友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

 
12月26日(土)「yumbo配信」

仙台のバンドyumboのライブ配信をパソコンで見ました。
演奏だけではなく、奇術、人形劇、ドキュメンタリー映画、ボブ・ディランの映画の
パロディなど、予想以上に盛りだくさんで楽しめました。
ライブのはじめと終わりに古い洋画からのシーンが使われていたのも意表ついていて、
ライブ配信もこんな風に工夫できるのなら楽しめますね。

12月19日(土)「ニューヨークで考え中③」「アニマート展」

ニューヨークの近藤聡乃さんから届いた『ニューヨークで考え中③』を開いています。ちょうど、ぼくの
「マメナシの街」という詩の一節を引用してくれているページ。場面は3月22日、ニューヨークに夜8時以降の
自宅待機要請が出された日のことです。一瞬「さくら」とつぶやいてしまう聡乃さんは、すぐにぼくの詩を思い出して、
「ああ、マメナシなんだ」と気づきます。街には人影がありませんがいつものように春が来て咲くマメナシの花。
植物にはコロナ禍なんて関係ないんだとわかります。
ぼくの家の近くの森林公園の木々もいつも通り。今日もユミと走っていて、紅葉の美しさにめまいがしそうでした。
セントラルパークの激しいまでの紅葉を思い出しました。聡乃さんを通せばニューヨークが自然に語られていて
身近な街に思え、懐かしくなります。

横浜のギャラリーアークで10日から開かれていた展覧会の最終日の閉会間際に行きました。というのは出展作家の一人、
矢吹多歌子さんの猫の絵をユミが初日に買っていて、それを受け取りに行ったのでした。
会場は大勢の作家が片付け作業の真っ最中で、矢吹さんも他の作家たちと働いていました。矢吹さんは車の運転中に
『あの橋を渡る』の中の「1月1日午後1時」を聞くと涙が出てきて車の運転ができなくなりそうになって危ない、
と言っていました。

12月18日(金)「NHK俳句」

もう横浜に戻っています。今日はちくま書房からエッセイ集「歌を探して」が大量に届きました。
ほとんどライブの予定がないので、ライブ会場で買ってもらうことはなかなかできないけれど、
本屋さんで見かけたらぜひ。

月刊誌「NHK俳句」の1月号と2月号に2ページのエッセイを書きました。
「俳句的日常」というリレーエッセイのページで、大宮エリーさんからまわってきました。
その1月号が12月20日に発売になります。今井聖さんの俳句にちなんだぼくの日常を書きました。
1月20日発売の2月号では、渡辺誠一郎さんの俳句を取り上げています。

12月15日(火)「句会」

今日は今年最後の火星の庭の句会でした。昨日から雪の仙台ですが、
午後から本格的に降り始めた雪の中、句会の前にDate FMに寄り制作の渋谷さんから、
10月20日の番組に出演したときの音源をもらいました。
句会には10人が集まりました。投句は一人3句で、持ち寄りのお酒が一本ずつ。
テーブルの上にはずいぶんたくさんのお酒が並び、俳句も選句を迷うほどいい句ばかりでした。
句会の後の帰り道、歩道に積もった雪が凍り歩くのが大変で、タクシーにすればよかった、
とユミは後悔していました。
 
その頃沖縄では、20年間ずっとぼくのホームページの管理人をしてくれているハナオさんが、
ぼくの日記やスケジュールをアップしてくれていました。「アップしました」という一言にも、
沖縄で暮らす小さな家族の日常が見えてきます。

12月13日(日)「火星の庭の20周年」

2日目はぼくのライブでした。やはり昼と夜の2回公演で、昨日も出演した yumboの 澁谷さんと
特別ゲストのホルン奏者の工藤夏海さんが一緒に演奏してくれました。
20周年にひっかけて歌詞の中に20年という言葉がある「愛はぼくのとっておきの色」を昼の部で、
「ぼくが心に思っていたことは」を夜の部に歌いました。(両方ともお祝いには向かない歌だけど)。
澁谷さんとは『あの橋を渡る』の中から「モスラ」「電車の中ではなにもしない」「空の鰯」をやって、
アンコールは昼は「弟の墓」を、夜の部は「マオリの女」を演奏しました。
澁谷さんのリクエストで「ジョージア・ジョージア・オン・マイ・マインド」を、ホルンの工藤夏海さんも
加えた3人で昼も夜も演奏しました。ホルンの音色が歌の景色を支え、忘れがたい演奏になったと思います。
ちなみに澁谷さんはぼくの歌の中でこの歌が一番好きなんだそうです。
ぼくもユミも開店から応援している火星の庭が20周年を迎えることができてとてもうれしいです。

12月12日(土)「細馬さんと澁谷さん」

火星の庭の20周年を記念するライブが火星の店内でありました。
その1日目の今日は、細馬宏通さんと澁谷浩次さんの昼と夜の2回公演。
ぼくとユミはその夜の回を見ました。二人は今までに44曲も歌を共作していて、「トマトジュース」というアルバムも
出しています。今日のライブは二人の新曲が中心でしたが、過去の曲も新曲のよう。
ライブは二人の語りを軸に進められ、そのやりとりがすべての曲を新曲にしてしまうのです。
アンコールではぼくの「夕暮れ」を歌ってくれて、ちょっとびっくりしました。
そしてとてもやわらかい二人の歌う「夕暮れ」に感動しました。

12月6日(日)「FMCOCOLO ムーンライトマジック」

こちらの都合で一度はお断りした大塚まさじのラジオ番組ですが、今日横浜でのぼくの用事がなくなったので、
昨日ユミが大塚ちゃんに電話してみたら、スタジオが取れるというので急きょラジオ出演決定。
大塚ちゃんと会うのは去年の春一番以来なので1年半ぶり。妻のマリちゃんも一緒に来て、収録の前に四人で
お好み焼きを食べに行きました。
FM802のある大阪の天神橋筋は、外出自粛が知事から出されているとは信じられないくらいの人出。
環状線天満駅周辺の飲み屋はどこもいっぱいでした。
番組の収録は、主にぼくの新譜の「あの橋を渡る」とちくま文庫の「歌を探して」に絞って進められました。
一回1時間の2回分です。一応テーマはあったけど、何をどう話しても堅苦しくはならず、大塚ちゃんは一応
進行係りを逸脱はしていなかったけど、番組は2時間の雑談のようで楽しかった。
10年続いたというこの番組も来年の3月に終了だそうで、その前にまた出られたのがうれしいです。
放送日は2021年1月4日と11日です。

12月5日(土)「能勢町 気遊」

大阪府と兵庫県と京都府の三つの県境に近い山の中のレストラン「気遊」で8年ぶりのライブをしました。
「気遊」は大阪の街から遠く離れているのに、いろんな人が聞きに来てくれました。
その一人の金森幸介さんが言うには、「ここなら来ても大丈夫」だそうです。翌日に予定していた
自分の大阪市内のライブは事前にキャンセルして。
元バンバンバザールのドラムの武田栄くんも奥さんと来てくれました。昔よくバンバンと一緒に演奏した
「夜よ、明けるな」を武田くんのために歌いました。
チラシの絵は諸戸さんが描いてくれました。初めての油絵だそうです。ステージの壁にかかっていた原画の
前で終演後にモロちゃんと記念撮影。
古くからの知り合いも多く、今夜は始まる前からパーティーのような雰囲気でとてもにぎやかでした。
ライブをしているといろんなところでいろんな人と再会し、歌を聞いてもらえます。いくらコロナでも、
これはやめてはいけないと思いました。

12月4日(金)「豊橋 ハウス・オブ・クレージー」

席数の制限を設けながらどこもわりと順調にライブはできていたのですが、今夜の豊橋市は甘くなかった。
感染者の増加で予約がなく、観客数一桁というライブになりました。
それでもハウス・オブ・クレージーの松崎さんもぼくも中止する気はなく、ライブは始まりました。
お客さんの反応も確かで、さびしいという感じはしなくて通常のライブの骨格だけは
ちゃんとあったという気がします。
ちくま文庫から出るエッセイ集「歌を探して」の見本刷りが今朝横浜に届いたので、今日と明日
販売しようと持ってきました。まだぼくも全然中を見ていない出来立てほやほやのかわいい本です。

ハウス・オブ・クレージーのある商店街は人通りもなく、どの飲食店もお客さんは一組程度。
人が出歩かないのは連日のテレビ報道のせいなのでしょうか。
ライブの後の打ち上げの、イースト・オレンジの主人のタカオくんの爆発的なおしゃべりが、
街のからっぽの感じとうまく釣り合いをとっていました。

12月1日(火)「アリ地獄天国」

今日は土屋トカチ監督のドキュメンタリー「アリ地獄天国」を見にユミとシネマリンへ。
土屋さんから丁寧な手紙とチケットが送られてきました。前作「フツーの仕事がしたい」で
知り合った土屋さん、あの時は映画館でトーク&ミニライブで参加しました。あれからずいぶん時間が
たちましたが、これまた強力な新作です。
引っ越し会社の営業だった西村さんが会社から不当な扱いを受け続け、ついてに労働組合に加入して
立ち上がり、和解を勝ち取るまでの物語。同時進行で見ているようではらはらします。だから和解に
至った瞬間、西村さんや労働組合の人たちの喜びが自分のものとなる。
何年にも渡るこの人たちの命がけの戦いを見ると、この日本でお金のために働くことがどういうこと
なのかがとてもよくわかります。

11月28日(土)「秩父 ホンキートンク」

5月に予定されていたライブの振り替え公演です。客席は40人限定。音響がとても良かったのはいつもより客席が
すいていて音が広がったのかもしれないのだそうです。これにはいろいろなケースがあって、リハーサルでは
落ち着かなかった音が、本番になり客席が埋まって落ち着くということもあります。
新譜の「あの橋を渡る」からはほとんどの曲をやり、店主の鈴木さんからのリクエスト「どうして旅に出なかったんだ」も歌いました。
11月28日はホンキートンクのオープン40周年の記念日だそうです。そしてコロナ禍で長い間休止していたライブを
やっと再開した日でもありました。40年間続けて来たライブを半年以上も休むのは初めてのことでしょう。
ぼくは鈴木さんから、古希の記念に秩父産のスペシャルなイチローズウィスキーをプレゼントしてもらいました。

11月24日(火)「カポーティ」

ジャック&ベティにトルーマン・カポーティのドキュメンタリー映画をユミと見に行きました。
映画を見たらたまらなく本も読みたくなったので、その夜はカポーティの「詩神の声聞こゆ」を読みました。
ガーシュインのオペラ「ボギーとベス」のソ連公演のことがとてもおもしろいです。

11月23日(月)「誕生日」

一穂とひかりさんが、誕生日ケーキを持って遊びに来ました。
一穂とユミとひかりさんの誕生日は、11月から12月に集中しています。
ひかりさんがかなり奮発したという特別なケーキをぼくの家で食べて、
その後はみんなで元町に出かけ、レストランでステーキを食べました。

11月21日(土)「浜松 エスケリータ68」

川を遡る鮭のように元気なエスケリータの後藤夫妻。
それからいつも車で送り迎えをしてくれる音楽好きの中村さん。
いつものように陽気にぼくとユミを迎えてくれました。
歌うぼくを遠巻きにするような客席の作りは、ストリートシンガーのようでもあります。
いつもは精一杯やかましいほどの声援を送ってくれるエスケリータですが、
今年はそうしたい気持ちをぐっと抑えて静かに聞いてくれました。
いつもと違う今年のライブはきっと思い出に残るでしょう。

