友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

11月20日(水)「スズキコージ 絵の中のどろぼう」

長らく絶版状態の絵本「絵の中のどろぼう」の原画展が2024年12月7日から12月25日までと、
2025年1月8日から1月21日まで、コーヒー&ギャラリー「ゑいじう」であります。
「絵の中のどろぼう」はぼくとコージくんの唯一の共作絵本です。
絵本復刻の話もあるけど時期は未定なので、ぜひ原画を見に出かけてみてください。

画像をクリックすると大きく見れます

11月19日(火)「URCレコードのことで」

URCレコードの頃のことで共同通信の取材があり、ユミと六本木のソニーミュージックまで行きました。
曽我部恵一くんが選曲したURCセレクションアルバム「シティ・フォークの夜明け」が11月27日にソニーから
発売されるのですが、ぼくの「もう春だね」も入っています。

11月18日(月)「函館への帰り道」

苫小牧から函館への帰り道、白老と登別に寄り道しました。白老では「またたび文庫」という本屋に行きました。
ポムメリイのライブに来てくれたまたたび文庫の人が白老でもぜひライブをと、声をかけてくれたからです。
ライブのときは移動させられるように書棚には車がついていました。
登別では「知里幸恵 銀のしずく記念館」に行きました。口伝えで歌い継がれてきたアイヌのユーカラを
ローマ字で文字にして残した知里幸恵さんという女性の記念館です。
館長の松本さんが家系図を指さしながら丁寧にこの女性のことを解説してくれました。
函館までの帰り道は雪、高速道路の温度計はマイナス2度でした。
それからぼくは夜の飛行機で横浜へと帰りました。

11月17日(日)「苫小牧 お菓子の家ポムメリイ」

音響機材を積んで車で苫小牧へ。雨の中4時間のドライブでした。ポムメリイは30年続くケーキとコーヒーのお店。
ケーキを焼くオープンを囲むようにしてカウンターがあって、店主のたえこさんがコーヒーをいれてくれます。
広々とした出窓の前がステージで、函館から運んで来た音響機材の調整を太田さんが時間をかけてやっています。
音はなかなか決まりません。
地元の人たちが「ポムメリイ」の歌などを歌って盛り上げてくれた後に、ぼくが1時間ほど歌ったところで
突如中断。通りにずらっと駐車したお客さんたちの車に苦情が出たそうです。車を近所のレストランの駐車場に
移動する間の20分くらいの休憩。今まで何回もライブをやってきたけどこんな苦情は初めてだそうです。
ちょっと長めのライブでしたが、途中の中断はなかったかのような盛り上がりでした。

11月16日(土)「函館 あうん堂」

時差ボケの抜けないまま函館へ。ちょうど眠くなる夕方の函館はぼくよりもさらに眠そうで、あうん堂の
ある駅前飲み屋街は閑散としていました。
新譜の「銀座線を探して」の出来たてのCDが今日のライブに間に合ったので、今日は急遽ニューアルバム
発売記念ライブ。集まってくれたお客さんたちと新しい歌を共有した夜でした。

11月7日(木)「メトロポリタン美術館」「帰国」

ニューヨークも今日一日となりました。まだ時差ボケで夜中の1時に目が覚めて、
5時までひたすら本を読み、5時半から6時半まで真っ暗な中、リバーサイドパークを
ランニング。走っていると東の空が明るくなり始めて、その反射のようにハドソン川の向こうの
ニュージャージーからも朝の光が。これって「アイ・シャル・ビー・リリースト」?
ホテル一階のカフェでクロワッサンのサンドイッチをもらい部屋でユミと食べました。
滞在中の朝食はずっと一階のフレンチカフェのメニューで。

午後2時にメトロポリタン美術館の入り口できりこさんと待ち合わせ。

ユミとセントラルパークを横切ってメトロポリタンまで散歩。昔から何度も歩いた道。
シニア割引のチケットを買おうと思っていたけど、メトロポリタンの特別な会員のきりこの
おかげで任意の金額(いくらでもいい)で入れました。正規だとシニア22ドルだからうれしかった。
 
アメリカの絵画を見て印象派の絵画を見て、最後にメキシコ革命の頃のポスターやチラシなどの
印刷物の展示を見ました。とてもメキシコに行ってみたくなりました。
あとからやってきたシゲミさんも一緒にセントラルパークを横切ってウエストサイドへ。
前から好きだったピザのレストランでエイコさんと待ち合わせ。シゲミはCiti Bikeで友だちに
会いに行き、今年もぼくのマラソンを応援してくれたエイコときりことワインで乾杯してピザを食べました。
 
ホテルに戻り頼んでいたタクシーでJFK空港へ。日付をまたいだ夜中の便だったので、羽田着は
9日の早朝でした。横浜行の定額タクシーは羽田にはいなかったのでリムジンバスで横浜へ。
去年から2年続けてANAの夜の便に乗ったのですが、直行便ではない昼の便にした
ほうがいいのかは結局わからずじまい。どちらにしても疲れるんだろうけど。

11月6日(水)「大統領選挙」「ホイットニー美術館」

朝1時頃に目が覚めて、音を消してつけっぱなしのTVを見たら、トランプがほぼ確実になってて
それからしばらくずっとTVを見てました。
そういえばヒラリー・クリントンとの大統領選挙の時もニューヨークでぼーっとTVを見ていて、
トランプが勝ったのを呆然と見たなあ、と思い出しました。
NYCマラソンは必ず大統領選の時期と被るので、ジョージ・ブッシュの時も、オバマの時も、
トランプの時も、バイデンの時も、再度トランプの時もアメリカにいて選挙選を目撃しています。
 
午後からはぼくは一人で「ホイットニー美術館」へ。Alvin Aileyの回顧展を見たくて。
黒人で舞踏家のAlvin Aileyの生い立ちとキャリアはアメリカの黒人の歴史とぴったりと重なり、
音楽も映画も文学も彼のダンス作品の一部なのです。歴史と暮らしが汗を流して一つになったような
激しいダンス作品。踊らずにはいられなかった人生なのだと思いました。

11月5日(火)「citibank」

今回もANAの夜の便で到着してホテルに着いたら、銀行のカード(dabit)が支払いに使えないと言われて、
ユミのカードもダメでホテル側は部屋に入れてくれなくて、疲れていたユミはじゃあ現金なら受け付ける
よね、とすぐ銀行まで行ってATMで1500ドルほど下ろして来て、depositして無事部屋に入れました。
部屋から銀行の緊急連絡先に電話して、翌日からはぼくのカードはホテルでも使えるようになりました。

そんなこともあり、ミッドタウンのcitibankに行ってぼくたちの担当のWさんにあれこれ調べてもらい、

ユミのdabitもどこででも使えるようにしてもらい、あとはいろいろ書類の更新などをしました。
年々セキュリティも厳しくなっていて面倒なこともいろいろあるのですが、ぼくたちはNYにいた時の
アメリカの銀行口座を今もずっと持ち続けています。NYに住居がなくなったらアメリカのクレジットカード
が使えなくなり、dabitcardだけでなんとかやっています。
マルチアセットの担当も新しい人に変わったので電話で少し話をしました。

そういえば午前中は洗濯屋にも行ったし、ぼくにはチンプンカンプンのお金関係の用事も終えたし、

今日はもう終了、ということでホテルに戻りました。

11月4日(月)「メダル刻印」「MoMA」

朝早くからセントラルパークに行って並んで、完走メダルにタイムを刻印してもらいました。
毎年タイムを彫ってもらっているので、これが終わると今年のNYCマラソンも終わったな、という感じ。

そしてお昼にMoMAの入り口できりことドミニクと待ちあわせて、「ロバート・フランク」展を

見に行きました。ロバート・フランクには、ぼくもユミも実際にお宅にお邪魔して話したことも
あって特別の気持ちがあります。彼の写真には時代の染みがあって、それがロバート・フランクの
写真の特徴だと思います。時代の染みは個人の染みでもあり、執拗に身の回りのものを撮り続けた
ロバート・フランクの感覚はとてもよくわかります。悲しみも愛もすべて彼のフィルムとして
残っています。河原の岩のように孤立した彼の優しさをぼくは今でも忘れません。

11月3日(日)「NYC マラソン」

ぼくにとっては今年で20回目のNYCマラソン。気温は低く、スタート時は7℃ぐらいでした。
NYCマラソンは15回走ると自動的に次の年も無抽選で申し込めるのですが、そういう人たちの
背中のゼッケンにNYCマラソンの完走回数を書く欄があります。30回40回なんて人もいて、
ぼくの20回なんて大したことではないです。
例年通りファーストアベニューでユミからのエイドを受け取りました。今年は舟和のすあま(和菓子)
を日本から持って来ました。小さくてもお腹の足しになるおもちのようなもので走りながらでも食べやすい。
ユミと一緒に応援してくれたニューヨーク在住の友だちも果物やおにぎりなどいろいろ用意して
くれたのに食べられなくて申し訳なかったけど、レースが終わってからホテルで食べました。
今年は寒かったせいか走りやすく、去年より記録も良かったです。4:00:50でした。途中2回トイレに
行きましたが、1回にしておけば3時間台だったのにな。

11月2日(土)「WFMU  レコードとCDのフェア」

17丁目のメトロポリタンパビリオンで昨日と今日の2日間開かれているレコード市に行きました。
昨日も朝から3時ぐらいまでここにいました。
WFMUはラジオ局で、毎年この大規模なレコード市を主催しています。レコードは以前に比べて
値段が高くなっていて、そんなにたくさんは買えなかったけど、売りに来ているとんでもない数の
レコード屋の一つ一つを見て歩くだけでも楽しい。ラジオ局もリスナーからの寄付で集まった大量の
CDやLPレコードを1枚1ドルで売っていました。
ぼくがニューヨークで暮らしていた頃はお弁当持参で来ていたものです。
本当は一日中会場にいたいけど、3時間もすると疲れて来て今日も早めにホテルに帰りました。

11月1日(金)「ヨシとマドレンのお宅に」

ヨシとマドレンに誘ってもらって、グランドストリートにある二人の自宅を訪ねました。
コロナ前までは毎年マラソン直前の金曜日に50人ぐらいのランナーたちのための
パワーパスタパーティーを自宅で開催していた二人ですが、今年はぼくとユミと
日本から毎年走りに来ている男性の3人だけ。この男性は今年で15回目のNYC マラソン
だそうです。新聞社に勤めながら毎年来ていたなんて、タフだなあ。
ヨシの料理は材料の組み合わせの意外性がアートのよう。ユミの甲殻アレルギーを
覚えていて、今年はロブスターではなく豚のリブステーキにしたそうです。
終わりごろにはヨシとマドレンの体の調子を診てくれている日本人女性も合流。
ぼくは食べたあとは時差ボケでうとうとしていました。

10月31日(木)「エキスポ」

昨日の夜NYに到着して、今日はナンバーカードを受け取りにエキスポへ。
5万人も走るのでエキスポ会場へ行くのにも指定された時間帯に入場しなくてはなりません。
シャツや帽子を買って、マグネットの付いたポーチを毎年売っているお店が今年はいなかったので、
うろうろせずにさっさと帰りました。

10月26日(土)「大阪 TRAD」

今日は大阪のライブハウス「TRAD」に歌いに来ました。TRADもこの10月末で閉店するそうです。
「バナナホール」「AKASO」「TRAD」と名前を変えてきましたが、ぼくが一番思い出があるのは最初の
「バナナホール」の頃です。いろんなミュージシャンとここで一緒に演奏をしたし、アルバム発売記念なんかも
やりました。いつもたくさんのお客さんがいて、熱気がぎっしりと詰まった場所でした。
今日はそんな思い出のある場所で、小谷美紗子さん、直枝政広さん、バンバンバザールとぼくとでライブをしました。
バンバンの福島くんは、初めてぼくとバナナホールで演奏したときのことをしきりに語っていました。
そのときの会場の音の良さを今回も感じたそうです。そういえば小谷さんのグランドピアノも迫力がありました。
木のステージが作る響きなのかホールの天井のでっぱりのせいなのか、とにかく壊してしまうのはもったいない
ライブハウスです。
ぼくはソロ以外にバンバンバザールと「ブルース」「待ちあわせ」「夜よ、明けるな」をやりました。
アンコールでは出演者全員で「夕日は昇る」を歌いました。閉店に向けてあと数日ライブが続くそうです。
最終日のフラカン、見たかったな。でもぼくは前日の30日からNYC Marathonでニューヨークに行ってきます。

10月25日(金)「ニュー風知空知・さよならの時に」

小山田壮平さんと下北沢のニュー風知空知でライブをしました。壮平くんとはイベントなどで二度一緒になった
ことがあったけど、二人だけでライブをするのは初めてでした。
風知空知でぼくは前にもライブをしたことがあります。旧風知空知の2006年オープンのときは銀杏BOYZの
峯田くんと二日間、2020年の閉店ライブは二回、1月にマヒトゥー・ザ・ピーポー、2月はおおはた雄一くんと。
今回はニュー風知空知の閉店ライブで、タイトルの「さよならの時に」は小山田くんの歌詞からだそうです。
小山田くんとぼくと1時間ずつソロで歌って、アンコールは二人で「すばらしいさよなら」と「どうして旅に
出なかったんだ」を歌いました。「すばらしいさよなら」は宮沢和史さんとぼくの合作の曲。北沢タウンホールで
宮沢くんがゲストの「待ちあわせ」コンサートの時に生まれました。長年親しまれてきたお店のラストライブに
ふさわしい選曲ですね。「どうして旅に出なかったんだ」は、2022年8月「どんと還暦祭」恵比寿リキッドルームで、
初対面の小山田くんと二人で歌ったことがあります。

小山田くんがどんな歌を歌ってきた人なのかほとんど知らないままの共演は新鮮でした。

音楽的な背景でどこかつながりも感じられて、34歳という年齢差はたいしたことじゃないんだなと思えました。
つまりその34年は空白じゃないということです。いろんなものがつまった年の差というものをぼくはこれからも
大切にしていきたい。

10月19日(土)「仙台ラビリンス」

仙台駅前EDENでアジアントライブというレストランをやっていた間瀬くんが8月にオープンした
新しい店、「ラビリンス」にユミと行ってみました。自分たちで内装工事をしているときには一度
見に行ったのですが、営業を開始してからは初めて。明るくてきれいなお店です。
ゆくゆくはアジアントライブのように店内でライブもしたいと初めから間瀬くんは言っていたけど、
今のところまだ予定はないとのことで、じゃあお店のお祝いもかねて全くの生音でぼくのライブを
しようかということになりました。先日の「つくば食堂 花」の生音ライブが良かったので、
同じことをラビリンスでもしてみようということになりました。12月8日(日)です。

二か月以上ぶりに仙台に来られたのに、なんだかんだと用事があってもう横浜に戻らなくては。

でも18日の句会にはちゃんと参加できたし、中古レコード市にも行ったし、仙台は楽しいことの
多い街です。

10月15日(火)」「マスタリング」「ミモザの咲くころ」

午前中「シングルコレクション」のマスタリング音源がデータで届きました。さっそくユミと聞いて、
曲ごとの最終的なテイク選びをして曲間も確かめて、すばらしい出来でなにも問題ありませんでした。
ジャケット周りも大詰めを迎えつつあり、着々と作業は進んでいます。
もうぼくは12月のCDの発売を待つばかりで、新曲でもないのになぜかとても楽しみ。
 
