友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

2006年12月29日(金)「麦マル2」
ぼくの2006年最後のライブは神楽坂にあるマンジウ屋「麦マル2」でした。といってもこれは麦マルの常連のためのライブだったので、一般の人は入れませんでした。古い日本家屋を改造した二階建てのお店で、上下合わせても最大で45人ぐらいしか入れません。そこで店主のさなえちゃんが考えたのは、ぼくが一階と二階を行ったり来たりしながら歌う「立体ライブ」でした。ノーマイクでやったので話や詩の朗読は聞こえなかったようですが、歌はちゃんと聞こえたそうです。一回3曲ずつで、アンコールも入れて20曲歌いました。

一階で歌っているときは二階のスクリーンに一階での映像をビデオで写し、二階で歌っているときは一階のスクリーンにその映像を写しました。そして「おやすみ12月」の歌では、ユミが撮った30枚の冬のニューヨークのスライド写真を上映しました。雪が積もって車の通らないコロンバスアヴェニューの写真など、大きな画面で見るとまるで映画のワンシーンのようでした。
映像係は写真家の板橋くんと絵描きの植田くんでした。ビデオカメラの設置や配線に手間取って、開演時間が大幅に遅れましたが、お客さんたちはあまり気にしていない様子でした。でも、スタッフの人たちはみんなてんてこ舞いだったのです。
大変だったけど楽しいライブでした。終わった後のワインが特別においしかった。

友部正人
12月24日(日)「奈良 樸木」
昨日まではクリスマス用の注文でてんてこ舞いの忙しさだったという天然酵母のパン屋「樸木」で、1年5ヶ月ぶりのライブをしました。
樸木はお店も食べ物も全部手作りです。本棚に絵本がいっぱいなのは、今回ツアーをした月の庭、れがーと、とも共通しています。絵本の隣に歌もあればいいなあ、と思って歌いました。
今日の前半は冬の歌を中心に歌いました。後半は最近よく歌っている歌が中心になりました。今日の主催者の井上ケンゴくんがリクエストしてくれた「なんでもない日には」は最近どこへ行ってもリクエストされます。
ライブ終了後はパンとシチューとピザと2種類のケーキでクリスマスパーティでした。手に持って食べられるパンはおしゃべりにはとてもいいけど、いつのまにか食べすぎているということもあります。なんだかこの三日間、おいしいものを食べ続けたような気がします。それで、ぼくとユミは毎朝ジョギングしたのでした。焼け石に水、かもしれませんが。

友部正人
12月23日(土)「湖南市 れがーと」
今年二回目のれがーとです。こんなにすぐにまたライブをすることになったのは、主催者である北岡くん(れがーとの理事長)が、9月のときは急用でライブを見られなかったからでした。今回はふちがみとふなとにも参加してもらって、そんな理事長のわがままに応えることになったのです。あらかじめユミがふちがみとふなとの音楽をれがーとの人たちに少し紹介してあったので、みんなとても楽しみにしていたようです。
今日は北岡くんも家族でライブを楽しんでくれました。れがーとの忘年会も兼ねた打ち上げで、れがーとで働くピュアな若者たちとも知り合えてとてもよかった。

友部正人
12月22日(金)「亀山 月の庭」
春に続き今年二回目の月の庭は、ふちがみとふなとがスペシャルゲストでした。古い木造の蔵を改造した月の庭に、船戸くんのウッドベースがブンブン響きます。
それぞれの持ち時間以外に、三人で一緒に演奏した曲は、「空から神話の降る夜は」「38万キロ」「歌う人」「ドントシンクトゥワイス」「遠来」「グッドナイト・アイリーン」の6曲でした。9月の十日町のときより、2曲ふえました。クリスマスにちなんだ曲では、ポーグズの「フェアリーテイル・オブ・ニューヨーク」を渕上さんたちがやっていました。異国の街でどん底になっても、二人の夢を離さないというこの歌は、今でも最高のクリスマス曲だと思います。

友部正人
12月20日(水)「大竹伸朗 全景」
今日を逃せば行けなくなるので、意を決して行ってきました。木場の現代美術館、本当に東京は遠い。
2000点もの作品が展示されていると聞いていたけど、本当にそれぐらいはありました。じっくり見ていたら一日はかかるでしょう。美術からは大きくはみ出してしまっているような気がしました。見ているとたまらなく音楽がやりたくなりました。自分の中に音楽が聞こえてきて、それを録音したくてたまらなくなりました。美術として見れば、すべての作品がペインティングでした。何もかもがペインティングです。音楽は音のペインティングです。地下の展示室では音でライブペインティングしていました。満喫して外に出ると、建物のてっぺんに「宇和島駅」のネオンサイン。これがぼくには一番新鮮でした。そびえたつ大竹伸朗です。
それから常設展で見た河原温のメイルアート「I'm Still Alive」にはまたまたじーんとさせられました。

友部正人
12月17日(日)「倉敷 蟲文庫」
蟲文庫は倉敷の町並み保存地区にある古本屋です。町家風の古い建物で、店内の床はれんがです。本で吸収される部分とれんがではね返ってくる部分があって、生音でもギターがおもしろい鳴り方をしていました。
お客さんには缶入りのお茶と、店主の田中美穂さんが焼いたクッキーがつきます。のんびりとした感じのコンサートでした。
今夜はとても寒く、入り口のあたりにすわっていた人たちは隙間風が入ってきてつらかったかもしれません。その分みんなが身を寄せ合って聞いているようでした。
終わった後の打ち上げも熱燗と手料理でとても感じのいいものでした。戸をたたくのは隙間風、立ち去るときの足音もなく。

友部正人
12月16日(土)「倉吉 ラ・キュー」
米子から倉吉まで、昨日の主催者の山根さんが車で送ってくれました。途中植田正治写真美術館に寄り道しました。植田正治の演出写真はヨーロッパで人気が高いそうです。山陰で撮影しているのに、まるでその風景は外国のようです。
山根さんの奥さんは山陰放送のアナウンサーで、お昼のラジオ番組でぼくの「おやすみ12月」をかけてくれました。それからぼくがリクエストした曲もかけてくれました。「別れの一本杉」です。
ラ・キューは栄養失調でやっと立っているような小さな一軒家のお店です。せまいので30人ぐらいしか入りません。それも階段までいっぱいに入ってです。それでもとてもすてきなお店です。ぼくはこんなに小さなところでもライブができる歌手でしあわせです。「友さんは冬に来たことなかったね」と、お店の主人の杉原さんはぼくたちのためにカニを用意して待っててくれました。

友部正人
12月15日(金)「米子 いまづ屋」
長い間米子では歌っていなかったのですが、去年山陰放送の山根さんから紹介してもらった、いまづ屋というジャズのライブハウスで今年もライブができました。いまづ屋は20年以上続いている古いお店だけど残念なことに今年で閉店するとか。マスターの町田さんは板橋文夫さんが大好きで、ぼくも好きだといったら、板橋さんの古いCDをプレゼントしてくれました。お客さんは若い人たちも多く、こういう風に音楽が受け継がれてきたんだなあ、と思いました。地元のミュージシャンが聞きに来てくれるのはうれしいものです。

友部正人
12月13日(水)「朝日カルチャーセンター」
講師の依頼があったとき、ユミはぼくが絶対に断るだろうと思ったようです。何の勝算もなかったのですが、一回だけならやってみようかな、という気になったのです。タイトルは「ジュークボックスに住む詩人」。内容をしぼるために、「詩人の仕事を歌でしたフォークシンガーたち」というテーマにしました。
日本語で歌詞を書くために、言葉に直面することから始まった日本のフォーク、言いたいことはそれだけでした。でも、あらかじめ用意したことを話してもおもしろくないことがすぐにわかりました。あらかじめ用意した話はすでに死んでいます。それで少しあせりましたが、なんとかテーマにそって話をすすめることができました。日本史の授業でいえば、幕末のあたりで終わった感じです。
「この続編を来年また。」とセンターの方からいわれました。その前に現代詩手帖に三年間連載した「ジュークボックスに住む詩人 2」をまとめなくてはなあ、と思いました。

友部正人
12月11日(月)「句会」
今年の2月から月に一回のペースで続いてきた仙台「火星の庭」での今年最後の句会でした。なかなか実際に仙台まで行くことはできず、大抵は横浜かニューヨークから、またはツアーの旅先から、メールやFAXで参加してきたぼくとユミですが、今回は昨日仙台でライブがあったので参加できました。しかも忘年会もかねていたので、別のお店で鍋と焼肉をつつきながらの句会でした。FAX参加と実際の参加大きな違いは主宰の渡辺さんのお話やみんなの意見がたっぷり聞けることです。
「水鳥は水かきの跡かえりみず」というぼくの句が、めずらしいことに選句で今日の最高得点をもらいました。(いつもは全然点が入らないのに。)それで主宰から額入りの「美しく舌のふれあう実朝忌」という記念の句をいただきました。最後に「セーター」というお題で即興をしたら、ユミの「セーターを編む横に子の眠りおり」が最高得点。
句会がおもしろいのか俳句がおもしろいのかわかりませんが、ぼくはだいぶ前から毎回次の句会が待ち遠しくなってきています。

友部正人
12月10日(日)「仙台L.L.L.」
ぼくとユミはテリーさんの車に乗って、マーガレットズロース号とともに仙台に移動。今日は「L.L.L.」という上品な店でぼくとマーガレットズロースとピッピ隊長のコンサートでした。
ピッピ隊長の歌を生で初めて聞きました。アコーディオンでの弾き語りです。みんなしーんとなって聞いていました。ぼくはステージの後ろにいたけど、演奏の緊張感はよく伝わってきました。アコーディオンがとてもじょうずです。
今日のマーガレットズロースは機材の関係で音量が小さく、別のバンドみたいでおもしろかった。別に大きな音じゃなくてもいいのです。楽しく歌を聞ければ。
いわきと同じように、ぼくはソロとマーガレットズロースとの演奏が半分半分。平井くんからの提案で今日は「夕暮れ」をやりました。そしたら、終演後に「夕暮れ」一番良かったという意見が多かったです。二日間だけでしたが、久々のマーガレットズロースとのツアー、楽しかった。

友部正人
12月9日(土)「いわきソニック」
福島県いわき市のライブハウス、ソニックの3周年記念イベントに呼ばれました。
ソニックは元映画館だった建物を改装したライブハウスで、外観も館内もとてもいい感じです。ぼくを含めて5組が出演しました。最初は二人の若者たち。大阪に10ヶ月住んだ体験を「大阪へやって来た」というタイトルの歌にして歌っていました。二番目はサッチモさん。歌のうまい人でした。三番目はあぶらすまし、ベースのいない4人バンドのおおらかな歌。ボーカルの三ケ田くんはソニックの店長です。マーガレットズロースは四番目。新しい歌がまたふえていました。最後はぼくで、ソロが5曲、マーガレットズロースと5曲一緒にやりました。1年ぶりだったので楽しかった。
ぼくの15周年コンサートを読売ホールで企画制作してくれたこともある古い友だちの下村誠くんが、長野県で家が全焼して亡くなったそうです。信じられないような気持ちです。いつも精力的に音楽活動をしていた下村くんの久しぶりのニュースが死の知らせだなんて。今夜は彼が訳詩したジョン・レノンの「オーマイラブ」を歌いました。

友部正人
12月8日(金)「リヴィングストン・テイラー」
サムズアップにリヴィングストン・テイラーを聞きに行きました。オープニングアクトのバンドが演奏しているとき、リヴィングストン・テイラーがぼくの隣に来て座ったので、挨拶をして、一曲リクエストしてみました。その断り方がさわやかで、とても上手でした。今度ぼくもまねしてみよう。
声はお兄さんのジェイムズ・テイラーにそっくりだけど、なぜかぼくはこのリヴィングストンの方が好きです。お兄さんの曲を歌っても、やっぱりリヴィングストンがいいなあ、と思いました。今日は彼の誕生日だったようです。ライブ終了後、大きなケーキをプレゼントされていました。彼はぼくと同じ年齢らしいけれど、歌も見かけもぼくより年取って立派な感じがするのはなぜでしょう。

友部正人
12月7日(木)「横浜サムズアップ」
ぼくにとっては久しぶりの横浜サムズアップ。今日は三宅伸治くんと二人だけのライブでした。今まで三宅くんとやってきた曲をあわせると20曲はあるでしょう。(いや、もっとあるかもしれない。)
今日はそれぞれのソロの曲も3曲ずつやり、残り全部を二人で演奏するという構成でした。
二人で作った曲も3曲あって、一番新しい「雨の降る日には」を今ぼくはとても気に入っています。ぼくには作れない甘いメロディの曲だからです。「グッドモーニングブルース」のように、三宅くんと一緒のときしかできない曲もあります。二人のライブを聞いて、サムズアップの厨房で働いているぼくの息子が、「二人が仲良さそうで、ライブよかったよ」と言っていました。

友部正人
12月3日(日)「風知空知の2日目」
昨日はソロの部分をぼくが先に歌ったので、今日は峯田くんが先に歌いました。今日は飛び入りで銀杏BOYZのチンくんがギターとコーラスで参加してくれました。チンくんが参加したのは峯田くんの「夜王子と月の姫」と、ぼくの歌う「銀河鉄道の夜」でした。昨日はアンコールで二人で歌った「君が欲しい」を、今日は峯田くんが一人で歌ってくれたので、今日のアンコールは「一本道」と「サウンド・オブ・下北沢」。ぼくも峯田くんも1日目より緊張していなかったし、チンくんの参加もあったりして、昨日よりも盛りだくさんでした。

人は年を取っていくものですが、歌は成長していくものです。ぼくより27歳年下の峯田くんとぼくのライブで、お客さんは人と歌の両方を体験できたのではないでしょうか。
そして今日の打ち上げは鍋。おいしかった。ユミは今日も何も食べられませんでした。

友部正人
12月2日(土)「風知空知」
下北沢に新しくできた「風知空知」で銀杏BOYZの峯田和伸くんとの初めてのライブでした。テラスのあるビルの4階のお店です。西向きのテラスなので、夕日がきれいだという店主の話でしたが、残念ながら今日はあまり天気がよくなかったみたいです。

今日の峯田くんとのライブはぼくにとっていろいろと収穫がありました。まず、銀杏BOYZのレパートリーの「銀河鉄道の夜」をなんとか歌えたこと、峯田くんの書いた「おかえりなさい」という詩に曲をつけて歌ったこと、峯田君が大好きだという「なんでもない日には」を二人で歌ったこと。峯田くんはぼくの「牛乳とお菓子パン」という詩にに曲をつけて歌ってくれました。
「風知空知」の料理を、終演後にたくさん食べさせてもらいました。オリーブオイルのたっぷりかかったサラダやパスタ、おいしかったな。ユミは打ち上げの頃から急に具合が悪くなり、ぼくたちが食べている横で、ずっとソファに横になっていました。

友部正人
11月29日(水)「広島 オーティス」
いつもは夏に来ていた広島、今年はこんな時期になりました。日が暮れると寒く、平和記念公園にぽつんと燃える火が煙のように目にしみます。
広島は世界的な観光地なので、オーティスにも外国人がよく来るそうです。アメリカ人には店内に貼ってあるチラシの「Speak Japanese,American」という文字がすぐに目に飛び込むらしく、緊張した面持ちになるのがおもしろいらしいです。

友部正人
11月28日(火)「山口 ダダ」
ライブまで時間があったので、午前中は走り、午後は美術館に雪舟の展覧会を見に行きました。雪舟の絵で、アンドリュー・ワイエスの切り株の絵なんかを思い浮かべました。
こんな風にのんびりできるのは前の晩から山口に来ていたから。

友部正人
11月27日(月)「オフの日」
雨も上がったので、友人に誘われて甘木の「共星の里」に行きました。廃校になった小学校の校舎を利用した美術館です。ここを運営している柳さんは、ぼくが32年前にサンフランシスコで泊めてもらったアーティストです。その後ライブペインティングで知られるようになり、喜多郎の世界ツアーにも参加していたそうです。
柳さんがその近くの「音楽館」に案内してくれました。本物のゼロ戦が館内に展示してありました。でもここはオーディオの博物館です。100年前のエジソンが発明した蓄音機や、めずらしい60年代のカラオケを聞かせてもらいました。

夜は山口へ移動して湯田温泉にある「ダダ」で中野督夫と二村敦志のライブを聞きました。今は防府でうどん屋をしている中塚正人が、飛び入りで中野督夫と「風景」を歌ったりとか、思いがけないこともあった楽しいライブでした。「風景」は中塚正人の名曲です。

友部正人
11月26日(日)「基山町民会館小ホール」
日曜日でしかも雨降りだというのに、わざわざ歌を聞きに出かけてきてくれる人がいるのはうれしいものです。子供連れの人たちのために、別室では「ハリーポッター」のビデオ上映もしていました。主催のてらこやきっどは、地域の学童保育所です。

友部正人
11月25日(土)「博多百年蔵」
久しぶりの博多百年蔵、ホールの内装が新しくなっていました。壁際の椅子の下からはヒーターの暖かい空気が噴出していて、外が寒い日なんかはライブ中眠くなりそうです。
最初に歌ったのは熊本のシガキマサキくん、田辺マモルくんを聞いてソロで歌い始めたとか。歌い方や声がどこか田辺くんに似ています。とても歌のうまい人でした。
ぼくはハシケンと作った「父さんの手はグローブ」を歌いました。この曲は気に入っていて、当分やろうかなと思います。「LIVE! no media 2004」からは田辺くんの「愛情のしみ」を朗読し、終演後は田辺くんと二人で作った「わが町のスターバックス」をPAの人に頼んでかけてもらいました。
帰りに百年蔵からしぼりたての新酒をいただきました。とても濃厚な日本酒でした。

友部正人
11月24日(金)「僕らの音楽」
「僕らの音楽」というフジテレビの音楽番組の収録で、森山直太郎くんと一緒に「こわれてしまった一日」を歌いました。森山くんが番組でこの歌をぼくと歌いたいと制作の人に言ったそうです。彼と初めて会ったのは今年8月、寺岡呼人くんのイベント「ゴールデンサークル」のときで、そのときも「こわれてしまった一日」をステージで二人で歌いました。
今回は時間の都合で歌詞の3番と間奏を省略せざるをえなかったのですが、森山くんのアイデアで、最後の「遠くからでも見える人」という一行を繰り返し、それでなんとなくバランスがよくなったみたいです。
本番は一回でOK。何回かやり直さなくてはならないと思っていたから、うれしいような、物足らないような。でもたぶんまた、どこかで一緒にやれることもあるでしょう。
放送日は12月1日の夜11時50分です。

友部正人
11月23日(木)「言葉の森で・ハシケン」
朝早く起きて、ハシケンの「走る人」を小さく口ずさみながら、みなとみらいを走りました。「走る人」は拍子が変わっていて、じっとしていると歌いにくいのに、走りながらだと自然です。ハシケンも走りながらこれを作ったのかもしれません。

久しぶりの「言葉の森で」はハシケンがゲストでした。コンサートの中でも言いましたが、初めてハシケンの「凛」を聞いたときは本当に新鮮な気がしました。どんな歌の規格からも外れていて、どこか沖縄の民謡っぽい節回しは、一度聞いたら忘れられませんでした。
今日ハシケンはその「凛」を一曲目に歌ってくれました。他にも「テーゲー」「夕映え」など、聞きたかった曲をたくさん歌ってくれました。「感謝」も二人で歌いました。
一部でぼくが歌い、二部でハシケンが、そして三部ではお互いの詞に曲をつけたものを披露し合いました。ぼくはハシケンの「父さんの手はグローブ」という詞に曲をつけて歌い、ハシケンはぼくの「退屈」という詞に曲をつけて歌いました。「父さんの手はグローブ」の曲をハシケンが気に入ってくれてうれしかったし、「退屈」にいい曲がついてぼくもうれしかった。

友部正人
11月19日(日)「鵺(NUE)」
宮沢章夫さんにお招きされて、三軒茶屋のシアタートラムに宮沢章夫作・演出の「NUE」を見に行きました。「鵺」という能の作品を下敷きにして創作されたものです。この世のものではない生き物、この世にはない場所、それを宮沢さんは俳優と空港のトランジットルームに置き換えました。
ぼくもユミもまだ時差ボケが大分残っていて、途中で眠くならないかが心配でした。でもそんなことは全くありませんでした。肉体で見せるというより、ストーリーでぐいぐいと観客を引っ張っていきます。「芝居ではどうして役者は大きな声を出すのだ?」「どうしてBGMがかかるのだ?」というセリフがありましたが、宮沢さんはずっとこのことにこだわっているようです。そしてその疑問が作品になり、自分で自分に答えを出そうとしている。宮沢さん以外には書けない芝居なのではないでしょうか。
「楽屋に行きませんか」とロビーで宮沢さんに誘われましたが、照れくさいのでやめました。後になって、宮沢さんと話したいことがいろいろ出てきました。

友部正人
11月18日(土)「LIVE! no media 世田谷編」
世田谷文学館で開催中の「宮沢和史の世界」展のイベントの一つとして、文学館の一階で「LIVE! no media 世田谷編」をやりました。今回の出演者はぼくと三宅伸治さんと寺岡呼人さん、そして飛び入りで宮沢和史さんでした。
三宅くんも寺岡くんも新作ばかり朗読しました。三宅くんの「ごみを捨てよう」、寺岡くんの変身の詩、おもしろい詩で感心しました。おかげですごく盛り上がっていいライブになりました。
宮沢くんは話が上手です。ぼくは12月に朝日カルチャーセンターで話さなくてはならないけど、宮沢くんみたいに話せたらなあ、と思いました。
アンコールでは全員が一編ずつ、今までのno mediaの作品の中から、自分のではない詩を一編ずつ選んで朗読しました。ぼくは平井正也の、三宅くんは高田渡の、寺岡くんは田辺マモルの、宮沢くんは仲井戸麗市の詩を読みました。
終了後、閉館の時刻まで、展覧会を見せてもらいました。現在ニューヨークのモルガン・ライブラリーで開かれている「ボブ・ディラン、アメリカンジャーニー」という展覧会よりはずっと規模も大きく内容も豊富でした。宮沢くんは詩を大学ノートに縦書きに書いていました。

宮沢くんの展覧会のおかげで、今年2回目の「LIVE! no media」をやることができました。帰ったら三宅くんから、終演後に楽屋で4人で撮った写真と、「やっとちゃんと朗読ができるようになってきた」というコメントがメールで届いていました。

友部正人
11月15日(水)「FUR」
今夜ニューヨークから横浜に着きました。10月下旬にユナイテッド航空の成田⇔ニューヨーク間の直行便がなくなって、戻りの便は初めてのワシントン経由でした。そしたらユミが心配していたことが実際に起こってしまったのです。ぼくのスーツケースがワシントンで乗り継ぎのとき、成田行きの飛行機に積み忘れられたのです。今までずっと直行便しか利用したことがなかったので、こんな目にあったことはありませんでした。スーツケースは早ければ明日の夜に家に届けられるそうですが。

ニューヨークを立つ前夜、封切られたばかりの映画「FUR/An imaginary portrait of Diane Arbus」を見に行きました。ニコール・キッドマンがDiane Arbusを演じています。
これは伝記映画ではなく、ダイアン・アーバスという写真家をイメージして作られたフィクションです。きちんとした妻の役割に息苦しさを感じていたダイアン(映画ではディアンと発音していました)は、二階に住む奇妙な人物と出会い、写真と愛に目覚めます。写真と愛は、ダイアンにとって同じものなのです。どうして「FUR」というタイトルなのかは、映画を見ると納得できます。
こういったイメージだけの映画にアメリカ人はあまり関心がないのか、そんなに人が入ってはいませんでした。そのせいかスクリーンの裏を流れる水の音が気になりました。外で降っている雨が地階に流れてくる音だと思うけれど。リンカーン・プラザ・シネマは大好きな映画館で、今まで何度も来ています。映画は日本に帰る直前の空虚な時間を埋めるのにちょうどいいです。

友部正人
11月10日(金)「スクリッティ・ポリッティ」
午後8時20分、開場直後のバワリーボールルームはまだステージの準備ができていなくて、地下のバーでかなり待たされました。お客さんは10人ぐらいしかまだ集まっていなくて、別に飲み物を頼むでもなく、ソファーに腰掛けて準備が終わるのを待ちます。実際に開演したのは10時でした。
最初にジェフリー・ルイスという漫画家なのかミュージシャンなのか詩人なのかわからない人が出て歌いました。自作の漫画をスライドで写しながら歌います。ロンドンのラフトレード・レコードから4年前に初めてスタジオ録音盤のアルバムを出しました。詩なのか体験談なのか、大量の言葉が簡単なメロディにのせて乱射されます。それがおもしろくて、ぼくは会場で2枚もアルバムを買ってしまいました。
スクリッティ・ポリッティが始まったのは11時で、気がついたら場内は満杯、といってもそんなに広くはない会場だから、200人ぐらいか。30年もキャリアがありながら、アメリカツアーは初めてだとか。学者っぽい風貌でちょっと神経質そう。バンドのベースの女の子がかわいらしいのでついそちらを見てしまいます。
ラフトレードのミュージシャンたちを聞くようになったのは、ぼくの「ポカラ」(’83)や「カンテグランデ」(’84)を作った徳間ジャパンレコードが、その頃ラフトレードを日本で発売していたから。おかげで当時のラフトレードのレコードをたくさんもらって聞いてました。その中にスクリッティ・ポリッティもあって、メロディアスで聞きやすくビートルズみたいでした。
長くやっている人は音楽の幅も広く、それだけいろいろ楽しめます。来てよかったなあ、と思えるいいコンサートでした。

