーカンパニーズ」
今日はユミと、美術館やコンサートに行ってきました。
まず、沖縄出身のアーティスト、照屋勇賢くんの新作が展示されている原美術館に行きました。展覧会のタイトルは「アート・スコープ」で、4人のアーティストが出品しています。

勇賢くんと知り合ったのはニューヨークでしたが、作品を見たのは3年前の横浜トリエンナーレが最初でした。その時は紙袋の作品がとても印象的でした。
今回はシルヴァスタインの「大きな木」という絵本のページを樹木の形に切り抜いたり、アルファベットに似た枝を使って、「大きな木」の中の一節をドイツ語で白い壁に並べたり、トイレットペーパーの芯を木の形にくりぬいたりしていました。
勇賢くんの作品は目で見ないとわからいように思えます。紙袋や本のページから生えた木は、言葉ではうまく説明できません。見たら、あっと驚くと思います。

その後、渋谷にフラワーカンパニーズのライブに行きました。立ち見はきついので、二階に席を用意してもらってゆっくり聞きました。
2枚の旧作の再発記念ライブなので、その中の曲だけをやりました。「おれたちハタチ族」は、12年前のアルバムだそうです。ぼくが彼らにはじめて会ったのはそのころでした。
ミック・ジャガーみたいだったりパンクっぽかったりしても、フラワーカンパニーズはとても安心して聞けるバンドです。大音量だけど気持ちがゆるんできて、いつのまにか笑いながら聞いているのです。こんなバンドは他にないと思います。
一度もメンバーチェンジをしていない、というこのメンバーで、これからも長く続けて欲しいと思いました。

友部正人
8月21日(木)「田島征三さん」
平塚美術館に「田島征三展」を見に行きました。大学時代の作品から、今年に入ってからの最新作まで、絵本作家田島征三のすべてが見られます。
ぼくとユミが田島さんと知り合ったのは今から30年ぐらい前、田島さんが日の出村で暮らしていたころです。その頃はまだゴミの処分場もなく、沢蟹を取ったりして、のんびり暮らしていました。

絵本ニッポン賞をとった「とべバッタ」の原画に見とれてしまいました。
あまり多くを語らなくても伝わるものはとても大きいと思いました。
木の実を使った「モクレンおじさん」もとてもよかった。

友部正人 
8月14日(木)「久下貴史展」
ニューヨークで知り合った画家、久下貴史さんが個展をやっている銀座の伊東屋に行きました。
久下さんは猫の絵を描きながらニューヨークで20年も暮らしています。
ユミは久下さんに出会う前から久下さんの描く猫たちには出会っていました。
というのは、久下さんの描く猫は「マンハッタナーズ」という名前で食器などに使われて、商品になっているからです。ぼくの家には久下さんの猫の絵のついたコーヒーカップやお皿などがいくつもあります。

1年に1回の日本での個展、今回も久下さんが飼っているおなじみの猫たちの絵でいっぱいでした。
出たばかりの作品集にサインをしてもらい、久下さんとニューヨークのことなどを話した後、ぼくたちは銀座でうなぎを食べて帰りました。

友部正人
8月10日(日)「米子 夢蔵」
津山の日下さんたちに、米子まで車で送ってもらいました。高速の温度計を見たら、36度。今日のライブは暑くなりそうだな、と思いました。

というのは、今日の会場の夢蔵にはクーラーがないからです。
夢蔵は鳥取の大地震で残った蔵を、町の人たちが修理して、ギャラリーとして活用している場所です。扇風機と団扇で暑さに対抗しようとしましたが、お客さんでいっぱいになると、とても無理でした。
休憩時間に外に出ると意外に涼しいので、後半は外で歌うことにしました。
お客さんも外に出て来て、ぐるりと囲むようにして聞いていました。
暑いおかげで、おもしろいことができました。 

友部正人
8月9日(土)「津山 地味庵」
20年ぶりの津山でした。今回呼んでくれたのはガレキレコーズという津山の若者たちで、メンバーの日下さんは「一本道」を津山のストリートで歌っているそうです。
喫茶店の二階のライブスペースは、いろんな年代のお客さんでいっぱいになりました。
だからぼくも自分のいろんな年代の歌を歌おうと思いました。
前のほうで聞くお客さんの楽しそうな顔を見ていたら、だんだんぼくも気が楽になってきて、今度はまたすぐに歌いに来たいなあと思いました。

友部正人
8月8日(金)「福山 ポレポレ」
たぶん2年ぶりぐらいのポレポレでした。「歯車とスモークド・サーモン」の中から歌っているうちに、もしかしたらお客さんは古い歌も聞きたいのかな、とリクエストをつのったら、「夕暮れ」「こわれてしまった一日」「大道芸人」などのリクエストがありました。普段はあまりやらない「Bring It On Home To Me」もやりました。
一人で楽しんだ感じです。「ユニコーン」を歌ったら、若い男子たちが喜んでくれました。

友部正人 
8月4日(月)「大阪 シャングリラ」
シャングリラというライブハウスの「ウタゴコロ・スペシャル」というイベントに参加しました。出演は良元優作、有山じゅんじ、友部の3人です。

良元くんの歌は、ライブでは初めて聞きました。CDで聞くより、歌が切実に伝わってきました。リアルであたたかい歌でした。
有山くんの歌も久しぶりでした。陽気な話とマイペースな歌、そして大胆なギタープレイが印象的でした。

ぼくはソロで6曲歌った後、有山くんと「一本道」「夜は言葉」の2曲をやり、最後に全員で「ドント・シンク・トゥワイス」を歌いました。良元くんはぼくの日本語訳に合わせて、自分が訳した歌詞を女言葉に変えて歌っていました。
日本でもこの歌は実に多くの人が訳して歌っています。

ギターの持ち方もリズムの取り方もみんなそれぞれで、とてもおもしろい組み合わせのコンサートでした。 

友部正人
8月3日(日)「大阪たこたんフェスティバル/子供のためのno media」
子供を対象としたパフォーミング・アートのお祭り、「たこたんフェスティバル」に今年も参加しました。今年は去年に比べて全体に入場者も多く、盛り上がったそうです。
2年目にしてやって成果があらわれたと、みんな大喜びでした。

今年の「子供のためのno media」は、ゲストがふちがみとふなとでした。
アフリカ旅行の体験から言葉が生まれて、それが歌になるまでの言葉の変遷を、わかりやすく、ていねいに表現してくれました。おかげで、今まで聞き逃していた部分の意味が伝わってきて、感動しました。

ぼくは6月から書きためていた詩を朗読しました。芸のない朗読ではあったけど、実際のパフォーマンスは日々書きためることにあったのかな、と思っています。

1週間のフェスティバルが終わって、実行委員会の拠点のロクソドンタで最後の打ち上げをしました。ぼくとユミが見たのは「ジェネシス」というデンマークの人形劇だけでしたが、それ一つだけでも、このフェスティバルの水準の高さがわかりました。
打ち上げで、そのグループとも話ができてうれしかった。

友部正人
8月2日(土)「ふたりいて」
山田せつ子さん構成、振付による、寺田みさこさんとの舞踏作品「ふたりいて」を吉祥寺シアターに見に行きました。
せつ子さんの作品を見るのはぼくもユミも2回目です。ずいぶん前に見たときはソロで、9分の8は動きのない舞台だったような気がします。
今回は比較的派手な動きもあって、体の動きを整理する段階から、整理したものを破壊して、新しい形を模索しているように思えました。
エミリーやルイズ・ブルジョアのように、今日もぼくは形というものを見たのでした。
せつ子さんのダンスは動きではなく、形です。そこが美しいと思います。
帰り道、吉祥寺の駅周辺で、街の人たち全員がせつ子さんのように踊っていたらいいのに、と思いました。

友部正人
7月28日(月)「エミリー・ウングワレー」
原田郁子さんと対談した帰り道、「ぜったい行くといいよ」と原田さんにすすめてもらった「エミリー・ウングワレー展」にユミと行ってきました。最終日でした。

オーストラリアの真ん中、ユートピアという土地で生まれ育ち、80になるまでは砂絵やボディ・ペインティングやろうけつ染めの絵を描いていたという。
それから死ぬまでの8年間に3000枚もの絵をキャンバスや板に描いた。
その絵は布や人体に描いていたものをキャンバスに移し替えたというより、布や人体では足らなくなって、巨大なキャンバスに飛び乗ったという感じでした。
そこに描かれた点やストライプには、その土地の女の人にしかわからない意味があるそうです。ぼくにはその意味はわからないけど、言葉のように具体的に何かを伝えている、そう感じました。西洋の人には最初から抽象画に見えたようですが、最晩年に独自の抽象の世界に達した感じがしました。

ニューヨークのグッゲンハイム美術館で2週間前に見た、ルイズ・ブルジョアの作品にも通じるものを感じました。女の人が作る形には、具体的な意味があるんだろう
なあ、と。

友部正人
7月27日(日)「フジ・ロック・フェスティバル」
山間にいくつもの野外ステージが点在するフジ・ロック・フェスティバル。会場に近づいて色とりどりのテントを見たら、楽しそうなところだなあと思いました。

ぼくと三宅伸治くんは午後3時からオレンジ・コートというステージで1時間演奏しました。
一曲目の「一本道」の最中に強烈な雷鳴がとどろいて、演奏のボルテージを一挙に上げたのでした。そのあと一曲分ぐらいの長さの雨が激しく降りました。山を背景に白い雨が風に踊っているようでしたが、土の上で立って聞いている人たちの膝まで泥がはねるぐらいの強さだったそうです。

演奏後、いろんな人たちが楽屋を訪ねてくれました。遠くから聞きに来てくれた人もいて、応援されているんだなあ、と感じました。初日に出演した原田郁子さんも聞きに来てくれました。

演奏した曲は10曲、全曲三宅くんとやりました。三宅くんは、アコギ、エレキ、ドブロ、とギターを持ち替え、リズムボックスやサンプリングマシンや足踏みパーカッションやコーラスも、と大活躍でぼくの歌を盛り上げてくれました。

一本道/反復/ジェリー・ガルシアの死んだ日/Speak Japanese,American/雨の降る日には/地獄のレストラン/言葉がぼくに運んでくるものは/はじめぼくはひとりだった/大阪へやって来た/ぼくは君を探しに来たんだ/

雨は7時過ぎまで降りました。三宅くんたちは車なので早めに東京に戻り、ぼくとユミはワールド・レストランエリアにお店を出している、中目黒のエチオピア・レストラン「クイーン・シーバ」のソロモンさんに、久しぶりに会ってから帰りました。

ホテルからのシャトルバスが終わっていて、困っているぼくたちを、たまたま通りかかった山川ノリオくんが車で越後湯沢駅まで送ってくれて、本当に助かりました。

友部正人 
7月25日(金)「スターパインズ・カフェ」
一部はソロ、二部は三宅伸治くんと二人で、という構成でした。
一部では歌の他に、今回のニューヨーク滞在中に書いた詩をいくつか朗読しました。
そのうち一人で詩の朗読と歌のツアーをやってみたいなあと思っているのですが、
それはたぶん今日の一部のような感じになるでしょう。

二部は全曲三宅くんと演奏しました。三宅くんが出ることは告知していなかったので、
お客さんはきっとびっくりしたでしょう。フジ・ロックでやる曲を実はほとんど演奏しました。
三宅くんと演奏するとぼくの曲が生き生きする、とビデオ撮影の木村さんも言っていました。

二人で演奏した曲名の質問もあったので、一応曲順を書いておきます。
「このぼくを精一杯好きになっておくれ」という歌は「反復」です。
奇跡の果実/Speak Japanese,American/ジェリー・ガルシアの死んだ日/反復/
地獄のレストラン/サン・テグジュペリはもういない/言葉がぼくに運んでくるものは/
雨の降る日には/大阪へやって来た/はじめぼくはひとりだった

友部正人
7月22日(火)「三宅伸治くんと」
吉祥寺のスタジオで、三宅くんと二人でフジ・ロックのリハーサルをしました。
フジ・ロックのぼくのイメージは、だだっ広いところでのんびり歌うこと。
そんなぼくのイメージに三宅くんが全面的に参加してくれます。
ぼくと三宅くんは最終日の27日の午後3時から、一番暑い時刻に出演します。会場はオレンジ・コート、持ち時間は1時間です。

