友部正人より 
友部さんからのお便りのご紹介です。

12月31日(火)横浜市「サムズアップ」

恒例のカウントダウン・コンサート。
去年までは飛び入りという形でしたが、今年からぼくも正式な出演者に加えてもらい、東京ローカル・ホンクと一緒に、「ストーブス」で3曲、「サムズアップ」で3曲演奏しました。
今年は一度も東京ローカル・ホンクと演奏するチャンスがなかったのでおもいっきり楽しみました。
今年も韓国からギターの春日博文くんが来て、ロックそのものといえる腰のあるギターをぼくの歌で弾いてくれました。
12月29日(日)大阪市「マーサ11周年のお祝いイベント」

27日にライブをした「マーサ」に戻り、11周年を祝うライブに飛び入り参加しました。
リクオ、ハンバートの良成くん、ふちがみとふなとなど、よく知っている人たちも出たけれど、今日もまた新しい出会いがありました。関西に来て、つくづく世間知らずだったと自覚しました。
でも、つまらなかったらそんなことは思わないので、本当に感心させられたということです。
日本の音楽の世界は広がりすぎて、もうとっくに日本からはみだしてしまっている感じです。
そのことを誰も自覚せずにやっているのがおもしろいと思います。
12月28日(土)神戸市「ああ、素晴らしき音楽祭 Vol.2」

谷口蘭太郎くん企画のイベント「ああ、素晴らしき音楽祭」の2回目です。
今年はぼく以外の出演者はがらりと変わり、知久くん以外はまったく知らない人ばかり。
それでもどの人もみんな刺激的でした。
関東にいるとあまりいろんな若いミュージシャンと一緒にやる機会がなく、新しい出会いがそんなにはないのですが、こうして関西に来てみると、本当におもしろい若いミュージシャンが大勢いることを知ります。みんな音楽の卵を産むことが楽しくてしょうがいな、といった人たちばかり。
出会いは面倒だという先入観もあるけど、出会ってみると気づかないうちに新しい場所に
出てしまっていることに気づいておもしろいことです。
12月27日(金)大阪市「マーサ」

久し振りの「マーサ」で、ぼくがライブをするのはこれが2回目。
今回は東京ローカル・ホンクのギターの木下弦二くんとのジョイントでした。
最初に弦二くんが40分ソロでやり、休憩後にぼくがソロで歌った後、弦二くんと一緒にぼくの歌を数曲やりました。今年は東京ローカル・ホンクにも参加してもらった「ぼくの田舎」を出したのに、一度も弦二くんたちとはライブができなかったので、今夜は年内ぎりぎりの共演になりました。
12月26日(木)近江八幡市「酒遊館」

ここのところ毎年のように「酒遊館」で歳末のライブをしています。こんな時期に誰が来てくれるのか、といつも思うのですが、普段通りにお客さんが集まってくれてうれしい限り。
図に乗って来年もまたこの時期になるかな。
しかも今年は雨でした。それなのに個人的になつかしい友人とも再会できました。
12月22日(日)横浜サムズアップ「バディ25周年」

今はなき横浜バディ25周年を記念するライブが姉妹店の「サムズアップ」でありました。
ぼくはバディの5周年で招かれたことがあって、今回この記念イベントで歌うことになりました。
バディ、サムズアップ、ストーブスにかかわりのあるミュージシャンが大勢出たので、持ち時間は
1グーループ20分ずつ。ぼくは一曲目の「地獄のレストラン」をソロでやり、2曲目の「一本道」は大阪のアズミのギターと一緒にやりました。
その後「びっこのポーの最後」を一人でやり、最後に「夕日は昇る」を、クラリネットの安藤くん、ドラムスの椎野さん、ギターのアズミとやり、久しぶりのぶっつけのセッションにとても気分が高揚しました。
12月21日(土)「御徒町凧人、詩の朗読会」

森山直太朗くんの歌の作詞担当の御徒町凧人くんが、朗読会をすると本人から聞いて、ユミと二人で聞きに行きました。来るんだったら朗読もしてよ、と言われていたので、その準備もして。
会場は青山学院のすぐ隣のブックカフェ。50人限定の席は満席でした。ぼくは飛び入りでしたが、ほかにもゲストが二人いて、そのうちの一人が谷郁雄さん、本当に久しぶりにお会いしました。
御徒町くんは2011年の震災以降の詩を朗読したけど、今朝この会のために書いたという短い2篇の詩がおもしろかった。
ぼくは後半に呼ばれて3篇読みました。
そういえば今月発売になった森山直太朗くんのニューアルバム、力作でした。御徒町くんの詞も良かった。

朗読会の後、青山でみんなで食事をして、最終で横浜の山手まで帰ったのですが、途中桜木町駅で電車が1時間停車したままで、家に着いたらもう深夜の2時半でした。山手線が遅れて、最終乗り継ぎの人のために停車させておいたらしいです。怒る人もなく、1時間、いびき以外は静かな車内でした。

取材や朗読会の話のついでに、出版にまつわるニュースをいくつか。

大人になるまでに読みたい15歳の詩というシリーズの1『愛する』(ゆまに書房)に、ぼくの「ユミは寝ているよ」が入っています。
「雲遊天下」115号では、「ぼくの歌の旅、君の歌の旅」という連載で、今回は「愛について」を取り上げています。
亡くなったやなせたかしさん責任編集の「詩とファンタジー」に「成長の食卓」という詩を書きました。1月発売予定です。
12月19日(木)「Number Do」

スポーツ雑誌の季刊誌「Number Do」で、森山直太朗くんと二人でランニングについての取材を受けました。この日の東京は雨で、撮影のためにランニングの格好でやって来た直太朗くんは寒そう。
すぐに着替えていました。ぼくはユミの撮ったニューヨークシティマラソンの写真を使うので、ランニング姿での撮影はなし。
渋谷のスタジオで、二人一緒に1時間ぐらいインタビューを受けました。雑誌は来年1月23日に発売です。
12月17日(火)「父と暮らせば」

ブック・カフェ「火星の庭」で、井上ひさしの「父と暮らせば」が朗読形式で上演されると
いうので、2時からの公演を見てから横浜に戻ることにしました。
チケットはソールドアウトだったのに、主催者のご厚意で見せていただきました。
原爆で死んだ父親と生き残った娘の、広島弁によるお芝居です。
娘役の女優さんの伏し目がちな演技が心に残りました。
お父さん役の人の演技も自然で、お芝居だということを忘れそうでした。
何よりもストーリーが深く深く心に食い込んで来て、原作の力に感心しました。時間がたてばたつほどリアルによみがえってきます。

これは仙台市の「杜の都の演劇祭」のプログラムの一つで、来年の1月まで、あと3本が市内のお店などで上演されるそうです。カフェでお芝居を見たのは初めてだけど、おもしろかった。他の街も真似をすればいいと思いました。
12月16日(月)「火星の庭俳句会」

忘年会も兼ねた、今年最後の俳句会。
句会メンバーの美樹子さんのスペース「ゆんた」でやりました。
参加者も多く、お酒や食べ物もたっぷりあって、いつも以上に盛り上がりました。
ぼくの句は一つも選ばれませんでしたが、最高得点の3名(卓くんと板垣さんとユミ)は主宰の渡辺誠一郎さんから、直筆の句の額をもらっていました。
12月15日(日)仙台市「Sendai Koffee」

大雪は峠を越えたという予報でしたが、ぼくとテリーさんの峠越えは大変でした。
月山の麓で、テリーさんの車が雪のかたまりに乗り上げてしまったのです。
自力ではどうしようもなく、除雪作業員5人に助けてもらいました。ちょうど作業員たちの休憩所の敷地内だったのでラッキーでした。

ライブは2部構成ですが、冬の東北は汗をかきません。だから着替えの必要もなし。
「Sendai Koffee」は、9時以降は大きな音を出せない約束らしく、アンコールは詩の朗読をして、それからマイクを使わずに2曲歌いました。
12月14日(土)酒田市「Blues Hiro」

十数年ぶりの酒田「Blues Hiro」でした。始まる前からみんな飲んで楽しそうです。
でも、ちゃんと聞いてもらえるかな、というような心配は無用でした。
「大阪へやって来た」から聞いているという人たちがいて、はじめて聞くという若い人たちもいて、それから、いつもはるばる
仙台や盛岡まで聞きに来てくれる若者たちもいて、みんなじっと耳をすましていました。
酒田の人たちはみんな「Hiro」でのライブが大好きなんだそうです。
12月13日(金)盛岡市「クラムボン」

今年の7月以来の「クラムボン」でした。年に2回は初めて。
雪で交通が大変なのに、秋田や山形の方からも何人か聞きに来てくれました。
前半に少し詩の朗読を、そのあとは歌をという構成でした。マイクを使わないので、ギターと声のバランスに気を使いましたが、しゃべる声は聞き取りにくかったようです。
でも、何回ライブをしても、いい雰囲気のお店です。
12月12日(木)一戸

今日はライブのない移動日です。
すっかり雪が積もって、スーツケースを引きずって歩くのは大変でした。
青森駅から青い森鉄道で八戸へ、そこから岩手銀河鉄道で一戸まで行きました。
ぼくの母のふるさとです。今はもうぼくの知っている人は誰も住んでいません。
ぼくが小学校に上がる前に、線路端で月を見上げていた柵が今もそのままありました。
12月11日(水)青森市「Crazy Horse Saloon」

ここも去年に続き2回目でした。夕方から降り始めた雪が積もり始めていました。
お客さんは、この雪は積もらない、と断言していたけど、翌日、大雪になりました。
ステージは2階にあり、バーは1階にあって、ライブ中もお客さんはいろいろなことで上がったり下りたりしています。それで、どの人が歌を聞きに来た人なんだろう、と気になっていたら、全員が聞きに来てくれた人だとわかってうれしかった。ぼくはまだこの店の雰囲気になじんでいないみたいです。
12月10日(火)函館市「Beats」

五稜郭駅のすぐ目の前にあるライブハウスで、ぼくは去年の12月に続き、2回目でした。
ツアー初日だというのに、声の調子はいまいち。でもいつのまにか盛り上がっていた。
といってもぼくのライブなので、静かですが。
おもしろかったのはライブの前に、今までのぼくの函館のライブの主催者が偶然勢揃いしたことでした。いろんな人にお世話になってライブをしてきたんだなあと思いました。
12月7日(土)茅野市「ピアノマン」

11月29日夜に日本に戻ってから初めてのライブでした。「ピアノマン」は着席で100人は入れるゆったりとしたグランドピアノのあるライブハウスです。
たまたま茅野に来ていた神戸の光玄が飛び入りで3曲歌いました。春一番以外の場所で
光玄の歌をゆっくり聞けてうれしかった。
ぼくは休憩を入れずに2時間ぐらい歌いました。ずっとニューヨークにいたので、人前で歌うのは久しぶり。どの歌もおもしろく歌えました。
11月26日(火)

今日はセントラルパークをユミと走り、いよいよ帰国の準備です。
本当は12月に入ってから帰る予定でしたが、アメリカン航空の羽田直行便がなくなるということで、急きょ繰り上げて11月28日の便で帰国することになりました。
28日というと、こちらではサンクスギビングのパレードのある日です。
飛行機は夜なので、それを見てから帰ることにします。
11月25日(月)「バラの騎士」

リヒャルト・シュトラウスのオペラ「バラの騎士」を見に行きました。ユミは昨日の食事会で飲みすぎて体調を崩していたけれど、なんとか夜までには持ち直しました。
これも2回の休憩を入れて4時間半という大作。ぼくはさすがに疲れて3幕で何度かうとうとしました。
最後が一番の見どころなのに。
ガードナーというイギリス人の指揮者、ぼくの座る一階席の後ろからでもよく目立ち、
オペラ全体が指揮者を中心にくるくる回っているのがよくわかっておもしろかった。
それにとても音楽がきれいなオペラでした。
11月24日(日)「食事会」

この冬一番の寒さ。
お昼前にセントラルパークに走りに行ったときでも-4度(体感温度は-13度)でした。
午後と夜の2回に分けて、ユミの作った角煮大根をメインディッシュにささやかな食事会をしました。
昼間はセントラルパークや地下鉄の駅で歌っている中野くん、夜はカク、しげみさん、そらちゃんの家族。
そらちゃんは3歳でとてもかわいい女の子です。
11月23日(土)「レコードフェア」

WFMUというラジオ局主催の毎年恒例の3日間にわたるレコードフェア。
午後1時に会場に行くともう満員の状態。どのレコード店のブースも人だかりでレコードに手がとどかないくらい。だからそういう店は後回しにして、すいているところを見て歩きました。ヘディ・ウエストのセカンドアルバムや、ボブ・ディランがハーモニカを吹いているキャロリン・ヘスターのアルバム、めずらしいものばかり7、8枚買いました。

