友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。



ASAKURA BankART Theater のパフォーマンス・プログラムの一つとして、「ひとりno media 映像編」をしました。NYK倉庫ギャラリーの3階に組まれた、朝倉摂さんによる木造の回廊を舞台と客席にしました。
読んだ詩は「ニューヨークの観光客」「夏の暑さ」「暑さのせい」「七月の木馬」「左足と右足」など13編。
朗読に合わせて、デジカメムービーでぼくが撮影した、ニューヨークの街の風景、自然や空などの映像を上映しました。
朗読はマイクを使いましたが、後半の歌では全くのノーマイク。よく響く会場なので、歌ではマイクは使わない方が歌詞がよく聞き取れたからです。生で歌うととても響きが良く、5曲歌った後、アンコールもしました。

「ひとりn media」はこれからどんどん変化して行くと思います。いろんなことをまだ試している状態です。
ぼく個人としては、映像にはあまり動きがない方がいいと思うのですが、見ているとそれはちょっと退屈かもしれません。
動画は景色よりも、自分の体の動きに連動したようなものの方がおもしろいとぼくは思いました。

11月23日に東中野のポレポレ坐でもう一度やります。見て、感想を聞かせてください。

友部正人
10月17日(日)「郡山 ラストワルツ」

「火星の庭」の前野さんの誘いで、ユミと塩竈のエスプに「海からの贈り物/中村ハルコ写真展」を見に行きました。
出産や旅からの贈り物を大切なものとして残そうとする気持ちがとても美しいと思いました。サラサラと音のする写真でした。 
ぼくとユミが参加している「火星の庭句会」の主宰の渡辺さんが塩竈の町を案内してくれました。

友人のアーティスト浅井裕介くんが仙台の商店街で作品を作っているというので見に行きました。彼とは6年ぐらい前に横浜のBankARTで知り合いました。彼のアートはマスキングテープ、ペン、泥、とシンプルな素材ばかりを使う、大勢の人を巻き込んでいく終わりのない絵画です。
まだ29才。これからの長い旅が彼の巨大な絵を完成させるに違いないです。

そんなこんなで、仙台ですっかり時間をとられてしまい、テリーさんの車で郡山にたどり着いたのは、ライブの開場時刻の6時でした。
焦って準備しましたが、でも今日は太陽を2個吸い込んだような勢いでライブをすることができました。
お客さんの感想によれば、声がよく出ていたそうです。次回はぜひ東京ローカルホンクとやりたい、と思いました。

明日の横浜のBankART NYKを残して、この秋のライブが終了しました。明日は詩の朗読と映像がメインのライブです。
普段やらないことですが、今一番自分で試してみたいこと。
それが終われば、21日から11月15日までまたニューヨークに戻ります。今回はニューヨークシティマラソンがメインです。

友部正人
10月16日(土)「仙台 カフェモーツァルト」

仙台では一番素敵な場所にある、ギャラリーのお店「カフェモーツァルト」。ここで2年半ぶりにライブをしました。
人々が思い思いにソファーに腰かけて音楽が聞けます。ぼくもそんな思い思いの一人になって演奏できました。
声が前にまっすぐ出たのは自由な雰囲気のせいでしょうか。ぼくの歌に手ごたえの感じられる夜でした。
仙台はぼくもユミも大好きな街。そんな街でいいライブができたと思いました。

友部正人
10月15日(金)「山形 ノイジーダック」

ぼくの7年ぶりの山形ライブでした。歌っていておもしろかったのは、お客さんの反応が熱かったこと。
たぶんお客さんの数が少なかったので、いる人だけで存在感を発揮しようとしてくれたのでしょう。
実際、みんなとても楽しんでいました。だからぼくも演奏を楽しみました。

友部正人
10月11日(月)「静岡 Ami 助産院」

住宅街にある一軒家の小さな助産院でライブをしました。コルク敷きの板の間が客席で、その一角にある畳の部分がステージ。ステージには四国からやってきた岩本くんによる、大きな花瓶と植物を使った、生と死を表現した作品が置かれました。

助産院の近藤くんや四国の岩本くんは25年ぐらい前に、ぼくを日大の学園祭に呼んでくれたことがあります。
(ユミが長年発行していた友部正人オフィスの新聞「リクエストタイムズ」は彼らが大学からうちに持ってきた謄写版セットがきっかけで始まりました。謄写版が壊れる50号まではガリ版刷りでした。)助産院のAmiさんと近藤くんはその頃からカップルでした。今は結婚して中学生の娘、沙良さんがいます。
今夜はAmiさんたちの長年の友だちだけではなく、ぼくのライブのお客さんもたくさん来てくれて、小さな会場は50人の人でぎっしりといっぱいでした。

友部正人
10月10日(日)「ベンダ・ビリリ」

横須賀芸術劇場に、コンゴ共和国から来た「ベンダ・ビリリ」を聞きに行きました。
ぼくはあまり予備知識がなかったけど、ユミは前から聞きたいと思っていたそうです。
たまたまバンバンバザールの福島くんが行くというので、ぼくともユミも一緒に横須賀に聞きに行くことにしたのです。
歌詞はリンガラ語だということですが、日本語訳がステージのバックに映されたので、歌詞の意味もわかって、音楽をより楽しめました。
ありのままの感情がありのままの言葉になって飛び出し、それが希望を乗せた列車になって今日本を走っています。ぼくらは今日それに飛び乗ったのです。

福島くんの車で一緒に横浜まで戻り、BankARTで、今度の19日の「ひとりno media」のリハーサルをしました。朝倉摂さんの作った回廊型の客席をどう使うか、ぼくが撮った映像をどこにどう映すか、テストしたのです。
当日は歌も少し歌いますが、映像に詩をつけた最近の作品を朗読します。お楽しみに。

友部正人
10月9日(土)「ハロルド・ピンター」

BankARTに、ハロルド・ピンターの1962年のお芝居「コレクション」をユミと見に行きました。
最近ピンターの本を読んだばかりだったので、とても見たかったのです。
暴力が起こりそうで起こらない、緊張感のあるお芝居でした。

友部正人
10月8日(金)「吉祥寺 スターパインズカフェ」

東京ローカル・ホンクとの「クレーン」発売記念ツアーの最終日。
ぼくにとっては久しぶりのバンドツアーでした。

4箇所のライブでしたが、アルバムの中の曲はどれもまだ新曲のままです。
何回やっても「またやろうね」としか言えない、うれしいライブツアーでした。
曲順もほぼ毎日同じでしたが、今夜はアンコールで4曲やって、一番たくさん歌いました。
12月にまた横浜でこのメンバーでやります。今夜見られなかった人はぜひサムズアップで聞いてください。

友部正人
10月6日(水)「名古屋 得三」

今回のツアーでは東京ローカル・ホンクのコーラスが効き目を発揮しています。コーラスがかぶってくる部分は
植物でいえば花の部分です。自然にステージが明るくなるようです。
今日の演奏は最初少々力みすぎのようでもありましたが、途中から自然に力が抜けてきて、素直にやれたと思います。
アンコールで毎回東京ローカル・ホンクが一曲だけ自分たちの曲を演奏しているのですが、今日は「目と手」という曲をやったので、そのあとぼくはそれに合わせてぼくの新詩集「退屈は素敵」から「子供の目、おとなの手」を朗読しました。

友部正人10月5日(火)「京都 磔磔」

昨夜と演奏曲目を2曲入れ替えただけなのに、コンサートの雰囲気は変わるものです。少し雰囲気の変わった新鮮さと、二日目でぎこちなさのなくなったぼくたちの演奏は、自然に盛り上がりました。ツアーをしていると必ず一日はこんな風にすべてのタイミングが合うような日があるものです。たぶんそれが今日だったのでしょう。
いろんなメリハリの部分がコンサート全体にいきわたっていたようです。
今後のツアーがますます楽しみになってくるようなライブになりました。

友部正人10月4日(月)「大阪 シャングリラ」

東京ローカル・ホンクとの「クレーン」発売記念ツアーの初日は大阪でした。
新曲とぼくが歌いなれた曲をいり混ぜて演奏しました。そうすると曲の合間にほっとした場所が生まれます。
合間にほっとする場所があるのはいいものです。
今日は初日なので前半ぎこちない部分もありましたが、それは後半の演奏で解消されたと思います。
アンコール最後の、ぼくもふくめて全員ノーマイクでの「ロックンロール」のコーラスのハーモニーには大勢の人が感心していました。

友部正人10月2日(土)「倉敷 蟲文庫」

倉敷の古本屋「蟲文庫」でコンサート。4年ぶり、3回目です。35人でいっぱいの小さなコンサート。ぎっしりの本に囲まれたおもしろい環境です。たまたま岡山あたりをツアーしていた知久くんも聞きに来てくれたので、アンコールで登場してもらい、「ぼくの猫さん」と「あいてるドアから失礼しますよ」の2曲を一緒にやりました。打ち合わせを全くしなかったのに、ずいぶん前にやったきりの歌を知久くんはほぼ完璧に覚えていて、ユミは後で感心していました。
蟲文庫の田中美穂さんは、「苔と歩く」という本を出してからは、コケ博士として知られています。楽屋として使わせてもらった二階の部屋の机には、顕微鏡が2台ありました。

友部正人10月1日(金)「多摩川」

ニューヨークシティマラソンまで1ヶ月とあとちょっと。ユミと、ニューヨークでランニング友だちになった岡田さんを誘って多摩川を走りました。京急の六郷土手にある温泉のロッカーに荷物を預けて、多摩川の河原を、ユミは東横線(往復1時間半)まで、ぼくと岡田さんは東名高速道路(往復3時間)まで走りました。
温泉に入ったあとご飯を食べに行って、お金を払うとき、ぼくと岡田さんの財布から紙幣が全部なくなっていることに気がつきました。どう考えても鍵をかけたロッカーの中から盗まれたとしか思えず、温泉に戻って報告すると、「たまにあるんですよね。
だから貴重品は番台に預けるよう張り紙もしているのですけどね。」なるほど、確かにあちこちにその張り紙が。ユミは入ってくる男たちがみんな財布を番台に預けるのを見ていたけど、そのときは理由がよくわからなかったそうです。

友部正人9月28日(火)「ツアーリハーサル」

朝から雨でしたが、目黒区のスタジオで東京ローカル・ホンクと夜までリハーサルをしました。
何のためのリハーサルかというと、9月17日に発売になった「クレーン」のレコ発ツアーです。
10月4日から10月8日まで、大阪、京都、名古屋、東京でライブをします。

「クレーン」の中の、ローカル・ホンクと一緒に録音した11曲と、以前に一緒に演奏したことのある曲を何曲か練習しました。
歌っていると、ライブ中のときのような気持ちの高まりを覚えました。ローカル・ホンクと一緒に演奏していると、
ソロの状態のときと同じ高まりに襲われます。それはローカル・ホンクのサウンドがナチュラル志向だからでしょう。
「クレーン」は全曲一発録りなので、CDのサウンドがライブでも再現できるのもうれしいです。
特に関西や名古屋の方たちへ、こんな機会はなかなかないのでぜひ聞きに来てください。

友部正人9月26日(日)「芦別 ディラン」

旭川から芦別に行く途中、カムイコタンという場所に寄り道しました。
石狩川がここだけ狭くなっていて、起伏に富んだ景色を作り出しています。
三宅くんと二人で、塩茹でしたとうもろことをまるかじりしました。

前回ぼくと三宅くんがディランに来たのは、去年の5月、ぼくの誕生日でした。
そして今回は「ロックンロール、やってます」の発売記念。

三宅くんが日本語にした、ボビー・チャールズの「スモール・タウン・トーク」を初めてやりました。また、久しぶりに「ゆうーつ」なんかもやりました。
ディランの伊藤夫妻がぼくの喉に気を使って、ダイコンと蜂蜜の汁やうがい薬をくれました。よく効いて、おかげで最後までバッチリ。

ぼくの友人で、厚岸で牡蠣を作っている中島さんが、生の牡蠣を打ち上げ用に大量に送ってくれました。とろけるような舌触りでした。

友部正人
9月25日(土)「旭川 アーリータイムズ」

今朝の旭川は4度だったとか。土蔵作りのアーリータイムズは、夕方になってもひんやりしていて、リハーサルのときも長袖の上着は着たまま。

ぼくも三宅くんも6年ぶりのアーリータイムズです。
ぼくは風邪をひいてのどの調子は最悪でしたが、その分歌に気持ちを集中できたみたいで、演奏の方はとても満足。
三宅くんは気を使ってくれて、1、2曲、自分がボーカルをとる曲を増やしてくれました。

友部正人
9月24日(金)「札幌 のや」

今夜は詩集「退屈は素敵」のささやかな発売記念です。
自分で撮った映像を使いながら、詩の朗読をしました。
映像はデジカメのビデオモードで撮っていて、お手軽な感じのものです。
大阪の演劇フェスティバルのために作ったものに、少し工夫を加えました。
「のや」で用意してくれた音響用ミキサーが役に立ちました。
歌のパフォーマンスはなかったのに、来てくれたお客さんたちに感謝です。

友部正人
9月23日(金)「札幌 くう」

三宅くんとの三日間の北海道ツアーの始まりです。去年の5月、札幌での主催者の木下さんが、ぼくと三宅くんのライブのポスターにデザインして「ロックンロール、やってます」と何気なく一言入れたことが、そのままぼくたちのライブ盤「ロックンロール、やってます」のタイトルになりました。

そんなこともあって、今夜のライブはぼくたちの里帰りでした。
「ロックンロール、やってます」の中の曲だけではなく、ぼくの「クレーン」からも3曲一緒にやりました。
三宅くんのギターは相変わらず素敵で、ぼくも久しぶりに体を揺らすライブができました。

友部正人
9月22日(木)「小樽 ぐるぐる」

「クレーン」が出て最初のソロライブでした。札幌の木下さんの車でぐるぐるに着くと、店の入り口で店主の手塚くんが半そでのTシャツ一枚でぼくたちを待っていました。今日の関東地方は30度を越えていたのに、小樽はその半分の15度でした。

明日からの三宅伸治くんとのツアーを意識して、今日は「クレーン」や「歯車」の中の曲を中心に歌いました。

友部正人
9月20日(火)「Asakura BankART Theater」

横浜の馬車道にあるBankART NYK 3階で、朝倉摂さん製作の回廊を使ったパフォーマンスをユミと見に行きました。出演は文殊の知恵熱と村田峰紀さん。
文殊の知恵熱は、金属などで音を出すパフォーマンスで、村田さんのは自分の着ているシャツにクレヨンで色を塗るパフォーマンス。
ちゃんと準備されていても、出たとこ勝負みたいなところもあり、見ていてとても楽しい。