フジ・ロックの二日前の25日に、吉祥寺のスターパインズ・カフェでぼくのソロライブがあります。この日三宅くんも急遽来てくれることになったので、今日練習した曲もやってみようか、ということになりました。
フジ・ロックまで来られない人は、吉祥寺にぜひ。

友部正人
7月21日(月)「原田郁子さんと」
中目黒のさわやかな感じのカフェで、原田郁子さんと対談しました。
対談というより、二人まとめてインタビューを受けた、という感じかな。
原田さんはとてもゆっくり話す人で、ぼくにとっては話しやすい人。
二人で作った「ユニコーン」の話を中心に、いろいろ話は広がりました。

対談の後、みんなでぞろぞろと、近所の西郷山公園に行きました。
前に中目黒に住んでいたことのあるぼくとユミにとっては、とても懐かしい場所。
草がぼうぼうに繁殖していて、上品な感じは全然なくなっていました。

それから、目黒川沿いの古本屋に寄ってしばらくみんなで立ち読みしました。
対談をしたお店といい、この古本屋といい、しばらく来ないうちに、中目黒にはいいお店が増えました。

友部正人
7月14日(月)「グランド・ストリート・ライブ」
リトル・イタリーのグランド・ストリートにある、写真家でランナーのヨシとジュエリー・デザイナーのマドレイン夫妻の住むロフトで、ぼくの久々(8年ぶり)のニューヨーク・ライブがありました。
実行委員はヨシ、マドレイン、駐在員の良平・絵里夫妻、「ミリキタニの猫」のプロデューサーのマサと、それから友部オフィスのユミです。

ヨシのロフトは詰めればきっと100人は入るほど大きいのですが、今年の異常な暑さを考えて、定員は30名と決めました。それに、マイクを使わないで生声で歌うため、あまり大勢だと声が届かないからです。
午後からかけっぱなしにしていたエアコンも、ライブ中は止めて、静かな部屋で歌いました。
結局、実行委員も入れると46人も集まりましたが、暑さは気にならなかったし、椅子やソファや絨毯で、ゆったりと聞いてもらうことができました。

前半は「歯車とスモークド・サーモン」の中の曲を中心にやりました。
ハワイで生まれた日系の女性から、「歯車ってなんですか。」と質問されてちょっとびっくり。歯車をスモークド・サーモンのような食べ物だと勘違いしたようです。

後半は詩の朗読をしてから、今までのぼくの代表曲を聞いてもらいました。
ニューヨーク在住の日本人に混じって、何人かのアメリカ人も来てくれました。
一人だけ日本語のよくわかる若者がいて、「Speak Japanese,American」をとても楽しんで聞いていました。日本語の歌は聞いてもあまり歌詞がわからないけれど、ぼくの歌はよくわかったそうです。

アンコールは、原田郁子さんと一緒に作った「ユニコーン」。初めて歌ってみました。

終演後は日本と同じようにCDや本の即売会。実行委員会が想像していたよりは売れて、うれしかった。
日本と違うなあ、と思ったのは、一人一人が感想を言ってくれたこと。
全部話して、心の中を掃除して帰っていく感じです。
ぼくがすべてを受け止めるのが大変なくらい、みんな思ったことを言ってくれます。
前から感じていることですが、これはアメリカに住んでいる人たちの特徴で、日本ではまずこういうことには出会いません。日本では、感想ではなく、自分のことばかり話そうとする人が多いように思います。

お客さんが全員帰った後、ヨシの作ってくれた焼きビーフンを食べながら、ワインで乾杯をしました。この日のために用意したワインやビールの、その残りのワインを飲んでいたわけですが、そのうちうとうとする人もいて、その寝顔を見ていたら、みんなそれぞれ忙しい人達ばかりなのに、一生懸命やったんだなあ、と実感したのでした。

友部正人
7月12日(土)「草間彌生」
アーティストの草間彌生さんを撮ったドキュメンタリー映画「わたし大好き」を、ジャパン・ソサエティに見に行きました。2006年3月の77歳のお誕生日から1年半の記録です。
ちょうど制作中だった50枚の絵の、30枚目を過ぎたあたりから、50枚目が完成するところまでの草間さんがおさめられています。
キャンバスに、黙々とマーカーで毎日絵を描いていくところが見られて、そこがとてもおもしろかった。
その間に勲章を受章したり、ニューヨークでの個展があったり、外国の美術館からのお客さんを迎えたり、草間さんを中心に世界が回っているような気がしました。

その後ブルックリンのプロスペクト・パークに、ベス・オートンを聞きに行きました。
ベス・オートンはイギリスのシンガー・ソングライター。赤ちゃんが生まれたばかりで、楽屋で泣いているかも、なんて気にしながら歌っていました。声に特徴のある人です。
ブルックリンはJFK空港が近いせいか、旅客機がしきりに頭上を横切るのが気になりました。 

友部正人
7月10日(木)「Yasukuni」
春ごろ日本で話題になっていた「Yasukuni」を、ニューヨークのジャパン・ソサエティで見ました。そして、ぼくは靖国神社というものが理解できないなあ、と思いました。
終戦記念日に、生き残った人たちが死んだ仲間たちに会いにくる、というのはなんとなくわかっても、それ以外の人たちがなぜあんなに盛り上がっているのかわからない。
90歳になる刀匠をもう少し深くとらえてほしかったです。

友部正人
7月6日(日)「イースト・リバー観光」
1週間のコスタリカ旅行から戻ったメグが、コーヒーをおみやげにうちに遊びに来てくれました。コスタリカは中南米のコーヒーの産地です。

すぐ近くのセントラルパークのサマーステージでは週何回もフリーコンサートが開かれているのに、今年はまだ一度も行っていません。今日もフェラ・クティの息子のライブがあったのですが、話はイースト・リバーの滝のインスタレーションの方に。
では見に行ってみるか、ということで、ユミとぼくとメグの3人ででかけたのでした。

ブルックリンのマンハッタン・ブリッジとブルックリン・ブリッジの間にある川辺のきれいな公園までまず行って、対岸の滝と、ブルックリン・ブリッジの下の滝を眺めました。
鉄パイプのやぐらが見えてしまうので、ちょっと工事現場のようですが、見かけは滝になっていました。
それから、ブルックリン・ブリッジの南側に移動して、ガバナーズ・アイランドとブルックリン・ハイツの先にある二つの滝を見ました。

滝を見たらそのすぐ近くの「GRIMALDI'S PIZZERIA」でピザを食べよう、と決めていたのですが、ちょうど夕食時で、50メートルぐらいの列。
でも他にあてがなかったので、待つことなんと1時間。
ピザは比較的早く運ばれてきました。昔から人気があるだけあって、本当においしい。
3人で大きなパイ1枚は無理なのでは、という心配は無用でした。
冷たいビールと一緒に、あっという間にたいらげてしまいました。

夜になってライトアップされた滝は昼間よりきれいでした。ぼくたちはバターペカンの
アイスクリームをたべながら、すっかり観光客になっていました。

帰り道のユミの言葉は今日見た滝にぴったりなので紹介しておきます。
「どうせつまらないから、と思って行かないのと、行ってみてつまらなかったと思うのとは違う。」同感です。

友部正人 
6月30日(月)「Olafur Eliasson」
イースト・リバーにいくつかの人工の滝を作って話題になっている、アイスランド人Olafur EliassonのMoMAでの作品展が今日でおしまいなので行ってみました。暗い部屋でストロボをたいて、天井からしたたる水滴が星のように見える作品にはうっとりしてしまいました。P.S1の作品も見たくなりました。

MoMAの向かいの図書館に黒澤明のDVDがいくつかあって、借りて帰りました。
「どん底」はこの世の中を凝縮した演劇のようでした。

友部正人 
6月28日(土)「5マイルレース」
セントラルパークで、フロント・ランナーズというチームが主催する5マイルのレースに出ました。フロント・ランナーズはエイズや、同性愛者への差別をなくそうとがんばっている団体です。
毎年このレースには賞金が出ます。ぼくは去年まで2年続けて50歳台で3位以内に入り、25ドルの金券をもらいました。今年は賞金の額が上がり、2位は75ドルもらえると知ってがんばったけど、4位だったので賞金はなしでした。

友部正人

6月27日(金)「ホイットニー美術館」
ホイットニーに、ロバート・メイプルソープのポラロイド写真を見に行きました。
70年代のはじめのころ、メイプルソープは1500点ものポラロイド写真を撮っていたそうです。その頃恋人だったパティ・スミスの写真も何枚かありました。
パティ・スミスは最近、メイプルソープの思い出をつづった「コーラル・シー」という散文詩を朗読したCDを出しています。
地下のカフェではパンクバンドのライブをやっていました。普段はジャズかクラシックなのに、めずらしいな、と思いました。

友部正人
6月25日(水)「アンディ・アーバイン」
アイルランドのアンディ・アーバインのライブがコネチカット州のウォーリングフォードであるので行きたかったけど、マンハッタンから2時間半かかり、しかもライブを最後まで聞くと帰れないことがわかって断念しました。アンディと一緒に旅をしている久美子さん
から何度も連絡をもらったけど、残念ながら今回は二人に会えそうもありません。
アンディは66歳、自分で車を運転して、毎日どこかでライブをしているようです。
それを聞いて、やっぱり会いたかったなあ、と思いました。

友部正人
6月24日(火)「ニューヨークフィル」
ここ2年ぐらい雨で中止になっていたセントラルパークのニューヨークフィルのフリーコンサート、今年は6万人以上の人が集まったそうです。
ぼくとユミは途中からしか聞けなかったのですが、敷物の上でワインを片手に大声でしゃべったり笑ったりするピクニック気分の人たちも多く、熱心なクラシックファンからひんしゅくを買っていました。
アンコールはジミ・ヘンドリックスの「パープル・ヘイズ」でした。
でも、オーケストラだと感じがちがって、何の曲かわからなかった。

友部正人
6月23日(月)「句会」
仙台の火星の庭の句会にメールとFaxで参加。時差のため、早朝5時起きです。
やればやるほど俳句が遠くなります。

夕方クイーンズのアストリア・ブルバードにあるビア・ガーデンに行きました。
7月のライブの最終的な打ち合わせです。みんな打ち合わせを楽しんでいます。
ビア・ガーデンでチェコのビールを飲んだ後は、アストリア公園のすぐ横のギリシャ料理の店に。前にも来たことがあるのですが、ギリシャ料理は日本人の口に合います。たこやイカや鰯を食べました。

友部正人 
6月22日(日)「またまた試飲会」
セントラルパークでの5マイルのレースの後、ぼくのアパートに集まってビールの試飲会。
レースに出たのは7月のぼくのライブを企てている友人たちです。
試飲の後近くのお店のテラスでみんなでお昼を食べていたら、またまた突然の雨。
おかげで街はきれいになりました。。

友部正人 
6月21日(土)「レコード市」
毎月第三土曜日にホリディ・インで開かれている中古レコード市をのぞいてみました。
最近は出展する店も減って、小さくなりつつあります。
ラングストン・ヒューズがチャーリー・ミンガスらと吹き込んだ詩の朗読のレコードがありました。これが今日一番のめっけもの。。

友部正人 
6月20日(金)「散歩」
今日は「Book Japan」の原稿を書いて送りました。今回は絵本作家アニタ・ローベルの「きれいな絵なんかなかった」を取り上げました。
ユミと夜の散歩をしました。閉店間際のホールフーズ・マーケットで、お買い物袋を99セントで買いました。りんごの絵です。最近はどこでもお買い物袋を作って99セントで販売しています。ぼくの隣の部屋に住む声楽の先生も、マーケットに買い物に行くときはお買い物袋を提げて行きます。
そのあと閉店間際のバンズ・アンド・ノーブルで時間をつぶしていたら、
真夜中の夕立になりました。雨宿りを久しぶりに経験しました。。

友部正人 
6月18日(水)「ワインの試飲」
ここしばらく涼しいニューヨークです。
今回のニューヨーク滞在中に、ぼくのライブをやろう、という話が盛り上がっていて、今日はその打ち合わせ。といっても、どんなワインをお客さんに出すか、ということで、まずはワインの試飲会をしたのでした。6人ほどの実行委員が、楽しんでライブの準備を始めています。
プライベートな形ですが、しばらくぶりのニューヨークでのぼくのライブが実現しそうです。