夜、ロングアイランドの大学に留学している日本人の20歳の若者からメールがあり、
はるばる電車で2時間もかけてぼくのアパートまでぼくのCDや本を買いに来てくれました。
ビルのロビーで1時間ぐらい話しました。
11月22日(金)「草間彌生」

チェルシーのギャラリーで草間彌生の新作絵画と光と鏡と水のインスタレーションを見ました。
鏡張りの個室で無限の光の宇宙を体験するのはぼくもユミもこれで3回目。前回は何年も前でした。
今回は一人ずつ中に入れてもらい、約40秒間だけ光の海を体験できる。
長蛇の列なので、ゆっくりできないのは仕方がないです。

今日はチャイナタウンにも行ったりして、長時間歩いたせいか、ユミは風邪気味で、
ぼく一人で夜にジョナサン・リッチマンに行こうと思っていたのに、売り切れ。残念でした。
11月20日(水)「影のない女」

今日はユミの誕生日。メトロポリタンオペラにリヒャルト・シュトラウスの「影のない女」を見に行きました。
2回の休憩があって4時間という長さ。それでも舞台装置がすごいので、つい夢中になってしまいます。
難解という評判の作品で、ユミがプリントアウトしてくれたストーリーを読んでもあまりよくわからない。
というのも、冥界の王と人間の女の間に生まれた女性が主人公で、この人には影がなく、人間界の皇帝と結婚しても影がないと子が産めないので、なんとか人間界の女から影を売ってもらおうという話。
特殊なストーリーのせいで歌詞が説明的なのがどうもつまらないけど、スケールの大きな
舞台美術は圧巻でした。
11月18日(月)「マグリット」

今日の夜の便で日本に帰る向島さんたちと、午前中MoMAのマグリット展を見に行きました。
今回はマグリットの初期の絵もたくさんあって、1927年、28年ごろの、マグリットがシュールリアリストに
なって行くあたりの作品がとてもスリリングで面白かった。
有名な「これはパイプではない」というパイプの絵のように、マグリットの絵はとても言葉に近い感じがします。

美術館で向島さんたちと別れ、ぼくとユミはその後久しぶりにソーホーのあたりを歩きまわりました。
11月17日(日)「ウィリアムズバーグ」

ブルックリンのウィリアムズバーグに、向島さん夫婦とぼくとユミで遊びに行きました。
イーストリバー沿いの公園の蚤の市や古着屋さん、本屋に行って、ピザを食べて帰って来ました。
30年前にニューヨークに住んでいたことのある向島さん夫婦は、今のブルックリンが30年前のマンハッタンみたい、ととても喜んでいました。その後はトレーダー・ジョーズで食べ物を買い、我が家で夜中まで飲んだり食べたり音楽を聞いたりして過ごしました。
11月16日(土)「60キロレース」

セントラルパークでの唯一のウルトラマラソンです。ニューヨークシティマラソンの2週間後なので、
毎年参加者はとても少ない。今年も完走者は300人ぐらいだったそうです。
今年で3回目ですが、記録は5時間23分24秒で、初めて5時間半を切れたのがうれしかった。
公園内をぐるぐる回るだけのレースなので退屈だけど、途中でユミからもらった飴玉や、園内のレースとは関係のないランナーたちの応援などがとても励みになりました。
11月15日(金)「ジャネット・カーディフ」と「アーロン・ネビル」

これはユミが行きたかった音のアーティスト、ジャネット・カーディフの展覧会。
会場のクロイスターズは、マンハッタンの最北端にある公園に、メトロポリタン美術館により建てられた、ヨーロッパの修道院をモデルにした美術館です。
ちょうど日本から、一週間の予定で遊びに来ているバイオリン奏者の向島ゆり子さんと、その旦那さんのドラマーの久下恵生さんも誘って、4人で地下鉄に乗り、見に行きました。
作品は40のスピーカーから流れる無伴奏の声楽曲。40人の合唱団の、一人につき一つのスピーカーから声が出ていて、その円の内側で歌を聞いていると次第にスピーカーが合唱団の一人一人に思えてくる。
曲の合間にも、私語が聞こえたりして、スピーカーとスピーカーが話をしているみたい。
クロイスターズは雄大なハドソン川を見下せる丘の上にあって、ゆったりとした時間をすごせるすてきな場所でした。

そのあとうちに寄ってご飯を食べて、夜はダウンタウンの大学のホールで開かれたアーロン・ネビルのコンサートに行きました。向島さんたちはアーロン・ネビルを知らないのに、無理やり誘ったみたいな気もしたけど、ぼくは彼の声や歌い方が大好きで、ぜひとも聞いて欲しかった。でも、ユミに「日本の歌謡ショーみたい」といわれて、その通りだなあ、と思いました。
11月13日(水)「トスカ」

オペラ「トスカ」を見に行きました。去年の冬に見たのと同じ内容。でも覚えていないシーンがあったりして、オペラは2回ずつ見た方がぜったい心に残ります。もちろん20ドルのラッシュチケットに並んで、オーケストラ席で見たけど、この秋一番の寒さのせいか遅い時間に行ってみたけれど並んでいる人は少なかった。
ラッシュチケットに並ぶのもオペラの楽しみの一つです。でもマイナス2度だとちょっとつらかったな。
建物の地下で屋内なのだけれど。
11月13日(水)「お客さん」
先週は七尾旅人くんとみかさんがうちに来て、晩御飯食べて、楽しかった。
その翌日彼らは帰国しました。

そして今日は向島ゆり子さんが久下恵生さんとNYに朝早く到着。
ホテルのチェックインの前にうちに来てまったりしていました。
彼らのホテルがうちの近くなので、いろいろ一緒に出掛けようと相談しました。
11月9日(土)「リチャード・セラ」

ガゴーシアン・ギャラリーにリチャード・セラの新作を見に行きました。
タイプの違う作品を二つのギャラリーに分けて展示していました。鋼鉄でできた巨大な作品が、ぐにゃぐにゃとやわらかく見えるのが不思議。あと2つの鋼鉄の板のようなものは、
なんと言っていいのやら。
11月5日(火)「アンドレ・シフ」

カーネギーホールに、アンドレ・シフのピアノソロを聞きに行きました。演奏曲目は、
バッハの「ゴールドベルグ・バリエイションズ」とベートーベンの「ワルツ35バリエイションズ」。
アンコールは誰のどういう曲なのか全くわかりません。
「ゴールドベルグ」はあまりにも気持ちよく、何度も眠りそうになりました。
ベートーベンは最初はいいなあ、と思ったけど、あまりにも長く、だんだん疲れてしまった。
アンコールが終わったらもう11時でした。ユミは「ゴールドベルグ」が聞けて、最高に幸せだったみたい。
11月4日(月)「冬」

マラソンが終わり、いきなり冬になりました。朝は2℃ぐらい。
セントラルパークの終わりかけていた紅葉が、雲一つない青空の下で急にまた一段と鮮やかになった月曜日でした。
マラソンを一緒に走った友だちとメダルにタイムを刻んでもらって、セントラルパークのマラソンのフィニッシュで記念撮影。
フィニッシュのゲートが鳥居に似ているからか、なんだか初詣みたい。
11月3日(日)「ニューヨークシティマラソン」

去年がハリケーンで中止になり、2年ぶりのニューヨークシティマラソンでした。やはりこれがないと冬が迎えられない感じです。結果は3時間25分16秒でした。
後半足がばてて、水を飲みながらちょっと歩いたりしました。
ユミは日本から来ている七尾旅人くんや、こちらの友だちと応援してくれました。
コースの中盤と終盤の2か所を移動して応援してくれるのですが、位置も定番になっていて、友だちはみんなユミに合流して応援してくれます。
今年4月のボストンマラソンの爆弾事件の影響で、いつもならボランティアがやるような誘導や荷物チェックまで全部警官がやるほどの厳重な警備でしたが、何事もなくこの台風のようなイベントも終わり、夜は我が家で、マラソンを走った友人たちや応援チームでお祝いをしました。
11月1日(金)「マラソン・パスタ・パーティ」

写真家のヨシと奥さんのマドレンが、ニューヨーク・シティ・マラソンを走る仲間たちのために毎年開くパスタ・パーティ。今年はヨシも走るのに、50人近い人のために料理を準備してくれました。
横浜でぼくが参加しているランニングチームの女性たちも、去年はハリケーンで走れなかったからと、今年もやって来てパーティに参加。いろんな人たちから様々なレース体験が聞けておもしろかった。
10月30日(木)「七尾旅人」

ニューヨークに来ている七尾旅人くんがライブをするというので、Lower Eastのライブハウスに
見に行きました。
旅人くんの出番は最後で、もう11時を過ぎていたかな。それでも自分の歌やカバーなどをたっぷりと聞けました。「一本道」も急きょ歌ってくれました。福岡で聞いたときと変わらない変幻自在なステージに、アメリカ人も日本人と一緒になって耳をすましていました。10月29日(水)「ゴダールのショートフィルム」

リンカーンセンターの映画館でもうだいぶ前からゴダールの特集をやっていて、ちゃんとした映画作品はほとんど上映された後だったけど、ユミとショートフィルムを見に行きました。
これは作品とも呼べないくらいのつぎはぎ映像の寄せ集めで、そのせいか無料でした。
つぎはぎでもゴタールの言葉と映像による主張は強烈でした。

上映前に見覚えのない白人の若者から声をかけられました。ぼくの初期のアルバムを5枚持っているとか。
やさしくてシャイな感じの人で、自己紹介できなかったから、と後でぼくのホームページのアドレスにメールをくれました。日本語がわからないのにぼくの歌のファンだなんて、びっくりでした。
10月28日(月)「句会、そしてオペラ」

早朝5時に起きて、eメールで仙台の句会に参加。朝が早いのは時差のせいです。
仙台では夜の7時から。

仮眠をとって昼過ぎに、メトロポリタンオペラにラッシュチケットを買いに行きました。
午後早めに行ってもすでに長蛇の列の日もあるのに、今日は少なかった。
見たのはベッリーニの「ノルマ」で、これはあまり上演されない演目だとユミが言うので、ぼくも見たかったのです。
主演はアンジェラ・ミードで、歌のうまさに定評のあるまだ若い人。
一番よく知られたアリアは前半に歌われ、舞台がしばらく停止するくらい長い喝采を浴びていました。
ぼくが一番感動したのは二幕の後半、物語の最後のシーン。言葉もわからないのに、オペラの歌を聞いて涙が出たのは初めてでした。
10月27日(日)「あと一週間」「ルー・リード」

ニューヨークシティマラソンまであと一週間です。でも、去年ほどぼくは緊張していないなあ。
去年はハリケーンで中止になり、それで一年空いてしまったからか。
レースになじんでおくために、セントラルパークの5マイルレースに出ました。
最近では一番速いペースで走れたので、まあまあかな、と思っていたけど、こんなマラソン直前のレースに全速力で走る人はいないとユミに言われました。

ルー・リードが死んだそうです。肝臓の病気らしいけど、お医者さんももう手の施しようがなかったみたい。
でも50年間、あの声、あの歌い方、あのギターも、鉄板のようにびくともしなかったのは立派です。
昔「ベルリン」を聞くたびに、心の準備が必要だったことを思い出しました。
最後に彼を見たのは2011年3月、オノヨーコが主催した東日本大震災のチャリティコンサートのときでした。
なんかヨーコがとてもルー・リードを気遣っているように見えたけど、あの時も体調が悪かったのかな。
10月26日(土)「ボブ・ディランという男」

共同通信に、「ボブ・ディランという男」という新刊の書評を書きました。
全国のいろんな新聞に載るそうです。
そういえば今までボブ・ディランについての評論はほとんど読んだことがなかった。
ぼくは今週からニューヨークに来ているので見られないけど、知り合いが地方紙に載っていた書評のこと、写真付きのメールで知らせてくれました。
10月20日(日)「リクエスト大会」

朝からひどい雨でした。でも、句会の後我が家に泊まった二人と一緒に、昨日の馬の博物館の隣にある馬場に、「森部英司アートパフォーマンス、UMACTION」を見に行きました。
白い馬にまたがり、森部さん、モップのような筆で12メートルの長さのキャンバスに白い絵の具で絵を描きました。馬を走らせながら描くのです。
見物している人たちは雨なんか忘れ、一筆描くごとに拍手喝采でした。

午後2時ごろ吉祥寺のスターパインズカフェに着きました。雨は止みそうにもありません。
開演が5時だったので、リハーサルをしたらすぐにもう本番。あんまり準備の時間はありませんでした。

リクエストの方法は、入場時に一人一曲ずつ紙に書いてもらい、それをぼくが箱の中から一枚ずつ引いて歌っていきます。
バイオリンの向島ゆり子さんと、たまたまライブを見に来てくれたクラリネットの安藤健二郎くんが飛び入りミュージシャン。二人ともどんな曲をやるのかはそのときにならないとわからないという
スリリングな状態で。
向島さんは後半に来る予定だったのですが、一部の終わりで「大阪へやって来た」を歌っている最中にいきなりバイオリン弾きながらステージに登場。ぼくにもうれしいびっくりでした。
あとで聞いたら、到着したばかりの向島さんに、今すぐバイオリン持ってステージに出て、とユミが頼んだそうです。

