友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

12月31日(水)「横浜 Thumbs Up」

毎年恒例のNew year's Eveの年忘れコンサート。
今年は出演者を減らし、持ち時間を長くしてくれたみたいです。ぼくは東京ローカルホンク、ギターの春日博文と「ロックンロール」「ランブリンジャック」「生きていることを見ているよ」の3曲を歌いました。
ムーニーさんによるカウントダウンの後、Stovesでオーナーの佐布さん、ギターの佐藤克彦さん、おおはた雄一くん、チンタ、あんさんたちと「アイシャルビーリリースト」などのセッション。
おおはたくんの「ライクアローリングストーン」ではハーモニカを吹きました。
ぼくとユミはそれからBankART NYKへ。そこでもワインを飲んだりして、3時ごろ帰りました。

今年も楽しい一年でした。
このホームページの管理人をずっとやってくれているケチャさん、お世話になりました。
来年もよろしくね。
12月30日(火)「浅井裕介くんと知久くん」

代官山の「山羊に、聞く?」というライブハウスに、浅井裕介くんのライブペインティングと、知久くんの歌を聞きに行きました。ぼくとユミは10年ほど前から浅井くんのことは知っていて、絵も好きだったけど、最近はなかなか見る機会はありませんでした。だから楽しみにしていました。
知久くんの歌も今年の夏以来で、新曲の「セシウムと少女」はいい歌でした。
12月28日(日)「神戸チキンジョージ すばらしき音楽祭」

今年で3回目になる谷口蘭太郎企画のイベントです。
今年の出演者は、島津田四郎、前野健太、ワタナベイビー、ニーサンズ、そしてぼくでした。
ぼくはそれぞれの出演者と一曲ずつ、ぼくの歌を一緒に演奏しました。
島津田四郎くんとは「こわれてしまった一日」、ワタナベイビーとは「ぼくの猫さん」、前野健太くんとは「どうして旅に出なかったんだ」、ニーサンズとは「愛はぼくのとっておきの色」。
アンコールは全員でRCサクセションの「トランジスタラジオ」。ぼくには歌えないくらい高いキーでしたが、なんとか悲鳴に近い感じで歌えました。一部分だけだったのでそれでもいいかと。
イベントの間外はずっと雨でしたが、チキンジョージの中には歌があふれ、それが全部打ち上げのうどん鍋の出し汁になったみたいでした。おいしかった。
12月27日(土)「近江八幡 酒遊舘」

12月の近江八幡はとても寒いです。日が暮れるとお店も閉まり、誰も町を歩いていません。
そんな12月の近江八幡で、このところ毎年ぼくはライブをやっています。酒遊舘のぼくのライブはこの時期が合っているような気がします。
今夜は「シャンソン」や「ニセブルース」など、めずらしい曲も歌いました。
これからも普段歌わない曲を小出しにしていこうと思います。
リハーサルのとき、エアコンの吹き出し口から来る風がぼくの顔に当たって冷たくて、ステージに近いエアコンを切ってもらっていたので、本番中場内はとても寒かったようです。
来年はストーブをたくなど、もう少し暖かくする工夫をするそうです。
12月24日(水)「西荻窪 アートリオン」

毎月第四水曜日は沢田ナオヤの日だそうです。
今年最後の沢田ナオヤの日にゲストとして一緒にライブをすることになりました。
アートリオンで働く倉沢桃子さんは八丈島「エイト島音楽祭」の主催者で、ナオヤくんもその時の出演者だったので、夏の音楽祭の打ち上げでもありました。
最初にナオヤくんが歌いました。二日前にできたという新曲もよかった。みんなライブが近づくと新曲を作りたくなるのかもしれません。ぼくは12月にちなんだ曲を中心に歌いました。
西荻窪に来るのは本当に久しぶりでした。最後に西荻でライブをしたのはいつのことだったのだろう。
ライブの前にユミと、「のみ亭」のやっちゃんの顔を見に行きました。
12月18日(木)「詩集のタイトル」

1月下旬にナナロク社から出る詩集のタイトルが「バス停に立ち宇宙船を待つ」に決まりました。
ニューヨークで書いた詩が全部で37編、お楽しみに。
12月17日(水)「THE BOOM」

武道館のTHE BOOMの最後のコンサートに行く前に、上野の西洋美術館の「ホドラー展」を見に行きました。
人物や景色にリズムを求めるおもしろい人だなあと思いました。
スイスの人です。スイスは昔戦争に負けて、それで永世中立国になったそうです。

さて、武道館です。THE BOOMの25年間の締めくくりのコンサート。
全く湿っぽさのない、スケールの大きなコンサートでした。これが最後だということも忘れて楽しみました。
様々な曲を聞くうちに、THE BOOMほど世界を旅したバンドはなかった、と思いました。コンサートツアーという意味ではなく、音楽の旅。いつのまにかぼくは、旅立つ人たちを見送る気分になっていました。
最後、沖縄のかっこいい太鼓に包まれて、空に吸い込まれていく船を見ているようでした。
ぼくは「風になりたい」を、ユミは「月さえも眠る夜」を口ずさみながら、1℃の夜の街をうきうきと帰りました。
12月14日(日)「石垣島 すけあくろ」

今日も渡辺さん夫妻に島を案内してもらいました。今日はちょっと足をのばして、池間島や来間島にも行きました。
途中でおいしいカレーを食べた。その後ANAで石垣島に。

すけあくろのライブは夜8時から。驚いたことに、吉川忠英さんが聞きに来てくれました。
あまりに久しぶりだったので、最初は誰か思い出せません。戸惑っていると、自分から名乗ってくれました。
本当に申し訳ない。
間に休憩を入れて、2時間ぐらいで終わりました。ツアー3日目ともなると、声もわりと出るので、押し付けがましくならなかったか心配です。お客さんに「今日は来てよかったですか」と聞いてしまいました。
12月13日(土)「宮古島 YUMYUM」

那覇空港で横浜に戻るユミと別れ、ぼくは一人で宮古島へ。
今夜はYUMYUMというライブハウスでライブです。宮古島にもこんなちゃんとしたライブハウスがあったのか、とびっくり。オーナーのマーチンさんは、ポーグズっぽいロックバンドのボーカルだそうです。
開演時間までかなり時間があったので、YUMYUMを紹介してくれた渡辺さん夫妻に島を案内してもらいました。

ちょうど同じ日の同じ時間に宮古島でライブをしていた踊ろうマチルダくんと打ち上げのおでん屋で会いました。
宮古島には4日間ぐらい滞在の予定だとか。
12月12日(金)「桜坂劇場」

昨日の夜から沖縄の名護のホテルに泊まり、今日は朝からユミと美ら海水族館へ。
修学旅行の中高生で館内は混雑していました。ジンベエザメなどの大きな生き物もおもしろいけど、深海の小さな生き物もおもしろかった。マナティのくるくる泳ぎには感動しました。

桜坂は1階のBホール。ヒロカネフミさんという方が描いた絵のポスターが素敵でした。
1年6か月ぶりのせいか、聞きに来てくれたお客さんの感じが熱かった。
1曲でも、どうして聞いて欲しいような曲ができたら、またすぐに歌いに来ようと思いました。

気温は15度前後でも、沖縄の冬はけっこう寒いです。特に今日は美ら海で海風に当たり、ユミは体調をくずしてしまった。しかも那覇のホテルには暖房がありませんでした。
12月9日(火)「アルゲリッチ」

娘さんが撮ったアルゲリッチのドキュメンタリー映画。
クラシックのピアニスト、アルゲリッチは一度も結婚をしたことがないけど、3人の娘がいます。
三人の娘の父親はそれぞれ違うのですが、その一番下の娘がお母さんに、ピアノを弾くこととか家族のことについてを問いかけているような映画です。
ランブリング・ジャック・エリオットの娘が撮ったドキュメンタリー映画「バラッド・オブ・ランプリン・ジャック」に通じるものがあります。
12月7日(日)「火星の庭俳句会」

1年の最後なので、12月の句会は盛り上がります。ぼくもユミも12月は必ず参加している。
通常のメンバーに加え、KUDANZの玄くん夫妻も選句のみで臨時参加。主宰の渡辺さんの批評が歌の刺激になったみたいです。主宰の選んだベストはユミとかなさんの句。ユミはなぜか12月に強い。
主宰、渡辺誠一郎さんの新句集が出ました。「地祇」というむずかしいタイトルですが、「人類は生まれたてなりあやめぐさ」のように、俳句は前句集よりわかりやすくなっています。
全部で588句、圧巻です。
12月6日(土)「仙台 Hello Indies」

仙台市内の4つの会場で19組のバンドやソロシンガーがライブをするというイベント。
ぼくはハンバートハンバートと同じ会場retro Back Pageで歌いました。出演者の最後だったので、ぼくのソロの後アンコールみたいにして、「こわれてしまった一日」と「おなじ話」をハンバートの二人と一緒に演奏しました。ぶっつけ本番でやった「こわれてしまった一日」もうまくいきました。
持ち時間は35分と短かったため、やりにくいかと思ったらそうでもなくて、ユミのアイデアで決めた12月に関係のありそうな歌をたっぷり歌えたと思いました。
自分の出番の後は、PARK SQUAREという会場にKUDANZを聞きに行きました。
玄くんのていねいにつくられた歌詞と歌声が新鮮でした。
12月5日(金)「妻の病」

伊勢真一監督の新作「妻の病」の試写会に行きました。
レビー小体型認知症の妻と小児科医の夫の話だけに、ぼくは見る前からどきどきしていました。
というのはぼくの母がやはり認知症で施設に入っているから、思い出してしまうのです。
きれいな映像で、若年性認知症の妻と生きる夫の葛藤や妻の苦しみが描かれていました。
そろそろあっちこっちの映画館で上映が始まるので、ぜひ見てください。
12月2日(火)「雲遊天下」

編集部からのメールがなぜかうちに全然届かなくて、前号は連載を一回飛ばしてしまいましたが、今回はばっちり。「仲のいい二人」という歌について書きました。ぜひ読んでください。
11月30日(日)「CDジャケットアート展」

先日まで広田稔さんの個展「友部さんの色鉛筆」を開いていたギャラリーで、27日から始まった展覧会に行きました。広田さんはぼくの「悦子」という歌を取り上げて、CDジャケットに見立てて絵を描いています。
参加しているアーティストたちがそれぞれの好きな歌のジャケットの絵を描くという企画で、いろんなタイプの曲にいろんな絵が描かれていておもしろいです。
11月29日(土)「新潟市 五十嵐モータース」