友部正人
6月15日(日)「ジミーさん、米寿」
今朝はセントラルパークで5マイルレースがありました。久しぶりに何人ものランニング友だちに会いました。

午後からは、映画「ミリキタニの猫」のジミー・ミリキタニさんの88歳の誕生日のお祝いが、彼の住む建物の娯楽室でありました。88歳とは思えないよく通る声で、「東京音頭」や戦前の歌謡曲を歌ってくれました。

友部正人
6月14日(土)「暑い」
ぼくらがニューヨークに到着した頃、岩手で大きな地震があったようですね。ニューヨークタイムズで知りました。一番被害が大きかったのは一関だとか。立っていられないくらいの揺れだったそうですね。先日の花巻の映画祭とぼくのライブに来てくれた一関の友人たちは元気だろうか。それから映画祭を主催したブドリ舎の人たちは。

暑い暑いニューヨーク、夕方から爆弾が破裂したような落雷が続きました。ちょうど一年前、ふちがみとふなとの二人がぼくのアパートに遊びに来て、ちょっと試しに録音をしたときのことを思い出します。あのときもひどい雨と雷でした。

ニューヨークに来るとき、飛行機の中で見たマーティン・スコセッシのドキュメンタリー「シャイン・ア・ライト」が良かった。ローリング・ストーンズがニューヨークの2000人のキャパのビーコン・シアターでやったコンサートの記録映画です。ビーコンはぼくの住んでいるビルの斜め向かいにあるので、2年前のこの日のことはよく覚えています。
ミック・ジャガーの猫のような動きには目がくぎづけになりました。それからチャーリー・ワッツが良かった。「ハロー」と言っただけで、あっ、彼が喋った、と大受け。
それにしても、あのミックのがんばりはどこからくるのかと、二人でセントラルパークを走りながらも、ユミはそのことばかり気になるのでした。

友部正人
6月13日(金)「メール対談」
ヒートウェイブの山口洋くんとぼくのメール対談が、下のアドレスにアップされています。山口くんとのなつかしい写真も見られます。
http://d.hatena.ne.jp/theRising/20080613

ぼくとユミは今日からニューヨークに来ています。横浜と比べるとかなり暑いです。着くなり、エアコンをつけました。

友部正人
6月8日(日)「ブトリ舎」
早朝、大沢温泉の前の通りを、ゼッケンをつけた人たちが大勢走っていました。「銀河100キロマラソン」で、北上から盛岡まで山を越えて走るレースでした。大沢温泉がちょうど40キロ地点、マラソンならもうすぐゴールというところです。今日は暑くなりそうなので、ここから先が大変そうでした。

今日の会場の「ブドリ舎」に行く前に、伊勢朋矢くんとぼくとユミは、宮沢賢治の羅須地人協会に寄り道しました。農業高校の中にあり、高校生たちが外で何かの実習をしているのを見て、ちょっとうらやましくなりました。とてもきれいなところだったからです。そこにあったオルガンを弾いてみたら、意外にも大きな音なのでびっくりしました。心が呼吸しているようでした。

「ブドリ舎」では東志津監督の「花の夢」と、伊勢真一監督の「ゆめみたか〜愛は歌 田川律〜」が上映されました。だけど「ゆめみたか」は機械のトラブルで最後のあたりで上映中止、今日が初上映の日だったのに、とても残念でした。

その後にぼくのライブが1時間ほどありました。花巻にもぼくの歌を聞きに来てくれる人がけっこういるんだ、とわかってとてもうれしかったです。

友部正人 
6月7日(土)「大沢温泉」
今日から二日間の「はなまき映像祭2008」に参加しました。今日は大沢温泉のホールで、渡辺哲也さんの「牧野富太郎と『牧野日本植物図鑑』」「四季 穂高」、澄川嘉彦さんの「クマタカ舞う空の下で」、伊勢朋矢くんの「うたの時間」、それから80年代にぼくとユミが、水谷俊之監督と一緒に作った8ミリ作品5本を上映しました。去年の夏に高知の牧野植物園でライブをしたぼくには、「牧野富太郎」はとても見たい作品でした。上映会の後、ぼくと伊勢真一監督とのトークもありました。

大沢温泉は久しぶりでした。特にユミは32年ぶり。ぼくたちが結婚した年でした。長い廊下などを、ユミは懐かしそうに撮影していました。

友部正人 
6月6日(金)「盛岡 大慈清水 お休み処」
ここは盛岡の鉈屋町にある町屋です。今から150年前に建てられたそうです。見上げると天井のあかりとりからも外の光が差し込んでいて、森の中にいるような気分がします。「紅茶の店 しゅん」の松本さんが去年の9月からここでもお店を始めて、歌うたいがライブをするのは今日が初めてだとか。

開演前に、偶然にもすぐ近くの会場でライブをすることになっていた原田郁子さんとゲストのおおはた雄一くんが訪ねてきてくれました。うれしかった。原田さんは、地元の人たちが利用している湧き水をコップで何杯も飲んでいました。

80年代後半に映画監督の水谷俊之さんとぼくとユミとで遊びで作った8ミリ映画を2本、ライブの前に上映しました。その昔、ジァンジァンでも上映したことがあります。

一部が終わって休憩のときに、原田さんのライブ会場までテリーさんの車でユミと行ってみました。ぼくたちが顔を出したら、「ユニコーン」を歌ってくれることになっていたのです。「ユニコーン」は原田さんとぼくの共作で、今度の原田さんの新しいアルバムに入っています。生で聞いたのは今夜が初めてでした。静かだけど力のある曲です。

その間ぼくのライブ会場では、伊勢朋矢監督のDVD「うたの時間」を上映していて、ぼくたちが戻ったときには、それがちょうど終わるところでした。何事もなかったように第二部が始まりました。二部はかなり長いコンサートになりました。みんな畳にすわっていたのでつらいかな、と思いながらも、今夜は思う存分歌いたいな、と思ったのです。

打ち上げのころに、また原田さんとおおはたくんがこちらの会場に遊びに来てくれました。

友部正人 
6月5日(木)「Book Japan」
書評サイト「Book Japan」に書いた「女子の古本屋」が掲載されていました。ボブ・ディランが2冊、村上春樹、金子光晴、に続いてやっと5冊目です。
ゆっくり書いていきますので、時々覗いてみてください。

友部正人 
6月4日(水)「東京ローカルホンク」
サムズアップのオーナーの佐布さんの企画で、1ヶ月ぐらい前に突然決定したぼくと東京ローカルホンクのジョイントライブ。
まず彼らが1時間ほど演奏しました。最新作『生きものについて』からと、ぼくが彼らを知るきっかけになった「ブラック里帰り」や、「カミナリ」などの代表曲を聞くことができました。初めて生で彼らの音楽を聞いて新鮮だったのは、ウエストコーストというよりも、プログレ的な面を持っていることでした。先へ先へと進む音楽的な力のあるバンドのようです。

ぼくはクラリネットの安藤健二郎くんと2曲、ソロで4曲、東京ローカルホンクと3曲一緒に演奏した後、アンコールでは東京ローカルホンクと一緒に「ロックンロール」を、それから安藤くんとぼくの息子が加わって全員で「アイ・シャル・ビー・リリースト」をやりました。「ロックンロール」は全員がステージ前方に集まり、マイクを通さない生声のコーラスやパーカッション、ウッドベースをバックに、ぼくも生声で歌いました。ローカルホンクはコーラスが得意なバンドです。このアレンジの「ロックンロール」をレコーディングしてみたくなりました。
バンドじゃないとなかなか気分が出ない「少年とライオン」や「黒い影の生き物」などを、ローカルホンクの演奏で歌えてとても満足しました。ローカルホンクのメンバーたちも、「一緒に演奏できて興奮しました。」と口々に言ってくれたのがうれしかったです。

友部正人
6月3日(火)「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
今日は横浜のジャック&ベティという映画館で、「実録・連合赤軍」をやっと見ることができました。圧倒されました。ぼくもユミもへとへとです。
映画をスクリーンを通してではなく、当時のあの現場まで行って見ているようでした。今夜夢に見そうだとユミは言っています。3時間以上の長い映画で、トイレに行きたくても、最後まで席を立てませんでした。お腹もすいたので、帰り道、伊勢崎町のそば屋で熱燗を飲みました。

明日はいよいよサムズアップで、東京ローカル・ホンクとのライブです。

友部正人 
6月1日(日)「加古川 チャッツワース」
早起きをして、高松駅から6キロの屋島までランニングしました。ケーブルカーの乗り場まで行ったら、旅館のおかみさんが出て来て、ケーブルカーのレールに沿って階段を頂上まで登れば、と強く勧めるので、こんなところ、登ってもいいのかな、と半信半疑のまま登り始めて、勾配がきついのでこれは大変なことになった、と思っても、戻るのは嫌だったのでそのまま頂上まで。もし、ケーブルカーが来たらどうなるのだろう。それとも営業はしていないのかしら。山頂で女性のお遍路さんとすれ違い、去年の今頃、四国を遍路して歩いたニューヨークの友だちのマドレンを思い出しました。

加古川のチャッツワースは1年半ぶり、2回目です。3時ごろお店に着くと、もうすでに準備は完了していて、いつでもリハーサルができる状態でした。「歯車とスモークド・サーモン」にちなんで、スモークド・サーモンとアボガドのお寿司を作ったというので、まずそれを食べさせてもらいました。料金に含まれるフードボックスとしてお客さんに配られるものでしたが、おいしかったのでぼくは2人前食べてしまいました。

ライブは予約制で、満席でした。最初からのりのりのお客さんが多く、かなり盛り上がりました。自然に曲数も多くなります。休憩を入れて3時間のライブになりました。

ところで明日の朝はチャッツワースの岸本さん夫妻から、権現ダムの周囲10キロのランニングに誘われています。果たして起きれるのか。

友部正人 
5月31日(土)「高松 オリーブホール」
楽器店Hit'sの佐藤さんが、「オリーブホール」という本格的なライブハウスの運営を始めました。1年ぐらい前からその話は佐藤さんから聞いていたのですが、実際に場所を見るのは初めてでした。ライブハウスというよりは、小ホールのような感じで、音響やステージのスタッフの人たちもとてもいい感じです。佐藤さんの主催で、今までは毎回いろんなお店でライブをしてきましたが、これからはここでできそうです。

今日の高松のお客さんはとても静かで、だいぶ緊張しているみたいでした。ぼくが気にしていると思ったのか、休憩時間にPAの方が楽屋に来て、「みんなとてもよく聞いていますよ」とはげましてくれました。後半は緊張もほぐれてきて、アンコールの頃にはかなりの盛り上がりでした。でもお客さんの方が緊張するなんて変ですね。

友部正人 
5月30日(金)「岡山 MO:GLA」
岡山に来ています。MO:GLAで歌うのは約6年ぶりで2回目のこと。
MO:GLAは「モダーン・グラマー」の略だそうです。運営している人たちは、昼間はすぐ隣のデザイン事務所で仕事をしているそうです。そして、夜は遅くまで打ち上げ。みんなとても元気です。
「歯車とスモークド・サーモン」の中の曲を中心に、今日も新旧取り混ぜて歌いました。北海道の後4日間家でのんびり休んだので、体力も気力も新品同様です。この調子が加古川まで続きますように。

友部正人 
5月25日(日)「芦別 ディラン」
「ディラン」の25周年をお祝いして、リクオと2人でライブをしました。ぼくが「ディラン」で歌うのは9年ぶりだそうです。
まずリクオが1時間歌いました。相変わらず、新しい曲を書き続けているリクオに感心しました。8月に出る新譜が楽しみです。ぼくはソロで何曲か歌って、それからリクオと二人で演奏しました。「アイ・シャル・ビー・リリースト」「カルバドスのりんご」など久々にやる曲の他に、「雨は降っていない」「言葉がぼくに運んでくるものは」など、「歯車・・・・・・」の中の新しい曲もやりました。