演奏した曲は、本編26曲、アンコールが2曲でした。
少年とライオン/道案内/こわれてしまった一日/ある日ぼくらはおいしそうなお菓子を見つけた/
夕暮れ/密漁の夜/ニレはELM/早いぞ、早いぞ/地球の一番はげた場所/歯車とスモークド・サーモン/
大阪へやって来た/
夕日の町から/六月の雨の夜、チルチルミチルは/朝は詩人/私の踊り子/朝の電話/マリーナとウーライ/
一日の終わりの長い足/老人の時間、若者の時間/まるで正直者のように/ぼくが心に思っていたことは/
雨の音が聞こえる街/君が欲しい/ユミは寝ているよ/愛について/はじめぼくはひとりだった/
昨日までの明日/遠来/

リクエストされても歌えなかった曲はまだずいぶんありました。でも休憩を入れて4時間近く経ったので、終了しました。面白かったのでまた来年もやりたいと思います。

ニューヨークへのフライトの前にこれを書いています。今回は12月2日まで日本に戻りません。
また12月のライブで会いましょう。
10月19日(土)「横浜吟行」

仙台の「火星の庭句会」の有志7人が横浜まで吟行にやって来ました。
根岸森林公園にある馬の博物館で10月27日まで開催中の企画展「森部英司展、馬に乗り、色が乗る」
を見て、その後は厩で食事中の馬たちを見物。当然句会のテーマも「馬」ということになりました。
森部さんとは前に約束してあったので、会場でぼくたちを待っていてくれました。
馬に関するいろいろなことを教えてもらいました。森部さんの描いた馬たちの繊細な表情が印象的でした。

句会はすぐそばのぼくのアパートでやりました。ユミが3種類ぐらい料理を用意して、メンバーも
それぞれいろんなものを持ってきました。ぼくはカレーを作りました。
横浜での初めての句会、とても盛り上がりました。こんなに楽しい句会はない、と言う人もいて。
10月13日(日)福岡市「ジュークジョイント」

4月にブードゥーラウンジでライブをしたときは七尾旅人くんと一緒でした。
今回の福岡は今年はじめてのソロです。
風邪はほとんど回復しました。前半は声の出が悪かったけど、後半は調子よく、ツアー最終日ということでライブは3時間という長さに。
途中から聞きに来てくれたバンバンバザールの福島くんが、アンコールで飛び入りしてくれて、「夜よ、明けるな」を二人で歌いました。

今月はあと一回、20日に東京でライブをやったら、ニューヨークに行ってきます。
12月に帰ってくるまでしばらくライブはおやすみです。
10月12日(土)湯田温泉「DADA」

リハーサルの前に1時間ぐらいホテルで休めたので、体調は良くなりました。
自分でもすごい鼻声だとわかっているのに、平気でそんな声をお客さんに聞かせたけど。
今日はギターの音がよく耳に入ってきて、われながらそれがおもしろいと思った。
1回目のアンコールでは「Bring It On Home To Me」を、2回目のアンコールでは「ぼくの田舎」を歌いました。10月11日(金)広島市「オーティス」

今年は2月にも広島に行きましたが、今回の「オーティス」は「ぼくの田舎」が発売されて初めてなので、その発売記念という感じ。
この日ぼくは風邪のひき始めで、店主の佐伯さんから「顔がしんどそう」と言われました。
ぼくも今日はだめかな、と思っていたけど、歌いだしたら意外にもなんともなくて、けっこうおもしろく歌えました。
広島で泊まったホテルは韓国からの修学旅行の高校生や、インドネシアからの団体客でいっぱい。
アジアから旅行者が増えているそうです。
10月6日(日)倉吉市「元キンダーガーデン」

倉吉市の山の入り口にある元幼稚園。今はリチャードというイギリス人が一人で暮らしています。
子供たちが斉唱した讃美歌の歌詞が何冊も残っていたりして、雰囲気は今も幼稚園のまま。
歩いてくる人、車で来る人、自転車の人、夜になると街灯もない真っ暗なところまでみんなよく来てくれました。
古い建物のせいか山の中のせいかとても音がよくて、ここはレコーディングにも使えるなあ、とぼくは思っていました。
10月5日(土)福山市「ポレポレ」

福山までは時間がたっぷりあったので、岡山の商店街で、高齢者対象の健康診断に誘われて受けました。
骨年齢と血管年齢は若かったけど血圧が高く、慣れてないと緊張するよね、と言われました。
身長が2㎝減っているのもちょっとしたショック。

朝から雨だったけど、夕方になりさらに強く降りました。ライブではいろんな人と再会ができて、それも楽しみの一つ。
今夜のポレポレはそんな場所でした。仕事が終わってからかけつけてくれた人はコックさんの格好のままでした。
10月4日(金)岡山市「モグラ」

良く晴れた日で、飛行機からは瀬戸内海の小さな島々がすべて見えるみたいでした。
これだけのたくさんの島を誰も絵には描けないだうな。
「モグラ」のライブは1年半ぶり。なんだかいつもよりはお客さんが少なく、そういったことはしかたのないことだけど、音がいいのはとても気持ちよく、楽しく演奏ができました。
9月30日(月)宮城県亘理高等学校

津波で大きな被害のあった亘理町にある県立高校の、年に一度の芸術鑑賞会に呼ばれて歌いに行きました。
会場は亘理町の隣町、岩沼市民会館の大ホール。全校生徒600人と数十人の保護者の前で1時間半歌いました。
ぜひ生徒たちにぼくの歌を聞かせたい、という一人の熱心な先生のおかげで今日のコンサートが実現しました。
でも今の音楽とかけ離れたぼくの歌を、はたして高校生たちが聞いてくれるのか、とユミはとても
心配そうでしたが、学校の先生たちも同じことを心配していたそうで、終演後に挨拶に来られた校長先生もそうおっしゃっていました。
最初はざわざわしていた会場も、歌が進むにつれて耳を傾けてくれていたようです。
中盤の詩の朗読では、みんながシーンと聞いてくれたのが印象的でした。
もちろん中にはうたたねしている生徒もいましたが。
アンコールのときに前の方の3年生の男子が、1曲目の歌をもう一度聞きたいと言ってくれました。
それは「どうして旅に出なかったんだ」だったのですが、もしかしたら、就職や進学を控えた3年生の
心に届いたのかもしれないな、とうれしかった。

夜は仙台の火星の庭で月例の句会がありました。
ぼくの句は相変わらず点が入りませんが、句会は楽しいしおもしろい。
俳句は大勢でやる文学だということがわかってきました。
最近、俳句の原稿依頼があったので、主宰の渡辺さんに提出した原稿を見てもらったら、季重なりや意味の重複を指摘され、7年たってもぜんぜんうまくなっていないことが自分でもよくわかりました。
9月29日(日)塩竈市「ビルド・スペース」

ビルドは塩竈市の海のそばにあるギャラリーです。 2011年12月にぼくはここでライブをしました。
まだ地震の余波が続いていて、ビルドのオーナーの高田さんはライブ中、万が一大きな地震がまた来たら、どうやってお客さんたちを非難させようか、とそのことばかりが気になっていたそうです。
だからそのときは集中できなかったぼくの歌を、今回は初めてちゃんと聞くことができたそうです。
9月27日(金)「BankArt NYK」

ニューヨークの友だちがうちに遊びに来て、一緒にBankArt NYKの「NISSAN Art Award 2013」を
見に行きました。
最終選考まで残った8人のアーティストの作品が展示されていて、さすがにレベルが高く面白かった。
去年の秋にニューヨークのコロンバスサークルで、コロンブスの像を作品にした西野達という人の
作品もあって、今回はトイレがモチーフになっていて、実際にその作品で排泄もできて、
排泄物はそのまま長い管を通って同じフロアの本物のトイレに流しこまれるという仕掛け。
すごく素敵でした。

夜はそのままNYKで、ソケリッサの舞踏公演を見ました。去年の10月にBig Issue Japanを応援する寺尾沙穂さん企画のコンサートで一緒だったことがあります。元ホームレスだというダンサーたちの顔ぶれはそのときと同じでしたが、新たにコントラバスを弾く女性が参加していました。
1時間の公演のどこまでが即興なのかわからないけど、一応「つのひと」という題がついていて、ダンサーたちが頭に枝のようなものをつけていた意味がわかりました。
公演のあと、「Kazuo Ohno Festival 2013」のオープニングパーティにも参加しました。
9月23日(月)豊橋市「ハウス・オブ・クレージー」

浜松から豊橋まではJRの在来線で30分ぐらいなので、楽器博物館や中古レコード店で
たっぷりと時間をすごしました。
楽器博物館はおもしろかった。モンゴルとかイランとか、世界には楽器の豊富な国があって、たぶんそんな国から音楽が広がったんだろうな、と思いました。

ハウス・オブ・クレージーでは、最近買ったシュア58ベータというボーカル用マイクを使ってみました。
声室がとても明瞭になるといって、お店の松崎さんもこのマイクに感心していました。
マイクのおかげなのか、お客さんから「今日はよく声が出ていた」とほめられました。
9月22日(日)浜松市「エスケリータ68」

エスケリータには毎年ユミも一緒に行くのに、今年はぼくだけなので、エスケリータの後藤さん夫妻は
ちょっとつまらなそう。ライブ中も一緒に歌ってくれたりして大騒ぎの夫婦なのですが、それを「あんたら、ちょっとうるさいわ」とユミに言ってもらうのが楽しみだったみたい。
日本で一番うるさい音楽好きの店主を目指しているそうです。
9月19日(木)「夏の終わりの娘」

宮沢章夫さんの新作を東池袋のあうるすぽっとにユミと見に行きました。
出演者は男性が3人、女性が2人。宮沢さんの小説をリレーしながらテンポ良く朗読していきます。
その中では、何度も繰り返される「あなたは誰なんですか」という質問が現在的で印象的でした。
終演後の楽屋で、久しぶりに鈴木慶一くんにも再会。
何年か前大病した宮沢さんは、太って髪も伸び元気そうでした。
9月15日(日)「福島菊次郎展」

横浜の日本新聞博物館に「福島菊次郎展」をユミと見に行きました。
原爆から最近の福島第一原発まで、日本を撮り続けてきた92才のカメラマンです。
プロのカメラマンになるきっかけは、アメリカの落とした原爆で被爆した中村さんという人を撮りつづけたこと。この中村さん、被爆からも国からも痛めつけられつづけ、妻をなくし、大変な思いをしつつ、子供たちを育てました。広島市も日本という国も、原爆と同じぐらい非人間的でした。写真を通して、福島菊次郎さんは日本のやっているもう一つの顔を見せてくれます。
9月12日(木)上越市「町家交流館 高田小町」

主催の永井さんによれば、ぼくが高田で歌うのは本当に久しぶりらしいです。
高田はきっと、何度来ても初めてのように思える素敵な町に違いありません。
会場の高田小町は、元は民家だった建物で、たぶんお屋敷だったのでしょう。
今は歴史的な建物として保存されています。
ご近所への音の配慮で、ちょっと変則的ですが前半はスピーカーを通して、後半は生で演奏しました。
久しぶりの町だったので、古い歌もたくさん歌いました。
永井さんに勧められて、翌朝高田公園を走りました。ここのお堀の蓮は日本一だそうです。
9月11日(水)長野市「ネオンホール」
おおはた雄一くんとのツーマンライブ。先におおはたくんが1時間歌い、後半ぼくが1時間という構成。
おおはたくんはエレキで、繊細な音色でした。ぼくはきっとあんなふうには弾けないな。
ぼくのソロの最後に、おおはたくんと二人で「歌は歌えば詩になっていく」と「日本に地震があったのに」を、
その後のアンコールで「水門」と、おおはたくんの「火のそばに」を一緒に歌っておしまい。
年は離れていても、おおはたくんとは歌の共通点をいくつも感じて、楽しい夜でした。
たぶんいろんな人が同じことを感じているのだろうけど。
リハーサルの後に、ユミとおおはたくんと3人で、時間があったら行きたかった古本屋にも行きました。
9月7日(土)「磐梯高原猪苗代湖マラソン」

福島県猪苗代湖のマラソンを走りました。
6日の夜は郡山に泊まったので、友達のお店「ラストワルツ」と「オールドシェップ」に行ってコーヒーをごちそうになりました。みんな元気そうでした。