新潟市のはずれ、西浦区の自動車整備会社の一角でライブをしました。元々は自動車のショールームだったそうですが、バンドの練習場から今はグランドピアノもあるイベント会場に。
最寄りの駅からは徒歩だと1時間という不便なところなのに、大勢聞きに来てくれました。
北書店の佐藤さんも、今回のライブのために取り寄せたぼくの詩集やエッセイ集を売りに来ました。
ぼくとギターの佐藤さんは練習した全曲に加え、「遠来」もやり、ソロでは「大阪へやって来た」や「一本道」を歌いました。
二日間のライブの企画をしてくれたたっつぁんのおかげで、久しぶりの新潟ライブができました。
11月28日(金)「新潟市 北書店」

北書店という、わくわくするような本ばかり置いている本屋さんで、ギターの佐藤克彦さんとライブをしました。
ちなみに、北書店のオーナーも佐藤さんといいます。1973年生まれの若い人。
最近の歌を中心に2時間半ぐらい演奏しました。1か月半ぐらいライブをしなかったので、とても新鮮な気分でした。
1曲目の「ロックンロール」から自分でのってしまった。
そういえばライブが始まる前に森山直太朗くんがひょっこりやってきました。新作のキャンペーンで新潟にいたんだそうです。手土産の笹だんご、とてもうまかった。
11月27日(木)「en-taxi」

「en-taxi」の最新号で、岡崎武志さんが「1971年・阿佐ヶ谷・一本道 友部正人」という文章を書いています。
岡崎さんの「ここが私の東京 続・上京する文學」という連載の第六回目です。
実は事前にぼくとの対談依頼もあったのですが、ユミの入院やニューヨークシティマラソンなどがあって時間が取れなかったので、ぼくの詩集やエッセイ集を参考にしながら書いたようです。
もし会ってお話をしたとしても、そんなに違いはなかったのでは、とユミは言います。
ぼくもさっそく読みましたがとてもおもしろかった。
11月21日(金) セントラルパーク

U2のボノがセントラルパークで自転車で転倒し、大けがをしたそうです。腕には3枚のプレートを入れて18本のねじで折れた骨を固定しているとか。
(ちなみに10月にランニング中に転んで左肩のすぐ下の腕を骨折したユミは、一枚のプレートと12本のねじで骨の固定していますが。)

ぼくはセントラルパークの下り坂で、自転車の事故を何度か見たことがあります。
セントラルパークの中を一周する10キロにわたるドライブウェイは、ランナーと歩行者と自転車乗りと自動車が共用しています。ランナーや自転車乗りからの苦情があって、今は自動車は一日の大半の時間帯を、締め出されています。が、アップダウンの多いこのコースは、赤信号でも猛スピードで止まらない自転車が多く走っていて、毎年死亡事故も起きているほど危険なのです。
ボノの今回の事故をきっかけに、セントラルパークから競技用自転車が締め出されれば、公園は歩行者やランナーにとってさらなる憩いの場になるのではないかしら。
11月17日(月)「詩画集」

広田さんの個展に合わせて制作された詩画集「色鉛筆のどんでん返し」がうちに届きました。
現在はギャラリー・アークで販売していますが、今後ぼくのライブでも少し売る予定です。
ハードカバーのとてもしっかりとした本です。広田さんのホームページで見てみてください。
http://minoruhirota.com/
11月16日(日)

ユミが骨折して1か月たちました。ぼくがニューヨークに行っている間にほとんどのことが一人でできるようになっていて、ぼくが帰って来て二人になってかえってうっとうしがられています。
ニューヨークのマサからのお見舞いのラデュレのマカロンをうれしそうに食べていました。
11月15日(土)「広田稔展」

横浜石川町のギャラリー・アークで13日から始まっている広田稔さんの個展「友部さんの色鉛筆」にユミや仙台の友だちと見に行きました。
小さな画廊の壁には広田さんの力のこもった色鉛筆の絵と、ぼくが書いた詩がぎっしりと展示されています。
広田さんの生き生きとした絵には色鉛筆とは思えない強さがあります。なぞったのではなく、塗りこんだ感じ。
ぼくの短い言葉を手掛かりに、こんなにもたくさんの絵が描かれたことにただひたすらに感激しました。
なんとなく、言葉と絵をテーマにした飛行機で見た映画を思い出しました。
11月14日(金)

留守番しているユミのため今回は短い滞在で帰国することになり、今夜成田に着きました。
離陸は1時間も遅れたのに、着陸は定刻でした。
飛行機で見た「Words and Pictures」という映画が良かった。
11月11日(火)「Generator」

マリーナ・アブラモビッチの新作「Generator」に行きました。
観客が目隠しをされ、ノイズキャンセリングのついたヘッドフォンで耳もふさがれ、ギャラリー内にしばらく放置される、という内容の作品です。説明されただけではわからない、体験してみないとわからないおもしろさでした。もちろん最初は怖くて動けないけど、壁を伝って歩きながら、だんだんその状態に慣れていく。
他の人とぶつかったり、壁にぶつかったり。壁は固いのに、人間はやわらかくてもやもやしているなあ、
と思いました。終了したくなったら、手をあげれば係りの女性が手を引いて会場から連れ出してくれます。
結局1時間以上もいました。
一緒に行ったマサが、ICPに行くというのでついて行き、セバスチャン・サルガドの写真展を見ました。
2000年代になっても、石器を使って、裸で狩猟採取生活をしている人たちが地球のあちこちにいることを
知ってびっくりしました。今にも絶滅するかもしれないこの人たちの暮らしや伝統、砂漠や氷河に生きる
動物たちを守って行かなくてはいけない、とサルドガはビデオで訴えていました。

今日はベテランズデイというアメリカの休日で、パレードやブロックパーティ、強盗などで街中がごったがえしていて、繁華街を歩いていても楽しかった。
11月9日(日)「Baal」

同じくリンカーンセンターに、ファスビンダーの「Baal」を見に行きました。
「Baal」は前にここで、デビット・ボウイが演じたのを見たことがあるけど、ファスビンダーが演じるBaalの方が迫力があるし、悲しみも伝わってきた。
ちょうどファスビンダーの全作品を上映しているみたいで、今回それを見られないのが残念です。

フォークアートミュージアムにWillem Van Genkの絵を見に行きました。
この人の大きなポスターが横浜のうちにあって、それで知っていたんだけど、ニューヨークでこの人の絵が見られるとは思わなかった。アウトサイダーアートと呼ばれる分野のアーティストで、建物や飛行船、鉄道といったものを気の遠くなるほど克明に描写します。
帰りに出口でばったり、湯川潮音さんに会いました。ニューヨークに滞在中だとか。
11月7日(金)「Goodbye to language」

ゴダールの3D映画「Goodbye to language」をリンカーンセンターに見に行きました。
風邪気味の体調のせいなのか、映画のせいなのかわからないけど、眠かった。
でも映像は3Dになってもきれいだしおもしろかった。
今日はわりと寒いのに、映画館は空調のせいでさらに寒かった。
11月6日(木)

仙台の前野さんとMoMAへ行きました。ものすごい人でゆっくり作品を見られませんでした。
それからブルックリンのダンボ地区を散策して、そのあとキリコとドミニクの家のパーティに行きました。
ひとりでNYにいるとかわいそうに思うのか、いろんな友だちがぼくをご飯に誘ってくれます。
11月5日(水)

ヨシのところに野球好きの人たちが集まって鍋をするというので参加。
野球に興味のないぼくは、鍋に引かれての参加でした。
11月3日(月)

セントラルパークに行って、マラソンの記録をメダルに刻んでもらいました。
昨日は寒くて天気が悪かったけれど、一夜明けると快晴で紅葉がまぶしいです。
11月2日(日)「ニューヨークシティマラソン」

今年でぼくは12回目ですが、きっと今までで一番寒く、風も強かった。体感気温0℃ぐらいだった。
スタート地点からの橋の上では、強風でゼッケンがはがれそうで左手で押さえて走りました。
悪条件の割にはスタスタと楽なペースで走れて、結果は3時間27分。
5万人強の参加者中3586位でした。うれしかったのは走っていて一つもつらくなかったこと。
それが今回の成果かな。(春のボストンマラソンはすごくしんどかった。)
毎年必ずファーストアベニューとセントラルパークで応援してくれるユミの姿がなかったのは寂しかったけれど、レース当日まで横浜から電話でいろいろアドバイスしてくれました。
11月1日(土)

雨です。ユミは電話で、片腕生活は疲れると言っていました。横浜も雨で、憂鬱な気分だそうです。
今日でサマータイムは終わり。時計の針を一時間遅らせて、今夜は明日のレースのために早く眠ります。
明日は3時起きなので目覚まし時計をふたつ枕元に置いて。
10月31日(金)

写真家のヨシと奥さんのマドレンが自宅で、ニューヨークシティマラソンを走る人たちのためのパスタパーティを今年も開いてくれました。ヨシもマラソンを走ります。料理は全部ヨシが作るのですが、50人以上の人がたべきれなくて残すほどの量でした。
10月29日(水)

仙台の火星の庭の前野さんと、仙台の句会仲間の美樹子さんがニューヨークに遊びに来ました。
二人はうちの近所のホテルにしばらく滞在するそうです。そもそも二人はおもにユミと一緒に遊ぶ予定でやって来たわけで、ぼくしかいないNYでなんとかなるのでしょうか。
10月28日(火)

ユミを家に残して一人でニューヨークにやって来ました。11月2日のニューヨークシティマラソンを走るためです。
ひとりでシャワーとか練習してみてなんとかなりそうだし、食料はいろいろ準備して。
すぐ近くに一穂も住んでるし安心です。
10月23日(木)

ユミが退院しました。息子の一穂が車で病院に迎えに来てくれました。
片腕は使えない状態だけど、病院にいてももう安静にしているだけなので。
自分でいろいろなことをするのは大変だとしても、狭い病室より自宅の方がくつろげると思います。
10月20日(月)

予定では今日からニューヨークでしたが、16日にランニング中に転んで肩のすぐ下の腕の骨を骨折したユミの手術が今日ありました。ぼくは1週間出発を遅らせることにしなした。
手術のあとは痛々しい様子でしたが、これから快方に向かうのだと思えば一安心です。
1か月は安静にしていなくてはなりません。
10月17日(金) 「個展のお知らせ」
ここでちょっとまだ先の話ですが、展覧会のお知らせです。

「広田稔展」-友部さんの色鉛筆

「中学の頃から大好きだった詩人でシンガーソングライターの友部正人さんが、ご近所に引っ越してきて友だちになった。
初めて彼の家を訪ねた時、500色の色鉛筆をもらった。「こんな立派なものもらえないです」
って言ったら、奥さんのユミちゃんが「友くんは12色あればいいのよ」って言って、もらうことにした。
僕はこの色鉛筆で絵を描いて展覧会を開こうと思った。友部さんにいくつも詩を書いてもらい、コラボレーシヨンすることになった」(案内状からの抜粋)

現在制作中の詩画集『色鉛筆のどんでん返し』(画/広田稔・詩/友部正人)も販売します。

Gallery ARK
横浜市中区吉浜町2-4 AXIS元町1F TEL 045-681-6520
11月13日(木)〜11月22日(土)日曜休廊
11:00am~6:00pm(最終日5:00pmまで)
http://ark.art-sq.com
10月11日(土)安城市「ギャラリー伽耶」