10月19日にぼくもこの回廊を使って「ひとり no media」をやります。
プロジェクターで映像を流しながら詩を読んだりする予定です。

それにしても暑いですね、関東地方。ニューヨークはずっと20度前後だったので、特にユミはだいぶ堪えてます。

友部正人
9月17日(金)「クレーン」

昨夜ニューヨークから戻りました。16日の朝日新聞夕刊の「今月の10枚」で、小倉エージさんが「クレーン」を紹介してくれていました。自分の新譜がここで紹介されるのはとてもうれしいです。

今日うちに、「クレーン」や「退屈は素敵」が工場や出版社から届きました。
留守中にCDや詩集を郵便振替で申し込んでくれた人たちに、さっそくユミが発送していました。お待たせしました。

友部正人
9月14日(火)「運転免許」

自動車の運転免許を取ろうかと思って、申し込み所に行きました。
ところが長蛇の列で、とても待ってはいられなくて、次回にすることにしました。

ぼくたちのアパートの近所のスリフトショップでは今日、洋服や靴がすべて1ドルというセールをやっていました。ユミが言うには、一人で100着ほど買っている人もいたそうです。
本はオール50セント。当然いい本はとっくにありませんでした。
うれしかったのは、先日のオペラ上映会で、「ばらの騎士」に出ていたルネ・フレミングのCDがあったこと。

明日のお昼の飛行機で成田に向かいます。日本もわりと涼しいそうですね。

友部正人
9月11日(土)「灯篭流し」

ナインイレブンの犠牲者を追悼するイベントがハドソン川のハウストンストリートのピアであり、灯篭流しをするというのでぼくとユミはダウンタウンまで見に行きました。
すでに式は始まっていて、お坊さんたちのお経のあと、ゆっくりと時間をかけて灯篭流しが始まりました。
はじめはなぜ灯篭を六つずつつなげているのかな、と思いました。ばらばらにして漂わせた方が自然できれいだからです。(灯篭は最終的に100以上ありました。)

ユミから聞いてわかったのですが、ワールドトレードセンターの跡地から上空に向けて伸びる光の筋に呼応させていたのです。まっすぐに伸びる光の塔に、まっすぐにつながる
魂の舟。なるほどなあ。でも灯篭はやっぱり一つずつぷかぷか浮いているのがいいな。

友部正人
9月10日(金)「ケベック 3」

これからニューヨークに帰ります。モントリオール行きの電車はさっきケベックを出たところ。
電車に乗る直前まで、町で自転車のレースを見ていました。
スタート時刻が近づくと、なぜかユミも緊張していました。
一周12.5キロのコースを15周するそうです。朝そのコースをランニングしてみたけど、58分ぐらいかかりました。途中にものすごい下り坂と、それを上回る上り坂がありました。それなのに、選手たちは20分もかからないで自転車で一周してきます。
そのまま5時間以上走り続けるわけです。なかなかこれはすごいことです。
日本の選手が出ていました。速すぎて、目の前を通り過ぎても応援できませんでした。

友部正人
9月9日(木)「ケベック 2」

昨日からカナダのケベックに来ています。昨日は城壁の内側の旧市街地をうろうろするだけで終わってしまいました。
今朝は雨も上がって、ぼくは3日ぶりのランニング。

旧市街の真ん中にあるノートルダム寺院のお昼からのミサに行ってみました。
ミサをしている間も、観光客が通路をうろうろして、とても落ち着かない感じです。
ぼくたちも観光客ですけど。
ユミは大きなろうそくに火をともして(この火は5日間消えないそうです。)、沖縄の楽人くん(1歳)のためにお祈りをしていました。
楽人くんは白血病のためもう三ヶ月も入院しています。

セント・ローレンス川の埠頭にクイーンマリー2世号が停泊していたので、そばまで行ってみました。本当に大きくて感動しました。クイーンマリー2世号は以前、横浜のベイブリッジの下をくぐれなくて、みなとみらいの大桟橋には来れなかったので、間近で見るのはこれが初めてでした。

明日はお昼からケベック市内でプロの選手たちがスピードを競う自転車のレースがあるのだそうです。夕方から選手たちがパトカーやオートバイに先導されて試走したりしていて、町はにわかに活気づいています。
クイーンマリー号といい自転車のレースといい、旅は思わぬことと出くわす楽しみがあっていいです。

昼間でも気温は13度、ずっと外にいると手袋が欲しくなる9月のケベックです。
そんなに寒いのに、アイリッシュバーで飲んだビールがおいしかった。

友部正人
9月8日(水)「ケベックへ」

昨日見られなかったノートルダム・モンレアル教会に朝行きました。この教会の美しさはどれもぼくには手の届かないようなものばかりです。ユミはろうそくに火を灯していました。ステンドグラスの窓は外からの光が風のように揺れていました。

今ケベックに向かう電車の中です。ケベックには4時過ぎに着きます。
モントリオールは街中がフランス語でしたが、ぼくたちが英語で話すとみんな英語で答えてくれます。駅で切符を買うときも、ぼくに「シニアか」と英語で聞いてくれました。シニアだと割引になるからです。

友部正人
9月7日(火)「モントリオール」

モントリオールに来ています。今日から3泊の予定でユミと旅行に来ました。
さっそくオールド・モントリオールと呼ばれている観光地区を二人で歩き回りました。レストランやおみやげ物屋ばかりではなく、ギャラリーも多く、ニューヨークのソーホーのような感じもします。入ってみたい教会や博物館はどこももう閉館していました。

歩き疲れてホテルでワインを飲んでいるところです。
突然の雷で激しい雨が降っています。カナダは天候が変わりやすいところです。
雷の音を聞いていると、昨日の「カルメン」をまた思い出しました。

友部正人
9月6日(月)「カルメン」

リンカーンセンターのHDオペラ上映会で、念願の「カルメン」を見ました。
出だしからよく知られた曲ばかり。迫力のある歌と踊りと、カルメンの気風の良さ。
あっという間の160分でした。

友部正人
9月4日(土)「トゥーランドット」

2日は「ラ・ボエーム」を見に行ったのに今夜もまたメトロポリタンオペラのビデオをリンカーンセンターに見に行きました。家が近所なのがうれしいです。
「トゥーランドット」は今年の1月に劇場で本物を見ましたが、今夜また感動しました。

今日はちゃんと椅子に座りたかったので、1時間半ぐらい前に行きました。
台風が沖合いをかすめて通り過ぎて、今夜は風も強く、気温はぐっと低くなりました。
多分18度ぐらいか。それで、オペラの後半はすっかり冷えて、終了後近くの中華料理屋でユミや友だちと暖かいそばを食べました。

友部正人
8月30日(月)「ばらの騎士」

リンカーンセンターの屋外のオペラ、ビデオ上映会。今日はちゃんと開演から行きました。今夜の演目はリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」。エンジニアの吉野金次さんがずいぶん前にキリ・テカナワのビデオを見せてくれたことがあります。
3時間以上のオペラなので、開演は7時15分。まだ空は明るくて、第1幕目は字幕も映像もよく見えませんでした。

実は、おかしいと思ったユミが昨日新聞の広告を見てわかったのですが、これは劇場の中でやっているオペラを同時にスクリーンでも見せているのではなく、今年の冬にMETでやったものを再上映しているのです。でも9月6日まで毎日、スクリーンでいろんな演目が見られるのは本当です。

「ばらの騎士」の舞台はちょっとどたばた調だけど、大勢の出演者が一つの生き物のように血が通い合っていて、ぼくは最後まで夢中になって見てしまいました。
3幕の最後ではルネ・フレミングの歌に涙が出そうになって、隣のユミをみたらやはり泣いていました。

頻繁に空を通過するジェット機やヘリコプターに気をとられながらも、大勢の人たちと屋外で映像を見るなんていいなあと思いました。

友部正人
8月29日(日)「ジミー・スコット」

今日も夕方から「チャーリーパーカー・ジャズ・フェスティバル」に行きました。
今日の会場はイースト・ヴィレッジのトンプキンズ・スクエア・パーク。
ちょうど3番目のグループの演奏が始まったところでした。ピアノの人はちょっとリクオに似ていた。
昨日も一緒だったサキソフォン吹きのMASAが今日も来ていました。他にも、昨日ハーレムで見かけたような人が大勢来ていた。

今年85才のジミー・スコットは車椅子でした。譜面台で顔が隠れて、ぼくたちのいた
場所からは手しか見えません。ユミはサックスの人がかっこいいなあと言っていました。
「Sometimes I feel like a motherless child」、圧巻でした。

友部正人
8月28日(土)「ランニング、マッコイ・タイナーなど」

ニューヨーク・ロードラナーズ・クラブが主催する20マイル(32キロ)のトレイニングランに参加しました。朝7時からで、今朝もとても涼しく快適。6月のプライドランというレースで、年代別の3位になってもらった金券で買った短パンで走りました。

午後はハーレムの124丁目にある公園で開かれた「チャーリー・パーカー・ジャズ・フェスティバル」を聞きに行きました。マッコイ・タイナーが最後にソロで出演して、それがすばらしかった。マッコイ・タイナーはサングラスをして鳥打帽をかぶり、なんとなく雰囲気が元憂歌団の木村くんみたい。71歳だということですが、背筋がしゃんとしていて左指のビートにもはりがあって、全然古臭く感じませんでした。
音楽を楽しむハーレムの人たちはみんなとても個性的で、そんな人たちを見るのも楽しかった。

そのあと、ハーレムに住むサキソフォンプレーヤーのMASAたちとハーレムのかわいらしいお店に夕食を食べに行きました。スタッフド・モツァレラ、ラビオリ、サーモンのバーガーなど、どれもおいしかった。

その後は急いでリンカーンセンターに。
リンカーンセンターでは今日からメトロポリタンオペラの秋のシリーズが始まって、9月6日までは毎日、劇場の外のスクリーンで無料で上演中のオペラが見られるというので、特にユミが行きたかったのです。今夜は「トスカ」で、ぼくたちはその第3幕だけ見ることができました。本当は劇場の中で生で見たいけど、毎日日替わりでする演目を外でいろいろ見てみるのもいいかな、と思います。

友部正人
8月27日(金)「退屈は素敵」

ぼくの新しい詩集「退屈は素敵」が、思潮社からニューヨークのアパートに届きました。
2冊送ってくれたので、テーブルでユミと向かい合って見ました。ユミのデザインや、寺田一行さんの版画、中の詩など、どれも新鮮でうれしい感じでした。
発売は予定より少し遅れたけれど、来週の月曜日から日本の書店に並ぶそうです。

友部正人
8月25日(水)「ジョン・ウェズリー・ハーディング」

ジョン・ウェズリー・ハーディングというぼくの好きなシンガーソングライターが、ウェズリー・ステイスという名前の小説家だったことを初めて知りました。
そのウェズリー・ステイスとリック・ムーディという小説家が対談をするというのでユミと聞きに行きました。
晴れていたらブライアントパークの木の下でやる予定でしたが、雨で近所の図書館に変更。対談は1時間あまりで、最後に二人で、ロバート・ワイアットやキャット・スティーブンスの歌などを歌いました。

帰り道、MoMAでマティスの展覧会を見ました。ユミはあまり好きじゃないらしいけど、あの満たされたような絵の感じはぼくは大好きです。

友部正人
8月17日(火)「シニア」

ぼくはニューヨークでは年相応に見られることはあまりないのだけれど、今日はめずらしくそう見られました。
セントラルパークでのランニングのあとにユミとスリフトショップに寄り、ランニング用のシャツを買おうとしてレジに行くと、レジ係の男性がぼくに「シニアだったら、今日は火曜日だから20パーセント引きだよ」と言うのです。シニアというのは60歳以上の人のことらしいです。
ぼくをちゃんと見てそう言ったので、ぼくがシニアに見えたということなのでしょう。
そういう彼もまたシニアのような年齢だったので、わかったのかもしれません。
店を出てしばらくうれしかったのが、シャツを負けてもらったからなのか、年相応に見られたからなのか、それはぼくにもわからないけど。

友部正人
8月15日(日)「ハーフマラソン、パブリック・エネミー」

ブロンクスで朝7時からハーフマラソンがありました。今朝はとても涼しく(20度)、おまけに曇っていたので走りやすかった。1時間33分38秒でした。

午後3時からパブリック・エネミーのライブを見るためにセントラルパークのサマーステージに。CDは持っているけどあまり聞いたことがなく、ただ生は聞いてみたいな、と思って行きました。ところが次々と出て来るグループのどれがパブリック・エネミーなのかわからない。
途中から雨が降ったり止んだりで、何度か帰ろうとしましたが、夕方に出て来た人たちの音を聞いてユミが「この人たちじゃない」というので、そのまましばらく聞いていました。

友部正人
8月13日(金)「ホイットニー美術館」

ホイットニー美術館の金曜日は寄付だけで入れるので、8時近いというのに外はまだ長蛇の列で、ちょっとめげそうになったけど、しばらくすると入場できました。
ぼくが見たかったのは水彩で森の中や北国の町並みなどを描くチャールズ・バーチフィールドという人。目に見えるものばかりではなく、自然が発する信号のようなものや、風、匂い、音までが絵に参加していて、「タイトルがどれも乙女チック」とユミが言っていたのが印象的でした。
長蛇の列の若者たちは地下でやっているバンドのライブが目当てだったようです。
サイケデリックな感じの女子バンドでした。

友部正人
8月11日(水)「ウィークエンド」

MoMAにゴダールの初期の映画「ウィークエンド」を見に行きました。
英語の字幕版です。前半はけっこう馬鹿らしい台詞が多く、昔日本語字幕で見たのと印象が違いました。前半は笑ってみている人も多かった。
でも途中から少しシリアスになって、豚や鶏を殺すシーンがあるあたりから、何人か続けて帰る人もいました。
何の制約もなくのびのびと作っていて、ぼくは「ゴタールはおもしろい」と思いました。
こんなめちゃくちゃな映画、たぶん現在ではもう作れないのでは。

「ニューヨーカー」の8月9日号に、最近のギル・スコット・ヘロンについての長い記事がありました。彼は60年代後半にラップの鋳型を作った人です。
コカインの所持で最近まで刑務所にいました。
「自分には良くないところがたくさんあるけど、それがなくなったらもう自分ではなくなってしまう」という言葉がすてきでした。

友部正人
8月8日(日)「ザ・ブーム」

日比谷の野外音楽堂にザ・ブームのライブを聞きに行きました。ゲストは矢野顕子さん。
ステージの感じはぼくがゲストで出た愛媛のときと同じでした。曲目も重なるところが多かった。だけど、客席からじっくり聞くのと、出番の合間にちょっと聞くのとでは大違い。
今日は発見が多かった。

年をとるとフィクションに身を任せるのは勇気がいることです。でも、音楽にはそのことが特に重要です。ザ・ブームの音楽を聞いていると、フィクションの世界に果敢にチャレンジしているのがよくわかりました。それこそ宮沢くんがコンサートの中で語っていた「テーマ」ということなのです。彼の作る音楽からは作り事の部分がなくなっていかない、それがこの人たちの人気の秘密で、すべてにおいて「おれが、おれが」というところの全然ない宮沢くんの歌を再認識したいい夜でした。

