友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

12月31日(月)「サムズアップ カウントダウン・ライブ」

横浜サムズアップのカウントダウン・ライブ。
東京ローカル・ホンクのゲストとして、ギターの春日博文さんと一緒に出ました。
ぼくは1Fのストーブスでは「生きていることを見ているよ」、2Fのサムズアップでは「ぼくは君を探しに来たんだ」をホンクや春日さんと歌いました。
12月29日(土)「時々自動忘年会」

下北沢のラ・カーニャで、時々自動の毎年恒例の忘年会がありました。
今年は11月に長年の同志の今井次郎さんが亡くなって、主宰の朝比奈尚行さんも忘年会はちょっと、と言っていたのですが、今井さんのこと以外は全部忘れよう、という忘年会にしようと思ったようです。
時々自動の生演奏と、何人かのゲストの演奏、ビールやワイン、すべてがいつも通りなのに、今井さんだけがいない会になりました。
ぼくは時々自動のメンバーと2曲、ソロで1曲歌い、ユミから、どの歌も今井さんと関係があるように聞こえてしまったよ、と言われました。
12月27日(木)「大阪市阿倍野区 ロクソドンタブラック」

毎年夏に青少年のための国際パフォーマンス・フェスティバル(ぼくも毎年参加しています)を主催、運営している劇団キオによるぼくの今年最後のコンサート。
キオの拠点劇場ロクソドンタブラックでやりました。黒い壁に照明がばっちりで、歌なのに映画のような雰囲気です。ぼくも歌いやすいし、お客さんも聞きやすかったのでないでしょうか。
ライブハウスとは違ったわくわく感のある会場で、ぼくの一年を締めくくれてうれしかった。
12月26日(水)「神戸市 チキンジョージ」

谷口蘭太郎さん主催による音楽イベント。
名古屋のジャージャが最初に演奏して、次はアイルランド音楽のジョン・ジョン・フェスティバル。
それから奇妙礼太郎くん、そして曽我部恵一くん。
そして、ぼくのソロの前に曽我部くんとぼくとで彼の「コーヒーと恋愛」を歌いました。
神戸でこの歌を一緒にやるのは2回目です。
ぼくのソロは45分。でも少しオーバーしたかもしれません。
最後はギターパンダの山川くんと大島くんの二人のユニット。
コール・アンド・レスポンスで最大に盛り上げて、アンコールは「ライク・ア・ローリング・ストーン」をぼくの日本語訳で全員で演奏しました。
個性的な出演者ばかりでしたが、満員のチキンジョージ、熱く長いコンサーでした。
12月24日(月)「加古川市 チャッツワース」

朝起きたら近江八幡は雪でした。お昼には溶けてしまいましたが。
新大阪駅で横浜から来たユミと合流しました。一緒に新快速で加古川に向かいます。
チャッツワースもこの何年間か毎年に歌わせてもらっています。
今夜もなんだかんだとたくさん歌いましたが、クリスマスイブなのに、キリストの出てくる「こわれてしまった一日」を歌おうと思っていて忘れてしまいました。
12月23日(日)「近江八幡市 酒遊館」

酒遊館の20周年記念のライブでした。オーナーの西村さんによれば、
ぼくはほぼ毎年歌いに来ているそうです。そうだったかなあ、と意外でした。
なぜなら、そんなに長く毎年のように歌いに行っている場所ってそんなにはないからです。
20周年にちなんで、20曲歌う予定でしたが、結局もっとたくさん歌ったようです。
12月19日(水) 「ミュージカル」

ようやく最後の楽曲の歌詞ができて、音楽監督の阿部海太郎さんと最後の打ち合わせ。
全部で12曲の歌が完成しました。
主役の森山未來さんと満島ひかりさんのリハーサルもしばらく見学しました。
1月の本番が楽しみです。
12月18日(火) 「冬の本」

ぼくも原稿を寄せた「冬の本」(夏葉社)という可愛らしい本が届きました。
まだ読み始めたばかりですが、84人の執筆者のひとりひとりの違いがおもしろい。この本を読んでいると、エッセイの中に取り上げられている本をぼくも読みたくなります。
http://www.natsuhasha.com/
12月17日(月) 「火星の庭句会」

今年最後の句会でした。ぼくとユミはメールで投句したり選句したりするだけで、なかなか普段は参加できない仙台の句会ですが、忘年会を兼ねた12月の句会だけはちゃんと参加しています。
参加してみるとやはり句会はおもしろく、上達しない俳句もまた続けたくなります。
12月16日(日)「仙台市 Cafe Sendai Koffee」

ぼくの東北ツアーのコーディネイター、テリーさんとの今回最後のライブは仙台のSendai Koffee。
音楽を聞いたり本を読んだり、若い人が自由に過ごせるようなそんな空間のお店。
仙台はいつも、初めてぼくのライブに来ました、という若い人が多いような気がします。
12月15日(土) 「志賀理江子展」

横浜からユミが仙台に到着。ブックカフェ「火星の庭」の前野さんと3人で、定禅寺通りのメディアテークに、志賀理江子さんの「螺旋海岸」という写真展を見に行きました。
写真を看板みたいに立てて、会場いっぱいにらせん状に展示していました。
写真の海を様々な角度から確認するような展覧会で、とても斬新な試みだと思いました。
その後3人で「せり鍋」を食べに行きました。これがおいしかった。
12月14日(金) 「盛岡 クラムボン」

クラムボンは小さな喫茶店だけど、そこに人がぎっしりと入ると、不思議に全く狭さが気にならなくなります。PAを使わないので、自分から出た歌がそのまま聞いている人に届くようで、それもまた気持ちがいい。
ぼくがここでライブをしたいと思うのは、店主の高橋さんとの何十年も前からの信頼関係が大きいのかもしれません。
12月13日(木) 「青森市 クレージー・ホース・サルーン」

店の名前はパリの有名なストリップ劇場と同じだけど、店の中は完全に
グレートフル・デッドの世界。ポスターやレコードジャケットを見るだけでも楽しい。
ぼくは黙々とただ歌うだけなのに、聞いている人たちはとても楽しんでいて、それがうれしかった。
12月12日(水) 「函館市 Beats」

久しぶりの函館でした。
「Beats」というお店にはライブハウス特有の暗さがなく、
やっている人たちもなんだか明るくていい感じでした。
お客さんもたくさん来てくれて、満足な夜でした。
12月8日(土)「南青山マンダラ」

「あさって、笑う」というマンダラの津山くんの企画ライブで、タテタカコさんとぼくの二人のコンサート。
タテさんは今日の昼に北海道の登別の高校でライブをして、その後飛行機でやって来ました。北海道は吹雪で、関東は強風で飛行機がずいぶん遅れたそうです。

最初にタテさんが1時間。いわき市のあぶらすましというバンドの曲を歌って、それがとても良かった。
ぼくもその後に1時間。沖縄でひいた咳の出る風邪が悪くなっていて、リハーサルのときはだいぶつらかったけど、本番の前に楽屋で体操をしたり、ステージでぬるま湯で喉を潤したりしながら、なんとか普通に歌えました。
アンコールはタテさんの「心細いときにうたう歌」とぼくの「一本道」を二人でやりました。
12月7日(金)「小野哲平作陶展」

今日も午前中から「100万回生きたねこ」の打ち合わせ。音楽監督の阿部海太郎さんも
ロケット・マツも、それから役者さんたちやダンサーたちも、みんな他の仕事と掛け持ちでやっているんです。本当に大変だなあ、と思いました。

ぼくとユミだけ早めに切り上げてもらって、六本木に小野哲平くんの作陶展を見に行きました。
そこで大きな地震があり、怖かった。
哲平くんの器はぼくもユミも大好きで、もう最初から何か買って帰るつもり。
今日は夜空みたいな色のお湯のみを二つ買いました。家に帰って、これで泡盛のお湯割りを飲んだけどおいしかった。
12月2日(日)「東村高江 やまがめ」

今日は朝からずっと雨で、「やまがめ」は屋外でのライブの予定だったので、それをどうするか、主催の片岡くんはずっと迷っていました。
雨はけっこう激しく降っていたし、「やまがめ」は山の中にあるので夜は寒くなり、お客さんはきっと大変だろうと思われたから。でも、結局、屋外でやることになりました。

片岡くんの後、ゲストの知久くんが歌いました。新曲もいくつかあって、どの曲もとてもよかった。知久くんが歌っている間、犬や子供たちがそのまわりを走り回っていて、知久くんは子供たちにも好かれていると思いました。
山の中で木や水の音に囲まれて歌うのはとても気持ちがいいです。なんだか自然にやる気がわいてきます。たくさん歌った後に、片岡くんと知久くんが参加して「こわれてしまった一日」「ぼくは君を探しに来たんだ」「6月の雨の夜、チルチルミチルは」を一緒にやりました。
12月1日(土)「沖縄市 ジターヌ 」

沖縄市は基地の町らしく、アメリカっぽいお店があります。
今日ぼくがライブをした「ジターヌ」も長いカウンターがあり、広々としていて天井が高い。
猫のケンゴくんが大きな体で、みんなに愛想をふりまいていました。

最初に片岡まさのりくんが歌い、それから宜野湾カントリーズが演奏しました。
宜野湾カントリーズはウッドベース、バンジョー、フィドルなどのアコースティックなバンドで、去年も桜坂で一緒に演奏した「朝は詩人」と「地獄のレストラン」を今日も一緒にやりました。なかなかよかったと思いました。
米兵に夜間外出禁止令の出ている沖縄市は、人通りが皆無で、土曜日だというのに眠ったようでした。
11月30日(金)「那覇市 桜坂劇場」

今日から沖縄で3日間のライブ。空港でばったり知久くんに会いました。
関東から来たばかりなので、やはり暑く感じます。リハーサルでも汗だくになりました。
客席はまあまあの入り。なんとなく映画館っぽい雰囲気です。
この夏の様々な出来事などを話しながら歌いました。
11月29日(木)「『100万回生きたねこ』の歌げいこ」

ミュージカルの歌げいこに参加しました。自分の書いた歌詞がすてきなメロディで俳優さんに歌われるのを聞くのはおもしろいです。
11月28日(水)「おおはた雄一くんと」

吉祥寺のキチムでのおおはた雄一くんの月例ライブにゲストで出ました。
おおはたくんとライブをするのは2回目。とても久しぶりでした。
ぼくの歌では「仲のいい二人」「かわりにおれは目を閉じてるよ」「水門」を一緒にやりました。おおはたくんの歌では「火のそばに」「手のひらブルース」をやりました。二人ともギターの弾き語りで、ぼそぼそとあまり聞こえないような声で話しながら歌う、静かでいいライブになりました。
11月27日(火)「時々自動」

時々自動の新作公演をユミと見に行きました。場面場面が短く、うっかりしていると置いてけぼりになりそうだと思っていたら、ところどころそんな観客を拾いに来てくれる繰り返しのシーンもあって、いつもながら斬新で実験的で、美しい演出でした。
時々自動はずいぶん古くからある劇団ですが、いつもその現在をシャープに切り取って見せてくれます。
最後に、24日に亡くなった今井次郎さんにこの作品が捧げられているというメッセージがありました。
11月25日(日)「ヨケイモノたちの想造力展」

西予市にある池田屋ギャラリーで歌いました。「ヨケイモノたちの想造力展」の最終日。
20年前までは酒蔵だったそうです。今は建物も庭も自然に古びたままの状態で、なかなか雰囲気のある場所でした。そこに大勢の人が聞きに来てくれてうれしかった。
11月24日(土)「松山 スタジオowl」

去年に引き続き、今年もスタジオowlでライブをしました。久し振りのライブなので、約1か月間のブランクを取り戻す意味でも、今日はたくさん歌おうと思っていました。
11月23日(金)「ミュージカルのリハーサル」

朝10時から、今ぼくが作詞でかかわっているミュージカル「100万回生きたねこ」の歌げいこに参加しました。
普段の自分の歌とは勝手が違っていて、ぼくとしてはまだ手探りの状態ですが、新しい気分でただいま作業中です。11月22日(木)「水谷紹20周年」

80年代のはじめからずっとぼくのライブやツアー、レコーディングなどで音楽的に手伝ってもらってきた水谷紹くんのデビュー20周年ライブ。
ゲストは鈴木慶一、高野寛、そしてぼくでした。
ぼくは「こわれてしまった一日」「愛について」の2曲をライブの前半に、水谷紹バンドや東京中低域と演奏して歌いました。ステージがせまいので、大人数の中低域は客席の後方三箇所で演奏していました。
アンコールではみんなで「ウエイト」を紹くん訳の日本語で歌いました。
11月21日(水)「比嘉良治写真展」

銀座のニコンサロンで、ニューヨークの友人、比嘉良治さんの写真展が今日から始まり、今日はそのオープニングに行ってきました。
ニューヨークで知り合った大勢の人たちがギャラリーに集まり、夕方からユミも一緒にオープニングパーティの準備をしていました。
今回の写真展は沖縄の海岸の岩の岩肌を撮っていて、それがデザイン的に見えるような写真です。リアルの視点を岩肌に持って行ったところがおもしろいです。
11月18日(日)「帰国」

今日の夕方の飛行機で日本に戻ります。とあるミュージカルの歌詞を書くことになり、帰国前は、ずっとそれにかかりきりでした。でもまだ全部は終わっていません。
11月17日(土)「60キロレース」

ニューヨークシティマラソンが中止になって、しばらくはレースにも出られそうもないので、セントラルパークでの60キロレースに出ることにしました。3年ぐらい前に一度出たことがあり、そのときは歩いたり立ち止まったりと、つらかった思い出があるけれど、今回はほとんど
休むことなく完走できました。途中応援に来ていたユミが伴走してくれたりして、5時間38分ぐらいでゴールしました。
11月16日(金)「Tokyo 1955-1970」

MoMAで60年代の日本の前衛芸術を紹介する展覧会が開かれています。
一般公開は来週からだそうですが、MoMAの会員なら見られるというので、ユミと見に行きました。
赤瀬川源平、横尾忠則、ゼロ次元、となつかしい、おもしろい作品が並べられていました。
すべての作家名が、英語式に名前からではなく、名字から表記されているのも特徴でした。
11月15日(木) 「The Rolling Stones」

MoMAでローリングストーンズの映画の特集をしていて、写真家のロバート・フランクが撮った「コックサッカー・ブルース」という長編ドキュメンタリーを見に行きました。
1972年のツアーに同行して撮影していて、たまにロバート・フランク自身も画面に顔を出します。
ミックやキースをこんなにも間近で捉えた映像を見たのは初めてです。全然飾らず、サービス精神旺盛で、スタッフやツアーバンドのメンバーが麻薬や乱交のシーンまで見せてくれる。
すべてが当時のストーンズのパワーなのだと思いました。
11月13日(火) 「Discovering Columbus」
西野達というアーティストのおもしろい作品を見ました。
マンハッタンのコロンバスサークルにあるコロンブスの石像を、その周りに部屋を作って、応接間の一部にしてしまうという作品。何十メートルもあるポールの上に立つ像なので、階段を何階分も上がって部屋にたどりつくと、あれ、という意外な気分になりました。
アメリカ大陸を発見したといわれているコロンブスを、コロンバスサークルに発見したという感じ。
11月10日(土)「グリニッチ・ビレッジ」

