友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

12月31日(木) 「セラフィーヌ」
大晦日の夕方、リンカーンセンターにユミと「セラフィーヌ」という映画を見に行きました。
フランス、ベルギーの合作映画で、実在した女性の物語です。
セラフィーヌは全身全霊を聖母マリアに捧げてるような人で、掃除婦をしながら絵を描いています。
あるときその絵がドイツ人の画商に認められましたが、第一次世界大戦が始まり、画商はフランスを離れてしまいます。13年後にセラフィーヌと再会した画商は彼女にパリでの展覧会を約束するけど、大恐慌のせいで実現しませんでした。
気落ちしたままセラフィーヌの心はより神様に傾き、精神病院に入れられて、ついにはそのまま死んでしまいます。
セラフィーヌ役の女優がすばらしかった。舞台となったフランスのサンリスという町に行ってみたくなりました。

友部正人
12月23日(水)「ニューヨークへ」
「ロックンロール、やってます」の宣伝がホームページに出ましたね。
カタログ、というところに、通信販売の方法も載ってます。
ぼくたちは明日24日にニューヨークに出発します。帰ってくるのは来年1月27日。
留守中に郵便振替でCDを申し込まれた方へは、2月の初め頃にCDを発送することになるでしょう、とユミが言ってます。

YOU TUBEで「反復」の映像が見られます。三宅くんのかっこいいギターを伴走に、へんてこな仕草で歌っています。それでも見ながら、2月の来るのを待っててください。

友部正人
12月20日(日)「あしがらさん」
先日見た「犬と猫と人間と」がよかったので、同じ監督の第一回作品という「あしがらさん」をジャック・&・ベティに見に行きました。この日12時からの一回だけの上映なのに、ユミの仕事が終わらず焦りましたが、ぎりぎりの時間に二人でタクシーで直行。やっぱり行ってよかったです。

ホームレスの「あしがらさん」は人間不信。でも入院中にみかんとお菓子をもって訪ねてくれたこの映画の監督の飯田基晴さんだけは「信用できる」と言います。
「あしがらさん」と監督の、みかんのやりとりが、心のやりとりのようでした。

終演後に監督のトークがありました。大学時代にボランティアをしていて、路上生活者を映画にしようと初めてビデオカメラを買ったときのことなど、その淡々とした話し方はちょうど映画を見ているのと似ていました。
まだ若い飯田さんの人生は映画のフィルムでできているようで、そのまま先へどんどん続いていけばいいな、と思わせるようなところがありました。

友部正人
12月18日(金)「束芋」
横浜美術館に、束芋の「断面の世代」とタイトルのつけられた展覧会に行きました。
アニメーションというのか、よくわかりませんが、この人の作品は、静止している絵も、実際に動いている絵も、全部アニメのように感じます。
連続性があるのです。そして肉体のいろいろな部分をその素材にしているところは、先日ぼくが共演した原マスミくんにも似ています。
動画を立体的に見せる大掛かりな仕掛けがとても斬新です。
ちょっとしたびっくりハウスです。
ある瞬間を境に、人の思いは塊から溶解していく、そんなことを考えました。
とにかく面白かったね、とぼくもユミも満足なのでした。

友部正人
12月15日(火)「ロックンロール、やってます」
今年のぼくのライブスケジュールは全部終わりましたが、ユミは来年発売の「ロックンロール、やってます」のCD制作中で、山のような仕事に追われています。
ユミの忙しさはぼくたちのニューヨークへの出発の直前まで続くはずです。
今日はエンジニアの小俣くんが家に来て、マスターリングの最終打ち合わせをしました。

友部正人
12月13日(日)「小樽 ぐるぐる」
「ぐるぐる」は30人ぐらい入るといっぱいになる小さなレストラン。店主の手塚くんは、知り合ったころはまだ独身の旅人でしたが、今は家族があり、小樽で自分のお店を経営しています。

遠くの町から毎日のように来てくれた人もいました。その人たちのためにも、今日はいつもと少し違う曲も選んでみました。

打ち上げの途中で、札幌まで戻るため木下さんと外に出ると、ちらほらと雪が降り始めていました。
でもその雪も、車で札幌に着く頃にはすっかり止んでいました。

友部正人
12月12日(土)「江別市 シアターども」
今日の札幌は一日中雨で暖かでした。
毎回北海道のツアーでお世話になっている木下さんと、小別沢の「やぎや」にお昼を食べに行きました。「やぎや」の永田夫妻はライブもやってくれたことのある古い友人。

江別の「シアターども」は今回で2回目です。
「ども」のギャラリーでは、ライブの主催でもある石井さんの墨絵展が開かれていて、今日はちょうどその中日です。
「ども」の音響と照明は抜群でした。ただ客席とステージの距離が遠く、最初は演奏が一人で空回りしているような気がしました。
小劇場とはいえ、喫茶店とは感じがちがうということがよくわかりました。

友部正人
12月11日(金)「岩見沢市 琥珀」
昼過ぎに千歳空港に着いたとき、摂氏0度とアナウンスしていました。
雪はないけどやはり北海道は寒い。
先日静岡で買った防寒用のコートが役に立ちました。

「琥珀」は古い学校の教室のような喫茶店。壁際には古いアップライトピアノがありました。マスターの坂上さんは前からぼくのライブがやりたかったそうです。
岩見沢には今回はじめて歌いに行きました。今夜聞きに来てくれた人は岩見沢に住んでいる人が多かったそうです。普段は札幌まで聞きに来てくれているとか。

リハーサルの後、駅舎のデザインが全国一になったという駅を見に行きました。
予想に反してシンプルなデザイン。二階のオープンスペースでは大学生のグループがクリスマスソングを演奏していて、器楽も合唱もすばらしかった。

友部正人
12月10日(木)「犬と猫と人間と」
横浜のジャック・アンド・ベティに、ユミと「犬と猫と人間と」を見に行きました。
これは人間に捨てられた犬と猫の命をテーマにしたドキュメンタリー映画です。
捕獲された犬や猫の98パーセントは殺処分にされるという事実にはきっと誰もが驚くでしょう。殺処分が「動物愛護センター」と名づけられた施設で行われるということも。捨てられる犬や猫の数に比べたら、里親が見つかって
救われる命はほんの一部です。そのほんの一部のためにほとんどの時間をかけて努力する愛護センターの職員もいました。
テーマは重いけど、明るい感じで撮られた映画です。なのにときどきどうしようもなく涙が出てくることがありました。

友部正人
12月9日(水)「Book Japan」
ツアーに明け暮れたこの1ヶ月、早くもBook Japanの原稿の締め切りがやってきました。
今回は草森紳一「本が崩れる」について書こうと思いました。他人事ではないようなタイトルだからです。

お昼ごろ神楽坂から横浜に戻って、なんとか夜までには原稿を送れたのですが、いくつか書き忘れたこともあります。
たとえば、草森紳一は筆圧が高く、手が腱鞘炎になって、筆を使うようになったこととか、旅行のとき、読みはしないのに大量の本を鞄に詰め込んでしまうこととか。ぼくに似ているところです。
原稿は毎月第二木曜日にBook Japanのサイトに載ります。

友部正人
12月8日(火)「ムギマル5周年記念イワトコンサート」
マンジウ屋「ムギマル」が入谷から神楽坂に移って「ムギマル2」になってはや5年になるそうです。そのお祝いとして、神楽坂にある小劇場「イワト」で、原マスミさんとぼくのコンサートが開かれました。

開場から開演までの1時間、ぼくと原くんが「ムギマル」で対談したときのビデオ映像を音なしで流していました。
最初に原くんが50分ぐらい演奏しました。ぼくはそれを最後部のPA席で聞いていました。最後に歌った「海のふた」は圧巻でした。
それからぼくが50分ほどソロで。そのあと原くんと二人で、「すばらしいさよなら」「心配」「イタリアの月」「ピアノ」を演奏。ぼくの曲は原くんが選曲して、原くんの曲はぼくが選曲したのです。原くんの歌は実際に自分で歌うとむずかしくて、最初ぼくは戸惑いました。たぶん原くんもぼくの曲に戸惑ったんだと思います。
十分戸惑って、十分練習したおかげで、心配されたような失敗もなく、大変よくできたと思います。アンコールは「おやすみ12月」。これはユミのアイデア。

打ち上げは「ムギマル」の二階で。時間は無制限なようなので、横浜に住んでいるぼくとユミは「ムギマル」の早苗ちゃんに近所にホテルをとってもらいました。これならいつでも眠くなれば眠れるから。
打ち上げに参加した面々に会って、今日はミュージシャンのお客さんが非常に多かったのがわかりました。

友部正人
12月6日(日)豊橋 ハウス・オブ・クレージー」
昨日静岡でばったり一緒になったリクオとのジョイントライブでした。
最初にリクオが1時間歌いました。ぼくは客席で聞いていて、このお店は音楽が聞きやすい雰囲気だなあ、とはじめてわかりました。いままでは誰かを客席でじっくり聞いたことはなかったので。
ぼくが歌った後、リクオと二人で、アンコールも含めて7曲演奏しました。
ジョン・レノンの命日が近いので、「オー・マイ・ラブ」をぼくとリクオのそれぞれの日本語訳でやったり、「はじめぼくは一人だった」をリクオのピアノだけでやったりしました。リクオとぼくの共作「カルバドスのりんご」もやりました。

打ち上げはいつものイーストオレンジで。
ずいぶん遅くまでワインを飲んで、ユミがウトウトしてきたのでぼくたちは先にホテルに戻りましたが、リクオはまだまだ元気で飲んでました。

友部正人
12月5日(土)「静岡 フリーキー・ショウ」
静岡に20年ぶりぐらいで歌いに行きました。
20代の若者たちがやっているライブバーです。
だいぶ前にお店の方から連絡があって、何度もユミとやりとりしながらやっと実現したライブです。
当然お店の方たちや聞きに来てくれた人たちの期待度も高まります。
ぼくもやりがいを感じながら歌いました。
最初に歌った虹尾わたるくんの歌がすてきでした。ぼくが歌っているときは、一番前にしゃがみこんで聞いてくれました。

たまたますぐ近くの別のお店でライブをしていたリクオが終演後にやって来て、そのまま一緒に打ち上げをしました。同じ日に同じ町でライブをするなんて、ぼくもリクオも昨日まで知らなかったのです。

友部正人
12月4日(金)「瑞浪 待夢珈琲店」
背景にアルプスが見えてきそうな山小屋風の喫茶店。
店内には隅々までコーヒーの香りがしみこんでいます。お客さんは年配の方と若者が半々でした。ぼくの歌がはじめての人には聞きなれない感じのはずなのに、最後まできちんと聞いてくれました。
今井さんからはおみやげに、イエメンから直輸入のめずらしいギシルコーヒーをいただきました。

友部正人
11月29日(日)「御坊 復活 商工祭」
32年ぶりという商工祭に呼ばれて歌いに行きました。コンサートの会場は小竹八幡宮の境内です。夕方から気温が低くなって、じっと聞いているお客さんはきっとつらかったでしょう。ぼくは歌っていると暑くなってきて、途中で上着を脱ぎました。

本番の前にユミと、今日で見納めというディーゼル車両、キハ603を見に行きました。御坊と西御坊をつなぐ線路を50年近く走り続けた車両です。
最後に今日一日だけ走らせる、という噂を聞きつけた鉄道マニアが全国から集まっていました。終点の西御坊の踏切では地元市民のブラスバンドが生演奏していて、なんだかタイタニックのラストシーンみたいでじーんとさせられました。

コンサートの後は主催の商工会議所の人たちと一緒に打ち上げ。
コンサートを企画した藤原さんは、また来年も、と言っていました。

友部正人
11月28日(土)「加古川 チャッツワース」
リハーサルの後、チャッツワースのオーナー、岸本さんとぼくとユミの3人で、商店街を散歩しました。加古川は落ち着いたきれいな街です。
ちょっとはずれると古い民家や倉庫がまだ残っています。出番までぼくとユミはcecilというお店でコーヒーを飲みました。

ライブは7時から。チャッツワースのようなこじんまりとしたお店の場合、間に休憩を入れて、次は何をやろうかと考えながら進めるのがいいようです。
あまり曲目にしばられないで。新しいスピーカーがアコースティックギターにとてもいい音でした。

友部正人
11月25日(水)「麦マルでリハーサル」
神楽坂のマンジウ屋「麦マル2」で、原マスミくんとのんびりリハーサルをしました。
今度の12月8日のライブは二人だけなので、一緒に何曲かやろうか、ということになってリハーサルすることになったのです。でも、ぼくは原くんの曲を覚えるだけでも大変で、気がついたら外は真っ暗。
麦マルの早苗ちゃんが料理とワインを用意してくれたので、あとは自宅練習ね、ということになりました。いやはや。

友部正人
11月22日(日)「大阪 シャングリラ」
LDKツアー最終日です。曲目は変わらないけれど、ぼくのお喋りが少し増えたのは、きっと、ツアーのおしまいを、無意識のうちに先延ばしにしたかったのかも。でも、しょうもないお喋りでは時間は止められない。
新曲もやっと、今日になって身についてきたようです。
終演後はシャングリラのシングルマンのお勧めのお店で、久しぶりに生の牡蠣を食べました。楽しいツアーでした。ふちがみとふなと、ありがとう。

友部正人
11月21日(土)「京都 拾得」
京都に行く前に、名古屋市千種のカフェ・デュフィというお店で食事。
ここで働いている糧くんに誘われて来ました。
昨日ライブに来てくれた舞ちゃんとjaajaの二人も一緒です。
流れている音楽も食べ物も非常にゆったりとしていました。

一足先に京都に向かったふちがみさんから電話で、新幹線も京都駅のタクシー乗り場も異常な混みようという情報が入りました。
幸いぼくたちの乗った新幹線はそれほどではなかったけど、京都は今紅葉のピークで、ホテルも半年前から取れない状態です。

今夜は京都の拾得でした。なんとなく和気あいあいとしたムードがあるのは、京都がふちがみとふなとの地元だからでしょうか。
ぼくたちの演奏もリラックスして、新たな段階に突入したかのようでした。
「二つの午後」のジャケットの絵を描いたミシシッピさんも聞きに来てくれました。
ぼくとユミは大阪のホテルに泊まるために、早めに拾得を後にしました。

友部正人
11月20日(金)「名古屋 得三」
LDKのツアー二日目は名古屋です。ふちがみさんと船戸くんは東京から、ぼくとユミは新横浜から、同じ新幹線に乗りました。
いつも大きなウッドベースをかついで旅している船戸くんは、名古屋駅から階段を使わないで、エレベーターとエスカレーターだけで、地下鉄を使って得三のある今池までたどり着ける道順をよく知っていて感心しました。

LDKのレパートリーに「地獄のレストラン」と「6がつのうた」が新たに加わりました。あとは昨日と同じ内容です。ぼくもふちふなも、普段の自分たちのツアーでは、同じ曲順や同じ内容でライブをしたことはなかった。
今回はじめてやってみて、曲目は同じでも演奏は同じではないということがわかりました。大切なのは演奏ですから。

今日はユミの誕生日。ぼくは今朝そのことをうっかり忘れていました。
ふちがみさんがバースディカードを買ってきてくれて、LDKで寄せ書きをしました。
いつもライブに来てくれる大学生の舞ちゃんは、ユミのためにタルトを焼いて持ってきてくれました。おいしかった。

