友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

3月24日(火)「南三陸でレコーディング」

東京からマヒトゥ・ザ・ピーポーことマヒトくんが仙台に来てくれて、エンジニアの佐藤さんやユミ、
それから火星の庭の前野さんや今回レコーディングをする南三陸町志津川の上山八幡宮の娘の
工藤夏海さんとで車2台連ねて志津川に向かいました。
上山八幡宮には今まで神楽を見に3回来たことがありますが、今回録音した1曲は、その1回目に
志津川に来た時に書いた詩に曲をつけたものです。
マヒトくんは上山八幡宮の神楽の舞台の下の地面にアンプを置いて、神社の向いの保呂羽山の方向を
見ながらギターを弾いていました。
ぼくは舞台から神様に奉納するみたいに遠くの山を見ながら歌いました。

その詩は9年前の大津波の時に、防災庁舎から最後まで避難を呼びかけていて、津波にさらわれてしまった
女性の声について書いたものでした。だからユミがこの曲の録音は志津川でするべきだと主張したのです。
ぼくもこの企画が実現して本当に良かったと思いました。みんなが精いっぱい協力してくれたし、
快く場所を提供してくれた上山八幡宮の夫妻にも大感謝です。

3月23日(月)「花輪線」

弘前から仙台に戻るのに、大館から盛岡まで花輪線に乗りました。渓谷を走る花輪線の写真を
前に雑誌で見て、ずっと乗ってみたかったから。
花輪線のほとんどの駅は無人駅で、人の乗り降りもほとんどないのに、しっかりと年を重ねた桜が
何本もどの駅にもあるのが印象的でした。東北を横切る小さな路線がたくさんあるみたいで、
今年はそんな路線の電車にたくさん乗りたくなりました。

3月22日(日)「弘前 アサイラム」

遠藤ミチロウの詩集「膠原病院」の中に、アサイラムのことを書いた詩があります。
「この次アサイラムに行く時にはマイクなしの生声で歌うよ」とミチロウは書いています。
マイクがなくても十分に声の聞こえる狭いお店なのですが、ぼくは今夜はあえてマイクを使いました。
この次がなかったミチロウのことを思って、渋谷クアトロの音楽葬のときに読んだ自作の詩を
アサイラムでも朗読しようと思ったからです。そして朗読に続いてクアトロのときと同じように
ミチロウの「カノン」を歌いました。今日のぼくのライブのプログラムは、アサイラムに
合わせた特別なものになりました。

3月21日(土)「青森 もぐらや」

青森の古書店「らせん堂」主催のぼくのライブは今年で5年目となります。今夜はキャンセルも
だいぶあったそうですが、無事開催することができました。らせん堂のスタッフの女性は、
会場でお客さんたちに配るマスクを買うために、薬局に30分並んだそうです。
ライブはお客さんの数ではないんだなあ、と今夜も思いました。来られなかった人の空席も、
来てくれた人たちの充実した思いが埋めてくれていたみたいです。

3月20日(金)「仙台でレコーディング」

21日と22日に宮城県でライブのあるおおはた雄一くんに一日早く仙台に来てもらい、仙台の
スタジオで2曲レコーディングをしました。エンジニアの佐藤ヒロユキさんが紹介してくれたスタジオで、
スタッフの人たちも佐藤さんと知り合いのようでした。
おおはたくんはセミアコのエレキを持って来て、少し音をひずませて弾いていました。
二人きりの録音だったので、ひずませたエレキの音はベースも兼ねているみたいで効果的でした。
今回の録音では、おおはたくんに6曲も参加してもらいました。

3月8日(日)「三月書房と100000t」

今日は夕方の新幹線を予約していたので、のんびりユミとランチを食べたり、本屋やレコード屋を
めぐったりしてました。10万tの加地くんがぼそっと「大不況ですよ」と言っていました。
こんなに人のいない京都は何十年ぶりか、という感じです。
大阪の心斎橋も人が少なくて歩きやすかったし、そういう意味では関西の街は今回いい感じでした。
でももちろん、早くコロナ騒ぎが収束して、みんな普段通りに暮らしたいですね。