11月20日(金)「名古屋 得三」

今日はユミの誕生日。65歳になっていよいよ高齢者の仲間入りです。
いずみさんがいちごのバースデイケーキを用意してくれていて、ライブの後にお祝いをしました。

今年二回目の得三ソロライブ、前回は4月4日、緊急事態宣言の入り口で、11月はもうコロナ禍の
出口かなと予想していましたが、どうやらまた厳しくなってきました。お客さんも警戒したのか
定員よりも少なかった。
でもショウガの効果で声はばっちり。歌うのがより楽しくなりそうです。

11月19日(木)「しょうが」

高知の島岡夫妻からショウガが大量に届きました。
さっそくユミがショウガのすりおろし煮を作っていました。
お湯でといてちょっと蜂蜜を足すとと喉にもいいし、とてもおいしい。
明日の得三に持って行くことにしました。

11月16日(月)「いわきからの帰り道」

PAの佐藤さんの車に乗せてもらってぼくとユミは仙台まで帰りました。途中、常磐道から海の方に
福島第二原子力発電所がくっきりと見えました。高速道路の線量計の数字は2.3マイクロシーベルト。
空き家とわかる一軒家が点在しています。木々だけが一年の総決算のように紅葉していました。

仙台の火星の庭で、佐藤さんも交えて12月の「火星の庭20周年記念ライブ」の音響の打ち合わせ。
ずっと懸念されていた宮城県立美術館の青葉区から宮城野区への移転計画が撤回されたことを
知らされて、みんなで喜びの拍手。

11月15日(日)「いわき SONIC」

今回はたまたま仙台にいたので、仙台からいわきまで常磐線の各駅列車で行きました。
日曜日の各駅列車は人もまばら、日差しだけが満杯の列車でした。
仙台から常磐線に乗るのは初めてです。各駅に乗ったのは特急がちょうどいい時間帯になかったから。
おかげで、東北の震災で聞きなれた町の名前を反芻しながらの旅でした。
今日は遠藤ミチロウの誕生日。生きていれば古希のお祝いです。浪江町を通り過ぎるとき、
ミチロウの歌のことをユミと二人で思い出していました。

ライブは最初にSONICの店長でもある三ケ田くんがソロで歌い、その切実なパフォーマンスに
みんな感動していました。
ぼくは休憩も挟まずに2時間歌いました。コロナ禍でライブの数が減ってぼくにとっても一回一回の
ライブはとても大切に思えます。歌詞の一言一言、ギターの一音一音、その場で消えてしまう前に
ちゃんと自分で受け止めたいという気持ちです。受け止めたくて来ているお客さんもぼくと
同じ気持ちだと思います。ライブに来て初めてライブの大切さを感じられたのではないでしょうか。
「あの橋を渡る」で録音をしてくれたエンジニアの佐藤ヒロユキさんも、仙台からいわきに急きょ
やって来て自らライブの音響をしてくれました。今夜のマーチン18の音色は、ライブが生きている
という証のように美しかった。ライブは一回きりの出会いの場だという気がします。

11月10日(火)「ストーブス」

来年2月の豊洲でのコンサートの打ち合わせを、コーディネイターの岩上さんと横浜のストーブスで。
メニューを見たらハッピーアワーだったので、昼間からビールを飲みながらの打ち合わせ。
コンサートの詳細はまだ決まっていませんが、久々のホールでのコンサートになります。

11月7日(土)「京都 拾得」

久しぶりの拾得ライブ。テリーさんはお休みでしたが、息子の大海くんがPAをしてくれました。
入場者数を制限したライブなのでSold Outでしたが、キャンセルは少しあったそうです。
ふちがみとふなとの渕上さんと船戸くんがお客さんで聞きに来てくれたので、アンコールで
渕上さんにステージに上がってもらい、「ブルース」を一緒に歌いました。「ブルース」は
元々はふちふなとぼくのユニット「LDK」のために作った歌でした。
拾得がコロナで支援を呼びかけたときに、ユミがクラウドファンディングをしてそのお返しで
送ってくれたドリンク券を使いたかったので、それもあっての今回の拾得ライブでした。
終演後にビールをたっぷりと飲みました。いろんな意味ですっきりとした夜でした。

10月31日(土)「横浜 サムズアップ」

「あの橋を渡る」発売記念のバンド編でした。
ドラムの芳垣さんとベースの伊賀さん、それにバンマスのおおはたくん、みんないい演奏をしてくれました。
コロナ対策で50人限定のライブでしたが、最終的に60人ぐらいになったのですが、演奏と観客の反応で
場が徐々に一体化するのがわかり、歌っていても生のライブのおもしろさを強く感じました。
「あの橋を渡る」から以外にも、「彼女はストーリーを育てる暖かい木」や「歌は歌えば詩になって行く」
もバンドでやったし、「バレンタインデー」「水門」「空の鰯」では久しぶりにマーチンの12弦ギターを
持っていって、おおはたくんと二人で演奏しました。12弦ギター、すごくいいです。
お客さんたちがぼくたちの生演奏をものすごく楽しんでくれたのが今日一番の喜び。
死んだふりをしていた音楽が、死んだようになってしまったライブハウスで息を吹き返すためには、
もう一度ライブから始めるしかないと感じました。
来年2月13日に豊洲シビックセンターホールで、この4人でのライブが決まっています。詳しくはまた。

10月28日(水)「10月31日のライブ」

バーチャルとはいえマラソンが終わり、10月31日の横浜サムズアップのライブに気持ちを
切り替えなくてはなりません。明日はスタジオで一人でリハーサルをするつもり。
今回のレコーディングメンバーのおおはた雄一バンドが全員来てくれて、「あの橋を渡る」の
中の曲などを演奏します。こんなことはなかなかない。
予定の枚数のチケットは終了していても、たぶんまだ10人ぐらいは大丈夫です。

10月27日(火)「Virtual Marathons」

毎年必ず参加していたNew York City marathonが今年は中止になって、代わりにバーチャルの
NYC Marathonに参加しました。走る距離は42.195キロで同じですが、わざわざニューヨーク
まで行ってみんなで一斉に走らなくてもいいという違いがあります。日程や時間帯も自分で
選べて、GPS機能の付いた時計を腕にはめれば、準備完了です。
ぼくは横浜マラソンのコースの一部を走り、その後近所の森林公園をぐるぐる走りました。
競争相手もなく、たった一人で42キロを走るのは初めて。
応援してくれるのも今年はユミ一人です。途中少し休憩してストレッチをしたり柿やお菓子を食べました。
今日は走るのに適した気候で、実際のレースよりはスピードも出さずに走ったので、へとへとに
なったり、足がつりそうになったりもしなくて、楽しかった。目標の4時間は切れました。

10月に予定されていた東北みやぎ復興マラソンも中止になり、その代わり3つのコースの
バーチャルマラソンがありました。
ぼくは8月に気仙沼から南三陸町のコースを、9月は石巻から東松島のコースの二つのマラソンに参加。
実際にそのコースを走るのではなく、自分のいる街を42.195キロ走ればよかったのでとても気楽でした。
ニューヨークのとは違い、一日で42キロを走り終えなくてもいいのも変わってました。
参加賞に手作りマスクとおいしいノリをもらいました。

10月24日(土)「詩集の話」

夏ごろからなんとなく始まった新しい詩集の打ち合わせで、ナナロク社の村井さんが
うちに来ました。「バス停に立ち宇宙船を待つ」から5年が経っています。
その間に書いた詩や歌の原稿はすでに渡してあって、内容はどんな傾向がいいのか、
装丁はどんなのがいいのか、などをユミとぼくと3人で話しました。
来年3月の発売を目指してやっと具体的に動き始めたところです。

10月22日(木)「ゲラ戻し」

もうずいぶん前から携わっていた本の作業ががやっと手を離れました。
12月中旬に出版されるちくま文庫の友部正人自選エッセイ集「歌を探して」のゲラを戻してやっと一段落しました。
この二か月ほどいろいろ訂正や追加原稿などで、家の中もとっ散らかっていて、いつ終わるとも知れない作業、主に
ユミが頑張りました。あとは出版を待つばかりです。

10月20日(火)「ラジオ出演」

仙台のDate FMの「Hope For Tohoku」というラジオ番組に出演しました。ぼくの新譜「あの橋を渡る」
には東北の震災を歌っている歌もあるので、声をかけていただきました。
司会進行の板橋さんとのやりとりが20分以上もあって、アルバムから3曲もかけてもらいました。
放送は11月8日(日)午後7時から55分間。その前半に出演しています。
インターネットでも1週間だったら聞けるそうです。

10月19日(月)「DVD上映会」

「火星の庭」でDVDの上映会をしました。
たまたまNHKの撮影の仕事で仙台に来ていた若い友達の伊勢朋矢くんも合流して、
ぼくとユミとで6人で見ました。
一本目はアラン・タネールの「白い町で」。これはぼくとユミが昔8ミリフィルムに夢中だった頃の映画。
二本目は澁谷浩次さんお勧めの「ストロベリー・ブロンド」でした。
正反対の印象を受ける二本の映画に優劣はつけられなくて、映画は年代に関係なくしかも打ち消し合わない
ことがよくわかりました。「白い町で」は今見ても悪くはないです。

10月18日(日)「ぼくの中古CDセクション」

古書店「火星の庭」で今年からぼくの中古CDを一枚400円で売らせてもらっています。
だいぶなくなってきたので、今日20枚だけですが追加しました。
売れ残っているCDを見ると、ぼくとの好みの違いがわかっておもしろいです。
ぜひ足を運んでみてください。

10月17日(土)「水の森公園キャンプ場句会」

13日から仙台に来ています。
普段は仙台でやっている句会を、今回は芋煮会を兼ねて水の森キャンプ場でやりました。
9人のメンバーが集まって、それぞれがお題にそって四つの俳句を書くというゲーム的な
創作の場でした。おもしろかった。
その場で書くということが、何よりもおもしろいです。

10月11日(日)「ギリヤーク尼ケ崎」

横浜の大さん橋の上で、大道芸人のギリヤーク尼ケ崎さん90歳記念公演がありました。
桟橋に停泊中の飛鳥Ⅱとにっぽん丸にはさまれて、90歳の大道芸を大勢の観客に混じって見ました。
パーキンソン病で歩くのも大変なはずなのに、踊っているときのギリヤークさんの表情は明るく生き生きとして
いた。
ぼくの「大道芸人」が使われているギリヤークさん90歳の記録映画(目下製作中)の予告編をぜひ見てくださいね。
https://kino.shopselect.net/

10月10日(土)「おお雨」

見に行くだけのつもりだった「おお雨」のビルボード・ライブに、ゲストの森山直太朗くんの
そのまたゲストのような感じで飛び入り出演して、「どこもかしこも駐車場」をみんなで歌いました。
「おお雨」はおおはた雄一くんと坂本美雨さんのユニットで、本来なら6月にビルボードで
やるはずだった新譜発売記念ライブです。
お客さんを前にした久しぶりのライブに、坂本美雨さんは一曲目で涙が込み上げてきたようでした。
おおはたくんと二人で歌うとき、直太朗くんと3人で歌うとき、美雨さんの高い声はすがすがしく
効果的でした。小麦畑に降る雨のような感じ。
「駐車場」は直太朗くんが歌の後半をぼくに丸投げで、聞いていたユミが言うには旋律から脱線して
走る暴走列車だったそうです。

10月9日(金)「横浜トリエンナーレ」

夏の間はコロナ禍でやっているのかどうかもわからなかった今回のトリエンナーレですが、
会期終了が迫ってくるとどうしても行ってみたくなりました。
今回はアジアや中東やアフリカの作家が多いみたいで、名前を知っているアーティストは
ほんの数人でしたが、雨なのに大勢の人が来ていて、やはりそれなりに盛り上がっていたんだな、
と感じました。
放っておけば時間に埋もれて行ってしまう様々なことを、丁寧に掘り起こしていくのもまた
アーティストの仕事なのだと思いました。