友部正人
11月19日(木)「LDKツアーのはじまり」
今日からぼくとふちがみとふなとのユニット、LDKの四日間のツアーが始まりました。
今日は吉祥寺のスターパインズカフェ。ミニアルバム「二つの午後」の発売から半年近くたっての発売記念ツアーですが、新曲も何曲か用意して、まったく新しい気持ちでのぞんでいます。
たぶんそのせいもあって、終演後、CD売り場で3人でサインしていたら、おもしろかった、と言ってくれる人が多く、うれしかった。
これから名古屋、京都とツアーしていって、大阪でのファイナルをめざしたいです。これはぼくたちのマラソンです。

友部正人
11月15日(日)「宜野湾市 プチカフェ」
ホテルから那覇空港までユミとランニングしました。お昼ごろホテルでテレビをつけたら、横浜国際女子マラソンを中継していました。
ぼくたちがいつも横浜で走っているコースを走っていたので、まるで自分たちが画面の向こうを走っているようでした。

「プチカフェ」はピッピ隊長のお店です。ピッピ隊長はアコーディオンを弾きながら歌う女性シンガーソングライター。ぼくと2回ぐらい共演したことがあります。今回はぼく一人のライブ。
ライブは8時半ごろから、2時間ぐらいやりました。マイクを使わなくてもよく音の通るお店です。

沖縄最終日なので、今日はしっかり飲むぞ、という気分でした。
今は宜野湾に住んでいる懐かしい古い友だちも来てくれました。
仙台からはテリーさんもやってきて、そんな特別な夜でした。

宜野湾には普天間基地があって最近もヘリコプターが沖縄国際大学に落ちました。そのとき校内にいた人たちの話を今夜聞いていたら、本土で新聞を読むだけでは、米軍の存在の生々しさはわからないと
思いました。

友部正人
11月14日(土)「読谷村」
ぼくのホームページの管理人をやってくれているケチャとハナオの家に遊びに行きました。二人には3歳の女の子と1歳になったばかりの男の子がいます。
家は嘉手納基地を遠くに見下ろせる高台にありました。庭には小さな砂場と、ケチャが育てている家庭菜園。
元米軍のハウスだったという平屋の家はとても広く、子供たちにも居心地がよさそうです。ぼくもユミもまだ時差ぼけで、ただごろごろしていただけでも楽しかった。

夜は那覇に戻り、タテさんと中山ウリさん、ハシケンとリクオのライブを聞きました。ハシケンとリクオのアンコールでは、ぼくも飛び入りして、みんなで一緒に「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌いました。

友部正人
11月13日(金)「那覇 アサイラム2009」
那覇市の桜坂劇場を中心にした音楽イベント「アサイラム2009」に初参加しました。
ぼくとタテタカコさんは、二人の写真家をゲストにコンサートをしました。
タテさんと橋口譲二さん、ぼくと本橋誠一さんという組み合わせです。
まずタテさんが橋口さんと二人で、ピアノ演奏とスライド上映をしました。
スライドを上映しながら橋口さんが自作のテキストを朗読し、タテさんがそれに合わせて即興でピアノを奏でます。橋口さんの撮った17歳の若者たちが今にも微笑みそうなくらい、タテさんのピアノと歌は写真に合っていました。

ぼくは本橋誠一さんの「バオバブの記憶」という写真作品に合いそうな歌を6曲選んで歌いました。途中、本橋さんにもステージに上がっていただいて、二人でバオバブの木のことや、映画、写真、歌のことなどを話しました。
写真はステージの背後の壁にスライドで上映されたので、前を向いて歌っているぼくには見ることができませんでした。だから、選んだ歌がどれだけ写真に合っていたのかわからなかったのですが、客席から見ていたユミは、よかったよ、と後で言っていました。

最後にぼくとタテさんが二人で2曲演奏しました。タテさんがピアノを弾いて、ぼくはギターを持たずに歌ったのです。曲目は「ラブ・ミー・テンダー」と「一本道」。

友部正人
11月11日(水)「Book Japan」
今日は一日中原稿書きをしました。
インターネットの書評サイト「Book Japan」に毎月第二木曜日に載せる原稿です。今回はシュペルヴィエルの「海に住む少女」にしました。

出来れば新刊で、それでなくても現在手に入る本を取り上げるように、といわれているけど、ぼくが読みたい本はたいてい絶版になっているような古本なので、毎回取り上げる本に苦労しています。

友部正人
11月9日(月)「鳥取 川一銀座倶楽部」
鳥取の駅前の夜は早い。7時にはもうほとんどのお店がシャッターを下ろしています。そんな暗い商店街の奥にぽつんとあるライブハウス。

リハーサルで音を出してみて、すぐにユミが「ここは音響がいいよ」、と言いに来ました。昔ここはレコード屋だったせいか、お店には聞いてみたくなるようなCDがたくさんありました。
ライブ終了後は落ち着いた和風のお店で、主催の方からカニをごちそうになりました。今しか食べられない親ガニなのだそうです。

友部正人
11月8日(日)「倉吉 ラ・キュー」
2年ぶりに歌いに来たラ・キュー。狭い空間を最大限に利用した客席。
階段も客席になっています。
ぼくはマイクを使わずに生で歌いました。壁が漆喰と木なので気持ちのいい音です。気持ちよさのせいでついつい長くなった二部の演奏でした。

友部正人
11月7日(土)「MG 40周年記念コンサート」
5年前と同じく朝おきて、宍道湖のほとりをユミとランニングしました。
時差ぼけなのでどうしても早く目覚めてしまう。

ぼくがデビューする前から松江にある喫茶店「MG」の40周年を祝うコンサートです。会場は島根県民会館中ホール。
ぼくの出番は3番目で、大塚まさじと永井ようのディランⅡの次でした。
持ち時間は25分だったので、5曲歌いました。
MGのあっちゃんはずっと舞台のそでで聞いていて、演奏が終わったミュージシャンみんなにていねいに挨拶をしていました。

コンサートは夕方6時過ぎに終わり、それからはホテルの宴会場でパーティー。いろんな出し物もあったりして楽しめました。
パーティーの後はまさじやイサトたちと二次会に。

友部正人
11月6日(金)「松江」
5年ぶりに松江にやってきました。
11月4日の夕方に日本に戻って来たので、ニューヨークから直接来たような感じです。
今夜はリハーサルだけで、明日のお昼からが本番です。

友部正人
11月1日(日)「ニューヨークシティ・マラソン」
今回でぼくにとっては8回目のニューヨークシティ・マラソン、3時間18分44秒で完走しました。
今年は43475人が完走したそうです。この人数はニューヨークの道路の許容量を越えているので、一斉に「ヨーイ、ドン」ではなく、いくつかのグループに分かれて、20分ごとの時間差でスタートします。だから人との競争ではなく、時間との勝負という感じです。

レースが始まるまでの待ち時間は小雨でとても寒く、ユミが朝に持たせてくれたレック゜ウォーマーと薄い毛布がとても役に立ちました。

女子で過去3回優勝したことのあるラドクリフは今回は4位でした。
36.8キロあたりで遅れはじめたラドクリフを励まそうと、優勝したエチオピアのツルは、ラドクリフにあわせて速度を落としたのだそうです。後で新聞で読んでそのことを知って、ぼくもユミも大感動しました。

マラソンをしていていつも遭遇するのは自分の心の弱さ。最後にどうしても投げやりになってしまうのを今年はなんとか克服できたみたいです。
去年より記録は1分ほど遅かったけれど最後まで楽に走ることができました。

レースが終わってから仲間のみんなと食べる中華料理は、今年もおいしかった。

友部正人
10月25日(日)「子供のハロウィン」
朝はセントラルパークで8キロのレースに参加。

午後からまた中古レコード市に向かい、夕方まで場内をうろうろして、それから地下鉄で110丁目まで。セントラルパークの最北端にある池に子供たちが彫ったかぼちゃをつないで浮かべ、それを魔女がカヤックで曳くというので見に行ったのです。待ち合わせていたユミやメグももう来ていました。

空を茜色の雲が西から東へと横断していき、池のほとりの街灯に灯がともると、まるでマグリットの絵のようでした。早めに来たユミは、仮装したこどもたちの写真を、たくさん撮っていました。

日本から遊びにやって来た友人家族と合流して、夜はその近くにソウルフードを食べに行きました。なまずのフライははじめて食べたけどおいしかった。

友部正人
10月24日(土)「中古CD、レコード市」
午前中はニューヨークシティ・マラソンの最後の16キロを試走するというイベントに参加しました。ゴールまでの最後の6キロはだいたい上り坂でしんどいのです。

午後3時ごろから7時までは、毎年この時期恒例の中古レコード市に。
寄付で運営されているラジオ局の資金集めのイベントです。各地から150近い中古レコード店が結集するのでとても興奮します。今年は入場制限するくらいたくさんの人が集まって雨の中たいぶ待たされました。
こんなことははじめて。

同じレコードでも店によって値段が違うし、音楽の傾向にもそれぞれ個性があって何時間いても退屈しないけど、体力がいります。今日は、走った後だったのできつかった。

友部正人
10月23日(金)「レナード・コーエン」
レナード・コーエンのセカンドアルバム「ソングズ・フロム・ア・ルーム」をはじめて聞いたのはぼくが二十歳の頃だった。たぶん名古屋だと思うけど、レコード屋さんで手にとって、ジャケットの雰囲気に引かれて買ったのだと思う。
それからレナード・コーエンはぼくにとってとても影響を与える人になった。

今回のニューヨークは、マラソンと同じぐらい、レナード・コーエンのコンサートに行くのが目的だった。場所はマディソン・スクエア・ガーデン。今年になるまでアメリカでは十数年間一度もコンサートをしなかったせいか、コンサートを切望していた人たちで広い会場はほぼいっぱいになった。

驚いたのはこの広い会場が、レナード・コーエンの歌と雰囲気で一体になったこと。
ボブ・ディランのコンサートでもブルース・スプリングスティーンのコンサートでもそれは体験したことはなかった。本当にみんな歌に聞き入っていて、どんな言葉やしぐさにも敏感に反応していた。コンサート中は売り子が邪魔だったし、ビールもあまり売れなかったようだ。

コンサートは2部構成に分かれていたけど、その後のアンコールが長かったから、3部構成のようなものだった。休憩を入れて3時間半の長さだった。
アンコールの最後の方に「フェイマス・ブルー・レインコート」をやった。ぼくもユミももうやらないのかと思っていたから、本当に感動した。

レナード・コーエンの歌詞にはニューヨークやマンハッタンの出てくるのが多い。
そのたびにニューヨークの聴衆はとても喜んでいたし、そんな時間を共に分け合って演奏できるレナード・コーエンとバンドの人たちも心からうれしそうだった。
レナード・コーエンの歌の言葉はボブ・ディランほど謎に包まれてはいない。
人柄と言葉のわかりやすさが、今夜のコンサートをあんなにもすばらしいものにしたんだと思う。

早くからぼくとユミの分のチケットも買っておいてくれて、一緒に行ったメグも、1時半頃までドーナッツ屋でぼくらと興奮して話し込んでいて、最終電車を逃してしまい、クイーンズまでタクシーで帰ったそうだ。

友部正人
10月16日(金)「ニューヨーク」
毎年この時期にニューヨークにいるのは、11月の第一日曜日にニューヨークシティ・マラソンがあるからです。

今日はみんな分厚いコートを着ていて、まるで冬のようでした。
お昼ごろユミと走りに行くと、セントラルパークから見える二つの温度計は片方は摂氏1度、もう片方は摂氏4度となっていました。
どちらが正しいにしてもかなり低い気温です。
アパートまでの帰り道は冷えるので、途中スリフト・ショップなどに寄り道して帰ります。ああ、冬がまた来たんだなあ。

友部正人
10月12日(月)「京浜ロックフェスティバル」
川崎の工場地帯の先っぽで、こじんまりとしたロックフェスティバルがありました。広々とした会場は海と工場に囲まれていて、巨大なクレーンが戦争の残骸のように眠っていました。

ぼくは東京ローカル・ホンクと一緒に4曲歌いました。夜になって寒かったけど、ぼくとローカル・ホンクは心地よく汗をかいていました。
とてものんびりとしていて、あたたかい感じのフェスティバルでした。

そしてぼくは14日からしばらくニューヨークです。

友部正人
10月11日(日)「高畠ワイナリー」
高畠ワイナリーの収穫祭で歌いました。ぼくの出番は午前11時でした。
途中突風が譜面台を吹き飛ばして、歌詞カードが全部風に舞いました。
スタッフの人たちや社長の奥山さんまでが、拾い集めてくれました。

オークションにはフェリシモから出た絵本「しいちゃん」を2冊出しました。
オークションなのでだいぶ高い値段で買ってくれたようです。

真っ青な空の下で歌う遊佐未森さんのステージを見ながら、ぼくとユミは高畠駅に向かい、横浜に帰りました。もう夕方近いというのに、ワイナリーに向かう車がまだ長蛇の列を作っていました。

友部正人
10月10日(土)「高畠に移動」
仙台のテリーさんがぼくとユミを、郡山から山形県の高畠まで車で送ってくれました。
夜は山形市のレストランで明日の出演者の遊佐未森さんたちと食事会。
高畠ワイナリーの社長の奥山さんが秘蔵のワインを飲ませてくれました。
どのワインも酔っ払うのがもったいないくらいおいしかった。

友部正人
10月9日(金)「郡山 ラストワルツ」
移転して新しくなったラストワルツで初めてのライブをしました。
途中、「ユニコーン」と「言葉がぼくに運んでくるものは」で、オープニングアクトのバイバイブルーの山本隆太くんにピアノを弾いてもらいました。
アンコールの最後では、出演者全員で「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥー・ミー」をやりました。
ライブの後は、いつもの楽しい打ち上げが待っていました。

友部正人
10月5日(月)「三豊 ブギーナイト」
ブギーナイトは店主の湯口さんも、働いている人たちもまだとても若く、元気のいいお店です。地元の豚やえびなどを料理して出しています。打ち上げで食べさせてもらったけど、本当においしかった。

去年に引き続き二度目のライブでした。
最初に大阪の高木まひこくんが歌いました。エルビス・プレスリーが大好きだという27歳のロックンローラー。

店主の湯口くんは三宅伸治の大ファン。来年出る予定のぼくと三宅くんのライブ盤を楽しみにしていました。来年は二人でライブをしますね。

友部正人
10月4日(日)「鬼北町 バンブーハウス山猫亭」
山猫亭は主催の岩本さんが一人で竹を組んで作った畑の中の劇場です。つめれば100人は入るとのこと。
畑の隅で発電機の音がパタパタとして、バンブーハウスの入り口ではおでんやカレー、飲み物の準備をしています。

最初に陶芸家の工藤冬里さんのバンドがやりました。工藤さんの奥さんがボーカルで、すみの方では子供も太鼓をたたいています。
他にはベースやリコーダーというような編成で、竹の隙間から吹き込んでくる風のような演奏でした。

ぼくは今日も「生きてることを見ているよ」という新曲を一曲目に歌いました。この歌は仏教の教えと同じメッセージを持っていると、聞きに来ていた「歌うお坊さん」が言っていました。
アンコールのリクエストは「雨は降っていない」。3年前もこの曲で終わったので、今日もぜひ、ということでした。
「ぼくは君を探しに来たんだ」では、高知から車でぼくを送ってくれた浜田くんがコーラスをつけてくれました。