3月7日(土)「京都 磔磔」

今日は「枕の月」を最後に語りでやってみようかなと思っていました。メロディはついているのですが、
つぶやきのような歌詞なので、語りを試してみたくなりました。
昨日大阪でリクエストされたのに歌詞がわからなくて歌えなかった「君の体はまるで」も歌いました。
リクエストしてくれた人が今夜も来ていたかどうかはわからなかったけれど。
客席にふちがみとふなとの二人が聞きに来てくれていたので、アンコールでふちがみさんにステージに
上がってもらい「ブルース」と「大道芸人」を一緒に歌いました。
お客さんたちも普段通りにぼくが歌える雰囲気を作ってくれてとても感謝しています。

3月6日(金)「大阪 Janus」

Janusは広い会場なので、普段からぼくのソロのライブはいっぱいになるということはないのですが、
今日はキャンセルが多かったということもあって、非常にゆったりとした感じのライブになりました。
コロナ騒ぎの時期には理想的だったともいえます。
お客さんがいないとライブは成立しないけど、お客さんの数によるものではないように思います。
一人のお客さんは、来られなかった何人ものお客さんと一緒に来ているような気がして、だから
今夜のライブは全然淋しいライブではありませんでした。
意を決して開催してくれた主催のグリーンズや会場のJanusにも感謝の夜でした。

3月4日(水)「ライブ中止のお知らせ」

函館と福岡のライブが中止になりました。
3月20日(金)函館のあうん堂ホールでのライブは、主催者からの強い要望もあって中止にすることにしました。
北海道の緊迫した様子はぼくには実感できないし、主催の太田さんのいつになく緊張した様子に、
中止は仕方がないと思いました。
3月13日(金)~15日(日)の福岡のライブも中止することになりました。
福岡も主催の田中くんから度々相談のメールをもらっていました。できれば開催したかったのですが、
会場がものすごく狭いこともあり、中止することになりました。
 
どちらのライブも、今後もう一度実現できそうでしたら、そのときはもう一度スケジュールにアップします。
3月6日(金)の大阪Janusと3月7日(土)の京都磔磔は予定通りライブをすることになりました。
これは主催のグリーンズの強い決意によるもので、ありがたいと思います。

3月1日(日)「金沢市 じょーの箱」

金沢ジョーハウスでのライブが今年も無事に終了しました。
実は前日の夜に、ジョーハウスの本池くんから、「キャンセルが10人ぐらいあったけど、予定通り
ライブをやりますか」と相談を受けていました。大阪のライブハウスでコロナウィルスに感染した人が
いたことがわかって、そのことがテレビのニュースになって心が揺らいだようです。
相談されてぼくは困ってしまいましたが、結局はやることになりました。やって良かったと思います。
でも最低限の予防はしようということになりました。
入場時に手を消毒してもらい、マスクを持参しなかった人のために主催者がマスクも準備しました。
だから客席の人は全員がマスクをして聞いていました。口は隠していても目ははっきりとぼくを見ていて、
その目は普段のライブと同じでした。
一部と二部の間に休憩を15分の休憩を入れて、窓を開けて空気を入れ替えました。
寒い日じゃなくて良かった。帰った人は誰もいませんでした。
能登半島から車で来てくれた人や、韓国で喫茶店をやっている日本人のカップルもちゃんと来てくれました。
みんな楽しみにしてくれていたんだなあ、と思いました。
 
3月20日の函館は主催者から中止にしたいと言って来ていますが、それ以外は予定通りライブをするつもりでいます。
お店や主催者の迷惑にならない限り、ぼくのほうから中止にはしたくないです。ライブに来たい人は来てください。
キャンセルしたいという人はどうぞキャンセルしてくださいね。返金にも応じますので。