10月8日(木)「後藤克芳 ニューヨークだより」「川内倫子」 「7 days cards 40th」

90年代にぼくとユミがニューヨークでお世話になったアーティストの後藤克芳さんの
回顧展を松濤美術館に見に行きました。
展示されている作品のいくつかは後藤さんの部屋で何度も見た懐かしいもので、
2000年1月に癌でなくなった後藤さんの部屋に、20年ぶりに遊びに行ったようでした。
後藤さんの作品にはそんな懐かしさとかわいらしさ、大胆さがあります。
回顧展は11月23日までやっているけど、途中で一回作品の入れ替えがあるそうなので、
会期の終わりごろにまた行かねば。
後藤さんはぼくの「雨の音が聞こえる街」という歌の中にも出てきます。
 
恵比寿のPOSTという本屋に、川内倫子さんの写真を見に行きました。
ユミが川内さんの写真や文章が前から好きで、ぼくはそれについて行った感じ。
ニューヨークのマディソン街にあるエルメスのギャラリーにも見に行ったことがある。
浜松町の倉庫のようなアート会場にも。ユミのおかげで川内さんの写真を知りました。
ナナロク社から新しいエッセイ集が出ていたので、それも買いました。

銀座の伊東屋で、ポストカード作家の藤原弥生さんの7 days cardsの40周年記念展示を
見に行きました。
弥生さんにも久しぶりに会いました。会ってみると久しぶりの感じが
全然しないのが特徴の人だけど。
今は2人のアシスタントもいて、3人でそれぞれのポストカード作品を作っているそうです。
ぼくとユミは、弥生さんがシルクスクリーンでポストカードを作り始めたころからの友だちで、
その頃の作品も少し販売していて懐かしかった。

9月26日(土)「南青山マンダラ」

「あの橋を渡る」のアルバム全体をサポートしてくれたおおはた雄一くんが、ライブでも
全面的にサポートしてくれました。
会場は南青山マンダラ、最初40人限定が予約でいっぱいになって、急きょ60人まで拡大。
それもあったのか友人知人仲間たちも聞きに来てくれてうれしかった。

前半はぼく一人で短めに、後半はおおはたくんと二人で1時間半ぐらい演奏しました。
レコーディングエンジニアをやってもらった仙台の佐藤ヒロユキさんがPAで来てくれたので、
アルバムの中の音は再現できたと思います。
ライブの面白さはアルバムの中にはないものがひょいと出てくるところにあって、
ぼくもおおはたくんもそれが自然に出て来ればいいなと思いながら演奏しました。
今回のアルバムはライブと一体となって完成に近づくのではないかな。

配信なしの生ライブ、店長の津山くんもお客さんがいてこそ伝わってくるものを感じたと、
言ってくれました。
8月のアピアや北海道のライブもそうでしたが、ぼくは基本的に配信はやりたくないという考えなので、
その場でのお客さんとのライブを楽しみにやっています。
人数制限があるからお店にはもしかして迷惑(金銭的な意味で)かもしれないけれど、でもぼくの
ような歌うたいもいてもいいよね。

9月11日(金)「新譜の発売日、その記念ライブ」

仙台のEdenにあるAsian Tribeで今日発売の新譜「あの橋を渡る」の記念ライブがありました。
キャパシティが50人というお店に約50人が聞きに来てくれてとてもうれしかった(密!)。
お客さんはみんなマスクはしているものの、コロナを生き延びた実感をライブで味わっている
かのように思えました。歌を引き付ける強い磁石を持って来てくれていました。
その磁石に引き付けられたかのように、今回のアルバム参加ミュージシャンのおおはた雄一くんも、
ぼくへの事前連絡もなしに突然東京からやって来て、一緒に演奏してくれました。
おおはたくんは今回のアルバムの大半の曲でギターを弾いてくれていて、今日のライブで
それを再現できたことはうれしいことでした。
ライブには今回のアルバムジャケットの絵を描いてくれた瀬尾夏美さんや、アルバムの中の2曲で
ピアノを弾いてくれたYUmboの澁谷浩次さんも来てくれました。

Asian Tribeは、今年4月からのぼくのライブがことごとく中止になった時、お客さんも配信もなしで
営業終了後の店内で三日間歌わせてもらったので、今回のアルバムの最初のライブはAsian Tribeで
すると決めていました。店長の間瀬くんも喜んでくれたし、お客さんもたくさん集まってくれたし、
世の中のコロナによる自粛ムードを過去のものにするためにも、意義のあるライブだったと思いました。
ライブの後、仙台の飲み友達山家さんが今日のために準備してくれた甕の紹興酒をみんなで飲んで、
土砂降りの雨の中を帰るとき、Asian Tribeのスタッフが雨どいから落ちてくる滝のような雨水の
排水溝に飛び込んで泳ぐ真似をして見送ってくれたことが素敵な思い出になりました。

9月7日(月)「死霊魂」

横浜のシネマリンで一週間限定で上映されているドキュメンタリー映画「死霊魂」を見ました。
お昼の12時10分から夜の9時まで、15分ずつの2回の休憩を入れて8時間30分を超える大作です。
冷えたお茶とサンドイッチとユミの作ったバナナブレッドを持って上映に臨みました。
共産国となった中国の反右派闘争により砂漠にある収容所に送られて生き延びた人たちの
証言集です。水すらもない砂漠で、一日たった250グラムの食べ物しか与えられず、
囚人となった人たちのほとんどが餓死していきます。その状態を生き延びた人たちの証言は重く、
ただそれだけで映画になる。8時間の作品の8割が証言集だとしても見ごたえがありました。
急激に変化する国の体制や蔓延する飢餓を生きる中国の人たちの強さにとても引かれました。

8月30日(日)「旭川 アーリータイムズ」

最初の予定の芦別が2週間前に中止になり、急きょ引き受けてくれた旭川のアーリータイムズ。
いつものお客さんがいつも通り集まってくれました。
気温は15度、上着やレインコートを重ね着してライブ前にコンビニまで行きました。
まだ発売日前の「あの橋を渡る」は、三日目の旭川で完売しました。うれしかったな。
打ち上げはなしかと思っていたら、鍋を用意してくれて、店主の野澤さんも一緒にビールを飲み、
「また、ライブや打ち上げができるなんて」とうれしそうでした。
3日間お世話になった札幌の木下さんの車で札幌に戻るとき、高速道路の温度計は12度に下がっていました。
札幌に着いて、バイーアで木下さんと乾杯して二人で打ち上げをしました。

8月29日(土)「小樽 ぐるぐる」

ぐるぐるも6月にやる予定でしたが中止。今回できて良かった。
奥行きが2メートルの大テーブルをステージの前に置き、お客さんはその奥に離れて座りました。
これも客席の密を避けるため。いくら間隔を空けても小さな店なので、空から見れば密集して
いるように見えるでしょう。
ライブ中、雨が相当強く降っていて、明日は寒くなるそうです。

8月28日(金)「札幌 くう」

6月に予定していて中止になったライブを8月にやることになりました。
毎年8月最後の週末は毎年北海道マラソンで札幌に来ていたけど、オリンピック騒ぎのせいで
中止になり、その代わりにと歌いに来ました。
客席はコロナウィルス感染対策で普段の半分以下です。
こんな状況でもライブを引き受けてくれるライブハウスがあるのはとてもうれしい。
くうを満席にしてくれた札幌のお客さんにも感謝します。うわべの密は避けられても、
心の密は避けられないのが音楽のいいところだと思います。

8月24日(月)「APIA40 追加公演」

今日も25人限定でしたが、昨日見に来た人は今日は来られないことになっていたので、二日間で
50人が来てくれたことになります。
昨日とはお客さんの感じが違っていて、ぼくには二日目でも来てくれた人にとっては一日目。
もし三日、四日と続けてもきっと毎日が違った雰囲気なのでしょう。今日は前半がとても静か、
後半に盛り上がるというライブでした。二日間聞いた人はいないのに「あの橋を渡る」からの新曲
以外はほぼ全曲入れ替えました。アピアバンドでやっていたなつかしい歌も歌って、楽しかったな。

8月23日(日)「APIA40」

アピアの50周年を記念するライブ。本当は5月31日にリクオとやる予定でしたが中止になり、
今回改めてソロでやることになりました。
ちょうど新譜の「あの橋を渡る」ができ上ってきたところだったので、発売記念ライブにもなりました。
発売日より二週間も早くCDが買えて、うれしかったかな。
客席の密を避けるため25人限定という大幅な制限を設けたので、ライブの告知後すぐソールドアウトに。
でもステージから見てもそんなにさびしい感じにはなっていませんでした。
1978年に渋谷アピアで一か月間やった「ぼくの献立表」というタイトルのライブを意識しつつ、
その時アピアで知り合った遠藤ミチロウのことや、そのころ結成したアピアバンドのことも思い出し、
「あの橋を渡る」からもたっぷりと歌い、盛りだくさんの内容になりました。

8月15日(土)「DVD暴走列車」「あの橋を渡る」

今日の名古屋は38度まで気温が上がるという予想でした。
いつもならレコード屋や本屋に行ったりして名古屋で遊んで帰るのですが、今日はギターが2本あったし、
ホテルからそのままユミと名古屋駅に向かい、新幹線で横浜に戻りました。

8月23日&24日の学芸大学アピアでのライブでは、3KINGSの新作DVD「暴走列車」に加え、
ぼくの新作アルバム「あの橋を渡る」も販売できそうです。発売日よりだいぶ早い初売りです。
そんなことも楽しみに、久しぶりの東京でのぼくのソロライブに来てください。
(とはいっても二日間のライブはもう売り切れなので、ぜひキャンセル待ちしてください。)
次の9/26の南青山マンダラは発売記念ライブでおおはたくんも来てくれます。

8月14日(金)「名古屋 得三」

3KINGSの得三でのライブ、三宅くんの「やっぱり得三3Days」の初日です。
磔磔での16曲(アンコール含めて)に「サティスファクション」「ライク・ア・ローリング・ストーン」
「夕日は昇る」の3曲を加えた全19曲。たっぷりと演奏した感じです。今日配信はなしでした。
今日はぼくも気分を変えて、いつものアコースティックとエレキの2本のギターを準備しました。
エレキはマーチンのセミアコで、鮎川くんはめずらしがってギターをかついで写真を撮っていました。
結果的には、3人ともエレキギターよりぼく一人はアコースティックの方が全体の音を低音で支えられるような気がしました。
音響の佐久間くんがボーカルマイクのチェックを舞台でしているときも、久しぶりのエレキが心配で
いろいろと鳴らしていたら、「静かな中でチューニングをしたい」と言われて申し訳なかったなあ。

ライブは入場者数を半分に減らしてたけれど、お客さんの反応も普段通りでぼくたちもライブの喜びを
再び感じることができてよかった。
こういう時にも朝まで営業している得三のいつもどおりの感覚に感謝します。

8月7日(金)「3KINGS 磔磔」

毎年恒例の三宅伸治真夏の3Daysの初日に3KINGSがライブをしました。
去年の12月の甲府以来8か月ぶりでした。
8か月も一緒に演奏していないと、ギターのコードを思い出せなくなっている曲もあったけど、
一緒に演奏してみて感じたのは、3KINGSのいいところは3人で歌うところです。
ギターを持ち寄って、自分たちの曲を自分たちの声で思いっきり歌うことが魅力だとわかりました。
これは長い休息がなければ忘れていたかもしれないこと。
今日は3KINGSの2枚組DVD「暴走列車」の発売日でもありました。
なかなかライブができない状況でもこのDVDがあればいつでも3KINGSを聞くことができます。