友部正人
11月9日(木)「MoMA」
今年の夏まで5年間ニューヨークに駐在していた岡田夫妻と、ぼくとユミとでセントラルパークを一周走りました。岡田さんたちはニューヨークシティマラソンを走るために今回ニューヨークに来て、無事に完走しました。
雨の後の公園の木々があまりにもきれいだったので、写真を撮るために午後からユミと二人でまたぶらぶらとセントラルパークへ。噴水の前では白人3人のジャズバンドが、バンバンバザールでおなじみの「手紙を書こう」を演奏していました。
59丁目のプラザホテルは現在コンドミニアムに改装中。ホテルだった頃のかわいらしい感じがなくなっていました。5thアベニューのデパートではもうクリスマスの飾りつけが始まっています。「早いね」とユミはびっくりしていました。
そのまま歩いてMoMAに。今年から会員になったのでいつでもただで入れます。始まったばかりのマネの絵を見てから、ショップでおみやげを買いました。会員になると、最初のときだけ買い物が20パーセント引きになります。友だちに勧められて会員になってみたけど、MoMAの会員特典はいいことが多いです。

友部正人
11月8日(水)「そろそろ」
マラソンが終わり、「コーラスライン」を見たら、そろそろ日本に帰る準備が始まっています。
18日の世田谷文学館での「LIVE! no media 世田谷編」は、三宅くんと寺岡くんに新作を期待してるよと言っておきながら、ぼくは今のところまだできていません。
23日のスターパインズカフェは、ぼくにとっては一ヶ月ぶりのライブなので、たくさん歌いたい気持ちです。ハシケンからもらった詞に曲をつけているし、それからハシケンの曲を練習したりもしています。

友部正人
11月7日(火)「コーラスライン」
沖縄の野田さんを通して知り合った高良結花さんが出ているので、ブロードウェイの劇場に「コーラスライン」を見に行きました。先日メグに誘われて「The Little Dog Laughed」という芝居を見に行ったコートシアターもそうでしたが、ブロードウェイの劇場って思っていたより狭いのです。だから一番後ろの席でしたが、十分によく見えました。

春にニューヨークで高良さんと知り合ったときには、日本人の中でも特別背の低い高良さんがブロードウェイのミュージカルに出るというのでとてもびっくりしました。でも、パンフレットを読むと、高良さんは2001年からブロードウェイのミュージカルにいくつも出演していたようです。今回の役柄は、背が低いのに「コーラスライン」のオーディションに応募した中国人コニーの役でした。
ニューヨークに来るようになって10年以上になるのに、今まで一回もミュージカルを見ていないのは、ぼくもユミも全く興味がなかったからです。でも、はじまると夢中になって見ているぼくでした。実際の人間が目の前にいて、踊ったり歌ったりしているのがおもしろいのです。映画とは全然ちがいます。映画は本を読むのに似ています。だけどお芝居もミュージカルもライブだなあ、と思いました。
2時間休憩なしのステージで、高良さんは観客の心をしっかりとつかんでいました。最後に出演者が紹介されたときの拍手の大きかったこと。来年の4月まで毎日やるのだから大変だと思うけど、元気でがんばって欲しいなあ、と思います。

友部正人
11月6日(月)「翌日のセントラルパーク」
マラソン翌日のセントラルパークには感傷的な雰囲気が流れています。遠くから走りに来て帰る人たちが、フィニッシュのあたりで記念撮影しているからです。(地元の人は今日すでに出勤しているはず。)一人で来た人は携帯電話で自分を撮影していました。順番に表彰台に上って記念写真を撮っている人たちは足が痛そうです。それでもみんなにこにこ笑って写真におさまっていました。いろんな国の言葉が飛び交っています。その横でフィニッシュのゲイトや観客席が着々と解体されていきます。
今朝のニューヨークタイムズには、トップの人から5時間までのタイムの完走者の名前が何ページにもわたってずらーっと掲載されています。虫眼鏡でしか見えないくらい小さな文字ですが。それから、レース中の島袋さんの後姿の写真が出ていました。

友部正人
11月5日(日)「ニューヨークシティマラソン」
マラソンを走るのは6回目、ニューヨークでは5回目です。
今年は気温が低かったので(摂氏7度くらい)、あまり汗もかかず、最後まで問題もなく走れました。ゴールしてもまだ力が余っていたのは今回が初めてかも。
スタテン・アイランドを午前10時10分に出発、ブルックリンを20キロぐらい走りクィーンズへ、クィーンズ・ボロー・ブリッジを渡ってマンハッタンの1stアベニューを北上、ブロンクスに入ってまたすぐにマンハッタンに戻り、5thアベニューをまっすぐグッゲンハイム美術館のあるあたりまで南下してセントラルパークに入ります。そこからゴールまでは4キロぐらい。
応援のユミとは26キロ地点の1stアベニューと、ゴール間近のセントラルパーク東72丁目で会う約束をしていたのに、1stアベニューは応援の人があまりにも多くて見逃してしまいました。セントラルパークではパッチリ会えましたが。
3時間37分でフィニッシュした後、72丁目にいるユミたちと合流して、沖縄から参加した両足義足の島袋勉さんを応援してから帰りました。今日は応援の人には寒すぎる気温だったので、「寒くて肩がこった」と言いながら、暖かい中華料理を食べに行きました。
完走するともらえるメダルを首から下げて公園を歩いていると、すれ違う人たちがみんな「コングラチュレイションズ」と言ってくれるのがうれしかった。走ってよかったと思いました。

友部正人
11月4日(土)「レコード市」
WFMUというラジオ局が主催する毎年恒例のレコード市に行きました。数え切れないくらいの中古レコード屋さんが広い会場にぎっしりとレコードのつまった箱を並べます。毎年11月の第一金曜日、土曜日、日曜日の3日間やるのですが、ニューヨークシティマラソンと重なるので、土曜日しかぼくは行けません。朝10時からやっているのに、いつも行くのは午後になってしまいます。それでも7時の閉館までけっこういろいろ見られます。話によると、全部見ようとすると3日でも足らないそうです。
会場では映画の上映やライブ演奏も行われ、ビールなどが飲めるカフェも用意されています。丸一日そこで過ごすように作られているのです。いろんな傾向のお店があって、レコードの値段もまちまちです。その違いがわかってくるまでに少し時間がかかります。最初はどこからどう手をつけていいかわかりません。それでも、気に入ったお店があると、そこからぐっと深く入り込んで行きます。
今日はゲイル・ガーネット、インクレディブル・ストリングバンド、ニューオーリンズ・ジャズ・ヘリティッジのライブ盤など、50ドルぐらい買い物しただけでした。

友部正人
11月3日(金)「ヨシのうちで」
マラソンに参加する人や応援する人たちが、ヨシのうちに集まってパスタパーティをしました。今年は沖縄から島袋勉さんがフルマラソンに参加するので、そのサポートをみんなでしようとヨシが呼びかけたのでした。島袋さんは両足とも義足です。ユミは島袋さんから義足の仕組みを見せてもらっていました。今回は7センチも長い義足なので、その分背も高くなったそうです。

ぼくはパーティを途中で抜けて、先日のヒロ・ボールルームにDeerhoofのライブを聞きに行きました。ベースとギターとドラムだけのシンプルな編成で、ベースの人が歌う歌詞にはほとんど意味らしいものはありません。ただお互いの楽器がシャープに交差し合う様が、聞いていてとてもスリリングで、こういったことはバンドででしかできないことだなあ、とつくづく思うのです。スザンヌ・ベガのときの3倍ぐらいお客さんが入っていて、若い人たちはこういった実験的なロックバンドが好きみたいです。

友部正人
11月2日(木)「マラソンEXPO」
ニューヨークシティマラソンのゼッケンやTシャツをもらいに、EXPOに行きました。会場は36丁目あたりなので、ユミと走って行きました。20分ぐらいで着いてしまった。
EXPOは今日始まったのでまだそんなに混んではいませんでした。いろんな会社が自社の製品を売り込みに集まっています。
来年2月の東京マラソンの募集もしていました。とっくに募集は締め切ったはずなのに、5000人の海外枠がまだいっぱいにならないのでしょう。東京以外にも、ダブリン、ローマ、ジャマイカ、サハラ砂漠など、世界中からマラソンの勧誘に来ています。

友部正人
10月31日(火)「スザンヌ・ベガ」
今夜のローリング・ストーンズはミック・ジャガーの喉頭炎のために明日に延期になったそうです。喉を痛めたらツアーはつらいですね。

ぼくたちはヒロ・ボールルームにスザンヌ・ベガを聞きに行きました。日本人が経営する店なのか、スタッフはひらがなで「ひろ」と書かれたTシャツを着ています。中央のダンスフロアはそんなに大きくはありません。そこに100人ぐらいが立って聞くわけです。スザンヌ・ベガの前に3組も出演者があって、3時間も待ちました。首から「Small Blue Thing」と書かれた青いプラカードを下げた若いカップルも、転換の度にステージのまわりをうろうろしています。二つ目のバンドのころ会社帰りのメグがかつらをつけて現れました。今夜はハロウィンで、パレードのある6thアベニューを横切るのが大変だったみたいです。
スザンヌ・ベガはブルーノートと契約したばかりで、新しい曲が目立ちました。ほとんどギターは弾かず、小編成のバンドでジャズシンガーのように歌っていました。新曲の「New York is woman」は雰囲気のあるいい曲でした。アンコールは「ルカ」、そして「Jones and me」という新曲で終わりました。歌うスザンヌ・ベガを見るのは本当に久しぶりで、年は取ったけど前より堂々としていて、自分の音楽を楽しんでいるようでした。

終演後は8thアベニューを23丁目まで歩きながら、通りを行きかうドラッグクィーンたちのあでやかさに見とれました。通りも地下鉄の中も、日常から解き放たれたようでした。

友部正人
10月29日(日)「ローリングストーンズ」
セントラルパークで5マイルのレースがありました。ユミはレース前に一人で5マイル走り、その後合流したヨシとマドレンと一緒にぼくを応援してくれました。
今日は風が強く、冷たい風に鼻がアレルギーになって、一日くしゃみばかりしていました。

アパートの前にあるビーコン・シアターでは、今日とあさっての二日間、ローリングストーンズのコンサートがあります。マーティン・スコセッシが映画を撮影するそうです。2800席の劇場なので、とっくにソールドアウトですが、キャンセル待ちなのか、寒いのに朝から劇場の前には短い行列ができていました。クリントン元大統領の60歳の誕生日イベントの一つで、主催のクリントンが一部の席を押さえてしまっていて、一般の人には今日はあまりチケットが行き渡らないらしい。

友部正人
10月28日(土)「ボブ・ディラン」
グレイター・ニューヨークというランニングチームのメンバーで、ニューヨーク・シティ・マラソンの最後の10マイルのコースを走りました。ぼくは今年からこのチームに入れてもらっています。
ニューヨーク・シティ・マラソンまであと一週間になりました。

午後はユミとメグと3人で、モーガン・ライブラリーにボブ・ディラン展を見に行きました。着いたらちょうど映画の始まる時間でした。映画は10年近く前に日本でも発売された「フォークウェイズ」で、ぼくもビデオで持っています。でも久しぶりに見て、アーロ・ガスリーとエミルー・ハリスの「ディポーティー」には感動しました。
展示には目新しいものはあまりありませんでした。若き日の恋人、スーズにプレゼントしたというバイロンの詩集の内表紙に、スーズあてのメッセージが書いてあって、その下にロード・バイロン・ディランと署名してあるのがかわいらしかった。
今日は朝から荒れ模様の天気で、しかもとても寒く、ディラン展を見た後はタクシーでチャイナタウンのカンジー・ビレッジにおかゆを食べに行きました。

友部正人
10月26日(木)「マンハッタンはせまい」
ブラジルのシンガー・ソングライター、ミルトン・ナシメントをヴィレッジのブルーノートに聞きに行きました。まだ時間が早かったので、ブリーカー・ストリートのポートリコにコーヒー豆を買いに行ったら、入り口でばったり仕事帰りのメグに会いました。「マンハッタンはせまい」、こんな映画みたいなことがおきる街です。

クイーンズに帰るメグと別れて、ブルーノートへ。8時からの演奏をバーの席で聞きました。ぼくもユミもあまり詳しくはないのに、それでも聞いたことのある曲がありました。年は取っていても、伸びやかでとてもいい声です。途中で1曲、ミルトンの孫だというピアニストと二人だけで演奏しました。その後はライブ盤で聞いたことのある派手な「マリア・マリア」などをやり、盛り上がったところで「ハッピーバースディ」。どうやら彼の誕生日だったようです。

帰りに74stのフェアウェイ(マーケット)に寄ったら、今度はハーレムに住んでいるジャズのサックス吹きのMASAと彼氏の村田くんにばったり会いました。一日に二度もばったり友だちに会うなんて、やっぱり「マンハッタンはせまい」。買い物の後MASAたちはフェアウェイの隣にあるうちのアパートに来て、1時ごろまでしゃべっていきました。二人が帰った後、ユミと二人でミルトン・ナシメントのライブを思い出しながらウィスキーを飲んだから、今朝は頭が重いです。軽い二日酔いです。

友部正人
10月25日(水)「タワーレコード」
倒産したタワーレコードが、年内にいよいよ全店が閉店するそうです。リンカーン・センターのタワーレコードに行くと、全商品が20パーセントから40パーセント安くなっていました。アニ・ディフランコが有名になる前、一生懸命応援していたりして、いいレコード屋だなあ、と思っていました。ただ、アマゾンを使うようになってからは、タワーではあまりCDを買わなくなってしまったのですが。今日はギリアン・ウェルチと、ロバート・ワイアットの昔のライブ盤を買いました。

友部正人
10月24日(火)「ニューヨーク」
ニューヨークに来て5日目です。まだ時差ぼけと闘っています。ちょっとした買い物があったので、今日は初めて地下鉄で、ユミとダウンタウンに行きました。帰り道、マディソンの36丁目にあるモーガン・ライブラリーでやっている初期のボブ・ディランの展覧会に立ち寄ったら、閉館まで10分しかなくてあきらめました。28日にウッディ・ガスリーやレッド・ベリーの映画をやるようなので、そのときにまた行こうと思います。

今月末からはブロードウェイの劇場で、ボブ・ディランの曲、25曲に振り付けをしたダンスの公演がはじまります。「風に吹かれて」や「時代は変わる」、「ミスター・タンブリンマン」といった初期の曲を中心に、一人の無名の若者がどうやってボブ・ディィランになったかを描くようです。

11月に発売予定のユリイカ増刊号「宮沢章夫特集」に1600字ほどの文章を書いて送ったら、編集部の方から、おもしろかった、とほめてもらいました。音楽関係の雑誌と違うのは、現代詩手帖などの文芸誌は、編集者が丁寧に原稿の感想を述べてくれることです。「アサヒカメラ」にもたまに書評を書いていますが、やはりちゃんと感想を言ってくれます。

もうすぐNHK BS2の「フォークの達人」が放送されます。11月3日午後10時から1時間半の番組です。ゲストの板橋文夫さんやパスカルズとの演奏がどうなっているか、司会の山口さんや谷川俊太郎さんとのトークの場面はどうなっているか、ぼくも見るのが楽しみです。その頃はまだニューヨークにいるので、実際にぼくが見るのはうんと先になりますが。

友部正人
10月18日(水)「ハシケン。そして、さよなら北仲ホワイト」
11月23日の「言葉の森で」にゲストで出てもらうハシケンと、横浜の馬車道駅にある北仲ホワイトでリハーサルしました。ハシケンははるばる所沢から横浜まで車で来てくれました。しばらく途絶えていた「言葉の森で」ですが、ようやく再開です。今回はハシケンと二人だけで、お互いの曲を歌ったり、一緒に演奏したり、うまくいけば二人で作った新曲も披露できそうです。
初めてハシケンの歌を生で聞いたのはもう何年も前、スターパインズでのリクオのイベントを聞きに行ったときです。そのとき耳にした「凛」という歌に感動しました。だから「凛」はぜひ歌って欲しいなあと思います。

ハシケンが帰った後、北仲ホワイトのぼくとユミの事務所の片づけをしました。ぼくたちはあさってからニューヨークに行くので、他の入居者よりも一足早く今日引越しをすることになったのです。たった1年半でしたが、やっと慣れてきたところだったので、その部屋が空っぽになるのはさびしいものです。

友部正人
10月16日(月)「伊勢市 新富座」
新富座は伊勢に古くからある映画館です。映画館は今ではここ1軒だけになってしまったそうです。「ありがとう」と「ツヒノスミカ」の二人の監督と、トークと歌のライブがありました。「ツヒノスミカ」をまだ見ていなかったので、ぼくとユミはその上映時間に合わせて伊勢に行きました。「ツヒノスミカ」は、91才のおばあさんが住んでいた家を、建て替えのために取り壊す話です。ただそれだけの話なのに、映画は全然平坦ではありません。「ありがとう」はもう少し人間臭い映画です。そこには虚構らしいものはほとんど感じさせません。ありのままを、はらはらしたりおもしろがったりしながら見ることになります。
二人の監督に挟まって、話を聞きながら、ドキュメンタリー映画って歌のようだな、と思いました。本当と嘘の絶妙なバランスが命だと思えるからです。新富座の水野さんからは、「またぜひライブで来てください」と言われて、とてもうれしかったです。いつか歌で映画館をやりたくなりました。

友部正人
10月15日(日)「ホン・ヨンウン トリビュート・コンサート」
芦原橋のリバティホールで3年前の秋に癌で急死したホン・ヨンウンを偲ぶコンサートがありました。会場にはホン・ヨンウンのギターやステージ衣装、文献などが展示され、ロビーのスクリーンにはライブ映像が流されていました。
ホン・ヨンウンの親友の光玄から、ホン・ヨンウンの歌を何か1曲、といわれていたので、昔ホンくんのレコーディングでぼくがハーモニカを吹いた「親父の歌」を歌いました。ホンくんの歌詞は事実を歌っているようで、とてもシュールなところもあります。「親父の歌」の「赤いペンキ、黒いペンキ」というところもそうです。現実を飛び越えて、強烈な表現になっています。今回それを自分で歌ってみて、電気が走るのを確認しました。すごい歌だと思います。

友部正人
10月14日(土)「京都 拾得」
拾得に来るとぼくは京都に来た気がします。拾得には京都が住んでいます。去年から1年に1度のペースで拾得ライブを始めています。これからも続けていきたいなあと思います。
今日は片岡大志くんが聞きに来てくれました。ぼくのライブに合わせて、前日に拾得でライブをしたのだそうです。それで久しぶりに、以前彼がカバーしてくれた「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌いました。
拾得はアメリカの音楽が生き生きと聞こえる場所でもあります。去年はルシンダ・ウィリアムズが、今年はトニー・ジョーホワイトが新鮮でした。

友部正人
10月13日(金)「名古屋 スペースG」
Gは本当はインドの文字のジーなのですが、ここではアルファベットにしておきます。主宰の中川潔さんはインドやタイの雑貨屋をやっていて、Gではインド音楽のライブをやっています。ライブのときに出る食事はカレーです。小麦粉を使わないで、香辛料の他はたまねぎとジュースだけで作るそうです。ぼくも今度真似して作ってみようと思います。
北朝鮮の核実験で世の中が騒がしいので、久しぶりに「亡霊と天使」を歌いました。冷静でなくてはならないはずの新聞が、かえって世の中に不安を与えているようです。

友部正人
10月9日(月)「古書ほうろう」
夜の本屋シリーズ、ついに東京でも実現しました。去年知り合いの方から、千駄木に「ほうろう」という古本屋があって、時々ライブや詩の朗読会もしていて、友部さんに合いそうだから一度行ってみてはどうか、という手紙をいただいて、ユミと訪ねたのは去年の9月のことでした。
「ほうろう」はわりと大きな本屋なのですが、本棚があるのでそんなにたくさんの人は入れません。そこで今回のライブはまず、ご近所4区だけの優先予約を募ったそうです。
ライブは休憩をはさんで約2時間。新しい曲も1、2曲やりました。新しい曲には常に自然なエネルギーの隆起を感じます。
毎回「ほうろう」へ来ると本を何冊も買ってしまいます。今日もライブなのに3冊買いました。一番うれしかったのは、ずっと欲しいと思っていた唐十郎の「ジョン・シルバー」でした。「ほうろう」はぼくが買いたくなる本がそろっているお店です。どうしてなのかお店の方たちにたずねたら、そういう本を売りに来る住人がたくさん住んでいる地域だから、と言っていました。

友部正人
10月8日(日)「岩手大学農学部附属農業教育資料館」
この半年、気持ちのどこかでいつも楽しみにしていたコンサートの日がやってきました。主催は岩手大学の約10人の学生たちでしたが、仙台のテリーさんや、PAをしてくれた郡山のラストワルツの和泉さんの強力な手助けもありました。校内では有料の催し物ができないため、コンサートは無料でした。コンサートの経費やぼくの出演料は学生らがアルバイトをしたり、カンパを集めたりしたお金でした。重要文化財に指定された建物のため制約も多かったのに、実現できたのは彼らの努力によるものでした。会場に展示された高等農林学校の卒業生の写真の中には、ちゃんと宮沢賢治もいました。そして建物の入り口の前には、横向きの宮沢賢治の石像もありました。
台風によりキャンセルが多く出たにもかかわらず、大勢の人が聞きに来てくれました。ぼくが学生たちからリクエストされたことはただひとつ、「何でもない日には」を歌うことでした。「何でもない日には」が今日のコンサートのタイトルだったのです。
コンサートは午後3時から。まず桃生くんが主催者を代表して挨拶しました。その後コンサートは5時過ぎまで続きました。ぼくは3曲目あたりから体が温かくなりましたが、暖房設備のない会場なのでじっと聞く人にとってはすごく寒かったと思います。物品販売も禁止なので、終演後は、校門の外で地味にCDや詩集を売りました。産地直送の野菜を売りに来たみたいで楽しかったです。楽屋を片付けてホールに出ると、学生たちが一列に並んでぼくを待っていてくれました。予想していなかったので、とても感激しました。照れくさいけど、みんなと握手して、玄関で記念撮影もして別れました。ぼくとユミはそのまま夜の新幹線で横浜に戻りました。

友部正人
10月7日(土)「吟行」
郡山からはテリーさんの車で盛岡に向かいました。途中、高速のサービスエリアで、仙台からの句会の仲間たちと合流。サービスエリアにあった芭蕉の句をみんなで眺め、盛岡へ向かいました。明日のコンサート会場の下見をしてから、「クラムボン」に。そこでコーヒーを飲みながらそれぞれ書いた句を、今度は「紅茶の店しゅん」で紅茶を飲みながら選句したり、と句会になりました。
夜はハガクレというお店で、明日のコンサートの主催者、岩手大学の学生たちと前祝の飲み会。卒業を春に控えた学生たちのいろんな気持ちが聞けてとてもうれしかった。たまには若い人たちと話をするのはいいものです。

友部正人
10月6日(金)「郡山ラストワルツ」
朝から強い雨が降っていました。横浜から郡山の間もずっと雨。雨と風はラストワルツでライブが始まる頃一番激しくなりました。ユミは外までのぞきに行っては、「すごい」と言いながら戻って来ます。どうやら台風に追いつかれたようでした。ぼくは一度ものぞきに行きませんでした。台風なんて、そのうち行ってしまうものですから、お客さんたちものんびりしたものです。今年2回目のラストワルツライブ。雨の歌を特集してやってみました。

友部正人
10月3日(火)「愛媛県川之江町」
川之江町の「ジャランバリ」でライブをしました。4年ぶりで2回目です。川之江は古い町です。旧街道沿いには格子窓の家が多く残っています。そういうところが、製紙工場の煙突と対照的です。夜になるとアーケードのある商店街を歩いている人はほとんどいません。今日は「ジャランバリ」10周年記念ライブでした。今夜集まった人たちは、歌だけではなく詩の朗読も喜んでくれたのが印象的でした。

友部正人
10月2日(月)「小薮温泉」
今日はオフでした。横須賀から来てくれた「どんすぃんくとぅわいす」の高橋さんを内子まで送りがてら、小薮温泉に行きました。小薮温泉はパンフレットの写真を見て想像していたよりもうんとこじんまりとした温泉でした。冷泉をわかしているそうですが、温泉の質はとてもいいらしいです。ぼくはやっと念願の温泉に来られました。夜になって、車で高知の窪川に向かいました。途中の四万十川で、火振り漁を偶然見ました。舟から火を振って、鮎が驚いて飛び出したところを網ですくう漁方だそうです。暗闇でゆれる炎が幻のようでとてもきれいでした。