2月24日(月)「GOK セッション」

吉祥寺のGOKスタジオで新曲を2曲録音し、1月に仙台で録音した2曲にドラムとベースのダビングをしました。
GOKのコンピューターが壊れていたので、めずらしくもアナログテープに録音しました。仙台から録音のために
来てくれたエンジニアの佐藤さんは久しぶりのアナログに燃えたようです。ぼくもマルチテープが回るところを
見たのは一体何十年ぶりなんだろう。
参加してくれたのはバンマス&ギターのおおはた雄一くんと、ベースの伊賀航さん、ドラムの芳垣安洋さん。
今回のレコーディングは「モスラ」など東北でできた歌がメインなので、東北で録音するというユミのアイデアを
もとに始めたのですが、バンドのみんなを東北まで呼ぶわけにもいかず、吉祥寺でやることになりました。
3KINGSのレコーディング以来ぼくは2度目のGOKですが、おもしろいスタジオです。

2月23日(日)「ラ・ポワント・クールト」

横浜のジャック&ベティにアニエス・ヴァルダの「ラ・ポワント・クールト」を見に行きました。
仙台で2本見て、横浜で最後の1本を見て、今回のアニエス・ヴァルダ特集をこれで全部見ました。
アニエス・ヴァルダは長い長い映画歴を持つ人で、これは1954年の彼女の最初の長編劇映画。
その後彼女はたくさんのドキュメンタリー映画も撮るのだけど、劇映画なのにドキュメンタリー映画の始まりの
ような映画でもあります。ロケ地となった島の住民たちが大勢出演しています。アニエス・ヴァルダがこんなにも
話題になるようになったのは2000年のドキュメンタリー映画「落穂拾い」からではないかな。
アニエスが自分の手の甲を映して、終わりが近づいている、とつぶやくシーンが忘れられません。アニエスは
それから19年後に90歳でなくなりました。

2月18日(火)「えんとこの歌」

伊勢真一監督の「えんとこの歌」が毎日新聞のドキュメンタリー映画グランプリを受賞しました。
それで2月20日にお祝いのパーティをすることになって、伊勢さんから電話でぼくとユミも参加してよ、
と誘われました。ぼくは「えんとこの歌」で遠藤さんの短歌を朗読しているので参加しなくては
いけないのですが、日曜日から花粉アレルギーみたいで体調が悪く、欠席ですと伝えました。
受賞したことが広まって上映会にも人が大勢来るといいね、と電話で話しました。

2月15日(土)「下北沢 風知空知」

風知空知」のオーナー藤井淳と店長の増田さんが今月でお店を去るというので、1月はマヒトゥーザピーポーと、
2月はおおはた雄一くんとライブをすることになりました。「風知空知」が2006年にオープンしたときは、
銀杏BOYZの峯田くんと二日間ライブをしました。結局「風知空知」ではぼくは最初と最後しかライブを
しなかったことになります。全部藤井淳が企画したのですが。
最初に2曲二人でやって、それからおおはたくんが40分ぐらい、休憩の後にぼくが数曲一人でやって、
後はおおはたくんに入ってもらってぼくの曲やおおはたくんの曲をやりました。
おおはたくんは今日はアコースティックの他にエレキも持って来て、ぼくとやるときは
主にエレキを弾いていました。やわらかいとてもきれいな音でした。
おおはたくんは今年45歳、ぼくは今年70歳。おおはたくんが70になったら何を歌っているだろうか、
と勝手に想像して、ぼくは彼に「余白の余韻」をリクエスト、そのお返しにぼくが今のおおはたくんの
年齢のときに作った「朝は詩人」を二人で演奏しました。
おおはたくんには現在ぼくのレコーディングに参加してもらっているので、「1月1日午後1時」や
「ニューヨークの憂鬱」などは現在進行形で聞いてもらいました。