スタートとゴールはリヒテルというホテルで山の中腹にあり、
最後ゴールするときはきつかったけど、後はなだらかな地形の起伏の少ないコースでした。
去年のニューヨークシティマラソンがハリケーンで中止になって、2年近くマラソンを走ってなかったので、今年のニューヨークシティマラソンのための足慣らしで、走ることにしました。
ぼくは制限時間7時間のフルマラソンの部に参加して、3時間32分12秒で、男子100人中5位でした。
9月4日(水)「野津手重隆展」

銀座の「一枚の絵ギャラリー」に、ぼくの古い友だち、野津手さんの水彩画展を見に行きました。
草や木や風景を水彩で緻密に描くノッテくんの水彩画は秀逸です。
特に今回の春を待つ小川の絵は静かだけど迫力がありました。
8月30日(金)横浜「サムズアップ」

「大人の夏」と題して、高知の矢野絢子さん、元バンバンバザールの富永くんのブルームーンカルテットとコンサート。矢野さんはやんちゃなまま自分の足でテクテクと歩いて大人になったような人で、やっぱり普通の大人とは違う。そんな意味での「大人の夏」でした。
ぼくは富永くんと「地獄のレストラン」「一本道」を一緒にやり、矢野さんとも「夜よ、明けるな」を二人でやりました。
アンコールはピアノの山本隆太くんも加わって全員で「アイ・シャル・ビー・リリースト」。
まるで音楽の温泉につかったみたいな夜でした。
8月26日(月)「八丈島 2」

ぼくもユミも二日酔い。帰りの飛行機が夕方だったので、二人で底土という港に泳ぎに行きました。
水は透明、足が立たない場所でもゴーグルなしで海底がよく見えます。
深いので、他の人たちはみんな浮き輪につかまって海中をのぞいています。
ときどき魚の大群に声をあげながら。
ぼくたちはぼんやりと水につかったり、突堤から飛び込む人たちを眺めたり。
ユミはここが太平洋の遥か沖合だということにいたく感激していました。

今回の手作りフェスを企画して、誘ってくれた倉沢桃子さん、どうもありがとう。
8月25日(日)八丈島「エイト島音楽祭」

昨夜から八丈島にユミと来ています。空港のすぐ近くのペンションに泊まっています。
今回の野外コンサートの会場もすぐそばです。芝生だけがあって広々とした空間。

今朝はペンションからランニングで八丈富士を一周しました。途中道に迷い、ペンションの朝食時間に間に合わず、ユミや竹原ピストルくんを心配させてしまった。

午前中、ペンションのオーナーが、車で島を案内してくれました。参加したのはぼくとユミと竹原ピストルくん。高所恐怖症の竹原くんは、高いところからの絶景をしゃがんで眺めていました。

お昼に、特別注文の島寿司を食べました。たれに漬け込んだカジキマグロと尾長鯛のお寿司。
本当においしかった。

夕方のものすごい雷雨でコンサートは中断。
結局野外はあきらめて、藍ヶ江水産という会社の倉庫に移動することになりました。
近隣への音の配慮で、コンサートは8時に終了。
そのせいで後半の出演者は一人20分という短い持ち時間になったけど、次々にものすごい個性が噴出してくる感じがしておもしろかった。

打ち上げの後知久くんたちと、ペンションの庭で明け方まで島焼酎を飲みました。8月18日(日)大阪「OVAL」

ユミのお父さんが8月11日に亡くなったので予定より一日早く13日に帰国して、15日のお葬式に出て、そのまま18日のOVALまで大阪に滞在していました。

今日のライブは、今年で7年目になる青少年のためのパフォーマンスフェスティバル、TACT/FESTの番外編でした。

ぼくは第一回から毎年参加していたのですが今年はスケジュールの都合で出演出来ませんでした。

でも、番外編という形で今年も声をかけてもらってうれしかったし、フェスティバルの会期中なら忙しくて聞けないスタッフの人たちにもライブを聞いてもらえてうれしかった。

歌の合間には、今回のニューヨークで書いた詩もたくさん朗読しました。
8月11日(日)「アラン・トゥーサン、ボビー・ラッシュ」

リンカーンセンターの野外無料コンサートの最終日はゴスペルとニューオーリンズ音楽でした。
ぼくとユミは後半のアラン・トゥーサンとボビー・ラッシュだけ見ました。
アラン・トゥーサンはピアノ弾き語り。人柄はやさしく音楽もやわらかく、演奏は自由自在。
思いつくままのピアノ演奏に「マッドなんとか」とタイトルをつけたり、みんなが知っている
彼のオリジナルをメドレーでやったり。
アーロ・ガスリーでヒットした「シティ・オブ・ニューオーリンズ」には感動しました。

2週間にわたるこのイベントの最後はルイジアナ州出身のボビー・ラッシュ・ブルースバンド。
抜群の演奏をするバンドを従えたボビー・ラッシュ。ニューヨークは初めてだそうで、上品なニューヨークの人たちは、彼の野性的で子供っぽく品の悪いステージにはびっくりしたようです。大きなお尻をゆするのが得意な二人の女性ダンサーを相手にしながら、セクハラすれすれの内容の歌ばかり。おかしくて本当に楽しかった。
このなかなかかわいらしい人物がもう80歳と聞いて、観客は称賛の拍手でした。
いいものを見られたな、と思うと同時に、これで野外コンサートのシーズンも終わり、夏も終わりなんだと思いました。

さてぼくらも帰国の準備です。
8月10日(土)「ニック・ロウ」

7月24日からほぼ毎日のように行われているリンカーンセンターの屋外無料コンサート。
今夜はロカビリーがテーマで、ニック・ロウが最後に弾き語りで歌いました。
年齢はぼくより1歳だけ年上だそうですが、美しい白髪で、自身にみちあふれていてとても素敵でした。会場を埋める数千人の人たちもみんな楽しそう。さわやかな夜でした。
8月8日(木)「Baal」「クラシックの中古レコード」

リンカーンセンターでデビッド・ボウイの映画の特集をやっていて、70年代にイギリスのBBCが
制作したブレヒト作「Baal」をやるというのでユミと見に行きました。
BBCとの上映権の関係なのか、無料でした。
1時間という短い作品ですが、アメリカではまだ一度も上映されたことがなく、ぼくはレコードを
持っていて歌だけは知っていたけど、実際に映像を見るのは初めて。

リンカーンセンターの図書館で、22000枚のLPレコードを処分するというフェアが今日から
始まっていることを知り、映画の上映の前に行きました。大半がクラシックでしたが、
1枚1ドル、ボックスセットも1ドルで、ぼくはバッハのカンタータやベートーベンなどを買いました。
8月4日(日)「ウォーカー・バレー」

昨日はレースの後、ウォーカー・バレーにあるヨシとマドレンの別荘に泊まりました。
今朝はヨシの自転車による伴走で11マイル走りました。
木立の中にポツンポツンと家が見える軽井沢のようなところ。
道端で子狸がぼくたちを見上げていたり、ウサギが草むらに逃げ込んだり、
アライグマが車にひかれて死んでいたり。
まるまる一日のんびりと過ごし、夕方の列車でマンハッタンに戻りました。
8月3日(土)「5マイルレース」

チーム得点レースなので速い人ばかり大勢でした。ぼくは年代別では11位。
二週間前のレースが猛暑でファンランに切り替わって、今回のニューヨークでは初めてのレースでした。

NYの猛暑はあのあとすっかり収まり、涼しい毎日が続いています。夜は窓を閉めて寝なくては風邪をひくほどです。
日本より湿度が低いので、たとえ同じ気温でも涼しく感じるのですが、高温多湿の日本はさぞかし暑いのだろうなあ、とユミは今から帰国後の心配をしています。
7月31日(水)「100万回生きたねこ」

ニューヨークは涼しい毎日がずっと続いています。今日は湿度も40パーセントを切っていました。

お知らせがあります。
今年の1月から2月にかけて上演されたミュージカル「100万回生きたねこ」がBSプレミアムで放映されるそうです。日本時間の8月4日の夜中(8月5日午前0時)からです。
ぼくはミュージカルで歌われている歌の作詞をしました。
ぜひ見てください。ぼくはテレビがないから見られないのですが。
7月30日(火)「Paul MacCarthy」

十七歳以下入場お断りの現代美術展、ポール・マッカーシーの作品はどぎつくて危険です。
何枚ものスクリーンに成人向けのビデオ作品が上映されていて、未成年お断りというわけです。
デズニーのアニメの「白雪姫と七人の小人」のかっこうをした大人たちが乱痴気騒ぎを繰り広げています。
裸になったり馬乗りになったりおしっこをしたりウィスキーをがぶ飲みしたり。
大人がやるからグロなのですが、これが子供ならかわいらしい?
純粋だとか無垢だとかって、いったいなんだろう、と深く考えさせられました。
7月28日(日)「Ollie's」

友だちのマサとキリコがうちに遊びに来て、ユミとぼくと四人で近所に中華料理を食べに行きました。
毎年ニューヨークシティマラソンの後に大勢で行っていたOllie's。今年の冬に火事で焼けて、ブロードウェイからハドソン川の近くに移転したというので、今後のために行ってみました。おいしかった。
7月27日(土)「朝は20マイル走、そして夕方にグッゲンハイムでジェイムズ・タレル展」

20マイルというと32キロ、2年前のニューヨークシティ・マラソン以来、30キロ以上の距離は一度も走っていなくて、しかも去年の夏の椎間板ヘルニアもあったりして、ちょっと不安でしたが、レースではなくトレイニングランなので出てみました。26キロのあたりでリタイアしかけたけど、なんとか完走。

夕方はユミと、グッゲンハイム美術館にジェイムズ・タレル展を見に行きました。
今回の作品はグッゲンハイムの螺旋状の建物の構造を模したような作品で、一階のフロアに仰向けになって見上げると宇宙を見ているように神秘的。
刻々と変わっていく色彩も美しく、誰もが幸せな気分になれるような作品でした。
7月26日(金)「Bob Dylan、Wilco」

ホーボーケンのハドソン川に面した公園で、Bob DylanとWilco、My Morning Jacketのコンサートがありました。
開演は5時半、前座のバンドが30分やった後、My Morning Jacketが延々1時間ぐらいやりました。
このころまではまだ比較的すいていて、芝生に寝転んで聞けたのに、Wilcoが始まるとただ立っているのも大変なほどの混みよう。去年ブルックリンで雨の中で聞いたときと違い、今日のWilcoは聞きごたえがありました。あっという間の1時間でした。
先日の引越しのときに捨てようかと思ったWilcoのCD、捨てなくてよかった。
そういえば飛び入りでイアン・ハンターがWilcoと「すべての若き野郎ども」を歌って盛り上がっていました。

Bob Dylanは最初の2曲がハンドマイクで、3曲目からはキーボードを弾きながら歌っていました。
最初のうち声の調子が悪そうで、一曲終わるごとに何か飲んでいたけど、あれは水なのかなあ。
相変わらずミスタッチの多いディランのキーボード演奏に、若者たちも苦笑しながらの拍手。
でもぼくは思ったのですが、あれは演奏しているのではなく、バンドを指揮しているのです。
ディランが思いつきのような旋律をキーボードで弾くと、ギターの人がそれを繰り返すことで演奏にのりができる。最近のディランの演奏はジャズみたいです。
ディランの最後のころに、Wilcoや飛び入りのピーター・ウルフ、オールマン・ブラザーズ・バンドのギターの人なんかが参加して全員で「ウエイト」をやりました。このときのディランのうれしそうな顔を見ていたら、「ああ、ディランもおじいさんになったんだなあ」と実感しました。
コンサートが終わったのは11時20分、マンハッタンへの帰りの電車はそれはそれは満員で熱気にあふれていました。
7月25日(木)「ピアニストを撃て」

ようやくトリュフォーの「ピアニストを撃て」を見ました。今日もSold Outでした。
初期のトリュフォーはせりふも映像も生き生きとしていて、とてもおもしろかった。
ピアニストの代わりに撃たれて死んでしまうレナがかわいそうでした。

ぼくが映画を見ている間、ユミはMoMAの展示を見て歩いていました。
一番良かったという展示をぼくは見逃していて、ぼくがすてきだなと思ったパティ・スミスの歌っているビデオはユミが見ていなくて、人それぞれだなあ、と思いました。
7月24日(水)「MoMA」

「ピアニストを撃て」の上映があったので行ってみたけどSold Out。
明日のチケットを買い(MoMAのメンバーは1ドル)、ぶらぶらと館内の展示を見て歩きました。
3Fの写真ギャラリーではBill Brandtの写真展をやっていて、ディラン・トマスやフランシス・ベーコンの
よく知られた写真もありました。
コンテンポラリー・アートのギャラリーで上映されている「ロック・マイ・リリジュン」というビデオ作品、まだ若いときのパティ・スミスや、生前のジム・モリソンのステージの映像が初々しくてまばゆかった。
7月21日(日) 「日本の悲劇」