友部正人
10月1日(日)「愛媛県北宇和郡鬼北町」
高知と愛媛の県境いにある山の中の小さな町にやって来ました。会場は主催の岩本さんちの畑に岩本さんが一人で300本の竹を組み立てて作ったバンブーハウス「山猫亭」。柱を使わない特殊構造で中は広々しています。朝からの雨は開演時刻の6時になっても止みませんでした。それでも場内はほぼ満席。遠くから来てくれた人も多いようでした。
主催の岩本さんとは、1980年代に日大の学園祭で出会っていることがわかりました。その時彼はまだ学生で、学校でもう使われなくなった謄写版をぼくのうちに運んできてくれたのです。それがきっかけとなって、友部正人オフィスの新聞「リクエストタイムズ」がガリ版刷りでスタートしました。ガリ版の「リクエストタイムズ」は50号まで続きました。インクや修正液などが手に入りにくくなってそのあとワープロに切り替えましたが。
歌いに来たことのない場所なので、ぼくの歌をはじめて聞く人も多く、その人たちの反応が素直にぼくにも伝わってきました。こういうときぼくは歌を歌ってきてよかったなあ、と思うのです。その人たちの歌との出会いはぼくにとって聞き手との出会いだから。新しい海に船出したような気がします。

友部正人
9月30日(土)「南国市」
高知市のすぐ隣の南国市の歩屋でライブをしました。歩屋は畑の真ん中にぽつんと一軒だけあるアジアン食堂です。日が暮れかけた頃、どこからともなく、お客さんが車で次々とやって来ました。女性ばかりの調理場もそれにつれてあわただしさをまします。ジャコバン西田という若者がまず歌いました。旋律がとてもポップでおもしろいと思いました。ぼくは休憩を一度はさんで、全部で2時間近く歌いました。今日はとても声が出ています。最近は、ギターと歌の音量のバランスをとるのがおもしろいです。そういうことも演奏のうちだと思います。歩屋の店主、高橋歩美さんは版画もやっていて、9月25日付の高知新聞朝刊に載ったぼくのエッセイに、挿絵を描いてくれたのですが、その挿絵を記念にいただきました。

友部正人
9月29日(金)「高松」
グランドファーザーズという古くからあるお店ではじめてライブをしました。24日の加古川以来のライブだったので最初はちょっと声が出ていない感じでしたが、途中からいつもの調子に戻りました。終盤にだいぶ年配の女性から谷村新司の「昴」を歌ってくれないかというリクエストがありました。「昴」は歌いませんでしたが、その女性は最後まできちんと聞いてくれました。他人の曲のリクエストにはびっくりしましたが、昔はこういうことはちっとも珍しくはなく、今よりもおおらかだったのかな、と思いました。

友部正人
9月25日(月)「神野」
チャツワースのライブにも来てくれた友人と神野のオカヤという酒屋さんに行きました。(オカヤさんもライブに来てくれました。)オカヤのすぐ前をJR加古川線が走っていて、車体に横尾忠則の絵が描かれていると聞いて、ぼくとユミは電車が通過する度に店から飛び出したのですが、結局2時間待っても1輌も見ることができませんでした。「今日はどうしてかな」とみんなも首をかしげていました。

友部正人
9月24日(日)「チャツワース」
加古川にある紅茶のお店「チャツワース」でライブをしました。加古川は好きな町なので、ライブをしてくれるお店があるととてもうれしいです。オーナーの岸本さん夫妻が地元の人たちに声をかけてくれたおかげで、たくさんの人が集まりました。紅茶のお店なので歌詞に紅茶が出てくる歌、紅茶の湯気のような歌を何曲か選んで歌いました。「月夜の盗賊たち」はほとんどライブでは歌ったことがなかったので、キーがわからずに大失敗でした。
終演後は焼肉をご馳走になり、その後ぼくとユミと岸本さん夫妻の4人で、紅茶を飲みながら1時半ごろまでチャッツワースでおしゃべりしていました。

友部正人
9月22日(金)「オープンスペースれがーと」
約6年ぶりに滋賀県甲西町の「れがーと」に歌いに行きました。「れがーと」は規模を拡大したりして、この何年間かはコンサートどころではなかったようです。「れがーと」は身障者や老人のデイケア施設です。ここのスタッフはみんな歌が好きで、今までもぼくや小室等さんがスタッフのためによく歌いに行っていました。画家の田島征三さんもたびたび訪れています。
新しい「れがーと」にはレストランもあって、学校帰りに子供は絵本が読めるし、大人はビールが飲めます。椅子やテーブルを片付け、床にすわってのんびりと歌を聞く雰囲気は新築前と同じでした。今回都合でコンサートを聞けなかった理事長の北岡くんの提案で、今年の12月、もう一度ライブをすることになるかもしれません。

友部正人
9月21日(木)「バックビート」
神戸のバックビートで、ハンバートハンバートとライブでした。彼らと一緒にライブをするのは初めてです。まず大阪の沢田ナオヤくんが30分ほど歌い、それからハンバートハンバートが45分、ぼくが45分という構成です。ハンバートハンバートは佐藤良成くんと佐野遊穂さんの二人組。背の高い良成くんがギターを弾き、コーラスをつけ、バイオリンも弾きます。遊穂さんはのびやかなとても澄んだ声で歌います。
アンコールで、ぼくの「夜は言葉」と「こわれてしまった一日」をハンバートと一緒に歌いました。遊穂さんから「Speak Japanese,American」の4番を「Speak Japanese,大使館」と歌って欲しい、と言われました。大使館という日本語がアメリカ大使館の人に解ればそれでもいいなあ、と思いました。

友部正人
9月18日(月)「まつもと市民芸術館小ホール」
今日は元古井戸の加奈崎芳太郎さんとのジョイントライブでした。加奈崎さんが言うには、古井戸がデビューする前に、吉祥寺の「ぐゎらん堂」でぼくと一緒にライブをしたことがあるそうです。彼はそのときのことをとてもよく覚えているようですが、ぼくはすっかり忘れてしまっていました。彼は不良っぽくしているけど、とても友好的で話のうまいかわいい人です。
ステージは黒い板塀のような、モダンだけどどこか和風の背景で、今日のような弾き語りのライブにはぴったりの新しいホールでした。

友部正人
9月17日(日)「ふぉの」
久しぶりに飯田のふぉのに歌いに行きました。日本海を台風13号が通過中だとかで、天気はよくありません。飯田は丘の上にある町です。フランスのポワティエを思い出しました。ただ違うのは、飯田は駅も高いところにあることです。ポワティエの駅は麓にありました。
「ふぉの」は30人も入れば一杯の、熱心なフォークファンが多いお店です。壁には過去の出演者たちのポスターや写真がいっぱい貼ってあります。中にはもう歌っていない人のポスターもあって、どうしているんだろうなと思ったりしました。終演後の打ち上げでは、マスターの小島さんがつけたという漬物や、飯田名産の馬の腸の刺身をたべました。

友部正人
9月16日(土)「カントリーキッチンくるみ」
長野県茅野市の「くるみ」に歌いに行きました。大きな山小屋のようなレストランです。横浜はまだ夏の終わりという気候ですが、茅野はすでに秋の終わりのようでした。山から冷たい空気が下りてくるので、長野県でもこの辺りは特別寒いのだそうです。
ライブには「くるみ」の常連の人たちも家族で聞きに来ました。また、松本や伊那など少し離れた地域からも来てくれたようです。建物のせいかアトホームな雰囲気のコンサートでした。諏訪湖畔で天然酵母のパンを焼いているという女性は、「働く人」を聞いて、「私は1日の3分の2は働いているわ」と言って帰りました。

友部正人
9月12日(火)「フォークの達人、トークの収録」
神楽坂にある麦マル2というおまんじゅうカフェで、「フォークの達人」のトークの部分の収録がありました。7日のライブの収録のときには来られなかった司会進行の山口智光さんにも初めて会いました。

トークのゲストは詩人の谷川俊太郎さん、谷川さんはぼくの「にんじん」のLPを見せながら、ぼくとの出会いを語り、詩集「ぼくの星の声」の中の「海と砂浜」の出だしの部分を読んで、ぼくの詩について語ってくれました。また現代詩文庫「友部正人詩集」のために谷川さんが書いてくれた詩を半分だけ朗読しました。ぼくが特に好きな部分がその後半にあったので、思わずぼくが「ああ、もう少し読んで欲しいな」と言ったら、谷川さんも「ぼくもそこが好きなんだ」と言っていました。途中までしか朗読できなかったのは、放送時間の都合だと思うけど、あと一分ぐらいのことなのに、なんとかならなかったのかな、と思いました。

山口さんとは収録の合間に横浜の話なんかをしました。横浜の根岸や本牧、野毛動物園なんかが好きなのだそうです。なんだか気が合いそうな人でしたが、忙しいのか、収録がすむとすぐ次の現場に向かったので、ちょっと残念でした。これで11月3日放送の番組収録がすべて終わりました。ぼくは放送日はニューヨークにいる予定ですが、BSが見られる人はぜひ見てください。

友部正人
9月7日(木)「フォークの達人」
ちょっとふざけたようなタイトルなのですが、番組を制作している人たちはいたってまじめで、きちんとした番組をつくろうととても熱心でした。本番までに何日も細部に渡って打ち合わせを繰り返し、こんなことはめずらしいなあ、とぼくは思っていました。
演奏には3つのパターンがあったので、舞台の転換なども大変で、全曲リハーサルにも時間がかかりました。板橋文夫さんがぼくの喉の心配をしてくれてはじめて、適当にやらないともたないな、とぼくも気づきました。

ライブは7時から始まって、まずは12人編成のパスカルズと3曲。「6月の雨の夜、チルチルミチルは」「シャンソン」「夕暮れ」を演奏しました。「シャンソン」の途中でぼくが歌詞が出てこなくなり、一度中断してやり直しました。みんなのっていたので、中断してもなかなか全員が止まらないのです。この勢いに乗せられてぼくは歌っているんだなあ、と思いました。たった3曲でしたが、どの曲もタイプが違うのでおもしろい演奏になりました。パスカルズは1ヶ月前にヨーロッパツアーから戻って来たばかりです。

ジャズピアニストの板橋文夫さんとは、「私の踊り子」「夕日は昇る」「夜は言葉」を演奏しました。板橋さんはリハーサルは打ち合わせ程度の弾き方なのに、本番になると入道雲のようになります。地平線から音がもくもくとわいてくるのです。その圧倒的なスケールに支えられてぼくも楽しく演奏できました。その板橋さんも今頃はもうアフリカに演奏旅行に行っているでしょう。

パスカルズと板橋さんの後、ソロで「こわれてしまった一日」「一本道」「愛について」「遠来」「Speak Japanese,American」「働く人」。アンコールで「はじめぼくはひとりだった」を演奏しました。実際に演奏してみると、予定の時間を大幅に超過してしまい、番組では何曲か削られることになるかもしれません。

場所は横浜の赤れんが倉庫の中にあるモーション・ブルー・ヨコハマというブルー・ノートの姉妹店です。お客さんは100人ぐらい。NHKに応募して抽選に当たった人たちです。入場無料で、ビールなどの飲み物もついていました。お客さんのいないライブなんて変ですからね。テレビの収録にもかかわらず、みんな楽しそうに聞いてくれました。

友部正人
9月3日(日)「ネオンホール」
十日町からJR飯山線で長野に移動。飯山線は鈍行列車です。津南のふたつ手前の駅で貝沢さんが乗り込んで来ました。手にはおみやげの甘酒と日本酒のワンカップ。貝沢さんは津南で酒屋をやっています。いきなり現れてびっくりしたけど、とてもうれしかった。貝沢さんは津南で降りていきました。しばらくきれいな景色を楽しんでいたら、今度は冨沢さんが森宮野原駅から乗り込んで来ました。手には大きなおにぎりがたくさんと、ミニトマトときゅうりのつけもの。おにぎりは冨沢さんのお母さんがにぎってくれたそうです。冨沢さんは森宮野原に住んでいて、十日町の新聞社に勤めています。
いただいたものをさっそく4人で電車の中で食べました。ミニトマトは小さいのに味は口に入りきらないくらいのおいしさでした。

長野駅でばったりと遠藤ミチロウに会いました。昨夜長野でライブをして、今日は甲府なんだ、と言っていました。思わぬところで友だちに会うとうれしいものです。
駅まで迎えに来てくれたネオンホールの小川くんの車とタクシーに分乗してネオンホールに。渕上さんたちは長野市ははじめてだそうです。
リハーサルの前に、以前ネオンホールのスタッフだったたまちゃんのやっているナノグラフィカに。ナノは畳敷きの喫茶店でギャラリーでもあります。今年生まれたたまちゃんの息子の福太郎くんに会いました。まだ8ヶ月。

ライブの進行は十日町と同じです。長野でもふちがみとふなとはバッチリお客さんたちの心をつかんでいました。ぼくはネオンホール発売のオムニバスアルバムのために、まだ1度しか歌ったことのない「明日はどこに」という歌をライブ録音しました。ライブ終了後、打ち上げで録音した歌を聞いているうちに、ふちがみとふなとも参加すればいいねとユミが言うと、「お酒を飲んでからは歌わないことにしているのだけど」と言いながらも、オムニバスアルバムのために新曲を一曲その場で録音しました。今年の12月に発売になるそうです。
ふちがみとふなととの二日間の楽しいツアーがこうして終わりました。

友部正人
9月2日(土)「十日町情報館」
昨夜夕食の後に、旅館のおばさんが部屋に届けてくれたおにぎりを今朝半分ずつ食べて、ぼくとユミは早朝ランニングに出発。旅館の裏山には棚田が広がっています。坂を上るのはきついけど、田んぼの中の農道を50分ぐらい走りました。空気がとてもきれいで、目がよくなった気がしました。

10時に我楽多倶楽部の関口さんが車で迎えに来てくれて、トリエンナーレ鑑賞二日目に出発。まず旅館近くの田んぼにあった芝裕子の「大地のグルグル」に感激。藁のトンネルをくぐってグルグルの中心の稲の穂にたどりつきました。時間があったので、昨日行けなかったフィンランドのカアリナ・カイコネンの「明日に架ける橋のように」を見に行きました。川にかかった150メートルもの長さのロープにずらりと古着をつるした大胆な作品で、下から見上げると空で古着がひらひら揺れていてとても楽しい。今回見た中でのぼくたちのベストでした。

十日町でへぎそばを食べた後、今日の共演者のふちがみとふなとの二人も到着し、一緒に市内に展示されている作品見物。朝日新聞でも紹介されていた、アルゼンチンのレアンドロ・エルリッヒの「妻有の家」という作品でたっぷり遊びました。鏡を利用したおもしろい作品です。トリエンナーレはスタンプラリーも楽しめて、ぼくたちはたくさんたまったスタンプを渕上さんたちに自慢しました。

情報館は図書館です。その地下にある100席ぐらいのホールでコンサートをしました。我楽多倶楽部の人たちは、2年に一度の割合でぼくのコンサートを十日町でしてくれます。今まではずっとぼくのソロだったのですが、今回はじめてふちがみとふなとという共演者が一緒です。
渕上さん、船戸さんとは、今年の2月にはじめて京都のガケ書房で共演しました。詩の朗読がメインのライブだったのですが、そのとき一緒に演奏した何曲かを今日も一緒にやることになりました。コンサートはまず渕上さんたちが45分、ぼくが45分という感じで進み、最後に一緒に「ドント・シンク・トゥワイス」「歌う人」「遠来」「ラブ・ミー・テンダー」をやりました。
十日町ははじめてというふちがみとふなと、「お客さんの気持ちをつかむのがうまいなあ」と我楽多倶楽部の貝沢さんは感心していました。

友部正人
9月1日(金)「妻有トリエンナーレ」
明日のライブの一日前に十日町に来て、我楽多倶楽部の貝沢さんの車で、午後から目いっぱい夕方まで、広いトリエンナーレの会場を見て歩きました。妻有トリエンナーレは9年前から始まって今年が3回目。最初はあまり興味を示さなかった地元の人たちの関心もやっと高まってきたところだそうです。終了まであと1週間なので、どこの会場に行っても、遠くからレンタカーで来ているき人たちに会いました。

願入という部落では、古郡弘の土の家の作品に圧倒されました。それから川西エリアへ行き、光の作家、ジェイムズ・タレルの作品を見ました。でもこの地区で一番感心したのは、藤原吉志子のレイチェル・カーソンに捧げられた作品でした。資材置き場のような野原に銀色のかわいらしいロバや鳥男が立っていたりするのですが、夕方のしんみりするような空気によくとけこんでいました。
それから松之山エリアまで、廃校になった校舎全体を使ったボルタンスキーの作品を見に行きました。ぼくたちはこの日駆け足で20以上の作品を見て歩いたのですが、その疲れも吹き飛ぶほどの迫力でした。降りしきる大雪に外に遊びに行けない子供の心臓が2階の理科室でドキンドキンと爆音をあげていました。

夜はユミと清津峡温泉に泊まり、虫と戦いながら露天風呂に入ったり、胃拡張と戦いながら晩御飯を食べました。

友部正人
8月28日(月)吉野金次さんベネフィット・コンサート
今年の4月に病気で倒れて、今もまだ入院中の吉野金次さんを励まし、復帰を願うためのベネフィット・コンサートが北沢タウンホールでありました。7月に矢野顕子さんが病室で吉野さんに会って、おそらく病状の深刻さにいてもたってもいられなくて、実現させたコンサートでした。コンサートスタッフも出演者も、全員がノー・ギャラで集まりました。ぼくも8月5日にお見舞いに行ったので、とにかくなにかしたい、という矢野さんの気持ちがよくわかります。客席が300という小さなホールでしたが、矢野さんの呼びかけで、吉野さんを慕うミュージシャンが大勢集まりました。

おもしろいなあ、と思ったのは、入りきれない人たちのために、200人限定で、昼間のリハーサルも有料で公開したことです。「リハーサルだからね」と、細野さんも自分に言い聞かせながらリハーサルをしていました。でも目の前にはお客さんもいるので、ぼくは本番ではやらない曲もやりました。実際リハーサルでそうすることもあるし。
出演者は矢野顕子、細野晴臣、大貫妙子、佐野元春、ゆず、井上陽水、友部正人、それから、細野さんのバンドの、浜口茂外也、高田漣、徳武博文、といった人たちでした。
ぼくは72年に吉野さんに初めて録音してもらった「一本道」をソロで、吉野さんとの最新の録音「Speak Japanese,American」を浜口さんのパーカッションと一緒にやりました。最後に矢野さんと細野さんの二人だけでやった「終わりの季節」にはじーんとしてしまいました。

今日のライブは完全に吉野金次さんに向けたものでした。吉野さんのために収録した今日のライブ映像を病室で見て楽しんで、元気になってくれるといいなあと思います。

友部正人
8月25日(金)「SET YOU FREEのイベント」
「SET YOU FREE ,SUMMER FESTA 2006」に出演。会場は川崎のクラブチッタでした。
「SET YOU FREE」のコンサートに出るのは2回目。サンボマスター、フラワーカンパニーズ、ズクナシといったバンドは前回ぼくが出演したときに知り合ったのです。今日は他にテルスター、ワタナベイビー、サードクラス、町田直隆、ガガガSPなど、ぼくも知っている人たちばかり。たった一人で生ギターで歌うのはぼくだけでしたが、あまり緊張せずにできました。持ち時間は30分ずつで、ぼくは「にんじん」「一本道」「はじめぼくは一人だった」「Speak Japanese,American」「雨は降っていない」を歌いました。

イベントを企画している千葉くんはいつもにこにことしていて、とてもいい感じの男です。今年の春からプロレスの試合に出場しているらしい。12月に見に来てくれ、と誘われました。

友部正人
8月24日(木)「ウクレレ」
昼にマーガレットズロースのギターの平井くん、ベースの岡野くんと多摩川を14キロぐらい走りました。京急六郷土手駅から東横線の鉄橋までを往復するコースです。平井くんも岡野くんも前日にライブがあって、とくに岡野くんは打ち上げで朝まで飲んでいたらしく、とても炎天下を走る体調ではなかったみたいですが、ちゃんと走れたところが若さだなあ、と思いました。走った後は六郷温泉で疲れを癒し、9月にまた走ろうね、といって別れました。

夜は横浜のサムズアップで、バンバンバザールとキヨシ小林のライブを聞きました。キヨシ小林は本当は小林キヨシで、吉祥寺のぐゎらん堂時代のぼくの友人です。彼はギターやバンジョーでデキシーランドジャズのような音楽をやっていたのですが、最近はウクレレです。

バンバンのギターの富永くんもキヨシくんに合わせて、今日は全曲ウクレレを弾いていました。バンバンの福島くんは、ウクレレはリズムがはずんで、曲の印象が変わる、となんだか楽しそうに歌っていました。キヨシくんたちのウクレレを聞いて、ユミもウクレレをやりたそうでした。

友部正人
8月21日(月)「TV収録」
曙橋で、「FOLK&ROCK ALIVE」というTV番組の収録がありました。収録はトークの場面とライブに分けて行われ、トークの司会は白井良明さんと神田有希子さん。ムーンライダーズの白井良明さんはライブでは4曲、ぼくの演奏にギターをつけてくれました。

4回分のトークを一度に録るので、なれていないぼくは後半くたびれてきて、何を話したのかあまり覚えていません。ライブのときはお客さんもいて、いつもの感じなので、自然にできました。白井さんとははじめて一緒に演奏しましたが、ギターを絵筆のように使う人だなあ、と思いました。歌に形式をあてはめるのではなく、絵筆の先でチョンチョンと歌に色を加えていきます。やわらかい感性の人でした。

今日収録した番組は10月に放送されるそうです。ライブはわりとよかったような気がするので、CSを見られる人はぜひ見てください。

友部正人
8月14日(月)「ミリキタニの猫」
マサがどんなことをしている人かを知ったのは最近のことでした。それまでは、セントラルパークでのレースを走る仲間のひとりだったのです。あるときそのマサが、「ミリキタニの猫」というドキュメンタリー映画のプロデューサーだと知りました。その映画は、今年のトライベッカ映画祭で観客賞を受賞しました。

御茶ノ水のアテネフランセで、その「ミリキタニの猫」の試写会がありました。トライベッカ映画祭で見られなかったぼくは、やっと今夜見ることができました。
カリフォルニアで生まれ、広島で育ったミリキタニ氏は、第二次世界大戦で徴兵を避けてアメリカにわたり、そこで日系人強制収容所に3年半収容されます。私財を没収され、市民権も剥奪されたミリキタニ氏は、終戦後はニューヨークに行って、ホームレスになって路上で絵を描き続けます。そんなミリキタニ氏によく声をかけていた、この映画の監督のリンダさんが、2001年9月ワールドトレードセンターの事件のあったあと、ミリキタニ氏を自宅に住まわせるようになります。事件のあと下町一帯は立ち入り禁止になり、ぶっそうになったからです。それからの1年半を記録した映画です。偶然にもミリキタニ氏の親戚やお姉さんが見つかり、ミリキタニ氏のことも次第に明らかになっていきます。なんといってもミリキタニ氏本人の人柄がすばらしく、観客を楽しませます。一つか二つの信念があれば、人はどんな状況でも生きていかれると教えてくれる映画です。日本での上映が決まれば、またここで紹介しようとおもいます。

友部正人
8月11日(金)「ゴールデンサークル」
本当はもう15日で、「ゴールデンサークル」のコンサートからだいぶ日がたってしまったのだけど、いいコンサートの後はなかなか感想なんて書けないものです。
寺岡呼人くんの呼びかけで集まった森山直太朗、Y0-KING、ぼく。呼人くん以外ははじめての人たちでしたが、全然そんな気はしなかった。年齢の差だってかなりあったのに、たぶん音楽というものの年齢が若いので、みんな同じに見えるのです。進行は呼人くん任せでしたが、よくまとめたと思います。みんなそれぞれ勝手なことを言っていたのに、ストーリーがあるように思えたのは彼のおかげ。元々彼はいいかげんなことはしない人で、自分の生活もちゃんと舵をとってやっている。何が大切か、どうすれば古いことが新しく感じられるかをちゃんと考えていて、感心することがよくあります。

呼人くんの話では、今回のコンサートは、森山直太朗くんの希望で実現したとのことです。直太朗くんはぼくの「こわれてしまった一日」が好きで、前からぼくとライブをしたかったそうです。だから今日は直太朗くんと二人で、その歌を歌いました。YO-KINGさんはぼくの「まちは裸ですわりこんでいる」をカバーしてくれたことがあり、ぼくも一度会いたいなあと思っていた人でした。そんなわけで、コンサートの終盤は、ぼくの歌をみんなで歌う、というめずらしい内容になりました。聞き逃した人のためにも、もう一度聞きたいと思っている人のためにも、ぼくはまたこのメンバーでコンサートができたらいいと思っています。

友部正人
8月7日(月)「リハーサル」
8月11日の「ゴールデンサークル」のためのリハーサルが、寺岡呼人くんのスタジオで二日間続けてありました。「ゴールデンサークル」は呼人くんが続けているイベントで、今までにぼくも2回出演していますが、今回のぼくはスペシャル・ゲストだそうです。他の出演者はは森山直太朗くんとYo-Kingさん。だけどみんなと一緒にぼくの歌を歌うので、結局ぼくの出番がとても多いコンサートになりそうです。呼人くんのおかげでおもしろいコンサートができそうです。