2月10日(月)「のろまなゆめの夜 名古屋編」

今夜の会場「spazio rita」は前にも糧くんの企画イベントで来たことがあります。
何もないことが装飾のコンクリートの空間で、お客さんがいっぱい来ないと音が響きすぎます。
でも満員になったのでよかった。
今日も最初は「0点」が演奏しました。ベースの雄一くんはコーラスがとても上手です。
次に石原ヨシトくんがソロで演奏して、最後に女性コーラス3人とベースの人が加わってどこかの
民族音楽のようなおもしろい曲をやりました。歌の最後で声がひっくり返るのが新鮮でした。
それからettの西本さゆりさんとベースの河合慎吾さんのユニットしょうにゅうどう。
さゆりさんの歌の表情がいいです。最後にぼくが1時間歌って、みんなで「地球のいちばんはげた場所」を全員でやりました。
長時間のライブになりましたが、立っている人も座っている人も最後まで楽しんで聞いてくれた
みたいでした。そんな気持ちのいいイベントでした。

2月9日(日)「のろまなゆめの夜 豊田編」

名古屋の井上糧くんが企画した二日間のライブの一日目。
タイトルの「のろまなゆめ」は糧くんの自分の曲からとったのだと歌を聞いてわかりました。
会場の「橋ノ下舎」は古い日本家屋の二階。床が薄いので飛び跳ねると抜ける危険性が
あると永山愛樹くんが言っていました。
最初に糧くんとJaajaの長谷川雄一くんのユニット「0点」がやって、ぼくは糧くんの歌を
初めて聞き、いい声だなあと思いました。
永山愛樹くんはALKDOというバンドをやっていて、前にも名古屋で一緒になったことがあります。
魂全開の歌でした。
ぼくが1時間ほど歌って、最後にみんなで「地球のいちばんはげた場所」を歌いました。
遠藤ミチロウもよくここに歌いに来て、朝まで喋ったと愛樹くんが言っていました。
糧くんは彼が作ったカレーとミネストロネスープを販売していました。そのカレーには
jaajaの雄一くんが自分で解体した鹿の肉が入っていました。おいしかった。

2月4日(火)「アイヌの美しき手仕事」

アイヌの衣装や工芸品を見たくて、ユミと宮城県美術館に行きました。
特に衣装の、あみだくじのような、渦巻き状の模様がおもしろいです。
学芸員による展示説明が聞きたくなりました。柳宗悦と芹沢銈介が収集したものを展示する企画なので、
その二人のことが中心になっていて、肝心のアイヌについては少々物足りなかった。

2月3日(月)「映画会」

火星の庭で、澁谷さん、夏海さん、前野さん、ユミ、ぼくとテリーさんがDVDを見る会をしました。
なんと40年ぶりぐらいに「十九歳の地図」を見ました。これは「ブラックエンペラー」に続く柳町光男監督の第2作です。
公開は1979年。ぼくも新聞配達員として数分出演しています。ただ走るだけなのですが。
それにしても出演者がみんなまだとても若い。当時はだいぶ年上に思えた沖山秀子さんの横顔がとてもかわいい。
そして東京の街はまだきたなくて、誰もがはっきりとした未来を描けない感じ。
なにもかもを爆破してしまいたくなる主人公の気持ちがわかる映画です。

今夜はもう一本、澁谷さんが持ってきた「Daughter of a coal miner」も見ました。
ケンタッキー州の炭鉱町で生まれ育った歌手ロレッタ・リンの物語。ザ・バンドのレボン・ヘルムが炭鉱夫の
父親役をやっていますが、70年代後半の映画なのでレボン・ヘルムもまだとても若くてハンサムです。
ロレッタ・リンの役は「キャリー」のシシー・スペイセク。ロレッタの歌はすべてシシーが歌っていて
とてもいいです。ロレッタの先輩のパッツィ役の人の歌もすばらしかった。