11月8日から始まっているニューヨーク・ドキュメンタリー映画祭、グリニッチ・ビレッジのIFCとチェルシーのSVAで朝から夜中まで、毎日20本近い作品が上映されています。
友だちのマサに誘われて、SVAに「Greenwich Village:Music That Defined A Generation」を見に行きました。1960年から70年代にかけて影響力のあったグリニッチ・ビレッジのフォークシンガーたちに焦点を当てています。当時のぼくの知っているミュージシャンがたくさん出てきます。年を取って、キャプションで名前を読まなければわからなかった人もいましたが。
クリストファーソンのように、ディランこそがグリニッチ・ビレッジだという人もいれば、シルビア・タイソンやトム・パクストンのように、ソングライティングの学校だったという人もいた。
監督のローラ・アーチバルドさんは59年生まれで、後追いで60年代のビレッジに興味を持った人。
あえてボブ・ディラン以外のシンガー・ソングライターたちに焦点を当てたかったそうだ。
そうなってくると、今でも大きな影響力のある人はやっぱりピート・シーガーということになってくるのかな。
11月9日(金)「アパルトヘイト写真展」

写真美術館ICPに「アパルトヘイトの興亡」という展覧会を見に行きました。
一つの展覧会に、一階と地下のすべてのギャラリーを使うのはめずらしく、写真作品やポスター、新聞記事、本などの資料、映画やビデオ作品など、1時間ではとても見られない量でした。
当然、ぼくが見たものをユミが見ていなかったり、またその逆も。
人間が人間にすることじゃないね、という感想は二人とも一致していました。
11月7日(水)「雪」

夕方から雨が雪に変わり、一晩中降り続けるみたいです。
長靴をはいて、街を歩いてみました。歩道にはもうだいぶ積もっています。
セントラルパークは閉鎖されていました。お店はどこもがらがらで、早仕舞いして帰ったほうがいいような感じでした。
それにしても先週は台風で、今週は雪嵐だなんて、なんとめまぐるしい
天気なことか。
11月5日(月)「キャンセル続き」

ハリケーンの後、マンハッタンのダウンタウン全域で停電が一週間近く続き、ライブも映画も、それからぼくがとても楽しみにしている中古レコード市も中止になりました。
それは年に一度のビッグイベントで、ハロウィンの頃に三日間開催されます。(そういえばハロウィンパレードも今年は中止でした。)それはそれはたくさんの中古レコード屋が全米から一堂に会し、それらを全部見て歩くのは
まず不可能。今年から少しぐらい高くてもここでしか見つからないようなものを買おうと決めていた矢先でした。残念。
11月4日(日)「セントラルパーク」

本来なら今日はニューヨークシティマラソンの日。朝4時半のバスに乗り、スタテンアイランドに行き、9時40分にはスタートしているはずでした。気温は1℃、かなり寒かったはず。

午前中にセントラルパークに行ってみると、大勢の人たちが歓声を上げて、まるでマラソンのときのようなお祭り騒ぎ。一周10キロのコースを大勢の人たちがのんびり走っていました。
すぐに、これはマラソンを走れなかった人たちが、その分、公園を42キロ走っているんだとわかり、なんだか胸が熱くなりました。デンマーク、オランダ、チリ、イスラエル、メキシコ、イタリア、フランス、日本、外国から来たたくさんの人たちがそれぞれ集団で走っていました。ゼッケンを付けている人もいます。
応援の人たちも大勢かけつけ、水やベーグルなどを自分たちで用意して道路脇でランナーに手渡していました。
マラソンを走りたかった人たち、マラソンを応援していた人たちのすべての気持ちが紅葉した枯葉のように舞い散る、すてきな光景にぼくはうっとりしました。

マンハッタンの電気は回復し、マンハッタンとブルックリンをつなぐ地下鉄もようやく復旧したようです。
ぎりぎりのところまで引き延ばしての今回のマラソン中止決定ですが、ここまで悩んで悩んで中止を決定したことは良いことだとぼくは思いました。その後のことは後で考えればいいのです。
ランナーたちのがっかりした気持ちも、今日で少しはすっきりしたはず。

 
11月3日(土)「残念会」

ダウンタウンに住むヨシとマドレン夫妻の家で、電気がやっと回復した喜びを祝い、マラソンが中止になった残念な気持ちを慰めるパーティがありました。
貝と野菜たっぷりの鍋料理。おいしかった。

ヨシの家も昨日まで停電が続いていて、電話もメールも使えず、お湯が出なく、暖房もなかったそうです。奥さんのマドレンはいつになく少し疲れた様子。
ロングビーチの一軒家に住む友だちは旦那さんがイタリアに行っていて留守なのに、自宅の地下室に海水が浸水して、何日もたった一人で停電の中、じっと我慢して暮らしたそうです。停電した高層マンションの53階に住む女性は、エレベーターが止まってしまい、歩いて地上まで降り、足ががくがくになって、そのまま会社に寝泊まりしたそうです。
そのほか、日本からはるばるマラソンにやってきた人たちも残念さを隠せない様子でした。
11月2日(金)「マラソン中止」
今年のニューヨークシティマラソンは中止になりました。今日の夕方6時頃突然決まったようです。
今回のハリケーンの後も、「マラソンは実行する」と市長がきっぱりと言い続けていた後だけに、
すぐには信じられないような気持ち。だけどこの日もスタテンアイランドで二人の子供が遺体で
見つかったりして、やはりとてもマラソンなんかできる状態ではなかったのかもしれません。
開催が近づくにつれ、反対や批判も強くなって、とうとう中止せざるをえなくなったのでしょう。
すでに4万人もの人がEXPOで登録を済ませた後だけに、なぜもっと早く決定できなかったのか、
と悲嘆にくれる人も多かった。とくに海外から何千ドルもかけて来ている人たち。
11月1日(木)「マラソンEXPO」

今日から34丁目以北の地下鉄は走っています。地下鉄も無料です。
ぼくの最寄りの地下鉄は1,2,3番なのですが、1番の地下鉄は、終点のサウスフェリー駅が完全に水没しているらしいです。

夕方、友人のマサとカーネギーホールの近くで待ち合わせて、マラソンのEXPOにゼッケンをもらいに行きました。カーネギーホールの前の高層ビルの建築現場のクレーンがハリケーンで折れて垂れ下がっていて、その周辺はかなり広い範囲で立ち入り禁止。
マサと待ち合わせの場所は禁止区域だったのでちょっとあせりました。
ぼくたちは携帯電話を持っていないのですが、でも日本とは違い街中にはたくさん公衆電話があるので、相手が電話を持っていれば安心です。

インターネットでダウンタウンのライブハウスや映画館を調べてみたら、ほとんどのライブのスケジュールは延期かキャンセルになっていました。
シティ・ワイナリーで明日ジャニス・イアンのライブがあり、よろこんでチケットを購入したのですが、夜になって、キャンセルというメールが送られてきました。交通手段がなく、ジャニス・イアンがニューヨークにたどり着けないとのこと。ぱっと明るい気持ちになった後だったので、とてもがっかりです。

ダウンタウンまだ停電が続いているため、マラソン前の金曜日に毎年開かれるヨシとマドレン夫妻のパスタパーティは中止になりました。
ニューヨークシティマラソンはこんな状態にも負けず、予定通りに開催されるのですが、来られない人もいるだろうし、参加者は減るだろうな。
10月31日(水)「ハリケーン 3」

まだ地下鉄は止まっています。マンハッタンの34丁目以南は停電だそうです。
そのエリアに住むヨシ&マドレンに電話をしても全くつながりません。どうしているのか、とても気になります。

バスに乗ってミッドタウンまで買い物に行きました。地下鉄が走っていないので、バスは無料です。
だけど道路の渋滞が激しく、バスは前に進みません。バスの中も動けないくらい混んでいました。
うちの最寄り駅の72丁目から地下鉄なら5分のところに1時間ぐらいかけて行き、また1時間かけて帰って来ました。
10月30日(火)「ハリケーン 2」

ときおり台風の後のような強風が吹きますが、雨も弱々しく、一応嵐は収まりつつあるようです。それにつれニューヨーク市の被害の大きさが明らかになってきました。
ダウンタウンのあたりは全部停電しているようです。
セントラルパークは閉鎖されていました。大勢の観光客が外の歩道から折れた木々を眺めて記念写真を撮っていました。どこにも行くところのない観光客でこのあたりのレストランも長蛇の列。夕方から一部のバスだけ運行を始めるようです。
リバーサイドパークは立ち入り禁止のテープを無視すれば入れるところがあって、ハドソン川まで行ってみました。川の中央を流れる水が盛り上がっていて、まだハリケーンが近くにいるようでした。
10月29日(月)「ハリケーン」

歩みの遅いハリケーン・サンディは今日になってやっとニューヨークに到着しましたが、我が家の窓をたたく雨や風はそんなにひどくはなく、うちにはテレビもないので、たいしたことはなかったのかな、とユミと話していました。
地下鉄は昨日の夕方から止まっています。結局今日は一歩も外に出ませんでした。
ビルの管理人から、停電のおそれがあり、そうなると水が使えなくなるので、浴槽や鍋に水を確保するようにという連絡があり、ぼくたちも急きょ災害のムードに。
結局停電にもならず、夜は二人でDVD三昧でした。
10月28日(日)「5マイルレース」

ハリケーンがいよいよニューヨークシティにもやって来るというので街は緊迫しています。
うちの隣のマーケットでも、災害にそなえてなのかレジは長蛇の列。
そんな今日、朝にはセントラルパークで5マイルのレースがありました。
6月に椎間板ヘルニアになって、今年のニューヨークシティマラソンはどうなるのかと自分でも心配していましたが、今日のレースを走ってみて大丈夫だとわかりました。
ニューヨークマラソンまであと一週間です。
10月27日(土)「ロウ・アンセム」

ダウンタウンにあるペース大学のホールに、ロウ・アンセムを聞きに行きました。
ジャスティン・タウンズ・アールというシンガーの「ウッディ・ガスリーのスピリットを探して」という企画のコンサートにゲストとして出ました。ジャスティン・タウンズ・アールとロウ・アンセムの他に、ジョー・パグというソロシンガーが出ました。
ロウ・アンセムは繊細で心のこもった演奏をする人たち。4人のうち3人が小柄なので、子供が出てきたみたいでした。ぼくもユミもまだ一度もロウ・アンセムの単独のライブは聞いたことがなく、おまけにアルバムも友達に2枚借りて聞いただけだけど、最近ぼくたちの一番好きなバンドです。
10月26日(金)「エスペランザ・スポールディング」

午後になって、事件のあったアパートの前まで行ってみました。
入り口には花束がたくさん置かれ、TVの報道カメラが何台も置かれていて、通りがかりの人たちが遠巻きにビルの入り口を見つめていました。

黒人やアジア系の子守が、白人の子供たちを乳母車に乗せて散歩する姿は、このあたりでは日々の見慣れた景色です。
でも今日は有色人種の子守の人たちを街でほとんど見かけませんでした。
どの子も自分のお母さんと街を歩いているのです。
「昨日の事件のせいかな」と、乳母車を押して歩く白人のお母さんたちからユミは目が離せないみたいでした。

夜になってぼくは、アポロシアターにエスペランザ・スポールディングのコンサートを見に行きました。
アポロは観光地ですね。お客さんの80パーセントが白人なのも意外でした。
ハーレムだからぎっしり黒人のお客さんかなと想像していた。
ステージには大きなラジオの舞台装置、コンサートのタイトルは「ラジオ・ミュージック・ソサイエティ」。
最初にラジオから聞こえてくるいろんな音楽の一部を、バンドが生演奏してコンサートは始まりました。
そしてラジオから聞こえてくるニュースのように、現代のいろんなことをこの女性は
音楽に取り入れます。
エスペランザは20代のとてもきれいな女性。ほっそりとした腕でウッドベースやエレキベースを
弾きまくり、弾きながら歌まで歌います。それも普通の歌いやすいような歌ではなく、ジャズの即興のスキャットに言葉を載せたような歌。曲と曲の合間のおしゃべりもみんなジャズみたいでした。
音楽でいっぱいのラジオ、そのラジオでつながるより良い社会を120パーセント表現した
あっという間の2時間。脱帽、ってこういうときに使うのかな。
10月25日(木)「1週間」

18日の朝ニューヨークに着いて、もう1週間たちます。例によって時差ボケで、セントラルパークを走る以外はあまり外出もしない毎日です。
セントラルパークはそろそろ紅葉のピーク。メトロポリタン美術館の裏に葉っぱを真っ赤に染めた大きな木があって、たくさんの観光客がその下で記念撮影していました。

今日の夕方、ぼくたちのアパートのすぐ近所のアパートで、2歳と6歳の白人の子供が50歳のドミニカ人の子守の女性に刺殺されるという事件がありました。
子守の女性も自殺を試みてそばに倒れていたようです。
発見したのは夕方帰宅した子供たちのお母さんでした。
ヘリコプターがずっとうちのあたりの上空を旋回をしていて、これはなにか事件かと思い、うちにはテレビがないのでユミがインターネットで調べて事件が分かりました。
10月17日(水)「ニューヨークへ」

14日に松たか子さん主演の映画「夢売るふたり」を見ました。
1年前にぼくがkyOnや佐橋佳幸さんと六本木でライブをしたときに、ユミが佐橋さんの奥さんの松さんから今映画の撮影中だと聞いたそうなのですが、その映画がこれです。
ぼくは勝手にコメディを想像していたのに、けっこうシリアスなので驚きました。
見終わった後にバラバラだった印象がまとまってくる、そんな映画でした。

p.s.
11月19日まではニューヨークにいますので、CDなどの通信販売はその間ストップします。ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。友部正人オフィス 小野。
10月12日(金)「Cow Books」

中目黒の「Cow Books」で本にまつわるトークライブ。
ぼくが取り上げた本は「ブラジル民衆本の世界」でした。20世紀末までは確実に存在したとされる、ブラジル東北地方の吟遊詩人たちのコルデル(詩歌集)の世界を紹介した本です。
実際にその地方に旅して詩人たちと会ってきたという細川周平さんから,以前CD-Rで送っていただいた歌の音源を今回資料として使わせてもらいました。
後半はお客さんたちからの質問に沿って話を進め、司会進行役は初めてという村瀬さん、盛りだくさんの内容を見事に予定の1時間におさめました。
10月9日(火)「とある物語」

新大久保のグローブ座に、森山直太朗くんのミュージカル「とある物語」をユミと見に行きました。
作、演出は、直太朗くんの歌詞も担当している御徒町凧人。
夢の中が舞台の長い話。たくさんのおかしなシーンがあって、やがて主人公の少年は夢の中の永遠の時間に別れを告げ、夢の中で出会った孤独と旅に出る。
そういったよくありそうな話なのに、新鮮でした。
芝居が終わって目が覚めてもまだ夢の続きにいるような、そんなやさしい物語。
10月8日(月)「きわわ」