終演後は、「ディラン」の25周年と、ぼくの58歳の誕生日を祝ってバースデイケーキとワインで乾杯。お客さんからも「ディラン」からもプレゼントをいただきました。

芦別は昔炭鉱町として栄えたそうですが、今は町はひっそりとしています。そんな芦別で25年もお店を続けてきた「ディラン」の伊藤さん夫妻はすごいなあ、と思います。

友部正人
5月24日(土)「東川町 叢舎(くさむらや)」
東川町は旭川市のすぐ隣の町です。旭岳の麓まで広がる水田の中に「叢舎」は建っています。澤田さんのおじいさんのおじいさんが建てた納屋だったそうです。
澤田さん夫妻と、東川町で家具を作っているぼくの古い友人夫妻が、ぼくのソロライブを企画して、たくさんのお客さんを集めてくれました。
新しいぼくのギターは、築70年の木と泥の建築と合体して、とてもいい音を出していました。客席で音のチェックをしていたユミは、ギターが鳴ってやかましいくらい、と言っていました。

ライブの後は「叢舎」の外でバーベキュー。アルバムのタイトルにちなんで、スモークド・サーモンを送ってくれた人がいました。これがとてもうまかった。それから、厚岸の友人からはあさりが届いていました。人だけではなく、おいしいものもたくさん集まってきた夜でした。

友部正人
5月23日(金)「札幌 くう」
今日は羽田でいろんなミュージシャンに偶然会う日でした。ある人は九州に、ある人は関西に、そしてぼくたちは北海道に。

飛行機会社はANAだったのですが、ギターを機内に持ち込みたいと言ったら、15000円です、と言われて断念。先日乗ったJALは親切に持ち込ませてくれたのに。荷物室に預けてもしギターが壊れても飛行機会社は責任を取ってくれません。

毎年この時期には札幌の「くう」でライブをしています。主催の木下さんが札幌駅で出迎えてくれました。札幌は肌寒く、横浜とは大違い。リハーサルの後外に出るとき、風邪をひかないように長袖を3枚重ね着しました。

元スカイドッグ・ブルースバンドの金安彰くんが前半に4曲ギターを弾いてくれました。彼は今「ウッドストック」という店の店長をやっているそうです。古い曲もたくさんやったので、8時から始まったライブが終わったのは11時でした。ちょっと長かったかな。

「くう」の壁には、たくさんのジャズの人たちに混じって、「大阪へやって来た」のLPのアルバムジャケットが飾られています。ささやかだけど、そんなことも、また「くう」でライブがしたくなる理由です。

友部正人
5月20日(火)「ふちがみとふなと At iwato」
ふちがみとふなとがイワトでコンサート、なんて早口言葉みたいですが、神楽坂の小麦まんぢうカフェ「麦マル2」の主催で、彼らのコンサートが神楽坂のシアターiwatoでありました。ふちがみさんは一部は青いワンピースで歌い、二部は二人ともTシャツでした。選曲もふちがみさんの服装に合わせていたような気がしました。
一部の最後の方にやった都会のカラスの歌が圧巻でした。ふたりがカラスに変身するかと思った。二部はパワフルで楽しめる曲が中心でした。

8月3日に大阪でぼくは、ふちがみとふなとと「子供のためのno media」をやるのですが、彼らのステージは子供たちにも喜ばれるにちがいないと思いました。

友部正人 
5月18日(日)「南箕輪村 叶屋」
飯田線北殿駅近くの国道沿いにある酒屋「叶屋」さん、40周年のお祝いでぼくのライブを企画してくれました。叶屋の倉田さん夫妻は7年前にも、ぼくとおおたか静流さんのコンサートをお寺で主催してくれたことがあります。

床から棚まで全部手作りの店内は、約50人のお客さんでいっぱいでした。日曜日なので、ライブは4時から始まりました。スタッフの人たちからのリクエストが20曲もあったので、その中から特に要望の強かった「大阪へやって来た」などをやり、あとは「歯車とスモークド・サーモン」の中から歌いました。

続いてお店の前庭の、大きく成長した沙羅双樹の木の下で、店の40周年をお祝いするパーティが始まりました。山のような食べ物と豊富なお酒で、沙羅双樹の花はまだ咲かないのに、ぼくもユミも気分は満開でした。

友部正人 
5月16日(金)「長野 ネオンホール」
開演前に激しく雨が降り出して、まるでテント小屋にいるみたいなのでおもしろかった。ネオンホールは古い木造の建物です。
最初にいつものようにTHE ENDこと桜井智丸くんが歌いました。彼のかすれた声は魅力的です。スターバックスにでも行こうか、と歌う歌がよかった。ネオンホールは毎年歌いに来ているので、ぼくは新しい歌を中心に歌いました。「歯車〜」の中の曲はほとんどやりました。それから新曲が1曲。
雨の音を聞きながらいつまでも歌っていたかったけど、残念ながら雨はライブが終わるより先に止んでしまいました。

友部正人
5月15日(木)「東京ローカル・ホンク」
6月4日に横浜のサムズアップで一緒にライブをやることになった東京ローカル・ホンクとリハーサルをしました。東京ローカル・ホンクは4人編成のバンドです。すでに20年ぐらいの活動歴があるそうですが、ぼくが彼らのことを知ったのは最近のことです。ぼくの息子が去年ライブで歌っていた、彼らの「ブラック里帰り」という歌を聞いたのがきっかけでした。里帰りして一同に会した親族に会ったときのことを歌っていて、おもしろい歌だなと思いました。それからぼくは急に彼らに興味を持つようになったのです。
リハーサルをしてみて、すごくいいバンドだと思いました。歌いやすいのです。しかも4人ともコーラスも達者でした。ぼくの古い曲も、彼らの演奏で新しく生まれ変わったみたいでした。これはぜひたくさんの人に聞いてもらいたいものです。

友部正人
5月11日(日)「秩父」
めずらしくライブの予定のなかった日曜日、雨降りでしたが、ニューヨークで知り合ったランニング仲間も走るというので、秩父のロードレースに行ってきました。横浜から片道2時間半の小旅行。(結局友だちには誰にも会えなかった。)
会場は西武秩父からバスで20分の山の上にある運動公園。ぼくは40歳以上10キロの部
約250人中27位でした。いつもだいたいこんな成績です。ゴールしてすぐその場でタイムの印刷された完走証をプリントアウトしてくれました。
雨でぬかるむゴルフ場の芝生を走ったので下半身は泥だらけ、馬になったような気分です。

友部正人 
5月5日(月)「横浜 大さん橋ホール」
横浜のライブハウス「サムズアップ」の10周年を祝うお祭りのようなコンサート。大勢のミュージシャンが出演して、大勢のお客さんがコンサート終了後まで楽しんでいました。
ぼくは6時半ごろ、バンバンバザールと出演しました。まずバンバンが4曲やって、それから一緒にぼくが3曲。お客さんが盛り上がっていて、これ以上は盛り上げる必要がないくらいなので、かえって冷静になって歌えました。「Speak Japanese,American」ではけっこう興奮して声をふり絞りましたが。
バンバンの福島くんは「10周年おめでとう」と涙ぐむふりをしたのですが、ぼくにはそれが本当に見えてびっくり。バンバンはうまいのは演奏だけではありませんね。 

友部正人
5月4日(日)「可児市」
岐阜県可児市にはヤイリギターの工場があり、アコースティックギターの街、と呼ばれています。そしてギターの街をアピールするために、3年前から隔月でコンサートが続けられてきました。今回13回目のコンサートにぼくが呼ばれました。
会場の後ろには、開演前にお客さんに弾いてもらうための、20種類ぐらいのヤイリのギターが並べられていました。もちろんぼくも開場前にたくさん弾かせてもらいました。ヤイリのギターは小型のものが多いのでぼくは前から好きでした。高音がきれいなのも特徴です。

開演は午後2時。まったく一人のライブは久しぶりだったので、休憩なしで2時間ぶっ通しでやりました。ぼくの歌は初めての人が多いかな、と思っていたらそうでもないらしく、「サン・テグジュペリ」で拍手がきたりして、みんな楽しそうに聞いてくれました。

友部正人
5月3日(土)「春一番二日目」
ぼくの出番は午前11時半からでした。11時の開場と同時に北京一が歌いだして、ぼくの出番になっても、まだ入場は終わっていませんでした。今日の野音は空席がひとつもないくらい満員になりました。
ぼくはソロで「あいてるドアから失礼しますよ」「地獄のレストラン」「雨は降っていない」を歌った後、有山じゅんじと一緒に「夜は言葉」を歌いました。間奏で有山くんがリコーダーを吹いて、それがお客さんに受けていました。
春一番のステージから見える会場の外の景色がぼくは好きです。木々の向こうには何かがあるように思ってしまいます。

友部正人
5月2日(金)「春一番」
春一番の初日、ぼくは最後に出演したBo Gumbo3と2曲歌いました。Bo Gumbo3はどんと亡き後、KYON、岡地くん、永井くんの元Bo Gumbosの3人バンドです。「夢の中」「魚ごっこ」などおなじみのナンバーの後ぼくが入って、「トンネル抜けて」「朝は詩人」の2曲を一緒に演奏しました。空は暮れかけていて、「朝は詩人」を歌っていたら、夜明けのようにも見えました。95年にぼくがBo Gumbosの3人と「朝は詩人」をレコーディングしたときのことを話しました。その後彼らは、「あこがれの地へ」「見返り不美人」で春一番のステージを締めくくっていました。。

友部正人
5月1日(木)「リハーサル」
春一番のため、大阪にいます。今日は午後から会場の服部緑地野外音楽堂でリハーサルがありました。誰もいない会場で歌う歌は、誰もいない球場で放つホームランのようです。自分の打った球を目で追いながら、ボ・ガンボ3と2曲演奏しました。有山じゅんじとも1曲練習しました。本番の前に歌っておくのは、マラソンの前の試走みたいに大切なように思いました。

友部正人
4月30日「誕生日」
からっとしたいい天気だったので、「月の庭」の庭で、鈴木圭介くんの39歳の誕生日を祝いました。岡田くんが用意したデコレーションケーキには、39さいおめでとう、と書かれていました。それから駅まで送ってもらい、ぼくとユミと圭介くんは名古屋に向かいました。電車は遠足帰りの小学生でいっぱい。子供たちはすぐにぼくたちのギターに興味を示しました。どこから来たの、と聞くので、ユミが東京から歌いに来たんだよ、と答えると、東京だって、と感心していました。
圭介くんとの短いツアーの締めくくりにはぴったりの、心温まる小学生たちとの出会いでした。

友部正人
4月29日(火)「亀山 月の庭」
1年4ヶ月ぶりに月の庭に歌いに来ました。ゲストの鈴木圭介くんにははじめての月の庭です。がんの手術をして、今は自宅療養中の、岡田マサルくんが車で駅までぼくたちを迎えに来てくれました。病状はいろいろ伝わってきていたので、彼の元気な姿を見て、ぼくもユミも少し安心しました。
月の庭は岡田夫妻が自宅の蔵を改造して作った和風のお店です。メニューは岡田かおりさんの作るナチュラルなスローフード(今は若いスタッフたちも新しいメニュー作りに参加しているそうです)。
最初にそめやなないろさんが二台のギターでインストルメンタルを4曲やりました。どれもオリジナルで、情景がよく伝わってきて、無声映画のようだと思いました。
それからぼくがソロで歌い、後半に鈴木圭介くんを紹介して、彼がソロで4曲、それから二人で5曲やりました。ツアーのとき、車の中でよく「一本道」を聞いた、と圭介くんが言ったので、突然二人でその曲をやることになり、昨日より1曲増えました。
アンコールはぼくが一人で「愛について」、それから二人で「ぼくは君を探しに来たんだ」。
圭介くんははじめて来た月の庭の雰囲気とスタッフに感激してしまい、年内にもう一度ぼくと来たいと言っていました。そのときは庭でやろうか、とマサルくんも乗り気になっていました。

友部正人
4月28日(月)「名古屋 得三」
フラワーカンパニーズの鈴木圭介くんをゲストに、名古屋、得三で「歯車とスモークド・サーモン」の発売記念ライブ。前半はその「歯車・・・・」の中の曲を中心にソロで歌い、後半に圭介くんに登場してもらって、圭介くんがソロで4曲、その後二人で何曲か一緒に演奏するという構成でした。