それから、昨日届けてもらった広田稔さんのミモザの絵を、玄関の屋久島の絵と架け替えました。
この新しい絵はこの間日本橋三越でユミが買ったのですが、玄関がぱっと明るくなります。
屋久島の絵(これも広田さんの作品)は廊下に移動しました。
ということで夕方からちょっと仙台に出かけてきます。

10月14日(月)「ホームページ」

ぼくのホームページのトップページにニューアルバムのジャケット写真が出ました。詳細をクリックすると、新しい
フライヤーを見ることができます。あと一か月ちょっとでいよいよ発売になる「銀座線を探して」、お楽しみに。

10月13日(日)「つくば食堂 花」

つくばのおいしい日本食の店「花」でマイクを使わないまったくのソロライブをしました。
マイクなしならどこで歌ってもいいねというユミの提案で、1曲目は二階の楽屋から降りて来る階段の途中で「夢の
カリフォルニア」を、二部は厨房のカウンターの前で「まちは裸ですわりこんでいる」と客席の真ん中の柱あたりで
「銀座線を探して」を。場所によって響きが違うことがわかっておもしろい試みだったし、この建物はいい感じに
音が響くのを初めて知って驚きでした。
生の声で40人ぐらいの人に2時間歌ってみて、マイクを使わないライブのおもしろさを知ってしまったぼくです。
元々ストリート出身だからね、とユミ。
今日のために「花」の植田くんの作った豚汁と炊き込みご飯、打ち上げで出してもらったいろんなごちそう、
お弁当で持って帰りたくなるほどおいしかった。

10月11日(金)「餃子パーティ」

ぼくと同じ建物に住んでいる画家の広田さんの家で餃子パーティをしました。広田さん夫妻、若い絵描きの佐藤くん夫妻、
ぼくとユミです。広田隆子さんの焼き餃子、ユミの水餃子と麻婆豆腐、餃子が大好きだという佐藤くんのためにみんなで
がんばったパーティでした。ユミは後半に突然床で寝てしまうし、食べすぎてぼくは夜中にちょっと胃がもたれました。
でもとても楽しいパーティだったな。

10月10日(木)「ニューアルバムの色校正」

アルバム「銀座線を探して」の色校正で学芸大学にあるブリッジに行きました。
ブリッジはもう長く友部オフィス制作のCDの流通を請け負ってくれている会社です。
デザイナーの坂村さんとブリッジの三浦さんとユミとぼくで印刷会社から届いたばかりのジャケットの見本刷りを点検。
望んでいたような色具合で、満足した後は2時間ばかりの雑談。みんな発売が楽しみなのです。

10月9日(水)「macaroomと知久寿焼」

横浜のサムズアップでmacaroomと知久寿焼のライブがあってユミと行きました。macaroomと知久くんは「hyogaki」という
アルバムをコロナ前に一緒に作って、今日はやっとその発売記念ライブだったそうです。
キーボードとボーカルとコンピューター操作+カンフーという珍しい編成のmacaroom、前にCDをいただいたことがあった
けど生演奏を聴くのは初めてでした。知久くんとmacaroomのエレクトロニックなサウンドの相性は想像以上に良く、
ずっしりと重い知久くんの音楽を涼しげにしていました。カンフーの人の目が時代劇みたいに迫力があって良かった。
知久くんは最近はいろいろな人たちとの活動が目立って、映画音楽もやって、世界が広がった感じです。

10月4日(金)「横浜サムズアップ」

1980年代に買ったBOSS CE-1のChorus Ensembleが今夜は役に立ちました。重いので普段は持ち歩けないけど、
サムズアップでやる時はいつもオーナーの佐布さんが自家用車で家まで迎えに来てくれるので、アコースティックギターも
2台持っていくことができました。
たった一人で歌うライブにはお客さんと一対一になれる楽しさがあります。
一部ではおおたか静流さんと作った「ほしのこどもたち」をやり、アンコールでは久しぶりに「まちは裸ですわりこんでいる」
をやりました。これはぼくの一番古い歌の一つです。
ライブの後にサムズのスタッフの間でもっぱらの話題だったのがBOSSのエフェクターでした。スタッフはバンドをやっている
人たちなので当然といえば当然かも。

10月2日(水)「ミディレコード」

12月発売の「友部正人シングルコレクション」の打ち合わせで、ぼくとユミとデザイナーの坂村さんとで
赤坂のミディレコードへ行きました。デザインはまだ白紙の状態。ジャケット、かっこよくなればいいな。
7枚のシングル盤を集めて、15曲入りのフルアルバムになります。

10月1日(火)「素晴らしい世界は何処に」

森山直太朗くんの今年3月の両国国技館公演を収録した映画の試写会にユミと行きました。
誘われていたのに見に行けなかったコンサートはこんな風だったのか、と思いながら見ているうちに、
これはただのコンサート映画ではないな、とわかり始めます。この映画はどちらかというと直太朗くんの
歌と人生の結びつきの深さに重きをおいていて、歌は彼の自伝の一部として歌われているようでした。
映画なのでコンサートのような興奮はないけれど、一人一人が真剣に直太朗くんの歌と向き合うことができる映画でした。
上映後に初めて森山良子さんともお話ができました。ぼくと2歳しか違わないとても話しやすいすてきな人でした。

9月29日(日)「レインボーヒルコンサート」

大阪の服部緑地公園の音楽堂で今年も開かれた「レインボーヒルコンサート」にLDKで出演しました。
ここでは春に「春一番」が、秋に「レインボーヒル」が開かれてきました。
「レインボーヒル」は「春一番」の妹のようなコンサート、いくらか「春一番」より若い出演者が
中心です。
LDKは最後から2番目の出演で、40分間に9曲演奏しました。その後にちくちんどん楽団がやって、
彼らの最後にアンコールで「ぼくは君を探しに来たんだ」を一緒にやりました。
夕凪のせい子さんが「来年も9月の最後の日曜日にやります」と宣言してこの素敵なコンサートは終了。
会場を漂うシャボン玉のように柔らかな風に包まれた気分でした。
そして夜の新幹線でぼくたちは横浜に帰りました。さすがにへとへとになりましたが、四日間楽しかった。

9月28日(土)「レコーディング最終日」

最後に残った1曲を録音しました。全部で10曲も録音したのです。そのあと少しハーモニカやコーラスのダビング
をしました。ぼくは持っていないB♭のハーモニカを今朝十字屋に買いに行って、無事ハーモニカも録音できました。
予定より早くレコーディングは終了。いくつかの音源を聞きながら、これから荻野くんがしなくてはならない
ミックスの方針の相談をして解散しました。

9月27日(金)「レコーディング2日目」

今日も同じスタジオで録音。エンジニアは普段は磔磔やムジカジャポニカでPAをする荻野くん、一発録り
とはいえ、やはりそれぞれのマイクへの音のかぶりが気になるようです。今日もたくさんの曲を録音しました。
解散後ぼくとユミは四条烏丸のホテルに戻って晩ご飯を食べに行きました。

9月26日(木)「LDKでレコーディング」

約15年ぶりにLDKでレコーディングをすることになり、今日からユミと京都に来ています。
LDKはふちがみとふなとの2人とぼくの3人のユニットで、15年前に作ったミニアルバムは
ニューヨークのぼくの家のリビングと京都のふちふなの家のダイニングキッチンで宅録したものでしたが、
今回は京都のスタジオで録音して、曲数も増えてフルアルバムになりそうです。
今日は午後4時ごろスタジオに入り曲の打ち合わせや練習の予定でしたが、何曲か試しで録音してみました。
どっしりとした大きな角砂糖を端っこから少しずつ削っていく感じです。

9月25日(水)「広田稔展」

今日から始まった日本橋三越の広田稔展にユミと行きました。広田さんの絵には風景の中に人物がいる
ことが多く、人物の動きによって風景も動いているように感じます。雨すらも踊っているようです。
平日の午後だというのに会場には多くの人が訪れていました。

9月22日(日)「おおはた雄一バンド」

おおはたくんがバンドでライブをするというのでユミと見に行きました。
バンドはぼくの最新アルバムにも参加している芳垣安洋さん、伊賀航さん、吉森信さんの3人。
バンドと一緒に自分のライブをするのははじめてだとか。もしかしたら6月のぼくのライブレコーディング
での楽しかった余韻のせいだったのかもしれないね。
おおはたくんは歌もおしゃべりも新鮮さを大切にしているところが好きです。同じことを話したり同じように
歌ったりということはありません。だからどんな歌でも話でも、おもしろいなと思えるのでしょう。

9月21日(土)「歌う人」

先日の「晴れたら空に豆まいて」で豊田道倫くんとアンコールで一緒に歌った「歌う人」が
youtubeにアップされています。後奏の豊田くんのノイズっぽいギターがいいです。ぜひ。
友部正人・豊田道倫「歌う人 Story Of an artist」(live at 晴れたら空に豆まいて,2024.9.8) (youtube.com)

9月20日(金)「三遊士展」

ニューヨークの写真家、比嘉良治さんが参加している三人展を京橋の画廊に見に行きました。
ヨシはポラロイドカメラで焼き付けをした抽象的な写真作品、あと二人の方は絵画でした。
同じ大学で学んだ仲間だそうです。
86歳のヨシは運動不足でちょっと顔が丸くなっていても、作品に年齢はなく、生まれたばかりの
ような発色がきれいでした。

9月19日(木)「中央線随筆傑作選」

南陀楼綾繁さん編集による随筆のオムニバス本(中公文庫)にぼくの若い時のエッセイが収録されました。
「生活が好きになった」からの「一九八二年のタイム・スリップ」です。永島慎二さん、ねじめ正一さん、
唐十郎さんや、中原中也、坂口安吾、萩原朔太郎、武田百合子などそうそうたる人たちのエッセイが
集められています。

9月18日(水) 京都「磔磔」

リクオの還暦ライブの2日目。今日はリクオの率いるHobo House Bandとソウル・フラワー・ユニオンの
中川敬とぼくが出演。Bandとリクオのかっこいいセッションの後、「銀座線を探して」「カルバドスの
りんご」「ブルース」「アイ・シャル・ビー・リリースト」をリクオバンドと一緒にやり、「はじめ
ぼくはひとりだった」はリクオのピアノと宮下くんのペダルスティールだけで歌ってぼくの本編はおしまい。
中川くんがニール・ヤングのようなたたずまいでガンガンに歌い喋り笑うライブの後はアンコールで
「ぼくは君を探しに来たんだ」と「光」を全員で。予定には出ていなかった「HillAndon」というバンドの
若いボーカリスト康次郎くんやソウル・フラワーの伊丹英子さんも参加しての大々的なフィナーレは
リクオの60代の門出にふさわしい華やかさでした。
 
このライブの模様は配信で見ることができるのでぜひ見て欲しいです。
■ツイキャス生配信 ¥3500(10月2日(水) 23:59 まで何度でも視聴可能)

購入→ https://twitcasting.tv/kyoto_takutaku/shopcart/331219

9月17日(火)京都「磔磔」

リクオの還暦を記念するライブの1日目、ぼくとユミはリクオから招待されて聞きに行きました。
ゲストは梅津和時と仲井戸麗市。リクオはお酒も飲まず、ひたすら歌うことの幸せに酔っていました。
チャボこと仲井戸麗市の生歌を聞くのは実に久しぶりで、リクオが選曲したというチャボの歌はどれも
緑の風のようにやわらかかった。
梅津さんはリクオをプロの世界に引き込んだ最初の人。梅津さんのサキソフォンの後を、ずっと自分の歌を
作りながらリクオは追いかけて来たのだな、と思います。
3人のステージはとても充実していて、リクオのこれ以上はないというような表情が幸せな夜だったことを
物語っていました。今日リクオは60歳になりました。大きなバースディケーキをみんなで食べました。

9月16日(日) 能勢「氣遊」

大阪能勢の「氣遊」ではこのところ毎年1度ぐらいライブをしています。去年は大塚まさじと二人でやりましたが、
今年はぼくのソロライブ。敬老の日の振り替え休日だったので老人の歌を集めて歌おうかと思ったけど、まだ
「橋の下」の余韻が残っていたので「少年とライオン」から始めました。
篠山から車で聞きに来てくれた大塚まさじと二人で、アンコールのとき「アイ・シャル・ビー・リリースト」を。
ディランⅡのバージョン「男らしいってわかるかい」とぼくのバージョン(友部訳)を交互に歌うはずでしたが、
自分の訳した歌詞をすっかりと忘れてしまい、全編「男らしいって・・・」になりました。それはそれでいいのでは
と後でユミが言っていたのでぼくもそうだねと。
若くして亡くなった大阪のシンガー、ホン・ヨンウンの妻と息子や、阿部登の妻のNIMAさん、絵描きのモロちゃん
など、知っている人もたくさん来てくれてうれしい夜でした。

9月15日(日)「橋の下ぼくとユミの2日目」

朝の土砂降りの雨の後、午後になってぼくとユミは会場に行きました。今日は出演者ではなく観客として。
「橋の下」の会場は文字通りの河原の橋の下で、まだあちこちに水たまりが残っていて靴もドロドロになりました。
ぼくたちが最初に見たのはGEZAN。マヒトゥー・ザ・ピーポーとはソロで何度か一緒にライブをしたことがあるけど、
GEZANで見るのは初めて。マヒトくんのボーカルがソロの時よりも数段高い声色で、それがとても
変わっていたのでなぜかぼくはうれしかった。繊細な糸で結ばれたメンバーとの激しいパフォーマンスは最高でした。
「草原ステージ」でのサヨコさんの歌はすごく久しぶりに聞きました。長い間見ていなかったけど彼女の歌の精神は
全然変わっていなかった。奄美大島の焼酎を飲みながら聞きました。
タテタカコさんのステージもしばらくぶり。澄み切った声は健在で、切込みの深いピアノ演奏も相変わらずすばらしい。
最後に歌った「ジャック・ニコルソン」、誰か知り合いの人の歌らしいけど謎多くシンプルで心に残りました。
5時間以上も河原にいて音楽を聞いたりお酒を飲んだりして疲れてしまい、ぼくとユミは8時過ぎにホテルに戻りましたが、
ぶらりと会場にやってきた知久くんが、夜遅くどこかのテントで自主ライブをしていたことを後で知りました。