横浜のBBストリートに「きわわ」をユミと聞きに行きました。
「きわわ」はギターと歌の小野一穂、ドラムと朗読のgnkosai、ペダルスチールの宮下広輔という3人バンド。今日で9回目のライブだそうです。
一穂はぼくの息子で、いくつかの形でのライブを見てきたけど、「きわわ」は自由で生き生きしていて、しかも楽しそうでした。バンドとしてはまだゼロに近くても、将来性は十分にあります。楽しみ。
10月6日(土)「南青山の1日」

寺尾紗穂さんから誘われて、「りんりんふぇす」に出ることになりました。
このイベントは、ホームレスの人たちを支援している「ビッグ・イシュー」という雑誌を応援して行こうという主旨のコンサートです。去年も誘われたのですが日程が合わなくて、今年はぜひ出たかったので、早くから予定を組んでもらっていました。
ユミは5年ほど前から「ビッグ・イシュー」をずっと購読しています。
バックナンバーもずいぶんそろえたんじゃないかな。

コンサートは1部と2部に分かれていて、その間にシンポジウムがありました。
ホームレス経験のある若者、養護施設から高校に通う高校生、「ビッグ・イシュー」でお金を貯め、今月ホームレスから脱出したという人、いろんな人たちの生の声が聞けて良かった。東京で「ビッグ・イシュー」活動を運営している女性の、「行政に頼らず、自分たちで動く」という姿勢が素敵でした。
ピート・シーガーのやっているハドソン川浄化運動を思い出しました。
路上生活経験者のソケリッサというダンスグループがおもしろかった。
寺尾さん、いいコンサート、ありがとう。

「りんりんふぇす」の始まる前に、会場の梅窓院のすぐ近くの「スペースYUI」というギャラリーに、古い友人の茶畑和也さんのハートの絵の個展を見に行きました。
茶畑くんは去年の3月11日の震災以来毎日一枚ハートの絵を描いていて、それを妻のひろみさんが福島の原発作業員の人たちにメールで毎日届けているそうです。
ハートの絵のカレンダーは、売れた分だけ東北に寄付しているそうです。
ぼくはハートの絵を1枚、ユミはコーヒーカップとスプーンの針金細工を買いました。
久しぶりに会った茶畑くんとひろみさんはちっとも変りなく元気でした。
9月30日(日)「横浜 シネマ・ジャック&ベティ」

横浜のユニークな映画館ジャック&ベティ。伊勢真一監督のドキュメンタリー「傍〜3月11日からの旅」の上映が昨日から始まっていて、朝10時半からの上映の後、伊勢監督とぼくのトークと歌のイベントがありました。
伊勢監督とはもう長い付き合いで、新作ができる度に勝手に応援して駆けつけています。
映画館でのトークは15分ぐらいでしたが、その後1階の喫茶室に場を移して、約1時間半のトーク、歌。伊勢監督の独特の時間感覚に場はなごみ、いつまでも終わらない感じ。でも内容はかなり濃かったように思います。
「ぼくの田舎」、「日本に地震があったのに」を途中で歌い、「中道商店街」で締めくくりました。
台風17号が近づく日曜日の午後のゆったりとしたひと時でした。
9月29日(土)「吉祥寺 スターパインズカフェ」

今年2月の仙台のイベント「おとのわ」から7か月ぶりに東京ローカル・ホンクと一緒に演奏しました。
前半はぼく一人で50分ぐらい。語りの新曲「マリーナとウーライ」のせいか、「ふぁ先生」「私の踊り子」など語りの曲が自然に多くなりました。
後半は一緒に12曲演奏しました。演奏しながらの感想ですが、「弟の墓」が今日はとてもよかった気がします。本編の最後は新曲の「ランブリン・ジャック」。
アンコールは「ぼくは君を探しに来たんだ」と「ロックンロール」。
「ロックンロール」はいつものように完全ノーマイクでした。もう何回もやったことがあるのに、ノーマイクの「ロックンロール」を初めて聞いたといって喜んでくれた人が多かったのは、実は東京ではまだそんなにやったことがなかったからだと思いました。
だから東京でまたやらなくては、と思います。
9月23日(日)「三豊市 Mのまつり」

新大阪の駅で、横浜に戻るユミと別れて一人で四国へ。
香川県三豊で鉄板焼きライブハウス「ブギーナイト」をやっている湯口さん主催の野外イベント。
山の中の道の駅が会場でした。出演者はみんな「ブギーナイト」で歌ったことのある人たちです。

ぼくは40分歌いました。4曲目に矢野絢子さんにピアノとコーラスで入ってもらい「夜よ、明けるな」を、その後MOJO CLUBと一緒に「一本道」「曇り空」「大阪へやって来た」。
青い山並みを目の前にして、気持ちよく歌うことができました。アンコールは出演者全員で「夕日は昇る」でした。

終演後は打ち上げのバーベキューが始まるまで、敷地内にある温泉につかっていました。
露天風呂が気持ち良くて、いつまでもいつまでも入っていました。

今週の土曜日はスターパインズカフェでライブです。東京ローカル・ホンクと一緒に演奏するのが待ち遠しいです。バンドで歌うのはやはり楽しい。
9月22日(土)「篠山口 一会庵」

電車の時間まで四日市のホテルのロビーで、ぼくのイラスト集「記憶の裏庭」にサインをしました。
ユミと増田さんが手伝ってくれて、出発までになんとか全冊サインすることができました。

JR篠山口では主催者の小谷さんが出迎えてくれました。まだ時間が早かったので、小谷さんの奥さんがやっている中国茶のお店に連れて行ってもらいました。
中国茶は体に効くらしく、あとでユミは温泉に入ったみたいだと言っていました。

「一会庵」はわらぶきの古民家を利用した蕎麦屋です。見上げると天井には隙間がいくつも空いていました。
そこから雪が吹き込んでくることはあっても、そんなに寒くはないと店主の藤田さんは笑っていました。
人気の蕎麦屋なので、コンサートで休業だとも知らずに、リハーサル中も次々とお客がやってきます。

冷たい蕎麦と日本酒のついたコンサートで、純米酒のワンカップのラベルはぼくの写真でした。
みんな畳にすわってぼくの歌を聞いていました。大塚まさじとまりちゃんも聞きに来てくれました。

打ち上げは篠山名物の牡丹鍋。他にも手作りの珍しい料理をたくさんごちそうになりました。
藤田さんが自分の水田で作った米のおにぎりもおいしかった。
9月21日(金)「四日市 メリーゴーランド」

19日からメリーゴーランドのカフェで、ぼくのイラスト展「記憶の裏庭」が始まっています。
今日はそこでライブをしました。
話しをするように歌える雰囲気の小さなカフェです。自分の絵を背にして歌いました。
メリーのオーナー、増田さんも相変わらず元気だったし、何よりも久しぶりにメリーゴーランドに
来たことがうれしい夜でした。
9月17日(日)「浜松 エスケリータ68」

去年とちょうど同じ時期にまたエスケリータに歌いに来ました。お店は浜松駅からだいぶ離れていて、車がなければ自力ではなかなか行けない場所にあるのに、今月はすごくたくさんのライブが入っていてびっくり。みんなこのお店が好きなのでしょう。
休憩時間に外に出て見たら、郊外なので車は町中とは違う速度でピュンピュン飛ばして行きます。まだライブの途中なのに、自分がヒッチハイクの旅人のような感じを味わいました。アメリカの田舎町のような感じ。
みんな「また来年」と言って帰って行きました。
9月16日(土)「豊橋 ハウス・オブ・クレージー」

昨日の得三から、自分のライブでも「記憶の裏庭」を販売しています。
これは京都のメリーゴーランドが制作したぼくのイラスト集で、限定999部(サイン入り)、1500円です。

豊橋でのぼくだけのソロライブは3年ぶり。新しい歌と古い歌を半分ずつ聞いて欲しいのですが、自分でもどこがその境目かはよくわかりません。たぶん「奇跡の果実」あたりかな。
今日は客席に出ている音がステージでもよく聞こえ、自分の声がよく聞こえる状態で歌えるのは気持ちがいいことだと思いました。
9月15日(金)「得三 MOJO CLUB」

三宅伸治くんの得三ほぼ一週間ライブの最終日、6日目です。
三宅くんのMOJO CLUBは昨日と今日の二日間。昨日のゲストは片山広明さん、そして今日がぼくでした。
前半はMOJOだけのライブ。今日は今までライブではあまりやったことのない曲を中心に演奏したそうです。ぼくが二階の楽屋で出番を待っていたら、楽屋にいた得三店長の森田さんが、「気持ちのいいバンドだなあ」と一階に降りて行きました。
ぼくがMOJOと一緒に演奏したのは本編では全部で6曲、アンコールで2曲でした。
昔MOJOと一緒にレコーディングした「奇跡の果実」をものすごく久しぶりにやれてうれしかった。
MOJOとは前もってリハーサルをしなかったのに、ベースの谷ちゃんもドラムスの章二丸くんも『ロックンロール、やってます』を聞きこんでいて、それに自分たちのやりたいことをプラスして、MOJOらしい楽しい演奏になりました。ぼくもMOJO CLUBは「気持ちのいいバンドだ」と思いました。
9月11日(火)「横浜美術館 奈良美智展」

我が家からすぐ近くなのに、なかなか足を運ばない横浜美術館。でもこの奈良美智展だけは行かなくちゃ、と思っていました。ここで2001年にやった奈良さんの展覧会も見に行きました。
今回はいきなり女の子の頭部の大きなブロンズの像がいくつも並んでいて、やる気を感じました。
絵もとっても上手な人なんだなあ、と感心しました。微妙な表情のままみんな生きているみたい。
若い人が多く、ぼくとユミは目立つかなと思っていたけど、けっこう年取った人も来ていてそれがぼくには新鮮でした。常設展の方にも美術館所蔵の奈良さんの作品がたくさんありました。
9月9日(日)「京都 メリーゴーランド」

メリーゴーランドでは8月31日からぼくのイラスト展「記憶の裏庭」が開かれていたけど、実際に自分の目で見るのは昨日が初めて。石部に行く前に寄り、出来上がったばかりの絵本「記憶の裏庭」にサインをしたのでした。
今日は6時からギャラリートーク。お相手はメリーゴーランドの鈴木潤さんの旦那さんの井上迅(扉野良人)さん。ぼくのイラストをコラージュして絵本「記憶の裏庭」を作った人です。
迅くんはぼそぼそと聞きたかったことをぼくに質問し、ぼくはできるだけハキハキと、あいまいなことを答えようとします。とにかくぼくは、すてきなものが出来上がったんだから「満足、満足」というような気分でした。
トークは1時間ぐらいで終わり、その後30分ぐらい詩の朗読と歌を歌いました。

すべて終了してお客さんも帰った後、たまたま京都でライブがあったアイルランドの歌手、アンディ・アーヴァインと奥さんの久美ちゃんが来てくれました。二人とも元気そうで、やさしい目をしていました。
アンディはぼくの絵を、ウッディ・ガスリーみたいだとほめてくれました。
9月8日(土)「滋賀県石部 じゅらくの里」

今年で3回目だという「空中音庭」という音楽イベントで歌いました。
主催の人たちがみんな音楽好きで、しかも年齢が60歳以上だということには驚きました。それだけでもおもしろそうなイベントです。
天井が高く、ステージの後ろが全面ガラス張りになった会場には早くから250人もの人がやって来て、開演を待っていました。ほとんどが地元の方たちだそうです。
最初に地元のよしこストンペア(石田さん夫妻)が演奏しました。観客にこびず、のびのびと自分たちの世界を演奏していました。
ぼくの出番は夕方6時から。屋外が暗くなった7時ごろ、全面ガラスの外に設置されていたいくつもの提灯に火がともり、客席からはそれが満月や空中を漂う燈籠のように見えたでしょう。
2時間たっぷり歌ったのに、途中で帰った人はわずかで、とても心地よい余韻の残るコンサートでした。
9月7日(金)「京都 拾得」

拾得のドアを開けて中に入ると田舎の親戚の家に来たような気がします。
拾得が古い蔵だということと、もう40年近く歌いに来ているライブハウスだということで。
7時からの第一部が終わったのが8時15分ごろ。一部が長めだったので楽屋でのんびり休んでいたらユミが呼びに来て、9時にはライブを終えなくてはならないということを知った。そんなことはすっかり忘れていたのでちょっとあわてました。住宅街なので、ご近所に気遣っての自主規制だそうです。
2部が終わったのはが9時15分ごろで、アンコールはマイクを使わずにやりました。
そしたら、30年ぶりにライブで弾いたギルドのギターがとてもいい音でした。
9月5日(水)「Cow Books」

リトルプレスフェア開催中のCow Books中目黒店にユミと行きました。
目黒川沿いの桜並木道にあるこじんまりとした古本屋です。一番奥の棚にいろんな手作りの本が展示されていました。
ぼくの「SKY」にも久しぶりに会いました。元気にノートの中を走っていました。
ぼくの「SKY」のポストカードはまだ残っていました。

Cow Booksのあたりは以前ぼくとユミが住んでいたことがあるので懐かしく、その当時を思い出せるものがまだ残っていないか探しながら帰りました。
9月2日(日)「叶屋ライブ」

長野県南箕輪村の酒屋さん、叶屋での毎年恒例のライブ。今回で5回目です。
前半1時間、後半1時間半のけっこう長いコンサートになりました。
というのは、叶屋の倉田さん夫妻、スタッフのみんなからのリクエスト曲が今年も多かったから。「ガーディナーさん」「50歳になってから歌うラブソング」「夜中の鳩」など、普段はあまり歌わない歌も歌いました。
午後4時からの開演時間は、遠くから来てくれるお客さんのためでもあるし、終演後の打ち上げのためでもあります。
今年も本職のお蕎麦屋さんが、そば打ちを見せてくれました。
8月25日(土)「中目黒リトル・プレス・フェアと京都・記憶の裏庭展」

中目黒のCOW BOOKSで今日から「LITTLE PRESS FAIR 2012」が始まっています。
初日は入場整理券を発行するほどのにぎわいだとお店の方からメールがきました。
ぼくは「SKY」という手作りのパラパラ絵本で参加していて、これは非売品なので、「SKY」という詩の印刷してあるポストカードをサイン入りで525円で販売しています。
とりあえず50枚サインしました。パラパラ絵本を見て、詩を読めばなるほど、と思うでしょう。

8月31日からは京都のメリーゴーランドでぼくのイラスト展「記憶の裏庭」が始まります。
ギャラリーには70年代からのぼくのイラストに加え、この夏ニューヨークで描いた39枚の絵も展示即売されます。
ぼくの今までのイラストをコラージュした小冊子も目下製作中で、これは9月9日から販売される予定です。自分のCDやエッセイや詩集に挿絵として描いた絵がほとんどです。
数えきれないくらいのそれらの絵を小冊子にまとめてくれた扉野良人くんに感謝。
8月22日(木)「・・・・・・」