日本は参議院選挙の投票日で、予定通り自民党の勝利だとか。(ぼくたちは期日前投票を済ませてからNYに来たのですが、今回も残念な結果です。)
これは「悲劇」というより、「日本の喜劇」かもしれません。

今日はジャパンソサイエティに、小林政広監督の映画「日本の悲劇」を見に行きました。
癌で余命数か月と診断された父親が、自分が死んでも、失業中の息子に仕事が見つかるまで自分の年金で暮らせるようにと自室にこもり、生きていることにして死んでいく話です。
ここは父親役の仲代達矢の演技が際立っていて映画を見終わってもその顔が頭から離れません。
不自然だけど年間の自殺者が3万人以上の今の日本ではありえる話かもしれません。
映像的には、カメラが人物を追わずに、足音や電話のベルだけで動きを想像させる試みがおもしろかった。でも長すぎる暗転が気になりました。
7月20日(土) 「猛暑のニューヨーク」

16日の早朝からこちらに来ていますが、ニューヨークは猛暑が続きました。
普段の夏はエアコンをつけなくてもなんとか暮らせますが、昨日はさすがに夜通しエアコンをつけなくては眠れませんでした。

今日は気温も少し下がったのですが、今朝のセントラルパークの10キロのレースは、6.4キロのファンランに変更になりました。ファンランでもぼくは出ましたが、みんなレースみたいに一生懸命走っていました。

夜はブルックリンのプロスペクトパークに、野外コンサートを聞きに行きました。
開場前に土砂降りの雨になり、列に並んだまま1時間待たされました。
雨具のない人も多く、開場を待たずにずぶぬれになって帰る人もいました。
ぼくとユミと友達はThe Low Anthemが終わると、メインのバンドは聞かずに、パークスロープのカフェにビールを飲みに行きました。
7月13日(土)「長野県朝日村 朝日のあたる音楽祭」

昨日切符を買いに行ったけれど指定席はもう売り切れで、朝のあずさ号自由席は甲府までトイレにも行けないくらい混んでいました。
満席で座れないときのためにユミが持たせてくれた小型の折りたたみ椅子が役に立ちました。
塩尻駅からの送迎バスでは上条恒彦さんと一緒でした。上条さんは朝日村の出身だそうで、塩尻まで遠足でアメリカ人を見に行ったという小学校の頃のおもしろい話をしてくれました。
ぼくと三宅伸治くんとドラムの大島賢治くんのステージは3時20分からでした。直前に激しい雨が降り、フジロックを思い出して三宅くんと笑いました。
「反復」から始まり、2曲目の「曇り空」の最後で本当に向こうの方が青空になりました。歌詞の通りでした。
約40分のステージはあっという間に終わり、あっけなかったね、というぼくと三宅くんの印象。
朝日のあたる音楽祭は14日もあるのですが、ぼくは泊まらずに最終のスーパーあずさで帰って来ました。
16日からニューヨークなので、その準備のために。
8月以降のライブでまた会いましょう。



16日からニューヨークです。帰国予定は8月14日。その間友部オフィスは休業しますので、CDなどの通信販売は発送がストップします。毎回大変ご迷惑をおかけしますが、ご了承ください。(友部正人オフィス・小野)
7月9日(火)「いわき市 ソニック」

今日は火星の庭の定休日なので、店主の前野夫妻と一緒に車で福島市へ。
やぶうちという素敵なメガネ屋さんに行ったりレコード屋にも寄ったり。
福島市まで迎えに来てくれたソニックの三ヶ田くんの車に乗り換えてぼくとユミはいわきへ。
2月にふちふなと一緒にソニックの姉妹店バローズでライブをしたばかりなのに、せっかく東北に来るのならまたいわきでも、と三ヶ田くんにいわれて、やって来ました。なんだかんだといって、いわきにはよく来ています。
遠山さん、村重さんのデュオの後ぼくがソロで歌いました。
新しいアルバムを出したばかりで、曲もたくさんあるような気がしてしまい、歌うのが楽しい日々が続いています。
7月8日(月)「仙台市 Sendai Koffee」

昨夜の句会の後は、そのまま火星の庭で1時ぐらいまで飲んだり食べたり
しゃべったり、みんな上機嫌でした。
そのせいで今日は夕方までホテルや火星の庭でのんびりすることにしました。
月曜日なので美術館も閉まっているし。

月曜日のライブはちよっと心配でしたが、予約していて仕事で来られなくなった人がずいぶんいたとか。
ライブが終わってから、サインだけでもと色紙を持って走って来た人もいました。
誰かの部屋のようなお店で、照明も椅子もまちまち、落ち着いて歌えるのでついついライブが長くなってしまいました。
アンコールは近所への音の関係で、ノーマイクになりました。
7月7日(日)「仙台 火星の庭俳句会」

横浜からやってきたユミとも合流して、ブックカフェ「火星の庭」で月例俳句会に参加。ぼくもユミもあまり仙台までは来られなく、eメールでの参加なので、実際にみんなと同席することができてしあわせ。今夜は主宰の渡辺さんが欠席でしたが、持ち寄りの料理とお酒で盛り上がりました。句会のときのこの結束力ってすごいなあ、といつも思います。
7月6日(土)「山形 ノイジーダック」

今回もテリーさんの車で東北ツアーをしていますが、高速を使う仙台経由ではなく、距離的には近いはずの横手を通るコースを通ったら大幅に時間がかかってしまい、天童あたりでは夕方の渋滞にも巻き込まれました。ノイジーダックには開場時間ぎりぎりの到着。
雨降りなのに、早めに来ていたお客さんにはリハーサルの間30分も外で待ってもらい申し訳なかったです。
7月5日(金)「盛岡 クラムボン」

弘前も盛岡も今日は雨で、クラムボンは満席で20人のお客さん。照明も音響も一切なし、いい顔したお客さんの顔があるだけのとてもいいライブでした。終わった後雨が止んだのもうれしかった。
みんな来るときの雨でぬれた傘をたたんで、乾いた気分で帰って行きました。
7月4日(木)「弘前 アサイラム」

今まで真冬の雪の時期にしか来たことのなかった弘前ですが、冷房のないアサイラムは窓を開け、近所にまる聞こえの状態でのライブです。
それで今まで冬だったのかな、と思っていたら、アサイラムのひろしさんが「今度は秋か春に来てみて」と言いました。
散歩してみると弘前はいい街で、秋か春もいいなあ、と思ったりするのでした。
6月30日(日)「那覇市 桜坂劇場」

ホテルから桜坂劇場に歩いて行く途中、公設市場の近くでクワンソウ茶を売っていて買いました。
だいぶ値引きしてくれました。
リハーサルをしていたら、自分の声が変なのに気づきました。そんなに疲れているはずはないのに、遠くから聞こえるのです。それで今日は、声に用心しながら歌うことにしました。
一部が終わるところで、休憩を入れるのをやめたら、お客さんが拍手してくれました。ライブハウスではないので、お客さんもそのまま聞き続けたかったのでしょう。後半は曲順に関係なく、思いつく曲を歌いました。
6月29日(土)「石垣島 すけあくろ」

石垣島のお客さんは、開演時間には勢揃いしていました。宮古より少し都会なのかもしれません。
いつも来てくれる古い知り合いの白百合酒造の池原くんは、自分の好きな曲になると一番後ろの階段に腰を下ろして聞いていますが、あまり知らない曲だと煙草を吸いに上に行ってしまいます。
ステージを歌っていると、そんな池原くんの動きが目に入ります。
それにしても沖縄は暑いです。涼しい横浜から来ると、日差しにくらくらします。
6月28日(金)「宮古島市 カリブの酒場isla」

久し振りの宮古島、宮古は集まるのが遅いから、とislaのオーナーのながさかさんが最初に歌ってくれました。
背が高くて声のきれいな人、世界中旅をしてきたような雰囲気があります。
しばらくすると、ぼちぼちとお客さんも集まり始めました。中にはライブと知らずに来たのに、ちゃんとチャージを払い、そのまま熱心に聞いてくれているので感心しました。「ランブリン・ジャック」のとき、ステージにあったコンガをたたいてくれたのは、前回宮古に来たときのライブ会場のオーナーでした。
6月23日(日)「地酒処叶屋」

1年に一回歌いに行くようになって6年目、今年は叶屋さん自慢の沙羅双樹の花が咲く時期に合わせて開かれました。
普段はお酒を買いに来ている地元の人たちが、店主の倉田さん夫婦に誘われて、いつのまにかコンサートにも顔を出すようになった、という感じのお客さんたちで、半分以上の人が「ぼくの田舎」も買ってくれました。
スタッフ持ち寄りの料理で打ち上げも豪華。近所の手打ちそば屋さんは、古代の人たちの打ち方の研究を重ねて、この日に間に合うように完成させた古代式手打ちそばを食べることもできました。
6月17日(月)「京都 磔磔」

「クレーン」の発売記念以来の磔磔でした。前回は東京ローカルホンクと一緒でしたが今回はソロ。
たくさんお客さんが来てくれてうれしかったです。その中には知り合いや、久し振りにお会いできてうれしい人もいました。
京都のお客さんはなかなか層が厚い感じがします。
普段磔磔は夜9時以降は音を出せないのですが、磔磔の主人の水島君から、好きなだけやっていいよ、と許可が出て、10時近くまでやりました。時間を気にしないでできました。
名前は聞いたことがあったけど、ライブに来るのは初めてという若い人たちがライブの感想を言ってくれました。
最近感想を言ってくれる人が多くなりました。

暑い暑い名古屋と関西のツアーも気持ちよく終了です。たくさんの人に来てもらってうれしかった。
名古屋ではぼくの現代詩文庫を持って聞きに来てくれたアメリカ人の若者もいました。インターネットのせいでしょうか。
いろんな人がライブに足を運んでくれるようになりました。
6月15日(土)「大阪 SUN HALL」

そういえば前回小谷美紗子さんとここでやったときも、ステージにちょっとした工夫があったことを思い出しました。
今夜もぼくの立つマイクの周囲に裸電球の直立スタンドが用意されていました。さぞかし客席から見たらきれいだろうな、と思ったけど、自分では見られませんでした。
普段「春一番コンサート」で毎年会っている足立くんがPAをしてくれたのですが、やりやすいいい音でした。
ユミも今夜の音には感心していました。
夜中にひとり取り残されたらさぞ怖いだろうな、と思える古いビルの地下室には、音を食べる生き物が住んでいるのかもしれません。SUN HALLはそんなライブハウスです。
6月14日(金)「名古屋 得三」

引越しをして最初のツアーです。初めて利用する山手駅から、いざ名古屋まで。

「ぼくの田舎」発売記念ライブですが、先日の吉祥寺スターパインズ以外は全部ソロの予定です。
得三では、「ぼくの田舎」の中の曲と今までの曲を交互に歌う、という構成にしてみました。
今までの曲もできるだけ今までじゃないように演奏してみたりもしました。
真ん中に休憩を入れて2時間。その後アンコールもやりました。なんだかあっという間でした。
お客さんも「あっという間」に感じたのかな。でも、新譜を大勢の人が買ってくれてうれしかった。
6月12日(水)「引越し」

6月6日に、横浜市西区から中区に引越しをしました。引越しをするのは16年ぶりです。
ぼくにとってもユミにとっても、今までのアパートは、人生で(生まれてから)一番長く住んだ場所になりました。
とはいうものの、1年のうち半分位はニューヨークにいるので、そこにはいませんでしたが。
16年ぶりの引越しはとても大変でした。16年の間に荷物はとてつもなく増えていて、見積もりに来た引越し屋さんには、ひと月前から準備すること、と言われる始末。おかげで緊張感のある引越しの準備の日々が続き、当日になって我が家の梱包の具合を見て、完璧、と業者から評価されました。

新しく住み始めたのは横浜市中区の根岸森林公園のすぐ近くです。横浜で一番住みたかった場所にようやく住めるようになりました。 今までの横浜駅近辺の便利な環境とは違い、どこへ行くにもちょっと時間がかかりますが、毎日ランニングをするぼくには森林公園が近いだけですべて帳消しです。
今までの家より1.5倍の広さになったのでユミは幸せそうにしています。
6月2日(日)「吉祥寺 スターパインズカフェ」

今夜の「ぼくの田舎」発売記念ライブには、Dr.kyOnと向島ゆり子さんが参加してくれました。
二人とも、アルバムの中の曲だけではなく、ぼくの過去の曲にも積極的に参加してくれて、ぼくのソロに比べるとはるかにダイナミックな演奏になったと思います。
一部は「ぼくの田舎」の曲を一気にやりました。二部はおもに古い歌をソロやkyOnや向島さんとやったりして、アンコールは3回もやって、やっと終了。夕方からの開演は正解ですね。
終演後、CDにサインをしていると、みんながコンサートの感想をぼくに言ってくれるのでした。
前にニューヨークでライブをしたときみたいで、なんだかとてもうれしくなりました。
5月30日(木)「朝日新聞」