9月14日(土)  豊田市「橋の下世界音楽祭」

今年の「橋の下」は規模も大きく盛り上がりも最大級でした。誰もこれが手作りのイベントとは
信じられないくらい。熱心でパワーのあるイベントが作れるのはお金ではなく意欲と魂です。
ぼくは夕方の30分、名古屋のバレーボールズと一緒に出て歌いました。バレーボールズが一曲やった後
ぼくの「少年とライオン」「ブルース」「一本道」「月の光」「ぼくは君を探しに来たんだ」の5曲を一緒に。
とても盛り上がりました。盛り上がりすぎたのかぼくは「ぼくは君を」の3番と4番を逆にしてしまった。
でもしんみりした3番の歌詞の後にサビを繰り返すのは結構効果があったと思います。
ぼくたちの後の「本丸」ステージはこのお祭りの代表者愛樹くん率いるタートルアイランド。たっぷり演奏の後、
土砂降りの雨になりました。あれもたぶん愛樹くんたちの演奏の一部だったのでしょうね。

9月12日(木)「ニューアルバムのジャケット」

11月発売予定のニューアルバム「銀座線を探して」のジャケットの打ち合わせで、デザイナーの坂村さんの事務所に
ユミと行きました。事務所に着いたときぼくのTシャツは汗でびしょびしょでした。残暑はまだまだ続くそうです。
「暑いですね」が坂村さんの最初の挨拶。冷たいお茶をぼくたちに出してくれました。
ジャケットのラフをぼくたちに見せるのに坂村さんは緊張したそうですが、ぼくたちも今日ラフを初めて見るので
期待でドキドキでした。前回の「あの橋を渡る」もそうでしたが、坂村さんのデザインは今回も予想を上回りました。
ちょっと遊びがあってカラフルです。

約2時間の打ち合わせの後、坂村さんに教えてもらった谷中銀座を歩いて日暮里駅から帰りました。

ぼくもユミも谷中銀座はたぶん初めてで途中に階段があるのも物珍しく、カヌレを買ったり果物を買ったりとすっかり
観光気分になりました。

9月11日(水)「シングルコレクションのマスタリング」

12月にミディから発売予定の「シングルコレクション」のマスタリングに立ち合いました。
田園調布からタクシーで5分ほどのすてきな個人スタジオで、風間萌さんという若い女性がエンジニアです。
このコレクションにはミディから発売された6枚のシングル盤すべてと、URC時代のシングル盤の2曲が
ボーナストラックとして入ります。
収録の時期や演奏しているミュージシャン、音楽のタイプが違うのでアルバムとはまた違うおもしろさがありますが、
それにしてもどの音源も懐かしい。当時の立派なスタジオをふんだんに使って録音されたサウンドの気持ちのいいこと。

9月10日(火)「最近見た映画のことなど」

8月30日に横浜のジャック&ベティでギョーム・ブラック監督の短編映画「リンダとイリナ」をユミと見ました。
あっという間におわってしまう短いドキュメンタリー。その後の「宝島」も見たかった。ドキュメンタリーとはいえ
なんとなくフィクションのようで、そういえば「女っ気なし」もそうだった。この監督にはそんな境目はどうでも
いいことなのかも。
 
9月5日にはジャック&ベティでフレデリック・ワイズマンの最新作「至福のレストラン」を見ました。「レストランの
厨房の話かあ」と最初はちょっと乗り気ではなかったユミも見終わってかなり大興奮。映画に先入観は禁物ですね。
55年間もミシュラン三ツ星を維持しているフランスのレストランの話でした。三代目のミッシェルは若いとき日本にも
いたことのある人。調味料には醤油も使われ紫蘇を栽培して酢漬けにしている。お客さんは長年ここの料理にこだわる
人たちばかり。予約した人たちのアレルギーや肉の好みまで店員は知っている。レストランってこんなにすごい場所
なのかとため息のでる映画です。4時間の上映時間もそんなに気にならなかった。

ジャック&ベティでは8月下旬に濱口竜介監督の特集もやっていて、上映時間5時間17分の「ハッピーアワー」はどうしても

見たかったのにタイミングがあわなくて映画館に行けず、渋々ユミがアマゾンでブルーレイを買って家で見ました。
映画を突き抜けてくる登場人物の生々しさが記憶からなかなか消えない映画で、もう一度また見たくなります。

映画には見始めると止まらなくなるおもしろさがあるけど、映画館の上映には期日があり、いくら見たくてもタイミング次第。

ジャック&ベティでの「大好き」の上映とトークの後、ぼくとユミと監督の伊勢さんとで伊勢佐木町の中華料理屋に行くとき、
通りがかった映画館シネマリンの前で足を止め、スケジュールやポスターを見ながら「ああ、見たい映画ばかりだな」と
伊勢さんがつぶやいていました。映画製作と上映会で自分の作品以外ほとんど見る時間が取れない伊勢さんの、映画への
熱い思いが伝わってきました。

9月8日(日)「豊田道倫と友部正人」

代官山の「晴れたら空に豆まいて」でぼくと豊田道倫の二人のライブがありました。
先月の神戸ボ・タンバリンカフェに続いて2回目。CDでは豊田くんのダークな歌が好きだけど、ライブだとそこに
本人がいて、ダークさよりも率直で素直な感じが目立つ。生身にはかっこつけが似合いません。そういう生なところが
いいなと思いました。
ぼくは3KINGS時代の「スカーフ」を一人で歌いました。鮎川くんが亡くなる4か月ほど前に「晴れ豆」でやったのが
3KINGSの最後のライブだったので。年内に出る予定のぼくのニューアルバムからも何曲か歌いました。
そして神戸のときと同じで、アンコールは二人でダニエル・ジョンストンのカヴァー曲「歌う人」を歌って終了。

ライブ後に食べるからとユミが「晴れ豆」のカレーを予約してたのですが、終電の時間が迫っていたので持ち帰ることに。

家に帰ってから食べたカレーはまだ少し暖かくて、玄米ご飯でおいしかった。

9月7日(土)「リクオとピアノ弾きたち」

高円寺JIROKICHIでリクオの還暦を記念したライブがあり、見に行きました。今夜のゲストはDr.kyOn、
チャールズ清水、伊東ミキオの3人のピアノ弾きたちで、リクオも含めて4人全員がピアノを弾きながら歌うという
めちゃくちゃ楽しいライブでした。それぞれソロの歌とピアノがストレートコーヒーだとしたら、4人のセッションは
いいとこ取りのブレンドコーヒー。音色が強烈でした。ソロの部分ではそれぞれのニューオーリンズスタイルの
歌とピアノの違いを楽しめました。
ユミもぼくも大満足のライブでしたが、たぶんリクオ本人が一番楽しんで満足したのでは。

9月1日(日)「金井雄二さん」

金井雄二さんの詩集が発売になった。
思潮社の現代詩文庫254、ぼくは詩集の裏表紙に推薦文を書いています。
8月17日の鎌倉molnのライブでは、この詩集に入る予定の「ベレー帽をかぶったおばあさん」という詩を
みんなの前で朗読しました。金井さんはいつもぼくのライブに来てくれるので、本人の前で朗読するのは
少し恥ずかしかった。それに長い詩なので早口になってしまって、ちゃんとお客さんに伝わったのか気に
なっていました。
後日金井さんから手紙をいただいて、朗読の声が良かったと書いてあり、ほっとしました。
みなさんも自分の声で金井さんの詩を朗読してみてください。

9月3日(火)「リクオ60歳ライブのリハーサル」

京都磔磔でのリクオ還暦記念ライブのリハーサルをしました。9月18日はぼくとソウルフラワーの中川敬くんがゲスト。
リクオのホーボーハウスバンドと一緒にやるのは2年前のサムズアップ以来です。それがつい昨日のことのように
思えるのはミュージシャンの特性かもしれない。どんな特性かはわからないけど。
久しぶりのリクオはとても身ぎれいでさっぱりとした感じ。どんどん成長していくリクオを感じました。9月18日の磔磔が楽しみです。

8月31日(土)「大好き」「島袋道浩さんとオノセイゲンさん」

伊勢真一監督の奈緒ちゃんシリーズの5作目「大好き」の上映を横浜のジャック&ベティで見て、
上映の後に伊勢監督と短いトークをしました。ジャック&ベティでの伊勢監督の新作上映ではたいてい
ぼくはトークゲストとして呼ばれます。伊勢監督の話し相手になれればと思って。
障害を持って生まれた奈緒ちゃんも50歳を過ぎて、今回の「大好き」はこれまでの4作品から数々の場面を
振り返りながらの集大成のような作品で、まだ小学生だった奈緒ちゃんからずっと映画で見てきたぼくたちを
西村家の一員のような気持にさせる映画です。
監督の伊勢さんは奈緒ちゃんのお母さんの信子さんの弟で、奈緒ちゃんが生まれて大きくなっていく姿を
撮影してプレゼントしようと思ったのが映画のきっかけだそうです。
たまたま今日は奈緒ちゃんの弟の記一さんも来ていて、奈緒ちゃんと一緒に成長していく自分の姿を見ていました。
映画の上映時間は短くても奈緒ちゃんの毎日はずっと続いていきます。

伊勢さんとのトークの後は、みなとみらい線新高島駅のBankART Stationのイベントにユミと行きました。

「音楽が聞こえてきた」という個展を開催中の島袋道浩さんと音響エンジニアのオノセイゲンさんが
いろんな音楽を聞きながら話すというので興味がありました。
オノセイゲンさんも島袋さんも坂本龍一と仲が良かったので、彼がまだ大学院生の頃にぼくのレコーディングで
ピアノを弾いてくれた「あいてるドアから失礼しますよ」もかけてくれました。今聞いてもすばらしいピアノでした。
イベントの後はワインを飲みながら、先日までKAIKOで展覧会をしていたヤマモトコウジロウくんの歌を聞いたり、
2年前に亡くなったBankART主宰の池田さんの愛用のギターでぼくが歌ったり。
終電が行ってしまったあとの駅のギャラリーに歌声だけが響いていました。

8月25日(日)「広島 オーティス」

ユミは神戸から横浜に戻りぼくは新幹線で広島に。日差しは強いけどさわやかで、これが広島の夏なのかな。
駅も市電も外国からの観光客が目立ちます。それと赤いユニフォームの広島カープスファンの女性たち。
車内の椅子の向きは前や横などいろいろで、物珍しいのでリハーサルの後にもう一度乗りに行きました。
5年ぶりのオーティスは満員のお客さんがじっくりと歌を聞いてくれて盛大に拍手してくれる素敵なライブでした。

8月24日(土)「神戸 ボ・タンバリンカフェ」

去年のボ・タンバリンカフェ15周年のぼくのライブで開演前に流れていた豊田道倫さんの歌。
それがきっかけとなり、やることが決まった今日のぼくと豊田くんの二人のライブは
お店の中原夫妻の努力もあってチケットはソールドアウトになりました。
豊田さんの歌を生で聞くのはぼくもユミも初めて。ライブ中にユミは「やっぱりいいね」と言っていました。
ライブで聞く豊田さんの歌はインパクトが強くとてもやさしかった。
それぞれ1時間ずつソロで演奏をして、アンコールでダニエル・ジョンストンの「歌う人」(訳詞:渕上純子)を
二人で交互に歌いました。ぼくと豊田くんにぴったりの歌だと思いながら。

9月8日に代官山「晴れたら空に豆まいて」で、もう一度豊田くんと二人のライブがあります。

たくさんの人が聞きに来てくれたらうれしいです。

8月22日(木)「アルバムジャケットのこと」

デザイナーの坂村健次さんに会いに行きました。ジャケット用にユミが撮影した森の写真やステージ写真、
マスタリング済の音源などを持って、おもにユミと坂村さんとの打ち合わせの日です。
坂村さんは「あの橋を渡る」でアルバムジャケットをデザインしてくれた人。今回も快く仕事を引き受けて
くれました。どんな風に森の写真が使われるのかとても楽しみです。
坂村さんの仕事場のある千駄木あたりはとてもいい感じで、もし東京で暮らすならこの辺りがいいな、
などとユミと二人で話しながら帰りました。

8月20日(火)「デ・キリコ展」

久しぶりに上野に行って都美術館の「デ・キリコ展」を見ました。
今日から最終日まではチケットに時間指定があってぼくは午後3時からでした。
谷間の家具や燃え尽きた太陽などおもしろい絵がたくさんあって、谷間の家具はぼくの歌「アスファルトの
駐車場」を思い出した。
今ならたぶんこの人は絵ではなく立体で表現したのでは、と思ったりしました。室内に屋外を持ってきたりする
発想は言葉的でもあります。
久しぶりに展覧会で絵を見ての帰り道、上野公園の様子や街の様子が新鮮でした。

8月17日(土)「鎌倉 moln」

molnでは毎年夏にライブをするので、鎌倉の夏の暑さは記憶に染みついていますが、台風翌日の鎌倉の
暑さは手に負えないくらいでした。molnの楽屋にある冷蔵庫のビールが、お客さんからの注文で
どんどんなくなっていきます。
今日はお客さんとしてジャック&ベティの梶原さんと元スターパインズカフェの竜くんが来てくれて、
すぐ近くでライブがあるという三宅伸治くんも前半にちょっと寄ってくれて歌を聞いてくれました。
molnでは毎回お気に入りの本を紹介することになっていて、今日は金井雄二さんの詩集「にぎる」と
茨木のり子さんの「言の葉」を読みました。
終演後はmolnの五十嵐くん、綾さんと、梶原くんや竜くん、ぼくとユミでワインを飲みながら
おしゃべり。遅くなってしまい、三宅くんがライブをしているジャズバーには寄らずに帰りました。

8月16日(金)「440」

先月の豊橋から3週間ぶりのライブなのに、大型台風ということで中止になるかもと前日まで思っていたけど
雨も風もたいしたことはなさそうだったので、ユミと下北沢の440へ。
今日は三宅伸治と有山じゅんじとぼくの3人のライブです。
前半は二人ずつのセッションで、ぼくは三宅くんとは「雨の降る日には」「りんご畑は永遠なのさ」の2曲、
有山くんとは「いつかあの娘が戻って来たら」「涙」の2曲。三宅くんと有山くんが2曲という構成でした。
後半は3人で。「あこがれの北新地」はぼくは今まで歌ったことがなかったのに歌詞をちゃんと覚えていました。
有山くんと上田正樹の「ぼちぼちいこか」はそれほどよく聞いたアルバムだったということです。
夜になって雨脚が強くなり、ステージからは傘を傾けて通りを行き交う人たちがよく見えて、自分たちの
演奏する歌に合わせた映画のようでした。
久しぶりの下北沢、金子マリさんやUKプロジェクトの淳も見に来てくれたので、ちょっとラ・カーニャに
寄り道してから帰りました。

8月12日(月)「マスタリング」

6月にライブ録音した新曲11曲のマスタリングをピースミュージックの中村宗一郎さんにお願いしたので、
ぼくとユミとおおはたくんの3人で中村さんのスタジオに行き、マスタリングに立ち会わせてもらいました。
(中村さんにお願いするのは4枚目になるのに、スタジオまでの道順をぼくとユミは全く覚えてなかった。)
50年も音楽をやっていながら、ぼくはいまだにマスタリングが何かをわかっていません。
今回立ち会ってみてわかったのは、人に届けるための音楽として聴きやすさがアップしたことです。
自分用の宝物が贈り物に生まれ変わった感じ。おおはたくんもミックスで気になっていたところが
マスタリングで解消してうれしそうでした。
帰り道、中村さんに教えてもらった柴崎駅前のジャズ喫茶で3人で静かな打ち上げをしました。
ユミのアイデアと行動力、そしておおはたくんの音楽性のおかげで今回もいいアルバムになりそうです。