8月26日の北海道マラソン、申し込んであったのですが、まだ42キロを走れるほど腰が回復していないので、断念しました。
悔しいので、参加記念のTシャツとゼッケンを札幌の友達に代理で取りに行ってもらいます。
8月21日(火)「パスカルズ」

パスカルズの新譜「17才」の発売記念ライブ。満員の下北沢ガーデン、お客さんたちはみんな楽しそう。
パスカルズはメンバーが多く、ライブはたまにしかやらないので、集まると自然にお祭りみたいな気分になるのかな。ぼく自身もとても懐かしいものを見るような思いで久しぶりのパスカルズを聞きました。
「17才」には以前からぼくとパスカルズとで一緒にやっていた「6月の雨の夜、チルチルミチルは」も入っていて、今夜それを客席で聞きながら、この歌もようやく独り立ちしたな、と思いました。
8月19日(日)「前野健太くんとライブ」

前野くんの歌は前から気に入っていて、とくに最近はよく聞いていたけど、二人でライブをするのは今回が初めて。何曲かの新曲の中にはボサノヴァ風のもあって、器用な人だなあと思いました。
ぼくは「おしゃべりなカラス」から始めて「はじめぼくは一人だった」で終わり、アンコールは前野くんと一緒に「反復」と「どうして旅に出なかったんだ」。70年代の作品が多かったのは若い前野くんとのライブということもあると思います。
また一緒にやりたいね、と打ち上げで盛り上がりました。
8月18日(土)「LDK 十日町ライブ」

昨夜は古い温泉宿でせせらぎの音を枕に眠りました。
同じ宿に泊まったふちがみさん、船戸くんたちと、我楽多倶楽部の関口さんの車でライブのリハーサルの時間まで芸術祭めぐり。
田島征三さんの「絵本と木の実の美術館」では田島さんにお昼ごはんをごちそうになりました。
田島さんの笑顔に10年ぶりぐらいに会いました。

ライブは十日町教会で6時からでした。ふちふなのソロ、ぼくのソロ、そしてふちふなとぼくの3人で7曲ほどという構成です。この3人のバンドLDK「二つの午後」から全曲と、アンコールの最後に「トライ・トゥ・リメンバー」をやって、あっという間の2時間でした。
ライブの後、ぼくとユミは最終の上越新幹線で横浜に戻りました。
8月17日(金)「大地の芸術祭」

十日町のライブは18日なのですが、一日早く来て、トリエンナーレ、大地の芸術祭を見てまわりました。
今回で5回目の芸術祭、ぼくとユミは3回目です。
本当はちゃんとパスポートを買って何日にも分けて見て歩きたいのだけど、今日は時間もなく、明日のライブ主催の我楽多倶楽部の貝沢さんの車で津南エリアをざっと見て回るだけでした。
この芸術祭の特徴は過去の作品も展示されていること。700以上もの作品が展示されています。
「見えない村を目印にして」という本間純の今年の作品は何かを大切にしたい気持ちにさせました。
8月13日(月)「FM COCOLO」

南森町のFM COCOLOで、「MOON LIGHT MAGIC」という大塚まさじさんの番組の収録をしました。
予定ではぼくはスタジオで歌うはずでしたが、のどの調子がよくないので、CDをかけてもらいました。
ぼくと大塚ちゃんはぼくがデビューする前の1970年ごろからの親友で、話すことは尽きず、時間は全然足りませんでした。放送日は9月7日と14日だそうです。
収録が終わったあと、大塚ちゃんと一緒に放送局の近所の韓国料理屋に行き、ぼくたちが帰る新幹線の時間までマッコリや韓国料理を食べました。おいしかった。
8月12日(日)「TACT/FEST」

今年で6回目になる青少年のためのパフォーマンス・フェスティバル。
会場は去年と同じ阿倍野区民センターです。
お昼に簡単なリハーサルをして、本番は午後2時からと6時からの2回、90分ずつのステージです。
今回はちょっと趣向を凝らして、このフェスティバルの主催者であり劇団キオの演出家でもある中立公平さんにステージでぼくの詩を朗読してもらいました。
6時からのステージの最後では、この日のために書き下ろした歌「ランブリン・ジャック」で、中立さんにコーラスもしてもらいました。

この日はドイツから来た影絵のパフォーマンスを見ました。白い大きなテントをアンデルセンの見る夢に見立てた「スズの兵隊」という作品で、セリフは全編英語でしたが、子供たちも楽しそうに見ていました。
8月11日(土)「気遊」
大阪府とは思えない山の中にある山小屋風レストラン「気遊」で10年ぶりにライブをしました。
天気は荒れ模様で、川西池田駅から気遊まで車で向かう途中でも、前方が見えないくらいの土砂降りの雨。リハーサルの後、オーナーの井上さんの部屋で寝させてもらいました。

間に休憩をはさんで、1時間のステージを2回しました。前半は椅子に座って、後半はずっと立って歌いました。二か月半ぶりにライブをしましたが、なんとかやれました。
終演後は気遊のスタッフの方がぼくとユミを大阪の天王寺のホテルまで送ってくれました。
8月10日(金)「横浜」

8月6日の夜遅く、横浜に戻って来ました。
2か月ぶりに戻って来てまず面食らったのは、歩道を走る自転車です。
ニューヨークは自転車は歩道を走れません。歩道を走ると罰金だそうてす。
だから狭い歩道を我が物顔に走る日本の自転車のこと、忘れていました。
自転車は車道を走る決まりなのでしょうが、日本の車のドライバーは、とてもマナーが悪く、車道を自転車で走るのも命がけだし、困ったものです。

横浜の病院で椎間板ヘルニアの診察を受けました。日常生活が困らない程度まで回復しているから、これ以上は治療もリハビリも不必要、とのことでした。

今日はCOW BOOKSから来られた方と横浜のBankART NYKで打ち合わせ。
「リトルプレス・フェア」は8月25日から始まります。
8月3日(金)「雷雨」

今年の夏のニューヨークは毎日のようにサンダーストームの天気予報。それでいて結局降らなかったりするので、ぜんぜんすっきりしない天気が続いています。
ここしばらくは暑さも落ち着いていたけれど、今日はまた30度を超える気温になりました。
そしてぼくたちはあさっての日曜日に、8月の暑い日本に向かいます。

8月はライブ以外にも予定があります。
8月25日〜9月17日まで、Cow Books 中目黒で開催される「リトルプレス・フェア」に、手作りの本を一点出品します。
8月31日〜9月13日までは、京都の児童書専門店「メリーゴーランド」のギャラリーで、イラスト展を開きます。京都の後は、四日市の「メリーゴーランド」に巡回します。
この夏は椎間板ヘルニアでひと月はあんまり動けなかったし、痛くて椅子に座ることもできなかったので、立って絵を描いたりもしていました。

まだ重たい荷物は持てそうもないので、帰りの荷物について、二人で対策を練っているところです。
7月31日(火)「7月も終わり」

このところ夕方になると眠くなります。先日も夕方眠ってしまい、行くつもりだった集まりに行けなかった。
長かった7月もようやく終わり。
椎間板ヘルニアもぼくの実感で75パーセントぐらいはよくなってきているみたいです。
日々少しずつよくなっているようで、また後戻りしないのがうれしいです。
一時は愛用していた医療用の杖も使わなくなりました。ユミから「なんかかっこよかったのに」、
と言われたけど。
7月28日(土)「ラン、映画、芝居」

ニューヨークシティマラソンの企画する「ロング・トレイニング・ラン」に参加しました。
6マイルから22マイルまで自由に距離は選べて、まだ椎間板ヘルニアの完治しないぼくは、半分の11マイルで中止。二か月ぶりぐらいに長距離を走りました。

3時からジャパン・ソサイエティで小林政弘監督の「ギリギリの女たち」を見ました。
最初のシーンが長く、そこはとっつきにくいのですが、次第に登場人物たちの関係がわかってくると、だんだんおもしろくなってくる映画でした。これが小林くんの手法なのかなと思いました。

イーストビレッジのセントマークス教会で、レナード・メルフィ作「小鳥の水浴」を見ました。何十年も前に寺山修司と植草甚一がこのセントマークス教会で初演を見て、感動したというお芝居です。それを今回、ピンク映画監督の池島ゆたかさんらが中心となって、全員日本人の俳優、スタッフで日本語で上演することになったようです。
登場人物はヴェルマとフランキーの二人だけ。
疲れて死んだように眠るヴェルマを見ながらフランキーが書いた詩がすてきで、とても感動しました。
6時半からの上演を見たのですが、俳優も変わるし芝居の設定も少し変わるから、といわれて、続けて8時半の公演も見ました。
7月27日(金)「チェルシー」

チェルシーの画廊にグループ展を見に行きました。
ぼくたちの友人のキリコさんが参加しているので行ったのですが、いろんな美術館に所蔵されているパーマネントコレクションを表現するそれぞれの作家のアイデアがおしろくて、いい企画だなあと思いました。

それにしてもこの夏は暑くて雨も多く、湿度も高い。まあ湿度は日本ほどではないけれど。
そのせいかどうか、セントラルパークに結構蚊がいます。この間アパートの部屋にもいました。
13階なのに、どこから入って来たのかな。
その代り、いつも台所にいた小さな茶羽ゴキブリが今年は全然いないです。
7月25日(水)「メトロポリタンオペラ・イン・ザ・パーク」

セントラルパークのサマーステージでメトロポリタンオペラの歌だけのコンサート。
主に、秋からの2012/2013年シーズンに上演される話題作を、ソプラノ、テノール、バリトンの3人がピアノ伴奏だけで歌いました。
ソプラノは陽気な感じの女性で、生気にあふれていました。
テノールの人の声は張りがあって魅力的で、バリトンの人は枯れた味わいでした。
アンコールではこのバリトンの人が「トライ・トゥー・リメンバー」を歌っていました。
7月23日(月)「ウィルコ」

ブルックリンのプロスペクトパークでウィルコのコンサート。
今夜は雨が降るってわかっていたから、レインパーカーを用意して行ったけど、ライブ中の雷雨は半端じゃなかった。誰一人傘もささず、ずぶぬれになって立って聞いていました。ウィルコのボーカルの人が「みんなずぶぬれだね。ハッピー?それはうらやましい」なんて言っていました。
ぼくもユミもウィルコのライブは初めて。古い歌にも新しい歌にもはっきりとした特徴があって、そこがウィルコの好きなところです。
7月22日(日)「ヨシのスモークド・チキン、マドレンのミツバチ」

朝食の後ぼくは広々とした前庭(野原)でスケッチ。ヨシはチキンの燻製作り。
そしてマドレンは今夢中になっているミツバチの巣箱の入れ替え。ぼくたちも頭からネットをかぶり、2万匹もいるというハチと巣箱の中を見せてもらいました。
お昼はスモークド・チキンとじゃがいもと白ワインでお腹がいっぱい。1時間ほどみんなで昼寝して、夕方の電車でまたマンハッタンに戻って来ました。
7月21日(土)「10キロレース、そして、電車で郊外へ」

セントラルパークを1周する10キロレース、ずっと前に申し込んであったので、歩くか途中で棄権するつもりで参加しました。まだ走れないと思ったから。
でも走りだしてみると、そのまま最後まで行けそうな気がしてきて、普段より遅いペースでしたが完走できました。ちゃんと走ったのは実に1か月半ぶり。

昼過ぎの電車で、ヨシとマドレン夫妻のアップステイト(NY州郊外)にある別荘に遊びに行きました。ペン・ステーションから2時間、そこから車でさらに20分のところです。
電車を降りるととても涼しく、空気もとてもきれい。
夕飯の前に、みんなで見晴らしのいい場所から日没を見ました。
カーステレオで音楽をかけながら、日没を待っているカップルもいました。
おいしい料理をごちそうになり、満天の星を見上げ、「田舎は最高」とユミも叫んでいました。
7月20日(金)「Yayoi Kusama」

ホイットニー美術館に草間彌生を見に行きました。
草間彌生の作品には草間彌生本人だけではなく、見る人をも飲み込んでしまう
ような魔法があります。見る人は取り残されていくけど、草間彌生本人は自分の作品の中から何度も再生して飛び出してくる。そんな強い力が1960年代のアメリカを巻き込んだのでしょう。学生時代の作品や、ジュセフ・コーネルからの手紙なんかも展示されていて、ぐっとくる内容の展覧会です。ただ、1ドルでも入れる金曜日の夜の時間帯は、目玉の「Fireflies on the Water」が見られないので、別の機会にもう一度行くことにしました。
7月19日(木)「原田芳雄」

原田芳雄主演の映画を2本ジャパンソサイエティで見ました。
上映前の学芸員の挨拶で知りましたが、原田芳雄はちょうど1年前の7月19日になくなったのだそうです。
最初に遺作となった「大鹿村騒動記」を見ました。役者さんたちが個性的な人ばかり。
それぞれが自分の人生を抱えていて、大鹿村で出会っているという感じ。
大鹿村に行ってみたくなりました。
2本目は2003年の「ナイン・ソウルズ」。せっかく刑務所を脱走したのに、9人とも何にもならないまま死んでしまう、そんな魂の話。
血なまぐさいシーンもあったけど、妙に心に残ってしまう映画でした。
7月16日(月)「ニキ・ド・サン・ファル、草間彌生」

ユミに誘われて、パーク・アベニューに野外展示されているニキ・ド・サン・ファルの作品を見に行きました。
52丁目から60丁目まで各ブロックに一体ずつ。ジャズのマイルスやサッチモの像もありました。

帰り道、5thアベニューのルイ・ヴィトンの草間彌生のディスプレーも、帰り道にまた見に行きました。
自作のデザインのヴィトンのバッグを持った草間彌生の等身大の人形の前は、記念写真を撮る人たちで今日も黒山の人だかりでした。
7月15日(日)「ガスリー・ファミリー・リユニオン」

セントラルパークのサマーステージに、アーロ・ガスリーと彼の子供たち、孫たちのコンサートに行きました。ウッディ・ガスリーの生誕100年を祝うコンサートでした。
会場は中高年の人たちでいっぱい。
アーロがオキュパイウォールストリートに呼応して、ピート・シーガーとブロードウェイを歌いながら歩いたときの話をすると、会場にいたオキュパイの人たちが歓声を上げていました。
いろんな歌を聞きながら、ぼくはアーロの歌手として、活動家として生きる姿勢にとても共感を覚えました。そこにはお父さんのウッディやピート・シーガーから受け継いだものがとてもはっきりと感じられました。
7月13日(金)「ニューヨークフィル」

会社帰りにメグがうちに来て、ユミとぼくと3人でセントラルパークへニューヨークフィルの野外コンサートを聞きに行きました。数万人の人で埋まったグレートローンの真ん中あたりにいい場所見つけて、3人でごろんと横になって聞きました。見上げた空は曇り空。その空からポツリと雨が降りはじめ、一部のチャイコフスキーを聞いたところでぼくたちは帰ることにしました。
コンサートの最後に上がる花火は見られませんでしたが、家で花火の音だけが聞こえました。
7月11日(水)「Buddy Guy」