少し前になりますが、5月20日の朝日新聞夕刊に『ぼくの田舎』が取り上げられました。
湯浅学さんがとてもていねいな感想をかいてくれています。
5月26日(日)「旭川 アーリータイムズ」

今日から北海道は突然暑くなりました。持ってきた上着が邪魔でしょうがなかった。
今夜のライブではいろんななつかしい人に会えました。みんな道内の遠くから聞きに来てくれたのです。
途中で休憩を入れて、約2時間歌いました。今夜はCDもたくさん売れました。
5月25日(土)「留萌」

札幌の主催者、木下さんの運転する車で海岸沿いの道を留萌まで。約3時間半のドライブでした。
留萌の手前の増毛で、以前ライブをした民宿「ぼちぼちいこか」にも寄り道しました。
今夜ライブをした留萌のお店は5周年だとか。そして今夜はぼくの63歳の誕生日でもありました。
留萌のお客さんはぼくの長い道のりなど知らない人が多かったけど、最後まで熱心に聞いてくれました。
お店の主人の渡辺さんはブルースが好きだとわかり、打ち上げでいろんな話ができました。
5月24日(金)「札幌 くう」

本州では30度近くまで気温の上がった場所もあるというのに、北海道は16度。夜は10度を切りました。
北海道でも4月の気温だとか。
休憩はなしのつもりでしたが、「日本に地震があったのに」のときに弦が切れて、休憩を入れることに。
行き当たりばったりのようだけど、ゆっくり楽屋で弦を替えました。
札幌は都会なので、年に2回は歌いに来たいと今夜は思いました。
5月20日(月)「歌詞カードのミス」

「歌は歌えば詩になっていく」の歌詞カードにミスがありました。4番が抜けています。
このことを今月の初めごろぼくに知らせてくれたのは、kyOnでした。
とても残念ですが、仕方ありません。ぼくの確認ミスだから。

それで、4番の歌詞は以下の通りです。

「これは自分の説明不足から来る予定になかったすれ違い
自分の消極さが生み出した望まなかった結末
これは今日君が空港に向かう時通るという交差点
君はぼくに会って何か手渡したいという」
5月19日(日)「秩父 ホンキートンク」

今年は女性が二人ぼくの前に歌ってくれました。二人の歌はタイプがまったくちがっていておもしろかった。
ホンキートンクの鈴木さんは毎回1曲だけ、控えめに聞きたい曲をリクエストするけど、今年は「にんじん」でした。
いつかぼくのもう少し新しい曲にも目覚めてくれるとうれしいのですが。
5月18日(土)「西日本新聞」

5月17日の西日本新聞にぼくのインタビューが載りました。「ぼくの田舎」に的をしぼって上手にまとめてくれました。
4月25日の福岡での七尾旅人くんとのライブ評も5月上旬の西日本新聞に載りました。読んだ人はいるかな。
5月17日(金)「静岡 フリーキーショウ」

去年の12月から新しく再開したフリーキーショウでソロのライブをしました。
まず、最初に歌ったノダフルタくんの詞にひきつけられました。奇妙な敗北感を背負ったようなところがあって、最近の若い人にはめずらしい詞でした。

ぼくはいつものように静かに歌うだけでしたが、会場の音がいいので、だんだん調子にのってしまったようです。
そういえば静岡はお客さんの反応のいい街だということを歌いながら思い出しました。たぶんまたすぐに歌いに行くと思います。
5月16日(木)「フェイスブック」

今回はフェイスブックとツイッターの話。
どちらもぼくはやっていないのに、誰かがぼくの代わりにアカウントを作っていたみたいです。
3月にそのことを人に聞いて初めて知りました。
ぼくがやっていると勘違いして、フェイスブックにぼくの友人が書き込みをしたりしていたので、ちょっと困っていました。
その後、友達に頼んで、「友部正人フェイスブック」をやっているどこかのだれかさんに連絡をしてもらったところ、ようやくなくなった模様です。
それにしても変な話ですね。
5月12日(日)「徳島 寅家」

寅家のお客さんは、飲んで歌を楽しむ人が多いみたいです。堅苦しい感じはゼロ。ぼくも何も気にせず、自分の声に気持ちを集中することができました。声が自由に使えることが歌うことの最初の条件だと思います。
そんなことを想った夜でした。
5月11日(土)「高知 ロックバー J's」

ビルの3階のお店なのに二階があっておもしろい構造。壁にはびっしりとポスターやLPレコードが貼ってあります。
ライブ中禁煙にしてもらったら、お店の主人は快くOKしてくれました。
最初に片岡くんが歌いました。声の大きな人でした。その後休憩を入れずに2時間ぐらい歌いました。
客席が近く、お客さんの反応がよくわかってやりやすかったです。
銀杏Boyzのギターのチンくんが家族で来てくれていてびっくり。うれしかったな。
5月10日(金)「高松 オリーブホール」

毎年この時期に来ています。今年はアルバム発売記念でしたが、いつもよりお客さんは少なめ。
そのせいか、ステージから客席が遠く感じました。それでも後半になるにつれ、お客さんが前の方に来たように思えたのは、だんだん反応が良くなっていったせいだと思います。
5月6日(月)「たつの市 にゃーご」

たつのはいい町でした。狭い一区画に時間と歴史がたっぷりと盛り込まれていて。ライブの前に城跡に案内してもらいました。
勧められて戦国の武士の鎧を着させてもらいました。でも立ち方は全然武士ではなかったけど。
「にゃあご」は民家をそのまま使ったカフェで、オープンしてまだ1年だそうです。休憩をはさんで2時間以上歌ってしまいました。
呼んでくれた稲村夫妻も一生懸命で素敵で、ユミも仲良くなっていました。
そして夜は「梅玉」という旅館に泊めてもらいました。居心地良く作られた素敵な旅館でした。
5月4日(土)「大阪 春一番」

3日〜6日までの4日間、今年も服部緑地で「春一番コンサート」が盛大に開かれました。
ぼくは5月4日の最後に出演しました。
座っていると、ジーパンが熱いと感じるほどの日差しだったのに、夕方少し雨が降って、急に寒くなりました。
1曲目はきわわと一緒に「こわれてしまった一日」。ボーカルの一穂とペダルスチールの宮下くんが一緒に歌ってくれました。
2曲目と3曲目は、Dr.kyOnと二人で「歌は歌えば詩になって行く」「日本に地震があったのに」を。
新しいアルバム「ぼくの田舎」でのサウンドを、kyOnはピアニカとピアノで再現しました。
4曲目にまたきわわが登場。三宅伸治くん、梅津和時さんも急きょ加わって「ぼくは君を探しに来たんだ」「生きていることを見ているよ」を続けてやりました。全員が一緒に歌ってくれたおかげで、いつになく感動的な2曲になりました。
アンコールも準備していたのですが、残念ながら時間切れ。もう7時をだいぶすぎていたから。
でも、お客さんも一緒に声を合わせて歌えたことは、これからぼくのも記憶に残ることでしょう。
4月29日(月)「鎌倉宮」

この路地フェスタでぼくが参加するのは今年で3回目です。今年はおおはた雄一くんと一緒でした。
去年の秋に吉祥寺で一緒にライブをやったばかりだったので、二人でできる曲がいくつもあり、のんびりライブをしていたら、ずいぶん時間を超過してしまったようでした。おしまいの頃になって席を立つ人が何人もいるなあ、と見ていたけど、
後で聞いたら、すでに最終のバスの時間になっていたとか。最後まで聞けなかった人にも申し訳なかったです。
でも、おおはたくんとのライブは良かった。またいつか別の場所で、今夜みたいな感じでゆったりとできたらな、と思います。
ぼくやおおはたくんが昔から一緒に演奏していた安藤健二郎くんがクラリネットを持ってやってきてくれて、三人で演奏できたのもとてもうれしかった。
4月27日(土)「熊本 くまもとフォーク村」

フォーク村と聞いて、懐メロの人たちかな、と思われるかもしれませんが、ぼくの印象では歌そのものが好きな人たちが集まる店だと思いました。ライブは今回で3回目になりますが、新しい歌に出会いたくて聞きに来ているように思えます。
今年は、全員が着席して聞けるように30人で予約を打ち切ったそうです。そのため、当日来た人は入れなかったみたいです。
狭い店だけれど、歌に向き合えるいい空間だと思いました。
4月26日(金)「佐賀 Rock Ride」

このところ1年に一度は歌いに来ています。
今回は北九州市の藤井さんという若者が最初に歌い、とてもおもしろい歌だと思いました。
ぼくは昨日の福岡のノリがまだ残っていて、なんだかんだと休憩も入れずに2時間ぐらい歌いました。
終演後サインをしながら、「どこどこから来ました」というお客さんの声をきいていると、佐賀は九州のいろんなところから来やすい街なのかな、と思いました。
4月25日(木)「福岡 Voo Doo Lounge」

七尾旅人くんとはじめてライブをしました。最後に会ったのは13年前だとか。旅人くんは18歳だったそうです。
彼のライブを聞くのは初めてだったので、前半の旅人くんのソロ、真面目にちゃんと聞かせてもらいました。
後半のぼくのソロは主に新作の「ぼくの田舎」から演奏しました。
自分のライブは久しぶりだったので、自分のことながら、何を演奏しても本当に楽しかった。
それから今日は「ぼくの田舎」の初めての先行発売の日でもありました。たくさんの人がCDを買ってくれました。
アンコールは旅人くんと「一本道」。旅人くんが生まれるよりずっと前の曲を二人で演奏しました。
これってどんな感じなのかなあ。でもぼくは、またどこかでもう一度やりたいなあ、と思いました。
4月22日(月)「ぼくの田舎」

ぼくのニューアルバム「ぼくの田舎」ができあがりました。4月25日の福岡のライブから販売を始めます。
全部で11曲入りです。早くみんなに聞いて欲しいです。通信販売もやっています。詳しくはカタログのページで。

それから3月のことになりますが、1992年に発売された、友部正人&たまの「けらいのひとりもいない王様」
の復刻盤が出ました。DISC UNIONで買うと、缶バッジがおまけにつくそうです。
4月19日(金)「シュガー・マン」

ドキュメンタリー映画「シュガー・マン」を日本でようやく見ました。
ニューヨークでは去年1年間ぐらいにわたって上映していた作品。話題になっていたけど、ついに行かなかったのです。
でもたまたまロドリゲスの「シュガー・マン」という曲を聞いて、あまりにもいいので突然興味がわいたのです。
今回の帰国直前に、うちのアパートのななめ前のビーコンシアターでロドリゲスのコンサートもありましたが、それを知ったときにはもうとっくにソールドアウトでした。
ロドリゲス、とにかく歌がいいです。
4月11日(木)「マメナシ」

この一か月ずっと寒くて、最低気温が零度前後でしたが、月曜日から突然初夏のように暖かくなり、ついに街路樹のマメナシの花が咲き始めました。そんな街をあとにぼくたちは今日帰国します。
帰国してしばらくしたら、新しいぼくのCDが届くので楽しみです。
4月10日(水)「アンドレ・シフ」

クラシック専門のラジオ局WQXY主催の、アンドレ・シフ、バッハについて語る、というコンサート。
公開収録のための小さな場所で、シフはピアノの前に腰掛け、自宅で友人と話すように、自分とバッハの関係について話をしました。最後に長めの曲を1曲、それからアンコールに有名なイタリア協奏曲を演奏して終わり。
話がおもしろかったし、本人からたった5メートルの距離で聞いたバッハに、ぼくもユミも大感激でした。
4月7日(日)「レナード・コーエン」

朝はセントラルパークの15キロレースに出ました。今日は昨日に比べて参加者が少なかったのか、年齢別で2位でした。

夜はラジオシティ・ミュージック・ホールでレナード・コーエンのコンサート。
「持てるものを全部見せます」と始まりにレナード・コーエンが挨拶した通り、とても長いコンサート。
休憩を入れて約4時間。でも素晴らしかった。とても80歳近い人だとは思えなかった。
「There is a man still working for your smile」という一言がコンサートの最後のレナード・コーエンの言葉でした。
4月6日(土)「スコットランド・ラン」

セントラルパークで10キロのレースがありました。ニューヨークに100以上はあるランニングチームのポイントを競い合うレースでもあり、大勢の強者が参加、ぼくは年齢別で11位でした。

夜はグッゲンハイム美術館に「GUTAI」(具体)展を見に行きました。
50年代の日本の過激な美術運動を紹介してありました。どうしたら批評家から認められないようなおもしろいことができるかと、一生懸命でおもしろかった。
4月5日(金)「HIKOBAE」

東日本大震災で被害にあった相馬市の病院を舞台にしたお芝居。日本の作品です。
舞台で地震の災害を再現するのはむずかしいのでは、と見に行く前は思いましたが、心の中の動揺や痛みを通して、ちゃんと表現できていたと思いました。音楽がキーボードと笛と太鼓の生演奏だったのが気持ちがこもっていてよかった。
4月3日(水)「ラ・トラビアータ」

