友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

2001年7月9日(月) はなおさんに、友部正人。
お元気ですか。ぼくとユミは今ニューヨークにいます。
これからときどき、こうしてお便りすることにしました。よろしくお願いしますね。
ぼくたちはこのところちょっと食べ過ぎです。日本から友達が来ていて、毎晩一緒に外へ晩御飯を食べに行っているからです。さすがに今朝は、何も食べたくありませんでした。
暑い暑い日本で、ニューヨークに行ったら、ガスパッチオのスープを飲みに行きたいと毎日思っていました。日本ではあまり聞かない、冷たいスープです。
昨日はニューヨークはそんなに暑くはなかったのですが、そのガスパッチオのスープを飲みに行きました。18丁目の、タンタンの絵の飾ってあるお店です。
昨日は日曜日だったので、お店はとても混んでいました。そういえば日本にも、冷たい味噌汁とか冷やしたぬきそばとか、ありましたね。
日本の冷やしたぬきを思い出したら、やっとお腹がすいてきました。これからコーヒーをいれて、ぶどうパンでも食べようと思います。今夜は何を食べるのかな。
またお便りします。
友部正人
7月10日(火)「友部正人より」
セントラルパークで、ニューヨーク・フィルの野外コンサートがありました。無料です。
演目はレナード・バーンスタインとプロコフィエフ。開演1時間前になって急に空模様がおかしくなってきて、ポツリポツリと雨も落ちてきたのに誰も帰ろうという人はいません。
ぼくたちは二人で一本の傘をさして、ワインを飲みながら待っていました。そしたら、開演時間の8時になったら、雨はぴったり止んでしまいました。
コンサートは8時から10時半までの約2時間半。レナード・バーンスタインの曲は「ウエストサイド・ストーリー」「ニューヨーク・ニューヨーク」など、おなじみのものばかりです。
ぼくたちのいたところはステージから遠く、人の大海原に漂っている感じです。
寝転がって空を見上げれば、いつのまにか星がまたたいていました。ぼくたちのいるところから少し西の方に、北斗七星が見えました。オーケストラの迫力のある演奏を聞きながら、プロコフィエフのときは少し眠ってしまったようです。
やがて演奏が終了すると、ステージの後方の夜空に花火が上がりました。
何発も何発も、花火は岩に砕け散る波のように夜空に広がります。
日本から遊び来た友達も、感心したように夜空を見上げていました。
ぼくとユミは、何もかもがうまくいった手品師のような気分です。
日暮れに夕闇をふくらませるセントラルパークの蛍も、一周遅れのランナーのようにぼくたちの狂騒に音もなく参加していました。
友部正人
7月14日(金) 食欲の夏
日本はだいぶ暑いらしいので、ニューヨークがどれぐらい涼しいか書こうと思います。
昼間は30度ぐらいまで上がることもあるのですが、朝と夜は15度近くまで下がります。
だからまだ一度も水に入って泳ぎたいと思ったことはありません。
せっかく新しい水着を買って持って来たのに。今度レコーディングするペンシルバニアのスタジオにはプールがあって、合間に泳ごうと思っていたのですが、このままでは水着は必要ないかもしれません。
こうして部屋にいるときも、窓をあけていると半そででは寒いくらいです。
窓から見えるビルの壁に光があたっていてとてもそれがまぶしいのですが、その光も熱は伝えてくれません。
おととい、CBGBでハイロウズのライブがあったので聞きにいきました。
ハイロウズも元気でしたが、ニューヨークの聞き手はもっと元気です。
ぼくの隣にいたアメリカ人に、何を歌っているのか聞かれて、説明してあげました。みんなうれしそうに聞いているのが印象的でした。
翌日、マーシーがアパートに遊びに来たので、3人で街にでかけました。
主にレコード屋が目的だったのですが、レストランやおもちゃ屋にも行きました。
ブルックリンのベッドフォードにあるおもちゃ屋で、マーシーはたくさん買い物をしていました。ぼくはノート型のカードを2枚買っただけ。
最後はスプリング・ストリートの西のはずれにあるEARというBARでビールを飲みました。マーシーがコロナ・ビールを注文しても通じなくて、発音が違うことがわかりました。
ぼくはバスを飲み、ユミはペリエを飲んでました。EARのハンバーガーはとてもおいしいです。こんがり焼けたフレンチ・フライがついてます。
涼しくて、食べても食べてもお腹のすく毎日です。
友部正人
7月16日(月) ボブ・ディラン
みなさんこんにちは。お元気ですか。
いつもホームページを見てくれてどうもありがとう。
わりと行き当たりばったりの内容になると思いますが、それでは、今日の話題です。
ボブ・ディランの新譜が9月に出るようです。
タイトルは「love and theft」。12曲中11曲は新曲で、1曲は前作でボツになった「ミシシッピー」という曲です。朝、新聞を買いに行ったら、USA TODAYの1面に出ていて、びっくりしてそれを買ってしまいました。
ひなびたブルースからハードロック調のものまで入っていて、今までのものとはだいぶ感じが違うようです。年中ツアーばかりしているディランですが、その合間に曲を書いて録音していたのですね。
マリアンヌ・フェイスフルの自伝を読んでます。まだ半分ですけど。
これはローリング・ストーンズの話でもあります。ビートルズの「サージャント・ペパー」とストーンズの「サタニック・マジェスティ」のジャケットをデザインした人は、同じ人だったのですね。
この本の中にディランも出てきます。ロンドンのホテルで二人っきりになるのですが、ディランはマリアンヌ・フェイスフルに自分の新作のLPを聞かせるのです。結局マリアンヌ・フェイスフルとはうまくいかないのですが、ディランの欲望の根源に歌があるような気がして、おもしろいなと思いました。
明日はそのボブ・ディランがグリニッジ・ビレッジ時代に大変お世話になったという、デイブ・ヴァン・ロンクに会いに行きます。
友部正人
7月17日(火)
こんにちは。今日はちょっと、「雲遊天下」のぼくの連載の読者に訂正しなくてはならないことがあります。27号に、ハドソン川沿いの遊歩道がいつかマンハッタンの最南端のバッテリー・パークまでつながればいいな、と書いたのですが、実はもうとっくにつながっていたようです。今日初めて知りました。リバーサイド・パークからハドソン川に沿って、一度も信号に邪魔されずに、一直線に行けます。
その途中には、いろんなものがあることも知りました。観光船の発着場、航空母艦のミュージアム、観光用のヘリポート、ごみの焼却場、スポーツセンター、ワールド・トレード・センターやバッテリー・パーク・シティ。
自転車を持ってれば、きっと30分もかからないで、自由の女神の見えるバッテリー・パークにたどり着けると思います。一度試してみたいものです。
(うちの近所の72丁目あたりから、マンハッタン最南端のバッテリー・パークまで、たぶん15キロぐらいはあると思います。)
友部正人
7月18日(水)
老眼鏡を買いました。探していたものが見つかったのです。もっとも、こんな老眼鏡があることを日本の新聞で見つけてくれて、それがマディソン街の眼鏡屋に売っているのを発見してくれたのも、ユミなのですが。ぼくはただ、横にいて喜んでただけです。
でも、これ、いいです。ちょっとうれしくて、本や新聞を読んでみたくなります。たぶん知っている人もいると思うのですが、細くて、サインペンぐらいのケースに入っています。ちょっと、えっ?っという感じでおもしろいです。それに、眼鏡をかけると、字がものすごくはっきりと見えます。
今までは、ぼけてたり、くだけていたりしたので、休み休みでしか、読めませんでした。ぼくが本を読むのが遅かったのは、このせいだったのだろうか。リクエスト・タイムズにぼくが連載している、「買い物シリーズ」の題材にぴったりなのに、こんなところに書いてちょっともったいないけど、たぶんまた、同じようなことを書くと思うのでお楽しみに。
友部正人
7月19日(木)
ユッス・ンドゥールのコンサートに行きました。リンカーン・センターの中のエイヴァリー・フィッシャー・ホールというところでありました。チケットは売り切れで、ぼくは前売りを買ってありました。ガット・ギターやアコースティック・ギターの自然な音の感じで始まって、だんだんエレキ・ギターやドラムやベース・ギターが加わり、みんな座っていられなくなってきて、立ち上がって気持ちよさそうにその場で踊りはじめました。その踊りの感じが、沖縄の踊りの感じに近くて、親しみを感じました。
身体を動かすのではなく、ちゃんと踊っているのです。
ユッス・ンドゥールはセネガルの人なのですが、一緒に歌っている人がたくさんいたので、会場にもセネガルの人が多かったのかもしれません。それとも、あれはどこかヨーロッパの言葉なのでしょうか。
それにしても、あんなにすごいコンサートはあまり見たことがありません。
アフリカの若者たちは、バルコニーから身体を乗り出して、今にも落っこちそうになりながら、踊っていました。
音楽は言葉なんだということをあらためて知りました。
ちゃんと伝わっているからです。
その分け前をもらうようにして、ぼくも音楽と会場の雰囲気を楽しみました。
帰り道、リンカーンセンターのそばのタワー・レコードに寄ってみたら、ユッス・ンドゥールのCDだけ、きれいになくなっていました。
友部正人
7月21日(土) コニ―アイランド
前の晩夜更かしして、月一回の中古レコード市には行けませんでした。
友だちを誘って、コニーアイランドに行くことにしました。
地下鉄Nトレインに乗って約1時間、やっとコニーアイランドについたのは4時でした。駅前の大通りも遊園地もボードウォークも砂浜も人でいっぱいです。バドワイザーの大缶を買って、ユミと砂浜をぶらぶらしました。売店でホットドッグととうもろこしを買って食べてたら、友だちがやっときました。出かけるときに、ちょっとしたトラブルがあって遅れたようです。彼女は吉祥寺のころからの友だちで、アメリカにもう20年以上住んでいます。
ヴィレッジ・ヴォイスが主催のフリーコンサートを聞きにいきました。
Guided By Voices や Jon Spencer Blues Explosionなどがでました。暑くて、貧血で倒れる女性が何人もいました。
ぼくたちも一度そこから脱出して、浜辺にえびのフライなどを食べに行きました。それにしても、どこもものすごい人です。
Jon Spencer Blues Explosion は、ギターが二人とドラムという編成でおもしろかった。歌詞は単純だけど、爆発したいというエネルギーをうまく音楽にしていました。思ったほど、ワイルドじゃなかった。
その後彼女の車でクイーンズまで戻り、閉店間際の韓国料理屋で、ビビンバを食べました。豆腐の辛いスープがついていて、それがとてもおいしかった。時計を見たら、もう12時になっていました。
なんだかおもしろい、たのしい一日でした。
友部正人 
7月25日(水) 月見草?