ファイナンシャルセンターの広場で二日間にわたって開かれている無料のブルースフェスティバル。
今日の出演はジョン・メイオール、13歳の白人少年クィン・サリバン、そして少年の師匠でもあるバディ・ガイ。

少し遅れて行ったのでちゃんと聞いたのは二番目のクィンから。3曲目でジミ・ヘンの「リトル・ウィング」をやりました。見た目はまだ女の子みたいでかわいい。でもギターも歌もうまくてそれは感動的です。

最後のバディ・ガイ、ショー自体が自分の居間のよう。自由気ままでがっちりしていて、ファンサービス100パーセント。いろんな曲をやってくれました。後半、クィンくんが参加するようになって、自分はあまり弾かず、場を盛り上げるのに専念していました。それにしてもすばらしいミュージシャンです。
ブルースなんて全然好きではないユミもバディには感動していました。
7月10日(火)「The Knights」

10日間でブレドニゾン50錠を飲みきっても左足にまだ痛みが残っていたので、もう一度病院に行き、再度薬を処方されました。ステロイドは副作用があるので、あと5日間だけ続けてみます。

夜はセントラルパークのThe Knightsというクラシックのオーケストラのフリーコンサートに行きました。最後の、オーケストラのバイオリニストとイランの作曲家が合作したという2010年の作品「Ascending Bird」がよかった。なんだかパスカルズを思い出しました。
7月6日(金)「アリギエロ・ボエッティ」

ぼくのMoMAのメンバーズカードが切れてしまっているので、無料の金曜日の夕方にユミとアリギエロ・ボエッティを見に行きました。イタリアのアーティストです。代表作は世界地図の刺繍の作品かな。それぞれの国の国旗をあしらって。ユミは前にも見たと言ってたけど、ぼくは覚えていませんでした。「地図も国旗もぼくが作ったものではないし、この作品でぼくがしていることは何もない。」と説明しているのがおもしろかった。デュシャンの影響を受けた人です。
ほかにはボールペンだけで描いた作品、刺激になりました。ぼくもボールペンで絵を描いてみようと思っていたから。

MoMAの前にも、病院にMRIの画像のDISCをもらいに行って、映画のチケットを買って、と、今日は久しぶりに歩いてくたびれました。
7月4日(水)「Fourth of July」

今日はお客さんが二組。昼間はシネマ・ダブ・モンクスの大穂くんとガンジーくんが来ました。
ニューヨークにはライブで3週間滞在していて、あさって帰国するとのこと。
若い人たちには気軽に外国にライブに来れるつながりがあるんだなあと感心しました。

夜になって、友だちのメグがぼくたちと一緒に屋上でメーシーズの独立記念日の花火を見るために遊びに来ました。ぼくたちのビル(17階建て)の屋上からはいくつかのビルが邪魔になって花火の下の方までは見られないけど、それでも十分に楽しめます。
なんといっても、部屋からワイングラスを持ったまま屋上まで行けるのがいい。
そんなに広くはないボードウォークのテラスは、大勢の人でにぎわっていました。
7月2日(月)「理学療法」

フィジカル・セラピストから、神経を痛めつけない姿勢や、再発の防止などについて習いました。
背骨から飛び出したヘルニアは、元に戻ることはないそうです。痛んだ神経を治療して、痛みがなくなるようにするだけ。日本では手術が多いようですが、手術しても飛び出した部分を切るだけなので、アメリカではめったにしないようです。
2週間は神経を痛めないよう、ねじりや衝撃に要注意。その後は走れるし、11月のNYCマラソンにも出られますよ、とのことでした。
6月29日(金)「椎間板ヘルニア」

26日のMRIの結果は椎間板ヘルニアでした。ぎっくり腰とは別のもので、背骨の間から飛び出したヘルニアが神経を痛めつけているから激痛がするのだそうです。
日本の治療方法とは違い、ブロック注射はせずステロイドの錠剤を飲んで神経を治療することになりました。
6月26日(火)「MRI」

先週の金曜日の朝激痛で歩けなくなり、ずっと市販の痛み止めの薬に頼って安静にして、たまに外出していたのですが、改善されないので、ユミに勧められて病院に行きました。
お医者さんによると椎間板ヘルニアか坐骨神経痛という判断で、ユミがこれはちゃんと調べた方がいいと言って、そのままアッパーイーストの病院にMRIを受けに行きました。
初めて受けるMRIは宇宙船の中のようでもあり、電子音のような音は現代音楽のようでした。20分間電子音を聞くうちに、いつのまにか眠っていました。
6月24日(日)「Buika」

ハイラインボールルームにブイカ(ブーカと言っている人もいる。)のコンサートに行きました。前回はカーネギーホールの最上階から見ただけなので、今回はステージの真横で立ち見しました。
今夜の二回のライブは両方ともソールドアウト。入場の前に長蛇の列。
でも中は比較的ゆったりとしていて、テーブル席には座れなかったけど快適でした。
ブイカはスペインの地中海の島で生まれ、今はマイアミに住んでいるそうです。
言葉はスペイン語だけど、それを自分で英語に翻訳して伝えてくれました。
子供の頃は自分の声がきれいじゃなくて嫌いだったそうです。今はその声が聞きたくてこんなにも大勢の人が押しかける。
ギターとカホーンだけの伴奏で、カクテルを時々口にしながら、実におおらかに、時には下半身をぎゅっと握って絞り出すように歌っていました。
その生々しさとかわいらしさ、こんな人いないなあ、と感心ばかりしていました。
6月23日(土)「プライドラン」

ゲイの人たちのランニングチーム、フロントランナーズ主催の毎年恒例の5マイルレース。
年代別に上位3位までの人には賞金が出たり、虹色のアイスキャンディをもらえたり、一年で一番楽しいセントラルパークのレースです。ぼくは前に何度か賞金をもらったこともあり、楽しみにしていたのですが、今年は腰痛で走れなかった。
レースに出たヨシの応援にユミと行きました。
6月22日(金)「指圧」

朝起きたらお尻のあたりに突然の激痛が走りました。
ヨシ(比嘉良治さん)から教えられたチャイナタウンの指圧師のところに指圧を受けに行き、1時間たっぷりマッサージしてもらいました。
そのあとすぐ近くのヨシの家で夕食をごちそうになりました。初めて食べるソフトシェルクラブ。
脱皮したばかりのカニなので殻ごと食べられます。すごくおいしかった。
奥さんのマドレンが留守で、ヨシとユミとぼくとで夜遅くまでしゃべりました。
6月21日(木) 映画「The Artist Is Present」

これは2010年春に、MoMAでマリーナ・アブラモヴィッチの回顧展で、彼女が3か月間にわたっておこなったパフォーマンスの記録です。ぼくはこの展覧会を二度見に行きました。

テーブルをはさんでマリーナさんと一対一で向き合う観客たち。
ある人は無表情を保とうとし、ある人は泣き出し、ある人は恥ずかしそうに微笑む。
それを見ていてぼくはやっと、あのときあそこでマリーナさんが何をやっていたのかがわかったのでした。
一人が終わると目を閉じて気持ちをからっぽにして、次の人が椅子に座った瞬間、また新しいパフォーマンスが始まるのです。毎日7時間半座りっぱなしの作品です。
あるときふと目を上げると、そこには昔の公私にわたるパートナーだったユーライがいて、マリーナさんの緊張感が一瞬くずれ、目に涙があふれる。この瞬間の怒涛のような感動をぼくは一生忘れないでしょう。アーティストは戦士だと言い切り、最初はほとんど命がけとしか思えないパフォーマンスをしていたマリーナさんが、この静かで激しい、呼吸をするようなパフォーマンスに行きついたことが感動的です。

映画館を出ても、思い出すと涙があふれそうになる、なんだか信じられないようなドキュメンタリー映画でした。一緒に行ったユミもマサもそしてぼくも、あのときあのパフォーマンスに参加したかったなあ、すればよかったなあ、と何回もつぶやくのでした。
6月20日(水)「Okinawa Art in New York」展

今日から7月27日まで開催される、沖縄の戦後の美術をニューヨークに紹介する展覧会が日本クラブではじまり、オープニングレセプションにぼくとユミも参加しました。
泡盛をベースにしたカクテルやゴーヤーのやきそばを食べながら、関係者や作家たちのの話を聞きました。この展覧会には友人の比嘉良治さんや照屋勇賢さんも出品しています。
「沖縄というとどうしても基地問題が取り上げられますが、そうではない沖縄を味わってほしい」という学芸員の挨拶が良かっただけに、日本のある企業代表の「日本は沖縄に助けられているから応援したい」というような無神経な挨拶にはがっかりでした。
6月18日(月)「中川五郎」

夕方、中川五郎がうちに遊びに来たので、屋上でビールを飲みました。
五郎は一週間ほど前からニューヨークに来ていて、精力的にいろんなライブを見て歩いて、明日日本に帰るそうです。
夜はメグも合流してみんなで近所にピザを食べに行きました。
6月17日(日)「ポルトガルデイ・ラン」

セントラルパークでポルトガルデイ・ランという5マイルのレースがありました。
でもぼくはまだぎっくり腰があまりよくなっていなくて、棄権しました。
ユミはレースには参加しなかったけど、一人で走っていました。
まだ走れないぼくは3キロぐらい歩きました。
6月15日(金)「プロスペクトパーク」

ジェリ・アレンというピアニストが中心になって「スロウ・フェイド・トゥ・ブラック」というフリーコンサートがブルックリンのプロスペクトパークの野外ステージでありました。
ぼくとユミは1時間ほど遅れて行ったけど、一番見たかったベーシストのエスペランサ・スポールディングはちゃんと見られました。エスペランサは今夜は自作の曲はたぶんやらなかったけど、ベースだけではなく歌う声も聞けたので満足です。夜の公園は寒かったけど。
6月9日(土)「羽田発」

今回はアメリカン航空のマイレージを使い、初めて羽田発の早朝便でニューヨークにやって来ました。
今までのアメリカンは成田から夕方の出発だったので、かなり勝手が違い戸惑いました。
早朝便を想定した羽田までの電車やバスの便がないので、ぼくたちは息子の一穂に、明け方車で羽田まで送ってもらいました。

羽田を6時40分に出ると、ニューヨークの同じ日のだいたい同じ時刻に着きます。
機内でほとんど寝られなかったぼくとユミは、ニューヨークの家にたどり着くなり、そのまま一日眠ってしまいました。
おまけに機内でずっと座っていたら、やっと治りかけていたぎっくり腰が悪化。
トイレにも座れないくらいひどいのに、翌朝うっかりセントラルパークを走ったら、その夜は完全に立てなくなってしまった。立てないし座れないし動けない。
そんな最悪の状態でスタートした今回のぼくのニューヨークです。
6月3日(日)「吉祥寺 スターパインズカフェ」

ぼくの誕生日に近いこの時期はリクエスト大会をすることもあるのですが、今年はあえて最近の新しい歌の総決算と、最近の歌いたい歌のまとめをしたかった。
ステージの上は極力何もない状態にして、ソロという印象を意識しました。
サウンドもできるだけエコーを排して、一曲だけ「水門」でギターにディレィをかけてもらいました。
「言葉だけあればすでに歌である」というようなライブになったような気がします。

アンコールではお客さんからリクエストを直接聞いて4曲歌い、最後に「月の光」で終了しました。
休憩を入れて3時間の長いライブでしたが、夕方から始まったのでのんびりできました。

次のライブまで二か月ぐらい間がありますが、今日のライブはぼくの中で余韻として生きるでしょう。

友部正人


p.s. 友部正人オフィスからのお知らせです。
  6月8日から二か月ほど休業します。
  その間に通信販売でCDや本などをお申込みされた方は、
  商品の発送が8月8日以降となってしまいます。
  大変ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。
  (友部正人オフィス 小野由美子)
5月27日(日)「秩父 ホンキートンク」

1年ぶりのホンキートンク、今年もたくさんの人が聞きに来てくれました。
年齢層も幅広く、歌やことばを楽しもうと思って来てくれたみたいです。
ぼくの前に二人のシンガーが3曲ずつ歌いました。

ぼくは休みを入れずに2時間ぐらい歌いました。
日本にいる間はずっとツアーのようなものですが、5月のライブは今日でおしまい。
毎日のように歌うことはぼくにはとてもうれしいことです。毎日の自分に発見があって。

6月3日のスターパインズカフェのライブが終わればまたニューヨークで、二か月ほど日本を留守にします。
5月25日(金)「いわき バローズ」

郡山からいわきまで、仙台のテリーさんの車で送ってもらいました。
早めに着いたのでホテルに荷物を置いて、ソニック店長の三ヶ田くんに、津波の被害の大きかった久ノ浜に連れて行ってもらいました。

最近いわきではソニックでライブをしてきましたが、今回はその姉妹店の「バローズ」です。
まだがらんとした感じの空間ですが、厨房を作ってカフェにしたいそうです。

お客さんにはぼくの誕生日だということがわかっていて、ステージに出ていくといきなり「おめでとう」と言われました。

昨日は力が入りすぎて弦が2回も切れたので、今夜は切らないよう注意深くギターを弾きました。注意すると強く弾いても切れません。
「タブロイド・ウォーター・ブルース」と「水門」では、PAの新妻さんにアコースティック・ギターにディレイをかけてもらいました。試しにやってみたのです。

アンコールで三ヶ田くんがろうそくに火のついたケーキを持って現れ、お客さんやスタッフの人たち全員に「ハッピーバースディ」を歌ってもらいました。
5月24日(木)「郡山 ラストワルツ」

今日から二日間、ぼくとユミの1年ぶりの福島県ツアーです。
去年は震災直後で、投げ銭でライブをして、集まったお金はお店に寄付しました。

今夜は1曲目で弦が切れたりして、なんだかさえないスタートでした。
1部では歌詞も何回か間違えたし。
でも2部ではいつもの自分のペースになれたので一安心。

郡山の古くからの友人たちも今夜は勢揃い。ラストワルツの料理人アベちゃんの料理でわいわいやっているうちに日付が変わり、ぼくの62歳の誕生日を祝ってもらいました。
5月21日(月)「日食」

昨夜からの雨がやみ、外へ出ると曇り空の真ん中にぽつんと金環日食が浮かんでいました。
曇りだったので肉眼で30分ぐらい見ていました。
5月20日(日)「徳島 寅家」

寅家にも毎年歌いに来ています。小さいお店なのに、毎年ぼくの歌をはじめて聞きに来てくれる人がいるのはおもしろいです。だからこれからも毎年歌いに来たい。
徳島は川のほとりがきれいで、散歩したりぼんやりすごすのにいい街だと思います。
5月19日(土)「高松 オリーブホール」

オリーブホールはステージが高く、最初はお客さんたちが遠い感じがしますが、歌っているうちにそんなことは感じなくなってしまう。わざわざ客席とステージを近づけなくても、聞き手と歌い手はいつのまにか近づいています。
1年半ぶりの高松、ぼくもいい音を楽しみながら歌うことができました。
5月18日(金)「高知 リング」