金福寺というタイトルの、金さん、福岡さん、寺田くんの3人展のオープニングでライブをしました。
福岡さんと寺田くんは古くからの知り合いで、2010年の「クレーン」のジャケットには、寺田くんのリトグラフの作品を使わせてもらいました。
最初にアコースティックな3人のグループの演奏があって、ずいぶんなごんだ気持ちになりました。
ぼくのライブは生でやりました。木造のギャラリーなので、音がよく通ります。
こういう場所では、無理やり音響設備を入れないほうがいい場合が多い。
人が大勢入っていた割には響きが良く、何の問題もなく演奏できました。
10月10日(金)浜松「エスケリータ」

こじんまりとしていて、中身の濃いお店、エスケリータ。今年も無事ライブが終わりました。
浜松は毎年若い人が入れ替わり立ち代わり訪れてくれています。浜松は静岡に比べるとアンダーグラウンドな志向があるそうです。
10月8日(水)「ジャージーボーイズ」

先日ハンバートのコンサートで良成くんが一生懸命ステージで話していた映画「ジャージーボーイズ」をユミと見に行きました。フォーシーズンズというアメリカのコーラスグループの伝記映画です。
ニュージャージー州で生まれ育ったイタリア系の若者たち、町を抜け出すにはマフィアに入るか、自殺するか、ミュージシャンになるしかないといわれている。最初は町のチンピラだった若者たちが、いざこざを抱えながらも音楽だけを頼りに大人になっていく。そして最後までイタリア人でいることはやめなかった。
彼らが1960年代にヒットチャートを賑わせていたころ、ぼくはフォーシーズンズの熱狂的なファン
ではなかったけど、彼らの生き方には共感を覚えました。
10月5日(日)「倉吉市、吉祥院」

いつもライブをしてくれるラ・キューの主催で、吉祥院というお寺でライブをしました。
ご住職はまだ若く、客入れに自分が好きだというキース・ジャレットのCDを流していました。
仏様を背にして休みなく2時間歌いました。お寺のせいか、ぼくの歌を初めて聞くお年寄りもいました。
高い天井の本堂は響きが良くて、またここでやりたいなあと思いました。
台風18号が近づいていて、翌日ぼくが乗る予定だったお昼の飛行機はキャンセル、という
メールが夜中にありました。
10月4日(土)「米子市、ワンメイク」

久し振りの米子でした。シークレットゲストの踊ろうマチルダくんが最初に20分歌いました。
去年の暮の神戸のイベントで初めてマチルダくんのライブを聞いて、今回彼の地元の米子ではぜひ会いたいと思っていました。だから彼の登場はうれしかった。
しばらく休憩の後、2時間ぐらい歌いました。照明が暗かったので前の席しかわからなかったけど、若い人たちの顔がニコニコしているのが見えました。
10月3日(金)「ハンバートハンバート」

レイボーヒルで一緒だった遊穂さんに誘われて、日比谷野外音楽堂にハンバートハンバートのコンサートをユミと聞きに行きました。
新しいアルバムの中の曲のほとんどと、今までの代表作を演奏しました。ところどころに遊穂さんと良成くんの二人のおしゃべりが時間をあまり気にしないで入るのが面白いです。
ほぼ満員の会場で、自分以外のお客さんのことが全く気にならないコンサートでした。
たぶんそれがハンバートの音楽の特色なのでしょう。みんなで一緒にというところがなくて、ステージと客が一対一になれるようなコンサート。
9月28日(日)「レインボー・ヒル」

大阪の服部緑地野外音楽堂で「レインボーヒル」コンサート。
今回で10回目だそうですが、ぼくが出るのは初めてでした。前から出たかったので、今回急きょ誘われてとてもうれしかった。
ふちがみとふなとの出番のときに、彼らと一緒に「ナララ」「4月になれば」「走る人」の3曲をやりました。
前日に家で個人練習してたのに、「ナララ」はあまりうまくできなかった。
ぼくの出番のときには、ハンバートハンバートの佐野遊穂さんと二人で「おなじ話」を。これはうまくできました。
そのあとパスカルズのロケット・マツにアコーディオンを弾いてもらい「遠来」を。そしてパスカルズ全員と「シャンソン」「6月の雨の夜、チルチルミチルは」を歌いました。「チルチルミチル」はすごく良かったような気がします。
後半時間が大分押してしまい、最後のパスカルズは曲目を3曲も削らなくてはなりませんでした。
それがとても残念でしたが、全体に若々しい印象のコンサートでたっぷりと楽しめました。
9月27日(土)「カラワン楽団」

大久保のR's アートコートでタイのカラワン楽団のコンサートがあり、ユミと出かけて行きました。
カラワンが日本に来て歌うのは10年ぶりです。ぼくが彼らに会うのは10年前にタイで会って以来です。
オープニングを務めたのは豊田勇造、そのあとモンコン、スラチャイがそれぞれソロで歌い、
2部がカラワンとしてのステージでした。最後の曲では、突然勇造からハーモニカを吹かないか、と言われてステージに上がりました。
今回とても胸にしみたのはスラチャイとモンコンの歌声です。言葉以前の感情が伝わってきました。
歌は言葉で聞くのではないと思いました。終演後の打ち上げでは高橋悠治さんとも話ができました。
それにしても、スラチャイとモンコンに同じ日本語を話す友だちのような親近感を抱いている自分にあらためて驚きました。彼らがタイ語を話すのが不思議でなりません。
9月21日(日)「三豊市 Mのまつり」

ロックコンサートと市民のまつりが合体したようなイベント。
音楽には興味がなくても、場内の出店やサブステージの踊りなどにひかれてやって来た家族も多かった。
ぼくはメイン会場の体育館で、山川ノリオくんと2曲、三宅伸治くんと2曲、ソロで3曲演奏しました。
山川くんとは「愛はぼくのとっておきの色」と「月の光」。久し振りの共演に山川くんも楽しそうでした。
三宅くんとは「大阪へやって来た」と「一本道」。
それから、中村耕一さんのソロのとき、ぼくと三宅くんが作詞作曲した「5メートル」にぼくもハーモニカで参加したりもしました。最後は三宅伸治バンドで、「たたえる歌」を全員参加でやり、アンコールは「アイ・シャル・ビー・リリースト」と「雨上がりの夜空に」の2曲。
ぼくは「雨上がり」を初めて歌いました。
9月20日(土)「福山 Studio Jet」

福山市の郊外にある古着屋さんでライブをしました。
普段は商品でいっぱいの店内をライブ会場にするのに、5時間もかかったとまだ若い店主の福島さんが言っていました。住宅街にあるお店なのでマイクは使わずに生でやりました。
つりさげてある服が音を吸ってしまうのではと心配でしたが、大丈夫だったようです。
お客さんは25人で、それでも立ち見が出てしまうほど狭い会場でしたが、
それはそれでとてもいい感じのライブになりました。
9月19日(金)「高松オリーブホール」

しばらくぶりの高松、最初にジャンゴラインハルトなどを演奏するジプシージャズのバンドが演奏しました。
それでぼくもジャンゴラインハルトが歌詞に出てくる「ニレはELM」を歌うことにしました。
「大阪へやって来た」「フーテンのノリ」など、最近歌ってみて楽しかった曲などを高松でもやりました。
普段はあまり何も言わない主催者が、今夜は良かったと言ってくれたのがうれしいです。
9月17日(水)「横浜トリエンナーレ」

ユミとトリエンナーレを見に行きました。
「忘却の海」という主題で、全体に重く暗い作品が多かった。時間をテーマにしているからか、過去を振り返っているようなものが多く、未来へのヒントはそこから一人一人が探さなくてはならない、というような感じ。現代アートのお祭り的なものに背を向け、もう一度アートの原点に帰ろうとしているのかもしれません。
現在形の釜ヶ崎芸術大学の展示がおもしろかった。
9月15日(月)「バッテラ音楽祭 ボガンボローザ」

元ボガンボスのkyOnと岡地くん、ローザルクセンブルグの玉城くんを中心に、どんとの歌を主に歌うコンサート。久しぶりに元たまの柳原くんの「さよなら人類」も聞けました。
ぼくはkyOnと録音した最新作『ぼくの田舎』から「SKY」、どんととぼくの共作「かわりにおれは目を閉じてるよ」、どんとが好きでよく歌ってくれた「ぼくは君を探しに来たんだ」の3曲をバンドと演奏しました。
久しぶりのバンドは気持ちが良かった。力のあるバンドは歌の発射台です。
どんとの生前作った歌、どれも良かったな。
9月10日(水)「大阪 阿倍野近鉄アート館」

青少年のためのパフォーマンスフェスティバル「TACT/FEST」の中のプログラム。
「きりぎりすの歌」と題して、ソロで歌いました。「フーテンのノリ」や「大阪へやって来た」など、大阪に関係のある歌を交えながら、いろいろと傾向の違う歌を歌っていくことにしました。
選曲も良かったと思うし、円形の劇場をこじんまりと使い、それにもいい効果があったように思います。
9月7日(日)「リクエスト大会」

スターパインズカフェでリクエスト大会。
この日はスターパインズカフェの開店17周年の記念日でもありました。
一人一曲のリクエストを書いてもらい、曲名の書かれた用紙を投票箱から一枚ずつ引いて歌っていきました。
いろんな歌をリクエストしてもらったけど、今日歌えたのはそのうち23曲でした。
113人の人が来てくれて、新旧の歌が70曲もあったそうです。あまりダブらないのがいい感じです。

御徒町凧くんと一緒に聞きに来てくれていた森山直太朗くんを、二部のはじめにステージに呼んで、二人で「こわれてしまった一日」を歌いました。直太朗くんの声量に感心しながら歌いました。
アンコールでは「大阪へやって来た」と「一本道」を歌いました。
「大阪へやって来た」は自分で歌いたくて歌ったけど、終わってから箱の中を調べたら、ちゃんとリクエストがあったことを知りました。
3時間を越えるライブになりましたが、リクエスト大会の3時間は、普通のライブの3時間よりはるかに短く感じられました。今夜歌った曲だけを書いておきます。

朝は詩人、6月の雨の夜チルチルミチルは、公園のベンチで、ライク・ア・ローリングストーン、夕暮れ、働く人、マオリの女、マリーナとウーライ、Bring It On Home To Me、ランブリン・ジャック、ユニコーン、こわれてしまった一日、少年とライオン、ボロ船で、フーテンのノリ、廃品回収業者、ゆうれいなんていかしてる、君のからだはまるで、誰もぼくの絵を描けないだろう、なんでもない日には、愛はぼくのとっておきの色。
大阪へやって来た、一本道
9月2日(火)「ボガンボローザのリハーサル」