友部正人
10月3日(土)「南国市 歩屋」
3年ぶりに、二度目の歩屋ライブでした。今夜は中秋の名月。楽屋に使わせてもらった和室の窓からは満月が遠くの方に見えました。

今朝の高知新聞に、忌野清志郎について書いたぼくの文章が出たせいもあって、今日になって電話予約が殺到したとか。
写真撮影はユミで、清志郎から買った12弦ギターをぼくが弾いているところを二日前に撮影して、すぐ新聞社に送りました。

日が暮れると、続々と車がやってきて、まるでアメリカン・グラフィティみたいです。どこの駅からも遠い国道沿いのお店なので、みんな車で来るしかないのです。

最初に四万十市のシンガーソングライター、浜田裕介くんが4曲歌いました。
久しぶりのライブでぼくは、最初のうち感じがつかめませんでした。
だから間違いも多かった。休憩後にやっと調子が出てきて、いつもの自分に追いつき、そのまま自分を追い抜いていました。
最後に浜田くんにコーラスをつけてもらって「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌いました。

友部正人
9月30日(水)「ミックス二日目」
昨日の残りの分を今日ミックスしました。三宅くんとユミとぼくとで考えた順番に全曲をつないで聞いてみました。この瞬間が一番どきどきします。
夜11時にスタジオを出るとまだ雨が降っていました。昨日と同じ時刻の電車に乗って、同じ時刻に乗り換えて、同じ時間に家に着きました。
毎日通勤している人のようでした。

友部正人
9月29日(火)「ライブ盤のミックス」
8月17日にスターパインズカフェで録音したぼくと三宅伸治くんのライブのミックスをしました。エンジニアは小俣くん。
だいたいのミックスはすでに小俣くんがやってあったので、ぼくと三宅くんはそれを聞いて、弱冠の注文を出すぐらいです。
今日は10時間で4曲終えました。

友部正人
9月28日(月)「トリコミ、中ムラサトコ」
トリコミと中ムラサトコさんのライブを聞きに横浜のサムズアップへ。

トリコミは水谷紹くんのバンドで、ギターが紹くん、ベースがかわいしのぶさん、ドラムがホアチョ。
この何年かは、東京中低域でバリトンサックスを吹く紹くんしか見ていなかったからか、ギターを弾く姿がやたらとかっこいい。
それに声もよく出ています。
なんだかブルックリンのウイリアムズバーグあたりを拠点に活動しているバンドのようにのんびりしたところがあってすてきでした。

中ムラサトコさんは足踏みオルガンを弾きながら自由自在に声を出し、言葉を唱えます。川で洗濯しているようでもあり、街角で歌うエディット・ピアフのようでもあります。「ホームレスのラブソング」、本当に素敵でした。
終演後にそうサトコさんに言ったら、寿町で「アナーキーママ」というスープ喫茶をしているそうです。今度ユミと行ってみます。

友部正人
9月26日(土)「深夜高速-生きててよかったの集い-」
フラワーカンパニーズの「深夜高速」を14組の歌手、バンドが演奏しているびっくりするようなアルバムが送られてきました。
1曲目から15曲目まで全部「深夜高速」。そのうちの1曲目と15曲目はフラワーカンパニーズがやっています。
2曲目の斉藤和義にまず聞き入ってしまいました。言葉がとてもしみこんできます。金子マリも金子マリらしくなくてよかった。
ぼくならどんな風に歌っただろう、なんて思う暇もないくらい、次々といろんな「深夜高速」があっておもしろいです。

友部正人
9月18日(金)「ジェーン・バーキン」
麦マルのさなえちゃんがぼくとユミを誘ってくれて、テレビ朝日の人の招待でジェーン・バーキンを聞きに行きました。
会場は渋谷のオーチャードホール、つい上を眺めてしまうくらい天井の高いホールでした。

ギター、ベース、ピアノ、チェロというシンプルな編成でしたが、アレンジは緻密でジェーン・バーキンの足型をとってから作った靴のようでした。
主に英語で観客にしゃべりかけ、フランス語がわからない日本人にサービスしているのかと思ったけど、ああ、イギリス人だったなと思い出しました。
ジェーン・バーキンのアルバムはぼくも6枚ぐらい持っていて、大好きだった
曲もたくさん歌ってくれました。驚いたのはミャンマーのアウン・サン・スーチーさんのことを歌った歌。このときばかりはパティ・スミスのような迫力でした。
レースのカーテンから差し込む光のような声にいつまでも聞き入っていたいような夜でした。

友部正人
9月16日(水)「麦マル、映画」
神楽坂の麦マルで原マスミくんと対談をしました。12月にあるライブのパンフレット用です。対談といってもこれといったテーマはなく、ぼくと原くんと麦マルのさなえちゃんとユミの4人の雑談。
途中からビールやワインを飲みだして、おでんも食べて。
後でまとめるのが大変だろうなあ。

夜は恵比寿のガーデンプレイスで三宅伸治くんと待ち合わせ、映画「キャデラック・レコード」を見ました。シカゴのチェス・レコードの物語です。
マディ・ウォーターズをはじめ、ハウリング・ウルフ、リトル・ウォルター、チャック・ベリー、エタ・ジェイムズと名前を聞いただけでもぞくぞくするような人たちが登場します。
ブルースなんて嫌いで、見る前は気乗りのしない感じだったユミも、見終わって「あー、おもしろかった」と言っていました。
エタ・ジェイムズの役をやったビヨンセの歌がすばらしかった。

映画の後、ビールを飲みながら、三宅くんとこの間録音したライブ盤の編集の相談をしました。

友部正人
9月10日(木) 「アメリカ大使館」
11年ぶりにアメリカ大使館に行きました。11年前は学生ビザをとるために、今回はアーティスト・ビザをとるためです。
ぼくとユミの面接の予約時間がぼくのミスで逆になってしまい、ニューヨークの弁護士に、申請者のぼくが先でないととれない場合もありうる、とメールでいわれ、大使館に入るまではとても緊張していたのですが、ビザ申請の受付の人が夫婦なら一緒に面接を受けるように、と言ってくれてほっとしました。

面接はほんの数分。他の人には日本語で質問していたアメリカ人の面接官が、なぜかぼくたちには最初から英語だったので、ユミとなぜかな、なんて一瞬顔を見合わせましたが、結局何の問題もなくビザはとれました。

今年はユミの肘頭骨折の治療が8月いっぱいまでかかり、9月1日には下りる予定だったビザも遅れて、8月、9月と日本にずっといます。
ニューヨークに行く予定で空けてあった8月は、三宅伸治くんとのライブ・レコーディングにあて、9月はその編集にあてられます。このままいけばはやくCDになりそうで、結果的に良かったのかもしれませんね。

友部正人
9月9日(水) 「ビザ用の写真」
昨日ビザ用の写真をユミが撮影したのですが、あとで書類をよく読んでみると、正面を向いて両耳を出すこと、と書いてあります。
ネットでユミが調べてもはっきりしなくて、一応もう一度撮影することに。

ユミは髪の毛を耳に掛けて耳を出せばいいのですが、ぼくは耳に掛けるほど髪の毛もないし、気持ち程度に耳を出して写真を撮りました。
みなとみらいの無印良品の入口の真白い壁を借りて、なんとか耳の出た写真が撮れました。

友部正人
9月8日(火)「杉本博司」
銀座にあるギャラリー・コヤナギで、今日から杉本博司さんの写真の展覧会が開かれています。今日はそのオープニング。
ニューヨークの友だちの栄子さんとマコさんが杉本さんのスタッフをしていて、ユミとオープニングを見に行くことになりました。
写真作品といっても、写っているのは静電気です。
どういうことなのかは、杉本さんによる解説を読むと一番よくわかります。
どうしてもフィルムにとりついて邪魔をする静電気を、逆に被写体にしてやろうということらしいです。実に壮大で胸躍るような実験的作品です。

作品を見た後は、ギャラリーのすぐ近くの「銀座の田んぼ」でやきとりパーティ。
笹の葉にくるんだ鯛や鯖のお寿司もおいしかった。銀座のど真ん中の野外パーティでした。

友部正人
9月5日(土)「渡辺勝」
渡辺勝の40周年を記念したコンサートにユミと行ってきました。
会場の武蔵野公会堂は満席でした。

前半はピアノ、ガット・ギター、エレキギターと順番に持ち替えて、たっぷりと感情をこめて歌っていました。
ボブ・ディランの「ハッティ・キャロルの淋しい死」もよかったな。
デュオでからむ川下さんのサックスの音色がやわらかくてなめらか。
ゲストの山田せつ子さんのダンスもたっぷりと堪能できました。おもしろい手足の動き。

二部は渡辺勝の古巣、アーリー・タイムズ・ストリングス・バンドと演奏しました。ぼくにとっても懐かしいバンド。いつか暮らしたことのある小さな町のようでした。

帰りの電車を気にしつつ、打ち上げにも参加しました。大勢の古い友達と久しぶりに話せてうれしかった。

友部正人
9月3日(木)「茂田井武」
ユミと二人で、神奈川近代文学館に「茂田井武展」を見に行きました。
文学館は横浜のみなとのみえる丘公園の中にあります。
茂田井武の絵を展覧会で改めてじっくりと見てみて、現代の絵本作家に広く影響を与えているのがわかりました。
文無しなのに似顔絵を描きながらシベリア鉄道でパリまで旅をしたりとか、生々しい生き方に共感しました。

友部正人
9月2日(水)「レコーディング」
東京ローカルホンクとレコーディングをしました。場所は今回ずっと使っている大塚のスタジオ。一室が狭いので、ドラムズは別室で、声だけでやりとりします。
これでローカルホンクとは9曲録音したことになります。
月に一回というペースだったので、調子や声が違っていておもしろいです。

友部正人
9月1日(火)「パティ・スミス」
パティ・スミスのドキュメンタリー映画、「ドリーム・オブ・ライフ」を見に行きました。偶然にも、今日は入場料が1000円の日でした。
1995年から11年間の映像だそうです。まだ小さかったパティ・スミスの息子も無精ひげのある大人になっていました。

パティ・スミスというと、いつも決まった格好をしているけど、そうではない日常のパティ・スミスも見られます。
全編にパティ・スミスのつぶやきと詩の朗読がちりばめられていて、音楽にではなく、彼女の言葉に反応したような映像でした。

映画の中に、パティ・スミスがアレン・ギンズバーグの詩をフィリップ・グラスのピアノにのせて朗読するシーンがあるのですが、それは1998年5月にニューヨークのセント・ジョン・ディバイン教会であった、アレンの追悼集会のときの映像です。
そのときぼくとユミも会場にいたのですが、ぼくはそんなことはすっかり忘れていて、映画の終了後にユミに言われてはじめて思い出したのでした。

友部正人
8月30日(月)「大地の芸術祭」
旅館の朝食前に、ユミと山道をランニング、蛇が道端で車に轢かれて死んでいました。

せっかくだから、津南エリアの作品を見てから帰ることにしました。
雨が降っていて、山の上は霧でした。見慣れない景色が美しかった。
本間純の「森」という作品は、鉛筆が林立する小さな小屋の、自然の中のたたずまいが美しかった。
瀧澤潔の「津南のためのインスタレーションーつながりー」は大きな建物の一階と二階を使った作品で、どちらも一瞬で感動してしまうようなすばらしい作品でした。窓に横に張った何本もの半透明な糸と、窓の外に降る透明な雨が直角に交差して美しかった。

岐阜からはるばるコンサートを聞きに来てくれた杉江夫妻と車で一緒に見てまわり、2時ごろ十日町から電車で帰りました。

友部正人
8月30日(日)「津南 なじょもん広場」
昨日はお客さんでライブに来てくれた諏訪くんが、長野から津南まで車で一緒に行ってくれました。電車だと不便なところなので助かりました。

三年に一度開かれている「大地の芸術祭」に合わせて、三年ぶりに、ぼくとふちがみとふなとのライブが、なじょもん広場でありました。

最初にふちがみとふなとが演奏しました。最近の新しい曲、おなじみの曲、ふちがみとふなとの演奏はいつ聞いても新しい。
ぼくも野外ということを少しだけ意識した選曲で歌いました。空の色が刻々と変わっていきました。
そしてふちがみとふなととぼくとのLDKで演奏。6月に「二つの午後」を出してからLDK初のライブでした。アルバムの中の曲を全部演奏した後、アンコールがあって、ふちがみさんから「朝は詩人」をやろう、といわれました。
打ち合わせもなくやったので、キーが渕上さんには低すぎたみたいでした。
これからもこんな風に一緒にできる曲が増えていけばいいと思います。

友部正人
8月29日(土)「バオバブの記憶、長野ネオンホール」
松本のふあ先生夫妻の車で長野に。ロキシーという映画館にまず行きました。そこでは「バオバブの記憶」という記録映画が上映されていて、監督の本橋誠一さんと短いトークをすることになっていたからです。映画館の事務所で本橋さんと打ち合わせをしていると、東京からユミも到着。映画の上映が終わって、すぐにトークが始まりました。
バオバブの木と暮らす村の人たちは、自分たちの暮らしが映画になって世界中の人たちに見られることをとても誇りに思っているそうです。

夜はネオンホールでタテタカコさんとライブでした。
まずタテさんがピアノで1時間。途中、最近のカンボジア体験を再現してくれました。カンボジア語の歌を一緒に歌ったりして、お客さんも楽しそうでした。
その後ぼくが1時間歌いました。リクエストされて歌った「遠来」は2番の歌詞を度忘れしてしまいました。自分ではたいしたことではなくても、お客さんは残念だったかも。もう40年も歌っている「ぼくは君を探しに来たんだ」は、ぼくにとってのバオバフかな、と思いました。

友部正人
8月28日(金)「松本 HANA」
この夏最後の3日間のツアーは2年ぶりの松本からスタート。
今回の会場は「HANA」という韓国料理ライブハウスでした。
今日は最近の歌を多く歌いました。2時間という時間だと、なかなか歌うチャンスのない曲もやりました。
ライブのあと食べたじゃがいものチヂミ、おいしかった。

友部正人
8月25日(火)「葉山一色海岸、UMIGOYA」
海の家「UMIGOYA」で、東京ローカル・ホンクとライブをしました。
今年はまだ泳いでいないぼくとユミは、早めに行って、波打ち際で足だけ水につかっていました。

東京ローカル・ホンクが先に50分演奏して、それからぼくがソロで4曲、その後、東京ローカル・ホンクと一緒に6曲演奏しました。5月から一緒に録音してきた曲を今日はほとんど演奏しました。
民家が近いので大きな音は出せない場所なのですが、ローカル・ホンクは小さい音でもちゃんと演奏できるすばらしいバンドでした。

友部正人
8月24日(月)「大地の芸術祭」
昨夜は松之山温泉に泊まりました。朝目が覚めるとひどく雨が降っていました。
昨夜は遅くまで、主催のBankART1929の桐山の家で打ち上げ、満天の星にぼくもユミも驚いてしまったのに、朝になると雨なのでまたまたびっくりです。
今日はBankARTの渡邊さんの車で、松之山、松代エリアを中心に作品を見て回りました。見て回っているうちに雨は上がり、青空が広がりました。