ヴェルディのオペラ「ラ・トラビアータ」(椿姫)をメトロポリタン・オペラで見ました。
チケットはソールドアウトだったので、意を決して、ラッシュ・チケットの列に12時からユミと並びました。
努力したかいがあってめでたくチケットをゲット。舞台美術は現代的なアレンジで、シンプルな分だけ、後半はいささか間延びしているように感じました。それでも、ソプラノのディアナ・ダムロウと、テノールのドミンゴの歌が聞けてとてもうれしかった。
4月2日(火)「シング・アウト」

先日「パンキング・アウト」という映画を上映したリンカーンセンターの図書館ホールで、今日は「シング・アウト」と題した、50年代、60年代のグリニッチ・ビレッジのフォーク・リバイバルについての講演会がありました。
講演をしたのは、デイブ・バン・ロンクの自伝「メイヤー・オブ・マクドゥーガル・ストリート」の共著者であるイリヤ・ワルド。このデイブの自伝を元にした映画が今年の秋にアメリカで公開されることもあり、
講演もデイブの話を中心に進められました。
客席には当時のグリニッチ・ビレッジを体験したような年寄りが多く、みんなとてもがんこそうでした。
3月30日(土)「ニック・ケイブとバッド・シーズ」

あきらめていたニック・ケイブのビーコン・シアターでのライブ、ユミがインターネットでチケットを見つけてくれて、見に行くことができました。
ステージの中央に6人編成のバッド・シーズ、右上段に十数人の子供たちのコーラス隊、左上段には7、8人編成のストリングスと、大編成のステージ。その分演奏にも厚みがあって、すごい迫力でした。
後半に「マーシー・シート」が聞けたのもうれしかった。つくづく、見に行ってよかったと思いました。

そういえば、MC5にいたフレッド・スミスは、テレビジョンの人とは同姓同名の別人だったのですね。
もうずいぶん前に亡くなっているのに、5月にテレビジョンが来日する、というニュースをみて、やっと人間違いしていたことがわかりました。
3月28日(木)「Nick Cave」

これは音楽のニック・ケイブではなく、美術のニック・ケイブです。
グランドセントラル・ステーションの100年記念として、カラフルな彼の馬の作品の展示と、日に二回のパフォーマンスをしています。パフォーマンスは子供向けで、カラフルな馬たちが歩いたり踊ったりします。
パーカッションに合わせて踊ると、馬の全身の毛がはねて、色彩の海がうねっていてとてもきれいでした。
3月27日(水)「Barry Harris」

以前ジャズクラブのヴィレッジ・ヴァンガードで見たバリー・ハリスが、カーネギーホールの小ホールでやるというので見たくなり、ユミとでかけました。
最初はソロリサイタルっぽく始まったコンサートでしたが、途中からは彼のピアノやコーラスの生徒たちも参加して、ちょっとしたワークショップ状態に。耳で聞かせるだけではなく、心の中に音楽を育てようとしているみたいでした。
3月26日(火)「PUNKING OUT」

リンカーンセンターの図書館ホールで、七十年代のニューヨークのパンクシーンを撮影した
フィルムの上映会がありました。
上映された3本のうち、79年にCBGBで撮影された「Punking Out」以外はぼくにはあまり
興味のないものでした。でも、どんなささいなものでも、自国で生まれた文化は貴重なものとして保存していこうとするアメリカ人の態度は素敵だと思います。
日本でも、伝統芸能だけじゃなく、新しいものも、自分たちにとって価値のあるものとして残せたらいいのに、と思いました。
3月24日(日)「テレビジョン」

久し振りに18丁目の中古レコード店「アカデミー」に行きました。
フランス盤の「テレビジョン」ライブを買いました。
パティ・スミスの「ジャスト・キッズ」を読んで、また聞きたくなったので。
パティ・スミスの亡くなった旦那さんのフレッド・スミスはMC5の前はテレビジョンのベーシストだったんですね。
3月23日(土)「ニック・ケイブ」

3月末のビーコンシアターでのニック・ケイブのチケットが3日間とも売り切れで買えなかったので、新作CDを買いました。歌というより朗読のような感じもしたけど、新鮮でした。
3月22日(金)「ホイットニー美術館」

先週なんとなく行きそびれたジェイ・デフェオの大作「ローズ」を見にホイットニー美術館に行きました。
1989年に60歳で肺がんで死んだジェイ・デフェオ、ホイットニーでは最近、60年代のアーティストをもう一度取り上げることが多いみたいだけど、彼女もその一人のようです。
3階の「ブルーズ・フォー・スモーク」という展覧会は黒人の音楽やアートが中心で、にぎやかでとても活気がありました。ハウリング・ウルフやデューク・エリントン、セシル・テイラーらの映像はもし販売していたら買って帰りたくなりました。
3月17日(日)「ハーフマラソン」

今朝はニューヨーク・シティ・ハーフマラソンがありました。
ぼくは申し込みそびれたので走らなかったのですが、Tシャツがもらえるとか、いくつか特典があるので、初めてボランティアに参加しました。
4時半、まだ真っ暗のセントラルパークに集合して、フィフス・アベニューでUPSのトラックを待ちます。ぼくの仕事は出場するランナーの荷物係でした。
気温は氷点下で風も強く、ズボンの下にタイツもはいて万全の服装ですが、4時間以上立っているのはつらいかも、と思いました。
終了後、高揚した気分をおみやげに8時ごろ家に帰りました。

お昼頃、ダウンタウンに住むヨシとマドレンが遊びに来たので、4人でアッパーウエストをぶらぶらしました。
3月12日(火)「You Tube」
ニューヨークに着きました。
JFKからマンハッタンまで、朝の渋滞に巻き込まれて1時間半もかかりました。

You Tube に上げられたぼくのCDからの音源があまりにも多いので、おもに友部オフィス制作のCDの音源を上げている人に、削除するようユミが直接メールをしたら、徐々に返事がきています。
いろんな人がいて、すみやかに削除してくれるという人もいましたが、「アップしてもらえるだけでもありがたいと思え、阿呆」と罵倒する人もいました。
こんな人もぼくの歌を聞いているのかと、ユミが思い切った行動をしたおかげで、思わぬファン(?)の一面を見ることになりました。
You Tubeの仕組みがまだよくわからないので、自分ではアップしていなくてぼくの歌をお気に入りにしている人にもユミはメールしていて、現場はいまだ混乱していますが。

You Tube という広大な架空のたまり場のおかげで、製作者がお金をかけて作った音楽が無断で無料で匿名でやり取りされるようになったのは事実で、そのことを一度はっきりと口にしたほうがいいと、今回のような行動を取ってみてよかったと思います。
3月10日(日)「しばらくニューヨークです。」

2月、3月のツアーも終わりました。3月12日から4月12日までニューヨークにいます。
(この間、通信販売はストップします。発送作業4月12日以降になりますので、ご了承ください。 友部正人オフィス 小野)

今月、ぼくの書いた原稿の載った雑誌が二つ出ます。
「雲遊天下」(ビレッジプレス)には、ニューヨークのセントラルパークのベンチのことを書きました。
「クウネル」(マガジンハウス)3月19日発売号には、ぼくの大切な詩として、高階杞一さんの「早く家へ帰りたい」を取り上げ、短いエッセイを書きました。
ぜひ読んでください。

そろそろぼくのニューアルバム「ぼくの田舎」のジャケット写真なども、ホームページのトップページに載るはずです。
CDの発売は5月3日ですが、4月25日〜27日の九州ツアーと、4月29日の鎌倉宮ライブには先行販売できる予定です。大阪の「祝・春一番」でもぜひ手に取ってください。
春とともに、何かが大きく動き始めた気がします。
3月9日(土) 「林英哲」

横浜の神奈川県立音楽堂で林英哲がコンサートをするという連絡をもらい、よろこんで伺いました。
このホールの音の良さは昔から評判だったから、そこで林英哲の太鼓が聞けたらすばらしいだろう、と思ったのです。
英哲と、英哲風雲の会のメンバーによる太鼓だけのコンサートは、音だけではなく、視覚的にも、想像以上に素晴らしかった。
見せるということを真剣に考えたパフォーマンスは、「音楽堂」におとなしく収まるものではありませんでした。
ニューヨークに行く直前にいいものを見ることができました。
英哲さんに随分久しぶりに会いましたが、彼はちっとも変っていませんでした。
3月4日(月)塩屋

帰る前に、旧グッゲンハイム邸のスタッフの佐々木さんに、塩屋の商店街を案内してもらいました。
駅から100メートルぐらい続く、車の入れない細い通りが商店街です。
豆腐屋さんで豆腐スティック(厚揚げ)を試食させてもらって、ぼくもユミもふちがみさんも大興奮。
名物のいかなごの釜揚げや釘煮や厚揚げなど、おかずになるようなものばかりたくさんおみやげに買いました。楽しくていい時間でした。
3月3日(日)兵庫県塩屋「旧グッゲンハイム邸」

いろんな人からすてきな場所だと聞いていた旧グッゲンハイム邸にやって来ました。
古い木造の洋館です。想像より大きな館でした。

今日ぼくがふちふなにリクエストしたのは「六月のうた」。そしてふちがみさんからのリクエストは「ラブ・ミー・テンダー」。
2部のLDKでは昨日まではやらなかった「遠来」をやりました。アンコール前の最後の曲「歌う人」のとき渕上さんが「ああ、曲が減っていく」とつぶやいて、これでLDKの小旅行が終わってしまう、という惜しい気持ちがよく伝わってきました。アンコール最後の「トライ・トゥ・リメンバー」は3日間の最後の曲でもありました。

ツアーをすると意外な人が聞きに来てくれるものです。
開演前に楽屋を訪れたのは、「100万回生きたねこ」でしろねこを演じた満島ひかりさんと、美術を担当した女性でした。二人は最後までライブを聞いてくれて、夜行バスで東京に帰りました。
びっくりしたけど、ほんとうにうれしかった。
神戸に住む古くからの友人たち、パリで20年以上暮らしているなつかしい友人。
再会までの時間の長短はさまざまですが、今夜はたくさんの人たちに再会しました。
3月2日(土)京都市「アバンギルド」

昨日のガード下のk.d.ハポンとはうって変って、アバンギルドは木屋町の飲み屋街にある雑居ビルの中のお店。ここもパフォーミング・アーツをメインにしているライブカフェです。

1部のふちふなのソロで、ぼくは「フェアリー・テール・オブ・ニューヨークシティ」をリクエスト。
これはクリスマスの歌なのでこの時期には歌わないのだけど、と言いながら、「断ってLDKを解散されても困るので」と歌ってくれました。ありがとう。
ぼくのソロの部分では、船戸くんから「熱くならない魂を持つ人はかわいそうだ」をリクエストされました。ぼくのデビュー前の曲なので、リクエストされてびっくり。

2部のLDK、今夜はけっこうのりのりでした。2日目で3人の演奏がこなれてきたからでしょう。
アンコールでは「Bring It On Home To Me」を初めてLDKでやりました。

デジタル・オーディオ・レコーダーでライブを録音している人がいて、ぼくとユミが注意したにもかかわらず最後まで録音を続けたようです。
渕上さんも終演後に注意をしようと追いかけてくれたのですが、人違いをしたらしく、間違えた人にほんとにすまなかった、と悔やんでいました。

ぼく個人の気持ちでは、録音している人がいると、CD化されていない未発表の曲はできなくなります。本当はできたばかりの曲も聞いてもらいたいのに、録音されているとわかると歌いたくなくなるのです。
今回LDKで取り上げた「100万回生きたねこ」の中の2曲も、まだミュージカルの本公演で歌われただけで、ほかの場所では歌われていない、未発表に近い作品でした。
大切な楽器を盗まれたような感じ。

ついでに言うと、you tubeにぼくの音源をアップしている大勢の見知らぬ人たちにも、非常に困っています。小野由美子の言うには、音源の権利は製作者のものなので、そんなことをするのならCD製作費を全額支払ってほしい、ということでした。
「クレーン」を発売した後、なかなかアルバムを録音しなかったのは、こういった理由もあったのです。
3月1日(金)名古屋市「k.d.ハポン」

今日から3日間、ぼくとふちがみとふなとの3人のユニット、LDKの「春の小旅行」ツアーです。
今夜は名古屋市の鶴舞にある小さな劇場喫茶「k.d.ハポン」。
今までのレパートリーに加えて、今日から新たに、ミュージカル「100万回生きたねこ」の中の「わたしの家」と「4月になれば」や、ETTの西本さゆりさんとふちふなの渕上純子さんの共作「ワルツ」もLDKのレパートリーに加えることになりました。