今回のアルバムの中の「サン・テグジュペリはもういない」の作曲は圭介くんです。圭介くんが作詞で、ぼくが作曲をした「人間をはるか遠くはなれて」もやりました。他にはフラワーカンパニーズの「どこへ行こうかな」、ぼくの「愛はぼくのとっておきの色」などを演奏しました。圭介くんは今日のために「ニューヨークシティ」という曲を作ってきて、その中にはマラソンをするぼくも出てきます。
曲数はそんなに多くはないのに、圭介くんは次々と話題をふってくるので、それに答えたりしていてしゃべけが長くなり、今日は3時間半ぐらいのライブになりました。でも二人だけでしゃべっているわけではなく、お客さんも聞きながら笑ったり楽しんだりして、いろんな形で参加してくれていたのです。それがまるで歌を聞いているようでした。圭介くんとのおしゃべりは即興の歌のようなものです。

友部正人
4月27日(日)「明日から」
明日から1週間のツアーです。今日は一日中家にいました。
明日とあさっては鈴木圭介くんと一緒なので、楽しみです。

春一番の詳細をお知らせします。ぼくは5月2日と5月3日に出演します。
5月2日は、ボガンボ3 と2曲やります。出番はこの日の最後で午後6時半ごろです。
5月3日のぼくの出演時間は午前11時半からです。春一番でこんなに早い出演時間は初めてです。晴れているといいなあ、と思います。

友部正人
4月26日(土)「横浜 ドルフィー」
年に1回のジャズピアニストの板橋文夫さんとのライブがドルフィーでありました。前半はぼくのソロの後、板橋さんと二人でぼくの歌を4曲。後半は板橋さんのピアノソロの後、二人でぼくの歌を6曲やりました。アンコールは「アメリカの匂いのしないところへ」の朗読と、「夕日は昇る」。朗読の後半で静かに入ってきた板橋さんのピアノが言葉にしみいるようでした。板橋さんは、ピアノはなくてもいいかな、と思ったそうですが、日暮に一瞬だけ窓から日が射し込んだような音でした。
1年に1回は少なすぎるね、という板橋さんの要望で、今年はもう1回ぐらいどこかで一緒にやることになりそうです。

友部正人
4月25日(金)「発売が楽しみなアルバム」
23日の渋谷でのライブで、おおはた雄一くんから、1ヶ月後に発売される新しいCDをもらいました。全曲アコースティックなカバーアルバムで、最後から2曲目にぼくの「水門」が入っています。水が流れるようなさわやかなアレンジです。
それから、この日のライブを見に来てくれた原田郁子さんからも、6月に発売になる新しいソロアルバムをもらいました。このアルバムには、原田さんの曲にぼくが詞を書いた「ユニコーン」という歌が入っています。今日は一日、この二つのアルバムを繰り返して聞いていました。

友部正人 
4月23日(水)「渋谷 duo」
おおはた雄一くんのイベント「Tokyo Song Book」に出ました。おおはたくんと一緒にライブをしたのは初めてです。おおはたくんの歌は前から好きで、ぼくの「ジュークボックスに住む詩人2」でも、彼のファーストアルバムを紹介しています。
開演前からDJをしていた小池アミイゴさんに紹介されて、ぼくがまず最初に6曲歌いました。5月下旬に出るおおはたくんのカバーアルバムに取り上げられている「水門」を、彼のリクエストで歌いました。
その後、おおはたくんがソロで演奏しました。おおはたくんは歌もギターもどんどんうまくなっているみたいです。彼の新しい歌をちゃんと聞きたくなりました。
最後はぼくとおおはたくんとのセッション。ぼくの歌を4曲、おおはたくんの歌を2曲一緒に歌い、演奏しました。おおはたくんの歌にぼくはハーモニカで合いの手を入れ、おおはたくんはぼくの歌でギターを弾きます。「眠り姫」と「歌の完成」では各コーラスの前半をぼくが歌い、後半をおおはたくんが歌うという試みをしてみました。これがうまくいったみたいで、楽屋で聞いた感想もよかった。ぼくの声とおおはたくんの声は混ざるととてもいいそうです。

友部正人
4月20日(日)「人吉 ベアーズカフェ」
以前人吉の人から「ベアーズカフェ」に歌いに来て欲しい、という電話がありました。それで去年の10月、風太郎くんと熊本でライブをした翌日、「ベアーズカフェ」に行ってみたのです。そこはぼくの好きな音楽やビデオの宝庫でした。この次九州に来たら歌いに来ようと決めていました。

ベアーズカフェは小さな店ですが、お客さんでいっぱいになりました。初めのうちぼくの声の調子が良くなかったのがちょっと悔やまれます。結局いつもより長い時間歌い、アンコールには風太郎くんと二人で「ぼくは君を探しに着たんだ」をがなりました。
年に1回は九州のどこかでライブを一緒にする風太郎くん、新曲が増えるたびに曲調にバラエティが増えてこれからが楽しみです。

友部正人 
4月19日(土)「前原 古材の森」
「古材の森」は107年前に建てられた日本家屋をほとんどそのまま利用したレストラン兼イベント・スペースです。奥にはあまり手を加えないままの広々とした庭もあって、静かでとても落ち着きます。前原は風が強いけど、空気がきれいな町です。
最初に深水郁さんが演奏しました。端正な部分と荒々しさが入り混じったピアノ演奏がおもしろいと思いました。歌は矢野顕子さんとタテタカコさんが混じった感じでした。
ぼくは相変わらず喉の調子が悪く、無理せずに歌うよう努めました。でも喉って歌っているうちにだんだん自由を取り戻すみたいです。博多百年蔵とは曲目がだぶらないようにしました。新鮮さを失わないよう、自分のためにも。
夜中に咳が出るので、今夜もお酒は飲みませんでした。お客さんに鍼灸師がいらして、打ち上げのあとにレーザーをあててもらいました。

友部正人 
4月18日(金)「博多 百年蔵」
石垣島から戻ったらちょっと風邪をひいたようなので、昨日病院に行きました。風邪で病院に行くのは子供のとき以来か。

飛行機が着陸するとき、気圧の変化で耳がおかしくなったのも、風邪のせいでしょうか。リハーサル中も自分の声がよく聞こえていなかった。
でも本番はなんとか体調を取り戻し、いつもの感じで最後まで歌うことができました。
今日はDVDの映写機を用意してもらったので、「歯車」の特典映像と、「no media 2006草原編」の予告編を上映しました。休憩時間にも映像を流したので、お客さんはトイレに行けないみたいでした。百年蔵は木造でとても天井が高い。だからギターはとてもいい音に響きます。今夜の福岡は肌寒く、楽屋ではストーブをたいてもらいました。

友部正人 
4月14日(月)「すけあくろ」
今年はトライアスロンの翌日にライブをすることにしたので、リラックスしてライブができました。打ち上げで飲む泡盛もおいしかった。
ライブ前に石垣島の市街地をユミと散歩しました。どの家にも花が咲いているのが印象的でした。すけあくろの地下室でライブをしていても、今日見た花の赤い色が網膜に焼きついたままでした。お客さんの半数は若い旅行者です。旅行中の人もいれば、住み着いた人もいます。いろんなお客さんに会えるのが特徴です。
すけあくろのマスターの今村さんはベース弾きでもあります。今日は初めて1曲一緒に演奏しました。「老人の時間、若者の時間」です。太くてやさしい音でした。

友部正人
4月13日(日)「石垣島トライアスロン」
石垣島に歌いに来るようになって何年もたつのですが、最近もう一つ楽しみが増えました。
それが「石垣島トライアスロン」です。ぼくはあんまり泳げないのですが、石垣島のトライアスロンにはリレーの部があります。スイム、バイク、ランを3人で分担します。去年と同じメンバーで今年も参加しました。チーム名は「TEAM TOMOBE」。結果は、去年と同じく13位でした。個人成績では、自転車の生駒さんが1位でした。ぼくのランは21位、水泳の真理さんは59位でした。生駒さんのおかげで13位になったようなものですが、楽しさの割合はちょうど三等分です。

友部正人
4月11日(金)「夜の本屋・那覇桜坂編」
「わからない言葉で歌う人が来たよ」「わからないから聞きに行こうか」
今年の桜坂のチラシはまたまた秀逸でした。例によって、二匹の猫の会話です。

桜坂劇場は映画館ですが、そのロビーにある本屋さんで今年もライブをしました。
映画の上映の終わるのを待ってから始めるために、ライブの開演時間は9時半。
普通なら終わりの時刻です。7時ごろから本棚などをどけて、会場作りを始めました。

明日ここでプレミア上映がある連合赤軍の映画にちなんで、「乾杯」を歌ったり、
どんとのことを思い出して、どんとの「孤独な詩人」を歌ったりしました。
「孤独な詩人」と「わからない言葉で歌ってください」のつながりはなかなか良かった
と思っています。

開演前に特典DVDを後ろの壁で上映したのですが、後ろだったせいで、ほとんどの人が
見ていなかったようでした。でも、そのDVDがおまけについた「歯車とスモークド・サーモン」を
買って帰った人も多かったです。

「夜の本屋」ライブは今年も盛り上がりました。

友部正人
4月9日(水)「ふたたび Mozaik」
山口くんやリクオも出るというので、吉祥寺のスターパインズカフェに、Mozaikの今回のツアーの最終公演をユミと聞きに行きました。
着いたらちょうど山口くんとリクオが二人で演奏しているところでした。山口くんはアコースティックギターを弾いていて、リクオの髪は長くなっていました。硬派風の山口くん、軟派なリクオの対比がおもしろかった。

おととい初めて会ったばかりなのに、Mozaikのメンバーはぼくたちを見つけると昔から知り合いのように挨拶してくれてうれしくなりました。とても身近な感じのする人たちです。
横浜より大きな会場なので、スピーカーからの音量も大きかった。全員すごくのっていたけど、Andyは声の調子が悪くて、しきりにお客さんに謝っていました。ぼくは後で「良かったよ、あんなに謝る必要なんてないのに。」と言いました。

楽しくて今夜はぼくもユミもワインを飲みすぎたようです。帰りの電車では熟睡してしまいました。二人でアイルランドに行った夢を見ながら。 

友部正人 
4月8日(火)「おおはた雄一」
おおはた雄一くんと、4月23日に渋谷Duoで二人でやるライブのリハーサルを横浜でやりました。昨日の夜からの嵐が収まらず、ぼくは長靴をはきました。
おおはたくんとは前から一緒にライブをやりたいと思っていたのですが、チャンスがなかったので、今回彼から誘ってもらってうれしかった。いいコンサートにしたいな、と思います。

練習の後はみんなで「Stove's」でパスタやハンバーガーを食べました。もう夜になって、雨はほとんど上がりかけていました。

友部正人 
4月7日(月)「Mozaik」
大阪のパン屋「楽童」の松永節さんがぼくの息子に会いたいと言うので、彼が働いている横浜のライブハウス「サムズアップ」に行くことになりました。お店のスケジュールをユミがコンピューターで調べてみると、なんと「Mozaik」のライブではないですか。昨日の磔磔の打ち上げの席でMozaikの話題が出たばかりだったので、偶然のことにびっくり。

MozaikはAndy IrvineとDonal Lunnyの二人のアイルランド人を中心にした5人編成の、半分はオリジナル、半分はトラディショナルを演奏するグループです。ぼくもユミも彼らの音楽は聞いたことがなかったのですが、夢中になって聞きました。すごく良かった。

聞きに来ていた山口洋くんや梅津和時さんとも久しぶりに会いました。何もかもが偶然の楽しい夜でした。

友部正人 
4月6日(日)「京都 磔磔」
昨日から京都に来ています。夜の鴨川で、ユミと児童書店「メリーゴーランド」の潤ちゃんと3人でワインを飲みながらお花見をしました。でも暗いので桜はよく見えないし、とても寒かった。木屋町の桜並木のほうはライトアップされていてすごい人の数でした。

今日は前半も後半も一人のライブでした。ゲストなし。春なので「もう春だね」から始めて、「あいてるドアから失礼しますよ」「朝は詩人」「何も思いつかないときの歌」などを歌ってから、「歯車とスモークド・サーモン」の中の曲に取りかかりました。
2度目のアンコールは、「ぼくは君を探しに来たんだ」で元気に締めくくればと、とユミに言われ歌いました。この歌は歌うたびにあてのない旅を続けている気分になります。

友部正人 
4月4日(金)「大阪 レインドッグズ」
今日のゲストはふちがみとふなと。事情があって表向きにはふちがみさんの名前は出していなかったのです。
前半は一人で8曲歌い、後半はふちがみとふなとの二人と演奏しました。まず船戸くんと二人で「水門」「言葉がぼくにはこんでくるものは」「地獄のレストラン」「歯車とスモークド・サーモン」をやり、その後ふちがみさんが加わって、3人で演奏しました。
「老人の時間、若者の時間」以外にも、ふちがみさんとの共作「池田さん」や、「Nalala」「大道芸人」「遠来」「Don't Think Twice」など。
次回は夏に大阪で「子供のためのno media」を、ふちがみとふなとと一緒にやる予定です。