9月15日に下北沢の251であるボガンボローザのライブにゲストで出ることになりました。
それで今日、そのリハーサルがありました。kyOnや玉城くんたちと3曲演奏する予定です。
最近はソロのライブが多いので、バンドを聞きたい人はぜひ聞きに来てください。
やはりゲストで出る元たまの柳原くんと久しぶりに会いました。長年借りっぱなしになっていたボブディランの歌詞カードをようやく返しました。

さて、いよいよ7日は吉祥寺でリクエスト大会のライブがあります。
珍しい曲の練習もしておかなくては・・。
8月31日(日)札幌「くう」

旭川を昼過ぎに出発して札幌に。今日も暑いです。さぞかし北海道マラソンのランナーは大変でしょう。
今回のツアーは休憩を入れずにやることにしています。お店はたいてい休憩を入れて欲しがるのですが、了承してもらいました。
最初のうち声の調子が悪かったけど、歌っているうちに自由な感じになってきました。
最近は「大阪へやって来た」をよく歌います。それから今日は「ランブリン・ジャック」もやりました。
両方とも語りの曲で、メロディがない分、演奏も自由になる気がします。
8月30日(土)旭川「アーリータイムズ」

明日は北海道マラソンなので、大通公園にはたくさんのランナーが集まっていました。
旭川へ木下さんと向かったのですが、途中どしゃ降りの雨でした。
去年に比べてお客さんは少な目でしたが、ぼくの体調はよく、いいライブができました。
アーリータイムズは北海道で一番たくさんライブをしてきた場所なのに、スタッフがずっと変わらなくて仲がいいのが特徴です。このままずっとある場所のような気がする。
8月29日(金)小樽市「ぐるぐる」

千歳空港からJRで終着の小樽に着くと、長いプラットフォームと煉瓦の古い駅舎が待っていました。
小樽は変わっていない、というのが今回のぼくの印象です。
「ぐるぐる」でライブをするのは2年半ぶり。店の主人の手塚くんが店から飛び出してきて迎えてくれました。
今回は休憩を入れないで一気にやりたい、と言うと、手塚くんも、その方がいいかも、と言ってくれました。それで一気に2時間。ライブはおもしろい。
3日間お世話になる木下さんの車で札幌に。もう一時を過ぎていました。
8月25日(月)「BankART NYK」

BankARTの池田さんから誘われ、トリエンナーレ連動企画の展覧会「東アジアの夢」と、7時半からのサンドラムの演奏を見に行きました。
横浜美術館を中心に開かれているトリエンナーレはまだ見ていないけど、BankART NYKの展覧会は見ごたえがあります。作品には説明らしきものがほとんどないので、作品解説付きのツアーをすればいいのにな、と思いました。ぼくとユミは池田さんから作品についての話を聞きながら見たので、とても面白かったです。
サンドラムはアフリカンドラムと歌とダンスの合同バンドです。ダンスは観客を巻き込んでいきます。
人の体の動きというものは見飽きないもので、知らず知らずのうちに自分も小さく体を動かしていました。
8月22日(金)「名古屋クアトロ」

バンバンバザールのゲストでした。
バンバンは福島くん、黒川くん以外に、アコーディオンの新井くん、ギターの佐藤克彦さん。
前半はバンバンだけで演奏し、後半にぼくがみんなと一緒に演奏しました。
久し振りに「風呂屋」(バンバンの古いレパートリー)も歌いました。
自分で演奏しながら印象に残ったのは「SKY」。一人じゃなかなか出せない雰囲気がうまくやれたみたいです。
8月11日(月)「空席待ち」

昨日の飛行機が4便とも欠航したので、昨日のチケットを持つ人たちは空席待ちをしなくてはなりません。
倉沢桃子さんが朝一番に空港のカウンターに行き、ぼくたちに早い番号を確保してくれました。
結局臨時便が出ることになり、ほとんどの人がそれで帰れることになりました。
臨時便まで時間があったので、音楽祭の若い出演者たちとレンタカーで島めぐり。
下から見上げるだけだった八丈富士に登ったり、古い神社に行ったりしました。
なんだかんだで島を満喫してから午後3時の飛行機で帰りました。
8月10日(日)「台風11号」

朝の飛行機で帰る予定が、台風の影響で今日は全便がキャンセル。もう一日八丈島にいることになりました。
ペンションでテレビの台風のニュースを見て過ごした後は、ユミと八丈島植物園に光るきのことキョンを見に行きました。
キョンの檻のところでは偶然にも昨日の音楽祭の出演者だった遠藤賢司さんたちに遭遇。
別に待ち合わせたわけでもないのに、ばったりと会うとは。
せっかくだからと記念撮影をして、エンケンたちは温泉に。ぼくたちは台風で荒れる海を見学に。
夜は東京に帰れなくなった出演者やスタッフが集まり、主催者の倉沢桃子さんのお父さんの経営する「港町食堂」で島の焼酎とおさしみなんかをごちそうになりました。
8月9日(土)「エイト島音楽祭」

今年が2回目の八丈島の音楽祭。
台風が四国に近づいていて雨が心配でしたが、結局最後まで降らず、満月に近い月まで出ていました。
ぼくは夜になってから、最後に歌いました。広々とした会場には少ないけど熱心なお客さん。
ぼくが歌う声は後ろの山に跳ね返って、こだまになって聞こえていたとユミが後で言っていました。
去年のエイト島音楽祭は午後の雷雨で途中から会場が変更になったので、ぼくがこの広々とした自然の中で歌うのは今回が初めて。月を見上げて歌う「一本道」はいつもとだいぶ違いました。
8月8日(金)「八丈島」

一日早く八丈島に入り、出演者の若者たちと底土の海で泳いだり、会場でリハーサルをしたり。
夜は宿泊先のペンションで、特別注文の島寿司を食べて早く寝ました。
8月4日(月)「パスカルズ」

渋谷のWWWに、パスカルズのライブを聞きにユミと行きました。
パスカルズは音楽だけでステージと客席の隔たりを取り払います。リアルなのに幻想的な旋律が、聞き手にわれを忘れさせるのかもしれません。いつのまにかパスカルズの音の中で、時間を忘れているのです。永遠に近い何かが音に込められているような気がしました。
終演後久し振りにメンバーのいろんな人とも話すことができました。
8月2日(土)「Sole Cafe」

京都のSole Cafeでソロのライブ。前半は新曲をやり、後半にやりなれた曲をやったのに、
やりなれた曲でいくつか歌詞を忘れるという失敗もありました。
ぼくは日本で一番歌詞を間違える歌手かもしれません。間違えても生き生きと歌える歌うたいでいたいです。

今日は早めに京都に着いたので、ユミと二人でガケ書房に行って、ガケの山下くんも一緒に向かいのカフェでランチを食べました。オーガニック野菜のご飯はおいしかった。
8月1日(金)「寄り道バザール」

元銀杏BOYZのギターリスト、チン中村くんと貴子さん夫妻が企画主催の音楽イベントが大阪十三のファンダンゴでありました。ぼくと知久くん、キセルが出演しました。
スタンディングで200人以上のお客さんが来てくれました。
知久くん、キセル、ぼくの順で演奏をして、アンコールでは急きょ知久くんを誘って、二人で「あいてるドアから失礼しますよ」を歌っておしまい。ずっと立って聞くにはつらかったかもしれないけど、いい企画でした。ぼくはキセルの「庭の木」という歌がとても好きでした。
7月26日(土)「チョコレート・ドーナッツ」

ロングランを続けている映画「チョコレート・ドーナッツ」のサントラCDの発売を記念して、渋谷の映画館シネパレスで上映後のトークイベントで少し話しました。
主役のアラン・カミングの歌う「アイ・シャル・ビー・リリースト」はこの歌の持つ深い意味を感じさせてくれます。CDで聞いてみてください。
7月25日(金)「ブルー・ジャスミン」

21日の夜にニューヨークから帰って来ました。
毎度のことながら日本の夏は湿度が高くて、しんどいですね、やっぱり。
今日は横浜のジャック&ベティにウディ・アレンの「ブルー・ジャスミン」を見に行きました。
ケイト・ブランシェットのほぼ一人芝居。生きるとは切ないこと。
7月19日(土)「ある精肉店のはなし」

ジャパン・ソサイエティに、ドキュメンタリー映画「ある精肉店のはなし」を見に行きました。
ドキュメンタリー映画なのに、フィクションもドキュメンタリーも超越したようなおもしろさでした。
西洋におかされた都会的なものなどみじんも感じさせない大阪の南の町の純度の高い生き生きとした暮らし。流れている音楽がすてきだなあと思っていたら、佐久間順平くんでした。

お知らせ
7月26日(土)渋谷の映画館、シネパレス渋谷で、「チョコレートドーナツ」上映後の、トークイベントに出ることになりました。17時50分からの上映が終わった後です。
7月18日(金)「ジェフ・クーンズ」

ホイットニー美術館に、今話題のジェフ・クーンズ回顧展を見に行きました。
この人の評価はまだ定まってはいなくて、両極端に分かれるそうです。
一見して、村上隆やダミアン・ハーストを思い浮かべました。もう少し退廃的な感じがしましたが。
金曜日の夜のホイットニーで、これだけの長蛇の列を見たのは初めて。
ぼくたちが帰る8時ごろになってもまだ外には行列がありました。
7月17日(木)「Rockaway!」

パティ・スミスやPS1の学芸員が主導するアートフェスティバル「Rockaway!」に行って来ました。
マンハッタンからは地下鉄で1時間半、終点のRockaway Parkからバスでさらに15分。
ようやくたどり着いたFort Tildenには「Rockaway!」という旗がフェンスにかかっているだけ。
あまりのそっけなさにユミと二人呆然としてしまいました。
この会場にはパティ・スミスを中心に3人のアーティストの作品が展示されていました。
2012年のハリケーンで水害にあったチャペルには、ジャネット・カーディフの40個のスピーカーを使ったコーラス作品がありました。これはぼくたちは前にも2回別の場所で見たことがあったけど、この場所で聞くのが一番でした。
パティ・スミスの作品はFort Tildenの全域にちりばめてあって、気温は26℃とそんなに暑くなかったけれど、太陽の下を海岸沿いなどを歩いて見て歩くのは大変。
とにかくとてつもなく広いのです。もう一人の作家は、作品がどれなのかもわからなかった。
そんなこんなでしたが、アートだけではなく、ハリケーンの被害の大きかったRockaway半島そのものを体験できてよかったです。
7月15日(火)「祭の馬」 

ジャパン・ソサイエティに、ドキュメンタリー映画「祭の馬」を見に行きました。
2011年の震災で被災した南相馬の馬の話です。東電の原発事故で被曝した元競争馬たちは
皮肉にも食肉にならずに生き延びることになりました。伝統的な相馬の野馬追いも見られたし、なによりも、馬を間近でみられたのがよかった。
7月12日(土)「4マイルレース、スーパームーン」