お昼は田島征三さんの「絵本と木の実の美術館」のカフェで食べました。
スペイン風炊き込みご飯に揚げた野菜がのっかっていました。
食べていたら、田島さんのスタッフのよしこさんとばったり会って、2時50分からのミニコンサートでぼくも急遽1曲歌うことに。
「地獄のレストラン」を歌いました。

それから美術館のすぐ隣で、水内貴英さんの虹の作品を見ました。
水のしぶきのカーテンに大きな虹がかかるのです。雨が止んで空気が澄んでいたせいか、今日の虹は格別だったそうです。虹好きのユミも大喜び。
ぼくは虹が円を作るのを初めて見ました。

友部正人
8月23日(日)「バタフライ・ドリーム」
天井が鏡になっている能舞台、バタフライ・パビリオンで、能楽師や俳優、ダンサーやパフォーマンス・アーティストと一緒にライブをしました。
会場は越後妻有大地の芸術祭の十日町エリアの下条というところにあります。
木の生い茂った山の斜面を背にして水に囲まれた能舞台、その前の芝生に200人以上のお客さんが集まり、太陽が傾く5時ごろ、ARICAの無言劇から始まりました。

ぼくは一部の最後に4曲歌いました。「わからない言葉で歌ってください」はまわりの風景によく溶け込んでいました。
二部は能楽師、梅若さんの創作劇でした。今頃になって、その不思議な舞台がよみがえってきます。見ているときは何もかんじなかったので、よけいに不思議な気分です。

友部正人
8月17日(月)「ライブレコーディング」

三宅伸治くんとのライブレコーディング、無事終了しました。たくさんの人が来てくれて、ライブの雰囲気を盛り上げてくれました。

一部は7曲、二部は8曲、アンコールが二回で3曲という構成でした。
一部では、「曇り空」という新曲をやりました。また、三宅くんが「君が欲しい」を歌いました。一部の最後は「ミッドナイト・スペシャル」。例によって三宅くんから声がかかり、ぼくはほとんど何もしないギターソロを少し。

二部は「ライク・ア・ローリングストーン」から始めました。そして2曲目が「地球の一番はげた場所」。今までより軽快な感じでギターを弾きました。
まだ正式には題のない新曲もやりました。サンプラーを使い、三宅くんがスライドギター、ぼくがハーモニカと詩の朗読という試みです。
もうだいぶ前に作った三宅くんとの共作「久しぶりの町」。はじめて自然にできたかも。
「一本道」はぼくが5番の歌詞を間違えて最初からもう一度やり直しでした。
ほぼ2回やったわけで、お客さんは喜んでいたけど・・・・・。
二部の最後は「大阪へやって来た」。

一回目のアンコールで「不思議な人生」という新曲をしました。みんなで歌える歌を一曲作りたい、と三宅くんが書いてきた曲にぼくが歌詞を書きました。
ぼくも気に入っています。
二回目のアンコールは「ぼくは君を探しに来たんだ」。ぼくが20歳頃に作ったなのに、まだ歌っています。たぶんこれからもいろんな町で歌っていくでしょう。

というような内容のレコーディングライブでした。三宅くんの冷静な演奏と、お客さんの声援がいつまでも心に残る夜でした。

友部正人
8月11日(火)「三宅くんとリハーサル」

吉祥寺のスタジオで、三宅伸治くんと二人で、今度の17日のライブ・レコーディングの内容に沿ったリハーサルをしました。このレコーディングのために二人で作った新曲の練習もしました。なかなか楽しい新曲です。
今まで二人でやってきたような雰囲気をそのまま録音できればいいな、と思います。

友部正人
8月5日(水)「風のかたち」
伊勢真一監督のドキュメンタリー映画「風のかたち」を見て、その後トークゲストとして、伊勢さんと話をしました。
映画は、小児癌の子供たちと、その子供たちの治療にあたる小児科医たちの10年間にわたる記録です。メインは小児癌と闘う子供たちが各地から参加しておおいに盛り上がるサマーキャンプ。でも、前年のキャンプには顔を見せていた
子供が、その後病気が悪化して亡くなり、翌年のキャンプには参加できなかったりとか、悲しい場面もありました。その子供たちのことを思って、残った子供たちと先生が黙祷するシーンでは涙が出てしまいます。
いつも元気で明るい映画を撮る伊勢監督の作品を見て泣いたのは初めて。

子供たちのサマーキャンプを毎年撮り続けることを伊勢監督に依頼したのは小児科医で俳人でもある聖路加国際病院の細谷亮太先生。ぼくはこの細谷先生の生き方にも強く共感を覚えました。

映画を見ていてすてきだなあ、と感じたのは、病気と闘っている子、病気に打ち勝って成人した子、みんなが未来に向かって確かな希望を持っていることです。

ポレポレ東中野で8月28日まで一日二回ずつロードショウしています。

友部正人
8月1日(土)「神奈川新聞社主催 花火大会」
ユミと二人で久しぶりに花火大会に行きました。会場は家から歩いて10分のみなとみらい臨港パーク。公園内は足の踏み場もないほどで、通路の端に小さくなって座らせてもらいました。あとで知りましたが、30万人集まったそうです。
持って行った赤ワインを飲みながらの花火はすばらしかった。ウォルト・ディズニーの魔法の火の粉のようでした。でも魔法が効かない人たちも多く、そういう人たちはクライマックスを待たずに帰り始めて、見物人の視界の邪魔をするのでした。

友部正人
7月26日(日)「京都 徳正寺」

京都の富小路にあるお寺、徳正寺の本堂でライブがありました。
メインはオグラで、サニーサイドアップというウクレレ二人組とぼくがゲストで盛り上げるというライブでした。

サニーサイドアップは四日市の児童書店「メリーゴーランド」の増田喜昭さんと鈴木潤さんの二人のバンド。小さな小さなウクレレの音に自分で耳澄ましながら自作の歌を歌います。

ぼくもゲストではあったけど、やっぱり1時間近く歌いました。お寺の本堂には冷房がなく、戸を開け放してのライブで、道行く人たちが足を止めてこちらを見ているのがわかりました。
最後はオグラと二人で「水門」と「地獄のレストラン」やりました。

徳正寺には元ガロの編集長の長井勝一さんのお骨が納められているそうです。それで今日は長井さんにも聞こえるように大きな声で「長井さん」を歌いました。

友部正人
7月25日(土)「大阪 たこたんフェスティバル」

今年で三回目になる国際青少年パフォーマンスフェスティバル「たこたん」、「子供のためのno media」も今回で三回目。
一回目は知久寿焼くん、谷川俊太郎さんがゲスト、二回目はふちがみとふなと、三回目の今年はオグラがゲストでした。
新大阪の駅でオグラくんとユミと待ち合わせて、たこたんの会場へ。

午後3時からと8時15分からの二回公演です。3時からの公演はまずぼくが30分歌ったり朗読をしたり。それからオグラが例の手回しオルガンで歌ったり、紙芝居風の詩の朗読をしました。
8時15分からの公演はまずぼくが「大道芸人」を歌って、いかにも大道芸人風のオグラを紹介。オグラが詩の朗読と歌を30分やり、それからぼくが歌と詩の朗読をしました。

子供のためのno mediaといっても、子供のお客さんはほとんど来ません。
それでもお客さんはみんな子供になって楽しんでいました。特に、携帯カメラで撮った写真を、プリントアウトしてお客さんに見せながらのオグラの朗読は受けていました。

友部正人
7月24日(金)「高松 オリーブホール」

ソロには広すぎるステージだけど、気持ちがいい音でやりやすかった。
客席には長いテーブルをステージと直角に並べて、ちょっとザ・バンドの「ラストワルツ」みたいでした。
今回はぼくには異例の5日間連続ライブなので、打ち上げではお酒ではなくコーラを飲むようにしています。そのおかげか声の調子は良く、特に低音がいつもより出ていたと、主催の佐藤さんが言っていました。

友部正人
7月23日(木)「岡山 モグラ」

岡山は蝉がはげしくないています。西日本の蝉のほうが鳴き方が激しい気がします。夏なんですね。歩いているとすぐ汗だくになります。
時間があったのでアーケードの商店街をぶらぶらしました。
古本市をやっていて、60年代の現代詩手帖が300円でしたが、荷物になるので買いませんでした。中古レコード屋ではボ・ガンボスがかかっていました。で、今日の一曲目はどんととふたりで作った「かわりにおれは目をとじてるよ」に決めました。

今回で3回目のモグラです。ステージが広くて、バンド向きのようなライブハウスですが、PAの人の腕前か、アコースティックの音がいいのです。
おかげで今回も気持ちよく演奏できました。

友部正人
7月22日(水)「広島 オーティス」
関東は雨でしたが、広島は晴れて、日蝕が見られたそうです。ぼくはその時間新横浜のプラットフォームにいて、空がいくぶん暗くなったのを感じた程度でした。

オーティスに歌いに行くと、お店の佐伯さん夫婦が一番喜んでくれます。
こんなノリノリのライブハウスはあまりないですね。
オーティスのステージは店の入り口、一番奥にあるエアコンから遠いため、演奏者は汗だくになります。でもお客さんはみんな涼しそうに聞いています。
5日間連続のツアーの初日なのであまりがんばらないように、と思いつつ、いつのまにか2時間も歌っていました。
日本語がとても上手なアメリカの若者が「Speak Japanese,American」の
CDを買ってくれました。
広島はいつ来ても外国の旅行者がいっぱいで、京都みたいです。

友部正人
7月19日(日)「火星の庭 句会」
昨日のライブで仙台にいるので、今日の句会にも参加しました。
ユミはリハビリで仙台に来られなかったので、句会には参加出来ませんでしたが、何ヶ月ぶりかでメールで投句してきて、みんなから喜ばれました。
なにしろユミはこの句会の言いだしっぺですから。
ひょんなことから始まった句会も今回で41回になるそうです。参加者も増えてきて、最近は応募も断っているとか。
東京に転勤になった板垣さんも久しぶりに参加して、しきりに楽しいなあ、を連発していました。

友部正人
7月18日(土)「仙台 Do! It! Brothers」
仙台市のはずれにある大きなログハウスでホームコンサートのようなライブでした。
オープニングアクトは昨日と同じく山本隆太くん。
ぼくは休憩をはさんで約2時間のライブ。毎日いろんな曲をとっかえひっかえ演奏しています。やりたくなった曲をやりたいときにやる、ソロだとやりながら流れができていきます。
最後は山本隆太くんも参加して、「Bring it on home to me」で締めくくりました。
東北3日間の主催のテリーさんにはとてもお世話になりました。

友部正人
7月17日(金)「盛岡 ni-ju」

盛岡城址のすぐ横にあるお店です。すぐ裏が蓮池になっていていい眺めです。

最初にピアノを弾きながら、山本隆太くんが歌いました。
山本くんはぼくが訳した「Bring it on home to me」を歌ってくれました。とてもきれいな音色でピアノを弾く若者です。

小さな子供もいたので、ぼくのレパートリーの中では子供受けのする「ふあ先生」や、ハシケンと作った「父さんの手はグローブ」もやりました。

やっぱりみんな「ふたつの午後」を買って帰ります。買ってくれた人にサインをしていたら、山本隆太くんがボロボロになったぼくの現代詩文庫詩集を出してサインしてくれと言いました。旅に持ち歩いているそうです。

友部正人
7月16日(木)「青森 DONTAKU」

DONTAKUは青森の市場外に30年以上も前からあるお店です。
でもぼくの青森の友人たちは知らなかった。知っていたらきっともっと前にライブをしていたでしょう。広いし、便利だし、それにここには膨大な数のブルースのレコードがあるのです。今でもメインはCDよりもアナログ盤。

最初に浮き雲という青森のバンドの熊谷さんが歌いました。
やさしい声の人で、ちょっとリクオにも似ています。

ぼくは数年ぶりの青森なので、「歯車とスモークドサーモン」を中心に、最近の歌を歌いました。いつもの青森よりお客さんが少ないのも気にならないくらい、楽しい気分で歌いました。

友部正人
7月11日(土)「扉をたたく人」

横浜のジャック&ベティという映画館に、「扉をたたく人(The Visitor)」をユミと見に行きました。
外国人の出入国を管理している移民局は、外国人には強大な壁のようなものです。外国人にはそこだけがリアルで、あとは夢のようなものです。
不法滞在のシリア人のタレクが強制送還されそうになって、必死に食い止めようとする主人公の大学教授。彼の心のよりどころは、タレクから教えてもらったジャンベです。寛容さをなくした自国アメリカに残され、地下鉄のホームで一人ジャンベをたたく大学教授。いい映画でした。

映画館に少し早く着いたので、すぐ近くの「視聴室」というカフェに行ってみたら、鈴木祥子さんがイベントとミニライブをやっていました。「視聴室」はガラス張りなので、中からも外からもまる見えです。ぼくとユミが外にいるのをステージにいた祥子さんはすぐに気づいて、マイクでお客さんに「あ、友部正人さんです」と紹介したのでびっくり。

映画が終わってからもう一度行ってみると、ちょうどミニライブが始まるところで、久しぶりに鈴木祥子さんの歌を聞くことができました。

友部正人
7月10日(金)「読書いろいろ」

前にも書きましたが、書評サイト「Book Japan」にぼくの書評が掲載される日が毎月第二木曜日になりました。
今月は鈴木圭介くんの「三十代の爆走」です。

Suze Rotolo「A Freewheelin' Time」を読みました。Suze RotoloはBob Dylanがデビューした頃の恋人で、「Freewheelin' Bob Dylan」のジャケットにも写っています。
Suzeの目を通して、Bob Dylanが雛から若鶏に変身して行く様子が描かれています。1963年、ニューポートフォークフェスティバルで、Dylanがジョーン・バエズに出会い、SuzeはDylanから身を引くことを考え始めます。それでもDylanはSuzeのそばを離れない。そばにいて、自分を支えてくれるよう頼みますが、SuzeはDylanに貼りついたような自分の人生は嫌だと思います。
人気が出るにつれてDylanがだんだん暗く、怒りっぽくなっていくのが、間近な人の目からよく伝わってきます。

Suze Rotoloはぼくもユミも、Dave Van Ronkのお葬式やなんかで、何度か見かけたことがあります。Dylanと別れてからもDaveとはずっと友だちだったからです。

友部正人
7月4日(土)「近江八幡 酒遊館」
横浜に戻るユミと別れてぼくひとりで近江八幡へ。
今日は休憩を入れずに通しでやるつもりでしたが、途中で気分を変えたくなってやっぱり入れました。前半ちょっと重たいような気がしたので。
後半は休憩効果で気持ちよく歌うことができました。

最近家族で聞きに来てくれる人が増えています。親の聞いた音楽を子も聞くようになってきたのかな。アメリカでのボブ・ディランのコンサートも、家族連れが非常に多いので、そんなことを思いました。

友部正人
7月3日(金)「伊勢 カップジュビー」
シンガーソングライターでもある外村伸二くんのやっているコーヒー店「カップジュビー」が10周年を迎え、ぼくとリクオと外村くんの3人で記念ライブをしました。
最初に外村くんが歌いました。しゃべりが多かったのは緊張していたかららしいです。「入道雲」という歌に感動しました。