友部正人 
4月2日(水)「ぐるりのこと。」
夏ごろ公開される「ぐるりのこと。」という映画の試写会にユミと行きました。
子供を失ってうつ病になった妻をそばで見つめ、そのまま受け止めて愛そうとする夫の話。主役のリリー・フランキーはとても不思議な味わいのある人です。
そんな二人を取り囲む親族、世間の人たちの身勝手なこと。今の日本ってこんな風なのかな。法廷絵描きの主人公の、裁判所での覚めた目と、妻に向ける思いやりのある眼差しの対比がとてもよかった。

友部正人 
4月1日(火)「Book Japan」
今日から、インターネットでの書評サイト「Book Japan」がスタートしました。
ぼくはボブ・ディラン特集で、「ボブ・ディラン全詩集」と「自伝」を取り上げています。
取り上げる本は、新刊にかぎらなくてもいいそうです。ぼくは古本屋で見つけた本や、
ミュージシャンの自伝、詩集、ニューヨークで見つけた本など、月に1、2冊のペースで本の紹介をしていくつもりですので、ぜひ見てみてください。
いろんな分野から大勢の方たちが参加されています。

友部正人 
3月30日(日)「入間市 SO-SO」
朝からお花見気分がぱんぱんにふくれあがっている日曜日、ぼくとユミは横浜から電車で埼玉県の入間市に。三宅伸治くんと二人で、「SO-SO」でライブをするためです。
「SO-SO」はいわゆる米軍ハウスを改造したお店です。ぼくたちが以前ここに来たのは、西岡恭蔵のお葬式のときでした。「SO-SO」のオーナーの酒井さん夫妻は、西岡恭蔵が住んでいた家に現在暮らしています。ハウスばかりが立ち並ぶ町は、小さなウッドストックのようでした。お向かいの家からは、ギターを弾く音が聞こえていました。

ライブの前半は、全曲ぼくと三宅くんと二人で演奏して、後半の最初に2曲ずつソロをやりました。二人のソロの後、三宅くんのサンプリング・マシーンを使って「言葉がぼくに運んでくるものは」をやりました。三宅くんはギターを、ぼくは自分の声を何重にも重ねていって、それにあわせて二人で演奏するのです。これは想像していた以上におもしろかった。またチャンスがあればやってみたいです。

そんなこんなで、いつものように、非常に盛り上がった状態でライブは終わりました。雨降りなのに、お客さんもたくさん来てくれました。ライブの後は終電ぎりぎりまで、三宅くん家族と共に、「SO-SO」の一周年を祝いました。

友部正人
3月22日(土)「横浜サムズアップ 吉祥寺祭り」
夜の8時から札幌のラジオの生番組に電話出演しなくてはならなくて、途中からしか見にいけなかったのですが、ペケやアーリータイムズ・ストリングスバンドの演奏を聞きました。今夜のライブはサムズアップで働いているぼくの息子の企画でした。
突然の飛び入りで、その息子と初めて二人でぼくは「こわれてしまった一日」を歌いました。ぼくがギターを弾いて歌い、息子の一穂がコーラスをつけたのです。声が似ているのか、コーラスが溶け合って感じよくなりました。親子共演なんて見ている方が照れる、という人もいましたが。
アーリーは相変わらずのゆるゆるぶりで、すごいバンドがあるものだと思いました。ペケの歌は、いつもぼくの体をゆらゆら揺らします。

友部正人
3月20日(木)「スターパインズカフェ」
吉祥寺のスターパインズカフェで、「歯車とスモークド・サーモン」の発売記念ライブをしました。メンバーは、パスカルズからロケット・マツ、金井太郎、横澤龍太郎、三木黄太、バンバンバザールから福島康之、富永寛之でした。
前半は4曲のソロの後、福島、富永、横澤、三木という組み合わせで4曲を演奏しました。「歯車」の間奏でギターを中断してピアノを弾くことになっていた富永くんは、ずっとピアノの前でギターを弾いていました。前半は落ち着いた曲調の曲ばかりだったので、この編成が合っていました。来られなかったウッドベースの黒川くんの代わりの三木さんのチェロも、予想以上に効果的でした。
アルバムではウッドベースの船戸くんと二人でやっている「言葉がぼくにはこんでくるものは」を、今日は一人でアカペラでハーモニカを吹きながら歌いました。想像するとできそうもないのに、やってみると楽しいです。2曲のソロの後、後半はパスカルズからの4人のメンバーと演奏しました。このメンバーとやるのは去年9月の35周年ライブ以来。今日はそのときよりも、それからレコーディングのときよりもうまく演奏できた気がします。福島くんが「渋いバンドですねえ」と感心していました。
アンコールはバンドで「6月の雨の夜、チルチルミチルは」と「Speak Japanese,American」の2曲、「Speak・・・・」は6人全員でやりました。そして最後にソロで「雨は降っていない」。
今日は一日雨降りでしたが、ちょうど席が埋まるくらいにはお客さんも来てくれました。うれしかったです。今度の4月のライブに誘ってくれたおおはた雄一くんや、ジャケットデザインを担当した扇谷さんも来てくれました。
開演の30分前から、特典DVDの映像を大きなスクリーンで上映しました。ほとんどのお客さんはまだCDを買っていないのか、開演前のいつものざわざわした感じは今日はなく、しーんとして見入っていました。そのDVDの制作スタッフ全員が聞きに来てくれたこともうれしいことでした。
友部正人
3月18日(火)「リハーサル」
横浜で20日のスターパインズの練習をしました。メンバーはロケット・マツ、金井太郎、横澤龍太郎、三木黄太、この4人は9月の35周年のときと同じメンバーです。それにバンバンバザールの福島康之と富永寛之の二人です。この春のアルバム発売記念ライブで、レコーディングメンバーがこれだけそろうのは20日だけです。今回は参加できないバンバンのベースの黒川くんの代わりに、三木さんがチェロを弾きます。たくさんの渡り鳥の中に一羽だけからすが紛れ込んだみたいな音で、なかなかおもしろいです。

友部正人 
3月16日(日)「荒川市民マラソン」
初めて荒川マラソンに出ました。
今年でまだ11回目だそうですが、市民のお祭りとしてすっかり定着した感のあるマラソンでした。だめならだめでいいから、とにかく楽しんで走りましょう、という風情がみなぎっていてとてもよかった。ずっと川原を走るので、景色はかなり単調でしたが(目印になるのは鉄橋か橋だけ)、給水ポイントには水だけではなく、スポーツドリンクやバナナやブドウ糖、おにぎりやパンやシャーベットまであり、2キロごとにそこを覗き込むことがちょうどいい気分転換になりました。
マーガレットズロースの岡野くんや、ニューヨークで知り合った両足義足のランナー、島袋さんも走ったし、5キロの部には走り仲間の岡田さん夫妻が出場しました。近くに住む田辺マモルくんたちもやってきて、ユミと一緒に応援してくれました。

友部正人 
3月13日(木)「ラジオ番組」
ラジオ日本の月曜日深夜の番組「フォーク魂」に出演してきました。放送日は3月17日と24日の真夜中24:30からです。
パーソナリティの女性がとても気さくな方で、楽しくしゃべることができました。かけてもらった曲は17日が「大阪へやって来た」「老人の時間,若者の時間」で、24日が「あの頃」「サン・テグジュペリはもういない」です。

友部正人 
3月9日(日)「金沢 ジョーハウス」
主催の夫婦が若いせいか、ジョーハウスのライブには若いお客さんが集まります。それを意識したわけではないけど、今日は「大阪へやって来た」や「びっこのポーの最後」など、体力のいる曲もやりました。だけどメインはやはり今回のCDの中の曲。老人がテーマの曲が、若い人たちにどう伝わったのでしょう。「若者はどうでもいいことに時間を使う」という歌詞には内心反発していたかもしれませんが、CDはたくさんの人が買ってくれました。

友部正人
3月8日(土)「新湊と高岡」
今日は講演と歌のダブルヘッダーです。昼間は新湊の内川カフェで「no media」についての話をし、夜は高岡駅地下のライブハウス「もみの木ハウス」でライブでした。

内川カフェは町の活性化のためにボランティアの人たちによって運営されています。小型の漁船が係留されている内川という川の辺のテラスのあるカフェです。
詩に関心のある20人ぐらいの人が聞きに来てくれました。no mediaの紹介のためにCDをかけたり、DVDを上映したり、ぼくの自作詩の朗読をしたりしました。ぼくはけっこう楽しかったのですが、来てくれた人たちも楽しんでくれたことを後でアンケートで知りました。

もみの木ハウスでは最初に大谷夫妻が演奏しました。大谷氏の歌はダダっぽくて、暗い情感があり、ぼくは好きです。
「地獄のレストラン」の歌詞にはもみの木が出てくるので、ぼくはこれはぴったりだな、と思いました。「歯車とスモークド・サーモン」の中の歌を歌ったり、詩やエッセイの朗読をしたりするので、盛りだくさんな内容になってしまいます。単調になるよりはいいかな、とぼくは盛りだくさんを楽しんでいます。

友部正人
3月7日(金)「高山 ピッキン」
まだ雪の残る高山に歌いに来ました。相変わらずのたくさんの観光客で駅前はにぎわっています。
ピッキンには映写機があるので、ニューアルバムについている初回限定DVD「うたの時間」を開演まで上映しました。
今回のツアーには、甲府の坂田くんが製作したアコースティックギターを持ってきています。小型で軽いのでとても弾きやすい。ピックアップはついていないので、音はマイクでひろいます。「歯車とスモークド・サーモン」の中の曲をほとんど歌いました。それから「働く人」「一本道」など、いつもの曲も。休憩も入れずに2時間、なんだかあっというまでした。
終演後はDVD「LIVE! no media 2006 草原編」の視聴用DVDを上映しました。詩の朗読は退屈なものだと思っていたけど、おもしろそうだね、と言ってくれた人もいました。

友部正人
3月5日(水)「CDの発売日」
今日は「歯車とスモークド・サーモン」の発売日でした。レコード屋さんでポスターを見た、とか、試聴機に入っていた、とか、いろんな情報がこちらにも届いていて、ああ、やっと発売になるんだなあ、と実感しています。

ちくま文庫「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」(森達也著)が送られてきました。ぼくが解説を書いています。この本もやっと発売になるのですね。森さんはペンでドキュメンタリーをしている人です。とても行動的な言葉を書きます。

ぼくもユミも時差ぼけで、なぜかやたらにお腹がすきます。どうしてでしょう。

友部正人
3月1日(土)「最後の二日間」
昨日の午後は原田郁子さんがうちに遊びに来ました。ケーキを食べたりして、夕方まですごしました。とてものんびりした人でした。高い所が好きなのだそうで、13階のバルコニーからの眺めをとても喜んでいました。
夜は32丁目で友だちの栄子さんと韓国料理のチゲを食べました。寒い夜はこれが一番。「歯車とスモークド・サーモン」のジャケットに写っている料理は、ロングアイランドに住む栄子さんが作ってくれたディナーです。

昨日の帰り道に降り出した雪は、今朝には雨に変わっていました。雨が止むのを待って、ユミと二人でセントラルパークに走りに行きました。もう明日日本に帰るので、今日が走り収めです。
夕方、ユミはMoMAに行き、ぼくは42丁目の図書館に「ケルアック展」を見に行きました。二回目なのに、また最初から見たものだから、前回と同じところまで見て閉館時間が来てしまいました。でも、同じところを二回ずつ見た方が楽しめるような気がします。

ソーホーでは、先日見た「Be Kind Rewind」の監督が、誰でも申し込めば2時間以内で映画を作らせてくれる、ワークショップのようなことをやっているとか。ホイットニー美術館では「ビエンナーレ2008」が始まります。そしてぼくたちがいない間に、ニューヨークには春が訪れるわけです。