暑い!ニューヨークも今日は32度ありました。夜になっても涼しくなりません。
明日からレコーディングなので、今日はその準備をしていました。今回は、一人で録音してみるつもりです。
夕方から、友だちに誘われて、CBGBギャラリーへ行きました。アメリカのオルタナティブな漫画家集団の展覧会とオープニング・パーティがあったからです。ぼくの友だちは日本人ですが、その集団の仲間です。前にブルックリンのレコード屋でぼくがライブをしたとき、
ポスターの絵を描いてくれました。なかなか迫力のある、個性的なぼくの似顔絵でした。
ハドソン川のほとりの空き地に、月見草(だとぼくは思う)がいくつも花を咲かせていました。ハドソン川のほとりの月見草は、富士山ではなく、川向こうのニュージャージーを眺めていました。
そうかと思うと、柵にからまって朝顔が咲いていたりします。なんだか懐かしい、日本的な感じのする花を見つけて、とてもうれしくなりました。そういえば今日は、半月ぶりに少し雨が降りました。明日からはまた涼しくなるそうです。
友部正人
7月26日(木)
今日からペンシルバニアにレコーディングに来ています。
マンハッタンから車で2時間ぐらいのところです。このレコーディングのために、日本からエンジニアの吉野金次さんと、吉野さんのアシスタントとして、どんべえに来てもらいました。それに、ユミの4人です。
スタジオの名前はマギーズ・ファーム・スタジオといいます。
ここで前に、「放浪者」をフランク・クリスチャンと録音したことがあります。スタジオのオーナーはマットという人で、パルメット・レコードの社長であり、ギターリストでもあります。
スタジオのそばの母屋で、奥さんのマーガレットと二人暮らしです。ハッピーとテイトという2匹の犬がいます。
ぼくたちは今、その二人に夕食をごちそうになり、スタジオの近所のロッジに戻ってきたところです。部屋のすぐ前を、ニュージャージーとペンシルバニアの州境を流れるデラウエア川がとうとうと流れています。明日の朝が楽しみです。
今夜は雨も上がり、星が出ています。月もぴかぴかです。
明日はすごくいい天気になりそうです。そうそう、このあたりはずいぶん気温が低く、部屋の中は暖房しています。信じられないでしょう。あたりにはとうもろこし畑が広がり、馬や羊が草を食んでいて、北海道のようです。
レコーディングはあと二日続きます。まだ今日は来たばかりなので、
また続きを書きますね。ビールを飲みながら。
友部正人7月27日(金)デラウエア川のほとりから
レコーディング、2日目です。でも、明日で最後なのですよ。
今日はこちらもすごくいい天気で、午後は泳げるかもしれないくらい暑かったです。でも、それも一瞬で、夕方になるともう長袖を着ていました。ユミは散歩をしていて、ばったり野生のうさぎに出くわしたようです。さぞかし、向こうも驚いたでしょう。どんべえは、庭で電話をしていたら、目の前まで蛍が飛んできてびっくりしたと言っていました。
蛍を見るのは生まれて2度目だそうです。
吉野さんは携帯してきたデジカメで、しきりにぼくたちを撮影してくれます。
マットはずっとぼくたちの録音に付き添って、奥さんのマーガレットは今夜もギリシャ料理をごちそうしてくれました。
このあたりは、日本なら山奥という感じのところです。そこに設備の整った質素な感じの家が点在しています。だから、環境の割には不便な田舎に来たという感じがあまりしないのです。逆に優雅な感じすらします。
ほんの小人数の人たちで、宇宙全体を感じてる、というような。
ではまた、お便りします。
友部正人
7月28日(土) レコーディング終了。
レコーディングから戻ってきました。今はもう、マンハッタンのアパートにいます。とても充実したレコーディングでした。
結局泳いだり、どこかに出かけたりはせず、録音に没頭していたことになります。もう少し遊びながらできるかと思っていたのですが。でも週末だったので、周りには遊びに来た人たちがいっぱいでした。釣りをしたり散歩をしたりサイクリングをしたりジョギングをしたり、カヌーに乗ったりいろいろです。釣りをしている人たちを見ると、バンバンバザールを思い出します。バンバンバザールは全員釣り好きで、釣りを目的にツアーを組んだりするからです。リンカーンセンターの前を通ると、よくバンバンがやっている曲を、こちらのジャズバンドが演奏しているのが聞こえてきます。
釣りとジャズなんて、けっこうアメリカ的なバンドだったんですね。
今夜はぼくたち4人で、87丁目にベトナム料理を食べに行きました。
ぼくはここのヤキビーフンが大好きです。録音がすんでも感傷的にはならず、ただひたすらドライに食べつづけました。そのうちこの飛び出した胃袋が元に戻らなくなる日がくるだろう。
友部正人
7月29日(日)鍵を返し忘れた話。
デラウエア川のほとりの、ぼくたちの泊まっていた1740ハウスのルームキーを返すのを忘れてしまいました。あわててロッジに電話したら、キーをメールボックスにドロップしろ、それでノープロブレムの一点張りです。ぼくははじめロッジのメールボックスまで届けろ、という意味だと思い、もうマンハッタンに戻ってきてしまっていると説明しました。ルームキーをもっとよく見てからしゃべるべきだったと、後から反省しました。
そのルームキーには、ロッジの住所が書いてあり、郵便代はロッジが持つ、とちゃんと書かれていたのです。
ぼくはキーを裸のまま、郵便ポストに入れれば、それでよかったわけです。翌朝ユミがルームキーを見て、そのことを発見しました。
それでぼくはようやく、ロッジの人が言っていた「ノープロブレム」の訳がわかったのです。でも、やっぱり手紙をつけて、ちゃんと切手を貼って封筒で送り返すことにしました。
1740ハウスは、独立戦争以前の建物を含む古いロッジで、部屋から直接、デラウエア川を見渡せるバルコニーに出られます。そんな環境のせいか、録音したばかりの自分の歌が、妙によく聞こえました。
友部正人
7月31日(火)Dan Bernのライブ
Lafayette 通りのFezというライブハウスで、Dan Bernのライブがありました。入場料は10ドル。
3人出演者がいて、Dan Bernはその最初でした。
2年前のRamblin’Jack Elliotteのライブで知り合ったジョーも来ていました。彼に、ぼくが23歳のとき、京都でJackと写した写真(ちんちくりんの中の)を見せてあげました。
Dan Bern はBob Dylan にそっくりの歌い方で有名になったけど、今日聞いていたら、エルビス・コステロにも似ていました。徐々に。いろんにものに変わっていっているみたいです。
彼は家を持たず、友だちの家を転々と泊まりあるいているようです。
昔のぼくの暮らし方によく似ています。この夏、Fezで3回ライブをするのも、夏のニューヨークは長期でサブレットができるからだと言っていました。
サブレットというのは、日本ではなじみがないけど、アパートの又貸しのことです。ぼくたちもニューヨークに来はじめたばかりのころは、毎回このサブレットを利用していました。家賃だけで借りられるし、食器もベッドも使えるので、一時滞在者には便利です。
さて、久々のDan Bernは以前にもまして元気でした。放浪が、彼にどんどん力を蓄えさせているようです。1時間、全力で歌いきっていました。
彼は見るからにおかしな感じの人で、背は高くハンサムなのに、子供みたいです。ビートルズにオノヨーコやエルビス・コステロが加入して、「イエロー・サブマリン」に自分が出演する夢を見た歌を歌ってました。
「おれは最後のバイキングだ、おれは最後の詩人だ、おれは最後の絵描きだ」というような、とにかくどれも空想力豊かな歌ばかりです。
で、10月に出るニューアルバムのタイトルは、「New AmericanLanguage」だそうです。
ライブの後友だちのジョーに、Bob Dylanの1962年のフォークシティでのライブの海賊盤CDをもらいました。今日はそれを聞いてみます。
彼の友だちがDylanの事務所で働いていて、新譜をこっそり電話で聞かせてもらったそうです。ロカビリーだといっていました。
じゃあ、この話はここまで。
友部正人
8月1日(水)いなかった蛍。
JoeがくれたBob Dylanの1962年のフォークシティでのライブ、すごくよかった。レコード会社から何かオリジナルの歌を書け、といわれて書いたという「風に吹かれて」、これはぼくのプロテスト・ソングですと言って歌ってる。他には「コリーナ・コリーナ」など、ファースト・アルバムの中の歌をより生な感じで歌っています。
谷川俊太郎さんと谷川賢作さん親子が遊びに来ました。俊太郎さんは前からぼくたちのアパートを見たがっていたのです。賢作くんからは、彼の新しいソロ・アルバムをプレゼントされました。今日はすごく暑くて、賢作くんとぼくは、ついビールや冷たい白ワインを飲んで
しまいました。俊太郎さんはその後、自然史博物館へ行ったのですが、ぼくとユミと賢作くんは、夕方までそうやって家でうだうだしていました。
夜は俊太郎さんに誘われて、ミッドタウンの和食屋に行きました。
ミッドタウンでお寿司を食べるのは、ぼくもユミもはじめてです。
谷川さん御一行は明日から、みんなでタングルウッドに小沢征爾指揮のボストン・フィルを聞きに行くそうです。レンタカーを借りて、車3台で行くそうです。すごいタフな感じ。
食事の後は、一緒にセントラルパークを散歩しました。みんなに蛍を見せたいと思ったのに、どういうことか、一匹もいませんでした。
季節がすぎたのか、時間帯が遅すぎたのか、それとも気温のせいか、どうしてでしょう。そのかわり、66丁目の、タバーン・オン・ザ・グリーンというレストランの、とてつもなく派手なイルミネーションを眺めて帰りました。ものすごくたくさんの枝に、それは飾ってあるのですが、ひとつも瞬きはしないのです。
友部正人
8月2日(木) 猛暑!
猛暑です。午後3時ごろで、35℃ありました。
そのころぼくたちはワールド・トレード・センターに写真を撮りに行っていたのです。それにしても、
ワールド・トレード・センターの中は、いつもすごい人の数です。ここへ来ると東京を思い出します。
センチュリー21というアウトレットで買ったユミのナインウエストのサングラスが壊れてしまいました。
30日以内なら、返品がきくので、返してもらったお金でまた新しいのを買いました。自分で壊したものでも、
期間内なら返品がきくのです。こちらのこういうシステム、はじめはちょっと戸惑いました。返品を受け付けているカスタマーサービスは、長蛇の列です。こういうときのために、レシートやパッケージをちゃんととってあるのですね。
昨日、谷川さんたちに蛍を見せられなかったので、本当にいないのかどうか、夜8時半ごろ、セントラル・パークに確かめに行きました。そしたら、ちゃんといました。
たぶん、ゆうべは時間が遅すぎたのでしょう。もう、11時ごろでしたから。蛍は夜の虫なのに、意外に早寝なのですね。
そしたら、もっと意外なものに出くわしました。二匹のアライグマです。湖のそばのベンチのところで、何かしていました。
他の人たちも驚いているのに、ちっとも逃げないのです。
前にも一回見たことがあって、これで幻じゃなかったことが証明されました。
友部正人
8月3日(金)「雲遊天下」
「雲遊天下」に連載していた27回分の日記みたいなエッセイを読みなおしています。「雲遊天下」は最初季刊だったのですが、途中から年3回の出版になりました。
その約7年の間に、いろんなことがあったんだなあ、と改めて思いました。一番大きかったのは、西岡恭蔵やクロちゃんやどんとの死だったかもしれません。そして、ぼくたちは少しずつニューヨークという外国の街になれていきました。その様子が、今度のこの本でよくわかると思います。
いつごろ出版されるかは、まだ明らかではありませんが、お楽しみに。
「雲遊天下」では次号から、「補聴器と老眼鏡」という新しい連載をはじめます。質問形式のエッセイで、
1回目はDave Van Ronkを取り上げました。
こちらもお楽しみ。
こちらにいても、日本でのライブの打ち合わせはちゃんとやっています。8月28日の寺岡呼人くんのイベントもおもしろそうですよ。ぼくは4曲ぐらいの予定ですが、他のゲストの人たちとのセッションもあります。
横浜、寿町のフリーコンサートまであと1週間ですね。ということは、ぼくたちの今回のニューヨーク滞在も
1週間ということです。このニューヨーク便りも一週間。
寿町、ぜひ来てください。では。
友部正人
8月4日(土) P.S.1美術館
クイーンズにある、P.S.1という美術館に行きました。
夕方、突如思い立って行ったので、あまりゆっくりできませんでした。でも、前から、1度行ってみたかったのです。ちょうど夜9時まで、コンサートやダンス・パーティなどをやる日で、若い人たちでいっぱいでした。