次にリクオがピアノを弾きながら歌いました。
最近ジェリー・リー・ルイスの映像を見てリクオを思い出したよ、と言ったら、すごく影響されたんだと言っていました。
なつかしい「胸が痛いよ」、今夜はすごく説得力が感じられました。

それからぼくが最初はソロで、途中からリクオや外村くんに参加してもらって1時間ぐらい歌いました。最後は「ブリング・イット・ホーム・トゥー・ミー」や「アイ・シャル・ビー・リリースト」で盛り上がりました。

友部正人
7月2日(木)「名古屋 得三」
ソロでは久しぶりの得三、最初から客席の雰囲気は上々で、後半にかけてかなり曲数も増えてしまった夜でした。

得三のすぐ近くに中古レコード屋があって、ユミとその前を通りかかったら、ぼくの「にんじん」が流れていて、思わず中に入ってしまいました。
得三のスケジュールに合わせて選曲しているそうです。
まるで得三の直営店みたい。

友部正人
6月25日(木)「渋栗」
栗コーダーの川口くんからのお誘いで、栗コーダーと渋さ知らズのライブにユミと行きました。
今夜は、渋さの曲を栗コーダーが演奏して、栗コーダーの曲を渋さがカバーするというアルバム「渋栗」の発売記念でした。
両方のバンドに属している川口くんが企画制作者なのです。
アルバムは聞いていたので、ライブがとても楽しみでした。セントラルパークのリスの楽団にライオンが仲間入りしたような感じです。

最初に栗コーダーが渋さの曲を中心にやりました。それから、栗コーダーに渋さからのゲストがからんで何曲かやりました。
栗コーダーの詩的な演奏は、渋さの曲の良さを引き立たせます。
最後は渋さが栗コーダーの曲を中心に爆発したみたいな演奏をしました。その情熱的な演奏は魂の深いところまで届いてきます。

帰り道がうきうきするようなコンサートでした。

友部正人
6月21日(日)「南箕輪村 叶屋ライブ」

伊那の南箕輪村にある地酒専門の酒屋「叶屋」でライブをしました。
去年に続き2回目です。今年は沙羅双樹の花が満開でした。去年は5月だったので見られなかったのです。一日でたらい一杯分の花が落ちるそうです。

ライブは午後4時から。去年は10曲以上のリクエストのあった叶屋ですが、今年は主人の倉田さんから「ユニコーン」と「反復」の2曲だけ。
はるばる愛知県から聞きに来てくれた人からも「夕日は昇る」のリクエストがありました。

直接酒蔵に行ってお酒を仕入れるという叶屋さん、ぼくの歌も今夜は、横浜の酒蔵から直接仕入れられた地酒のようです。

友部正人
6月20日(土)「三宅伸治カルテット」

横浜のサムズアップで、三宅伸治カルテットのライブがあり、ユミと聞きに行きました。
カルテットはウッドベース、バイオリン、ドラムス、三宅くんの4人です。
ドラムスは杉山章二丸、バイオリンは阿部美緒さん。阿部さんは4月にチェロの高橋歩さんと、ニューヨークのぼくのアパートに遊びに来ました。
カルテットというので、アコースティックな感じなのかと思ったら、そういう曲は意外に少なくて、いつもどおりのにぎやかなブルースの世界。

アンコールで三宅くんに呼ばれて、一緒に「はじめぼくはひとりだった」を歌いました。歌うことになるとは思っていなかったので、デザートまでお腹一杯に食べていたぼくは、ちょっと慌てましたが、でもうれしかったです。

友部正人
6月19日(金)「アピア」

渋谷で40年間続いてきたライブハウス「アピア」で、24年ぶり(?)のラストライブをしました。
「アピア」では、1978年に「ぼくの献立表」という約1ヶ月間のライブを日替わりゲストを迎えてやったことがあります。

今日はオーナーの伊東さんにも久しぶりに会いました。それから当時のスタッフで、アピアバンドにも参加してくれた石谷みきちゃん、村山さん、遠藤ミチロウにも会いました。なんだかなつかしい気持ちでした。トイレの窓からの眺めも当時のままでした。

1978年に村山さんが作ってくれたアピアバンドの手作りパンフレットを、お客さんにプレゼントするために、ユミが8部家から持ってきたけれど、そのうち4部は伊東さんやみきちゃんや村山さんやミチロウが欲しがったため、残りの4部を抽選でお客さんにプレゼントしました。

友部正人
6月17日(水)「レコーディング」

東京ローカルホンクと3曲レコーディングをしました。
東京ローカルホンクとはこれで7曲レコーディングをしたことになります。

東京ローカルホンクと録音した「気球に乗って」の入っているザ・ブームのカバーアルバムも全体のマスタリングが終わりました。全体を通して聞いてみて、みんなぼくより歌がうまい、ということがよくわかりました。

友部正人
6月15日(月)「Book Japan」

去年の3月から始まったインターネットの書評サイト「Book Japan」に、久しぶりに書評記事を書きました。藤原章生さんのノンフィクション「翻弄者」です。ぼくが「Book Japan」に書いた書評記事はこれで
17冊になります。読む速度が遅く、読書量の少ないぼくとしてはまずまずの働きぶりではないでしょうか。
今までは不定期だった掲載日が、これからは毎月第二木曜日に固定されるそうです。次はもう何を書くかは決めてありますので、お楽しみに。

友部正人
6月14日(日)「100キロマラソン」
フルマラソンを2回+あと15キロ、そんなとてつもない距離を走る「いわて銀河100キロマラソン」に出場するため、岩手県に行ってきました。
記録は、11時間11分。こんなに長い時間走ったおかげか、呼吸が走っているときのまま、平常になかなか戻りません。胃も胃下垂気味。

きっかけは去年の6月、花巻の大沢温泉で目の前を黙々と走っている人たちを見かけたことでした。それがこの100キロマラソンだったのです。
途中、大沢温泉を過ぎてから、なめとこ山を越えました。帰ったら、宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を読もうと思いました。

友部正人
6月12日(金)「栗コーダーカルテット」
「明日館」という古くてとてもきれいな講堂で、栗コーダーカルテットのコンサートがあり、メンバーの川口くんに誘われてユミと聞きに行きました。

栗コーダーはいろんな楽器を持ち替え持ち替え、難しいことも難なくこなすという、ちょっとかわっていておもしろいバンドです。
歌はないかわりにとてもよくしゃべってくれます。おかげでそれぞれの人柄なんかも伝わってきて、親近感を抱かせます。取り上げる曲もトラディショナルから中世の曲から映画の主題歌までいろいろで、楽しんで聞いているうちにあっという間に時間は経っていました。

家に帰ってから、ユミが持っていた中世の音楽のレコードを聞きなおしました。川口くんの吹いていた珍しい楽器、クラムホンが当時は重要な役割を果たしていたことがわかりました。


「明日館」は元自由学園の講堂で、本館はフランク・ロイドライトの設計だそうです。終演後に楽屋を訪れた人々が、建物に興味を持っているのがおもしろかった。

友部正人
6月10日(水)「ヒートウェイブ」
横浜サムズアップでヒートウェイブのライブがありました。
結成30年だとか。
満席のサムズアップ、ぼくとユミは最初入り口のソファーで聞いていました。ステージは見えないけれど、すごい演奏。
目が覚めるようでした。
後半は中の席に移動して、ステージを見ながら聞きました。
ドラムとベースと山口くんの3人バンド。山口くんはほとんどアコースティックギターでしたが、ギターのかき鳴らし方といい、間奏のソロといい、桁外れで尋常ではない。
見に来ていたリクオとも久しぶりに会えてうれしかった。

友部正人
6月7日(日)「ボ・ガンボ3」
横浜のサムズアップでボ・ガンボ3のソロライブがあって、ユミと二人で聞きに行きました。1部の最後にやった「トンネルぬけて」ともう1曲がとてもかっこ良かった。ベースとアコーディオンがおかしなコードで絡まりあっていました。
予定にはなかったのですが、ぼくもアンコールでステージに上がり、一緒に「朝は詩人」をやりました。本当は昨日やるはずだったけど、時間が押していてカットしたのです。それを今日やれてよかった。

友部正人
6月6日(土)「どんとこい祭り」
藤沢の遊行寺で「どんとこい祭り」がありました。今年でちょうど10回目です。ぼくは初めて出演しました。今日はBo Gumbo 3が出るので、ソロのほかに、彼らと1曲「トンネルぬけて」を一緒にやりました。
どんとの長男のラキタもボ・ガンボ3と一緒に歌っていました。
どんとが沖縄に行く前に買ったストラトを弾いていました。

友部正人
6月3日(水)「Every Wednesday」
三宅伸治恒例の行事、6月の水曜日に毎週ライブをするという「Every Wednesday」。ぼくは今年で3回目の出演です。
先日北海道を二人でツアーしてきたばかりなので、息はぴったり。
アンコールでは懐かしい「烏合の衆」もやりました。

長い間二人でライブをしてきたにもかかわらず、まだ一度もCDに残していないことに気がつき、急遽今夜からライブレコーディングを開始しました。
今夜が練習だとすれば、本番は8月17日(月)スターパインズカフェでやります。二人の息の合った演奏をCDにして、今年中に発売できればと考えています。こぞってこのレコーディングに参加してください。

それから、この日はLDKの「二つの午後」の初売りでした。
大勢の人が買ってくれてうれしかった。

友部正人
5月31日(日)「亀山 月の庭」
古い友達が車で神戸から亀山までぼくたちを運んでくれました。
退院してから日の浅いユミも京都から一緒に来ていて、そろそろへこたれてきたところだったので、とても助かりました。

去年の12月に癌でなくなった岡田昌くん亡きあとの「月の庭」で、鈴木圭介くんと二人でライブをしました。
ぼくたちはちょうど1年前に二人でライブをして、そのときはまだ昌くんは元気でした。もう一度またぜひ、と昌くんが言っていたライブを、奥さんのかおりさんが今日実現してくれました。

今日もソールドアウトだったので、お客さんができるだけゆったり聞けるようにと、今日はマイクも取っ払いました。お蔵の中なので、なくても十分声が届くぐらいの広さなのです。
圭介くんのリクエストで、昨日のレパートリーに「チルチルミチル」をつけ加えました。その代わり喋りは少なめにして、予定通りに終わることができました。

友部正人
5月30日(土)「神戸 Bo Tambourine Cafe」
去年の12月、ぼくがソロライブで来たときに、フラワーカンパニーズの曲がお店で流れていたので、「フラカン好きなの」とユミが聞くと、「大好き」というお店の主人の中原くんの返事。それで今回のぼくと鈴木圭介くんの二人のライブが実現しました。ソールドアウトでしたが、全員が着席してもゆったり感がありました。

リハーサルの後、お店の人気メニューのハンバーガーをご馳走になりました。そのおいしさにぼくも圭介くんも大感激。ライブ中もついついハンバーガーの話題になって、それがなかなか終わらないのでした。

友部正人
5月29日(金)「大阪 ムジカジャポニカ」
はじめて歌いに行きました。道端にあるのんびりとした感じのお店。
グレイトフル・デッドのポスターや岡本太郎の本が飾ってあります。
ちょっと昔サンフランシスコにあったようなお店です。
ステージが広いので、ぼくだけゆったりとした感じがしたけど、客席は立ち見とかけっこうきつかったみたい。
今夜もいろんなギターの弾き方を試したりして、ソロもそれなりに楽しいです。

終了後、ムジカの特大カレーをごちそうになりました。

友部正人
5月28日(木)「京都 拾得」
久しぶりの拾得、少し丸くなったテリーさんがのんびりギターを弾きながらぼくたちの到着を待っていてくれました。
畳の楽屋に横になると、拾得の長い歴史を感じます。思えば日本でほぼ最初のライブハウス。今も当時のまま変わりません。
ライブは約2時間ぐらい。一人なので曲も歌いながら決めていくという感じ。
演奏も始まってから自然に決まっていく感じです。

当初の予定ではそろそろ出来ているはずだった、ふちがみとふなとと友部のアルバムの発売日が6月に延びたので、今日からLDKの「ふたつの午後」の予約をライブのときに受け付けることにしました。
今夜は10枚ぐらい予約がありました。

友部正人
5月26日(火)「マスタリング」
吉野金次さんのお宅に行きました。「気球に乗って」のマスタリングをお願いしてあったのです。分離感のあった音が低音にくるまれて一体感のある演奏になっていました。満足。

吉野さんは車椅子に乗っていて、お元気そうで、音楽と奥さんにかこまれて、居心地のいい一軒家で静かに暮らしていました。
腕の手術をしてリハビリ中のユミと気が合っていました。

友部正人
5月25日(月)「乗り遅れる」
お昼に芦別名物のガタタンラーメンを食べて、札幌の主催者の木下さんの車で千歳空港に向かって出発。途中まではのどかな景色を眺ながらのドライブでしたが、高速に入って札幌を過ぎたところで突然ガス欠。乗るはずの飛行機にはもう間に合わず、ずいぶん慌ててしまいましたが、新たにエアチケットも手に入れて、なんとか無事に家にたどり着きました。

友部正人
5月24日(日)「芦別 ディラン」
三宅くんとの北海道ツアー最終日は、芦別のディランです。
毎日少しずつ曲目を変えているのですが、今日は会場が「ディラン」ということで、「イフ・ナット・フォー・ユー」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」をやりました。三宅くんのモジョクラブ時代の曲「烏合の衆」も。これは元は清志郎くんの曲なのだそうです。

明日はぼくの誕生日なので、ディランの伊藤夫妻はバースディケーキを準備していてくれました。コンサートの打ち上げはそのまま誕生日パーティに。そういえば去年も「ディラン」でぼくは誕生日を迎えたのでした。
去年はリクオと一緒でした。今年はユミがツアーに参加していないので、ディランの二人はとても残念がっていました。

友部正人
5月23日(土)「増毛 国稀酒造 米蔵ギャラリー」
三宅くんとのツアー二日目。一日中雨が降っていてとても寒かった。
会場は日本酒の酒蔵のギャラリーで、ステージ横には熊の剥製が酒瓶を手に吠えていました。
二日目ともなれば二人の演奏もこなれてきて、昨日やらなかった曲も何曲かやりました。ツアーだといろいろ試す時間があるのでいいです。

それと、酒蔵の人が、何年か前のぼくの北海道新聞の連載を読んでいて、どんな人かな、と楽しみにしていてくれたそうです。

友部正人
5月22日(金)「札幌 サウンドクルー」
今日から3日間は、三宅伸治くんと二人でツアー。今日はその一日目でした。
札幌は雨、空港では大勢の人がマスクをしていました。

サウンドクルーはいかにもバンド向きといったつくりのライブハウス。前の方に椅子を並べ、後ろは立ち見でした。ソロはそれぞれ2曲ずつで、あとは全部二人で演奏しました。どうしてもぼくの曲が多くなります。それなのに、三宅くんのファンもみんな楽しそうでした。もちろんぼくも楽しくて、「たたえる歌」では三宅くんと二人でジャンプし続けました。

友部正人
5月19日(火)「ユミの再入院、LDKのミニアルバム」
ユミが3ヶ月半ぶりにまた入院しました。1月に骨折した肘の部分を固定していた釘を取り除くのが第一目的ですが、硬くなった筋や尺骨神経のあたりの手術もするようです。
骨がくっつけばいいのかと思っていたけど、腕の曲げ伸ばしが改善されず、指のしびれもあるため、予想外に大変なことになっています。
でも本人は前向きで、付き添いのぼくを安心させてくれます。