セントラルパークで4マイルレース。久々にマイル7分6秒のペースで走れました。
夜はアパートの屋上から、東の空に上ったスーパームーンを見ました。
マンハッタンは高いビルが多いから、月がどんどん上がって行くのがよくわかります。
7月11日(金)「ニューヨーク・フィルハーモニック」

セントラルパークのグレートローンでのニューヨークフィルの野外コンサート。
ピクニックもかねて5万人もの人が聞きに来ます。もちろん無料です。
前半にリヒャルト・シュトラウスを2曲、後半にドボルザークとチャイコフスキーをやりました。
終了後花火が上がったけど、ちょうどその日は月がまんまるで夜空が明るく、花火は月に負けていたようです。
7月10日(木)「フェルメール」

ちょうどフェルメールの出てくる小説を読んでいるので、メトロポリタン美術館にフェルメールを見に行きました。ニューヨークにいるとこういうことができるのがいい。
以前フェルメール展をしたときには15点あったけど、通常のメトロポリタンには5点しかありません。
ついでに、昔のマーチンやギブソンのギターの展示も見ました。初期のギターは今よりだいぶ小さかったみたいです。
現代美術のギャラリーでルカス・マラサスの展覧会も見ました。
こっちのウィングにはあまり来たことがなく、ニューギニアの立像なんかが楽しげに並んでいました。
7月5日(土)「チャールズ・ジェイムズ」「ゲイリー・ウィノグランド」

イブニングドレスなどの服飾作家チャールズ・ジェイムズの回顧展。
注文があってから、その人の体形に合わせて作ったドレスばかり。
昔のアメリカの女性はこんなにウエストが細かったのかと感心しました。

ゲイリー・ウィノグランドという写真家の回顧展も見ました。
50年代以降のニューヨークの写真が多く、今とは感じの違う街の様子がおもしろかった。
写真って本当に瞬間をとらえなくては意味のないものなんですね。
7月3日(木)「サンダル」

暑いのでサンダルを買いました。
それをはいてユミとMoMAにシグマー・ポルケの回顧展を見に行きました。
膨大な量のやりかけのような作品を残して死んでしまったドイツのアーティスト。
MoMAを出るといきなりのどしゃ降り。
7月2日(水)「読売新聞の原稿」

読売新聞金曜日夕刊の「もったいない語辞典」というコラムに、「フーテン」という言葉について原稿を書きました。7月11日の夕刊に掲載されます。

夏日。お昼前なのに30℃近かった。それでもユミとセントラルパークに走りに行きました。
午後はダウンタウンに買い物に。
イーストビレッジの路上に、千枚ぐらいLPレコードが捨ててあって、10枚ほどもらって帰りました。最初はぼくとあと一人ぐらいしかいなかったのに、噂を聞きつけて、後から後から人がやって来ました。おもしろいこともあるもんだとうれしくなりました。
6月30日(月)「朝日新聞・思い出す本 忘れない本」

ぼくが取材を受けた朝日新聞が日本から届きました。とてもいい記事でした。
朝日新聞のWEBサイトでだれでも読めるので、紙の新聞を読めなかった人も読んでください。
http://book.asahi.com/reviews/column/2014062200015.html
6月29日(日)「応援」

セントラルパークであった、ハンディキャップの人たちを応援するランニングレースに友だちのヨシとマサが出たのでユミと見に行って、結局ぼくらも一緒に走りました。
車いすの人、目の見えない人、ダウン症の子供たち、いろんな人が走っていてにぎやかでとてもすてきでした。
6月28日(土)「プライドラン」

ゲイやレズビアン、トランスジェンダーの人たちの権利をサポートして数十年、という歴史あるランニングレース。最近は人気があって、なかなか上位には入れません。
今年も年代別で6位でした。(以前はよく3位以内に入って、25ドルの賞金をもらいました。)
6月23日(月)「オペラ・イン・ザ・パーク」

メトロポリタンオペラによるニューヨーク市内の公園コンサートシリーズの1日目。ヴェルディの曲が多かった。ソプラノの人が「ノルマ」の中の歌をソロで歌っていたら、セントラルパークの小鳥がそれに応えたかのように一生懸命鳴いていました。
6月22日(日)「ブイーカ」

セントラルパークのサマーステージで、ブイーカのフリーコンサート。
お客さんはスペイン語圏の人がほとんどで、とても家族的な雰囲気でした。
お客さんの熱狂で、コンサートは時間をかなりオーバーしました。
半分フラメンコの歌手みたいで、何かが乗り移ったように歌います。
なかなか素敵でした。
6月17日(火)「映画と美術館」

今日は朝早く起きて、みなとみらいの映画館に「インサイド・ルーフィンデイビス」を見に行きました。
ぼくは試写会で見たけど、ユミはまだ見ていなかったから。
いつも映画は2回見ないと細部がわからないと思うけど、2回見て思ったことは、この映画は細部から作られているということ。コーエン兄弟はそういう細部に凝る人たちなのかもしれません。
映画を見た後、デイブの自伝とは内容がずいぶん違うけど、フォークシンガーは生き残れない、ということがよくわかりました。ある意味では、ボブ・ディランの偉大さがわかります。
デイブの自伝はアメリカで出たときにすぐに読んだけど、もうだいぶ忘れてしまっているので、この間早川書房が送ってくれた邦訳の「グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていたころ」を読んでみようと思います。

そのあと、上野の都美術館にバルチュスの回顧展を見に行きました。
これは終わってしまう前にぜひ見ておきたかった。案の定、満員の状態でした。
バルテュスの絵が当時の他の絵描きの絵と違うのは、絵本のようなストーリー性があるところかな。
だから現代的な感じがするのかもしれません。少女のスカートの奥の下着も確かに刺激的ですが、風景を描いたものも良かった。バルチュスは家々をとてもかわいらしく描く人で、性格もきっとかわいい人なのだろうな、と思いました。

p.s.

朝日新聞の「思い出す本、忘れない本」というコラムの取材を受けました。
取り上げたのは、黒田三郎詩集です。6月22日に掲載されるそうです。

そして、しばらくニューヨークに出かけてきます。帰国は7/21の予定。
その間、通信販売の発送はストップしますが、ご了承ください。(友部正人オフィス)
6月14日(日)「桜座」

甲府の桜座で、三宅伸治くんと二人のライブ。ソロもそれぞれ2曲ずつやりました。
元は靴工場だったという桜座、今は昔から芝居小屋のような風情です。
全国いいライブ会場めぐりをするとしたら、絶対にここは入れなくては。
ライブの前に主催の馬場さんに連れて行ってもらった奥村という蕎麦屋さんの手打ちひやむぎ、おいしかった。漬物もおいしくて、楽屋に運んでもらいました。
6月13日(金)「フリーキーショウ」

静岡のフリーキーショウで1年ぶりのライブ。オープニンクニアクトは去年と同じ、ノダフルタくん。
この人の個人的な歌がぼくは好きです。休憩後、ぼくが2時間ぶっ通しで歌いました。
たぶんこの一か月で一番声が出ていたかも。
6月11日(水)「Every Wednesday」

毎年恒例の、マンダラⅡでの三宅伸治くんのライブイベントに、久しぶりに出演しました。
三宅君と一緒にライブをするのも久しぶりで、2日ぐらい前から自分一人で練習していました。
今回はアルバム『奇跡の果実』でモジョクラブと一緒に録音をした「黒い犬」を三宅くんと二人でやりました。ライブ盤『ロックンロール、やってます』の頃は力んで歌っていたような曲も、
ようやく力を抜いて歌えるようになりました。
6月8日(日)「叶屋ライブ」

今年で7年目になる地酒店「叶屋」でのライブ。いつもだいたいこの季節のライブです。
店主の倉田さんのリクエストが毎回たくさんあるのも特徴です。
いつもほとんどそれに答えられないのですが、いつか歌ってくれるまで続けるそうです。
飯田線の北殿という無人駅の町の酒屋さんですが、ここで売っているお酒はおいしいものばかり。
しかも打ち上げでは毎回、近所の蕎麦屋さんがそば打ちに来てくれます。
6月4日(水)「大阪Janusライブ」

今年の春一番は、ぼくがボストンマラソンに出たので、出演できませんでした。
それで急きょ、1か月前に大阪でのライブが決まりました。宣伝の時間があまりないし、ソロライブなので、何人聞きに来てくれるか心配ではありましたが、やはりやるべきだと思い、ライブをやることになりました。やってみて、やはりよかったと思います。
聞きに来てくれた人も予想よりは多かったし、ケーブルテレビが収録に来てくれました。
主催のグリーンズの鏡さんもやる気満々で、早々に来年の大阪と京都のライブを決めてくれました。
そうそう、JANUSの音響はとても良かった。このことは忘れてはなりません。
6月2日(月)「句会」

月例の「火星の庭句会」に参加しました。いつもはメールでの参加なので、実際に句会の場にいられるのがうれしかった。やはりその場にいると緊張もするし、とても楽しい。
ひょんなことから始まった句会ですが、もう8年目。最初からの人は誰一人欠けることもなく、よく続いてきたと感心します。
ぼくはといえばあまりうまくもならず、かえって俳句がだんだんわからなくなってきています。
6月1日(日)「火星の庭」

仙台のテリーさんの車で、ぼくとユミと3人で仙台へ。
「火星の庭」で歌と詩の朗読のコンサートをしました。詩は、この春にニューヨークで書いたものを読みました。新曲は「マオリの女」と「わたしはオープンしています」。
いままで若いお客さんの多かった仙台ですが、今回はめずらしく年配の男性の多いコンサートでした。
5月31日(土)「寺フェス」

山形県朝日町にある古いお寺、若宮寺の本堂での音楽フェス。
まだ若い住職の登坂尚高さんが主催。若い人たちの演奏が続いて、その後尚高さんのお父さんの高典さんのお話。じゃんけんぽんにひっかけた仏教の話がおもしろかった。
湯川潮音さんの歌もはじめて生で聞きました。素敵な声でした。
ぼくはソロで1時間歌いました。いい感じでアンコールもきて、「ロックンロール」でしめくくっておしまい。山の上にある境内からの眺めは最高でした。

5月29日(木)「ogre you asshole」

ネオンホールの清水くんがベースを弾いているバンド、ogre you assholeを渋谷クアトロに聞きに行きました。
ライブを見るのは初めてです。確かに音は大きいけれど、乱暴な感じではなく、落ち着いて聞ける音楽でした。
ステージが暗く、メンバーの表情がよくわからないのは、ニューヨークのライブの照明みたい。
暗いのは目を閉じて聞け、ということかなと思いました。山とか川とか夜空とか、そういった歌詞が聞こえてきて、長野県のバンドだということだけど、長野の自然が日本を包んでしまったような感じがしました。
聞きながら、割礼を思い出して、帰ったらCDを聞こうと思いました。
昔ゆらゆら帝国が好きだったユミも、楽しんで聞いていました。
5月27日(火)「食事会」