屋外のスペースにはビニール・プールや屋台なんかもあって、張り巡らされた管からは、シャワーのような水飛沫が噴出して、壁ではたくさんの扇風機が回っていました。
建物の中もごちゃごちゃとしていて、なんだか学園祭のようです。ちっちゃい部屋が無数にあって、それがどこまでもつながっているものだから、一度あるコースを選ぶと、なかなか
元には戻れないのです。だから、見逃したのもだいぶあるはずです。
ちょうど、「ユニフォーム、秩序と無秩序」という展覧会がはじまったところで、その中に、とてもおもしろい作品が二つありました。
一つは韓国人アーティストの「Needle Woman」というタイトルのビデオ作品で、世界のいくつかの大都市の繁華街に後ろを向いてじっと立っている女性(本人)を同じ位置からずっと写しています。
その反応が、街によって全く違っていて、それがすごくおかしい。
アフリカのどこかの街では、この人はいったい何をしているのかと、立ち止まって眺めるけれど、東京やロンドンやニューヨークの人たちは無関心な人がほとんどです。
もう一つは韓国の学校の制服の集団です。詰襟の集団がきちんと整列して並んでいます。そして、壁には目では見えないぐらい小さな学生たちの顔が無数に。これはびっくりしました。米粒ぐらいの顔です。目も鼻も口もついています。
でも、ここは美術館というよりも、遊びに行くところのようなので、何度でも行けばいいのです。いろんな催し物をやっている部屋を潜り抜けるだけで、けっこう面白い。
場所はロングアイランド・シティというところで、マンハッタンからイースト・リバーを渡ってすぐのあたり。7番の地下鉄がちょうどその辺から高架になるので、昔地下鉄がエルといわれたころの、古いニューヨークのようです。
犯罪映画なんかで使われそうな雰囲気の場所でした。電車も、古いニュース映画のようによたよたと走るので、何か、長い間眠っていたものが生き返って目を覚ましたようです。
町全体が、そんな風に見る価値があります。
雨が降りそうだったので、いったん帰ってまたでかけるはずだったのですが、ごはんを食べたら二人とも眠くなって、そのまま一日が終わってしまいました。ちょっと残念。
友部正人
8月5日(日) 美しいスポーツ
セントラル・パークで、ハーフマラソンを見ました。朝の7時半です。
5000人近い人が走ったそうです。目の前を走っていく人たちの列が何十分も途切れません。圧倒されました。それにしても、マラソンって何てきれいなスポーツなのでしょう。音がしないのです。
あんなに大勢の人たちが汗をかいて走っているのに、静かなのです。何か白いものが音もなく過ぎていく様を眺めているみたいでした。でも、後ろの方の人たちはにぎやかでした。みんなに挨拶をしたり、ラジカセを鳴らしたり。それはそれでまた面白そうでした。
近くのスリフト・ショップに誰かが大量にCDを寄付したみたいで、さっそく行って10枚ぐらい買いました。ワールド・ミュージックが圧倒的に多く、ぼくは興奮しました。その中に、アメリカのデビッド・リンドレーがマダガスカルの人たちと録音したCDがあって、その中に喜納昌吉の「花」がありました。日本語の詞からマダガスカルの言葉に翻訳されているそうです。女の人が歌っていて、それがとてもよかった。もう一つ、昔イギリスのクラッシュというバンドがやっていた「I Fought The Law」は、アメリカのスタンダード・ナンバーだったということが、はじめてわかりました。それもこの中に入っていたのです。
ささやかな発見ですが、これも今日のお知らせです。
友部正人
8月6日(月) エミリー・ディキンソンとエリカ・バドゥ
山のようなブラックチェリーの上に、エミリー・ディキンソンの詩の一節が掲げられていた。
"Friday,I tasted life,it was a vast portion"いつもならそこに、値段が掲げられているはずなのに。
さて、このブラックチェリー、はたしていくらなのでしょう。
いつものマーケット、FAIRWAYで見かけたこと。別にクイズではありません。
Erykah Baduのセントラルパークでの野外コンサートに行きました。
といっても会場の中には入らずに、外の芝生に敷物を敷いて、ビールを飲みながら聞いていました。だから、タダ。
ぼくとユミとメグの3人で聞きました。3人ともあまりErykah Baduのことは知らなかったので、ちょっと聞ければよかったのです。彼女は歌手というよりも、映画「サイダー・ハウス・ルールズ」で、ローズ・ローズの役をやっていた人としてぼくらは知っているだけでした。
ところがとても歌がうまく、姿が見えないとやっぱり物足りない気分でした。だから、1時間ほどで帰ってしまった。ものすごく暑く、ぼく以外の2人は、体調が悪そうでした。
友部正人
8月7日(火) ホテル見物
谷川俊太郎さんと賢作くんの泊まっているソーホーのホテルの部屋を見せてもらいに行きました。ぼくたちはニューヨークのホテルには泊まらないので、いろんな人に見せてもらいます。
谷川さんたちのホテルSixty Thompsonはまだ新しく、とてもおしゃれでした。シンプルを装いつつも、かなり気取っていました。値段はちょっと高めです。
先日、どんべえと吉野金次さんが泊まっていたメイフラワー・ホテルのスイートはすごかった。ホテルであんなに広い部屋を見たのははじめてでした。
しかもセントラル・パークに面していたので、公園を窓から見渡せたのです。公園ばかりではなく、アッパー・イーストサイドのはるか向こうまでよく見えました。
久しぶりにまことくんが遊びに来ました。ぼくとふたりで、ブルックリンのプロスペクト・パークに、Emmylou Harrisのコンサートを聞きに行きました。今度はちゃんと入場料を払って、中で聞きました。
Emmylou Harrisはカントリーの人で、ぼくはカントリーのコンサートを聞くのははじめてでした。はじめのうち、身体がゆれないなあ、と少し違和感を感じていたのですが、聞いているうちに、カントリーは歌を聴く音楽なんだなあ、と気づきました。だからどの楽器も歌の邪魔をしないようにしていて、装飾的です。どちらかというと暗い、旅の歌が多いのも特徴でした。会場にはマイノリティーの人たちの姿はほとんどなく、白人一色でした。白いシーツに横になった白いショートパンツの白人の女性、という感じでした。
その後は、ぼくたちのアパートのすぐ近くの、ビッグニックスというハンバーガー屋で、ユミも呼んで、夜中の2時ごろまで食べたり飲んだりしていました。暑くてばてているはずなのに、なぜか食欲はまだあります。
友部正人
8月8日(水) 乗り放題の地下鉄で。
今日の気温は華氏99度、約摂氏37度でした。ニューヨークの8月8日の気温としては過去最高だそうです。
ぼくたちはカミヤくんというぼくの30年近い友だちと、ブロンクスの東の方にあるPelham Bay ParkのOrchard Beachまで泳ぎに行きました。といっても、水着を持っていったのはぼくだけでしたが。
そこはニューヨーク市で一番大きな公園だそうです。
海辺に行くには、地下鉄6番の終点から、夏季だけ運行しているバスに5分ぐらい乗らなくてはなりません。海の水はきたなく、ゴーグルで見ても何も見えません。
ゴーグルを水着のポケットに入れて泳いでいたら、なくしてしまいました。でも、さすが大西洋の水は冷たかった。冷たいせいか、臆病なのか、ニューヨークの人たちはあまり沖までは泳ぎません。
帰りはそのまま6番の地下鉄でチャイナタウンまで行き、おいしいベトナム風中華そばを食べました。地下鉄のほぼ終点から終点まで乗るのははじめてです。
チャイナタウンのあるカナル・ストリート駅の次が終点の駅だったので。
カミヤくんは本当によくニューヨークを知っています。
一緒にチャイナタウンを歩いていると、そのすごさに感心してしまいます。中国人以外誰も歩かないような通りにある定食屋や、カミヤくんが30年いきつけのお店のかき氷まで食べさせてくれました。チャイナタウンをよく知らないと、とてもあんな道は歩けないでしょう。
今日はメトロカードをたくさん使いました。1週間乗り放題17ドルのメトロカードは、きっと今日の働きぶりに満足しているでしょう。
友部正人
8月9日(木) 夏バテ
今日も気温は華氏99度でした。午後にダウンタウンまで用事ででかけたのですが、行きも帰りも、冷房のない車両にあたってしまいました。他の車両に移ればいいのに、めんどうなので我慢してそのまま乗っていました。結構他の人達も、「ガッデム!」などと大声で叫びながら、そのまま座ってしまいます。
人があまり乗っていない車両は、冷房がないことがあるので要注意。
今日は電車に乗っている人や、歩いている人たちの顔が異様でした。髪の毛の短い黒人の人たちは、頭の
てっぺんから汗を噴出していました。こうして夜になっても、部屋の中はムーッとしています。冷房をかけても、もうそんなにききません。冷たいものを飲みすぎて、今日はちょっと食欲がありません。どうやら、明日日本に帰るという日に、やっと夏バテになったようです。
友部正人
8月10日(金)=8月11日(土)「No Jet Lag」
なんと昨日の気温は華氏103度もあったそうです。
もちろん最高新記録。摂氏だと、ほとんど40度です。
今日、JFK空港を立つときは雷で、離陸が1時間半遅れました。
成田到着も遅れ、リムジンバスに乗ったのはもう夜の8時近かった。
日本はここ何日かのニューヨークに比べると涼しく、ほっとしました。ただ湿度がすごく高く、気化した水の中にいるようです。だんだんこれが肌になじんできて、日本人の肌は、この湿度からできていると思うようになるのかしら。
今回はJet Lag(時差ボケ)対策で、友人から勧められた薬を使ってみました。成分は全くのナチュラルなものらしいです。
もしもこれがきいたら、明日の寿町のフリーコンサートは、帰国直後のいつものふわふわした感じは味わえないかもしれません。時差ボケ状態のぼくのライブを期待している人には、ちょっと物足りないかも。
友部正人
8月18日(土)草野心平記念文学館
しばらく続けたニューヨーク便りは秋までお休みです。
でも、日記ぐせのついてしまったぼくはこれからも時々お便りをを書きたいと思います。
とりあえず今日は来週のライブの案内をしたいと思います。
来週の金曜日(8月24日)に、福島県いわき市にある、草野心平記念文学館に歌いに行きます。この記念館は、詩人、草野心平の詩と生涯を、立体的に体験できる場所です。
記念館はひどく見晴らしのいい場所にあり、おまけにロビーはガラス張りなので、つい、ここで声を張り上げたら気持ちいいだろうなあ、と思ったのが、ぼくがはじめて訪れた2年前
の冬でした。草野心平なので、カエルみたいな声になるかもしれませんが、ぜひ聞きに来てください。
今、中原中也展もやっているそうです。
ただ、いわき駅からのバスはないので、電車で来られる方はタクシーを利用するしかありません。
詳しくは、直接文学館(0246-83-0005)までお問い合わせください。
ニューヨークから戻って来て、寿町フリーコンサートや
BOX東中野での映画「春一番コンサート」上映後のライブと、
おもしろい企画にめぐまれています。このままずっと、
面白いライブばかりできればいいのに、と思っています。
友部正人
8月22日(水) 「一本道」
「一本道」を再び録音しました。といっても、これは、ぼくのためではなく、鈍我楽というジャズ喫茶の主人矢野さんが、阿佐ヶ谷に住む人たちと製作中の「バナナの皮の伝説」というアルバムのためです。ベースの井野信義さん、サックスの池田篤さんという3人の演奏でした。このアルバムには他に、ぼくの知っている人では、ねじめ正一さん、山下洋輔さん、佐野史郎さんといった人たちが参加しています。10月下旬ごろ出来あがる予定で、発売記念ライブが11月25日新宿ピットインであるそうです。
普段はジャズの流れる酒場、鈍我楽の店内で録音しました。横浜から電車で阿佐ヶ谷に行くときは大雨だったのに、録音が終わると晴れ間も見え、台風はどうなったのかと、狐につままれたような気分。
この日のレコーディング風景は、「居酒屋ゆうれい」という映画を撮った渡邉孝好さんという監督がプライベートで記録していました。後で一緒に飲んだのですが、話の上手なおもしろい人でした。
阿佐ヶ谷を自分の町にしてしまった人たちとのゆかいな一日でした。
友部正人
8月23日(木) 朝崎郁恵さん。
1998年にぼくがリクエスト・タイムズの「買い物シリーズ」で紹介したことのある、CD「海美(AMAMI)」の朝崎郁恵さんのライブを吉祥寺のスター・パインズ・カフェではじめて聞きました。