いよいよ、ふちがみとふなととともべのCDの発売が決まりました。
バンド名はLDKで、ミニアルバムのタイトルは、「二つの午後」といいます。
あと少ししたらまたインフォメーションしますが、6月6日発売です。
ライブ会場と通信販売のみの販売です。

友部正人
5月17日(日)「前原 古材の森」
午前中は豪雨、今日のライブに影響がなければいいなあ、と思っていたら、午後になって止みました。
去年もやった福岡県前原市のレストラン「古材の森」でライブ。
建物だけではなく、家具や食器、電球のかさまで、古くてきれいなものばかりのお店です。

前半は深水さんの弾き語り。この人の魅力はピアノの即興演奏で、理想は板橋文夫さんだそうです。
ぼくはライブ連続3日目で声はがらがらだけど、歌に幅が出てきたとも言えます。
年配のお客さんも多かったので、今日は「老人の時間、若者の時間」からライブを始めました。そして最後に深水さんのピアノで「遠来」、「夜は言葉」を歌いました。

友部正人
5月16日(土)「柳川 Funcool」
40年近い歴史のあるジャズのお店「ファンクール」、今回ここでぼくがライブをするきっかけになったのは、2年前の柳川の「Baby Go」というイベントでした。泊まっていたホテルのすぐ横にこのお店があったので、気になって入ってみたのです。そしたらお店のご夫婦が「やあ、友部さん、本当に久しぶり」と歓迎してくれるではありませんか。なんと30年以上も前にぼくはそこでライブをしたことがあったのだそうです。
ですから今回は2回目の「ファンクール」ライブでした。
主催者の大橋さんの希望で、前半は初期の歌を、後半は最近の歌を、という構成でやりました。

友部正人
5月15日(金)「佐賀市 B-Shuffle」
佐賀市には初めて歌いに来ました。
佐賀は駅のまわりには何もなくて、少しはなれたB-Shuffleがあるあたりに繁華街がありました。でもアーケード街はほとんどのシャッターがしまっていて、通りもすれ違う人の顔がわからないくらい暗いのです。
佐賀神社の裏の、戦後の焼け跡のままのような空き地に、いくつか焼き鳥屋があって、おもしろい景色でした。昔を再現したような感じなのです。地元の若い職人が作ったギターを売っている楽器屋もありました。5〜6本弾かせてもらいました。

B-Shuffleのスタッフは、ぼくが片付けに手間取っていると、助けてくれようとする、とても感じがいい人たちでした。

友部正人
5月11日(月)「無事帰国」
9日にニューヨークのアパートに遊びに来た、栗コーダーカルテットの川口くんから、帰国後にメールが届きました。
川口くんも10日のフライトだったのですが、そばの席にインフルエンザの疑いのある人が一人いて、自分ももう少しで帰宅できないところだった、という話でした。
ぼくたちの便にはそんな人は一人もいなくて、無事帰国しました。
最初は検疫ってどんなことをするのかとドキドキしましたが、たいしたことはなかった。でも彼らの格好は、ちょっと大げさかな。

友部正人
5月10日(日) 「THE BOOM」
7月にTHE BOOMの20周年記念カヴァーアルバムが発売されますが、ぼくも参加しています。
ぼくが選んだのは「気球に乗って」で、91年に宮沢和史くんをゲストに迎えた「待ちあわせ」コンサートで歌った懐かしい曲です。

今回のレコーディングは4月に東京ローカルホンクと一緒に録音したのですが、そのときぼくは12弦ギターを弾きました。このギターはもう15年ほど前に清志郎くんから譲ってもらったギターです。
リハーサルのときも彼の話題になって、元気なのかなあ、と話していました。

今朝NYの家を出て、帰国します。日本に着くのは11日です。
戻ったらあちこちに歌いに行くので、聴きに来てください。

友部正人
5月9日(土)「Dave Van Ronk」
The Peoples Voiceという非営利団体が主催して、2002年に亡くなったフォークシンガー、デイブ・バン・ロンクへのトリビュート・コンサートがミッドタウンの教会でありました。
出演したのはフランク・クリスチャンと、デイブにギターを学んだ3人のシンガーソングライターたち。

女性のEve Silberの歌が特に良く、フランクのギターは貫禄でした。
客席で半年振りにデイブの奥さんのアンドレアにも会いました。
デイブが生前に着ていたデニムのシャツの腕のところを少し切って、ワンピースのようにして着てきていました。アンドレアはとても小柄なのに、デイブは巨漢でした。デイブの服を着たアンドレアは元気そうだったけど、少し寂しそうにも見えました。

デイブが死んだとき、デイブにいろんなことを学んだ人たちは、「図書館が焼け落ちた」と言ったそうです。デイブが歌っていたたくさんの歌を聞きながら、その通りだと思いました。

友部正人
5月8日(金)「夜中の鳩」
ぼくたちのアパートは17階建てのビルの13階にあります。窓から見える回り階段の壁のちょっとした窪みに、今朝鳩が卵を産みました。
窓からほんの2、3メートルぐらいのところです。
前からそこにはいつも鳩がいて、「夜中の鳩」のモチーフにもなったのですが、何日か前に交尾しているのを見かけ、巣作りを始めました。
それからはひっきりなしにユミは窓のそばに行っては鳩の観察。
元々鳥は大嫌いなはずだったのに。そして今朝卵が生まれたというわけです。
窪みのへりはほんの20センチぐらいしかなく、ちょっとぶつかったら下まで落下しそうなのに、今は雌雄交代で、大切に卵を暖めています。

友部正人
5月7日(木)「近代美術館」
MoMAに行こうと思ってアパートを出たとたんにものすごい雨。
ぼくは傘をさしていたのに、背中から足元までびしょぬれになりました。アンクルブーツの中も水浸し。

MoMAではMartin Kippenbergerの展覧会をしていて、中目黒に住んでいたころに代官山ギャラリーではじめてこの人の作品を見て、とても刺激になったことを思い出しました。世界中のホテルの便箋にデッサンや立体作品の下書きをしているのを見て、ユミもホテルに泊まるたびに便箋を集めるようになったのです。
膨大な量の作品はどれも実験の感が強く、ある意味では失敗の連続のようなもの、と解説されていて、やっぱりこの人はおもしろいなあ、と思ったのです。

他には、Leon Ferrari とMira Schendelの、文字や文字らしきもの、形や線のデザイン的な作品、宗教画と戦争兵器をコラージュしたものなど、おもしろい展覧会をやっていました。

友部正人
5月5日(火)「フリックコレクション」
ブルックリンミュージアムで寺岡黙くんと待ち合わせ。でも今日はお休みの日でした。
そのまま黙くんと地下鉄でマンハッタンに、ユミと待ち合わせしていたフリックコレクションに行きました。
フリックコレクションは3枚のフェルメールがあることで有名だけど、ターナーやレンブラントやモネの他にも数え切れないくらいの肖像画や彫刻や家具があります。建物全体が美術品のようでした。
豪華な雰囲気にはちょっと場違いな3人でしたが、日本語のオーディオガイドで、普段なら素通りするような肖像画もおもしろく見られました。

友部正人
5月1日(金)「ジェニー・ホルツァー」
ジェニー・ホルツァーは言葉を様々な場所に派遣する。
派遣するにふさわしいメッセージを言葉に込める。言葉は街に繰り出し、滝に映し出され、波に踊る。
そんなジェニー・ホルツァーの作品が今ホイットニー美術館で展示されています。床や空間をかけまわる言葉とは別に、今回は半分がイラク戦争で拘束された人たちの証言をペインティングしたものや、ユーゴスラビアの戦争の犠牲になった女性たちの骨などでした。隠れていて見えない言葉、動きが速過ぎて読み取れない言葉、そこには人の想像をかきたてるものがありました。

友部正人
5月3日(日)「ピート・シーガー」
マディソン・スクエア・ガーデンで、ピート・シーガーの90歳の誕生日を祝う盛大なコンサートがありました。
二日前にネットオークションで手に入れたチケットは、ステージ裏のボックス席の前から3列目で、「やったね」なんてユミと言い合いました。

多数の出演者が継ぎ目もなく登場して、ピート・シーガーの歌や自分のオリジナルを歌いました。
特に印象に残ったのがジョーン・バエズ。とても美しい声で堂々と「花はどこへ行ったの」などを歌いました。それからロジャー・マッギンの「ターン・ターン・ターン」。リッチー・ヘブンスは「フリーダム」。
デイブ・マシューズの「ライ・ウィスキー」では高田渡を思い出し、スプリングスティーンはオバマ大統領の就任記念コンサートのときのことを話していました。
ランブリン・ジャック・エリオットはクリス・クリストファーソンらとディランの「マギーズ・ファーム」を歌い、後姿は年とった感じでも、まだまだ元気そうでした。
最後にピート・シーガーと50人近い出演者全員でウッディ・ガスリーの「わが祖国」を歌って終了しました。
アメリカのフォークソングを聞いて育ったぼくには、どれも知っている歌ばかりで、あっという間の楽しい3時間でした。

大々的なコンサートをする気になったのは、自分が推し進めているハドソン川の浄化プロジェクトの資金集めになるから、と語るピートの現実的なところがよかった。
90になってもはつらつとしているピートを見ながら、清志郎くんのことを考えたのでした。

友部正人
4月28日(火)「記念日」
今日はぼくとユミの結婚記念日。33回目です。
たまたま今日はソーホーのフレンチビストロでヨシやマサたちと晩御飯を食べていたから、その話をしたら、食後ヨシがさっさと買い物して、ヨシの家でシャンペンとチーズケーキで乾杯。
そうか、去年は名古屋の得三でお祝いしてもらったんだっけ。
月は少し分厚くなって、雨になりそうな夜でした。

友部正人
4月27日(月)「沖縄の野田さん、La Strada」
ぼくの沖縄のライブではいつもお世話になっている野田さんと、ミッドタウンで会いました。「ミリキタニの猫」のプロデューサーのマサや、野田さんと一緒に沖縄からニューヨークに来たトロンボーン奏者の和田さんも一緒でした。
ミッドタウンからセントラルパークを通り抜け、ぼくのアパートでまたビールを飲み、アイスクリームを食べました。

その後ぼくとユミとマサはマーキュリーラウンジに、ライブを聞きに行きました。仕事帰りのメグとも店の前で待ち合わせ。
4バンドのうち、最初の2バンドだけを見ました。Lost in the TreesとLa Stradaです。どちらのバンドも、バイオリンやチェロやアコーディオンなどを使っていて、ちょっとイギリスのインクレディブル・ストリング・バンドや日本のパスカルズのようでおもしろかった。

友部正人
4月26日(日)「猛暑!」
まだ4月だというのに、突然30度を越える暑さでした。この時期では新記録だそうです。
セントラルパークでは女性だけのハーフマラソンが開かれていましたが、レースとは逆方向にユミと走りながら、倒れている女性を何人か見かけました。

お昼から黙くんがアパートに遊びに来ました。夕方にはメグも合流して、みんなでセントラルパークに行ってギターを弾いたり、ハドソン川で夕日を眺めたり。
なんだか暑くて、毎日ビールばかり飲んでいます。


友部正人
4月25日(土)「橋本歩さんたち」
ボストンから、橋本歩さん、阿部美緒さん、嘉多山信さんがニューヨークに遊びに来ました。3人はチェロとバイオリンとギターのバンドをしています。
歩さんたちと待ち合わせをした、セントラルパークのストロベリーフィールズの大きな木の根元に、12月に亡くなった亀山の月の庭の岡田マサルくんの骨のかけらをこっそり埋めました。ユミが思いついたのです。
犬がこの小さなお墓を掘り返さないように、ユミはぎゅっと靴で踏んでいました。

その後歩さんたちと、ボストンのチャールズ川より大きいハドソン川を見に行きました。

友部正人
4月24日(金)「チェルシー、ソーホー」
チェルシーのギャラリーに行きました。パティ・スミスの写真展が開かれているはずだったけど、終わってしまっていて、次のDustin Yellinという人の、透明なアクリルの平面に描かれた宇宙人の顔や植物や人体を、何枚も重ね合わせて三次元の立体にした作品が展示されていました。透明な立方体の中に沈んだ化石のような植物や人体、ずっと眺めていても飽きませんでした。

その後ソーホーのギャラリーに、寺岡黙くんに会いに行きました。
黙くんは寺岡呼人くんの弟で、彼が日芸の彫刻科にいたころからのぼくの知り合いです。
そこではグループ展が開かれていて、彼の旅の絵とビデオ作品が展示されていました。紙の上のクレヨンの色を細いもので引っかいたような絵には、彼の心に刻まれた街や人々がいて、ビデオ映像には、戦争によって抹殺されていたかもしれない個人の思い出や気持ちを淡々と語るクロアチアの青年たちがいました。
彼の旅の残し方です。

友部正人
4月21日(火) 「ボストンを去る」
たっぷり10時間も眠って、昨夜からの雨も上がったのでアンジェラさんのアパートに荷物を置いて、ボストン市内をユミと観光しました。クインシーマーケットでクラムチャウダーやロブスターを食べていたらまた雨が降り出したので、夕方のバスでニューヨークに帰りました。

ニューヨークとは全然雰囲気の違うボストンの街、静かでまじめでのんびりとしていて、どちらかというとアメリカという国は、こんな感じなのかな、と思いました。

友部正人
4月20日(月) 「ボストンマラソン」
早朝にボストンの中心地から、高速道路をバスで1時間ぐらいの郊外のスタート地点までまず選手たちは運ばれました。
郊外まで運ばれてそこから放し飼いになり、自力でボストンまで帰らされる鶏になった気分です。
25キロあたりまでは下りが続き、相当足にきたみたいで、途中でちょっとやる気をなくしました。その後の心臓破りの丘は、普段坂の多い横浜を走っているのでそんなでもありませんでした。

記録は3時間25分というまあまあの結果でした。
残念なのは、ゴール間際でずっとぼくを待っていてくれたユミや歩さんを見つけられなかったこと。そのおかげで2人はそれから30分以上もそこでぼくを待ち続けたのでした。

走り終わってユミたちとやっと会えたぼくは、ゴールからすぐ近くの歩さんのアパートに行って、バスタブのお湯に浸からせてもらってやっと生き返った気がしました。今日は風が強く、とても寒い日だったので、お風呂がうれしかったです。

友部正人
4月19日(日) 「ボストンを歩く」 
午前中はユミとチャールズ川のほとりをランニング。
午後は歩さんと落ち合って、ベイサイドエリアをぶらぶら散歩したりカフェに入ったりしました。
レース前日のぼくは、お酒禁止なので、早めにB&Bに戻りました。
それにしてもアンジェラさんのアパートは寒い。なんでか暖房が入っていないのです。気温は摂氏8度ぐらいなのに。
それから、風呂がシャワーだけでバスタブがないので、ユミはずいぶんと不満そうです。