2月2日(日)「ダゲール街の人々」

アニエス・ヴァルダの特集の2本目です。これは1975年の作品でドキュメンタリーです。
たくさんあるアニエスの作品の半分以上はドキュメンタリー映画です。初めての映画「ラ・ポワント・クールト」は
物語だけど、実際にその土地で土地の人たちと共に自然光で撮影をしたというから、元々ドキュメンタリーな傾向の
作家なのだと思う。だからアニエスが50年間暮らしたというダゲール街の人々をこんなにもリラックスした感じで
撮れたのでしょう。「人はいつになったら何でも説明をしたがることをやめるのだろう」というエリック・サティの
言葉に倣えば、アニエスはその最初の人だったのかもしれません。

2月1日(土)「光の穴」

句会のメンバーでもある伊東卓さんの写真展に行きました。正方形の大きい写真が十数点展示されていて、
どれも穴の中から出口の光を撮っています。今日は5時からyumboの澁谷浩次さんと卓さんのトークがあったので、
ギャラリーには人がたくさん集まりました。
今回選ばれた穴はどれも何かに使われた人工の穴だそうです。ユミはなぜ人工の穴ばかりなのかと質問していました。
穴に入って光を撮るという行為そのものがぼくにもおもしろい気がします。光の穴が小さければ小さいほど、
作者は穴の奥にいることになります。そのとき、背中の闇は気にならなかったのかな、と思いました。

1月31日(金)「アニエスによるヴァルダ」「ボブ・ディランのコメント」

2019年になくなったアニエス・ヴァルダの最後の作品「アニエスによるヴァルダ」を仙台のチネ・ラヴィータに
ユミと見に行きました。
これはドキュメンタリーというよりも、アニエス本人による彼女の全仕事の紹介のような作品。
前半は主に長編、短編などの映画作品についてですが、後半のアート作品はぼくの知らなかった世界なので、
一挙に彼女の創造の世界の幅が広がっておもしろかった。
そして最後の、砂浜で彼女が煙となって消えるようなシーン。涙が出ました。

すでにいろんな人のコメントが載っていますが、今日からウドーのホームページのボブ・ディランのページに
ぼくのコメントも載ります。97年にタングルウッドまでディランを見に行ったことを書きました。
ぼくはニューヨークで20年ほど過ごしたので、アメリカでは何度もディランを見に行っていますが、
日本ではまだ3回しか見ていないので、今回の来日公演が楽しみです。

1月30日(木)「今年の春一番」

仙台のE-Beansで今日から始まった古書と中古レコードの市を見ていたら、大阪の春一番コンサートの
福岡風太から電話があって、今年もよろしくとのことでした。ただ、今年で春一番を終了すると言われて、
これは大変ショックでした。最後の春一番、三日間を楽しもうと思います。

1月29日(水)「仙台 句会」

今日から仙台に来ています。
今夜はいろは横丁にあるレストランで新年会を兼ねた句会がありました。
テーブルいっぱいのイタリア料理と11人の俳句が混ざり合っておもしろい夜でした。

1月26日(日)「高松市 オリーブホール」

雨がやんで、高知の日曜市はにぎやかで、ぼくは田舎寿司(たけのこやこんにゃくなどの野菜の寿司)を
買って朝ごはんに食べました。高知駅からバスで高松へ。四国は荷物の多い人には乗り換えのある電車よりもバスが便利です。最初に島津田四郎くんが歌いました。どれもできたての歌のようです。
ぼくはわりと静かな歌を中心に歌いました。主催の佐藤さんが、「今日のライブは良かった。
シャウトなんかしなくても全然いい」とうれしいことを言ってくれました。

1月25日(土)「高知市 シャララ」

半年前に3KINGSで来たシャララでソロのライブをしました。
今日は片岡くんが最初に歌ってくれました。ビールをお代わりしたくなるような元気な歌です。
ぼくはできるだけ静かな歌を歌いました。なんとなくそんな気分でした。
3日間のツアーの2日目なので今日はお酒はやめようかな、と主催の町田さんに言ったら、珉珉に
誘ってくれました。高知新聞の大野さんと3人で餃子やラーメンを食べました。
雨が降っていて、明日の日曜市はどうかな、と言いながら別れました。