8月6日(木)「マルモイ ことばあつめ」

ジャック&ベティにユミと「マルモイ」を見に行きました。
日本が朝鮮半島を植民地にしていた頃、朝鮮語は朝鮮の人たちの最後の砦でした。
日本国は彼らに朝鮮語を禁止し、日本語を強要し弾圧する。
言葉は自分たちの文化だ、と朝鮮語の辞書を秘密裏に作り、後世に残そうとした人たちの
命がけの戦いの物語。
支配される人たちから見た支配者である日本人の横暴さ、残虐さが痛いほど伝わってきます。
音楽の使い方や主役の人の人柄などコミカルなところもあって、娯楽性もそなえたよくできた映画でした。

お知らせです。

フジテレビで下記のドキュメンタリー番組が放送されます。
『磔磔(たくたく)というライブハウスの話』8月7日(金)26時55分~27時55分 ※関東ローカル

関東地方だけの放送ですが、インターネット配信もあるそうなので、ぜひ見てみてください。
すごく大勢の出演者が出てきます。ぼくもちらっと出演していて、今月いっぱい見られます。
 
≪配信日時≫8月7日(金)28時~8月31日(月)23時59分FOD/TVerにて見逃し無料配信 ※期間限定

7月31日(金)「暴走列車」

8月7日の磔磔ライブに合わせて、急きょ3KINGSのライブDVDが出ることになりました。
3KINGSの主に九州のライブを動画で記録してくれていた鈴木さんの編集で、宮崎のライブが
全編と、ボーナストラックでその他の場所でのライブが6曲入っています。高画質DVD二枚組、
一挙にものすごいボリュームになりました。6月に予定していた仙台JunkBoxも中止になり、
ライブがほとんどできない状態の3KINGSにとってはみんなにライブを見てもらうチャンス。
とりあえずは8月の磔磔と得三のライブ会場で販売予定です。あとは通販かな。

7月29日(水)「破壊の日」

マヒトゥ・ザ・ピーポーが映画の中で即身仏になるというのはずいぶん前にマヒトくんから
聞いていたのですが、公開されたのでユミと「破壊の日」を見に行きました。
何年か前に山形の湯殿山に行ったときに、湯殿山には即身仏になったミイラがある
ことを知りました。ユミが調べたところ、即身仏はほとんどが東北にあるそうです。
映画は破壊のパワーがみなぎっていました。効果音が効果的で、飛び込んでくる音楽にも
引きこまれました。破壊の力にとりつかれた人たちが目の前で演じているような映画。
映画館をライブハウスにしてしまう映画。どこに行くのかな。

7月27日(月)「払い戻し」

昨日の新幹線の特急料金が払い戻しになりました。新大阪の改札口を出る時に切符が自動的に戻って来たので、
ユミがこれは変だな、払い戻しかなあ、と言っていましたが、今朝駅で尋ねたらやはり払い戻しでした。
音声では一切やり取りをしない、メールだけの世界のような対応です。
アナウンスもないので、戻って来た切符の意味がわからず払い戻しを受けない人もいたのではと思いました。
go toの時期で、ぼくたちはgo toキャンペーンは使ってないけれど、go toだともっとややこしそうですね。

7月26日(日)「ムジカジャポニカ」

ムジカジャポニカの14周年記念ライブに呼ばれて大阪に行きました。
静岡県の豪雨で新幹線は2時間遅れ。それでも開場時間前には到着して軽くリハーサルもできました。
ムジカのコロナウィルス対策はとてもユニークで、観客はフェイスシールドのついた編み傘を頭にのせて
歌を聞きます。一人一人が安全なカプセルの中にいる感じ。隙間もあるので飲み物も飲みやすいようです。
和歌山の病院にがんで入院している友だちのために「ジョージア・ジョージア・オン・マイ・マインド」を
歌い、その友だちの友人が病室で見られるように動画撮影をしてくれました。ずっと気になっていたので、
この歌を聞いてもらうことができてうれしい。
なかなか実際のライブはしにくい状況で、あえて観客のいるライブにこだわるムジカと、
こんな時期なのに来てくれたお客さんたちのおかげで、久しぶりに思う存分歌うことができました。

7月23日(木)「句会」

4か月ぶりのリアル句会が火星の庭で開かれました。主催の渡辺さんもみんなも元気でした。
俳句は考えているときが一番おもしろい。それを句会に出してみんなの句と混ざると
自分のが色あせて見えてくる。ずっとそういうことの繰り返しでした。
それでも続けてきたのは良かったのかな。
さてそろそろ横浜に戻ります。大阪ライブ、楽しみです。

7月21日(火)「誕生日会」

山家実さんと瀬尾夏美さんの誕生日が近かったので、合同のパーティをしました。
イタリア料理の店「ルナ・ビアンカ」というところで、ワインには定評があるそうです。ぼくとユミはその前にBuddy Buddyで佐藤ヒロユキさんに会って一緒に紹興酒を飲んだので、
パーティには少し酔っぱらっての参加です。山家さんにはすぐにばれました。
7人もの人で飲めば、1本のワインなんてすぐに空いてしまいます。何本もお代わりをしたので、
ぼくはだいぶ酔っぱらっていました。おいしかったなあ。
そのあとは二次会でアジアントライブへ。最後に少し残った紹興酒をみんなで飲んで、またワイン。
夜中に土砂降りになり、酔っ払ったユミがずぶぬれで中庭で踊ったりと、楽しい夜でした。

7月20日(月)「ホルンにて」

時間短縮営業中の「ホルン」で、DVDの鑑賞会。
ぼくが持って行った「夜になる前に」と澁谷さんの「Spinal Tap」というへんてこな映画。
DVD持ち寄りの上映会はいつも性格の違う作品の2本立てで、混ざり合うことのない映画の合間に、
感想を話し合ったり、持ち寄りの食べ物を食べたりと、楽しい時間になりました。

7月19日(日)「日曜日の午後」

仙台に来ると、駅前では甕の紹興酒がぼくを待っています。
今日はラリーさんとユミと3人でそれを飲もうとEDENに集まりました。
EDENの中庭にはテーブルとパラソルが並び、日曜日なので大勢の人たちがビールを飲んでいます。
ぼくたちはベトナム料理をつまみに、9時ごろまで紹興酒を飲みました。
ラリーさんは6/26の3KINGSの仙台ライブを楽しみにしていた人で、それは中止になったけど、
彼が配ってくれたライブのチラシは今も県内のあっちこっちの道の駅などに残っているそうです。

7月18日(土)「週刊金曜日」

ユミと丸善に行ってみたら、週間金曜日が出ていました。25人の人が自粛中に読んだ本のことを
書いていて、ぼくも依頼されて書きました。
横浜の家には掲載誌が送られてきているはずだけど、仙台にいるので丸善で立ち読みをしました。
 
ニューアルバムのマスターリングの終わったCD-Rを持って、「ホルン」に行きました。
ホルンの澁谷さんには今回のアルバムにピアノで参加してもらったので。
アルバムジャケット周りのデザインも澁谷さんと夏海さんに見てもらいました。
ホルンはいつもいい音楽がかかっています。よく知っている曲でもアレンジが違っていたり。
音楽の材料が豊富だということがわかります。ビールとカレーと梅ソーダもおいしかった。

7月16日(木)「仙台」

昨日の夜仙台に来ました。仙台の冷気がWelcome Backと言っています。
ユミと「マルモパン」と「火星の庭」に行きました。
ユミはマルモくんに、自分で作ったコーンブレッドを味見してもらっていました。
「火星の庭」に置かせてもらっているぼくの中古CDはだいぶ数が少なくなっていました。
そろそろ入れ替え用のCDを横浜から運んでこないとね。

7月12日(日)「うたのはじまり」

ユミが前から見たいと言っていたこの映画を一緒にジャック&ベティに見に行った。
チラシの推薦の言葉に、この映画は歌うことを仕事にしている人こそ見た方がいいというようなことを
書いている人がいて、ぼくも興味を持った。
齋藤さんから出てくる声は、話し言葉と音楽の境目のない歌のようだった。そして、言葉は歌わないと
置き去りにされるから歌うのだろう、と映画を見ていて思った。どこまで? とりあえず次の駅まで。
生まれつき耳の聞こえない齋藤さんが、赤ん坊を寝かしつけるときに自然に発した声を子守歌なんだと
自分で発見すること、そんな感動的な話が映画のパンフレットに書いてありました。
これは齋藤さんの「異なり記念日」からの抜粋ですが、ぜひ読んでみてください。

7月10日(金)「気狂いピエロ」

ジャン・リュック・ゴダールの昔々の映画、アンナ・カリーナもジャン・ポール・ベルモンドも若い。
ただ音声だけが妙にきんきんしているのは、この作品がとうの昔に失われていて、
人間はいつか死ぬとわかっていてなぜ生きるのか、と問われているような、そんな気がした。
そして先のことは何も考えない、ということができた時代があったということを思い出させる。
「生きたいだけ」というアンナ・カリーナの声だけが時代をすり抜けて今のぼくたちに届きます。
横浜のシネマリンで朝10時からの上映なのに、お客さんは多かった。

7月7日(火)「アルバムジャケット」

CDの流通会社のブリッジでデザイナーの坂村さんと会い、ニューアルバムのデザインのラフを見せてもらいました。
瀬尾夏美さんの絵を表紙にしたジャケットは、今までのぼくのアルバムにはなかった感じでとても新鮮です。
しいていえば、「奇跡の果実」のような感じかな。(あれはユミの初めての写真でしたが。)
アルバム制作は着実に前に進んでいます。

7月5日(日)「マチアワセ20」

香川県坂出市の瀬戸大橋記念公園マリンドームで、マチアワセ20という野外の無料コンサートに呼ばれました。
ぼくはふちがみとふなとと一緒にLDKというユニットでの出演で1時間歌いました。ぼくにとっては4月4日の
名古屋得三以来3か月ぶりのライブ。
ステージの後ろはすぐ瀬戸内海で、日暮れの銀色の海がきれいでした。
SFのような瀬戸大橋がほぼ真上にかかっていて、電車がときおり轟音をたてて通ります。
お客さんは広島や兵庫や大阪など遠くから来た人たちもいて、久しぶりの生のライブに感激して、
記念にCDなどを買って帰る人が多かった。
ぼくも1時間の演奏で、活動休止中のもやもややだるさがいっぺんに消えてなくなりしあわせな気分でした。

7月4日(土)「ダンシング・ホームレス」

ホームレスの人たちのダンス集団「ソケリッサ」のドキュメンタリー映画です。
横浜シネマリンで上映中で、今夜ユミと見に行きました。
ソケリッサの人たちのダンスは、寺尾沙穂さんが企画したイベントにぼくも出たとき見たことがあります。
 
大阪でのワークショップのシーン、釜ヶ崎の夏祭りのこと、最後の新宿中央公園での真冬のダンスのシーン。
心に残るシーンがたくさんありました。
監督のメンバーへの質問により、一人一人の人生も見えてきます。自分自身でいるために家を持たずに
生きる人たち。内面を凝視しつつ踊るつぶやきのようなダンス。
見ているうちにぼくも自分の歌のことを考えました。
「ダンス一つ、歌一つ」。これが映画を見ながらぼくの中から湧いて来たぼくのつぶやきでした。
シネマリンではアンナ・カリーナのドキュメンタリーなんかも上映しています。見たいけどなあ。 

6月26日(金)「横浜へ」

横浜の家にいろいろと荷物が届いているらしいので、今日横浜に戻ることにしました。今回の仙台は
短い滞在でした。気温はそんなにかわらないのに、横浜よりも仙台の方がはるかに過ごしやすいのは
なぜなのでしょう。気温が低めで空気が乾燥しているからかな。
チネ・ラヴィータで上映中の「デッド・ドント・ダイ」を見ずに戻るのはちょっと悔しい。
 
それから、ぼくのいらなくなったCDを火星の庭で販売しているのですが、残り52枚です。
今日からセールで一枚300円になりました。興味がある人はのぞきに行ってみてください。