朝崎さんは奄美の島歌を歌う女性ですが、それが民謡であることすら忘れさせてしまうほどの、強いインパクトのある歌を歌います。
前から、一度ライブを聞きたかった。それが今夜やっと実現しました。
一緒に出演したまだ21歳の中(あたり)孝介さんもそうでしたが、すごい歌に出会うと、つくづく歌手は人ではなく、何か別の生き物のように思えます。
今夜は、久し振りにそんなことを思い出しました。
奄美の島歌を聞くコンサートだったせいか、ふだんのスター・パインズとは違う感じのお客さんで、超満員でした。
終了後、朝崎さんに、今度一緒にやりましょうといわれました。
ぼくのギターの伴奏で、歌ってくれる日がくるかもしれません。
友部正人
8月21日(火) ザキール・フセイン
時間が前後しますが、ザキール・フセインとレナード・衛藤のライブにいきました。青山の
CAYです。ザキール・フセインは、ライブ盤「ブルースを発車させよう」のツアーで一緒だったタブラ奏者の吉見さんが、師と仰ぐインドのタブラ奏者です。もちろんこの日、吉見さんは
とてもうれしそうにライブのお手伝いをしていました。
ザキール・フセインのタブラに向かう姿勢はまっすぐで、そのまっすぐさに聞き手はまず引き込まれます。そして演奏のうまいこと。
鳴り出したら、休むということを知らないタブラ。
そのタブラを操るフセインさんには余裕が見られます。
客を笑わせることも忘れません。
レナード・衛藤さんはどちらかというと、「待ち」の太鼓だと思いました。でも、それは言葉の違いと関係があるかもしれません。日本語は母音を聞いて待つ言葉のような気がします。いつも響きを聞くのです。ところが、英語だと子音が休みなく続きます。フセインさんはインドの人ですが、タブラの調子がタカタカと子音のようでした。
台風に首をしめられたような雨の中でも、タブラの乾いた音はいつまでも消えませんでした。
友部正人
8月26日(日) 飲み友達
横須賀の「どんとすぃんくとぅわいす」で、大塚まさじとユミとそれから「どん・・・」の常連の人たちと飲みました。
ぼくは今年の4月1日に、この小さな飲み屋でライブをしたことがあります。京急線の追浜駅から徒歩10分ぐらいの住宅街の中にあります。お酒も食べ物もかなりおいしいので、ぜひ一度行ってみてください。
何もない日曜日に、こうしてまさじと飲むのは久し振り。
中年になって、まさじのような飲み友達がいるのはとてもうれしい。
ぼくは芋焼酎のソーダ割をかなりたくさん飲んでしまいました。
はじめはおかずがあてだったのに、そのうち誰かが歌う歌があてになっていて、気がついたらぼくもギターを持って歌い、他の人たちのあてになっていました。
本当に酒飲みらしい酒飲みになれた夜でした。
友部正人
8月29日(水) クラリネット
11月下旬発売予定のぼくのニューアルバムの中の「働く人」に、バンバンバザールの安藤くんにクラリネットを入れてもらいました。エンジニアの吉野金次さんのスタジオで。
演奏はとてもうまくいきました。発売を楽しみにしててください。
これでアルバムはほぼ完成です。「働く人」以外は全曲ぼく一人の演奏です。「弾き語りのアルバムは何年振りなの?」と誰かに聞かれました。「また見つけたよ」から数えると、28年振りです。こんな風に一人でやってみて、「音も詩の一部」なんだということに気づきました。
この日は予定していた他の作業が中止になり、余った時間は、オペラのビデオを見たり、ジャズのレコードを聞いたりして楽しく遊びました。音楽の世界に詳しい吉野さんと仕事をしてると、いろいろ楽しい音楽の世界を知ることができます。
なんか、いつもおみやげをいっぱいもらって帰って来たみたいな気がします。それにしても、キリ・テ・カナワの声は美しかった。
友部正人
9月8日(土)  ギター
今日ツアーから戻りました。今、チャーリー・ミンガスを聞いています。このアルバムの1曲目に、「ハニーサックル・ローズ」があります。バンバンバザールがやっていた曲です。
家に帰って来たら、バンバンの新しいCD「夜よ、明けるな」が届いていました。それをもう3回聞きました。
いい演奏です。特に間奏後が落ち着いています。ぼくにとっても、これは歌いにくい歌なのですから。
今回は、笠岡、宇部、山口、広島、倉吉、京都という順で歌い歩いてきました。間に1日休みがありましたから、ちょうど1週間のツアーでした。北九州に住む知人が貸してくれたテイラーというギターを使いました。このギターは、PAの人に大きく左右されるようです。場所によっては、うまく音が出せないところもありました。でも、広島のオーティスでのギターの音は最高でした。音の絨毯に簀巻きにされたような気がしました。もしかしたら、ぼくのライブの日の前日に、中川イサトとライブをした、アメリカから来たハッピイ・トラムが同じテイラーを使っていたからかもしれません。ぼくは一日前に広島に入り、偶然二人のライブをオーティスで聞くことができました。ハッピイ・トラムとも少し話しました。彼は、テイラーのピックアップを非常に信頼しているようです。同時にマイクで音を拾う必要は全然ない、と言っていました。でも、ぼくにはそれだと音が硬すぎるので、マイクで拾う音と混ぜてもらっています。
ですから、エンジニアの腕と好みにかかっているのです。
今度の9月13日の遠藤賢司とのライブでも、ぼくはこのギターを使おうと思います。どんな音かぜひ聞きに来てください。
友部正人
9月11日(火) 遠藤賢司
13日のためのリハーサルがありました。相手は遠藤賢司です。今まで一緒のステージに出たことはあったけど、リハーサルをするのははじめて。
アンコールで、お互いの歌を1曲ずつ、一緒にやることになりました。音楽に対する考え方がとても自然で、楽しかった。
遠藤賢司はぼくが出会ったミュージシャンで最も強烈な印象の人でした。彼のような大型のミュージシャンは、日本にあまりいないと思います。
彼の「夜汽車のブルース」を聞いてから、彼の名はずっとぼくの中に住みついたままでした。ぼくの中に、もう一人の遠藤賢司がいたことになります。
それは誰にでもよくあることだと思いますが、あるときぼくの中の遠藤賢司は別人だということに気づきました。今日ぼくがリハーサルを一緒にした人こそ遠藤賢司です。リハーサルに向かうときは台風15号の影響であふれそうだった多摩川の水が、その帰りにはだいぶ減っているのが印象的な一日でした。
友部正人
9月12日(水)ニューヨーク、ワールド・トレード・センター
ニューヨークのワールド・トレード・センターの事件に関連して、昨夜から多くの方が心配して電話をかけてくれたり、
メールをくれたり、ホームページの掲示板に書きこんでくれました。本当にありがとうございました。ぼくたちは横浜の自宅で、ずっと他の人と同じ気持ちでテレビに見入っていました。今日一日頭が重かったのは、その疲れなのか、それとも事の重大さのせいなのか、なんとかその重さから逃れようと、ディランの新譜を買ってきて聞いていたところです。
多くの人が心配してくれたのは、ぼくたちのニューヨークのアパートが、あのワールド・トレード・センターの近くなのではないか、ということでした。でも、ぼくたちのアパートはそこから10キロも離れている、セントラルパークの西側なので、直接には何の被害もないと思います。
ワールド・トレード・センターはついこの間、次のアルバムジャケットの撮影に行ったばかりでした。二つのビルの前の広場では、毎日のようにジャズなどのフリーコンサートが開かれていました。ぼくたちがニューヨークにたびたびでかけるようになったきっかけも、1993年にワールド・トレード・センターの二階で行われた「ジャパン・フェスティバル」に参加したことでした。
ぼくたちにはあまり縁のない場所のようですが、それでもいくつかの思い出がありました。
ワールド・トレード・センターのすぐそばには、「夢がかなう10月」のときのレコーディング・エンジニアのアーサーのロフトがあります。今夜も電話してみましたが、つながりませんでした。
ソーホーで生まれた彼なんか、きっとぼくには計り知れないほどの悲しみと恐怖を感じていることでしょう。
報復を宣言しているアメリカがこれからどんな攻撃に出るかわかりませんが、今後の動きによっては、11月4日に予定されている「ニューヨーク・シティ・マラソン」も中止になるかもしれません。実はぼくも申し込んでいたのです。
そして、7月に参加OKの返事をもらっていました。
今回攻撃されたワールド・トレード・センターが、ぼくの中でアフガニスタンで破壊された巨大な仏像に重なりました。
ぼくたちの周りにはたくさんの偶像があることに気づきました。偶像を否定する人たちにとっては、それがただの標的だったのでしょう。
今回の出来事で特徴的なのは、ニューヨークに住んだことのない人たちも、まるで自分の街の出来事のように悲しみ、ショックを受けていることです。この事件が、戦争をなくするきっかけになればいいな、と思っています。
友部正人
9月15日(土) 稲刈り
1985年の、カラワン楽団とぼくと豊田勇造の全タイ・コンサート・ツアーのときに知り合った石丸ひさしくんの田んぼの稲刈りを手伝いました。
ひさしくんは今は、タイ人の奥さんと3人の子供たちと、千葉の実家で農業をしながら暮らしています。
去年の秋は、サトイモ掘りに参加しました。それで今年は稲刈りなのですが、大変だったけど楽しかった。
台風の後で田んぼの中は田植えのころみたいにぬかるんでいて、一歩ごとに足が長靴の上辺すれすれまで沈んで、それを抜くのが大変で、後でももが痛くなりました。
雨が降っていて、本当に田植えのような気分。いっちょう来年田植えもやってみようかなあ。
その夜は夜中過ぎまで、田植えに参加したほかの人たちと延々と飲んだり歌ったりしました。久し振りで、こんなのも楽しいな、と思いました。
翌日はおみやげに、去年の収穫の黒米と赤米をもらって、うとうとしながら帰りました。
さて、塩釜の長井勝一漫画美術館での無料ライブが近づいています。午後2時開演です。早めに来て、美術館を見てからライブを楽しんでください。
学芸員の方達もはりきっています。では。
友部正人
9月18日(火) 奈良美智と草間弥生
火曜日というと、最近読んだ「Tuesdays with Morrie」という本を思い出します。死に行くモリー先生の話は、「雲遊天下」でのぼくの連載のヒントになりました。
「老い」についての連載にしたいと思っています。
ポストカード作家の藤原弥生さんに誘われて、ユミと3人で、横浜美術館に「奈良美智展」を見に行きました。
本の表紙などでしか知らなかったのですが、とてもおもしろかった。特に、「悲しみの噴水」という題の、犬が噴水で涙をながしているのや、女の子の顔から涙が流れている白い立体の作品ですてきでした。
犬の涙はよく見ないとよだれに思えて、「お腹がすいているのかな」、「暑いのかな」、「体調がよくないのかな」、「狂犬病なのかな」、とぼくは考えてしまいました。
涙だとわかったのは、出口でパンフレットを見たときでした。
それから3人で、ワールド・ポーターズの船着場の前の、草間弥生の「ナルシス・シー」という、何千かのミラーボールが水に浮いている作品を見に行きました。
2年前、ニューヨークのMoMAで展覧会を見てから、ぼくたちは草間弥生に圧倒されつづけています。
横浜のみなとみらいでは今、トリエンナーレという現代美術の展覧会が開かれていて、ぼくたちのまわりはアートで埋め尽くされています。
11月にぼくの新譜が出る予定ですが、レコード会社の社長に、「弾き語りは売れない」と宣言されてショックを受けています。今までのより売れると思っていたので。
みなさんはどう思いますか。
友部正人
9月21日(金) 声
ツアーの前日はいそがしい。翌日から留守にするので、しなくてはならないことが割とある。しばらく声を出してなかったので、晩御飯の後、1時間ほど近くのスタジオへ行ってきた。傘をさして、雨の中、歩いて10分ぐらいのところ。途中に楽器屋があって、何やら3人ぐらいが楽しそうにギターを弾いていた。まだ一度も入ったことがない。
新しいアルバムのタイトルが「休みの日」に決定しました。今日、ジャケットやポスター、チラシなどの原案を見てきました。ジャケットの写真は、今度は海です。ブロンクスの海。ぼくもその海の中にTシャツを着て立っています。冬に発売だというのに、真夏の世界。
ツアーのタイトルはたぶん、「I NEED A VACATION」ツアー。ぼくが着ているTシャツの文字からとりました。
アルバムの発売日の11月28日の少し前からはじまります。
だから、ライブ会場でだけ、少し早くCDが買えることになります。
今回も写真は全部小野由美子です。でも、今までとちょっと感じの違う明るい写真です。おそらく、ニューヨークで見つけたI NEED A VACATION Tシャツが彼女を刺激したのでしょう。やる気まんまんでした。