ゲストの矢野顕子さんとも久しぶりに喋りました。同じニューヨークにいても、なかなか会う機会はありません。音楽以外のことで今度電話をしてみようと思いました。
明日からぼくとユミはニューヨークです。

友部正人
8月6日(金)「ラ・カーニャ 寺尾さん、前野くん」

下北沢のラ・カーニャに寺尾紗穂さんと前野健太くんのライブを聞きに行きました。
自分のライブがないときは、他の人のライブを聞きに行けるのがうれしい。

寺尾さんの6月にリリースされた「残照」はものすごくいい、ずっしりとくるアルバムです。これはすごいな、と家でCDで聞きながら感じたほどです。その中でも「骨壷」という歌は素敵です。好きだった人の骨壷を手に持ちたかった、と歌っています。
死んで手に持たれた男を思い浮かべました。なんだかすごく軽くなって。恋愛って、女の人の手の中に納まることなのだと思いました。

前野くんはのほほんとしていて自由で、寄席芸人のようなところもあって、お客さんを前にすると生き生きする人なのだと思いました。彼の歌を聞くとみんな彼のことを友だちのように感じてしまう。

友部正人
8月5日(木)「もうすぐニューヨーク」

8月9日からニューヨークに行きます。戻ってくるのは9月16日。
CD「クレーン」の発売の前日です。
留守中に思潮社から新しい詩集「退屈は素敵」が発売されます。
ぜひ本屋さんで探してみてください。
サイン希望の方は、発送作業はニューヨークから戻るまでできませんが、
友部オフィスの通信販売で申し込んでください。

9月の三宅くんとの「ロックンロール、やってます」北海道篇、
10月の東京ローカル・ホンクとの「クレーン」発売記念ツアー、
今から楽しみです。

友部正人オフィス 小野。
8月1日(日)「大阪演博」

今年で四年目になる国際パフォーマンスフェスティバルです。毎年出演しているのはぼくだけだそうです。

「子供のための no media」と題して、今まではゲストを頼りにやってきたのですが、今回はついに一人ということで、朗読する詩は全部新作で行こうと決めました。
ユミがCDの制作などの仕事で不在のニューヨークで、ほぼ一ヶ月かけて映像と詩を準備しました。映像はデジカメの動画モードで撮りました。
ずっとライブやリハーサルが続いていたので、10日間ぐらいお酒も飲んでいなかったのですが、初めてのことへの緊張もあったのだと思います。

映像の編集まではできなかったので、映像に合わせて詩を短くしたり、詩に合わせて映像を途中でカットしたりしました。音量の上げ下げや、映像ソースの選択をぼくがステージ上でパソコンで操作していることがお客さんには丸見えでした。
それでもそこに朗読や歌が加われば楽しめたのではないでしょうか。
今回は試しに英語でも詩を書いてみました。
次回はもう少し映像に工夫を加えたいと思いました。

デンマークの人形劇団、シアター・リフレクションの人たちと、ホテルも帰りの新幹線の時間も一緒で、いつのまにか親しくなっていたのがうれしかった。

友部正人
7月31日(土)「近江八幡 酒遊館」

ぼくが広島からユミが横浜から出発して、近江塩津行きの新快速の車中で落ち合い、一緒に近江八幡に。駅に西村さん一家が車で迎えに来てくれました。
まだ時間が早かったので、酒遊館のすぐ近くのボーダレス・アートミュージアムNO-Mに。

日本家屋を利用した、アウトサイダーアートの美術館です。
ここに展示されているアーティストたちはみんな精神的な障害や肉体的な障害のある人たちですが、作品を作っていると気持ちが落ち着く、というのはぼくも同じだなあ、と思いました。

酒遊館は元々造り酒屋で、ライブのときはお酒が飲み放題です。ぼくは歌うので飲めないのですが、今日はお代わりをするお客さんが多かったそうです。
ライブの後、最終電車で大阪に移動する予定だったので、「今日はゆっくりしていられない」
なんて何度かステージで言ってしまいましたが、本当は時間もたっぷりあって、たくさん歌いました。気にした人がいたらごめんなさい。
来年もまた夏の酒遊館に歌いに来たいなあと思いました。

友部正人
7月30日(金)「広島 オーティス」

会場の雰囲気とか、お客さんの感じとか、いろいろな違いがあるのかもしれませんが、今日のライブは良かったと思いました。お客さんもそう言ってくれたけど、その前に自分でそう感じました。この半月間ずっと歌いっぱなしのような日々だったからかな。

友部正人
7月28日(水)「時々の友 コンサート」

時々自動のコンサート「時々の友」第一回にゲストとして出演しました。
このコンサートのリハーサルのことはここに何回か書きました。
とにかくリハーサルのときから楽しかった。今日はその本番でした。

まず最初に時々自動だけでぼくの「銀の汽笛」をかなりロックっぽく演奏しました。
この曲を選んでくれたことはうれしかった。
その後ぼくが入って、「反復」「遠来」(これだけソロ)、「一本道」「愛について」「七月の王様」を続けて演奏。緻密にアレンジされた管楽器の音が美しかった。

後半はラジオ人形劇と題されたパフォーマンス。ラジオ劇にはぼくも参加しました。
その横で今井次郎さんがスクラップアートのような装置で人形劇を展開しました。

朝比奈尚行さんとのトークは、ぼくたちがまだ二十歳の頃に黒テントで出会って、それから40年も二人の交流が続いているという話。

後半は時々自動のオリジナルソングのオンパレード。時々自動の歌詞やアレンジは古びるということを知らない。ここにしかない、という音楽です。
その後、「大阪へやって来た」「月の光」「生きていることを見ているよ」の3曲をまたぼくが参加して一緒にやりました。関根真理さんのドラムはすごい迫力。

時間がないので本編からそのままアンコールに。
時々自動の初期の「風が吹いてきたよ」をみんなでコーラスして終了でした。
またやろうね、という気持ちでいっぱいになりました。

友部正人
7月26日(月)「時々自動、本番まであと二日」

今日は時々自動とのリハーサルがありました。初めてドラムスの関根真理さんも参加しての本格的なリハでした。
当日の曲順に沿って合わせていきました。メンバーはもうちゃんとぼくの曲が頭に入っているみたいです。

ラジオドラマの練習もしました。ぼくの台詞はとてもぎこちないけど、気にしないことにしました。

ぼくが参加したのはたった3回ですが、時々自動のメンバーは1ヶ月間練習をしているそうです。ぼくには完璧に見えても、彼らはまだ明日もやるそうです。
一回のステージにかける時間と情熱は半端ではありません。

友部正人
7月25日(日)「きちじょうじのなつやすみ」

FFビルの前の特設ステージで、三宅伸治くんと二人で1時間のライブをしました。
ステージの前の路上にはぎっしりとお客さん。
ライブハウスとは違う環境がスリリングでした。
いつものように「反復」で始まって、そのまま「曇り空」に。
3曲目は三宅くんのアイデアで「中道商店街」、このあたりからだんだん調子が出てきました。4曲目の「ライク・ア・ローリング・ストーン」ですっかりいつもの「友部正人と三宅伸治」に。
本編最後の「大阪へやって来た」では、ハーモニカがよかったな、と自分で思いました。

「フジロック」といい「春一番」といい、野外はむずかしいけどやりがいがあります。

友部正人
7月23日(金)「いわき ソニック」

午前中にユミと川沿いの土手をランニングしました。途中の温度計は36度でした。
午後はさらに暑くなったような気がました。あまり通りを歩く気がしません。

今日は三宅伸治くんとの久しぶりの「ロックンロール、やってます」ライブでした。
三宅くんの「SO-SO」とぼくの「中道商店街」の2曲を初めて二人でやりました。
いくつかぼくのミスがあったけど、ふだんのぼくのソロのライブとは違う世界が作れたと思います。

友部正人
7月22日(木)「水戸 ガールトーク」

2年ぶりのガールトーク。グランドピアノがあって、椅子などもゆったりと置かれています。お客さんと向かい合っている感じじゃないところがおもしろい。ぼくはぼくの世界に、お客さんはお客さんの世界にひたれます。
「友部さんのお客さんはいつも、若い人と同年代の人と半々で珍しいですね。」とオーナーの笹の間さん。ぼくぐらいの年齢のアーティストのライブのときはいつも、同年代のお客さんばかりなのだそうです。

終演後、いわきから聞きに来てくれたソニックの三ヶ田くんがぼくとユミをいわきまで車で運んでくれました。

友部正人
7月20日(火) 神戸「ウインターランド」

今日はイベンターGREENSの20周年のお祝いイベント。曾我部恵一、ワタナベイビー、そしてぼく、という初めての組み合わせでした。
楽屋で曾我部くんやワタナベイビーと一緒にやる曲の練習をしました。
いくら頭の中では歌えても、声に出すとうまく歌えないものです。
おまけに練習では歌えたのに、本番になるとすっかりわからなくなってしまう、ということもあります。今日のぼくはそうでした。

まずワタナベイビーと「坂道」と「ぼくの猫さん」をやりました。「坂道」のサビを間違えました。
曾我部くんとは「コーヒーと恋愛」と「なんでもない日には」をやりました。
「コーヒーと恋愛」はメロディがすっかり消えてしまった。練習したのに残念でした。
一緒に歌っていて感じたのは、ワタナベイビーと曾我部くんの歌い方がとてもやさしいこと。心で歌っていること。それを間近で感じられてちょっと感動しました。
東京でもまたこのメンバーでやりたいと思いました。

記念品としてGREENSが制作した缶バッヂですが、緑色のカエルのバッヂはぼくが絵を描きました。うまく描けたと思っていたので、実物を見るのが楽しみでした。

友部正人
7月19日(月)「リク」

一日早く神戸入りしました。夕方ユミと二人でユミの実家を訪ねました。ユミのご両親と、ぼくたちが以前飼っていた猫のリクに会うためです。リクは今年の秋に19歳になります。
足腰がひどく弱っていることがわかりちょっと不憫でした。台所のテーブルで寝てばかりいました。

友部正人
7月18日(日)「徳島 寅家」

2年ぶりの寅家でした。家という文字がぴったりのようなライブハウスです。
今年は満席で店主の岡本さんもうれしそうでした。
岡本さんは寅さんと呼ばれています。昼間は別の場所でうどん屋をやっているそうです。
明日はそのうどんをごちそうしてくれるそうです。とても楽しみ。

友部正人
7月17日(土)「高松 オリーブホール」

1年ぶりのオリーブホール。大きな小屋ですが、テーブルを入れたりしていい雰囲気でした。後ろのほうではホールのスタッフも立って聞いていて、ときどきは歓声を上げたりして、お客さんのようでした。

友部正人
7月16日(金)「トークショー」

中野のギャラリー冬青で今月末まで新作の個展を開いているニューヨークの写真家、比嘉良治さんと二人でギャラリートークをしました。

ニューヨークのアート事情と、今回の比嘉さんの作品について語る予定でしたが、いざ本番になるとトークはむずかしいものです。
ぼくはアーティストとして参加したつもりだったけど、本番になったら司会のようになってしまった。その点比嘉さんは東京にいてもニューヨークにいるときのように自然でした。今頃になって、もっといろいろ話せたのにな、なんて思っています。

友部正人
7月15日(木)「リハーサル」

今日も時々自動とリハーサルをしました。今日は曲の他に、当日ステージで披露するラジオドラマの練習もしました。ユミも代役で参加。
リハーサルの後、新宿のタイ料理屋にみんなでごはんを食べに行きました。
時々自動の料理の注文の量がすごかった。

友部正人
7月14日(水)「時々自動 リハーサル」

時々自動のリハーサルに参加しました。ぼくの曲を7曲ぐらいと、時々自動の曲を一曲練習しました。久しぶりに大きな声を出したので声が涸れました。

友部正人
7月13日(火)「マスターリング」

12日の夕方に日本に戻って来ました。湿度は高いけど、ニューヨークよりは涼しいです。

今日は新作「クレーン」のマスターリングをしました。全部で12曲。10時間ぐらいかかりました。マスターリング・エンジニアはユニバーサルの藤野成喜さん、レコーディング・エンジニアの永見くんとぼくとユミが立会いました。
終わりの頃にローカル・ホンクの木下弦二くんも顔を出しました。

友部正人
7月11日(日)  友部正人オフィスよりのお知らせ

中野のギャラリー「冬青」で、写真家の比嘉良治さんの個展が開かれていますが、7月16日に比嘉さんと友部のギャラリートークがあります。
お時間のある方はぜひお越しください。 TOSEI-SHA 

友部正人トリビュートライブ(5/23下北沢GARDEN)のときに作った記念Tシャツの残りを、7月の各ライブ会場で販売します。友部の描いたイラストがかわいいです。
残り少ないのですが、まだサイズはS,M,L,LLあります。なくなり次第終了します。

それと、7月25日に友部も出演する「きちじょうじのなつやすみ」のイベント関連で、吉祥寺PARCO B2の書店「LIBRO」では、友部正人の詩集、エッセイ集、絵本などが販売されます。7月下旬から8月末の期間限定ですので、LIBROに行ってみてください。

友部オフィス 小野
7月10日(土)「10キロレース」

セントラルパークの10キロレース、いつも走っている距離なのに、競争となるときついです。土砂降りの雨になるかと思ったけど、天気予報ははずれたみたい。

明日日本に帰る準備をしています。
帰ったら一ヶ月ほとんど休みナシ。
CD、詩集、マスタリング、リハーサル、ライブと、盛りだくさんの予定が待ち構えています。
ユミと会うのも一ヶ月ぶり。

友部正人
7月9日(金)「勅使河原三郎」

08年の横浜トリエンナーレで、ダンスのための装置、ステージ、その世界だけを見て、ダンスは見られなかったのでとても見たかった。
ステージは宇宙ステーションのようだし、人物はゲームの主人公のよう。
手足の動きは昆虫みたいでした。
とても速い動きでも、形がスローモーションのようで、音楽はエレベーターや換気扇やボイラーなど、ビルの中の機械音のようでした。
後半に電球を手に持って、自分に近づけたり遠ざけたりしながら、壁や床に写る影で踊っているようなところがあって、おもしろかった。

友部正人
7月7日(水)「中馬芳子さん」

もう何年ぶりに会うのでしょう。知り合いの中馬芳子さんのダンスカンパニーが野外でフリーのパフォーマンスをするというので見に行きました。
開演時間になってもなかなか始まらないと思っていたら、会場の外にずっと止まっていたリンカーンのストレッチ・リムジンが中に入って来るではありませんか。
これはおもしろそうだと、その瞬間に思いました。
このリムジンは楽屋でもあり小道具でもある。演じる人たちはこの中から出たり入ったり。リムジンはゆっくりと場内を一周します。管楽器と太鼓の5人のバンドも、広がったり集まったりしながら、乾いた音を奏で続けます。
砂漠みたいなパフォーマンスでした。夕方だったけれどとても暑く、演じる人たちの皮膚は真っ赤でした。