友部正人
4月18日(土) 「ボストンに着く」
ニューヨークからバスで4時間。
午後2時過ぎにボストンに着きました。バークリー音楽院に留学中のチェリストの橋本歩さんがバスターミナルまで迎えに来てくれました。
まず、宿泊先のB&Bへ。家主のアンジェラさんは、おしゃれな老人です。
まず荷物をおいて、マラソンのエキスポに行き、ゼッケンをもらったり買い物をしたりしました。
夜は歩さんのアパートで晩御飯をご馳走になって、けっこう遅くまでビールやワインを飲んで過ごしました。

友部正人
4月17日(金)「街路樹」
13日からニューヨークにいます。今回のフライトは何のトラブルもなく、あっさりとたどり着きました。

ぼくたちが到着した日はたまたま暖かかったので、街路樹が一斉に花を咲かせたそうです。でもこの花、何という名のの花なのか意外にみんな知らないのです。新聞にも写真入りで記事が出ますが、ただ花と書いてあるだけ。何年も何の花かなあ、と話していました。

いろいろと検索をかけてユミが調べたら、Bradford Pear、マメナシだとわかりました。桜に似ているけど桜じゃない。ハナミズキだ、と言った友だちもいたけど、それは全然違う花でした。

今日はお昼ごろから、近所のマメナシを見て歩きました。工事現場では枝が伸びたところは足場をくり貫いてあったりとか、マメナシの存在感はなかなかのものです。ユミが撮った写真を見てください。
ニューヨークは今こんな花に埋もれています。



そういえばデイブ・ヴァン・ロンクが生きていた頃、冬に氷柱の下がった裸の木の枝を指差して、ナシだよ、と言っていたのを思い出しました。

友部正人
4月11日(土)「ジャグバンド・フェス」
横浜のライブハウス「サムズアップ」主催で、恒例のジャグバンド・フェスティバルが、横浜駅周辺の四つの会場で開かれました。
全国から40バンド、200人が参加するにぎやかな古き音楽の祭りです。

ぼくとユミはまず、本多劇場に東京ローカルホンクを聞きに行きました。
楽器は木下くんが弾くアコースティックギターだけ。あとの3人は
コーラスで、抜群の歌唱力とハーモニーでした。

それから今日とても楽しみにしていたKelly Joe Phelpsのソロを聞きました。成田から直行してきて、まだ何が何だかわからない様子でしたが、とても集中した演奏を3曲聞かせてくれました。
演奏の後ぼくは持っていったCDにサインをもらい、しばらく二人で喋りました。繊細だけど音楽に対しては野獣のようになれるすてきな男です。
14日から横浜、東京、名古屋、京都、大阪でライブをします。
ぼくは月曜日からニューヨークなので、聞きにいけなくて残念です。

友部正人
4月10日(金)「ハシケン 板橋文夫」
横浜ドルフィーで、ハシケンと板橋文夫さんのライブがあって、ユミと行ってきました。
ドルフィーではぼくも板橋さんと年に一回やっていますが、今日の板橋さんのピアノはハシケンの特徴のある曲にしっかりと食い込んでいて、聞き応えがありました。
特に「走る人」の疾走感や、「月の河」のギターの音とピアノの音が合わさって根を張るよう感じがすばらしかった。ぼくが来るのを知っていたからか、「風の吹く日には」も歌ってくれました。

友部正人
4月8日(水)「レコーディング」
東京ローカルホンクと2回目のレコーディングをしました。
今回は2曲で、1曲はぼくのアルバムのためのものではありません。そのうち発表されると思います。
あとの1曲は「雨の向こう」で、後半のコーラスが重要なので、これはローカルホンクしかできないなあ、と思っていました。
予想以上にうまくいったと思います。

しばらくニューヨークに行くので、次のレコーディングまで時間があきます。
向こうで何かいい曲ができればいいな。

友部正人
4月5日(日)「寺尾紗穂さん」
横浜の黄金町にある「視聴室」というカフェで、寺尾紗穂さんのライブがありました。ぼくは寺尾さんの歌を生で聞くのは初めてでした。
「視聴室」のある大岡川沿いの通りは桜が真っ盛り。お花見の人たちでにぎわっていました。そんな道を歩く人たちにも、外から中のライブの様子はよく見えます。
それを逆に眺めながら、寺尾さんは自分の世界にひたって歌っていました。「かくれてないで」という歌が妙に残っています。

友部正人
4月4日(土)「基山町 てらこやきっど」
ここ何年かは基山町のホールでやっていたライブを、今年はまた学童保育所「てらこやきっど」の遊び場倉庫でやることになりました。
ただ朝からの雨で、暖房のない倉庫はとても寒かった。
ぼくは歌っているうちに暖かくなったけど、じっと座っているお客さんはつらかったかもしれません。

子供はあまりいなかったけど、去年フェリッシモが制作した絵本「しいちゃん」(文・友部正人、絵・沢野ひとし)を朗読しました。

友部正人
4月3日(金)「宗像市 はてぃくば」
JR東郷駅から車で10分ぐらい、玄海国定公園の中の海辺にぽつんとあるお店です。そのたたずまいこそ、「はてぃくば」の意味の「希望」そのもののようです。

そういう場所ですから、ライブには通りがかりの人は来ません。
オーナーの渡辺さんははじめからライブがしたくてこのお店を建てたそうです。だから木造で天井が高く、ギターの響きも最高でした。
音楽をかけていないとお店は周囲の静寂に包まれます。
いつか晴れた夜に星を見に来たいと思いました。

友部正人
4月2日(木)「湯田温泉 カフェ・ド・ダダ」
飛行機の上から三浦半島や伊豆半島がとてもよく見えました。
三浦半島は上から見るとほとんど山がないのですね。
削られて住宅地になっている。平地は箱根までびっしりと住宅で埋まっていました。

さて、今夜は2年ぶりの山口。
前回は中原中也生誕祭で、白いテントで二日間、矢野顕子さんや、おおたか静流さんとやりましたが、今回はいつものカフェ・ド・ダダです。
しばらくダダに来なかったからといって、わあっとお客さんが来るわけでもなく、いつも来てくれる人たちが、つい昨日も来たような感じで聞きに来てくれるのでした。だからこそ、またそういう人たちに聞いてもらいたくて、やって来るのです。

友部正人
3月28日(土)「ソウルフラワーとハンバート」
渋谷でソウルフラワーユニオンのライブがあって、ユミと行ってきました。
ゲストはハンバートハンバートでした。
最初にハンバートが50分ぐらいやりました。いつ聞いても新しい歌があって、ああ、現在進行形の人たちなんだと思いました。
二人の話のかけ合いもおもしろかった。
ハンバートのアイルランド調の曲は日本人の好みに合います。

後半は全面的にソウルフラワーでした。中川くんの顔のパワーがものすごくて、音楽は髪の毛のように勢いよく後ろになびいていきます。
ぼくは去年の「カンテ・ディアスポラ」というアルバムが好きで、中でも「寝顔を見せて」が好きです。「満月の夕べ」はやはり何回聞いてもいい。
しかし、ソウルフラワーのあの開放的なエナジーは、誰もが一度は直に浴びた方がいいでしょう。明日から生きていくのが楽しみになる。

友部正人
3月26日(木)「書評」
インターネットの書評サイト「Book Japan」に、久しぶりに書評を書きました。
今回はユイスマンスの「さかしま」(澁澤龍彦 訳)を取り上げました。ぼくの傾向としては変わった選択です。でも、前から気にかかっていた本だから、思い切って書いてみました。
「Book Japan」の書評は、新刊じゃなくてもいいのがうれしいです。
ぼくが読むのはだいたいは古いものですから。

書評といえば、22日の日曜日の北海道新聞に、ぼくが書いた書評が載りました。スティーヴン・ギャロウェイという人の書いた「サラエボのチェリスト」です。新聞社からの依頼で書いたのですが、フィクションとはいえ、流れている時間の現実感は本物なんだろうなあ、と思いました。

今月は他に、4月14日発売のユリイカ「坂本龍一」臨時増刊号で短いエッセイを書きました。

(おまけ)
ユミが骨折して手術した肘のギプスがとれて1ヶ月になります。
それから開始したリハビリは、当初想像していたほどは進展していません。一時期はへこたれていたユミですが、最近少しだけ腕の動きが改善されてきました。が、まだ両手で顔を洗ったりは出来ません。
でも、ユミが最近またランニングを再開したことが、奇跡の急進展につながればとぼくは願っています。

友部正人
3月22日(日)「スターパインズカフェ」
前から決まっていたのに、いまいち何をすればいいのか自分でもはっきりしなかった今日のライブ、そんな気分が伝わったのか、お客さんの数は普段の半分ぐらい。
でもこういうときのライブは意外と盛り上がったりするものです。

前半は、歌の詞を朗読して、それを歌う、ということを中心に進めました。後半はめずらしく椅子に座って、12弦ギターを弾きながら歌いました。
今までライブで座って歌ったことはなかったのですが、リラックスして、いつまででも歌っていられる感じ。、立っててもこんな風に歌えたら一番いいのにな、と思いました。
オグラくん夫婦が聞きに来てくれてうれしかった。楽しい夜でした。

友部正人
3月20日(金)「原くん、てるり」
横浜のBankArt Studio NYKで原マスミさんが出るコンサートがあって、ユミと行きました。オープニングアクトのMASCAという二人組のバンドのてるりが、誘ってくれたのでした。
てるりはパスカルズの横澤龍太郎くんの娘です。
今夜が関東で初のライブというMASCAのてるり、19歳の彼女の作った歌とパフォーマンスは砂金のように輝いていました。
思ったことがそのまま詩と歌になった世界。赤ん坊のように自由でした。

原くんはボーカルの白崎映美さん、チェロの坂本弘道さんの3人のユニット。打楽器の栗木さん、サックスの川口くん、クラリネットの小森さんがサポートでした。
原くんは2曲だけ歌いました。「海のふた」という歌には感心してしまいました。

友部正人
3月18日(水)「福間さん」
去年の秋からライブ活動を再開した福間未紗さんを聞きにサムズアップにユミと行きました。3組の出演者の2番目で、40分くらい歌いました。
ぼくもユミも福間さんのライブを聞くのは初めてです。
ぼくたちの息子の一穂と結婚してから子育てなんかで、何年も歌の活動は停止していました。
今夜とても生き生きとしている福間さんを見てうれしくなりました。
福間さんのサポートでハーモニカやギターを担当していた、まだ20歳の倉井夏樹くんもよかった。幼稚園の頃からハーモニカを吹いているんだそうです。

友部正人
3月16日(月)「新宿 ピットイン」
梅津和時さんの「大仕事」に久しぶりに出演しました。今回はバイオリンの太田恵資さん、ギターの内橋和久さん、それに梅津
さんというメンバーで、ぼくの曲を12曲演奏しました。
内橋さんはニュージーランドから直接来て、ピットインには開場時間の一時間前に到着でした。
梅津さんと太田さんとぼくは、今日の午後に一通りリハーサルはしてありましたが、本番はほぼ即興という状態。だから演奏はとても緊張感がありました。すぐれた演奏者たちに囲まれ、時には絡み合う音の美しさにうっとりしながら、普段よりも楽に歌っている自分を発見しました。

友部正人
3月14日(土)「秩父 ホンキートンク」
秩父の老舗ライブハウス、ホンキートンクで、秩父出身のハシケンとジョイントライブ。
ハシケンと一緒にするのは、おととしの11月、スターパインズでやった「言葉の森で」のライブにゲストで来てもらって以来です。

最初に二組のオープニング・アクトがありました。それからハシケンが約1時間演奏しました。リクオのカバー曲『ソウル」で始まり、ぼくの詩にハシケンが曲をつけた「風の吹く日には」や、なつかしい「凛」など、新旧取り混ぜた曲の構成がすばらしかった。経験を積んだエンタテイナーでした。

ぼくも1時間の予定でしたが、今夜はやりたいことがたくさんあって、少しオーバーしたかも。
ハシケンがメロディをつけてくれた「退屈」、ぼくがハシケンの詩に曲をつけた「父さんの手はグローブ」など。「月の光」では、ハシケンお姉さんのミッチ。さんに、即興で踊ってもらいました。

友部正人
3月8日(日)「金沢 ジョーハウス」
毎年3月にぼくのライブをしてくれているジョーハウス、「1年は早いですね」とジョーハウスのモカくん。でもその1年を首を長くして待ってくれて、6年間続けて来てくれた人もいました。
お店のバイトの人もお客さんの多くも、みんな今年で大学を卒業だそうです。
「さて、来年からまた新しいお客さんを開拓しないとな」とモカくんがつぶやいていました。

友部正人
3月7日(土)「諏訪 江戸時代茶屋 橋本政屋」
諏訪のお殿様も遊びに来たという江戸時代に建てられた茶屋でライブをしました。客席は畳でステージは廊下、その向こうに諏訪湖が一望に見渡せます。
夜になって、お客さんはその夜景を見ながらぼくの歌を聞いたわけです。
でもぼくの風邪声で、お客さんは夜景なんて忘れてしまったかも。

友部正人
3月6日(金)「高山 ピッキン」
新宿から高速バスで高山へ。上高地を過ぎたら大粒の雪で、道路がみるみる真っ白になっていくのがおもしろかった。
雪って見ているとなぜかハラハラします。
でも高山には雪はなくて、空気がもう春のよう。
主催は子どもの本屋の「ピースランド」の中神さん。彼が大学時代からの長いつきあいです。
ぼくは今週から風邪気味で、歌うと鼻声なのが気になりました。

友部正人
3月4日(水)「レコーディング」
東京ローカルホンクと3曲レコーディングをしました。
1月に弦二くんたちと会ったときなんとなくそんな話になって、日程が決まって、その間にユミの骨折や入院もあって、まだまだ先だと思っていたレコーディングでした。
直前に1回だけリハーサルして、だいたいの線だけ決めておいての本番でしたが、いい演奏が録れました。
「手袋と外国コイン」「廃品回収業者」「ロックンロール」。
「ロックンロール」はリメイクです。

友部正人
2月28日(土)「鴨宮 G's Cafe」
G's Cafeは小田原の小さな店です。そこに集まるお客さんは、自分も歌を歌っている人が多いそうです。だからぼくが歌うのと同じぐらいの声援や反応が返ってきます。ここでは聞くのも歌うのも同じなのです。
だからきっとここに歌いに来た人はみんな、またぜひ来たいなあ、と思うのでしょう。ぼくもそう思いました。

友部正人
2月26日(木)「江北高校でno media」
江北高校の定時制で、谷川俊太郎さんと二人で「LIVE! no media」をしました。主催は江北高校定時制の部のPTAと先生たちです。
夜7時からの本番の前に、谷川さんとぼくとユミとで、1年と3年の授業を見学させてもらいました。授業に規律らしきものは何もなく、先生側も授業を受けたい人が受けてくれればいい、という感じで、その場にいても授業とは別のことをしている人が多かった。
授業参観の後は、食堂で生徒と一緒に給食を食べました。

ライブはぼくと谷川さんが同時にステージに上がり、おしゃべりをしながら交互に詩を読みました。谷川さんは自分も定時制高校出身なので、その頃のことを話していました。
谷川さんはやはりぼくには歌って欲しいと言うので、何曲か歌いました。

最後に定時制の生徒6人が自作の詩を一編ずつ朗読して、それに谷川さんとぼくが感想を言いました。若い人たちには、命や時間が切実な問題のようです。
谷川さんが通っていたころから、定時制には若い人だけではなく年配の方も一緒に授業を受けている様子が、全日制しか通ったことのないぼくにはとても新鮮でした。