これで今度のアルバムは発売への軌道に乗ったことになります。
売れ行きを期待するばかりです。今回のアルバムは弾き語りなので、一人でライブに行くのも楽しそうです。アルバムの内容と同じものを聞かせられるからです。普段のぼくに28年ぶりに戻った感じです。
今、「EARY AMERICAN BLACK MUSIC,BEFORETHE BLUES」というアルバムを聞いています。ぼくにとっての音楽とは、こういう剥き出しの声なんだということをまたまた思い知らされます。
声こそが、音と光の集合場所です。
友部正人
9月24日(月) 奥の細道
以前は犯罪都市と呼ばれていたニューヨークも、景気がよくなってからは、すっかり安全な街に生まれ変わりました。
逆に景気の悪化したアルゼンチンのブエノスアイレスは、犯罪の増加で非常に治安が悪化しているそうです。
20年以上もの内戦と4年以上もの旱魃による飢饉で、現在のアフガニスタンにはほとんど何もないといってもいいような状態らしいです。街には物乞いがあふれ、建物は崩壊し、仕事はなく、平均寿命は50歳にも満たないそうです。アメリカはこんな国をせめて、いったいどうするつもりなのでしょう。首をかしげてしまいます。なぜ軍隊を送る代わりに、食料や仕事や愛情を送らないのでしょう。送っても届かないのでしょうか。アフガニスタンのような貧しい国が、豊かになることでテロはなくなるような気がします。
塩竃と黒磯のツアーから戻りました。ぼくにとって、どちらもライブをするのははじめての町でした。塩竃はホールだったこともあって、150人ぐらいの人たちが聞きに来てくれました。無料だったのに、聞きに来てくれた人たちは、みんな最後まで熱心に聞いてくれました。うれしかった。
それから、長井さんのおかげで、塩竃という町とも知り合いました。浦霞という日本酒と、塩竃神社、日本三景のひとつ、松島は塩竃神社から見下ろすのが最高です。
長井さんとずっと一緒に生きてきた、香田明子さんも東京から来てくれました。
ガロのバックナンバーに囲まれての打ち上げも楽しかった。
長井勝一漫画美術館の館員のみなさん、ありがとう。
黒磯は、ベルパルレというレストランでライブをやりました。50人ぐらいの人たちでいっぱいに
なりました。年令層が高いのが特徴でした。退職して、那須高原で余生を送る人たちも来てくれました。黒磯で催し物はめずらしいので、主催の人たちも大変はりきっていました。
打ち上げでは、ベルパルレのマスターが、ダチョウの生肉をごちそうしてくれました。
赤ワインと非常によく合っていておいしかった。誰も飲まないので、ぼく一人がんばって酔っ払いになりました。
ぼくの今回の旅のおみやげは文庫本の「奥の細道」。
はじめの方に塩竃も出てきます。
友部正人
9月27日(木)petition
ユニバーサルのスタジオでマスタリングの帰り、山手通りのエチオピアン・レストラン「クイーン・シーバ」の前で夕涼みしていた店主のソロモンさんに久し振りに会いました。元気そうですね、と言うと、白髪が増えちゃって、と頭をこすってました。
5年ぐらい前ぼくたちがまだ中目黒に住んでいたころ、近所だったこともあって、何回かいろんな人達を呼んで明け方までのライブをしたものでした。
その中の一人どんとは、ぼくたちが横浜に引っ越した後も、沖縄から東京に出てくると、ちほさんと一緒に店に寄ってくれたと言っていました。だから、どんとの死のことをとても悲しんでいました。
今はそれ以上に、おそらくあと2週間ぐらいではじまりそうなアメリカの戦争のことをなげいていました。今年の年末は、また「クイーン・シーバ」で何かやろうか、とお互いに言い合って別れました。
アメリカの南部のラジオ局が配布した、自主規制150曲の記事で(ニューヨーク・タイムズ)、政治的なメッセージを歌うラップバンド、Rage Against The Machineのメンバーが、「このままアメリカが極端な規制に走れば、そのうちテロリストと同じことをするだろう、と発言していました。本当にその通り、と思いながら、その人たちのCDを引っ張り出してきて聞きました。ちなみに、Rage・・・の曲は全曲が規制対象となっているそうです。
友人から、反戦の署名の案内が送られてきて、早速署名をしました。100万人の署名を集めてブッシュ大統領に送るそうです。興味のある人は下のアドレスを開いてみてください。
http://www.thepetitionsite.com/takeaction/
29日に西東京市のひばりが丘教会でぼくのライブが
があります。教会なので、「おしゃべりがたくさん聞こえる夜」
になるでしょう。その後、東京でのソロのライブは
来年の1月までありません。お見逃しなきよう。
友部正人
10月1日(月) チャックベリー
9月29日のコンサート、教会での打ち上げは、深澤牧師のアーメンで始まりました。
教会で打ち上げをしたのははじめてです。
深澤牧師は、中島みゆきの大ファンだそうです。
その前は、礼拝で岡林信康をかけていたそうです。とても積極的な感じの方でした。
そのせいか、ぼくも勧められたビールをどんどん飲んでしまいました。
主催のI.Tプロジェクトのみなさん、どうもありがとうございました。なんだか、3回分ぐらい歌ったような気がします。
今日は一日雨だったので、部屋で本を読んだり、ビデオを見たりしていました。こんな日もめずらしい。
暇な割には時間のないぼくの生活です。
早く、まとまったことがどーんとできるようになりたい。人生が細切れに感じます。
その点、チャック・ベリーは、雄大に生きた人のようです。久し振りに「ヘイル・ヘイル・ロックンロール」のビデオを見ました。最高。
友部正人
10月5日(金)三宅くんのレコーディング
ただいま。三宅伸治くんのレコーディングに参加してきました。曲は、二人の合作の「渡り鳥」。8年ぐらい前に二人で作った曲ですが、今回レコーディングすることになり、後半の歌詞をぼくは全く変えました。
よくなったと思います。でも、きっとほとんどの人はこの曲を知らないと思うので、来年1月の発売をお楽しみに。アルバムタイトルは、「Guitar’s Talk」だそうです。
明日から3日間ツアーです。都留と高山と伊那。
最後の伊那は、おおたか静流さんとのジョイントです。
お寺で、200人もの人が来てくれるそうです。
ぼくたちもリハーサルをして、対策も充分。
いつものぼくのライブとは全く違う中身のライブになりそうです。
友部正人
10月9日(火)いつものことをやろう、慌てないで。
10月6日にライブをした、都留市のtecoloteというレストランはとてもすてきでした。パスタとケーキの店です。見晴らしがいい、というと、たいていは外の眺めのことをいうのですが、ここの場合、店の中にそれを感じました。だから、店の人たちもとても見晴らしがよかった。tecoloteというのは、メキシコのインディオの言葉で「ふくろう」のことらしいです。ニューメキシコのような広々とした場所にあこがれているオーナーの兄妹は、内側を広々とすることで、サンタフェに近づいています。そんなレストランに、100人近い人がライブを聞きに来てくれました。主催の高部くん、どうもありがとう。
翌日は、元都留文科大学の学生だった栗山くんの車で高山に向かいました。途中交通事故で渋滞があって、高山の会場のピッキンにはだいぶ遅れて到着しました。主催をしてくれたのは、児童書専門店「ピースランド」の中神さんです。高山の町は観光客で一杯なのに、狭いピッキンはぼくの歌を聞きに来た人たちで一杯になりました。どっちの一杯も幻のようなものですが、少なくとも歌を聞きに来た人たちの見た幻は、共通のものだったはずです。だから、きっとピッキンに来た人たちはしあわせだったと思います。
さて、翌日は、今度は高山の主催の中神さんの車で、伊那の箕輪町の養泰寺に向かいました。
この日は、おおたか静流さんとのジョイントライブです。養泰寺はまだ新しい大きなお寺で、ぼくたちが到着すると、PAの福井くんは、すでにリハーサルの準備を整えて待っていました。
この日は200人以上の人が来てくれました。
みんなげらげら笑って思いっきり楽しんでいたみたいです。ぼくとおおたかさんも、楽屋に引っ込むたびに、今日はとてもいいね、なんてにやにやしていました。
主催は、叶屋という酒屋さんを中心とした実行委員会の人たちで、とても暖かい人たちでした。
そこでちょっと酒屋さんの話。横浜駅周辺の酒屋にはたいていちょっとしたカウンターがあって、立ち飲みができるようになっています。たぶんお店の定価でお酒が飲めるのではないでしょうか。
にぎやかなところでは、そこが毎晩宴会場のようになっています。東京ではあまりなかったことなので、それがぼくにはとてもものめずらしい。
ぼくがニューヨークシティマラソンに出ることは前に書きましたが、あと1ヶ月後に迫ったマラソンの景気付けのために、なんとかというマンハッタンの酒屋がワインの試飲会をやるから集まるように、というメールが事務局から来ました。開催を危ぶむ声もあったのですが、テロで亡くなった人たちのためにも、断固としてやるそうです。ぼくが完走できるかどうかは別にして、ただ出るだけでも今年は意義があるよ、という声もあります。確かに、こういうときは、いつものことをちゃんとやることが大事なことのように思えます。
今までやらなかったことを突然やろうとしている変な人たちも日本にはいますが。
友部正人
10月12日(金)本棚の人間たち
道端には草があふれている。
道端の半地下になっているスタジオがあって、小さな窓からは、道端の草や行き交う人の足などが見えます。京急子安駅の近くにあるそのガンボ・スタジオで、今日は水谷紹くんと、10月15日のリハーサルをしました。
大阪のトリイホールというところであるコンサートは二人にとってはじめてのジョイント・コンサートです。
リハーサルは夕方お腹のすく時間まで続けられました。
本屋には、本があふれている。
少し遅れて、渋谷クアトロに、寺岡呼人くんのライブを聞きに行きました。足の踏み場もないぐらいの人で、ぼくはステージの脇に作られた関係者席で見ました。隣には、8月に呼人くんのイベントで知り合ったゆずの二人がいて、そこだけ妙に人口密度が薄く、場内の人に申し訳ないくらい。
呼人くんのライブを聞くのは久し振りで、もうちょっと声がよく聞こえたらよかったのに、と思いましたが、たぶん場所のせいなので仕方ありません。
本編ではいつになくおすましの呼人くんでしたが、アンコールでは一挙にリラックスしてました。
呼人くんは本当に物まねが好きなのですね。
帰りはブックファーストで本を眺めました。実にたくさんの本であふれかえっていて、ヴッレッジ・ヴァンガードみたいでした。本屋も遊園地化していて、夜遅くまでやっていて、一人で時間を使うにはおもしろい。夜中の渋谷の街はそれ以上に人があふれていて、ぼくは本棚の隙間をぬうように駅へと歩くのでした。
友部正人
10月16日(火) 堺筋を南へ行けば
水谷紹くんとのジョイントライブが終わりました。
トリイホールは柔らかい音のするこじんまりとしたホールでした。ぼくにはやりやすい場所でした。
ほとんど交互に歌ったり朗読をしたりしました。
紹くんの地下鉄の詩がよかったです。来年2月の「ライブ・ノー・メディア2002」が楽しみです。
紹くんの詩を聞きながら、ぼくはニューヨークの語学学校へ行っていたときに書いた「もしもぼくがメトロカードだったら」という作文を思いだしました。
その英文の作文は、ウクライナ人の先生にはとても評判がよかったのですが、クラスの人たちには受けませんでした。ただ、チェコスロバキア人のクラスメートにはわかってもらえた。その人も、「もしも私が地下鉄の車両だったら」という作文を書いたのでした。
トリイホールは大阪のなんばにあります。泊まったのは地下鉄日本橋の駅の近くの、堺筋のホテルでした。
堺筋は大阪を北から南へまっすぐのびています。北の方には南森町などのオフィス街があります。
日本橋は秋葉原のような電気屋街です。そこから南に下りていくと、新世界、新今宮、飛田新地といった、労働者と遊郭のある町が広がっています。
堺筋を北から南へ歩けば、大阪の素顔が見られます。
それにしても、明け方の堺筋はどこまで行ってもホームレスの寝床です。
明日は横浜でバンバンの福島くんとのジョイントライブです。それを最後に、一ヶ月ほどライブはお休みです。
友部正人
10月18日(木) ひまつぶしな一日
なんだか世界は世界大戦のような様相を見せてきましたが、昨夜はそれとは全く逆な、平穏な世界をバンバンの福島くんと散歩できました。この「歌で散歩の夜」、シリーズ化してもいいくらい面白い。