友部正人
7月4日(日)「ボーイズ・オン・ザ・ラン」

ジャパンソサイエティに日本映画「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を見に行きました。
去年の暮れに試写会の案内が届いていたけど、そのときは見に行く時間がなかったので、今回ニューヨークで見られてラッキーでした。

主演の峯田和伸くん演ずる男子の性的な失敗がとてもおかしく、そのおかしさがぼくとしてはなつかしくもあって、たくさん笑いました。
社長のリリー・フランキー、けんかの手ほどきをする小林薫もとてもいい感じでした。
5月23日のぼくのバースディライブで歌ってくれた峯田くんと、この映画の話ができなかったのはちょっと残念です。

そのあと、アジア映画祭でニューヨークに来ている前野健太くんたちと会い、グランドセントラル駅近くのタイ料理屋に行きました。前野くんはニューヨークをとても楽しんでいるみたいでした。

今日はアメリカの独立記念日で、夜9時半ぐらいからメイシーズが主催する花火大会がありました。
今年はイーストリバーからハドソン川に場所が変わったので、ぼくのアパートの屋上からもよく見えました。
六ヶ所ぐらいから一斉に打ち上げられる花火はただひたすら迫力がありました。

友部正人
 
7月3日(土)「詩集など」

夏の終わりに思潮社から出る予定だった詩集「退屈は素敵」が、もしかしたら少し早まるかもしれません。今回はユミだけ日本に残ってこの詩集と新しいCDアルバムの制作をしていたのですが、詩集はこれから二回目のゲラ校正をして校了です。
CDの方は帰国の翌日にマスタリングをする予定です。ジャケット関係はもうほぼ出来上がりつつあるそうです。

友部正人
7月2日(金)「前野健太」

ブルックリンのCOCO66というライブハウスに、日本のシンガーソングライターの前野健太を聞きに行きました。前野くんはドラムのポップさんという人と二人で演奏しました。
いきなりエレキギターで大音量を出したけど、エレキの音にも負けないぐらいちゃんと届く声の持ち主です。
最後にまた「Fuck Me」をやったけど、アメリカ人は当然このタイトルには反応していました。
前野くんが始まったのはもう12時近くで、ぼくは挨拶もそこそこに、急いでマンハッタンまで帰りました。夜中の地下鉄って若い人たちばかりでした。

友部正人
7月1日(木)「LIVE TAPE」

リンカーンセンターで開催されている「ニューヨーク、アジアン映画祭」に、「ライブテープ」を見に行きました。78分間テープを回しっぱなしにして、お正月の吉祥寺の街を歌い歩く前野健太という人を取材したような映画です。
あらかじめ仕組まれた場面もいくつかあったけど、かえってそういう場面こそ自然に感じられるのでした。美しい映画でした。

上映後に前野健太とドラムの人のライブがありました。「ダンス」「Fuck Me」「天気予報」どれもリアルな言葉と声で良かった。観客は日本人は以外に少なく、アメリカ人がみんな楽しそうに見ているのでした。

友部正人
6月30日(水)「ニューヨリカン・ポエッツ・カフェ」

イーストビレッジにあるニューヨリカン・ポエッツ・カフェのユニークな選抜メンバーによる、セントラルパーク・サマーステージでの朗読会に行きました。
ドミニカ詩人、ユダヤ詩人、パレスチナ詩人、アフリカン詩人、ニューヨークには実に多くの詩人たちがいて、個人個人がみんなそれぞれの表現方法を駆使します。
みんなとても堂々としていたなあ。

友部正人
6月29日(火)「時々自動」

7月28日に吉祥寺のスターパインズカフェで一緒にライブをする時々自動のCDをずっと聞いていました。音楽はすごく実験的で、歌詞はとても身近。
どこまでも日常のままの前衛集団。
代表の朝比奈尚行さんとは40年も前からの知り合いです。ぼくがまだデビューする前、彼は黒テントの「翼を燃やす天使たちの舞踏」に出演していました。
役者でもあり声楽家でもありプレイライトでもあります。

時々自動は音楽と演劇の境界線を取っ払ったような表現を追及しています。
そんな彼らの奇抜なアイデアに、ぼくの歌がどのように反応するのかは、当日になってからのお楽しみ。

友部正人
6月28日(月)「雲遊天下」

ニューヨークにいても締め切りはやってきます。「雲遊天下」の連載、今回はサン・テグジュペリです。「星の王子さま」を久しぶりに何回も読み直しました。

友部正人
6月27日(日)「ギル・スコット・ヘロン」

セントラルパーク、真昼間のサマーステージ、気温は30度を越えているのに、なんと涼しげで楽しげな人なんだろう、とぼくは感心しました。
ギル・スコット・ヘロンといえば最も初期のラップのヒーローです。
ずっとコカイン関係で刑務所を出たり入ったり、裁判官からは、ちゃんと芸の道を歩みなさい、と言われたりして。
でも、とてもいい感じの人でした。
スペシャルゲストでCommonというシカゴのラッパーが登場、即興で次から次へと言葉を繰り出してくるその力には驚きを禁じえませんでした。

友部正人
6月26日(土)「5マイルレース」

LGBTって何のことかなと思っていたら、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーのことでした。今日はそのLGBTの人たちをアピールする5マイルレースがセントラルパークでありました。
この時期にはいつもニューヨークにいるせいか、毎年出ています。
年代別の3位以内になって25ドルの賞金をもらったこともあります。
ユミからがんばってね、というメールも来ていたし、今日はわりとがんばったのですが、賞金を手にした人たちの記録には遠くおよびませんでした。
結果は34分57秒、先週の5マイルよりは速く走れて大満足でした。

午後はヨシたちと、ロングアイランドに住む荒田さん一家のバーベキューパーティーに行きました。とてもすてきな郊外の一軒家。庭でワインや日本酒を飲みながら、肉や野菜をたくさんたべました。大満足です。

友部正人
6月24日(木)「プロスペクトパーク」

昨日のことがあったので、今日は少し早めにブルックリンのプロスペクトパークに行ったのですが、思っていたほど人が来ていなくて、ちょっと首をかしげました。
今日はキューバのブエナビスタソーシャルクラブとオマラ・ポーチュオンドのコンサートだったのに。オープニングアクトのフラメンコのグループが終わった後、やっとその理由がわかりました。アメリカ入国のビザが拒否されてコンサートはキャンセルになったのでした。
今さらながらの事態に主催者も困り果てたようで、代わりに「ブエナビスタ」の映画を上映することになったみたいです。
ぼくはプロスペクトパークの中をぶらぶら歩いて、それから地下鉄で家に帰りました。

友部正人
6月23日(水)「サマーステージ」

ジャズのコンサートだからロックコンサートのように満員で入れないということはないだろうと勝手に判断して、開演時間過ぎてからセントラルパークのサマーステージ(フリーコンサート)に行ってみたら、一部のマッコイ・タイナーの演奏は始まっているのに長蛇の列。
入場整理の人たちは何度も、待っていても入れる見込みはないよ、と言っている。
ぼくは早々にあきらめて、会場の外で聞くことにしました。そばの岩の上に上ってみるとステージがかすかに見えるし、音は真正面で何の問題もなかったから。
そうこうするうちに二部のスタンリー・クラークとヒロミの演奏が始まり、しばらくすると長蛇の列が動き始めて、最後には全員が入場できたようでした。

スタンリー・クラークとヒロミの演奏は一曲目からすごくて、特にヒロミのピアノのフレーズの細かい動きまでがちゃんと聞こえてきて大変感動しました。

友部正人
6月22日(火) 「You Tube」

ぼくの新曲のライブ映像がYouTubeで最近流されているのを友だちが教えてくれて、ユミはすぐ削除するように動いてくれました。
あと、ぼくのCD音源を無断使用していろいろアップしている人も結構いるようですが、そういうのもほんとは困っています。
僕自身のライブ映像や音源を、他人が使う権利はありません。
歌はちゃんとCDで聞いて欲しいです。

友部正人
6月21日(月)「ふたたびMoMA」

女性による実験映画の特集で、今日見たのはCarolee Schneemannという人の3本。ベトナム戦争や性の解放をテーマにしたとても60年代的な映像でした。音と映像がめまぐるしく切り替わり、ゴタール的でもありました。

友部正人
6月20日(日)「5マイルレース」

セントラルパークの5マイルレースに参加しました。父の日にちなんだ「前立腺がん撲滅キャンペーン」レースです。サンフランシスコで治療中だった間寛平さんを思い出しました。今日は朝から雷雨の予報なのに晴れてしまい、暑かった。
記録は35分18秒でした。

午後はMoMAにMaya Derenの実験映画を見に行きました。ダリやブニュエルの影響が強いようです。1947年から51年にかけて撮影されたハイチの祭りの映像がおもしろかった。こういうのは全然実験的ではありませんでした。

友部正人
6月19日(土) 「テレビ」
昨日ユミから連絡があったのですが、今週の土曜日(6月26日)、テレビ東京の「ミューズの晩餐」という番組(22:30から)をご覧ください、とのことです。森山直太朗さんが出演する回のですが、ぼくはニューヨークにいるから日本のテレビは見られませんが、テレビ東京を見ることの出来る人はぼくの代わりに見てください。

友部正人
6月18日(金)「ライブ」

中央図書館の前で5時に安藤くんと幹子さんと会って、グランドセントラル駅にBand of Horsesのフリーライブを聞きに行きました。でも関係者席がまん中にあって、その後ろにいたぼくたちにはステージが全く見えず、しばらくいて外に出ました。
それからブルックリンのプロスペクトパークに、JG Thirlwell's Steroid MaximusとDr.LonnieSmith Trioを聞きに行きました。ひんやりとした野外で、くっきりと浮かぶ半月を見ながら聞くコンサートは素敵でした。
Steroid Maximusは20人ぐらいの編成のオーケストラで、音楽は観賞用のダンス音楽、という感じでした。それに比べて、Dr.Lonnie Smithはかなりいかがわしい感じなのに、なぜかこちらの方が一緒に楽しめる音楽だったような気がします。

もうかなり遅い時間でしたが、3人で76丁目にあるビッグニックでハンバーガーを食べて、明日の朝ニューオーリンズに向かう安藤くんたちとお別れしました。

友部正人
6月17日(木)「安藤くん夫妻」

安藤健二郎くんと幹子さんが新婚旅行でニューヨークに遊びに来ました。
ニューヨークにはたった二日滞在するだけで、その後はお目当てのニューオーリンズに。

横浜にいるユミから、安藤くんたちがニューヨークで行きたい場所をいくつか聞いていたので、自分も一緒に遊ぼうと、楽しみにしていました。

しばらく行っていなかったウィリアムズバーグには新しいコンドミニアムがたくさん建っていました。道路の端には自転車の専用レーンが作られて、車は道の真ん中に駐車するようになっていて、最初見たときは乗り捨ててあるのかと思いました。

夕方、安藤くんたちと別れて、ぼくはMoMAにエイゼンシュタインの「ストライキ」と「戦艦ポチョムキン」を見に行きました。ロシアの革命当時の映画ですが、全然古びていないし、労働者をただの入れ替えのきく人たちとして扱う資本家の態度には現代に通じるものがありました。

友部正人
6月14日(月)「はじめて知ったこと」

7月16日にぼくとギャラリートークする予定の、写真家比嘉良治(ヨシ)さんのロフトにお茶を飲みに行きました。映画「ミリキタニの猫」のプロデューサーのマサに誘われたのです。
ヨシは東京の「ギャラリー冬青」での個展の準備でとても忙しそうでした。
でも1時間ぐらい喋れたかな。その中でぼくが初めて知ったこと。

昨夜ぼくはデジタルカメラを持って、アパートの近所にあるリンカーンセンターの噴水を撮りに行ったのですが、ぶれないように一脚を使って撮っていました。
そしたら女性の警官が来て、三脚は使ってはいけないと言うのです。ぼくのは三脚ではなく一脚でしたが、それもだめでした。なぜかなあ、と思っていたら、今日ヨシに聞いてわかりました。
ある特定の場所では三脚を使ってはいけないという法律が昔からあるのだそうです。
観光客が手持ちで写すのなら問題はないが、三脚を使えばプロということになるからだそうです。
警官に注意されてぼくがぽかんとしていたら、「見なかったことにするから」なんて言われました。若い警官で、いかにも「変な決まり!」とでも言っているみたいでした。

友部正人
6月12日(土)「ニューヨークに来ています。」

昨夜からニューヨークに来ています。今回はユミがCD制作の仕事で来られなくて、ぼく一人でやって来ました。

今回のフライトで驚いたのは、ぼくの座席に近いトイレの便座がなかったことです。
壊れてそのままになっているのか、これから修理をするのか。アメリカの飛行機会社がこんな状態のトイレを使わせるなんて、とびっくりしました。20年前、イラク航空に乗ったら、トイレのドアが壊れていて、すさんだ感じがしたのと同じ気持ちを味わいました。

もう一つ、これはとても残念だったこと、10日にカーネギーホールで、キューバのシンガーソングライター、シルビオ・ロドリゲスのコンサートがあったことです。
ニューヨークで2回、カリフォルニアで2回、コンサートをした後、23日にフロリダで1回するそうです。うーん、フロリダまではちょっと遠いかな。
ぼくはスペイン語はわからないけど、ボブ・ディランやレナード・コーエンに匹敵する詩人だと思います。

友部正人
6月6日(日)「ザ・ブーム」
愛媛県西予市の会館でザ・ブームのコンサートがあり、ぼくはゲストで参加しました。
西予市は松山市から車で1時間以上かかるので、5日の夕方から松山に入り、
バンドのメンバーやスタッフ、それからユミと道後温泉に行きました。

ザ・ブームはオリジナルの4人の他に、パーカッション、マニピュレーター、キーボード、ギターなど、4人のサポートメンバーが参加しています。ぼくはコンサートの途中に、宮沢くんと二人だけで「気球に乗って」を一緒に歌い、オリジナルのブームのメンバー4人と「こわれてしまった一日」を歌いました。本編最後の「風になりたい」にも参加して全員で一緒に歌いました。
アコースティックな気持ちのバンドなのか、歌が自然に入って行くことができました。
メリハリをしっかりつけてくれるので、歌が雄大になったようでした。
またいつか一緒にやってみたいです。

友部正人
6月4日(金)「恵比寿にて」

宮沢和史くんから誘われて、ブラジルのパーカッションのバンドをリキッドルームに見に行くことになっていたので、それまでの時間に打ち合わせが二つ、恵比寿でありました。
一つは今年の夏に出す予定の新詩集の打ち合わせを思潮社の高木さんと。
もう一つは、7月28日にスターパインズカフェで「時々自動」と一緒にやる曲の打ち合わせ。「時々自動」のアレンジでぼくの曲を10曲ぐらいやることになりそうです。
彼らの斬新なアレンジが楽しみです。