友部正人
2月22日(日)「青ノ鳥」
渋谷のNHKふれあいホールに、矢内原美邦さんの作、演出の「青ノ鳥」を見に行きました。これは1月にニューヨークで見た「The Blue Bird」のオリジナル版です。
ニューヨーク版とは似ても似つかない演出で最初は面食らいました。
台詞がとても早く、耳が追いつきません。でも台詞もダンスのうち、と考えれば納得できます。矢内原さんはもともとはダンス作品を手がけていたそうです。ニューヨーク版の演出には日本的なものがわざわざ加えられていて、ずいぶん脚色されていたんだということが、オリジナルを見てわかりました。
ニューヨーク版では「Door is open now」だった最後の決めの台詞も、日本版では少し違っていたような気がします。

友部正人
2月17日(火)「宮城県立美術館」
火星の庭の健ちゃんが以前働いていた、宮城県立美術館の美術探検に参加しました。常設展会場で、学芸員の斎さんが、実物を見ながら、美術についてレクチャーしてくれるのです。
腰にミネラルウォーターを下げていかにも探検家といった感じの斎さんの説明は楽しく、近代のアートにちょっと詳しくなった気分です。

仙台に3日も滞在してすっかり仙台になじんだぼくたちですが、東京駅に着いたら夜のラッシュ時で、ぎゅうづめの東海道線に立って乗車したギブスのユミは、だいぶあせっていました。

友部正人
2月16日(月)「火星の庭句会」
お昼に東北一大きいという古書店に、火星の庭の前野さんに車で連れて行ってもらいました。
確かに大きくて、しばらくはどこから見ていいのかわからない。
ちょっと水の中に似ています。しばらくすると慣れてきて、周囲の様子がわかってくる。

帰りに前野さんお勧めのコーヒー屋さんに寄りました。豆が工芸品のように美しく、自家製のケーキもおいしかった。4人いて4種類試してみたけど、ユミの頼んだ焼いたチーズケーキがおいしいです。

まだ腕の抜糸前にもかかわらず、ユミは昨日一人で仙台にやって来ました。持てないのでショルダーバックひとつの荷物で。

句会が始まって3年がたちました。火星の庭句会の句集も今月3冊目が完成しました。
今日は主宰の渡辺さんが仕事で東京に行っていて、主宰抜きで句会をしました。こんなことは初めてです。
どうなるかと思ったけど、みんなのびのびしていていい雰囲気でした。
ぼくの句はあまりみんなから選句されませんでした。そのかわりユミがもっぱら入院ものの句でがんばっていました。

友部正人
2月15日(日)「仙台 火星の庭」
今夜はまず、80年代に水谷俊之監督とぼくとユミとで作った8mmフィルムの上映がありました。「水門」「劣等生」「私は今雨と遊んでる」「男と女」「セブンデイズ」の5本です。主演しているぼくは見るのもはずかしくて困りました。
映画の上映の後、「火星の庭俳句会」の主宰の渡辺誠一郎さんと二人で俳句や詩について雑談をしました。

ライブはアンコールも入れて1時間半ぐらいでした。「一本道」「君が欲しい」「びっこのポーの最後」は、朗読と歌で聞いてもらいました。
新しい歌は「廃品回収業者」「ダンスホール」の2曲。
アンコールでは「夢のカリフォルニア」のリクエストがありました。

「火星の庭」は喫茶店と古本屋が合体したお店で、ぼくの歌にとっては寝床のような空間です。

友部正人
2月14日(土)「秋田 カフェブルージュ」
4年前にも一度来たことのあるカフェブルージュ、ブルージュはベルギーの街の名前だそうです。
2月の秋田だというのに暖かく、今日は一日雨が降っていました。
でもお客さんには雪よりも雨の方がよかったみたいです。
料理がおいしいお店で、どのテーブルにもお酒や料理がいっぱいです。
その雰囲気につられて、今夜はいいライブができました。

友部正人
2月10日(火)「那覇 カフェ サンテリア」」
昨日ユミは退院しました。ぼくは沖縄なので、息子の一穂が退院の付き添いをしました。術後の経過はいいようです。

ここ3年は毎年桜坂劇場でライブをしてきたのですが、今回は公設市場裏の路地にあるカフェサンテリアで初めてのライブ。
天井が高く、広々としたお店でした。

リハーサルの後、一人でお店の近所を散歩しましたが、古いものと新しいものを細い路地がつないているような町でした。
たとえば電気屋なのに、自家製の食べ物を売っていたり、ブティックの隣で壊れたオーディオ機器を分解して修理している人がいたり。
道端でハーモニカを吹く旅人もいました。

ユミは楽しみにしていた沖縄旅行を直前にキャンセルしたというのに、ぼくはハーフマラソンと3回のライブ、美ら海水族館にもと、たっぷり楽しんだ沖縄でした。

友部正人
2月9日(月)「沖縄市 サロンカッソー」
サロンカッソーはコザにある小さなベジタリアンのお店で、今日のライブには、ベーグルとスープとコロッケと、デザートのブラウニーがついていました。
マイクを使わなくても、朗読も一番後ろまで聞こえるぐらいの広さです。
つまり聞いている人が非常に近い。やりにくいかというとそうでもなくて、それはみんながリラックスしているからでした。

窓を開けていると肌寒いくらいの気候。二階で歌うぼくの声は通りにまで聞こえたみたいで、たまたま向かいの中華料理屋で食事をしていた宮沢和史くんが、ライブが終わってからのぞいてくれました。

友部正人
2月8日(日)「ハーフマラソンとライブ」
ニューヨークのアーティスト、比嘉良治さんを中心にしたランニングチーム「Team Yoshi」が、比嘉さんの故郷でもある沖縄の名護市に大集合して、名護ハーフマラソンに出場しました。名護の市街地から島の反対側の海に出てまたスタート地点に戻るコースで、行き帰りに丘陵地帯を上り下りします。
レースの後は比嘉さんの親戚の家で、沖縄そばで盛大にポストレースパーティ。

夜は「バードランド」という、なかなかいい感じのライブハウスでぼくのライブ。
リハーサルを長めにして、気分をランニングから歌のモードに戻しました。
本当は歌うように走れて、走るように歌えればいいのですが。
ランニングの仲間たちもみんな聞きに来てくれました。
ライブのある夜だけ店の外で営業するという屋台のピザ屋さんの熱々のピザがうれしい、ちょっと肌寒い名護の夜でした。

友部正人
2月7日(土)「沖縄」
まだ入院をしているユミを残して、沖縄にやって来ました。気温は22度、暑くもなく寒くもなくて、気温が急になくなってしまった感じ。
飛行機はすいていて、めずらしくギターを機内に持ち込ませてくれ、着陸のときの振動から守るために、毛布や枕まで用意してくれました。
リクエストタイムズに、飛行機会社の楽器への対応について苦情を書いたばかりだったので、今回の思わぬ対応にはびっくりしました。

友部正人
2月1日(日)「入院準備」
ユミが骨折してから8日が経ちましたが、ようやく明日入院することになりました。手術は4日です。
怪我をしても救急でない限りすぐに入院をしたり手術をしたりできないのですね、病院は常に混んでいて。

片手が使えなくても、ユミはほとんどのことを一人でやっています。
もうすぐぼくが沖縄に行かなくてはならないので、退院の頃自分一人かも知れなくて、その時のために練習しているのです。
片手と両手ではわかりあえない、そんな感じもします。こんなとき、1たす1は2ではないのだなあ、と実感します。

暖かい冬はなんか落ち着きません。

友部正人
1月30日(金)「暖かい」
昨日ニューヨークから帰国しました。飛行機はすいていて楽でした。
横浜は終日雨ですが、とても暖かいです。昨日までマイナスの気温の所にいたので、コートもいらない位の横浜だと病院に行くのも楽です。
ユミは腕のギプスのせいで洋服に袖を通すことが出来ないので、Tシャツにベストという軽装ですから。

友部正人
1月26日(月)「診断は・・・・・」
病院に行ってきました。外科医は開口一番「骨折です」だって。
帰国して手術しなくてはならないので、急遽予定を変更して、水曜日に日本に戻ることになりました。
想像より悪い結果でユミは意気消沈しています。
今日のお医者さんは台湾人で、英語と日本語のごちゃまぜな診療がおもしろかった。さあ、大急ぎで帰る準備です。

友部正人
1月25日(日)「ハーフマラソンと惨事」
セントラルパークでハーフマラソンがありました。
公園の中を2周と1.6キロ走ります。気温は摂氏マイナス10度、顔以外は全部何かで覆って走りました。
ユミは応援に来てくれたのですが、睡眠不足や寒さのせいかめまいで突然後ろに倒れて肘を強打、応援に来ていた友人に病院に行くように勧められて、初めてマンハッタンの病院に行きました。

そこは日曜日の診療を受け付けている日本人のやっている病院です。
たまたまこの日は外科の先生がいなくて、内科の先生にレントゲンを撮ってもらい、月曜日に外科医の診察を受けることになりました。
打撲した肘はたまごのようにはれあがり、ぼくもびっくりしてしまったのですが、今のところはよくわからないので、カメラの三脚用バッグのようなもので首から腕をつり、今日は絶対安静のユミです。

友部正人
1月24日(土)「The Blue Bird」
マンハッタンのロワーイーストサイドにある小さな劇場に「The Blue Bird」を見に行きました。
すでにSold Outでしたが、ユミがインターネットで調べたら、Sold Outでもなんとかなるからとにかく劇場に来い、とあるのを見つけて、それを信じて行ったわけです。今夜はものすごく寒く(マイナス9度)、もし入れなかったら、きっとそのメッセージをうらんだことでしょう。

少し早めに着いたせいでキャンセル待ちの一番でした。おかげで、真っ先に入れてもらえました。(入れなかった人もいたようでした。)

「The Blue Bird」は矢内原美邦さんの脚本「青い鳥」を英訳したもの。
矢内原さんはNibrollというダンスカンパニーの創設者で、「青い鳥」は初めての演劇作品だそうです。大晦日にたまたま横浜のBankArt NYKで矢内原さんに会って、今回の英語版初上演を教えてもらったのでした。

演じたのはWitness Relocationという人たちで、ダンスやお芝居やコントが入り混じっていて、昔見た東京ボードビルショーを思い出しました。
早口な英語なので、せりふの細かいところまではわからなかったのですが、絶滅しかけた動物や昆虫を再生させようとする動物科学者たちの話です。
最後にこの人たちは精神病院の患者たちだということがわかり、「ぼくたちの檻は今開かれている」という締めくくりの一言にちょっとぐっときました。
ちょっと「キング・オブ・ハート」という映画を思い出させます。

明日はとても寒くなるみたいで、今夜からもうその準備が始まっているみたいな空気でした。ユミと二人でがたがた震えながら帰りました。

友部正人
1月19日(月)「ニューヨークに来ています。」
17日からニューヨークに来ています。今回はトラブル続出で参りました。
まずデトロイトに着いて、イミグレーションでアメリカへの入国を止められ、別室であれこれ質問されてやっと無罪放免になりました。
が、ニューヨークへの乗り継ぎ便はすでに飛び立った後で、次の夕方の便に変更となりました。
そして振り替えられた飛行機がゲイトを離れるとき、自分のスーツケースが積み残されたまま窓の外に残っているのを、ユミが飛行機の窓から見つけました。すぐに訴えたのですが、アテンダントの女性は次の便に乗せるから、というのです。ユミが断固拒否したら、飛行機は停止して、ユミのスーツケースを積み込んでくれました。
そのおかげで45分遅れたと機長は何度も他のお客さんに謝っていました。
だけどユミの決断は正しかったようで、ぼくのスーツケースは積み忘れられ、3日遅れで今日やっと到着しました。
すぐに必要なものが入っているわけではなくても、あるべきものが手元にないと本当に気分がよくないです。

ニューヨークは今日は雪、気温はわりと暖かく、摂氏0度でした。
ユミとセントラルパークに走りに行って、帰って来たらスーツケースがアパートに届いていたのでうれしくて、カレーを作りました。

友部正人
1月14日(水)「アントニー」
アントニー・アンド・ジョンソンズの新譜が届きました。「The Crying Light」というタイトルです。前のアルバムで夜明けを切望していたアントニーは、この新しいアルバムで昼の光を謳歌しています。なんてやさしく美しいのでしょう。
ジャケットの表紙が舞踏家の大野一雄さんだというのも意外でした。
このアルバムは1月23日に発売されます。ぼくはそれまでに何回も聞くでしょう。
17日にニューヨークに行く飛行機の中でもきっと。

友部正人
1月10日(土) 「甲府 ハーパーズミル」
ハーパーズミルが開店してから24年間毎年欠かさずに歌いに行っています。
ハーパーズミルはカレーとコーヒーのお店ですが、店主の坂田くんは最近ではギターを作る職人でもあります。最近ぼくが弾いている小ぶりのギターは坂田くんの作品で、ちょうど1年前に完成したものです。
いつものように坂田くんが30分歌い、それからぼくが歌いました。坂田くんの新曲は感情が伝わってきてとてもよかった。
ぼくは久しぶりのライブで、ちゃんと聞き手のいるところで演奏するのは楽しいものです。

友部正人
1月9日(金) 「サムズアップ、鍋パーティ」
久しぶりの雨でした。
横浜のサムズアップで新年の鍋パーティがありました。鍋を食べながらライブを楽しもうという企画です。いろんな人が歌ったけれど、大庭珍太の「穴」の歌がおもしろかった。
ぼくは東京ローカルホンクの弦二くんとドラムの田中くん、それからベースに珍太、スチールの日暮士くんと佐藤克彦さんと一緒に「ロックンロール」を歌いました。

友部正人
1月2日(金) 「ランドスケープ」
恵比寿の写真美術館に行きました。今日は開催中の「ランドスケープ」の写真家、柴田敏雄さんのレクチャーがあって、ユミがすごく行きたがったのです。
たくさんの人がつめかけていました。多くは写真を撮っている人たちのようでした。
「景色をよりイメージとして楽しむために、空は入れない」とか、おもしろい話が聞けました。柴田さんも言っていましたが、山の斜面をコンクリートで固めてしまうような景色は、そういえばアメリカではあまり見ません。
写真の中に写っている現実がユーモラスにも見えました。

友部正人
2009年1月3日(土)「 あけましてあめでとう。」

あけましておめでとうございます。
まずは、去年の暮れにアメリカで発売された本を紹介したいとおもいます。
本のタイトルは「Three Wishes」、ジャズ・ミュージシャンたちのパトロンであり、ミューズのような存在だったパノニカ男爵夫人が、300人のジャズ・ミュージシャンからもらった「三つの願い」の回答を、自分がポラロイドカメラで撮った写真と共にまとめた本です。
猫ハウスと呼ばれるパノニカの家で、みんなリラックスしてうつっています。

お金、恋人、家、車、名声、永遠の命、平和、平等、といろんな人が望みを語っていますが、共通しているのは、音楽への切実な思いと、ジャズが芸術として認められること。
もしかしたらこの本は、ミュージシャンにとっての聖書のようなものかもしれません。

ぼくも今年は深い満足感の得られる新しい歌を探していきたいと思います。
みなさんの今年の願いは何でしょうか。

友部正人