お互いに自分の曲や相手の曲を歌いながらライブを進めていくと、本当に二人が一人の人の片足ずつになって散歩しているようです。
ぼくの片足は今ごろどこで何をしているのかなあ。
今日は一日、友だちと会う日でした。旭川で家具を作っている友人たちが、自分たちの作品を持って、横浜のみなとみらいにやって来ました。みなとみらいの展示ホールで、旭川の家具の展示会があったのです。
大きな組織に入らず、個人で仕事をしている友人たちの作るものには、家具なのに彫刻のような味があります。
椅子やテーブルなのに、愛する人の形をしているのです。自分たちの暮らしから家具だけを切り売りできないから、暮らしごと運んで来てしまったみたいでした。テントを張って寝泊りできれば、きっともっとよかったでしょう
その会場で、本当に久し振りの友だちに会いました。
映画監督の水谷くんです。まだ夕方の4時だというのに、ユミとぼくと水谷くんとで、野毛にお酒を飲みに行きました。この日はとても肌寒く、久し振りの熱燗が気持ち良かった。
こんなにうまいものがこの世にあったのか、という感じです。
その後はうなぎ屋で、うなぎのひつまぶしを食べました。
家具職人たちは、いろんなものを運んで来てくれたようです。
久し振りの友だちや、おいしいものや。
友だちとこんな風にひまつぶしをするのもいいものです。
ひつまぶしで、ひまつぶし。
友部正人
10月20日(土) 貨物列車
横浜のみなとみらいで開かれているトリエンナーレにまた行ってきました。土曜日だったので、人は多かった。
10月17日の、バンバンの福島くんとのライブの前に見ておきたかったのは、オノ・ヨーコの「フレイト・トレイン」です。あのときぼくたちは、同じタイトルの、エリザベス・コットンの「フレイト・トレイン」を英語で歌ったのでした。
貨物列車、貨物列車
早く走るよ、貨物列車
でも、私の行きたいところは
誰にもわからない
私が死んでお墓に入ったら
この世で欲しいものなんて何もない
ただ墓石をわたしにのせて
かけ布団みたいにね
私が死んだら深く埋めてね
チェスナット通りのつきあたり
あの懐かしい貨物列車の
走る音が聞こえるところ
人生の終わりが近くなると、歌声は俄然力強くなる。なのにこのエリザベス・コットンという人は、実にあっさりとこの世に別れを告げる歌を歌う。人生に復讐なんて考えられない。ありのままに生きて、ありのままに死ぬ。だからこそあったかい、裸の血は外へは流れ出ない。
オノ・ヨーコの貨車は流れ星です。その流れ星にはぼくたちが住んでいます。夜空を見上げながら、夜空を見上げながら、ぼくたちはどこかへ落ちて行くのです。
20世紀も戦争も人生も、みんな載せたまま流れていきます。
エリザベス・コットンの貨物列車とどこか似ていますね。
友部正人
10月24日(水) スペースシャワー
先日、スペースシャワーの収録で、新生バンバンバザールと「夜よ、明けるな」を一緒にやりました。新しく入ったベースの黒川くんは、なかなかの好青年です。
新しい新宿ロフトもはじめてでした。コマ劇場のすぐ裏にあり、環境もなかなか。店の中もおもしろく、ちょっとニューヨークのライブハウス、ニッティング・ファクトリーみたいでした。いくつも小部屋があるみたいな、ちょっとわくわくする作り。
このイベントではじめて、クレイジー・ケン・バンドを見ました。面白かった。とても開放的でいいと思います。
洋楽の不自由さから解き放たれています。誰もが知っている世界、を思い出させてくれました。
明日からぼくはニューヨーク、その前に貴重な音楽シーンに出会えてとてもよかった。
話は変わりますが、11月25日にBUNKAMURAである、セザリア・エボラのライブ、ぜひ聞きに行ってください。ぼくも、ニューヨークのビーコン・シアターのチケットがとれなかったら、行こうと思っています。
それじゃ、今度はニューヨークから。
友部正人
10月27日(土) 摂氏2度
今、ニューヨークに来ています。今回はユミが一緒に来ていないので、コンピューターを持ってきていません。
だから、この文章はまずワープロで書いて、FAXで日本のユミに送っています。
この週末のニューヨークは、ハロウィン・パーティーで活気があります。地下鉄の中にも、怪しげなコスチュームの人たちがいっぱいです。31日には、いつもどおりパレードも行われるそうです。セントラル・パークは枯れ葉の山です。
どこを歩いてもかさかさと音がします。今日は夏時間最後の日で、日の出時間は7時20分でした。明日からは1時間戻るので、日の出時間は6時20分になります。日本とだいたい同じですね。こまめに新聞を見ていると、一日1分づつ日の出が遅くなっていくのがわかります。こっちの新聞には、太陽と月だけではなく、火星や土星などいくつもの星の出と入りの時間が書かれています。一体誰が必要なのかと思いますが。
マーク・リボーのライブを聞きに26日、イリディウムというジャズのライブハウスに行きました。オルガンとドラムとギターのマーク・リボーという編成だったのですが、この日の主役はどうもオルガンの人だったようです。知名度はマーク・リボーの方があるので、広告には一番先に名前が載っていたのですが。
オルガンを中心としたジャズとファンクの音楽でした。でも、マーク・リボーはいつも通りで、研究室でギターを弾く科学者のようでした。
彼が弾くと曲がどんどん壊れていく、その盛り上がりが独特で、聞きに行ってよかったなあ、と思いました。途中で、キーを半音上げようよ、と言っているのが聞こえて、面白かった。
ずっと気掛かりだった、「夢がかなう10月」のときのエンジニアのアーサーと、今日やっと連絡がとれました。ワールド・トレード・センターのすぐ近くに住んでいるので、ぼくもユミも心配していたのです。
電話はまだ使えないけど、ほかはすべてOKだということでした。
31日のハロウィン・パレードに誘われました。
今夜は摂氏2度です。でも、そんなに寒い感じはしません。
今日は仮装している人も多く、半袖やノースリーブの人も多いからだと思います。ぼくは今年はパレードに行っても、もう仮装はしないかも。なんだか飽きちゃった。
友部正人
10月29日(月) 永遠と一日。
時差ボケに悩まされています。朝ご飯を食べると、眠くなるので困ります。眠れば昼過ぎまで目が覚めないし、時差ボケはいつまでたっても直りません。
今日は眠らないように、ご飯の後は洗濯をしたり靴を洗ったり。実は今朝、公園で犬の糞を踏んでしまったのです。
その後は、クローゼットからカセットテープを出してきて、片っ端から聞きました。5年前に船便で日本から送ってから、一度も聞いたことがなかったのです。探し物のついでにそうなってしまったのですが、肝心のロバート・ワイアットのテープは見つかりませんでした。
マーケットでステーキ肉を二枚買って、一人で食べてしまいました。
栄養をつけた気でいたら、こちらの知り合いに、スパゲティを食べてグリコーゲンをとらなくてはだめだ、と言われました。その人はそうやって、10年前にニューヨーク・シティ・マラソンを3時間台で走ったことがあるそうです。したことがないことをする前は、変に緊張するものです。
信号を渡るとき、止まっていた車のフロントガラスに「NO FEAR」と金色で書かれていました。その言葉をユミから借りたコンパクト・カメラでタダで自分のものにしました。昨日見た「永遠と一日」(邦題はわからない)というギリシャ映画で、主人公の亡命者が、異国の人達から一言づつ言葉をお金で買うのです。ぼくはカメラで、街の中の言葉を集めてみたいな、と思いました。
友部正人
10月31日(水) 豚汁とジャム
図書館で借りた、若松孝二の「天使の恍惚」という古い映画を見て、あまりの暗さにすっかりでかける気をなくしていたら、友人のアーサーから電話がかかってきたので、やっぱりハロウィン・パレードに行くことにしました。ところが行ってみるとパレードはもう終わっていて、警官たちは通りを片付け始めています。アーサーが電話で教えてくれたバーへ行ってみると、アーサーとクリスティーナが待っててくれました。
今年のパレードはすごく短かったそうです。待つこともなくすぐにパレードに参加できたようです。いつもなら出発地点で延々と待たされるのですが。
ワールド・トレード・センターの事件の後の数日間は、住人ですらそのあたりの区域には入ることが出来なかったので、立ち入り禁止区域に住むアーサーとクリスチーナは、避難命令を無視して、飼っている16匹の猫と一緒にアパートに閉じこもっていたそうです。
その中のジョンという猫が、2週間前に死んだと言ってました。
猫にビートルズの4人とヨーコの名前をつけていたのです。
このごろ食べたいものがよく頭に浮かびます。今日は牛乳とジャムがものすごく食べたかったのです。つい3日ほど前、豚汁が食べたくなって、作りました。たくさん作ったので、まだ残っています。でももう、全然豚汁を食べたい気にはならなくて、今日は甘いものがすごく食べたい気分です。
友部正人
11月1日(木) 11月になりました。
井原さんという写真家と、学生の竹股くんとマコトくんが、チェルシーにあるスパゲティ屋で、今度の日曜日にマラソンを走るぼくを応援してくれました。調理場が全くオープンになっている、日本人のやっている感じのいいスパゲティ屋です。
値段はちょっと高めなのに、平日の夜でも満員でした。井原さんは一度走ったことがあるので、自分のことのようにうれしそうです。
レースのときに目にした驚くようなことを話してくれました。多分ぼくをリラックスさせようとして。で、日曜日にはまたみんなで完走を祝おうと言っていました。今度はもう少し安い中華料理屋で。
デイブ・ヴァン・ロンクが腸の癌で入院したそうです。フランク・クリスチァンというシンガー・ソング・ライターの友人が電話で教えてくれました。
何日か前にぼくがデイブに電話したときには、まだ癌だということはわかっていなかったようです。ただ、ちょっと病気なんだ、と言っていました。
ワールド・トレード・センターの事件で友だちを亡くしたり、師匠のデイブが病気になったりと、このところいいことのないフランクです。
来年あたりフランクを日本に呼んで、ライブハウスでいくつかライブができたらな、と思いました。
ぼくはまだ聞いていないのですが、デイブの新しいアルバムはとてもいいそうです。録音と編集をしたエンジニアのアーサーの話から、サウンドはディランの新しいアルバムに近いのではないかとぼくは想像しています。「雲遊天下」の最新号(28号)で、ぼくがデイブに老いについていろいろ質問しています。読んでみてください。では。
友部正人
11月2日(金) カプチーノを飲みながら
セントラル・ヒーティングのパイプや、台所や洗面所の通風孔から、人の話し声や楽器の音が聞こえてくることがあります。大きなビルでは、セントラル・ヒーティングのパイプや通風孔は、本来の役目のほかに、物音を運ぶ血管のようなこともしています。最近ぼくたちのアパートのあるビルを舞台にした映画を2本、立て続けに見ました。
1本は10年ぐらい前の、ブリジット・フォンダ主演の「ルームメイト」という映画です。これは日本でレンタルビデオで見ました。この映画のことを教えてくれたのは、今年の夏にニューヨークのアパートに遊びに来られた谷川俊太郎さんです。
もう一つは今アメリカで公開中の、マイケル・ダグラス主演の「Don’t say a word」です。これは数日前劇場で見ました。どちらもちょっとこわいサスペンス物で、ビルのセントラル・ヒーティングのパイプや通風孔が結構重要な役割を果たしています。サスペンスに使われるということは、それなりの雰囲気のある古いビルだからでしょう。そういえばうちに遊びに来た友だちはみんな、アパートの廊下を見て、キューブリックの「シャイニング」を思い出す、と言います。
今日は一日暖かく、ブロードウェイ沿いのカフェでカップチーノを飲みながら、そんなオドロオドロしたイメージのあるぼくたちのアパートのあるビルを外から見上げていました。古いものには魂が宿る、という感じでしょうか。
友部正人
11月3日(土) レコード市
メトロポリタンなんとかという広い会場で、中古レコード市がありました。マンハッタンでは年に二回の、三日間にわたる大きなレコード市です。入場料は5ドル。レコードだけではなく、ビデオや海賊盤CDも売ってます。友人のマコトくんの「ウイークエンド・レコード」も出店していました。足を踏み入れると、もうそこからCDやレコードの海です。あまりにもだだっ広いので、さざなみまで聞こえてきそう。でも聞こえてくるのは、各レコード屋がかけているさまざまな音楽です。「今年の人出はいまいちですね」なんてマコトくんは言ってましたが、夕方になるころには、レコードの隙間に残された通路を行き来するのが大変なくらいの人が来ていました。あまり見かけたことのないような、パンクファッションの若者達がいたのも印象的でした。パンクには国籍がないような気がするので好きです。