1月24日(金)「松山市 スタジオOWL」

俳句とミカンの街に久しぶりにやって来ました。
ライブの会場は前回と同じスタジオOwlです。地元のケーブルテレビでは不審者情報を流していて、お店の高橋さんと、どんな人が不審者なのか
という話になりました。人の顔をまじまじと見るのも不審な行為らしいので、もしかしたらぼくも
そう思われるかな、と思いました。
終演後にお客さんから、今夜は三宅伸治さんも松山でライブをしていますよと聞きました。
ぼくは知らなかったのでびっくりしました。

1月22日(水)「ネオンホール」

長野のネオンホールで久しぶりにライブをしました。
10年ほど前には那覇の桜坂劇場の一階で古本屋をしていた須田さんが、東京で家業の帽子屋を継ぎ、
今回彼の帽子作品を展示販売するという企画に呼ばれたのでした。
企画したのはタテタカコさんと村松晃くんの「感物屋」です。
帽子屋はたくさんあるけど、須田さんの作ったような帽子を売っているところはたぶんありません。
ネオンホールに所狭しと並べられた帽子を見ながらリハーサルをしていて、頭の部分がでこぼこの、
つばのある黒い帽子に目が行きました。
でもライブの後に買ったのは、フランス軍のテントの布で作ったというほとんどつばのない帽子。
とっても気に入っています。
今夜はタテさんが客席で聞いていたので「地獄のレストラン」を歌いました。
この歌ができたばかりの頃、真っ先に好きだとタテさんが言ってくれた歌だったので。
オープニングで演奏した金馬車の、地下室を掃除する歌がいいなと思いました。

1月20(月)「石の立体作品」

メキシコで石の彫刻を制作する奥村浩之さんの個展を銀座のギャラリーに見に行きました。
大きな作品が三つと、手で持てるぐらいの作品が五つぐらいありました。
石は小さくても大きくても同じように存在感のある素材です。石そのものが生き物のように。
そんな石と毎日過ごせるような暮らしがしたくなります。
だけど立体作品は空間と一緒に見なくてはならないので、大きな空間のある暮らしが必要です。
そんな大きな空間のある、奥村さんの暮らすメキシコまで行ってみたくなりました。
30年もメキシコで暮らしている奥村さんは、これからもメキシコで暮らしたいそうです。

1月17日(金)「風知空知」

マヒトゥー・ザ・ピーポーと下北沢の風知空知でライブをしました。
前回六本木で一緒にライブを一緒にしたとき、ぼくの歌にエレキギターで参加してみたいと
言っていたことを覚えていたみたいで、今日はその準備をしてきてくれました。
最初にマヒトくんが歌い、休憩の後にぼくが同じぐらいの時間歌いました。
アンコールではマヒトくんと一緒に「誰もぼくの絵を描けないだろう」「朝は詩人」「一本道」、
それとマヒトくんの歌「 Wonderfull World」をやりました。
初めてこの歌をCDで聞いてから、ずっと頭から離れなかったのですが、
今日一緒に歌ってぼくの頭も納得してくれたみたいです。
きっと一緒にやってみたいという印だったのです。

1月14日(火)「映画会」

今日は渋谷さんのお店「ホルン」で閉店後に映画会をしました。今夜はぼくとユミと渋谷さんと火星の庭の前野さんの4人です。
2本合わせると5時間以上でしたが大きな画面で見るDVDは面白くて、仙台に来たときの楽しみとなっています。
今夜の映画は「マーガレット」と「エスター・カーン めざめの時」の二本でした。
そろそろ明日には横浜に戻らないとね。

1月13日(月)「録音」

先日リハーサルをしたパルシティの音楽室で、ピアノの渋谷さんと2曲録音をしました。
そのうちの1曲はパルシティに部屋を借りたばかりの4年前に作った「モスラ」という歌です。その頃の
仙台駅東口の印象が歌われています。まだ駅ビルの中の東急ハンズがオープン前のころです。