2日遅れだけど、息子の一穂がぼくの誕生日祝いにフレンチビストロのコースを御馳走してくれました。
5月24日(土)「秩父 ホンキートンク」

横浜の元町中華街駅から飯能まで一本で行けるなんて、時間はかかるけど、秩父が近く感じられました。
今年のホンキートンクは、「一本道」「遠来」などの古い歌の歌詞が出てこなくて困りました。
ちょっと不思議な気分。歌い直したりして、お客さんはあきれていたかも。
打ち上げでは、ぼくの64歳の誕生日をお祝いしてもらいました。
5月20日(火)「チョコレート・ドーナッツ」

みなとみらいに、ユミと「チョコレート・ドーナッツ」という映画を見に行きました。
ゲイのカップルがダウン症の男の子を養子にしようと裁判で戦う映画です。でも結局は負けて、悲しい結末に。
最後に主人公が「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌うシーンが流れますが、日本語の訳がとてもよく、この歌の意味にもちゃんと触れられたような気がしました。
5月19日(月)「うどん」

高松の島津田四朗くんと一緒に彼のお勧めのうどん屋に行きました。
外国からの観光客も来ていて、ぼくと同じようにセルフの作法を引率の人から学んでいました。
その後、田四朗くんに高松空港まで送ってもらいました。
5月18日(日)「三豊市」

ブギーナイトという鉄板焼きのライブハウスでライブ。
お店はこの5月で6周年だとか、それでお祝いにライブに呼ばれました。
どんなお客さんが来てくれているのか、ライブ中はわからなかったのですが、以前ぼくの歌を聞いていたような人たちがまた聞きに来てくれたみたいでした。
5月17日(土)「高知」

Sha La La というまだ新しいライブハウスでライブ。休憩をはさまないで2時間近く演奏しました。
3月のツアーから替えていなかったギターの弦、まだまだ行けそうです。
だんだんと好きな音色に落ち着いていきます。
5月16日(金)「徳島」

徳島の寅家でライブ。久しぶりにライブをするときはいつでも少し自分が心配です。
でも今夜はお客さんの反応も良く、古い歌のリクエストにも応じたりしました。
5月15日(金)「広田稔」

銀座のギャラリーに、ユミと広田稔さんの個展を見に行きました。
広田さんの油絵には明るい躍動感があります。どちらかというと暗い絵の好きだったぼくにはそれがとても新鮮でした。
5月8日(水)「日本へ」

12時30分のANA便で日本へ。機内でインドネシアとベトナムと日本の映画を見ました。
5月7日(火)「花」

74丁目のタウンハウスの、屋根までのびた藤のツルが花を咲かせました。
ハドソン川沿いの八重桜もふっくらとした満開でした。
この春は寒かったので、やっといろんな花が咲き始めたところです。
5月5日(日)「俳句」

ニューヨークタイムズがオンラインの読者から俳句を募集したところ、10日間で2800句も集まったとか。Strangers,Commute,Kindness,Island,Solitude,6amの6つのテーマが与えられ、編集部とMarie Howeという詩人が選句していました。このHoweという詩人の選んだ俳句がおもしろかったので、どんな詩を書く人なのか興味があり、近所の本屋に詩集を探しに行きました。
5月3日(土)「句会」

仙台では夜7時から句会。ぼくたちもニューヨークから選句するはずが、すっかり朝寝坊。日本とニューヨークの時差は13時間で、仙台の夜7時はニューヨークの朝6時。なんとか遅れて選句しました。
5月2日(金)「スザンヌ・ヴェガ」

ブルックリンの「ベルハウス」というライブハウスで、スザンヌ・ヴェガのライブを聞きました。
先月新譜を出して、シンガポールや日本に歌いに行っていたそうです。髪を後ろでしばり、黒いスニーカーとズボンで、ひょろっとしていて、どことなく男の子のよう。声も「ルカ」の頃と変わっていません。
お客さんはみんな彼女の歌や言葉に気持ちを集中させているようでした。
思い出話を始めるとそれが止まらなくなり、お客さんと対等な感じでした。
年は取っても、それが彼女らしさなのかな。
4月30日(水)「アイ・ウェイ・ウェイ」

ブルックリン美術館に、中国のアイ・ウェイ・ウェイの展覧会を見に行きました。
アイ・ウェイ・ウェイは中国政府により、自宅で軟禁状態だそうです。アイ・ウェイ・ウェイのことはドキュメンタリー映画「アイ・ウェイ・ウェイは謝らない」で知りました。あるゆることがアートにつながって行く生き方と、スケールの大きな作品に感動しました。
4月29日(火)「チェルシー」

チェルシーの写真ギャラリーに、戦時中に沖縄の人たちが隠れた洞窟「GAMA」を撮った写真展を見に行きました。同じビルの中にある「Aperture」というギャラリーでは、「Touching Strangers」という写真展をしていて、とてもおもしろかった。知らない者同士が、まるで仲良しのように手を取り合って一緒に映っているのです。
その後ぼくとユミとマサは、イーストビレッジのラーメン屋で、沖縄の人たちの演奏を聞きながらお酒を飲みました。
4月28日(月)「結婚記念日」

ぼくとユミの38回目の結婚記念日でした。25歳と20歳だったぼくたちもずいぶん年を取りました。
MoMAでゴーギャン展を見て、帰りにWhole Foodsでショートケーキを買って帰り、家で乾杯しました。
4月27日(日)「フラッシング」

クイーンズのフラッシングに、中華料理を食べに、ぼくとユミとメグの3人で行きました。
ぼくとユミはフラッシングは初めて。ランチなのでお酒は飲まなかったけど、安くておいしかった。
その後コロナパークまで歩き、満開の桜を見ました。池の周囲では、瞑想系のランニングチームが、6日間だとか10日間だとかの超ウルトラマラソンをしていました。
4月25日(金)「ホイットニー美術館、Biennial」

2年に一回開かれるアメリカの現代アートの祭典。ぼくとユミは毎回楽しみにしています。
ここ何回かは低調であまりおもしろくなかったけど、今回はちょっと感じが違っていました。
それはたぶん3人の学芸員が全員ホイットニー以外の人たちだったからだと思われます。
一人がワンフロアずつを担当したそうです。最近のアートは映像が多いのが特徴ですが、今回はそれが音の方に移行していっているような気がします。今年亡くなったロバート・アシュレーのスピーキング・オペラを、チケットが手に入らず、一度も見られなかったのが非常に残念です。
4月24日(木)「スパムメール」

もう何年も使っていないaolのアドレスから、スパムメールが送られたようです。
何人かの知り合いから、要注意のメールをもらいました。たぶんたくさんの人に送られたと思われます。こちらからは一切、一斉メールは送っていませんので、もし受け取った方がいたら開けないように注意してください。何かの販売目的なので、ウイルスではないです。
現在、aolでは「なりすましメール」が横行しています。aolのサーバーの問題だそうですが、aolからの連絡によるとまだ解決していないようです。
4月21日(月)「ボストンマラソン」

宿舎のある場所はゴールのそばで、そこからスタートの町まで高速道路を通ってバスで行きます。
参加者37000人、ランナーの搬送にはスクールバスが使われます。そのせいか、女性のドライバーが多かった。
スタートの10時ごろには寒くてまだ手袋が離せなかったのに、お昼ごろには16度まで上がりました。
この暑さと16パーセントという乾燥のせいで本当に疲れました。
山あり谷ありが連続のボストンまでの一直線のコースはなかなか魅力的なので、いつか車で走ってみたいと(免許はないのに)思いつつも、かなりしんどい思いをして走りました。結果は3時間43分9秒で、年相応なのかどうか去年以来、加速度的に記録を落としています。
帰りは初めて乗ったチャイナバス。乗客はほとんどがマラソンの後ニューヨークに帰る人たち。
走った後のそのままの格好の人たちもいました。ぼくは着替えもちゃんと用意していったけど、あきれるくらい気持ちも体も身軽な人たち。地下鉄の階段を手すりにつかまって下りながら、よろよろとユミの待っているアパートに帰りました。
4月20日(日)「ボストン」

ボストンマラソンのために、朝のバスでボストンに。今回はユミはニューヨークに残ることになりました。
Expoの会場でナンバーをもらい、宿泊先にチェックイン。
プレレースパーティに行ったら入場するのにも長蛇の列。日暮れのボストンはとても寒かった。
ついつい明日レースだというのに、ビールを飲みました。なんとか腹の足しになるぐらいの量のパスタとサラダを食べて、宿舎で早々に眠りました。
4月19日(土)「ラフトレード」

10日からニューヨークに来ています。暖かかったり、雪がうっすら積もったり、と寒暖の差が激しいNYです。
去年の11月にオープンしたブルックリンのベッドフォードにある、イギリスのラフトレードレコードの直営店に行きました。店内のライブスペースでは無料のライブが行われていたけど、入場制限していたのであきらめ、店内を見て歩きました。ほとんどの商品はLPレコードで、CDはすみっこに少しだけ置いてあり、新刊書のコーナーもあり、何も買わなくてもくつろげる空間になっていました。
4月7日(月)京都「磔磔」

磔磔40周年企画に、竹原ピストルくんと一緒に呼んでもらいました。
磔磔がオープンしたのは1974年だそうです。ぼくはそのころからの磔磔では一番古い出演者だそうです。
前半の1時間は竹原ピストルくん、後半がぼくという構成でした。
竹原くんから、セッションは苦手なのでということで、アンコールはぼくが「一本道」を歌いました。
40年も生演奏の音楽を鳴らし続けた磔磔は何度歌いに来ても音が良くて気持ちよく、ぼくのマイホームのようなライブハウスだなあ、と思いました。

ではこれからニューヨークへ行ってきます。
帰国は5月9日の予定です。(今年の春一番コンサートは残念ながら欠席です。)
3月30日(日)吉祥寺「スターパインズカフェ」

今回初めて一緒に演奏するギターの佐藤克彦さん、ぼくのライブではおなじみの安藤健二郎くんと3人でライブをしました。今回は特にレコードの発売記念でもリクエスト大会でもなんでもなく、東京での定期演奏会のような感じです。
佐藤さんの演奏は素晴らしく、印象的なところがいくつもありました。新曲の「彼女はストーリーを育てる
あたたかい木」は特に評判がよかった。
安藤くんの控えめなクラリネットやサックスも効果的でした。近々またやりたいと思います。
3月27日(木)札幌市「デキシー・ルー」

今夜も「ホーボー・コネクション」。札幌はぼくとリクオとバンバンバザールの3組でした。
時間のゆとりせいか、今夜はセッションの部分が特に充実していました。ぼくがソロで「朝は詩人」を歌いだしたら、徐々にリクオやバンバンが演奏に参加してきて、そのままクライマックスに。
アンコール前の最後は「オン・ザ・サニーサイド・オブ・ストリーツ」。札幌はまだ雪が残っていたけど、歩道の日の当たる側だけ完全に乾いていたのが印象的でした。
3月24日(月)名古屋市「得三」