8月9日(金)「句会」

昨夜は家に帰ったら午前1時を回っていましたが、ぼくもユミもちゃんと俳句は提出しました。
ぼくは今回仙台で見たりしたことが題材です。ユミのはもう少しフィクションが混じっています。
さて明日は横浜に帰ります。

8月8日(木)「新居訪問」

みんなのスケジュールを調整して、ホルン&yumboの澁谷さんと夏海さんの新居にやっと行けることに。
火星の庭の前野さんが車でぼくとユミを迎えに来てくれました。車だと街の中心から10分ぐらいでも
歩けば5キロ近くあります。
なだらかな丘の上の住宅街にある平屋建ての古い一軒家、玄関の前は一坪ぐらいの菜園になっていました。
LPレコード専用の板の間の部屋、台所と畳のリビング、DVDなどのある部屋、電気ピアノのある音楽室、
夏海さんの人形制作部屋と、部屋ごとに用途と個性があってゆったりとしています。
かすかな音量でかかっている音楽を耳にしながら、持ち寄りの食べ物で5人で晩御飯。
食事の後はミックスダウンしたばかりの今度のぼくのアルバムの音源をみんなに聞いてもらいました。
ユミとぼくだけで聞くのと違い、どんな風に聞こえているのかすごく参考になりました。
いつのまにか時刻は夜中をまわっていて、人通りのない通りをみんなで駐車場まで。
丘の上に登るとうんと時間が戻るのかなというぐらい、昔に来たことのあるような町と澁谷さんたちの
新居でした。

8月7日(水)「佐藤ヒロユキさん、間瀬くん」

今回のレコーディングで大変お世話になったエンジニアの佐藤ヒロユキさんとホルンで会って、ユミとぼくと
3人でカレーを食べてお疲れ様会をしました。ホルンの南インド風カレーはホルンの音色のようにぼんやりしていて
おいしいです。
その後はユミと二人で五橋の間瀬くんの新しい店に行きました。間瀬くんは駅前のEDENというフードコートで
アジアントライブというお店をやっていて、何度もぼくのライブをやってくれてましたが、今年1月でEDEN自体が
立ち退きになり、この8月に地下鉄の五橋駅のそばで新しいお店を始めることになりました。
お店はほぼ完成していて数日後のプレオープニングを待つばかり。ぼくとユミはオープニングには行けないので、
「おめでとう」を言いに立ち寄りました。
古いビルを自分たちで改装した新しいお店のこれからがとても楽しみです。

8月6日(火)「菊池聡太朗個展」

ターンアラウンドというギャラリーに、菊池聡太朗さんの個展を見に行きました。菊池くんのことは前にも
この日記に書いたことがありますが、本来は建築家なのに最近は絵に没頭している感じの人です。
彼の絵は主に藪や荒れ地など整備されないままの自然を描いたものが多く、そこへのこだわりのようなものに
ぼくは興味を惹かれます。
ユミは初めてメディアテークで見た時から菊池くんの絵のファンで、今回絵を購入しようと考えて来たようです。
ギャラリーで3人で話していたらパン屋のマルモくんがやって来て、4人で絵の題材になった広瀬川のほとりに
散歩に行きました。川の対岸では気球が上がっていて、別世界のような感じ。
ぼくは絵を見に来たのに現実の世界で別世界に出会えてなんて幸運なんだろうと思いました。それもこれも
菊池くんの絵のおかげかも。(ユミはもちろん一枚買ってました。)

8月5日(月)「仙台七夕花火大会」

4日からユミと仙台に来ています。今回は東北三大祭りの一つの仙台市の七夕祭りと花火大会を見たかったから。
5日の今日は広瀬川近くで花火大会があって、それを火星の庭の前野さん一家の暮らすビルの屋上から
見せてもらいました。広瀬川のほとりの9階建てのビルの屋上は空に近くて花火を遠くに見下ろす感じ。
前野さん、ユミと3人でワインを飲みながらののんびりとした花火鑑賞でした。

8月2日(金)「BankART Under 35」

35歳以下の新しいアーティストを紹介するというBankART 1929企画の第二期は阪中隆文、ヤマモトコウジロウで、
横浜みなとみらいのBankART Kaikoでそのオープニングパーティがありました。
阪中さんは会期中ギャラリー内では床に足をつけないで暮らすというアーティストで、会場に張り巡らしたロープ
を使い、移動にはかなりの時間をかけ、トイレや睡眠もすべて空中でというパフォーマーです。オリンピック
競技のようなアート。ヤマモトコウジロウさんは自分の頭髪にボール状のセメントを3つ固まらせて、そのセメントに
鎖をつけて不自由に動く人。頭髪のセメントは髪を切るかセメントの球を割らない限り取れないそうで、いっそ
何十年もそのままにしてどうなるか見たいと思いました。二人とも不自由に挑戦しています。
この二人のパフォーマンスは刺激的で、完成することのないアートの姿を示しているように思いました。

7月28日(日)「豊橋市 ハウスオブクレージー」

豊橋近隣の蒲郡で花火大会があるらしく、豊橋駅はこれから出かける若い人たちでごった返していました。
ぼくとユミは駅へとやって来る人ごみとは逆の方向へ歩きます。
ハウスオブクレージーのあるアーケード街はいつも通り閑散としていました。それにしても暑く、気温は37°C。
去年豊橋に来たとき初めて水上ビルと呼ばれる建物に出会いました。水路を埋めるように建てられた長い建物。
建物に沿って歩いた記憶を「水上アパート」という歌にしました。今日はそれを豊橋で歌うのが最大の楽しみ。
歌の中では3階建てと言っているけど、実際は5階建てなのだそうで、水上アパートではなく水上ビルという
名前なのも今日知りました。
ライブの後は水上ビルの一番端の「グロッタ」というお店へ。壁一面の古いLPレコードを見ながら
の打ち上げでした。

7月27日(土)「大阪市 ムジカジャポニカ」

ライブ中も言いましたが、毎年7月最後の土曜日のムジカジャポニカはぼくにとって大みそかのような感覚です。
夏で一年が切り替わる感じなのでしょうか。
今日のライブは開演前から満員の客席はにぎやかで、「なんだか磔磔のポテトサラダのときみたいだね」と

楽屋でユミも言っていました。磔磔のときはポテトサラダへの期待感からかお客さんが開演前からざわざわと
とても盛り上がっていました。今日はポテトサラダも作らないのに、と楽屋でそんな話をしていたのです。
一部はいつものように静かなコンサートでしたが、二部になると知っている歌をお客さんが声を出して
歌ってくれるのです。ぼくのライブではあまりないことなので、今日に限ってなぜ、と不思議でした。
別に悪い気はしませんでしたが。中高年の男性のお客さんが多かったからかなあ。
終演後に食べたカレーやピザのおいしかったこと。ムジカのライブの後はカレーです。

7月19日(金)「川島雄三」

芳垣安洋さんが貸してくれた川島雄三のDVD4作品を今日やっと全部見ることができました。
どの作品も破壊力のある喜劇で笑いのテンポも速く、目まぐるしい群像劇が多かった。
ぼくは「州崎パラダイス赤信号」の最後が「卒業」みたいでいいな、と思い、
ユミは今日見た「とんかつ一代」がアメリカの古いコメディのようで良かったそうです。
映画館で川島雄三特集をやってくれたらいいのにな、と思いました。

7月16日(火)「先日の録音を聞く」

エンジニアの佐藤ヒロユキさんとぼくとユミとで、先日のスターパインズカフェでの
ライブ録音のミックスを仙台のスタジオで聞きました。
ヘッドフォンや家のオーディオではなく、スタジオで大きな音で聞いてみたかったから。
聞きながら意見交換をして、思いついたところをちょっと手直ししてもらうためです。
3時間半のミーティングの後、ぼくたちのアパートで「ポテトサラダを食べに来ませんか」の歌の
通りにぼくのポテトサラダを佐藤さんに食べてもらいました。ほかにもいろんなご馳走をユミが
作ったので、三人でお疲れさまの乾杯をしました。
ずっと涼しかった仙台から、明日は横浜に帰ります。

7月14日(日)「森に会いに」

仙台には木のたくさんある森のような公園がいくつかあります。
今日はユミとそんな森のある公園に写真撮影に行ってきました。
ユミにはもう30年ぐらい写真を撮ってもらっていますが、ぼくは表情に変化が乏しいので
撮りにくいそうです。
木の多い場所にぼくは前から憧れています。近づきたくても近づけない何かが
潜んでいるからだと思います。そんな何かとの対話のような写真が撮れたでしょうか。

7月13日(土)「早川ユミさん」

古い友達の早川ユミさんの個展を見に、電車で石巻のカンケイマルラボに行きました。
久しぶりの石巻、遠出はやはり楽しい。
ユミが今回の作品を見ている間、ぼくはユミちゃんと陶芸家の小野哲平くんの暮らす高知県南国市の
ビデオを見ていました。ぼくとユミもずいぶん前に一度だけ二人の家に遊びに行ったことがあります。
ユミちゃんは着るものを作る人ですが、高知の暮らしでは畑をやったり水田をやったり蜂蜜を取ったり
シイタケを栽培したり、とものすごい活躍ぶりで、その上同居する10人のお弟子さんたちの食事まで
作っていて、とにかく大変な仕事量です。
ワークショップを終えたユミちゃんとぼくとユミでしばらく雑談をして、次回の個展ではぼくと
何か一緒にできたらいいね、という話になりました。詩と服のコラボレーション? 

7月12日(金)「坂口恭平個展」「句会」

Frameという喫茶店の奥のギャラリーで坂口恭平さんのアクリル画の個展をやっていて、
火星の庭での句会の前にユミと見に行きました。坂口さんとは昔ニューヨークで会ったことが
あるけど絵を見るのは初めて。海水や道路、家並みや空の絵がやさしく写生されていて
素敵でした。

7月10日(水)「仙台」

横浜から新幹線で仙台に。涼しさの扉をどこかでくぐったみたいで、エアコン不要な空気感です。
句会やニューアルバムの制作作業などで1週間ぐらい滞在の予定です。
火星の庭の中古レコードとCDコーナーには少しだけ補充しました。
先月亡くなったフランソワーズ・アルディのLPが2枚あります。

7月7日(日)「カップジュビー」

伊勢神宮の内宮そばのコーヒーショップ「カップジュビー」の25周年を祝うライブがありました。
出演は店の店長でもある外村伸二バンド、アズミ、ハグ林、友部正人。
ぼくは店のオープニングの時も呼ばれてライブをしましたが、25年たっても店にも外村夫妻にも
大きな変化はなし。店の新しさと外村夫妻の初々しさが貫録に変わった感じです。
棚や床に並べられた大量のLPレコードが眩しい。
ライブは一組40分から1時間ずつで全体としては長かったけど、満員のお客さんは最後まで集中して
聞いてくれました。最前列で両親と共に聞いてくれた小学生ぐらいの男の子も「お腹がすいた」と
言いながらも楽しんでくれたみたいです。

終演後にユミとの電話で、七夕だけど天の川が見えるか、と言われて見上げて見ると満天の星。

うっすらと天の川さえわかりました。伊勢神宮の森と五十鈴川のある商店街は午後5時になると
たいていの店は閉店して明かりを消してしまい、日中に行き来していた観光客もいなくなるので
夜の暗さが守られているからでしょう。
そういえば五十鈴川では昼間地元の人たちが水着で泳いでいました。
川遊びが今でもできて天の川が見える伊勢はとてもすてきだと思いました。

7月5日(金)「島袋道浩 音楽が聞こえてきた」

横浜のBankArt Stationで4日から始まっている島袋道浩さんの個展をユミと見に行きました。
今日は島袋さんと30年以上のつきあいがあるという野村誠さんの音楽パフォーマンスもあるので
楽しみにしていました。(野村さんとは以前ハンマーヘッドでぼくと二人のライブをやったことがあります)
会場でまず島袋さんに紹介されたぼくは、彼のことを知らなかったこともあってちょっと戸惑いましたが、
野村さんのパフォーマンスが始まるまでの1時間で島袋さんの今回の作品を見たのでようやく今日の
オープニングパーティに間に合った感じのぼくでした。
島袋さんの手ぶらなたたずまいはBankARTを立ち上げた故池田さんの立ち姿になんとなく似ていて、
池田さんのように歓迎できるものならなんでもウェルカムで、境界線を作らない人なんだなと思いました。
雨漏りを音楽ととらえたり、タコつぼを自作してタコを捕ってみたり、昔海の底だったというアルプスの
山々の空に凧の魚を泳がせてみたり。
その思い付きは詩や歌と同じだけど、それを本やCDの中に閉じ込めてはしまわない自由さに共感しました。

野村誠さんのパフォーマンスはピアノを使わずにピアニカと自分の声と床をたたく缶の音だけで

作られる音楽。全部即興で肉体がなければできない行為。声のときはヒカシューの巻上さんも乱入
していました。
世界にはいろんな行為をするいろんな人がいます。島袋さんみたいな人が人と人の出会いを広げて
行くのだと思いました。

7月2日(火)「間瀬くん」「OKAは手ぶらでやってくる」

今年の1月でアジアントライブを閉店した間瀬くんの新しいお店をユミと見に行きました。
五橋に場所を確保して、内装が始まったばかりの建物で職人たちが壁を塗っていました。
元表具屋をライブもできるカフェに改造しようとしています。
アジアントライブで使っていた調理場の器具や什器などをスタッフと中に運び込んでいました。
仙台ではライブで何年もお世話になった間瀬くんなので、新しいお店のことが気になって
いたのですが、早ければ8月末には始動させられるそうなのでとても楽しみです。

夜は牧田敬祐さんが監督をした記録映画「OKAは手ぶらでやってくる」を自宅のプロジェクターで見ました。

カンボジアで20年間ボランティア活動をしてきて2022年に亡くなった栗本英世さんの記録映画です。
この中でぼくの「はじめぼくはひとりだった」「おしゃべりなカラス」「ぼくは君を探しに来たんだ」
が使われています。内容に沿って丁寧に歌が使われていてうれしかった。
栗本さんはキリスト教徒であるけど布教のためにカンボジアに出かけたのではありませんでした。
一人の人間として手ぶらでカンボジアの人々に溶け込もうとしたのでした。
ポルポト以降のカンボジアで、まず地雷を撤去し、空き地で学校作りから始めた栗本さんは、子供たちの
成長を楽しみにボランティア活動に邁進していました。病に倒れはしましたが、栗本さんが植えた種は確実に
芽を出し育ってゆきます。たった一人で始めたことの成果をこの映画で共有できることの喜びを強く感じました。

7月1日(月)「仙台」

まっすぐ横浜に戻らずに新幹線で仙台のアパートに寄り道をしました。
仙台は気温が高くても乾燥しているのか、エアコンをつけなくてもまだ大丈夫でした。
関東はかなり暑かったようですが。