1部のソロの部分では、ぼくはふちふなに「このまち」を、渕上さんはぼくに「もう春だね」をリクエストしました。
この交換リクエストは明日あさっても続ける予定です。
寒い夜の焚火のような音楽、そして旅する貨物列車のようなお店でのライブでした。
2月28日(木)「ファースト・ポジション」

横浜の映画館ジャック&ベティに「ファースト・ポジション」を見に行きました。
これはユミが見たくて、ぼくは一緒についていったという感じ。でも、見て良かった。
世界中から選ばれた少年少女たちのバレエのコンテストの話。
最後まで勝ち抜く少年少女たちの生まれた国のことや家庭環境まで、ちゃんと取材されていて、バレエにかける若者たちの情熱がより浮き彫りにされていました。
2月24日(日)倉吉市「ラ・キュー」

山根さんがぼくとユミを倉吉まで車で送ってくれて、午前中にはラ・キューに到着。
ライブができるような広さではないのに、不思議とお客さんがゆったりと聞けてしまう不思議な空間。日常のゆるさが聞く人をリラックスさせるからなのか。
マイクも使わないそんな生のライブを聞きたくて、神奈川からラ・キューまで聞きに来てくれた友人もいました。
そういえば、マイクがないと音に神経を使わずにすむので、ぼくも楽にできるようです。
何よりも、毎年歌っているという安心感があるのかも。

広島、島根、鳥取と個性的なお店でライブができた今回のツアーでした。
2月23日(土)松江市「アルトスブックストア」

去年に続いて、2年連続の「アルトス」ライブでした。「アルトス」は新刊書のお店です。
どの本も音楽が好きそうな感じがします。だから本もお客さんと一緒に、最後まで歌を楽しんでいました。古本は眠っている感じがするけど、新刊書は眠らない。

アラジンの石油ストーブを横に、休憩をはさんで2時間ぐらい歌いました。
PAは山陰放送の山根さんで、モニターを使わないので、リハーサルのときにユミと、スピーカーの向きでいろいろと工夫していました。
「冬の本」でも執筆者だった、松江在住のシンガーソングライターの浜田真理子さんや、松江で40年以上も「MG」という喫茶店をやっているあっちゃんも来てくれました。
2月22日(金)広島市「ヲルガン座」

2年ぶりの広島は、ヲルガン座でした。5周年記念企画だそうです。
広島にこんなに変わったお店があるなんて知らなかったので、この企画に誘われてうれしかった。
古いビルの2階がカフェで、トイレなんかはピカピカだけど、他の古いところは古いまま大事に残しています。何か、やりかけのような乱雑さもあります。
お店をやっているのは、アコーディオン弾きで歌うたいのゴトウイズミさん。
お店と歌とお客さんをとても大事にしている人のようです。
リハーサルの後に、ぼくとユミを近所のお好み焼き屋さんに連れて行ってくれました。
キャベツとうどんに薄いパンケーキがちょこんとのっているようなお好みであっさりしていておいしかった。
一部の最後に「どうして旅に出なかったんだ」を歌ったら、ゴトウさんに「好きな歌なのでうれしかった」と言われました。
2月15日(金)横浜市「ドルフィー」

毎年恒例となった、ピアニストの板橋文夫さんとのライブ。いつもぼくの曲ばかりやるので、ぼくはちょっと気にしていたのですが、板橋さんはそれで全然かまわないみたいです。
今日もリハーサルで、「クレーン」から、これとこれをやりたい、と言ってくれました。
ぼくも板橋さんも、ソロの曲は1曲ずつです。あとの13曲は全部二人で演奏しました。
1曲やるごとにぼくと板橋さんとの呼吸が次第に合って行くのがわかりました。
「そろそろ録音したいね」とステージで板橋さんは言っていたけど、ぼくは去年ぐらいからそう考えていたのです。だからたぶん、来年には・・・・。
2月12日(火)高山市「ピースランド」

2年ぶりの高山でした。「ピースランド」は古民家を使った児童書とコーヒー、お酒のお店。
一番奥の蔵の中がライブスペースです。最初に神奈川県出身の牧島さんが歌いました。
恰好はおしゃれなのに、歌は社会派で、そこが意外でおもしろかった。
震災のあった2年前、ピースランドでのライブの前に、蕎麦屋でテレビの国会中継を見ていて、なんだか悲しくなったのを思い出して後で作ったのが「歌は歌えば詩になって行く」だったことを、今日もライブの前に同じ蕎麦屋に行って思い出しました。
2月11日(月)富山市「橙」

アーケード街にあるカフェ「橙」で初めてライブをしました。すっきりした箱型の天井の高いお店で、とても音がいいです。歌いに来た人がみんなそう言うそうです。富山にはもう長い間歌いに来ていませんでした。前に来た時の印象は、とても水のおいしい街、ということ。
高岡や富山では必ずオープニングアクトとして歌ってくれる大谷氏の歌も良かったです。
2月10日(日)金沢市「ジョーハウス」

石引の大学町にあるカレー喫茶「ジョーハウス」では毎年この時期にぼくはライブをしています。
学生割引があるせいか、大勢の若い人が聞きに来てくれました。それから、ぼくの古くからの友人たちも必ず来てくれるのがうれしいです。というわけで今夜はソールドアウト。
最近リクエストの多い「どうして旅に出なかったんだ」や、三代目魚武濱田成夫さんがニューアルバムでカバーしてくれた「地下鉄の音楽」などを歌いました。
2月5日(火)いわき市「バローズ」

ソニックというライブハウスの姉妹店。古い体育館の物置のような雰囲気の場所です。
その「バローズ」で今日もLDKのライブ。昨日と同じように前半にそれぞれのソロの部分を設け、後半はばっちり、LDKの演奏を聞いてもらいました。仙台から毎日1曲ずつ曲が増えて、今日は今のところできる曲を全部やりました。
2月4日(月)郡山市「ラスト・ワルツ」

仙台の「おとのわ」で一緒だった「ふちがみとふなと」と一緒に、郡山のラスト・ワルツに。
テリーさんの車にテリーさんとメンバー3人とユミとウッドベースやギターなんかを積んで、大移動ツアーの始まりです。
毎年ぼくはソロで歌いに来ていましたが、今年はぼくとふちふなとの3人のユニット「LDK」でライブをしました。
とはいってもLDKのレパートリーはまだそんなには多くはなく、前半にそれぞれのソロの部分も30分ずつとり、後半にLDKの演奏、という構成でした。
平日だというのにたくさんの人に聞きに来てもらい、ぼくたちはとてもうれしかった。
2月3日(日)仙台市「おとのわ」

仙台市にあるライブハウス「レンサ」で、福島第一原発で被災した親子への支援ライブ「おとのわ」、去年の2月に引き続き2回目が開催されました。
今年はステージを子供たちに開放して、音楽イベントをするステージはPA席前のフロア。
モニターがなく、ミュージシャンにとっては少し過酷な状況ではありましたが、聞き手と演奏者という壁がなくなり、場はよりなごやかになりました。
去年はロビーが活動の場所だった様々な出店も、今年はステージを囲むような形でライブ会場の中になったのも画期的でした。
400人以上の人がつめかけて場内は大入り満員。ぼくはふちがみとふなとと一緒に演奏しました。
自治体やスポンサーに頼らないユニークなイベントがこうしてこれからも増えていけばいいと思います。
1月31日(木)「レコーディング終了」

今日でレコーディングの録音作業はすべて終わりました。
今回はピアノやバイオリンも入り、「クレーン」とは少し違った音色になっています。
これから編集作業が始まります。
1月26日(土)「打ち上げ」

ミュージカル「100万回生きたねこ」の東京公演が明日で終わるので、一日早い打ち上げが池袋でありました。
出演者がみんなとても仲良くなっていて、すごく楽しそうでした。
連日大入りで、このあとの地方公演も盛り上がりそうです。
楽しい仕事をありがとう。
1月24日(木)「中村正義のこと」

そういえば20日のことで書き忘れたことが一つ。
レコーディングの打ち合わせの後、ぼくとユミはまた写真美術館に戻り、ドキュメンタリー映画「父をめぐる旅」を見ました。これは日本画家、中村正義さんの長女、倫子さんが父の足跡をたどる映画でした。
田島征三さんの縁でぼくは中村正義美術館にも行って、そこで歌ったこともあるし、倫子さんにも会ったことがあるし、中村正義や田島さんたちの「人人展」にも行ったことがあるのに、中村正義がどんな人かは全然知らなくて、この映画で初めてわかって、わあ、なんてかっこいい人なんだ、とびっくりしてしまいました。

今日はユミと、横浜のジャック&ベティに「100万回生きたねこ」のドキュメンタリー映画を見に行きました。姿は映らないのだけど、佐野洋子さんの声、しゃべり方がとても心に残ります。
強いのでもなく、あっけらかんとしているわけでもない。でも悪あがきはしないようにしている。
もう少し佐野さんに出てきてほしい映画でした。他の登場する女性たちが、佐野さんにも絵本にもあまり関係がないような気がして。
1月20日(日)「写真美術館」

写真美術館に北井一夫写真展「いつか見た風景」を見に行きました。とても好きな写真でした。
いつか写真集「三里塚」も買いたいと思いました。
その後恵比寿で某氏とレコーディングの打ち合わせ。いい感じになりそうです。
1月18日(金)「レコーディング」

今日からレコーディングが始まりました。
2年ぶりです。その間にたまっていた歌を録音していきます。
1月11日(金)「100万回生きたねこ」

東京芸術劇場に「100万回生きたねこ」の本番を見に行きました。800人ぐらい収容の中ホールです。チケットは最終日の1月27日までほぼ売り切れだそうです。
このあいだのゲネプロはリハーサルで、客席も関係者だけでしたが、今日は一般のお客さんと一緒に見たわけで、全然雰囲気が違います。自分がかかわった作品でありながら、完全にお客さんとして見ていました。
イスラエル人のインバルさん、アブシャロムさん夫妻によるこの舞台は絵本のようです。
一場面一場面が絵本の一ページごとのように進行していきます。とてもシュールな舞台ですが、二人は佐野洋子さんの絵本から直接ヒントを得たようです。
音楽も全部オリジナルで、どの曲も斬新で、曲の性格もとてもはっきりしています。
仕事でミュージカルを見慣れているぼくたちの友人も、この作品はかなり特殊で、普通のとは全然違う、と感心していました。

稽古時に、ぼくが書いたある歌詞のことで、主演女優の満島ひかりさんと話し合いになったとき、ああ、この人はとてもよく原作の絵本を読みこんでいる、と感心しました。
それからはぼくも佐野さんの絵本を見ながら歌詞を書き進めるようにしました。

最初はインバルさんとアブシャロムさんの頭の中にしたなかった舞台が、こうして1年かけてみんなのものになるまでの一部分をぼくも一緒に体験できてよかったと思っています。
1月10日(木)「川俣正展」

横浜のBankART NYKで14日まで開催されている川俣正展を見に行きました。
NYKの建物の外側が木材で覆われているのはみなとみらいの赤レンガからでもよく見えます。木材には運搬用のパレットが使われていますが、一枚一枚は固くて重いパレットが、群れを成して建物の屋上から水のように落ちてきているように見えます。2回のギャラリーの天井はガラスの入った窓枠で覆われていました。
窓が天井の磁石に吸い寄せられたみたい。おもしろいです。

見終わった後、BankART主宰の池田さんが、ぼくとユミを吉田町の古いジャズ喫茶「リトルジョン」に連れて行ってくれました。ぼくもユミも長く横浜に住みながら、横浜を知らないことに池田さんはあきれたようでした。
最近はこの吉田町界隈におもしろい店が増えているそうです。
1月7日(月)「100万回生きたねこ  ゲネプロ」

1月8日から本公演の始まる「100万回生きたねこ」の通しリハーサルを見に、池袋の東京芸術劇場に出かけました。ちゃんと衣装をつけた「100万回」を見るのは初めて。
全体がファンタジーに包まれた空想の世界で、ダンサーたちは椅子になったり魚になったり家になったり、まるで絵本を見ているよう。
何回も生き返っては舞台の下から這い出してくる、森山未來さんのトラねこちゃんには感心してしまいました。体がくねくねととてもやわらかい。

一部の舞台は室内で、二部は屋外。虫の音が聞こえる野原です。
そこでトラねことしろねこの出会いから死までの話。最後、しろねこが死んでしまうところでは涙が出てきてしまいました。

今回、阿部海太郎さんとロケット・マツの素敵なメロディに詞を書かせてもらったのですが、こんな体験ははじめてで、制作中はとても気持ちの高ぶった毎日でした。
もちろんどの歌もよく知っているので、ぼくもユミも客席で一緒に歌いだしそうな気分でした。
1月1日(火)「あけましてあめでとうございます。」

2013年になりました。1月はレコーディングのためにライブは一つもありません。
録音する曲のことを考えながら、このお正月を過ごそうと思います。
今年もどうぞよろしく。

友部正人