友部正人
8月5日(土)「吉野金次さん」
どんべえに誘われて、ユミとぼくと3人で山梨まで、4月に脳出血で倒れた吉野金次さんのお見舞いに行ってきました。吉野さんは日本の草分け的エンジニアとして有名ですが、「にんじん」「夕日は昇る」「けらいの一人もいない王様」「ブルースを発車させよう」「休みの日」「何かを思いつくのを待っている」「Speak Japanese,American」と、ぼくのアルバムもたくさんレコーディングしてもらっています。「六月の雨の夜、チルチルミチルは」のリマスターもやってもらい、見違えるように音がよくなったばかりです。
病院でまず奥さんの緑さんにお会いしました。吉野さんはベッドに横になっていました。ちょっと声が嗄れていて、小さな声しかでないようでしたが、笑顔で返事をしてくれました。毎日リハビリに励んでいるそうです。「復帰をいつまでも待っていますよ」と言って、お別れしました。緑さんはぼくたちが見えなくなるまで、病院の入口で見送ってくれました。
矢野顕子さんや細野晴臣さんが中心になって、8月28日に北沢タウンホールで、吉野さんのベネフィットコンサートがあります。それにぼくも出る予定です。

友部正人
8月1日(火) 花火大会
今日は神奈川新聞社主催の花火大会。みなとみらい地区には午後から大勢の人たちが流れ込んできて、のんびりとしたいつもとはまるで違う雰囲気。
最近は前日から場所取りしている人たちも多く、そういうのを見るとぼくは気分が盛り上がらないのですが、「北仲OPEN!」の事務局の人たちから、北仲WHITE屋上での、関係者だけの花火鑑賞に誘われていたので、冷蔵庫でワインを冷やしたりして、朝からわくわくしていました。ビルの屋上のような特等席で花火を鑑賞したことは今までなかったので。
花火大会は7時15分から1時間続きました。少し盛り上がるとしばらく中断して、ニューヨークのJULY4thの派手な花火とはだいぶ感じが違うなあ、と思っていたら、終盤にどんどん巻き返して、最後の数分間は本当に圧倒的でした。

少し前の話ですが、息子の一穂に誘われて、ブルース・オズボーンという写真家が親子を撮影する、というイベントに参加しました。一穂がブルース・オズボーンと知り合いだった関係で、以前にも一度ブルースに写真を撮影してもらったことがありました。そのときのぼくと息子の二人の写真は、98年に発売された「OYAKO」という写真集に収録されています。
今回はその続編として、ぼくと息子が二人だけで撮ったり、息子家族とぼくとユミとみんなで撮ったりしました。ぼくたちの写真が使われるかどうかはわかりませんが、8月24日から30日まで、神田小川町交差点のそばのオリンパスギャラリーで、「ブルース・オズボーンと親子写真」という写真展が開かれます。とにかくみんな信じられないくらい生き生きとした表情で写っています。それがすごいと思う。家に帰って辞書を調べたけど、親子って、短く言える英語がないのですね。

友部正人
7月30日(日)「北仲WHITEライブ」
開催中の「北仲OPEN!」のイベントとして、「友部正人と巡る北仲WHITE」というライブをしました。企画展を開催中の4つの部屋を会場に選び、聞きに来てくれたお客さんたちと一緒に、歌いながらまわるというライブです。このライブのためにぼくが絵を描いて缶バッジを作り、それをチケットにしました。
小さい部屋二ヶ所ではお客さんに二手に分かれてもらって、それぞれ3曲ずつ演奏しました。鉄道の時刻表のようなライブでした。二階から四階まで4つの部屋を巡った後は、一階の玄関ホールでアンコール。家族で聞きに来ていたマーガレットズロースの平井くんにもギターとコーラスで飛び入りしてもらって、3曲やりました。いろんな人に部屋を提供してもらい、たくさんのアート作品の中で歌いました。そして音や声で表現することは、なんて具体的なのだろうと改めて思いました。
部屋の大きさの都合で、30人に限定したライブだったのですが、予約なしの人も大勢来て、40人以上の人がぼくのライブを聞いてくれました。アンコールでエントランス・ホールに移動するとき、「Speak Japanese,American」のジャケット撮影をした104号室も見てもらいました。「意外に狭いな」「でも天井が高い」など、みなさんいろいろと感想を述べていたそうです。

友部正人
7月27日(木)「ふちがみとふなと」
千駄木の古書ほうろうで、ふちがみとふなとのライブがあったので、ユミと二人で行ってきました。知り合いから「友部さんのライブもできそうですよ。」と手紙をもらい、去年の9月に下見に行って、それ以来のほうろうでした。
店の奥にある本棚を横にずらして、そこにステージと客席を作っていました。店全体の半分ぐらい、そこに50人近い人が集まりました。今年の2月に京都のガケ書房ではじめて共演したふちがみとふなとですが、単独のライブを聞くのは今夜がはじめて。約2時間たっぷり楽しみました。完璧な音響設備が整っていない場所でも、自分たちのショーは完璧にやってしまう彼らのパフォーマンスにはとても感動しました。彼らとは来月、新潟と長野で一緒にライブをすることが決まっていて、楽しみです。

友部正人
7月21日(金) 横浜にて
7月30日の「ライブで巡る北仲WHITE」の打ち合わせ。北仲ホワイトと北仲ブリックは、横浜のみなとみらい線馬車道駅にある二つの古いビルで、1年半限定で美術家や建築家が入居しています。アトリエとして使っている人もいれば、オフィスとして使っている会社もあります。中には住居としてこっそり使っている人もいますが、ぼくとユミは主に倉庫として使っていました。このビルの使用期限が迫り、二つのビル全体を使ってお祭りのようなことをすることになったのです。その企画の一つとして、ぼくもライブで参加することになりました。アーティストの仕事場、ギャラリーなどを、歌いながら巡ります。これを機会に、アーティストたちの仕事の現場を見に来てください。期間は7月28日から8月6日まで。ぼくのライブは7月30日午後6時からです。
夜はサムズアップに三宅伸治のライブを聞きに行きました。今日は元MOJO CULBの杉山章二丸も来て、二人で「パワー」「烏合の衆」など、MOJO時代の曲も何曲かやりました。この時代の曲のときは、三宅くんもMOJO時代の顔になります。「ウゴーノシュー!」と腕を振り上げるたびに、三宅くんの顔が時間を遡っていきます。フィルムの逆回しを見ているようでした。
アンコールは一部で演奏したアナム&マキと一緒に3曲やりました。ぼくとユミはだいぶ遅れてサムズに着いたので、その人たちの演奏は聞けなかったのですが、後で三宅くんが言うには、なかなかおもしろそうな人たちでした。
終演後三宅君が、6月に二人で作った「雨の降る日には」が気に入っている、と言っていました。ぼくも気に入っていますよ。

友部正人
7月17日(月)
リクオのライブに行きました。場所は南青山の「月見ル、君想フ」というライブハウス。「セツナウタ」というニューアルバムを出したばかりで、その発売記念コンサートでした。
アルバムにも参加している弦のカルテットとパーカッションという編成で、リクオは自らレンタルしてライブハウスに運び込んだグランドピアノを使っていました。そのグランドピアノはとてもいい音がしていて、今回のライブには絶対に必要だったということがよくわかりました。
「セツナウタ」の全10曲と、何曲かの旧作、そして新作を編成にあったアレンジで演奏していました。いつかきっとまたやってくれるだろうな、とリクオのライブのたびに期待していた彼のデビュー曲「本当のこと」も聞くことができました。今回のアルバムでやっと振り出しに戻った感じがする、とステージで言っていました。
「本当のこと」にはリクオの若かったときの「今」だけではなく、今現在のリクオの「今」、未来のリクオの「今」を聞くことができます。この歌は「今」をとらえた歌だけが、未来を生き続ける、ということをぼくに教えてくれます。そしてぼくは自分の「今」を歌っているだろうか、と自問してみたのです。
今回のアルバムにはしんみりした、きれいな曲調の歌が多いのですが、途中で息抜きのように、ソロでブギウギピアノを弾いたとき、とたんにぼくは楽しくなってきました。ブルースって楽しい音楽だということを実感しました。

先日のニューヨークのエルビス・コステロとのコンサートでも、アレン・トゥーサーンがソロでニューオーリンズ・スタイルのブルースピアノを弾いていました。彼のピアノのタッチはリクオよりもっと柔らかく、南部の匂いのするオルゴールを聞いているようでした。6月のフリーコンサートでのドクター・ジョンのニューオーリンズ・ピアノはもっと乾いていて、正確で、音そのものが踊っています。
彼は、ハリケーンの被災者が義援金を全く受け取っていない、と訴えていました。何万戸という被災者用トレーラーを支給しないで放置していたFEMAには絶対に寄付するな、と言って、大きな拍手を浴びていました。

1990年に「本当のこと」でデビューしたころのリクオは、まだ無口で暗い印象でした。最近の芸風には目を見張ります。ちょっと関西のお笑い芸人のようなところもある、とユミは言っていますが。でも見ていておもしろく、聞いて楽しいのは大切なこと。「本当のこと」のあとは、ずっと「大切なこと」を歌ってきたのかもしれません。

友部正人
7月16日(日) 「帰ってきました。」
14日の夜に戻り、翌15日は一日ごろごろと寝転がってばかり。日本のすごい湿度は体にこたえます。時差ぼけで朝早く目が覚めたのでみなとみらいをランニング。山下公園に行くと大勢の人たちが今夜の花火大会の場所取りをしていました。おそらく前日から来て場所取りをしている人たちもいるのでしょう。いつも横浜の花火大会は楽しみにしているのですが、毎年場所取りがエスカレートしているみたいです。ぼくもユミもやる気をなくして、今夜は家で音だけ聞くことにしました。
ニューヨークに行く前に受けたインタビューの載った雑誌や単行本が届いていました。
「b*p (BE・PAL増刊)Vol.03」小学館刊はじめての一人旅について。1974年、ランブリン・ジャック・エリオットと日本をコンサート・ツアーした後、彼の後を追うようにしてアメリカへ行き、半年間一人で旅をしたことなどを話しています。
「路上音楽」マガジン・ファイブ刊現役の路上ミュージシャンの特集です。名古屋の路上で歌い始めた頃のことなどを話しています。
企画編集の青柳文信さんもまた、現役の路上ミュージシャンだということです。路上は屋根のないライブハウスだという気がします。

友部正人
7月10日(月) 「エルビス・コステロとアレン・トゥーサーン」
エルビス・コステロとアレン・トゥーサーンのコンサートに行きました。といってもアパートのすぐ前のビーコンシアターでしたが。二人のコラボレーションはかなり前からだそうです。二人で作った曲もだいぶあるみたい。性格が正反対の二人なのに、仲はいいのですね。
今回はハリケーンで被害にあったニューオーリンズの人たちのためのコンサートでした。それでもエルビスは自分のヒット曲もがんがんやったりして、しんみりとした感じはみじんもありません。アレン・トゥーサーンはとても上品で控えめな人。それに音楽には深みがあって、はりきるエルビスの音楽が薄っぺらく感じられることもありました。アンコールでアレンがボーカルをとってポール・サイモンの「アメリカン・チューン」をやったのですが、これがすばらしかった。3時間みっちりの、体力も要求されるけど楽しいコンサートでした。

友部正人
7月9日(日) 「ロングビーチ」
ブロンクス・ハーフ・マラソンに出るのは今回で3回目。同じ場所を行ったり来たりするので、みんなうんざりするらしく、評判の悪いコース。おまけに毎年なぜかカンカン照りの暑さ。そんなコースも3回目となると愛着も出てきます。今年は楽に走ろうとこころがけたので、成績もそんなにはよくなかったけど。
勤め人のメグが今日で連休がおしまいだというので、夜は3人でロングビーチにロブスターを食べに行きました。砂浜で海を眺めてから、ジョーダンのロブスターというオープンテラスのお店に。ロブスターってザリガニなのかしら。よくわからないけどおいしいです。
夏休みで子供たちがたくさんアルバイトをしていました。メグがチップをあげると、はりきってとてもサービスがいい。日本の子供たちもそうだけど、大人よりもずっと生き生きと働きます。みんなもっと小学生から働いた方がいいのじゃないかしら。
先日ニュージャージーへ車で行ったとき、「カナダ産の海産物をボイコットしよう」という看板があって、何のことかと思っていたら、カナダ人が毛皮目的で毎年30万頭のアザラシを殺していることに、アメリカのレストラン業者が抗議しているらしいです。1000店が抗議に参加していたけど、ぼくたちがロブスターを食べたお店は参加していないみたいでした。カナダ産といっても海は一つ、アメリカの業者が獲った海産物を食べましょう、ということなのかしら。
もうすぐ日本に戻るぼくとユミにとっても、最後の夏休みといった感じの日曜日でした。

友部正人
7月7日(金) 「プリンストンとアズベリーパーク」
メグにドライブに誘われ、3人ででかけました。ユミとメグがぼくのわがままを聞いてくれて、ニュージャージーのプリンストンとアズベーリーパークというコースです。
プリンストンはプリンストン大学のある小さな大学町です。ぼくとユミが前に来たのは10年ぐらい前のこと。まだアメリカになれていなくて、レストランに入るのにもドキドキしていました。今はそんなことは嘘のようです。
ぼくのプリンストンの目的は「レコードイクスチェンジ」という中古レコード屋。コロンビアレコードからデビューしたばかりの頃のボブ・ディランが、ハリー・ベラフォンテの「ミッドナイト・スペシャル」でハーモニカを吹いているLPを4ドルで買いました。先日レナード・コーエンの映画
で感動したアントニーのCDも買いました。
3人で大学のチャペルを見てから、ブルース・スプリングスティーンのファーストアルバムで世界中に知られたアズベリーパークへ。途中のファーマーズマーケットでプラムやトマトやとうもろこしをたくさん買いました。
アズベリーパークに着いてすぐに見つけたのが廃墟になった巨大なメトロポリタンホテル。売りに出されてもうだいぶたつようです。ユミもメグも写真を撮りまくっていました。そのすぐ先がビーチで、「グリーティング・フロム・アズベリーパーク」という、スプリングスティーンのアルバムのジャケットと同じ図案の看板がかかっていました。ここにも廃墟になったアイススケート場やカジノがあり、中にはパネルが並んでいて、アズベリーパークの歴史が紹介されていました。
ストーンポニーというライブハウスではロックバンドが演奏していました。そのあたりには手ごろなレストランがなかったので、住宅街にあるレストランに行きました。酒屋で半ダースのビールを買ってきたら、レストランのウェイターが氷の入ったバケツを持ってきて冷やしてくれました。すぐ横を鉄道が走っていて、30分に1回ぐらい列車がガラガラで通過しました。沖縄の野田さんがユミに「写真を撮りにいったらいいですよ」と何年も前に教えてくれていて、ずっと行きたかったアズベリーパークですが、ぼくとユミだけで電車で行ったとしたら、着いてからさぞかし不便だったでしょう。車のあるメグがいてくれて本当によかった。。

友部正人
7月1日(土) 「アンジェリク・キジョー」
日本の小泉首相がアメリカに来ていることがニューヨークタイムズに小さく取り上げられていました。北朝鮮問題も話し合ったらしいけど、メインはどうやら遊び。日本がイラクに自衛隊を派遣したことは、ブッシュ大統領には予想外のことだったようです。それをいかにもアメリカの要請のように見せかけていたのは日本政府だったのではないかと思えます。何でも決定権はアメリカにあるように見せかけているのです。

南アフリカのアンジェリク・キジョーが、ブルックリンのプロスペクトパークでフリーコンサートをしました。ミリアム・マケバと、ブランダなんとかというシンガーをたたえるコンサートです。7時半から南アフリカのブシ・マラセラという男性のシンガー・ソングライターがギターの弾き語りをしました。アフリカのミュージシャンはギターをアメリカの人とは全然違うように弾きます。メロディも歌い方も独特です。このブシという人、いろんな声を使い分けて歌うので、みんなすっかり夢中になってしまいました。
それからラップの人たちが何曲かやり、アンジェリク・キジョーが出てきたのは9時すぎでした。思っていたより小柄な人だけど、とてもきびきびと歌います。アンジェリク・キジョーは、しきりにアフリカへの支援を訴えます。言いたいことがはっきりしているから、歌も演奏もとても明るくて楽しい。最後はアンジェリクが客席の子供たちをステージに上げて、大勢で大ダンス大会でした。ユミはそれを見ながら「踊りが大好きなアリワ(サヨコの娘)もここにいたらいいのになあ」と言っていました。そういえば、アフリカの人ならみんなが歌う「マライカ」をアンジェリク・キジョーも歌っていましたよ。この歌をぼくたちに教えてくれたのはサヨコでした。

友部正人
6月27日(火) 「プロスペクトパーク」
ブルックリンのプロスペクトパークで5キロのレースがあったので参加しました。ユミに「たった5キロ走るためにわざわざブルックリンまで行くの?」とあきれられましたが、それにもめげずにひとりで行ってきました。
プロスペクトパークはセントラルパークと同じ設計者が作った公園です。後に完成したので、セントラルパークの完成形といわれています。大きさはセントラルパークの半分で、一周が約5キロ。静かでとてもきれいな公園です。セントラルパークのようにたくさんの観光客がいないので静かに感じるのでしょう。セントラルパークではパトカーの中でふんぞり返っている警官も、プロスペクトパークでは一人一人道端に立って警備しています。だから道も聞きやすい。

ニューヨークのランニングのレースには必ずといっていいほどテーマがあります。今夜のレース(平日の夜のレースはとてもめずらしい)のテーマは家庭内暴力の撲滅でした。つい2日前の日曜日のセントラルパークでの5マイルレースのテーマは「ゲイとレズビアンのためのプライドラン」。チアリーダーのチームが一生懸命応援してくれてうれしかった。

友部正人
6月28日(水) 「ドクター・ジョン」
暑い日でしたが、ハドソン川沿いをユミとゆっくり走りました。マンハッタンのいいところは走るコースがいろいろあることです。ユミも最近は走る距離をのばしていて、先週は24キロも走った日がありました。

7時からバッテリーパークシティの公園でドクター・ジョンのフリーコンサートがありました。おなじみの「アイコ・アイコ」で始まったコンサート、彼が敬愛するジョニー・マーサーという人の曲を演奏するという内容でした。アルトサックス、トランペット、バリトンサックスという管楽器の人たちの演奏がとてもよくて、ドクター・ジョンの軽い忍者のようなピアノも引き締まっていてよかった。後半にゲストが3人出てきて、2曲ずつ歌って、それで少しダレたけど、ドクター・ジョンのグランドピアノがハドソン川の向こうに沈む夕日に金色に輝いていてとてもきれいでした。

友部正人
6月29日(木) 「レナード・コーエン」
最近は朝起きてイラストを描いたり歌を作ったりしています。だから走るのがどうしても昼間になってしまう。今日のセントラルパークは本当に暑くてバテました。そんなぼくに観光客は「ストロベリーフィールズはどこ?」なんてお気楽に聞いてきます。

夜はフィルムフォーラムにドキュメンタリー映画「レナード・コーエン I’m Your Man」を見に行きました。この映画は、おととしにブルックリンのプロスペクトパークでやった「レナード・コーエン・トリビュート」フリーコンサートを、オーストラリアのシドニーのオペラハウスで再演したものです。ですから出演者もだいぶダブっています。一番多く歌うのはルーファス・ウェインライトと妹のマーサ・ウェインライト。他にはマクガリグル姉妹、ニック・ケイブ、リンダ・トンブソン、テディ・トンプソン、アントニー、ベス・オートンといった人たち。みんなすごくレナード・コーエンを尊敬していて、ニック・ケイブなんか、「世界で一番クールな人」と言っていた。圧巻だったのはアントニーという人で、感動して涙が出そうになりました。
コンサートはハル・ウィルナーという人がプロデュースしていて、レナード・コーエンとツアーを共にしたことがある二人の女性もコーラスで参加しています。1曲二人で歌っていて、それがとてもよかった。あとはなんといってもルーファスくんがいいのです。あの自由でやわらかい感じ。U2のボノのインタビューのコメントは、表現がおおげさでぼくは素直に聞けませんでした。コンサートが中心の映画ですが、曲の間に本人のインタビューもたっぷりあって、好きな人なら夢中になると思います。

友部正人
6月23日(金) 「ケリー・ジョー・フェリップとビル・フリーゼル」
アフリカのシェラレオネのバンドとか、見たかったコンサートがいくつかあったけど、今日はギターリストのビル・フリーゼルとケリー・ジョー・フェリップに行くことにしました。場所はブロードウェイ96丁目のシンフォニースペース。二人が別々にやるのではなく、一つのバンドのように入れ替わりに演奏するのでした。お目当てはケリー・ジョー・フェリップだったけど、歌もギターもうますぎて、かえって普通に見えてしまい、ビル・フリーゼルのほうにどうしても目がいってしまいます。最後は全員で「アイシャルビーリリースト」。静かに高揚していくビルのギター、とてもよかった。

友部正人
6月22日(木)  「スプリングスティーン」
遊びに行った東15丁目の友人のアパートで、ワールドカップの日本とブラジル戦をたまたま見ました。前半に日本は1点入れたけど、後半はブラジルに押されっぱなし。それでもおもしろくて、ぼくはテレビに釘付けになっていました。でもハラハラして、とても疲れました。

夜はマディソン・スクエア・ガーデンにブルース・スプリングスティーンを聞きに行きました。「ピート・シーガー・セッション」です。自作の歌は本編では「ジョニー99」ぐらい。あとはずっと古いアメリカのフォークソングばかりなので、横の人が「ロックンロール」としきりに叫んでいました。よく数えなかったけど、バンドは18人〜20人編成で、金管楽器も5人いました。ボブ・ディランのコンサートとはちがって、会場全体が一体となっているのがよくわかります。後半の盛り上がりは異常なくらいでした。「We Shall Over Come」と、アンコールの「Rising」がよかった。

友部正人
6月21日(水) 「ランニングイベント」
走り仲間の友だちからトレーニングシャツがもらえると聞いて、ナイキの主催するランニングイベントに参加しました。ハドソン川沿いに50分ぐらい走りました。その後は、参加者は誰でも食べ放題の飲み放題のバーベキューパーティ。日没の美しい景色のなか、ぼくとユミも友だちらとビールやワインを何杯も飲んで、ハンバーガーやチキンも食べて、走った後なのに、歩けないほどの満腹でした。

友部正人
6月20日(火) 「サンボルト」
何年かぶりにカナルストリートにあるパールペイントに行き、細い筆やインクを買いました。今まとめているエッセイ集のイラストを描くためです。絵描きでもないのに、画材屋に行くとわくわくします。

夜はサンボルトのフリーコンサートに行きました。場所はファイナンシャルセンターの前のオープンテラス。前から3番目の席だったので、ジェイ・ファーラーの顔はよく見えたけど、歌詞が聞き取りづらかった。楽器の生音ばかりよく聞こえて。途中で通り雨が降ったけど、静かな印象のとてもいいコンサートでした。

友部正人
6月18日(日) 「父の日の8キロレース」
今日のニューヨークは30度ぐらいあって、日差しも真夏のようでした。そんな暑さの中、ぼくはセントラルパークの8キロレースにでました。こちらでは必ずスタートの前に、ミュージカルなどの俳優が来て、アメリカの国歌斉唱の音頭をとるのですが、一緒に歌う人は誰もいません。まだ日本ではレースに出たことがないのですが、日本でもレースの前に「君が代」を歌うのかな。
途中で気持ち悪くなったりしながら、へとへとになってゴール。でもなぜか記録はよかったです。レースの後にもらった冷たいプラムがおいしかった。レースの後にユミも一人で同じコースを走って、やはりへとへとになっていました。

友部正人
6月17日(土)
13日からニューヨークに来ています。来る前は全く時間の余裕がなく、永島慎二さんの遺作展など、行くつもりでいたいくつかの個展にはいけませんでした。
今日はチェルシーの画廊にジェニー・ホルツァーの新作と、建物などに詩を投影した今までの作品の写真作品を見に行きました。新作はキューバのアメリカ軍収容所などに関する資料を拡大したものです。息子の無実をアメリカ政府に切々と訴える父親の手紙には、アメリカ軍の野蛮さにくらべて品格がありました。
そのあとは、セントラルパークのサマーステージに、テディ・トンプソンやオラベルのフリーコンサートに行きました。今日のテディ君はバンドで歌ってました。オラベルは大阪のラリーパパ&カーネギーママみたいなバンドでした。

友部正人
6月12日(月) 「パスカルズ」
横浜のサムズアップでパスカルズのライブがありました。26日からの渡欧を前にしたライブで、気分的に高揚しているようでした。ぼくはまた例によって、アンコールで飛び入りして1曲パスカルズをバックに歌いました。今日は「夕暮れ」。タロウさんのガットギターを借りて、いすに座って、とてもリラックスして歌いました。
今夜のパスカルズ、新しい曲がいくつかありました。彼らの今回のヨーロッパツアーはなんと5週間に及ぶのだそうです。各地のフェスティバルが主体なので、オフも多いそうですが。だからぼくとユミがニューヨークにいるのだったら、またフランスまで来たら、とみんなから誘われました。ぼくたちも明日からニューヨークなので。ぼくはまだ聞いたことがないのですが、アメリカでもここ2,3年、パスカルズのようにアコースティックな楽器を使った変なバンドやソロの人たちが注目を集めてきているようです。偏屈な感じで、携帯電話など現代の便利なものはわざと使わないそうで、その音楽は一般的に「フリーク・フォーク」と呼ばれています。彼らの親は主に田舎や森で暮らすヒッピーたちで、ぼくはふとランカスターのアーミッシュの人たちを思い浮かべたのです。
「お金ばかりのおもしろみのない世の中だから、もっとのんびりしたものを求める風潮が若い人たちに生まれているのかも」とユミが言っていました。