6月25日(木)「マリーナ・アブラモビッチ」

マリーナ・アブラモビッチのドキュメンタリー映画「Artist Is Present」のDVDを古い友人が
送ってくれたので、それを今夜は瀬尾さんや小森はるかさんを交えて火星の庭で見ることになりました。
ぼくとユミはニューヨークのフィルムフォーラムで見て感動して、ぼくはその感動を
「マリーナとウーライ」という語りの歌にしました。
字幕がない英語版なので、わからないところも多いけれど、よくわかるところもたくさんあって、
前回よりもいろいろな角度からこの映画を見られたような気がします。
 
マリーナ・アブラモビッチはユーゴスラビア出身のアーティストで、60年代から肉体を酷使する
パフォーマンスを続けてきました。
この映画は2010年の春にニューヨークのMoMAで3か月間行われたパフォーマンスと回顧展の記録です。
ぼくとユミは三回ほどMoMAに見に行きましたが、パフォーマンスには残念ながら参加しなかった。
3か月間で7万人以上の人と無言で対面したこのパフォーマンスで、彼女のパフォーマンスが肉体から
精神に移行したのだと思いました。マリーナさんと見つめ合ううちにあふれてきてしまう涙に、
MoMAという美術館が人々にやすらぎを与える教会になったような気がしました。

6月23日(火)「紹興酒の2回目」

山家さんからのプレゼントの甕の紹興酒を今夜は友だちと一緒に飲みました。
今度の新しいアルバムに使われる原画を持参して、瀬尾夏美さんも参加してくれました。

6月22日(月)「映画会」

火星の庭の前野さん家族、ホルンの澁谷さんと夏海さん、それとぼくたちで恒例の映画会をしました。
毎回映画は持ち寄りで、今回は澁谷さんお勧めの「恐怖の回り道」、ぼくとユミはマリリン・モンローの
51年の作品「ノックは無用」を持って行きました。澁谷さんは洋画に詳しく毎回めずらしい作品を
見せてもらいます。俳優や監督にも詳しくて、ちょっとした説明を聞くのがいつも楽しみです。
「ノックは無用」はぼくは何回も見ているけど、澁谷さんは初めてだそうです。戦争で婚約者を亡くした
若い女性の狂気をマリリンがシリアスに演じています。
2本見終わるとへとへとなのに、延々とその後に映画の話などをして、楽しいけれど体力もいります。

6月19日(土)「紹興酒の甕」

昨日の夜、ずいぶん久しぶりに仙台に来ました。
今日は夕方からBuddy Buddyで、山家さんや間瀬くんたちが用意してくれた甕の紹興酒を
飲む約束をしていました。ぼくの70歳の誕生日のためのお祝いのお酒で、なかなか仙台に来ない
ぼくをずっと待っていてくれたのでした。ほぼひと月遅れの誕生会です。
甕は石膏で封がしてあり、お店の若者が金づちを二本使って注意深く取り除いてくれて、
甕の蓋が開くと10年間密封されていた酒の香りが漂い、それは甘い音楽隊のようでした。
バースデーケーキも用意してくれていて、ケーキには70という数字のサインがささっていました。
70本もろうそくは立てられないし。
久しぶりの仙台では、こんなうれしいことがぼくを待っていました。

6月15日(月)「新しいアルバム」

1月からアルバム作りを始めていて、録音はもう終わっていたのですが、世の中の自粛ムードに
ユミはすっかりやる気をなくして、だいぶ長い間中断していたアルバム製作が
また動き出しました。
今日はアルバムジャケットについて、初めてお会いするデザイナーの坂村さんと
いつも流通をお願いしているブリッジで打ち合わせをしました。
今回のアルバムのコンセプトは東北です。できるだけ東北に関係のある内容にしよう、と
言い出したのはユミ。だから録音場所もほとんど東北で、エンジニアの佐藤さんも
仙台の人です。
そんな話をしていたら、坂村さんもお母さんが東北の人だとか。そんなことは知らずに
ブリッジの稲木さんに紹介してもらったのですが、小さな偶然がうれしいことでもありました。
アルバムのタイトルは「あの橋を渡る」。8月下旬発売をめざしています。

6月6日(土)「アトリエ21」

今日もアトリエ21で歌いました。聞いてくれたメンバーは昨日と同じです。窓が開いていたから、
おそらく外にも少し聞こえたでしょう。
反対側の窓の向こうを、京浜東北線の長い電車が通ります。
そのせいで、歌いながら旅をしているような気分になりました。
歌とお酒で時間を忘れ、家に帰ったらもう朝の3時になっていました。

6月5日(金)「アトリエ21」

約束の時間に行くと、アトリエ21のメンバーの広田さんや佐藤くんがいてすでにお酒を飲んでいました。
モデルさんが立つようなステージもあって、そこに腰掛けて歌いました。隣の部屋のパソコンで
大学の遠隔授業をしていた上田さんも加わって、歌ったり飲んだりの3時間ぐらい、楽しかった。

6月4日(木)「広田隆子水彩画展」

横浜の吉田町にあるギャラリーに広田隆子さんの個展をユミと見に行きました。
毎年夏になるとやって来る森林公園の草刈り(草食べ)隊の山羊の絵があったので買いました。
一生懸命働いて(草を食べて)秋になるといなくなっています。
練習スタジオが休みでなかなか大声で歌えない、という話をユミがしたら、
アトリエ21でやったらいいじゃない、とギャラリーの向かいのビルを指さします。
そこは広田稔さんたちのアトリエで、夜は空いているとのこと。
さっそく翌日から使わせてもらうことにしました。

6月3日(水)「大蔵博さん」

MIDIの社長の大蔵博さんがなくなりました。71歳でした。
胃がんになり手術してから大蔵さんはほとんど会社にいることはなく、会うのはたいてい突然で、
沖縄や京都だったりでした。
台湾から買ってきた中国茶をたくさんくれたり、病気のはずなのに不死身のようでした。
だからなくなったと連絡があって、驚きました。
今日はその大蔵さんのお通夜が高輪のお寺であって、ユミとお別れを言いに行ってきました。
古くはベルウッドレコード時代に、そのあとは永田純(どんべえ)を通じて再会して、
89年の「夕日は昇る」からたくさんのアルバムをミディで作ったこと、大蔵さんにはとても
お世話になったので、お礼を言いたかったのです。生きているときにきちんと言えればよかった。

5月26日(火)「京都歩き」

たくさんのホテルがまだ休業状態。やっと見つけた四条烏丸のホテルは半額以下の値段でした。
チェックアウト後、市バスに乗って銀閣寺近くの「ホホホ座」に行きました。
ユミが電話をしていたので店主の山下くんが待っていてくれました。
「ホホホ座」はミニコミも文庫も同じように本として扱っていて、読み物がとても豊富です。
おまけにCDやTシャツなんかも売っているので、本も雑貨の一部分のように見えてきます。
まあ、以前の「ガケ書房」のころからこんな感じでしたが。
京都に行ったらできるだけ顔を出そうと思うけど、不便なところにあるので今回の訪問はわりと久しぶり。
今回初めて市バスを調べてバスで行ったのですが、京都でバスに乗れたら一人前という気持ちです。
その後バスでまた街の中に戻り、市役所前で降りて中古レコードと古本の「100000t」に行きました。
「ホホホ座」でも「100000t」でもユミはたくさん買い物をしていた。
ぼくはCDとレコードを1枚ずつ買いました。夕方の新幹線に乗るためにホテルに戻り烏丸から地下鉄に乗りました。5時半ごろの車内は人でいっぱい。
緊急事態宣言が解除になって結構元に戻った感じです。みんなで協力して息を止めるように
静かに暮らしていたこの2か月が、とても貴重な経験だったような気がします。

5月25日(月)「京都へ」

今日はぼくの70歳の誕生日でした。覚えていてくれた人もたくさんいて特別な日だと自分で実感しました。
一穂とひかりさんは本当は25日に配送されるはずだったケーキを24日に届けてくれました。
今日はユミと新幹線で京都に行き、「ビズ」という美容室でふちがみとふなとの二人と一緒にLDKのレコーディングをしました。
京都はまだ病み上がりのような街の状態でしたが、雨上がりのわくわくするような感じもしました。
今年は梅雨の前にコロナという見えない梅雨が長かった。
途中で隣の「タコとケンタロー」というたこ焼き屋さんで休憩をしつつ、3曲録り終えて、
ふちがみさんたちが用意してくれていた「ユーゲ」というお店で食事会。ぼくの70歳の誕生日もみんなで
祝ってもらいました。

5月24日(日)「ライブのキャンセル」

6月のライブもすべてキャンセルになりました。
6月19日~21日の北海道も、6月26日の仙台の3KINGSも中止です。
北海道は札幌だけでもやろうとしていたのですが、ぼくや主催者やライブハウスの人たちがいくらやりたくても、
肝心のお客さん来てくれないのでは仕方がありません。
仙台ジャンクボックスの3KINGSも緊急事態宣言以降は予約がぴたっと止まったそうです。
今回は仙台のラリーさんたちがかなり広範囲にチラシを配布してくれ、反応も良かったそうなのでとても残念です。
 
そんなときに、突然ふちがみとふなとの二人と一緒に京都でLDKのレコーディングをすることになりました。
こういうかんじで発作的に物事を進めるのはいつもユミなのですが、ランニングとオペラ鑑賞ばかりの日々のぼくは、
久しぶりに自分の歌の世界へ出かけて行きます。

5月9日(土)「早いもので・・・・」

4月4日に名古屋の得三でライブをしてから1か月が過ぎました。
得三以降のライブはすべて中止。6月の北海道までもう何もありません。

その間何をしているかというと、家にいて本を読んだりパソコンでオペラを見ています。
ガルシア・マルケスの「百年の孤独」を読み終わりました。おもしろいのに長いので大変でした。
でも最後のところまでくると、ここまでがんばって良かったと思います。
オペラはニューヨークのメトロポリタン・オペラのホームページで、3月中旬から日替わりで過去の
作品をストリーミングしています。Stay at home の期間のサービスで無料です。
オペラを見ていると世の中の嫌なことを忘れられて、見た後は元気になれるので、現実逃避もいいものだと思います。
「ロベルト・デヴリュー」のソプラノのラドヴァノフスキーの歌にユミは涙ぐんでいたし、
トマの「ハムレット」も素晴らしかったし、「マリア・ストゥアルダ」や「アイーダ」「フィガロの結婚」
「カプリッチョ」と毎日退屈しません。

そんなこんなで、早いもので5月も3分の1が過ぎようとしています。
今日の一日が長く、過ぎた一か月が短いのはライブをしていない証拠ですね。
毎日ランニングしている家のそばの大きな公園は、今日も家族連れや犬でにぎやかでした。
この公園のそばに住んでいるおかげでだいぶ気が晴れます。

4月28日(火)「アンナ・ボレーナ」

metropolitan operaでは日替わりでオペラ作品のストリーミングを無料でしていて、今日はアンナ・ネトレプコ主演の
「アンナ・ボレーナ」でした。「アンナ・ボレーナ」がオペラの中で一番好きなユミはこの日を待っていました。
ぼくとユミはニューヨークでこのシーズン(2011)の「アンナ・ボレーナ」を3回見ています。
そのうちの2回はアンナ・ネトレプコが主役で、1回はちょうどニューヨークに遊びに来ていた森山直太朗くんと
御徒町凧くんも誘って見に行きました。
劇場では表情まではわからなかったけど、パソコンの画面で見るアンナ・ネトレプコの存在は圧倒的でした。
なんといってもドニゼッティの曲が美しい。
映画館にもライブにも行けない今は、オペラのような思いっきり長い作品を家で見るのもいいかもしれません。