今日から3日間の四国ツアー。高知はちょうど1年ぶりです。
四国の中でも高知はどことなく別世界、別世界には別世界らしい歌い手たちがいて、今日もぼくの前に歌ってくれました。
ぼくも歌いながら高知を感じようとしたけど、それはやっぱり無理かな。
お客さんたちはとても静かでした。
主催の町田さんを応援する人たちが増えてきたのがうれしかった。
5月13日(日)長野「ネオンホール」

タテさんとのツアー最終日でした。今夜のネオンホールは2年前にもタテさんとふたりでやったことがあります。お客さんはみんなにこにこと聞いていました。
タテさんの「心細いときに歌う歌」、少しずつちゃんと歌えるようになってきました。
こんど一緒にやるときも、この曲はまたやりたいです。
5月12日(土)飯田「MuuMuu」

タテさんの楽器車にぼくとユミも乗せてもらい、プチツアーの気分です。
今夜は食事付きのライブでした。お客さんが大勢来て、お店の方たちは大混乱のようでした。
今夜もタテさんとぼくとで1時間ずつのソロの後、二人で昨日と同じ2曲を一緒にやり、その後アンコールで「ラブミーテンダー」を二人でやりました。
お客さんの年齢層は割と高く、とても熱心に聞いてくれました。
5月11日(金)京都「アバンギルド」

タテタカコさんとの3日間のライブの初日でした。アバンギルドは初めてでしたが、天井が高く、ギターの音色の心地よい場所でした。
お店の方たちはずっと前からぼくに歌って欲しかったと言ってくれてうれしかった。
タテさんとぼくと1時間ずつ歌い、アンコールで2曲一緒にやりました。
5月7日(月)「火星の庭俳句会」

ぼくとユミが毎月参加している「火星の庭俳句会」の2年分の合同句集が送られてきました。全17人の自選句が20句ずつ収録されています。
「火星の庭俳句会」は仙台にあるブックカフェ「火星の庭」の常連たちと、主宰の渡辺誠一郎さんとで2006年にはじまりました。その時点では9人しかいなかったのに、今では倍の人が毎月参加していて、ぼくとユミはほとんどEメールでの参加ですが、初回からがんばっています。
今回の句集の間には東北大震災という大きな出来事がありました。
句会の人たちはほとんどが仙台や塩竈の人たちなので、みんな被害に合いました。
ほとんどの人たちの句が、震災を境に別のものになっているのが今回の句集の特徴です。
5月6日(日)「春一番コンサート2012、その3」

ホテルを出るとき雨で、今日の最初の二組を見逃しました。残念。
会場に着いたらリクオがやっているところでした。
「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌い出したので、ユミに、ステージに出て行って一緒に歌えば、と言われたのですが、飛び入りすることはできませんでした。
でも豊田勇造くんからは、「大文字」でコーラスして、と頼まれたので、そういう場合はなぜかすんなりと出てしまう。
後からリクオに、出てきて欲しかったなあ、と言われました。
今日は夜に用事があったので、最後までコンサートは見られませんでした。
でも、どんなアーティストが出てきても熱心に聞いているお客さんを見ていて、「春一番」のお客さんは本当にすばらしい、とぼくもユミも感心しました。
風太がもしも辞めると言っても、きっとお客さんが納得しないでしょう。
こんなコンサート、他にあるなかあ。
5月5日(土)「春一番コンサート2012、その2」

今年のぼくの出番は4番目でした。ふちがみとふなと、小谷美紗子さんの後です。
2曲目の「歌は歌えば詩になっていく」で三宅伸治くんと二人でやり、最後の「朝は詩人」でふちがみとふなと、小谷美紗子さんと一緒に歌いました。
「朝は詩人」は二人の女性とずっと一緒に歌う、という感じで、あっけらかんとしてよかったと思います。
三宅伸治くんはバンドで、地震以降の日本に食い込んでいく内容の歌でとてもすてきでした。「たたえる歌」ではぼくも一緒に歌いました。
最後の木村充輝くん、アンコールが2回なんて初めてじゃないかなあ。
5月4日(金)「春一番コンサート2012、その1」
今日から大阪の春一番コンサートに来ています。今年の春一番は5月3日から5月6日までの4日間。
朝崎郁恵さんの歌を久し振りに聞きました。春一番で聞けるなんて思わなかった。
楽屋で少しお話できました。
この日の最後は平成武蔵野たんぽぽ団という名義で、シバ、中川五郎、大庭チン太、村上律、いとうたかお、佐久間順平が順番に歌っていきました。いつも自分の持ち時間をもらって歌っている人達なので、こうして十把一絡げにしてしまうことに疑問を感じました。
5月2日(水)「少年と自転車」

またまたジャック&ベティに映画を見に行きました。
ぼくはやはりレンタルビデオを借りるより映画館が好きです。
今日見たのはユミが見たいといっていた「少年と自転車」というフランス映画。
こういうタイトルなのでもう少し柔らかい映画を想像していたのですが、すごくきびしい内容でした。父に捨てられた少年。その少年を育てていこうとする美容師のサマンサ。たった1時間半の映画の中でも少年が生きていくのは大変そうなのに、これからの困難な人生がちょっと心配になりました。現実を1時間半だけ切り取ったような映画でした。
4月30日(月)「鎌倉宮」

鎌倉路地フェスタの一環としてのコンサート。去年は知久寿焼くんとぼくでしたが、今年はおおたか静流さん、それからバイオリンの向島ゆり子さん。
最初におおたかさんが向島さんと一緒に50分、その後ぼくがソロで50分でした。
おおたかさんと向島さんは互角にすばらしく、おおたかさんの歌と向島さんの
ビオラやバイオリンを同時に楽しめました。
ぼくのソロの時も最後に2曲向島さんとふたりで演奏しました。
アンコールは「月の光」と、もうずいぶん前におおたかさんと共作した「星の子供たち」。
おおたかさんのボイスのおかげで、すてきな「月の光」になりました。
4月28日(土)「ル・アーヴルの靴磨き」

ジャック&ベティに「ル・アーヴルの靴磨き」をユミと見に行きました。
アキ・カウリスマキ監督の新作で、このあいだニューヨークでもやっていました。
何もかもが偽物っぽくて、何もかもが本当のすてきな映画。とってつけたような
ハッピーエンドも許せてしまう。
4月26日(木)「帯広 キッチンノート」

帯広郊外の丘の上にあるお店。お店からの眺めは抜群です。
6年前に来たときと全く変わらない雰囲気。オープニングアクトの長井見くんも年をとらない。今日は見くんはカバーが3曲。その中にはぼくの「にんじん」もありました。そしてオリジナルも3曲。

ツアー中はほぼ毎日のように歌うので、自然にテーマのようなものが見えてくるのがおもしろいです。次のツアーではそれがまたゼロに戻ってしまうのだけれど。
4月25日(水)「釧路 This Is」

6年ぶりの釧路です。会場は前回と同じ「Jazz This Is」。もっともジャズ喫茶らしい雰囲気のお店です。ご主人の小林東さんは舞踏家の大野一雄さんを先生と慕っています。何回もここでも踊られたそうです。
そんな濃厚な雰囲気の中でマイクなしで歌いました。音は空間を満たさなくてもそこにいるひとには十分に届く、ここでもそのことが確認できました。

厚岸の中島均ちゃんが獲れたてのカキと花咲ガニをたくさん持ってきてくれて、お店の二階でそれで打ち上げをしました。生のアサリ、初めて食べました。
4月24日(火)「オフ」

今日は札幌でオフでした。ホテルで洗濯をした後、シアターキノに「フラメンコ・フラメンコ」を見に行きました。いろんなスタイルのフラメンコを順番に紹介していく映画です。
フラメンコの現在形が見られてうれしかった。年をとったパコ・デ・ルシアのギターも素晴らしかった。キノの中島洋さんにも本当に久しぶりに会いました。
4月23日(月)「小樽 ぐるぐる」

「サン・テグジュペリはもういない」を、久し振りに歌ってみたら、
だいぶ忘れていて、途中でやめました。思いつきでは歌わない方がいいです。
後で歌詞を確認してもう一度やりなおしましたが。
今夜は後半に新しい歌を集中的にやりました。「歌は歌えば詩になっていく」が今までより感じよく演奏できたような気がします。
4月22日(日)「札幌 くう」

「くう」はモニターの状態がとてもいいです。それで今日もとても気持ちよく歌えました。お客さんも多く、うれしい夜でした。そういえばお客さんが、今月はベルウッドから「一本道」のシングルが発売されてちょうど40年目だと教えてくれました。
4月21日(土)「旭川 アーリータイムズ」

2年前に三宅伸治くんとは来ていたけど、ソロでは5年ぶりのアーリータイムズ。
休憩時間に「今日は声が出ているね」と野澤さんから言われました。
それで試しに小さめの声で歌ってみたら、これがなかなか気持ち良い。
「小さくても聞こえる声で」というのはユミからのアドバイスでした。
4月19日(木)「どんすぃんくとぅわいす」
Don't Think Twiceをひらがなにしてしまうとこんなに読みにくいのか、と最初は思ったけれど、慣れてしまうとぐにゃぐにゃしていていい感じ。
常連はただ「どん」と呼んでいます。その「どん」の20周年記念ライブ。
ライブ会場にするはずだった隣の建物が数日前に使えなくなって、ちいさな「どん」の店内でライブをすることになったのですが、20人も入ればいっぱいなのに、なんとなくゆったりと感じるのは、マスターの高橋さんのゆったりのせいに違いないです。

前回ぼくがここでライブをしたのは10周年のときでした。
一度、ユミと横浜から追浜の「どん」までランニングで飲みに行ったことがあります。
18キロぐらいでした。またそんなこともしたいなあ、と思いました。
4月15日(日) 「リクオ、ホーボー・コネクション・ライブ」

13日午後に成田に到着。横浜までの沿道にはまだ桜の花がだいぶ残っていました。

15日、午前中の新幹線で大阪心斎橋の「Janus」へ。
今回はこのリクオのイベントライブに合わせて帰って来ました。

リクオの20周年記念ライブを収録したCD2枚組+DVD「ホーボー・コネクション・ライブ」が今月バンバンバザールのホームワーク・レーベルから発売になり、今日はその発売記念のライブでした。

一部は、リクオのソロの後、バンバンバザール。途中から有山じゅんじが加わって、そのまま有山じゅんじのステージに。「気持ち」「なんでもない、なんでもない」、とてもいい歌。

二部はリクオのソロの後、梅津和時さんが自作の「東北」を歌いました。のびのびしていてとてもいい声でした。
ソウル・フラワーの中川くん、お客さん、盛り上がりました。
その後ぼくの出番。「はじめぼくはひとりだった」をリクオと。「夜は言葉」をリクオ、有山じゅんじと。
そのあとバンバンバザールも加わって「地獄のレストラン」を。最後は梅津さん、パーカッションの
朝倉さんも加わり「カルバドスのりんご」。
リクオの「ミラクルマン」「アイノウタ」バンバンの「サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」で本編終了。
アンコールは「満月の夕」と「アイ・シャル・ビー・リリースト」。

満員のお客さん、みんな楽しんでいました。いいコンサートでした。やっぱり参加して良かった。
5月の渋谷クアトロがまた楽しみになりました。
4月11日(水)「内田光子」

カーネギーホールに内田光子のソロコンサートを聞きに行きました。
演奏曲はユミが一番好きだというシューベルトのピアノソナタD.958、D.959、D.960でした。

チケットは買ってあったのですが、ユミの熱は昨日から平熱に下がるも、まだ咳が続いていて、はたして行けるのかどうか今日の夕方までわからなかったけど、行けて本当に良かった。

ユミはクラシックが大好きだけど、ぼくはもともと歌のない音楽はあまりぴんと来ない。
でも今日生で聞くとすごく良かった。
満員のカーネギーホール、アンコールを求めて鳴り止まない拍手。
でもあれだけの演奏を聞いた後、アンコールはなくて良かったと思いました。

今は家でまたシューベルトを聞いています。でもそろそろ寝る時間。
明日は午前中の飛行機で帰国します。戻ってすぐにぼくは大阪へ飛び、15日のリクオのイベントにゲストで出ます。
リクオは内田光子、聞いたことがあるかなあ。
4月9日(月)「フランチェスカ・ウッドマン」

グッゲンハイム美術館に行きました。フランチェスカ・ウッドマンの緊張感のある写真に
感動しました。裸になったり、動物のはく製のガラスケースに隠れたり、体を白く塗り、床に横たわったり、いろんなことを試しながら、自分なりの写真のイメージに近づこうとしているようでした。22才という若さで自殺したそうです。

メインの展示のジョン・チェンバーレインの金属の作品もおもしろかった。紙ナプキンをくしゃくしゃと丸めたような形を、簡単にはくしゃくしゃにならない金属を材料にしているところがおもしろいです。車の座席のスポンジのようなものでも作品を作っていて、それはさらにおもしろいと思いました。
4月7日(土)「スコットランド・ラン」

セントラルパークで「スコットランド・ラン」という10キロのランニングレースがありました。
1マイルごとにバグパイプ奏者がいて演奏していました。標識の陰に隠れるようにして吹いているのがかわいらしかった。もちろんタータンチェックのスカートをはいた男性ランナーたちもたくさんいました。お菓子やトートバッグなど、いろんなものがもらえるレースで毎年ユミも楽しみにしているのですが、まだ熱が39℃を超えるほどで、今回はお休みでした。
4月5日(木)「熱」

ユミが風邪をひいたらしく、ゆうべから高熱が続いています。その前はずっと花粉症でつらそうだったので、かわいそうです。ぼくは何もできないけど、マーケットに行って果物やジュースを大量に買って来ました。
4月4日(水)「Tatsumi」
MoMAに映画を見に行きました。
アニメーションで描く、漫画家辰巳ヨシヒロの伝記です。監督はシンガポールのエリック・クー。伝記の部分は「劇画漂流」を下敷きにしていて、合間に辰巳ヨシヒロの70年代の作品をいくつか紹介しています。劇画という言葉がどうして生まれたのか、辰巳ヨシヒロの作品はどうしてあそこまで暗いのか。この映画で少しわかったような気がします。男が口の中で噛んだものを女が鳥の雛のようにねだるシーンで笑いが起きていました。
4月2日(月)「シンディ・シャーマン」

ユミとMoMAにシンディ・シャーマンの回顧展を見に行きました。写真家の大々的な展覧会は最近ではめずらしい。映画のスティル写真の中のヒロインをすべて自分で演じた有名な初期の作品にしても、検閲に反発するかのような激しいエログロな作品にしても、シンディ・シャーマンの写真からは何か強烈に訴えかけてくるものが感じられます。それが何か、今もわからないままなのですが。
4月1日(日)「15キロレース」

セントラルパークで「コロン・キャンサー・チャレンジ」という15キロのランニングレースがありました。結腸癌にかかる人はアメリカではとても多いそうで、ぼくの大切な先生だったデイブ・バン・ロンクも、10年前にこの病気で亡くなりました。
今日の結果は1時間7分で、年代別では3位でした。
3月29日(木)「バスケットボール」