友部正人
2月27日(水)「原田郁子さん、ペルセポリス」
原田郁子さんとエンジニアのZAKさんがレコーディングでニューヨークに来ていて、ユミと二人で48丁目のスタジオに会いに行きました。
原田さんはソロアルバムのレコーディングをしていました。ぼくたちが行くと、昔からの知り合いのように手を振って喜んでくれたけど、本当はまだ会うのは2回目です。
原田さんの曲にぼくが詞を書いた「ユニコーン」を初めて聞かせてもらいました。ニューヨークに来る前に、日本で録音したそうです。聞いていて何か押し寄せてくるものがあり、とても感動しました。ユミは海辺で歌っているようだと言っていました。人との合作で、その人に喜んでもらえる仕事ができたことはとてもうれしいことです。

帰り道にリンカーンプラザに寄って、「ペルセポリス」というイランが舞台のフランスのアニメイションを見ました。東京でもやっているみたいだけど、横浜からだと電車に乗って半日仕事になってしまうから。
ずいぶん身勝手な感じの女の子の、本当は幸せになりたいのに、という気持ちがよくわかりました。映画のテンポのはやさと、女の子のせっかちな感じがよく合っていました。

友部正人 
2月26日(火)「Be Kind Rewind」
中央図書館に「ケルアック」展を見に行ったら29日までお休みだとか。そのまま近くのタイムズスクエアの映画館に、ユミが見たいという封切られたばかりの「Be Kind Rewind」を見に行きました。感電して全身が磁石と化したおかげで、レンタルビデオ屋のVHSの映像を全部消してしまった主人公が、お客さんが借りたいといういろんな映画を、自分たちで撮影や演技をしてを撮り直すという話です。とてもおかしくてとてもユートピア的な作品でした。最後にオリジナルでファッツ・ワラーの伝記映画を作り、町の人たちに上映するシーンには泣けました。 

友部正人
2月25日(月)「Loves Of Blonde」
MoMAに、ミロス・フォアマンのチェコ時代の映画「Loves Of Blonde」を見に行きました。どの役者もアマチュアのように初々しく、人間を撮るのがうまい監督だなあと思いました。ユーモアが上品なのもチェコの頃からだったのですね。かためてたくさんのミロス・フォアマンの映画を見たけれど、DVDで持っていたいのはこの「Loves Of Blonde」と「カッコウの巣の上で」かなあ。

友部正人
2月24日(日)「再び五嶋みどり」
昼間はミッドタウンの図書館に行きました。フィクションの新刊でおもしろそうなのがあって、借りて帰ろうとしたら、カードがすでに無効になっているとのこと。考えてみたら、もう10年近くも図書館には来ていなかったのです。さっそくカードを作り直すことにしました。
夕方からは前回と同じローズ・シアターに五嶋みどりのコンサートに行きました。最初のセットのバッハはあっという間に終わってしまい、第二セットと第三セットはシュニトケという作曲家の作品でした。いくつかの楽器が絡まりあうおもしろさがありました。最後はデダルスカルテットのショスタコビッチでした。
クラシックの人は、ステージでは一言も喋らないのですね。そんなことも初めて知りました。

友部正人
2月22日(金)「雪とMan On The Moon」
朝5時にはもう屋根に雪が積もっていました。一晩中降り続いたようです。映画を見ているような雪の降り方でした。
午後からは小雨に変わり、ユミが写真を撮りに行くというので、ぼくも一緒に出かけました。
セントラルパークでは子供たちだけではなく、大人たちもそりすべりを楽しそうにやっていました。ぼくたちもそりは持っています。でもまだ一度もすべりに出かけていません。
広々としたSheep Meadowには20以上の雪だるまが完成していました。裸婦やばかでかい椅子や犬の像もありました。自分たちの作品の前にいつまでもいる人もいれば、帰ってしまって誰が作ったのかわからない力作もありました。

夕方からまたミロス・フォアマンの映画を見に行きました。今日は「Man On The Moon」。ジム・キャリーの演じるコメディアンの話です。自分ではコメディアンとは思っていないのですが。映画の中の登場人物たちだけではなく、映画を見ている観客も煙に巻こうとする、奇抜で一生懸命な映画でした。

友部正人
2月20日(水)「月食」と「The People Vs. Larry Flynt」
今夜は雪の予報だったのに空は良く晴れていて、午後8時頃ユミがミッドタウンから帰ってくるときにはとてもきれいな満月だったそうです。
ぼくはMoMAで映画を見たあと、午後10時過ぎに歩いて帰ってくる途中、みんなが夜空を見上げているので、何かなと思って見てみたら、月が半分に欠けているのです。もしかしてこれは月食かな、と思って、新聞を見ても書いてなくて、とりあえずアパートに戻り、ユミとまた外へ行き、ブロードウェイにたたずんでほとんど欠けた月を見上げていました。ぼくたちのそばにいたおばさんに聞いたら、やっぱり月食とのこと。何ヶ月か前に横浜で天気が悪くて見られなかった月食が、ニューヨークで見られました。

今日もMoMAにミロス・フォアマンの映画を見に行きました。一人の監督だけ集中して見るのははじめての体験です。この監督の映画は、抑圧に屈しない反社会的な人を主人公にしたものが多いみたいです。
今日は「ハスラー」という男性雑誌で巨万の富を築いたラリー・フリントという実在の人が主人公の映画でした。雑誌がわいせつだということで、保守的な銀行マンや宗教界のドンから訴えられるけど、最高裁でやっと勝利します。麻薬で死んでしまう奥さん役のコートニー・ラブがとてもよかった。

友部正人 
2月18日(月)「Hair」
このところよくMoMAに行っていますが、ミロス・フォアマンの特集をやっているからです。毎日
2本ずつぐらい上映しています。MoMAの会員なら前売り券は50セントです。
今日は「Hair」を見ました。ミュージカルです。最初のうちはずっと場面がセントラルパークの中だったので、へえ、こんなところで撮影したんだ、なんて感心しながら見ていました。主人公はオクラホマからやってきて、軍に入隊してベトナムに行くことになっている若者と、その若者と入れ替わってベトナムに送られ、23歳で戦死してしまう、セントラルパークの主のようなヒッピーの若者。一度軍隊に入った若者は世の中から隔離され、そのまま戦場に送り込まれ、死んで真新しい墓石になる。基地と戦場と墓石の間には距離なんかないくらい直結しているのです。そのことがよくわかるように撮影されていて、うまいなあと思いました。最後の若者たちのセントラルパークでの反戦行動のシーンでは泣けました。ぼくの前の若い女性も泣いていました。

友部正人
2月17日(日)「Goya's Ghost」
MoMAに、ミロス・フォアマンの最新作「Goya's Ghost」を見に行きました。
画家のゴヤが生きていた頃のスペインが舞台です。教会が牛耳っていたスペインをナポレオンが占領して、それを今度はイギリスが追い払い、権力をまた教会に返します。先日のTaking Offとはうって変わっての歴史物でした。
時代に翻弄される人々をゴヤは克明に絵に記録していきます。見ごたえのあるすごい映画でした。

友部正人
2月15日(金)「Taking Off」
MoMAで特集されているミロス・フォアマンの「Taking Off」を見に行きました。チェコスロバキアからアメリカに来て最初に作った映画と聞いていたので、ドキュメンタリー風の地味な映画を予想していたのですが、親の世代と子の世代のギャップを扱ったかなりおかしい喜劇でした。時はフラワーチルドレンの70年前後、生き方が服装にも表れていた時代です。Taking Offというのは負けると一枚ずつ着ているものを脱いでいくトランプゲームのことのようです。

新聞にダニエル・ジョンストンのライブの告知が出ていて、チケットを買いに行ったのですがソウルド・アウト、かなりがっかりしました。

友部正人
2月13日(水)「I'm Not Thereと五嶋みどり」
ニューヨークに来て1週間がたちました。時差ぼけとの戦いは負け続き。昨日はぼくもユミも昼と夜が逆転していました。
そんな中、日曜日には恒例のブロンクス・ハーフ・マラソンに出たり、マイナス9度の日にセントラルパークをユミと走ったりしていました。

今日は朝から雨、ぼくは夕方からハウストン・ストリートのフィルム・フォーラムに、ボブ・ディランの伝記的要素の強い「I'm Not There」を見に行きました。去年の11月に公開されたときには見られなかったので、まだ上映していてラッキーでした。DVD化も未定のようだし。
伝記と創作がごちゃまぜになった作品でした。リチャード・ギアがビリー・ザ・キッドを演じ、ジョーン・バエズらしき人の役をジュリアン・ムーアが演じていました。またサラらしき人の役をシャルロット・ゲンズブールが、イギリス公演時のディランを、ケイト・ブランシェットがやっていました。6人の俳優がいろんなディランを演じている映画ですが、一番感動したのはケイト・ブランシェットでした。

その後ユミと待ち合わせて、五嶋みどりとミロ・カルテットのコンサートに行きました。ぼくのホームページのトップページの写真に写っているタイムワーナービルの5階にあるローズ・シアターです。
五嶋みどりはピアノの人と、ラヴェルと武満徹を、ミロ・カルテットは武満徹とドビュッシーを演奏しました。日本とフランスの文化的なつながりを意識した演目でした。1200席のホールなのにまったくの生で、バイオリンの音量はピアノに少し負けていました。それでも、ニューヨークで聞くクラシック音楽はとても身近な気がして楽しめました。今月24日にも同じ場所で今度はバッハをやるらしいので、また聞きに行こうと思っています。

友部正人
2月6日(水)「いのちの食べ方」
久しぶりに映画を見に行きました。横浜のジャック&ベティという映画館でやっている「いのちの食べ方」というドキュメンタリー映画です。豚や牛やニワトリがどうやって食品にされるのかを、ありのままとらえた映像です。
人間の食料になるためにだけ生まれてきた動物や植物たち。ベルトコンベアの上だけの命。食べるっていうことを考えさせられます。解説のない映像だけの映画なので、パンフレットを買うといいでしょう。
今月中旬までやっているようです。「ミリキタニの猫」もここで現在公開されています。
ジャック&ベティには初めて行きましたが、独特の雰囲気のおもしろい映画館でした。

友部正人 
2月5日(火)「取材」
ゴーギャンという月刊誌の4月号でボブ・ディランの特集をするそうで、ぼくも取材を受けました。この雑誌は中高年がターゲットだそうです。現在も活動を休まないボブ・ディランの存在は、この世代の人たちに力を与えているようです。
4月から始まる「Book Japan」というインターネットの書評サイトでもぼくはボブ・ディランについて書くことになっています。

友部正人 
2月4日(月)[パスカルズ」
最近ライブ数の増えているパスカルズを横浜のサムズアップに聞きに行きました。ライブ盤「ハイセンス・シューズ」の発売記念です。今日は石川くんが欠場で、13人のパスカルズでした。スピーカーの前にいたからか音がクリアで、楽器の音を楽しめました。みんなも演奏に熱中しているようでした。「ハイセンス・シューズ」にはヨーロッパのライブも入っていて、フランス語で曲を紹介されたりしています。聞いている人たちもみんな楽しそうです。
アンコールの最後にはぼくが飛び入りでパスカルズをバックに「こわれてしまった一日」を歌いました。

ぼくとユミはこの後、2月7日から3月3日までニューヨークに行ってきます。向こうではセントラルパークを走ったり、原稿を書いたりしてこようと思います。そして一ヶ月後には、新しいアルバムが出ます。お楽しみに。

友部正人
2月3日(日)「LIVE! no media 2008」
目が覚めてホテルの窓から外を見ると雪が積もって真っ白でした。雪はどんどん降り続いていました。テレビをつけると東京も雪ということ。しかも終日降り止まないらしい。西武線は特急が運休していました。

今日のno mediaの出演者は、知久寿焼、竹原ピストル、佐藤良成、友部正人の4人でしたが、オグラくんが飛び入りしてくれました。
知久くんはたくさん朗読して一曲も歌いませんでした。これにはぼくもちょっとびっくり。完成したての新作「縁側シリーズ」2編が新鮮でした。
竹原くんは前に会ったとき、自分からno mediaに出たいと言ってくれたのです。ぼくは彼の書く歌が好きだったので、今日はとても楽しみでした。ジャニス・ジョプリンの「メルセデスベンツ」をヒントにした書下ろしの詩がとても良くて、「良かったね」と言ったら、「自分も一番気に入っている」と言っていました。竹原くんは朗読の合間に1曲歌ってくれました。
飛び入りのオグラくん、実は飛び入りをお願いしたのはぼくとユミでした。彼がメールで送ってきてくれた2編の詩がとてもよくて、「ぜひに」と。その2編の他に1曲歌ってくれました。
最後は佐藤良成くん。先日の鈴木圭介くんと同じように、スタジオを借りて朗読の練習をしたそうです。彼の書くものは妙に鬱屈したところがあってぼくは好きです。一筋縄ではいかない感じが心を打ちます。読むと怖くなる民話のようです。良成くんには「こわれてしまった一日」で、バイオリンを弾いてもらいました。それから、知久くんと良成くんにも1曲ずつ歌ってもらいました。それで全員1曲ずつ歌ったことになります。最後に知久くんとぼくとで、「けらいのひとりもいない王様」をやりました。