6月30日(日)「函館マラソン」

昨夜から函館入りしています。今日は初めての函館マラソン。
坂が多くて走りにくいと評判のレースですが、初めてなので想像がつきません。
でも函館山に登るわけではないし、と気楽に考えていました。

毎年北海道マラソンを応援してくれるまちこさんと絵理ちゃんも札幌からかけつけてくれて

ユミと合流。今回も3人で応援してくれます。

スタート直前にシンガーソングライターの雨宮くんから声をかけられました。

そういえば秩父のライブで「ぼくも函館を走ります」と聞いていたのでした。
25キロあたりまではずっと雨宮くんと同じペースで走っていましたが、

谷地頭の折り返しで雨宮くんが遅れたのでぼくはそのまま先を急ぐことにしました。
応援の3人と出会ってメロンに塩をふったのをがぶがぶ食べて、アミノバイタルのゼリーも
ごくごく。かなりお腹がすいていました。

最大の難所といわれているのは函館駅裏のともえ大橋の帰路。ニューヨークシティマラソンのクイーンズボロー

ブリッジに比べたらたいしたことはなく、すでに40キロにさしかかっていたのであとはファンラン、とばかり
気楽に走って4時間19分25秒でフィニッシュしました。

緑の島の真ん前にある「港の庵」でジンギスカンの打ち上げ。函館でいつもぼくがライブをしている

場所です。ライブの主催者太田さんが手配してくれて料理は中西さん。ワインもおいしかった。
完走後に温泉に入っていた雨宮くんも合流してめでたしめでたしの乾杯をしました。

6月23日(日)「レコーディングライブの二日目」

二日目の今日は一日目の演奏を意識してしまって前半は少し硬かったかもしれません。
でも後半にはそんな硬さもとれて普段のようなライブになりました。おおはたくんは今日は
バンジョーのような音色のドブロギターを持ってやってきました。
ライブがおわった後のぼくたちの気持ちは、長いツアーが終わったときのようです。
もう少し長くツアーを続けたいという気持ちと、これで終わってしまうのかという寂しさと。
準備に一か月ぐらいかけたのだからこの気持ちは当然ですね。みなさん、お疲れさまでした。

アンコールではステージの上と客席とで一体になって集合写真を撮りました。

このレコーディングにはたくさんのお客さんも参加してくれたという記念です。
おかげで普段のスタジオとは一味違う録音ができました。

6月22日(土)「レコーディングライブの一日目」

本番の前に演奏する曲をすべておさらいしました。
ライブのエンジニアはスターパインズの井上さん、レコーディングエンジニアは佐藤ヒロユキさん。
仙台在住の佐藤さんは19日から東京に来てくれて、リハにも立ち会ってくれています。
急遽ビデオ撮りで木村さんが来てくれました。ユミは今回のイベント全体のプロデューサーで
記録用のカメラマンでもあります。ステージの上にはたくさんの楽器があってぼくはうれしい気持ち。

新曲をライブレコーディングするということはあまりやったことがありません。

「なんでもない日には」のときはレコーディングスタジオ内にお客さんを入れての録音でした。
今回はライブでもあり新曲のレコーディングでもあるので自分でもどうなるのかわからない感じ。
とりあえず今日はレコーディングを第一にライブを進めることにしましたが、新曲だけでは時間が
余るので、過去の曲も7曲やりました。

前半の8曲が終わって休憩に入り、それほど大きなミスもなかったのでみんなほっとしているところへ、

差し入れ担当の北島くんが楽屋に来て「おもしろいよ」と言ってくれました。
ぼくも自分ではなかなかおもしろいな、と思っていました。
そのまま後半も軽やかに進み、お客さんもリラックスしていたようです。
おかげでとても楽しいレコーディングライブになりました。

6月20日(木)「リハーサル」

ライブレコーディングのメンバーと横浜のスタジオで、3回目のリハーサル。
終わった後は伊勢佐木町の中華料理屋へ。この楽しい流れが定着しつつありますが、
ああ、だけど今日でリハーサルはおしまいなのです。

6月17日 「マヒトくん」

14日の日記のところで、

「それから昨日連絡があって、6月22日のスターパインズカフェにマヒトくんが来てくれることに
なりました。たった一曲の録音のために。」

こんなことを書きましたが、そのあと状況が変わり、22日にマヒトくんは参加できなくなりました。

残念ですが、二人の共作のレコーディングはまた別の機会になりました。
もしかしたら楽しみにしていた人もいたかもしれないけど、それはまたいつか。

6月12日(水)「火星中古レコード」

火星の庭でぼくの中古レコードとCDを売ってもらっています。
今回はCD6枚(2枚組も)レコードを10枚持ってきました。
前回持ってきたBobby Rushの1stがまだ売れ残っています。もったいないなあ、いいのに。
Erykah Baduのシングルも。

それから昨日連絡があって、6月22日のスターパインズカフェにマヒトくんが来てくれることに

なりました。たった一曲の録音のために。

6月11日(火)「銀杏BOYZ」

銀杏BOYZのワールドツアー前半は日本都道府県50か所だそうです。仙台はその45か所目。
峯田くんは平日にツアーをして週末は東京に戻るという暮らしが続いていると言っていました。
ぼくが峯田くんと一緒にやるのは8年ぶりです。
峯田くんのソロの前にぼくは40分歌いました。スタンディングとはいえRENSAにあんなにたくさんの
人が入るとは(700~800人)。みんなの顔がよく見えてステージで歌っていても一人じゃない感じ。
前半弾き語りの峯田くん、後半はギターとドラムの3人編成で、知っている曲もたくさん聞けました。
彼の普通の感性から生まれた歌はスケールが大きくて親しみやすい。
これからもこねくり回さない歌でたくさんの人を感動させてくださいね。

6月10日(月)「リハーサル」「訃報」

22日23日のスターパインズカフェライブのためのリハーサルをしました。
もうすっかりどの曲も出来上がりつつあります。早くライブがしたいよ。
その後いったん家に戻ってから荷物を持って、ユミと夜の新幹線で仙台に向かいました。
11日の銀杏BOYZのライブのために。

朝早くに、春一番主催者の福岡風太永眠の連絡がありました。

5月5日の春一番最終日に30分だけ病院からステージに顔を見せた福岡風太。
あれから一か月の最後の日々はどんなだったんでしょう。
風太が亡くなったと聞いてからずっとぼくの頭に林亭の「最終列車」が流れています。
「ねえ、だんな、おたずねします。天国に連れてってくれる最終列車は今どこいらを走っている
のでしょう」
13日14日のお別れの会には参加できませんが、離れたところから風太の冥福を祈っています。

6月4日(火)「リハーサル」

スターパインズカフェでの二日間のレコーディングライブのリハーサルをしました。
新曲をライブレコーディングするのは2回目、1980年の「なんでもない日には」以来です。
「なんでもない日には」のときはレコーディングスタジオにお客さんを入れてのレコーディングで
お客さんもかなり緊張していたようでしたが、今回は場所がスターパインズカフェということもあって
もっとリラックスした感じにしたいと思っています。ライブということを大事にしながら
録音するつもりです。

 
今日はメンバー全員が横浜のスタジオに集合して初のリハーサルでした。
6時間で10曲のリハーサルをしました。通常のレコーディングではリハーサルから録音まで作業が
切れ目なく続くのですが、今回はライブというワンクッションがあるので、そこに照準を合わせなくては
なりません。とはいうものの、ぼくの普段のレコーディングは、一曲ずつメンバー全員でせーので演奏して
終わり、というやり方で録音しているので、そこにお客さんがいるかいないかだけの違いなのですが。
ということで、レコーディングの見学に来るのではなく、ライブを楽しみに来てくれたらうれしいです。

6月2日(日)「博多ベイサイドミュージックジャンボリー 2日目」

1日目はロック系の人たちが主に出て、今日はフォーク系だそうで、バンバンバザールの福島くんの呼びかけで
集まった人たち。みんなぼくの知っている人たちです。
ポカスカジャン、知久寿焼、前野健太、バンバンバザールと続き、極めつけは六角精児バンド。
他の人たちの歌が空中にあるとしたらこの人の歌は畳の上です。しっかりと床におしりがある感じ。
そして最後はぼくが歌いました。初めにベースの黒川くんと「りんご畑は永遠なのさ」をやって、ソロで「夕日は昇る」
「ブルース」「一本道」をやり、知久くんとバンバンバザールが参加して「6月の雨の夜、チルチルミチルは」を。
山口洋くんも加わって「ぼくは君を探しに来たんだ」、アンコールはやはり全員で「夜よ、明けるな」でした。
お客さんも出演者と同じくらい、出演者もお客さんと同じくらいたっぷりと楽しんだ素敵なフリーコンサートでした。

6月1日(土)「博多ベイサイドミュージックジャンボリー 1日目」

二日間の音楽イベント、ぼくとユミは初日から福岡にやって来ました。
会場のペイサイドプレイスに到着したのは午後4時。残念ながら藤井一彦のステージは終わっていたけれど、
小山田壮平、Toshi-Low、山口洋は見ることができました。
無料のコンサートと聞いて音楽にあまり興味のない人も大勢来るのかと思っていたらまったくの勘違いで、
とても熱心なファンばかり。途中で帰るどころかどんどん人も増えて周囲の建物のテラスから見ている
人もたくさんいました。
打ち上げでは大江慎也さんと初めてお話。それを見たほかのミュージシャンたちがぼくたち二人の写真を
撮っていました。

5月31日(金)「マーク・リーボー」

マーク・リーボーの2018年のアルバム「Songs of Resistance」を久しぶりに聞いたらものすごくいい。
2018年といえばトランプ政権真っ只中、トランプに苦しめられている人たちと一緒に戦おうと
呼びかけています。

5月29日(水)「トリエンナーレ」

横浜トリエンナーレの横浜美術館以外の会場の展示を見に行きました。今年のトリエンナーレは
手作りっぽくておもしろい。パンフレットがないので後で思い出せないのですが、これは何度でも
会場に足を運んで、ということなのかしら。

5月26日(日)「名古屋 得三」

得三の森田さんからのお誘いで、去年の10月にやった森田さんたちのバンド「バレーボールズ」との
ライブの再演です。今回は一緒にできる曲も増えて、後半の二部は全曲ぼくとバレーボールズの
セッションでした。
きっかけはバレーボールズがぼくの「夕日は昇る」をレパートリーにしてくれていたことを知って、
一緒にライブをしてみたらおもしろいんじゃないか、というユミの提案で実現しました。
バレーボールズのメンバーはみんなナチュラルに音楽を楽しんでいて、ぼくも原点に戻ったみたいに
歌うことを楽しみました。

5月24日(金)「コンパートメント No.6」「広田隆子展」

今日はまず広田隆子さんの個展に行きました。隆子さんの作品は水彩画。
毎年必ず1回は横浜で個展を開きます。今回は夫の画家広田稔さんと一緒に2月にフランスに
行ったときの絵が全体の半分ぐらいで、ユミはその中のプロバンスの車窓からの絵を買いました。

その後はジャック&ベティにフィンランド映画「コンパートメント No.6」を見に行きました。

2月の映画会のとき澁谷さんにこの映画を見せてもらったのですが、横浜の映画館でやると知って
また見たくなりました。
見知らぬ人とのコンパートメントはぼくもヨーロッパで体験したことがあります。いい人に当たると
いいけど、この映画みたいにあまり好みじゃない人に当たると大変だろうな、と思いました。
でも大変だったのは最初だけで次第に相手のことが気になっていく。時間をかけた旅の中での出会いは
映画としてもとてもおもしろい。
澁谷さんたちと仙台で見てからずっとぼくもユミもこの映画が好きです。

5月21日(火)「悪は存在しない」

横浜のジャック&ベティに「悪は存在しない」をユミと見に行きました。
森の中の木と木の間にストーリーをしみ込ませた緊張感が漂う映画でした。
水のあるところに人は集まる、水のあるところに企業もやって来る。水のあるところに物語が生まれる。
結末は悲劇だけどそれを答えだとは言っていない、そんな美しさのある映画でした。

5月19日(日)「秩父ホンキートンク」

昨夜の疲れが残ったままユミと電車で西武秩父へ。皆野町にある老舗のライブハウス「ホンキートンク」で
毎年恒例のライブです。
このところ毎回オープニングアクトで歌ってくれる斉藤航くんは、3曲しかない持ち時間にいつも1曲は
ぼくの歌を歌ってくれます。今日は「待ちあわせ」でした。
もう一人のオープニングアクト雨宮弘哲くんは、あめあめというバンド名でアルバムを出した時ぼくは
コメントを書いたことがあります。あれから20年もの時がたって改めて現在形の雨宮くんが聞けました。
なんだかんだと腐れ縁のようなホンキートンクとの付き合いは鈴木さんが元気なうちはまだまだ続くでしょう。

5月18日(土)「ドッキリヤミ市場」

横浜の白楽にある六角橋商店街で開かれる「ドッキリヤミ市場」に出演しました。
1997年から年に4回ずつ開かれていたそうですが、ぼくはこのお祭りに初めてやって来ました。
今日ぼくが出演することになったのは大道芸人のギリヤーク尼ヶ崎さんの特別ゲストという形で、
ギリヤークさんのことを歌った「大道芸人」をぜひ歌いに来てください、と主催者に誘われました。
会場は建物に囲まれたマーケット裏の駐車場。ステージもなにもないただのアスファルトの駐車場です。
6時からダンスや沖縄民謡のパフォーマンスが始まると、そんなただの駐車場が青空大劇場のなるのが不思議。
演じるという行為があってたくさんのお客さんが集まると劇場はどんな場所にも誕生するということです。
劇場は本来は幻なのかもしれません。
ぼくの出番は7時からで持ち時間は40分。いつもはアンコールで歌う「ぼくは君を探しに来たんだ」から始めたのは
500人ほどの観衆は最初からすでにアンコールのような状態だったから。「あの声を聞いて振り返る」「水門」
「大道芸人」「朝は詩人」「ブルース」と歌っていったん引っ込むと、主催の石原さんから「まだ10分残っています」
と言われてアンコールで「一本道」を歌いました。歌うことがこんなに面白いことだと久しぶりに感じました。

ギリヤーク尼ヶ崎さんはいたって元気で、パーキンソン病で体が動かないにもかかわらずやる気は満々。

最後はバケツの水を頭からかぶって見事終了でした。
それにしても大勢の人たちの熱気のすごさ、その中にはぼくとユミの友達がたくさんいて、とてもうれしかった。
こんな場所で会いたかったねというような感じ。終演後も別れがたくてみんなで商店街をウロウロしていました。
こんなにも見事に混乱したイベントを100回以上も続けてきて主催者にとても感心しました。
(帰り際にプラスチックバッグにどさっと渡された投げ銭はものすごい量だった。)

5月17日(金)「タダツくんの絵」「横浜トリエンナーレ」

先日の表参道でのタダツタケシさんの個展でユミが買った猫の絵が到着しました。
家の中に入ってくると急に大きく感じるかっこいい黒猫です。絵のタイトルは「黒猫とカミキリムシ」。
さっそく廊下に絵を掛けて、二人で何度も眺めています。
タダツくんの絵は現在インスタグラムでも見られますが、ぼくはSNSはやらないので実物を楽しんでいます。