モノブロッコはブラジルから初めて来たパーカッションと歌の10人編成のバンド。
ブラジル独特のサンバのリズムで、延々2時間以上も歌い続けます。
途中に宮沢くんがゲストで2曲一緒に歌いました。13年前に彼らと作ったポルトガル語の曲だそうです。
満員の客席でしたが、驚いたのは半数以上の人がポルトガル語に反応していたこと。そんなに多くのブラジルの人が来ていたのでしょうか。
2時間休みなくサンバのリズムを聞き続けて、頭は幸せにボーっとしてきました。

友部正人
6月3日(木)「駒沢裕城さん」

ペダルスティール奏者の駒沢裕城さんを囲むコンサートが、横浜のサムズアップでありました。ぼくは出演者ではなかったけれど、東京ローカル・ホンクの木下弦二くんから誘われて、駒沢さんと二人で「ラブ・ミー・テンダー」と「日暮れの子供たちの手を引いて」の2曲を歌いました。「ラブ・ミー・テンダー」を駒沢さんと演奏するのは1992年の、日仏会館でのぼくの20周年記念ライブのとき以来。この曲はやっぱり駒沢さんのペダルスティールとやるのが一番だな、と思いました。
いろんな人が駒沢さんとセッションをして、とてもいいコンサートでした。最後に駒沢さんがソロで、クラシックと自作を1曲ずつやったのですが、どちらも本当にすてきでした。

友部正人
5月30日(日)「福岡 ジュークジョイント」

ぼくは初めてですが、今までにいろんな人がライブをやっているお店です。
もう賞味期限の切れかけたぼくのバースデイライブでした。
でもツアー3日目なので、演奏の方は今が旬かも。
今日のライブの個人的なテーマは、「年をとるってどんな感じ?」でした。
だから「少年とライオン」など、普段はあまりやらない歌も歌いました。
お客さんも若い人から年配の方までいて、一つの歌のまわりに集まった、
人々の成長の過程を見るようでした。

友部正人
5月29日(土)「ワインバー田舎」

長崎の思案橋の近所にある和風のカフェです。ずっと前にも一度来たことがあるけど、そこは去年火事で焼けたそうです。
今日はお店の都合で開演が夜9時でした。でも、電車の都合などで席を立つ人もいないようだったので、来てくれた人たちはみんな長崎の人かも。
リクエストされた「水門」、久しぶりに歌ってみたら気分が高揚しました。
最後の「夕日は昇る」はみんなで合唱になりました。

友部正人
5月28日(金)「佐賀 Rock Ride」

1年ぶりの佐賀です。去年と同じお店ですが、名前が変わりました。
ぼくの歌を生で聞きたいという人から去年連絡をもらうまで、佐賀には歌いに来たことはありませんでした。
リハーサルの後、人通りの少ない町を散歩して、開演時間に戻ってみると、店内はお客さんでいっぱいでした。

友部正人
5月27日(木)「画廊めぐり」

明日からツアーなので、今日はユミと二人で、見ておきたかった石田徹也と会田誠の個展を見に行きました。

そして帰りに神楽坂の「ムギマル2」に寄ったら、お風呂帰りの店主の早苗ちゃんが冷たいワインをごちそうしてくれて、25日のイワトの「ふちがみとふなと」ライブの話などを聞きました。「朝は詩人」を歌ってくれたそうです。

友部正人
5月25日(火)「60歳」

今日で60歳になりました。友人たちからお祝いのことばやカードや贈り物をもらいました。
今日はいろいろ用事をしているうちに夜になってしまい、遠出はやめて近所の映画館でレイトショーの「春と旅する」を見ました。
監督の小林政宏さんとは、ぼくとユミが35年前に西新宿で暮らし始めたころよく会っていて、そのころ小林くんは林ヒロシという名前で歌を歌っていて、阿佐ヶ谷で一緒にコンサートをしたこともあります。

おじいちゃんと春の歩いている姿が印象に残る映画です。たぶんそのことを印象的にするために、監督は、おじいちゃんをびっこに、春をがに股にしたんだとおもいました。いい映画でした。

友部正人
5月23日(日)「トリビュート・ライブ」

どんな企画も準備を進めていけばその日が来てしまう。この3ヶ月、三宅伸治くんの事務所のマネージャーの田中くんと、ユミは着々と準備をしてきました。

ハンバート・ハンバート、峯田和伸、森山直太朗といった若い人たちから、ぼくと同じように今年60歳になる遠藤ミチロウまで、みんながぼくの歌を歌ってぼくの60歳の誕生日を祝ってくれました。(ぼくが実際に60になるのは2日後の25日ですが。)

ぼくの提案で、若い人から年齢順に歌ってもらいました。
ひとり2曲ずつ歌ってもらったのですが、ぼくの歌だけをあげていくと、ハンバートは「あいてるドアから失礼しますよ」「にんじん」の2曲。
峯田和伸は「なんでもない日には」。
森山直太朗は「こわれてしまった一日」で、
バンバンバザールは「もうずっと長い間」と「夜よ、明けるな」。
Yo-Kingは「待ちあわせ」、
知久寿焼は「君が欲しい」と「一本道」。
リクオがチェロの橋本歩美さんと二人で「アイ・シャル・ビー・リリースト」と「カルバドスのりんご」。
三宅伸治は「雨の降る日には」と「遠来」。
原マスミは「ゴールデントライアングルのラブソング」。
遠藤ミチロウが「誰もぼくの絵を描けないだろう」と「密漁の夜」を歌いました。

ぼくはずっと下手側の客席に座って聞いていました。「友部さんはどこにいますか」と歌う人たちがステージから聞くので、何回も客席から「ここだよ」と返事をしました。

ミチロウの後、ぼくがソロで「大道芸人」と「大阪へやって来た」を歌いました。
そして、ドラムスの杉山章二丸とクラリネットの安藤健二郎も加わり、総勢17人の出演者全員で、「夕日は昇る」「朝は詩人」を演奏しました。
全員で歌うコーラスの部分は圧巻でした。たぶん聞いている人たちもそう感じたのでは。
アンコールの「ぼくは君を探しに来たんだ」では、前半分の椅子席お客さんたちもみんな立ちあがり、ずっと立って聞いていてくれた人たちと一緒にこの歌を合唱してくれました。
そして2度目のアンコールは、三宅くんと二人だけで「はじめぼくはひとりだった」。

みんながぼくの歌を歌ってくれるのを聞きながら、歌は聞くものでもあるけれど、本来は歌うものなのだと思いました。「大阪へやって来た」でデビューした頃、世の中では歌は確かにそういうものだったような気がします。みんなが聞く側にまわってしまったのは洋楽のせいなのでしょうか。

コンサートはとてもすばらしかった。みんな自分にとっての友部正人を歌ってくれました。打ち上げが終わり、帰り際に知久くんから強く抱きしめられました。

ユミ、田中くん、三宅くん、当日スタッフの沼くん、武田くん、大村さん、麻紀さん、一穂、そして出演者のみなさん、本当にうれしかった。ありがとう。

大きなバースデイケーキ、一度にローソクを吹き消すのが大変でした。

友部正人
5月22日(土)「ハイチ地震復興支援コンサート」

横浜のライブハウス「サムズアップ」で、ハイチの復興支援のチャリティコンサートがありました。出演はハイチのアゾールとサラ・レネリク、そして日本から辻コースケ、奈良大介です。
福山のライブハウス「ポレポレ」のユウさんが実現させた企画です。アゾールさんのCDはぼくも前に買ってあったので、生を聞くのが楽しみでした。アゾールさんのたたく太鼓の音は馬のひずめのようで、声は大木のよう。ただただ痛いだけのロックのドラムスとは全然違いました。叫ぶのではなく、うなる。歌うのではなく、呼びかける。
アゾールさんの歌に合わせて踊るサラさんの体の動きもくねくねとダチョウの首のようで美しかった。

友部正人
5月20日(木)「レコーディング」

去年の9月に最後にレコーディングして以来、久々に東京ローカル・ホンクとその続きをしました。飛び飛びで録音していたら、いつのまにか1年以上たってしまった。結局ホンクとは11曲録ったことになります。
今日はソロでも1曲録音しました。
今回使ったスタジオは狭いけれど居心地が良く、ギターの音も自然できれいです。このままだらだらと2年ぐらいやっていそうなので、ひとまず今日で完成ということになりました。

友部正人
5月18日(火)「リハーサル」

今日は二つのリハーサルがありました。

4時からは、6月6日のTHE BOOMのコンサートのためのリハーサル。
THE BOOMの宮沢くんたちと久しぶりに会えてうれしかった。
彼らと一緒に演奏するのは本当にひさしぶりです。

夜は東京ローカル・ホンクと、20日にやるレコーディングのための2曲をリハーサルしました。去年からゆっくり続けてきたホンクとのレコーディングもこれが最後の曲になります。ようやくアルバム完成に向かって動き出しそうです。

友部正人
5月16日(日)「南箕輪村 地酒処叶屋」

今年で3回目の叶屋ライブです。きっかけは叶屋40周年記念ライブでした。
そして、また来年も、と言っているうちに3回目になりました。
毎回叶屋の倉田さん夫妻はたくさんのリクエスト曲を準備しています。
本当に自分たちが聞きたくて開いてくれているというのがわかってうれしいです。
今年も終演後に、また来年も、と言ってくれました。

友部正人
5月15日(土)「Lamps Lodge」
小淵沢にあるロッジでライブをしました。オーナーの小林さんは以前横浜のサムズアップに勤めていました。5年前から夫婦でロッジとバーを経営しています。
前から行きたいと思っていたから、それが初めて実現してうれしかった。
宿泊客は週末を家族で楽しみに来ていて、ライブにはあまり関心がないようでした。
聞きに来てくれたのは遠くの人たちでした。
小林さんは、冬の小淵沢もいいですよ、と言ってくれました。

友部正人
5月14日(金)「千曲市 わいわいはうす」

千曲市にある居酒屋「わいわいはうす」でライブをしました。オーナーの金子さんは自分の店でのぼくのライブがやっと実現してとても喜んでいました。
終演後、ぼくの似顔絵をあしらった特製ケーキで、スタッフの人たちとぼくの誕生日を祝ってくれました。

友部正人
5月9日(日)「三豊 ブギーナイト」

ガレキレコードの日下くんたちと、車で三豊に向かいました。途中瀬戸大橋を渡ったけど、日曜日なので1300円でした。
丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館に寄り道しました。全館写真撮影可で、係員の女性たちもおおらかな感じでした。猪熊弦一郎の絵のようです。

ブギーナイトで三宅伸治くんと合流しました。今日は「ロックンロール、やってます」ツアーの最終日。お客さんは1曲目から、コンサートの終盤のようなのりです。
一部の最後の曲、「一本道」でぼくが歌詞を間違えかけたのも、お客さんたちの熱気に押されたのかも。
アンコールで、ブギーナイトのオーナーの湯口くんが内緒で準備していたバースデイケーキがステージに運ばれてきました。
ギターの絵のついた大きな四角いケーキです。
三宅くんの音頭で、全員がハッピーバースデイを歌ってくれて、ぼくはろうそくの火を吹き消したのでした。
ちなみに、ブギーナイトも2周年の誕生日だったそうです。

友部正人
5月8日(土)「津山 地味庵」

福山からJRの電車を乗り継いで津山にやって来ました。2年ぶりです。
会場は前回と同じ「地味庵」で、主催もガレキレコードの人たちです。
リーダーの日下くんは30代後半ですが、スタッフはみんな20代だとか。
そんな若い人たちが、今月60歳になるぼくに特別なTシャツをプレゼント
してくれました。満席のお客さんたちもぼくにはうれしいプレゼントでした。

友部正人
5月7日(金)「福山 ポレポレ」

昨日名古屋駅で横浜に帰るユミと別れ、今日は一人で福山にやって来ました。
西日本を行ったり来たりしている感じです。
リハーサルの後、古本屋で、ずっと探していた本に出くわしました。
うれしくて、その本を手にお城の周りを一周歩きました。
今日はライブも普段よりちょっと長めになったかもしれません。

友部正人
5月6日(木)「四日市でカレー」

今日はオフです。月の庭の佳織さんが用意してくれた朝食を食べてから、ユミと亀山の市内を走りました。市内といっても5分も走れば郊外です。
戻って来て、朝食の残りを食べてから、カメラを持って、走っている最中に見たものを撮りにでかけました。
お昼すぎに佳織さんが四日市の「河」というお店にカレーを食べに行きましょう、と誘ってくれたので、車で3人で食べに行きました。

友部正人
5月5日(水)「亀山 月の庭」

約1年ぶりに亀山に来ました。亀山は静かな町です。通りにもほとんど人は歩いていません。ぼくはこの亀山の静けさが好きです。
ライブは夕方5時から始まりました。お客さんはみんな床に思い思いに腰をおろして聞いています。ぼくも今日は椅子に腰掛けて歌いました。
今日は気温が高く、扇風機を回してもらいました。

友部正人
5月4日(火)「友部正人と三宅伸治で春一番」

三宅くんと春一番のステージに立ちました。出番は一番最後でした。
「反復」「ライク・ア・ローリングストーン」「はじめぼくはひとりだった」「一本道」「大阪へやって来た」の5曲をふたりでやりました。
風太が「アンコールやってええぞー、何曲でも。」と言ってくれたので、「雨の降る日には」「ぼくは君を探しに来たんだ」をやりました。
日が暮れていくのを見ながら演奏できるのも野外コンサートならではのことです。
めずらしく今年はたっぷりと春一番で歌うことができました。

友部正人
5月3日(月)「祝春一番」

ぼくとユミは今日から大阪の「祝春一番コンサート」に来ています。さっそく客席で大塚まさじや木村充輝を聞きました。大塚ちゃんは先日亡くなった沢田としきの絵をバックに、沢田くんもサックスで参加していた「屋上のバンド」の頃の「街唄」を歌いました。「天王寺思い出通り」も久々に聞いてじーんとしました。

木村くんはどこを切り取っても木村くんになってしまうボーカリストです。
「君といつまでも」をライブで初めて聞きました。

友部正人
5月1日(土)「横浜 サムズアップ」

ぼくにとって久しぶりのライブでした。三宅くんとの「ロックンロール、やってます」ツアーの再開です。いつものレパートリーに加えて、今日はぼくからのリクエストで「びんぼうワルツ」を一緒にやりました。なんでもない言葉がきちんと歌になっている名曲。「ジョージア・ジョージア・オン・マイ・マインド」もなかなかうまくいきました。
今日はしんみりした曲が合う日だったのかな。
三宅くんはギターリストというよりは音楽家なのだと感心しました。