4月26日(日)「横浜へ」

夕方の新幹線で横浜に戻りました。東北新幹線は乗車率がゼロという車両もあるらしいけど、
ぼくとユミ以外にも何人かの乗客がいました。気の抜けたような山手駅からタクシーで帰りました。
そろそろゴールデンウイークが始まりますが、春一番コンサートのない今年はつまらないです。
昨日25日のスターパイズカフェも中止になったし、ほかにも「橋の下世界音楽祭」とか出演するはずだった
いくつものイベントやライブがなくなりました。先の見えないこの世界です。

4月24日(金)「歌いたい日々」

22日から今日まで3日連続でAsian Tribeで勝手に歌っています。
今日はKudanzの佐々木玄くんもギターを持って来て、新しい歌を歌ってくれました。
もちろん観客はいません。打ち合わせで来てくれたエンジニアの佐藤さんと、
朝市でパン屋をやっているマルモくんと、常連の山家さんとお店の人たちだけ。
マイクも使わないので歌は外には聞こえていなかったはずです。
それにしても楽しい。Buddy Buddyの間瀬くんのおかげでたくさん歌えました。そして紹興酒を
ポットで毎日飲みました。早くライブで歌いたいなあ。

4月22日(水)「今日もBuddy Buddy」

今回のレコーディングのエンジニアの佐藤ヒロユキさんとBuddy Buddyで待ち合わせ。
(なんだかんだと毎日ぼくとユミはBuddyに立ち寄ってるので)。
Buddy Buddyの向かいの姉妹店AsianTribeで最終的な音のチェックと曲順の確認をしました。
緊急事態宣言でお店を開けていても夕方からはお客さんは来ないので、コロナビールを飲みながら、
ぼくたちだけで自由に使わせてもらいました。
4月4日の得三以来ぼくは歌っていなかったので、ギターを持って行って久しぶりにぼく自身のために
歌詞カードがなくても歌える歌を1時間ぐらい歌いました。無観客の無配信ライブです。
Buddy Buddyの間瀬くんが「うれしいです」と言ってくれたので、明日もあさっても、今夜のような
お客さんのいないライブをしようと思います。

4月21日(火)「瀬尾夏美さん」

アーティストの瀬尾夏美さんが我が家に来ました。
新しいアルバムに絵を描いてくれることになって、その打ち合わせでしたが、90パーセントは関係ない話で
盛り上がり、晩御飯を食べてたくさんワインを飲んで、お開きになったのは午前2時近かった。
瀬尾夏美さんの作品を初めて知ったのは3年前の横浜トリエンナーレ。
震災で被害にあった陸前高田のその後を物語にした絵と言葉の作品でした。このとき、ユミは瀬尾さんの
言葉と絵にとても感動していました。でも、瀬尾さんが震災後にしばらく住み着いた陸前高田から
東京に戻ってしまっていたら、多分今回のような話は生まれなかった。
瀬尾さんは現在仙台に住んでいて、ぼくのライブにも来てくれたりして知り合いになれたのが良かった。
年が全然違うのに音楽の趣味が同じなのがおもしろい、とユミは言っていました。

4月19日(日)「駐車場でピザ」

6月26日の3KINGS仙台ライブのチラシまきをしてくれているラリー船長にチラシの追加を渡しがてら、
ラリーさんの車で泉区のピザ屋さんに行き、予約注文してあったピザをテイクアウトしました。
そのままラリーさんの車の中でピザ屋の駐車場で食べました。
なんだか昔のアメリカの高校生みたい、とユミははしゃいでいました。
店内ではなく、外の駐車場で食べている人たちはぼくたち以外にもいました。
焼き立てのピザを駐車場で食べるのも悪くない。ピザってこうやって食べるものかもしれません。

4月18日(土)「パン弁当」

駅前の朝市の中にある「マルモパン」では、フランス人のピチュウくんがおかずを作った「パン弁当」を予約制で
販売しています。昨日のうちに3人分予約してあったので、午後の嵐の中、取りに行きました。
パンは3種類、おかずは市場内で仕入れた野菜が中心です。
「調理していないものは料理ではない」というフランス人のピチュウくんの味付けがとても繊細で、
日本人とは違う発想に大きな驚きがあります。ピチュウくんが日本にいる間だけの特別限定メニューだそうです。

4月17日(金)「Buddy Buddy」

仙台駅前のEdenというフードコートにあるBuddy Buddyにユミと行ってみました。
そろそろ閉店時間のようでしたがお店はやっていました。久しぶりに会った店長の間瀬くんも元気でした。
常連の山家さんがいたので、一緒にワインを飲んだりベトナム料理のフォーを食べたりしました。

4月16日(木)「新幹線」

新幹線はガラガラでした。今日からニューアルバムの用事で仙台に来ています。
ぼくとユミ以外は、駅にはスーツケースのようなものを持っている人はいません。
まだ7時前なのに、駅ビルの成城石井は閉店の準備を始めていました。

4月15日(水)「遠藤ミチロウ・音楽葬Youtube配信」

4月25日は遠藤ミチロウの一周忌です。
ミチロウのホームグラウンドであるライブハウス「アピア40」では一周忌のイベントが企画されていたけど、
東京都の緊急事態宣言で中止になりました。
そこで、去年10月渋谷クアトロでの「死霊の盆踊り~追悼遠藤ミチロウ」ライブがアピアのyoutubeチャンネルで無料で
フル公開されることになりました。4月25日午前0時から4月27日午前0時までの48時間です。
ぼくもこのライブには出たのですが、全出演者のすべての演奏が見られるそうです。
チケットが発売と同時にソウルドアウトになり、ライブを見られなかった人が相当いると思います。
ぎゅうぎゅうのスタンディングで5時間にもわたるライブ、お客さんはかなりしんどかったでしょう。
まだまだ生きて歌いたかったミチロウを偲んで、みなさん見てください。
 
外出できないのでぼくとユミも8日からずっと家にいます。息抜きは近くの公園でランニングすることです。
いくつかのライブは中止になりました。ライブの再開がいつ頃になるのか今ははっきりしない日々ですが、
またライブで会いましょう。今のところ5月9日の秩父はやる予定です。

4月7日(火)「春一番と風太」

横浜のBBストリートで、「春一番コンサート」とプロデューサー福岡風太についてのインタビューを受けました。
これはいずれドキュメンタリー映画となって、映画館で上映されるはずだとか。
現在営業は取りやめているBBストリートには加川良の息子の元希くんもいて、元希くんはミュージシャンですが、
BBストリートも運営していて、今回の強制的な自粛要請でライブハウスの形が大きく変わる、と
心配と希望が入り混じった表情をしていました。

4月5日(日)「大須歩き」

井上糧くんが大須のピザ屋にぼくとユミを連れて行ってくれました。
イタリアのコンテストで優勝したことのある有名なお店だそうです。とてもおいしい。
大須にある中古レコード屋にも行きました。前から一度行ってみたかった店です。
それから、ぼくの「少年とライオン」という歌で歌われている八百屋のねえさん、の八百屋さんが
今でもあるのを発見しました。お店は閉まっていたので、そのお姉さんが今もまだいるのかどうかは確かめられなかったけど。
3人でのぶらぶら大須歩き、心のおみやげになりました。

4月4日(土)「名古屋市 得三」

さすがに新幹線はがらがらでしたが、それでもちゃんと走ってました。
得三もいつも通り営業していてライブもできました。実は前日に得三の森田さんから、お待ちしています、
というメールをもらっていました。こういうときだからお客さんは大変少なくて、
20人ぐらいが十分に間隔をあけてすわり、静かに熱心に聞いてくれました。
カウンターでずっと聞いてくれた森田さんと一緒に、ライブの後はワインをたくさん飲みました。

3月29日(日)「つくば市 食堂『花』」

2年ぶりの「花」のライブ、今年はいつものソロではなく知久くんとの共演です。
予約の半数のキャンセルにもかかわらず、ゆったりめの客席はほぼ満席だったので、途中に3回の
休憩をかねた換気タイムがありました。
午前中からの雪が雨になり、その雨も止んで木の枝の雨のしずくがきれいでした。
それから「花」の裏に咲いた薔薇のような花も。
雨の花と木々の花、植田くんのあつらえた食べ物の花。花づくしのライブに、しばらくはお客さんも
コロナのことを忘れたように見えました。

3月24日(火)「南三陸でレコーディング」

東京からマヒトゥ・ザ・ピーポーことマヒトくんが仙台に来てくれて、エンジニアの佐藤さんやユミ、
それから火星の庭の前野さんや今回レコーディングをする南三陸町志津川の上山八幡宮の娘の
工藤夏海さんとで車2台連ねて志津川に向かいました。
上山八幡宮には今まで神楽を見に3回来たことがありますが、今回録音した1曲は、その1回目に
志津川に来た時に書いた詩に曲をつけたものです。
マヒトくんは上山八幡宮の神楽の舞台の下の地面にアンプを置いて、神社の向いの保呂羽山の方向を
見ながらギターを弾いていました。
ぼくは舞台から神様に奉納するみたいに遠くの山を見ながら歌いました。

その詩は9年前の大津波の時に、防災庁舎から最後まで避難を呼びかけていて、津波にさらわれてしまった
女性の声について書いたものでした。だからユミがこの曲の録音は志津川でするべきだと主張したのです。
ぼくもこの企画が実現して本当に良かったと思いました。みんなが精いっぱい協力してくれたし、
快く場所を提供してくれた上山八幡宮の夫妻にも大感謝です。

3月23日(月)「花輪線」

弘前から仙台に戻るのに、大館から盛岡まで花輪線に乗りました。渓谷を走る花輪線の写真を
前に雑誌で見て、ずっと乗ってみたかったから。
花輪線のほとんどの駅は無人駅で、人の乗り降りもほとんどないのに、しっかりと年を重ねた桜が
何本もどの駅にもあるのが印象的でした。東北を横切る小さな路線がたくさんあるみたいで、
今年はそんな路線の電車にたくさん乗りたくなりました。

3月22日(日)「弘前 アサイラム」

遠藤ミチロウの詩集「膠原病院」の中に、アサイラムのことを書いた詩があります。
「この次アサイラムに行く時にはマイクなしの生声で歌うよ」とミチロウは書いています。
マイクがなくても十分に声の聞こえる狭いお店なのですが、ぼくは今夜はあえてマイクを使いました。
この次がなかったミチロウのことを思って、渋谷クアトロの音楽葬のときに読んだ自作の詩を
アサイラムでも朗読しようと思ったからです。そして朗読に続いてクアトロのときと同じように
ミチロウの「カノン」を歌いました。今日のぼくのライブのプログラムは、アサイラムに
合わせた特別なものになりました。

3月21日(土)「青森 もぐらや」

青森の古書店「らせん堂」主催のぼくのライブは今年で5年目となります。今夜はキャンセルも
だいぶあったそうですが、無事開催することができました。らせん堂のスタッフの女性は、
会場でお客さんたちに配るマスクを買うために、薬局に30分並んだそうです。
ライブはお客さんの数ではないんだなあ、と今夜も思いました。来られなかった人の空席も、
来てくれた人たちの充実した思いが埋めてくれていたみたいです。

3月20日(金)「仙台でレコーディング」

21日と22日に宮城県でライブのあるおおはた雄一くんに一日早く仙台に来てもらい、仙台の
スタジオで2曲レコーディングをしました。エンジニアの佐藤ヒロユキさんが紹介してくれたスタジオで、
スタッフの人たちも佐藤さんと知り合いのようでした。
おおはたくんはセミアコのエレキを持って来て、少し音をひずませて弾いていました。
二人きりの録音だったので、ひずませたエレキの音はベースも兼ねているみたいで効果的でした。
今回の録音では、おおはたくんに6曲も参加してもらいました。