午後はユミと横浜美術館の横浜トリエンナーレを見に行きました。

入り口から出口にかけて外側の壁に写真家の志賀理江子さんの作品があったり、トマス・ラファという作家による
ネオナチのデモなどのビデオ作品も数か所で見られたりとか、展示方法に工夫のあるトリエンナーレでした。
現代美術の百貨店のようだった今までのような興奮は感じられませんが、今日まで生きて来た人間の醜さと
美しさがどこかで楽しさに代わるぎりぎりの感じがして、考えさせられる作品ばかりでした。

5月14日(火)「試写会」

伊勢朋矢さんの「かいじゅう」と父親の伊勢真一監督の「大好き」の試写会が渋谷の映画美学校試写室であり、
ユミと行きました。「かいじゅう」は西村一成という絵描きの一年間を記録したドキュメンタリー映画です。
西村さんは絵を描き始めるまでは若いときに発症した病気で何度も自殺しかけたそうですが、今は大胆な手法で
毎日絵を描き続けています。
伊勢真一さんの「大好き」は伊勢監督のライフワーク奈緒ちゃんシリーズの5作目で最新作。
生まれた時「長くは生きられない」と病院でいわれた奈緒ちゃんですが、元気に50歳の誕生日を迎えました。
ずっと伊勢さんの映画の中の奈緒ちゃんを見続けて来たぼくにはただそうだけでうれしくて涙が出てきます。

5月11日(土)「日日芸術」

伊勢朋矢さんの「日日芸術」が今日から横浜のシネマジャック&ベティで始まりました。
彼がNHKのEテレなどで何年も制作してきたアウトサイダーアートの、ドキュメンタリー映画初作品です。
上映のあとにトークゲストとして15分ぐらい伊勢くんとおしゃべりしました。
朋矢くんは物静かな人なので普段あまりしゃべらないぼくが会話を主導した感じになりましたが、
上映の後には観客から拍手も起こったりして幸先のいいスタートになったと思いました。

5月8日(水)「パスカルズと横浜サムズアップで」

サムズアップ26周年記念の最終日で、ぼくとパスカルズが大相撲のようにがぶり四つのライブでした。
前半にパスカルズが単体で1時間ほどやり、後半にぼくのソロが少しあってから「あの声を聞いて振り返る」を
バイオリン隊の四人と一緒に、「1月1日午後1時(高橋さん)」をギター、トランペット、チューバという編成でやり、
その後はパスカルズ全員と「6月の雨の夜、チルチルミチルは」「サンテグジュペリはもういない」「愛はぼくの
とっておきの色」、そしてミュージカル「100万回生きたねこ」からマツとぼくの共作の「また繰り返す」を、
最後は飛び跳ねながら演奏して本編が終了。アンコールはみんなで「夕暮れ」でした。
パスカルズの音は雨の夜にもなるし青空や夕暮れにもなって変幻自在。その中で自由に歌わせてくれて、
パスカルズにはいつもとても感謝しています。またやりたいな。

5月5日(日)「春一番最終日」

楽屋でリクオから紹介されたHillandonというバンドを見ました。リクオも一曲参加していましたが歌詞を聞きたいバンド。
ユミがお気に入りのショーウエムラも聞きました。アフターアワーズというバンドを去年休止して今年はマンドリンの
人と二人のステージ。ステージで突然踊りだしたりして、とてもブルースを感じる人たちです。
ハンバートハンバートの紹介を福岡嵐から頼まれてぼくがやりました。そして病院から車いすで運ばれて来た福岡風太が
ステージ袖に登場。ステージ後ろに集まった出演者はみんなうれし涙でした。
「春一番2024」のトリは三宅伸治とspoonful。アンコールでは出演者全員で「何にもなかった日」を。
曲調はしんみりしていても三宅くんらしい明るい歌。
最後の挨拶で嵐くんが「今回の春一番のスペシャルゲストは福岡風太でした」と言っていましたが、風太は4月にぼくが
大阪の病院にお見舞いに行ったときより元気で、本当に会場に来たんだとぼくは改めてうれしい気持ちになりました。

5月4日(土)「春一番二日目」

この日はぼくには出番はなく、客席で演奏を聞いたり楽屋でおにぎりを握ったりしていました。
出演者賄い用のおにぎりです。ぎゅっぎゅっと握るのがなんだか楽しい。いつからかぼくはおにぎり担当です。
こういう楽しみもあって、毎年春一番は3日間参加することにしています。3日間いればたくさんの歌も聞けるしね。

5月3日(金)「春一番2024」

今年も春一番コンサートは大阪の服部緑地公園でひらかれました。
1971年に始まった大阪の野外コンサート、1980年から長い中断があったけど1995年に再開してからは
ずっと続いてきました。最近は主催者の福岡風太が病気だったり、出演者も年を取ったり、亡くなったりですが、今年も春一番は
ちゃんと開かれて、ぼくは初日の夕方におおはた雄一くんと出演しました。
おおはたくんはギターとボーカルで二人分の演奏ができる人。「小鳥谷」という新曲はおおはたくん作曲です。
最後に歌った「水門」は以前おおはたくんが自分のアルバムでカバーしてくれていたので、今日は一番と三番を
歌ってもらいました。
ぼくの前に出演していたアリシバ(松田幸一とシバ)のアンコールに急遽ぼくも参加して三人で「ラブミーテンダー」
をやりました。楽屋で遊びでセッションしているのをユミが聞いてステージでやろうよ、ということになったのです。

4月27日(土)「タダツタケシ」

「ジュークボックスに住む詩人2」の表紙の絵を描いてくれたタダツタケシさんの個展が今日から
表参道のギャラリーで始まり、そのオープニングにユミと行きました。
元々は1970年代に西荻窪のホビット村のジャムハウスにいたタダツくんだけど、ぼくとユミが
仲良くなったのはニューヨークで。彼はすでにニューヨークのアーティストたちの一員でした。
ニューヨークから戻って来て最近はアウトサイダーアートのアーティストたちを手伝ったり
マサチューセッツ州の画廊と契約して新作をどんどん描いているそうです。
オープニングパーティではホビット村の面々が集まり、アットホームで楽しかった。

4月26日(金)「LDK」

南青山マンダラ30周年企画の一つとしてLDKでライブをしました。
今回は新曲も多く失敗も多かったのですが、久しぶりの関東でのLDK、終わった後のお客さんの感想は
とても良かった。
昨日リハーサルの後に前打ち上げをしたので今日はおとなしく帰りました。
ボブ・ディランのバーボンをお店からごちそうになったりして、終電のひとつ前でしたが。

4月25日(木)「リハーサル」

ふちがみとふなとと横浜でLDKのリハーサルをしました。リハーサルの後、スタジオの近くで前打ち上げと
称してふちふな、ユミとぼくの4人で蕎麦屋で乾杯。

4月23日(火)「リハーサル」

パスカルズとリハーサルしました。5月8日の横浜サムズアップのライブが俄然リアルになってきました。
このライブはチケット発売即日Sold Outだったので、聴きに来られない人がたくさんで申し訳ないですが。

4月18日(木)「お花見句会」

仙台の榴ヶ岡公園でお花見句会をしました。仙台の桜はピークを過ぎて榴ヶ岡公園も枝垂桜が
残っているくらい。シートを敷いて桜を楽しむ人たちもまばらでしたが、句会には静かで良かった。
地面に敷いたシートの上はとても落ち着きます。家でも椅子より畳の上がいいのかもしれない。
地面から生えて来る言葉を形にするには。ということで最高に楽しい句会でした。

4月14日(日)「EIGHT JAM」

テレビ朝日のEIGHT JAMを見ました。森山直太朗くんがポルノグラフィの岡野昭仁さんと出演していて、
直太朗くんが影響を受けた人の一人としてぼくのことを話しているからです。
番組の素材をテレビ局から求められ、ユミが担当者と何回もやりとりしていたので番組のことは知っていたけど。
テレビは見ない暮らしなのでたまに見るとどぎつさに圧倒されますが、テーマがボーカリストの唄声についての
だったので、ぼくにもかかわりがあるなと思いながら見ていました。直太朗くんは普段通りに自分を語り、これからも一番いい方法で自分を表現して行こうとしているのが
よくわかりました。
番組を見なかった人ももう一度見たい人もTVerで日曜日まで見られるそうです。

4月12日(金)「仙台へ」

今月も仙台へやって来ました。仙台も暖かい。
徳島、横浜、仙台とぼくは満開の桜を見ながら移動してきた感じです。

今月は中古LP10枚とCD5枚を火星の庭に補充しました。仙台の人は見に行ってくださいね。

4月11日(木)「広田稔展」

横浜のギャラリーミロで広田稔さんの個展が開かれていて、ユミと見に行きました。
大きな方の部屋には今までの作品がかかっていて、小さな部屋には今年の2月にフランスに旅して
描いた小さな絵が並べられていました。大きな部屋のほうに気に入った絵が一枚あって、閉廊時間まで
広田さんと一緒にビールを飲みながらぼくはその絵を眺めていました。
そのあとミロからぶらぶら三人で歩いて試聴室その3に寄り道して飲んだあと、バスで一緒に帰りました。

4月10日(水)「隣町珈琲」

平川克美さんの「ひとが詩人になるとき」の出版を記念してのトークイベントが中延の隣町珈琲でありました。
トークイベントにはあまり声のかからないぼくですが、ぼくの詩のことが取り上げられていることもあり、
面識のない平川さんからトークのお誘いがあったとき、ぜひやろうと思いました。
この「ひとが詩人になるとき」という本には17人ほどの詩人と詩が取り上げられていて、その人たちの詩を通して
詩のおもしろさがわかりやすく書かれています。それはきっと平川さんが自分の生い立ちや出会いを通して詩を
語っているからだと思う。
トークは詩についての話はあまりなくてほぼ雑談に終始したのですが、それはそれでお客さんは楽しかったようです。
詩については本を読めばいいからなのかもしれません。
最後に平川さんからのリクエストで、平川さんが本の中で書いてくれている「6月の雨の夜、チルチルミチルは」と
「あの声を聞いて振り返る」を、アンコールで「一本道」を歌いました。
隣町珈琲のあるアーケード「スキップロード」は自転車のおっさんがのんびりと行き来する、時間の扉の
向こう側の懐かしい新世界のようでした。

4月6日(土)「高知 SPOON」

京都から徳島、徳島から高知と、今回は初めて移動に高速バスを使いました。
以前ギターの持ち込みを断られたことがあって移動は常に鉄道にしていたのですが、問い合わせてみたら
JRバスなら車内持ち込み荷物は最大2メートルまで大丈夫ですという回答で、それで今回JRバスを選んだら
ギターを持っていても何も言われなかった。いいことを知りました。

はりまや橋でライブハムの町田さんと会い、「三宅うどん」にうどんを食べに行きました。

高知に歌いに来る人たちから気に入られているうどん屋だとか。たしかに活気があっておいしいうどん屋です。
7種類ぐらいの野菜とえびの天ぷらがものすごくおいしかった。
SPOONは町田さんがライブ会場として最近使っている喫茶店で、店の人とも顔見知りになりました。
いつもにこにこと挨拶してくれるのでぼくもうれしくなります。
ずっとお酒を休んでいたので、高知ではようやく喉が回復しました。問題のない喉で歌える安心感。
それで打ち上げでは久しぶりに高知の日本酒を熱燗で飲みました。

4月5日(金)「徳島 寅家」

毎年この時期には寅家に歌いに来ています。毎回来るたびに徳島の普段の何もないようなところが
好きになりました。徳島には有名な阿波踊りがあるけど、そうじゃない時期の何もなさは大きなお祭りの
ある街の特徴なのかもしれません。
「今日はお客さんが少ないかも」とぼくに言う寅家の岡本くんですが、少なくても多くても
いつもライブがやりやすい店だと思っています。

4月4日(木)「お見舞い」

大阪の病院に入院している友人のお見舞いで、京都からユミと電車を乗り継いで行ってきました。
ほとんど動けないベッドの上でも彼は強さのようなものを失ってはいなくて、人の強さは性格ではなく
その人の魂なのかもしれません。
ぼくはどうでもいいようなことをだらだらと話続け、結構その場に長くいました。

4月3日(水)「京都 磔磔」

山口洋くんと京都の磔磔で「待ちあわせ」ライブ。
去年6月に横浜のサムズアップで2日間やった30年ぶりの二人の「待ちあわせ」コンサートの続編です。
この1週間ぐらい前の大黄砂から喉の具合が悪く、ぼくの喉は万全ではありませんでした。
この日は試しにライブ録音もしていたので、どうにか最後まで歌えてほっとしています。
後でユミが撮った写真を見ると、ぼくと山口くんの二人の演奏の距離が縮まっているのが
わかります。演奏を通じてお互いの理解が深まったのかもしれません。
いい演奏をした後はお酒を飲みたくなりますが、ぼくは喉が心配なのでやめておきました。

3月29日(金)「ライブレコーディングのことで」

おおはた雄一くんと横浜のスタジオで6月のライブレコーディングの打ち合わせをしました。
ライブレコーディングは6月22日(土)23日(日)の二日間、吉祥寺のスターパインズカフェでやります。メンバーは
「あの橋を渡る」とほぼ同じで新曲を中心に演奏する予定ですが、めずらしい公開録音なのでぜひ見届けてください。
ぼくたちも楽しみです。詳しくは友部正人ホームページのスケジュール欄を参照のこと。

3月28日(金)「現代詩手帖4月号」

現代詩手帖4月号が発売されました。巻頭に「一枚のレコード」というタイトルでぼくの詩が5つ掲載されています。
取り扱いのない書店もあると思いますが、例えばくまざわ書店では常に置いていると思います。

3月24日(日)「七尾旅人くん」

石巻に泊まった旅人くんたちが、仙台のぼくとユミのアパートに朝ご飯を食べに来ました。
野菜や卵とパンとコーヒーの朝ご飯。ユミの自家製ジャムやピーナッツバターにはみんな感心していました。
うちのそばにある小さな書店「ボタン」や古本ブックカフェ「火星の庭」にみんなで行って、そのまま
旅人くんたちは午後の新幹線で東京に帰りました。ぼくとユミは明日横浜に戻ります。

3月23日(土)「汽水域の旅友」

アーティストの瀬尾夏美さん、小森はるかさん主催の音楽イベントが北上川下流の汽水域のほとりでありました。
あいにくの雨で会場は予定していた青島テラスから近所の熊谷産業の倉庫に変更。北上川河口のこのあたりは
どこでも美しいヨシ原が見られます。

火星の庭の前野さんに仙台から車に乗せてもらったぼくたちは、まず会場の対岸にある今は遺構となっている

大川小学校を見に行きました。建物のすべてと敷地全体が残されていて、あれから13年がたったとは思えない
生々しさです。校庭の裏の丘の斜面にあった「津波の到達地点」という標識は、振り返ってみると校舎の屋根
よりも高いところにありました。時間がたっても過去とはならない現実がここにありました。