友人のヨシにさそわれて、マディソンスクエア・ガーデンに大学のバスケットボール・トーナメントの決勝戦を見に行きました。
マディソンスクエア・ガーデンにコンサート以外で行くのは初めて。
バスケットボールなんてルールも知らないし、楽しめるのかな、と心配でしたが、実に楽しかった。
スタンフォード大学とミネソタ大学の対戦で、ヨシの知り合いがスタンフォードのトレーナーをしていて、それでチケットが手に入ったわけです。当然スタンフォード側の席でした。
スタンフォードに、背番号2番の小柄な選手がいました。いつのまにかこの選手から目が離せなくなっていました。アーロン・ブライトという2年生だそうです。
前半の途中から完全にスタンフォードのペースに。そのまま圧勝しました。
敗北が濃厚になると、ミネソタはよけい点が入らなくなり、そういうものなのかな、と印象的でした。とぼけた感じのするブライト選手が最多得点で表彰されました。3月26日(月) 「マノン」

ソプラノのアンナ・ネトレプコ主演のオペラ「マノン」の初日でした。
チケットは前もって買っていなかったし、今日はラッシュチケットも販売されなかったので、ぼくたちは当日の立ち見で見ることにしたのですが、途中で帰る人もいて、結局はみんな着席できて、最後まで立っていた人は一人もいませんでした。

3時間40分の長編ですが、場面転換が多く、一場面一場面は短かった。
ネトレプコはマノンの奔放さを地で演じているように見えました。相手役のテノールのグリューの歌が素晴らしく、拍手も一番多かったみたいでした。

今日は一日強風で、夜には氷点下まで下がるかも、という天気でした。
セントラルパークの桜やマグノリアは散ってしまったかなとユミは心配しています。
3月23日(金)「さくら満開」

日曜日のハーフマラソンで風邪をこじらせて、今週はほとんど外に出ませんでしたが、昨日あたりから咳も出なくなってきて、昨夜は近所にブルガリア出身の歌手のコンサートを聞きに行ったり、ホールフーズで買い物したりしました。

今日は午後にユミとセントラルパークを走り、夜はホイットニー美術館のビエンナーレに行きました。このところ低調な感じのアメリカ美術のビエンナーレでしたが、今回はなかなかという話だったので行ってみたけど、そんなにびっくりするようなものはありませんでした。何か古風なものも感じられ、美術も今曲り角に来ているのかなという感じです。オキュパイ・ウォール・ストリートに呼応するような作品もあって、内容のしっかりしたものが印象に残りました。

帰り道もぶらぶらと、セントラルパークの桜やマグノリア、それから街路樹のマメナシの花を楽しみながら帰りました。例年より二週間は早い気がします。
このところのバカ陽気は週末には終わるようですが。
3月18日(日)「ニューヨークシティ ハーフマラソン」

ニューヨークの2大ロードレース、11月がフルマラソンなら、3月はこのハーフです。
セントラルパークを1周してから街へ飛び出し、マンハッタンの最南端のサウスシーポート
まで走ります。気温は摂氏8度だけど、けっこう寒い。ユミも応援に来てくれました。
レースの人たちに混じってユミも5マイルほどセントラルパークを走ったそうです。
結果は1時間32分20秒でした。去年より20秒ばかり速く、なんとか自己新記録でした。
でも風邪は少し悪化したようです。
3月17日(土)「セント・パトリック・デイ」

ユミとセントラルパークを走っていたら、にぎやかな笛や太鼓が聞こえて来たので、五番街に出てみると、アイルランド人たちのパレードの真っ最中。後から後からやってくるパレードにいつのまにか目が離せなくなっていました。
カーネギーホールでは今夜、チーフタンズのコンサートがあって、オープニングアクトはロウ・アンセムだったけどチケットは売り切れ。咳の出る風邪をひいているぼくは、キャンセル待ちに並ぶ気力もなく、あきらめました。本当に残念でした。
3月16日(金)「ハーフマラソンのエキスポ」

ハーフマラソンのエキスポ会場にゼッケンをとりに行きました。ついでにユミとあちこち買い物をしたりして長時間歩き回ったら、どうやらぼくは風邪をひいてしまったようです。
帰ってみるとビルのフロアは撮影機材やスタッフや俳優(?)がぎっしりで通り抜けできないくらいの混みよう。ケイティ・ホームズとかテリー・オクィンとか有名な役者さんも出るそうだけど、ちらっと見てもよくわかりませんでした。
3月14日(水)「ニューヨーク」

今夜ニューヨークに戻って来ました。まだ3月半ばなのに、もう夏時間になっていました。
ぼくたちのアパートのあるビルの一階のロビーは、明日からテレビドラマ「666 Park Avenue」の撮影に使われるということで、通常の回転ドアの前に偽物のエレベーターを作ったりしていて、なんだか物々しい雰囲気でした。気温は摂氏で18度ほど、異常な暖かさです。
3月11日(日)「金沢市 ジョーハウス」

新大阪からユミは横浜に戻り、ぼくは特急サンダーバードで金沢に。
金沢のホテルの部屋でちょうど2時46分だったので、黙とうしました。
ユミはその時間は新幹線の中で、一人で黙とうしたそうです。

金沢では毎年3月恒例のジョーハウスでのライブです。ジョーハウスは今年40周年だとか。
ぼくがデビューしたのも同じく40年前です。
3月14日からまたニューヨークなので、しばらくライブはありません。
このひと月たくさん歌ってきたので、しばらくライブがないのが少しさびしい。
そういう気持ちもあって、今日は主に最近の歌をていねいに歌うよう心がけました。

友部正人

<お知らせ>
14日からひと月ほど留守にします。そのあいだに友部正人のCDや書籍などを通信販売で申し込まれた方は、商品の発送が4月16日以降となりますので、ご了承ください。
友部正人オフィス 小野由美子より。
3月10日(土)「Ett ふちがみとふなと」

今夜ぼくとユミはお客さんとして再びムジカジャポニカに行きました。
Ettとふちがみとふなとのライブをぜひ見たかったから。
最初にEttが演奏しました。1曲目が「ワルツ」だったので、この曲が大好きなユミは大喜びでした。
次にふちがみとふなとが登場。ふちがみさんの詞にぼくが曲をつけた「池田さん」
も歌ってくれました。
最後はEttとふちがみとふなとの4人で合奏でした。何回目かのアンコールでは
EttのさゆりさんがドラムでKeiさんがエレキギター、ふなとくんがエレキベースでふちがみさんがボーカルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」。
これは本当に楽しかった。いつのまにかぼくの顔は笑っていました。
3月9日(金)大阪市「ムジカ ジャポニカ」

今年もムジカに歌いに来れました。ステージの後ろのドアを開けて楽屋から店の中に入ると、いきなりお客さんの前。
その瞬間からすでにライブは始まっています。
今日はいつもより長めで、1時間半、1時間半で約3時間。
でもムジカのお客さんはもっと聞きたそうにしていたような気がします。
立ち見のお客さんもあまりしんどそうには見えなかった。
歌を歌いたいぼくと、それを聞きたい人が、ちょうどうまい具合に集まって出会えたような夜でした。
3月7日(水)「代官山LOOP 震災チャリティーコンサート」

震災で両親を失い、孤児になった子供たちに義援金を届けるためのチャリティコンサートです。
主催はリアライズという会社で、去年の11月に続く今夜はぼくと竹原ピストルくんが出演しました。
竹原くんはソロになってからの曲ばかり50分演奏しました。最後に歌った「復興の花」のCDを去年聞いてから、竹原くんの生の歌を聞いてみたいなあとずっと思っていました。
その後にぼくも50分。アンコール曲は用意していなかったので、二人であいさつをしておしまいにしました。
竹原くんには以前no mediaに出てもらったことがあり、その影響で今も自分で朗読のライブをしたり、朗読がメインのCDを作ったりしているそうです。そのこともぼくにはうれしい報告でした。
3月4日(日)「松江 ARTOS BOOK STORE」

毎年米子でライブを主催してくれる山根さんが、今回は松江で、ということで、きれいな本屋さん、ARTOS BOOK STOREの西村さんを紹介してくれました。
ハンバートやおおはたくんなど、年に3回ぐらいライブをしているそうです。
松江には、喫茶店MGの35周年と40周年の時のお祝いイベントで来ただけだったので、ソロのライブは本当に久しぶりでした。満員のお客さんの中に、MGのあっちゃんの顔もあってうれしいライブになりました。
3月3日(土)「倉吉 市立図書館ホール」

ぎゅうづめで30人のキャパのラ・キューが、今回はすぐ隣にある市立図書館のホールを借りてぼくのライブをしてくれました。音響も照明も全部自分たちで用意しなくてはならなかったそうです。いつもはラ・キューで聞いてくれる人たちが「音が良くて気持ちよかった」と言うので、ラ・キューの杉原さんも「じゃあ、次回も図書館で」と言っていました。
3月2日(金)「津山 地味庵」

ガレキレコーズが主催する津山での3回目のライブ。今回はガレキの日下くんもオープニングアクトとして3曲歌いました。
ぼくは今回の長いツアーで6か所目のライブなので、最初は恐る恐る声を出したのですが、そんなに問題はなく、ツアー中お酒を飲まなければ声は出るのだとわかりました。
「また今日も歌うのか」という倦怠感もありません。つまりいい感じでした。
終わった後、1階の「もりた」で牛の血管など、めずらしいものを食べさせてもらいました。
2月29日(水)「福山 ポレポレ」

岡山から福山まで電車で1時間ぐらい。ポレポレに歌いに行きました。
ついてすぐにカレー。ポレポレのカレーはおいしい。
今夜もたくさんの人が聞きに来てくれてうれしかった。
ハイチの大地震の支援をしていたポレポレですが、今は東北の支援もしているそうです。
2月28日(火)「岡山 モグラ」

矢野絢子さんとのはじめてのジョイントライブ。矢野さんの「てろてろ」を高知で聞いて感動してからもう12年もたつのだなあ。

最初に矢野さんが1時間歌いました。ピアノも歌も自然で、以前の乱暴なところは消えていました。物語性のある歌がそれでより生きてくるみたいです。ぼくの「愛について」のカヴァーも、以前よりずっと歌いこまれているのがわかりました。

矢野さんから言われて、ぼくも自分で「愛について」を歌いました。
ぼくも全部で1時間ぐらい。「老人の時間、若者の時間」「つばめ」など、好きな歌が増えたと矢野さんも言っていました。
2月27日(月)「ツアー」

今日から4日間岡山にいます。今日はオフ。
24日の熊本から数えると、全部で10日間のツアーです。
こんなに長いのは久し振りで、たぶん10年ぶりぐらい。
普段は3日ぐらいのツアーが多いので。
ユミも来なくてぼく一人の旅だし、そんなに長く外食が続くと、やはり飽きるだろうなあ、とそれが一番心配。
2月26日(日)「佐賀 ロックライド」

設備の整ったいいライブハウスです。弾き語りがもったいないような。
でも雰囲気はやわらかく、アトホームな感じ。それが佐賀の人たちの音楽の聞き方なのかな、と思いました。
子供連れの方たちが前半で帰ってしまったのは残念ですが、気を使うこともなくなって、後半は自分の演奏に集中できました。

今商店街ではひな祭りをやっていて、あちこちの店にお雛様が飾られているのですが、はでなところが全然なくふつうなのが良かった。
2月25日(土)「福岡 ジュークジョイント」

主催のBEAの森くんが、「今夜はいっぱいになりますよ」とリハーサルの前に言いました。
満員だとそりゃうれしいけれど、でもお客さんの数には関係なく、福岡のような都会だと新しい歌を歌いたくなるのです。お客さんも聞いたことのない歌を期待しているような気がして、いろんな曲を試してみたくなります。
2月24日(金)「熊本フォーク村」

開演前、フォーク村のオーナー、佐藤さんがお客さんに、「友部さんの歌は
目を閉じて聞くといいですよ」と言っていました。そのせいか、みんな最後までずっと歌に聞き入っているように感じました。とてもやりやすかった。
そして終演後も残って飲む人たちの開放的なこと。
今熊本に住んでいるマーガレットズロースの平井くんが聞きに来てくれました。
平井くんとはもう何年も会ってなかったのですが、日に焼けて精悍になっていた。
2月20日(月)「句会」

毎月一回の「火星の庭句会」でした。昨日のコンサート「おとのわ」にはこの句会のメンバーもみんな参加してくれました。この句会のメンバーは俳句だけのつながりではないのがいいなと思います。
主宰の渡辺誠一郎さんを中心に、20人が投句した約60句を今夜の参加者14人で吟味していきます。
今月はユミの一句が最高得点を獲得しました。
ぼくとユミは普段はたいてい横浜やニューヨークからeメールやファックスで参加ですが、句会はやはりその場にいて、みんなとしゃべったり、飲んだり食べたりするのが楽しい、そう実感しました。
2月19日「仙台RENSA おとのわ」

ブックカフェ「火星の庭」の前野久美子さんら4人の女性が企画したイベント。震災後の人のつながりを大切にしようという気持ちがこめられていました。女性が企画したイベントなので、小さな子供たちも楽しめる内容でした。大人は360人、子供はなんと100人も来てくれたそうです。ライブハウスの光景とは思えないにぎやかさ。

一部の「せんのわ」は仙台の人たちが中心となった人形劇や音楽、二部の「とものわ」は、ぼくとユミが中心となって親しいミュージシャンに参加してもらいました。ぼくはタテタカコさんと一曲ふたりで歌ったり、曽我部恵一くんとも一緒に一曲歌い、ローカル・ホンクとは一緒にたっぷり演奏しました。
ロビーでは様々なグループが食品やアクセサリー、絵本の販売などをしていました。
原発事故による放射能汚染対策の相談なども受け付けていたそうです。
収益金の一部は被災した子供たち支援の活動を続ける人たちに寄付されるそうです。

目標を超えるたくさんの人たちの参加によって、このイベントが今後も続けられそうです。
希望を抱えて集まってくれた人たちのおかげです。
2月18日(土)「盛岡 紅茶の店しゅん」

クラムボンというコーヒー屋で働く米山くんが、何年も前から東京ローカル・ホンクのライブを盛岡で聞きたがっていたので、今回仙台のついでに、盛岡へぼくといっしょに足を延ばすことになりました。会場は「紅茶の店しゅん」。
グランドピアノを脇にどけて、そこにバンドのセットを組みました。ぎりぎり演奏できる面積です。

ホンクが最初に40分、休憩の後ぼくとホンクで70分演奏しました。
木造家屋で天井も高く、音の響きは抜群。東北は初めてというホンクのメンバーも「しゅん」の居心地の良さを楽しんでいました。
2月16日(木)「リハーサル」