友部正人
4月30日(金)「しいちゃん」

以前はポケットサイズだった絵本「しいちゃん」が、普通の絵本の大きさになってこの4月にフェリッシモから発売になりました。今度は本屋さんでも買えます。
絵が大きくなっても、表紙のしいちゃんは子供のままです。文章はぼくで、絵は沢野ひとしさん。
ぼくのライブ会場で販売するかもしれません。

友部正人
4月29日(木)「沢田としき」

絵描きの沢田としきさんが骨髄性白血病でなくなりました。1年ぐらい闘病していたことは知っていましたが、少しずつ良くなっていると勝手に信じ込んでいました。
今日は、お葬式がありました。沢田くんと名前が同じ綾田俊樹さんが友人代表で挨拶しました。「君はそっちに行ってしまったけど、ぼくたちはまだこっちで生きている。」沢田くんはすてきな人だったという、綾田さんの挨拶もまたすてきでした。

ぼくのニューヨークのアパートには、沢田くんの描いた「ビオレッタ・パラ」のアクリル画が掛かっていて、向こうにいるときは毎日見ています。ビオレッタ・パラがギターを抱いて椅子に腰かけている絵です。沢田くんほど楽器の絵をたくさん描いた絵描きはいなかったのではないでしょうか。音楽の一番近くにいた絵描きでした。
沢田くんがキューバやアフリカが好きなのも、きっと音楽の影響でしょう。
棺で眠る沢田くんの胸に手を置いて、「ぼくもキューバに行ってみるよ」と誓ったのでした。

その後、ぼくとユミは火葬場へは行かずに、久しぶりに会った、横浜に住んでいるチャールズ清水と一緒に電車で帰りました。

友部正人
4月24日(日)「戻って来ました。」

23日午前5時、航空会社からのフライトキャンセルの電話で目が覚めました。
成田への直行便が飛ばない、ということでした。こんなことは初めてです。
理由がわからないまま、シカゴ経由の別の便に変更して帰ることにしました。
空港がJ・F・ケネディからラ・ガーディアになり、出発が2時間も早まったので、荷物のパッキングとかカーサービスの予約変更とか、かなりばたばたしました。
でも飛行機の中では座席のせいかのんびりできて、直行便ではないのに疲労が少なかったのが不思議です。
乗継だと荷物が無事成田に届くか心配になりますが、今回は大丈夫でした。

友部正人
4月21日(水)「アーティスト・トークとジェイコブ・ディランのコンサート」

先日紹介した「初期のガロ展」の、近藤聡乃さんとライアンさんのアーティスト・トークを聞きに行きました。ライアンさんは聡乃さんの作品をスライドで紹介しながら、ガロなどのアンダーグラウンドな日本の漫画からの影響を探っていきます。
そんなライアンさんの質問に答える聡乃さんの答えは明快でたのもしい限りでした。

途中で会場を抜けて、前から予定していたジェイコブ・ディランのコンサートに行きました。新譜を発売したばかりなのにタウンホールの一階席が埋まらず、二階席のチケットを買っていたぼくたちも、係員から一階に移動するように言われていい席で見ることが出来ました。
以前より観客の年齢層がずいぶん高くなったようで、もしかしたらボブ・ディランの息子だということで来ている人も多いのかな、と思いました。

演奏はわりと単調で、盛り上がってきたのは中盤を過ぎてから。最後はジェイコブも観客に「立とうよ」と言えるくらい打ち解けた雰囲気でした。

バイオリンはデビッド・マンスフィールド。彼がボブ・ディランと78年に来日したときは、ジェイコブはまだ子供だったはずです。
コーラスはニコ・ケイスとケリー・ホーガン。このケリーさん、なかなかいい声でした。

友部正人
4月19日(月)「MoMA」

ファスビンダーの1970年の映画を見にMoMAに行ったのですが、キャンセル待ちの長蛇の列。結局見られませんでした。
せっかく来たのでアンリ・カルティエ・ブレッソンの写真展を見ました。
ブレッソンのカメラは撮るものを長い物語の一こまにしてしまいます。
彼がこれだけたくさんの革命や戦争の写真を撮っていることは知りませんでした。

MoMAの2階では相変わらず、マリナ・アブラモビッチが観客とじっと向き合うパフォーマンスを続けていました。これから5月末の会期の終了までに、一体何人の人とじっと向き合っていくのかと考えると、このとてつもないことをする
アーティストの偉大さがわかります。

友部正人
4月18日(日)「アナ・モウラ」

ポルトガルのファドの歌姫、アナ・モウラを聞きに行きました。
バンドはベース、ギター、ポルトガルギターのとてもシンプルな編成。
ファドには伝統的なファドと新しいファドの2種類があるそうですが、ぼくには見分けがつきません。あるときふと耳に聞こえてきたメロディを組み合わせてできたという初めての自作の曲も、伝統音楽と区別はつきませんでした。それはファドという音楽には強烈な匂いがあるからだと思います。
共演したことがあるというローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」と「ノー・イクスぺクテイション」ですら、ちゃんとファドになっていました。
4曲ぐらい会場に来ていたポルトガルの人たちと大合唱になりました。
いろんな民族の住むニューヨークだからこその盛り上がりでした。

友部正人
4月18日(日)「市民ランナーたち」

高知の友人からのメールに、最近夫婦で走り始めていると書かれていました。
新しい友だちができたみたい、とぼくは返事をしました。

今日は近所に住んでいる駐在員の美穂さんとユミとぼくの3人で、ハドソン川沿いを走ってきました。普段セントラルパークを走っている美穂さんには今日のコースは珍しかったようで、何回も立ち止まってはi-phoneで写真を撮っていました。勤めていると週末しか走れないんだそうです。

身近なところにも、レースに出ている人たちがいます。
ぼくの住んでいるビルのフロントデスクで働くトニーもその一人。毎年ニューヨークシティマラソンが終わると、お互いの成績を報告しあいます。
アムステルダム・アベニューにあるピザ屋の主人も、今年のニューヨークシティマラソンに初めて出るそうです。去年のセントラルパークでのレースに9回出場して、ボランティア活動にも1回参加して、今年のマラソン出場権を得たのだそうです。
市民ランナーたちはみんな、普段は仕事をしています。そんな当たり前なことに感心しています。

友部正人
4月14日(水)「60年代ガロの」展覧会」

27丁目にあるThe Center of Book Artのギャラリーで、明日からオープンする「60年代ガロ展覧会」のオープニングパーティに行きました。
ガロは月刊漫画雑誌で、ぼくが若い頃はみんな夢中で読んでいました。
展示されたガロはカリフォルニアに住むライアンさんが日本で集めたものだそうです。
アメリカでは去年、辰巳ヨシヒロの作品集が英訳で出版されて話題になっていました。
今年は林静一の「赤色エレジー」も出るそうです。今日は想像以上に盛況で驚きました。
21日には、現在クイーンズに住みアニメーションを制作している近藤聡乃さんとライアンさんのトークショーも行われます。
意表をつく企画ですが、アメリカで見るとよりインパクトがあります。

友部正人
4月12日(月)「ランニング」

いつもはユミとセントラルパークを走っているけど、今日は目先を変えてハドソン川沿いにジョージ・ワシントン・ブリッジまで二人で行ってみることにしました。ジョージ・ワシントン・ブリッジはマンハッタンの180丁目あたりにあって、ぼくたちのアパートのある73丁目からは9キロぐらいの距離です。
桜並木の小道を125丁目まで走り、そのままハドソン川に沿って北上しましたが、あと少しのところでで道がわからなくなり、たどり着けずにまた走って引き返しました。

友部正人
4月10日(土)「R.CrumbとMarlene Dumas」

チェルシーの画廊にR.Crumbの「The Book of Genesis」原画展を見に行きました。
これは聖書を漫画化したものです。
R.Crumbの漫画は70年代のヒッピーの文化と密接な関係があるようです。
でも本人は一つの時代や文化にはとらわれていなかったのでしょう。
以前にはブルースマンをモデルにした画集も出していました。
閉館間際でゆっくりとは見られなかったけど、聖書のお話は個人の想像力をはるかに越えているようです。現在の人がもう一度書いたら、きっともっとおとなしいストーリーになるのでは。

同じ画廊でMarlene Dumasの新作も展示されていました。この人の作品は前に日本の現代美術館で見たことがあります。「Against the Wall」というタイトルで、パレスチナのことなんだなとすぐにわかりました。リアルな感じがたまらないです。

友部正人
4月8日(木)「カエターノ・ベローソ」
今日はユミとカエターノ・ベローソを見てきました。スタンディングでしかも満員バスのようだったのできつかったけど、ライブはおもしろかった。
カエターノのライブはお客さんが大声で歌うと聞いていたけど、本当にそうでした。みんな歌をよく知っているし、カエターノもお客さんが自分の歌を知っているのは当然、という堂々とした感じです。
英語の歌は一曲だけ。1970年にイギリスに亡命しているときの歌で、妹のマリア・ベターニャに宛てた歌でした。

これでブラジルのミュージシャンは、ミルトン・ナシメント、ジョアン・ジルベルト、ジルベルト・ジル、カエターノと4人見たことになります。
アメリカやイギリスの音楽と全然違うけど、日本人には馴染みのある感じで、ポルトガル語の歌詞がわからなくても楽しめました。

友部正人
4月7日(水)「食事会の日々」

5日は漫画家の近藤聡乃さんが遊びに来たので、また餃子を作りました。
聡乃さんはアニメーションを制作するために1年間の予定でニューヨークに滞在しています。
聡乃さんの「てんとうむしのおとむらい」という作品をDVDで見せてもらいました。
絵がするすると言葉をすり抜けていくようでおもしろい作品でした。

6日はヨシとマドレインが食事会に呼んでくれました。いつもの通り、奇抜な創作メニューです。マドレインは最近はシャーベット作りに凝っています。

7日は写真家のイヨタシゲミさんがカンボジアから帰って来たので、わが家でまたまた餃子パーティをしました。シゲミさんは妊婦なのに、一ヶ月以上カンボジアに撮影に行っていました。旦那さんのカクくんはランナーで、今年のボストンマラソンに出る予定だけど、足をけがをしてしまい悩んでいます。
化粧品会社に勤める美穂さんもランナーで、今日初めて会いました。
気がついたら朝の3時、みんな元気なのでぼくもユミも時間がたつのを忘れていました。

友部正人
4月4日(日)「イースター」

セントラルパークウエストの65丁目にある教会に、バッハの合唱を聞きに行きました。
今日はイースターで、その礼拝もありました。
その後日暮れのセントラルパークに桜(ソメイヨシノ)の写真を撮りに行きました。
やがて夜になってしまい、ストロボを使った撮り方をいろいろとユミに教えてもらいました。

友部正人
4月3日(土)「現代思想」

ボブ・ディランの来日公演は良かったみたいですね。
ぼくは今回はニューヨークに来ていて行けなかったけど、行った人たちはみんな今までの来日公演で一番良かったと言っています。
選曲はもちろん、同じ曲でもアレンジが日によって変わっていたようです。
きっと演奏しているバンドは楽しいだろうな、と思います。

「現代思想」がボブ・ディラン特集号を出します。ぼくも依頼されて文章を書きました。
5月増刊号です。

友部正人
3月30日(水)「毎日新聞」

ニューヨークに来る前に取材を受けた記事が、4月3日付の毎日新聞夕刊に載ります。
記事のタイトルは「人生、夕方から楽しくなる」です。
取材も撮影も、横浜のBankArt NYKでやりました。
ぼくたちはニューヨークにいて当分見られないので、代わりにみんなでその日の新聞を見てください。

友部正人
3月28日(日)「餃子パーティ」

前からヨシとマドレイン夫妻を呼んで、家で食事会をしたいと思っていたことが、ようやく実現できました。いつもヨシたちにご馳走になってばかりだし、日ごろからお世話になっているお礼もこめて。
といっても得意な料理はぼくには何もなく、種はユミに作ってもらうことにして、強力粉をこねて餃子の皮を作ってみました。
横浜で何回か練習もしました。そのおかげでうまくいって、ヨシとマドレイン、それから友だちのマサに喜んでもらえました。

友部正人
3月26日(金)「ホイットニー美術館ビエンナーレ」

二年ごとにホイットニー美術館で開かれる現代美術の発表会です。今回も実に多くの作品が出展されていましたが、印象として散漫でした。
特に言いたいことがないので、自然に説明が増えていく、という感じです。
でも説明を読んで愕然とするような作品もありました。
ドメスティクバイオレンスが原因で焼身自殺を図ったアフガニスタンの女性たちを撮影したドキュメンタリー写真です。

友部正人
3月25日(木)「マリーナ・アブラモヴィッチ」

MoMAに行きました。ニューヨークに来る直前に東京の近代美術館で見た「ウィリアム・ケントリッジ」をこちらでもやっていました。
南アフリカでの体験を元にしたたくさんのアニメを見ると、自分の体験の中からぼくは何を見てきたのかと考えさせられます。

ユーゴスラビアのアーティスト、マリーナ・アブラモヴィッチのライブパフォーマンスも見ました。テーブルをはさんで、観客と向き合うというパフォーマンス。
それから過去に彼女がやってきた作品を他のパフォーマーたちが演じていました。
パフォーマーたちは全裸だったり、身動きをやめてじっと見つめあったりしています。
それから過去のアブラモヴィッチのライブパフォーマンスをフィルムで見せていました。
自分の体を傷つけたり、鞭打ったり、観衆にさらしたり、暗い音楽に涙したり、どれもシンプルだけど深く、物静かだけど激しいものばかりでした。
こればかりは実際に見るしかない、それがライブということなのでしょう。
ユミも「記憶に残ってしまって、夢に出てきそう」とちょっとショックなようでした。

友部正人
3月25日 「友部正人トリビュートライブのこと」

寒さがぶり返したニューヨークです。
セントラルヒーティングが入ったり止まったりして、アパートの中も今日はひんやりしています。

5月に下北沢で「友部正人トリビュートライブ」があります。
今月23日がチケットの発売日でしたが、1時間で売切れてしまったようで、来週追加チケットが発売されることになったそうです。

3月29日の正午から、ローソンのみで発売します。
ローソンチケット:0570-084-003(Lコード:77094)

このライブは、ぼくの60歳の誕生日をお祝いしたいと、三宅くんが言い出して、やることになりました。三宅くんのマネージャーの田中くんも張り切ってくれています。
ユミとぼくは、この日に来て欲しい人たちを考えたり、記念Tシャツの絵を描いたり、と準備にも参加して楽しんでいます。