友部正人
2月2日(土)「秩父 ホンキートンク」
2年半ぶりの秩父でした。ユミと西武秩父駅に着くとホンキートンクの鈴木さんが出迎えてくれて、まず3人でハシケンの実家を訪ねました。ハシケンの実家は和菓子屋さんです。お姉さんのみっちさんとご両親が大歓迎してくれて、作りたて桜餅をいただきました。なんだかすごくぜいたくな気分。

4人のオープニングアクトの方たちの後にぼくが歌いはじめました。ホンキートンクに来ると
いつもお客さんがたくさん来てくれます。鈴木さんから「密漁の夜」をリクエストされていたので、久しぶりに歌いました。「6月の雨の夜、チルチルミチルは」はイントロで拍手がきてびっくり。NHKBS2のせいでしょうか。

出演者とスタッフだけで鍋を囲んで打ち上げ。鈴木さんはごきげんで、バイオリンで渡辺勝の曲を弾いてくれました。外に出るとちらほらと雪が舞い、「明日の朝起きたら真っ白だったりして」と冗談で言ったのに、翌朝本当に真っ白だったのです。

友部正人
1月28日(月)「NACK5」
FMラジオ局NACK5の、バンバンバザールの番組にゲスト出演しました。放送は2月中旬の予定です。
話はやはりぼくの新しいアルバムについてです。バンバンバザールも3曲参加しています。その中から、バンバンの福島くんとの共作「年をとるってどんな感じ」をかけてもらいました。
ぼくが音楽をやるきっかけとなった、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリングストーン」をかけた後、もう一曲今回のアルバムから「サン・テグジュペリはもういない」をかけてもらいました。
バンバンとラジオに出たのは初めてでしたが、目の前にお客さんのいるライブとは違って、向き合って喋っているみたいでおもしろかった。ぜひ聞いてください。

友部正人
1月27日(日)「どんと・ソングズデイ」
横浜のサムズアップで、恒例の「どんとソングスデイ」があって、ぼくもゲストで参加しました。
これは主にどんとファンの人たちがどんとの歌を歌うコンサートです。投票があって、票数の多かった人たちが何組か表彰され、記念品がもらえます。
今年の優勝者は不動産会社に勤める人たちのバカボンズというバンドでした。ぼくの息子の一穂も入賞して、どんとバカ賞をもらってました。
ゲストには元ローザの玉城くんが来ていて、ボガンボスの岡地くんも飛び入りしてました。
ぼくは弾き語りで「孤独な詩人」と「トンネルぬけて」を歌い、歌もコードもまちがいだらけだったのにアンコールをもらったので、「ぼくは君を探しに来たんだ」を玉城くんのギター、いずみさんのドラムで歌いました。

友部正人
1月26日(土)「LIVE! no media 2008」
2週続けてのno mediaの1回目。今回の会場は横浜のサムズアップというライブハウスで、前回の倉庫版からカフェ版に縮小です。
出演は石川浩司さん、鈴木圭介さん、三宅伸治さんとぼくでした。
石川さんは迫真の演技で客席をぞっとさせていました。練習なんかしないという、石川さんの演技力は天性のもののようです。
圭介くんは今回のために8編も詩を書いてきてくれました。どれも力作で、生まれて初めて詩の朗読をする意気込みがあふれていました。
三宅くんは新作はないよ、と予告しておきながら4編も新作をやりました。三宅くんの詩集「月のメロディ」の中の「ダンス天国」や、新作の「山本くん」という詩がよかった。
ぼくの歌は、鈴木圭介くんと一緒に「サン・テグジュペリはもういない」、三宅くんと「雨の降る日には」「一本道」でした。
今日は3人とも自分の歌は歌わずに、朗読だけでした。それだけ中身の濃いno mediaになりました。

次回2月3日は、オグラくんも飛び入りしてくれることになりました。オグラくんの新しい詩、とてもぼくの心にしみます。ぜひみなさんも、聞きに来てください。

友部正人
1月25日(金)「ぐるり」
「ぐるり」2月号が早々と届きました。今号では特集で、ぼくが田川律さんと対談をしています。
テーマは何もないけど、生き生きとした感じを壊さないような田川さんの対談の進め方に感心しました。対談をしたのは去年のクリスマスイブ、横浜のBankART1929でやりました。
「ぐるり」は2ヶ月ごとに出る、中央線沿線を中心とした情報誌です。
発刊されてすでに4年だから、24人目のゲストということになるのかな。なかなかめずらしいくらいゆるゆるとした対談なのでぜひ読んでみてください。

友部正人
1月24日(木)「現代詩とピアノ」
吉祥寺のスターパインズカフェで、現代詩とピアノがテーマのめずらしいコンサートがありました。出演は谷川賢作さん、高瀬麻里子さん、こなかりゆさん、渋谷毅さん、尾上文さんの5人。高瀬さんは谷川賢作さんのむずかしいメロディを感情もこめて悠々と歌っているのがすばらしかった。こなかさんは、はちゃめちゃな、理解を越えたような歌詞を身振りも交えて楽しそうに歌っていました。まさに宇宙からたった今やって来た少女みたい。渋谷さんはそんなこなかさんのファンクっぽい曲を戸惑いと愉悦の混じった表情で演奏していました。
尾上くんが最後だということで、今日のイベントの中心は詩の言葉なのがわかりました。彼は「no media」でも朗読したことのある、ぼくもよく知っている何編かの詩を、パソコンに取り入れた音楽や効果音を駆使して朗読していました。

詩がテーマだとお客さんがなかなか集まらないのはぼくも経験しています。一度聞けばそのおもしろさは特定の人たちのものではないのに。今日もまさにそういうイベントでした。

友部正人
1月21日(月)「銀杏BOYZ」
お台場のZEPP TOKYOに銀杏BOYZを聞きに行きました。ちょうどDVD「LIVE! no media 2006」ができたばかりで、それを峯田君に手渡したかったから。ライブ後の楽屋で、「あれからもう2年もたつのか」と、峯田くんは感慨深げでした。この日初めておおやけに「LIVE! no media 2006」が発売になったのですが、何人の人が買ってくれたのでしょうね。

久しぶりの銀杏のライブ、ステージをわがままに自分たちの表現の場にしていました。
ぼくにはあまり変わっていないように見えた峯田くんですが、ユミは、ずいぶん大人になったように感じたみたいです。ぼくが今日のライブで感じたのは、今日のイベントを感動的なものにしているのは、半分は銀杏だけど、あと半分はお客さんだということ。二分の一ずつを受け持っているのだと思いました。本編の最後に歌った「ぼくらは世界を変えられないだろう」が、「サンディニスタ」の頃のクラッシュみたいでとてもよかったな。

友部正人
1月20日(日)「うたの時間」
3月5日に発売される新しいアルバム「歯車とスモークド・サーモン」の初回プレス特典DVD「うたの時間」の、関係者だけの試写会が四谷のスタジオでありました。編集済みの映像はすでに見ていたのですが、それにちゃんとした音声がついて、マスターリングされたものです。
大きな画面とスピーカーで見ると映画館で見る映画みたいでした。単なるレコーディングの
記録ではなく、それから切り離されても作品として楽しめる内容でした。おまけということで30分という長さになったのですが、発売前にどこかで上映会を開きたくなるような、おまけにはもったいない作品になりました。
試写会の後はマッコルリとビールでお疲れさんの乾杯をしました。

友部正人
1月18日(金)「高田渡生誕祭・59」
18日、19日の二日間にわたるコンサート。一日目だけでも15組以上の出演者でした。
ぼくは一番最後にパスカルズと4曲演奏しました。コンサートの時間が押して、閉館時間の10時が迫っていたのに、舞台監督の福岡風太は予定の4曲を歌わせてくれました。その代わり、フィナーレでパスカルズと歌う予定だった中川五郎の時間がなくなりました。五郎、ごめんね。
「no media 1」に参加してくれた高田渡の詩をぼくが朗読して、新しくできたばかりのDVD「LIVE! no media 2006」を紹介したけれど、コンサートの時間が押したために、ライブ中に売店はもう撤去されていました。
高田渡の歌は内容は暗くても全然じめじめしていない。むしろ明るくてポップな感じがします。だからこそたくさんの人が、死んでからも誕生日を祝ってくれるのだと思いました。

友部正人
1月15日(火)DVD「LIVE! no media 2006」
ユミが孤軍奮闘で製作していたDVDが出来上がってきました。
撮影、編集は木村誠さん。一人一人の朗読の生き生きとした様子を上手に切り取っています。朗読は一人一編ずつですが、それでも1時間の作品になりました。最後にぼくがちょっとはしゃいで、オグラくんの手回しオルガンの伴奏で「水門」を歌っています。
朗読会のあった横浜の海と、水門のある釧路の湿原がどこかでつながればいいなあ、と思いながら、ぼくは出演者たちの朗読をDVDで見ました。

予定より早く出来上がってきたので、18日の武蔵野公会堂ではじめて販売できます。
1月26日と2月3日に横浜のサムズアップで開かれる、LIVE! no media 2008「」でももちろん
販売します。2008年版のno mediaにもぜひお越しください。

友部正人
1月12日(土)「甲府ハーパーズミル」
今年で23回目のハーパーズミル・ライブ。今年は坂田くんの新作のギターで歌いました。
ハーパーズミルはカレー屋ですが、本業の傍らギター製作も数年前から始めて、今ではそちらが本業のようになっています。ギター製作の腕が上がるにつれて演奏もよくなっているのに感心しました。坂田くんにとって、ギター製作は音楽をやるのに欠かせない過程になってきています。
今年はいろんな懐かしい人たちもひょっこり聞きに来てくれて、今までになくライブは盛り上がりました。毎回打ち上げですごい料理を作ってくれる坂田くんの奥さんの真澄さんが、これが終わらないと落ち着いて新年が始められない、と言っていたのが印象的でした。

友部正人
1月9日(水)「マスターリング」
何事もなくすごしたお正月でしたが、世間と同じタイミングで仕事の日々がやってきました。
昨日はユニバーサルで新作「歯車とスモークド・サーモン」のマスターリングをしてもらいました。全11曲、10時間かかりました。
今回は録音場所もエンジニアもばらばらだったので、1枚のアルバムの音として成立するのだろうかとプロデューサーのユミは危惧していたのですが、マスターリングを終えて、そんな心配は無用だったことがわかりました。35年もレコーディングをやっていて未だにマスターリングについてよくわかっていなかったぼくも、今回はその威力を思い知りました。

今日はその新作につける特典DVDの打ち合わせです。撮影、編集は伊勢朋矢くん。30分程度の小品ですが、ラブリーな作品に仕上がりそうで楽しみです。

友部正人
1月2日(水)「新年」
みなさん、あけましておめでとうございます。ぼくもユミも横浜で新年を迎えました。
昔はお正月といえば街はしーんと静まり返っていたものですが、最近はみんなが車で買い物に出かけたりするらしく、横浜のみなとみらい周辺は昨日も今日もひどい渋滞でした。

このホームページが始まって7年がたちました。最初は一人で管理人をやってくれていたハナオさんですが、結婚して最近は旦那さんのケチャと二人でやってくれています。1歳になった長女のユキネちゃんと3人で沖縄市に住んでいます。遠いところからぼくたちを助けてくれています。本当にありがとう。頼りにしています。

ぼくたちはといえば、むちゃくちゃに忙しかった12月が嘘のような、のんびりとしたお正月です。新しいアルバムが発売される3月まではそんなにぼくのライブも多くはなく、主に原稿を書いたりの日々が続きそうです。3月になって歌い歩く日々が待ち遠しいです。

友部正人