今日の得三は、ぼくとリクオと奇妙礼太郎くんとバンバンバザールで「ホーボー・コネクション」。
バンバンのしゃべりがめちゃんこ威力がありました。
奇妙くんはやはりすごくいい声で、つい聞きほれてしまう。
3月23日(日)加古川市「チャッツワース」

お昼に行った京都の「ガケ書房」でぼくとユミはのんびりしすぎて、大慌ての加古川への移動でした。
なんとかリハーサルの時刻には間に合ったけど。
加古川の商店街の桜がもう咲いていました。店に着いたとき、ぼわーんとした匂いがぼくにもわかりました。
そのせいかもしれないけれど、今夜はしゃきっとした演奏ができたような気がします。
3月22日(土)京都市「拾得」

リクオがプロデュースする「ホーボー・コネクション」ライブシリーズ。
「拾得」でのぼくの共演者はリクオと吉田省念くん。一人ずつの持ち時間はソロに比べたら短いものの、全体ではとてもボリュームのあるコンサートでした。
この日初めて会った省念くんとふたりで「大道芸人」を歌いました。
最後にアンコールが鳴り止まず、リクオがソロで歌ったのですが、拾得の音出し制限時間の9時にぴたりと終わったのはさすがした。
3月21日(金)横浜市「ドルフィー」

板橋文夫さんとの年に一回のセッションの日。
本当はもう少したくさんやりたいのだけど、機会がないまま時間が過ぎています。
今回は新曲が一曲と、後は過去にセッションしてきた膨大な数の曲の中からしばらくやっていなかったようなものを選びました。でも、最後はやはり「夕日は昇る」で締めくくり。
なんだか今年の板橋さんはおしゃれな服装でした。

3月20日(木)「ヒネミの商人」

宮沢章夫さんの代表作の一つ、「ヒネミの商人」の21年ぶりの再演をユミと見に行きました。
当時ぼくたちは見ていなかったので、今回「ヒネミの商人」を見ることができてうれしかったです。
それぞれ個性的な人物たちが入れ替わり登場するし、なかなか一つの場から離れることのできないしがらみのようなものが登場人物たちを取り巻いていて、観客としてそれを見ながらも、作中の人々と同じように疲労していく。特に銀行員の渡辺さんには知らず知らずに感情移入していました。
10日間の公演の初日なのに、ぎこちないところは一つもなく、おもいっきり楽しめるお芝居です。
3月18日(火)「リハーサル」

3月30日のスターパインズのためのリハーサルをしました。
今回はギターリストの佐藤克彦さんとクラリネットの安藤健二郎くんが参加してくれます。
特に佐藤さんはぼくとの演奏は今回が初めてなのに、曲数も多めにやってもらう予定です。
3月16日(日)長崎「御飯」

「友部さん、10年ぶりの御飯です」と主人の吉村さんに紹介されたとき、10年も食べていない人になったみたいでした。
確かに「御飯」がライブをやらなくなって、なんとなく長崎から遠ざかっていたような気がします。
長崎は歩きながらの買い食いが楽しい街でもあります。ぶた饅、鯨カツ、かまぼこなど、散歩しながら、いろんなものを買ってしまいました。熊本からの長時間移動でお腹がすいていたこともありますが。
3月15日(土)熊本「くまもとフォーク村」

4年前から毎年ライブをしている小さなお店です。すぐ前にお客さんがいるので、つばが飛ばないか心配になるほど。もともとフォーク好きの人が集まっていて、いろんな職業の人がいておもしろい。
人生はいろんな職業を経て、やがて歌にたどり着く、という感じかな。
3月14日(金)福岡「LIV LABO」

バンバンバザールの新しい拠点「LIV LABO」でライブをしました。去年の10月に下見をした
ときにはまだ倉庫のような状態だったのに、人間的なぬくもりのある空間に変身していました。
この日はバンバンの福島くんもわざわざ東京からかけつけ、社長ならぬ店長として活躍していました。
ビデオの設備があるというので、2、3年前に詩の朗読用にニューヨークで撮影した映像を壁に映して、歌と詩の朗読をしました。
3月11日(火)「インサイド・ルーウィン・デイビス」

コーエン兄弟による新作映画「インサイド・ルーウィン・デイビス」の試写会に行きました。
去年の12月にアメリカで封切されてからずった見たかった映画。
長年ぼくのブルースギターの先生でもあったデイヴ・ヴァン・ロンクの自伝を元にしていますが、ストーリーはこの映画独自のものなので、デイヴのことがそのまま描かれているわけではありません。
ルーウィン・デイビス役の若者は、デイヴではなく、新しいフォークシンガーを演じているような気がします。
そして時代は、モデルになった1961年ではなく、現代のニューヨーク。
宣伝担当の方からサウンドトラックのコピーをいただいて、家で聞いたのですが、最近のニューヨークで聞く若いバンドとあまり変わらない。アメリカは変わらない国なのかもしれません。
浮かび上がれないフォークシンガーの主人公を見ていると、自分とそんなに変わらないことに気づきます。
そういう意味では、たぶん、だれが見ても身近に感じるような映画。音楽を担当したTボーン・バーネットが「主人公はボブ・ディラン以外のすべての歌うたい」と表現していますが、まさにぼくもその一人なのでしょう。
3月9日(日)「金沢市 ジョーハウス」

雨が降り始めていた金沢、そんなに寒くはなかったのにライブ中に雪に変わったようで、ライブが終わった8時半頃には10㎝以上積もっていました。でもお客さんたちはそんなにびっくりもしないで帰って行った。
やっぱり金沢は雪国なのかもしれません。
いつもこの時期にライブをするので、ジョーハウスにはアルバイトをする学生たちのさよならパーティのような雰囲気があります。学生生活の締めくくりはぼくのライブというわけです。その人たちの片隅に、ぼくの歌が少しでも残ってくれたらいいな、と思います。
3月8日(土)「高山 ピースランド」

ピースランドは古民家を改造した子供の本屋さんで、奥にカフェやギャラリーがあって、
ライブはそのギャラリーでしました。
リハーサルの後、近所の大黒屋という蕎麦屋に一人でそばを食べに行きました。ここは2年前に震災の特番を見た店です。そしたら今日も震災の特番をやっていました。もうすぐ3月11日なのですね。
子供たちの、大人たちへの素朴な疑問が良かった。子供たちのように金勘定を度外視してものを見れば、物事はもっとわかりやすくなる、と思いました。
週刊金曜日に『ぼくの田舎』も紹介されていたりして、「日本に地震があったのに」はまだまだ歌っていこうと思いました。
3月7日(金)「松本市 ALECXS」

雪はないけどかなり寒いところに来たという感じがしました。松本駅の温度計は-2度。
横断歩道で信号が変わるのを待つのがつらいのは、ニューヨークに似ています。
今回はALECXSというライブハウスではじめてライブをしました。PAや照明の整ったちゃんとしたライブハウス。
楽屋のスティッカーなんかを見ていると、普段はパンク系のバンドのライブが多いのでしょう。
前半に客席からのリクエストの声がいくつかあったので、休憩時間に紙に書いてもらったら、10曲ぐらいのリクエストが集まりました。後半はその中からいくつかを選んで歌いました。
3月4日(火)「水戸 ガールトーク」

なかなか茨城には歌いに来れないのに、今回のツアーはめずらしく茨城と福島が2か所ずつ。その最終日は水戸のガールトークでした。
いつもそんなにたくさんのお客さんが聞きに来てくれるわけではないのですが、なぜか歌いに行きたくなるお店です。照明を落として、暗くしているのが特徴です。
狭いのにお客さんの顔はみえません。そのせいか落ち着いて歌えるのがいいです。
店の大人っぽい雰囲気に救われているのかもしれません。
3月3日(月)「えすぺり訪問 そして郡山ラストワルツ」

もうだいぶ前、福島県船引町にかぼちゃ小屋というフリースペースで、ぼくは毎年定期的にコンサートをしていました。
そこのオーナーの大河原伸さん、多津子さん夫妻は、無農薬でお米や野菜を作ったり、牛を飼ったりしています。農業だけではなく、人形劇や、一人芝居、歌も歌っています。
農業をやるように表現活動をし、表現活動のように農業をしています。
そんな大河原夫妻が去年の7月にオープンした無農薬野菜やいろんな食品の販売センター「えすぺり」を見に行きました。郡山の伊藤さんが車でいわきまでぼくとユミを迎えに来てくれました。
「えすぺり」とはエスペラント語で、希望という意味らしいです。
原発事故の後、福島で無農薬の農業を続けることは大変なことです。
そんなにも大変な現在を、「えすぺり」を運営していくことで乗り越えようとしている大河原さんたちを応援していきます。

毎年のようにライブを続けてきて、ラストワルツはぼくにとってなつかしく、とても好きな場所です。主人の和泉さんが好む音楽も好きだし、働いている人たちもとてもやわらかい。全体に雰囲気がいいのです。お店は生ものだなあと思います。
そんなお店を新鮮に保つのはきっと音楽なのでしょう。
音楽は必要なものなのだと、いつもラストワルツでは思います。
3月2日(日)「いわき文化センター大ホール」

植田さんとるみさんとユミと四人でいわきの会場まで車で向かいました。
「言葉の未来」と題された、谷川俊太郎さんの詩の朗読と、ぼくの歌のイベント。
主催はいわき市教育文化事業団。
はがきで応募すればだれでも無料で参加できる催しでした。
最初に谷川さんが紹介されて、詩人、草野心平さんのことを書いた詩と、「友部正人風に」という詩を朗読しました。
ぼくは客席から「ドント・シンク・トゥワイス」を歌いながら登場。歩きながら歌うのはなかなかむずかしかった。
その後はずっと2時間、ステージに谷川さんとぼくは出ずっぱりで、歌を歌ったり、詩を朗読したり、二人でおしゃべりをしたり。
ステージでは谷川さんはいつもぼくをリラックスさせてくれます。
おかげで、全部ぶっつけなのに、ずいぶん楽しい時間が過ごせました。
生で語り合うことの良さを最大限に表現できる方だと思いました。
3月1日(土)「つくば食堂 花」

つくばといえば、以前はよくアクアクというお店に歌いに行っていました。
今回は13年ぶりのつくば。ちょうど2011年の震災のときにできたというまだ新しいお店、「つくば食堂 花」でライブをしました。
オーナーの植田さんはまだ37歳で、東京や京都で和食の修業をしてきた
そうです。
ライブはたまにしかしないそうですが、今回、とても熱心に誘ってもらいました。
おかげですてきな場所に出会えた。若い人たちはとてもいいお店を作ります。
まだ新しいお店が、いつか古くなっていくのを見たくなりました。
2月24日(月)「あさって笑う」