 1月12日(日)「クラムボン」

録音エンジニアの佐藤さんとプロデューサーのユミとぼくで、仙台から盛岡のクラムボンに
向かいました。クラムボンの高橋さんが去年の元旦になくなってから初めての盛岡です。
今回はライブではなく、高橋さんのことを歌った歌をクラムボンで録音するために行きました。
13日に盛岡でライブの予定があったおおはた雄一くんも一日早くやって来て、ギターで録音に
参加してくれました。
高橋さんの奥さんの美知子さんには初めてお会いしたし、娘さんの真菜さんやデザイナーのれいくん、
クラムボンのスタッフの米山くんが協力してくれました。
たまにお店の前を通るバスの通過には気を使いました。ユミが「バス待ち6分」なんて言って、
バスが通過するのを待ってから録音を続けたりしました。
お昼に到着して夕方までに録音は終了。カレーをごちそうになり、おみやげまでいただいて、
ぼくたちは佐藤さんの車で仙台に戻りました。

1月10日(金)「リハーサル」

昨日の夜、仙台に来ました。
仙台のパルシティの音楽室で、yumboのリーダーの渋谷さんとリハーサルをしました。
渋谷さんはピアノ、ぼくは歌とギター。
1時間の練習の後は火星の庭に移動してプライベートの映画上映会。プロジェクターで持ち寄りのDVDを
何人かの仲間と見るのです。
これは仙台で覚えた楽しみ。今夜は「海街ダイアリー」と「牧童と貴婦人」の二本でした。

1月9日(木)「新春絵付け展」

横浜のギャラリーアークの「新春絵付け展」が今日から始まりました。
やはり初日は訪れる人が多く、作品はみるみる売れて行きます。ぼくもユミもたくさん買いました。
今回は買いやすい値段設定なので最終日の1月18日までいくつぐらい残っているかが気になります。

1月8日(水)「打ち合わせ」

編集者の井口かおりさんに品川で久しぶりに会って、本の打ち合わせをしました。長いこと
会っていなかったので、井口さんはぼくとユミに会うのに少しどきどきしたそうです。

1月5日(日)「三浦七福神ラン」

横須賀のランニングチームの呼びかけで三浦市に走りに行きました。40人ぐらいが参加しました。
三崎口駅で集合して、三浦市の七福神を走って巡る25キロぐらいのランです。
途中の三崎港でミサキドーナツに寄って藤沢夫妻に会い、2時半からかもめ児童合唱団のライブが空き地であることを知り、七福神をひと巡りした後に行ってみました。
横浜の家にいたユミにも連絡をしたのでかもめのライブで合流して、そのまま夜おそくまで藤沢くんや
三浦の人たちとミサキプレッソで飲みました。
かもめの少女たち、帰り際にそれぞれ「友部さん、さようなら」とあいさつしてくれて心に残りました。

1月4日(土)「手袋」

元旦になくした手袋のことが気になって、トイレを借りた本牧のコンビニに行ってみたら、
店員が見つけて保管してくれていました。懐かしいものにまた再会したという感じ。
なくしたものがまた見つかる年になればいいな。

1月3日(金)「生田」

生田に住んでいるユミの妹家族の家にお年始に行きました。
4人家族全員で歓迎してもらい、おせちやお酒をいただきました。
延々とおしゃべりしただけなのに楽しかった。

1月2日(木)「平塚」

息子の一穂夫婦と平塚八幡宮に初詣。
神社内の神様を巡る御朱印ラリーがあって、遊びっぽい神社でした。
神社の池ではアヒルが鴨に意地悪されていました。

1月1日(水)「初詣」

あけましておめでとうございます。
毎年年末に丹波篠山から送ってもらう極上の黒豆をユミが煮て、今年もおいしく食べました。
それからふたりで根岸八幡に初詣して、そのあと本牧通を歩いていてぼくは手袋をなくしました。
それが今年の始まりでした。