ぼくは探していた「アト・ラスト・アイム・フリー」の入っているロバート・ワイアットのレコードを買いました。同じ曲の入っているシックのレコードも買いました。どちらもよくて、何回も聞いています。
マーティン・デニーのレコードを何枚か買ったら、レス・ポールとメアリー・フォードのレコードをおまけしてくれました。
ほんの数店しか見られなかったけど、楽しい買い物でした。
友部正人
11月4日(日) マラソン
今日はマラソンの話です。朝5時の地下鉄はupsのマークの入った透明なビニール袋を持った人でいっぱいでした。みんな、ランニングシューズをはいています。これからニューヨーク・シティ・マラソンを走るからです。42丁目の市立図書館の前から貸切りバスに乗り、約40分かかってスタテン・アイランドに。隣に座るぼくより年配の
男性に気持ちを聞くと、「もう、どきどきしちゃって」と胸をさすっています。
ぼくと同じで、初めて走る人でした。
約4時間、何もすることもなく、芝生に寝そべって本を読んでいたら、ついに出発の時刻になりました。男性はあっちこっちで立ち小便をしています。予定されていた儀式が終わると、ぼくの耳元で大砲が鳴り、前のほうから順に走り出しました。海にかかった大きな橋の上で、ぼくは青空だけを見ながら走り出しました。
そうやって走ること、3時間54分。42.195キロはたいした道のりだということがわかりました。おそらくどれだけ練習した人でも、これを楽に走ることはできないでしょう。はじめの2時間はうきうきとしていたぼくも、後半は辛くなりました。「あと6マイル」という声を聞いたときはどれだけうれしかったか。それはいつもぼくが走って
いる、セントラルパーク一周の距離だからです。
うきうきしていた最初の2時間は、いろいろ楽しいこともありました。高架を走る地下鉄の運転手が、手を振りながら警笛を何度も鳴らして応援してくれたり、沿道ではいくつものバンドが演奏していたり。周りを走る人たちのTシャツの文句を読むのも楽しかった。
だんだん疲れてきたとき、小さな女の子が差し出したオレンジを取ろうとして、山のようにオレンジの載った紙皿を落っことしてしまった。すごくびっくりしていたけど、「ごめんね」と手を振るしかありませんでした。
ゴールが見えたと思ったら、もうマラソンは終わっていました。
マラソンは、終わった瞬間が一番孤独です。あんなに勇敢に走った人たちが、とぼとぼと帰るのもいいな、と思いました。
友部正人
11月12日(月)セザリア・エボラ
久し振りです。ゆうべ、横浜に帰ってきました。
11月9日、ニューヨークのビーコン劇場で、セザリア・エボラのコンサートを、やっと聞くことができました。前回のニューヨーク公演は切符が手に入らなかったのです。
はじめに若い女性シンガーが前座をつとめました。
きれいだけどちょっとシャーディーみたいで、早く終わらないかな、と思っていたら、誰かが「セザリア!」と叫びはじめました。もう、みんな待ちきれないのです。
開演から1時間待たされて、セザリア・エボラが出てきました。1曲目からみんな大よろこびです。
ただ、この人、全然しゃべりません。割れるような拍手にも戸惑いながら、隣のギターリストの方を見るだけです。おじぎの仕方を知らないみたいなのです。
それがとても不思議でした。途中でバンドのメンバーが引っ込み、ピアノの人と二人だけになりました。何をする
のかな、と思っていたら、タバコを吸いはじめたのです。
その間はただタバコを吸うだけです。本当におかしな人です。
でも、声だけはとてつもなくすばらしく、もうそれだけで充分なのです。後から後から、出てくるのはそのすばらしい声だけ。本当に感情のこもったぜいたくな声なのです。
しかもバンドが本当にすばらしい。みんなとてもスリムで、太っているのはセザリアだけ。楽しそうで生き生きしていて、まるで絵に描いたよう。アフリカの海辺の小さな国のセザリア、波の音がそのまま声になったような音楽。岬の先に立っておだやかな海の風に吹かれているような気分です。
もうじき東京でもコンサートがありますから、ぜひ行ってみてください。
友部正人
11月15日(木) テルミン
ユミと恵比寿ガーデンプレイスにある写真美術館に行ったついでに、ガーデンシネマで「テルミン」を見ました。
写真美術館では11月25日まで、「手探りのキッス」という展覧会をやっています。男性ヌード、廃墟、国境顔と、テーマはそれぞれです。海につかって水面すれすれから撮った楢橋さんの写真は、何も起こらなくても写真はある、という感じでおもしろかったです。
美術館の地下では、「夢見る影」という、影の作品展をやっていて、これがすごくおもしろかった。光りと影で、
こんなにおもしろいことができるのですね。
 「テルミン」はどんな内容かもわからずに見に行きました。
そしたら、テルミンという楽器とそれを発明したテルミンさんのドキュメンタリーで、びっくりしました。テルミンという楽器については、水谷紹くんが使っているので知っていました。
アンテナに自分の手を近づけると音がでる、手品のような楽器です。よく映画の怖いシーンで、効果音として使われたようです。ビーチボーイズの「グッドバイブレイションズ」のピューピューという変な高い音もテルミンだそうです。
レーニンやアインシュタインにテルミンを弾かせたり、スターリンの部屋にしかける盗聴器を発明したり、奇妙な楽器を抱いて、数奇な運命を生きたテルミンさん。
93歳まで長生きして、最後はニューヨークでなくなったようです。
友部正人
11月19日(月) 「カンダハール」
「カンダハール」という映画を見てきました。
ニューヨークの新聞でこの映画のことを読んで、見たいなと思っていたのです。
こんなにすぐに見られるなんてラッキーでした。
これは、モフセン・マフマルバフというイランの監督が、アフガニスタンを舞台にして撮ったドキュメンタリー風の劇映画で、主人公は今はカナダに亡命しているアフガニスタン人の女性です。
この映画は、フェリーニの名を冠した賞をとったそうですが、パラシュートで投下される義足とか、色とりどりのブルカとか、そういえば思い当たるような気もします。だいたい砂漠そのものがとてもフェリーニ的です。町なんてどこにも見えないのに、男たちが闘鶏をしていたり、色とりどりのブルカをまとった大勢の女性達がいきなり現れたり。赤十字のキャンプで働くポーランド人の若い女性達もとてもシュールに見えます。
何もかもが非現実的、でもこれがアフガニスタンの現実なのでしょう。
とことん人工的に映画を撮ったフェリーニの賞が、限りなくドキュメンタリーなこの映画に与えられた、というのがおもしろいな、と思います。
東京の本屋でアフガニスタンの地図まで売られているこの時期に、本当にタイムリーな映画だと思います。
ブッシュ大統領も、すぐにこの映画を取り寄せて見たそうです。
来年の1月に新宿の「シネマ・カリテ」で一般公開されるそうですから、ぜひ見に行くといいと思います。
この地球には、アメリカやイギリスと正反対の国がまだまだたくさんあるんだということがわかるでしょう。
友部正人
11月22日(木) はじめぼくはひとりだった
ライブCD「はじめぼくはひとりだった」の新装盤ができてきました。中身は同じなのに、なんだかちょっとわくわくします。長い長いコンサートだったので、はじめのうちちょっとあせって歌っているのがわかります。テンポがいつもより速いのです。
でも、15年前のぼくの声はのびのびしていて、若さがみなぎっています。その分だけ、無駄にエネルギーを発散しているような気もするけど。
11月16日から18日まで、今年も高須賀満さんと四国をツアーしました。高松と徳島と高知です。
今年もいろんな人たちと出会えて刺激になりました。主催してくれた方たちにもお礼を言います。
最後の高知は、「歌小屋の二階」というライブハウスでした。芝居の小劇場という感じがするところです。
ライブが終わったのが11時近くで、その後たくさんの料理を前に打ち上げをしました。打ち上げも一段落して、
そろそろ帰ろうかと思っていたら、みんなが窓のところで夜空を見上げています。しし座流星群を見ていたのです。ぼくも見せてもらうと、なるほど2秒に1つぐらいの割合で、小さいのや大きいのが落ちて行きます。
本当に一瞬なので、ちょっと目をそらすと見逃してしまいます。それから、みんなにさよならをして、ホテルに帰って、一人で流星を見ました。ラッキーなことに20階の部屋だったのです。明かりを全部消して、水を飲みながら30分ほど見ていたのですが、いつのまにか眠っていました。もったいないような、しあわせなような。別に星の降る夢も見ずに、ぐっすりと朝まで。
友部正人
11月24日(土) メリー・メリー・ゴーランド
22日の夜、九段下のフェアモント・ホテルで、親しい知人の出した本の出版記念会がありました。
彼は、四日市でメリーゴーランドという子供の本屋をやっている増田喜昭さんです。本のタイトルは「子供の本屋はメリー・メリー・ゴーランド」。
絵本の出版社の人や、大勢の児童書の作家たちが来ていました。そこでぼくははじめて工藤直子さんや灰谷健次郎さんと会いました。
皇居の近くのフェヤーモント・ホテルは、お堀沿いにあって、東京とは思えない環境の中にあります。深い森がビルの明かりを遮断しています。
このホテルは増田さんが東京へ来たときの定宿だったそうですが、近々取り壊しになるんだそうです。知り合ったばかりなのにさよなら、みたいでぼくには残念なことです。その夜人里離れた都心のホテルに集まった人たちは、みんな森に住む動物に見えました。動物たちはみんな楽しそうにお酒を飲んで、歌ったり話をしたりしていました。
友部正人
11月29日(木) 火星の庭
今、仙台の火星の庭というブックカフェにいます。
昨日はぼくの新しいアルバムの発売日でした。その記念ライブを仙台でやりました。
今度のアルバムは弾き語りなので、そのままの歌をライブで再現できます。ライブをそのままCDにしたともいえます。今度のアルバムとライブはとても近いです。それが今度のアルバムの目的だったのかもしれません。アルバムとライブがずっと近いまま音楽をやりたいです。新しいアルバムの話でした。
今日は火星の庭はお休み。ぼくもゆみもお休み気分でここにいます。コーヒーや食べ物もとてもおいしい。
前に四日市のメリーゴーランドでやった夜の本屋シリーズを、今度火星の庭でもやろうと思います。絵の中のどろぼうみたいに、本棚の本から出たり入ったりしながら。
友部正人
12月1日 ピリカ
夕べ、北海道に入りました。
厚沢部町の谷目さんの家にいます。
谷目さんはストリートオルガンを作る人です。小さな自動オルガンの中には、ものすごく大きな物語が隠されています。
そして、谷目さん一家のこの森の中の生活にも、大きな未来の物語が隠されているような気がします。
だからここにいると、世間から隔たったというより、世間よりすこし先にいるような気がするのです。
今夜はピリカ地方の今金という町でライブをします。ピリカはりすという意味のアイヌ語だそうです。
歌うお坊さんが主催です。これから谷目さんと、日本海沿いにそこに向かいます。
友部正人
12月3日(月) ツアーは続くよ
北海道はとても乾燥していて、そのせいで朝起きると鼻水が出ます。なぜ出るのかというと、鼻の中が乾燥してはいけないので、うるおすためだとぼくは思うのです。これは今朝の発見。
日曜日の早朝のあまり車の走っていない国道を、除雪車が何回も行ったり来たりしているのを昨日今金の町で見ました。
誰も歩いていない歩道もするのです。遠くで犬が吠えてる広い雪景色の中を行き交う除雪車がとても北海道的で、好きになりました。
今日はオフで、小樽にいます。今回のツアーはとても調子がいいです。明日から一日おきのライブが続きます。
友部正人
12月6日(木) 厚岸のかき
厚岸(あっけし)の図書館でのコンサートが終わったところです。
今日はものすごい寒さです。頭は毛糸の帽子を欲しがっています。
手は手袋を欲しがっています。
今朝はマイナス12℃でした。一月下旬の気温だそうです。
目の前の厚岸湖に白鳥が7羽来て鳴いています。向こう側の暗い岸辺でも鳴いています。ものすごい数が来ています。
ぼくはこれからかきを食べるところです。大好きなかきですが、あまり食べ過ぎないようにします。前に食べ過ぎてじんましんが出たことがあるので。
主催者の中島均ちゃんはかきの養殖をしている漁師です。
その均ちゃんと今日の午後、魚市場でオオカミウオを見ました。
均ちゃんも見たのははじめてだそうです。二匹、セリにかけられるのを死んで待っていました。果たしていくらで売れたのでしょう。