友部正人
6月10日(土) 「一箱古本市 仙台」
7月8日9日の二日間、仙台市にある古書店「火星の庭」で開かれる「一箱古本市」にぼくも出店しようと、昨日からずっと本の整理です。ぼくの場合、途中までしか読んでなかったり、まったく読んでいない本が多いので、数がそろえられません。ユミのいらない本もちょっと足してなんとか、でした。途中までしか読んでなかった本はなんとか最後まで読もうと、整理よりも、読書に時間がとられました。この二日で4冊ほど読んだから、ぼくとしては驚異的です。

箱が一杯になったので、古本市には出さなかったのですが、2001年11月のローリング・ストーン誌のボブ・ディランのインタビューがおもしろかった。ちょうどテロのあった2001年9月11日に発売された「ラブ・アンド・ゼフト」についてのインタビューだったので、インタビュアーはアルバムにひっかけて事件についての意見を聞きだそうとしているのだけど、例によってディランはなんとかという詩人の詩を引用したりして、禅問答のようになってしまっています。「我々の状況に希望はあるのか」という質問には、昔の東洋の兵法の本から言葉を引用していたりして、記憶力のいい人なんだなあ、と思いました。「小さな人が何年かかってもできないことを瞬時に成し遂げるとてつもない人が現れない限り、今の状況は変わらない」と言っているのが興味深かった。

友部正人
6月8日(木) 「北仲ホワイト」
夕方から仕事場のある北仲ホワイトへ。北仲ホワイトの4階に入居者のいない広い部屋があって、そこでぼくのライブができないか、という話があって、音の響きのテストに行ったのでした。結果は、とても無理でした。同じビルの中の人たちにも聞いてもらったのですが、音の残響がひどくて言葉がよく聞き取れないのです。その代わりにもっと狭い他の部屋をいくつか使ってライブをすることになりました。ビルの管理人室だとか、若きアーティストたちが活動の場として借りている部屋など、4つぐらいの部屋を移動しながらノーマイクで歌います。オープンスタジオというイベント期間中の催し物のひとつとしてやります。

北仲ホワイトは来年から始まる森ビルによる都市開発事業のために壊されることが決まっています。だから今年の10月までしかビルにいられません。(翌日の朝刊に開発事業の概要が説明されたチラシが入っていました。)いよいよぼくらは追い出されるわけです。みんなそれぞれ自分たちの次のことは考えているようです。短期間だったアーティストのための解放区、映画「キング・オブ・ハート」のようです。ライブの詳細はまた後日お知らせします。

友部正人
6月7日(水) 「Every Wednesday」
毎年6月の雨の季節にしてきたという「Every Wednesday」という三宅伸治さんのライブにゲストとして出ました。タイトルの通り、毎週水曜日ごとに4回連続で行われるライブです。ぼくは今年の1回目のゲスト。雨のシーズンにちなんで何か雨の新曲を作りましょう、といわれて、三宅くんの送ってくれた曲に詞をつけて持っていきました。

会場はぼくにとっては久しぶり(9年ぶり?)のマンダラ2です。女性の多い客席はやはり明るい感じ。自然に、ステージでの三宅くんとのおしゃべりもはずみます。
何をやるのか知らずに行ったので、ほとんどがぼくの曲をやるとわかってびっくり。本当にこんな内容でいいの、と聞きなおしました。でも「Every Wednesday」というこの企画は、ゲストとできるだけたくさん演奏するのが目的なのだそうです。いままで何度も一緒にライブをしているので、二人でできる曲はたくさんありました。おまけに今夜は、三宅くんはギター以外にマンドリンやペダルスチールも披露しました。休憩の後2部ではピアノの厚見玲衣さんも加わり、3人で演奏しました。(2部の1曲目にやった三宅くんの新曲「よいどれ」はいい曲だった。)厚見さんは中学のときに聞いて好きだったという「一本道」をリクエストしてくれました。
新作はユミが「ドラマの主題歌になりそう」というきれいな曲。それにぼくがオーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」を聞いていて思いついた「雨の降る日には」という詞をつけました。「LIVE! no media 2004」の中からぼくは三宅くんの「ギターを弾こう」という詩を、三宅くんはぼくの「おばあさんのやかん」を朗読しました。それを聞いてユミがおもしろいことを言っていました。ぼくの朗読する「ギターを弾こう」はとてもしんみりと聞こえ、三宅くんの「おばあさんのやかん」は童話のように聞こえたそうです。同じ詩でも読む人によってずいぶん印象が変わって聞こえたそうです。「いつか、他の人の詩を読みあう朗読会をしたらおもしろいね」と言っていました。

友部正人
6月5日(月) 「仕事場」
せっかく借りたのにほとんど使わないまま1年がたってしまった、横浜の北仲ホワイトと呼ばれる建物にある仕事場。三宅伸治さんから6月7日のための新曲が届いたので、今日はそこでそれに歌詞をつけることにしました。5月28日のリクエスト大会で一緒に2曲やるときに、三宅くんにぼくのアンプを使ってもらったのですが、そのアンプがそのままのボリュームとトーンの設定で仕事場にあったので、ぼくのマーチンのエレキで弾いてみたらすごくいい音なのです。三宅くんが使ったせいかな。それで大半はギターを弾いてすごしたのですが、夕方にはなんとか歌詞もできました。三宅くんに気に入ってもらえるといいのですが。

友部正人
6月1日(木) 「試写会と個展」
伊勢真一さんの新作「ありがとう」の試写会に行きました。「ありがとう」は伊勢さんが25年間撮り続けている「奈緒ちゃん」シリーズの3作目です。てんかんと知的障害のある奈緒ちゃん、今はもう32歳になったそうですが、伊勢さんが撮り始めたときはまだ8歳でした。「ありがとう」には「奈緒ちゃん」の中の8歳の奈緒ちゃんや、成長した「ぴぐれっと」の中の奈緒ちゃんも出てきて、これまでの映画を見続けてきたぼくやユミを懐かしい気持ちにさせました。
「奈緒ちゃん」シリーズは奈緒ちゃんだけの記録ではなく、奈緒ちゃんの家族、西村家の記録でもあります。お父さんにはお父さんの、お母さんにはお母さんの、弟には弟の人柄が映画にとてもよく出ていて、ときにはそのやりとりがスリリングで、ドキュメンタリーという感じがあまりしません。カメラに慣れちゃっているのか、いかにもありのままの4人がおもしろいのです。
ぼくとユミは前作「ぴぐれっと」の試写会の後に、恵比寿から横浜まで、奈緒ちゃんのお父さん、お母さんと一緒に電車で帰ったことがあります。そのときお父さんが「うまく編集されちゃっているからなあ」と言っていたのを思い出します。映画の中ではお父さんはわりとコミカルに描かれていますが、実際に会ってみたら落ち着いた大人の人でした。でも伊勢さんは家族の誰からも、一度も映画についてクレームを受けたことはないそうです。
もしも奈緒ちゃんがいなければ、西村家はどんな家族だったのか、ということはもう考えられないくらい、奈緒ちゃんには存在感があります。奈緒ちゃんは映画を見てるぼくたちに、人と人はいつもどこかでつながっているんだということを思い出させてくれます。

試写会の帰りに、青山のスペースユイに茶畑和也さんの個展を見に行きました。茶畑さんは以前ぼくのエッセイ集「パリの友だち」に表紙の絵やイラストを描いてくれたことがあります。最近はコンピューターで描いているようで、その新作展です。茶畑さんの絵もどこか別の世界につながっているような不思議さが持ち味です。頭の中の糸だけで描いた詩のようでもあります。

友部正人
5月28日(日)「リクエスト大会」
1年半ぶりの「リクエスト大会」でした。今回は意外な曲にリクエストが集まったりして楽しめました。選曲を聞き手にしてもらうという他人任せな企画です。
一人3曲リクエストしてもらい、集計して多い順に並べます。集計をするのはユミや手伝いに来てくれたブリッジやミディの社員の人たち。ぼくも開演前にそばで見ていましたが、リクエストが限られた何曲かに集中するのではないので、それはそれは大変な作業のようでした。見ているだけで大変そうなので、ぼくはステージに出て朗読をしながら待つことにしたのです。
それでも15分もするとほとんどの集計が終わり、ぼくは8位から歌い始めました。今夜ぼくが歌った歌を全部並べてみます。

曲順
もう春だね、なんでもない日には、大阪へやって来た(短縮版)、はじめぼくはひとりだった(町田直隆さんにステージに出てもらいリクエストしてもらいました)、フーテンのノリ(芝居の公演中で今夜来られなかった宮沢章夫さんのリクエスト)、熱くならない魂を持つ人はかわいそうだ、悲しみの紙、夕日は昇る(寺岡呼人さんのリクエスト、ステージで一緒に歌ってもらいました)、夕暮れ、にんじん、ジョージア・ジョージア・オン・マイ・マインド(三宅伸治さんのリクエスト、ステージで一緒に演奏してもらいました)、ぼくは君を探しに来たんだ(これも三宅さんのリクエスト、一緒に演奏しました)、乾杯、反復、一本道。 公園のD51(アンコール)、ふあ先生(アンコール)

普段のライブだと、聞き手の反応が歌った後の拍手でしかわからないのですが、リクエストをしてもらうと、歌う前に拍手をしてもらっているみたいで、なんだかとても照れます。でも聞きたい人がいるところで歌うというのは、歌の本来の形でもあるように思えます。自分はそういうところから歌い始めたような気がします。だから、リクエストされた曲が分散してたくさんあることは、みんなが聞きたがっている曲がたくさんあるということだと勝手に思うことにします。そして、その中に新しい曲もまざっていることにほっとするのです。
そんなに歌った曲数は多くはないのに3時間はたっていました。曲数ではなく、中身の濃さの3時間だったのだと思います。お客さん全員で選曲するコンサートなので、みんなが歌に集中していて、その濃密さといったら半端ではありません。その濃密さを示すような3時間でした。
リクエストの多い順に並べてみます。入場者数は140人ぐらいでした。

1  一本道(22票)
2  反復(13)
3  乾杯、中道商店街(10)
4  にんじん、夕暮れ(9)
5  ぼくは君を探しに来たんだ、朝は詩人、はじめぼくはひとりだった(8)

6  大阪へやって来た、おしゃべりなカラス、お日様が落っことしたものはコールタールの    黒、愛について、6月の雨の夜、チルチルミチルは(7)

7  君が欲しい、公園のD51、なんでもない日には、誰もぼくの絵を描けないだろう(6)

8  もう春だね、空が落ちてくる、あいてるドアから失礼しますよ、遠来(5)

9  夜よ、明けるな、悲しみの紙、まるで正直者のように、まちは裸ですわりこんでいる、悦
 子、Speak Japanese, American、フーテンのノリ、ふーさん、古い切符(4)

10  鎌倉に向かう靴、すばらしいさよなら、働く人、一日の終わりの長い足、熱くならない魂を持つ人はかわいそうだ、ぼくのこと君にはどう見えるのか、地球の一番はげた場所、水門、道案内、イタリアの月、私の踊り子、ロックンロール、いちばん露骨な花、ある日ぼくらはおいしそうなお菓子を見つけた(3)

11 いっぱい飲み屋の唄、金もないが悩みもない、髪の長い魚、公園のベンチで、梅雨時のブルース、西の空に陽が落ちて、キシノサトの動物園、カルバドスのりんご、七月の王様、愛はぼくのとっておきの色、地獄のレストラン、夢のカリフォルニア、密漁の夜、ふあ先生、銀の
汽笛、トーキング自動車レースブルース、そんな人をぼくはララと呼ぶ、何も思いつかないと
きの歌、あれは忘れ物、ストライキ、大道芸人、Don't think twice,it's alright(2)

12 ゆうれいなんていかしてる、ラブ・ミー・テンダー、酔っぱらい、夜は言葉、夜を着がえて、傘の行方、くつあとのある話、早いぞ早いぞ、もしもし、ジョージア・ジョージア・オン・マイ・マインド、ジョン・レノンとピカソ、歌ってもしかたのない歌ばかり、停車中、あの美しい町では、美人のねえさん、アイ・シャル・ビー・リリースト、長井さん、眠り姫、ボート小屋便り、ぼくらは同時に存在している、ショウマン、朝の電話、歌の完成、朝の斜面、おっとせいは中央線に乗って、おやすみ12月、世界の言葉が音符だったら、旅のスケッチ、ジャージー・ガール、ニセブルース、Dのブルース、ヘマな奴、亡霊と天使、奇跡の果実、待ち合わせ、空の下の海、月夜の盗賊たち、シャンソン、空から神話の降る夜は、田中さんとぼく、小さな町で、休みの日には、月の光、横顔、灯台、ニレはELM、ガーディナーさん(1)
この他、レコーディングされていないカヴァー曲が何曲か投票されましたが無効としました。


友部正人
5月24日(水) 「モーターサイクル・ドン・キホーテ」
宮沢章夫さんのお芝居、「モーターサイクル・ドン・キホーテ」を見に行きました。お芝居なんて本当に久しぶりに見に行くので、ぼくもユミもわくわくして行きました。場所は横浜のみなとみらいにある赤れんが倉庫のホール。
上演されたという記録だけがあって、台本は残っていないというシェイクスピアの劇、それを日本の宮沢章夫という劇作家が舞台化するという不思議、宮沢さん自身が芝居がかったこの企画の登場人物の一人のようです。日本以外にもインドや東欧でも同じ試みがされるそうです。

今夜は嵐でした。最初はせりふが聞き取れず、席を前の方に移動した方がいいかと思ったほどでした。会場には天井がなくて、直接屋根にたたきつける雨と雷の音がすごいのです。去年九州の天井のない家に泊まったことがあって、夜中に激しい雨音に起こされて、何事かと外に出てみたら、たいした雨ではなかったという経験があります。天井って役に立っているんだなあ、とそのとき知りました。

舞台を鶴見区のオートバイの修理工場に設定したのが、シェイクスピア劇とは何の関係もなさそうで、おもしろいと思いました。そこに、かつてそのシェイクスピア劇に出演したことのある女優が紛れ込んできて、修理工場のおやじの妻になって一緒に暮らし始めます。だけど修理工場のおやじは女優という過去を持つ若く美しい妻になかなか素直になれません。
いろんなことを思いました。赤ちゃんのときにはじめて口にした言葉、それと芝居のせりふとはどう違うのか。どうしてぼくたちは生きていることをお芝居だとは感じないでいられるのか。
きちんとした脚本をしっかりした俳優が演じるのは見ていてとても気持ちがいいことでした。人工的な設備なのに、自然に夜が明けていくような感じです。

帰りは宮沢さんに、家の近くまで車で送ってもらいました。どしゃぶりの雨の中走り去る宮沢さんの車は、まるでチェ・ゲバラのオートバイのようでした。

友部正人
5月17日(水) 「長崎」
福岡から横浜に戻るユミと別れてぼくは電車で長崎に。修学旅行の中学生たちで
貸切の車両があったりして、車内は通勤電車並みの混雑でした。
会場はBody Soulというジャズのライブハウス。以前はカボという名前の店でした。
福岡で一つのアルバムから一曲ずつ歌うライブをした後なので、今夜は選曲に
ちょっと迷いました。結局、歌いなれている歌を歌うことにしましたが、それで
よかったみたいです。30年ぶりに聞いたという人も満足していました。
終ったのが10時半ぐらい。片付けてホテルに戻ったら11時を少し過ぎていました。
実はボブ・ディランのXMラジオを聞きたくて、ツアーにパソコンを持ってきていたのです。
12時まで番組を聞いて、それからまたBodySoulに戻り、マスターと二人だけで
今夜の打ち上げをしました。

友部正人
5月16日(火)「福岡 ギャラリーモリタ」
福岡でぼくの歌を応援してくれているポカラというグループが主催のライブ。今回は今までの20枚のオリジナルアルバムから1曲ずつ歌うという企画でした。選曲はポカラの田中くんとぼくでしました。20枚の中には矢野誠さんとの「雲のタクシー」とたまとの「けらいのひとりもいない王様」も含まれています。「30年以上やっていて20枚は、意外と少ないなあ。」とユミが感想をもらします。80年前後に、あまり出さなかった時期がありますから。

ライブは二部に分かれ、一部は「Speak Japanese,American」から「ライオンのいる場所」までの10曲、二部は「夕日は昇る」から「大阪へやって来た」までの10曲。そして一部には朝の感じのする白っぽい絵を、二部には夜の感じの絵を、ステージの背後の壁にギャラリーの女性がかけてくれました。
歌った歌は次の通りです。
Speak Japanese,American、ニセブルース、雨の音が聞こえる街、月の光、月の船、私の踊り子、花、イタリアの月、ぼくの猫さん、少年とライオン、水門、愛について、ロックンロール、遠来、ぼくは君を探しに来たんだ、はじめぼくはひとりだった、お日様が落っことしたものはコールタールの黒、公園のD51、一本道、まちは裸ですわりこんでいる

チケットには20枚のアルバムがすべて印刷されていて、それぞれに主催者のコメントが対談形式で載っています。これだけ一生懸命聞いてくれる人たちがいる場所では、どうしたってコンサートも盛り上がります。アンコールや詩の朗読も入れたら、3時間ぐらいになってしまいましたが、本当に楽しい企画でした。

友部正人
5月14日(日)
今日はパスカルズがメインでぼくがゲストという構成でした。天候は昨日よりましでしたが、ときおり雨がぱらついていました。開演前にパスカルズがバラ園を演奏しながら練り歩いたのですが、そのサーカスのような様子が花の公園にぴったりで人目を引いていました。
パスカルズの後半に6曲ぼくは一緒に演奏しました。「夕暮れ」のとき、石川くんのシャボン玉とあかねちゃんのコーラスに感動してしまいました。パスカルズの静かな曲のときに、すわって「アメリカの匂いのしないところへ」も朗読しました。これが意外によかったのです。

パスカルズの後は高知の矢野絢子さんが歌いました。やっとお日様が出て、芝生に寝転んで聞きました。終演後に「今日のニーナはすごくよかった」と絢子さんに言ったら、「歌詞を途中で飛ばしてしまった」と言っていました。矢野さんと一緒にギターを弾いていた大久保和花さんは「ニーナというところにくるといつも鳥肌が立つ」と言っていました。

2日間のコンサートの打ち上げを、ブルーバード・ティー・ルームというお店でやりました。こんなコンサートが実現できたのも、元はといえば小杉さんから相談されたとき、ユミが試しにパスカルズの名前をあげたからです。それにしてもよく実現してくれたものです。小杉さん、ありがとう。
パスカルズのこともぼくのこともあまり知らなかった市の職員たちも、もっとたくさんの人に聞いもらいたかったと言っていました。こんなコンサートがもっと全国でできるようになることがぼくたちの夢です。

友部正人
5月13日(土)
朝6時半にホテルの温泉に行くと、地元の人たちが大勢入りに来ていてびっくり。早朝とは思えない様子でした。町に出ると床屋さんがすでに営業していたりして、鹿屋は朝の早い変わった町です。小雨の中しばらくユミとジョギングして、そのまま町の広場で開かれていた朝市に行きました。目当ては地元のお菓子です。けせんだんご、あくまき、しんこだんごを買いました。
コンサートの会場はバラ園の中の野外ステージです。11時に会場入りしてリハーサルしていたら雨が強くなって中断。本番も30分近く遅れてスタートしました。ふったりやんだりの雨と寒さでお客さんには申し訳ないような天候でしたが、みんな最後までしっかり聞いてくれました。先日の「春一番」といい、どうも今年の野外コンサートは天候に恵まれません。今日はぼくがメインでパスカルズがゲスト。ぼくのソロ、パスカルズのソロ、それからぼくのパスカルズの合同演奏という構成でした。アンコールではパスカルズの最近のレパートリー、高田渡の「ものもらい」をやりました。
コンサートが終わったらまずしたかったことは、暖かい温泉に入ることでした。。

友部正人
5月12日(金)「パスカルズと鹿屋へ」
羽田でパスカルズのメンバーと待ち合わせ、みんなで一緒に飛行機で鹿児島に飛びました。
13日、14日に鹿屋にオープンした日本一のバラ園でのコンサートに呼ばれたからです。主催は鹿屋市ですが、コーディネイトしたのはぼくのライブを鹿屋で企画してくれている小杉さん。飛行場までバスで迎えに来てくれました。
パスカルズはメンバーが14人もいるのでなかなか東京以外ではコンサートができません。今回鹿児島のはずれの小さな町でできるのはめずらしいことでした。今日はライブはなく、空港から町までの途中の龍神温泉に入ったり、ホテルで軽くリハーサルをしたりしました。そして夜はみんなでおいしい鹿屋のとんかつを食べに行ったのでした。

友部正人
5月10日(水)「ボブディランのラジオ」
ボブディランが司会進行する衛星ラジオ番組の2回目、アメリカ東海岸では朝の10時から、日本では夜の11時から。3日間の無料受信サービスを利用して聞いています。
毎回テーマに沿って選曲していて、今夜は母の日にちなんで「Mother」。タイトルに「Mama」または「Mother」という言葉の入った曲ばかり18曲かけました。古いブルースとカントリーがほとんどですが、ランディ・ニューマンやローリングストーンズもありました。天国でまたお母さんと一緒に教会に行きたい、と歌うバック・オウエンスの「I'll go to church with Mama」のような曲もかけていました。本人が番組を楽しんでいるのがよくわかります。

友部正人
5月7日(日)「春一番」
「春一番コンサート」の4日目。心配されてた通り、この日は朝からひどい雨でした。雨合羽はとても便利です。服はぬれないし、雨水のたまったベンチにも座れます。ぼくの出番は最後から二番目でした。リクオと「朝の電話」をやったり、伊藤銀次と「遠来」をやったり、ふちがみとふなとと「ドント・シンク・トゥワイス」をやりました。ふなとさんには「朝の電話」や「遠来」でもウッドベースをお願いしました。

楽屋でながいようが「雨だとみんな歌をよく聞いてくれる」と言っていたように、反応がすごく早く、とてもやりやすかった。確かに晴れた日だと、特に中年のお客で、友達としゃべったり、酒を飲みすぎて酔っ払ったり、となかなかうるさい人もいるので。そういう意味でもとてもいい春一番でした。

友部正人
5月5日(金)「月の庭」
亀山駅でぼくとユミを出迎えてくれた「月の庭」の岡田マサルくんに、まず聞きました。
「今日は庭でやるの。」
2月にマサルくんが名古屋までぼくのライブを聞きに来てくれたときに、「この次の月の庭でのライブは本当に庭でやりませんか」と言われていたからです。

おととしの秋に癌と宣告されたマサルくん、その癌を医学に頼らずに克服しようと、現在は舞踏に打ち込んでいます。見たところ非常に元気そう。マサルくんの家は代々の酒屋で、庭にはご先祖様が建てた神社があります。今マサルくんは奥さんのかおりさんと「月の庭」という未来食のレストランをしています。

「月の庭」は亀山の住宅街にあります。夜になるととても静かなので、庭で大きな音を出してもだいじょうぶなのかちょっと心配になりましたが、 9時半までに終ればいいとのこと。
虫の数より集まった人の数の方が多かった。もう少し暑くなるとその数は逆転するのでしょうが。いくら騒がしく歌っても夜空の下ではとても静かで、歌いながら屋外をたっぷり堪能できました。

友部正人
5月3日(水) 「ボブ・ディランとピート・シーガー」
ラジオの番組でボブ・ディランが自分の好きな曲をかけておしゃべりをしているなんて、なんだか変な感じ。だけどとても普通に聞こえてしまう。けっこう楽しんでやっているみたいで、よどみなくしゃべる、しゃべる。
XMサテライトラジオ、5月3日夜11時から1時間の番組でのことでした。3週連続で毎週水曜日にやるようです。毎回テーマを決めて曲をかけるみたいで、今夜は「天候」、来週は「お母さん」。今夜の選曲の特徴は古い曲が多かったこと。ほとんどぼくの聞いたことのない曲でした。アーマ・トーマスの若いときの歌声、デーィーン・マーチンのサンレコード時代の曲、聞いたこともないようなアーティストたちの演奏、力がこもっていて濃い演奏がボブ・ディランは好きみたいです。自分のコレクションからかけてるみたいで、めずらしい曲が多いということは、それだけ自慢だったのでしょう。そういうあたりまえなところが彼の人気の秘密かも。スティービー・ワンダーの「プレイス・イン・ザ・サン」はぼくも10代の頃に好きだった曲。

「ニューヨーカー」の4月17日号に、ピート・シーガーに関する長い記事が出ていました。ブルース・スプリングスティーンがピート・シーガーのカバー集を出すので、そのこともあるのだと思います。ガンコなところのある人だとは思っていたけど、この人のガンコは半端ではない。生前高田渡が彼に会いたがっていたのもなんとなくわかります。アメリカのイラク侵攻がはじまったとき、彼は雨の中ハイウェイに一人立ち、通り過ぎる車一台一台に「PEACE」と書いた板切れを見せて反戦を訴えていたそうです。車が通り過ぎると、その車が見えなくなるまでプラカードを高くかざしていたということです。あくまでも自分の信念で行動するすばらしい人なんだと思いました。

友部正人
4月29日(土)
ユミは千歳空港から横浜に戻り、ぼくはJRで函館に。函館駅にSLが停車していて煙をはいていました。主催の太田さんが長男の一歩くんと迎えに来てくれました。一歩くんの名付け親は実はぼくです。