3月8日(日)「三月書房と100000t」

今日は夕方の新幹線を予約していたので、のんびりユミとランチを食べたり、本屋やレコード屋を
めぐったりしてました。10万tの加地くんがぼそっと「大不況ですよ」と言っていました。
こんなに人のいない京都は何十年ぶりか、という感じです。
大阪の心斎橋も人が少なくて歩きやすかったし、そういう意味では関西の街は今回いい感じでした。
でももちろん、早くコロナ騒ぎが収束して、みんな普段通りに暮らしたいですね。

3月7日(土)「京都 磔磔」

今日は「枕の月」を最後に語りでやってみようかなと思っていました。メロディはついているのですが、
つぶやきのような歌詞なので、語りを試してみたくなりました。
昨日大阪でリクエストされたのに歌詞がわからなくて歌えなかった「君の体はまるで」も歌いました。
リクエストしてくれた人が今夜も来ていたかどうかはわからなかったけれど。
客席にふちがみとふなとの二人が聞きに来てくれていたので、アンコールでふちがみさんにステージに
上がってもらい「ブルース」と「大道芸人」を一緒に歌いました。
お客さんたちも普段通りにぼくが歌える雰囲気を作ってくれてとても感謝しています。

3月6日(金)「大阪 Janus」

Janusは広い会場なので、普段からぼくのソロのライブはいっぱいになるということはないのですが、
今日はキャンセルが多かったということもあって、非常にゆったりとした感じのライブになりました。
コロナ騒ぎの時期には理想的だったともいえます。
お客さんがいないとライブは成立しないけど、お客さんの数によるものではないように思います。
一人のお客さんは、来られなかった何人ものお客さんと一緒に来ているような気がして、だから
今夜のライブは全然淋しいライブではありませんでした。
意を決して開催してくれた主催のグリーンズや会場のJanusにも感謝の夜でした。

3月4日(水)「ライブ中止のお知らせ」

函館と福岡のライブが中止になりました。
3月20日(金)函館のあうん堂ホールでのライブは、主催者からの強い要望もあって中止にすることにしました。
北海道の緊迫した様子はぼくには実感できないし、主催の太田さんのいつになく緊張した様子に、
中止は仕方がないと思いました。
3月13日(金)~15日(日)の福岡のライブも中止することになりました。
福岡も主催の田中くんから度々相談のメールをもらっていました。できれば開催したかったのですが、
会場がものすごく狭いこともあり、中止することになりました。
 
どちらのライブも、今後もう一度実現できそうでしたら、そのときはもう一度スケジュールにアップします。
3月6日(金)の大阪Janusと3月7日(土)の京都磔磔は予定通りライブをすることになりました。
これは主催のグリーンズの強い決意によるもので、ありがたいと思います。

3月1日(日)「金沢市 じょーの箱」

金沢ジョーハウスでのライブが今年も無事に終了しました。
実は前日の夜に、ジョーハウスの本池くんから、「キャンセルが10人ぐらいあったけど、予定通り
ライブをやりますか」と相談を受けていました。大阪のライブハウスでコロナウィルスに感染した人が
いたことがわかって、そのことがテレビのニュースになって心が揺らいだようです。
相談されてぼくは困ってしまいましたが、結局はやることになりました。やって良かったと思います。
でも最低限の予防はしようということになりました。
入場時に手を消毒してもらい、マスクを持参しなかった人のために主催者がマスクも準備しました。
だから客席の人は全員がマスクをして聞いていました。口は隠していても目ははっきりとぼくを見ていて、
その目は普段のライブと同じでした。
一部と二部の間に休憩を15分の休憩を入れて、窓を開けて空気を入れ替えました。
寒い日じゃなくて良かった。帰った人は誰もいませんでした。
能登半島から車で来てくれた人や、韓国で喫茶店をやっている日本人のカップルもちゃんと来てくれました。
みんな楽しみにしてくれていたんだなあ、と思いました。
 
3月20日の函館は主催者から中止にしたいと言って来ていますが、それ以外は予定通りライブをするつもりでいます。
お店や主催者の迷惑にならない限り、ぼくのほうから中止にはしたくないです。ライブに来たい人は来てください。
キャンセルしたいという人はどうぞキャンセルしてくださいね。返金にも応じますので。

2月24日(月)「GOK セッション」

吉祥寺のGOKスタジオで新曲を2曲録音し、1月に仙台で録音した2曲にドラムとベースのダビングをしました。
GOKのコンピューターが壊れていたので、めずらしくもアナログテープに録音しました。仙台から録音のために
来てくれたエンジニアの佐藤さんは久しぶりのアナログに燃えたようです。ぼくもマルチテープが回るところを
見たのは一体何十年ぶりなんだろう。
参加してくれたのはバンマス&ギターのおおはた雄一くんと、ベースの伊賀航さん、ドラムの芳垣安洋さん。
今回のレコーディングは「モスラ」など東北でできた歌がメインなので、東北で録音するというユミのアイデアを
もとに始めたのですが、バンドのみんなを東北まで呼ぶわけにもいかず、吉祥寺でやることになりました。
3KINGSのレコーディング以来ぼくは2度目のGOKですが、おもしろいスタジオです。

2月23日(日)「ラ・ポワント・クールト」

横浜のジャック&ベティにアニエス・ヴァルダの「ラ・ポワント・クールト」を見に行きました。
仙台で2本見て、横浜で最後の1本を見て、今回のアニエス・ヴァルダ特集をこれで全部見ました。
アニエス・ヴァルダは長い長い映画歴を持つ人で、これは1954年の彼女の最初の長編劇映画。
その後彼女はたくさんのドキュメンタリー映画も撮るのだけど、劇映画なのにドキュメンタリー映画の始まりの
ような映画でもあります。ロケ地となった島の住民たちが大勢出演しています。アニエス・ヴァルダがこんなにも
話題になるようになったのは2000年のドキュメンタリー映画「落穂拾い」からではないかな。
アニエスが自分の手の甲を映して、終わりが近づいている、とつぶやくシーンが忘れられません。アニエスは
それから19年後に90歳でなくなりました。

2月18日(火)「えんとこの歌」

伊勢真一監督の「えんとこの歌」が毎日新聞のドキュメンタリー映画グランプリを受賞しました。
それで2月20日にお祝いのパーティをすることになって、伊勢さんから電話でぼくとユミも参加してよ、
と誘われました。ぼくは「えんとこの歌」で遠藤さんの短歌を朗読しているので参加しなくては
いけないのですが、日曜日から花粉アレルギーみたいで体調が悪く、欠席ですと伝えました。
受賞したことが広まって上映会にも人が大勢来るといいね、と電話で話しました。

2月15日(土)「下北沢 風知空知」

風知空知」のオーナー藤井淳と店長の増田さんが今月でお店を去るというので、1月はマヒトゥーザピーポーと、
2月はおおはた雄一くんとライブをすることになりました。「風知空知」が2006年にオープンしたときは、
銀杏BOYZの峯田くんと二日間ライブをしました。結局「風知空知」ではぼくは最初と最後しかライブを
しなかったことになります。全部藤井淳が企画したのですが。
最初に2曲二人でやって、それからおおはたくんが40分ぐらい、休憩の後にぼくが数曲一人でやって、
後はおおはたくんに入ってもらってぼくの曲やおおはたくんの曲をやりました。
おおはたくんは今日はアコースティックの他にエレキも持って来て、ぼくとやるときは
主にエレキを弾いていました。やわらかいとてもきれいな音でした。
おおはたくんは今年45歳、ぼくは今年70歳。おおはたくんが70になったら何を歌っているだろうか、
と勝手に想像して、ぼくは彼に「余白の余韻」をリクエスト、そのお返しにぼくが今のおおはたくんの
年齢のときに作った「朝は詩人」を二人で演奏しました。
おおはたくんには現在ぼくのレコーディングに参加してもらっているので、「1月1日午後1時」や
「ニューヨークの憂鬱」などは現在進行形で聞いてもらいました。

2月10日(月)「のろまなゆめの夜 名古屋編」

今夜の会場「spazio rita」は前にも糧くんの企画イベントで来たことがあります。
何もないことが装飾のコンクリートの空間で、お客さんがいっぱい来ないと音が響きすぎます。
でも満員になったのでよかった。
今日も最初は「0点」が演奏しました。ベースの雄一くんはコーラスがとても上手です。
次に石原ヨシトくんがソロで演奏して、最後に女性コーラス3人とベースの人が加わってどこかの
民族音楽のようなおもしろい曲をやりました。歌の最後で声がひっくり返るのが新鮮でした。
それからettの西本さゆりさんとベースの河合慎吾さんのユニットしょうにゅうどう。
さゆりさんの歌の表情がいいです。最後にぼくが1時間歌って、みんなで「地球のいちばんはげた場所」を全員でやりました。
長時間のライブになりましたが、立っている人も座っている人も最後まで楽しんで聞いてくれた
みたいでした。そんな気持ちのいいイベントでした。

2月9日(日)「のろまなゆめの夜 豊田編」

名古屋の井上糧くんが企画した二日間のライブの一日目。
タイトルの「のろまなゆめ」は糧くんの自分の曲からとったのだと歌を聞いてわかりました。
会場の「橋ノ下舎」は古い日本家屋の二階。床が薄いので飛び跳ねると抜ける危険性が
あると永山愛樹くんが言っていました。
最初に糧くんとJaajaの長谷川雄一くんのユニット「0点」がやって、ぼくは糧くんの歌を
初めて聞き、いい声だなあと思いました。
永山愛樹くんはALKDOというバンドをやっていて、前にも名古屋で一緒になったことがあります。
魂全開の歌でした。
ぼくが1時間ほど歌って、最後にみんなで「地球のいちばんはげた場所」を歌いました。
遠藤ミチロウもよくここに歌いに来て、朝まで喋ったと愛樹くんが言っていました。
糧くんは彼が作ったカレーとミネストロネスープを販売していました。そのカレーには
jaajaの雄一くんが自分で解体した鹿の肉が入っていました。おいしかった。

2月4日(火)「アイヌの美しき手仕事」

アイヌの衣装や工芸品を見たくて、ユミと宮城県美術館に行きました。
特に衣装の、あみだくじのような、渦巻き状の模様がおもしろいです。
学芸員による展示説明が聞きたくなりました。柳宗悦と芹沢銈介が収集したものを展示する企画なので、
その二人のことが中心になっていて、肝心のアイヌについては少々物足りなかった。

2月3日(月)「映画会」

火星の庭で、澁谷さん、夏海さん、前野さん、ユミ、ぼくとテリーさんがDVDを見る会をしました。
なんと40年ぶりぐらいに「十九歳の地図」を見ました。これは「ブラックエンペラー」に続く柳町光男監督の第2作です。
公開は1979年。ぼくも新聞配達員として数分出演しています。ただ走るだけなのですが。
それにしても出演者がみんなまだとても若い。当時はだいぶ年上に思えた沖山秀子さんの横顔がとてもかわいい。
そして東京の街はまだきたなくて、誰もがはっきりとした未来を描けない感じ。
なにもかもを爆破してしまいたくなる主人公の気持ちがわかる映画です。

今夜はもう一本、澁谷さんが持ってきた「Daughter of a coal miner」も見ました。
ケンタッキー州の炭鉱町で生まれ育った歌手ロレッタ・リンの物語。ザ・バンドのレボン・ヘルムが炭鉱夫の
父親役をやっていますが、70年代後半の映画なのでレボン・ヘルムもまだとても若くてハンサムです。
ロレッタ・リンの役は「キャリー」のシシー・スペイセク。ロレッタの歌はすべてシシーが歌っていて
とてもいいです。ロレッタの先輩のパッツィ役の人の歌もすばらしかった。