友部正人
3月21日(日)「NYC HALF MARATHON」

ニューヨークシティハーフマラソンを走りました。
11月のニューヨークシティマラソンの姉妹編のような大会です。セントラルパークの東97丁目を朝7時35分に出発して、セントラルパークの中を一周半、その後セブンスアベニューから42丁目を通り、ハドソン川沿いのウエストエンドハイウェイを、元ワールドトレードセンター横のバッテリーパークシティまで走ります。
マンハッタン最大の繁華街、タイムズスクエアを通るのですが、朝早かったので応援はまばらでした。
最後の頃気力が失せて失速しかかったら、横を走っていた男の人が励ましてくれて、1時間33分27秒でゴールしました。

友部正人
3月18日(木)「マメナシの花の季節」

セントラルパークにユミと走りに行きました。街路樹にも使われているマメナシの蕾が今にもはじけそうにふくらんでいました。今日は20度近い陽気でした。

いったんは休刊していた「雲遊天下」が今年の一月から季刊で再刊されています。
ぼくも「ニューヨークを踏んづけた人たち」というエッセイで参加していて、2回目の原稿の締め切りがそろそろ迫ってきています。

友部正人
3月17日(水)「フランクのライブ」

今夜はセンンド・アベニュー駅のカフェに、フランク・クリスチャンのライブを聞きに行きました。ここは投げ銭スタイルのカフェで、夕方の5時から、一人1時間ずつ演奏ができます。一人終わるごとにミュージシャンへのカンパを入れるバケツが回ってきます。だいたい一人5ドルぐらい入れることになっているみたいです。最近は教会でのフォークコンサートでしか聞かなかったけど、フランクにはこういったカフェがよく似合っています。
感じのいいお店で、そのうちぼくもやってみようと思いました。

友部正人
3月16日(火)「ニューヨーク」

今日からニューヨークに来ています。ニューヨークにお昼前に着く便だったので、昼と夜が全く逆転した感じで、時差ぼけに苦しみそうです。

友部正人
3月13日(土)「Book Japan、ニューヨーク」

書評サイト、Book Japanの書評欄は2月いっぱいで終了だそうです。
ぼくは2年間毎月書いてきたので、突然なくなるのはとても残念。
サイトにも何の説明もないのでぼくにも詳しいことはわかりません。
本の販売のみ続いているのでしょうか。
説明があってもいいような気がします。

ぼくとユミは16日からニューヨークに行きます。
結局今回のボブ・ディランのジャパン・ツアーには行かないことにしました。
ボブ・ディランのライブはよくアメリカで見ているからです。
でもやっぱり、13日の大阪公演に行った三宅くんたちの感想が気になります。

友部正人
3月12日(金)「大阪 シャングリラ」

あっという間の短いツアーでした。
今日の大阪が終わって、「ロックンロール、やってます」ツアーは5月までお休み。

三宅くんはおもしろい人で、毎回自分の能力をフル活用して新しいことに挑戦しています。二人の共作「Hey!」なんかもそのひとつ。アルバムには入れなかったけど、ライブでは重要な一曲になりました。
三回目のアンコールは「ぼくは君を探しに来たんだ」。名残惜しい気分になりました。

声の調子が崩れないので、ツアー中ぼくはお酒を飲みません。
これもまた三宅くんの影響です。
最終日の今夜はぼくも三宅くんもたっぷりワインを飲みました。

友部正人
3月11日(木)「京都 磔磔」

ぼくにとっては久しぶりの磔磔でした。相変わらずいい雰囲気、ライブ前にかける音楽のぴったりな選曲。

大阪では今日からボブ・ディランのコンサートが始まっています。
ぼくたちの今日のボブ・ディランのカバーは「ドント・シンク・トゥワイス」と「ライク・ア・ローリングストーン」。春の京都のライブなので、「もう春だね」という懐かしい曲もやりました。

友部正人
3月10日(水)「名古屋 得三」

「ロックンロール、やってます」ツアー3日目。リハーサルも簡単な音あわせだけで本番に臨めるようになりました。

満員の得三、三宅くんは今日もリラックスした感じでステージに臨んでいました。2日前に誕生日を迎えて、家族でケーキを食べたそうです。

曲順が多少変更したけど、曲目はだいたいスターパインズのときと同じでした。

アンコールで、客席の人たちがハッピーバースディを歌い始めました。
三宅くんのマネージャーの田中くんとユミのたくらみで、ぼくはギター形のクラッカーを発射させました。そしてみんなが歌うハッピーバースディの伴奏をギターでしました。盛り上がった一瞬でした。

友部正人
3月6日(土)「秩父 ホンキートンク」

「ロックンロール、やってます」ツアーの二日目は秩父でした。
開演前にみんなでおいしいおそばを食べて、それが消化しないままライブが始まりました。

今日はオープニングアクトの人がいたので、ぼくたちは休憩を取らずに一気にやりました。「Just Like A Woman」の代わりに「If Not For You」を歌ったり、「地球の一番はげた場所」の代わりに「もう春だね」をやりました。
曲数はそんなに変わらないのに、あっというまの2時間でした。

友部正人
3月5日(金)「吉祥寺 スターパインズカフェ」

三宅伸治くんとぼくの「ロックンロール、やってます」の発売記念ライブ初日。
去年の8月にライブ録音したスターパインズカフェでやりました。

2回のアンコールを含めて全部で20曲演奏しました。
残念だったのは1部の最後の「一本道」の5番で、ぼくがまた歌詞を間違えたこと。ライブレコーディングのときも同じ場所を間違えて、最初からやり直しをしました。でも今夜は録音ではなかったので、そのままでした。
三宅くんと二人で演奏するのは8月のレコーディングのとき以来で、少し緊張していたのかもしれません。

友部正人
2月28日(日)「東京マラソンの応援」

月島の佃大橋で、東京マラソンに出る人たちの応援をしました。
雨がみぞれに変わったりするくらい寒かった。
走っている人たちも全員寒そうでした。
ぼくとユミと、月島に住む友人夫妻の4人で応援していたのですが、2時間もすると寒さで手も足も動かなくなり、帰り道ぼくはまるで走ったみたいに足を引きずって歩いていました。

友部正人
2月25日(木)「横浜 ドルフィー」

年に一度の「ドルフィー」での板橋文夫さんとのライブ。もう何年も続けていて、毎年楽しみにしている人たちもいます。

前半はぼくがソロで4曲歌った後に、板橋さんと4曲やりました。
休憩の後、板橋さんがソロでシューマンの「子供の情景」。
クラシック曲を録音したことはまだないそうです。ぜひしてほしい。

その後6曲二人で演奏しました。今日はじめてやった曲は「ダンスホール」「夜更かしの続きは」「生きていることを見ているよ」の3曲。
最後の「夕日は昇る」では、聞きに来ていた安藤健二郎くんが飛び入りでクラリネットを吹いてくれました。
アンコールは板橋さんと安藤くんのふたりで、ぼくのために即興で「還暦ロック」。
その後三人で「38万キロ」でおしまいでした。

板橋さんのピアノのリズムはがっしりとしていて、ぼくがかなりふらふらしていても演奏に影響しません。そこがすごいと思いました。

友部正人
2月23日(火)「仙台 火星の庭」

午前中にユミと青葉山山頂にある東北大工学部のキャンパスまでラン。
1時間ぐらい走りました。

火星の庭は、まん中の本棚を店の外に出しても、40人ぐらいしか入りません。
ここでぼくは年に一度、句会につなげるかたちでソロライブをやっています。
秋田、弘前、函館と続けてライブをしてきて、声はくたびれていました。
でもそのときそのときが新しい声だと思って歌います。
他の街ではなかなか歌えない地味な歌も歌いました。なれた場所ならではのことでした。

お店のエアコンが故障していて、石油ストーブを準備したりしたけど、今日はコートも必要がないような陽気でした。

友部正人
2月22日(月)「仙台 火星の庭句会」

電車で青森に戻り、テリーさんの車で一路仙台に向かいました。暖かく、高速道路に雪はありません。
仙台に着いたのが夕方の6時ごろ。一人で運転していたテリーさんはさぞ疲れていたでしょう。横浜からユミが到着して「火星の庭」で待っていました。
句会のメンバーの一年間の作品をまとめた句集も完成したので、今回の句会は繁華街の「近藤商店」で開かれました。3時間の貸切。次から次へとすごい料理でした。もちろん牛タンも出ました。
今夜ぼくが一番感心した句は、主宰の渡辺さんの「貨車よりも淋しき冬木ありにけり」でした。

友部正人
2月21日(日)「函館 亀しょう」

青森に車をおいて、テリーさんと電車で函館に。青函トンネルをくぐって約2時間の旅です。テリーさんはこのツアーをまとめてくれて、一緒に旅しています。
「亀しょう」が別の場所で焼肉屋だったときに一度ライブをしたことがあります。
今は焼肉ではなく、熱烈なフォークファンのたまり場です。
お客さんは50代の人が中心ですが、フォークが好きでお店に出入りしている若い人たちもいました。
店主の吉田さんは「大阪へやって来た」を初めて生で聞いたと、とても喜んでくれました。

友部正人
2月20日(土)「弘前 アサイラム」

昨年11月の那覇、桜坂劇場でのイベント「アサイラム2009」で、弘前「アサイラム」のオーナーの浩さんに初めて会い、なんとなく行ってみたい気持ちになりました。
それが今回ライブをすることになったきっかけです。
隠れ家のような「アサイラム」の入り口は駐車場の奥にあります。ドアの前も駐車場も深い雪に埋もれていました。
でも中に入ると音楽とおしゃべりとお酒の天国。そこは何年か前までは浩さんがやっていたレコード屋の倉庫だったそうです。
今夜は吹雪で予約の人が何人か来られなかったそうですが、ぼくを十分にやる気にさせるようなお客さんの雰囲気でした。来てみてよかった。

友部正人
2月19日(金)「秋田 書籍販売まど枠」

4階建ての古いビルには、ギャラリーや喫茶店、そして「書籍販売まど枠」がありました。すべて若い人たちが独自にやっています。
「まど枠」は新刊の美術書を中心に販売する小さな本屋です。
そこでぼくはライブをしました。お客さんの方が照れるくらい客席とステージが近い状態です。
とりあえず椅子があって、時間の流れがゆっくりしている書店の中ですから、窮屈でもリラックスして聞いてくれたようです。

友部正人
2月18日(木)「Book Japan」

先週の木曜日が定期掲載日だったBook Japanの本の紹介サイトですが、休日に重なったため、一週間ずれて今日がその掲載日でした。
今回は中谷宇吉郎「雪」を取り上げています。
ぼくとしてはめずらしく自然科学の本です。でもおもしろかった。

書き忘れましたが、先月は早川司寿乃さんの「いつも通りの日々」を取り上げました。早川さんはぼくの「耳をすます旅人」の表紙を描いてくれた古い友人です。道に迷ったような不思議な絵がそのまま文章になったようなお話でした。ぜひ読んでみてください。

友部正人
2月15日(月)「Every Little Step」

ミュージカル「コーラスライン」の8ヶ月間にわたるオーディションの様子を記録したドキュメンタリー映画「ブロードウェイ ブロードウェイ(Every Little Step」をやっとTSUTAYAで借りて見ました。手放すのが惜しいくらいよかった。

ぼくとユミがブロードウェイでこれを見たのは上演開始直後の4年ぐらい前の秋でした。沖縄出身のダンサーでシンガーの高良結花さんが出ているので見に行ったのです。高良さんとは沖縄の野田さんの紹介で知り合いました。
それまではぼくもユミもミュージカルには興味はありませんでした。
席は一番後ろの方でしたが、感動しました。後にCDも手に入れました。

でも、そのミュージカルのオーディション風景を撮ったものなのに、本番よりもこちらの方が迫力がありました。こちらの涙や喜びの方が現在の本物だからです。

友部正人
2月13日(土)「ウィリアム・ケントリッジ」

今日は朝から雨。時々みぞれにもなったりで、ランニングの雰囲気ではありません。
そこで今日はユミと、竹橋の近代美術館に「ウィリアム・ケントリッジ展」を見に行くことにしました。
ウィリアム・ケントリッジは南アフリカのアーティストで、絵、版画、アニメーション、映画、舞台と何でもやります。アニメーションは以前NYのメトロポリタン美術館で見たことがありました。
彼は南アフリカで生まれ育った白人です。彼自身は若い頃から反アパルトヘイトだったけど、彼の作品には支配する側の後悔と悲しみのような感情が流れているように思えます。アパルトヘイトが廃止されても、依然として裕福なのは白人で、黒人は貧しいまま犯罪に走る。結局革命では何も変えられなかったことを、明るく自嘲しているようなところもあるような気がします。

美術館を出ると、みぞれの降る中、何人もの人たちが皇居の周りを走っていました。

友部正人
2月10日(水)「ダニエル・ジョンストン」

やっぱり関西滞在を一日延長して、ダニエル・ジョンストンを見ることにしました。
前半はピアノの弾き語りとギターの弾き語り。悲しい歌が多いけど、素直に心に飛び込んできます。後半はギターの人がついて、ダニエルくんはマイクを握り締めて歌っていました。ロックンロールが彼を救ったのだなあ、と納得しました。
会場は若い人ばかりでした。ダニエルくんの歌詞を一緒に口ずさんでいる女性もいました。

彼の「Story of an artist」をカバーした、ぼくとふちがみとふなとのユニット、LDKの「二つの午後」のCDを手渡したかったけど、ダニエルくんはもう会場を出るところだというので、CDをスマッシュの方に託しました。聞いてくれたらうれしいけど。
たった1時間のステージでしたが、ぼくもユミも、やっと本人に会えたという喜びでいっぱいになりました。

友部正人
2月9日(火)「神戸 チキンジョージ」

チキンジョージ30周年記念イベント。バンバンバザールの連続4日間のライブの一日目のゲストでした。
今の新しいチキンで歌うのは初めてですが、やりやすいいいライブハウスでした。
一部は有山じゅんじ、石田長生、二部にバンバンバザールとぼくが演奏して、アンコールは全員でやりました。
それにしても、このメンバーで演奏できてうれしかった。
全員で歌った「夕日は昇る」、石田長生と二人の「大阪へやって来た」バンバンとやった「チルチルミチル」、一人では味わえない気持ちよさでした。

友部正人
2月8日(月)「ダニエル・ジョンストン中止」

今日は大阪のクアトロでダニエル・ジョンストンのライブを見る予定でした。
ところが主催のスマッシュの人からメールで、オーストラリアからの飛行機の遅れで、ライブが2月10日に延期になったとか。
悔しいのでユミと二人で7時ごろクアトロまで行ってみました。
大勢の人がびっくりしていました。
さて、ぼくたちはどうするか。明日の神戸チキンジョージでのライブの後もう一日大阪に残って見に行くか、ユミと相談しているところです。

今夜は心斎橋のホテルで、することもなく、「ローマの休日」をTVで見ました。
映画はとてもよかった。

友部正人
2月7日(日)「金沢 ジョーハウス」

ジョーハウス石引店の店長のモカくんととわちゃんもまだ若いけど、店に来る学生からはおじさん、おばさんと呼ばれるらしい。
ぼくからはまだ学生ぐらいにしか見えない二人が、もっと若い人たちをたくさん集めてくれて、今日のジョーハウスは満員でした。