東京ローカル・ホンクと東北で一緒に演奏する曲のリハーサルをしました。
ホンクとは18日に盛岡の「しゅん」で、19日には仙台「おとのわ」でライブをします。
雪の東北地方、ちょっと心配ですが、でも張り切って出かけます。
岩手や宮城や福島や全国のみなさん、ぜひ聞きに来てください。
2月14日(火)「伊勢監督の新作試写、そして谷川俊太郎さん80歳」

中野のZERO視聴覚ホールで、伊勢真一監督の新作ドキュメンタリー映画「傍」の試写会がありました。
3月11日の大震災から2012年新年までの、主に宮城県亘理町に住む苫米地サトロくん家族をとらえた映画です。
サトロくんたちが立ち上げた「臨時災害ラジオFMあおぞら」では毎月11日に、津波で亡くなった亘理町の人たちの名前を一人一人読み上げています。
名前はその持ち主を想像させます。亡くなった方への一番の供養だと思いました。
大災害の爪痕を記録した映画なのに、心にはきれいなシーンばかりが残りました。

映画の後は、渋谷のクラシックスというお店で、谷川俊太郎さんの80歳をお祝いする会がありました。タイトルは「傘寿ベリマッチの会」。
幹事の谷川賢作くんによれば、「偉くない人たちに来てもらいたかった」とのこと。
谷川さんの80年を10年ごとに色分けして、それに合わせて作られた創作のケーキが力作でした。
全部違う種類で作るのは大変だっただろうな、と思いました。
歌を歌ったのはぼくと小室等さん&ゆいさんだけ。
ゲストの紹介とおしゃべりだけの、ゆるさという点では理想的なパーティでした。
2月12日(日)「横浜 ドルフィー」

一年に一度の板橋文夫さんとのデュオ、このハッピーなイベントに関するかぎり、一年というものはまことに早く過ぎ去るものです。
今年は「日本に地震があったのに」と「歌は歌えば詩になっていく」の2曲を板橋さんと初めてやってみました。
他には「愛について」「愛はぼくのとっておきの色」など、全部で14曲一緒にやりました。
2部の最初に板橋さんがソロで弾いた曲は、とても印象に残るきれいな曲でした。2月7日(火)「The Artist」

おもしろい映画でした。サイレントとトーキーが入れ替わるころの映画スター同志の愛の話。
ジョージはサイレントのスター、ペピーはトーキーの若きスター。
ジョージは落ちぶれてしまい、ペピーは瞬く間に人気の頂点に。
だけど二人は出会ったときからずっと忘れられない同志。
時代と逆行するやり方で、二人の愛を表現するこの映画のうまさ。
映像や音でスリリングにするのではなく、ちゃんと物語を表現することがこんなにもスリリングなことなのだと実証してくれた名作です。

ずっと見たかった映画を見て一区切り。
9日にニューヨークを発ち、10日に日本着。
12日には横浜のドルフィーで年に一度の板橋文夫さんとのライブです。
2月2日(木)「2月19日」

2月になりました。2月19日の仙台「おとのわ」が突然間近になった気がします。
自分もかかわっているので、もう一度「おとのわ」のホームページを見てみました。
ここには仙台の、東北の震災から1年後の姿があると思いました。
東北の人たちが、震災後の出会い、人とのつながりをどれだけ大切にしているかがとてもよく伝わってきます。これは一度だけのイベントとして終わらせてはいけないな、と思います。そのためにはたくさんの人に来てもらわなくてはなりません。
東北はもちろん、関東からも関西からも、遠く九州や北海道、沖縄からもこのイベントに集まってくださることを期待しています。
2月1日(水)「現代詩手帖2月号」

現在発売中の「現代詩手帖2月号」に、友部正人小詩集と題して、5つの詩が掲載されています。
どれも最近のステージでは歌っていますが、まだCDとしては未発表のものばかり。
ぼくはニューヨークにいて、まだ雑誌を手にとってみてないので、帰国してはやく読みたいな。
1月29日(日)「バリー・ハリス」

ジャズミュージシャンたちの伝説的な女性のパトロン、パノニカの猫屋敷(猫が100匹以上いたことと、ジャズミュージシャンのことをさすキャットにひっかけている)でセロニアス・モンクらと暮らしを共にしたというピアニスト、バリー・ハリス・トリオのライブに行きました。
今年で83歳になるというバリー・ハリス。「大きな声援を頼むよ、やる気が出るから」と冗談を言いながらステージに登場。
9時からの1セット目は1時間、11時からの2セット目は2時間もやりました。
2セット目はバリーが毎週開いているワークショップのコーラス隊が客席で曲に参加したり、聞きに来ていたトニー・ベネットも飛び入りで舞台に上がり、一曲歌いました。
そして最後にはモンク作曲の「パノニカ」という曲で締めくくり。
想像ではもっと渋い人かと思っていたけど、明るくてオープンでとてもおしゃべりな人でした。
何よりもピアノの音色がとてもきれいで生き生きとしていました。
28日(土)「カムバック、アフリカ」

南アフリカのアパルトヘイト政策真っ最中に撮られたドキュメンタリータッチの物語映画(1959年)です。
音楽映画の撮影だと偽って制作されたそうです。スラムの子供たちによるストリートの演奏シーンなどはきっと生のままなのでしょう。
田舎からやって来た男が都会で仕事を仕事を探すけど、労働の許可証もなく、パスも期限切れで、まともに働けそうな仕事にはありつけない。そうこうするうちに警察に逮捕されてしまい、後から夫を頼ってやって来て、一緒に暮らしていた妻も、夫の留守中に侵入者に殺されてしまう。
白人たちはそんな黒人たちの境遇には無関心で、ただ怒鳴りつけたり威張り散らしたりするだけ。
もぐり酒場のシーンで登場するミリアム・マケバの美しい歌声だけが救いのような映画でした。
そのもぐり酒場での黒人たちの会話が、英語なんだけどすごいなまりのせいで聞き取りにくく、理解できなかったことが心残りです。
1月26日(木)「アントニー・アンド・ジョンソンズ」

MoMA企画によるアントニー・アンド・ジョンソンズのコンサートに行きました。
6000人収容のラジオシティ・ミュージックホールのステージには半透明の
スクリーンが下りていて、アントニーはその向こう側で1曲目を歌い始めます。
60人のオーケストラが伴奏しているけど、その姿は見えません。
スクリーンを煙のような光が移動していきます。
スクリーンが上がり、アントニーの姿が現れると、彼の頭上には抽象的なオブジェがぶら下がっています。なるほど、これはアントニーの歌と美術が合体したコンサートなのです。
ぼくが初めて見るアントニーのコンサート、レーザーの演出が過多でちょっと不自由な感じもしましたが、でも良かった。アントニーのふくよかな声は歌詞を朗読のようにはっきりと伝えます。その涙が出るくらい切実な内容と、歌を全身で表現する様子に、満場の聴衆は一言も聞き洩らさないぞ、というように耳をすましていました。
後方の白いスクリーンが上がって、最後の数曲でやっとオーケストラが姿を見せました。
いいコンサート、でも短かったな。1時間半があんなに短く感じられるなんて。
アンコールを期待した観客はいつまでも帰ろうとしなかったけど、やっぱりなかった。
1月25日(水)「クレイジーホース」

パリのキャバレー「クレイジーホース」のドキュメンタリー映画です。
ステージで楽しそうに踊り、客を魅了するヌードダンサーたちにも、振り付けや衣装に不満があったりして、監督やスタッフと話し合いながら作品を作っていく舞台裏の様子がドキュメントされています。
「クレージーホース」のショーは女性にも人気があり、お店としてはそれが自慢のようでした。客もカップルで来ている人たちが多かった。
きれいなものを見たくなったときに、それを見られる場所が近くにあるということはいいことだろうな、とパリの街がうらやましくなりました。
1月21日(土)「ハーフマラソン」「Buika」

セントラルパークでマンハッタン・ハーフマラソンがありました。でも昨夜からの雪のため今朝になって、レースではなくただのファンランに変更になりました。
だから走るのをやめた人も多かったみたいです。風が強く、体感温度は-9℃ぐらいだったとか。
まつげや眉毛に雪がのっかったまま凍り、口や鼻からつららを下げて走りました。
顔の感覚がなくなっていくのがわかったけど、それがかえっておもしろかった。
水を供給するエイドステーションのボランティアの人たちはさぞかし寒かったでしょう。
セントラルパークを2周する間に雪はさらに積もり、足元がだんだん不確かになってきて水の上にいるよう。それは砂や草の上を歩くのとはまた違う感じでした。
応援のユミも、あまりの寒さに途中で写真を撮る気力さえも失せたとか。
でも温かい蜂蜜入りミルクティは準備してきてくれて、なによりもそれがうれしかった。

キューバのジャズピアニスト、チューチョ・バルデスの新しいバンドのカーネギーホールでのコンサートに、スペインの女性歌手Buikaがゲスト出演するというので、ハーフマラソンの後、何時間か家で昼寝して、聞きに行きました。チューチョ・バルデスとブイカは「El Ultimo Trago」というアルバムで共演しています。
チューチョ・バルデスのコンサートなので、3曲しか歌わなかったけど、野生的なブイカの歌は満員の聴衆をすっかり虜にしてしまいました。
あんなに熱烈でいつまでも鳴り止まない拍手をぼくは今まで聞いたことがない。
ぼくにとってもブイカは、レナード・コーエンの「アイム・ユア・マン」という映画の中でアントニーの歌を初めて聞いたときのように衝撃的でした。


1月19日(木)「ダミアン・ハースト」

チェリシーのガゴシアン・ギャラリーに、イギリスのダミアン・ハーストの水玉の作品ばかりの個展を見に行きました。
牛や鮫など、死体を使った作品が有名ですが、水玉の作品は1986年から描き続けているとか。
今回はその全作品を7カ国11ヶ所のガゴシアンで同時に展示するという展覧会。
実はもう10年以上も前から、ニューヨークの我が家にはこの水玉のポスターが貼ってあって、ダミアン・ハーストではこの水玉の作品だけが好き、ユミは前から言っていたのでした。

その近くのギャラリーでは、ビビアン・マイアーという女性の写真展をやっていました。
ずっと家政婦の仕事をしながら写真を撮り続けてきた人で、今までどこにも作品は発表されたことがないそうです。彼女は2009年に83才で亡くなったのですが、亡くなってから膨大なフイルムが発見され、今回写真集が発売されることになり、こうして展覧会も開かれることになりました。
とはいっても今日行ったギャラリーでは、大部分の壁をウィーギーの回顧展が占めていて、展示されている作品は思ったよりも少なかった。膨大な量のネガと未現像フィルムを残したと雑誌に書かれていたので、ちょっとがっかりでした。
1月18日(水)「トスカ」
発売の2時間ぐらい前から並んでラッシュチケットを手に入れ、メトロポリタンオペラの「トスカ」を見ました。これもユミが今回のニューヨークで見ると決めていたもの。
席はオーケストラ席の前の方で、オペラグラスもいらないぐらいの距離でした。
「トスカ」は3幕まであって、2回休憩が入ります。そのあいだ幕の向こうの舞台ではカンカンと工具の音をさせての舞台転換。あんな装置を毎回組み立てたりばらしたりするのですね。
時差ボケと晩飯のせいで、1幕はぼくはほとんどウトウトしているだけでしたが、
2幕のトスカが警察署長にせまられたり、トスカの恋人の絵描きが拷問されたりする
シーンですっかり目が覚め、悲しい結末になるとわかっているのに、とうとう最後まで夢中で見てしまいました。
前の方の席だと、オーケストラの音をよりリアルに聞けて、こういう音だけのコンサートもきっといいだろうなあ、別のことも考えました。
1月17日(火)「Pina」

ドイツのダンサー、ピナ・バウシュのドキュメンタリー映画を見に行きました。
実際にはピナ・バウシュは撮影の直前に癌で急死していて、映画ではピナの舞踏劇団のメンバーがピナのことを語り演じています。
3Dの映像はダンサーたちが街や自然の中で踊ったりするときにより効果的でした。
ピナのことを語るメンバーの一人一人の表情がきれいだった。
もともと見たがっていたのはユミだったのですが、ぼくのほうが感動してしまいました。
1月15日(日)「Sing Your Song」
今日は寒かった。
昼間でも-8℃までしか上がらず、とユミとセントラルパークに行ってみると、いつものように大勢走っていて、ぼくらもいつものように走りました。

午後はメグとビレッジで待ち合わせて、3人でハリー・ベラフォンテのドキュメンタリー映画を見ました。今までぼくはハリー・ベラフォンテというと、「バナナボート」という歌と、ボブ・ディランがデビュー前、彼のレコーディングでハーモニカを吹いたことがあることと、南アフリカのミリアム・マケバをアメリカに紹介したことぐらいしか知らなかったけど、すごい人だということがわかりました。
ハーレムに生まれ、もうすぐ85歳だという彼の一生を振り返ると、そこには彼が生きてきたアメリカと、黒人である彼のルーツのアフリカが見えてくるのです。
かつての黒人へのはげしい差別が、そのまま貧しい人たちに向けられているアメリカの現在。困っている人、苦しんでいる人、不正にあえいでいる人を見るとすぐに飛んで行って力になろうとする宮沢賢治の「アメニモマケズ」のような人でした。

上映の後、監督と本人のハリー・ベラフォンテが舞台挨拶。
観客の質問にていねいに答えるのを聞いていて、
彼が生きている限りこの映画は続くのだと思いました。
1月12日(木) ニューヨーク

昨日ニューヨークに着きました。
気温が高いせいか、今朝は雨が降っています。
雪でなくて残念。

今回は一か月の滞在です。
友部正人オフィスはこの間休業ですので、CDや本などの通信販売は、2月13日以降の発送となりますが、ご了承ください。
(友部正人オフィス 小野由美子)
1月9日(月)「お年玉」

横浜のサムズアップで、息子の小野一穂と二人の「お年玉」ライブ。
お正月なので、二人で「おみくじ」を用意しました。
漢字一文字を書いた千代紙を入場時に配ったのですが、一穂の「扉」と「届」、ぼくの「虹」と「探」を引いた人には「友部正人すごろく」をプレゼントしました。

一穂とぼくがソロで50分ずつ歌い、一部の終わりとアンコールでお互いの曲を全部で4曲セッションしました。「おかしな色の電車」「はじめぼくは一人だった」
「愛の唄」「一本道」です。
一穂の新曲は2曲ともよかったな。
1月3日(火)「リハーサル」

あけましておめでとうございます。今年もお正月は横浜にいます。
2日は箱根駅伝の往路を家の近所で応援しました。
そして今日は、一穂と9日のライブのリハーサルをしました。

ライブのタイトルが「お年玉」なので、聞きに来てくれた人たちに、お正月っぽいプレゼントも用意しました。
一つは、7年前の福岡のぼくのコンサートで主催者が作ってくれたぼくのイラスト入りのすごろくをくじ引きで?名様に。
リハーサルの後でみんなで実際に遊んでみたけど、おもしろかった。
もう一つは「おみくじ」です。ぼくと一穂の歌の中から、新年にふさわしいような文字を書いた小さな千代紙を準備しました。これは全員に配ります。