2月2日(日)「ダゲール街の人々」

アニエス・ヴァルダの特集の2本目です。これは1975年の作品でドキュメンタリーです。
たくさんあるアニエスの作品の半分以上はドキュメンタリー映画です。初めての映画「ラ・ポワント・クールト」は
物語だけど、実際にその土地で土地の人たちと共に自然光で撮影をしたというから、元々ドキュメンタリーな傾向の
作家なのだと思う。だからアニエスが50年間暮らしたというダゲール街の人々をこんなにもリラックスした感じで
撮れたのでしょう。「人はいつになったら何でも説明をしたがることをやめるのだろう」というエリック・サティの
言葉に倣えば、アニエスはその最初の人だったのかもしれません。

2月1日(土)「光の穴」

句会のメンバーでもある伊東卓さんの写真展に行きました。正方形の大きい写真が十数点展示されていて、
どれも穴の中から出口の光を撮っています。今日は5時からyumboの澁谷浩次さんと卓さんのトークがあったので、
ギャラリーには人がたくさん集まりました。
今回選ばれた穴はどれも何かに使われた人工の穴だそうです。ユミはなぜ人工の穴ばかりなのかと質問していました。
穴に入って光を撮るという行為そのものがぼくにもおもしろい気がします。光の穴が小さければ小さいほど、
作者は穴の奥にいることになります。そのとき、背中の闇は気にならなかったのかな、と思いました。

1月31日(金)「アニエスによるヴァルダ」「ボブ・ディランのコメント」

2019年になくなったアニエス・ヴァルダの最後の作品「アニエスによるヴァルダ」を仙台のチネ・ラヴィータに
ユミと見に行きました。
これはドキュメンタリーというよりも、アニエス本人による彼女の全仕事の紹介のような作品。
前半は主に長編、短編などの映画作品についてですが、後半のアート作品はぼくの知らなかった世界なので、
一挙に彼女の創造の世界の幅が広がっておもしろかった。
そして最後の、砂浜で彼女が煙となって消えるようなシーン。涙が出ました。

すでにいろんな人のコメントが載っていますが、今日からウドーのホームページのボブ・ディランのページに
ぼくのコメントも載ります。97年にタングルウッドまでディランを見に行ったことを書きました。
ぼくはニューヨークで20年ほど過ごしたので、アメリカでは何度もディランを見に行っていますが、
日本ではまだ3回しか見ていないので、今回の来日公演が楽しみです。

1月30日(木)「今年の春一番」

仙台のE-Beansで今日から始まった古書と中古レコードの市を見ていたら、大阪の春一番コンサートの
福岡風太から電話があって、今年もよろしくとのことでした。ただ、今年で春一番を終了すると言われて、
これは大変ショックでした。最後の春一番、三日間を楽しもうと思います。

1月29日(水)「仙台 句会」

今日から仙台に来ています。
今夜はいろは横丁にあるレストランで新年会を兼ねた句会がありました。
テーブルいっぱいのイタリア料理と11人の俳句が混ざり合っておもしろい夜でした。

1月26日(日)「高松市 オリーブホール」

雨がやんで、高知の日曜市はにぎやかで、ぼくは田舎寿司(たけのこやこんにゃくなどの野菜の寿司)を
買って朝ごはんに食べました。高知駅からバスで高松へ。四国は荷物の多い人には乗り換えのある電車よりもバスが便利です。最初に島津田四郎くんが歌いました。どれもできたての歌のようです。
ぼくはわりと静かな歌を中心に歌いました。主催の佐藤さんが、「今日のライブは良かった。
シャウトなんかしなくても全然いい」とうれしいことを言ってくれました。

1月25日(土)「高知市 シャララ」

半年前に3KINGSで来たシャララでソロのライブをしました。
今日は片岡くんが最初に歌ってくれました。ビールをお代わりしたくなるような元気な歌です。
ぼくはできるだけ静かな歌を歌いました。なんとなくそんな気分でした。
3日間のツアーの2日目なので今日はお酒はやめようかな、と主催の町田さんに言ったら、珉珉に
誘ってくれました。高知新聞の大野さんと3人で餃子やラーメンを食べました。
雨が降っていて、明日の日曜市はどうかな、と言いながら別れました。

1月24日(金)「松山市 スタジオOWL」

俳句とミカンの街に久しぶりにやって来ました。
ライブの会場は前回と同じスタジオOwlです。地元のケーブルテレビでは不審者情報を流していて、お店の高橋さんと、どんな人が不審者なのか
という話になりました。人の顔をまじまじと見るのも不審な行為らしいので、もしかしたらぼくも
そう思われるかな、と思いました。
終演後にお客さんから、今夜は三宅伸治さんも松山でライブをしていますよと聞きました。
ぼくは知らなかったのでびっくりしました。

1月22日(水)「ネオンホール」

長野のネオンホールで久しぶりにライブをしました。
10年ほど前には那覇の桜坂劇場の一階で古本屋をしていた須田さんが、東京で家業の帽子屋を継ぎ、
今回彼の帽子作品を展示販売するという企画に呼ばれたのでした。
企画したのはタテタカコさんと村松晃くんの「感物屋」です。
帽子屋はたくさんあるけど、須田さんの作ったような帽子を売っているところはたぶんありません。
ネオンホールに所狭しと並べられた帽子を見ながらリハーサルをしていて、頭の部分がでこぼこの、
つばのある黒い帽子に目が行きました。
でもライブの後に買ったのは、フランス軍のテントの布で作ったというほとんどつばのない帽子。
とっても気に入っています。
今夜はタテさんが客席で聞いていたので「地獄のレストラン」を歌いました。
この歌ができたばかりの頃、真っ先に好きだとタテさんが言ってくれた歌だったので。
オープニングで演奏した金馬車の、地下室を掃除する歌がいいなと思いました。

1月20(月)「石の立体作品」

メキシコで石の彫刻を制作する奥村浩之さんの個展を銀座のギャラリーに見に行きました。
大きな作品が三つと、手で持てるぐらいの作品が五つぐらいありました。
石は小さくても大きくても同じように存在感のある素材です。石そのものが生き物のように。
そんな石と毎日過ごせるような暮らしがしたくなります。
だけど立体作品は空間と一緒に見なくてはならないので、大きな空間のある暮らしが必要です。
そんな大きな空間のある、奥村さんの暮らすメキシコまで行ってみたくなりました。
30年もメキシコで暮らしている奥村さんは、これからもメキシコで暮らしたいそうです。

1月17日(金)「風知空知」

マヒトゥー・ザ・ピーポーと下北沢の風知空知でライブをしました。
前回六本木で一緒にライブを一緒にしたとき、ぼくの歌にエレキギターで参加してみたいと
言っていたことを覚えていたみたいで、今日はその準備をしてきてくれました。
最初にマヒトくんが歌い、休憩の後にぼくが同じぐらいの時間歌いました。
アンコールではマヒトくんと一緒に「誰もぼくの絵を描けないだろう」「朝は詩人」「一本道」、
それとマヒトくんの歌「 Wonderfull World」をやりました。
初めてこの歌をCDで聞いてから、ずっと頭から離れなかったのですが、
今日一緒に歌ってぼくの頭も納得してくれたみたいです。
きっと一緒にやってみたいという印だったのです。

1月14日(火)「映画会」

今日は渋谷さんのお店「ホルン」で閉店後に映画会をしました。今夜はぼくとユミと渋谷さんと火星の庭の前野さんの4人です。
2本合わせると5時間以上でしたが大きな画面で見るDVDは面白くて、仙台に来たときの楽しみとなっています。
今夜の映画は「マーガレット」と「エスター・カーン めざめの時」の二本でした。
そろそろ明日には横浜に戻らないとね。

1月13日(月)「録音」

先日リハーサルをしたパルシティの音楽室で、ピアノの渋谷さんと2曲録音をしました。
そのうちの1曲はパルシティに部屋を借りたばかりの4年前に作った「モスラ」という歌です。その頃の
仙台駅東口の印象が歌われています。まだ駅ビルの中の東急ハンズがオープン前のころです。

 1月12日(日)「クラムボン」

録音エンジニアの佐藤さんとプロデューサーのユミとぼくで、仙台から盛岡のクラムボンに
向かいました。クラムボンの高橋さんが去年の元旦になくなってから初めての盛岡です。
今回はライブではなく、高橋さんのことを歌った歌をクラムボンで録音するために行きました。
13日に盛岡でライブの予定があったおおはた雄一くんも一日早くやって来て、ギターで録音に
参加してくれました。
高橋さんの奥さんの美知子さんには初めてお会いしたし、娘さんの真菜さんやデザイナーのれいくん、
クラムボンのスタッフの米山くんが協力してくれました。
たまにお店の前を通るバスの通過には気を使いました。ユミが「バス待ち6分」なんて言って、
バスが通過するのを待ってから録音を続けたりしました。
お昼に到着して夕方までに録音は終了。カレーをごちそうになり、おみやげまでいただいて、
ぼくたちは佐藤さんの車で仙台に戻りました。

1月10日(金)「リハーサル」

昨日の夜、仙台に来ました。
仙台のパルシティの音楽室で、yumboのリーダーの渋谷さんとリハーサルをしました。
渋谷さんはピアノ、ぼくは歌とギター。
1時間の練習の後は火星の庭に移動してプライベートの映画上映会。プロジェクターで持ち寄りのDVDを
何人かの仲間と見るのです。
これは仙台で覚えた楽しみ。今夜は「海街ダイアリー」と「牧童と貴婦人」の二本でした。

1月9日(木)「新春絵付け展」

横浜のギャラリーアークの「新春絵付け展」が今日から始まりました。
やはり初日は訪れる人が多く、作品はみるみる売れて行きます。ぼくもユミもたくさん買いました。
今回は買いやすい値段設定なので最終日の1月18日までいくつぐらい残っているかが気になります。

1月8日(水)「打ち合わせ」

編集者の井口かおりさんに品川で久しぶりに会って、本の打ち合わせをしました。長いこと
会っていなかったので、井口さんはぼくとユミに会うのに少しどきどきしたそうです。

1月5日(日)「三浦七福神ラン」

横須賀のランニングチームの呼びかけで三浦市に走りに行きました。40人ぐらいが参加しました。
三崎口駅で集合して、三浦市の七福神を走って巡る25キロぐらいのランです。
途中の三崎港でミサキドーナツに寄って藤沢夫妻に会い、2時半からかもめ児童合唱団のライブが空き地であることを知り、七福神をひと巡りした後に行ってみました。
横浜の家にいたユミにも連絡をしたのでかもめのライブで合流して、そのまま夜おそくまで藤沢くんや
三浦の人たちとミサキプレッソで飲みました。
かもめの少女たち、帰り際にそれぞれ「友部さん、さようなら」とあいさつしてくれて心に残りました。

1月4日(土)「手袋」

元旦になくした手袋のことが気になって、トイレを借りた本牧のコンビニに行ってみたら、
店員が見つけて保管してくれていました。懐かしいものにまた再会したという感じ。
なくしたものがまた見つかる年になればいいな。

1月3日(金)「生田」

生田に住んでいるユミの妹家族の家にお年始に行きました。
4人家族全員で歓迎してもらい、おせちやお酒をいただきました。
延々とおしゃべりしただけなのに楽しかった。

1月2日(木)「平塚」

息子の一穂夫婦と平塚八幡宮に初詣。
神社内の神様を巡る御朱印ラリーがあって、遊びっぽい神社でした。
神社の池ではアヒルが鴨に意地悪されていました。

1月1日(水)「初詣」

あけましておめでとうございます。
毎年年末に丹波篠山から送ってもらう極上の黒豆をユミが煮て、今年もおいしく食べました。
それからふたりで根岸八幡に初詣して、そのあと本牧通を歩いていてぼくは手袋をなくしました。
それが今年の始まりでした。