友部正人
12月10日(月)クラムボンのコーヒー豆
盛岡のクラムボンでは、くず豆をアメリカンに使う、とぼくは思いこんでいて、そのことをあっちこっちでいいふらしていたみたいです。もともとぼくはアメリカンはあまり飲まないので、アメリカン・コーヒーに対する偏見もあったのでしょう。でも、それはまちがいでした。
先日のライブのときにクラムボンの高橋さんに確かめてみました。クラムボンでは、わざわざ浅く煎った豆でアメリカン・コーヒーをいれているそうです。どこか別の店で聞いた話を、クラムボンで聞いたとぼくが思いこんでいました。仙台の火星の庭の前野さん、訂正します。
クラムボンでは、とてもていねいに一粒一粒豆をより分けています。はねられた大量のくず豆は、肥料などに使われるそうです。これは間違いないです。聞いたばかりだから。カウンターのはしで、いつも誰かが手で豆をより分けています。バイトの人もいます。
ぼくにもできそうです。年をとって動けなくなったら、すわって音楽を聞きながら、豆をより分けるなんてすてきかもしれません。でも、目が悪くなっているかもしれない。手探りでは、高橋さんは雇ってくれないでしょう。ぼくがクラムボンのカウンターにすわって、豆をより分ける日は来そうもないです。
酸味の強いモカも、深く煎れば酸味が消えておいしくなるそうです。アメリカの豆はたいてい浅煎りなので、モカだけだと飲みにくいです。
でも、スターバックスみたいに深く煎ってしまうのも問題だと高橋さんは言っていました。
友部正人
12月11日(火) 言葉のスパイク
札幌は大雪だそうです。ぼくが帰ってからなので少しくやしい。大雪の札幌にいたかった。
今回は札幌から厚岸まで木下さんの車で往復したのに、雪ではらはらしたのは帰りの日勝峠だけでした。
日勝峠は吹雪で、木下さんは少しでも前をよく見ようと、フロントガラスに目を押し付けるようにして運転していました。
ぼくは助手席にいて、何も見えないのに車を走らせる木下さんに感心していました。北海道のドライバーは世界一の腕前だと木下さんは言っていました。
雪といえば、ぼくは小樽で便利なものを買いました。
靴につけるスパイクのついたすべり止めです。
いろんなタイプのものを売っていたのですが、どれもあまり格好良くはなくて、一番ましなものを選んで買いました。でも、雪国の人達は、絶対にこんなものは使わないそうです。プライドが許さないとか。
みんなすべりそうになりながら、前かがみで歩いています。
ぼくのはスパイクが金属で、氷の上を走ってもすべりません。
雪国の人達ににも、ぜひこれをすすめます。でも、それをはめたまま喫茶店に入ると、かなり嫌な顔をされますが。
夕べは吉祥寺のスターパインズカフェでイベントライブがありました。
出演者はぼくと渡邉勝とマーガレットズロースと双葉双一でした。
こんなイベントなら、これからもどんどん出たいと思います。
いつもつくづく思うのはみんな自分の表現方法を持っているということです。
試される情景、意識されるぬいぐるみ、言葉のスパイク、ステージもアイスバーンなのかもしれません。
ライブの後の打ち上げは、吹雪の中のドライブの後によくにています。
友部正人
12月13日(木) ジョージ・ハリソン
今回のツアー中に、ジョージ・ハリソンが死んだというニュースを聞きました。58歳だったそうです。
ぼくとそんなには変わりません。ぼくも50代ですから。
ビートルズでは目立たない存在だったということばかり、日本の新聞では書かれていました。それは日本の新聞がジョンやポールにばかり目がいっていたからでしょう。ジョージが何をしたかを知らなかったのです。今夜インターネットで、フィリップ・グラスの書いたジョージ・ハリソンの思い出を読みました。
フィリップ・グラスは今注目されている現代音楽の作家です。
ジョージ・ハリソンには一度もあったことはなくても、ラビ・シャンカールと自分とのかかわりを通して、きちんとジョージ・ハリソンを思い出しています。ぼくもただぼんやりとジョージの存在を意識していただけでした。今ならその記事を無料で読めるので、興味がある人は、newyorktimes.comでどうぞ。
ジョージはビートルズにだけではなく、西洋音楽の現在のありかたにもっとも影響力があったというのです。
北海道の厚岸からの帰り道、木下さんの車の中で、かかっているエルビス・プレスリーを聞きながら、なぜかジョージ・ハリソンのことを考えたのは、今の時代がプレスリーの時代とはかけ離れてしまったことを漠然と感じていたからのような気がします。
でも、その変化のはじまりがジョージだったということには、思い至らなかったのですが。
友部正人
12月17日(月) オフの日
本当にひさしぶりに大阪・中津のカンテグランデに行きました。
ぼくもユミも完全に場所を忘れてしまっていて、駅の前でぼうっと地図を見ていたら、自転車のおじいさんがやってきて、「どこへ行きたいの」と聞くので、「カンテグランデ」と答えると、「よう聞かれるんやわ」と言って、ていねいに教えてくれました。
ひさしぶりのカンテグランデは、昔とは雰囲気ががらりと変わっていました。通りから地下におりる階段は、綿を雪のようにあしらった木々が並んでいて、店の中にも綿の雪はあっちこっちに降り積もっているのです。
綿の雪なんて子供の時みたいだな、と思うのですが、やっぱりなんとなく美しい。一番奥の椅子には猫が眠っていて、猫の横にユミが座りましたが、猫は椅子から降りる気配もなく、全身が夢見ているような図々しさで椅子を占領しています。その端っこに座って、ユミはマリアカラスがなんとか、というナンのサンドイッチを食べ、ぼくはその向かい側でココナッツカレーを食べました。そしたらそこにオーナーの井上さんが現れたのです。
かわいらしい顔をして、おしゃれな格好で、とてもうれしそうでした。
(かわいらしい、といっても58歳の男の人です。それはとってもすばらしいことです。)ユミは梅田のカンテグランデで10代の頃、アルバイトをしていたことがあるので、もちろんうれしいに決まっているのですが、ひさしぶりに井上さんに会えたぼくもうれしかった。
それからそのあと神戸のルミナリエに行きました。
友部正人
12月25日(火) 明日からニューヨーク。
明日からニューヨークです。今日はその前日。
街はクリスマスで忙しそう。ぼくたちもクリスマスケーキを買いました。
子供が大きくなって二人っきりになってから、ぼくたちはクリスマスだとかお正月だとかのお祝い事をあまりしなくなってしまいました。だから、年末の日本はなんとなく落ち着かない。
さびしい感じがします。だから、年末はあまり日本にはいたくないのです。
11月27日からはじまったツアーも、12月19日の伊勢で約半分が終わりました。いつもと同じような、一人だけのツアーなのに、いつもと違うのは今度のアルバムが弾き語りだからでしょう。
もう一人のぼくとツアーしているみたいです。一人という感じがしません。
アルバムの中の血と肉が、もともとはぼくのものだからです。
アルバムの中の曲を再現するというよりは、録音した7月に、もうツアーが始まっていたという感じです。
アルバムには、そのツアーの最初の方が収録されているわけです。
ですから、このツアーの途中が収録されたアルバムがこれからあってもいいわけです。ツアーが長ければ長いほど、このツアーから生まれるアルバムの数は増えていくのです。楽しくはありませんか。
だから、ぼくは決めたのです。この「I NEED A VACATION」ツアーは永遠に続きます。そのツアーの過程でアルバムを作り出していきます。だから、ツアーそのものも形を変えていくでしょう。
なんだか、ぼくの本当のVACATIONがとうとう始まったかんじです。
今回も、各地でいろんな主催者にお世話になりました。
そしてみんなぼくと一緒に楽しんでくれました。コンサートを主催するって、手作りのお祭りみたいなものです。
いやいやでは絶対にできません。だからぼくもいやいややるわけにはいきません。ぼくが歌い終わっても、お祭りはなかなか終わりません。
誰かがお祭りを引き継ぐからです。
いろんな人たちと打ち上げをしましたが、たいてい先に寝てしまうのはぼくでした。みんなの楽しそうな声を聞きながら、ちょっとうらやましい気持ちで。
来年のツアーは1月17日からはじまります。それまでぼくはニューヨークで、みんなの楽しそうな声を思い出しています。
友部正人
12月27日(木) ワールドトレードセンター
今日から突然寒くなったようです。今朝はマイナス6℃でした。お昼過ぎになっても、気温はマイナス2℃までしか上がりません。誰かが、ぼくたちが日本から寒さを連れてきたと言っています。ぼくは北海道でマイナス12℃の朝を経験しているので、これぐらい平気だと言っているのですが、出る鼻水の量はマイナス2℃もマイナス12℃も同じです。
今日はワールドトレードセンターの跡地へ行ってきました。
すぐそばまでは近づけないのですが、群集とともにまわりから眺めていると、二つのビルがどんな風に建っていたかがだんだん思い出されてくるのです。そして復活した頭の中の二つのビルが、目の前にもうないことを発見していまさらのようにびっくりするのです。
おそらくあそこにいたたくさんの人たちは、そんな風にしてなくなったものを見ていたんだと思いました。
日本の新聞で、年末に80個のサーチライトを使って、その光で二つのビルを再現させるという記事を前に読んだことがあります。もしそうだとしたら、さびしくなった夜空が、一瞬だけ元気を取り戻せるかもしれません。だけど、またそれを消さなくちゃいけないとしたら、空は暗いままの方がいいような気もします。
何もなくなった夜空には、目には見えないけれど、懐かしいものが隠れているように思えます。人は目の前のいろんなものにいつも何かを想像しているものです。やっと膨らみはじめた想像を、サーチライトはしぼませてしまうのではないかと少し心配です。
前回、一人でニューヨークに来たときには行けなかった場所に、今日はユミが一緒だったので行ってきました。
友部正人
12月28日(金)ジャコメッティとダン・バーン
今日はにこにこした人の顔を見てきました。それは、現代美術館(MoMA)でやっているジャコメッティの彫刻のことです。ジャコメッティの彫刻の顔はみんな暖かいです。それがまず、あれ、って思うところでした。それから、人物よりも土台の方が大きいのもたくさんあって、それがとてもユーモラスでした。
それから、やりかけのゲームのような彫刻もあって、これはおもしろいと思いました。彫刻は動かないのに、心は見ていて楽しくなります。
もしも自分の部屋に持って帰れるのなら、どっしりとした頭の小さな胸像がいいです。彫刻の身体の線があんなに細いのは、向こう側がよく見えるようにかしら。
ちらほらと雪の降るグリニッヂビレッジのボトムラインで、4ヶ月ぶりにダン・バーンのライブを聞きました。
「ニュー・アメリカン・ランゲージ」という新譜を出したばかりのダン・バーンも、やはりにこにことした顔をしています。
時々歌詞を忘れたりしながら、新しい曲をどんどんやっていきます。どんどん前に進むような演奏は、ボブ・ディランやエルビス・コステロを思わせます。だけどその歌詞は、子供のような発想から生まれます。だから聞いている人の顔もみんなにこにこしています。そこには緊張のかけらもありません。その奇想天外な歌詞は、想像力を不要のものにしている現代にとってはすごく刺激的です。こんなにとんでもないことを歌にしてもいいのか、とうれしくなってしまうのです。だから、客席の誰もが楽しそうです。録音を自由にさせてくれるのもうれしかった。
企業の利益とは関係のないところで、こつこつと歌いつづけているダン・バーン。ボトムラインの1回目のステージは、300人ぐらいの人で満員でした。新しいアルバムのタイトルもとても刺激的です。
友部正人
12月31日(月) 今年もありがとう
ニューヨークの月もほぼ満月です。この分だと、2002年は満月からはじまるのかもしれません。
気温は低いのに、一向に雪の降らないニューヨークです。
でも、セントラルパークの池には薄氷がはり、太陽が真上にきても溶ける気配はありません。
今ごろタイムズ・スクエアでは、大勢の人がカウントダウンの瞬間を待っているはずです。
ぼくたちは部屋で、日本から持ってきた「男はつらいよ」のビデオを見ていました。今夜は12時から、セントラルパークで、ミッドナイト・ランという4マイルを走るお祭りがあります。
新年のカウントダウンとともにスタートするのです。ぼくもこれからちょっと行ってきます。
とにかく、今年はどうもありがとう。たくさんの人に歌を聞いてもらってうれしかった。来年はもっといろんなことをするから、楽しみにしていてね。
友部正人