写真図書館の1階ホールでライブです。真ん中に大きな薪ストーブがあって、お客さんたちはそのまわりに集まって歌を聞いていました。その様子が駅の待合室に見えたのです。函館はまだ寒いです。「一本道」が聞きたくて車で1時間もかかるところから来てくれた人もいました。コンサートに間に合うようにと、700キロも車を運転して函館に戻ってきた人もいました。そんなに大勢ではなくても、そこにいた人たちはみんな今夜のライブを目指して集まった人たちでした。それがうれしかったです。

友部正人
4月28日(金)
昨日の山登りで不調のユミを無理やり誘って円山公園でランニング。ホテルはくうの近くだから、公園までちょっと距離がありますが、ホテルの近くにはおいしいそば屋や古本屋などがあって、このあたりはいいところです。

札幌の主催者の木下さんの車で小樽のぐるぐるまで。リハーサルをしてからお寿司を食べに行ったらお店の主人がおつまみをサービスしてくれました。今夜ぐるぐるでぼくのライブがあることを知っていたのです。ぐるぐるで歌うのは久しぶりでした。照明が明るくて最初はぼくもお客さんも落ち着かなかったのですが、深呼吸をしたらすぐに歌を肌で感じられるようになりました。ぐるぐるの手塚くんは、小樽に住み着いた旅人です。80年代に、釧路湿原の水門まで一緒に旅をしたことがあります。今夜は長男で小学生の成くんが受付から打ち上げまで手伝ってくれました。

友部正人
4月27日(木) 「やぎや」
今日は札幌でオフです。永田さん夫婦のやっている「やぎや」でコース料理を食べることにしました。電話をして予約をすると「友部さんたちは走って鍛えているから、タクシーは使わずに歩いて来たら」とすすめられ、5時半ごろホテルを出ました。1時間もあれば着くだろうと思ったのですが、ちょっと甘かった。円山公園まで30分、そこから上り坂を延々1時間。走ってはいても山登りには慣れていないぼくたちです。かなりくたびれました。おかげで腹ペコになりました。

他にはお客さんはいなくて、ぼくたちの貸切状態。生ハム、ソーセージ、チーズ、パン、野菜、料理に使うほとんどのものが自家製です。豆とソーセージを煮込んだ料理に感激して、ユミは作り方を温子さんから教わっていました。「明日は私たちの結婚記念日なんだ」とユミが言うと、ワインをボトルでサービスしてくれて、ソーセージやパンのおみやげもいただきました。横浜に帰っても「やぎや」を再生できそうです。

友部正人
4月26日(水) 「札幌」
今日は札幌でライブ。横浜からユミもやってきてツアーに合流です。くうは横に広いお店なので、お客さんの顔がよくわかります。今日はいつもより年齢層が高かったようです。1曲目にはじめて人前で演奏する曲をやったら大きな拍手が返ってきて、いっぺんにぼくの気分も盛り上がりました。「友部正人詩集」を紹介する内容の曲目でライブをしました。歌の歌詞も多いので、歌詞集でもあります。いつも持って歩いて、気の向いたときに読みながら歌ってくれたらうれしいです。8ヶ月ぶりの札幌くうライブはとてもいい感じでした。

友部正人
4月25日(火) 「旭川」
2年ぶりのアーリータイムズでした。ここは日本のフォークのレコードなどの宝庫です。マスターの野澤さんは今年、旭川で自分の資料を持ち出して展示会をやり、なかなか好評だったようです。その野澤さんから、「にんじん」をぜひにとリクエストされました。旭川ではまだ歌ったことがなかったそうです。アンコールではお客さんからのリクエストにも応えました。建物は昔は醤油か味噌の蔵だったそうですが、歌いに行くたびにぼくの歌もここに貯蔵されていくようです。

友部正人
4月24日(月) 「雪の帯広」
今日は旭川までの移動日。朝から降り始めた雨が午後になって雪に変わり、帯広は瞬く間に雪景色に。みゆるくん、あさみくんと北海道ホテルでコーヒーを飲み、その後ぼくはバスで三国峠を越えて旭川に向かいました。バスはすいていて、ほとんどの乗客は居眠りしていて、ぼくは雪がおもしろくてずっと窓から見ていたら、山の斜面に一匹の鹿がいて、ぼくを見下ろしていました。みんなが眠っていたせいか、夢の中のことのようでした。峠から見た針葉樹の果てしない広がりにためいきをつきました。そして雪に包まれた木々の白い小枝に見とれたのでした。旭川に着いて友人に鹿のことを話したら、北海道の人は見飽きているとのことでした。ぼくは見られて得をしたと思っていたのに。

友部正人
4月23日(日) 「帯広」
今日は長井みゆるくんが主催して、帯広のキッチンノートでライブでした。釧路からみゆるくんの車で帯広に向かいました。キッチンノートは帯広郊外の丘の上にあるお店です。ここ何年かは、みゆるくんとここでライブをしています。
結婚して子供ができて、歌も変わるかと思ったけど変わらなかった、とみゆるくんは言っていました。でも歌い方がやさしくなったようです。いい歌を作り続けています。
今日も上品でいこうとしたぼくだったのですが、「ふるさと十勝」の佐藤さんには「疲れてるみたい」、と言われてしまいました。そんなことはなかったのですが。
帯広に来る前に、釧路湿原の水門を久しぶりに見に行った話をしました。久しぶりに見た水門は小さく感じられ、屋根もだいぶ傷んでいました。あの堂々とした感じがなくなっているように思えました。それでちょっとさびしい気分になっていたのかも。

友部正人
4月22日(土) 「釧路」
何年ぶりかは忘れましたが、久しぶりの釧路でした。今夜の会場は、ジスイズというジャズ喫茶の2階のギャラリーです。ジスイズは30年以上も前からあるお店だそうです。
帯広の長井みゆるくんと名古屋のあさみくんの二人がまず演奏しました。二人は大学時代、京都で一緒にバンドをやっていました。ジスイズの小林さんの提案で、今夜はマイクなしで生でやろうということになったそうです。マイクがなくても二人の音はバランスがよく、歌も伝わってきました。ぼくもマイクなしでやりました。お客さんはぼくの歌ははじめての人も多かったようです。会場の壁には釧路の日没の写真が飾られていました。主催の須藤さんのアイデアです。釧路は日本一夕日がきれいな街だそうです。
須藤さんは以前釧路のタウン誌の編集をしていましたが、今は鍼灸師で、須藤さんに近づくとお灸のモグサの香りがします。本人はわからないそうですが。
久しぶりのライブだったせいか、いつもと違って上品だったと、厚岸から聞きに来た友人が言っていました。

友部正人
4月19日(水) 「ただいま」
ニューヨークから戻ると、まず中央郵便局まで、配達を止めてもらっていた郵便物を受け取りに行きます。配達してもらうと翌日になるので、自分から取りに行くのです。雑誌、書籍類が多いので、郵便物はかなりかさばります。郵便を受け取ると、なんとなく戻って来たんだという気がします。

その書籍類の中に、「大きな活字で読みやすい本 心にひびく恋のうた愛のうた 第4巻 告白」(リブリオ出版)という本がありました。正津勉さんが編集をした詩歌のアンソロジーで、ぼくの「ユミは寝ているよ」がはいっています。おもしろいのは、ずいぶん昔の人(小野小町、光源氏)のものも入っていることです。金子光晴や中原中也もあります。小津安二郎の俳句もあります。つまりほとんどは今はもう生きていない人の作品なのです。そこにぼくのもぽつんと入っています。正津さんが、乱暴な口調だけど愛情のこもったコメントをよせています。値段が書いていないので、書店で買える本なのかどうかはわかりません。老眼鏡がなくても読めます。

「たのしい中央線」という雑誌も届いていました。表紙を見ただけで楽しそうな本です。銀杏BOYZの峯田くんとぼくの対談も載っています。ごちゃごちゃしていて、下北沢の商店街を歩くような感じ。
「アエラ」の臨時増刊「アエラ・イン・フォーク」も届いていました。これには谷川俊太郎さんがぼくの詩について少し話をしています。ぼくの昔のノートの写真がよかった。
「ミュージックタイド」の放送日も終わりましたね。見てくれた人もいるようでうれしいです。ぼくも早く見たいな。まだ番組からは送ってきていないので。

友部正人
4月16日(日) 「イースター」
今日はイースター。キリスト復活の日です。また去年高田渡が亡くなった日でもあります。(日本時間ではニューヨークの15日なのですが。)
ニューヨークに住んでいる、吉祥寺ぐわらん堂時代の友だちのメグと、それから今秋ブロードウェイの「コーラスライン」に出演する沖縄出身の高良さんと、彼女を取材するために沖縄からやって来た野田さんとぼくとユミで、高田渡の骨のかけらが埋めてあるワシントンスクエアの木の根元で、一周忌をしました。メグは花を木の根元に飾り、野田さんが持ってきた泡盛を渡にそそいであげました。「渡ちゃん、復活しないでね。」なんてみんなで言いながら、ユミの作ったおはぎや持ち寄ったサンドイッチなどを食べたりしました。今日は昨日ほどは暑くはなく、とてもピクニック日和でした。

友部正人
4月15日(土) 「カウボーイジャンキーズ」
今日はまるで夏のようでした。気温が26℃もあり、通りを歩く人たちも一斉に白い半そでです。
今日は家の近所にカウボーイジャンキーズのライブを聞きにいきました。彼らのライブはニューヨークではなかなか見られないので、なんだか得した気分。しかもはじめて聞く彼らの演奏がとてもよかったのです。ギターの人もボーカルの女性もドラムスの人もみんなよかった。彼らは3人とも兄妹だということがメンバー紹介でわかりました。それに無表情でにこりともしないベースと、キーボードのような音を奏でるマンドリンの人。途中ギターとボーカルの二人だけでやった「12月の空」という彼らの新しいオリジナルが特にすてきでした。「WAR」という小説にインスパイアされてできた曲だそうです。小説も読んでみたくなりました。それにしてもボーカルの人はとてもかわいらしい女性でした。

友部正人
4月12日(水) 「メゾンド・ヒミコ」
ジャパン・ソサイエティに映画「メゾンド・ヒミコ」を見に行きました。前にニューヨークで見た同じ監督の「ジョゼと虎と魚たち」がとてもよかったので、期待して見に行きました。ゲイの老人ホームを舞台にした映画です。年老いたゲイの人たちの映画だからいろいろおもしろいところがあったけど、設定のおもしろさに終ってしまったような気もします。

友部正人
4月11日(火) 「ダニエルくんとナン・ゴールディン」
今日は夕方からチェルシーのギャラリーに「ダニエル・ジョンストン ドローイング展」とナン・ゴールディンの「チェイシング・ア・ゴースト」という39分間のスライドショーを見に行きました。でも家を出たのがもう5時近かったので、ナン・ゴールディンは途中からしか見られず、後日また出直すことに。

ダニエルくんの線画はフェルトペンでのびのびと描かれていて、ときどきその絵に「待つ人に死はすぐやってくる」「きれいな女性にぼくの詩を聞かせてあげた」というようなコメントがつけられています。一見漫画の落書きのようでも、よく見るとなかなかじょうずなのがわかります。ドキュメンタリー映画のニューヨークでの上映に合わせた展覧会のようですが、絵は今回のために描かれたのではなく、ダニエルくんの普段の気持ちが生き生きと伝わってきました。

ダニエルくんの明るいエネルギーに対して、ナン・ゴールディンの写真からは深い悲しみが伝わってきます。18歳のときに鉄道自殺したお姉さんのことが、その悲しみの原因のようです。時がその悲しみを癒すどころか、ますます重く覆いかぶさってきたいるようで、ナン・ゴールディンは煙草の火を何度も自分の腕に押し付けて焼きます。その映像にジョニー・キャッシュの「HURT」が重なると、見ているぼくはもう動けなくなってしまいました。スライドショーの前半に、亡くなったお姉さんの写真もあるそうなのでもう一度見に行こうと思います。

友部正人
4月8日(土) 「ドローイング・リストレイント 9」
「ドローイング・リストレイント 9」という映画を見ました。マシュー・バーニィとビョークの二人の映画です。二人以外は日本人しか出てこない。舞台は日新丸という捕鯨船の上です。セリフらしいセリフがあるのは、船内の茶室で日本人が二人に日新丸について説明するところだけです。その船に招待されて二人は長崎から乗り込みます。最初の方のシーンで、阿波踊りや海女さんが登場するのはとってつけたようで奇妙です。寺山修司の映画のようでもありました。
映画といってもこれは、現代美術の製作過程をドキュメンタリーにしたような作品でした。電車はとっくに通過したのに遮断機が上がらず、ずっと待たされているような映画でした。だからとても退屈でした。その代わり後からそれをたどり直してみたりするのです。
後半、水の中で二人がお互いの足を刃物で切りあうシーンがあって、ユミはほとんど目を開けていられなかったそうです。確かにしつこくて気味の悪いシーンでした。その後二人は2頭のくじらになったようでした。

友部正人
4月7日(金) 「沖縄舞踊」
ヨシ(比嘉良治さん)の家に沖縄の若い人たちがやって来て、沖縄の歌や踊りを見せてくれました。大航海レキオスというグループで、ヨシのところには毎年遊びに来ているそうです。ヨシの友人ら20人ぐらいの人が集まり、ヨシの手料理を食べ、お酒を飲み、琉球舞踊や島歌を楽しみました。踊ったのは今度高校2年生の男子です。4歳のころから踊っているそうで、堂々としていてとてもりっぱでした。すっかり見とれてしまいました。踊りって歌以上に不思議なものだと思います。言葉にならないものが形になっていてさわやかでした。

友部正人
4月6日(木) 「マーサ・ウエインライト」
マーサ・ウエインライトがライブをするというので、イーストビレッジのウェブスターホールに聞きに行きました。ニーコ・ケイスのライブのオープニングアクトとしてです。マーサの歌は今までルーファス・ウエインライトのコーラスでしか聞いたことがなくて、最近出したソロアルバムも聞かずにライブにでかけました。なんとなく気になっていたのです。ギターを二本用意してあるのにギタースタンドがないのか、一本を足元にねかせて男性3人のバンドで歌っていました。1時間はやるかなと勝手に予測していたのに、最後に「ブラッディ・マザー・ファッキン・アスホール」という繰り返しのある歌をやって受けて、30分ほどで引っ込んでしまい、物足らない感じでした。

ニーコ・ケイスは名前を聞くのも初めての人、ぼくが知らなくても、二日間のライブはソウルドアウトでした。「暑いわね、更年期かしら」と冗談を言っていたけど、そんなに若くはないのかな。(更年期という単語はユミが教えてくれた)。こちらの人はレパートリーによくボブ・ディランの歌を加えます。今日のニーコ・ケイスは「雨のバケツ」をやっていました。(前にイールズは「北国の少女」をやっていた。)この人の歌はあっさりしすぎていてあまり馴染めません。最後まで聞かずに帰ることにしました。帰り道にユミが「マーサってエディ・リーダーに似ているね」と言いました。そうかもしれないなあと思います。

友部正人
4月5日(水) 「4月の雪」
肋骨のひびでしばらく走ることから遠ざかっていたユミとセントラルパークをゆっくり4マイル走りました。外に出ると小雨が降っていたけど、たいしたことはなかったのでそのままセントラルパークに行ったら、そのうちそれが雪に変わり、本格的に降り始めたのです。ぼくは帽子をかぶっていたからいいものの、ユミは雪で髪の毛がびしょぬれになりました。天気予報に注意していれば雪の予報もあったのに、半そで半ズボンで走っている人たちもいて、すれ違うときにはお互いに笑うしかないという感じでした。メトロポリタン美術館の裏あたりはいろんな種類の木が花盛りで、その花に負けないくらい大きな雪のかたまりが次々と降ってきてぼくらの視界をさえぎります。静かで広大な公園に音もなく降る雪は夢のように美しく、カメラを持っていなかったユミは、俳句でそれを記憶しようとしていたのでした。どおりで途中から口数が少なくなったと思った。

友部正人
4月2日(日) 「佐藤B作と忠治」
ひょんなことから、東京ボードビルショーの佐藤B作と忠治に25年ぶりぐらいにニューヨークで再会してしまいました。秋にニューヨークのジャパンソサイエティで公演をすることになって、その打ち合わせで来たそうです。今はニューヨークにいるメグが、昔の吉祥寺ぐわらん堂時代の仲間の忠治と久しぶりに再会して、そのことを連絡してくれたのです。夜に彼らが泊まっているソーホーのホテルでみんなで会いました。

二人はとにかく古い知り合いなのですが、何がどうなって知り合ったのかも記憶にない。大人になってからの幼馴染のようなものです。まだ二十歳くらいだったユミとB作の家になぜか泊まったり、VAN99ホールに東京ボードビルショーの芝居を見に行ったりしていました。あのころはとにかくみんな暇で、ボードビルショーのメンバーがよくうちにマージャンをやりにきていたけれど、だれが来ていたのかはあまり覚えてない。
B作も忠治も全然変わっていなくて、月日の流れなど感じなかった。B作は最近凝っているそうで、部屋からニベアクリームと細い木の棒を持ってきて、それでぼくの足裏のツボをゴリゴリやりだしたのはびっくりでした。最初はくすぐったかったのに、そのうちがまんできないくらい痛くなり、痛いのは内臓が悪いからだとさらにグイグイと力をこめます。(B作は力はこめてないというのですが。)
7年ぐらい前に亡くなったというB作の奥さんの話になったり、その合間に今度はユミとメグが足ツボをゴリゴリやられたり。おしゃれなホテルのロビーでそんなことをやっているものだから、ロビーにあるバーのお姉さんもゲラゲラ笑っています。その様子に、秋のニューヨーク公演は絶対に受けるな、と思ったのでした。
役者と一緒に自分たちもステージの上にいるような変な感じでしたが、また会えて本当にうれしかった。気がついたらもう夜中の2時になっていました。

友部正人
4月1日(土) 「ダニエル・ジョンストン」
ドキュメンタリー映画「デビルとダニエル・ジョンストン」を見に行きました。場所はイースト・ハウストン・ストリートにあるサンシャイン・シネマ。はじめて行った映画館です。
ダニエル・ジョンストンは京都のガケ書房で今年の2月に共演したふちがみとふなとが教えてくれた人です。彼らが訳して歌っているダニエルくんの「歌う人」を、その日はぼくも一緒に歌いました。わかりやすい歌詞とシンプルで覚えやすいメロディ。どんな人なの、とぼくはふちがみさんにたずね、それからなんとなく興味を持っていたので、ニューヨークに来てすぐにその人のドキュメンタリー映画が見られるなんて全くツイています。

ダニエルくんはボブ・ディランやブライアン・ウィルソンとも比較されたことがあるようだけど、ダニエルくんをとりかこむ人たちはみんな暖かい人たちばかりです。それはダニエルくんがあまりにも傷つきやすい人だから。マーティン・スコセッシの映画「ノー・ディレクション・ホーム」の中で、ディランは気の毒なくらい客に罵倒されていたけど、ダニエルくんのお客さんはどこまでも暖かく、ダニエルくんが未来を信じるくらい強く、ダニエルくんを信頼しているのでした。そういえば以前、当時ブルックリンに住んでいたタダツくんから、ダニエルくんのカセットをもらったことがあるのを思い出しました。横浜に帰ったらまた聞いてみよう。

友部正人
3月25日(土) 「サヨコオトナラ」
横浜のサムズアップで、家族で楽しむレゲエパーティがあって、ぼくの息子の家族と一緒にでかけてみました。息子には2歳の男の子(ダンスがとてもうまい)と5ヶ月の女の子がいて、いつもはサムズアップの厨房で働いています。普段は大人ばかりのライブハウスに今日は子供がたくさんいて、雰囲気が全然違いました。客席の一角は子供専用の遊び場になっていました。

出演は3バンドで、1時間ずつぐらい。最初にPJという健康的な感じの人がやり、その次がサヨコさんのバンド「サヨコオトナラ」でした。ゼルダの頃からいろんなサヨコさんを聞いてきたのですが、今日の「サヨコオトナラ」はその中でも一番よかった。サヨコさんの歌の世界がどこまでも広がっていって、やわらかくあたたかく聞く人を包み込みます。コーラスと歌の掛け合いや、パーカッションとギターの掛け合いが絶妙で、永遠に続けばいいのにと思うくらい気持ちがいいのです。サヨコさんの6歳の娘のアリワのフラ・ラスタ・ダンスもかわいらしかった。
サヨコさんがCDをくれたので聞いたら、今日やっていた曲がたくさん入っていてうれしくなりました。それには奄美民謡も入っていました。あさってからニューヨークなのですが、このCDは持っていくことにしました。

友部正人
3月24日(金) 「Travelin' Flowers」
寺岡呼人企画の「Travelin' Flowers」というイベントが吉祥寺のスターパインズカフェでありました。呼人くん、矢野真紀さん、ぼくの3人です。那覇、石垣島、大阪、吉祥寺と、今月はずっと呼人くんとツアーしていたようです。
矢野真紀さんとは大阪での「Travelin' Flowers」のときにはじめて会って、「私の踊り子」にコーラスをつけてもらいました。今日はそれをもう少し進化させて、サビのところも一緒に歌ってもらいました。あえてユニゾンにしたのがかえっておもしろかった。アンコールの呼人くんとの「ぼくは君を探しに来たんだ」は、大阪のときに好評だったので、今日もマイクを使わずに演奏しました。客席に向かって大きな声で歌うのはとても気持ちがいいです。

友部正人
3月22日(水) 「Music Tide」
「Music Tide」というBS-iの収録を横浜でしました。通常はライブハウスでのライブを収録してオンエアしてるTV番組だそうですが、こちらからの希望でライブではなく、BankART NYKで収録することになりました。去年「Speak Japanese,American」をレコーディングした倉庫ギャラリーの3階です。録音エンジニアは吉野金次さん。吉野さんはこの倉庫を気に入っていて、自分のスタジオにしたいなあといつも言っています。NYKの3階は内装も倉庫のときのままで、床にはコーヒー豆が埋まっていました。(コーヒー豆の倉庫だったそうです。)

演奏は40分で、それを写真家のハービー山口さんがビデオで録画し、スチール写真も撮りました。演奏の後は北仲ホワイトにある友部オフィスに移動して、ハービーさんとおしゃべり。ハービーさんはぼくと同じ1950年の生まれで、若いとき10年ぐらいロンドンにいたそうです。
倉庫は音の響きがいいせいか、一度もまちがえずに気持ちよく演奏できました。
(この番組はFM放送でも聞けるそうです。福岡のLOVE FMと、京都のαステーションです。)

友部正人
3月21日(火) 「ミニライブ」
昨夜の句会に続き、今日は火星の庭で午後3時から「午後の本屋」と題したほくのミニライブがありました。「せっかく仙台に来るのだから、ライブもやりましょう。」と火星の庭の前野久美子さんから連絡があって、突然やることになったのですが、午後の本屋さんは30人以上の人でいっぱいになりました。

12時から3時までの3時間は、JDテリーさんのDJタイムでした。テリーさんののんびりとしたお喋りを聞きながら、テリーさんの紹介する曲を聞きました。ラジオ番組のお喋りはあまり好きではないのに、火星の庭でお茶を飲みながら聞くのはなかなかおもしろかった。テリーさんはコミュニティFMでDJをしているのですが、喫茶店でもやればいいのにと思います。

ミニライブといっても、やりはじめるとミニで終るわけがありません。途中に朗読なども入れながらだったので、結局2時間近いライブになりました。仙台はまだときどき雪がちらついたりして、店内は暖房がよくきいていて、聞いている人たちのほっぺたがみんな赤いような気がしました。

17日に強風で倒れて肋骨をけがしたユミでしたが、コルセットをはめてゆっくり歩けるので、仙台まで来られました。句会に参加できてよかった、よかった。

友部正人
3月21日(月) 「句会」
朝の通勤時間帯の電車に久しぶりに乗りました。張り詰めた空気がものめずらしく、何度もあたりを見回してしまいました。こういう空気の中では、自分の歌がとてもゆるく感じられました。そして、どういう歌がここでは似合うのかと考えたりしましたが、思い浮かびません。

今日は仙台の「火星の庭」で句会がありました。2月から月1回の予定で始まったのですが、実際に参加するのはぼくもユミもはじめてでした。12人が1人3句ずつ持ち寄って、一覧表にしたものから1人5句ずつ投票します。選ぶときは誰の句かわからないのでわくわくします。最後に主宰の渡辺誠一郎さんに一句ずつ批評してもらいます。ワインやビールを飲みながら、考えていた以上におもしろい体験でした。終った後は近くの中華料理屋で打ち上げまでして、大いに盛り上がった夜でした。では一句。

「晴れた日の 涙の跡の ネコヤナギ」 豆腐屋 (ぼくの俳号)

友部正人
3月17日(金) 強風にやられて
今日のお昼ごろの強風ときたら、高い山のてっぺんにでもいるかのようでした。
自転車に乗っていたユミはランドマークタワーのあたりで、突風に飛ばされて街灯のポールに背中から激突、その衝撃でしばらく動けない状態になりました。ぼくたちは1時からの打ち合わせのために、馬車道駅にある仕事場に向かう途中でした。それにしてもすごい風で、歩道に倒しておいた自転車がずるずると移動するほどでした。(打ち合わせの後タクシーで病院に行ったら、ユミの肋骨にはひびがはいっているそうです。)