コンサートは瀬尾夏美さんの詩の朗読から始まって、磯崎未菜さんの歌、七尾旅人くんとぼくの1時間ずつの

ライブという構成で、雨と寒さにもめげないお客さんがたくさん集まってとてもふくよかなイベントでした。
たぶんそれはしろうとの人たちの手による熱意のみに支えられたコンサートだったからだと思います。

3月22日(金)「図書館」

仙台市の図書館カードの期限が切れていたので、メディアテークにある市民図書館に更新に行きました。
ぼくもユミも仙台市の住民ではないので更新には仙台市の住所を証明する郵便物などが必要です。
あいにくぼく宛のがなかったけれどユミ宛のはがきがあったので、まずユミが自分のカードの更新手続きをして、
その続きで夫婦の証明をしてぼくのカードも更新してもらえました。ユミのネゴシエイト能力はたいしたものです。
その後ホルンに寄ると澁谷さんがいて、「どですかでん」の影響のあるような夢を見たと言っていました。
ぼくもずっとこの映画の夢を起きていても見ているような気がします。

3月21日(木)「どですかでん」

火星の庭でホルンの澁谷さんや夏海さんたちと黒沢明の「どですかでん」を見ました。
ユミのお母さんが以前BSで放映されたものをDVD-Rに焼いてくれたもので、ぼくたちがその内容を
しつこく話すものだから、珍しく火星の庭の健一さんも発送の仕事を中断して上映会に参加しました。
見終わってからはずっと映画の話になり、今夜は一本だけの上映になりました。
(ちなみにユミのお母さんの映画コレクションは1000枚以上あり、ぼくとユミはまだまだ見終わりません。)

3月18日(月)「句会」

このところ順調に月例の句会が続いています。句会の直前になってあわてて俳句を考えていたけど、
最近はツアーのときなどに新幹線の窓から外を見ながら、思いついたら書き留めるようになりました。

3月17日(日)「盛岡市 クラムボン」

「クラムボンの日曜日」というタイトルがいいと店主の高橋真菜さんが言っていました。
日曜日ということでライブは午後3時から。せっかくの日曜日なのに開演時間から雨になりました。
クラムボンでライブをしていたのは真菜さんのお父さんの正明さんがまだ生きていた頃で、
正明さんがなくなって長い間途切れていましたが、今回初めて真菜さんが引き受けてくれました。
うえむられいさんがせっかくチラシを作ってくれたのに、告知してすぐ売り切れてしまったそうです。
楽しみにしていたのはぼくだけではなかったんだな。

3月16日(土)「青森市 もぐらや」

もぐらやは店内の様子がだいぶ変わっていました。ステージが取り払われてすっきりした感じ。
音の響きがいいとぼくが言ったことを覚えていて、改装したらどうなるか心配だったそうですが、
響きは変わっていません。
今回のもぐらやは初めて来るお客さんが多かったと主催の三浦さんもうれしそうでした。
三浦さんのやっている古本屋らせん堂では掘り出し物の詩集を買いました。

3月15日(金)「弘前れんが倉庫美術館」

アサイラムのヒロシさんの提案で、今年の弘前は初めて美術館でのコンサートでした。
まだ新しくて気持ちのいい会場、音響も美術館の方がやってくれました。
美術館で作ってくれた素敵なチラシが美術館のお客さんにも目がとまり、どんな歌か知らないで
聞きに来てくれた人もいるそうです。聞いてどうだったのかな。
ライブの前にヒロシさんのやっている中古レコード屋にも行きました。値段の安いCDをついつい
たくさん買ってしまいそう。

3月10日(日)「湯田温泉 ラグタイム」

加古川からユミは横浜に戻り、ぼくは一人で山口へ。新山口から在来線で湯田温泉まで。湯田温泉駅には
ICカードの読み取り機はあるけど駅員はいなかった。

ラグタイムは現在は喫茶店としての営業はやめているそうです。ライブのあるときだけ営業しているのかな。

ラグタイムには5,6年歌いに来ていなかったので、どれだけの人が聞きに来てくれるのかわからなかったけど、
久しぶりに山口まで行きたくなってぼくからお願いしたライブでした。
たくさんの人が来てくれて、本当によかった。「船長坂」のさびの部分を、みんなが自然にコーラスして
くれたのが新鮮でした。歌を聞く人は歌の楽しみ方をぼくに教えてくれます。
ライブをすると、いつもこれからのためのヒントが見つかるのがおもしろいと思います。

3月9日(土)「加古川 チャッツワース」

小雪まじりの小雨の京都、寺町の蕎麦屋で偶然井上迅(扉野良人)さんと遭遇。迅くんは以前ぼくの画集
「記憶の裏庭」という画集の編集してもらったこともある徳正寺のお坊さんで、これからお経をあげに行く
ところでした。この永正亭という蕎麦屋さん、以前谷川俊太郎さんと来たことがあります。ユミが谷川さんに
刻みそばを勧めたら、とてもおいしいとよろこんでいました。ユミはいつもこの刻みそば、そしてぼくはいつも
けいらんそばです。

チャッツワースは2年ぶり。岸本さん夫妻はとても元気で、さっそくおいしい紅茶とケーキをいただきました。

前回よりもたくさんのお客さんで、今日は「小さな町で」という歌からライブを始めました。
毎回何から始めようかな、と考えるのが楽しみ。加古川の町の雰囲気で決めました。
終演後は親しい人たちと打ち上げがありました。玉田夫妻も詩人の大西さんも古い知り合いです。
みんな年をとって記憶もあいまいで、それぞれがわかっている道の上を目をつむって歩いている感じ。
すべて手探りでいいんだなというのが今夜の出会いの答えです。

3月8日(金)「京都 拾得」

いつも人が多い京都駅からタクシーで拾得まで。「ああ、ライブハウスですね」と運転手も知っている拾得。
さすが創業51年の老舗ライブハウスです。店主のテリーさんもまだまだ元気で今夜もPAを担当してくれます。
ライブの前半はほぼ新曲でかためて、後半になじみの曲を持ってきました。やはり歌いたいのは新しい歌。
それさえやれれば後はなんでもOKという感じです。
ライブの後に「関西フォークとその時代」の著者の瀬崎さんとだいぶ話しました。ご本人と話すのは初めてです。
一番好きな歌は「あれは忘れ物」だそうで、明日の加古川で歌おうかなと思いました。

3月3日(日)「東京マラソン」

横浜に帰る準備をしながら、テレビで東京マラソンの中継を見ていました。
東京マラソンはニューヨークシティマラソンのような市民マラソンのはずなのに、まるでオリンピック
の選考会のようでつまらなかった。友だちや家族が走っているのをテレビで見られるのを楽しみに
している人も多いのに、映るのは勝敗をかけて必死になっている先頭集団ばかり。
市民の見えない市民マラソンだと思いました。
夕方、10日ぶりに仙台よりだいぶ暖かい横浜に戻って来ました。

3月2日(土)「菅原克己の詩を歌う」

佐久間順平が出るので、「菅原克己の詩を歌う」(日立システムズホール仙台)というコンサートに
ユミと行きました。前半50分ぐらいが菅原克己の詩を歌ったり朗読をしたりする時間で、後半は
詩人のアーサー・ビナードや編集者の人も交えての座談会。
ぼくの古い友達の順平くんの歌やヴァイオリンの演奏を久しぶりに聞きましたが、とても良かった。
2006年にぼくも「詩人 菅原克己をうたう」というコンサートを塩釜市のエスプでやりましたが、
ぼくは順平くんのように菅原克己の詩に曲をつけて歌ってはいないので、今日のコンサートのように
菅原克己の詩に寄り添うようなライブにならなかったのが思い出されました。

3月1日(金)「中古レコード市」

仙台にいて楽しみなのは年に2回、駅前のEbeansというビルの9階で開かれる中古レコード市。
東北や関東や関西のレコード屋が終結して、だいたい2か月間ぐらい開かれます。
名古屋のとあるレコード屋さんは値段が安くておもしろいものが多く、ここだけで今日は6枚も
買いました。名古屋の実店舗にも行ったことがありますが、仙台に来てくれてうれしい。
帰りのエレベーターで、段ボール箱2箱もレコードを買った若者に話しかけてみたのですが、
千葉から来た転売業者だそうで、日本のレコードは海外で高く売れると言っていました。

2月29日(木)「「コンパートメントナンバー6」

久しぶりに映画会。今夜の会場は火星の庭です。
ホルンの澁谷さんが持ってきたフィンランド映画「コンパートメントナンバー6」を
見ました。2021年の作品だそうですが一人の女性の心の動きが生き生きと描かれています。
ずっと大切にしたいような気持ちになる作品でした。

2月28日(水)「長井さんとの思いで」

句会の主宰渡辺誠一郎さんが以前勤めていた塩釜のふれあいエスプで、今日まで「長井さんとの思いで」
という企画展をやっていました。昨日の句会で渡辺さんからそのことを知って、今日ユミと二人で塩釜に
行って来ました。長井勝一さんは塩釜市生まれです。
たくさんの漫画家がガロ編集長だった長井勝一さんとの思い出を一枚の絵にしていました。
ぼくの友人であるシバは15歳のときにみつはしまこととしてガロにデビューしていたことを初めて知った。
おそらくこの企画展のために描かれたシバの絵を見ると、何一つ変わっていない昔のままだったので、
もうずいぶん会っていないけど、シバ本人も変わっていないんだろうなと思いました。
JR東北線の塩釜駅からJR仙石線の本塩釜駅までの約1.5キロの散歩が良かった。
冷たい海風が相当きびしかったにもかかわらず。

2月27日(火)「句会」

火星の庭で今年初の句会がありました。俳句はぼくにとって言葉との出会いのようなもので、
句会が近づくと街の中の様々な文字が目に入ってきます。言葉が新鮮に感じられます。

2月25日(日)「我々のものではない世界」

レバノンのパレスチナ難民キャンプで暮らす人々を撮った映画を見ました。
その難民キャンプで育ち、のちにデンマークに移住して今はイギリスで暮らすマハディ・フレフェルの作品です。
この映画でぼくは、難民キャンプで暮らす人々のことが初めてわかりました。難民キャンプのアイン・ヘルワは
たった1平方キロメートルという狭さで、そこに7万人が暮らしているとか。「パレスチナなんてくそくらえ」、
「過激派なんて大嫌い」と、働くことを禁じられているのでうっぷんをため込む若者と、いつかパレスチナに
戻れることを60年以上も待ち続けている老人たち。やりきれなさが映画を見ているぼくにも激しく浸透してきました。
なんともしようのないひどいことが日常となったパレスチナの現状です。

2月24日(土)「建築ダウナーズオープンスタジオ」

火星の庭の前野さんが車で迎えに来てくれて、ぼくとユミと3人で若林区六丁の目にある建築ダウナーズの
スタジオへ。昨日の映画「Void」の菊池くんは建築ダウナーズのメンバーです。
建築ダウナーズは建築家というよりはもっと基本的な、山と木材と人の暮らしや歴史に焦点を絞った活動を
しているようです。スタジオにはその素材や資料、研究の成果などが展示されていました。
2階には昨日の映画でも紹介されていた菊池聡太朗さんの油性パステルで描かれた絵が何点も展示されていました。
一番大きな絵が目立たない狭い場所に立て掛けあるのをユミが指摘して、その絵をみんなで広い所に移動させました。
映画の中ではまだ描いている途中だった菊池くんの荒れ地を描いた絵はとても迫力がありました。

それから前野さんの車で送ってもらい、昨日のギャラリーに別の作品を見に行きました。

福原さんの「人形劇団ポンコレラ」を取材した作品と「老人と家」という少し長めの作品です。
「ポンコレラ」の老婆と猫を題材にした人形劇は、「老人と家」から作られたものなんだとぼくは今日
知りました。「きれいだよ、本当だよ」とおばあさんが猫に話しかけるせりふが「ポンコレラ」の劇にも
福原さんの「老人と家」にもあって、この二つがぼくの中で今日繋がったのです。
家の玄関の向こうに森林のようなものが常にあったので、このおばあさんの家は西公園のそばなのだな、
となんとなくわかり、ユミと帰り道に歩きながらその家を見つけました。おばあさんはもういないのか、
家の中は真っ暗でしたが、映画に出てきたような猫が塀の上からぼくたちを見下ろしていました。

  2月23日(金)「まちとまなざし」

昨日の夜に仙台に来ました。前日に降った大雪がまだたっぷりと残っていました。
今月の火星の庭の中古LP,CDコーナーは、CDの棚をほぼ入れ替えたので、新入荷30枚です。
でもその代わりLPは7枚しか持って来られませんでした。

今日はユミと地下鉄で大町西公園駅まで行き、「ターンアラウンド」というギャラリーで福原悠介さんの

「Void」と飯岡幸子さんの「ヒノサト」という2つの映像作品を見ました。「Void」は菊池聡太朗さんの
絵画の制作過程を記録した28分の映画で、菊池くんは時にはおまじないのように手を紙にすべらせて、
小さな紙に小手先で描くのではなくて、大きな紙に体で描いていました。
「ヒノサト」は予備知識なしで見ると戸惑いを覚える映画でした。後でチラシの解説のようなものを
読んで納得。説明を省いた映画を見終わってから説明を読んで、ようやく映画の本筋が始まった感じです。

2月18日(日)ヴォイスミツシマ パート2」

「ヴォイスミツシマ」のパート2をユミと聞きました。収録のとき一緒にスタジオにいたユミも、聞きながら
その編集のうまさに感心していました。ぼくはミュージカル「100万回生きたねこ」の劇中歌「また繰り返す」
を満島さんと二人で歌った部分にドキドキで、なんとかちゃんとできたみたいなのでほっとしました。
もう一曲、ぼくがソロで歌った「4月になれば」も一緒にやれるとよかったな。
ぼくのことを「友部正人という現象」と満島さんに言われてうれしかった。
今週土曜日までらじるらじるの聞き逃し配信で聞けます。
 
追伸
放送中に子供の頃に食べた幻のお菓子の話をしましたが、後でユミが調べてみたら今でもちゃんとありました。
岩手県二戸市の名物駄菓子「天台寺かりんとう」でした。懐かしいな。

2月17日(土)「日日芸術」

下北沢のラカーニャで、伊勢朋矢監督の映画「日日芸術」の試写会を見ました。
早めに下北沢に着いたのでユミと街を歩きました。ライブがあるときはとてもそんな時間の余裕はないので、
のんびり歩けるのはとてもめずらしい。線路や駅が変わったりして大幅に変更されたように見える下北沢ですが、
歩いてみると昔からあった店がまだそのままあったりして、そんな部分がこれからも下北沢として生き残って
いくんだろうなと思いました。