南青山マンダラの企画シリーズ、「あさって笑う」の第3弾です。今回は前野健太くんと。
前野くんと一緒にライブをするのはこれが2回目ですが、彼の歌はぼくもユミも前から好きでした。
ぼくは彼の、ニューヨークのリンカーンセンターやブルックリンのライブを聞きに行ったこともある。
前半に前野くんがたっぷり1時間以上歌い、休憩の後、ぼくもたっぷり10曲歌いました。
10曲目は前野くんの「ファック・ミー」のカヴァーの途中に「おしゃべりなカラス」を挟んで歌うという試みを。
リハーサルで前野くんが「ファック・ミー」を歌っているのを聞いて、ユミが、これって「おしゃべりなカラス」と同じコード進行だね、と言ったのをヒントに思い浮かんだ構成でした。
「ファック・ミー」はニューヨークで初めて聞いて以来好きな曲だったので、自分で歌えたのがとてもうれしかった。
2月23日(日)「葉山」

葉山のDays 386 というカフェで、バンバンバザールの福島康之くんと二人だけで、ゲリラライブをしました。
告知は1週間前の福島くんのツイッターだけ。お店の方たちは30人ぐらいを見込んでいたようですが、実際に来てくれたのは10人ぐらいでした。突然の葉山ということで、葉山在住の知人に連絡をしたら、その人たちも二部から来てくれた。
こういう、告知なしのライブっておもしろいです。お店の方にとってはどうかわかりませんが、これからも歌いたくなった衝動にまかせて、やっていきたいと思います。
2月21日(金)「リハーサル」

3月30日のスターパインズのためのリハーサル。
ギターリストの佐藤克彦さんと二人でリハーサルをしました。佐藤さんとは以前から知り合いでしたが、今回初めてライブで一緒に演奏してもらいます。一人だけど、5人分ぐらいの楽器を用意して、曲に合わせて使い分けていました。いいライブになりそうで、楽しみです。
2月20日(木)「もっと泣いてよ、フラッパー」「葉山のお知らせ」

バンバンバザールのベーシストの黒川くんが生演奏で出演していると聞いていたので、バンバンの福島くん、ユミと3人で見に行きました。会場は渋谷のシアターコクーン。15分の休憩を含めて3時間半もあるミュージカルです。
場面場面のつながりが希薄で、でもすべては貯金で、最後の主題歌「もっと泣いてよ、フラッパー」で泣けてしまいました。
今家に帰ってから思い出しているところですが、心の中に全部持ち帰った感じがします。
松たか子さんは声が澄んでいてきれいでした。ピアノのkyOnもギターの佐橋さんも、ミュージシャンはみんな舞台に出ずっぱりでした。目の前で生身の人が演じるお芝居は、一度見るとくせになるかもしれません。
くせのある役者というものは心に残ります。

ライブのスケジュールには載っていませんが、2月23日(日)に、葉山のお店で、バンバンバザールの福島くんと二人でちょっとした遊びのライブを決行します。
2/23(日)葉山・Days386 046-876-5750 出演:友部正人 、福島康之(バンバンバザール)
17:00 /18:00 Charge/投げ銭!(+1order) 定員(30名)詳細はお問い合わせ下さい! http://ow.ly/tFQIJ
2月16日(日)「森山直太朗」

NHKホールに、森山直太朗くんのコンサートをユミと聞きに行きました。
考えてみればぼくもユミも、直太朗くんの単独のコンサートを聞くのは初めてでした。
「さくら」「レスター」「生きているのがつらいなら」などの彼の代表曲の中にあっても、新作『自由の限界』におさめられていた「どこもかしこも駐車場」と「小鳥」が目立って素晴らしかった。
虫のコントなど、御徒町くんの演出も奇抜でした。
一度目のアンコールのあと舞台裏に移動していたぼくとユミは、二度目のアンコールを終えて舞台から戻って来た直太朗くんを最初に迎える両親のような役割を演じてしまいました。
それでも高揚して舞台から戻って来た直太朗くんを最初に見られたのはラッキーでした。
2月15日(土)「またまた大雪、ギャラリートーク」

昨日降り続いた雪は夜中から雨に変わり、それでも雪は大量に残っていて、今朝もアパートの住人たちの雪かきでした。だけどぼくは今日は午前中から予定があって参加できませんでした。
バス停に行くと、バスは途中までの折り返し運転で、高台にあるバス停までは来ていません。
ぼくとユミはしばらく歩いてやっと来たバスに乗りました。
横浜スタジアムでバスを降りて、伊勢佐木町まで歩くつもりだったけど、歩道は雪で歩きづらく、車道を歩いたりしながらやっとギャラリーまでたどり着き、ちょっと遅刻したけれどギャラリートークの話は聞けました。
アトリエ21のメンバー3人の展覧会で、冬の山形の旅と、その旅の間に描いたデッサンや油絵の展覧会です。
絵を見ながらの解説は、ドキュメンタリー映画を見ているようでとてもおもしろかった。アトリエ21のメンバーは、広田稔さん、上田耕造さん、岡田高弘さんの3人で、芸大の同期だそうです。
2月9日(日)「雪かき」

昨日の夜から降り続いた雪がすごく積もりました。27センチということでしたが、このあたりはもっと積もったかも。
公園まで走りに行こうとしたら、外に出たところで「ありがとうございます。」とアパートの理事長さんに呼び止められ、急きょ予定を変更して、ランニングシューズのまま、アパートの住人たちと一緒に雪かきに突入。
駐車場や通路の雪かきに、住人20人ぐらいで2時間かかりました。でもおもしろかった。スコップの数が足らなくて、ちり取りやビニールシート、そりやバケツなどを使っての雪かき。全員に配られた熱い缶コーヒーがおいしかった。
そのあと公園に行ってみましたが、とてもランニングなんてできる状態ではありませんでした。
子どもも大人もそり遊びやかまくら作りをしていました。
1月16日以降の日々
だいぶ長い間書いていなかったので、まとめて書くことにします。

『かぐや姫の物語』という映画を見に行きました。物語も良かったけど、何よりも二階堂和美さんの歌う『いのちの記憶』という主題歌が良かった。すぐにユミがCDを買ってきて、しばらくはそればかり聞いていました。

横浜の根岸森林公園のそばに引っ越してきて、半年過ぎました。1月はニューヨーク行きを取りやめにしたので、ライブもなく、毎日のようにユミとこの近所を走っていました。
時間があるときにと、入居時に付いていた古いエアコンを4台全部取り替える作業で二日間工事の人が来たり、洗面所の工事もありました。

この建物に、広田稔さんという画家夫婦が住んでいて、仲よくなりました。広田さん夫妻に家に遊びに来てもらい、二日酔いになるまで飲んだり、ぼくたちも広田さん家に呼ばれ、遊びに行きました。広田さんはものすごく音楽が好きで、絵のことよりも音楽の話ばかりしています。ぼくの歌も中学生のころからリアルタイムで聞いていたそうです。
ほかにも、ニューヨークの友達が遊びに来たり、この間は最近知り合った出版社の方が来ました。二人とも1976年生まれなので、息子の一穂と同じ年だと思いました。

雲遊天下の締切で、おととしの12月に死んだニューヨークのシンガー・ソングライター、フランク・クリスチャンのことと、彼と一緒に作ったぼくの「放浪者」という歌のことを書きました。エッセイはどうも苦手ですが、書かないともっとへたになるので、やっぱり書く方がいいな、と思っているところです。

ライブがないとあまり報告することもありません。自分のことではないけれど、『100万回生きたねこ』でしろねこを演じた満島ひかりさんが、読売演劇賞の杉村春子賞をもらったそうです。おめでとう。

今月はユミのお母さんが貸してくれた古い日本の映画をたくさん見ました。古い日本の映画には、貧しかった戦後の日本の暮らしがそのままとらえられていておもしろいです。一つの映画の中に、当時のあらゆることまで収められていて、たぶんそういうことは意図したのではないと思うけど、今の映画にはないことだと思いました。今の映画が仕上がりを作りすぎていてCDみたいだとしたら、戦後すぐあたりの日本の映画は、聞こえない音まで刻んでしまうLPレコードみたいです。一番印象に残っているのは、『心に花の咲く日まで』という芥川比呂志と淡島千景が主演した映画でした。
1月15日(水)「ハンナ・アーレント」

再びジャック&ベティに映画を見に行きました。
今日のはドキュメンタリーではなく、「ハンナ・アーレント」という哲学者の話。夜8時からの上映に行ったので、眠くなるのがこわかったけど、不思議な緊張感があって眠らせてはくれません。
その緊張感に自分で気づくと、これはとてもいい映画だとわかってきました。もしかしたら今までぼくが見た映画のベスト5に入るかも。映画の最後、ハンナの大学での講義でユミは泣いていました。
「私もあの日の教室にいたかった」のだそうです。
家に帰って、ハンナ・アーレントがニューヨーカー誌に書いて物議をかもしたという1963年の記事を、ぼくが持っているニューヨーカーの全記事の読めるアーカイブで探したら、ちゃんとありました。
そのうち読んでみよう。
1月13日(月)「バンバンバザール、中山うり」

成人の日で、横浜駅にもちらほらと晴れ着の女性がいて、駅のあたりを晴れやかな雰囲気に変えていました。

サムズアップでバンバンバザールと中山うりさんのライブがあってユミと行きました。
黒川くんは今度ミュージカル「もっと泣いてよフラッパー」にベース奏者として出ることになり、目下稽古の真っ最中だそうです。なんとなくいつものバンバンの黒川くんに別のものが混じっていて、だいぶ真面目な人になっていた。バンバンの新曲は聞きながら歌詞を耳で追いかけていくような音楽。ちょって今までのバンバンにはなかったいい感じがします。
1月12日(日)「最近見た映画」

去年の暮れに横浜ジャック&ベティでニューヨーク在住のアーティスト夫婦、篠原有司男と篠原乃り子のドキュメンタリー映画を見ました。ずっと見たかった映画。ニューヨークでは満員で2回見逃している。そのときは2回とも篠原夫婦が上映後のゲストとして質問に答えたりしたらしいです。

キャンバスにボクシングしながら絵を描く人、としか知らなかったけど、現在81歳、魅力的な人です。
ひょんなことから篠原有司男と結婚してしまった乃り子、自分をモデルにしたキューティーの絵物語、見たくなりました。この映画のタイトルは「Cutie And The Boxer」です。

今年に入ってもう一本、中国のアーティストを撮ったドキュメンタリー映画「アイ・ウェイ・ウェイは謝らない」をジャック&ベティで見ました。ユミが「もう上映期間が終わっちゃうよ」というので大慌てで見に行った。
アーティストとしても堂々としているけど、生き方もとても堂々としている。こんな人、今の日本にはいないだろうなあ。いろんな国の人に、それぞれの母国語で「Fuck」と言わせているけど、そこにも日本人はいなかった。そんなところが今の日本、「Fuck」だね。