友部正人
2月6日(土)「美濃太田 ワンダーランド」
案の定、朝起きたら大雪でした。積雪は30センチぐらい。一瞬で帽子の上が白くなります。予定より早く高山を出発して美濃太田に。

会場の「ワンダーランド」は丸圭書店の奥にありました。もうすでに椅子が並べられていた。
広い丸圭書店を見て回りました。ジャンルによって分けられてはいるけど、新刊と古書がごっちゃになっています。そういうところは見ていて楽しい。
他の本屋には置いていないような本が目につきました。家の近くにあったら毎日行くかも。

友部正人
2月5日(金)「高山 ピッキン」
今年もまた冬の高山。今夜から明日にかけては大雪になりそうです。
子連れのお客さんがいつになく多かった。子供らはときどき元気な合いの手を入れていたけど、窮屈な状態でよく最後まで我慢できたと感心しました。
二十歳前後の男子も多かったので、今日はお客さんの年齢平均がかなり低かったかも。

友部正人
2月2日(火)「週刊文春」
「ロックンロール、やってます」のことで、週刊文春から下北沢で取材を受けました。2/10発売号のスケジュールというところに載るそうです。
小さな記事ですが、ていねいにまとめてあっていい感じです。

久しぶりの下北沢なので、夜はユミと「風知空知」に行きました。
古い友だちとけっこう遅くまで飲んでしまった。でも楽しかった。

友部正人
1月30日(土)「ハーパーズミル」
甲府のカレー屋「ハーパーズミル」の25周年を記念するライブでした。
ぼくは1周年から毎年1月に歌っているから、25回目のライブです。
店主の坂田くんはシンガーソングライターでもあり、ギター職人でもあり、ぼくが最近使っているギターは坂田くんの作ったものです。

ぼくは、先日亡くなった前田仁さんをしのんで、彼がディレクターだった時期の「どうして旅に出なかったんだ」や「びっこのポーの最後」などを歌いました。
完成したばかりのライブアルバム「ロックンロール、やってます」を宣伝するために「大阪へやって来た」を歌ったりしていたら盛りだくさんな内容になりました。

友部正人
1月28日(木)「帰ってきました。」
ニューヨークから昨夜帰って来ました。

今日、「ロックンロール、やってます」のCDがプレス会社から届きました。
郵便振替で申し込んでくれた人にはさっそく今日ユミが発送しました。
発売日より少し早く聞けることになりそうですね。

ぼくたちもCD、聞きました。これまで何回もミックスやマスタリングの段階で聞いてきたけど、今回の製品になった音が一番いいです。
こつこつマスタリングをやり直してくれた小俣くんのおかげです。

曲順は三宅くんが考えました。曲順のせいかとてもドラマチックです。
とくに後半の「大阪へやって来た」の前後がいいです。
「大阪へやって来た」は、今更の感じがするけれど、こうして聞いてみると、ライブにはこういう曲が必要だな、と思いました。
こういう曲とはどんな曲かというと、時間が進んでいくのをしばらく止めてしまうような曲のことです。

友部正人
1月24日(日)「マンハッタン・ハーフ」
一周約10キロのセントラルパークを2周+2キロ走るマンハッタン・ハーフマラソンに出ました。ぼくのタイムは1時間35分6秒でした。

去年のマンハッタン・ハーフの日はマイナス10℃という気温で、応援に来た寝不足のユミはめまいで転倒して左肘頭を骨折したのでした。
2009年は8月下旬まで半年間ずっと、ユミは骨折の治療にかかりきりでした。
そんなことがあったので今年は応援には来ないだろうと思っていたけど、去年のリベンジと称して来てくれました。そうそう、今年は1℃ぐらいで寒くなかった。

夜には5年間の駐在員生活を終えて帰国することになった山田さん夫妻の送別会がヨシの家でありました。山田さん自らが鍋でもてなしてくれました。
日本でぼくはサラリーマンの人と友だちになるチャンスはあまりないけど、ニューヨークでは何人かの駐在員夫妻と友だちになれました。
誰でもランニング仲間にしてしまうヨシのおかげです。

知り合ってみると、サラリーマンも自由業もあまり変わりがなく思えてきます。
ニューヨークで知り合うまでぼくの歌に触れるチャンスのなかった人でも、帰国してライブに来てくれるようになりました。また時々は日本で一緒に走ったりもしています。

友部正人
1月21日(木)「バレエ」
ニューヨークシティ・バレエを見に行きました。今月は、近所にあるリンカーン・センターにばかり行っているような感じです。
バレエを生で見るのは初めてでした。ぼくたちの席は4階の安い席。
それでもよく見れたし、オーケストラ席も半分ぐらい見えました。

せりふがないせいかぼくは最初退屈に感じました。でも目がなれてくるとバレエもおもしろく、ストーリーにも入っていけました。ジュリエット役の人の動きなんか、しばらく目に焼きつくでしょう。

友部正人
1月19日(火)「The Swell Season」
映画「Once」の主人公の男女二人のThe Swell Seasonを聞きに行きました。
会場はRadio City Music Hall。ニューヨークのホールにしては内装がごてごてしていなくて、巨大なテントの中のようです。

The Swell Seasonの二人は何から何まで対照的でした。男はよく喋るけど女はほとんど話さない。男は声が大きくときおり踊ったりもするのに、女は寡黙で存在感を消している。ピアノの音と声だけが彼女がステージにいる証です。

そんな対照的な二人ですがとても生き生きとしていました。映画がきっかけとなって、大勢の人たちが彼らの音楽を聞くようになったのだから。それだけでうれしいに違いありません。会場に集まったアイルランドの同胞たちのためにヴァン・モリソンを歌ったり、ニューヨークやニュージャージーの人たちのためにブルース・スプリングスティーンを歌ったり、大勢のバンドメンバーとともに内容は盛りだくさんで、終了したのは11時半でした。

彼らの音楽は一方通行を望んでいなくて、常に客席と一緒に歌おうとしていました。
自分たちの幸せをみんなで共有するかのように。

友部正人
1月18日(月)「ジャズ・バロネス」
降り続いた雨が止んで今朝はとてもいい天気でした。ユミは明け方まで起きていたので今日はお昼まで寝ていて、ぼくはその間にセントラルパークに走りに行きました。今日はマーチン・ルーサー・キングの記念日でアメリカの休日なのでサイクリングしている人が多かった。

夜はリンカーンセンターに「ジャズ・バロネス」というドキュメンタリー映画を見に行きました。パノニカ・ロスチャイルドというイギリスの男爵夫人とジャズピアニスト、セロニアス・モンクの20年にわたる交友関係を、モンクの息子やパノニカの親族、様々なジャズミュージシャンが語り、それをパノニカの姪のハンナがまとめた映画です。
パノニカとモンクの映像は期待したほど多くはなかったけど、50年代にジャズと出会ってニューヨークに来てから1988年に死ぬまで、パノニカは貴族として生きるより、より豊かでより自由な女性としての人生を送れたといえるようです。

友部正人
1月16日(土)「トゥーランドット」
ユミとセントラルパークに走りに行ったら、ばったりヨシとマドレンに会いました。
二人はパークを走ったあとでもう帰るところでした。「暖かいねえ」とうれしそう。
ずうっとマイナスの気温が続いていたものね。昨日から日中はプラスです。
ぼくたちも公園を一周走りました。土曜、日曜のセントラルパークは走る人でいっぱい。週末はのろのろ走る人も多く、つい追い抜いていると、いつもよりだいぶペースが速くなっていました。

今夜ははじめてMetにオペラを見に行きました。家から近くなのに今まで一度も行きませんでした。20ドルのディスカウントの当日券を手に入れるために、朝9時からリンカーンセンターのチケット売り場に並びました。
オペラはプッチーニの「トゥーランドット」、中国の男嫌いのお姫様の話です。
席は一階の真ん中あたり、すごくいい席でした。
幕が上がるとすぐ舞台の重量感に圧倒されました。オペラってこんな感じなのねと。
歌詞はイタリア語なのでしょうが、英語とドイツ語とスペイン語の字幕が前の座席の背についています。元々オペラ好きのユミは昨晩からストーリーを予習していました。
歌も合唱も音楽も舞台も、すべてが物量という感じで圧倒的でしたが、女奴隷のリュウが若主人の命を守るために自殺する場面では感動してしまいました。
アンコールでもリュウが圧倒的に人気がありました。
今まで見てこなかった分、オペラをかためて見てみたくなりました。

友部正人
1月15日(金)「メトロカード」
ニューヨーク市のメトロカードは地下鉄だけではなく市バスにも乗れます。
どこまで乗っても2ドル25セントなので、日本に比べると安い料金です。
おまけに地下鉄からバス、バスから地下鉄、バスからバスへの2時間以内の乗り換えは無料なので、マンハッタンの中だけなら、ちょっとした買い物で地下鉄に乗ったとき、帰りをバスにすれば片道分ただになります。

でもメトロカードを読み取る機械があまり信用のおけるものではなく、よく余分にチャージされてしまいます。そんなとき、交通局に電話して、メトロカードの番号を伝えると、コンピューターに残っている記録を調べてくれて、本当に機械が間違っていたら返金してくれるのですが、つい最近も、機械は正常に働いていたので問題はなかったはず、と返事がきました。
たった2ドル25セントのことでも、返してもらえると思っていたので、そんなときは本当にがっくり。

友部正人
1月14日(木)「ハイラインパーク」
ニューヨークタイムズにチェルシーのハイラインパークという公園が紹介されていて、ユミと行ってみました。昔は貨物列車用の高架だったようで、線路がところどころで倉庫の入り口のほうに分かれて入っていっています。
倉庫の中にまで貨車を入れて荷物を積み下ろししていたんですね。
その線路に沿ってボードウォークのような散歩道ができていて、線路は枯れ草で覆われていました。
東横線の横浜駅から桜木町までの廃止になった高架の線路もいつか公園になるそうですが、もしかしたらこれがモデルかもしれません。

昔のナビスコの工場をそのまま利用した、おしゃれなチェルシーマーケットは、横浜のみなとみらいにある赤レンガ倉庫のようでした。(赤レンガ倉庫にもポスマンブックスのようなすてきな本屋があればいいのに。)

友部正人
1月9日(土)「新年会とフランク」
今日はこの冬で一番寒いといわれていた日。なのに朝からセントラルパークで5マイル(8キロ)のレースがありました。ゴールして飲もうとした紙コップの水が凍っていました。

ヨシに誘われ、レンズで有名なシグマの社長の荒田さんが、日本食レストランで開いた新年会に参加しました。
荒田さんの釣りの仲間と、ヨシの写真関係の仲間が集まりました。
ぼくとほぼ同世代の荒田さんは、ぼくと同じ時期に名古屋で高校生だったそうです。
写真関係の人たちは若い人が多かった。荒田さんはお酒が飲めない人なのですが、他の人たちはおおいに飲んで食べていました。

ぼくとユミは帰り道、近くの教会でライブをしていたフランク・クリスチャンに会いに行きました。新年会で会った若者二人も誘いました。
まだライブはやっていて、入り口からのぞくと、うれしそうに「入っておいでよ」と言うので、入場料も払わずに入ってしまいました。
フランクのファンだという女性が「まるで3人で弾いているみたい」とフランクのギターをほめていました。

友部正人
1月8日(金)「オキーフ」
今日は金曜日、たいていの美術館が普段より遅くまでやっている日です。
ぼくたちはホイットニー美術館にジョージア・オキーフを見に行くことにしました。
夕方6時以降料金が入場者任せになるので、それを待つ人たちで美術館のまわりは長蛇の列。かなり寒かったけど、ぼくたちも20分ぐらい待ちました。

初期のあいまいなオキーフの水彩による抽象画が、1918年を境にがらりと変わったのは、教師の仕事ををやめて絵に専念することにしたのと、テキサスからニューヨークに出て、写真家のスティーグリッツに出会ったのがきっかけのようです。その当時のパステル画がぼくは好きでした。
ユミはニューメキシコに移ってからの、雲の絵が好きだと言っていました。
同時開催のロニ・ホーンもおもしろかった。

友部正人
1月3日(日)「新年会」
クイーンズのフォレストヒルズに住むメグの家で新年会。
日中の最高気温がマイナス8度いう寒さ。雪もちらほら舞っています。
ジャクソンハイツの韓国マーケットでメグと待ち合わせして買出し。
メグの元同僚のまゆみさんもブルックリンから合流して、タクシーでメグの家に。

まずは日本酒で乾杯して、焼肉、シーフード鍋を食べて、昨日はメグの誕生日だったので、ケーキにろうそくを立ててとコーヒーでお祝いしました。

その後は「ロックンロールの殿堂」入りを果たした人たちのコンサートビデオを見ながら、白ワイン。ぼくはジェフ・ベックをはじめて見てかっこいいと思い、ユミはスプリングスティーンの「JUNGLELAND」に感動して涙。
メンバーが欠けてしまっているデュオやコーラスのグループもありました。
みんな過去を再現するのではなく、今を表現しようとしていて、これが歌のいいところだと思いました。

友部正人
1月2日(土)「セントラルパーク、沖縄そば」
夕方、ユミとセントラルパークに走りに行ったら、セントラルパークから見えるミッドタウンの温度計では−8度。約一時間かけてゆっくりとセントラルパークを一周する頃には、手に持って走っていたペットボトルの水が、口のあたりだけ凍っていました。

シャワーであったまって、地下鉄に乗って、ダウンタウンのグランドストリートに住むアーティストの比嘉良治さんのうちに。ニューヨーク在住の沖縄出身の若い人たちが沖縄そばをごちそうしてくれるというのです。
材料は全部チャイナタウンで買い揃えたそうです。沖縄と同じものはなくても、近いものを探してきて料理してくれました。おいしくてぼくは二杯もおかわりしました。

友部正人
2010年1月1日(金)「あけましておめでとうございます」
1月1日午前2時。ニューヨークは日本より14時間遅れて新年になりました。
あけましておめでとうございます。
ぼくとユミはついさっき、セントラルパークの「ミッドナイトラン」から帰って来て、熱燗を飲んでいます。
真夜中の12時、年が明けると同時に花火が上がり、数千人の人たちがセントラルパークの中を4マイル(6.4キロ)走ります。ぼくたちは普通のランニングの服装でしたが、中にはほとんど裸の女性(男性?)もいました。
雪はぱらぱら雨になったりまた雪に変わったり。
それにしても今年の花火はいつになく豪華できれいでした。下から上がった花火が、夜空から今度は雪になって落ちてくるのです。
レースがスタートしてもみんな立ち止まったまま眺めていました。もっと眺めていたかったけど、仕方なく大勢について走り出しました。
コースの途中のシャンペンのサービス。初めて飲んだけど、りんごサイダーでした。

友部正人