友部正人
3月13日(月)「検眼」
小松に住む友人の寺田一行さんがホテルまで迎えに来てくれて、高尾台にあるもう一軒のJO-HOUSEに行き、台湾のウーロン茶を飲んだり、ファラフェルを食べたり、それからJO-HOUSEのオーナーの松田さん夫妻と話をしたり。「じゃあ、そろそろ」と思っても立ち上がれなくてまたそのまま長居をしてしまう、そんな雰囲気でした。まりさんが受賞した詩のコピーも読ませてもらいました。ぼくは1行目から引き込まれてしまいました。

寺田くんの家は時計屋です。宝石や眼鏡も売っています。ぼくたちは小松から飛行機で帰る予定だったので、検眼をしてもらうことにしました。思っていたより乱視がひどかったので、眼鏡を作ってもらうことにしました。最近東急ハンズなどで売っている老眼鏡をかけても、疲れるばかりであまりよく見えなかったのです。既製の老眼鏡は乱視には対応していないそうです。出来上がりが待ち遠しい気持ちです。

友部正人
3月12日(日)「金沢 JO-HOUSE」
金沢の「JO-HOUSE」でぼくのソロのライブがありました。途中の福井の山の中はまだ雪がたくさん積もっていて、「つい数日前に波照間で泳いだばかりなのに。」とユミがあっけにとられていました。金沢は雨。ホテルで雨傘を借りて、てくてくと21世紀美術館に行ったらあいにく展示準備期間中とかで何もやってなくてがっかり。

日曜日なのでライブは6時から。若いお客さんが多いのは、JO-HOUSEを松田さんから引き継いでやっているモカくん夫婦が若いからか。JO-HOUSEのホームページを見ると、モカくんはDJもやっているみたいです。金沢の人はコンサートホールのような盛大な拍手をしてくれます。「もっきりや」の平賀さんも聞きに来てくれて、久しぶりに会えてうれしかったです。
ライブの間中ずっと、外には雪が降っていました。去年の1月のJO-HOUSEのときもそうでしたが、今年は3月なので、まさか雪が降るとは思っていませんでした。
うれしかったことは、いつもJO-HOUSEで受付をやってくれるまりさんが、「伊藤静雄賞」という詩の賞を受賞したこと。ぼくはまりさんは絵描きだと思っていたので、詩も書いていたのを知って驚きました。

友部正人
3月11日(土)「大阪 レインドッグズ」
寺岡呼人くんのイベント「Travelin' Flowers」が大阪の「レインドッグズ」でありました。出演は呼人くん、矢野真紀さん、それからぼくの3人です。
リハーサルをしていたら、ユミが見慣れない男の人と店の外で話していて、後で聞いたら「レインドッグズ」のすぐ向かいにある、組のやーさんだったそうです。何をやっているのか興味がある様子だったので、「こっちにおいでよ」と誘って話をしていたらしい。ビートルズやボブディランが好きで、ぼくと同じ年だそうです。

矢野真紀さんの歌ははじめて聞きました。「歌がうまい人だね」とユミも言っていました。最近の若い人たちの歌は、節回しやリズムに特徴があります。バンドがなくても踊れる感じ。真紀さんより10歳年上の呼人くんの歌は、呼人くんより17歳年上のぼくに近い感じです。そんなに違いは感じられません。だから呼人くんと真紀さんの間の世代で何か音楽に変化があったのでしょう。

呼人くんとは沖縄でも一緒だったので、二人でやれる歌もたくさんあります。ひょんなことから、今日は「ぼくは君を探しに来たんだ」を二人ともマイクを使わないで生でやることになりました。呼人くんのマネージャーの壇上くんが感動していました。予定になかったことだから余計に響いたのでしょう。呼人くんのお客さんは女性が多いせいか、ちょっとしたことで客席が笑いに包まれます。ぼくのライブではあまりないことです。今日も「Speak Japanese,American」のCyndiのところでめずらしく笑いの反応がありました。すごく自然な感じで。
「Travelin' Flowers」という題は、呼人くんが真紀さんをイメージしてつけたそうです。今日と同じ内容のライブは、3月24日に吉祥寺の「スターパインズカフェ」でもう一度あります。

友部正人
3月10日(金)「本屋で」
沖縄から帰ってきて、横浜の本屋に久しぶりに行ったら、「LIVE! no media 2004」が詩集の場所に平積みになっていました。自分がかかわった本が実際に本屋に並んでいるのを見るのはうれしいものです。つい何冊か買って帰りたいような気持ちになりました。そのすぐ横にはぼくの「友部正人詩集」もあって、しばらくその場にたたずんでいたのですが、手にとって見てくれる人はありませんでした。今度行ったとき、少しは減っているといいな、と思いながら立ち去りました。

友部正人
3月7日(火)「石垣牛と泡盛」
朝5時半に起きて、民宿から4キロはなれた星空観測所までランニングしました。途中で雨が降り始めて、ぼくもユミもちょっと濡れました。高那崎の断崖に着いた頃やっと明るくなってきました。往復で50分ぐらいのランニングでした。
朝食の後またニシ浜で時間をつぶし、「パナヌファ」というカフェに行きましたが、まだ開いていなかったので、外のベンチで待っていたら、じゅんさんというご主人が来て「ホンくんとお知り合いなんですよね。」といきなり話しはじめました。じゅんさんは大阪の人で、おととしの秋に癌で死んだホン・ホンウンとは親しかったそうです。猫が何匹もいる気持ちのいいお店で、もっとゆっくりしたかったのですが、石垣島に戻る高速船の時間が迫っていて、今度は夏に来る約束をして港に向かいました。

帰りの高速船は全然揺れませんでした。潮流の関係らしいです。石垣島のホテルに戻り、一眠りしていたら、蕗ちゃんからドライブのお誘いの電話があり、3人で白保に行きました。蕗ちゃんは絵本画家の田島征三さんの長女で、もう何年も石垣島で一人で暮らしています。
そのあと「石垣屋」という石垣牛の店で、呼人くんたち、壇上くんたち、それから「すけあくろ」の今村さん、ひゃくさんたちに合流。みんなでステーキを食べることにしていたのです。何回も石垣島には来ているのに、今まで一回も石垣牛を食べなかったのは、たぶんぼくもユミも肉に関心が薄いせいです。アヤコさんの肉への情熱が今回実を結んだのです。それにしてもやわらかいおいしい肉でした。石垣島は八重山そばだけではなかったのです。

「すけあくろ」にみんなで戻り、泡盛を飲みました。飲めなかった呼人くんもぐいぐいと飲んでしまい、途中しばらく眠っていました。「石垣最高」とつぶやきながら。そういえばぼくの頭の中では、今日1日呼人くんの「夜曲」が繰り返し鳴っていました。メロディが沖縄の民謡に似ているからかもしれません。船の上でも、さとうきび畑でも、この歌がぼくの頭の中で流れていました。もとはといえば、呼人くんに「すけあくろ」のお店を教えてあげたくて、今回一緒に来たのでした。今村さんも呼人くんの歌が気に入って、今度はソロでもどうぞ、と言っていました。
夜も更けて、蕗ちゃんが三線で沖縄や八重山の民謡を歌ってくれました。蕗ちゃんの歌ははじめて聞いたけど、いつまでも聞いていたくなるいい声でした。これで今度また石垣に行く楽しみができました。

友部正人
3月6日(月)「波照間島」
今日からは八重山で2日間のオフです。ぼくとユミは石垣島から高速船で1時間の波照間島に行くことにしました。呼人くんは石垣に留まってドライブ、呼人くんのマネージャー壇上くんとカオリさんは西表島に行くことにしたようです。

波照間島は黒潮より外洋にあるので船が揺れるのです。ぎりぎりまで飛行機にしようかと悩んでいたユミでしたが、決心して船で行くことになりました。港に泊まっている船を見ただけでも船酔いしそうなユミにとっては、とても勇気のいる決断なのです。眠れるようにとメラトニンを飲み、はなおからもらったレメディレスキューを口にスプレイしたりと、万全の体制で1時間の船旅に臨みました。気持ちが何かに集中できるように、船内ではずっとマリア・カラスのオペラをイヤホンで聞いていました。だけどマリア・カラスは荒波と波長が合いすぎて、気持ちを静める役には立たなかったようです。35分ぐらいすると激しい揺れが始まりました。高速船ですから、上からたたきつける感じです。この揺れはぼくの想像を遥かに越えていました。たまに着地失敗みたいな瞬間もあったりして。

波照間島に着くと、民宿の人が車で迎えに来てくれていました。民宿の部屋でしばらく昼寝することにしました。神経を使い果たして、ユミはくたくたでした。それにしてもよくがんばったものだと感心しました。
民宿に泊まっている人が海で泳げることを教えてくれて、ぼくたちは食事のついでにニシ浜まで行って泳ぐことにしました。水着がなかったので、ランニングウエアでした。最初は冷たかった海水にもすぐになれて、真水のように透明な海で1時間ぐらい泳ぎました。白い砂がまぶしかった。民宿での夕食の後、夜道を灯台まで1キロぐらい歩きました。灯台は島の真ん中の丘の上に立っています。夕方雨が降って、夜空は曇っていて星は見えません。でも静かなさとうきび畑の中を歩いていると、宇宙の中にいるようでした。

友部正人
3月5日(日) 石垣島 すけあくろ
沖縄から全員で石垣島へ飛行機で移動。空港には「すけあくろ」の今村さんとひゃくさんが迎えに来てくれました。ぼくにとっては2年ぶりの石垣島です。呼人くんは、旅行では来たことがあってもライブをするのは初めてだそうです。さっそく八重山そばを食べに行きました。八重山そばの味噌味は初めてでした。

「すけあくろ」のライブは8時からの予定でしたが、お客さんが集まり始めたのその頃で、実際に始まったのは9時でした。誰もそんな時間のことなど気にしていないみたいでした。数人の外国人も聞きに来て、カウンターで売っていたぼくのCDを見て、「今日は日本語で話さなくちゃ。」と冗談を言っていました。ライブ終了後そのアメリカ人は、「Speak Japanese,American」を買ってくれました。

1部がぼくのソロ、2部が呼人くんのソロと二人のデュエットという構成でした。ぼくの声の調子はまだあまりよくなっていなかったのですが、誰もそんなことは気にならないようでした。元々そういう声だと思われたのかもしれません。
こうして3日間のライブが終わり、そのまま「すけあくろ」で石垣島のさしみを食べながらみんなで泡盛を飲みました。呼人くんは普段はお酒は飲まない人なのに、なぜか沖縄に来ると泡盛が飲めるのだそうです。「すけあくろ」にキープしてあったぼくの「白百合」は3年前のもので、いつのまにかおいしい古酒になっていました。

友部正人
3月4日(土) 那覇 桜坂劇場
今日は呼人くんをゲストに、那覇の桜坂劇場でライブだったのですが、その前にはなおの案内で、みんなで玉城村にある「どんと院」に行きました。どんとの奥さんのさちほさんが建てた、丘の上の八角形の庵です。見晴らしがすごく良くて、海はかなりの引き潮でした。海でアーサー取りなんかをする人たちを見ながら、あまりの居心地の良さに、ぼくたちはそこに1時間ぐらいいました。そのあと、以前どんととさちほさんに連れて行ってもらったことのある、奥武島にあるテイクアウトのてんぷら屋に行き、思い思いにてんぷらを買って、海辺でお喋りをしながら食べました。前にぼくとユミが沖縄に行ったときも、どんととさちほさんと4人でそうやっててんぷらを食べたのでした。「山の茶屋」でお茶を飲んでから、那覇に戻ってライブの準備。

桜坂劇場は1つの建物の中に映画を上映する劇場がいくつもある、いわゆるシネマ・コンプレックスなのですが、コンサートがあるときは夜の上映を中止して、コンサートに会場を使わせてくれるユニークな劇場です。本屋や中古レコード屋もあります。ぼくも呼人くんもここでライブをするのは初めてでした。今夜はその中の、80席ぐらいの劇場でライブをしました。映画館なので椅子が大きくて、コンサート会場とは少し違う客席です。それから手作り風の舞台でした。同じ場所が映画館にもライブハウスにもなるなんて、なんてうらやましいことでしょう。

今回のチラシの楽しい絵は、この劇場の須田さんが描いてくれたそうです。これをぼくのホームページの読者にも見てもらいたくて、ケチャにお願いしました。塀の上の猫が「Speak Japanese」と言うと、もう一匹の猫が「はい」と日本語で答えているのです。
ライブはぼくが1時間ほど歌い、呼人くんが5曲歌い、その後二人で何曲がやるという感じでした。アンコールで、沖縄に住んでいる内田勘太郎くんがぼくたちに加わってギターを弾いてくれました。ぼくの歌の最中に勘太郎くんのギターが聞こえるのはとても幸せな気分でした。

友部正人
3月3日(金) 北谷 モッズ
今日から沖縄なのに、朝目が覚めたら喉と鼻がおかしい。ぼくは花粉症にはなったことがなかったので、もしかしたら風邪かなと思い、外を1時間ほど走って治そうとしたのですが、治りませんでした。

羽田空港で寺岡呼人くんたちと落ち合い、みんなで一緒に那覇へ。那覇空港まで迎えに来てくれた野田さんの車でホテルにチェックインしてから、全員でそのまま今日の会場の、北谷にあるライブハウス「モッズ」に行きました。「モッズ」は以前は沖縄市にあったのですが、去年北谷に移転したそうです。以前の雰囲気を保ちながらも、まだ真新しいお店でした。

リハーサルの後、沖縄市に住んでいる、このホームページの管理人のはなおさん夫婦の家に行きました。はなおとケチャの二人は去年結婚をして沖縄に住んでいます。ぼくの喉がひどい状態だったので、アロマの蒸気で、はなおがぼくの喉を消毒してくれました。そのおかげで、気分はだいぶ楽になりました。沖縄市の街中の住宅街にあるはなお達の住まいはとてもきれいで、ユミもしきりにいいところだね、と感心していました。

さてライブがはじまって、自分にはとてもよく歌えたように思えました。歌はそのときの声で歌うしかないので、声の調子が悪くてもいいと思うのです。声の調子が悪くても、歌えてたらそれで最高です。ライブが終ったらもう11時。ずっと聞いていてくれた呼人くんたちも一緒に、野田さんの車でまた那覇のホテルに戻りました。でも、さすがに今日は飲みに行こうとは思いませんでした。

友部正人
2月26日(日) 雨の日曜日
ニューヨークで知り合った人たちと、横浜で一緒に走ろうと計画していたのに、今日は一日雨。仕方なく走るのは断念して、今やっている「食と現代美術」という催しをみんなで見に行きました。これは3月14日までBankART NYKと、BankART 1929でやっています。NYKにあるのはアート作品で、1929にあるのは本当に食べられるものでした。300円のおそばを食べてアンケートを書いたら500円のパタゴニアの塩がもらえたり、アップルパイを買ったら詩を朗読してくれたり、おもしろいアイデアのお店がぎっしりです。

食のアートに胃が刺激されてお腹がすいたので、野毛のおそばやへ行きました。このところぼくとユミはちょくちょくここに行っています。そばがおいしいし、そば湯で割ったいも焼酎がまたおいしい。ニューヨークから来たヨシやマサや、今は帰国して門前仲町に住む宇田さん夫妻にも好評でした。雨の日曜日にはそばやの酒がよく合います。それからコーヒーを飲みに行って、走ることがなくなって何をするでもなく過ごした一日でしたが、とても楽しかった。大勢でとりとめもなく過ごすなんて、最近ではあまりないことですから。昼間に飲んだお酒のせいか、夜は早々と、ぼくもユミもうとうとしているのでした。

友部正人
2月25日(土) 根岸の梅林
LIVE! no media 2006 が終って1週間たちましたが、今もまだその感想などをいただいています。出演者にひかれてやって来て、帰るときは詩や言葉のファンになっていた人たちもいます。もともと詩や言葉が好きな人たちが集まったということかもしれません。そんなお便りを読むたびにぼくもまたあの日を思い出してしまいます。映像として思い出すというより、言葉がよみがえってくるのは、言葉のライブだったからでしょう。

今日はユミと二人で、横浜の観光名所を巡りながら、根岸森林公園までジョギングしました。明日の日曜日に、ニューヨークで知り合った日本人の友だちが何人か来て、横浜を一緒に走ろうというので、その下見もかねていました。横浜の観光地は土曜日でもそんなに人は多くはなく、走りにくくはありませんでした。森林公園の梅は今五分咲きで、とてもきれいです。ユミはその香りにうっとりとして、さっそく一句。こういうとき何も出てこないぼくは、まったく俳句向きではなさそうです。

友部正人
2月21日(火) 句会
2月4日に塩釜に行ったときの打ち上げの席で決まった、今日は句会の日です。場所は仙台の「火星の庭」なので、ぼくたちは行けませんでしたが、FAXで参加しました。

この句会のきっかけは、塩釜のふれあいエスプの館長さんの渡辺誠一郎さんの句集を読んで、ユミが突然俳句に夢中になってしまったからです。渡辺さんの句集の中のことばから俳号を決め、打ち上げの席でも静かにずっと俳句を作っていました。その勢いが伝わって、周りにいた人たちにも影響して、今夜の句会となったのです。ぼくとユミを入れて8人です。

参加者は一人3句以上作らなくてはならないといわれていたので、ぼくは2句しかできていなかったのに、自信のないのも入れてFAXで送りました。火星の庭では、それはそれは楽しかったようです。やっぱりその場にいなくてはね。しばらくして、渡辺さんによる批評の書きこまれた全員の句がFAXされてきました。でも、遠くからでも、ちゃんと参加した気分になりました。批評を読んで渡辺さんの顔も浮かんだし、十分臨場感はありました。でも、3月の句会は実際に仙台まで行ってみようと思います。

友部正人
2月19日(日) LIVE! no media 2006 草原編
ついに「この日」がやってきました。たいていの「この日」はやってきても、すぐに過ぎ去ってしまうものなのですが、今日の「この日」は長かった。ちっとも過ぎ去ってはくれませんでした。それは今日出演して詩を朗読してくれた人たちや、聞きに来てくれた400人近くの人たちが、「この日」を足で踏んづけていたからです。その長かった一日のことをこれから書きましょう。

ぼくとユミと川瀬さん夫妻とPAの小俣くんは朝9時半に会場に着き、BankARTのスタッフの渡辺さんと準備を開始したのでした。すでに3人のお客さんが寒そうに待っていましたが、そんなことにはかまってはいられません。ステージに使う平台を一階の倉庫からエレベーターで二階の会場に上げたりしていると、お手伝いの宮崎さんや思潮社の高木さんも到着。、階段を上り下りして椅子を運んだりしました。渡辺さんはもう一人のスタッフと二人で、長い時間かけて照明の準備をしていました。そうこうするうちに出演者のリハーサルが始まって、それがすむと、ぼくとオグラくんは表の海岸通りに出て、呼び込みのために歌を歌いました。オグラくんの手回しオルガンの伴奏で「水門」や「にんじん」を歌いました。ビルの谷間に裸の歌がこだまするのはいいことです。外で歌うととてもいいことをしている気がします。いつのまにか知久くんも来てにやにやしながら見ているので、Cのハーモニカを渡して三人で「ぼくは君を探しに来たんだ」を歌いました。

お客さんの入場がなかなか完了しなくて、2時55分からライブがはじまりました。出演は、
平井正也、ぱくきょんみ、オグラ、田口犬男、知久寿焼、石川浩司、友部正人、宮沢章夫、峯田和伸、尾上文、遠藤ミチロウ、谷川俊太郎、という順です。ぱくさん、宮沢さん、峯田くんははじめての参加者です。予定では休憩を入れても7時には終るはずでしたが、実際に終ったのは8時すぎでした。全員の椅子を用意できなくて、100人ぐらいの人には立って聞いてもらわなくてはならなかったのです。立っている人にはさぞかし長いライブだったでしょう。

平井くんは2004年のときの「寝るだけの仕事」の改訂版の「すわるだけの仕事」というのを朗読していました。それからマーガレットズロースで歌っている「おやじの歌」や「夜明け」も読みました。「夜明け」ができたエピソードが、ぼくが「一本道」を作ったときと少し似ていました。奥さんの出産予定日があさってだと平井くんがいうと、会場中の人が拍手をしました。(だけどあさってではなく、その翌朝にはもう生まれていました。)

ぱくきょんみさんとは、今日何十年ぶりかで再会しました。ぱくさんの詩には植物の名前がよく出てきます。言葉にはリズムがあって、子供になって藪の中を一人で歩いているような気持ちがしました。それに読んでいるときの表情がとてもやさしかったです。

すっかり手回しオルガンを首から下げた姿が身に着いたオグラくんでした。古ぼけた外套の街頭詩人。詩という箱から取り出したおまんじゅう。おまんじゅうの味だけが勝負です。今日は短いのが多かったけど、また長い詩も聞かせてください。

田口犬男さんの言葉は手品みたいでした。前回は物語のようでしたが。田口さんのよく通る声は入り組んだ話でもよく伝わってきます。谷川俊太郎さんにささげた詩を読むとき、前の方で立って聞いていた谷川さんに田口さんが「ちゃんと聞いてくださいね」と言ったら、「聞いていますよ」と谷川さんが答えていました。

知久くんはウクレレで「ギガ」を歌いました。竹林の詩や乾燥剤の詩はいつ読んでもお客さんに受けます。お客さんの耳は本当に敏感だな、とそのたびに思います。知久くんの詩で笑うかどうかが、お客さんが聞いているかどうかの証明になります。今日は新しい詩も読みました。

石川くんは今回は出られないと言っていたのですが、予定が変わって急に出てくれることになりました。マーシーが出られなくなって、その代わりみたいな感じです。石川くんもステージで、「ぼくをマーシーだと思ってください。」と言っていました。石川くんの嫌なことを並べた詩はすごかったな。悪夢なのだけど、石川くんが読むとおかしいのです。みんな腹の底から笑っていました。石川くんがでられることになってよかった。

ぼくはニューヨークで先月に書いたチャイナタウンの詩を二つ読みました。「サイ」の詩は明け方夢で見たことです。「アメリカの匂いのしないところへ」は横浜に住んで、米軍施設を身近に見てはじめてできた詩。最新アルバムから「Speak Japanese,American」も歌いました。

宮沢章夫さんはエッセイや劇のシナリオのト書きや小説の一部を読みました。今日読んだ「スポーツドリンク」や「囲碁」のエッセイはぼくも本で読んで、声に出して笑った覚えがあります。「どこに売っているかわからないものはたいてい薬屋にあります。」という一言は、笑いながらも心からうなづいていました。エッセイばかりではなく、宮沢さんの戯曲も読んでみようと思います。

ぼくは峯田くんが銀杏BOYZのライブのステージで喋る話や、ホームページの日記に書く話がとても好きです。そういったものは普通たいていはおもしろくないものですが、なぜか峯田くんのはおもしろい。たぶんおもしろい理由は、お喋りや日記の形を借りて、もう少し深いものを見せてくれているからだと思います。そしてその深いところに人は自分を見るのです。

今回のLIVE! no media 2006に草原編という副題をつけたのは、会場が海の前にあるからです。そんなに広々とした海ではないのですが、そのちっぽけな横浜の海が、どこか遠くにある草原を思い起こさせたのです。同時にぼくは尾上くんの「草原に行こう」という詩を思い出していました。そして今回はぜひその詩を朗読してもらおうと思ったのです。その詩の持つ広さがぼくは大好きです。

遠藤ミチロウはいつも朗読は苦手だと言います。でも歌の中で「赤い色は嫌いです」と言うようには断らない。今日は朗読を二つして、いつもの「お母さん、いいかげんあなたの顔は忘れてしまいました」を歌いました。こんなにたくさんの言葉を使っても、まだ言葉にならない情感があるからギターを持つんだと思いました。

最後は谷川俊太郎さん。昼間に別の仕事があるというので出番を最後にしたのですが、二番目のぱくさんのときにはもう到着していました。「他の人の朗読も聞きたいから」と言ってくれたのはうれしかった。自分の体験も入っているという「詩人の墓」、木漏れ日をみているように美しい、悲しい物語詩でした。民衆にとても人気があるという、ブラジルの詩人たちのことのようでもありました。無理に楽しませようとしなくても、詩は聞いているだけでも楽しいものだとおもいました。

開演前に道端でやった「水門」を、またオグラくんと二人で歌ってライブをおしまいにしました。朝、路上で開いた水門を、夜、ステージの上で閉じたのです。最後の「水門」には、今日出演してくれたすべての人たちの声がまじっていました。その声をぼくはちゃんと聞くことができました。

それから今日はじつにたくさんの人たちが、各地から聞きに来てくれました。ぼくが歌いに行ったいろんな町からも、「来たよ」とやって来てくれました。福岡や高知や直島や高山や仙台やニューヨーク、みんなが「おもしろかった」と言ってくれました。「火星の庭」の前野さんは、仙台から手作りのパンをたくさん運んで聞きに来てくれました。パンは最初の休憩までに全部売り切れたそうです。こんなにもたくさんの人たちの足で踏んづけられた「この日」が、ぼくの中でまだ何日も続くにちがいありません。

ライブが終った後、出演者も見に来てくれた友だちも片付けを手伝ってくれました。知久君や銀杏BOYZのチンくんが椅子運びをしている姿はいい感じでした。ぼくとユミがふたりでやっているイベントだからこそ、いろんな人が参加してくれるのだなあ、と思います。