試写会は昼と夜の2回で、ぼくが参加した夜の部には、映画に出演して音楽も奏でているパスカルズの

メンバーも来ていました。
この映画は朋矢くんが今までNHKBSで番組制作してきたアウトサイダーアートの作り手たちを、
俳優の富田望生さんが訪ね歩くような内容の映画です。「どこまでがドラマで、どこからがドキュメンタリー
なのか」というチラシの文句のように、音楽と絵と人間が混然一体となったおもしろさがあります。
ドキュメンタリーとはいえ、作った側の楽しさが伝わってくる作品。4月13日から一般公開されるそうです。

2月11日(日)「ヴォイスミツシマ パート1」

約2週間前に収録した「ヴォイスミツシマ」パート1をユミと聞きました。
満島ひかりさんは慣れた感じで、ぼくが濁流だとしたら、小舟を操る船頭さん。満島さんには自分の感じたことを
手早く言葉にする自由さがありました。ぼくの声はぼそぼそしていてラジオ向きではないなと思いながらも、
満島さんとの会話を楽しんでいるのがわかります。満島さんと出会うきっかけになったミュージカル「100万回
生きたねこ」の頃の話や、「6月の雨の夜、チルチルミチルは」の話をしました。
50分という時間はとても短い時間でした。

2月10日(土)「一穂とひかりさんとユミのお母さん」

一穂と妻のひかりさんとぼくとユミとで、神奈川県の施設で暮らしているユミのお母さんに会いに行きました。
お母さんに会った後、4人で横浜のみなとみらいへ。駐車場の4時間という制限時間内で、関内で中華料理を
食べたり、赤レンガ倉庫で買い物をしたりしたのですが、4時間あればけっこういろんなことができて楽しめる
ことがわかりました。ユミがひかりさんに買ってあげた毛糸の帽子がかわいかった。

2月7日(水)「画廊めぐり」

ユミと横浜の画廊めぐり。まず仲通りギャラリーで佐藤陽也くんの個展を見ました。
ギャラリーで佐藤くんはライブペインティングをしていて、絵が一筆ごとに変わっていく過程の
おもしろさを見せてくれました。
そのあと吉田町のギャラリーミロへ、スタジオ21のメンバーによる冬の岩手を題材にしたグルーブ展を見に。
メンバーの一人の広田稔さんは、「今年は雪が少なかった、雪を描きに行ったのに」と、1月にぼくと板橋文夫さん
のライブを聞きに来てくれたときに言っていました。

2月1日(木)「アイ・アイ」

マヒトゥー・ザ・ピーポーの監督した映画の試写をユミと見に行きました。
断片のようなものがいくつもつながっていて、最初これは過去に関する映画なのだと思いました。
だけど一人だけ気が狂ったように未来そのもののような人、それが森山未来さんが演じる人です。
誰の過去にも一度ぐらいは出会ったことのある未来そのもののような人、人生が始まる前に死んでしまって、
からっぽの未来だけを残した人。
2年ぐらい前に完成していたというこの映画にはまだ真新しいインクのにおいがして、昔ぼくに未来を
感じさせてくれたことのある人たちを思い出させてくれました。
未来は断片のままだから未来なんだなと思わせる、悲しくもまっすぐな作品ですね。
上映の直後スタッフの人から感想を求められてビデオで撮影されましたが、言葉にならずに雰囲気だけを
伝えたのですが、後から思えば映画は動きなので、雰囲気を動きで答えるしかなかったのかもしれない。
夢も眠ると現実に戻る。ここからまたどんな未来が始まるのかな。
映画の始まる前と終わった後に会場の外でマヒトくんに会いましたが、ぼくとマヒトくんの未来のことを
少し話してから帰りました。

1月28日(日)「知久くんソロライブ」

ナモとの「お別れ会」の後、ぼくとユミは横浜のサムズアップの知久くんのソロライブに行きました。
知久くんの全くのソロは久しぶりで、声がギターから出ていてギターが足の裏から聞こえるような、
体全体が楽器と化したような演奏にしびれました。
アンコールで、もしかしたらぼくと一緒に何かやりたかったのかもしれないけど、ぼくは西荻窪からの
帰りだったのでギターは持っておらず、知久くんが一人で歌い始めたぼくの歌「君が欲しい」に、
2番からぼくも参入。ぼくの普段のキーより3度も高い声で精一杯一緒に歌いました。
この日の知久くんのソロライブは大入りで、本人もとてもうれしそうでした。

1月28日(日)「ナモ(長本光男)」

去年の11月にナモがなくなっていたことは知りませんでした。昔吉祥寺の「のろ」で働いていた人が
つい最近教えてくれて、ナモの長男の仁くんもメールしてくれて、この日のことを知ったのでした。
ナモのことはこれまでにぼくのエッセイ集などに書いているので、読んだことがある人もいると思います。
西荻窪にある長本兄弟商会という変わった名前の、無農薬野菜を売る八百屋の主人です。
そのナモとの「お別れの会」があると知らされて、ユミと久しぶりに八百屋のあるホビット村に行って来ました。
二階のレストラン「バルタザール」でお茶を飲み、懐かしい人たちにも会えました。
三階では思い出の写真や新聞記事が壁一面に貼られ、ぼくが連載していた東京タイムズの記事もありました。
ぼくの文章によれば、ぼくがナモと会ったのは1974年7月のカリフォルニア州バークレー。ニューヨークから
日本へ帰る途中にバークレーに寄ったときのことでした。ナモの妻の京子さんのお腹には長男の仁くんがいて、
ぼくは彼らがバークレーで借りていたアパートのペンキ塗りを手伝ったのでした。
75年にナモ一家が帰国してからの付き合いは長く、ぼくが住んでいた久我山の一軒家の二階でナモの詩の朗読会を
開いたこともあるし、ナモの八百屋の祭りでぼくが歌ったこともあります。
ナモはぼくに「ただ道を一人で歩くだけではダメなんだ。誰かと出会い、一緒に何かをしていかなくては」という
ことを教えてくれたんだと思います。

1月27日(土)「横浜 ドルフィー」

2021年9月以来久しぶりの板橋文夫さんとのライブ。板橋さんとぼくには、今までにライブで演奏したことが
あるぼくの歌が山のようにあるので、久しぶりの今日はその中からベストな選曲でやりましょう、とユミが提案。
二人でやる新曲は「陸前高田のアベマリア」にしぼりました。
ソロで3曲ぼくが歌った後、板橋さんと二人で4曲やって休憩。ふと見ると、客席はぎっしり満席でした。
後半は板橋さんのソロから。板橋さんのピアノの情景描写は前からすごかったけど、今夜の「渡良瀬」のピアノは特
にすごかった。原曲の面影はどこにもなく、ピアノはただ川と化していた。川面の水音から光の反射、川底までの深さ、
そのすべてをピアノという得体のしれない楽器で思う存分奏でている板橋さんの演奏は、まるでドストエフスキーの
長編小説のようでした。
板橋さんのピアノの音色はぼくの歌の動機となります。ぼくの中に入って来る音が、歌となって出て行くのです。
久々におもしろいセッションができました。

1月26日(金)「Perfect Days」

渋谷区の公衆トイレの映画です。トイレプロジェクトの会社の映画というべきか。
透明だけど鍵をかけると中が見えなくなるびっくりするようなトイレも出てきます。
トイレ清掃をする男性が主人公で、役所広司さんが演じていますが、この主人公の笑顔が素晴らしい。
朝目覚めたとき、ドアを開けて夜明けの空を見上げるとき、エンディングでニーナ・シモンが歌う
「Feeling Good」そのものの笑顔です。監督のヴィム・ヴェンダースはこの歌の歌詞に沿って映画を組み立てて
いったのかもしれないと思ったら、パンフレットにそのようなことが書いてありました。

公衆トイレではよく清掃の人を見かけます。手にした布で一生懸命便器をこする人。

何度も目にしたことがあるので、汚さないように使いたいのにとてもむずかしい。たいていの男性小便器の
まわりは水浸しです。それなのに、この映画ではトイレがとてもきれいなのが気になりました。
毎日毎日をきちんと生きている主人公の今がとても素敵でした。

1月23日(火)「ヴォイスミツシマ」

NHKのCR505という広いスタジオで、満島ひかりさんの番組「ヴォイスミツシマ」の2週分の収録がありました。
ぼくとユミが満島ひかりさんと会うのは横浜サムズアップのパスカルズのライブ(2022年10月)のとき以来。
確かそのときに今回のラジオの話をしていました。
満島ひかりさんとは2013年のミュージカル「100万回生きたねこ」のとき初めて一緒に仕事をしましたが、
もう10年以上前になるんですね。
満島さんは主演で、ぼくは劇中歌の歌詞を書いたのですが、その時の歌を久しぶりに歌いたいと思って楽しみにしてました。
50分の番組2回分というので、ずいぶんとゆったりとした収録で、
生演奏もいくつかあって、「100万回生きたねこ」の中の曲を満島さんと二人で歌うときは
3回ぐらいやり直しました。それでもぼくはギターのコードを一か所間違えた。
満島さんからは「はじめぼくはひとりだった」「西の空に陽が落ちて」のリクエストがあって歌い、
ぼくは満島さんに「彼女はストーリーを育てる暖かい木」の朗読をお願いしました。
気持ちのありかからうまく言葉を探し出してきて話す人なので、具体的な話から抽象的な話まで、
話はかみ合っていたような気がしますが、実際はどうだったのでしょう。
放送日は2月11日(日)15:05~15:55と2月18日(日)15:05~15:55です。
収録とはいえ生放送とあまり変わらない感じだったので、ぼくも聞くのが楽しみです。

1月19日(金)「双葉双一トリビュート」

代官山の「晴れたら空に豆まいて」で昨日と今日の二日間の「双葉双一トリビュート」コンサートが
ありました。ぼくは二日目の今日、原マスミくんとゲストで出演。トリビュートアルバム「He is not there」
で歌った双葉くんの「体は食卓 頭は雲の上」の他、自分の歌を6曲歌いました。
最初に歌った原マスミくんの歌が刺激となって、ぼくも思ったよりいい演奏ができたみたいだし、
最後の双葉くんの歌も刺激的でおもしろかった。そこだけ切り取ってみたら、日本の音楽シーンって
なんておもしろいんだろう、って世界の人は思うかもしれない。普通の歌が一つもない普通の世界。
最終一つ前の東横線満員電車の酔っ払いにも、耳をすませばぼくやユミの頭の中で鳴っている今夜の音が
聞こえたかもしれません。

1月15日(月)「横浜へ」

16日の句会が参加者の体調不良で中止になったので、予定より早く横浜に戻ることにしました。
横浜に着いたら仙台に比べて暖かく、駅のプラットフォームには春の兆しが立っているようでした。

1月14日(日)「アリゾナ・ドリーム」

ユミと二人で、家のプロジェクターでエミール・クストリッツァの「アリゾナ・ドリーム」を見ました。
同じ監督の「アンダーグランド」を見た後なので、とても期待したけどそれほどでもなかった。でもユミは翌日に
「思い返すとなんか純粋さを感じたな。そういう監督なんだなあ」と言っていました。

1月13日(土)「中古レコード」

山口くんは朝の常磐線の特急で湘南の家に帰り、ぼくとユミは佐藤ヒロユキさんの車で仙台に戻りました。
夕方麦のパンを買いに火星の庭をのぞくと健一くんがいて、「レコードを全部まとめ買いした人がいます」と
空っぽになったレコード箱を見せてくれました。いくら安いとはいえ(何枚組でも各500円)今までそんなことは一度も
なかったので、どういうことなのか理解できないまま家に帰ってユミに報告すると、ユミもびっくりしていました。
毎月15枚ほどスーツケースに入れて横浜から運んでいるレコード、まとめ買いされるとぼくとしては困ったことです。
レコード屋ではないので、補充が追いつかない。
ぼくが遊びで始めたこのコーナー、参加してくれる人も遊び心をなくさないでくださいね。

1月12日(金)「いわきSONICで待ちあわせ」

山口洋くんとの「待ちあわせ」コンサートのいわき編。風は冷たいけれど、心暖かいライブでした。
たぶんそれは震災後もこの町で頑張っている人たちや、震災後は他所の土地に暮らすいわきの人たちが今夜の
ライブにやって来たからかもしれません。
そういえばいわきには昔からライブができる店がいくつもあって、今はそれがSONICなんだなあと思いました。

1月11日(木)「マッチ工場の少女」

今日はオフなので、ユミと仙台の「フォーラム」に、アキ・カウリスマキの旧作「マッチ工場の少女」を
見に行きました。フィアンセだと思い込んだ男から「これっぽっちも愛していない」と言われて、自分が
歩んできた短い人生に絶望した彼女は、殺鼠薬で復讐・・・という暗い話。
新作の「枯れ葉」とは雰囲気のだいぶ違うきつい映画でした。

1月10日(水)「待ちあわせ」

Macanaというライブハウスで山口洋くんと「待ちあわせ」ライブをしました。
30年前の「待ちあわせ」で共作した3曲は、去年サムズアップでやったときよりもだいぶ自由に
歌えるようになりました。この3曲、今年は音源化できるといいねと話しています。

1月9日(火)「山口洋と仙台でリハーサル」

昨日から仙台に来ています。
仙台の貸しスタジオで、山口洋くんとリハーサルをしました。
2023年6月に横浜のサムズアップで二人でやった「待ちあわせ」ライブの再現です。
リハーサルの前に火星の庭のぼくの「中古レコードコーナー」にレコードを補充しました。
山口くんもちょうど火星に来たので、さっそく一枚買ってくれましたよ。

1月6日(土)「ドリー・ベルを覚えているかい?」

「アンダーグラウンド」の監督エミール・クストリッツァの幻のデビュー作を見たくてユミと2日続けて
ジャック&ベティへ。「ドリー・ベルを覚えているかい?」はやはり音楽が軸にあるすてきな映画でした。

劇場のオーナー梶原さんにも久しぶりに会えました。ジャック&ベティでは現在「閉館待ったなし」という

クラウドファンディングをやっています。諸経費が嵩み運営がきびしくなって立ち上げたのですが、
目標額の3000万円はすでに達成しているそうですが、コロナ以前のようにはお客さんは戻って来てはおらず、
これからのためにも支援を続けて欲しいということでした。
梶原さんがオーナーになった初めのころからずっと、ぼくとユミはジャック&ベティに通って映画を楽しんでいますが、これからも可能な限り駆け付けたいと思っています。いい映画を上映し続けてね。

そしてこの二日間で特に感じたのは、映画館で映画を見ることと、自宅でDVDを見るのとの違いです。

映画を見ると感じる大きな感情は、映画館の大きな画面でしか味わえないものなのかなあ。

2024年1月5日(金)「アンダーグラウンド」

見逃していた「アンダーグラウンド」をやっとジャック&ベティで見ることができました。
日本では3度目の再上映だそうです。
物語につきまとうブラスバンドの音楽が初めから終わりまでたまらなくいい。なんでここまでやるのか、
異常な音楽の使い方です。
3時間かけて語られる監督の祖国旧ユーゴスラビア。そこに生きた人たちの夢のように残酷な物語でした。
西洋諸国によって外から語られるのではなく、その国の中の人の声と言葉で歴史は語られなくてはならない
と思いました。長い映画でしたが、語るには足らないくらいの短さを感じた作品でした。最高です。