友部正人
2月17日(金) 板橋文夫さんとライブ
ドルフィーにでかける前から、今日は板橋文夫さんのCDを聞いたり、ブラジル、アフリカツアーのときの日記を読んだりしていました。そうやって慣れておいて、ドルフィーにでかけました。少し遅れてやって来た板橋さんはとても元気そうで、顔も以前より引き締まっている感じでした。その理由はすぐにわかりました。最近マウンテンバイクに乗り始めているそうです。

去年のドルフィーのライブのときに板橋さんが、「友部くんの歌でピアノを弾くから」と言っていたので、今年はあらかじめ一緒にやりたい曲を準備してでかけました。いろいろと演奏しているときのことを想像しながら選んだのです。実際にステージで一緒に演奏してみてわかったことは、ミュージシャンは歌で出会うということでした。無理やり相乗りしようとしても出会えない曲もあります。それは次回もう一度ためしてみようと思いました。今夜ぼくが一番うまく板橋さんと出会えた曲は「眠り姫」でした。これはまた年内にどこかで確認してみたいです。

ライブ終了後、ユミと川瀬さんと3人でドルフィーの近所にあるオールナイトのおそばやさんに行きました。夜中に食べるもりそばがうまかった。いも焼酎の蕎麦湯割りも。

友部正人
2月16日(木) ポカラとカンテグランデ
今月復刻盤としてショウボートから再発売される「ポカラ」と「カンテグランデ」が届きました。今回は両方とも紙ジャケットです。さっそく2枚通して聞きました。そして、この2枚は兄妹か夫婦のようだな、と思いました。日本の二大絵本作家の田島征三さんとスズキコージさんがジャケットの絵を描いていて、「ポカラ」には鳥の声が、「カンテグランデ」にはヤギの鳴き声が入っているからです。鳥の声は「遠来」の一番最後にほんの2、3秒入っています。徳間で最初にCD化されたとき、マスタリング時に、鳥の声に気づかなかったのかにカットされてしまっていたのですが、今回またちゃんと鳥の声が復活していました。やぎは田島征三さんちのヤギです。2枚を通して聞いてみて、かちっと編曲された録音もいいなあ、と思いました。

友部正人
2月13日(月)
お酒を控えめにした4日間連続のツアー、無事最後まで歌うことができました。今日は名古屋の得三でのライブでした。得三でソロでライブをするのは初めてでした。以前から、クアトロではなく得三でぼくの歌を聞きたい、という人もいて、そのせいか今日は満員でした。うれしかった。
今日は朗読を歌の合間にはさみこんでいきました。そしたら物語を作っているような感じがして、いろいろと話したいことも出てきたりしました。主催のジョイナスの笈川さんが、最近名古屋は活気が出てきているんだよ、とユミに言っていたそうです。いろんな要素が、今日の得三の感じのいい雰囲気を作り出したようです。

友部正人
2月12日(日) 大阪 Contents Label Cafe
大阪の船場にある画廊風カフェ。今日のイベントはリクエストタイムズには間に合いませんでした。oops!の竹越さんが主催でした。竹腰さんは大阪モノレールの運転手を13年していたそうです。
最初に高松の島津さんが歌いました。アフリカの民謡みたいな節回しがおもしろいと思いました。ぼくの出番は2回に分かれていて、1回目は朗読でした。ぼくの朗読の後、関さんという横浜のシンガーソングライターが歌いました。みんな今日は何か1篇ずつ朗読を課せられていたようです。主催の竹越さんも、ぼくの「働く人」の詞を朗読してくれました。その後ぼくが歌いました。お店中のお客さんがぼくの方を見て歌を聞いているのがよくわかりました。歌っていて、お客さんの耳がリアルに感じられるのはとてもいいことです。
昨日もそうだったけど、若い人たちのイベントは打ち上げがありません。ユミと2人だけでラーメンを食べに行きました。こういうのはすがすがしいね、といいながら。

友部正人
2月11日(土) 京都 ガケ書房
今日は京都ではじめての「LIVE! no media」です。ゲストは「ふちがみとふなと」と豊原エスさん。朗読がメインのライブなのに、今日はソウルドアウトでした。豊原さんは左手でリズムをとりながら朗読していました。ゆっくりと塀の上を歩いているような感じ。ふちがみとふなとの渕上純子さんは朗読ははじめて、だそうですが、ちゃんと楽しませてくれました。「これは詩かな、いやちがうかな」と自問自答しながらの朗読はおかしかった。その後「ふちがみとふなと」としてウッドベースの船戸さんと演奏してくれました。豊原さんが、「ふちがみとふなと」は京都の宝です、と言っていました。
出たばかりの現代詩文庫から読んでいたら、ぼくは予定時間を大幅に超過してしまいました。だから歌はほんの少しにして、と思ったのですが、歌もまた時間超過の夜でした。さいごに「ふちがみとふなと」と一緒に何曲か歌いました。

友部正人
2月10日(金) 豊橋 ハウスオブクレージー
毎年この日に豊橋のハウスオブクレージーでライブをしています。もうずっと前にオーナーの松崎さんと決めたことです。だからこの日を楽しみにしている人たちもいます。でも今日はいつもより人が少なかったな。ハウスオブクレージーは音がとてもいいので、いつまでも歌っていたくなります。そしたら、後で松崎さんも、いつまでも聞いていたかったと言っていました。

友部正人
2月9日(金) LIVE! no media 2006 近づく
今夜は寒かったですね。ぼくは現代詩手帖の原稿を書いていました。そろそろこの連載「ジュークボックスに住む詩人」も終わりになり、今年中に単行本として発売されることになりました。明日からまた短いツアーです。今回は京都と大阪で詩の朗読もあります。ちょうど現代詩文庫が出たばかりなので、その中からも読もうと思います。ツアーから戻れば、横浜のドルフィーでジャズピアニストの板橋文夫さんとのライブがあります。板橋さんとのライブはここ数年、恒例となってきました。

そしていよいよ2月19日(日)はLive! no media 2006です。今までは何日かに分けてやりましたが、今回は1日だけです。その代わり2時半から7時ごろまでの長いライブになります。最初の予定では出演することになっていた真島昌利くんが出られなくなりましたが、代わりに石川浩司くんが出てくれることになりました。石川くんは2004年のno mediaにも出てくれました。
この日は、その2004年のno mediaのライブCD「LIVE! no media 2004」が先行発売になります。発売元は思潮社で、本屋さんには3月から並ぶ予定です。
会場は元日本郵船の倉庫を改造した大きなギャラリーです。チケットもなく、予約も受け付けていないので、当日いったい何人のお客さんが来てくれるのかかいもく見当がつきません。仙台のブックカフェ「火星の庭」がスコーンなどの軽食を用意してくれることになりました。また会場のバーでは飲み物も飲めます。今回の会場は、東京からだと少し不便な場所ですが、横浜のno mediaも楽しみに来てほしいです。

友部正人
2月5日(日) 郡山 ラストワルツ
12月に仙台でライブを主催してくれたテリーさんの車で郡山に向かいました。その前に3人で「火星の庭」でお昼を食べたのですが、そこでも俳句が始まり、今度はテリーさんが巻き込まれました。俳句はちょっとやればみんなが夢中になれます。ぼくもいくつか作りました。

郡山はいつものライスワルツです。でもステージの場所がいつもと変わっていました。今日は正面のカウンターを背にして歌いました。3日間で今日が一番よく声が出ました。声量がありますね、とお客さんからも言われました。それだけでなんとなくうれしいものです。それに今日はとてもたくさんの人が聞きに来てくれました。主催の伊藤さんが知らない人も多かったみたいです。

テリーさんはDJなので、いつも大量のCDを車に積んで持ち歩いています。打ち上げのときなどに、みんなで聞くためです。今日はブルース・スプリングスティーンの75年のロンドンライブのDVDをラストワルツの大画面で見ました。若きスプリングスティーンのなんてへんてこで生き生きしていることか。そしてその後は当然、ラストワルツの和泉さん、まりちゃん、その場に残っていたお客さんを巻き込んで句会が始まったのでした。

友部正人
2月4日(土) 塩釜 詩人菅原克己をうたう
ホテルのすぐそばに、ハイウェイバスの乗り場があったので、ぼくとユミはバスで仙台に向かいました。福島から約80分。仙台では、「火星の庭」の前野久美子さんがバス停まで迎えに来てくれて、そのまま車で塩釜のエスプに向かいました。今日のライブは3時からなので、会場には12時入りです。
今日は宮城県の詩人、菅原克己さんの詩をぼくが朗読し、その合間に自分の歌も歌うというコンサートでした。手紙やeメールでやりとりしていた主催の庄司さんと初めてお目にかかりました。想像していたよりうんと若い人だったのでちょっとびっくりしました。
はじめに今日のコンサートのタイトルになっている「マクシム どうだ 青空を見ようじゃねえか」という詩を朗読しました。ぼくはこの詩を、ひがしのひとしさんという歌い手の歌で聞いたことがあります。庄司さんから5篇、朗読の候補の詩をいただいていたのですが、実際にはもっとたくさんの詩を読みました。ちょうどこの日、ぼくの現代詩文庫の詩集ができて、送られてきたので、その中から自分の詩も読みました。今日は実にたくさん詩を読んだ気分です。
終演後、現代詩文庫がたくさん売れました。

打ち上げで、エスプ館長の渡辺さんから俳句集をいただきました。渡辺さんの自作句集です。その中のいくつかを読んで感動したユミは、突然俳句に目覚めてしまい、ぼくがあげたノートに瞬く間にいくつかの俳句を書き上げました。渡辺さんから言葉のセンスがいいとほめられてうれしそうです。前野さんや板垣夫妻も巻き込んで、ついに今月「火星の庭」で渡辺さんを先生に句会が開かれることが決まりました。詩のイベントの後だったせいか、今までにない展開の夜になりました。

友部正人
2月3日(金) 福島 Matchbox
今回東北に行くにあたって、芭蕉の「奥の細道」を読みました。想像よりスケールが大きくて現代的でした。それで、このツアーは題して「奥の細道ツアー」。そしたら塩釜でそれにちなんだようなできごとが。

福島市は過去20年間、いつも素通りするばかりの街でしたが、今日ようやく歌いに行くことができました。ライブをしたのはMatchboxという小さなお店。呼んでくれたのはそのお店の松本隆さんです。はっぴいえんどの松本さんと同姓同名ですね、というと、はっぴいえんどのファンです、とうれしそうに言っていました。今日のライブは2週間まえに突然決まったばかりなので、はたして何人のお客さんが来てくれるのか心配でしたが、演奏中にも遅れてやってくる人がいたりして、気がつくとほぼ満席になっていました。
雪の積もった福島の街はとても静かで、手でさわってみた雪はさらさらでした。すべって転ばないよう、歩いてもそんなに遠くないホテルまでタクシーで帰りました。

友部正人
1月29日(日) 高山 摩訶舎
毎年恒例になっている冬の高山ライブです。今回は今までのピッキンではなく、会場が飛騨工芸村の「摩訶舎」でした。ここも床にすわって聞くスタイルのお店です。高山市より標高がだいぶ高いところなので、すわっていると床下から冷気がぐんぐん昇ってきます。ストーブ2個でも追いつきません。
小さな会場なので、お客さんが全部見える感じでした。直接にではなくても、歌いながらみんなの顔が見えたような気がします。途中でサイバイズというバンドのドラマーのかつこさんがぼくの歌に合わせてジャンベをたたいてくれました。ジャンベという打楽器にはあまりなじみがなかったぼくですが、低音がとても魅力的で、ゆったりとした曲に合いそうだったのでセッションしてもらうことにしました。

というわけで、東京のFABを入れれば連続4日間のツアーが終りました。今回もツアー中のお酒には気を使ったので、最終日まで声には問題がなく歌えたのがうれしいことでした。

友部正人
1月28日(土) 松本 クラクラ
甲府からJRで松本へ。立川の人身事故で特急は1時間遅れでした。松本駅まで迎えに来てくれたクラクラの中島さん、「東京へ仕事で行くときは、八王子で特急を降りて、在来線に乗り換えるんです。」と言っていました。毎日のように起きる中央線の人身事故のせいで、遅刻を避けるためだそうです。
今日ライブをしたクラクラは、床に腰を下ろして聞くお店なので、平面という感じがしました。店内はアートな作りで、センスがいいなあと思っていたら、ご主人の中島さんは陶芸家だということです。クラクラをぼくに紹介してくれたのは長野のシンガーソングライター、THE ENDこと桜井くん。桜井くんはゲストとしてぼくの前に30分歌ってくれました。
今まで毎年のように主催をしてくれた児童書の「たつのこ文庫」のかっぺいさんも大勢仲間を連れて聞きに来てくれました。でも今日は若い中島さんが主催のせいか、お客さんも若い人が多かったようです。いつものように精神科医のふあさんも、奥さんと聞きに来てくれて、ライブの後は彼の家に行き、3人でこじんまりとした打ち上げをしました。

友部正人
1月27日(金) 甲府 ハーパーズミル
毎年恒例となってはや21年。今日は甲府のハーパーズミルでライブでした。ハーパーズミルはカレー屋さんで、1月で21周年を迎えました。
自作のアコースティック・ギターで坂田くんが歌い、それからぼくが歌いました。今日は特に「アスファルトの駐車場」と「月の船」を歌いたい気分でした。いつもそんな風に漠然と、その日に歌いたい歌が頭に浮かびます。昨日FABで一緒だった河口修二くんが甲府まで聞きに来てくれたので、坂田くんが誘って、アンコールでぼくと坂田くんと河口くんの3人で「ぼくは君を探しに来たんだ」をやりました。坂田くんとは毎回これをアンコールで一緒に歌っているので、今日で21回歌ったことになります。

ハーパーズミルの打ち上げは、奥さんのますみちゃんの料理が楽しみなのですが、今夜もピザやグラタンやカレーパンなど、手の込んだ料理をたくさんごちそうになりました。特にカレーパンはかわいらしくてとてもおいしいです。次男のなおやくんが手品を披露してくれました。なおやくんはまだ中学3年生ですが、中にはぞっとするくらいすごい手品もありました。見ていてもぼくはほとんどしかけがわからなかった。今日はユミは横浜でお留守番だったのですが、それでも甲府は相変わらず盛り上がっていました。

友部正人
1月26日(木) 原宿 FAB
原宿のライブハウスFABで、河口修二くんや三宅伸治くんたちと共演。河口くんのソロをはじめて聞いたし、三宅くんには何曲もぼくの歌でギターを弾いてもらいました。ぼくは今日はゲストという扱いだったけど、三宅くんと一緒にアンコールまでしたのでした。
三宅くんとはこうしてたまに一緒に演奏するのですが、なかなかそれがいい感じになってきているようです。

友部正人
1月23日(月) 阿佐ヶ谷
「ネブラスカ」のトリビュートアルバムが出ていたことは知りませんでした。そういえば14日のライブのとき司会者が、ステージでそう言っていたような気もします。
レニー・ケイの伴奏で歌った人を気に入ったユミは、フィナーレのときに最前列に見に行きました。だからユミは突然現れたスプリングスティーンを目の前で見たわけです。髪の毛は寝癖でぐしゃぐしゃで、服もだらしくて、まるでホームレスのようだったと言っていました。声もあまり出てはいませんでした。ぼくの印象では、ブルースはどんどんウッディ・ガスリーに似ていくようです。

今日は阿佐ヶ谷で、銀杏BOYZの峯田くんとの対談がありました。対談の模様は4月に発売になる「たのしい中央線」というムック本に載ります。対談の後峯田くんから手紙をもらいました。手紙を直接手渡しでもらうなんて顔が赤くなる感じです。それからみねらる屋というごはん屋さんで峯田くんと村井くんとユミの4人で夕飯を食べました。二人と別れた後、ユミは大事な毛皮のマフラー(ねねちゃんという名前もついてた)をなくしたことに気づいて愕然。今年になって2つ目なのでかなりショックなようでした。でも今日の楽しかった出来事を思い出して、なんとか気を取り直そうとしているみたいでした。

友部正人
1月22日(日) さいたま
秋田県に住む方からはがきをいただきました。リクエストタイムズ132号にぼくが書いた「100ボルトと120ボルト」という記事に関してです。その中でぼくが書いてることには根本的な間違いがあるそうです。その方の説明はとてもはっきりしていて、なるほどそうだったのかとうなづくしかなかったので、ご報告したいと思います。
電圧と回転数は関係がないのだそうです。アメリカは日本の関西と同じ60ヘルツで、横浜は50ヘルツなので、それで回転数が違うのだそうです。ぼくが大阪に住んでいれば、60ヘルツのままなので何の問題もなかったわけです。ただその方が言うには、60ヘルツ用のプレーヤーを50ヘルツで動かすと回転が遅くなるはずなのに、逆に回転が速くなったことについては謎だということです。
そういえばno mediaで録音編集してくれているエンジニアの小俣くんがリクエストタイムズを読んだときの反応も、はがきをくれた秋田県の方と全く同じでした。問題なのは電圧ではなく、周波数なのだと。電圧のせいではないかと指摘してくれた吉野金次さんも、後で「それは周波数だよ」と訂正していました。結局なぜ回転数が早くなったのかはまだ未解決です。

今日は埼玉でSET YOU FREEのイベントがあり、サンボマスター、フラワーカンパニー、ズクナシという3バンドと共演しました。サンボマスターはとても人気のあるバンドで、それほど広くはない会場に400人以上も入れたものですから、お客さんはみんな酸欠状態。それでも弾き語りのぼくの歌にも真剣に耳を傾けてくれました。
ズクナシは若い女性ばかり4人のハートフルなソウルバンドで、演奏の一体感がたまらなくいい感じでした。
フラワー・カンパニーのボーカルの圭介さんはとてもいい声をしていました。心から喉に通じるパイプがよく磨かれている感じがしました。小柄で身も軽そうです。
サンボマスターの山口くんは、CDを聞いたとき歌のうまい人だなとぼくは思ったのですが、ステージではとてもよく喋るのですね。喋るというよりもお客さんをしきりにあおっている感じ。歌って喋ってギターを弾いて、休む間もない激しいステージにびっくりしました。
今日出会ったバンドは全部おもしろかった。充実したライブだったと思います。

ライブハウスのすぐそばにジョン・レノン・ミュージアムがあったので、リハーサルの前に行ってきました。22日は夫婦の日だそうで、ユミの入場料はただになりました。今日は1時間しか時間がなかったので3分の1しか見られませんでした。ぼくは展示物を見るのが遅いのです。またいつか今日の残りを見に行きたい。
それからリハーサルの後には、このホームページの管理人をしているはなおさんの実家のおそば屋に行きました。ちょうどはなおさんも沖縄から帰ってきていて、車で迎えに来てくれました。お父さんの手打ちだというおそば、本当においしかった。今度またさいたまに行くことがあったら、はなおさんがいなくても、また行きます。

友部正人
1月17日(火) そろそろ
昨日は朝6時に起きてセントラルパークを走り(マイナス10℃でした)、てきぱきと準備して、午後1時から上映する「サタンタンゴ」というハンガリーの映画をMoMAに見に行ったのですが、悔しいことにソールドアウト。その後半日、何もしないで過ごしてしまいました。「サタンタンゴ」という映画は上映時間が7時間もあって、これといったストーリーもないけど傑作なのだそうです。昔「火星年代記」という長時間ドラマをテレビで見たことがあるけど、映画館ではそんなに長い作品は見たことがなかったのでとても見たかった。

ぼくたちがニューヨークに来ている時期に合わせて、大阪からJUJUちゃんも遊びに来ていて、コンサートに行ったり美術館に行ったりしているようです。時々ぼくたちのアパートにやって来て、味噌汁が飲みたいと言ったり、ユミの作ったおはぎやぜんざいを食べたりしています。今日は3人でユニオン・スクエアのバージン・メガストアに行って、CDやDVDの買い物をしました。普段からぼくは中古専門なので、久しぶりにバージンのように大きな店に行って目が回りそうになりました。ジョニー・キャッシュの伝記映画を見てから帰りたいけど、その時間があるかなあ。あさっての朝、日本に戻ります。

友部正人
1月15日(日) そろそろ
昼間は近所に住む岡田さん夫婦とピザを食べに行きました。その前に岡田さんのアパートを見せてもらいました。岡田さんは高層マンションの43階に住んでいます。北東の角部屋でガラス張りです。すごい数の高層ビルとセントラルパークが見えて、まる展望台に住んでいるようです。夜はまた眺めがすごいのだろうな。

夜はハーレムに住むマサのアパートに遊びに行きました。部屋番号を忘れてしまい、入り口で会った黒人の若者が教えてくれました。近所の住人に認知されて生活している感じ。マサのアパートにみんなが集まったのは、2月にマサがニューヨークで上映を企画している、日本のフェミニズム運動を振り返る内容のドキュメンタリー映画を見るためです。登場する女性たちのことも、フェミニズム運動のこともぼくとユミは今までほとんど何も知りませんでした。だからとても刺激的でした。映画を見た後、自然にシンポジウムのようになって、なかなか有意義なパーティでした。

友部正人
1月14日(土) ネブラスカ・プロジェクト
昼間はまだ昨日までの続きで、冬とは思えない気温だったのに、夜になって突然みぞれと強風が吹き始め、あっというまにすっかり真冬のニューヨークです。

元ワールドトレードセンター横のファイナンシャルセンターでは今夜「ネブラスカ・プロジェクト」というフリーコンサートがありました。ブルース・スプリングスティーンの「ネブラスカ」というアルバムの中の曲をいろんなシンガーソングライターがカバーするという企画です。コンサートはアルバムの曲順通りに進行しました。一曲目の「ネブラスカ」をミシェル・ショックトが、2曲目の「アトランティック・シティ」をジェシー・ハリスが、という感じです。「マンション・オン・ザ・ヒル」を歌ったナショナルというバンドや、「ジョニー99」のマーサ・ウェインライトとマーク・リボーもとてもよかった。途中に休憩をはさんで2時間半という長いコンサートで、だいぶ中だるみもしたのですが、アンコールで突然ブルース・スプリングスティーンが出てきて、場内は騒然となりました。全員でウッディ・ガスリーの「オクラホマヒルズ」を歌ってコンサートはおしまい。もしもブルースが出てこなければ、盛り上がらないままコンサートは終っていたかもしれません。

今回のニューヨークでは他に、テディ・トンプソンのライブに行きました。場所はローワーイーストにあるリビングルームです。リビングルームは投げ銭方式のライブハウスで、演奏中にバケツがまわってきて、そこにお金を入れるだけでいいのです。気楽に聞けて適当に楽しめる70年代風のこんなライブハウスはとてもめずらしい。テディくんは前に横浜で聞いたことがあって、またニューヨークで聞けるのはうれしかった。歌のうまさは抜群で、バンドでやった何曲かもとてもよかったです。

友部正人
1月13日(金) 今日のいろいろ
なんとなく冬らしくないニューヨークの毎日です。今年になってまだ雪は降っていません。

朗読CD付き詩集「Live!no media 2004」は順調に進んでいて、2月19日の「Live!no media 2006」のときには先行発売できそうです。今までと同じ宇佐美とよみさんのデザインで、かわいらしいCDブックができあがりそうです。
2月11日の京都ガケ書房での「Live!no media京都編」は歌も歌いますが、朗読を楽しみに来てください。ふちがみとふなとさんたちと一緒にやるのははじめてで楽しみです。

今夜はヨシとマドレンさんのお宅で、ふなずしやロブスターをごちそうになりました。ふなずしは日本でもあまり食べられないくらいめずらしいものだそうです。ロブスターはチャイナタウンの問屋で仕入れたものらしく、とても新鮮で身がひきしまっていておいしかった。それにおいしい日本酒もあったのでついつい飲みすぎて、ユミは帰りの地下鉄の中で眠ってしまいました。

友部正人
2006年1月6日(金) あけましておめでとう
年が明けるとなんとなく、去年のことが遠く思えます。「Speak Japanese,American」が11月に出たことなんてもうずっと前のことのようです。たった2ヶ月ほど前のことなのに。それにまだ歌いに行っていない地域も残っています。4月ごろまでまだ歌い歩く予定です。

ひとつ残念なお知らせです。2月19日の「Live! no media 2006」に、真島くんが出られなくなってしまいました。「no media 1」を久しぶりに聞いて、マーシーの朗読を楽しみにしていました。今のところ他の出演者には変更はありません。

大晦日に足をくじいたユミは、またセントラルパークを走りはじめています。くじいた足に気をつけながらの、ゆっくりとした走りです。ぼくも一緒にゆっくり走っています。するとゆっくりの方が体重がかかって足への負担が大きいのです。かえって疲れます。

1月号の現代詩手帖の連載は、タテタカコさんの詞をとりあげています。12月に3枚目のアルバムを出したタテさんですが、これを書いたときにはまだ聞いていなくて、1枚目の「そら」の中の詞について書いています。

去年の春まで「補聴器と老眼鏡」という対談の連載をしていた「雲遊天下」が休刊になるそうです。今月発売の最後の号に、ぼくも短い作り話を載せています。

今年はじめての日記はニューヨークからでした。日本は今とても寒いそうですが、こちらは今のところ雪もなく、気温もそんなに低くありません。去年の今ごろとはだいぶちがいます。
 
友部正人